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「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

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    松本英聖著 「二十一世紀医学革命へ」より

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

       伝承医学信奉人口は全世界の七五%



     日本の医学は文明開化の足音と共に明治七年(一八七四年)、太政官布告(政府命令)をもってそれまでの東洋医学を切り捨て、西欧医学を正統医学として受け入れた。
    以来百二十年間、これにドップリとつかり、いまでは医学と言えば、誰しも西欧医学だけと信じ込む時代を出現した。


     だが、世界は広い。お隣の中国医学はすでに現代医学と実力を競うまでに成長し、またインド医学も最近になってその隠れた実力が国際的に知られるようになり、さらにアラビア医学(イスラム世界)もようやく厚いベールの中からその片鱗をのぞかせ始めた。いずれも数千年の歴史をもつ世界三代伝承医学だ。


     ちなみに、この地域の人口分布を見ると、中国(一三億)、インド(八億)、西アジア・イスラム諸国(十億)の総人口は全世界人口の五六%(約三二億)を占め、これにアフリカおよびラテンアメリカの人口を加えると、実に世界人口の七五%(四三億)に当たる。


     この膨大な民衆がいまなおそれぞれの民族伝承医学を信奉しているわけで、残りの二五%(一四億)と、ほんの一握りの途上国のエリートだけが現代医学の信奉層に過ぎない。この比率は西暦二千年になると八対二に広がり、さらに二十一世紀半ばには九対一になることが予測されている。


     この数字が示すように、民族伝承医学の信奉者は日時と共に大きな勢力に発展しつつあるのだ。
     だが経済力から見ればこの逆で、わずか十数%の先進国が世界経済の八〇%以上を握るというアンバランス。


    この恐るべき経済格差の上に現代医学が成り立っているわけだ。しかも昨今では先進国でさえ天井知らずの医療費急増に悩み抜いているのだから、まさしく金力医学であり、〝亡国医学〟と言わざるを得ない。


     このような医学が果たして世界五十七億の人民を救いうるのだろうか。アルマ・アタ宣言が声を大にして医学革命(健康づくり)を叫び、中国が激しく「ソ連方式」を非難したのも当然であろう。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    日本人と言えば、賢人などと思う外人さんがいるらしいが、こと医学についてはまったく無知蒙昧と言ってもよいほど。

    といえば、オマエ野蛮人か!と突っ込まれるだろう。

    だが、ボクはオマエ欧米か!と答える。

     

    まあ、漫才のネタ話じゃ無いが、なんでも噛んでもやっぱり欧米か!という日本人には信じがたいだろうが、世界の医学を席巻していると思っていたのはボクばかりではないだろう。

    それは人口比でみると西洋医学(現代医学とも言う)は世界の医療の一派に過ぎないということだ。

    ただ、異なることは、その背景にあるのが経済力だということだ。
    筋力によって弱い者を抑えつける。その筋力が金力に替わっただけ。

    もっともその筋力{軍事力 さえも、金力が支えているのだが・・・・

     

    世界の経済の九割を一%の人間が支配する

    などと語られていますが、今の日本人はやはり金力地図で言えば支配層の方に属するのだろう。

    といっても、国民全部で無く、金力があるのはやはり数%なのだろう。

    その金力が握った金の玉、(人体じゃ無いぞ)それが「人民の金球じゃないか!「人民の生命と健康」なのである。
    まあ、命より金の方が大切という人も居るだろうが・・

    その重要な金球、「生命と健康」を握っているのが現代医学、つまり西洋医学。
    日本はほぼこれに金球を握られているのだ。(あ、女性もそうなんですよ~)

    だから、医者にかからない、薬も飲まない・・なんていう人は
    馬家か吉外にされてきたのです。

    ようするに、西洋医学以外はトンデモナイ医学にされてしまったのですね、明治維新以降。

    だから、維新の何とかなんて名前付けるのはかなりヤバイと思うようになりましたね、最近。

    優れた伝統医療も世界では未だ未だ現役だという事を知りました。
    ただ、この本は20年前なので、いまや国連WHOを親方にして世界中を巻き込んでシマッタかどうかは現在は分かりません。

    だが、結果をみれば一目瞭然。

    もはや、ガンは増えるは、難病は増えるは、しかもタダの風邪の流行でさえも恐怖に脅えるという始末、医療費は年々増大し、医師も増やしているというのに、一体この体たらくは

    救命の堕天使かい!

    まあ、医学批判は個人批判ではありませんからね。いくらでも言えるのですが、お医者さん自体が医学に騙されていると思えば庶民など赤子の手をひねるよりも易々と・・・イテッテテ~~

    上記の前文は

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    27P
      第三章、 医学の正当性をめぐる東西の激突
           - 「医療選択の自由権」確立をー・-


       医学の普遍性をめぐり激しい論争

     アルマ・アタ宣言への道は平坦ではなかった。
    道は険しく、幾度となく会議がデッドロックに乗り上げるという茨の道、まさに陣痛の苦しみであった。
     それもそのはず、〝病なき世界〟をこの世に、しかも今世紀末までに実現しようという人類史上空前の世界戦略。
    そのコンセンサスを強(したた)か者ぞろいの国際会議でまとめ上げるわけだから、すんなりまとまる方がむしろ不思議なくらいだ。
     口角泡をとばす激論の果てに席を蹴って退席、会議はストップし、その合間を縫って妥協工作と根回しが続く。舞台回しの立役者はマーラ-国連WHO事務総長。〝病なき世界〟をめざす彼の情熱と百戦錬磨の国際手腕がなければ、恐らくアルマ・アタ宣言は日の目を見なかったであろう。まさに産婆役であり、時の氏神であった。
     ではなぜ、国際会議はそんなに荒れたのであろうか。
     対立の焦点は医学の普遍性と正当性をめぐって、東西両医学(東洋医学と西洋医学)が真正面から激突し、国際世論を二分して激しい激論が巻き起こったためである。
     謂わば医学の正邪を分ける世紀の戦いが、国連を舞台として繰り広げられたわけだ。
    旧ソ連と中国が真っ向から対立
     論戦は中国代表(東洋医学)と旧ソ連代表(西洋医学)を主役として展開された。
     旧ソ連は現代医学(近代西欧医学)の輝かしい成果をふまえ、近代医療技術を駆使することが世界戦略の正統的手段(ソ連方式)であるという「北の論理」を展開、その実証地としてアルマ・アタを挙げ、実地検証をかねてこの地で国際会議を開くよう強く要請した。この提案に対して、日本を含む先進諸国および東欧中進諸国など、近代医学を正統祝する主として白人系の諸国が支持した。
     旧ソ連とすれば、かつて中央アジアの古都として栄えた廃墟に、近代技術の粋を集めて緑したたる新興オアシス都市を不死鳥のように甦らせた「ソ連方式」の実力と実績を全世界にPRしたかったのであろう。
     それにしても、いまの日本人の常識ではソ連の提案はごく当たり前のことであり、異議を挟む人はまずあるまい。誰もが現代医学の普遍性と正当性を固く信じて疑わないからである。
     ところが、中国の考えは違った。先進国の主張に真っ向から反対する「南の論理」を展開し、自国の中国医学をはじめ諸民族古来の伝承医学の正当性を認める「中国方式」を提案して、「北の論理」を激しく論難した。
     この中国の主張は途上国(主として有色民族)の圧倒的な支持を得て国際世論を二分し、決定的な対決へとエスカレートした。
     「北の論理」に立つか、「南の論理」を認めるか。
    医学の正当性をめぐって論戦の火蓋は切って落とされた。まさに〝東西医学の激突〟である。

    29P
      現代医学(西欧医学)か伝承医学かの南北対決

     中国の主張(南の論理)は、こうだ。
     「先進国(ソ連方式)は、近代西欧医療の一面の成果(伝染病対策)だけを誇示するが、その反面では慢性病が急増するなどさまざまな矛盾が噴出している。であるのに西欧医学だけが普遍妥当性をもった唯一絶対の正統医学であるとして、これを全人類に押しつけることは虚構の論理であり、白人優位の思想である。
     このような論理は、民族の主体性と歴史性を否定し、有色人種の伝統文化を蔑視し、根こそぎ破壊しようとする恐るべき偏見である。各民族にはそれぞれ固有の伝承医学(中国医学やインド医学、アラビア医学など)が現存している。これら伝承医学を次世代が引き継ぐか否かは民族自決権に委ねるべきものであって、他国がとやかく口をはさむ問題ではない。
     現に中国は、中国三千年の伝承医学を発展的に継承することによって、伝染病を見事に克服し、国民体位も平均寿命も、そして疾病構造まで大きく改善された。こうした主体性に目覚めた人民パワーこそ、〝病なき世界〟を実現するための医学の主人公であり、歴史の原動力である」中国はこのような論理に立って、中国医学の実情を実地検証するため、北京での国際会議開催を強く主張した。
     アルマ・アタか、北京か--。開催地をめぐる論戦は、実は医学の普遍性と正当性をめぐる対決であり、それは現代医学(西欧医学)か伝承医学かという民族のアイデンティティーをふまえた南北の対決であった。
     またそれは、十億(二五%)の先進国民が信奉する白人医学に対して、四十億(七五%)の有色人種パワーを背景として掲げられた民族伝承医学の主体性宣言であり、医学の主人公は誰かという問いかけでもあった。

    30P
       開催地はアルマ・アタに、民族自決の伝承医学は承認

     医学の正当性をめぐって繰り広げられた果てしない論争は、結局マ-ラ-事務総長の燃えるような情熱と不退転の信念、そして精力的な調停工作によってようやく双方の面子を保つ形で終結し、アルマ・アタ宣言がなされた。
     彼は両者の対立を解消するに当たって、次のような趣旨で両者の言い分を調停した。
     「病なき世界をこの世に打ち立てることは人類共通の悲願である。その目的を達成するための世界戦略(手段)がプライマリ-・ヘルス・ケアであるから、その手段として、当該地域において、民族固有の伝承医学が役立つと考えるなら、大いに活用すればよい」
     つまり、伝承医学を一律に否定するわけではなく、地域住民のニーズに応じて適用すべきであって、その採否の決定は民族自決権にあるという原則を示したのである。
     この調停によって、双方が歩み寄り、開催地は旧ソ連(先進国)が望むアルマ・アタに決まって大国の面子は保たれ、また中国(途上国)は北京での開催を断念する代償として、民族自決権の下で伝承医学の正当性が国際的に承認されたのである。
     しかし、中国はアルマ・アタへの参加をボイコットした。そうすることによって、世界には少なくとも中国医学というレッキとした伝承医学が現代医学と共存している事実を全世界に示したわけで、どこまでも筋を通したわけだ。
     かくして世界の医学は、これまでの西欧医学一辺倒の時代から、民族伝承を対等の立場で容認する多極化時代へと移行した。この流れは、やがてインド医学やアラビア医学を巻き込んで大きな潮流となるであろう。すでに西洋医学万能の一極支配時代は終わりを告げ、健康づくりを導く新しい医学の時代が東洋から明け染めているのだ。
    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

    まあ、こんな話誰も知らないでしょうね、

    アルマ股? なんだそれ・・・・新手のマッサージか? アロママッサージは分かるが。。股・・?

    なんてね、

    そう言えば最近のラジオのインタビューで「素粒子」って知っていますか?

    おばさん「そりゅ~し~?」 「ひとの名前ですか~~」

    是非、街頭インタビューして貰いたい。 アル股じゃないかよ!! 「アルマ・アタ宣言」って知っていますか?

    だいたい、質問者がアル股なんて言うくらいだからねえ ← あ、和紙だったか・・





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    どれどれ~~メニュー見せて

    あれ、これひとつなの?
    他にないの?

    はい、当店ではメニューの選択はないのであります。

    でも、外人さんは選んでいるじゃないか!

    はい、アナタにほんじんアルネ。だから選択権はないのでアリンス。

    なに~~、あれよく見れば他にページがあるじゃないか!
    どうして見られないように糊をつけてあるんだ!?

    アナタガタ、ニッポン 、メ~ジジダイ キメタアルネ♪

     

     というわけで、わが偉大なる聡明な民族国家、日本国では美しい国ニッポン!を目指して、明治の時以来、美しいのは西洋、汚いのはトウヨウ、ニッポンあるね  という事で、その臭い物にふたをしてシマッタようですね。

    しかし、ほんとうは「臭い物にも味がある」(くさや等)のに、一律にふたをしてシマッタわけ。

    そして、おれ、これも喰いたいんだけどねえ~~♪

    と望んでも、「いやいや、そんなのイヤ」じゃないか!「それはダメですよ、そんな古くさい医療、もう捨て去ったんですから」と、それでも喰いたかったら自腹ですよ、こちら(西洋医療)なら、タダ同然(と言って始めたが金がかかりすぎて、いまや三割負担だが)と、香ばしい香りプンプンさせてきたもんだから、もう大衆ギョはそっちキメタと大はしゃぎ。

    損なことで、いまや大衆ギョは西洋料理一辺倒というわけで、他の伝統食はメニューにも載せないで来たもんじゃ焼きだから、陰でコソコソ食べていようなら、追いチョット恋とばかり、新聞の見出しによく使われる「偽医療横行、国民は注意せよ!」と。

    そりゃあ、幾つも偽物があるのは確か。だが、こういう手口は「偽物を捕まえて、本物まで偽物に思わせる」という古くからあるやり方。

    損なこんなで日本国では正調音頭、いや正統医療は西洋医学と決められ、思わされてきたのです。

    だから、もしそれに不満やこんなの食えないとかいう輩は、現代的村八分(社会制度的に)されてしまい、そんなのは非国民だとバカ理に「あたま可笑しいぞ」となってしまうのでございます。(まあ、中には本当に可笑しいのも居るからね 、あ!)

    他のメニュー選ばせないという方策はほぼ成功したのですが、なんたって金かかり過ぎちゃって・・・
    もう少し減らせないか・・な

    なんてことで医療費抑制政策というのが近年横行(言葉使い習えよ)しまして、それが現場の医者達を苦しめているようで、なんと言っても気の毒なは現場のおいしゃ様なのかも知れません。

    だって、まじめに医学教育(西洋医学一偏頭だが)をして、まじめに薬を信じて、そして、せっつく患者さんにそのお薬を出さねばならないというまさに古来から続いてきた医学の神の犠牲者なのかも知れません。

    というと、患者さんが怒り出すこともあるので。

    でも、「一番くすりを欲しがっているのは患者さん」というのが実態だと分かった日には、もう〈何も知らない〉とか「素人だから玄人にぜんぶおまかせ~♪」なんて「言い訳」はもう全然信用しなくなった今日この頃なのです。

     

    おい!

