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再敬 千島学説

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再掲

じゃなく、再敬礼のことです。

転載魔のつぶやき。

宗教界では岡田茂吉
科学界では千島喜久男

(敬称略)

そして、視点の違いはあっても本質をとらえていた。

そこで、七瀬再び じゃないか!!

千島論の本「間違いだらけの医者達」より(古いけど)

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

ダイジェスト版

 

 

千島学説 1(間違いだらけの医者たちより) 投稿日: 17/04/2001 投稿者:

生物学は医学の基本である。医学は生物学の応用である。
しかしその生物学が間違っているとしたら・・・

故千島喜久男氏は生物学専攻の医学博士であった。氏が唱えた千島学説は
異端の説として一時日本の学会から葬られようとした。しかし、時至って
異端が異端でなかったとしょうめいするかのように、医学の自壊が始まっている。

いつの時代でも異端の説というのは、当初は無視され拒絶されるようだ。
しかし、それが真実であるならば時とともに現れてくるようだ。
医学の基本となるのは、やはり、生物学。その専門の学者が発見したものは何だったのか。
著者、枠山氏は千島理論を非常にわかりやすく解説されて本にしてくれた。
我々はただそれを読むだけで偉大な先人の智慧を学ぶことが出来る。
なぜ本のタイトルが【間違いだらけの医者たち】なのか読むにつれて納得していくだろう。

もう余り時間は無いのだ。今こそ医学革命が必要な時に。

《《 間違いだらけの医者たち 》》 より

忰山紀一(かせやまきいち)著 (医事ライター) 徳間書店発行

(本書よりの抜き書き)

千島学説は、ノーベル賞に値する。
千島喜久男−−一八九九年岐阜で生まれる。生物学選考の岐阜
大学教授。医学博士。千島学説と称して“赤血球分化説”“細胞
新生説”“腸菅増血説”など異端の説を唱えた。その学説は日本
では受け入れられず、むしろ外国で有名になってくる。一九七八
年、七九歳で没。

千島の新説のどれひとつをとりあげても、ノーベル賞に値する
研究であった。
しかし、これらの発見は、あまりにも現在一般に信じられてい
る科学と対立するため、結局認められなかった。
科学の新しい理論は、えてして最初は奇異にうつるものである。
近代の量子学の基礎をつくったデンマークの物理学者ニ−ルス・
ボ−アは、「一見まっとうにみえる考え方には望みがない。ほん
ものは常軌を逸しているものだ」と言っている。

第1章[信じられている細胞分裂の疑問]

驚くべき発見は、常識的な考えや昔からのものの見方を根底か
らくつがえすが、それが一般の知識となるまでには、かなりの歳
月を必要とする。
新発見がなかなか世の中に伝わらないもっとも大きな原因は、仲
間である科学者が、その重大性に気づかないからである。
細胞は本当に分裂で増えるのか
世界のすべての学者が信じている細胞分裂説にたいして、「ウィ
ルヒョ−は間違っている」
といったのが千島喜久男なのだ。

千島の 「細胞は分裂によって増えるのではなく、体のなかを
流れる赤血球が日々細胞に変化し、この肉体をかたちづくってい
く」という新説は、医学の根本をかえ、私達の健康にかかわる大
問題なのだ。
しかし、この新説は私達の身近なところに届く以前に仲間であ
る科学者たちが「そんな馬鹿なことはない」と、頭から馬鹿にし
て無視してしまった。

千島の世紀の大発見

彼が発見したものは、ニワトリの卵の黄身(卵黄球)が赤血球
に変化(分化)し、 その赤血球が生殖細胞に変化している様子
だった。
千島は自分の眼と頭を疑った。
細胞は細胞から生まれる−−−−これは一八五九年にドイツの
ウィルヒョ−が“細胞病理学”のなかで発表していらい、生物学
の最も重要な根本原理だった。
ところが、千島の見たものは、生殖細胞でない赤血球から生殖
細胞が造られているという現象だった。どうやら、自分は生物学
だけでなく、それにつながる医学、遺伝学、細胞学、血液学の定
説を根本からくつがす世紀の大発見をやったのではないか。千島
は体のふるえを感じながら考えた。

千島は実験を何度も繰り返し行い、赤血球が細胞に変わること
を確認した。 そして、“卵胚子生殖腺の組織発生並びに血球分
化に関する研究”と題する論文が、九州大学農学部に正式受理さ
れたのは、一九四七年九月である。
正式受理された学位請求論文は、四ケ月以内に教授会に審査報告
をする規定がある。それなのに四年もの間ほうっておかれた末、
論文の取り下げを要求されたのである。

このとき千島の論文は 九州大学内部の問題ではなくなってい
た。日本の生物学会のすべてが、千島の新説にこぞって反対した
のである。「血球と細胞は別のものだ。その血球が細胞になるな
どとは、犬が一晩で人間に変わるようなものだ」と批判した。
「犬が一晩で人間に変わるなどと言っていない。ニワトリのタマ
るのに、世界の学者は生命は変わらないものとしてとらえている
からだった。

現代の最も進歩的な生物学者に、生物とは何かと質問すれば、
生物は一つの機械だという答えが返ってくるだろう。
「遺伝情報が詰め込まれたDNAの指令にしたがった部品が集
まって決まった一方向に流れていく」 物理と化学の法則にした
がっている物質と変わりがない。
これでは生物の特性である心のはたらきがまったく考慮されてい
ない。
しかし、何よりも間違っているのは、自然の大法則である“全て
のものは変わる”ということを無視していることだ。
赤血球は細胞に変わり、また赤血球に戻る。この繰り返しこそ自
然の本当の姿であり、この事実は見ようとすればいつでも見るこ
とができるのである。

千島は血液の研究を中心にして、医学の常識と対立し、生命に対
して間違いをおかしている現代科学に挑戦したのである。

人間の血液はどこで造られる

赤血球は骨髄で造られる−−現代医学の定説になっている。
一九二五年、アメリカの三人の血液学者によって最初に発見され
た。彼らはニワトリや鳩を九日から一○日間絶食させ、骨髄を観
察、造血作用を確認した。
しかし、この実験はおかしい点がある。どうして長い間絶食させ
るという異常な状態で観察したのだろうか。また、それを健康な
体に適用してよいのだろうか。
千島は、ニワトリ、ウサギ、イヌ、ネコ、カエルなどを材料に、
栄養状態の良いときと、絶食させたときとを比較しながらさまざ
まな実験を繰り返したのである。
その結果、食べ物の消化物が腸の繊毛に附着し、それが腸粘膜に
吸収される過程で、アメーバに近い姿に移行し、やがて赤血球に
成熟し、それが血管に流れ込むのを確認したのである。
植物には根があって、そこから水分、栄養分を吸収し成長してい
る。動物の場合、その根に当るのが腸の繊毛であったわけだ。

脊髄のない動物は骨髄がないから、血球は消化器で造られてい
る。しかし人間や脊椎動物の血球も、発生の最初の段階では卵の
表面の繊毛、ついで胎盤のせん毛、生後は腸粘膜のせん毛で造ら
れことを千島は発見した。
しかし、骨髄造血説は現代医学の基礎知識であり無批判に信じら
れている。
それは骨髄の中に多種多様な細胞があることと、飢餓もしくは栄
養不足のときに、造血作用が認められるからである。だが、骨髄
の造血作用は、真の造血ではない。
なぜなら、骨髄は健康状態のときは脂肪が充満していてとても血
液は造れないからだ。飢餓および栄養不足では血液が補給できな
いから、細胞が血球に逆戻りしているのである。
“異所造血”といって骨髄以外にみられる造血作用同様である。

赤血球の解釈がこんなにも違う

千島の新血液論をまとめてみると
消化された食べ物が赤血球になる。
赤血球は腸で造られる。
血管は閉鎖系であり、赤血球が組織にとび出しているのは炎
症など病的な場合であるというのは間違いだ。
毛細血管の先端は開いていて、赤血球は組織と組織の間に入
り込む。
健康で栄養状態のよいとき、赤血球はすべて細胞に変化する
体が病気の方向にむかっているとき、赤血球はがん細胞や炎
症細胞などの病巣の細胞に変化する。
断食や節食や大量の出血後、あるいは病気のとき、すべての
組織細胞は赤血球に逆戻りする。
負傷などでからだの破損したところを再生するのも、赤血球
が組織に変化するからである。

以上のことを平たく言えば、食べたものが血となり肉となるという
ことだろう。

健康の条件は、血液を淨くすることと、血液の流れを良くす
るにつきる。逆に病気の場合は、血液の汚れと滞りが原因すること
になる。 (とどこおり)

“気血動の調和”

精神の安定(気)−−−−−−精神の乱れは血液を汚す
正しい食生活(血)
適度な運動(動)−−−−−−運動不足は血液を滞らす

薬づけでサリドマイド事件はまた起こる

もし、医学者や薬学者が血液と健康の問題をはっきり認識していた
ら、大きな問題にならずにすんだのが、あのサリドマイド事件であ
る。
千島は早くから妊婦への薬の危険性を警告していたのである。
「赤血球は細胞の母体である」という自説から、医学界や製薬会社
に警告し、一般にも啓蒙した。しかし学会は無視した。
胎児が薬品で麻痺したり鈍ったりすると、血管も血球も発達が不活
発になり、手や足の発育はとまってしまう。
いつ第二の事件がおきても不思議ないほど人間の体に影響する薬は
年々増えているのだ。

輸血は危ない!

血液がその人の本体であれば、輸血は他人の生命をもってきて自分
の生命に置きかえているようなものである。
欧米諸国では二五○万人の輸血拒否運動を続けているクリスチャン
がいる。輸血を拒否し代用液を使用している病院や患者は、信仰に
よるものであるが、輸血をしている病院よりも死亡率が低いという
のである。
しかし、純粋に医学的な見地から判断し、輸血を避けて代用液を使
用して成功している例が、外国では多数報告されている。
ベ−リ−博士は、「出血による赤血球の激減は、生命をおびやか
すものではなく、代用液のほうが血しょうや血液そのものの輸血よ
り実際に有効である。」
A・J・シャドマン博士は、「私は二万例以上の外科手術を行っ
てきたが、輸血をほどこしたことは一度もない。私は普通の食塩水
を多く飲ましただけである。
その方がいっそう良く、また安全である。血を失ったどんな症例に
もこれを使ってきたが、死亡例は一つもなかった。
チョークのように血の気が失せ、石のように冷たくなっても患者は
生きのびてきた」
と報告している。
このように、輸血を代用液にかえて成功した例はいくらでもある。
なのに危険きわまりない輸血が、あたりまえのように行われてい
る。それは二リットルの血液を失えば、二リットルの血液を補充し
なければならないという、間違った機械的な医学を信じているから
である。

千島学説は、「血管内に注入された血液、特に赤血球は病巣に集ま
り、病的になっている組織をますます拡大し悪化させる。」と言っ
ている。

医師が知っている輸血の恐ろしさ

輸血直後に起こる副作用として溶血反応がある。これは不適合な輸
血を受けたため、血液の中に抗体ができて、外から入ってきた赤血
球を破壊し、それを溶かそうとする反応である。
重症であれば二時間から三時間、あるいは二日から三日で死亡す
る。おきたときの死亡率は五○パーセント。
この溶血反応は、防ぐことはできない。どのように適合性を調べて
輸血しても、この反応がおこる場合がある。
どんなに医師が努力して血液型の分類、より細かな適合性を調べた
ところで、溶血反応が皆無にならないのは、
「血液は指紋と同じように、その内容はそれぞれ異なっている」か
らだ。

全輸血者の二十パーセントに発生するといわれている血清肝炎
は、輸血後五十日から百五十日の潜伏期を経て発病する。
一九七一年のアメリカの報告によると「輸血によって血清肝炎に
かかるものが年間三万人、そのうち三千人ほどが死亡。潜在性の
ものを含めると年間十万人が輸血による血清肝炎にかかっている
ものと推定される」

あのエイズも血液の病気なのだ

アメリカからの輸入血液にエイズ患者のものが含まれていないと
いう保証はない。
エイズ問題が起こったとたん、フランスはいちはやく外国の血液
の輸入を禁止してしまった。西ドイツ、イギリスも追従した。
しかし、日本の厚生省は動きを見せていない。
「すべての病気が血液の汚れと滞りから」という千島学説から、
エイズもまた血液の病気である。

第3章[生命誕生の謎をさぐる]

地球上に生命がどのようにして誕生したのか、また、今でも地球
上で生命は誕生しているのかどうか−−−−−これは昔から科学
者が夢を抱き続けてきたテーマである。
論争の末、今日の生物学者の共通の結論は「バクテリア、ウィル
スといえども親なしには自然発生はしない。」という生命自然発
生の否定で落ち着いている。
それでは、人間の赤ちゃんが生まれたとき、腸の中は無菌であ
り、生後二、三日たつとビフィズス菌という乳酸菌が繁殖するこ
との説明はどうするのか?
トップクラスの専門家でも腸内細菌の発生については謎である。
なぜなら微生物の自然発生を信じないからである。
世界の学者が、自然発生の否定をどうしてかたくなにまもり続け
るのだろうか。
そのもとをたどれば、一二○年前のパスツールの実験結果がいま
だに世界の学者の定説になっているからである。
このパスツールの説に反対し、バクテリアの自然発生を肯定する
説を唱えたのが千島喜久男である。
一九五八年、カエルの血液を腐敗させて、そこにバクテリアを自
然発生させる実験観察に成功した。
バクテリアは有機物の腐敗から新しい生命を得て、親なしで発生
したのだった。
世界的な食養の大家、桜沢如一氏も千島説を支持した。
「パスツールの実験は、大自然をビンやつぼの中ととり違えてい
る。彼は細菌の自然発生の否定に熱中しすぎて、その起源につい
て考えることを忘れている」と。

牛山、後町の両博士は「血液銀行で保存する無菌処理された血液
は、たとえ冷蔵庫のなかにおいても、十日以上経つとバクテリア
は自然発生する」と発表 。
元科学技術庁顧問、斎藤憲三氏は蒸した米から、麹菌(バクテリ
ア)の自然発生することを発見した。
さらに、これは工業技術院に追試の実験を依頼して確認された。

千島説に対しての学会の反響はあった。がしかし、反発はそれ以
上につよく、結局、この自然発生説はほかの新説と同様に黙殺さ
てしまった。

パスツールの実験にはトリックがあった

千島はパスツールのおこなった実験と同じ条件、同じ器具を使
い、追試の実験をおこなった。
そのとき、千島は奇妙なことに気がついた。
パスツールの説は実験の範囲では事実であるが、自然界一般の法
則にまで拡大解釈するには理論的な矛盾をもっているということ
であった。
生命の自然発生にはつぎの5つの条件が必要である。
適当な温度 水分 空気 栄養分
一定の時間的経過(自然の季節)
パスツールの実験にはこれらの条件を充たしているものといない
ものがある。
まず、試験管内の肉汁を摂氏100度の高温で過熱したこと。これ
ではバクテリアの栄養源である有機物は熱変成して自然
態に変質してしまう。
つぎに、生物が生きるために必要な酸素をふくむ空気を過熱して追
い出し、酸素欠乏の状態をつくりだした。
そして、急激に温度の変化を与えたということは、自然界の季節の
変化(一定の時間的経過)を無視しているのである。
自然の状態では冬から春、春から夏というように徐々に温度が上が
るにつれ、生命は活発な活動を開始する。バクテリアの自然発生が
容易になるのは温度の推移が影響してくるのである。

パスツールは自然というものを無視して、機械論的に自然発生を
否定したのである。
結論として、バクテリアの発生は、空気のなかにまじっている細菌
やそのたね(芽胞)が、肉汁のなかに落ち込んだものと断定した。
彼は、自然発生を否定する実験には、歴史上まれにみる巧妙な仕掛
けをあみだしたにもかかわらず、この“空気の中のたね”を親とし
て、バクテリアが分裂して増殖することを証明する装置はまったく
つくらなかった。

これはパスツール説の盲点中の盲点なのだ。生命は空気(酸素)が
なければ生きられない。この実験は缶詰めの製造には有効だが…。
このトリックに気付いたのは千島しかいない。
また、パスツールはバクテリアの自然発生を否定したまま、それで
は“微生物はどうしてできるのか”という問題を捨ててしまってい
る。

地球上最初の生物はどうして発生したか

この問題に果敢にも挑戦したのが、ソ連科学アカデミー会員のアレ
クサンドル.オパ−リン博士である。
生物がまったく存在しない太古の地球上では、始めは無機化合物か
ら有機化合物が合成されなければならない。
オパ−リンは“生物で無いものから生物が誕生した”という問題を
研究発表して、世界から脚光を浴びたのである。
だが、オパ−リンは、これは何億年前のある時期にたった一度だけ
であるといっているのである。
その理由は、今日の地球上には生命がすでにできていて、地球は新
しい生命を発生させる段階を過ぎているからだという、なにか奇妙
な理由をつけている。

オパ−リン説−−無機化合物から生命の一歩手前の物質(有機化
合物)を経て微生物が生まれる。
千島説−−生物の崩壊によってできた有機物から細菌が発生する
を第一次生命の発生、 を第二次生命の発生とよべば混乱は少
なかっただろう。

しかしオパ−リン説は世界でもてはやされ、千島説は黙殺されてい
る。

感染ウィルスは輸血そのものが原因

この千島説を医学に照準をあてると、いままでの伝染病のイメージ
が、まったく変わってしまう。
たとえば、現代医学では感染ウィルスの原因を輸血液の中にまじっ
ていたウィルスの感染によるものだと説明する。
しかし、千島説からみると輸血による血清肝炎は、供血者の血液に
ウィルスがまじっていなくとも輸血という不自然な影響によって起
こり得るという。

血液は指紋と同じように百人いれば百人、千人いれば千人の血液
型がある。学問上は適合型であっても厳密には不適合である。
この千島説を医学に照準をあてると、いままでの伝染病のイメージ
が、まったく変わってしまう。
たとえば、現代医学では感染ウィルスの原因を輸血液の中にまじっ
ていたウィルスの感染によるものだと説明する。
しかし、千島説からみると輸血による血清肝炎は、供血者の血液に
ウィルスがまじっていなくとも輸血という不自然な影響によって起
こり得るという。

輸血によって肝臓は充血し、そのとどこおった血液が肝細胞に変
化してますます肝臓は肥大する。
すると細胞の活力が弱まって、そこにウィルスが自然発生すると
いうのが千島の考え方である。
現代医学の考え方とは順序が逆なのである。
つまり輸血はどのようなものであれ、血清肝炎の危険性から逃れ
るすべはないのだ。

だがこの危険きわまりない輸血禍は、当分つづくだろう。これを
なくするには、私たちが輸血を拒否するつよい信念をもつことが
第一である。
いずれにしろ、新しい医学が確立したときには、医療から輸血と
いう方法が消え去るだろう。

ハンセン氏病対策に盲点がある

千島は外からのウィルス感染が原因ではなく、悪化した体の組織
から発生するウィルスが原因すると言った。
このことはハンセン氏病(ライ病)について考えてみるとよく分
かる。
ハンセン(ノルウェー)は、一八七一年ライ菌を発見して、「ラ
イ病は細菌に感染して起こる」と発表。
現在にいたっても大多数の医学者がこのハンセンの説を信じてい
るのである。

ところが千島は、ハンセンの説に反対する論文を書いたのであ
る。
そのひとつが『現代医学のハンセン氏病対策の盲点』である。
まず、ライ病療養所の医師や看護婦でライ病に感染したものは
一人もいないということである。また、現代医学の言う、ライ病
は感染してから五年から十年の潜伏期を経て、はじめて発病する
というのが定説なのだが、あくまでも想像説なのだ。
ライ菌がどこに潜伏していて、いつ発病するかということを、五
年間ずっと追跡し、実証した学者は世界中に一人もいない。
さらに健康な人にライ菌を接種したところ、感染しなかったとい
う実験データがある。

このように、細菌の感染によって起こるという説は矛盾する。
にもかかわらず、いまなお伝染病説が根強く生きているのは、ラ
イ菌が存在するというたった一点に固執しているためである。
千島はハンセン氏病の原因を、不規則で不衛生な生活を続けたか
らとみる。

精神的ストレスがたまれば血液がにごる。不衛生な食事は悪い血
液をつくる。怠惰な生活をすると血液は滞り、変化しはじめる。
神経の障害があれば、血液から正常な細胞はできず、変質した細
胞になるだろう。こうした悪い条件がいくつかかさなって、体の
組織の細胞が少しづつ老化して、え死にまで進むのである。

