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Channel: わたしんちの医学革命と雑多な情報
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女性編 患者が医者をだますとき 2

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あらら、また題名間違った。

女性はターゲットにされる医猟界のようだが。

最近は至急頸がんワクチンを打とうとかいうキャンペーンにはまってしまった女性達。

といっても、実際に被害を受けるのは大人ではない、いや子どものような知能の大人では無いという。だって打たされるのはこどもたちだからだ。

ヤンママたちは本当に自分では考えられないようだ。

こういうのが簡単にひっかる。

ダッテェ〜〜
シンジラレナ〜〜イ

とか黄色い声をだす人種の理解はわしには無理だが
非常にひっかりやすい人種らしい。

いや、ヤンどころかロウまで含まれると鳴門どうにもこうにも・・

それにヤロウ共にもこういう女性的人種が多いのでもうどうにもこうにも、どうにもナラン。

え、ここでまた「つづき」にするかって?

 

む、ちょっとだけよ〜

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


医者が患者をだますとき(女性編)
1, 本の著者紹介 
2, 著者 はじめにより
3,訳者あとがきより
4, 巻末付録 医者がよく使う薬について

5, 第1章    医者通いはなぜ危ないか    
   現代のドン・キホーテ   だから女性はきをつけなければならない   現代医学の致命的欠陥       「現代医学の進歩」という幻想

6 第2章 診察室ほど危ない場所はない   
 昔は患者のためのものだった   病院経営に役立つ 「創造的診断」    薬をきちんと飲みなさい」に要注意   「自覚症状がなくても治療を受けてください」        医療で生計を立てている人たち       「とりあえず検査しましょう」
7 危ない医学信仰、危ない医学教育 
   医療信仰は幻想でしかない   ほとんどの人は医者を信頼し、崇拝に近い態度をとる。   外科医に共通している信条は、「疑わしきは摘出せよ」である。    医師免許を持たない 「名医」     医者が受けている教育
8 第4章   医学界と女性差別
   女性に対する医学界の差別    女性の医療従事者への差別   婦人科医療は女性に対する報復?   今なおつづく壮大な人体実験    今なお残る医療被害   医学界に利用される女性たち  
    9美容外科が生み出す悲劇,
   医者を畏敬の対象にしてはいけない  健康診断は患者の ?青田買い?   ほとんどの医者は、現代医学がつくり出した神話を信じている。    簡単な検査にも問題がある    なぜ幻想か? 理由が二つある。    検査漬け医療はなぜ危険なのか




著者 ロバート・メンデルソン     訳者  弓場 隆
発行所  株式会社草思社   2001年4月24日 第1刷発行  ISBN4−7942−1048−5



  ロバート・メンデルソン

アメリカで「民衆のための医者」として親しまれた医師。イリノイ大学医学部準教授(小児科、予防医学、地域保健学)、イリノイ州医師免許委員会委員長、ヘッドスタート計画(アメリカ政府教育事業)医療部会会長、ラ・レーチェ・リーグ(国際母乳連盟)医学顧問、マイケル・リース病院院長。すでに故人となっているが、「医者が患者をだますとき」は全米ベストセラーとなった。本書はその続編である。
ーーーーーーーーーーー以上ーーーーー

つづく

医者が患者をだますとき〈女性篇〉 医者が患者をだますとき(女性編) 音声読み上げ版で聴けます 1, 本の著者紹介 
2, 著者 はじめにより
3,訳者あとがきより
4, 巻末付録 医者がよく使う薬について

5, 第1章    医者通いはなぜ危ないか    
   現代のドン・キホーテ   だから女性はきをつけなければならない   現代医学の致命的欠陥       「現代医学の進歩」という幻想

6 第2章 診察室ほど危ない場所はない   
 昔は患者のためのものだった   病院経営に役立つ 「創造的診断」    薬をきちんと飲みなさい」に要注意   「自覚症状がなくても治療を受けてください」        医療で生計を立てている人たち       「とりあえず検査しましょう」
7 危ない医学信仰、危ない医学教育 
   医療信仰は幻想でしかない   ほとんどの人は医者を信頼し、崇拝に近い態度をとる。   外科医に共通している信条は、「疑わしきは摘出せよ」である。    医師免許を持たない 「名医」     医者が受けている教育
8 第4章   医学界と女性差別
   女性に対する医学界の差別    女性の医療従事者への差別   婦人科医療は女性に対する報復?   今なおつづく壮大な人体実験    今なお残る医療被害   医学界に利用される女性たち  
    9美容外科が生み出す悲劇,
   医者を畏敬の対象にしてはいけない  健康診断は患者の ?青田買い?   ほとんどの医者は、現代医学がつくり出した神話を信じている。    簡単な検査にも問題がある    なぜ幻想か? 理由が二つある。    検査漬け医療はなぜ危険なのか



 
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著者 ロバート・メンデルソン     訳者  弓場 隆
発行所  株式会社草思社   2001年4月24日 第1刷発行  ISBN4−7942−1048−5



  ロバート・メンデルソン

アメリカで「民衆のための医者」として親しまれた医師。イリノイ大学医学部準教授(小児科、予防医学、地域保健学)、イリノイ州医師免許委員会委員長、 ヘッドスタート計画(アメリカ政府教育事業)医療部会会長、ラ・レーチェ・リーグ(国際母乳連盟)医学顧問、マイケル・リース病院院長。すでに故人となっ ているが、「医者が患者をだますとき」は全米ベストセラーとなった。本書はその続編である。

女性編 患者が医者をだますとき 3

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権威筋から言われると素直に実行する。

しかしこの権威筋にも疑似権威という偽情報があるとしたら・・
(戦中の大本営発表の様に)

医療界では女性はそのターゲットにされやすい。
知らないからだ。本質を知らないのは男女共通だろうが、女性はどいういうわけかターゲットにされやすいようだ。

子宮頸がんワクチンとかピンクリボン運動の乳がん検診とか・・・

そうして簡単に信じてしまう。

ということで、今回も「女性編」患者が医者をだますときの続きを。

 

権威に弱いというのは人間共通の弱点かも知れません。

ただし、その権威には正当性が有るか無いかという判断がつきにくいということに気づくことが必用かなと。

自分にとっての権威とは、私より能力が上だ  という事になるのだろう。

それはあらゆる分野で権威と言われるものの本質だろう。

だから、あるひとにとっての権威は他のひとにとっての権威になるかは共通していない。。

 

ただ社会的にとなると、大多数のひとにとって共通の権威となるものは現実にある。

そのなかでも医学に対する信用と権威力は大きい。

その権威の中身は学者や国や医者たちに対する信頼となって、その権威筋からの情報を無批判に信じてしまう結果、一種の信仰となるのだろう。

それがロバート・メンデルソン医博著「医者が患者をだますとき」であり、その「女性編」が医学権威に対する適正な批判だと思う。

つまり、真実を明かしてそれに対して読者の判断力を強めようという本だ。
それでも権威信仰が強いひとは相変わらず信仰派持続するだろう。
それも自由選択なのだ。
しかし、後になって言い訳は通用しない。
「どうして?」とか「知らなかった」とか「教えられなかった」等の言い訳をしたい人はこの本を読まない方がよいだろう。

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

はじめに

 前著『医者が患者をだますとき』 (小社刊) を読んだ人は、わたしが現代医療システムを忌み嫌っているのはもうご存じのことと思う。このシステムとわたしは三十年近くにわたって静かな闘いをつづけてきた。一見したところでは害がなさそうでも、実際には生死にかかわるほど危険な儀式が、「医療行為」という名のもとに医療現場で日常的におこなわれている。わたしはそのことを前著で公表し、医者が患者の信頼を踏みにじっていることに対して世間の人びとに警戒を呼びかけた。

 前著を書き終えたとき、わたしはこう思った。「よし、これで胸のつかえがおりた。もう本を書く必要はなかろう」と。しかし、出版後に執筆の ?副作用?が現れた。講演の依頼とテレビ‥ラジオ番組の出演の依頼が殺到したのだ。

 わたしはアメリカ中を何週間も駆け回り、インタビューを受け、スタジオに集まった人たちや電話をかけてきた視聴者たちの質問に答えた。これらの人びとが自分の信頼していた医者から受けた悲惨な医療被害について語るのを聞いて、わたしは何度も悲痛な思いをし、同情せざるをえなかった。全米向けのトーク番組にほんの数回出演した時点で、わたしは前著で指摘した過剰医療、乱診乱療、不正医療が氷山の一角にすぎないことに気がついた。


 出演した番組のほとんどが女性向けだった。彼女たちの話を聞いていて、わたしは長い間それとなく感じてはいたものの、的を絞って述べたことのなかったある事実を生々しいほどはつきりと確認した。その事実とは、薬禍と手術禍はすべての国民に害を及ぼしているが、主な被害者は女性だということだ。

 医療被害の男女比率が女性の側にひどく偏っていることは、前著の執筆の際に統計資料を調べていたときにすでに気がついていた。しかし、たんなる数字では実際に起こつた悲劇の人間的側面が見えてこない。ところが、トーク番組の電話を通して聞こえてくる数々の悲痛な体験談によって、女性が受けている医療被害の実態が浮き彫りになった。一人称で語られる乱診乱療、不正医療、死亡事故、過失傷害などの体験談が、統計の数字を裏づける結果になったのだ。

 ほとんどの場合、電話をかけてきた女性本人が被害者だったが、それ以外にも、夫や愛する人の早すぎる死や大きな苦しみのために人生が台なしになつてしまったという訴えも数多くあった。悲しみに沈み、時には怒りに満ち、しばしば絶望に打ちひしがれる彼女たちの声は、信頼していた医者に裏切られ、身も心もずたずたに引き裂かれた無数の女性たちの気持ちを代弁していた。

 残念ながら、わたしが彼女たちにしてあげられることはほとんどない。それは自分でも承知している。しかし、まだ医療被害にあっていない女性たちが同じ運命をたどらないように助けてあげることなら、もしかしたらできるかもしれない。わたしがこの本を書かなければならなかったのは、そういう理由からである。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

女性編 医者が患者をだますとき 4 「現代医学の致命的欠陥」

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医学者が医学にだまされ

医者が医学者にだまされ

患者が医者にだまされる

という構図は今に始まったことでは無い。

 

ず〜〜っと昔から積み重ねられてきたお宝だから(もっともこのお宝はくず鉄のごとく錆びが出てくるシロモノのようだったが)

医学がどこで、どう間違ったのかなど誰も知るよしもなかった。

だが、今世紀になってようやくそれが日の光に当てられて見え始めてきたのだろう。

その事は最近売れてきている一連の医学批判の書籍にあらわれている。

 

つまり読者が増えたということだ。
以前にもそのような本はあったのだが、売れなかった。

しかし、ここ1,2年で世人は注目するようになった。

 

これも人間の奥の意識の方で「もう気づこうよ」という集団意識が働いているのだろう。

それでもまだまだ少数派だ。

昨日も今日も明日も「現代医学は素晴らしい科学的医療だから、進歩し続けている」と固く信じている人たちの方が圧倒的に多い。
それが証拠にどこの地方でもよい。病院を訪問してみれば分かる。