    まえがきが長すぎたかな・・・・・

     

     

     

    松本英聖著  「21世紀の医学革命へ」より

    ※ご注意   1995年の本です。

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

    33P
        「医療選択の自由」が全くない日本

     ところで、民族固有の伝承医学をあっさりと捨て、国を挙げて外来医学にドップリと浸かり込んだ民族は、世界広しと言えど日本民族ぐらいで、きわめて珍しいケースだ。


     お隣の韓国や台湾では、かつて日本に武力統治された時代には、西欧医学だけを正統医学として強制された。が、日本の敗戦(一九四五年)で彼らが独立すると、すぐに伝承医学(東洋医学)が復活し、東西両医学を併存させて、どちらの医学を選ぶかは個人の自由に任せている。中国もインドもそうだ。国民は自分の自由意志で自分の好む医療を選べる仕組みになっている。つまり、「医療選択の自由権」が政府によって保障されているわけだ。


     ところが、今の日本には〝医療選択の自由〟は全くない。

    政府公認の正統医学は現代医学(西洋医学)だけだから、臨終のときはイヤでもそのやっかいになり、所定の手続き(死亡診断または死体検案)を経ないと葬式さえすぐには出せないと言う実に不便(というより不可解)な仕組みになっている。


     なぜ自分が選ぶ死に方ができないのか。


    昨今話題になっている尊厳死や死ぬ権利の問題と併せて、とっくりと考えてみなければならない重要な課題であろう。とにかく医学は一つ(西洋医学)だけではないのだから……。



    34P
         現代西欧医学は一つのローカル医学

     「みんなで渡れば恐くない」ーー、最近よく耳にする言葉であるが、日本人の集団行動心理を見事に言い表わしている。弥生以来の農耕稲作民族が四つの島でひしめき合って暮らしてきた日本人としては、みんなと同じ行動パタ-ンをすることが習性であり、それがまた安心感につながるわけだ。


     だから、世界人口の七五%がいまなおそれぞれの民族固有の伝承医学を頑なに守り続けていると言っても、まずピンとこない。


     むしろ、「古くさい伝統医療や、いかがわしい民間療法がいまだにはびこっているのは、彼らの社会が貧しく、教育や文化水準が低いからだ」というように受け取りがちだ。だが、これは日本人特有の集団意識であって、自分たちの仲間がやっていることは世界中に通用すると思い込んでいるだけ。医学でも、みんなが信用しているのだから間違いはない、しかも先進諸国でやっている医学だから世界最高の医学だと錯覚しているに過ぎない。


     だが、すでに見てきたように、世界には三大伝承医学をはじめさまざまな伝承医学が現存している。そこで、これらの医学の存在を謙虚に認めて尊重し、その医療を受ける権利を保障することが大切である。その意味で〝医療選択の自由〟とは、信教・思想の自由と同じ基本的人権の一つである。いずれの医学を選ぶかは個人の自由であり、決して他人がとやかく言うべき筋合いのものではない。


     現代医学を選ぶのも自由、東洋医学を選ぶのも自由、そして自らの意志で医療を拒否することも自由である。


    このような〝医療選択の自由〟を保障する社会こそ、真の意味での民主国家であって、こうした社会の上に〝病なき世界〟は実現するのである。


     その展望と〝医療選択の自由権〟については、本シリーズ『松本英聖・医事論集 第二巻』(医学と生命)に詳しく述べたので、参照されたい。


     ともあれ国際化時代を迎えたいま、そして医学の多様化が国際的に承認されたいま、現代西欧医学はすでに少数派医学となり、やがて他の伝統医学と共に一つのローカル医学として位置づけられる日が近づいていることだけは知っておいて頂きたい。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

    ツンボ桟敷に置かれた日本人

    と言われても、何がそれなのか? 

    選びようが無いじゃないか!

    だってメニューに載せないんだもん~~~

     

    いままではそれで通せた・・・

    だが、いまや、その独占支配医療、西洋医学一偏頭の日本の医療が立ちゆかなくなって、もうお仕舞い寸前のところに来ている・・・と自覚する庶民は少ないだろうが・・・・時、

    「当店はこれしかありません」じゃ、その店はそのうち閉店してしまうしかないでしょうね。

    だって、金だけ取ってちっともおいしくも何ともない料理食わされてきたと、皆が気づいたら・・・

    前に「医療幻想」という本を紹介しましたが、その幻想を作っている大基、大元はイッパンタイシュウですからね。

    あちら側(医療産業全体)だけが幻想作っているのじゃありません。

    むしろ、土台をしっかり支えてきたのがイッパンタイシュウです。
    その幻想、夢がどのようにして打ち砕かれるのか?
    それは個人の気づきはごく少数であって、

    ボクはおそらく金だと思います。

    金の切れ目が縁の切れ目

    これが医療世界にも起こるのでは?
    そう、意識の気づきじゃ遅すぎるというか、時間がかかりすぎるような・・

    一気に変化するのは、金、金、カネじゃあ~~~

    嗚呼、もの言えばフトコロ寂し♪

     

     

     

     

     

    ・・


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    我ら日本人には自由がない  と智惠子は言った。

    そう、日本には医療選択の自由がないのだ。
    どうしてそうなったのか?

    それを旗本退屈男が紐解いてみよう・・・

    って、自分がやったわけじゃないか!

    で、世界は西洋医学だけではないという事と日本だけはなぜか西洋医学一偏頭という記事でした。

    その辺の事情は、アル股、じゃないか!アルマ・アタ宣言で理解されたと思いますが・・・

     

     

    先回のbaka解説で、アルマ・アタ宣言を歪曲するような事を書いてシマッタ!のですが、

    かいつまんで見ますと、世界は人口比で言いますと、西洋医学(日本では「科学的現代医学」としている様ですが)は少数派なんですね。

    ただ、世界の先進国(お金のある国ね)達がそろって採用しているということで、国連WHOとかいう機関もあるし、まあ、医療の世界支配と言えば聞こえは悪いでしょうが、牛耳っているということでしょうね。

    そのWHOは世界の医薬産業からの寄付金(まあ、言い方は寄付だけど、黙ってカネ出す奴居ないね、しかも営利企業だし)を貰っている事実。

    いまや予算の七割だと言われ、増え続けているわけそのうち、八割にもなれば、もうリッパな営利団体ですよね。幹部さえどうこう出来ると後は上から下へ・・・と。

    企業でも五割以上の(株)を所有できたら、もう「われのもんじゃい!」ってなるんじゃないの?

    そして、下請け企業の新聞屋さんとかテレビ屋さんとか、諸々の情報産業を傘下に入れてしまえば、もう占めたもの。

    しかも学者(御用専門)なども多く抱え、この娑婆は思うまま、そして、かかるお金は国民税金とくれば、団扇片手に鼻ホジホシしながら、せんべいかじっている(って、おい奧さん、怒るぞ)

    もっとも、現代はエアコンかけて、ソファ~で横になってか・・・・

     「ねえ~アンタ、茶碗洗ってくれた~~?」なんてドス声で声かけられた日には・・・

    あ、脱線自己

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     松本英聖著  「医学と生命」  (1995年刊)より

    210P
        医療選択の自由権

     「みんなで渡れば怖くない」、最近良く耳にする言葉だが、日本人の集団行動心理を見事に言い表している。弥生以来の農耕稲作民族が四つの島でひしめき合って暮らして来た日本人は、皆と同じ行動パターンをすることが習性であり、それがまた安心感に繋がるわけだ。
     お上が西洋医学と言えば一斉に従い、戦争となれば一億玉砕を本気で信じ、戦後は官民一体となって経済大国へと狂奔する。兎に角、良きにつけ、悪しきにつけ、一億が一体になって行動するという不思議な民族である。

    だから世界人口の七三%が今なおそれぞれの民族固有の伝承医学を頑なに守り続けていると聞いてもピンと来ない。むしろ「古臭い伝承医学やいかがわしい民間療法が未だに行なわれているのは、彼等が貧しく、教育や文化水準が低いからだ」と見下して受け取りがちだが、これは日本人特有の集団意識によって、自分達がやっていることは世界中に通用すると思い込んでいるだけ。

    昨今、ー日本の常識は世界の非常識とよく言われるが、その通りである。


     しかし、世界には三大伝承医学を初め、様々な伝承医学が現存しているのだから、これらの医学を謙虚に認めて尊重し、それらの医療を受ける権利を保障することが大切である。その意味で〝医療選択の自由〟は、〝信教・思想の自由〟と同じ基本的人権の一つであって、何れの医学を選ぶも個人の自由であることを、決して忘れてはなるまい。


     現代医学を選ぶのも自由、東洋医学を選ぶのも自由、そして医療を拒否することも自由であって、こうした〝医療選択の自由〟を保障する社会こそ真の意味での民主国家である。


     ともあれ国際化時代を迎えた今、世界の医学は多極化時代に向けて大きく前進していることを強調して置きたい。


        アメリカの教訓

     医療選択の自由権に関連して、アメリカで実際にあった事例を紹介して置こう。
     かってアメリカで脊椎矯正法(カイロプラクチック)が公認されていなかった頃(一九四〇年代)の話である。


     当時カリフォルニア州ではプラクチックが禁止されていたにも拘わらず、約六百人のカイロプラクター(整体師)が潜(もぐ)り営業をしていた。ところがある年一斉手入れがあり、四五〇人ものカイロプラクターが偽医者として逮捕投獄されるという事件が起こった。


     この時である。彼等の患者達が続々と刑務所に押し掛け、「どうしても彼の治療を受けたい。何とかしてくれ。州政府は我々を見殺しにするのか」と強硬に迫った。驚いたのは当局で、施術者は捕らえたものの患者達の要求を無視することも出来ず、さりとて法を曲げるわけにも行かない。すったもんだの末、ついにカイロがカリフォルニア州を皮切りに合法化され、この流れはやがて全米各州に波及し、一九六〇年代には全ての州で合法化されるに至った。


     こうした当局の弾圧に対する民衆の抵抗運動によって、漸く〝医療選択の自由〟が基本的人権の一つとしてアメリカで確立するのである。つまり医療を選ぶ権利は何人も、仮え国家権力と錐も犯すことの出来ない基本的人権であって、国家はこの権利を尊重し保護する義務があるという考え方である。
     では、日本はどうか。


    日本ではアメリカの占領時代(一九四八年・昭和二三年)に、占領政策の一環としてカイロを含む全ての民間療術は一方的に禁止(当時はアメリカでも禁止時代)され、それ以来、今日まで(四十年間)民間療術は一切認められていない。


     ところがこの間、一九六三年(当時アメリカではマサチュウーセッツ州以外は全ての州でカイロは合法化されていた)に最高裁が《有効無害な療術行為(カイロも含まれる)は無罪》との判決を下しているにも関わらず、当局は未だに療術を公認しようとしていない。

    しかし、現代のように民間療術を望む人が増えている時代では、その人たちの医療選択の自由を保護することが民主国家の務めであり、世界の大勢でもある。

    国民は黙ってスッコンでおれ、と言われて泣き寝入りしているようでは自分の健康は守れない。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    ところが、知ろうとは黙ってスッコンでおれ! と一括されて

    キャイ~~~~ンと逃げて来た和紙としましては・・・

    恥ずかしい話で。

    それよりも、まわりの国民から非国民よわばりされてしまうのが一番怖いのであります。

    「あのシト、あたま変よ~」とか「気がおかしいね・・」とか

    とにかく、村八分になるのが怖いんです~~♪

    だから、猿になった。三猿主義を貫き通すだけ。

    だいたい、猿たちばかりの村で人間になったら大変。猿の惑星じゃないけど「人間のくせに」などと囃される?

    まあ、最近は少しばかり良くなってきたけどね。
    それでも未だ未だこの日本猿、じゃない!日本人社会は、西洋医学だけが正統医学だと思い込んでいる。

    それは明治維新の時、薩長連合が西欧にflattery(おべっか)使って、とにかく西洋、西洋、西洋となんでも噛んでも西洋が一番としたときから始まったのです。

    ま、明治、大正時代の映画見ていても、上流階級のシンボルとしては、食事の場面ですね。
    まあ恥ずかしくも、テーブルと椅子が必ずセットされてね、いかにも西洋風の食事となるわけ。

    今でもそういう欧米か!現象は続いているわけで、パパ、ママ~などと呼ばせて悦になっている猿、じゃないか! ニッポン人なんでしょうから、医療もはやり最高は欧米か!というわけで、科学だ科学だと囃し立てて、進歩駄進歩だと囃し立て、かねだカネだ湯水の様に使いっぷりのよい粋な姿を自慢しつつ、ついにはガン大国まで作りだして、まだまだこれからだ~~!と鼻息も荒く・・・

    ところが、菜っ葉に塩菜、ナメクジに塩か

    悄悄(しおしお)し出してきたのが、つい最近の模様。

    それもこれも日本人には基本的人権「医療の選択権」が無い という事から始まっているのでしょうか?

    しょうか?って

    そうなんだよ~~! と強く言わないところが逃げ腰のところだが・・

    「茶碗あらってこよ~~~~♪」

     

     


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     いまやそのレポート古びてしまったので、わが日本に新しさ満杯で贈ろうという企画があるとかないとか(ないだろうな)   だが、まさに古すぎるそのレポート(1980年頃)が、わが日本人にとっては「ニューfresh」(同義語か)に思えるだろうな・・・・・

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    食と生命」 松本英聖著



     

          第四章、衝撃のレポ~卜発表  

     アメリカ上院・栄特委は、この五千頁に及ぶ衝撃的な内容を持つ『M委レポート』を公表するに当たって、その趣旨と内容を正確に伝えるため記者会見を実施した。説明役は三人の専門委員。いずれもアメリカ医学界における卜ップレベルの錚々たる権威者である。


     顔ぶれを知った記者達は″今どき何事か?″といぶかりながら、しかし、どうせいつもの形通りで退屈な記者会見であろうとタカを括っていた。


     だが、内容説明が進むにつれて場内の雰囲気は一変。一種異様な緊張と興奮を引き起こした。
     それと言うのは、三人三様、説明のテーマこそ違っても、淡々として語るその発言の趣旨は、いずれもこれまでの医学・栄養学の在り方を厳しく批判し、保健政策の一八〇度転換を迫るショッキングな内容であったからだ。


     そしてそれは、単にアメリカだけの問題ではなく、日本を含めて現代の西欧文明社会の在り方に対しても投げかけられた医学の革命宣言でもあった。
      


      ●今の食事は間違っている

     記者会見の最初に立ったヘグステッド教授(ハーバード大学)の説明内容は、初っぱなから記者達の度胆を抜いた。彼の発言が、現代栄養学の在り方を真っ向から批判し、次のように述ベたからである。


      「私たちはこれまで、アメリカ人の現在の食生活は、世界のどこよりも豊かで、かつ健康的であると思い込んでいた。だが、それは間違いである! 

    このレポートは、今アメリカ人を苦しめ悩ませている死病(心臓血管病)の原因が、誤った食生活にあることをはっきりと告げ、このままでは、この死病のためにアメリカ全体が滅び去る運命にあることを予告している。


     私たちは、このレポートによって、事の真相を知った。直ちに行動に移らねばならない。私たちに残された時間は少ない……」 そして記者団にこうも呼びかけた。
      「今私たちにとって重要なことは″何故、食事を変えねばならないのか?″と取り留めもなく問うことではなく、。何故、今の食事ではダメなのか?″という理由をはっきりと問うことである」と。


     要するに″今の食事は慢性病をつくる造病食である″という事実をはっきり認識ずれば、〝″では、どうすればよいのか?〟という"前向きの問い〟が自から出てくるであろう。


     その″解答〟が、この『食事目標』であり、それを指標にして直ちに″食事改善"に踏み切れ--ということである。


     実に率直かつ自信に溢れたアメリカ人らしい説明と言えよう。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

    さて、ようやく「そのレポート」の概要が分かったことでしょう。

    え? アンタの百済無い解説読んでいたら嫌気がさして、途中でやめてしまった?