“ライ菌に感染して体が腐敗するのではなく、細胞が腐敗してそ
こにライ菌が自然発生したわけだ。”

医学は人を救うための応用の一方法である。

八千人の日本のハンセン氏病患者を間違った隔離から解放する義
務は医師に課せられた問題だろう。(アメリカなどでは隔離方式
をやめ、外来を主とする方法に切り変えている)

伝染病と流行病はまるで違う

千島説から医学を見直してみると、私たちが今まで信じてきた伝
染病ももののみごとにくつがえされてしまう。
一般にはその伝染病の感染経路が不明であっても、ウィルスが患
者から発見されれば、どこかで感染されたものと断定される。
伝染病と言えば、細菌、ウィルス、原生動物など、それぞれの病
原微生物に感染して起こるのが、常識となっているからだ。
ところが千島は、からだが弱ってくると細胞や組織が病的にな
り、それが腐敗の方向に変化すれば、そこに細菌やウィルスが自
然発生すると説く。

もちろん、はっきりした感染ルートがあり、抵抗力の弱いものだ
けがその病原菌にかかるという場合もある。
これは文字通り伝染病だ。
いっぽう流行病というのはからだそのものが弱っており、加えてま
わりの環境の激変などの影響をうけたとき、病原体がからだのなか
に自然発生し、伝染病と言われているものが同時多発的にひろがる
場合である。

流行病というのは感染病ではないのである。

現代医学では、こうした場合でも感染ルートを必死にさがそうとす
る。これはバクテリア、ウィルスが自然発生することを認めないか
らだ。
だいいち、病原菌がからだのなかに入ったからといって、かならず
発病するとはきまっていない。
ドイツの有名な衛生学者ペッテンコ−フェルは、それを証明するた
めに、自分のからだを実験台にしてコレラ菌を飲んだが 何ともな
かった。有名な話である。
千島の新説を医学界が検討すれば、同じ意味に使われている伝染病
と流行病の違いが明らかにされるだろう。

自律神経の刺激で伝染病が起こる。

「病原菌は病気の原因ではなく、病気になった結果である」 とい
う千島説を裏づける研究をフランスの外科医、レ−リィが、一九四
三年にとなえた。
“レ−リィ現象”というもので、自律神経を刺激すると、病原菌が
外から入ってくるのでなくとも病気になるという新説をうちだし、
実験で実証してみせたのである。
この実験には病原菌は一つも入れていない。ただ自律神経を強く刺
激するだけで、結核、腸チフス、赤痢などの伝染病の症状を発生さ
せたのである。
これまでの伝染病学説では考えられない革命的な発見だった。
しかしこの実験は余りにショッキングであったため、かえってたい
した反響をよび起こさなかった。
この画期的な発見は、千島の“細菌の自然発生”を支える重要な実
験なのだが、今日まで医学界はこの発見を無視しつづけている。
今までの考え方と根本的に異なる学説は、どこの国でも、いつの時
代でも、すぐさま認められるというのは難しいものなのだろう。

第4章[現代医学は人間を無視している]

がん細胞の増殖が早いとはかぎらない
医師はがんの治療には無力である。それは、現代医学ががんの原
因を究明できないでいることにある。
千島は「がん細胞は血球からできる」と唱えた。
これは血液が変化して、からだを構成する細胞をつくるという千島
の血液理論にもとづいている。
つまり、健康な生体であれば血球は正常な細胞になるが、からだが
病気のときには病気の細胞をつくりだすというわけだ。
だが現代医学は千島理論をかたくなにこばむ。そんなバカな!と頭
から信じないのである。

現代の医学は“細胞は細胞から”というウィルヒョ−学説の束縛
を受け、それから解き放たれていない。
細胞は分裂によって増殖する。とくにガン細胞は分裂が速やかであ
るというのが現代医学の常識になっている。
確かにガン細胞は、その増殖が早い場合がある。
しかし全てがそうではない。たまたま早い場合だけをとりあげて、
がん細胞は放っておくとどんどん増殖してとりかえしがつかなくな
るというのはおかしい。

千島は「細胞は分裂によって増殖するのではない。分裂もありえ
るが、細胞はあくまでも赤血球が変化して増える。がん細胞でも同
じことだ」と言う。
生物の教科書のなかに矛盾がある。
わたしたちが学校で習ってきた細胞についての知識が、どうも
間違っているような気がする。
中学時代の生物学を復習するつもりで考えてみよう。

細胞は生物の単位である。アメーバやクロレラなどは一つの細
胞、つまり単細胞でそれが生物全体である。白血球も一つの細胞
でなりたっている。
私たち人間はその細胞がおよそ四○○兆集まってできている。
細胞には中央に一個またはそれ以上の核があり、その周囲は細胞
質にとりかこまれ、外面は細胞質におおわれている。
この細胞質は、タンパク質、脂肪、水分などから成り立ってい
て、栄養を外から受けることができるし、不必要なものを排泄す
ることもできる。呼吸もしており、刺激されれば反応する。
自分で成長する力をもち、増殖する力をもつ。
これは細胞の定義であり、ここになんの問題もない。

しかし、すべてのものが枠のなかにはまるとは限らないよう
に、生命の世界ではとくにこうした定義におさまらない現象がい
たるところにみうけられる。
これをどう考えるかということで、学問は変わってくるし、医学
のあり方も変わってくる。
問題の赤血球にしても、これを細胞とみなすかどうかで医学は
まったく変わるのである。
両生類、魚類といった動物の赤血球には核があり、細胞としての
条件をほぼ充たすから、細胞の仲間にいれてさしつかえない。
ところが、人間など哺乳類の赤血球には核がない。これは細胞と
はいえないのである。

一方、リケッチア、ウィルスは核だけあって、周囲の細胞質が
ない状態であるから、これを細胞と見る学者はいない。
しかし自分の子を生むという能力をもってするから生物の仲間に
いれてもおかしくない。
ところが生物というのは細胞の条件を全て充たしたものだとみる
とリケッチア、ウィルスには矛盾が生じる。
これは学問の常識が自然の姿を無視しているためで、細胞の意味
にしても実は生命の本来もっている連続性に対してある一線を引
き、細胞である、細胞でないと、人間が勝手にきめたのである。

しかし生命の真実は境界がはっきりしない、深いつながりを
もって連続しているのだ。

自然のままで細胞分裂が見えるのか

細胞は細胞分裂によってのみ増えるという常識、この一点が正
しいとすれば、千島学説のほとんどは崩れ去ってしまう。
逆に、「細胞は細胞でないものから新しく生まれる」という千島
の新説が正しければ、世界の生物学が狂っていることになる。
生命体の基本となるこの点をはっきりと見きわめなければ私たち
は大きなあやまちを犯すことになるだろう。
そこで千島学説に対する疑問を質問してみると、

質−私たちは細胞が分裂している姿を、テレビの映像や雑誌のグ
ラビア写真でふんだんに見ているがあれは一体なんですか?

千島−細胞を研究する場合、生きたからだのなかの自然な状態で
観察するのが理想なのです。しかし、今日までのいろいろな細
胞学の成果は、組織から切り出した標本、つまり死んだ細胞を
研究したものが、その中心になっています。

質−技術的にやむを得ないんじゃないのでしょうか

千島−そうです。自然のままで観察できないから、生物のからだ
からその部分をとりだして調べる。しかし、この操作そのもの
が、もうすでに全体とのつながりを切るという不自然をおかし
ている。細胞のほんとうの姿や働きに対してもうその時点で悪
い影響を与えているのです。

質−とりだした細胞は合理的な培養器で培養し、温度も一定に保
ち、できるだけ自然に近い環境をつくりだしているわけですが

千島−それはあくまでも人為的なものであり、今日の培養技術は
まだ理想的ではないのです。それをですよ、光学顕微鏡や電子
顕微鏡で、不自然な強い光線や電子を当てて観察するのです。
細胞は光や電気にはきわめて鋭敏な反応を示します。その反応は
自然の状態では決して起こさない反応です。
だから私たちは細胞の自然状態を乱さないで、細胞の微視的な世
界を観察することはできないというわけです。

質−それが生物学における不確定性原理というわけですか。

千島−だからといって細胞の研究に悲観論をもちこもうとしている
のではないのですよ。生きた細胞を観察する仕方として自然に近
い条件を考え出す余地はいっぱいありますから。

質−わかっています。

千島−私が問題にするのは、これまでの研究ではこの点があまり考
えられていないと思われるからです。
一例を挙げれば、最近生きた細胞の分裂していく様子を、位相顕
微鏡を使って映画に撮ったものが発表されました。
多くの生物学者は、これによってウィルヒョ−の学説にますます
確実な基礎をあたえたものと信じている。私のいう不確定性原理
的な疑問をもつ学者は誰もいないのです。

質− すると教授は、映像が示した細胞の分裂運動は事実でないと
おっしゃるのですか。

千島−いや映像そのものはトリックではなく、まさに事実です。私
はその映画に写されたものが事実かどうかを問題にしているので
はないのです。

質−と、おっしゃいますと?

千島−確かに映像に示されている細胞は分裂しています。反自然的
な条件化においてです。しかし、その事実が自然な状態でも分裂
行動を起こすかというとそうではない。

質−それは人工的産物だということですか?

千島−その通りです。リンゲル氏液を使い、強い光線をあたえたな
かで分裂が進んだからといって、自然な状態でも同じであろう
と考えるのは、たいへん危険なのです。

質−それで教授は別の事実から“細胞は細胞でないものから新しく
生まれる”という説を提唱され、細胞の分裂を否定されるわけで
すね。

千島−間違ってもらってはこまりますよ 。私は“細胞は細胞分裂
によって増殖するという細胞分裂説”を否定してきたのです。
しかし“細胞が分裂する”という事実まで否定したりはしていま
せん。

質−…………………………

千島−研究者は正常な細胞では観測できないため化学物質を使い、
レントゲン線のような物理的な処理などをして、分裂を促進させ
ているのです。また自然界にも細胞分裂は皆無とは言えない。

質−なるほど

千島−で、私は自分の観察の結果から“細胞は主として 細胞新生
で増殖する”と、唱えつづけてきたわけです。
ところが現代の生物学者は、細胞分裂を絶対の事実と信じている
から、他の生物学的事実と合わなくなって、たとえば遺伝学の法
則と細胞学の法則の間で矛盾を起こしてくるわけです。
なのにそれをなんとかつじつまを合わそうとするから、ますます
ややっこしくなって、現代生物学の混乱たるやたいへんな状態で
す。
そして応用学である医学にも影響し、医学にも大きな間違いを起
こしているのです。

がんと食生活の関係が分かった

がんの原因は現代医学ではまだ解明されていない。
かりにウィルスが見つかったとしても、それは千島説から見ると
「がんになったため発生したウィルス」であるから、原因にはなら
ない。
千島の血液理論は、がん細胞も赤血球が変化したものであるという
ものだ。
その原因は反自然的な生活にある。精神の乱れや間違った食生活な
どがかさなると、血液を悪化し、悪化した血液は正常な細胞に
ならず、がん細胞になるのである。

精神の健康は血液を浄化し、そして流れをよくするが、腹を立
てたり、恐怖したりすると血液に毒素を持つ。これは科学でも実
証されている。そして間違った食生活とがんの関係は、今日、常
識になってきたようだ。

このことは、有名な「マクガバン・リポート」(アメリカ)で
もよく知られている。
このなかで「がんおよび成人病の原因は九○パーセント以上食事
である。動物性の食べ物、加工食品をとっているアメリカ人の食
生活に原因がある」と言っている。
これは、食べたものが血液になり、その血液が細胞になるという
千島説にあてはめれば、いとも簡単に解明される問題である。

がんは切るしかないのが現代医学だ

医療の実態は、まず手術という考え方がその基本で、それがで
きない場合、抗癌剤投与、放射線療法となる。
癌細胞との調和という平和的な療法はないのである。 マクガバ
ン・リポートによってその後のアメリカ医療が変わったかという
とそうでもない。とにかく切って切って切りまくるというのが実
態だ。
そこには生命とか生体に対する尊厳が忘れられているのだ。やは
り西洋思想においては、人間も一つの物質であるという見方があ
り、病気は完全に悪だという考え方なのである
疾患の部分はもう必要のないものだという考え方に立っている。
日本の場合でも、現代医療の切り札が手術と化学的新薬であるこ
とには変わりがない。体を切りきざむ手術、そして患者の薬づけ
といった医療行為は、医学が非人間的なものになってきた証拠で
はないだろうか。

(後半へ続く)

.
.

転載元
千島学説1(間違いだらけの医者たちより)
http://members.tripod.co.jp/akyonn/tisima1.htm
千島学説 2(間違いだらけの医者たちより)
http://members.tripod.co.jp/akyonn/tisima2.htm

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

あ、これも転載だったのか・・・・

その転載元は? 今は消えている・・・akyoン(?_?)

 

 

 

 

 

 

 

 


最恵 千島学説(後半)

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こんだは、最恵

もっとも人類が恵みを受ける千島学説(森下学説も同様だろうが)

それは誰それが作った理論というものではないのですね。

それを「学説」として、なんか創作した学問かのようにされてしまったのですが、本来学説などというものは実際の起こっている現象をそのまま正直に観察して正しく理解した場合に限り【学説】とされてもいいのですよ。

しか~~し、現代医学の学説というのはかなり歪曲された学説ゆえに、本物を偽物であるかのように見えてシマッタ。

シマッタ学説がいかに多いかということを知るべきでしょう。

だれが?

あなたですよ、あなた~~~

(-_-;)ギク

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

ダイジェスト版

 

千島学説 2(間違いだらけの医者たちより) 後半 投稿日: 17/04/2001 投稿者:

(後半続き)

がん細胞もからだに必要なのだ

余りにも安易にからだを切りきざむ医師と、それに同意する患
者の軽薄な風潮。
たしかに患部をとりのぞけば苦痛は消え、たいへん効果があった
かに見える。だが生体が失ったものは永久に戻ってはこない。
からだには無駄なものはひとつもなく、すべての細胞がつながり
かかわってひとつのからだになっている。
がんにおいても、からだの全体を維持する装置がはたらいて、が
ん細胞があらわれてくるのである。

手術は療法ではない、疾患をとりのぞいても、血液の悪化とい
う原因が解決されていないから、同じ病気の再発が起こる。
がんの部分をとり除いても根本の解決にはならないのである。
病気の部分をからだから切りとってしまうのではなく、その部分
を健康な状態に戻すべく努力するべきではないだろうか。

ほとんどの人ががん細胞をもっている

(加藤師の談)
1、四○歳すぎればほとんどの人ががん細胞をもっている。その
がん細胞を病院の検査で発見され、現代医学の治療を受けた人
達が死んでいる。
2、癌細胞は、食生活をはじめとする生活改善をすればそれ以上
大きくならない。それどころか小さくなっていく。がん細胞が
消滅しないまでも、癌細胞と共存して生きていくことができる
3、病院で過酷な検査を受け、手術、抗がん剤投与、放射線を照
射された患者は、正常細胞を痛めている。その結果、腸の繊毛
をやられた人はほとんど回復しない。

癌研究会研究所の管野晴夫所長は、
「各病院の解剖結果によると、高齢者の五○パーセントに癌が存
在し、早期がんクラス。このような人達も生前はがんだという診
断は下されなかったし、症状もまったく出ていない。ほとんどの
人はなんらかの癌を体のなかに持っている。臨床がんはそのうち
のごく一部のものが顕在化したものと推定される」
と発表。
加藤師は「がんは健康な人でももっていると考えたほうが正しい
それを早期に発見して手術する医者の行為は間違っている」という
がん細胞は人間の体をつくっている細胞の一部であると考えたと
き、医療機関がしきりに宣伝している 癌の定期検診による早期発
見、早期手術はいったいどういいう意味をもっているのだろうか。
高齢者の約50パーセントに癌が存在することが分かった今日、
二人に一人は外科医のメスを受けなければならないっことになるで
はないか。
自然に反するそのような行為が許されるはずがないと加藤師はいう

千島学説を支持したパリ大教授

「がん細胞は病的になった血液中の赤血球が変化して生ずるもので
ある。細胞分裂にとってどんどん増えるのだという、従来の定説は
誤りである」(癌細胞血球由来説−−一九六一年発表)
この論文は国内での評価は受けず、無視もしくは黙殺された。
ところが四年後の一九六五年になって、パリ大学の教授アルペンが
[がん細胞の血球原説]という、千島と同じ結果の学説を発表し、
大きなセンセーションをフランスで巻き起こした。
そのとき、血液学者ステファノポリ−博士が千島の優先権を認めた
ものの、全体の流れとしては細胞の分裂を信じる生化学者、医学者
によって、この新説は結局、無視されるかたちになった。
千島はその後も研究を続け、癌細胞の自然治癒を示唆した。

老化は腸内細菌が原因になっている。

癌をはじめとする病気の治療及び予防には、食べ物の内容と胃腸の
環境をよくすることである。
食べ物と胃腸が健全なら、きれいな赤血球が作られるので病気にな
らない。
癌に限らずほとんどの病気は全身病であるから、局所だけ治療す
るという現代医学の治療は間違っている。
健康を保つ条件の一つは少食であることだ。特に動物性タンパクの
とりすぎは腸内の腐敗をおし進め、反面新鮮な自然な野菜は血液を
きれいにする。
腸内に有用といわれる乳酸菌は外から入ってきたものではなく、食
べ物から自然に発生してくる。(ヨーグルト内と腸内の乳酸菌の種
類は違うことに注目)
菜食主義者なら充分にビフィズス菌が発生することを提唱した。

生物の体を借りて原子転換ができる

微生物の作用によって食品が分解され変化することを醗酵と腐敗と
に分けて呼ぶが、これは人間にとって有害か無害かというまったく
人間本位の分け方である。
すなわち微生物は非常に低いエネルギーで原子転換する能力をもっ
ている。これを実験したのが、有名なフランスの理論物理学者ケル
ブランである。(生体内原子転換説)
この説は、科学の常識から考えると奇想天外な説である。なぜな
ら、今日の原子物理学では、何一○万ボルトという巨大なエネルギ
ーを使うサイクトロン装置でなければ、原子転換は不可能だと考え
られているからだ。
しかし、生物のからだを借りれば、たとえ小さな植物や酵母のよう
な微生物でも、その数百万分の一のエネルギーで原子転換ができる
というのだ。この新説を応用すれば、今までの科学では説明できな
かった多くの科学上の謎が、一挙に解明できるのである。
たとえば、いろいろなビタミンやカルシウムなどが生体の中で新し
く合成されるわけも、説明できるようになるだろう。
千島はケルブランの生体内原子転換説によって自分の学説が説明で
きることを知った。
この考えからいくと、草ばかり食べている動物が肉や玉子や乳を毎
日生産している謎も、体の中の原子転換説で説明できるのである。

なぜ菜食主義者は長生きするのか

ケルブランや千島の新説を認めれば、生物学や化学が変わり、その
応用である医学や栄養学も変わる。
現代の栄養学では、タンパクは動物性であれ植物性であれ、欠くこ
とができないというのが通説だ。

脂肪や炭水化物(窒素を含まず)は蛋白質(窒素を含む)の代用
ができないという考えだから。

しかし、ウシやヒツジ、ウサギが、タンパク質の少ない草を主食
として多量の乳汁を分泌したり、筋肉を発育させている。その事
実を現代医学や栄養学では説明できないのである。

無残!少女の腕を切り落とす

私は五年間加藤師のガン自然治癒の実態を見てきたが、現代医学
では、がんは救えないのでないか。病院では患者に苦痛を与え、

逆に寿命を縮めているのではないかという疑問をもった。
十八年間に十三回の手術を受けあと半年くらいの命というのに、

これ以上手術はできないから腕を切り落とすといわれた少女の例
があった。

医師は何を考えているのか!加藤師は怒りをあらわして言う。
このような患者不在の医療が、どんどん進んでいることは確かで
ある。
四人に一人が癌で死んでいる。これは他人ごとではない、自分が
なったときには自分で治すよりほかに道はない。
加藤師の道場は、現代医学で見放された人ばかりを相手にしてい
る。その中には助かる人も出てくるのだ。
特別な治療をほどこすのではなく、患者自身の自然治癒力をたか
める方法であり、患者自身が治しているといえる。

加藤式療法をしのぐ療法はいづれ開発されるだろうが−−−。
現代の若者は自動車やテレビなどの知識をもっているが、一番大
切な自分のからだのことについては何も知らない。

無知こそ病気の最大の原因ではないだろうか。一般の人が健康に
対する知恵を得ることが、全ての病気に対する根本であると思う

第6章[生命弁証法ですべてが解決する]