たいていの地方都市には大病院がある。
そこに午前中に行ってみるとよい。
どれだけ多数のひとが集まってくるか。

大病院の駐車場は満杯になるほどだ。
まるでどこかの大工場の労働者が出勤するかのように車が停められている。

これが現実だ。

そして、医学は進歩していると賛美し、いつか・きっと・そのうち(当てにならない三大言葉 (笑い)医学は人類から病気を無くしてくれるだろう。

いつかきっと新薬が全ての病気を解決してくれるだろう。

これが医学信仰というものだが、それが最近は信者数が少しだが減りつつあるらしい。

このような事は既に日本では岡田茂吉が宗教家ながらも昭和初期の時代に指摘していた。
桜沢如一も痛烈な批判論を書いていた。

西洋でもそのような人は居ただろう。

だが、大衆がそれを受け入れなかった。
医学を支えてきたのは大衆の意識だったからだ。

そして、その中からホンノ一部の人が被害を受けたりしてようやく目覚めるという事もあった。

だが、根本的なことが分からなかったのと、それを理解出来る者があまりにも少なかった。
多勢に無勢という言葉のとおり、戦中の非国民のごとく社会の片隅においやられ、追いやったのは同じ大衆であった。

戦争責任者は誰だと言うが、よくよく尋ねてみると皆が上だという、それをたどって行っても今度はそれは下からだと言われる。
下とは民衆と言われる一般人だが、下の方は皆がだまされたと言う。

だが、30年前に「医学は退歩している」とか「薬は毒で病気を造る」と言うとほとんどの大衆と言われる一般人から非国民の様に思われた。医療非国民だ。

医者にも行かない、薬も飲まない。

そんな奴は頭が変だ。おかしな奴だ。変な宗教に凝り固まったのだ・・

しかし、30年後の今、それほどは変わっていない。
その証拠が大病院の朝の駐車場をみに行けば分かるというものだ。

それよりも、国の税収がいま4〜50兆円か?
そして国民医療費が40兆円の大台に近接しているというから、そのうち税収を上回るのかもしれない医療費となる。

それでも気づかないこの国の多くの民はもう駄身だね。

と刺激的な言葉を吐いて憂さ晴らしをしている詮無し缶ビールだが。

今日もアメリカの雄。故ロバート・メンデルソン医博著

女性患者が医者をだますとき 、じゃないか、女性編 医者が患者をだますときから

「現代医学の致命的欠陥」という項目を紹介する。

嗚呼、もう何十年前の医博の告白なのだが、今さらながらという思いである。

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

現代医学の致命的欠陥


 前著の冒頭で、わたしがなぜ現代医学を信じないのか、その理由をいくつか大まかに述べた。女性の身にふりかかる医療被害をわたしがなぜこれほどまでに切実に訴えるのか。ここでもう一度その理由を述べておく。


・医療の当事者である医者が、人びとの健康をおびやかしているもっとも危険な存在である。

・現代医学の治療はめったに効果がない。それどころか、治療しようとする病気よりも治療のほうが危険という場合がよくある。

・医者は、本当は病気ではない患者に危険な治療をし、それによって本当の病気をつくり出し、自分が及ぼした被害を取り繕うためにさらに危険な治療をする。そしてその結果、患者はよりいっそう危険な目にあう。

・現代医学は、患者の生命が危ぶまれている場合以外にはおこなうべきでない危険な医療処置を軽症の治療の際にもおこなって、患者を危険にさらしている。

・ほとんどの医者が知らず知らずのうちに製薬会社の手足となって働かされている。その結果、効果の疑わしい非常に危険な薬の大規模な臨床試験のために、おおぜいの患者がまるで実験動物のように利用されている。

・医者、病院、薬、医療機器という、現代医学を構成するこれらの九割以上がこの世から消えてなくなれば、現代人の体調はたちどころによくなるはずだ。

 以上がわたしの確信である。


 わたしは現代医療システムを一種の宗教と見なして「現代医学教」と呼んでいるが、医学界の異端者によるこのような見解は、同業者の反感を買うことがよくある。

典型的なコメントは次のようなものだ。「あなたの言っていることには部分的には賛成だが、そこまで断定的な主張を展開すべきではない。そんな極論ともとれるような言い方をしていると、あなたは世間の信頼を失ってしまうだろう」

 信じられないのは、わたしの主張に激しく反論する多くの医者が、わたしが世間の信頼を失わないように気づかってくれていることだ。もちろん、彼らの本当のねらいがどこにあるのかくらい、わたしはよくわかっている。彼らは自分だけは他の医者たちとは別だから、「無罪放免」という評価を得ようとしているのだ。

しかし、わたしはその手にはひつかからない。もしわたしが「この医者だけは現代医学の破壊的な影響を受けていないから別だ」と認めれば、全米の医者がわれ先にわたしの主張に賛成し、「自分はいい医者だが、他の医者はひどい」と言い出すだろう。そうなれば、わたしの闘争は負けである。



 もちろん、すべての医者、あるいは大多数の医者が意図的に不正医療をおこなったり、間違った指導をしたり、だまそうとしたりしているわけでは決してない。

たしかに医者のなかには愚か者、ペテン師、役立たず、悪人といった不届き者がいることは事実である。しかし、それはどの職業集団にも言えることだ。


わたしが批判しているのはそういったことではなく、現代医療システム(または現代医学教)なのだ。



医者は医学部で洗脳され、医者になってからも同一の規範に従うことを求める医学界の圧力を受けながら医業を営んでいる。現代医学の伝統と教義は、医者の行動に微妙な影響を及ぼし、その結果、すべての患者が身の安全をおびやかされるのだ。



 このことは前著である程度深く掘り下げて書いたので、ここでは繰り返さない。興味のある方はそれをお読みいただきたい。要するに、わたしがなぜ医者の職業集団を一般化して述べているかというと、程度の差こそあれ、すべての医者が医学生のときに教え込まれた独断的見解の影響を受けているからである。


医学部では、聞こえのいい偽善的な言い回しを使って物事の本質を覆い隠しながら、数々の不正医療を医学生に教え込んでいる。わたしはその実能昔よく知っているだけに、それを憂慮している。


医学生の人格と行動は医学部での洗脳教育によってゆがめられる。その結果、高い代償を払わされ、時には生死にかかわるような状況に置かれるはめになるのは、ほかならぬあなた自身なのだ。


 わたしが自分自身を含めて医者の職業集団のほかに例外を認めるわけにはいかないのは、こうした理由からである


ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

女性編 医者が患者をだますとき5 医学の進歩という幻想

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この現実世界は幻想だとよく言われるが、実際の体験感覚は完全なる実体験という感覚だ。

このなかで実はすべては幻想だなどと理屈では納得できたとしても、いきなり殴られたり、崖から落ちたりすれば怪我をするし死んだりもする。

この死も幻想だというが我々は超リアルな現実感に圧倒される。

当然のことながら、病気にもなる。重度な病気で痲痺したままとか半身不随とか苦痛が持続したり、アトピー性皮膚炎のように長い間強い痒みで死ぬほどつらい、いや死んだ方が楽だと思うような苦痛を味わう。

それでもこれは幻想だと断言出来る人はそう多くは無いだろう。相当の覚者でも実際に病気苦痛を味わうし、叩かれれば痛いはずだ。

その幻想のなかでさらに世界中の大多数の人が幻想にはまってきた。

それが医学は進歩しているという幻想なのだというロバート・メンデルソン医博だが、僕もど素人ながらも共感共鳴している。

というよりも、むしろ僕の思いをこの医博の主張にゆだねていると行った方が良いかも知れない。
つまりぶっちゃけた話、「医博」という権威と理路整然とした論(智慧)を拝借して、僕の主張を通そうとするわけなのだ(苦笑)

 

TITLE:女性篇  「医者が患者をだますとき」より 賢い女性たちに捧げます

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

「医学の進歩」という幻想

 医者は医療技術の進歩について誇らしげに語るのが大好きだ。話題にのぼるのは、特効薬、高度な手術、最先端のCTスキャン、分娩監視装置、心電計、脳波計、レントゲン撮影装置などである。

 しかし、年間何千億ドルもの国民医療費を拠出してきた結果、一体どういう効果があったと言えるのだろうか。これまで医学教育に何年間も投資し、病院などの医療機関が何億ドルもの設備投資をおこない、数々の高度医療機器に代表される医学の進歩によって、はたして人びとの健康増進に貢献したと言えるのだろうか。


 この間題を論じるには、百年前と現在の死亡率の比較がもっともわかりやすい指標になる。この百年間で衛生状態と栄養状態の改善、豊かな社会に伴う清潔な生活環境、マラリアやチフスの撲滅といった疫学の快挙によって多くの人命が救われたことを除けば、「医学の進歩」についての医者の自慢話には根拠がない。


 新しい医療技術、薬、手術が開発される前と今をくらべると、国民の健康状態はむしろ今のほうが悪くなっている。国民医療費が高騰し、医者と病院のベッドの数が増えたにもかかわらず、あるいはだからこそ、アメリカ人は他の先進国の国民にくらべて健康状態が悪いのである。




 世間の人びとが見てきたのは医学の進歩ではなく、医学の進歩という幻想なのである。


新たに開発された医療処置が、のちに病気を引き起こす。そしてそのたびに、さらに新しい医療処置が開発される。その繰り返しである。いわゆる「医学の進歩」 の大半は、有害な医療処置が別の有害な医療処置を生み出してきたというだけなのだ。


 この数十年間に過激な薬物療法や手術などの医療処置がいくつも開発され、その多くが女性に押しつけられてきた。私はそれらの医療処置の効果に対して疑問を抱いているが、その疑問はそれぞれの医療処置の長期的作用が表面化するまで解明されないだろう。

 医者が勧める毒性の強い処方薬を飲み、根治的手術と称する過激な手術を受け、不要な放射線を浴びたために死んでいった患者が、治った患者よりも多いことについては十分な証拠がある。

しかし、それは始まりにすぎない。

潜在的な医療被害の多くが表面化するのは、これから何年も先のことになるだろう。




 前著の刊行からの二年間で、数々の重大な変化を示唆する医療改革がアメリカ医学界の代表的機関によって発表され、期待できる兆しが現れた。その例をいくつか紹介しよう。

・アメリカ医師会は定期健康診断を国民に推奨してきたが、それを撤回した。定期健康診断は、病気を発見するよりつくり出していることのほうが多いというのがわたしのかねてからの主張である。
 さらに、同医師会は倫理規定を改正し、医者同士が互いの医療ミスをかばい合うことをやめ、同僚の不正医療に気づいたときは率先して報告するよう要請した。同医師会が発足して以来の快挙である。アメリカがん学会は、乳がんを発見するためおこなわれてきたマンモグラフィー(乳房レントゲン撮影法)がしばしば不要な手術の原因となヶ、がんを発見するよりむしろつくり出す作業になっているという事実を、遅ればせながらようやく認めた。
 また、子宮がん検診で必ずおこなわれている細胞診も特別な必要性がないかぎり、以前のように推 奨しないことを決定した。

・国立衛生研究所は、前回帝王切開で出産した女性はそれ以降の出産でもすべてこの有害な方法で出産しなければならないという産科の固定観念を排除した。

・アメリカ食品医薬品局(FDA) は二十年近く遅れてようやく約三〇〇〇種類の薬を市場から回収すると発表した。
なぜか? 
国民がそれらの薬に何億ドルも出費してきたにもかかわらず、製薬会社はいまだにその有効性を証明できないからである。


 テレビやラジオの記者たちは、以上の改革は前著での告発がきっかけになったのだから、「あなたの功績ですよ」と言ってくれる。前著を書いたことで見当違いな批判をいやというほど聞かされたわたしにしてみると、そう言われることはたしかに光栄である。

(中略)

 しかし、わたしはその功績を受け入れる前に検証しておきたいことがある。

医学界の指導者たちが発表しているそれらの医療改革が、はたして現場の医者のレベルにまで浸透しているかどうかだ。

わたしはそれを疑わしく思っている。

医学界が危険で不要な医療処置を自主的に取りやめるのは、さらに危険で不要な医療処置に取って代わられる場合に限られるからだ。

 アメリカ医師会、アメリカがん学会、国立衛生研究所、アメリカ産科婦人科学会、アメリカ食品医薬品局が宣言した医療改革に前進が見られないわけではない。わたしはそれについては一定の評価をしている。もしこれらの機関が新しい規則を順守するのであれば、国民は今までのように医療被害にあう可能性は低くなるだろう。しかし、口先だけで実行が伴わなければ何の意味もない。