    そうでしょう~~♪

    簡単に知識を得られるという甘い考えを止めて貰う為、あえて!

    あえて、百済無そうな(本当にくだらないじゃないか!)前文、あとがきを入れてあるのです。

    アナタが本気かどうかのリトマス試験氏の役割をしているわけです。

    ・・・・・・

     

    それはともかく

    わがニッポン酷はどうなったでしょうか?

    まあ、スーパーに買い物に行けば分かりますね。
    毎日、ひとさまはどのような物を買っているのか?

    横目でじっとにらみながら、観察してご覧なさい (あ。。あのジジイ、また人の買い物をにらんでいる・・・・なんて思っているかどうか怖がっていてはダメですね)

    肉、牛乳、卵、スナック菓子、加工食品、ヨーグルト(←乳酸菌たっぷりで良いと思っている人が多い=あ、和紙もそうだった・・)

    参考 ヨーグルトを食べると腸によいというのはウソ

     

    大抵は入っていますね。

    そして、子供のお菓子(母親のかも)が・・・スナック(一名ジャンク食品というらしい)、そして、甘い砂糖の入ったお菓子。究極はコーラ、ジュース類と北門だ。

    白砂糖は猛毒 なんて、グー(^-^)g""ぐるパーで検索してみたら?
    出てくる、出てくる、池の鯉

     

     

    しかし、人様のカゴをのぞき見するとは・・・烏賊にもきんた蘑、やはりvulgar(えげつない

    で、

    え? ボクの買い物カゴ?

    まずは値引き品(夕方にはひとつやふたつ必ずある)、泡製品、豆腐や油揚などの豆加工製品、つまみ用に何かの魚類・・・

    ときどき、肉も買いますが、これはやはりご飯というよりも、飲むための促進剤。って、促進するほど飲むなよな!

    ところが、この1980年前後にアメリカの医学会の総力をあげて出されたレポートでは

    これら日本人、我らの買い物にイチャモンをつけたわけです。

     

    でも、やっぱり、うまいもん、くいたいなあ~~~

    これが本能ですからね。

    健康なんか考えていたら、な~~にも食えねえよ!

     

    かくして・・・

    はい、ガンになった、心臓病になった、脳になった?

    あちゃちゃ~~~

    食生活がよくなかったかな~~?

    なんて考えもしない日本人だから(笑

     

    せんせ~~~、イイ薬あるでしょ~~、それ出して~~~

    ハイハイ、(もう手遅れですけど・・・) 今度新発売の(副作用いっぱいかも知れないが、未だ分からない)お薬だしておきましょ~~♪

     

    かくして、医療費はウナギ登り~~ そういえば最近、うなぎ食ってないなあ・・・

    でも、このまえ、サンマのウナギ風のひらき食ったから、あれで充分まんぞく!!

     

    あれ~~やっぱり読んでシマッタ~~~?

    先に言っておいたでしょ・・・♪

    くれぐれも、お薬の魅惑と、当ブログの魅惑(あ、迷惑か)ある記事にはご用心!

     

     

     

     


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    「こちら側が正しい」と早い者勝ちに決めた方が勝ち。

    「正しいかどうかよりも、先に法律にした方が勝ち」

    一度植え付けられた価値観を、そう簡単には捨てられない、という人間の性質

    絶対多数になれば、民主主義も独裁政治も同質になる。支配者が抑えなくても国民が抑えてくれるから。

    ヒットラー(独裁者)個人に代わって、洗脳された国民が独裁者になるからだ。
    ただ、国民はその意識を持っていない。

     

     

    アメリカで過去行われた非正統医療

    (と言っても西洋医学一派が勝手に自分たちだけを正統と法律で縛っただけのことだが・・・これについては世界医薬産業の犯罪、医療殺戮という本に詳しい)

    を排除した歴史を紹介した記事でした。
    それがカイロプラクティック。

    そして、似たような非正当医療が全面排除までは逝かなくても社会的に抹殺もしくはインチキ療法だとされるような事が行われているのも、すべては「医療選択権の自由」剥奪という事に繋がると思います。

    「唯一の医療」としての「現代医学(対症療法的西洋医学)は他の医療、医学を排除してしまうのでは、国民は「選択の自由」がされないわけです。

    法的に取り締まる事も必要だが、本当に害のある医療

    (本当の医療という意味では西洋医学のガン療法などはまったく「有害」であり「無効」であることが知れてきています。その点では西洋も東洋もその他の民間医療でも同質、害があるかないかという意味では、現代医学の中身を精査すれば幾らでも出てきます。そして、アメリカではそれを既に出し始めました・・・・・「絶対受けたくない医療」という本。)

    かどうかは、第三者的立場で調査しなければなりません。

    ただ、いま現在法律で(日本では)西洋医学だけが正統医学であるかのように定められているだけで、世界では珍しい国だということでした。

    その他民間医療なども細々とされているようですが、なんと言っても国民健康保険が適用されるのは西洋医学の監視の元で・・・という様に、あくまでも代替とか補完とか言われ、決して主役にはなり得ないのです。

    国民の税金(医療保険)でまかなっている医療費なら、国民の自由選択権を認めるべきです。しかも法律で縛るなどということは、一切の偏見を捨てて公平な立場で各医療を精査して、それを求める人が居るのなら、認め、税金(保健料)であるなら、そちらにも適用するべきです。

    どれがその人にとっての希望する医療なのか、そしてその人にとって効果のアル医療なのか、しかも有害、無害も検討しないとなりませんが、とにかく、選ぶ権利は国民に有り。

    西洋医学一偏頭に凝り固まった行政や法律で、医療の自由選択権を奪うということは、民主国家とは言えませんね。

    企業で言えば独占企業、政治で言えば独裁政治、医療の世界でもそれが行われ続けてきたのですが、日本人は『医療』と言えば「西洋医学」と教えこまれ、信じてきたわけです。

    しかし、心の奥底では「全面信頼」をしていない。
    だからこそ、百花繚乱のように色々な民間療法が陰でもてはやされている。

    その中には本当にインチキもあるでしょうし、その中にインチキがあるからすべてインチキや迷信だとしてしまうのはあまりにも単細胞的思考です。

    特に現役の医師がそういう教育を受けてきたためか、民間医療などと聞くと、即インチキ、とか有害、無益だとか思うので、進んで調べる気もないようです。

    一般人も医学と言えば西洋医学だけが正統な科学だと信じ切っていますから、(大多数)ご自分がその正当医療で酷い目にあったり、なかなか治らないようになってから、ようやくその「怪しい」代替医療とか民間医療などに飛びつくわけです。

    だが、根本的な事を知らないで、なんでもいいから治してくれるモノなら・・・というクレクレ詐欺に引っかかるように、その依存体質では本当の医療を探し当てるのは難しいのかも知れません。

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    松本英聖著  「医学と生命」より

     


    212P
       非正統療法(民間療法)復活の動き

     一九九〇年四月、米国議会技術評価局(  ※ )は、『ガンの非正統療法』(※ )と題する衝撃的なレポートを発表した。特筆すべきことは、このレポートが、現在の正統的ガン療法(近代医療)は科学的に証明されたものではなく、また有効性においても非正統療法(民間療法)と比べて大差がないことなどを示す豊富な資料を挙げて、近代医療の虚構性を明らかにしたことである。

    そして非正統療法を蔑視するのは医学界の権威主義に基づくもので、そうした独善的な偏見を捨てて、公的な研究・助成体制を早急に整えるよう求めた七項目の提案を政府、ガン研、医学会に提出した。

     この米国議会の動きは、先進国における現行医療体制の見直しを迫るもので、これまで不当に蔑視されて来た中医学を始め非正統療法の再評価と復活を促すことになろう。
     こうした時代の流れの中で、日本においても、一九八八年(昭和六三年)に民間療法(療術)の研究団体(財・全国療術研究財団)が厚生省から正式認可され、民間療術の適正化と療術師の自主的資格認定制度など健康づくりのための新しい動きが始まった。そこで日本の療術制度の沿革と今後の動向について簡単に述べさせて頂く。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

    西洋現代医学というと、確かに物理的な治療には効果を発揮してきました。

    怪我、事故等の物理的治療法など。

    しかし、内臓的な疾患には効果無し。 と言うことがM委レポートで明らかにされたのですから、現代医学には慢性病は治せない。じゃあどうする?

    ということで本来は各種の医療も検討すべきなのです。

    だが、それが出来ない。そこで食の問題になってきたわけでしょう。

    その食の問題に対しても今度は食肉業界や乳製品業界などから反発も出てきて、なかなか究極のところまでは進まない・・・というのが現状でしょう。

    それでもアメリカではかなり食事改善が行われてきたようで、ガンは減少してきたというのです。

    ところが・・・やはり日本はツンボ桟敷に座らされたまま・・・何十年

    その様な情報はおいしゃ様でも知らぬ仏のお富さん。
    そして、ガンの増加はますます意気盛んのご様子で。

    しかし、ガンが悪いと言うよりも、食と結果としての悪疫体質でガンが処理するという考えで言えば、自然の結果なのですが、それに対して、攻撃的(ガン攻撃はその人の生命に対して攻撃するのと同じだから)医療を相変わらず行っているという現実。

    それに気づいているのは医師の方ばかり、患者の方は相変わらず全面依存症患者ばかりで、そのような話があってもまったく意にも介せず、昨日も今日も明日も、その攻撃的医療に命をかけているわけです。

    こうしてみると、本当に悪いのは製薬メーカーとか医師とか、真実を伝えないマスメディアとかでは無いのではと思うほど、患者の知ろうとしない意識です。

    もうこのような話は数十年前からあった話、そして今やインターネットで調べたり、本でもかなりあるわけで、このような情報を知ろうとしない素人こそ、悪の根源ではないか!

    となると、自業自得じゃないのか?
    などと腹立たしくなってきて、もうやめます。

     

    次はそのツンボ桟敷に座って幾十年の日本酷の話です。

     

    松本英聖著 医学と生命より
    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    213P

       第六章、 日本における療術制度 
         - その沿革と今後の展望


       療術とは何か

     療術とは、電気・光線・手技などの安全無害な物理的手段を応用した施術法の総称で、そのルーツは大正年間に欧米から導入した整体法や物理療法に東洋古来の医療観を加味して発達した日本独自の施術法だ。この目新たらしい療法が慢性病等に大変よく効くことから一世を風靡し、戦前は医師や鍼灸師等とは別の法令(療術取締規則)によって自由開業(届出制)が認められていたので、短期間の中に広く国民に定着していった。
     ところが、この療術は戦後の占領政策(サムス勧告)に基づく医療制度改革(昭和二二年)によって、戦前から開業していた既得権者以外は、全て禁止されてしまった。一体、療術に何の罪があると言うのか。しかし、当時はマッカーサーの威光は絶対的であり、泣く泣く従わざるを得なかった。戦後悲話の一つである。
     だがーー、この理不尽と思われた法規の解釈が、実は行政当局の誤りであることが、十三年後の最高裁判決(昭和三五年)で確定した。その論旨はこうだ。
     「現行法が禁止しているのは有害の恐れがある療術のみで、有効無害なものは含まれていない。従ってその判断をせずに有罪とした判決は無効であり、高裁に差戻す」という画期的な判断を示し、翌日の大新聞は「有害でない療術は誰でも出来る」と三段抜きの見出しで大々的に報道した。まさにコペルニクス的判決と言えよう。

     そこで国会でもこれが大きな問題となったため、厚生省としても従来の政策を見直さざるをえなくなり、「無害な療術の範囲と療術の位置づけ」等の調査を実施することになった。ところが、その調査結果は未だに公表されず、結論が出されないまま、三十五年も放置されているのだ。
     こうした膠着状態が続く中で、世間では医師会が療術に反対するためだ、という尤もらしい噂が伝わっていた。
     これに対して、当時、日本医師会長として強力な政治力を揮い、喧嘩太郎の異名で知られた故武見太郎氏は、療術問題に対する医師会の見解を次のように述べている。
     「そもそも医療と言うものは、医師だけでなく国民の創意工夫によって進歩するものである。従って、日本医師会は療術の健全な発展を願っており、制度化には反対しない」と明言すると共に「療術問題の解決を遅らせているのは役人の事大主義だ」と手厳しく批判している。
     では何故そうなのか。この疑問に迫ってみよう。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     


    0 0

    先回の紹介記事は一九九四年出版の本ですので、その後どうなったかは不明のため、詳しくわかる方はコメントを入れてください。

    棚上げしたまま35年というのが当時の事情でしたが、その後行政当局は結論を出したのかどうか?です。

    その前に、もういちど

    日本の療術行為がなぜ禁止されたのかの経緯と療術とは何かについて

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    療術とは何か

      療術とは、電気・光線・手技などの安全無害な物理的手段を応用した施術法の総称で、そのルーツは大正年間に欧米から導入した整体法や物理療法に東洋古来の 医療観を加味して発達した日本独自の施術法だ。

    この目新たらしい療法が慢性病等に大変よく効くことから一世を風靡し、戦前は医師や鍼灸師等とは別の法令 (療術取締規則)によって自由開業(届出制)が認められていたので、短期間の中に広く国民に定着していった。


     と ころが、この療術は戦後の占領政策(サムス勧告)に基づく医療制度改革(昭和二二年)によって、戦前から開業していた既得権者以外は、全て禁止されてし まった。一体、療術に何の罪があると言うのか。しかし、当時はマッカーサーの威光は絶対的であり、泣く泣く従わざるを得なかった。戦後悲話の一つである。


     だがーー、この理不尽と思われた法規の解釈が、実は行政当局の誤りであることが、十三年後の最高裁判決(昭和三五年)で確定した。その論旨はこうだ。


     「現行法が禁止しているのは有害の恐れがある療術のみで、有効無害なものは含まれていない。従ってその判断をせずに有罪とした判決は無効であり、高裁に差戻す」

    という画期的な判断を示し、翌日の大新聞は「有害でない療術は誰でも出来る」と三段抜きの見出しで大々的に報道した。まさにコペルニクス的判決と言えよう。

     そこで国会でもこれが大きな問題となったため、厚生省としても従来の政策を見直さざるをえなくなり、「無害な療術の範囲と療術の位置づけ」等の調査を実施することになった。

    ところが、その調査結果は未だに公表されず、結論が出されないまま、三十五年も放置されているのだ。

     以下略

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    先延ばしされていた調査結果の結論は? その後?