エントロピーの法則は本当なのか
エントロピーの法則とは、言いかえてみれば、時間は矢の飛んで
いくように一方向に進み、再びもどってこないことを意味してい
る。
しかし自然界にはこの法則に当てはまらない例がたくさんある。
生物がそれだ。体の内部と外部の間で、つねにエネルギーの出入
りが自由であるからだ。
千島はこのエントロピーの法則に真っ向から反対する。
その理由は、エントロピーの法則は、自然の姿の片面だけしか見
ていない。つまり、自然界の一方だけを支配する“死の法則”だ
という。
自然界にはもう一つの“生の法則”がある。この“生と死”の両
面の法則でものごとを見なければ、事実を見落としてしまうと、
千島は言った。
生命弁証法は、「全てのものは繰り返す」ということを原則にし
ているのである。

生命弁証法ですべての現象を説明する

千島は現代生物学、医学の常識を破った学説を次々に唱えた。そ
れは彼に生命や自然をありのままに見る眼があったからである。

オスがメスに、メスがオスになる

「すべての事象は時間の経過と場所の変化に応じて絶えず流転する」

一人の人間をみても子供のときから晩年まで、すべてが変わって
くる。自然だけでなく、政治経済、社会生活、人間の心も常に変
わる。
ところが、現代の科学は、物事を変化しないものだとしてみてい
る。赤血球は赤血球であり、白血球は白血球であり、まったく別
の系統のものだとして区別している。しかし、千島はすべてのも
のは変わるという眼をもって顕微鏡を覗いた。
そしてそこに赤血球が核をもつ白血球に変わり、それがさらに細
胞に変化することを発見した。そればかりではなく、細胞が赤血
球に逆戻りすることも発見した。

現代医学は中間を認めない。しかし生物の世界では、オスがメス
に、メスがオスになることはいくらでも知られている。
人間も発生の時点では両性的で、まだ男とも女とも決まっていな い。
そういう要素を潜在的に持っていると考えられるのである。 突然変異とはわけがわか
らないこと 生物は環境によってからだのかたちや、性質を変えていく。生後に 起こるよ
うな変化は、その生物の一代限りのものであって、それは 子には伝わらないと、現代の
遺伝学は言っている。

そして、生物が進化してきたその変化のおもな原因を“あるとき突 然”といった突然変異
で片付けてしまっている。 裏を返せばわけがわからないと言っているのと同じ意味である。
こ れでは納得がいかない。 生物はながい年月にわたって代々、子が親に似るという遺
伝と、環 境などによる親の変異を子に伝えるという、このふたつの要素をつ みかさねて
少しづつ変化して、そして進化したものである
しかし現代医学では細胞核のDNAという遺伝子によって、子供 へ、孫へと伝えられると
いう不変的な考え方なのである。
すべてのものは変化する。変わらないようにみえるのは観察の時間 が短いためである。
不安定こそ生きている証拠なのだ 「すべての事物は矛盾対立を内包し、その葛藤が進
歩や変化の原 動力となる」というのも基本的考え方であり、例外のない真理であ る。
自然現象や生命現象はすべての矛盾対立をそのなかにもっているの である。
すべてのものにひそむ対立は、男と女のようにお互いを補 い合っているが、それは決し
て固定したものではなく、ときにはマ イナスが、またときにはプラスが優勢になったりしな
がら流動的な バランスをたもつ。よせては返す波のようにその消長を繰り返して いる。
生物におけるこの矛盾対立は、常に動的(ダイナミック)で、そし てだいたいにおいて平
衡状態にある。完全な平衡状態ではなく、そ のとき、そのときによってどちらか一方が力
を持つ。完全な平衡状 態になると死を意味する。 老子は、 「一つの道は陰陽二気を生じ、
二は三を生じ、三は万物を生ず」 と述べている。 対立するすべてのもの、すべての現象は、
もともと一つのものが、 二つに分かれたのである。そしてその二つは一つに帰するという。

「自然や生命はおよそ調和しているが、少しゆがみをもっている。 そのゆがみこそ生命や
自然の真の波である」 と千島は述べ、すべての自然現象は、波動と螺旋性を基礎としてい
ると考えついたのだ。 なぜトカゲのしっぽは切っても生えてくるのか 「すべての事物は量
の蓄積によって質的変化が起こる」 たとえば、液体である水に温度の量を蓄積させる(摂氏
一○○度の 熱を加える)と気体になる。
逆に温度量のマイナス蓄積(摂氏○ 度)を加えると固体(氷)に質的変化する。
生物の進化をみてもこの法則をみることができる。単細胞のアメー バやバクテリアはその
構造や働きが単純で下等であるが、そのよう な細胞が約四○○兆集まったものが人間だ。

生物は細胞の集まりだが、その成分である細胞をある割合で加えて みても、生きた人間や
生物は生まれてこない。 生物の持つ全体性は、部分のたんなる寄せ集めではなく、なにもの
かがプルスアルファされて、新たに獲得されたものをもつからだ。 生命体はたんなるたし算
以上のものをもっている。 だから、からだは健康なときでも、病気のときでも、生命を維持し
よう、正常に回復しようという方向に働く。

全体が部分より優位に立っている証拠の例として、トカゲのシッポ であり、高等動物では
傷や骨折が自然に治ることである。 これは生物のからだが機械とは違う点である。
このように生物は全 体性をもち、全体のために部分を規制する。 癌細胞にしても、癌細胞が
あらわれなければ、からだは全体として もっと悪い方向にいくからだ。

すべてのものには経過中の中間点がある

科学は一般にはっきりしているのものだけを対象にし、不明瞭で
ぼんやりしているものを嫌う傾向にある。明瞭なものを尊重する
という科学者の精神は当然なことだが、はっきりした事実があり
ながら、型取りできないいために、それを不明瞭だとして排斥す
るのは間違っている。

「組織学の実験をしていて、教科書には血球あるいは細胞の定形
的な特性を備えた図が記載されてる。しかし、実際に顕微鏡を覗
いてみると、血球とそれぞれの組織細胞との中間移行型の細胞が
見える。これはいったい何なのか。おそらく世界中の組織学者や
病理学者は解答、説明できない。

それは現代の科学が形式にとらわれてAともBともつかないもの
は、無意識にあるいは意識的に見逃しているからではないだろう
か」と現代科学のものの見方を批判して、千島は述べている。

千島の学説は、その研究のすべてが現界領域にある。ばくぜん
とした、この現界領域にこそ真理が隠されていたのである。

「すべての事物には、経過中の中間点がある。」とは、このこと
だ。
現代の生化学者が、赤血球はいつまでも赤血球としか考えられな
いのは、地球の一部をとらえて大地は直線であると考えてるよう
なものである。

生物と無生物を区別する必要はない

「自然は連続している」
人間のからだは外界とははっきり区別できると考えるのが普通
だ。しかし外気は鼻の穴から気管を通して、肺の膜でガス交換を
行っている。そこで酸素と二酸化炭素が出入りし、この壁が外部
と内部の境界となって人間は自然とつながっている。
消化器においても、口と肛門を通して外界に開いている。人間は
穴のあいたちくわのようなもので、消化器の内側は外部環境であ
るといえる。
その消化器のなかにつまっている食物は、腸の膜を通じて内部環
境である血液とつながっている。その食物が消化されたもの(食
物モレラ)は、腸と絨毛とのはっきりした境をもたず、連続して
移行している。
この発見が“腸管造血説”となった。
このようにすべては連続している。生物と無生物も連続してい
る。生物と無生物との区分は、人間が勝手に決めたものにすぎな
いのである。

現代生物学の定義からすれば、細菌やアメーバはどうにか生物の
仲間にはいるが、ウィルスやリケッチア(発疹チフスやつがむし
の病の病原体)などは生物とはいえない。ウィルスは「生きなが
ら死んでいる」などと言われるのもそのためである。
それらは、生物と無生物の限界領域にあるものともいえる。人間
が勝手に区分したために、居所を無くしてしまったのである。
生物の起源は、無機物が有機物になる時点で、そこから発展して
生物に進化する。 千島は無生物が生物になる可能性を説いたの
である。

本来、自然界は区切りなく連続してつながっているのである。自
然界にはなにひとつ、孤立し、他とつながりをもたないものはな
い。

逆成長で長生きすることができる

「すべての事象は繰り返しを原則とする」という考え方は、現代
科学の主流の考え方と対立する。発生、発育の現象と崩壊、破滅
への現象を一体にしたものが繰り返しの原理である。

現代科学の最高の法則と言われるエントロピーの法則が成立する
のは、宇宙がエネルギーの出入りのない有限の世界だと考える場
合であって、宇宙が無限であれば成り立たない。

老子は「陽きわまれば陰に転じ、陰きわまれば陽に転ず」と言っ
ている。自然というものは、限界になれば次にそれを減ずる力が
働き、まったく逆方向に向かう作用をもっている。

また「色即是空」という言葉は、科学的に言えば物質とエネルギ−
の関係をあらわしている。物質はエネルギーであるが、エネルギー
も物質であるということと、物質はエネルギーになるがエネルギー
も物質になるということである。
一日は昼と夜、一年は春夏秋冬、月は満月と新月、海岸の波は満ち
たり引いたりするように、この世の中のすべてのものは、成長と逆
成長を繰り返してなりたっているといえるだろう。

弱肉強食で進化したのではなかった

千島は、進化のもっとも大きな力は「自然界は共生でなりたってい
ることだ」と言った。
人間社会が、結局のところ、個人と個人の信頼関係にすべてがある
のと同じで、生物の進化も、種の違う生物との助け合い、総合扶助
で成り立っているのではなかろうか。
生物界を見渡して、まったくほかの種の助けをかりないで生きてい
る生物はいないのである。
化学的には親和力、物理的には同性電化をもつ分子の同性反発、異
性索引の法則にしたがうものから、細胞のように同性、異性の区別
なく、ただただ集合しようとする衝動にかられるものをも含め、す
べての物質は精神をもっているという。
もちろん、陰と陽の電気的単純なものから、高度に進化した人間の
精神的エネルギーに至るまで、その程度は異なっているが、根本に
は共生がある。
そしてこれは「親和力、または愛」という力によるものだ。

ベルギーの物理学者イリヤ・ロリゴ−ジンが最近注目を浴びてい
る。彼は一九七七年のノーベル化学賞の受賞者で、やはり、エント
ロピーの法則を超えようとする理論をもっている。
「宇宙の起源が、大きな爆発(ビッグ・バン)で始まったとした
ら、宇宙はたんなる花火にしかすぎない。自然界はビッグ・バンで
説明がつくほど簡単なものではない。近くに寄って見れは見るほど
複雑な世界がみえてくる。その複雑で、豊かな創造力にあふれた宇
宙では、すべてのものが流転する。そう考えると確率の法則などは
冗談にもならない。本当の世界はもっとデリケートである。法則も
あるが、例外もある。時間もあるが永遠もある。世界を自動装置の
機械だとする古い考えはもう捨て、古代ギリシャの発想に戻ってほ
しい。世界は芸術なのだ。」
最近、この理論を裏づけるようなバクテリアによる実験が紹介され
たという。
一般的には、物質は精神とは別個に独立した存在だと考えられがち
だが、物質と精神を含めたエネルギーについての正しい概念を持つ
必要を痛感する。

自然は不相称性(アシンメトリー)だからこそ美しい

物理学の世界では、素粒子の空間的な対称生のことを、パリティー
の法則と名づけた。そして、すべての原子は左右対称と認められて
いた。ところが一九五七年になって、中国の物理学者李政道と揚振
寧の二人が、パリティーの法則は成立しないことを発見した。後に
二人はノーベル賞を与えられた。
原子の世界でも右と左は相称性(シンメトリー)だと考えられてい
たのに、ふたを開けてみると不相称性(アシンメトリー)だったの
である。
ここにパリティーの法則が破られ、宇宙はゆがんだものだというこ
とがほぼはっきりしたのである。
「生命の形態はアシンメトリ−である」と言った千島の理論が、原
子レベルで証明されたのだ。
自然界における左と右は相性的にみえて、実はすべて不相称性であ
る。
人間のからだの内部、外部をみても近似的な意味での左右相称で、
あきらかに形も機能も不相称性である。顔にしても、必ず左右に少
しづつゆがみのあることを知っている。
原子という極微の世界から、地球、天体、宇宙空間といった極大の
世界に至るまで、自然はわずかに不相称性であることが分かって
きた。

千島は「真の美は少し不相称を含んだ相称である。不調和の調
和である。完全なる調和は死に通ずる。動きがないからである」
「人間は直線を好むが、自然は曲線を好む」と言った。
いままで延べてきたことをまとめると「生命現象は波動と螺旋運
動としてとらえるべきである」という結論になる。
自然や生命の現象は、決して直線的に進むのではなく、寄せては
返す波のように、月が満ちては欠け、昼と夜が繰り返すように必
ず波動をもっている。その繰り返しは同じ円上をまわるのではな
く、螺旋を描きひろがっていく。
それが千島の見た自然界だったのである。

現代の科学は唯物論的で分析的な見方によって、物質や機械や化
学の技術進歩を遂げてきた。しかし、無生物を相手にする物理や
化学にはその弊害も少ないが、生物学を基礎とする医学には多く
の問題を残している。

終章[自分の生命に責任をもちなさい]

人間モルモットにされているがん患者
一人のがん患者の体験から~ 手術をしても半年の命と言われ
た。どうせ半年の命なら、痛い目をさせずに、切らずに退院をし
ようとしたら、その某医大病院では、「切らせてくれ」という。
「手術して治る保証はあるのか」と聞くと、「可能性がある」と
いう。「どのくらい助かっているのか」、「一人だが助かってい
る」たった一人以外は不幸な結果に終わっていることを知り、退
院を申し出たのだ。それまで、三日も要したが、その間病院の動
きは不可解だった。
医師は家族にはひと言の断りもなく、患者本人に手術をすると通
告してきたのである。そして本人を検査室につれて行き、およそ
二○○人の医師や関係者のさらしものにしたのである。
まさにこれは患者の人権無視である。

がん手術は病院経営のためなのか

○○病院の副医院長である石神氏は、加藤式療法を試みている医
師である。この東洋医学的な療法を行い次の様なことに気が付い
た。

A、癌細胞の摘出をまったく受けていない人
B、手術を試みたが除去不可能のためそのままにした人
C、手術でがん細胞を除去した人
a、放射線療法、抗がん剤投与をまったくしなかった人
b、抗癌剤投与だけをした人
c、放射線、抗がん剤投与した人

と分けてみると、治りやすさはAa~Cc順になるのではな
いかというのである。
ことがんに関して言えば、「医師はがん患者を殺しているといえ
ますね。それが言い過ぎであれば、生命を縮めていると言えます
ね」、「まあ、そういうことだね」と石神氏は認める。
「手術、放射線、抗がん剤というこの癌の治療をやめたらいいで
しょう。」「そんなことできないよ」「どうして」「この三つの
治療法以外にがんの治療は現代医学にはないからだ。またそれを
やらなければ病院の経営は採算が合わなく、成り立たないじゃな
いか。この三つの治療法で癌が治るという考えをもっている医師
は一人もいないよ。そしてそれがよくないことも医師は知ってい
てやっているんだ」
現状の医療制度ではどうしようもないことだというのである。

「私は、今の日本の医療の姿に怒りを抑えることはできない。一
番大切な命の問題、あるいは健康の問題を、すべてカネで解決し
ようとしているからである」と、言って医師免許を投げ返したの
は塩月正雄氏の良心だった。
医師もまた現代医学の犠牲を負わされているように思える。

新しい医療をめざす医師もいる

若い医師の松本氏は言った。
「現代の医療は間違っている。この部分がよくてこの部分が悪いと
いう問題ではない。部分修正ですむものではないのだ。一度すべて
をたたきこわして、そして一から出直さなければならない」

現代医学の誤ちに気づき始めた

「アメリカの若い医学生たちは、自分たちの学んできた合理的医学
の不合理生に気付き始めている。従来の医学のあり方への反省から
“人道医学”が提唱されている。 真の治癒ができるのは病気にか
かっている本人のみなのだという認識がたかまりつつある。患者の
自主性と人間らしく生きるという願いは、人間らしく死ぬ権利の主
張をも呼びおこしている。」これは、マリリン・ファ−ガ−ソンの
言葉である。

今日の健康ブームは、裏返せば現代医学の批判である。このブーム
は、医師に預けっぱなしになっていた健康管理を、もう一度自分の
手の内の取り戻そうということで大いに評価できると思う。
新しい医療、 それを「自分の信念にしたがって健康を管理する時
代」と呼びたい。
なぜなら、新しい行動に移るには、新しい理論がどうしても必要な
のである。

“病気を治す”のか“病人を治す”のか

現在の病院では、病気は治ったが患者は死んでしまったという笑え
ない話がある。
現代医学がかかえている問題は、人間のからだを物質としてとらえ
ているために、全体としてなりたっていることを忘れ、どうしても
悪い部分だけに眼がいくことであろう。そしてそれを科学だけで解
決できると信じていることである。
千島はそれを「科学迷信」と表現した。
「迷信とは真実でないことを信じることによって害を受ける場合を
いう」のだとすれば、現代医学の常識を信じ、そして、医学知識が
原因の“医原病”にかかったり、薬公害に悩む人々が多いというこ
とは、科学迷信というワナに落ち込んでいるということになる。
東洋医学にしても薬で治療する方法は最低のものだと説いている。
薬をきちんと飲めば病気になる
人類が直面している危機は、およそ三つに分けられると思う。
その一つは、核戦争による人類や地球の破滅。
その二は、科学や技術文明が一方的に発達することで、自然崩壊や
公害が続出し、人間の健康が少しづつおかされていって、人類が滅
亡することである。
その三は、人類が生き残れるほどの食糧がこれから確保できるかど
うか、エネルギー資源をいつまで確保できるか。
これらを解決するには、とても科学の力だけでをあてにすることは
きない。今こそ、物質や経済優先の思想に歯止めをかけ、精神文
明を復活させることが肝心ではなかろうか。
そのためには、なんとしても自然や生命に対する正しい知識を学び
とる必要がある。
その指針が千島の“生命弁証法”であった。

一八七三年(明治六年)に、日本の医療制度が改革され、西洋医学
が中心となって今日に及んでいる。 そして、その西洋医学一辺倒
は、百年後の現代になって、大きな問題を投げかけている。
現代の医療制度に大きな問題がある。
病人がいなくなれば医者は成り立たないという医療制度になってい
るからだ。
医師はがんの予防運動よりも、早期発見、早期治療に声を大にして
いる。しかし、どんなに早期発見、早期治療をしても、ほとんどの
患者は半年ほどで死ぬ。
日本の医療制度だと、自分の区域に患者がたくさんでた方が儲かる
ようになっている。病人が出なかったら医者は困る。
現実の医療制度は保険法があって、ある程度の病気なら、ほとんど
お金がかからない。そこで行く必要のない軽い風邪でも何かと安易
に病院に通い、医師に負担をかけ、儲けさせている。
そのうえ、いまの保険制度では薬をあたえたり、手術したりすると
点数が上がるようにもなっている。
そこで、医師も必要以上に患者に薬を与えようとする。これが、
乱診を生み出す土壌となっている。
病院でもらった薬をまじめに飲めば、それだけで病気になる。
しかし医師はそんなことにおかまいなく製薬会社と提携し、薬を
安く仕入れ、患者にどんどん薬を与える。そして病人をつくると
いう悪循環を繰り返しているのだ。
日本の医療制度は徹底して先進的に見えるが、保険制度など見直
さなければならない問題が、いくらでもあるのではなかろうか。

日本の医師は独禁法に違反している

千島はかつて“医療国営論”を唱えたことがある。
今の日本の国民保険制度は、医療国営に近いように思われている。
医師などもこれでよいと思っている。ところがそうではなく、
国民保険制度には非常に弊害があり、矛盾があるのだ。今の医療
制度では、病院に入っても特等席があり、保険ではまにあわない
薬もあり、プラスした費用がかかるるようになっている。
また東洋医学や民間療法も取り入れられておらず、これら有効な
療法も保険制度からはずされているのだ。このように差別待遇が
ある。

この医療国営を実際にやっている朝鮮人民共和国では、医療が無
料で、国が医者を地域別に割り当て、担当の医師はその地域を巡
回し、健康管理の指導を行う。そしてその地域の住民に病人が少
なかったり、死亡率が下がったりすると、医師の月給が上がる仕
組みになっている。
日本の医療制度とはまったく逆である。その面だけ見れば医療の
先進国である。

中国では、西洋医学しか学んだことのない医者しかいない日本の
場合とは違って、西洋、東洋医学の両方の医者が活躍している。
また、中国では医師の実際の力を評価する。
日本の医師は、政治献金などで政府と癒着し、人間の命を扱って
いることをたてに、特殊な法律で守られ、医師会は力のある大き
な団体
そこで医師にも独占禁止法を適用し、自由競争をさせたらどうで
あろうか。それには、東洋医学や民間療法などを参加させ、病気
を治すのは医者だけではないということを大衆に示すことだ。
そうすれば、薬を飲ませて病気をさらに悪くするような病院には
行かなくなる。
これが千島のアイデアであった。

しかし、日本の医療の現実は、特殊な医師法(病気は医師以外が
診断、治療してはいけない)という法律の規制の元で、医師たち
は大きなあぐらをかいているのだ。

千島が提案したように、日本の医療制度が改革されるかという
と、現実には絶望的と言わざるを得ない。
では、私達ができることは何か。
それは私たち一人一人が、生命や健康についての正しい知恵をも
ち、医療について正しい判断を身につけることしかない。
自分の信念によって自分の健康を管理する。そんな時代がきた。
千島学説はそのための理論だと私は思う。
(終わり)

+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+
| この文は、「間違いだらけの医者たち」より抜き書きした|
|ものですので、詳しくは本をお読みください。 |
|ダイジェストにするつもりが長文になってしまい、お分かり|
|にくいかと思いますが、この本の内容は、[岡田茂吉理論]|
|を研究する時、大変参考になるものと思います。 |
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転載元
千島学説1(間違いだらけの医者たちより)
http://members.tripod.co.jp/akyonn/tisima1.htm
千島学説 2(間違いだらけの医者たちより)
http://members.tripod.co.jp/akyonn/tisima2.htm

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

古い本だったけど、いまでも手元にありますね。

あの頃は本を読みながら手打ち(しかもワープロの時代でした)の作業でしたねえ

と枯れ死、あ、枯れ死、じゃないって!! 彼氏(akyonn氏)は言い残して逝った。

おい、逝ってないって、まだ!