 医学界の指導者たちの宣言を現場の医者が実践しているという確証が得られるまで、わたしは気をゆるめるわけにはいかない。


ーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

この本はかなり前の本だが、ようやく今頃になって日の目を見るのだろうか。
それほど、民衆の意識は目覚めが遅かったのだがこれも時期というものだ。

時節には神も適わぬゾよ (さすがのうしとらのこんじん様も時には敵わんYと言っている)

そのアメリカでも医療費の莫大な無駄な出費が目につき、医療費を削るために「無駄な医療」というものを洗い出させる事になったようだ。

それが「絶対受けたくない無駄な医療」に書かれているようだが、これはホンノ始まりに過ぎない。まず各部門から小出しに5項目ずつ出させたら「とりあえず、これだけは要らない」というものだが、それだけでも世人は驚いている。

が、こんな氷山の一角で驚いているんじゃ先が心配停止だな。

驚きなど通り越して逝ってしまうんじゃないかという心配だ。

あ、ワシが逝ってしまう? (苦笑

しかし、これはアメリカばかりの話じゃ無い。

今の医療先進国と言われ、薬大好き世界一の酷民を有する

我がニッポン!アチャチャ〜♪にこそ当てはまる現実駄郎。

 

 

 

ピンクリボン運動の行き着く果ては

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医者が患者をだますとき 女性編

でロバート・メンデルソン医博は

現代医療の9割あまりが不要だという衝撃的な説を書いていた。

 

だが、そんな話はほとんど荒唐無稽な話として誰からも受け入れられなかったのだろう。

だからこそ、この日本においてもアメリカと同じように現代医学

(本当は西洋医学の一派が異常に拡大して世界を圧倒しただけで、正当であると思わされているだけで、本質は代替医療なのである。 代替医療とは人間自らの自然修復力(病気を引き起こす力も含まれる)が正当医療というもので、代替医療はそれにとって変わるものでは無い。西洋式対症療法のひとつである、薬剤を中心とした一時的苦痛緩和法が現代医学と呼ばれているもので、むかしは西洋でもひとつの派でしかなかったのだ。それが政治力、経済力などを抱き込んで、いや逆なのかも知れないが、ひとつの権力や金力と結びついて発展下に過ぎない。これが正当だという理論的な証拠など無くても世界中に拡げられたのは一般人にそのような教育を施したのもひとつの理由だろうが、一番の理由は大衆、一般人がそれを望んでいたからだ。

その基盤となるのが人類の永年にわたって深く信じられてきた「薬信仰」にあったのだ。

薬を使えば病気が治ると錯覚したのが延々と続いてきたのだが、それ信仰によって産まれたのが薬中心の対症療法で物質科学の進歩と相まってその威力を発揮したわけだ。

それが今世界中で現代医療の中心となって世界を席巻している現代西洋医学というものだろう。

しかし、この時節において次第にその化けの皮が剥がれてきている。

その化けの皮という過激な表現だが、じつは苦痛緩和と病気が治ると言うのは本質が違っていたのだ。

ただし、薬が病気を治しているのではないが、薬を使っても病気が治ったわけで、そこがもの凄いカン違いを産んできたのだろう。

つまり薬という毒を入れて苦痛緩和を施しているのだが、本当の治癒は自分自身の身体に備わっている修復力が行っているわけで、同時に進行中とすれば治ったのは薬のお陰だと思うわけだ。

自分で治る力が無ければどんな薬でも治らない。また他の治療法でも同様と言える。

本当の治癒力は自分自身だから、正当な治療法は自分の内なる力であり、これが正当な治療法というわけだ。

したがって、代替医療と呼ばれるものも含めて、正当医療と称している現代医療も同じく「代替医療」なのである。

いかなる奇蹟的治療法でも万人を治せるわけでもない。

だから、薬という一時的緩和方法で治ったのも、毒(薬)を使わない他の方法で治ったのも自分自身が主治医だということだ。

だが、その補助手段として代替医療を活用するのは有効だろう。

それも個々によって大きな差が出るのは当然だ。
主治医が治さなければ効果に大きな差がでるわけだから。

いずれにしても、薬という毒が一時的緩和方法であり、病気を治すのはないという事を知れば現代医療はいずれ首座を明け渡す時期が来るだろう。

その一番の理由は薬は毒だからだ。どんな理窟をならべてみても、毒を入れて何かの刺激をあたえり影響を与えたりするその裏側には同時進行で毒による血液(生命の象徴のようなもの)を汚してあらゆる病気の源をつくるからだ。

ひとによってはその汚濁した血液を容易に浄血する能力が強い人、弱い人と大きな差があるので、方程式がかけないのだが本質から言えば、毒を入れたら害になるという自然的単純な方程式はあると思う。

苦痛緩和方法や毒の性質を利用して何かの作用を施してみても、それは根本治療にはならないという事を知れば、いずれは西洋式対症療法が行き詰まりになるのは自然の成り行きであり、我々はそれを心のどこかに認識しておれば、見えてくるものだろう。)

 

あれ、括弧内でおわっちゃった。

(^_^;

ピンクリボン運動と全然関係なかったね。 コイツゥ(=^ェ^=)∂ポカ(^_^;)

 

女性編 医者が患者をだますとき6

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30年前の米国からの医療の裏

そして、現在の日本の医療と勘違いするほど似ているのでは?

少しの違いは日本の女性はほとんど考えないで受け身であるということか?

 

 

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

第2章

診察室ほど危ない場所はない
                                                


 昔は患者のためのものだった

 現代の女性は、危険で不要な薬漬けと過剰な手術の犠牲になっている。医者の手にかかった女性たちの身にふりかかっていることを見ると、わたしは気分が悪くなってくる。また、多くの場合、医療被害にあった女性たち自身も気分が悪くなっている。


 誤解しないでいただきたい。女性に対する乱診乱療のほとんどは、医者の金銭欲や無能ぶりが原因ではない。

 本当の原因は、医者が人びとの健康管理について教わっていないことである。

 医者は、ほとんどの人が病気を抱えていると教え込まれている。医者は人びとの健康状態を判定する唯一の職業に従事している人間であり、診察を受けに来た人が不健康であると想定している。だから、医者は患者が病気であることを確信し、患者にもそう確信させるような症状をいともたやすく見つける。


 医者から「診察を受けに来てよかったですね」という言い方をされたとき、以上のような事情を思い起こしてほしい。「診察を受けに来てよかった」 のは、患者のほうなのか、それとも医者のほうなのか、どちらなのだろうか。



 人は年をとって死と直面すると、その年齢にまで達していない人よりもはるかに明晰に生を見つめることがある。著名な内科医フレデリック・ステン医師は、七十一歳でがんに冒されて死の床に就いていた。ステン医師は現代医学について自分なりに最終評価をおこない、「ニューイングランド∴ジャーナル・オブ・メディシン」 に投稿した。

以下、「死にゆく医師の考察」と題して掲載された同医師の文章の一部である。


  ほとんどの医者は、かつて医学の根本精神であったヒューマニズムを失った。医療機器、効率優先、検査結果の精度へのこだわりが人間一人一人に対する温かみ、共感、同情、思いやりを排除した。
今や、医学は氷のように冷たい科学となりはてている。医学の魅力はもう過去のものだ。死にゆく者にしてみれば、機械いじりの好きな医者から安らぎを得ることなど望むべくもない。

 (中略)


 当時の医者は患者を人間として診ていたから、症例としてカルテに走り書きをしてそれでよしというようなことはなかった。(中略)


 当時のかかりつけ医は、医者の助けを必要とする人たちといっしょに過ごし、その人たちをよく知り、悩みを聞き、助言だけでなく安らぎを与えることを心がけていた。そして、共感、親切、安心感、良識によって数多くの病を癒した。

 当時の医者は直感力と判断力を使って患者を診察することを教えられていたし、自分にもそう言い聞かせていた。これらの貴重な診断技術を駆使することで、最新のコンピュータを導入した不正確な結果が出ることの多い臨床検査よりも正確な診断をした。


 当時の医者は製薬会社の営業マンと癒着していなかった。だから、現在年間何トンと販売されている医療用医薬品と称する毒性の強い化学物質は、当時はめったに使われなかった。
 当時の医者は検査結果よりも自分の知恵、知識、判断力を重視していたから、患者を検査漬けにするようなことほめったになかった。

 当時の医者の間では、手術は危険な治療法であるという認識があった。だから、手術は恐れられ、忌避され、あくまでも最後の手段と考えられていた。

 当時は、今のようにレントゲン撮影装置ががんを国民の間に撒き散らすようなことはなかった。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

現代医学は彼らによって狂育されている

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過激だが真実に近いかも知れない。

どうして今、医療界の真実が次々と白日の下にされされているのか?

それは夜の時代から昼の時代に転換したからだ。

いまや黎明期は終わり、昼の時代に入ってしまったようだ。
その結果が現れているだけで、驚くには当たらない。

いや、(O_O)驚くひとの方が多いだろうが、真実とはあまりにも悲しくて惨たらしいかも知れない・・・・しかし、一度は見つめ治す必要がある。

これは人類全体の共同創作だが、その時代においての役割分担がある。
それが「悪役」としての人間だが、「だます側」と「だまされる側」は表裏一体になっている。

それは輪廻転生において立場を逆転したりして、正反対の役割をする事があるのだ。

現時点で善の役だからといって、以前は悪の役目をしていたかも知れない。
すると、人物への非難攻撃は案外前世での自分へやっているのかも知れない。

しかし、仮想現実とはいえ黙っていることもない。
間違いはやはり間違いだからだ。黙って間違いに従う必用などありはしない。

 

 

 

現代医学は彼らによって狂育されている 医学は殺人のために存在する 人を救うためなどと信じているのは、幻想に過ぎない 現代医学の本質は壮大な人殺しハンティングゲームである

 

2014/04/07 に公開

現在の病院は731部隊のマルタ小屋と本質は同じです。支配者が目指すことは病院を7­31部隊にすることです。ほとんどの医者は731部隊の隊員です。
『「よくもここまで騙したな これが[人殺し医療サギ]の実態だ!』 
内容一瞥だけでも、ほとんどの人が思い当たる節があるのではないでしょうか。
http://www.amazon.co.jp/dp/4864711291...

商品の説明
内容紹介
◎ がん患者1000人殺して一人前!

◎ 日本の内科医は1人平均1000人のがん患者を殺している

◎ 命を奪う、カネを奪う! 医者は完璧に白衣の殺人鬼、白衣の詐欺師!

◎ 日本の近代医学はどこをほじくり返しても詐欺とペテンと強盗と殺人だらけ

◎ 欧米医療というのは基本的に軍隊の医療

◎ 足を切断するとか伝染病の治療には欧米医療はいいが、糖尿病とかがんといった慢性病の­ときは絶対に関わらない方がいい

◎ 漢方も鍼灸も食事療法(ナチュロパシー)や整体療法(オステオパシー)も弾圧された

◎ マッサージもカイロプラクティックもサイコセラピーもホメオパシーも弾圧された

◎ 自然治癒力をサポートして病気を治す伝統的なテクノロジーは全部弾圧され、薬物療法(­アロパシー)だけが生き残った

◎ 伝統療法は、金融マフィアによって保険対象外にされた

◎ 強制的に保険料を取って、自分たちの息のかかった殺戮医療マフィアにだけおカネを回す­システム

◎ 医療の問題は上に行くとラムズフェルド、ブッシュ、ロックフェラーらに行き当たる

◎ ここに現代の悪魔がいる!