    この結論はどうなったのでしょうか?教えてください。

     

    次に

    明治維新で日本の漢方医が潰された経緯など

    法律で「医師とは西洋医学を学んだ者」のみとした。

    それも猛反対にあって僅差で可決したのは政治的力だったわけで、

    医学的にどうのこうのというのでは無かった。

    ただ、単にその当時の政治的実力者達によって勝手に法律が制定されただけ。

    科学的、医学的に適正な調査が公平に行われてそうなったわけでは無かったのです。

    明治政府の日本西洋化政策(何でもカンでも西洋に追いつけ政策)のひとつに、組み込まれたわけでしょうね。
    さらに、それに加えて敗戦後の米国へのへつらい政策で、医学は実質的に西洋医療一偏頭になってしまいました。それを決定的に確定したのが、国民皆健康保健制度だと思います。

    つまり、ほぼ強制的な医療独占状態にできたのは、この制度によってお金(国民に取っては一番の急所だから)の流れをおさえられたわけですから。

    ここから、日本の医療は古くさい非西洋医療などには見向きもしなくなり、どんどん突き進んで行ったわけでしょうーーーところが、¥


    そして、・・・いまや世界に誇れる?医療先進国に

    と思いきや、難病は増えつづけ、ガン死亡もどんどん増加・・

    そして、いまや使い放題の医療保険のお金も国家財政の悪化によって規制されるようになってしまいました。そのため現場の医師は過酷な労働を強いられ、かたや国民(患者)はちょっとの病(欧米でもそんな事で病院にはかからないのに)でも、薬だ医者だ、病院だと直ぐ駆け込むように「教育」されたままで、いっこうに国民医療費は減らず、ついには40兆円の大台も間近という。

    国民の方もそろそろ気づきだしたのか、民間医療やサプリメント類の健康製品が大流行。
    だが、肝心要の¥お金が・・・・・・・・無い人は、やはり保健の効く西洋医療へ。

    とにかく、いくら安いと言っても西洋医療はお金がかかりすぎる事にはマチガイナイわけで、もし有効な民間療術がそこに参加できるとウソみたいに安く出来る。

    しかし、一度得た既得権益を手放すことはどこの業界でもしない、出来ない。

    特に医療業界は様々な企業と行政なども絡んで、もう自身で改革なども無理な状態。
    では、自然崩壊を待つのか?

    そこに日本の終戦間際に起こっていた日本の上層部の話、昨日のNHKスペシャル「特攻が増えたわけ」(題名が違うが)で、凝り固まった戦時の上層部の様子が描かれていた。

    もう、自分たちでは解決できないほど指導者の地位に居る者達の意識は話にならないほど、子供じみていたのでした。

    日本の医療崩壊が言われ出してから、何年も経ったのですが、未だに決定的な解決の道など誰も示されない状況は、敗戦間近の日本の指導者の様子とまったく似ているようで、「なにかが起こらないと」道が変えられないのかも知れません。

    あ、長くなった・・・

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    松本英聖著  医学と生命 より

     

    214P
       法的に見た療術行為

     日本の現行医事制度は、明治以来、医師以外の医業禁止(医師法一七条)を原則として制度化されているが、この医師法に対する特別法(按摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、及び柔道整復師等に関する法律以下単に法と言う)によって例外的に認められている業務が医業類似行為である。


    この医業類似行為には
    ①法(法一条)で正式に認められた免許業務(東洋系の伝承医学)

    ②法公布(昭和二二年)の際に、既得権保護の特令(法十二条の二)によって例外的に認められた届出医業類似行為(療術行為)の二種類があり、

    これ以外の者は医業類似行為を行なうことが禁止(法十二条)されている。


     つまり、現行法で療術開業が認められているのは戦前に開業していた既得権者だけで、その他は一切禁止されているわけ。

    従って既得権者の老齢化と共に自然消滅するから実に巧妙なやり方で、まさにアメとムチの政策と言えよう。

    実は明治八年に強行された医制改革(西洋医学の導入)においても、これと全く同じ手口で伝承医療(漢方医学)を潰したのである。

    即ち、従来医師(漢方医)は既得権として認めるが、新しい医師免許は西洋医学を学んだ医師だけとしたのである。

    このため激しい漢方復活連動が起こったが、これに対して医制改革の立て役者である長与専斎(衛生局長)、石黒忠惠(陸軍軍医総監)、長谷川泰(日本最初の私立医学校・済生学舎の創始者)等が中心となって立ち阻(はだ)かり漢方撲滅論をぶちまくるという死闘が繰り広げられた。

    しかし、日清戦争の勝利直後に開かれた第八帝国議会(明治二八年)において漢方復活請願は二七票の僅差で否決され、西洋医学が確立されたのである。


      因みに、明治二〇年当時の全国医師数は約四万人、その八〇%が従来医(漢方医)であって(表参照)、これを権力的に圧殺したわけであるが、戦後は療術が同じ憂き目を見ることになったのである。


     しかし、冒頭で述べたようにこの療術禁止規定には「無害な療術は含まれない」(有害の恐れのあるもののみ禁止)ことが最高裁判決で確定しているのだ。


    そこで問題となるのは、有害な療術と無害なものとを明確に線引きすることで、これが罪刑法定主義の原則である。

    然るにそれをせず、三十年以上も放置していることは法治国家にあるまじき不当行為であって、武見氏(前出)ならずとも怒るのは当然である。


     昨今、既成緩和が国際的な政治課題となり、これに抵抗する官僚の壁が頻と取り沙汰されているが、療術問題も例外ではない。

     ともあれ、前述した「アルマ・アタ宣言」以来、医療の多極化が国際的に進展している今、今後上陸することが予想される外国免許の施術者、例えば中医師やアーユルヴェーダ医師等をどう取り扱うか。国内の療術問題と併せて前向きに取り組むべき課題である。

    かって徳川幕府は三百年に亘って鎖国政策を実施したが、今の日本はまさに医療鎖国時代であって、これをどう開放するか。


     開国か攘夷かーー、医療の国際化は既に始まっており、療術問題はその試金石となるであろう。

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

    一九九四年出版の本ですので、その当時でも35年も結論を先延ばしにしていたという。

    そして、今それからまた20年経たのですが、その結論は出たんでしょうか?

    わかる人は教えてください。

    というのは、日本の戦前にはたくさんの優れた民間療法があったという。
    しかし、記事の内容でいえば戦後は禁止されてしまったそうですが、今は自由に出来るのでしょうか。

    そうならば、堂々とその療法をもっと広く活用して、現在の様な保健制度{西洋医学一偏頭 
    を見直し(お金がかかりすぎる&慢性病には効果が無い(M委レポートより)をして、その他の療術も保健制度に加えるべきです。

    それが国民の保険料負担を軽くして、しかも慢性病などを減らし、生活指導などの新しい理論なども含めて、国民を教育できるわけです。

    低負担、安心、そしてより効果の期待できる療術なら、西洋医学に限らず「医療の自由化」ができるわけです。

    もちろん、西洋医学の方はその優れた面を活かし他の療術行為も活かしてゆける保健制度です。

    「お薬は病気を治す力を持ち合わせておりません」 現代の薬学の専門家が言われるように、もう薬だけの頼っていても拉致が無いという事は分かっているのですから。

    医療の自由化が近未来に法的にも制度的にも整備されるだろうという事を前提にして、(それほど今の医療保健制度は疲弊している)

    次回も続きます、これら「療術行為」について。

     


    0 0

    明治維新以来日本の医療は西洋医学に絞られた、これが国策。それでも百花繚乱のごとく日本の療術は盛んだったが、 敗戦後、占領軍の意図で禁止のおふれが出てしまったという。 が・・・・

     

     

     

    さて、日本の療術と言えば、かなり数多くあるようで、一般に知られているものと、ほとんど世間に知られていないものもあったようですが、それを十把一絡げにして禁止に持っていったのが当時の占領軍の意図が関係していたわけです。

    つまり当時のアメリカではインチキ医療とされたカイロ療術士が多数投獄された事件がありましたが(前の記事)、それがちょうど終戦時に当たったというわけです。


    (まあ、強い者がちの世の中ですから、法律や政治なども動かせるわけで・・・医療独占支配を目指す一派には目の上のたんこぶだったのでしょう・・・カイロプラクティック)

    正当医療(現代医学=西洋医学に基づく医療)以外はインチキであるから、取り締まるべきだ。 というのが占領軍の意図だったわけです。

    その対象にされたが鍼灸も含めて、戦中まで行われていた自由な療術行為だったわけで、ただ、ある事情によってかろうじて逃れたのが鍼灸。

    それ以外は禁止のおふれが出てしまったというわけですね。

     

    今の様な健康保険制度も無い時代ですから、どんな療法でも効果があり、しかも安全だとわかれば庶民は身を以てそれを確かめつつ、ありとあらゆる療法にそれぞれ個々の自由と責任において飛びついたというわけでしょう。

    (現代の日本人とはまったく異なるのは、自分で選んで自分でその責任をとるということ)

     

    それが西洋医学一偏頭(一辺倒)の政策で国民医療保険制度が出来てからは、やはりお金のかからない(本当はむしろお金がかかるのだが、とりあえず他人の金で受けられるから個人負担が少なく感じるだけのことだが) 方に傾くのは当たり前。

     

    先回のつづきです

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    松本英聖著  医学と生命 より     1994年刊

     

    216P
         戦前の療術制度

     戦前における療術は、大正年間から昭和初期にかけて新しい療術が次々と創意工夫され百花繚乱する中で互いに技量を競い合って、技術的にも著しく磨きが掛かった。

     時恰かも日清・日露、そして第一次欧州大戦に破竹の勢いで連戦連勝し、空前の軍事景気に沸き立っていた頃、人々はそれが軍国ニッポンの悲劇の序曲とは露知らず勝利の美酒に酔い、大正デモクラシーを謳歌して《エロ・グロ・ナンセンス》などの横文字流行語が持て囃された。

     しかしこの急激な欧風化による「食と生」の混乱は、中産階級を直撃し、彼等の体質を劣弱化させると共に、結核を始め様々な慢性病が蔓延していった。

     歴史は繰り返すと言うが、現在も同じことで、唯その規模(生活の欧米化)が全国民に波及し、事態が益々深刻化している点が違うだけ。また、こうした健康不安時代において、人々が新しい療法を求めて彷徨(さまよ)うのは当時も今も変わりはなく、この切ない願いに応えて急成長したのが療術であった。

     この急成長に対して、当時の取締当局は当初の頃は惑いをみせていたが、これを弾圧せず、一定の規制(届出制)の下で適正化を図り、健全な発展を促す政策を取った。

     即ち昭和五年、警視庁を初めとして各府県令による療術行為(または医業類似行為)取締規制を定め、昭和二二年占領政策によって禁止される迄、国民の医療に貢献して来たのである。

     この療術行為取締規則第一条に定められた療術行為の定義は次の通りである。


     「療術行為とは、疾病の治療または保健の目的を以て、光・熱・器械・器具その他の物を使用し、若しくは応用し又は四肢若しく精神作用を利用して施術する行為であって、他の法令において認められた資格を有するものが、その範囲内でなす診療又は施術でないものを言う」

     要するに、医師(近代医療)や鍼灸師等(東洋古来の伝承医療)の免許資格者が行なう業務以外のものを指すわけだが、この定義は今日でも厚生省によって踏襲されていることを付け加えておく。

     現在、行われている療術を業態的に分類すると、
    ① 電気・光線療法
    ② 刺激・温熱療法
    ③ 手技療法(脊椎調整法(カイロプラクチヅク)や中国気功法等)






    217P
        療術は何故禁止されたか

     冒頭で述べたように、日本の療術は占領政策に基づく医療制度改革において禁止されたが、その理由は何か。

    抑々占領政策の基本方針は、日本民主化(封建制度と軍国主義の打破)を図ることであり、その一環として医療制度改革に即時するサムス勧告が出された。その内容を要約すると ーーー、

     ①医学教育における徒弟制度の禁止(医学教育の整備と国家試験の実施)、
    ②法律に基づかず、行政規則で罰則を定めた条例(鍼灸取締規則や療術取締規則等)を廃止し、法律を制定すること、
    ③法制定にあって、医学的根拠が明らかでない医療は禁止すること。

    この中、①と②は日本の民主化を進める上で当然な措置であるが、③は全く違う。

     この方針の背後にあるのは、西洋医学以外の医療(民族古来の伝統医学や民間療法を蔑視する独断と偏見であって、それを知ってか知らずか、何れにせよ、押しつけたことは、戦勝国の思い上がった政策であり、民主化の美名に隠れた当局の独善思想と言わざるを得ない。


     ともあれ、こうした偏見によって鍼灸や療術を根こそぎ抹殺しようとしたわけだが、鍼灸だけは際(きわ)どい処で難を免れた。これには次のような経緯があった。

     その頃、サムス准将と個人的に親しくしていた慶大出身者がいて、偶々鍼灸の話になった。それなら卒業生の中に鍼灸の医学的研究をしている医学者(寺田文治郎・日大医学部教授)がいるから彼の話を聞け、ということで寺田教授の出馬となった。
    その結果、同教授の医学論文が司令部に認められて鍼灸の存続が決まったーー。まさに天佑神助とはこのことで、鍼灸存続に纏(まつ)わる知られざる歴史の裏話である。

     因みに、寺田教授の研究は、鍼灸の刺激が副腎皮質ホルモンの分泌を高めて生体の免疫力を賦活することを生化学的に立証したもので、実験は当時寺田教授の研究室に入室したばかりの田村豊幸・日大名誉教授が担当した。
    余談になるが、有名なセリエのストレス学説によって、副腎皮質ホルモンの働きが明らかにされたのは、敗戦の翌年(一九四六年)のことであるから、寺田教授の研究は実にユニークなもので、当時、アメリカでも大きな反響を呼んだのである。


     こうして鍼灸は辛うじて救われたが、療術は何等打つ手がないまま、赤子の手を捻るように一方的に禁止されてしまった。

    では何故こんな片手落ちな結末になったのか。

     今にして思えば、鍼灸はもともと東洋古来の伝統医療であり、占領政策と錐も、この歴史を無視して強引に禁止することは容易ではなかったが、療術の方は歴史も浅く、かつ次の事情が絡んでいたため、容赦なく潰したということである。


    その事情とは、当時アメリカ国内において脊椎調整法(カイロプラクチック)が医学的に根拠の無いインチキ療法であり、国民を惑わすものとして徹底的に弾圧され、これ以外の民間療法も目の敵に(かたき)されていたことである。

    この忌まわしいアメリカの国内状況がそのまま占領政策にも反映し、ここを先途とカイロを含む療術全体をいかがわしい療法と断定し、一方的に全面禁止したのである。

     しかしそれから間もなく、カイロが全米各地で合法化され、医療選択の自由権が確立されたことは前章で述べたが、この事実からして、当時の療術禁止が如何に偏見に基づく強引な政策であったかが解かるであろう。

     だが、こんな偏見が何時までも通用する筈がなく、遂に鉄槌が下る目が来た。それが先程の最高裁判決であって、法公布以来十三年目にして、漸く無害な療術行為は禁止規定に含まれないことが確定したのである。

     なお、この最高裁判決(裁判官十五人の大法廷)には、少数意見として三人の判事の反対意見が付せられているので、参考までに掲載して置く。



        無害な療術行為を認めることへの反対意見

     「人の健康に害を及ぼす恐れがあるかないかは、治療を受ける対象たる《人》の如何によって違ってくる。また、それは治療の実施の《方法》の如何にもかかっている。
    従って、有害無害は一概に判断できないから、個々の場合に無害な行為であっても公共の福祉の要請からして、無害な治療行為を認めることはできない(田中耕太郎、下飯坂潤夫両裁判官の反対意見)

    Ⅱ 無害な治療であっても、患者に施術する場合は、とかく安易な希望を持たせやすく、殊に何等かの影響があるように感じられる場合は、その治療法に依頼し過ぎて、正常な医療を受ける機会、ひいては医療の適期を失い、回復を遅らせる等の危険性が少なくない。従って単に治療に使用する器具の物理的作用のみに着眼し、その有効無害であることを理由としてこれを利用する医業類似行為を業とすることを放置することはできない(石坂修一裁判官の反対意見)。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    上記の反対意見から

    民間療法等を受けるについての危険性を指摘

    「その治療法に依頼し過ぎて、正常な医療を受ける機会、ひいては医療の適期を失い、回復を遅らせる等の危険性が少なくない。」とありますね。

    ここに大きなツボが潜んでいるわけでして、

     

    え?ツボ? 