 

まだ~~~?

 

酷民健康保険が年間50兆円まで、いや国家予算に追いつくまで

逝けるか~~~~♪

 

いま未だ40兆円だもんね。

まだまだ逝くぞ~~~!

 

 

ひとはなぜだまされたがるのか? 医学的証拠のふしぎな根拠

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アメーバの方がだいぶ投稿しなくなっていたので

投稿したら禁止語句があるらしく、投稿拒否になりまして

せっかく書いたのでこちらに(といっても、たいした記事ジャナイ。ただ手間が惜しかっただけのこと)

 

 

騙しの構図

それは先ず
だまされたい人がたくさん集まること。

すると、
だます役割の人が登場

さらにエスカレートして

騙しの構図が完成

それが世界医薬産業のすがたかたちでしょう。

つまり、土台となり基礎なっているのが人民
人類多数派

だから、だます側をいくら突いてみても、土台、基礎が確りしているうちは
次々と入れ替え立ち替わり
だます役割の人が登場するのです。

いや、すでにだまされた側のひとがだます側に回っているのが大衆というわけでして。


もしも現在だます側の立場に居る人(この人達もすでにだまされているのだが)が
気づいて回心しようとしても

いまだだまされたい側のひとが多数のために
非難されたり、異端者扱いされるのです。

そうです、だます側をささえているのは
だまされたい人なのです。

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

製薬会社の都合で作られる医学的発見

 

千島学説検証論 より 1

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    いつまでも千島学説がトンデモ論とか揶揄されているようですが

いい加減、見ざる聞かざる言わざるの三猿主義から解放されたらいかが?

というわけで、いつの間にかこういう論文がストックされていたのを近日発見。

そこで、読ませました。

 

さて、どこから転載したのかさっぱり分からないので、もしわかる方が居ましたらコメント欄にでも書き込んでください。

 

まずは聴いてみて見てみて

それからですよ、トンデモ論とか千島教とか言って、まるで鼻くそ論かのように突っ込むのは。

 

千島学説検証論 より 1

 

 

STAP細胞はあります!

こう、弁明したが・・・

ついに利権の構造図からはみ出されたのか?

しかし、これにはもっと奥の方に闇に葬られようとされ、ついには千島学説教とまで言われ、宗教にまで昇華?してしまった千島理論(森下論も同様)だが・・

あの時歴史が変わるチャンスだった

例の国会重要証言(リンク特集を組んだ過去記事)で、

今後の日本の癌対策が行き詰まると預言された証言もある。

だが、あれから数十年、医学は癌治療に莫大な研究費と医療費を吸い上げながら急成長していった。

急成長と言ってもそれは医療費だけだったが、癌治癒はそれに反比例するかのようにどんどんと増えていった。

まあ、増えたのは一緒だから比例と言うのかも知れないがね。

 

世界の医学(と言っても先進国にて採用されている現代西洋医学のことだが)界が震撼するであろう、この千島理論(本当は実験観察なのだが)が正当な評価を得たとき。

これは世界人類史上、未だかつて無かったほどの大転換を迎えるだろう。

なぜなら、現代医学の基本のほぼ大半がひっくり返されてしまう説だからだ。

 

だから、飛んでも論とか千島教信者だとか、オカルト(理解できないのはオカルトで十把一絡げにする)だとか・・絶対に認めてはならない論なのだ。

 

これはSTAP細胞どころの話では無い。あんなのはまだ幼稚園だろう。

人体にはすでに太古から備わっている機能に過ぎないのだ。

それを体外で実験してみたら「あります!」となっただけのこと。

 

 

千島学説検証論 より 2

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STAP細胞どころの話では無い。

この千島学説が認められたとしたら

現在の世界の医療産業(医薬製品に限らずありとあらゆる医療関係の研究機関やその関連業も含めると膨大な産業となっているので)世界の仕組みが転覆してしまうほどでしょう。

 

それゆえ、あってはならない論なのでしょう。

日本の国会でも取り上げられたが、無視された森下論も同様です。

重要国会証言(32)

少しずつ聴いていると・・・理解しやすい記事ですね。

はて? どこから転載したのだったか?

 

千島学説検証論 より 2

千島学説検証論 より 3

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千島学説検証論 より 3

 

 

 

ところでいんでーぷ様のブログ記事はとてもよく書かれていますね。

風邪の恩恵です (笑い

 

どこかのブログで散々書いた

風邪は最大の恩恵です

という、人体浄化作用の基本中の基本だからですね。

当ブログの検索機能で 風邪 とか インフルエンザとかで覗いてみて下さい。

何度も何度も投稿したはずですが・・・・

 

まあ、人類がここまで来るには相当な年数がかかったのでしょうね。

ひと一代や二代の世界ではありませんから。

 

まず人類は風邪を引かないようにがんばった →    幾星霜 →  癌病が増加

まあ、癌ばかりじゃ有りませんが。

 

心臓病も脳梗塞も・・・あらゆる病は何代もかかって来たということ。

 

だから自分一代でどうして自分がこんな病に?

と嘆くのも無理有りません。

自分の生存中の原因だけでは無い事の方が多いのかも知れません。

そして、自分の代の遺産は子孫に伝わる。そしてそれを子孫が精算する。

 

まあ、国の借金を次世代の国民が支払うツケのようなものかも知れませんね。

ああ、やんなるかな・・・

 

でも、その子孫がずっと前の世代の先祖として産まれていたとしたら・・・

ああ、自分のツケは自分で支払うという

チャンと辻褄が合っているのかも・・・・

 

ところで、テレビや新聞などのメディアがなんで真実を伝えないのかって?

なあに、これらは産業でしかないのですよ。営業収入で喰っているんですから。

 

真実を伝えないという一種のウソなども日常的な普通のことなんでしょ。(笑い

 

時には政府の言うなりに、時にはスポンサーの言いなりにね。

一例

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

税金をメディアへバラまきー12年度の2倍→@cyoki: 政府広報予算
12年度▶︎40億6900万円
13年度▶︎43億9900万円
14年度▶︎65億300万円 
15年度💥83億400万円💥
日刊ゲンダイ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/157416

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

メディア報道は医学情報にもこの手を使って真実の情報はながされない様になって来たんですね。きっと(笑い

まあ、だまされる側の一般人がこういう構造を支えているのですが。

巨悪は源泉は一般人?

 

こうなるとボクなど日本国中、行くところがなくなってシマッタ!

書かなければよかったな~~

なあに、いつ逝くかも知れないので ま、いいっか。

 

 

 

 

千島学説検証論 より 4 

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ずっと聴いていると、すごく納得いく書き方ですね。

「オマエも見習え」って?

あ、ボクの方は歪んだ文章だと言いたいのですね。(怒

 

 

 

千島学説検証論 より 4

 

 

これかの時代、吾ら人類があやまった視点で自然界を見てきた結果が

どうにもならないほど歪んでいたということを認識する時が来るであろう・・・か?

 

という事を書いている本人こそ、どうにもならないほど歪んだ視点で物事を判断しているのでは無いのだろうか? という自問自答も 少しだけしつつ書いてみた

 

病源ウイルス、病源細菌

これらは、視点の違いで敵にもなり味方にもなるということでしょうか。

たとえば工場排水のどぶ川には公害物質になる毒物に対応する細菌が生息するという。

だったら、この細菌は敵か味方か?

重金属類とかも、それを分解する細菌が存在するという。

細菌が分解するということは、その微生物のエサであるという意味でしょう。

微生物のエサがまさか毒物であるとは!

という思考がそもそもある思い込みに過ぎないのでしょう。

微生物が毒物を喰らう?

そう、毒物であろうが非毒物であろうが、その微生物にとっての毒と吾ら生物にとっての毒とは異なるわけです。

彼らは毒物と呼ばれる物質を喰って分解する。

では、人間体内においてはどうなのか?

病源と言われる菌が果たして敵なのかどうか?

彼ら微生物にとって、自分に適した食生活を行っているだけのことだとすれば・・・

 

この微生物の食するものが毒性物(人間にとってだが)だという視点で病気をみれば

自ずとわかるのでは無いのだろうか_ということです。

では、ウイルスは?

ウイルス自体は物を食するという存在では無い。それほど微少な存在でしょ。

そのウイルスがどういう働きをしているのか?

それは汚染された細胞に目印を付ける と言う役割だとすれば

分かり易いのでは?

自己崩壊では間に合わないくらいの人体内細胞

その細胞数が多いとき、一挙にかたづけてキレイにしたいという人体の意志というものが発動する。

その時、目印の無い細胞(残されるキレイな細胞)と目印のある細胞(ウイルスが目印をつける)の区別が無いと、むやみやたらに免疫系の掃除役が片付けるわけには行かない。

だから、ウイルスは孫悟空の分身のように、あっという間に増殖して、「要らない、汚い細胞に入り込んで目印をつける」

いわゆる、進入と言うより、細胞の方がそのようなウイルスを呼び込むのだとすれば・・

 

まあ、日本の田舎の風習 (ヨバイ)というものに似たような仕組みなのでは(笑い

固く戸締まりをしていては、誰も村の若い男は入って来られない。

だから、ちゃんと戸は開けておく。

そこへまさかお出でとは言わないが、無言の解放されている仕組み。

その際にちょうど娘にあったオトコなら、そこで後で正式に縁組みがなされる。

 

ウイルスと言えども、細胞にだまって勝手に入り込めるわけではないのだろう。

細胞が門戸を開けてしまうのだ。

この視点で病源をみれば、自ずと知れたもの。

 

ウイルスを呼び寄せるような細胞は、ウイルスがそういう性質の細胞をちゃんと見分けるのと、細胞の方でウイルスを訪問(侵入とはむりやり、だまして入ってしまう意味だから、視点が異なるわけで)させるという相応の相方を認識してこそ成立するものだろう。

だから、ウイルス悪者説は昔のヨバイ文化を否定する輩の朝知恵によるものと

私は結論するものでR(爆)

まあ、笑い話になるのはもうちょっと先になってからの時代だろうが、そろそろ気づいてもよい頃だと思う。

世界中の医学者、研究者が莫大な予算を使って毎年毎年、やれ病源性細菌だの病原性ウイルスだのとやっているが、いつかこの無駄な時間と無駄なお金がどれだけ溝に捨てられてきたかを認識したとき、

このバカバカしそうな話が途端に笑い話として語られるのでは無い駄郎か?

 

 

千島学説検証論 より 5


千島学説検証論 より 6

魂の法則(音声読み上げ)

魂の法則から、病気について

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感情の抑圧からも病気は起こるという

コナンドイルはその上位にもあるという  前意識

 

肉体面(食や薬、運動等)だけでは解決出来ない意識の世界もあるという・・

 

音声詠み上げ

魂の法則20(病気)

 

 

栄養学(岡田茂吉論文)

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医学の栄養学からみた岡田茂吉氏の栄養学の比較。

さて、どことどこが異なるのか

と聴いていると・・

 

あまりにも非常識だらけの栄養学だった

だが、がっかりしてはいけないのだ。

 

これからの日本人は放射能汚染も危険、食品添加物満載の食生活やら、そしていざ病気の場合にてんこ盛りにされて出される毒薬(あ、毒も薬も同じだから二重用語か)等々

そして、耐力強化の目的で生命力をむしろ失うのかも知れない近代西洋式栄養学が・・最後に控えている。

 

それに打ち勝つには

美食こそ栄養にならないという嘘のような話。

それが岡田式栄養学なのだが・・・・・・果たしてどこまで採り入れるか・・

それは貴方だけの取捨選択件にある。 他人に権利を譲ってはいけないのだ。

 

 

そこで、私の解説 ↓

 

 

栄養学   ←  英用学

なんちゃって

 

欧米文化の栄養学を日本人が信奉して以来、幾千年

じゃないか!!

明治以来、欧米に追いつけ、追い越せを合い言葉に

わがニッポン国は、いざ勝ちません!(勝とうという意味)負けるまでは!(意味不明)

 

こんなお笑い解説に読者諸君はもう惑わされないはずだからあんでも書ける。

下の詠み上げは、明治、じゃないか!!昭和17年頃。

時は大日本帝国は皇国の一戦ここにあり! パパンパン!!

 

ああ・・・読まなければよかった・・・上

 

そうとう悪ふざけの解説は終わりとしまして、鵜呑みも丸呑みも必要の無い

純然たる「栄養学」として日本人は再びこの論を研究材料としてみてはいかがでしょうか?
(ここだけEarnest)

 

 

栄養学(岡田茂吉論文)

現代医学崩壊の予兆は多分ここから始まる駄郎

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簡単版「ウイルス、細菌の自然発生説」 簡単版 【ウイルス、細菌の自然発生説】のヒント集(口蹄疫騒動の原点に迫る)
http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/598.html   簡単ではありますが     現代医学は21世紀中にはほぼ脱力(笑い)するだろう。   だって自然力には敵うはずがありません。     予防接種のワクチンもこれからすべて全滅する駄郎。     まあワシの使命 いや氏名がひとよんで   多分 駄郎   だから あまり当てにならないか?    

古い奴だとお笑いでしょうが古い奴ほど新しいモノを欲しがるものでございます

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え、記事も書かなきゃ打たれまいに?   

 

ええええ、書きませんよ。
(そういえばチャンと書いたものは遙かむかしだった)

 

 

いまは、惰天爺と自他と供に許されたもの書き、いやタダの磔趣味に堕ちたわけで。

 

書くことはないが、磔なら幾らでもある。いやあり過ぎる。

 

こんな古い記事がまだ残っていたとは!

もっとも岡田茂吉の医学論などは昭和初期からだからね。
シュタイナーはもっと古いかな? ヒポクラテスのおじさんは俄然その上を行っている古さだ。

だから、比較的あたらしい記事かも知れないね。

しかし、ニフティのパソコン通信時代の記事まで載ってると

懐かしいねえ~♪

 これ→ /E (テキスト文の最後にこれ付ける決まり)

 

それにしても、2001年の記事

いままでよく続いたモノだと大感心(記事じゃなくて日本の医療のこと)

当時の医療費から飛躍的に向上した日本の医療の台所は火の車

炎上しつつもよくもここまで走り続けたものだ。

もう誰にも止められない止められない喝破えび銭

銭の切れ目がいつ来るのか? 近未来かそれとも・・・

 

(陰の声) なあ~に、適当な時にちゃんと脅しをいれておけば体臭は操作できるのさ。
     彼らは自分の体臭に酔いしれてコワイコワイと踊り出すからねえ~

上記の意味不明の言葉は無視しまして以下の古い記事をご紹介します(ってタダの磔だけど)

 

以下同文、いやーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

《 現代医学は対症療法・化学薬品偏重主義から脱却せよ! 》 以下、動画像(約15分)。Windows Media Player が必要です。 (画質は最悪ですが、内容は超グッドです!) ビデオ 慶応大学・近藤先生
『ガンと闘うな』

・抗癌剤治療の90%は無意味!
・手術はほとんど役にたたない!
・癌検診は百害あって一利なし!
<内容> 0.医療への国民の出費は国家予算の約半分! 1.現代医学による医療の問題点:5つのレベル 2.生まれる時から不要な医療でいっぱい! 3.現代医学は対症療法、しかも造病医学? 4.現代医学を基礎から科学的に再検証せよ! 5.現代医学は慢性病治療を止め、得意分野に専念せよ! 6.ある医療関係者の嘆き(ニフティ掲示より)

-------------------------------------------------------------------------- 0.医療への国民の出費は国家予算の約半分!  “経済大国”日本の国家予算は、約70~80兆円です。  一方、読売新聞によると、一昨年の健康保険の支払額は約27兆円、自営者向け の保険支払が約7兆円、その他船員向け等の保険支払が数兆円、個人負担で支払っ た額も考慮すると、総額約40兆円弱、実に国家予算のおよそ半分!が医療費に注 ぎ込まれている計算です。これはもう異常としか言いようがない。  その結果、健康保険の赤字額は、1995年で2339億円、1996年で4193億円、1997年 で約6千億円、2000年には1兆円に達して、近い将来、健康保険が破綻するのは火 を見るよりも明らか、と言われている。  戦前なら、東大医学部を卒業して、都内で医師が開業しても、閑古鳥が鳴いてい たらしい(それだけ日本人は病人が少なかった)のに、隔世の感である。  医学が本当に進歩したなら、これはオカシイ!!、と思いませんか?。病気が増え るばかりではありませんか..?。この「病気が増える原因」を考えてみて下さい。 環境悪化や現代社会のストレス増加等も、もちろん大いに関係しているでしょう。 しかしこれだけで説明できますか?。本当に現代医学が“進歩”したなら、これら の問題を克服するどころか、なぜ逆に屈服しているのでしょうか?  これはいちど、現代医学の問題点を本質的な観点から検証してみる必要がありま せんか?。あらゆる“先入観”を捨て去った後に..。


(注:赤字にて強調したのはボク(ここのブログ主)です。)


-------------------------------------------------------------------------- 1.現代医学による医療の問題点:5つのレベル  まず現代医学による医療の問題点を、次の5つのレベルに分類する:  A)医療犯罪:    よく新聞を賑わす「保険診療の不正請求」(戦後最高になったそうだ)等。 しかしここでは議論の問題外とする。(議論もバカバカしいA級戦犯..)  B)医療ミス:    誤診、投薬ミス、手術ミス、果ては患者の取り違え等。医療システムがます ます複雑化するために増加が著しい。しかしここでは敢えてこの種の議論も問題外 とする。(問題の本質ではない)  C)ほとんど意図的で不要な医療行為:    次のレベルDと区分は難しいが、儲け主義や、安易又は過剰な投薬又は手術、 または医学研究、医学生の実験確保目的などで、多くの不要な医療が行われている。 だがこれも、ここではあまり議論しない。(したくない)  D)研究不足・悪しき慣習からくる不要な医療行為:    レベルCほど意図的ではないにせよ、後により詳細を議論する出産時の会陰 切開や陣痛誘発剤、乳ガンの乳房切除、心臓バイパス、クモ膜下出血の開頭オペ、 効果の期待できない抗癌剤投与など、もともと必要でないか、最新の研究では有効 性が否定されているような、不要な医療行為が多く行われている。  E)現代医学の本質的問題点:    仮に現代医学の教科書通り適切な医療が行われたとしても、耐性菌の発生、 対症療法からくる弊害、生体の自然治癒力の低下など、現代医学が本質的に抱える 問題点がある。後により詳細を議論する。 ---- * ---- * ---- * ----  先述したように、本ホームページでは主にレベルDとEを議論する。  また医療行為そのものではなく、例えば保険制度のような周辺システムの矛盾は 議論しない。保険制度の矛盾とは例えば、患者が自力で食べられない場合:  ・看護婦が患者に優しく食べさせてあげても -> 保険点数はゼロ!  ・経口流動食を人工装置から与えた場合なら -> 保険点数はある!  ・喉を切り開く手術により流動食を与えると -> 保険点数は最高! の条件では、看護婦不足と病院経営の観点から後者を選びやすい問題点である。 ---- * ---- * ---- * ----  ちなみに後に著書を紹介するメンデルソン医学博士によると、「医療のうち少な くとも九割が不必要」であり、それが本論文の主張でもある。  またこの論文を読まれる前に、必ず当ホームページの農業セクション:《不耕起 農法による農業革命で農薬・化学肥料をゼロに!》を読んで欲しい!。「耕さない、 除草もしない、肥料も与えない、農薬なんてトンデもない」という自然農法の方が、 人工的な現代化学農法より、作物は健康で逞しく、収穫も上がるという事実を理解 して頂きたい。(人間の健康も原理は同じであるから)