◎ 医者に金も命も投げ出す崖っぷち日本人よ! 今こそ、自分の脳を疑いなさい

◎ 薬漬け、検査漬けの放射線大量照射に生物兵器の毒物注入まで

◎ 失敗する医者ほど儲かる/治す医者は失業

◎ 医療は世にも不思議な失敗報酬の世界!

◎ 一番高い抗がん剤ペグイントロンは1グラム3億3170万円する

◎ 抗がん剤は元々は廃棄に困った化学兵器の原料

◎ マイクログラムまで薄めて使っても1回当たり何十万円、利益率は何万%にもなる

◎ 白血病はがんではない

◎ 団十郎を殺した!?マイロターグという白血病の治療薬は、1グラム4800万円

◎ マイロターグは投与した患者の90・5%が死ぬ!

◎ 輸血は人命を助けていない、むしろ殺している!?

◎ お年寄りが死ぬとわかるとここぞとばかりに点滴、投薬をバンバンやる香典医療というの­がある。稼ぎどきならぬ殺しどき!

◎ 「現代医学の神は、唯一1人しかいない、それは死神である」とベストセラー書籍『医者­が患者をだますとき』の著者ロバート・メンデルソンははっきり言っている!

◎ だから病院が営業停止中には死人が減る!?

<著書>
よくもここまで騙したな これが[人殺し医療サギ]の実態だ!
いのちを奪いながら金を奪うワンワールド支配者(超☆はらはら)
船瀬 俊介 (著), ベンジャミン・フルフォード (著)
http://www.amazon.co.jp/product-revie...

女性編 医者が患者をだますとき 7 便秘と精神不安持続剤

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まず不安を煽るためのキャッチフレーズを作る

そうねつ造だろうがウソだろうがそんなのは関係ない。
売るためには必要不可欠のツールだからだ。

それにすぐ引っかかる女性が待っているから、キャッチフレーズは直ぐに浸透する。

 

かくして

便秘いやねえ~

という洗脳された常識が世の中をかっぽする、カッポカッポ♪

 

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

人びとの不安をあおる

 以前、「食べて排便、寝て排便、そうでなければ便秘です」という広告のキャッチフレーズがあった。便秘をかなり広く定義した製薬会社の広告に使われていた宣伝文旬で、わたしはこれを愉快に思った。
 登場するのは家庭着を着た中年女性で、苦しそうな顔をしながらおなかのあたりを片手で押さえ、もう片方の手で掃除機を持って掃除をしたりナベを持って料 理をしたりしている姿が措かれていた。「便秘でお困りですか?」という大きな文字を見れば、この女性の抱えている問題が何であるかは明らかだった。



 当時、わたしは医学部で洗脳されてまだ間がなかったから、この広告を見ても違和感を覚えることはなかった。しかし、今ふり返ると、このキャッチフレーズ が愉快だと思ったことを恥ずかしく思う。

というのは、数百万人の便秘ではない女性がこのキャッチフレーズを信じ、便秘薬を買い求めたからである。この薬は それほど毒性が強くなかったが、価値のない薬であったことは間違いない。人びとに異常がなければ、排便は一日三回でも週に一、二回でもかまわない。

ところが、「毎日規則正しいお通じを心がけましょう」というキャッチフレーズを信じて、一日二回の排便がないというだけで便秘薬を飲むようになると、健康 被害が発生する。便秘薬を飲む前は便秘ではなかったのに、いったん便秘薬を常用し始めると、体の自然なリズムが乱れて本当に便秘になってしまうのである。 そして、それこそが製薬会社の本当のねらいなのだ。

 これは創造的診断のほんの一例である。疑うことを知らない被害者たちが、自分の体が不調であるかのように思い込まされて、それを治療するための薬を飲み、やがて本当に病気になっていくという構図を現代人はよく理解しておくべきである。 


 これは特殊なケースではない。同様の欺瞞的なテクニックをもう一つ紹介しょう。

ジアゼパムという精神安定剤(抗不安薬)は、アメリカでもっともよく処方 され乱用されている薬の一つである。ジアゼパムの適応症の一つは不安である。ごく普通の不安を経験する数百万人の女性が、毎年、医者によってジアゼパムの 常用者にされている。

この薬は大衆薬(一般用医薬品)ではなく処方薬(医療用の不安をあおって金儲けをする製薬会社の典型世間の人びとは便秘薬の広告に よって情報操いないようだが、規則正しい排便に関する基準朋販売戦略は、今ではすっかり定着している。

(中略)


 ジアゼパムにはどういう作用があるか。お答えしよう。ジアゼパムの第一の副作用は不安なのだ。不安を和らげるために医者が処方するこの薬は、不安の原因になり、おまけに、新たな症状をいくつもつくり出すのである。ジアゼパムの副作用を列挙してみよう。


 精神錯乱、便秘、抑うつ、めまい、眠気、疲労、倦怠感、頭痛、運動不能、不眠、黄痘、関節炎、性欲減退、吐き気、興奮、発疹、吹き出物、言語障害、ふる え、かすみ目、尿失禁、残尿感以上のうちで、わたしがなるほどと思うのは「興奮」である。日常生活の正常なストレスを和らげるために医者にこんな薬を飲ま されて、ひどい副作用をいくつも経験させられたり薬物依存症にされたりしたら、どんな女性でも怒りのあまり興奮して当然ではないか。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

不安はやって来る。

どこからかやって来て、さも自分の不安のように居座るのだ。

そして、その不安からさらに不安が増幅する。

一番の不安解消法は?

その不安を見つめるのだ。 考えるな見つめるのだ。

すると、その不安は恥ずかしくなってコソコソとあっちへ飛んで行く。

どこか別の居座る場所を求めて・・・

軟ちゃって男談

 

不安をそのまま居座らせる為の方法

精神安定剤を呑む(w

便秘を長引かせる方法

便秘薬を呑む(w

 

病気を長引かせるよい方法

その治療と称する薬を飲み続ける(続けるのだ w

 

こうして、医療界は安泰だ。
患者が自分をだますとき 補足編(あるか!

 

まあ当ブログは最初から(/""-"")まゆつばものだから、いい加減に読んでね

 

 


女性編 医者が患者をだますとき8 「薬をきちんと飲みなさいに要注意」

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日本は世界一の人体実験場だというひとが居るが

どうやら米国の方が先輩だったのかも知れません。

まあ、薬(西洋でも東洋でも同じだが)とは古今東西その物質に含まれている有効性物質というものが体に種々な作用を起こすもの

だが、その有効物とは一体?

それがどくせい物質というものだとしたら・・・

毒性

そう、有毒性のあるものはある種の反応を引き起こす。

それを利用したのが薬と称するもの、つまり毒物だ。

要するに薬とは毒性物質が体に種々な作用を引き起こすのだが、その反応は一種の毒物に一種類の反応だけではない。

数種から数十種の反応を引き起こすのだから、そこは有効性といってもひとつではないのだ

A~Jまで数種の反応があるとしたら、そのうちのEという反応を「有効性」とした場合、他のA~J(Eを除く)の反応を副作用という。

つまりだ、何種類もの毒性反応があるのだが、そのなかで一種類の反応を主作用、つまり効能という。 

言ってみれば人間が勝手に都合良く解釈している毒の反応だ。

その毒性物質の影響のひとつを選んで薬の効能としただけのこと。

しかもそれは病を治しているのでは無い。治すのは自分自身なのだ。

しかし、症状は緩和する。だから、自分で治っているものを薬のお陰だと錯覚してしまうのだ。

症状緩和とは毒性物質の一種の影響である。このことについてはさんざん説明済みだから略す。

要するに人間は薬というものが体を癒すと勘違いしてから始まった薬信仰なのだ。

それが西洋薬であろうが化学薬品であろうが東洋薬だろが漢方薬だろうが、自然界の薬草であろうが、理窟は同じ。

その有効成分が薬となる。

食べ物と異なるわけだ。根本は体の営養とならない、異物なのである。

それを安易に勧める、安易に飲むという

これが世界に蔓延してしまった薬信仰というものだろう。

まあ、素人が説明してみても説得力が無いからここにロバート・メンデルソン医博を登場させるというわけだ菜。

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 「薬をきちんと飲みなさい」に要注意

医者に処方された薬を飲んで病気になる例をもう一例紹介しよう。
ベンデクテンという毒薬は、有効性に関する確固たる科学的根拠がないにもかかわらず、妊娠中の吐き気を軽減する制吐剤として処方されていた。ところが、ベ ンデクチンの副作用は吐き気なのだ。もしこの薬に吐き気を軽減する効果があったなら、まさに「奇跡」というべきだろう。
 しかし、もっと恐ろしいのは、どの医者もベンデクチンに効果があるかどうかを確かめるために、妊婦が下痢、めまい、頭痛、いらいら、@の危険を冒すこと を知っていながら、発疹、腹痛、排尿時の痛み、目のかすみといった重大な副作「この薬をきちんと飲みなさい」と言って服薬指導をしていたという事実であ る。

 もし医学界がこのような事態を一掃とは無縁の業界になるだろう。大衆薬打ようという気持ちを持っているなら、製薬業界は発展や繁栄りもはるかに危険な処方薬を製造・販売する製薬会社がこの世に数多く存在するのは、そのような毒薬を患者にふんだんに処方する医者がこの世に数多く存在するからである。



 製薬会社が倒産するなどということはありえない。薬物乱用に関するかぎり、犯罪組織の薬物密売人のほうが医者よりもはるかに慎重だ。

製薬会社は医者の手を介しておおぜいの国民をまるで実験動物のように利用し、無数の人びとの循環器系に毒性の化学物質を注入している。もし医者が人びとの 健康の維持・増進に貢献しようと本気で思っているなら、製薬会社の天敵として断固聞い抜くはずだが、そんな医者はどこにも見当たらない。

 医学界と製薬業界は結託して処方薬を大量に売りさばき、巨額の利益をむさぼっている共謀者なのだ。医者が患者に投与している処方薬の多くは、有効性も安全性も立証されておらず、したがって何の価値もないというのが実情である。


*訳注 ベンデクチンは先天異常を引き起こすおそれがあるという理由で、のちに販売停止になつた。

 現在の日本では、プリンベランヤアタラクスPなどが制吐剤として処方されているが、これらの薬も妊娠初期に服用すると先天異常を引き起こすことが確認されている。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 医学界と製薬業界は結託して処方薬を大量に売りさばき、巨額の利益をむさぼっている共謀者なのだ。

 

これに対ししてもうひとつ加担している人たちが居る

と主張するのがボクであった。

ぷらす薬好きの大衆なのだ。
嫌いと言っても、勧められるままに鵜の様に飲む人も居る。
なかには薬を出さないと文句を言う人までいる。

そう、一番の共謀者は大衆なのだ。

だました奴が悪いというが、奥底ではだまされたい人がいるからだ。

となると、医者が患者をだますのは・・・

そう、患者が医者にだますように奥底で意志があるからだ。

となると・・

患者の意志が医者をだまさせたがる

(こんな題名で本出すかな )

 

だまされたい側がだます役割の者を創造する。

 

まあ表面的には「ええ~~!」となるが(苦笑

絶対多数派はダレだ?