    そうですよ、ツボね。急所ですよ、アンタ。

    え! {思わず握ったりして

    そんなんじゃありませんよ! キミのそんな土筆ん棒じゃ・・・
    この裁判官様、見事にこのツボにはまって居るんですよ、わかりますか、アナタ?

    ツボにはまってさあ大変、ドジョウが出て来るんでしょ、ヤッパリ・・・

    あんたねえ~~
    この反対意見の中にあるでしょ、ツボが・・・
    「正常な医療を受ける機会、ひいては医療の適期を失い・」とね。

    ああ、あるね・・・でも、当たり前のことを言っているんじゃない?

    そこですよ、そこ。 それが「当たり前」と言うところが、アンタもツボにはまっているって事なの。

    ???  

    つまり「正常な医療」とは近代西洋医学、つまり現代医学の医療のことですよ。
    それ以外はまがい物、つまり非正常な医療だと、「鼻から決めている」ところなんですよ。

    あ、そうね、そうかも・・・・正常な医療にかからないで、非正常な医療にかかるとどうなるか・・と言っているのですね。

    やっとご理解いただけましたねえ。そう、これは裁判官ならずとも世間一般に信じられているツボなんですよ。 怪しい医療を受けるのはよいが、結局手遅れになったりしたらイカン。最初から正常(と決めつけている)な現代医療にかからないと、アナタ大変なことになりますよ{タケシの医療番組みたい

    そうか、そうですよね。やっぱ、最初から正当、正常な現代医療にかかっておくべきですよねえ~~

    って、キミはツボから抜け出せないんだな・・・タコ!

    え、このツボって蛸壺のことだったんですか!

     

    ・・・・・

    「このタコツボに嵌まっている限り、アナタはこの医療の自由権を獲得することは難しい駄郎。」  

    もうひとつのツボとして

    「個々の場合に無害な行為であっても公共の福祉の要請からして、無害な治療行為を認めることはできない・・」

    ここですよね、分かりそうで分かり憎い。あ、難い。

    個々の場合・・・その人が心地よく健康にもよく、効果有りと感じてしかも無害と北門だ。

    だが、国と致しましては公共の福祉の観念から申しまして・・・(官僚言葉&観念

    こんな観念、かんねん(勘弁)してよ!
    つまり、個人が無害で非常によろしい!と感じているのに、どうして公共の福祉に違反するの? 具体的に言ってみてよ!

    ってこの裁判官、もう、耄碌している年齢かな?

    とにかく、どうして「いいモノはいい」って言えないの。法律がどうだの制度がどうだの、既得権益を侵すから?

    じゃあ、人間が大切なのか法律が大切なのか?

    国民ひとりひとりの幸福の為に法律を作るんでしょ。それが民主国家という意味で、国家主義(公共ともいうだろうけど)で国民を犠牲にしたり不幸にしようというものじゃないでしょ?

    それなら、方の法を、あれ、法の法を変えればよいだけ。

    無害で有益だと個人がそう言えば認めてやるのが法の守りというもの。それが医療の自由選択権であり民主国家の姿なの・・・じゃないの?

    ふん!

     

    あら、入れ歯が飛んでいった・・・・

     

     

     


    0 0

    西洋医学だけが医療では無い。これは世界の常識。

    だが、日本の常識は世界の非常識。 現代医療以外は偽科学だと固く信じている国民には、本物は見えてこない。 だからこそ、年々癌死亡者が増え続けてきた、その原動力こそ、国民の幻想力・・・・つまり、撫すが非常な美人に見えるというわけ。。 あ、これは男子のことですよ。

    美人じゃない、美男ね♪

    ちなみにボクなどは非常にブ男と見られているが・・・・

     

    戦前には盛んだった日本の療術。

    それが今再び甦ろうとしているその最大の理由は・・・

    現代医学があくまで起きた結果のみを対象とする、対症療法が主であって、根治療法では無いからでしょう。
    そのため、莫大な医療費が年々膨らむ一方で、難病は後を絶たず、ついにはガン死がトップに躍り出てそのまま増え続けているというのが現実。

    その他慢性病なども根治とならない医療のため、国民も何とか治りたい一心で様々な民間医療に飛びつくのですが、その数多ある療法のどれが正しいのかも分からず。とにかく治ればよい・・・という、依存のかたまりの様な人々が渡り歩くというのが現状だと思われます。

    その中には、相当有力な医療(療術)も存在すると思われますが、いかんせん、今の日本の法律では西洋医学一偏頭に偏っている為、効果無ければ迷信インチキ、効果が抜群だと、やはり、迷信、インチキにされて、目の敵のようにされて、ちょっと何かあると、非難囂々の作を用いて潰そうとする・・・

    こんな医療独占支配の構造の中で地道に効果を上げて、しかも医薬中心のどうしてもついて回る薬の副作用(もともと毒なのだから当然、有害な作用は主作用と裏表になっている)とは異なり、安心安全がまず保証されれば、かなり国民の健康維持に役立つものと思われます。

    その様な療法(療術)をこの日本中から拾い出して、第三者的立場(現代医療の関係者だけでは公正にはならない)で、その実態をひろく国民にしらせるような機関が必要です。

    その様な療術はたくさんあるのですが、イカン銭、保険制度も効かない、法的にも制御されている為、利用できる範囲が狭すぎるわけで、今の国民医療保険制度が実質的に立ちゆかなくなってきた今、早急にその様な療術の検証と法的にも認めて、保険制度が効くようにするべきでしょう。

    だが、・・・・・
    一度獲得した独占権益とその市場のあまりにも巨大化した構造とすれば、自ら明け渡すことは不可能でしょう。

    それは敗戦間近の日本の上層部(支配者たち)に見られた、「ええ~い、ママよ!このまま逝ってしまえ、一億層玉砕だ~」と竹槍になっても国民に犠牲を強いて、しかも後は「特攻を増やせば良い」『彼らが何とかしてくれる駄郎」的、投げやりな思考がはびこっていたのと同様。

    もう自浄能力があるのかどうか?

    おそらく、どこか他からの大きな影響がなければ、巨象が倒れるまで走り続けのでしょう・・・・

    吾らはそんなもう倒壊し始め、しかも35年前にアメリカのM委レポートで「現代医療は無力だ」と示された通り、その実力を身を以て知らされてからようやく気付いて、後の祭りとならぬように、今からでも遅くは無い、君たちは包囲されている(大自然の法則にだが)、素直に自然に立ち返りなさい~~と叫んで

    終わりとする。

     

     

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    松本英聖著   医学と生命  より

     

    220P
        医学的に見た療術の原理

     療術行為を外形的に見ると、人体の表面から安全無害な物理的刺激(電気、光線、刺激、温執、手技)を加える一種の刺激療法であって、医学的には理学療法(物理療法) の範疇(はんちゅう」に属する施術行為と考えられている。

     しかし、これはハード面から見た定義であって、ソフト面(施術原理や施術の考え方)は現代医療のそれとは全く違うから《似て非なる療法》である。一例を挙げると、現在良く知られているリハビリテーションは、脳卒中や事故等の後遺症に対する後療法(主として運動機能の回復訓練)を目的とする理学療法である。従って、ハード面では施術と共通する部分があるが、ソフト面(施術の目的や方法)は全く違うわけ。

     このため、昭和四〇年に「理学療法士」が制度化されたが、その業務内容が、一部に於いて鍼灸・指圧師等の業務(東洋医療)と重なる関係から業務独占は認められず、単に名称独占規定に止(とど)まった(特例試験によって鍼灸師等の既得権が保護された)。また、その業務も、病院等の施設において医師の直接の監督の下で行なう医療補助者として明確に位置づけられているから、この点でも独立開業を認められている鍼灸師や療術師(但し既得権者のみ)とは違うわけだ。


     では、療術の原理とは何か。

     現在の一般的な医学的説明では人体の表面から適当な物理的刺激を加えることで、血行やリンパ流の改善、自律神経の調整等を図り、生体の自然治癒力(免疫力)を高めて、健康を回復する施術法であると解説されている。

     しかし、これだけでは要領を得ないので、もう少し詳しく療術の医学的原理を解説しよう。

     昔から内臓の病変が皮膚の特定部位の異常(凝りや圧痛点)として現われることが知られていた。イギリスのヘッドは、これを解剖学的に詳しく調べてその分布帯(ヘット帯)を発見した。またドイツのデイッケは、体表面の異常部に手技を加えると、痛みや内臓の異常が治ることを医学的に明らかにして、独特の施術法(結合織マッサージ法)を創始したが、東洋古来の鍼灸術も、この原理を応用した施術法であることは申す迄もない。

     そこで問題は、何故こうした現象が起こるのか、というメカニズムであるが、これについては、故石川太刀雄教授(金沢大学・病理学)が、有名な《内臓→←皮膚反射》理論を発表して、鍼灸の理論的解明の糸口を開いた。

     一方寺田文治郎教授(前出)が、鍼灸の刺激で副腎皮質ホルモンが分泌されて、生体の免疫能が高まることを生化学的に証明して、鍼灸を救ったことは先程述べた。

     そして最近になって、中国・鍼麻酔の驚異的作用が世界的に知られ、そのメカニズムの解明が医学界の大きなテーマとなったが、数年前、武重千冬教授(昭和大学前医学部長)によって、その全容がほぼ解明されるに到った。
    詳しい内容は前著(松本英聖医事論集第一巻)で、紹介したので、要点だけを簡単に説明するとーーー、


     ツボからの刺激は神経を経て大脳視床下部に伝達される。すると脳内で「副腎皮質ホルモン」(下垂体ホルモンの一つ)と「β-エンドルフィン」(脳内麻薬物質)の二つの神経伝達物質が同量・同量に生成される。

     前者は副腎皮質ホルモンの分泌を促進して免疫力を高める(寺田説)。また後者は、脳内麻薬物質(モルヒネの五十倍以上の作用)として強力な鎮痛・鎮静作用を発現する。

    つまり、前者は《抗肉体的ストレス作用》、後者は《抗精神的ストレス作用》を発現し、この心身両面の働き(自然治癒力)によって、健康が回復するわけ。

     こうして、中国四千年のツボ医学(体表医学)の作用機序が医学的に確認されると共に、ツボからの刺激は、鍼灸の刺激だけでなく、その他の物理的刺激によっても同様の作用が発現することが明らかになったのである。


     つまり、鍼灸と療術はハード面(刺激の方法や種挙が違うだけで、ソフト面作用メカニズム)は医学的に同一原理に基づく施術法と言えるわけだ。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


     


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    戦前には盛んだった日本の療術。

    それが今再び甦ろうとしているその最大の理由は・・・

    現代医学があくまで起きた結果のみを対象とする、対症療法が主であって、根治療法では無いからでしょう。
    そのため、莫大な医療費が年々膨らむ一方で、難病は後を絶たず、ついにはガン死がトップに躍り出てそのまま増え続けているというのが現実。

    その他慢性病なども根治とならない医療のため、国民も何とか治りたい一心で様々な民間医療に飛びつくのですが、その数多ある療法のどれが正しいのかも分からず。とにかく治ればよい・・・という、依存のかたまりの様な人々が渡り歩くというのが現状だと思われます。

    その中には、相当有力な医療(療術)も存在すると思われますが、いかんせん、今の日本の法律では西洋医学一偏頭に偏っている為、効果無ければ迷信インチキ、効果が抜群だと、やはり、迷信、インチキにされて、目の敵のようにされて、ちょっと何かあると、非難囂々の作を用いて潰そうとする・・・

    こんな医療独占支配の構造の中で地道に効果を上げて、しかも医薬中心のどうしてもついて回る薬の副作用(もともと毒なのだから当然、有害な作用は主作用と裏表になっている)とは異なり、安心安全がまず保証されれば、かなり国民の健康維持に役立つものと思われます。

    その様な療法(療術)をこの日本中から拾い出して、第三者的立場(現代医療の関係者だけでは公正にはならない)で、その実態をひろく国民にしらせるような機関が必要です。

    その様な療術はたくさんあるのですが、イカン銭、保険制度も効かない、法的にも制御されている為、利用できる範囲が狭すぎるわけで、今の国民医療保険制度が実質的に立ちゆかなくなってきた今、早急にその様な療術の検証と法的にも認めて、保険制度が効くようにするべきでしょう。

    だが、・・・・・
    一度獲得した独占権益とその市場のあまりにも巨大化した構造とすれば、自ら明け渡すことは不可能でしょう。

    それは敗戦間近の日本の上層部(支配者たち)に見られた、「ええ~い、ママよ!このまま逝ってしまえ、一億層玉砕だ~」と竹槍になっても国民に犠牲を強いて、しかも後は「特攻を増やせば良い」『彼らが何とかしてくれる駄郎」的、投げやりな思考がはびこっていたのと同様。

    もう自浄能力があるのかどうか?