-------------------------------------------------------------------------- 2.生まれる時から不要な医療でいっぱい!  出産未経験の女性の半数以上、男性の半数以上がどうも知らないらしい。知らな かった男性にその事を教えると、  「エッそんなんイヤや!.大事なヨメさんの大事な所をそんな..」 と、たいてい憤慨するのであるが..。  つまり会陰切開といって、出産時に赤ちゃんの出口を拡げるために、メスで女性 自身を切り開くのである。しかもその“手術”の事前同意を、まず父親側には知ら せないばかりか、母親の女性側にも徹底して知らせているとは言いがたい。事前の 同意がなければ、これでは傷害罪ではないか!(誰か訴えて欲しい!)  産科医はこんな主張をする:「自然にできる会陰裂傷より傷口はまっすぐだから 早く治る」..と。だが、次の事実を無視している:  ・多くの場合、麻酔で妊婦を意識不明にする事実。(意識がないから呼吸を   合わせた分娩ができず、人工的に切開する必要が生じたのだ)  ・陣痛誘発剤等を多用している事実。(結果、胎児と産道の準備不足を招く   ために、人工的に切開する必要が生じたのだ)  ・熟練した助産婦のもとでの自然分娩なら、裂傷自体がほとんど無い事実。  ・自然分娩での裂傷が仮りにできても、実際は会陰切開より早く治る事実。  ・自然の裂傷が仮にできても少数だが、会陰切開なら必ず傷ができる事実。  ・会陰切開の縫合跡が、しばしば化膿したり、性不感症を招いている事実. ---- * ---- * ---- * ----  だいいち、産科医は大学で主に“机上の学問”を学ぶだけで、熟練した助産婦な ら簡単に直せるような「逆子」すら直せないのである。そんな腕前で自然分娩をし ようにもウマく出来ずに裂傷を作ってしまうから、それをゴマかすために会陰切開 をやるのであり、またそうでもしないと“医者の仕事がなくなる”のだ。  もちろん例外的に、そうした会陰切開をする必要のある“難産”の妊婦がいる事 は認めよう。しかしそんなのはごくごく例外である。私の知人で、田舎の助産婦の もとで安産だった出産経験のある女性が、都会に来て第2子を出産する時は、その 事を告げたにもかかわらず、会陰切開フルコースをやられてしまった。  もっとも会陰切開はまだ“カワユイ方”であり、“帝王切開”という暴挙にでる ケースも増えている。(半端ではない増加)  実はこうした“不自然で過剰な医療行為”は、今では当然のように行われている ため、当の産科医は(そのためほとんどの妊婦も)疑問すら感じていないのが実状 である。「現代医学は宗教だ」と指摘される所以である。 ---- * ---- * ---- * ----  出産の時間帯を、午前9時~午後5時の“営業時間”に合わせるため、また予定 日を過ぎても(実際1カ月も遅れる妊婦は多い)陣痛がこない妊婦に早く退院して もらうため(次に予約があるの!)、果ては自分の休暇予定のため、陣痛誘発剤を 多用しているのが現状なのだ。そのために先述したように、胎児と妊婦には、出産 に対する準備不足とその副作用が危惧される。  新生児の体重が少し軽いからといって、すぐに保育器へ入れたがる。体重という “数字”にこだわるよりも、その子の元気さ等を総合的に判断すべきなのに..(実 際には2000gでも大丈夫なケースが多い)。昔は「小さく産んで大きく育てよ」と言 われたものなのだ。先人の貴重な知恵(妊婦の食事内容、サラシの巻き方、母乳の 出し方等々)が軽視されている。  かりに未熟児が産まれたとしよう。すると酸素療法が行われる。これは約九割に 未熟児網膜症という視覚障害が発生して、さすがに見直しが叫ばれている。  それではと、次に儲ける方法として考えられたのが、なんと、新生児に「盲腸の 手術」や「包茎の手術」を勧めるのが最近の流行だ。“この子の将来を考えて..” とまたバカな母親がこの手術を受け入れている..。(・_;)  そもそも、新生児室などという代物を作ってに母親と隔離するから“赤ちゃんの 取り違え”といったミスも発生するのである。心理学の基礎的な教科書にも載って いる猿の実験でも、生まれてすぐに母親の体温を感じて育つ猿の子より、そうでな い子は、心理発達上の問題が報告されているというのに..。(問題児のルーツ)  もともと「出産という自然の営み」を、病気のごとく扱うような“産婦人科”と いう学問を作ったことも問題だが、いちばん問題なのは、医者の言われるがままに なって疑問を感じない、マインドコントロールを受けたかのような大多数の母親と、 仕事に忙しい(心を亡くした)父親に告ぐ:「おまえらアホか喝っ!..」  ここまで読んで(その前に弊社ホームページ農業セクション:不耕起自然農法も 読んで)、現代医学に微塵の疑問すら感じないアナタならば、以後読み続けるのを 即座に止めていただきたい。もう“次元”が違うから!.. ---- * ---- * ---- * ----  では、皆さんにお勧めしたい“出産方法”とは何か!?(単に批判だけで終わらな いところが当ホームページの良い所である..):  1)自己訓練による自然無痛分娩(最近TVでも紹介されたが、一種の自己    催眠のような訓練によって無痛で分娩できる.薬物など一切使わない)  2)ラマーズ法や水中出産等の自然分娩  3)昔ながらの熟練した助産婦のもとでの自然分娩  4)やむをえずフツーの産婦人科で出産する場合、経験のある助産婦の有無    を確かめて、断固、会陰切開や薬物を拒否すること! ---- * ---- * ---- * ----  以上、出産について述べたが、なにもこの分野だけでなく、研究不足や悪しき慣 習からくる「不要な医療」はあまりにも多い。しかも「不要な」だけでなくむしろ マイナス面が大きく、危険であり、QOL(生活の質)を低下させる。  例えば、乳ガンの場合、乳房温存療法が確立して切除の必要もないのに、日本で は今だにハルステッド療法(脇下のリンパ節まで切除.米国では殆ど廃止)などを 行う病院が多くある。(大病院に多く、年寄りのボスが亡くなったとたん乳房温存 に切り替わるという笑い話もある)  心臓バイパスやクモ膜下出血の開頭オペ、ほとんどの抗癌剤や癌手術、癌検診等 も、もともと必要でないか、最新の研究では統計的に有効性が否定されているよう な不要な医療行為が多く行われている。  一方では、「癌の治癒率が向上した」といった統計上の数字のマジックを使って まで、現代医学の有効性を宣伝する。早期発見ブームを作って癌検診を普及させ、 まだピンピン“元気な癌患者”が増えて治癒率が向上しただけなのに..。  なにしろ日本では米国と違って、いちど医師免許を取ると、その後なんの勉強を しなくても医師であり続けられるから、研究不足も甚だしい。例えば、50才過ぎ の医師ならエコー(超音波診断器)も使えない。彼の学生時代、大学で習わなかっ たからだ。  だからといって、最新の設備を備えた大学病院が安心とは言えない。過剰な検査 や新薬の実験台などにされる可能性があるからだ。しかしここでは詳しく論じると 長くなりすぎるのでやめる。かわりに次の書籍を読まれることをお勧めする。現代 医学のあまりの乱脈ぶりに、さすがに嫌気がさして、医療体制の内部から告発する 良心的な医師が多くいるからだ。  以下その一部を紹介する: (ただし、<>はサブタイトル.-- 以降は筆者のまとめ) ・「医者が患者をだますとき」<あなた、病院に行くと病気になりますよ>   (草思社) ロバートメンデルソン・シカゴ大学医学博士で要職を歴任 ・「患者よ がんと闘うな」-- がん手術や抗癌剤の殆どはむしろ有害   (文芸春秋) 近藤誠・慶應義塾大学医学部放射線講師 ・「それでもがん検診受けますか」<がん検診は百害あって一利なし>   (ネ ス コ) 近藤誠・慶應義塾大学医学部放射線講師 ・「患者はこうして殺される」<告発する密室医療の実体>   (飛鳥新社) 浅山健・元癌研究会附属病院麻酔科医長 ・「治る医療・殺される医療」<これを読んだら医者にかかるのが怖くなる>   (読売新聞社) 小野寺時夫・元多摩がん検診センター所長 ・「現代医学の七つの大罪」-- 還元水の効果を隠匿した厚生省を告発   (KKロングセラーズ) 林秀光・医師 ・「医療殺戮」-- 世界の医療に隠然たる影響を与える米医学界の実体   (面影橋出版) ユースタス・マリンズ・医療研究家 ・「暴露--エイズウイルスは細菌兵器だった」-- 某エイズ専門医師が絶賛   (KKベストセラーズ) G.L.Glum・医師

-------------------------------------------------------------------------- 3.現代医学は対症療法、しかも造病医学?  たしかに医学知識や技術は進歩した。1980年の知識量を1とすると、1999年で約 7千倍にもなったとも言われる。技術も、MRIをはじめ最新の分子イメージング やバイオチップの検査技術、臓器移植をはじめ遺伝子治療の治療技術など、目覚ま しい進歩である。しかし、現代医学という幹そのものに大きな欠陥があるために、 その枝葉にいくら期待しても、真の健康を得ることはできないのだ..。  例えば糖尿病の治療を受けるとしよう: +-----------------------------------+ |糖尿病は膵臓のインシュリン分泌不足(なぜそうなったかの真の原因は不問)| |       ↓                           | |インシュリン注射で劇的に症状が改善(これで現代医学はスゴイ!と勘違い)| |       ↓                           | |膵臓は益々インシュリンを製造しない(これ子供でも理解できる話でしょ?)| |       ↓                           | |インシュリン注射の量が増え悪循環に(一生半病人の生活を送る可能性が大)| +-----------------------------------+  もうひとつ例: +-----------------------------------+ |アトピー治療にはステロイド(副腎皮質ホルモン)を与えることで症状が劇的| |に改善されますが、やはりこれも初めだけで、ついには効かなくなって重症化| +-----------------------------------+  これに加えて直接的な副作用もある。ステロイドの副作用の恐ろしさはよく知ら れたところだ。医者ですら、    現代医学の薬で、副作用のない薬は、薬ではない という自己矛盾を認めている。もっとも最近では、例えばアトピー治療薬として副 作用の少ないとされるタクロリムスといった免疫抑制剤が開発されたが、直接的な 副作用が仮りに少ないとしても、病気の真因はそのままで、本来の免疫システムを イジクるわけだから、どうなるか。ちょうど“モグラ叩きゲーム”のように、1つ のモグラを押さえても、別のモグラが現れることになるのだ。  つまり、直接的な副作用とは別としても、    現代医学は、長い期間でみれば病気を悪化させる という皮肉な事態が生まれるのである。もちろん、  インシュリンにせよ、ステロイドにせよ、人工透析にせよ、当初は症状を大幅に 改善させるのだが、長期的には、治るどころかむしろ悪化させてしまう。これは、 胃腸瘍、腎臓病、肝臓病、心臓病、高血圧、リューマチからうつ病まで、程度の差 こそあれ、たいていそうなるのである。  風邪をひいて熱がでる。お医者さんに行ってクスリをもらう。実は風邪に効く薬 というのはまだ無い。解熱剤とかビタミン剤をもらうだけだ。本当は熱がでる症状 は、菌と闘うために、身体が必要とするからこそ起こっているのに、それをクスリ で下げたら、長期的にみてロクなことはない(かりに直接的な副作用が少ないとし ても、である)。つまり、    現代医学は対症療法であり、根本治癒は望めない ことをまず理解して頂きたい。それは、『人間の身体は精密機械に過ぎない』との 考え方から由来している。この考え方からはまた、    現代医学は、自然治癒力の存在すら認めていない という重大な欠陥が生まれたのである。  胃にガンができたら手術して取り除く。血圧が高ければ降下剤を飲む。これらは すべて対症療法であり、一時的に治っても、何故そうなったかの原因を正して本来 の自然治癒力(=生命力)に解決を求めない限り、健康をとり戻すことはできない のだ。心臓の取り替えがどんなに上手くなっても、すべて基本的に対症療法である ことを忘れてはいけない。  そもそも、現代医学には“病気の学問”はあっても、    現代医学は、「健康とは何か」という学問がない のであるから、最初から目標喪失の運命を避けられないのだ。  次のような光景は、病院では日常茶番事だ: ・患者が気持ちよく眠っているのに、時間がくればムリやり起こして体温を計る。 ・患者が「ここが苦しい」と主張しても、検査結果でそんなはずないと言う医者。  要するに、    現代医学は、数字至上主義で人を機械同様に扱う のである。しかも現代医学が頼りとする検査機器とは、ケッコーいい加減なのだ。  てんかんと診断された患者の約20%が脳波にまったく異常を示さず、逆に健常 者の15~20%が異常を示した、という研究報告もある。 --- * --- * --- * ---  また最近、院内感染で有名なMRSAからはじまり、全世界で耐性菌の発生が大 問題となっている。ペニシリンが効いたと思えばその耐性菌ができ、ストレプトマ イシンがそれを克服して効いたかと思えばまたその耐性菌ができる。まさにイタチ ごっこではないか。そしてますます手に負えない強力な悪性菌が発生するという悪 循環に陥るのだ。だから、    現代医学は、一方では病気を造っている造病医学 と批判されるのだ。チョット考えても、バイキンの方は、クスリの攻撃に“特訓” されてドンドン強くなる一方なのに、現代人の方は、クスリ頼みでバイキンと自ら 闘うことを放棄したばかりか、ふだん“衛生的”でバイキンの少ない環境に甘やか されて住んでおり、もともと勝敗は明らかではないか..。  造病医学の原理は、なにも“バイキン”の問題だけでなく、先の糖尿病治療でも 分かる通り、自然治癒力(=宇宙生命力)を認めない対症療法の現代医学が、自然 を敵にまわした当然の結果なのである。  もっといえば、仮りに風邪のウイルスに直接働きかけて風邪を治す薬ができたと しても、ちょっと考えても、そんなことが長年続けば、    現代医学は、自然治癒力=生命力を低下させる のは明らかではないか。自然界の中で多くの試練を受けて生命は進化してきたのに、 クスリの力を借りていては、その逆(退化、ひいては自然淘汰の道)を行っている のである。  癌について、一言やはり述べたい。現在の抗癌剤は、大半が強力な活性酸素をも って癌細胞を叩くという原理(毒をもって毒を制す)だが、最近一方では、“癌の 真因は活性酸素にある”ことが明らかになってきているで、“抗癌剤が新たな癌を 発生させている”(通常転移したと説明される)可能性は大きい。  また最新の研究によると、癌細胞の多くは身体の他の部位における別の癌の発生 を抑制するような酵素を出していることが分かってきており、だったら外科手術で 原発性の癌を取り除くという行為は、かえって他の部位への転移を促進するような ものではないか。 --- * --- * --- * ---  けれども、あなたはこう言うかもしれない:  「例えば最近の例では、白血病治療の骨髄移植、あるいは脳死心臓移植、これら は現代医学の華々しい勝利ではないか」、と。  骨髄移植は、テレビで美しい人間愛の具現のように宣伝されているし、心臓移植 も、現代医学の華々しい勝利のように報道されている。現代医学がなければ、これ らの患者さん達は必ず死んでいただろう..と。  ではあなたは次の事実を知っていますか?:  骨髄移植の費用は約1千万円!。これだけ払っても、5年後になんとか生きてい る率がたった? 約6割、しかも一生クスリ漬けの運命が待っている..。  心臓移植..、この移植を受け、元気を回復したはずの患者さんも、他人の臓器に 対する拒絶反応を防止するクスリを、一生必要としなければならない..。  一生クスリ漬けでもいい。6割の生存率でも必ず死んでしまうよりマシだ。大金 だって命には代えられない。..という声が聞こえてきそうだ。  だが、こう考えたことはありませんか?:    あんなに悪くなるまで、どうして現代医学は治せなかったのだろう?    あんなに悪くなったことに、現代医学の責任は何もないのか?    もし現代医学「以外」の治療法であれば、何割の生存率か?  すでに現代医学に少し疑問を抱いたあなたなら、こう思うかもしれない:    ひょっとしたら、現代医学に責任の一端があったかもしれない.    現代医学「以外」の治療法による生存率を知ってみたい.  しかし残念ながら、私は数字を示して具体的に応えることができない。なぜなら 治療法による生存率を統計的に計るには、数千人以上の患者群と多くの大学病院の 協力体制が必要だが、それらこそ現代医学の牙城だからである。  そして彼らは、現代医学以外の治療法を“民間療法”だの“未証明医療”だのと 研究の対象にしないばかりか、東洋医学の伝統的な鍼灸治療ですら、健康保険から 外して“市場”をあからさまに独占しているのである。  私は知っている。現代医学以外の治療法で、白血病や心臓病、糖尿病やアトピー、 ガンやエイズまで、多くの人々が治っていることを。しかもクスリ漬けどころか、 以前よりもはるかに健康となって..。