もちろん、だまされたい、いやだまされる側だ。

 

呑みたいなあ~~

と思っていると

ちゃんと赤提灯の灯火が目に入ってくる♪ 

 

 

 

 

 

女性編 患者が医者をだますとき8「「自覚症状がなくても治療を受けてください」

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病気なんて幾らでも創り出せますよ・・・・創造的医療診断技術の進歩発展(実体は手口としてだが)

 

医者が増えると病気が増える

いや、病気を増やさないと医者が空に困る

ま、空が喰うに変わるかも知れないけど、空は何も無いところじゃないってことかな。
空即是喰 

その前に好きなものを飲食しているボクの責任もあるんだけど・・・

「しない方がよい治療」がなんと多いことか。

それよりも苦痛を味わって反省しろよと自らに言い聞かせ。

医者だ薬だと責任逃れもいい加減にせよ。

エバラだ、テングだと自分の悪徳感情をウイルスになすりつけ。

増やせよ医者や病院。自動的に病気が増える。

無ければ造り出す、lie800病。創造的破壊医療かな。

例によってロバート・メンデルソン医博の手厳しい、が真実を突いた発言です。

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

「自覚症状がなくても治療を受けてください」

 医学界は医師過剰時代に対応するために、独自の戟略を数限りなく打ち出した。医者は創造的診断という手法で見事な才能を発揮してき た。基準値を操作することによって、本当は異常ではないのに「異常」と診断して「病人」をつくり出したのである。

この手口を使えば、軽症を「重症のおそれ あり」、不正確な検査結果のささいな数値の変動を「大病の前ぶれ」、基準値から少しでもはずれていると「生死にかかわる病気の症状」と決めつけることがで きるのだ。


 ほとんどの現代人は食べることが好きである。たぶん、あなたもそうだろう。世界中の多くの貧しい国々と違って、食卓にいつもおいしい食べ物がたくさん並 ぶ先進国で生活している人びとにとって、飽食は日常的光景である。食べ過ぎは必然的に肥満を招くが、少々太っている程度なら問題はない。夫から「最近少し ぼっちゃりしてきたね」と言われても、妻は気にかけない。夫も決してスリムではなく、内心では「がっしりしてたくましいわ」と妻から言われたがっている。

 こんな具合に、二人はおいしいものを食べて夫婦円満である。無理なダイエットをして我慢しなければならないわけではない。脂肪組織が多少増えたくらいのことで心配する必要はない。

 ところがである。定期健康診断を受けるために、ふっくらした健康体を医者に見せに行ったとしようう。さて、どうなるか。体重計に乗った瞬間に問題が発生するのだ。医者は体重を確認し、無意味な標準体重表と比較して顔をしかめ、

 医者に行くまで、あなたは健康で察室から出るころにはみじめな気分のない危険な薬をもらって帰らずに糊れたように首を振る。せで、ふっくらとした愛嬢の ある女性だった。ところが、診っばいになり、太っていることを気に病むようになる。価値だならば、不幸中の幸いと言わねばなるまい。


 単刀直入に事実を指摘しよう。
ほとんど無限とも言える創造的診断は、医者の思うがままなのだ。一つの例が「高血圧症」という診断である。

医者が高血圧に注目するようになっつたきっかけは、製薬会社が降圧剤 (血圧降下剤) を開発して医学界に医療処置の格好の口実を与えたことであった。この薬のおかげで、高血圧は医者の金づるとなった。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

まあ、思うがママに操られるという輩(やから)に重大問題と見た方が良いのでしょうね。

「センセーの言うことなら崖から飛び込んでもイイ症候群」という猿の軍団じゃないけど、人間猿も猿の惑星の素直リオですかねえ。

こんなに直ぐ引っかかる人種がうごめいている近代化時代。
嗚呼、ニッポンアチャチャ~と掛け声も揃いも揃って、ハイ! チャチャチャ

あ、これは30年も前の米国の話でした。

で、わがニッポン国はだいじょうぶですよウサギちゃん。



ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
 以前なら健康だと見なされていた無数の人びとが、「高血圧症」と診断されるようになった。
おかげで医者は毒性の強い劇薬の処方を正当化できるようになり、高血圧症を疑われた患者はその恐ろしい副作用が原因で本当に病気になった。

降圧剤の多くは性欲減退とインポテンスを引き起こすだけではない。わたしの見るところでは、性機能障害の原因は心因性よりも降圧剤の副作用による場合のほうが多い。



 もちろん、血圧計の加圧帯を上腕部に巻きつけて圧力をかけても日盛りの数値が十分に上がらず、高血圧症と診断するほどではない場合もある。しかし、医者 はがっかりしない。それならそれで、今度は「低血圧症」と診断すればいいからだ。一九五〇年代前半くらいまでは、低血圧は病気ではないとして無視されてい た。しかし、これはもうう遠い昔のことであるから、そろそろ低血圧を病気として復活させてもいいころだと医学界は判断した。

低血圧の人はたいてい長生きするという研究報告がいくつかあるが、この際それは忘れようということになった。医者が低血圧を病気と診断すれば、それはもう 低血圧症という立派な病気なのだから、その治療としてビタミンBlの栄養注射をすることになる。しかし、もしかりに低血圧が病気だったとしても、栄養注射などなんの役にも立たない。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

まあ、どこかの酷民のように、基準値だの測定値に盲信していると簡単にひっかかる悶でございます。

もっとも、医者や薬と縁を切っても長生きする者も居れば短命の者も居るのでございます。

この世は単純には測れない紋でございます。 ぷっ! (紋次郎

あ! 入れ歯が一緒に・・(akyoon

 

無駄な医療と放置療法の優劣は国によって異なるのにはわけがある

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そもそも放置療法ってなんなの?

あい、自らの医師に任せてしまう療法です。

 

無駄な医療って何なの?

あい、最近米国から出てきた医療が隠して来た事実です。

 

両者の関係はどうなんの?

あい、昔はああだったが、今はこうだってなるわけね。

????

 

つまり、要らないものを要るものだと言ってきたのが医療界で

自分の治す力を認めない患者との共同謀議だったわけで

 

え? 謀議

ま、きこえはわるけどね。
両者が同じ土俵の上でやるわけだから、共同ね。そしてウソを真実とお互いに認め合うから謀議ね。

 

なぬ、ウソの付き合いだと!

 

まあ、嘘と言うと語弊餅だから、創作活動を一緒になかよくやって人生を楽しもうってわけで。

 

楽しむ? 病気で?

はい、自分で治るものを他者に任せてしまうにはこれしか無いんでしょ。
だって、放置するのが一番の医者任せだと分かった暁には両者この土俵から降りなきゃならなくなるし、、そもそも、この世から病気が無くなったら「面白くも何ともないじゃないか!!」という人たちのコラボだったんだ悶。

 

え! それじゃあわざわざ病気を造りだして楽しむ?いや苦しむ?

 

病気という調整作用を悪くとって土俵に上がっていたんだな。(どひょ~~)

(実際は苦痛と苦難の体験でいろいろな喜怒哀楽を実感できるアイテムかい)

 

そこで、放置=悪 だという思い込みも必用だったわけね。
かたや、「これをしないと「あなた大変な事になりますよ!(タケシ」という脅しやすかしのテクニックを駆使して来たのが医療側。

 

ところがアセンション時期に入って(汗とションじゃないぞ。もっともこれと関係あるかどうかは不明だが)いよいよ、医療の土俵も使い古してそろそろ廃棄処分にということになったようで。

 

廃棄! おれはまだそこに居たい

はい、その様な方にはちゃんと前の古い土俵を残してありますので、まだまだ遊べるそうですよ。新しい土俵にはもう放置=悪から、放置=自分の力を信じてお任せするというのだそうですね。もちろん、手助けは必用ですが、究極は独り相撲になってしまうようで。

 

すると、医者が病院はどうなる? 薬は?

 

あい、いずれは古い土俵には残されているでしょうが、新しい土俵上には無くなりますね。

 

相変わらず意味がよう分からんね 君のはなしは。

いえ!(キッパリ) ボクは最近まったく話になりました。

??

いや、変換文字のせいで・・・入れ歯をどこかに無くしてしまいまして・・・

 

歯無しじゃないか! 

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


米医療界 日本では当たり前に行われている医療を無駄と指弾

NEWS ポストセブン 10月13日(月)7時6分配信

「頭痛で脳波を調べるのは無意味」「前立腺がんのPSA検査はほとんど無意味」──アメリカの各医学会が、これまで行なわれてきた医療行為のなかで「無駄なもの」を追放するキャンペーンを始めている。

 こうした患者優先の医療は日本にも波及してくるのか。

『絶対に受けたくない無駄な医療』(日経BP社)でこの取り組みを紹介した医療経済ジャーナリストの室井一辰氏が解説する。

 * * *
 アメリカの医学会ではいま、「チュージング・ワイズリー(賢い選択)」というキャンペーンが行なわれている。2011年に米国内科専門医認定機構(ABIM)財団という非営利組織が始めたもので、2013年末までに71の医学会や団体が参加している。

 それぞれの分野で行なわれている無駄な治療や検査をピックアップして、国民に公表するという画期的な取り組みだ。現在までに、およそ50の医学会などがすでに約250項目について「無駄な医療」と認定している。

 例えば、がんの中にはいきなり手術をするのを避けた方がよいがんも存在しているのは意外と知られていない。それは前立腺がんである。

 前立腺がんは「前立腺特異抗原(PSA)」という物質の値を血液検査で測定できるようになっている。前立腺がんの可能性をその値の高さから判断できるのだ。結果として、前立腺がんが疑われて、前立腺に針を刺す精密検査からがんが判明する人が増えている。

 ただし、そのなかで命に関わるがんは意外と少ない。

 米国をはじめ、前立腺がんが見つかっても、定期的な検査をするのみで、手術をしない「アクティブ・サーベイランス」という考え方が一般化している。臨床研究の結果、アクティブ・サーベイランスでがんが広がらないかを検査しながら、本当に治療が必要なタイミングを探るだけでも、命を脅かすことはないと分かってきている。

 逆に言えば、日本では、前立腺がんが見つかったら、すぐに手術しましょうという場合も珍しくないはずだ。

 本当に必要な手術であればいいのだが、果たして日本の医師はチュージング・ワイズリーに示されたようなアクティブ・サーベイランスの考え方を知った上で、可能性も探った上で治療開始の判断をしているのか。

 命の問題のみならず、手術をすれば、股間にメスを入れる負担があるほか、麻酔の事故、大出血のリスク、手術後のインポテンツ、治療そのものの経済的な負担などがある。果たしてリスクを上回る利益があるのか。改めて考えたいところだ。

 このほか関心のある項目としては、大腸がんの内視鏡検査を頻繁にせずに、せいぜい10年に1回でいいという項目がある。日本では毎年のように内視鏡の検査を受けている人もいるのではないか。チュージング・ワイズリーの考え方によれば、無駄ではないかとなる。

 チュージング・ワイズリーを眺めていくと、日本では当たり前のように行なわれている医療に対して、容赦なく無駄だと指弾しているのを目にすることができる。

「これまでの日本の医療にはウソがあったのかな」。そんなことも思わずにはいられないはずだ。ぜひ日本にも、このチュージング・ワイズリーの考え方を導入するとよいと考えている。

※SAPIO2014年11月号



TITLE:米医療界 日本では当たり前に行われている医療を無駄と指弾 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース - Mozilla Firefox
DATE:2014年10月14日(火)
URL:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141013-00000011-pseven-int
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

いいですか・・・これは氷山の一角なのですよ。

ひょ~~惨!