    おそらく、どこか他からの大きな影響がなければ、巨象が倒れるまで走り続けのでしょう・・・・

    吾らはそんなもう倒壊し始め、しかも35年前にアメリカのM委レポートで「現代医療は無力だ」と示された通り、その実力を身を以て知らされてからようやく気付いて、後の祭りとならぬように、今からでも遅くは無い、君たちは包囲されている(大自然の法則にだが)、素直に自然に立ち返りなさい~~と叫んで

    終わりとする。

     

     

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    松本英聖著   医学と生命  より

     

    220P
        医学的に見た療術の原理

     療術行為を外形的に見ると、人体の表面から安全無害な物理的刺激(電気、光線、刺激、温執、手技)を加える一種の刺激療法であって、医学的には理学療法(物理療法) の範疇(はんちゅう」に属する施術行為と考えられている。

     しかし、これはハード面から見た定義であって、ソフト面(施術原理や施術の考え方)は現代医療のそれとは全く違うから《似て非なる療法》である。一例を挙げると、現在良く知られているリハビリテーションは、脳卒中や事故等の後遺症に対する後療法(主として運動機能の回復訓練)を目的とする理学療法である。従って、ハード面では施術と共通する部分があるが、ソフト面(施術の目的や方法)は全く違うわけ。

     このため、昭和四〇年に「理学療法士」が制度化されたが、その業務内容が、一部に於いて鍼灸・指圧師等の業務(東洋医療)と重なる関係から業務独占は認められず、単に名称独占規定に止(とど)まった(特例試験によって鍼灸師等の既得権が保護された)。また、その業務も、病院等の施設において医師の直接の監督の下で行なう医療補助者として明確に位置づけられているから、この点でも独立開業を認められている鍼灸師や療術師(但し既得権者のみ)とは違うわけだ。


     では、療術の原理とは何か。

     現在の一般的な医学的説明では人体の表面から適当な物理的刺激を加えることで、血行やリンパ流の改善、自律神経の調整等を図り、生体の自然治癒力(免疫力)を高めて、健康を回復する施術法であると解説されている。

     しかし、これだけでは要領を得ないので、もう少し詳しく療術の医学的原理を解説しよう。

     昔から内臓の病変が皮膚の特定部位の異常(凝りや圧痛点)として現われることが知られていた。イギリスのヘッドは、これを解剖学的に詳しく調べてその分布帯(ヘット帯)を発見した。またドイツのデイッケは、体表面の異常部に手技を加えると、痛みや内臓の異常が治ることを医学的に明らかにして、独特の施術法(結合織マッサージ法)を創始したが、東洋古来の鍼灸術も、この原理を応用した施術法であることは申す迄もない。

     そこで問題は、何故こうした現象が起こるのか、というメカニズムであるが、これについては、故石川太刀雄教授(金沢大学・病理学)が、有名な《内臓→←皮膚反射》理論を発表して、鍼灸の理論的解明の糸口を開いた。

     一方寺田文治郎教授(前出)が、鍼灸の刺激で副腎皮質ホルモンが分泌されて、生体の免疫能が高まることを生化学的に証明して、鍼灸を救ったことは先程述べた。

     そして最近になって、中国・鍼麻酔の驚異的作用が世界的に知られ、そのメカニズムの解明が医学界の大きなテーマとなったが、数年前、武重千冬教授(昭和大学前医学部長)によって、その全容がほぼ解明されるに到った。
    詳しい内容は前著(松本英聖医事論集第一巻)で、紹介したので、要点だけを簡単に説明するとーーー、


     ツボからの刺激は神経を経て大脳視床下部に伝達される。すると脳内で「副腎皮質ホルモン」(下垂体ホルモンの一つ)と「β-エンドルフィン」(脳内麻薬物質)の二つの神経伝達物質が同量・同量に生成される。

     前者は副腎皮質ホルモンの分泌を促進して免疫力を高める(寺田説)。また後者は、脳内麻薬物質(モルヒネの五十倍以上の作用)として強力な鎮痛・鎮静作用を発現する。

    つまり、前者は《抗肉体的ストレス作用》、後者は《抗精神的ストレス作用》を発現し、この心身両面の働き(自然治癒力)によって、健康が回復するわけ。

     こうして、中国四千年のツボ医学(体表医学)の作用機序が医学的に確認されると共に、ツボからの刺激は、鍼灸の刺激だけでなく、その他の物理的刺激によっても同様の作用が発現することが明らかになったのである。


     つまり、鍼灸と療術はハード面(刺激の方法や種挙が違うだけで、ソフト面作用メカニズム)は医学的に同一原理に基づく施術法と言えるわけだ。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


     

     

     

     

    健康であれば、医療にかからない、健康なども気にしなくなる。

    当たり前だのクラッカーだが、

    いまのところ、その気配はない。 その証拠に日本の医療費40兆円にもうすぐ手が届くというから。

    いちおう、表の国家予算の額、知っている? 
    それから見たら異常に金食い虫だということ。
    だれが喰っているんだ?

    その虫の正体は

    ニッポンジン、アチャチャア~ニッポンン!応援団だよ。

    今の医療を支えて、しかも無限に金食い無知に陥っている国民なんだよ。

    金払っているんだから、喰わなきゃそんそん~
    そして、毒だろうが皿だろうが食い尽くしてはや何十年。

    たらふく食っても未だ足りない、医療保険よんじゅっちょ~~~え~~~ん♪

    これについて考えたことないのか、いや、考えたらアカン。

    そのうち、誰かが何とかしてくれる駄郎♪

    という国民は敗戦の責任を他人のせいにしてシマッタときから、再び今度は医療の面で敗戦の憂き目を味わいたいのだと、ボクは考えている・・・のだが・・・

    医者が悪いだの製薬メーカーが悪いだの、ああせい、こうせい省が悪いだの・・・・
    と言って、自ら支えてきた責任をほうきして電気クリーナーにさっさと切り替えたって、根本は消えないのだ。

    自分が支え、自分が創った幻想なんだから。

    それも先祖代々、何千年か・・・(という事は・・・・あ、ボクも同じ穴の・・・)

    じゃ、どうするってえのよ!!

     

    なあに、うがい運動を自分個人でやるだけさ。

    ガラガラ~~っぺ!とね。

    不買い運動か

    つまり、ロバート・メンデルソン医博著の「患者が医者をだますとき」あ、逆か!
    言ってたでしょ、「近づかなければよい」
    ただそれだけ。

    病院にできるだけ近づかないとね。

    ま行ったって別にいいけど。貰った薬は飲まないってこと。
    ま、一番良いのは貰わないことだろうけど、なかなか社会生活上、義理とチョコ万には勝てないって事情もあるしね。

     


    0 0

    別にボクが考えたことじゃないんですが・・・

    アレルギーって、なに?

    普通の人が食べても大丈夫な食べ物が、ひとによっては重大な反応を起こすという。

    その差はどこから来ているのだろうか?

    お盆に考えるにはよい話ですね。(関係ないか?)

     

     

    In Deep様が非常にわかりやすくまとめていられますね。


    風邪の中で考える「病気と人間と子どもと医療の未来」・・・今、乳幼児の4人に1人がアレルギーのために卵を食べていない

     

    まあ、卵は無理して食べる必要はないと思うのですが、(精白児?は卵が大好きだそうですが・・・・)それよりもアレルギーが増えた現代人。それも幼児に増加しているというから、いったいどうなっているんだろう?

    上記の記事に呼応してぴったりな記事がありました。というより、探し出してきたんだろうが・・・

    こんな事を200年前、じゃないな、20年前に書かれていたものをご紹介します。

    下の記事のまえに風邪(インフルエンザも同じ穴のムジナなんだけど)について書かれていますが、それは、また後で¥¥(また記事が前後して分かりにくいですね。)

    素人のボクがまとめて仕舞うと、

    要するに、全ての病気は体内浄化作用。

    言うのは簡単ですが、身体に起こる症状としては個人的も千差万別。あまりにも多くて、いちいち症状毎に分別していたんじゃ、人生一度や二度では敵いませんなあ。
    (それを世界の医学者達が血眼になってやっているのだが、ぐんもうぞうをなでる如し)

    素人で玄人でも、急所をしっかり握ってしまえばもうそんなに複雑に考えなくても良し!

    ギュ~~~ (急所を握った音)   ←物体じゃないですよ、観念、視点ですから。

     

     

     

    松本英聖著  「二十一世紀の医学革命へ」 (1995年刊)より

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     感染症は活性酸素の過剰反応

     インフルエンザ(流感)を始め、各種ウイルスによる感染症は、これまでウイルスが直接人体を侵すことで発症するという〝ウイルス主犯説〟が通説であった。


    ところが前田教授は、ウイルスの侵入に体が過剰反応し、このとき体内で多量に発生する活性酸素(スーパ-オキサィド)が原因で発症するという新理論をマウスの実験で立証した。研究の端緒は、インフルエンザに感染したマウスの肺内におけるウイルス増殖率と致死率とが一致しないことから始まった。そこで感染マウスの肺胞内を詳しく調べたところ、インフルエンザに感染すると肺胞内にあるキサンチンオキシダーゼ(酵素の一種)の活性が急激に高まり、大量の活性酸素と尿酸が生成されることが確認された。


     活性酸素はもともと生体の異物(ウイルスなど)を溶かして無害化する強力な活性物質。そこで必要以上に活性酸素ができると生体組織が破壊されてしまう。このため生体には余分な活性酸素を取り除く特殊酵素(SOD=スーパ-オキサイドディスムタ-ゼ)が用意されていて、組織の破壊を防ぐ仕組みになっている。


    つまり、マッチとポンプの関係で、両者のバランスによって生体の防衛機能が安全かつ円滑に営まれているわけ。まさしく陰陽の調和である(詳しくは『医事論集・第一巻・食と生命』参照)。


     過剰防衛反応とは、この調和が乱れて活性酸素が暴れだし、組織に損傷を与える状態だ。過ぎたるは及ばざるにしかず、ということで、《ウイルス侵入 → 過剰防衛反応(活性酸素) → 組織損傷》というメカニズムによって、さまざまなウイルス感染症が発症するわけ。



    110P
        生体の過剰防衛反応--・アレルギーとアトピー

     生体の過剰防衛反応で、一般によく知られているのは、アレルギ-だ。
    アレルギーとは、ギリシャ語で〝変わった反応〟という意味で、ウィーンの医師ビルケーが医学用語として提唱(一九〇六年)したのが始まり。またアレルギ-とほぼ同じ意味を持つアトピーは、ギリシャ語の〝不思議な〟という言葉に因んでコカが命名した用語。


    何れもその名が示すように、特定の異物に対して過敏な反応を引き起こす特異体質のことだ(詳しくは『医事論集・第一巻・食と生命』を参照)。


     最近、臓器移植に伴う拒絶反応が大きな話題を呼んでいるが、もともと生体には自分と他人を見分ける能力が備わっていて、自分以外のものは全て異物として排除しようとする働き(免疫反応)がある。しかし、この働きがあまりに極端になると食物も食べることができなくなるから、一定範囲の許容能力があるが、その許容範囲を超えると拒絶反応が起こる。また、この反応が過敏になったのが、アレルギーやアトピーにほかならない。


     話は前後するが、免疫機構を大別すると、貪食(どんしょく)作用と抗原抗体反応(狭義の免疫反応)とがある。
    前者は体液中を遊走する白血球(貪食細胞)が異物を取り込んで溶かしてしまうケ-ス。
    つまり食べて殺すわけだ。

    これに対して後者は、侵入異物(抗原)にピタッとはまる反応物質(抗体=免疫グロブリン)をこしらえて無害化する方法。抗原と抗体とはカギとカギ穴の関係に譬えられ、この対応能力は、実に十の八乗(一億)種類以上の抗原に対応しうるから、まさに千変万化の働きである。利根川博士は、この抗体のもつズバ抜けた対応能力の秘密を解明した功績でノーベル賞を受賞した。

     



    101P
        ショック死の原因は体内汚染

     今述べた抗原抗体の特殊な反応ケースがアレルギ-で、その主役を演じるのは
    igEと呼ばれる抗体(免疫グロブリン)。

    これは単独では働かず、体液中の肥満細胞(白血球の一つ)にアンテナのように付着する。このアンテナ(igE)に特定の異物がひっかかると、その情報が肥満細胞に伝わり、内部に蓄えられるヒスタミン、セロトニンなどのアレルギ-毒(起炎物質(メヂエーター))が放出され、この刺激で異物を強制排除される仕組みになっている。


     つまり毒を以て毒を制する非常浄化作用である。これが花粉症、湿疹、喘息などアレルギー反応のメカニズムである。


     なお、アレルギー毒には内臓の筋肉(平滑筋)を強く収縮させる作用がある。このため時として全身的な衝撃反応を引き起こすことがある。これをアナフラキシーと呼び、極端な場合はショック死を招くから怖い。

    ペニシリン、アンプル風邪薬、予防注射、麻酔薬などによる薬物ショック死事件は、アナフラキシ-によるものである。


     最近、花粉症を始めとしてアレルギーが急増しているが、その最大の理由は①動蛋食(肉・牛乳・卵)の増加、②化学物質(農薬・洗剤・食品添加物)の氾濫、③医薬品の濫用などで、現代人の体内汚染が極限状態になっているため。つまり、浄化槽が満杯になって汚物が溢れだす寸前と考えてよいだろう。


     そこで一寸した異物がきっかけで、アナフラキシー・ショックを起こせば文字通りの即死。

    しかも、こうした一触即発の人が今の社会には大勢いるから、誰か一人やられると将棋倒しに連鎖反応を起こす危険性があり、今の生活が続くかぎり、そのリスクは日一日と募っている。

    つまり悪性の疫病が大流行する下地は充分にできており、それが悪性インフルエンザなのか、エイズのような免疫不全症か、あるいは未知のウイルス感染症であるかは分からないが、とにかく大量死による大恐怖時代が到来することは避けられまい。

    その日は明日かもしれないのだ。しかも生活改善が遅れるほど被害が甚大になることを覚悟しておかねばならない。

     

    ※つづく

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    やっぱり、最後に怖いこと書いてありますねえ。

    その兆候が可愛い幼児に出始めているという、夏の怖い怪談・・・じゃない、20年前の警告。

    いまからでも遅くはない、(いや、遅いひともいるだろうか?)喰いあらためなさい。

     

    ちょっとまって、そのまえに、うまいもの喰ってからね♪

     

    お盆ですねえ。

    ご先祖様に感謝。

    しつつ、うまいもの喰いたいねえ~~

    うまいものってなんだい?

    え!  そういえば、年がら年中、うまいものだらけじゃないか(スーパーにて

     

     

     


    0 0

    腹水、盆に帰らず

    故郷にあてた電報 

    腹水・・・・・飲み過ぎ食べすぎのため起こった症状

    よって、楽しみにしていたお盆に帰郷ならず・・・・

    という意味合い。

     

    で、医学と何の関係が?

    関係なくともちゃんと関係づけちゃうのがアキョンブログ  って。

     

    ところでIn Deep様の 先回の記事は非常に分かりやすかったのですが、その股前の記事をちょっと覗いたら、これも股股の急所を突いた素晴らし記事でしたので、さっそくご案内しました。

    あ、急所を実物に突いたらだめよ。覆水盆に返らず。
     あ、そのまえにもうダメだったのね・・・・

     


    地球を作り替えるために「悪に感謝する」こと。そして、チャップリンの『独裁者』のスピーチでの理想的な人間像を真剣に想像してみること

     

    悪に感謝できますか、あなた?

    オマエ出来るのか?