-------------------------------------------------------------------------- 4.現代医学を基礎から科学的に再検証せよ!  現代医学は対症療法だ、というのは多くの医学者自身も知っていることである。  風邪の発熱を解熱剤で抑えたから対症療法と批判され、抗生物質で耐性菌ができ たから造病医学だなどと罵られ、たまったものではない。しかしこちらには科学と いう最大の武器がある。もうすぐ耐性菌を作らない薬品の研究も完成しそうだし、 風邪のウイルスに直接働きかけてやっつけるだろう。最新の遺伝子治療も今まで考 えられなかった治療が可能となる。今は暗いが未来は明るい!、っていう声が聞こ えてきそうだ。大いに期待したいところだ。しかし批判を浴びているテクノロジー のすべてが、過去において、明るい未来の夢を付けて華々しくデビューした代物だ ったのだから、不安もある。  しかしとりえあず現代医学は、目前の治療効果を求めるせっかちな現代人の要求 とも合致するし、なにせ科学的に裏付けられたものだから..、と思いたくなるとい うわけだ。  実は現代科学そのものにも大きな問題があるのだが、その議論はとりあえずさて 置いたとして、では科学的な観点からみても、“現代医学の定説”に異論を唱える 研究者が多くいることをご存知だろうか。  ニュートン力学から相対論・量子論に進み、更にそれに異論があるように、科学 というものは、あるオジさんが、「この現象にはこういう法則があるのでは?」と 提案したところ、それがなるほど理屈も合っていそうだ、実験してみても大体その ようになる、大多数の研究者もそれにに賛同した、少数の反論者はいるけど、まあ その提案を定説としましょう、といった程度のなりゆきで成立しているのだから、 絶対の真理であるという保証はもちろんどこにもない。  だから“現代医学の定説”が絶対的に正しい保証もないし、異論があって当然な んだけど、問題なのは、いつのまにか過去の定説に縛られて、新しい説に耳を傾け ない場合である。(それどころか弾圧さえする場合もある)  ここでは“異論”のほんの一部を紹介する: --- * --- * --- * ---  風邪は、風邪のウイルスがたまたま偶然に身体へ侵入したから風邪になったので はない。身体がそのウイルスを受け入れる条件にあったから風邪になったのである。  ある学者がこのことを証明するために、医学学会の衆目の前で、試験管に入った コレラ菌を飲み干したケッコー有名な事件がある。もちろんその後も彼は発病すら せずにケロッとしていたそうだ。  またワクチンができたおかげで多くの伝染病が姿を消したかに信じられているが、 実際は、ワクチンを接種させた地域とそうでない地域の罹患率には統計的有意差は ないことが報告されている。過去の伝染病が姿を消したのは、もっと社会的要因、 たとえば産業革命時の肺炎の流行のように、下水道の完備などの衛生状態の改善に あると指摘する研究者は多い。  これが正しければ、風邪のウイルスを直接攻撃できる医薬品ができたとしても、 やはり対症療法の謗りから逃れられないことになる。 --- * --- * --- * ---  現代医学では血液は骨髄で造られている事になっているが、それは被験者を断食 状態にして観察したためであり、通常の生理状態では、血液は小腸で造られる。  実際、骨髄がまだ形成されていない猿の胎児で観察したところ、小腸で血球が造 られたのを確認したという報告がある。また、成人の体内のいろんな箇所において 血球密度をカウントしたところ、小腸から肝臓の門脈に至る箇所において最大数の 血球密度が観察されている。この箇所は消化吸収物の最も多いところであるから、 血球密度はむしろ薄められて低くなるはずだ。つまりこの現象は、小腸で血球が造 られていると仮定しなければ説明がつかない。  もしこの異論が正しければ、病理学の基礎から書き換えられる大事件だし、骨髄 造血説を基に考え出された骨髄移植等の治療法の有効性を再検討しなければならな くなる。(ちなみに骨髄移植といっても、採取した骨髄からの造血細胞を、患者の 骨髄に直接移植するのではなく、注射によって血液中に入れるのであるから、小腸 造血説が正しくても、その造血細胞は小腸にも提供され、まったく無益なことをし ているわけではないが..) --- * --- * --- * ---  現代医学では、1日最低でも約2000Kcalのカロリーを摂取しないと生きてはいけ ないことになっているが、実際は1日50Kcal以下!!でも健康に生きれる。  これは異論ではなく、私の体験もふまえた事実である。  私は1年に1回、1週間の断食をする。初めて断食をしたときは15キロ以上痩 せて骨と皮になった。しかしその後25回以上断食をしたが、毎回痩せ方が減って きたのである。年によって違うが、場合によっては1~2キロしか痩せない。断食 期間中はいつもより運動をして、サウナでスクワットなどをやっているにもかかわ らずに、である。1週間断食してもまだまだ続けられそうで、ひょっとしたら一生 断食しておられるのではないか?、とすら思えるようになった。ただ酒好きなので 酒をまたおいしく飲むため(実は私の断食の直接の目的がこれだ..(^^;)に1週間 で断食を打ち切ってまた食べ始めてはいるが..。  比叡山の修行僧は、山中を長距離歩く難行を1日1食の 約500Kcalでまかなって いるときく。これは現代医学のいう約4分の1であるから、現代医学のその程度の 間違いなら毎度のこと、まあ仕方ないかな、とも思っていた。  しかし今度ばかりは参った。大阪府の八尾市に甲田医院という、断食療法もしく は青汁による超少食療法で有名なところがあるのだが、その療法を長年やるうち、 患者さんのなかで、青汁1日1杯(約50Kcal)だけで12年!!もの長い間、健康に 生きている人が現れたのだ!(それも一人ではなく十人以上も!)。ところがさら に驚いたことに、そんな仙人食なのにかなり太る人まで現れる始末!。そこで断食 に切り替えたところ、なんと半年たっても体重が減らない!のである。(その後、 どうなったかはまだ確認していない)  信じられない人はどうぞ確認に行って下さい。特に医学者や栄養学者で、専門家 ほど信じられないだろうけど、事実なのだから..。もしあなたがマトモな科学者な らば、なによりも事実を優先すべきです。  また“特別な人”だからそんな超少食で生きられるんだ、などと言わないで欲し い。長年の準備もなしに誰でも出来ないのは確かだが、一定の方法を実行していけ ば誰にだって出来ると私は確信できる。しかも健康というご褒美付きで..(ただし 飲食の楽しみと友達付き合いは犠牲になる.関西の現代の仙人達は、いずれも医者 から死の宣告を受けていた人達ばかりなのでそれに耐えられるのだが..)  ここで問題なのは、こんな超少食で人間が生きられる事実を、科学でどのように 考えたら良いのか?(水は飲んでいる)  3つの可能性がある。1つは腸内細菌が栄養を作ってくれる。2つめは人体が光 合成を始めた(葉緑素とヘモグロビンは核となる原子がMgとFeと異なる以外は 分子構造はまったく同じである)。3つめは生体内原子転換が起こった(Caを与 えない鶏がちゃんとした卵を産む実験から、この可能性には根拠がある)。  科学的解明は先のことになるが、唯一分かったことは:    現代医学は、その基礎を科学的にみてもアヤシいぞ ということが重要だ。  半年ほど前のテレビ放送で、ある南の島の原住民が「イモしか食べない」のに、 すこぶる健康であることがレポートされた。栄養学も何にもあったものじゃない。 (もっとも馬や牛だって草しか食べないのだから、驚くほどでもないかも..) --- * --- * --- * ---  最新の研究では、人工ビタミンは天然ビタミンと分子構造が全く同じであるにも かかわらず、細胞のレセプタ(受容体)は天然ビタミンなら受け付けるのに、人工 ビタミンをほとんど受け付けないことが分かった。これは何を意味するのでしょう? 生命現象には、現代科学にとって未知の要素が存在することを示唆していませんか?  現代科学は、生命を物質の集合体としか考えない。心理学ですら、心の存在を認 める表現なので行動学と呼ぶべきとのクレームがあるくらいだ(心理学は科学扱い されず、大学でも文学部にある)。しかし脳の研究がいくら進んでも、“意識”の 謎が解けていない。逆にいうと、コンピュータがどんなに発達しても、意識をもち 人間のように考えるコンピュータを作ることができないのに、それができると妄想 を抱いているのだ。特に医学者に多いように思う。  人類を月にまで運んだ現代科学も、対象がこと「生命」となると簡単にはいかな くなっていること、従来の形式論理では生命の複雑系を解けないこと、などを最後 に指摘しておきたい。(以下、複雑系論理の例を示す:)  Aという薬効成分は、Aだけを抽出すれば毒となる。  (水も「純水」なら毒となる)  血圧を下げる薬が、個人や民族によっては逆に血圧を上げる。  (理想的なクスリは、高血圧にも低血圧にも効く)  部分は全体の畳み込みであり、全体は部分の単なる集合ではない。  (現代医学に・・・科がある自体、誤りの始まりだ)  (科学がどんなに進歩しても母乳と同じ人工乳は作れない)  病気の症状は、むしろ正常な生体反応である場合も多い。  (悪いものを食べても下痢しない方がもっと病気)  病気が治るとき、一時的に症状が悪化する場合が多い。  (現代医学の治療では、この好転反応が少ない)  医学が発達すると、逆に病人が増える。  (病院オープン祝賀会で "今後益々のご発展を.." はブラックジョーク)  (知識が逆に人を不幸にする)

-------------------------------------------------------------------------- 5.現代医学は慢性病治療を止め、得意分野に専念せよ!  さて以上の議論から現代医学は、少なくとも急を要さない慢性病治療に関しては、 撤退して頂いた方が人類のためになるのではないか?(出産のような、自然の営み であって病気ではない分野は、特に早急に退場を..!)  しかし急を要する医療はまったく別である。もともと現代医学が大きく評価され てきた背景には、今世紀ひっきりなしに続いた戦争にある。戦争では、他の医療は 無力に等しく、現代医学の一人勝ちだったのだ。    現代医学は、「戦争の医学」として発展した ことを平和な日本人は忘れがちである。  だから餅屋は餅屋、得意分野に専念して頂けばよい。  戦争はともかくも、交通事故、形成外科、危険な発熱(42度とか)など早急に 症状を緩和する必要があるとき、などは大いに頼もしい存在である。  特に最近開発された「低温外科手術」は素晴らしい。熊の冬眠の体温からヒント を得て、手術時の貧血=酸素供給不足から脳細胞を理想的な低温下で守るもので、 交通事故にあって、今までは望みがなかった多くの人々の命を救っている。    現代医学は、使い方では頼もしい存在なのだ. --- * --- * --- * ---  要は、各療法の得意分野が正当に評価されなければならない。  農業セクションで「不耕起自然農法」の無耕転・無除草・無肥料の方が、コメや 野菜が健康に育って逞しく、収穫も多く、味も美味しいことを明らかにした。作物 も人間も、生命という観点ではまったく同じであり、“自然環境”においてこそ、 あらゆる生命が健康に生きることができる。  そこから、敢えて次の3つの対比を導く:    現代医学 ←→ 現代農法: 化学薬品を多用して対症的.西洋思想.    東洋医学 ←→ 有機農法: 自然生薬を利用して哲学的.東洋思想.    自然医学 ←→ 自然農法: 生命力を利用して超学問的.宇宙思想.  各医学の「すみわけ」において、自然医学は、ほぼイコール予防医学として機能 するが、万一病気になった場合でも、できるだけ自然医学的な療法を行い、やむを えない場合に限って、限定的に東洋医学や西洋医学を併用する。つまり、    各医学をすみわけして、綜合医学に代替させるべき である。最終的には、これら3つの医学を統一的に解明する「新しい科学」が誕生 して、単純に言えば「良いとこ取り」が効率的に行われ、この世に病苦のない世界 が実現される(そうなると医学は無用になるけど..)のが、私の夢だ。  最後に、自然医学の病気への考え方を簡単に述べる:(東洋医学もほぼ同じ)  自然医学では、『病気とは、自然から離れた生活の結果、生命エネルギーが弱ま るか、その流れが阻害された状態』、と考える。つまり「気」の病だ。  自然の中で、野生の動物は原則的に病気をしない事実を知らなければいけない。  癌で余命数カ月と診断された人が厭世的になり、人間社会を離れて森に生活した ところ、数ヶ月後には誰よりも健康になったという本当の話がある。

-------------------------------------------------------------------------- 6.ある医療関係者の嘆き(ニフティ掲示より) (原文のまま)      保険診療の不正請求が、戦後最高になったそうです。      これはやってない(或いはやるべきでない)検査やら、処置やら薬やら    を保険請求してしまうとゆーものです。(診療報酬とゆーのは、自費負担よ    りも健康保険からのウェイトが大きいのね)      なんでそーなるの?、とゆーと今現在、医療関係は完全な構造不況業種    に陥っているために、医療労働者の生活をそーでもしないと守れない!、と    ゆー言い分があるんだろうな、とは思います。      でもねーワタシも医療関係の当事者なんですけど。最近なんだか「トシ    ヨリと病人をかまどにくべて煮炊きをしている」ような気がする時が多いで    す。やんなっちゃいます。      心臓バイパス手術てーのを聞いたことがあるでしょう。これは現在では    「キかない」オペであることが確認されています。「クモ膜下出血は開頭オ    ペをしてもしなくても予後に有意な差異がない」ことも確認されています。    (でも病院によってはパカパカ開けています)           <中 略>      あるイミで「現代医療」は無知と迷信の上に成りたっているのです。そ    ーゆー無知の中に安穏としていられない現代人(私など)はある意味で不幸    なのかも知れませんが、こんだけさまざまな情報が「公開」の方向にむかう    時代に医療だけがアンタッチャブルとゆーワケにはいかんでしょう。      そもそも医療(MEDIC)の語源は「MAGIC」です。加持祈とう    からあんまり進歩してないのかもしれません。      ガンあってナンボの仕事ですから、「ガンになりたくない!」とは思い    ません(バチあたります)。でも既存のガン治療を受けるつもりはハナから    アリマセン。これはインテリジェンスに問題の無い医療スタッフの偽らざる    実感です。(わははははははははははははははははははは)      ホカのシノギを考えたほうがいいのかなあと最近よく思います。

/E

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

DATE:2001/06/27(データ収集日時)

いつ初期表示されたのかは不明

 

 

 

 

コナンドイルの人類へのスーパーメッセージ

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抜粋ですが音声読み上げでUPされています。

最近の記事

(05/22)コナンドイルのメッセージ「自由意思と運命」
(05/21)コナンドイルのメッセージ「善と悪について」 コナンドイルのメッセージ「善と悪」
(05/21)コナンドイルの通信「魂の進化」
(05/21)コナンドイルの病気についてメッセージ

コナンドイル   霊界からの通信

 

 

その頃は未だ第一次世界大戦前だったと思いますが

まだUFOなど話題にもならない時代。

その事をすでに話していたようです。(宇宙生命体の存在)

特に病気についてですが、

現代医学が唯物論で成り立っている現代物理学を基にしている限り

人間の本当の生命現象は解明できない。

ゆえに、この先に「霊体」と「肉体」の一致するという科学が必要だと言っていますね。

 

これは岡田茂吉の医学論にもありますが、霊体一致と霊主体従の法則と言っています。

まあ、今はもっと進歩している人類でしょうから? さらに詳しく物質と非物質の関係が説明される時代になりましたので、古い話と新しい話の両方を拾い集めて取捨選択するという

まあ、大変な作業が待っております。(苦笑)

が、これを自動的にやってくれるのが直観というものらしく、これを「純粋な気づき」と表現する方もいられるので、じゃあ、どうしたら具体的になるの?

QEというものらしいですね。まえにも紹介しましたが・・・

ワシ、まだよく分かってないのですねえ。 (急ぐのだ、灰よシルバー。とかお先にシニヤーとか)

 

病気については霊の曇りとした岡田論、そして今では精神世界レベルとなり、感情とかその他思考にあるとか・・・

しかし、コナンドイルはもっと奥の意識(どうやら人類共通の基意識というか、共通意識ーー人類の過去の言動から集まったエネルギー共同体かな? 人体における細胞の個々の役割をみているかのような・・・・どんどん細胞がアポトーシスしたり、逆にガン細胞みたいにいつまでもがんばって残るという細胞もあったり、それぞれその細胞に人体全体の記憶というかエネルギー体というか、そんなものの一部を一部の細胞がそれぞれ役割を果たしているというか・・・なんだかもっと分かりにくいか・・・)

つまり、「前意識」とコナンドイルが呼んだ(もっとも邦訳だから、英語でどう言うのか?)意識

その前意識に個々の人間が大きな影響を受けているという

のです。

 

まあ、よく聴いてみてください・

魂の法則の病気観とまた少し違った観点で

人間はなぜ病気をするのか?

岡田論でいう薬という毒が病気を造る

というのとまたちょっと異なるものですが、

そのまえになぜ人間はずっと病気などと言うものと永いあいだ付き合ってきたのか?

 

これも人間ゲームを始める場合、ど~~しても、不幸な真実を作らなければならなかった。

じゃあ、その最たるものはなんだ?

やっぱ、病気だねえ。

じゃあ、その病気をつくらなくちゃ~~

それにはどうする?

 

はい、それが魂の法則とか愛の法則で語られていることかも知れませんね。

そして、その基を作り出すにはかなり期間がかかって

そして、それを基にして人間は病気の体験をする事が出来るようになった。

オオスバラシイ

 

まあ、自分がなったらそうは言いませんけどね。

この下らない素晴らしい世界をつくり、そこにドンドン入り込んで

不遇な目に遭って、苦痛を味わい・・・・これこそ素晴らしいドラマだ

 

そういう事はすっかり忘れてしまったから、迫真の演技ができるという

まあ縁起などという自覚など微塵もないわけでして、病気になれば苦しい。恐ろしい、怖い、はよ逃れたい、やめてくれよ、一体おれが何をしたんだ!!  ついには怒りと悲しみで・・・

 

ああ、これがドラマだったら  テレビや映画、小説で一番泣かせる場面じゃないのかな?

病気  ああ、病気    昔は結核で血を吐く 乙女  まあ、オッサンもいるけど。

薄幸の美少女    結核に冒されて若くして死んで行く   恋人との別れ、両親の悲しみエトセトラ

 

ここまで来るのに何世紀もかかったわね。

いまじゃ、癌に主役を譲ってしまったけど、ちょっと前までは結核が主役だった時代。

そして、癌がtopに抜擢されてしまったが、ちゃんと未だ未だ続くこの病と死というテーマのドラマ。

 

どうやら、ここいらで種明かしでもして、はやいとこ気づこうよ!

というネタ話があちこちで見られる(聞ける)時代になったわけは?

 

それはもう「病というシナリオは終わり」だね

という前兆なんだ。

 

が、未だにしっかりとしがみついている人の方がまだまだ多い。

それは自ら率先して毒を飲み、毒を打つ

飲む打つ買う  の3原則が好きな人のほうが多いらしいから。

 

みんな、まだまだ捨てられない、いやこの病気という怪しい魅力に惹かれて人間誘蛾灯のごとき

病院に集まってくるようだ。

そこで、バチバチッと火花を発して散って行くモノ。なんとか生還して、残りの人生どうするか・・なんて考えるヒマも無く、また再びあの門をくぐるという。

なんと人間は凄いシナリオを作ったものだ。

自分で自分を苦しめる毒をくらう。 そしてその苦しみを逃れるとしてまた毒を喰らう。

 

 あなた、薬って病を治すものでは無かったのですよ

 

 

こんな真相を幾ら告げてみても詮無し缶ビールいや、発泡酒。

 

 

 

 

はい、薬学博士もこう言っているのです。

 

ですが永い長い間に人間は薬というものに非常に愛着をもってしまった。

そう簡単には捨てられない。

なぜなら、一時的にも苦痛から逃れられるからでした。

 

しかし、天の意識が変わり、地の意識も変わり、ついにその薬というものの正体が暴かれ始めたのが昭和の初期。

しかし、それから何十年も・。。

かかっても未だ未だなのでした。

 

それに対して自然界は待ったなしに自然浄化エネルギーを高めて来ているようで。

 

やっぱり最後には自然には逆らえない。

その一つとして毎年必ず流行るというインフルエンザ。

これは風邪の流行ということですが、もう何度も書きすぎたの飽きたのですが。

 

感染症というものが自然界の浄化作用にそっているということ。

だから、世界で今までもこれからも新型だろうが旧型だろうが、流行するという感染症はすべて同じなのですね。

感染源はウイルスや病菌と言われるものではなく、

本当の感染源は自分にあり

ということ。

 

その感染源を作ってきたのは過去からの人間共同体。

そして、いま生きてきたなかでもそれは行われているということです。

 

そう、毒を喰らったり毒を打つということを平気でやっているのですから。

 

浄化しなければならないエネルギーは必ず消化しないと行けない。

いや、逝ってもそれはやり残しとして再び舞い戻って来るというから、人間にとって病気とはいま現在だけは理由が分からない場合もあるようなのです。

 

単純にいまの生活だけではない。

これをコナンドイルは「前意識」と言っているようです(って、自分でもよく聴いていない証拠か)

いつものようにとりとめの無い、しかも脈絡も無い話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


医学では治療というが・・

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ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

治療という言葉  医学断片集(13)

『栄光』161号、昭和27(1952)年6月18日発行

 医学では病気を治療する事は、全然出来ないといったら驚くであろうが、これは真理であるから仕方がない。

では誰が治療してくれるかというと、それは自分 自身の体である。

従ってもし医療で治るものなら、手術の必要はない訳である。

つまり医療では病気の個所が治らないから、止むを得ずその個所を除去してしま うのである。

また痛みの場合痛みを除る事が出来ないから、痛みを感じる神経の方を麻痺させて、感じさせないようにするのである。

だから怪我をした場合、出 血を止めるのも傷ついた皮膚や肉を作るのも人間自体である。

ところが医学ではそれを補う働きをするのが、医療であるとしているが、事実は反って邪魔をして いるので、治りが遅れるのである。

この理によって手当や療法は無意味という訳である。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

なんという暴言だろうか

と普通は思うだろう。

 

だが、それが段々と分かってきている人も増えてきたようだ。

岡田は薬を飲む人を「自さつ願望者」とも揶揄していた。

それはことごとく薬と言うものが毒で出来ているということから来ている。

「毒を飲んでいるひと」 少しずつ「自さつしている」というのだ。
もっとも本人も他人の医者もそんな事は露ほども思わないのだが。

予防接種にしても、何も考えないでやる。そして大切な子どもが被害に遭ってようやく気がつくようなものだろう。

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

薬と名の付くものは全部麻薬なり  医学断片集(21)

『栄光』174号、昭和27(1952)年9月17日発行

 今日世人は麻薬というと、非常に恐ろしいもののように思っているが、実は薬と名の付くものは、全部麻薬である事の意味をかいてみるが、これは誰も知るご とく初め麻薬を用いるや、頭脳は明晰となり、爽快感が起るので、段々癖になってしまうので、これが中毒である。

ところが実はあらゆる薬も同様であって、た だ麻薬と違うところは、麻薬は即座に効き目があるが、外の薬はそうはゆかないで、言わば長持がするただそれだけの異いさである。

風邪でも結核で も、胃病、心臓病、何でもかでも理屈は一つである。

従って現代人のほとんどは、軽微な麻薬中毒に罹っているといってもいいくらいであるから、病気に罹り易 いのである。


 そうして面白い事には、近頃よくこういう話を聞く、それはアノ薬は以前は非常によく効いたが、この頃効かなくなって困ってしまうというのである。

これは 全く薬の中毒患者が増えたためであるが、それに気が付かないだけの事である。でなければまさか人の方が以前と異なる体になった訳ではあるまいから、全く医 学の盲点を物語っているといってよかろう。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

近年の流行言葉に

「いまでしょ」

という言葉があったが

最近はどうも

「気づき」

という言葉が静かに流行っているようだ。

 

気づき?