 

「とりあえず」ですよこれって。

とりあえず専門分野で分かれている50の医学界から5つずつ出してもらった結果

250項目という訳でしょ。

とりあえず始まったバッカりだからね。これから巨大氷山の全容が見えてきた暁には・・

ひょう~~~くらいではスミマセンよ、アナタ。

 

それよりも君の方が無駄じゃないのかね

 

 

ひゃあ~~~惨

 

 

女性編 医者が患者をだますとき9「医療で生計を立てている人たち」

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この本は米国で相当数読まれたようですが、なんと1980年頃の出版らしいですね。

あれから35年くらいかな?」」

あ、ボクがちょうど新興宗教と言われるところに入会した時と同じ頃だな。
それが1993年、忘れもしない驚天動地、いや青天の霹靂とかよく言われる言葉のように衝撃を受けて退会したことを思い出す。

 

あれからも亀の歩のごとく、遅々として進まず。いまだ阿呆ズラをしつつ・・

だが、この本は今こそ最新の書として読まれるのではないだろうか?
そんな兆しがあちこちに出始めている。

「絶対受けたくない無駄な医療」という本が非常に売れているというから、世の中は変わった。

ボクらが声を張り上げて「薬は毒だ。薬が病気を造り出す。医学は増病医学だ」などと叫んでいた時期があったが、ただただ怪しい宗教信者が危ない話をしている・・・程度で消えていった。

もっとも、それを日本で最初に叫んだのは岡田茂吉氏だったが、それはまだ昭和の初期。
しかも医学がこれから躍進するという時期であった。

そして、宗教としての医学革命論はいつの間にか雲に隠れてしまい、今では温和しい単なる新興宗教として後継団体は残っている。

しかも多くの信者さん達は岡田茂吉の過激な医学革命論だとして、病には薬と医者という人の方が多いとウワサにだが聞いている。

反面、普通の人たちもそうだが医者の中から、似たような医学について過激な(普通のひとにとってのだが)な医学批判論が出てきている。

その先駆者的な代表者が故ロバート・メンデルソン医博だろう。

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

医療で生計を立てている人たち

 医者が食欲にも子どもにまで手を伸ばしたことは、想像に難くないだろう。
手に負えない子どもに業を煮やした現場の教師たちは、医者と心理学者の協力を得て「注意欠陥多動性障害(ADHD)」を拡大解釈し、かなり高い割合で未成 年者が該当するように操作した。その結果、教師だけでなく親にとっても都合のいい安易な治療法が開発された。数百万人の活発で正常な子どもたちにりタリン という中枢神経刺激剤が処方されたのだ。しかし、その作用によって子どもたちはまるでゾンビのようにされてしまった。


 子どもを産んでも安全であると医者が考える年齢もかなり狭められてきた。今や女性は何歳で妊娠してもたいてい危険と言われる始末だ。もし妊婦の年齢が医 者の基準と比較して少しでもずれていると、産科特有の魔術のような医療処置をこれでもかと受けさせられるはめになる。しかも、そのなかには胎児異常を確定 するための羊水検査まで含まれていることがあるが、こんな危険な検査はめったにおこなうべきものではない。この検査を熱心に推奨する医者のなかには、「三 十歳以上のすべての妊婦はこの検査を受けてください」

 帝王切開の適応症もかなり創造的約と公言する者すらいる。病院によっては帝王切開率が全出産の五割を上回っているところすらある。
そもそも一その適応症のほとんどは、お産という自然な生理現象に対して産科医が麻酔分娩や分娩誘発などによって医療介入することが原因なのだ。

 当然のことながら、創造的診断はどれもたいへん儲かる。おかげで製薬会社の工場はフル操業だし、どの病院でも満床状態である。さらに、葬儀屋は死者が増えて思わず笑みがこぼれるという。医者にとっても好都合であることは言うまでもない。

たんなるキビヤ吹き出物が今では「座癒(アクネ)」と診断できるようになり、皮膚科医の地位が向上した。皮膚科医は治癒率八割を誇っているが、キビヤ吹き出物が気になる十代の若者は、医者に近寄らずに洗顔を励行していても同じ結果が得られるだろう。




*訳注 りタリン (塩酸メチルフエニデートの商品名) は一九五五年に食品医薬品局に認可さ れた向精神薬の一種で、現在の日本でもよく使われている。九六年の世界保健機関 (WHO) の推計によると、アメリカの全児童のほぼ五パーセントがこの 薬を飲んでいる。ADHDと診断された子どもがりタリンなどの向精神薬を長期服用するケースがアメリカ国内で激増していることについて、
   クリントン大統領夫人 (当時) が専門家や関係機関と論議し懸念を表明している。
 **訳注 日本では四十歳以上の妊婦のほぼ半数が羊水検査を受けている。
***訳注 帝王切開率はアメリカでは二五パーセント程度、日本では七~一〇パーセント



 わたしの友人で、ノースウエスタン大学で都市コミュニケーション論を専攻しているジョン・マクナイト教授は、このような医療のあり方に対してうがった見方をしている。彼は大学でこう教えているという。

「医療、福祉、介護、愛情という名のもとに、健康人が病人として扱われるケースがますます増え ている。医療サービスというのはうわべだけで、それによって収入を必要としている医者、看護婦、薬剤師、および病院や製薬会社などで働いている多くの医療 サービス提供者がいるという現実が覆い隠されている。医療における顧客とは、実は患者よりもむしろ医療従事者のほうなのだ」


 現代医療システムの必要性を満たすために、国民はなんと高い代償を払わされていることか。


to

   「とりあえず検査しましょう」

 ここで、創造的診断について最後の警告をしておきたい。あなたのかかりつけ医がその方面での「名医」 である場合、「頭痛で困っています」などとは口が 裂けても言ってはいけない。それ以外に心配な症状がないなら、医者にかかる必要はなく、国民の七割がそうであるように月に一回ほど解熱・鎮痛剤を服用すれ ば事足りる。

 (中略)。しかし、創造的診断が得意で良識が少し欠如に「とりあえず検査しておきましょから始まって、さまざまな病気の可能性を指摘し、あげくのはてには脳腫瘍という疑いまでかけて患者を検査漬けにするおそれがある。
 医者が創造的診断に使う病名を列挙してみよう。

水痘、ジフテリア、狸紅熱、耳下腺炎、単球増加症、インフルエンザ、肺炎、肝炎、静脈洞炎、扁桃炎、脳炎、腸チフス、ブルセラ病、デング熱、紅斑熱、レビ トスピラ症、天然痘、黄熱、野兎病、炭症、マラリア、髄膜炎、アレルギー性鼻炎、胃腸炎、ポリープ、低血糖症、甲状腺機能克進。

 頭痛はこれらの病気に共通する症状ではあるが、それ以外の随伴症状がないならば、患者はどの病気にも該当しないことが多い。

 おっと、医者が疑う見当違いな病気がもう一つあることを指摘するのを忘れていた。伝染病だ!

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

博士は下熱鎮痛剤を月に一度くらいはと認めていますが、ボクは熱や痛みには手当ての方が効くと思っています。ただし、痒みはもう手が付けられない(苦笑
8月に突発性皮膚炎(アトピーのこと)でもう延べ10日間くらい断酒をせざると得なかったのは非常に痒みというものがいかにつらいかという事を物語っていた(阿呆か

 

そういう事で誰でもいつでも出来る手当て法を試してみてね。
まあ、自分で自分を施術するのだから誰に文句も言わせないし、隠れてやれるし。
自転車じゃ無いが、何度かやっているとコツも分かってくるデショ。

この中で頭痛などの痛みは手当て法でもかなり効果があると思うので試して戴きたい。

薬で痛みを取るのは痲痺させるか、毒素排泄の過程を一時停止させて苦痛を緩和させるのであって、治癒で治るのでは無い。

風邪薬などもそうだが、苦痛症状を停めてばかり居るとついには難治性の習慣性症状が持続するようになる。

頭痛持ちなどと言われる方、慢性病となるのは真に治っていないから持続するのだ。

徹底的に浄化をしてしまうという覚悟が必用なのだが、どうしても症状が苦しくてたいていの人はがまん出来ないし、ひとによっては毒素排泄の過程が長引き死に至るひとも希にいるのでその恐怖感で、薬などの対症療法にまかせてしまう・・・・ごもっとも無理も無い

 

ゆえに、この論を読んだひとに思想を強制することは無いのだ。

だが、知らない人は知っておくと何時か役に立つだろう。
後押しするのは時代のエネルギーの変化で有り、それがどちらに有理かは自ら体験することで納得できた時に切り替えれば良い。

これが正しいから絶対これをやるべきだ

とはボクはもう言わない。
そんなの他人事だからね。

他人様がいくら苦しもうと他人事だ。
ボクは自分が一番可愛いから無役生活をしているだけのこと。

いや、無為役、じゃない、無医薬だ。

 

 

 

女性編 医者が患者をだますとき10 「医療信仰は幻想でしかない」

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ロバート・メンデルソン医博が1980年頃、米国で出版した本ですが、今読んで見ても痛烈な医学批判ですね。

医療信仰は幻想でしかない

この強烈なひと言が全てを現しているように。

 

しかし、一般大衆というか民衆が皆信者だとすれば、聞く耳を持たず、見えるモノも見えずの洗脳状態となります。これはオカルト宗教と言われる進行状態と同じ

しかし、医者は医学にだまされ、その医学を支えてきたのはアンタですよ。患者さん江

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


 第3章   危ない医療信仰、危ない医学教育

   医療信仰は幻想でしかない

 医者はうるさい患者から質問されたとき、自分のくだした診断や勧めた治療に自信がなければないほど、学位の権威を振りかざすものである。患者を納得させるだけの返答ができないと思ったとき、医者はその質問をかわすためにこんな決めゼリフを用意している。

「医学的知識のない方にはわかりません」

 たいていの場合、どんなにしつこい患者でもこの一言でやり込めることができる。だが、医者はこの手をしょっちゅう使うわけではない。その必要がないの だ。

ほとんどの患者は、はじめから医者の態度と学位に恐れおののき、治療方針について質問しようという気持ちすら抱かないからである。

しかし、医者がこの決めゼリフを吐くときは要注意だ。相当に危険な治療を勧めている可能性がきわめて高い。



 ほとんどの人は医者を信頼し、崇拝に近い態度をとる。

現代医学は人びとのそういった心情からその権力の大部分を得ている。

(中略)

世間の人びとが現代医学に対して抱いている畏敬の念はたいてい的外れなのだが、しかしそれこそが現代医学の基盤となっている。医者は自分が全能者であるかのような雰囲気を漂わせているために、人びとは医者もただの凡人にすぎないということが見抜けないのだ。


 人びとは危険なカルト教団から脱会するのと同じように、医療信仰をやめて現代医学の危険な治療から身を遠ざけたほうが身のためだ。


 人びとは心のなかに描いている、親切で、優秀で、信頼できる、心優しい医者というイメージを捨て去り、医者の実像を見据えなければならない。そうすれば、医者が映画やテレビドラマに出てくる正義感の強い人物ではないことがわかるはずだ。

とはいえ、演技がうまいという点では医者は役者と同じである。どうやら、医学部は医学生に患者の健康管理の方法を教えることよりも、演技派の役者を養成することに重点を置いていると言えそうだ。



 八年から十年におよぶ医学教育と研修の間に、医学生は自分が全能者であることを患者に信じ込ませる方法を教わる。

若い医者は人の生死を決定する絶大な権力を数年間にわたって行使しているうちに、自分が全能者であると本気で信じ込むようになる。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー



この「医学知識」というものがいかに危ういものか、胡散臭いものか・・という事を認識できないひとはロバート・メンデルソン医博の真意が理解出来ないでしょう。それほど現代西洋医学は実にリッパに出来ていると思うのです。

9割は不要という意味がどこまでなのかはコレカラ徐々に判明してくるでしょうけど、とりあえず、「絶対にうけたくない無駄な医療」で氷山の一角が出始めましたね。


医者にだまされた! などと叫ぶ前に自分が医学を支え、医学が医者を作りだした、その結果を甘んじて受けただけだという事を認識できない内は、アナタ、マタダマサレツヅケマスヨ! 