    え!・・・・

    そう、そう簡単にはできません。いや、きっと猛烈に反発するでしょう、ボクの場合は。

    でも、真理には如何なる人間猿も敵いません。
    それが三猿主義を貫き通せるわけがないからです。まあ、大自然の摂理というか、そういう風に創られた神さまを恨むしかないですね。

    って、神さま恨んでみても詮無しなんだが・・

    ところで、精神的な見地から見た(繰り返すか)悪と、身体的にみた悪もあるという事でしょうかね。

    医学は思想である   (詠み人知らず)

    なんてね。

    医学は死相であるじゃないですよ。思想。 

    つまり病を悪とみる思想ね。

    病気は悪である。 悪は撲滅しなければいけない。
    しかも、ボクだけは善である(という都合のよい思想なんですねえ~~)

    つまり、善いっぱいのボクに病という悪が取り憑いてきたわけ。

    だから、酔っ払え、じゃない、追っ払え!シッシ!
    と。

    ところで、当痴呆の大きな病院に行くと、玄関前に飾ってある銅像と何チャラ書いてある銅板か石に刻まれた文句。

    誰かなこの人?

    まあ、あまり気にする人はいないようですが・・・

    このひと、ヒポクラテスっていうらしく、医学の教祖様的存在なのかな?
    そこで、わが霊感を強めて、密かに問答をしてみた・・・・・ら

    もしもし、ヒポクラテスさん、居心地良いでしょうねえ~~子孫の弟子達から崇め奉られて・・・

    「と、トンデモナイ! ワシの教えを反故にしてしおって、こいつらワシの弟子でも何でもないわい」

    と非常にお怒りになっている様子。

    え、だってあなた「医聖」と呼ばれているんでしょ? いい気持ちでしょうがねえ~~

    「bakaいってんじゃねえ!ここに立つ銅像は、ガレノスなんじゃ、奴がワシの言うことを聞かないで、病と闘うなんて宣ってからじゃ、今の医学が栄えたのは。今の医学はワシの医学でも何でもないわい!」

    え、ガレノス? そんなひと知らんですけど・・・

    「そりゃそうだろう、キミの無知ぶりも顔に染み出ているぞ、皺とともにな・・。ガレノスとはローマ時代にさかのぼるからじゃ。」

    ローマ? ローマ風呂? あの映画のように、日本の風呂をマネしたという・・・?

    「バッカモン、もういい。シッシ」

    とお怒りのご様子だし、追い払われてしまったので松本先生にお聞きすることに↓。

     

    え! 松本先生もアチラにもうお帰りに!  お盆だからちょっとくらいイイデショ♪

    (いくらお盆でも長すぎるぞ、与太話が)

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    26P
       第二章、 医学思想の逆転

     話をヨーロッバに戻し、ヒポクラテスの死後五百年ほど経った西暦一三〇年のこと。
    古代ヒポクラテス医学の発祥の地コス島の対岸メシア(小アジア)のペルガモンに一人のギリシャ人医師が生まれた。


    彼の名はガレノス(英読みガレン)。
    ギリシャ医学のヒポクラテスと並び知られるローマ医学の巨星である。

     彼はギリシャ医学を学び、三十五才でローマ皇帝マルクス・アウレリウスに招かれ、王子コンモーヅスの侍医として最高の地位を得た。


    折しも〝アントニアヌスの疫病″(一六五年)と後に呼ばれた大疫病がローマを襲い、人々がバタバタと倒れ、ローマでは一日に二千人の人が死んだと言う。


    この死人の山を前にギリシャ医学(ヘレニズム医学)はなす術を知らず、ガレノス自身も翌年にはローマを離れて難を逃れざるを得なかった。
    まさに医学の敗北である。
    無力感に打ち拉がれた彼は避難地でこう自問した。

     「この善悪無差別の暴威に対して、ヒポクラテスの教えは役に立たず、人間の〝自然回復力″は余りにも無力だ。
    病は〝悪″であり、人類の〝敵″だ。
    この〝人類の敵″と戦うことが医学の使命ではないか……」と。

     こうして彼の疾病観は一変し、ヒポクラテス医学とは正反対に、病と戦うことを使命とするガレノス医学(ガレニズム)が誕生。
    爾後二千年にわたって酉洋医学を支配し、今日(現代医学)に至るのだ。


    まさに医学思想の逆転であり、ガレノス医学によって、ヒポクラテス医学は終焉を告げた。



     奇しくも丁度その頃、東洋の中国では腸チフスが大流行、死人の山が築かれる中で張仲景(一四〇年)が現われて『傷寒論』と「金要略』を著し、「症」によって方剤する漢方医学を確立したことは前に述べたが、この段階で中国医学も病を悪とする疾病観に転換したのである。

     西も東も、同じ時期(二世紀)に、疫病が大流行し、その惨禍によって疾病観が逆転したことは不気味な一致と言えよう。


     だが、本当にヒポクラテス医学は間違っていたのだのだろうか。


    この疫病の背景には、当時のローマ人の生活全般にわたって何か大きな反自然的要因が潜んでいたのではないか。
    その原因を突き止めて、禍根を取り除くべく努力をすることがヒポクラテスの教えではないのか。


    実は、当時のローマ人たちの食生活は贅沢を極め、心身ともに劣弱化していたのである。

     だが王宮の反自然生活に慣れ切っていたガレノスは、このことに少しも気づかず、それが当たり前だと思った。


     彼の間違いはここにあった。
    出発点でボタンをかけ違えたのだ。
    だから何処まで行っても辻褄が合う筈がない。


    事実、百年後に古代ローマを襲った。
    キプリアヌスの疫病″(二五〇年)に際してガレノス医学は無力を露呈した。

     そして三百年後に大流行した史上最初のペスト禍と言われる〝エスティニアヌスの疫病″(五四二年)において、栄耀栄華を極めたビザンチンは壊滅的な打撃を受け、東ローマ帝国は住民の半数以上もの人命を失って、これが口ーマ帝国崩壊の端緒となった。


    この時もガレノス医学は全く役に立たなかった。

     天網恢恢、疎にして漏らさず、鉄槌は下ったのである。



    27P
       他人委せの医療観

     話は前後するが、疾病観が逆転すれば、当然、医療観もまた逆転する。


    即ち″病気と戦い、それを征圧する″という攻撃的医療観への転換である。


    しかし、このガレノス医学の考え方は、裏を返せば、人間の反自然的生活を正すことなく、逆に人智(医学)によって人間の思うがままに、自然を征服しようとする思い上がった人間中心の思想に外ならない。


     だが、よく考えてみれば、人間は必ず死ぬ。
    これが真理である。


    従って、もし死に到る過程を″病気″と考えるならば、人間は永遠に病から解放されることはない。


     では、医学とは何か?

     ヒポクラテスは、病は〝死に到る悪〟ではなく、〝天寿を全うするための自然の浄化作用、つまり善である″と喝破した。



    そして浄化作用を滞りなく速やかに終わらせる手立てや浄化を必要としない生活条件(正しい生活)を探求し、それを教え導くことーーつまり〝健康を保持し、天寿を全うする道″を医学の使命とした。




     一方、ガレノスは、これと正反対に、病は〝死に到る悪化作用″と考え、死をもたらす悪(病気)と戦うことを医学の使命と考えた。
    即ち〝死との対決″である。


     だが、それは所詮空しい足掻きに過ぎない。
    死の影は常に人間に付き纏い、遅かれ早かれ死は確実にやって来るから医学は常に〝敗北の学問″となる。


    事実、ガレノスの願いも空しく、病気は常に人智を越え、医学の努力を嘲笑うかのように、次々と新しい悪疫が出現。
    その都度、医学は挫折感と無力感に打ち拉がれた。



     またガレノスの医学観に立つと、ヒポくラテスが確信した〝人間の自然回復力(生命力)″は、外敵から身を守るための生体防衛力として位置づけられる。


    そしてこの相対化された非力な生体防衛力が外敵(病原)と戦っている姿が病気であり、遂に力尽きてギブアップした時が死である。


    従って最後は必ず病に負けて死ぬという哀れな疾病観が導かれるから、病気を恐れて敵対視するわけだ。



    病気を〝悪″と考える限り、当然の帰結である。


     そこで、病気に対して、無力な自分の代わって闘ってくれる強力な味方が医療ということになる。


    つまり、病気(敵)と戦うのは医療であって、人間は医療費を払って、この戦いを一喜一憂しながら見守る観客に過ぎない。



     言い換えれば、病と戦う戦士(主体)は医療(医師)であり、患者は生命を医師に預けるだけという医師委せの医療観である。



    そこでは、人間の主体性は完全に無視され、肉体だけを対象とする人間不在の医療が罷り通る。



      その結果、謂わゆる〝矛盾には矛盾を″という有名なガレノスの言葉が示すように〝毒を以て毒を制する″という危険な医療が正当化され、熱には解熱剤、痛みには鎮痛剤、さらにメス、放射線、抗ガン剤と、より強力な武器を求めてエスカレートするわけだ。


    このような攻撃的医療を逆症療法と呼ぶ。



     現代医療はアロパシー医学の最高峰であり、史上最強の攻撃的手段を誇る医療であることは言うまでもあるまい。


     ところが、このような攻撃的医療をヒポクラテスは厳に戒め、弟子達に対してこの掟てを守ることをアスクレピオスの神殿に誓わせた。


    ヒポクラテス医学においては、再三述べたように「病は、自然の自浄作用」であり、「自然の癒し」であるから、この理を悟り、自らの自覚で生活を正すことが、「病から解放される唯一の道」である。


    つまり、真の医学の主体は人間自身であり、医薬などに頼ることは、自然の癒しを妨げる有害無益な愚かな行為に外ならない。
     

     〝医療(人智)に頼るか、自然(神智)を信じるか″。

     


     この何れの道を選ぶか。


    あなたの健康と運命は、この選択に掛っていると言えよう。

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    ということで、ヒポクラテスさんに再び聞いてみました。

    「うん、これこそワシの答じゃ、満足して居るぞ。だが・・・」

    ん?だが・・・

    「ここ(病院前)ひじょ~~に居心地が悪い。オマエ、ワシをおぶってゆけ」

    えええ~~~銅像をですかあ~~
    あ・・・・・ワタシ、霊感が急に薄れてきたみたい・・・・
    今のはよく聞こえなかった・・・ような・・・

     

    まあ、誰か後世になるとガレノスの像と入れ替わっているでしょ、きっと・・・・

    いや・・・

    気づかれたときが終焉か・・・・・

    大病院がちいさな診療所くらいになってたりして・・・・

    あれ! あそこに立っている象は・・・・

     

    写真を編集 !!

    ところで、腹水盆に帰らずと同関係あるんだ?

    という疑問ですが・・・

     

    あ、ヒポクラテスさんに聞いてきますね・・

     

    あ! お盆休みで里へ帰ったそうです~~~(残念

     


    0 0

     

    健康であれば健康についてなど考えない。

    健康社会になれば、医者も病院も、そして薬も要らない。

    健康人が多くなれば、社会はずっと楽しく、将来の不安も激減して預貯金の心配も無くなる。

     

    病気が多いから医療保険も高額支払いが止まらないし、税金もそれに使われるので社会保障費が減額される。

    つまり40兆円もの医療費を使うから、他に金が回らなくなる。

    じゃあ、もっともっと安くて効果があり、しかも安全だというような医療をどしどし保健制度に組み込むことだ。

    こんな当たり前のことが出来ないのは何故だろうか?

    それは

    今の現代医学一偏頭の医療政策で出来上がった社会構造そのものが利益独占体制になってしまったからです。そこには当然、利権がうまれそれを取り巻く構造はもう超巨大化して、一般人の生活(仕事)にまで食い込んでいるので、改革などおぼつかない。

    自ら潰れるという(自壊作用)、いくら三千年の屋久杉が巨大でもいつか倒れるというように、人間がどうにか出来るようなものでは無くなってしまったような気がします。

    それは、日本の終戦間近の上層部と国民の関係に似ているようです。

    どうして、早く終戦にできなかったか・・という原因のひとつに、「もう誰も止められない」というような「空気」があったようです。(NHKスペシャル、特攻)

    戦争は開始するよりも収束させる方が何倍も難しい

    というように、今の日本の医療制度は始まってから相当期間過ぎて、社会に定着してしまったのと、国民の意識がそれに頼り切っている現状では、生半可の改革案など焼け石に水。

    どうせなら、一度ぜんぶ壊れてしまったほうが、早く次の優秀な保健制度ができるのでしょう。もちろん、安全、安心、無料という今では考えられないほど進化すると思います。

    しかし、潰れるまえに吾らは何がどうなのか?その全体象を知っておかないと直ぐ次の制度に移行できません。無知なままでは再び人任せの利権が絡んだ制度が出来上がってしまいます。

    この療術についてもいろいろなものがありますが、絶対的基本はヒポクラテスに帰れということです。

    「自分自身を治すのは自分の内なる力だ」という柱をもって、各種療法はあくまでその自分の治癒力を高めるものでなければならないからです。

    治療そのものが次の病を造り出すなどは言語道断、今までの薬剤中心の医療は過去の遺物となるかも知れません。

     

     

    日本の各種療術等についての記事の終盤に入ります。

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    松本英聖著  医学と生命(一九九四年出版)より


    222P
          療術の現況

     現存する療術は、電気・光線・刺激・温熱・手技の五種目があるが、これらの概要を簡単に述べて置く。
    ①手技療法
     現行法が公布された当時(昭和二二年)、手技療法としては「指圧」と「脊椎調整法(カイロプラクチック)」の二流派があったが、どちらも禁止された。しかし、その後の法改正において、「指圧」については「ツボ」に対する施術(東洋系技牽ということで「按摩マッサージ」業務に吸収されたために、現在の手技療法は脊椎調整法(カイロプラクチック)(欧米系技撃が主流となっている。
     余談になるが、この法改正指圧の吸盤を審議する国会で、「按摩と指圧は何処が違うか」と香貝から厳しく追及されち答弁に立った当時の医西周長・東龍太郎氏夜の部知書は「按摩は按摩でございます」と答弁にならぬ名(迷)答弁をしたため大騒ぎとなった。とどの詰まりは「あん摩マッサージ指圧師」(現行法の正式名称は句点なしの棒読みであることに窒息)という苦肉の策を高じることで漸く一件落着した。知る人ぞ知る法改正の内幕であるが、結局、療術禁止自体に無理があるため、こうした混乱が生じるわけだ。
     カイロプラクチックは英国系のオステオパシー(整骨術)を源流とするもので一八八五年米国のダニエル・ダヴイッド・パーマーによって脊椎関節の機能不全(サブラクゼーション)を調製する(アジャストメント)手技療法」として創始された「欧米系技療法」である。しかし、その歴史は苦難の道で長年に亘って正統医学から不当に迫害されたが、再三述べたように現在では全米各州で合法化されている。現在の制度は、州によって多少の違いはあるが、カイロプラクチックの専門大学(四年制が多い)を卒業し、免許試験(州政府が毒に合格すると免許が公布される仕組みになっているので、日本の鍼灸制度とほぼ同じと考えて良いだろう。
     では何故、日本ではアメリカのようにカイロの合法化が進展しないのであろうか。
     実は、この間題の本質は国民の「医療選択の自由権」に関することであり、これに対する認識が未成熟な日本では、国民のコンセンサスが容易に得られないからであるが、それはさて置き、現在厚生省では、「カイロも指圧も手技を手段(ハード)とする点は全く同じであるが、施術原理及び施術方法等(ソフト)は全く異なるものであるから、単に外観上の類似性だけを以て、一律に論じることは出来ない」との見解を示している。
     この点について、昭和四五年宮城県衛生部長から「カイロを指圧に含めてよいか」との照会に対して、厚生省医務局長より「カイロプラクチック療法は脊椎の調整を目的とする点において、按摩マッサージ指圧と区別され、従ってこれらの業務に含まれないものと解する」と解答されていることを見ても明らかである。
     なお最近、カイロが全国的に普及していることから、厚生省でも放置できず、カイロの禁忌症を各都道府県に通知するなど、カイロの適正化を図る動きを見せ始めた。
     しかし、カイロが飽くまでもアメリカ的な制度化を主張する限り、アメリカの例に倣って国民の「医療選択の自由権」を確立する国民運動が必要であり、その自覚と覚悟によって新しい時代が開けるであろう。この意味で、カイロプラクダーの使命は重大であり、奮起を期待して止まない。
     *米国議会技術評価局が民間療法(非正統療法)の公的研究助成体制を早急に整えるよう求めた七項目の提案を政府・ガン研・医学界に提出(一九九〇年)するという画期的動きが始まったことは既に述べた。