自分の姿をみて「ハッと」したとか?

「えええ~~~こんなジジイ見たこと菜~~イ!」とか

得てして損な揉んである。

真実はずっと近くにあったのに、気づかなかった。

それがフトしたことで正体がみえるのだ。

その時のショック!!

 

それが上の論文であろうか・・

 

「医学も薬も病気を治せない」

 

 

昭和の初め頃からこういう事を言ってきた岡田茂吉という人物が居た。

だが、それは信者さんからは尊敬されても世間からは、迷信だのインチキ臭いだのと言われたらしい。

それもそうだろう。

宗教という組織を創り上げて教祖として君臨したひとなど、他から見れば誰も胡散臭く見えるものだ

じゃあ、全部正解だったかというとそれもどうかな?

そもそも、宗教というのは20世紀までの存在理由があったのだろうが、21世紀からは宗教組織というものは不要になると思っている(という程エラくも何ともないヤツが言うのだが)

それでも岡田論文の中には医学について確信を突いているものが多々あるから研究資料としてお奨めしている。

(※それがhimaari倶楽部ですからね  でも、全部鵜呑みはしない、研究だから )

 

 

【今日のぼやき】

薬学博士の本で

「薬では病気を治すことは出来ません。治すのはあなたの身体自身です」

と。

じゃあ、一体みんなはどうして病院に行くの?

となるわけだが・・・

だれもそんな事を考えもしない。

そこが変だなと思うのだが、誰も思わない。

 

病院に行って誰が治すの?

お医者さんでしょ。

じゃあ、お医者さんはどのようにして治しているの?

ちゃんと病名を見付けてくれて、お薬を出してくれるわけね。

それだったら、直接治すのはお薬でしょ?

あ、そうか。
お薬が病気を治すんだね。

だったら、薬学の専門家が言っていることはどうなん?

ああ、お医者さんの方が薬の事を知っているんじゃないの。
だって、お医者さんがお薬を決めるんでしょ。

う~? ん~~?
その薬の知識をお医者さんに教えるのは誰?

薬会社かな?

じゃあ、その薬の専門家って誰?

・・??

薬学博士なのね。
お医者さんは病気について習うけど薬学は専門外なのね。

 

でも、でも・・・
ちゃんと病院に行ってお薬を出して貰って治ってるじゃん!

 

まあ、大抵はそれでおさまっているかも知れないけど。
毎年医療費が上がり続けているってのは(今では年間40兆円近い国民医療費)
根治していないからじゃないのかな?

 

まあ、ひとり問答もめんどくさいのですが。

わりとこまめに書いていたりして・・(苦笑

 

薬では病気を治せない

という薬学博士の真実のことば。

そして、それに反して一般大衆の思い込みとの差はあまりにも大きすぎて

これを伝えてもちっとも理解しいようとしない。

 

だって、苦しいときの薬頼みって言うじゃ無い!!

 

という言葉が聞こえてくるようだが、この矛盾はずっと昔からあったはずなのに。

それでも、薬に頼ってしまうニンゲンというものは・・・

 そこで、相良直美(さがらなおみ)の歌声が聞こえてくる~~

 

♪~イイじゃ~~ないの~~♪  いまが~~~♪ よけりゃ~~♪

そう、今だけでもよければ医院だ。

先の事など考えちゃおれんのだ。

 

それが吾らの差が(性)なのだ。

真実と希望とのギャップ  それが性(差が)というものなのだ。

だから、薬という毒を一生懸命飲んで楽になろうとする。

そして、本質は毒なのだからその毒によってまた苦しむことになる。

なんて単純なのだろう。

そして、その背景には自分で自分を治す力が控えているから

なおさら分かりにくい。

だって飲んだから治ったと思っているけど、薬には初めから治す力など無いのだ。
治したのは自分自身の力、つまり不随筋のように、寝ていても心臓や呼吸が休まずに働いていてくれるごとく、治療しているのは自分の内なる力なのだ。

そして、薬という毒を乗り越えてまで治してくれている。

「ありがとうございました」

と頭を下げる相手を間違っているんじゃないの。

だって、本当に治してくれたのは自分の内なる叡智。しぜんりょうのうりょく(自然良能力=生命力)

21世紀で気付よ菜。

 (生命力より)

毒を渡され、毒で病気を造って、それでもあなたは「ありがとうございました」と頭を下げるその低姿勢には

さすがのワシも頭が下がる想いだ。

ただ、「阿呆臭くて近寄りがたい」のだが:::

 

だが、相手の方が先にこちらを「胡散臭い」と遠ざけるのだから、もうワシもシラン。

まあ、この世は充分体験し尽くして、まだまだ飲みたい薬だろうから、止める事もできない。
自由にやればイイサ。

 

 

 

 

 

あ、熱い、暑い、カンカン照りだ。もうすぐ干上がってしまう

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から

なんだか、自分の頭の事を書いている様な標題だが、それにしても熱い。いや暑い。

当痴呆は日照りなのだ。

お日様~いいかげんにして~~

とさけんでも見ても

お日様は「わしは毎日同じようにでているんじゃわい」と大笑いしている。。

じゃあ、雲さんか・・・頼むのは

 

こう暑いともう考えるのも嫌になる(っていつも考えてねえだろうが)

そして、この国の行く末を想いながらも、ああ、にほん人ってホント、熱いのね!

みんなが熱中症にかかってんじゃないの?

なんて思ったりして。

なにに熱中しているかって?

たとえばですが抗ガン罪とかいや、抗ガン剤とかの癌医猟に夢中なんだから汗;

世界でもこれほど、現代医療に熱中できる民族は居ないだろうなあ・・・

そして、このまま続くとかなりの数が居なくなるだろうなあ・・・この民族

 

と、熱いながらも(頭がだが)考えてしまうのは、特に最近の癌死亡者についてだが・・

これも物事に熱中しているヤツに言ってみても無駄というものだ。

「う、うるさい!」とか「ひっこんでろ!」「わしはワシの道を行くのだ!」とか。

 

何でもそうだが本人が熱中している時にどんなに肥をかけても、いや声をかけても無駄というものだが・・・それにしても、「命をかけて熱中する」ほどだから、もう逝けませんな。

いや、逝けますね。

「そんなに急いでどこへ行く」

彼岸だろ・・・いや、彼らは逝きたくないと言って行くんだからねえ。

こんな事行ってみても、それこそ「余計な事を言うな!おまえじゃない!おれがなってんじゃ!」

とまあ、カンカンに怒られるだろうが。

他人事、たにんごと・・・

 

どんな立派な理屈をならべてみても、これこれ鹿じかと話してみても、もう彼らは横を向くほど余裕など無いのだ。それが熱中症という症状だからね。

 

と、なにがなんだか自分でもよくわからん事書いているが・・・

↓ ここを読むとよ~~く分かるという揉んだ。

  (オマエもこれほどの事を雉に白よな・・・ウウッ;)

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーin deep様ブログーーーーー

 

アメリカでもヨーロッパでもガン治療の主流が「代替医療」か「治療しない」ことによってガン患者の死亡率がどんどん低下している中で日本は…

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

コメント

ニッポン!アチャチャ~  ニッポン!アチャチャ~  ア、ソレ~ 
ニッポン!アチャチャ~

 うむ、どうやら熱も膏肓に達したか・・・・

 

追記

  パラケルススの嘆き

ゲーテの名作「ファウスト」のモデルとなった革命児。(1493年スイス誕生)

47才の若さで没するまで、「医学革命」の情熱を燃やして孤軍奮闘。

彼は熱烈なクリスチャンだったが、教会の権威を一切認めず、信仰の基盤を「内なる神」に置き、【貧者の医学】に徹した。

彼はガレノスの医学を痛烈に批判、ヒポクラテスの医を高く評価しつつ、それを超える医を唱えたという。

 

ヒポクラテスのカタルシスは心身の生理的浄化作用。

パラケルススは心身の浄化とそれに伴う「高次元の霊的浄化」と意味するという。
                 魂の浄化と霊性の向上

ちなみにカタルシスとはギリシャ語の下痢のことで、体内の不浄物を排泄する浄化作用を意味する。

つまり、カタルシス、この場合は人間にとって悲劇と見られる病全般について、本質は浄化作用であって、不浄を清浄にする働き。

病とは天恵の浄化作用と岡田茂吉も説いたが

これに、加えて人間の生き方や思考まで及ばない限り、また繰り返さなければならないということのようだ。

身体の浄化作用だけでも本質を説いているが、それだけでは未だ目的に達していないというのだろうか?

そのとおり、ただ単に薬という毒で浄化作用を止めてみても、根本は解決していない。それどころか薬という毒(すべての薬には副作用がある=毒だと言う意味)によってまた浄化作用を繰り返さなければならない。

それに反して、浄霊法という手かざし法で毒を取ればよいと唱えたのが岡田茂吉。

だが、そこには共通したものがあったのだ。

 

それが「依存」、外への依存。

「内なる神」を忘れ「外なる神==薬、手かざし法」

一見、正反対の医療なのだが、じつは共通しているのは外への依存なのだろう。

 

薬には効果がある。(毒の作用だが)

浄霊にも効果があった。(毒を取るという作用)

もちろん、毒を取る方が根源から治すという方に近いし、毒を入れる対症療法はむしろ病を増やすだけであって、軍配は自ずと知れているだろう・

だが、これだけでは未だ未だというのが

パラケルススの病理観

 カタルシスによって健康が回復するということは、単に元の身体に戻るだけでなく

カタルシスという苦しい体験を通して、霊性が甦り、以前よりも霊的に向上した人間へとスパイラル的に回帰することである。

と説いたという。

 

ここが癒やしの原点とも言えるのだろうか?

ただ◎◎頼り、つまり薬等の物質に頼り、もしくは神に頼るという

どちらも「頼りっぱなし」ではまったく逆の様にみえても、根本的に同質の「依存」「頼りっぱなし」になるのだろう。

それがあらゆる治療法に言えるのかも知れないが、その本質がよく現れて見えるのが

「あの猛毒抗ガン剤を飲んでいても癌が治った人も居る」という事なのかも知れない。

 

まあ、個人の寿命は本人も他人も分からないが、その点を主に考えると死ぬ年齢などは副となって主はその「どれだけ霊性が甦るか」「どれだけ本当の自分(神)に帰るか」にあるのかも知れない。

 

う~む、追記にしては、まともに書いてしまった菜

それにしてもほとんど転載記事だったが (あらら )

 

 

ところでパラケルススの憂鬱とは?

それは後でね。

himaari倶楽部ですから、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合成保存料無添加なのに日持ちするパン ?

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合成保存料無添加   →   おお~安心

ちょっと、ちょっと

え?

確かに保存料は使ってませんね、でもね、長持ちさせるにはもっと別の手があるんですよ。

ん? 保存料つかわなくて?

そうそうそうそうそう~そうろう~~

それってなんですかあ~~

 

ここね
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

コンビニのパンは超危険?見えないかたちで大量の添加物、健康被害の恐れ

  (中略)

“混ぜ屋”と呼ばれる食品添加物メーカーがある。混ぜ屋は、添加物の原末(原料)を化学薬品メーカーから仕入れ、それぞれの加工食品に適した食品添加物を製造して販売する業者のこと。東京都内の混ぜ屋の社長に「今、添加物で気になっていることはありますか?」と聞いたところ、社長は即座に「pH調整剤です」と返答した。

  (中略)

製パン業者に『もう少しpH調整剤を抑えて使ったほうがいいと思いますよ』と進言したのですが、『コンビニチェーンからの要求ですから』と受け入れられませんでした。

pH調整剤は“日持ち向上剤”ともいわれ、食品の腐敗を防ぐ役目があるのですが、あんなに多量に添加すると、食べた人の健康保持に不可欠な腸内細菌の善玉菌まで殺しかねないと、心配しています」

  (中略)

通常、食中毒防止に保存料を添加した場合には、「保存料(ソルビン酸カリウム)」などと具体的な使用成分を表示しなければならない。昨今は保存料に発がん性などの不安を感じている消費者が増えており、コンビニや食品メーカーとしては、売り上げに響くので保存料はできるだけ使いたくないのが本音だ。

 

こうした理由から、pH調整剤は添加物メーカーが心配するほどの使用量となっているのだ。

 

  (中略)

いつもイライラしたり、突然キレる人が非常に目立っているのも、リン酸塩の過剰摂取が一因にあるとの指摘も多い。また、リン酸塩はカルシウム以外のミネラル(微量元素)の吸収も阻害する。特に亜鉛を体外に排出してしまう。亜鉛は脳が正常に働くために必要不可欠なミネラルで、亜鉛不足もキレる現象につながっているともいわれている。

  (中略)

しかし、食品メーカーのリン酸塩隠しが巧妙化している。pH調整剤として使用することもその一例だが、ここ数年非常に目立っているのは、

「調味料(アミノ酸等)」の中にリン酸塩を使用するケースだ。一般的に、「調味料(アミノ酸等)」と食品表示があれば、グルタミン酸ナトリウムなど複数の化学調味料が含まれているが、最近はこれにリン酸塩を加えることが多くなっている。

 


コンビニのパンは超危険?見えないかたちで大量の添加物、健康被害の恐れ
文=郡司和夫/食品ジャーナリスト

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

ね、「困憊ニ弁当が危ない」なんていう内用の本が出たばっかりなのにねえ

今度は何年も腐らないマ毒ナルドのパンに続いて、今度は困憊ニのパンだとよ。

まったく、便利この上ない店の営業妨害に繋がるんじゃないのかねえ~

 

そういえば、こんな情報を知ってあの困憊ニの親父がカンカンらしいぞ。

 

ああ、あの親父ねえ、いつも店のパンを食べているとか・・・うわさだけど。切れやすいわけか?

 

マ毒ナルドも大変だけど、今度は困憊にも困っているだろうなあ・・・

それにしても、ニッポン人はパンが好きだよねえ♪

日曜日はパンだとかさ、昼はラーメン、夜はスパゲティ

ん、米はどうした

米ったもんだ。

日本人が米食わなくなったのはどうしてなのかな?

そりゃあ決まってるよ。

米の飯にはあまり添加物使わないからな。

 

そうか、保存料とか添加物入れなくてもちゃんと食える門ねえ

しかし、加工食品ばっかりこう多くてはニッポン人も白雉化するんじゃないのかねえ。

 ほとんどの食品に使われている

「調味料(アミノ酸等)」

ってあるよね。
なんだか、味付けばかりの役割だと思い込んでいたけど、なんとリン酸塩が含まれているとはねえ。

アミノ酸等というけど、「等」ってのがくせ者か・・・

そうだよ、あの家は素晴らしいってよく言われるけどあの家族等となると・・・

そう、キミも含まれているってことなんだな・・

と言うことは・・・

はは、素晴らしくない奴も含まれているってね

ムカムカムカ!

ほらね、キレやすいでしょ。アミノ酸等の影響かもよ。

 

 

そんな状況の日本で、世界では薄々感づいているのに「ニッポンジンマダヤッテルネ♪ 」外人談 

なんのこと?

昨日紹介した雉だよ。

アメリカでもヨーロッパでもガン治療の主流が「代替医療」か「治療しない」ことによってガン患者の死亡率がどんどん低下している中で日本は…

ああ、ニッポン人白雉化か。

白い雉?   そう、頭の中が白紙化しちゃってねえ。
なにも考えもしない、というか、染まりやすいのかねえ~~

だから、上は遊色者、じゃない、有識者と言われる知恵モノから、下は文殊の知恵と言われるご老人衆まで、ガンと言えば増癌剤いや、抗がん剤を有難く戴いて、どんどん死亡数がうなぎ登りだというじゃないか。

 

そうか・・・日本人はニッポン人になって、拍手喝采しているのかねえ。

ニッポン!アチャチャア~ニッポンン!(これを5回くらい繰り返す ーーセルフサービスね)

 

 

 

「ガンの三大治療」では治らないと声を大にして言わないのはなぜ

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毎日、日本のどこかでガンで死んでいる。

人が死ぬのは当たり前のことで、産まれたときから決まっている自然現象なのだが、なぜか癌で死ぬことは別もののように感じるのはなぜだろうか?

 

このブログでもガンの記事が多く読まれているらしい。

だが、ひとは他の病気でもたくさん死んでいる。

それについてはあまり話題にならないらしい。

それはガンと言う病気が特異的なせいなのだろうか?

ひとが死ぬのはほとんど病名を付けられてるが、中には自然に死んで逝く人もいるはずだ。

ガンと言う病が一番の死因になってはいるが、注目される理由はその症状と増加の一途をたどっているという事だろうか。

ガンという病から人の健康や死というものについて何か考えなければならない時代なのだろう。

 

 

 

まずは紹介記事です。

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

『癌3大治療では、癌は完治しない』って知ってますか?

以下の『独立行政法人 国立がん研究センターがん対策情報センター』のサイトのがん情報サービスをご覧頂きたいと思います。
 該当ページURL :http://ganjoho.jp/public/dia_tre/treatment/drug_therapy.html
ご興味がある方は、是非一読される事をお勧めします。一度読まれれば、自分のがんに対する知識があやふやな間違った情報が多い事に気付かれると思います。特に、以下の点を読まれると『抗がん剤は万能薬ではない』ことを国の機関が明言している事がお解かり頂けると思います。

今回関係する部分を抜粋してご説明すると、ここのページの『2.局所療法と全身療法』でがんの3大療法について概要説明がされています。基本的には手術と放射線治療が局所療法で、抗がん剤治療が全身療法に分類されています。
ここでのポイントは、手術も放射線治療の場合も『原発巣にとどまっているがんの場合には完全に治すことができる場合 “も” あります。』と記載されており、手術や放射線治療で治せるケースは非常に少なく、その対応も検査でわかった腫瘍を取り除くだけの『対処療法』だと言えます。
つまり、これらの治療ではがんの腫瘍が出来た原因を取り除いていませんので、がんが出来た原因である間違った生活習慣を変えない限り再発するのは当然だとお解かり頂けると思います。


続いて、『4.がんの薬物療法』には、抗がん剤についての説明がもう少し詳しく記載されています。
ポイントをHPから一部抜粋したのが、以下の内容です。

============
「この抗がん剤はよく効く」と書いてあれば、おそらく「これでがんが治る」と考えられるかもしれません。しかし多くの場合、そういうことはありません。抗がん剤で治療して、画像診断ではがんが非常に小さくなり、よく効いたように感じたとしても、残念ながらまた大きくなってくることがあります。それでも見た目には著明に効いたようにみえますので、「効いた」といわれるわけです。例えば肺がんの効果判定では、CTなどによる画像上で、50%以上の縮小を「効いた」と判断します。もちろん、抗がん剤でがんが完全に治るということもありますが、通常「抗がん剤が効く」という場合、「がんは治らないが寿命が延びる」、あるいは「寿命は延びないけれども、がんが小さくなって苦痛が軽減される」といった効果を表現しているのが現状です。もちろんそれで満足しているわけではなく、がんが完全に治ることを目指しています。しかし、難治性のがんの多くでは、効果よりも薬物有害反応の目立つことが少なくありません。
============

上記をお読みになればお解かりの通り、通常抗がん剤を使用する効果は、悪性リンパ腫など一部のがんを除き『寿命を延ばす事』や『がんの苦痛を軽減する事』に限定されると明記されているのです。また、抗がん剤治療の場合も、今あるがん細胞を駆逐するだけであり、がんになった原因を取り除いてくれる治療ではありません。更に抗がん剤治療は、正常な細胞も攻撃してしまいますし、免疫力が極めて低下します。ですから、抗がん剤でがん細胞は駆逐出来たものの、免疫力が低下する事で肺炎などにかかりがん以外の原因で亡くなる方も少なくないのが現実です。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

しかし、三大治療を全部否定はしないという上記のブログ記事の方のお考えですが

ガン療法に関する報告書(OTAレポート) その1

ガン療法に関する報告書(OTAレポート) その2

 

それは三大治療を拒否した人が癌が悪化して死亡した人も居るというわけです。

これを踏まえて、「癌の三大治療をしなければ治る」というのも間違いとなるわけですね。

たしかにそれは言えることです。

またどんな代替療法であっても治る人と治らない人が居るのは当然のことですから、「医学の三大療法をしなければ癌は治る」というのは当たっていません。

それをよく承知してからの三大療法と非現代医学のあらゆる療法を検討することが大切です。
「これさえやれば治る」という療法は無いのです。

ただ、その人にとっての結果論としてあるのは「三大療法よりはこの療法が効いた」という事になるわけでしょう。

こう言うと、また「やっぱり三大療法をまずやらなければ・・」と思う患者が増えそうです・・・

(実際、医学の三大療法を最初は選択する方が圧倒的に多いという。反対の方はアメリカでも一割弱らしい。)

もうひとつは医師はまったくの現代医学信奉者(当然のことだが)だから代替療法など鼻にも引っかけない。(第一にその様な情報を知らない、知っても医学と逆の論が多いので即非科学的と否定)

ゆえに、医師に相談すれば「そんな胡散臭いものは止めておきなさい。後でエライ目にあってからで手遅れだ」とか言われるのでしょうか?