結局医者を支えているのは大衆であるから、一般人が医者を信頼するという関係が現代医療を支えているわけでして、その医者は医学教育によって増産?させられる。

ではその医学というものは誰が作ったかというと、古来連綿とつづいているわけでして、言ってみれば人類共同作業というわけで、それは大衆、つまり人類共同作業によって作られたものです。

え、そんなのに協力した覚えは無いぞ・

と言ってみても、その医学を信頼するという思念が強力なエネルギーとなって現実化したわけですよ。(笑い

この医学と言う宗教を支えているのはひとえに信者さんのお力なのですから。

紙幣という印刷されたものに価値を与えているのが信者さんだというのと似ているかな。

 

ということで、医者が患者をだますのはあんたがそれを作りだして自らはまっているという状態にでしかなかったのでした。(大笑い

 

ここで、大笑いできるなんてなんて人でなしか!と怒るエネルギーがあるくらいなら、もっとこの本を読み込んでみてください

この世界は幻想の世界だと言われてもこの現実感はあまりにもリアルで、そのなかでまた医学が幻想だなどと言われても、実際に痛い苦しいという感覚はナンナンダヨ!

と怒ってみても詮無しかな(^_^;

 

 

 

うそ800万の世界で光一点のUSO800

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まだ全部見ていないのですが・・

 

 

金の歯車第2回

多田氏がオオボラ出血大サービスで不安と恐怖を売ると?

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さあ、買った買った~♪

タダだよタダ~~

 

あ、そこの兄ちゃん、お金払ってないじゃないか!

(だって・・・タダだって・・言ったじゃん・・)

 

ばっかも~~~ん。
タダはタダでもワシの苗字だよ(多田氏)

これがアフリカでは通用しないダジャレだという事を知って
意気消沈しているボク沈ですが・・

それよりもネタが古すぎる?

 

ところで、このオオボラ出血大サービスが決して多田では無い
いや、タダ(無料)では無いということですが、

まず、あらゆる医猟費、あら、イリョウが医療に変換しなくなった・・ゾ~~
は、全部国費であり、国費とは全部あんたもボクも(大して納税できないほど貧乏だったりして 苦笑)そこに出費しているわけね。

だから無料援助とか国境なき医師団達とかボランティアとか言ってみても、なんらかの形でお金をどんどん使っているわけ。

それが出来ない奴は家で指でもくわえているしかないのね。この世界は金で動き回れるんだから、実際にお金は有意義に使えば大切なもの。

それを飲んだくれて( オレか)ばかり居るから無駄なお金となってしまう。

だが、医猟費はそうは行かない。莫大な金額になるからね。
しかも医猟費ばかりじゃ無い、それに関連する諸費用を入れるともう大変なお金が必用になる。

しかし、そこに大義名分を付け加えると、その費用はあくまで(表面上だが)有意義になる。

しかし、それには大勢のひとを納得させなくてはならないのだ。
これはどの世界でも共通だが、医療の世界は、あ、医猟の世界はかなり手が込んでいる。

いかにも科学的であるか、数限りない論文をねつ造(アレ!)、じゃない、でっち上げたり(おんなじじゃないか!)して、人々を恐怖と不安でこねるまくる(団子か)

それにはかなりの下準備が必用というわけで、小説や映画やテレビドラマ、newspaper、雑誌、教育機関エロ瀬戸等・・・

そうだ「感染大パニック映画」を見たことがあるだろう。

いろんなシナリオで世界人類が滅びるとか、恐怖と不安をインプットされている我らは、ほんのちょっとチョロい仕掛け

あ! っと、おどろく ためごろ~~~う~~~♪  (古い!)

パブロフの何とか反応である。

チョコッと入れてやると、あっという間に反応するのだ。

怖い、不安、恐怖・・・・これが他人様の税金で懐にはいる

それはお金とかは重要じゃ無い。もうあまり余るほどもっているからね。

そんなの糞の役にも立たない。

それよりかその不安恐怖のエネルギーを吸い取って元気モリモリ
ファアイトイッパ~ツ!

栄養ドリンクとしてしまうのが輩の得る最大の収穫なのだ。
だから、多田氏にだまされいたんじゃ、ここのakyoon氏がいじける(・・UNHAPPY)

ここも相当いい加減な話が多いが、悪党ほど悪党の裏がよく見えるというじゃないか。

 

そう、過去のワタシは相当な悪党だったらしい、現代は善人まっしぐら

を目指しているが・・・・

いつものようにまえがきは飛ばしてくれたと思うが

 

ここから本番。

エイズと同様、エボラ出血熱は予防接種(ワクチン)と称して仕掛けた時限爆弾じゃなかったのか? という話をホロビッツ博士の話だったようだが・・

それを思うと意外に拡大しなかったエボラ出血熱なので、ここらで大いに売り出そうとしているんじゃないかな?と 邪推しているボクだが・・

自称、多少(他称) オツムが行かれているんじゃないかという疑惑に応えて

今回のエボラ大出血サービスについてグーグルパー(ーoー)y゜゜検索してみた。
なあに、単に

エボラ出血熱 嘘 

と入れてみただけ

すると、出てくる出てくる・・ 逝けの恋

 

世の中見下げた悶じゃ

ない

オツムのおかしい人たちがてんこ盛りだとは (O_O);;

 

 


永遠にお釈迦様の手(バイ菌群)を超えられない孫悟空(抗生物質)

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いよいよ、バイ菌達の反抗が始まったようで。

いや、もともと攻撃などしているつもりも無いのに攻撃されまくっていたバイ菌マンたちだが。

 

現代医学の金字塔と言われ感染症に偉大なる貢献をして来たと言われる、細菌哲学が

あっという間に壊れかかっているじゃ無いですか! これじゃあ

 

生物史から、自然の摂理を読み解く

様ブログより

http://www.seibutsushi.net/blog/2014/10/2880.html

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー抜粋

 

微生物との共生を組み込んだ新しい代謝理論・・・圧倒的な適応力!細菌は、種という概念では捉えられない存在である

 

結論として

、細菌は、種という概念で捉えられる以前の生物であり、その後進化した真核細胞生物や多細胞生物に比べ、環境変化に対する適応力が極めて強いという特徴をもっているのです。

そして、これが、細菌を敵視して、薬剤などでいくら殲滅させようとしても、すぐにその耐性を持つ菌が現れ、制御不能になる理由なのです。

以上から、今後、細菌を考える上では、彼らは種という概念で捉えられる生物以前の存在であり、特効薬を与えても、すぐさま環境適応していくという認識が必要になってくるのです。

・・・・

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

もっとも学問的知識など要らないのは我がオツム( 理解出来ないだけじゃないか!)

病は浄化作用。

この大黒柱をしっかり護っていると難しい理論などアッパ喰らえというw

それよりも、学問などは後付け作業にしかず、地球上の微生物は神の恩寵だと思い込み、それにやられるのは我が身の錆びだとして、甘んじて甘酒に限らずバイ菌でさえ受け入れようと、無理している我が輩だが。

その無理がたたって死んでも抗菌剤は無用とやせ我慢したまま逝くつもりだが、どうやらそのやせ我慢が光をそうして来たらしいこの話。

いくら孫悟空が超光速で飛びまくってみても境界は、行けば行くほど拡大延長される。

それがお釈迦様の手の平のうちだと。

 

ちょうど、それと同じようなのが、病原菌(バイ菌マン達)と人類の猿智慧の闘いじゃないのかな?

科学の発達進歩でついには人類はバイ菌との闘いに勝利した!

などと思っていたら、昨今はどうだ?
多田の風邪でさえ恐怖し、効きもしない薬を飲み、かえって悪化して長期休養。それから余病まで付け加えるといかに無駄な事をしてきたのか。

そんな想いをしながら、この記事をじっくりと読み直してみるのも余興じゃ無いかな(表現が悪いね)

 

結論として、薬は病気を治さない。症状を一時停止して苦痛緩和をしてくれる。

だが、その一時停止は次のもっと重い病気を造り出してくれる(ことがある)
それは細菌と病気に関しても同様だ。

自然界はどうしても浄化しなければならないときには協力無比な細菌を繰り出してでもその人の浄化を助けてくれるからだ。

「助けてくれる。」?

死んでしまったらどうする!?

それでも「救済の形だ」としたら

まあ、そこまで覚悟できたら満点だけどね。

 

ボク?    睦稔として末

 

 

「医者や薬が病気を治しているのでは無い」というお医者さん

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病気は自分がつくり、自分が治す。

薬はそれを邪魔する。

 

なんて書いたらトンデモ無い奴だとお思いでしょうが・・・

じつは、ワタシは異常心理学を学んで実行してきた揉んで・・

ま、これは冗談ですが実践はして来たような気もしないでもないですが・・
本人はいたってマジメで真剣なのです。
それが本人には分かりようも無い、他人様が観察して分かることでして。

 

なにが言いたいの?

はいこれね

ーーーーーーーーーー以下引用ーーるいネットよりーーーーー

病気を治すのは医者でも薬でもなく、患者の免疫の遺伝子-1.現代文明の病気の原因は化学物質とヘルペスだけ。

 

 下記記事を執筆された松本医師は医学界では異端。ネット界でも賛否両論あります。松本氏によれば、病気の原因は化学物質であり、治すのは免疫力、薬はそ れに逆行するとしています。薬を用いないその治療法は、化学物質が氾濫している現代において、場合によって即効性は期待できない面も否めません。しかし、 主張は鮮明。医学界では治らないとされているアレルギーについての詳細な見識もあり、今後勉強していきたいと思います。まずは松本医師の病気に対するスタ ンスを紹介します。
リンク
(内容は読みやすくする意図で一部省略させて頂いています。)

***

 私は他の優秀といわれる専門医が治せない様々な難病の全てを治すことができるのです。なぜだか不思議に思われるでしょう。(中略)答えを言いましょう。 全ての患者さんが生まれたときから持っている免疫の遺伝子が完璧な専門医なのです!病気を治すのは医者でも薬でもなく、患者の免疫の遺伝子であるからで す。

 皆さんは昔から病気を治すのは医者であり薬であると思っておられることでしょうが、というよりも医者たちや薬屋にそう思い込まされていますが、この思い 込みは間違いなのです。もう既にお分かりのように、難病と呼ばれる病気を治したのは、(中略)患者さんの免疫の遺伝子が治してくれたのです。この真実を世 界中の医者は誰一人患者に伝えることをしません。

 それでは私は一体患者に何をして患者の難病を治すことができたのでしょうか?

 まず一つめは、私がやったことは、ただ患者の免疫の遺伝子の働きの意味を完全に理解し、患者の遺伝子の働きに対して一切邪魔をしなかっただけです。もちろん少しばかりは患者さんの免疫の遺伝子の働きを発揮させる手助けは抜かりなくやってあげました。

 それではなぜ私が治せる病気を他の医者は治すことができないのでしょうか?