医者はこの三大療法が今の医学の最高の医療なのだから、他に優秀な方法があるはずがないという思い(思い込み)が強いのと、患者も医学(現代医学)を最高のもととしているのだからこそ、医者の言うことを信用するのでしょう。

 

その様な日本の医療事情というか、癌医療の中身を想像しながらも、私はやはり、患者が一番その責任を持っていると感じるのです。

国も医者も学者も、マスコミなどは当然のこと、現代医学一辺倒の思考というか、それが知識人の常識とばかり思っていて、その他の方法など論外で有りインチキでしなかいとすれば、誰も教えてくれないわけになります。

それでも、知ろうとすれば調べられるのが今の日本人です。

知ろうとしないとすれば、それは心の奥底に何かがあるのかも知れません。

 

 

それはやはり自分の才覚というか、判断、知力にお任せ致しまして、私としては三大療法などしない方がずっと安らかに逝けると一種の覚悟を持っていますので、猛毒抗がん剤などは一生飲むことはありませんね。

 

そこで、書いてみたのが↓

 

 

海外では、特に欧米ではすでに知られてきた「ガンの三大療法」、つまり現代医学の癌治療とされる抗がん剤、手術、放射線の癌治療が

ほとんど効果がない。

どころか

悪化させる

ことが判明している。

そのことをなぜ日本人の多くが知らないのか?

もっとも船瀬さんを始めとして、その様な情報をずっと前々から知らせているのにもかかわらず、それを日本人の多くが受け入れていないという現実。

 

その現実として、年々癌死亡率を上げているということ、並列して医療費の膨張は止まるところを知らず、40兆とも言われる国民医療費+介護等の費用10兆円という記事はInDeep様のブログでよく理解されると思います。

アメリカでもヨーロッパでもガン治療の主流が「代替医療」か「治療しない」ことによってガン患者の死亡率がどんどん低下している中で日本は…

 

しかし、ほとんどの日本人はその事を知らない、

知らされていないのか?

 

日本の医師会はどうなってるんだ?

とか

国の行政機関は怠けているのか?

とか

製薬企業が情報を抑えてしまうのか?

とか・・・

まあ、いろいろあるかも知れません

が・・・

一番の理由は

日本人の多くはそういう情報を知ろうとしない(意識的と無意識的?)ことにありそうです。

 

そう、すべては国民の方に「知る権利」を放棄しているからに他なりません。

 

そして、後になってから「知らなかった・・・」とか「どうして知らせてくれなかったのか・・・」

とか「言い訳」をします。

そう、「言い訳」(自分の責任逃れでしかない)なのです。

 

知ろうとすれば今の時代、捜せば本でもインターネットでもすぐ見つかるのに、大体そういう情報をわざと避けているごとくに見えるのは、やはり、心の内に在るのですね。

「真実を捜してはいけない」

という。

だからこそ、海外から密かに馬鹿にされて「アホナニホンジンヤサカイ」(なぜか関西弁)

こちらでももう売れなくなった「増癌剤」(抗がん剤と名付けているが)をどんどん売ってしまいましょ。

という事になるわけでしょうか。

あの新型インフルエンザで大騒ぎしたマスコミに乗って、世界の7割もタミフルを買い占めてシマッタ日本という国は上も下も知ろうとしない集団なのですね。

日本人は賢い

などとブータンの王様から褒められたりしていい気になってシマッタのかな?

いや、他の分野では頭がよいかも知れないのですが

どうもこの国のニッポン人は医学についてはまったくドシロウトというか、いや、医学を妄信しているのでしょうから、玄人並みなのかも知れませんね。

その玄人である学者や医者達でさえ、その医学を妄信しているゆえに、もうどんな情報を持ってきたとしても見もしない、聞きもしないという三猿主義なんでしょうか。

 

そこで、「何も教えてくれなかった」などと言い訳が通用しないように、すでに国の方でもちゃんとその手は打ってあるようですよ。

「いえいえ、ちゃんと情報はほれこの通り、インターネットで明かしてありますよ~。あなた読んだでしょ? 国の義務はちゃんと果たしてありますよ。」

とね。

じゃあ、医者はどうなんだ?ってなるでしょうが・・

「患者さんが要求するんですよ。何もしないなんて言ったらとんでもない事になりますからね。国の方でも標準治療というガイドラインがありますから。それに反して何もしないで放っておくなんて患者さんが許さないでしょ。」

そう、医者だったらむりやりガンの三大療法を患者に施しているわけじゃないって言うでしょ。

もし何もしないで悪化した場合、今度は医者が訴えられるのですからね。

 

すべては患者に意思があるんです。決めているのは患者ですよ。

イヤなら退院するか、お金払わなければそれでお仕舞いになるわけですから。

「いやあ~オレは酒やめようと思っているんだけどね~。この手が運んでくるんですよ、オレの口に・・・」

じゃあ、そこで口をつぐんでしまえばよいのにね。

「いや~、せっかく手が運んでくるんだから、悪いでしょ。嫌々ながら口を開けて飲んでしまうんですよ。ほんと癖の悪い手なんだから~~♪ うい~~♪」

だれも強制などしていない、いや、つよく薦められたとしても、イヤなら拒否すればそこでお仕舞いなのに、「いや~~せっかく薦めてくれるんだから、悪いでしょ」なんて感覚で、猛毒抗がん剤を飲んだり、手術で「ついよかれと思って」などと切ってしまうのでしょうか?

 

そしてその後の経過が悪いと

次々と悪循環を繰り返して坂を転がって行く。

それでも気がつかない人が大半らしく、次から次へと今の日本人はニッポンジンと化して、長良川の鵜のように抗がん剤を丸呑みしたりしている現実をみると、これはやはり、心の奥底にあるのは患者の意識だと思うばかりです。

 

「知りたくない」という意識です。

 

もっとも知りたいと思っていろいろじょうほうを集めるのでしょうが、それが的外れな情報ばかりだったりするのでしょうか?

何年も前から本でもありますし、そういう本は読みたがらない。

もうこれは無意識下で「知りたくない」という意思があるかと思うのです。

 

戦時中に「負け戦の報告など知りたくない、聞きたくない」というような心理かも知れません。

 

情報など山ほどあるのに、それを知らない、いや知ろうとしない日本人。
それが医学、医療に関してはあまりにも凄い、いや酷いのでは?

 

こんな事を思いながら、今日も日本のどこかでガンで死んで逝くひとが居る。

しかし、他の病気で死んで逝く人も多いはずで、ガンだけでなく人の死を考えてしまいました。

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いま腰が腰痛です

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追記 

(おい、追記を最初に書くな!)

いえいえ、世間の常識に逆らうことが人生の一番の楽しみでしてねえ~♪

それはともかくとして、

「医者が患者をだますとき」の全文が読めますよ。今の内にダウンドウゾ。

http://japansos.web.fc2.com/honnenokokuhaku00.html

 

これから本文 (後で「おまけ」がついております ←こちらの方が重要などとは思わないでね)

 

腰が痛むのを腰痛というらしい。

頭が痛むと頭痛

フトコロが痛むと   貧痛?

 

腰痛は何度もなったが、人生において

腰が痛むと何もやる気がでん(=でない)のだが、

 

昨日のアクセスが伸びていたので、なんでやろ?と思った。

どうやら韓国何チャラというところから来たらしいのだが、なんでやろ?
関連した記事などないようだし、

 

まあ、どうでもいいけど。

腰が痛い・・・

いや、単に居たいと言うより、病むという感覚かな

ズキズキでもないし、緩慢に痛むので楽でない。

当然仕事もしたくない、(だいいち金儲け仕事は来ていないしね。)

世間、仕事と言えば

仕事=収入がある

 

じゃあ、収入がなければ仕事じゃないのかよ!

古今東西、収入がなくとも立派な業績(仕事の結果だが)を残した人は数え切れない。

 

だが、世間話でも友人痴人同士の会話でも

「おい、仕事してるか?」

「いや~~それが、なかなかでんな~~」

と言う風に、仕事=収入 という方程式を入れている野田。

 

じゃあ、収入があればなんでもいいのか?
収入がなければ、仕事とは言えないのか?

じつは、ボクはいま腰痛と楽しみながら立派に仕事をしている野田。

 

それがこの能書きを書いていること。

これがボクにとっての生業、いや正業なのだ。

じゃあ、腰痛だろうと立派に仕事をこなしているじゃないか!

 

と自分自身を褒め称えて終わりとする。

 

 

おい!

ん?

自我じいさん、じゃない、自画自賛でおわるのか!オマエの仕事はそんなにくだらんものか!

こういう人の言う事など気にしてはならんのだ。

自分で自分を誉めるこの才能があっての当ボロ愚主なのだから。

 

おまけ

紹介したい記事が出ていたので、いつものようにそっくり転載(←これがよい仕事というものだ)

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーhttp://insidejobjp.blogspot.jp/2013/05/orz.htmlよりーーーー

<転載開始>
01. 2011年2月09日 11:03:15: hFdecj49VQ
貴重な情報をありがとうございます。

ひとりでも多くの人が気付いて行く。
そういう流れが世界中で起こっているのですね。

大正天皇の侍医だった入沢達吉博士が「私が生涯において人の命を救ったのはたった一度。橋の上から飛び降りようとしていた人を助けたことだ」
とは、あまりにも医学の本質を突いている話しです。

要は対症療法で命を救う事は出来ないという事を喝破していた博士ですが、そこは自身の職業柄からやらざるを得ないという自己矛盾を感じていたと思います。
それが辞世の句にあらわれているようです。

「効かずとは思えども、人に与えし薬 我も飲む」

つまり進歩しつつある大正時代においてもクスリという本質は病を治すのではなく、あくまで症状停止の為の一時的手段だという事を知り得ていた博士も、人の治療には使っていたわけです。

自分の死に際に弟子達(医学界の重鎮として)から与えられる薬なのだけど、「効かない」(治せない薬という)事を知りつつも自分は人には飲ませていた事を考えると義理で飲むしかないという、一種自虐的な心境を吐露した言葉でしょうか。

現代医療においていま一番目をひくのが癌医療と並んで感染症に関する医療でしょうか。現代医療と言えば現代西洋医学と言われるものです。

その現代医学の学問体系に則って各種の医療行為が行われるわけですから、現代医療とは現代医学という土台によって成り立っているわけです。

その医療のうち、例えば癌医療とか感染症予防(ワクチン等)とかに疑問がわくような事実が見えてくるとしたら・・・・

それは医学の上で何か基本的な間違いがあるという事です。

じつは医師も各分野に分かれている医学者達もすべてそれまで出来上がって(長年積み重ねられた)医学論の集大成を基本として、土台にしてさらに進歩使用としているわけですから、医療に不具合が出てくるとしたら「医学に不具合がある」という事を認識しなければならないのです。

しかし、この薬Aがおかしくなった・・・じゃあ、他の薬B,C・・X,Y,Z・・と切り替えるだけなのです。

根本はどこにあるかというと、「薬で治る」という土台なのですが、
決してそこには近づかないわけです。

予防接種にしても、「ワクチンは効く(感染症を予防できる)」という医学上の土台から種々なワクチンが開発されてきたものです。

ここでもワクチンAが効かない、とか危険な害作用がある・・と分かれば、次はBやCが続いて出てくるわけでして、決して「ワクチンで予防できる」という医学上の土台(基本)は無くさないわけです。

この医学大全という様な過去からの膨大な資料を集めて、それがすべての研究の元となり進歩の土台となっているわけですが、そこに何か不具合があるのではないか等という基本的土台についての見直しはされて来なかったわけです。

多少の細かい修正はされても基本的土台というものはそのまま残されて、しかもその土台そのものが怪しいとは誰も否定しない、いや否定できないような体制が世界中に出来上がってしまったわけです。

医学に携わる人達は現代西洋医学大全を教科書としているわけでして、そこから外れる様な論を持つ者は医学関係に登用されない、無資格者として烙印を押されるだけですから、まず第一番目に医学をめざす人は「現代医学を全面的に信頼して認めること」が肝心となります。

世界の政府も省庁の役人もその「現代医学」を全面的に信用して国の政策に応用しますから、誰も異を唱えるどころか、異を唱えたら世間から村八分状態にされ るわけでして、ほとんどの人は産まれて子供心がついて、親や学校で教育されるのは「現代医学は信用できる確立された科学だ」と・・

この様に「現代医学は絶対的権威を持った科学であり信用に値するものだ」という一種の洗脳教育の様なものを施された人々が大勢占める世界が「普通の世界」 になっているのですから、たまたまその欺瞞というか、どうも真実ではないという事に気づいた人が出てきても、なかなか世に出ない様になっているのです。

「現代医学は宗教である」と ロバート メンデルソン医博は著書に書いていますが、

「現代医学という学問体系の中に嘘や迷信が含まれている」という事に気づいたものでしょうが、しかし、大半の医学者を始めほとんどの人間はそうは思っていない、つまり「現代医学大全」を絶対的に無批判に信じ切っているから、それは宗教と同質なんだという意味です。

宗教信者というものはその宗教の「教義(教え)」を絶対的なものとして信じています。そこには批判などあり得ない世界です。少しでも教えの中に疑問があるとしたら即刻その人は不信仰者の烙印を押されてしまいます。

「信仰とは神の言葉(教祖の言い伝え)を赤子のごとく信じ切ることだ。
たとえ黒と思えども白と言われたらしろと思え」の様な感覚です。

ですから、教義絶対主義、よく言えば素直に信じる熱心な信仰者。
悪く言えば、無批判、鵜呑み、妄信にも繋がる自己を無くした他者(神)崇拝者。

その宗教に「現代医学」が加えられる等とは夢にも思わないのでしょうが、それをロバートメンデルソン医博著「医者が患者をだますとき」に詳しく書かれています。

では、その博士の言うことが絶対正しいのかという事もまた必要なのですが、そこには批判精神が残されています。

しかし、現代医学信奉者にはその批判精神が残されていない状態だと思われます。だから、医学上の根本的なものには決して手が触れられない一種の絶対的宗教教義の様な存在であるわけです。

しかし、この時代になってインターネットというような仕組みが出来てからその様な時代が終わりを迎えたのではないでしょうか。

玉石混淆、味噌糞一緒と言われながらもその中には今まで誰も伝えられなかった様な情報が含まれる様になったのですから、我々はその中から難しいながらも選び出さなければなりません。

世界医薬産業の犯罪」を書いたハンス・リーシュ氏はまさにその様な作業をした結果なのです。

(引用者注:左はハンス・ルーシュの写真。
右にある文章の和訳:
インフルエンザ ワクチンという不正なボロ儲け
1981年10月1日にフランスであったワクチン関連の裁判において、カッコよく見えるパストゥール研究所の所長だったマーシー[仏語だとメルシか?]教授は「効果がないことがわかっているのに、何故研究所はインフル・ワクチンを製造し、売り続けているのか?」と尋ねられた。彼の率直な答えは「研究所のリサーチ費用の資金調達に助けになるからです」)

その当時はインターネットなどという便利なものは未だ一般には使われなかった時代、世界各国の医療関係者の発言や論などを集めていた氏が気づいたわけです。

いままで教え込まれた医学の話しとは違うということが。
その後にも
世界の医師千人の証言集として「医療の犯罪」という本が書かれました。

これも断片的な証言を集めてみた結果、驚くべき結論が出て来たわけです。
現代医学は根本から間違っていた!

日本においては千島、松下博士の論で知られていますが、これも40年以上も前に国会の特別委員会で論議の主題に取り上げられたのですが、没となっていました。

医学界でもそういう先駆者達は少なからず居たのでしょうが、ほとんどが異端者として扱われ消え去って行きました。

ところが皮肉なことに宗教界において徹底的に現代医学批判をした人物が昭和初期にこの日本に現れたのです。
それが岡田茂吉です。

しかし、宗教による活動のため、それは信者ゆえの固定された世界だけという伝わり方で終わり、また宗教組織という弊害も後になって顕れてしまい途中挫折という形でしょうか。

いま宗教の役割は終わろうとしているのが今の世界状況でしょうから、宗教の教義でさえも取捨選択の時代を迎えていると思われ、その取捨選択をする者は信者であっては出来ないという矛盾も抱えているわけです。

なぜなら「信者は教義に絶対忠実であり無批判でなければならない」という「基本的教義」があるからです。

その点においては「現代医学批判」を出来ない医学者や医師達も似ているところがあります。

さらに政治家、役人、教育者・・・報道関係者・・ありとあらゆる分野において社会の常識「医学の基本は正しいのだからこれを進歩発展させる事が唯一の道」だと信じている社会ですから、これを覆すような情報がなかなか世間一般に受け容れられないのです。

「みんなが理解したら私もそれに従う」という人はダメなのです。
まず「私が理解する」という意志が必要なのです。

もちろん、無批判的に医学批判論を信じる事はいけません。
あくまで自分が納得できる事だけから始めることです。

「大勢の人達が・・」という依存はもうかなり危ない時代になってきています。

「少数であっても自分が納得できる事のみを選択する」

これが出来る様でなかなか難しいものです。

人は常に他者の価値観を気にして生きていますから。

後は個々人の健闘(検討)を祈る!


追記

参考図書として
世界医薬産業の犯罪。千人の医師の証言集・医療の犯罪医療殺戮
この3冊読むだけでも医療の実態が分かります。
予防接種関係では
危ないぞ予防接種
もかなり詳しい。
みな検索すれば出てきます。

現代医療の9割は必要ないものだ。
とはロバート メンデルソン医博著「医者が患者をだますとき」

結局は現代医療の一割程度しか必要なしという主張に対して、どれとどれが不必要かというよりも、どれが本当に必要なのかを選んだ方が早いと言えるかも知れません。

が、なかなかそこまで行くには時間がかかるでしょう。
つまり不必要なと言われるその9割にはワクチン接種や癌治療も入っている訳でして、反対に医療産業複合体はそれらを「必要不可欠なもの」として盛んに宣伝して推進しているからです。

一般人がどこまで気づけるか?
膨大な宣伝力(教育から国の政策まで)に対抗するほどのものは無いからです。

それにはたったひとり、自分が決定するという意志しか残されていないのかも知れません。

誰それの情報という選択肢よりも、
情報そのものを取捨選択する技量、というより、ほとんど直観力しか無いかも知れませんし、その直観こそ今の時代に一番信用できるものかも知れません。
(この書き方で誰が書いているかばれちゃいますね  笑い)
http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/843.html#c1
<転載終わり>

今、思うにこのコメント者は
私の父のように教育を通して洗脳されたが、父同様に疑問を抱き
疑問をもっと追及して「医学の嘘」に気づいたお医者さんかな。(^^;

アマゾンで見かけたこんな書評も、現代医学の嘘を暴き、真実を伝えていますよね。
「騙された!」と気づく人が時の経過とともに増えているし、現在のところはネットがあるから、この神話が崩壊する日もそう遠いことではないかもしれません。


★転送・転載の際は、この記事のURLを必ず入れてください。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

はい、http://insidejobjp.blogspot.jp/2013/05/orz.html

ですよ。

 

上記のコメント記事を書いた人はキット「お医者さんでも医療関係者でも無い」と思いますよ。

まあ、知能程度はそれほどでの無いようです、作文のナンだかなあ~という程度。

でも、本質は突いていると思いますね。

きっと立派な仕事をされている方でしょうねえ~~

ただし、いつも金にならない仕事を好んでいるのでは無いかと推察しております(爆

 

あ、それから松下博士→森下博士 ですよ。

キット、この方は一度思い込んだら死ぬまで突っ走るオツムのようで、いつまでも治らない正確らしい・・・

まあ、立派な仕事をしているから

イイか・・

 

 

 

 

 

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