 患者の免疫の遺伝子を他の医者たちは常に妨害しているからです。現在製薬メーカーが作っている薬で免疫を手助けしてくれるのは、ワクチンと抗生物質と抗 ヘルペス剤しかないのです。それ以外のおびただしい数の薬の銘柄は16000種類以上ありますが、これらの薬は全て免疫の遺伝子を抑え込むだけなのであり ます。従ってステロイドをはじめとするこのような免疫抑制剤を使う限りは、絶対に病気を治すことができないのです。(成人病の薬は除きます。)

 二つめは、なぜ病気が起こるのかという原因を完全に正しく理解しているからです。この世の現象に原因がない現象は何一つとしてありません。同じように、 この世に原因のない病気などはひとつもありません。原因があって、その原因を除去しようとするのが免疫の遺伝子の働きなのです。この事実を世界中の医者は 誰一人として理解していないのです。まさに病気は原因を除去するために起こるのです。

 それでは現代の文明に見られる一番大きな病気の原因は何でしょうか?それはただふたつ、化学物質とヘルペスウイルスだけであります。病名は20000種 類以上あります。臓器別にも病名が腐るほどつけられていますが、これらの病名は病気の原因とはまるで関わりのない、医者が病名付け遊びをやって作り出した 意味のない病名なのです。

 少なくとも病名というのは、病気の原因を示唆すべきものです。全く原因と関わりのない病名がほとんど全てです。残念です。実は現代文明の病気の原因は今 挙げた化学物質とヘルペスのたった二つしかないのです。言い換えると、常に現代人に入り込み、いつまでも残り続ける原因は、まさに化学物質とヘルペスだけ なのです。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

まあ、ごもっとものことですが、医者が治癒の邪魔をするから病気が治らなくなる

という、異端の説ですが、ボクもそう思っています。

 

もっとも医者が治すというのはもともと的外れのことです。

薬が治すのです。(本当は治さないのだが「治す」とした場合に ややこしい)

手術にしても、切ったり貼ったりするのは医者でも、本当にくっつける力は自己治癒力で有り、血も肉も元通りにするのは自己修復力です。
これが無かったら誰も復帰できません。
自ら治る力を持っているからこそ、少々の邪魔(対症治療としての薬を用いても)しても、自分の偉大なる治癒力が治してくれるのです。

 

注; 漢方医師だということで制限がついていますね。
それは病気の原因を化学物質だけにしているということです。
近代の化学物質以前は世界中が自然の薬でした。

しかし、それも毒。 西洋化学薬品など無かった時代から
薬は毒であり、毒で毒を制するものなり

というのが真相でした。
しかもそれに加えて想念などの思考エネルギーが人体に毒素を作り出すということも加えないとね。

むしろ現在ではその人の思考とか感情とかのエネルギーが病気を創りだすという方と本義とする考えもあるので、物質面だけじゃ逝け面です。

   

 

 つづきます。

だから、対症療法が全部悪いとは言えませんが、その使っている薬はじつは全部毒性物質で、その反応作用で痛みを止めたり、ある種の症状を停止させているだけです。

しかし、その毒性物質はいずれ排除されないといけないので、次の浄化作用が起こる場合が多いのです。(ただ人によって千差万別、時間の長短もあり、方程式はなり立たないが)

 

今日も当たり前すぎて、全然校正無しで筆珍をおきました。 チン。

 

血液の闇 輸血は受けてはいけない 特設サイト

疑わしきはばっせよ(手術せよ) 女性編 患者がいしゃをだますとき11

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至急摘出せよ

 

あやしい、うたがわしい

きっとそうだ

とりあえず罰します。いや、とりあえず切ります・・・

 

おぁ

 

女性編 医者が患者をだますとき より

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

はっきりした必要性もないのに、
もっとも頻繁におこなわれている手術の一つに子宮摘出手術がある。

(中略)

 婦人科医は金儲けのために子宮摘出手術にいそしんでいると一部で批判されている。この手術で利益を得るのは婦人科医だけだからだ。たしかに金目当てという面もある。

 しかし、不要な手術がおこなわれる理由は、別のところにあるとわたしは確信している。

医学生は医学部で指導教官の披露する手術の技量に情熱をかき立てられることと、外科の実習をする数年間でメスに対する揺るぎない信念を叩き込まれることだ。


 外科医に共通している信条は、「疑わしきは摘出せよ」である。

だから、わたしは医学生に対して皮肉たっぷりに「試験でどの治療法が正解か迷ったら、テキストで習ったなかでもっとも危険な処置を選択しなさい」と指導しているほどだ。


ニューヨーク・タイムズ紙の医療関係の記事を担当しているジェーン・ブロディ記者は、手術よりも簡単で費用がかからずリスクの小さい治療法が可能なときですら、婦人科医がやたらに手術をしようとすることの弊害について次のような実例を報告している。

(中略)

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

詳しくは本を買って読んでね。

あ、おっさん・・・ご婦人にですよ・・「女性編 医者が患者をだますとき」

 

けつろん 

 医学教育をしっかり受けた医学生は何とかにメス(刃物)のように切りたがるのでしょうか?

下に恐ろしきは医学狂逝く

女性編 医者が患者をだますとき12 「全ての源は医学教育にあり」

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教育が医者を作る

どんな名医でも最初は医学生である。

そして、教育を受けるのはほとんど西洋医学である。

その教育とは? ロバート・メンデルソン医博は告白するのであった。



 医者が患者をだますとき 女性編より


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

医者が受けている教育

 医者は自分が医学部の出身であることを鼻にかけ、患者を見下したような態度をとるが、医学部の出身であるということは、実際にはそれほどたいしたことではない。

わたしも医学部の出身だし、いくつかの大学の医学部で教鞭をとってきた。しかし、どうしたらその経歴を孫たちに知られないようにできるかを考えているくらいだ。



 高等教育の目的は、物事を合理的に考え、論理的思考を培い、疑問を抱き、創造性を発揮するための知識と方法を学生に提供することである。学生は教授と討論し、博士論文の承認を申請すれば、自分の論文の正しさを証明することが求められる。


 医学部はそうではない。医学生は議論したり疑問を抱いたりすることなく、思考停止状態で医学理論を鵜呑みにし、指導教官の言葉に条件反射的に紋切り型の答え方をするよう指導される。

たとえば「連鎖球菌」と聞けば、「ペニシリン」と答える。教授が「右下腹部の痛み」と言えば、「アッペ (虫垂切除手術)」と答えるように教え込まれるのだ。(中略)


 要するに、医学部は独断と偏見に満ちた医学体系を教え込み、医学生が判断力を行使する権利をごく狭い範囲に限定するのである。


 医学生はどの百日咳ワクチンを使用するかについて議論することは許されても、そもそも百日咳ワクチンを使用すべきかどうかについて議論することは許され ない。中耳炎の治療にどの抗生物質を使用するかについて検討することは許されても、感染症の標準的治療として抗生物質を使用することに疑問を抱くことは許 されない。
                               

 医学部でおこなわれる主な試験は、ほとんどすべて選択式である。したがって、医学生は単語はおろか、文あるいは@い文章を書くことすらなく、ましてや一 ページもの文章を書かされることはまったくない。医者の処方箋に書かれている字が読みづらい原因はここにある。薬剤師は処方箋の字を判読できないことがあ り、たとえば痛風患者に降圧剤を渡したりすることがある。


 なぜ医学部は、判読不能な字を書くことを医学生に徹底的に教え込むのか。わたしは以前この謎が解けなかった。
医者が看護婦に理解できる字で投薬指示書を書き、薬剤師に理解できる字で処方箋を書くのが望ましいことは言うまでもない。


 最近、わたしはその謎解きに成功している。


病院のカルテに残っている判読不能ななぐり書きを時間が経過してから調べると、どの医者が指示や記録を書いたかを割り出すことはほぼ不可能だ。ねらいはそこにある。
医者はなぐり書きをしておけば、不正医療の訴訟が起きた際に責任を負わなくてすむのだ。

 教えられた内容を疑問視するような医学生は、医学部を卒業する見込みが薄くなるだけでなく、たとえ卒業しても、良い研修医制度と専門医学実習制度に参加しにくくなり、医師免許試験に合格することもむずかしくなる。

 波風を立てるような言動は、それどころではすまないことがある。わたしは自分の担当していたある医学生のことが今でも忘れられない。彼は産科学を専攻しようと考え、授業を受けていたのだが、・・・



 (中略)


 教えられた産科特有の愚劣な医療処置すべてに納得できず、産科の指導教官たちに質問をしたのだ。

「産婦の両足が上げた状態で支脚器で固定されるのはなぜですか?」「なぜ麻酔分娩をするのですか?」「陣痛の初期段階で分娩誘発をするのはなぜですか?」「明確な必要性がないのに、帝王切開がおこなわれているのはなぜですか?」

 結局、彼が得たのは、回答ではなく処分だった。

彼は医学部長に呼び出され、精神鑑定を受けることになった。医学部では、敵意のこもった質問をする医学生はすべて 「精神障害者」と見なされるのである。


 こういった独断と偏見に満ちた医学教育の弊害は、思考力に富む、知性豊かで、確固たる倫理観を持つ医学生を排除し、愚劣な伝統をかたくなに維持するというだけではない。

このような体質は、無駄な治療をおこなわない画期的な医療体制の確立を阻止することになるのだ。



 この点についてロジャー・ウィリアムズ博士は、『病気に打ち勝つ栄養』 という著書のなかで次のように指摘している。
 「現在、アメリカの医学部は画一化(均質化ではない)されている。
いったんある信念が正統派として確立されると、それに異議を唱える世代は抑圧される。

われわれは一種類の医学、つまり近代医学しか知らないので、すべての医学部が基本的に同じことを教えている。

カリキュラムは必要と考えられていることで飽和状態になっているために、新しいアプローチを試みる時間も余裕もほとんどない。

その結果、

医学は、すでに受け入れられていることが不変の真理であるとする因習に縛られやすくなる。科学が正統派として不動の地位を築くと、それはもはや科学ではなくなり、真理の探求をやめ、過ちを犯しやすくなる」

(中略)

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


実際は医学上の常識は年々変化しているという。

だが、まだ変更しないことに異論を唱えると抑圧される

この矛盾が理解出来ないひとは医学信者だろう。
信者は教義に異議を唱えてはいけない。あくまで上から変えられた時まで待たなければならない。

信者は批判する自由は与えられない。

ゆえに教義が上で固まったままだと永年ずっとそのままの教義を信じ続けるのである。

(教祖が死亡した時点で時代は停まってしまう。祖の教義の中で時代の進歩にあわなくなって古くなったものでも真理とされ続ける。)

医学は医学内で変更がされない限り、外から変更は出来にくいのだ。

そして、たとえ間違っていたとしてもそれは正当科学だとして持続する。

そんなバカな!

 

その実例が出てきたのが

アメリカ医学界発「絶対受けたくない無駄な医療」という本だろう。

つまり、医学の上の方の本拠から教義が変えられたことが下に通用してくると言うものだ。
※アメリカ医学界は専門分野からそれぞれ5つずつ無駄な項目を出してもらったら、とりあえず¥¥無駄な医療(有害な場合もある)が露出された。つまり上の方から出された教義の改編である

 

それを過去において外から幾ら出してみても受け入れられない、拒否され抑圧される運命だった。

そして、それを支えてきたのが信者である。
信者とは患者になるひと全てであるが・・

決して信者側から教義の書き換えは出来ないのだ。

それが医学が宗教であるという意味だろう。
じっさい、信者を止めないと教義の批判や異論を唱えることは不可能なのだ。

それが信者たるゆえんでR

 

そう、ロバート・メンデルソン医博が「医学は宗教だ」といった意味はそこにあるのだろう。
宗教の教義に対して信者は従順でなければならない。

医学生(将来の医者)も患者も同じ土俵に登っているのだ。
互いに同志で有り、信者仲間なのだ。

だから、患者が医者を非難するのは筋違いというものかも知れない。
同じ土俵上で勝負をして負けて負傷したとしても、それは自らの意志で登ったのだから。

同じルール(教義)でゲームをしている仲間同士である。

そして、先進国のほとんどの人がお仲間である。

その中で異を唱えるものは「非国民」とされるのは当然なのだ。

 

すべては教育によって導かれている。

だが、中には不良生徒や頭が追いつかない落第生が時々出現する(笑

 

 

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