    223P
           ②刺激・温熱療法


    刺激・温熱療法とは、機械的または温(冷)熱などの刺激作用を応用する療法で、器具としては単純であるために多里多様なものが創意工夫されている。
     しかし、皮内に針等を刺入したり、皮膚面を焼灼することを目的とする器具(または、その恐れのある器具)を使用する行為は療術の範囲を逸脱するもので、鍼・灸または医行為となり、また薬品など(化学的または生物学的)の刺激作用を用いる場合も、物理的刺激手段の範囲を超えるもので、時には医行為に属する行為として医師法違反に問われることがあるので注意が必要である。
     なお、刺激・温熱については、既に「禁止は出来ない」旨の答申が厚生省に出されており、その際に誇大広告防止に留意するよう付記されている。当然なことである。



         ③電気・光線療法

     電気・光線療法は十八世紀ヨーロッパで発祥した物理療法で、電気学の発達と共に新しい療法が続々と開発され、現代医療においても理学療法の一環として広く応用されている。そこで療術禁止の際に、電気・光線療法は、医師の業務の範囲であるとして、既得権者以外の施術は一律に禁止されてしまった。ところが昭和二十六年に福島県で無資格者(既得権者でない者)による電気治療違反事件(HS無熱高周波療法事件)が起こって裁判となった。
     HS無熱高周波療法は電気療法の草分けである杉田平十郎氏(福井県出身)が大正年間に創始したものであるが、この療法に心酔した被告(後藤博氏=茨城県出身の元常磐炭鉱勤務)が、講習を受けて福島県に帰り、一回百円で治療したことが、無資格治療に当たるということで起訴された。かくして福島簡裁、仙台高裁、最高裁と十年に亘る裁判闘争を経て、遂に最高裁で「無害な療術は適法」という歴史的判決を勝ち取ったのである。同氏の不境不屈の信念は、まさに療術史における巌窟王と言うべきで、こうした先人達の苦難の歴史から新しい療術の道が開かれたことを忘れてはなるまい。
    因みに、この裁判は法理的には「職業選択の自由」書法二二條)を巡って争われたものであるが、その後の差し戻し審では、当該療法が「有害か、無害か」を巡って再び最高裁まで争いが続いた。しかし、この差し戻し審の最高裁判決において、HS無熱高周波療法は「有害の恐れがある」という鑑定結果が出て、最終的に罰金刑千円が確定したことを付け加えて置かねばなるまい。
    この鑑定結果は、有害論(検察側証人)と無害論(弁護側証人)の両証言について最高裁が職権で選任した鑑定人(大島良雄・東大教授)の下した結論である。
     つまり、無害な療術は適法であるが、しかし、その無害性は客観的に評価されたものでなければならない、ということである。
     そこで、問題はその無害性の客観的判定基準であるが、現在では電気・光線などの医療用具は、薬事法によって安全性その他について厳重に規制されているから、認可製品を使用することが重要な用件と考えられる。
     なお、電気・光線療法を医用電子工学の立場から分叛したものを次表に掲載した。表中で家庭用治療器として認可されたものは、一般人が使用しても危険性がないように開発された治療器であるので参考にされたい。



     ※ 図表略

    227P
        療術の今後の展望


     病なき世界を目指す『アルマ・アタ宣言』以来、世界の医学は従来の医療一辺倒の保健政策から「健康づくり」の時代へと着実に転換すると共に、民族伝統医学を尊重する医療の多極化時代を迎えたことは既に述べた。こうした世界の潮流の中で、日本の保健政策もこの方向に向けて軌道修正が図られ、療術に対する考え方も大きく変化した。
    その手初めとして昭和六三年五月十七日、厚生大臣が(財)全国療術研究財団を認可し、厚生省指導の下で同財団に「療術研修所」が設置されて、同財団による自主規制の体制づくりを固めた。即ち、療術教育の適正化とレベルアップ、終了者に対する療術師の「認定書」交付等である。
     なお、厚生省ではこれと平行して、(財)鍼灸研修試験財団、(財)柔道整復研修試験財団を設置して、従来免許者のレベルアップを困り、東洋医療の国際化時代に備える体制づくりを進めている。このほか、厚生省生活衛生局では(財)日本エステティック研究財団を認可し、エステ業務の適正化と自主規制(資格認定等)の方向づけも図っている。

     

    一方アメリカでは先程紹介したように、これまで非正統療法として蔑視されてきた民族伝統医療(中医学・インド医学・イスラム医学等)や各種民間療法(療術等)を正統に評価(有効性や安全性)する動きが出て来た。


     このようなわけで、時代は既に医療の国際化(多極化)と国内的には「健康づくり」の体制づくりに向けて大きく転換しているが、こうした流れの基本となるのは、国民の「医療選択の自由」(基本的人権)の確立であり、この方向こそ今後の日本の医療制度改革(健康づくり)を導く指導理念であり、そこから、「病なき世界」への新しい道が開けてくるであろう。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     


    0 0

     

    お盆腹水にて帰らず

    なんて電報打つ奴は放っておいてと・・・

     

    アレルギーが現代の子供達に増えている。そして大人も花粉症とかで増えているという。

    高血圧症も数値のマジックにかかって数千万人と言われている

    さあ、お盆に帰ったら病人だらけ・・・?

    と思っていたら、案外みな元気そうじゃ無いか!

    なんだ思い過ごしか・・・

     

    でも隠れたところにはアレルギー患者がうずくまっているのかも知れない。
    ただ、わたしの目の前に見えないだけなのかも?

    そこで先回のつづきです。

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    松本英聖著  21世紀の医学革命(1995年刊)より

     

    102P
        自己免疫病も非常浄化手段の発現

     さて、今お話したアレルギ-は、免疫過敏症であるが、これに対してエイズは免疫力が駄目になる免疫不全症。つまり正反対の免疫病で前者を過剰警備に譬えれば、後者は無警察状態と考えてよいだろう。


     ところで、免疫病にはもう一つ自己免疫病と言って、自分のからだを異物と見徹して溶かしてしまう奇妙な病気がある。


     関節が解けて変形するリウマチなどの膠原(こうげん)病がこれで、難治症の一つである。医学的には、自分のからだが抗原(異物)となり、これに対して抗体ができる現象と説明されている。抗原とは、本来、外部から侵入する異物であるが、自分自身が異物と見倣されるわけだから厄介である。では、何故、こんな異変が起こるのか。


     結論的に言えば、反自然的な生活の歪みで、体内が極度に汚染し、人体そのものが異物化するためである。

    もう少し詳しく説明しよう。


     人体が一定の形を保っているのは細胞や組織をしっかり結合している結合組織の働きである。結合組織は、コラーゲン繊維でできた立体的な網目構造(マトリックスという)になっていて、この間隙(かんげき)をヒアルロン酸などの粘調な体液を含む組織液が満たし、この組織を介して、細胞の物質代謝が営まれている。


     つまり、毛細血管(動脈側)から運ばれてきた酸素や栄養分は一旦、マトリックスに滲み出て、細胞内に取り込まれる。また、細胞から出された老廃物はマトリックスに出た後、炭酸ガスは毛細血管(静脈側)に入り、その他のものはリンパ管を経由して静脈に戻るという仕組みになっている。従ってマトリックス内には、栄養物と老廃物が混在しているわけで、上水と下水が一緒になっているわけ。


     そこで美食・飽食が続くと、それらの代謝産物(老廃物)がマトリックス内に溜まる。マンホールが溢れるわけだ。


     この状況は、文明社会がゴミ(廃棄物)処理で悩み抜いているのと同じこと。生体も社会も変わりはなく、自然を無視した生活が招いた悲劇と言わざるをえない。


     しかし、こんな状態がいつまでも続くわけがない。するとどうなるか。当然、強力な浄化作用が始まる。


     自然の営みは有難いもので、人間の欲望がつくりだした汚物を強制的に排除してくれるわけだ。これがアレルギ-、自己免疫病、エイズなどにほかならない。


     また環境汚染に対する大浄化作用が、天変地異などの大災害である。つまり、汚染の内容や程度に相応した非常浄化作用が発現するわけ。これらの惨状は人間本位・自己中心の眼(知恵や学)にどう映ろうとも、全ては体内汚染や環境汚染を一掃するための自然の恵みであり、天の配剤である。従って、この理に目醒め生活を正せば大事に至ることなく天寿を全うできるのである。


     この理に気づかず、美食・飽食に溺れ、薬に頼っている限りは体内汚染(環境汚染も同じ)は日増に増大するであろうから、ついには助かる生命(いのち)も助からなくなる。


     要は大自然の理に目覚め、生活を正して体内の浄化を図ること。これがやがて来るであろう大浄化時代に備える唯一の正しい道であって、これ以外に生き残る道はない。


     その時になって慌てふためいても、時すでに遅し。この警告を天来の声と受け止め、直ちに生活を正すことを願って止まない.。
    104p

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    あ、読むのが遅かったかな・・・・・

    さんざん、美食、飽食のお盆料理だったし・・・・

    こんなに腹ふくれちゃって・・・・

     

    ああ、やっぱ、腹水、お盆から帰らず・・・・

    会社にメールいれとこ・・・・

     

    「田舎では風邪が大流行、ワタシも感染したため、会社にご迷惑をかけないために、しばらく上京を取りやめます」

    ポン!(メールの確定)

     

    よう^^¥し~~~喰い直すぞ~~~♪

     

    あ! もう返信が来ている

     

    「ソノママ、ズットタイキセヨ」

     

     

     

     


    0 0

     

    紹介内容が高度になっているため、低次元領域にとどまっている綿シニアにはとても解説などできないものでありまして・・

    お盆腹水の為帰らず

    ということで、割愛させて戴きました。 (お、よかった?)

     

      項目は 

     現代医学の神話

    です

      

     

    松本英聖・医事論集  
           第二巻  「医学と生命」
                    (一九九四年一〇月三〇日初版)
           より

             (第4部) 現代医学の神話
         第一章、 進化論の問題点

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     (-)進化思想


     今日は「現代医学の神話」というテーマで、私がかねて考えておりますことをお話しさせて頂きたいと思います。

     現代医学と申しましても幅があり、広く言えば現代の物理・化学や年商学を踏まえて医学が成り立っています。
    この生物学の基本にある考え方の一つが進化論です。
    進化論は現在のアメリカでは未だに裁判が起こるような問題です。

    つまり人間は猿から進化したのかどうか?これは「神の創造説」を否定する考え方ですからダーウィン自身も聖書を信じるクリスチャンとして考えに考え抜いて発表したわけです。
    それだけにキリスト教世界観に大きな衝撃を与えたと思います。

     さて、現在の生物界は約百五十万種からなっており、非常な多様性と、それからバクテリアからアメーバ、そして人間まで、単純から複雑へと見事な階層的秩序が見られます。
    そこで、単純な生命から次第に進化して、多様性と複雑性を獲得して来たという考え方が近代思想であります。

    その根底にあるのは、単純なものは下等であり、人間が進化の頂点に立つ《万物の霊長》だという人間中心の考え方です。
    果たしてそうなのでしょうか。
    私はここに自然界に対する人間の支配の論理、人間が優れているという思い上がった思想が芽生え、それが今日の自然破壊(自然収奪)を招いたと考えています。



     (2)進化論の構造-ー相反する二つの概念


     ところで、現代の生命観は全く相反する二つの思想が結び合わさって成り立っています。
    一つは遺伝(ミクロの視点)という考え方で、親から子へと代々形質が伝わっていく。
    蛙の子は何処まで行っても蛙の子で、生命は変わらないという思想であります。
    つまり神が創造した生命は未来永劫変わらないという思想が遺伝思想です。
    もう一つは、進化思想 (マクロの視点)です。
    この方は、生命は変わる、蔦が鷹を産むという思想です。
    一方は変わる(変化性)、他方は変わらない (不変性)というわけです。
    この相反する矛盾した二つの思想の上に現代の生命観が成り立っているのです。



     (3)矛盾を結び付ける概念-ー突然変異


     変わらないという思想と変わるという思想が如何にして結び付くのか。
    これが現代生命観の基本問題であって、哲学 的にも宗教的にも大きな問題を学んでいます。
    この問題を見事に解決したかに見せかけるトリックが突然変異説です。

     これは今世紀始めにド・フリーズがオオマツヨイ草の研究で突然変異種を発見して唱えた説です。
    本来変わらないもの が突然変異によって、ある日突如として変わるという考え方です。
    そこで問題になるのは、何故、突然変異するのか、

     これには現在、二つの考え方がありまして、ひとつは外因説。
    これは変異原性物質によって遺伝子DNAの配列に変化が起こるという説(誘発変異)です。
    放射線、紫外線、化学物質(農薬、洗剤、薬品、食品添加物等)がそれで、天然物もありますが、殆どは人間が作り出した化学物質です。
    ガン細胞も突然変異で生じるため、今でも変異原探しを盛んにやっています。
    外因説は実験で証明できますから、説得性があります。
    もう一つは内因説です。
    これはDNAが複製されて行く過程でミスリーディング、つまりミスコピーが起こるという説(自然変異)です。
    例えばコンピュータでも百万回に一回位はミスが起こると言われていますからDNAの複製でもそれが起こるというわけです。

    このミスコピーはランダム(盲目的な確率事象)ですから全く無方向性で、神が介在する余地は全くありません。



         (4)遺伝と進化の仕組み

       ①突然変異--人間はミスから生まれる

     それでは、全く出鱈目に起こる突然変異から、どのようにして進化という秩序性が出てくるかという疑問が出てまいります。
    現在、DNAのミスリーディングは、集団遺伝学の計算では、凡そ一億回から十億回に一回ぐらいの割合で必然的に起こると考えられています。
    そこでこの考え方を突き詰めて行くと、人間はミスコピーから出て来た出来損ないということになります。
    我々が進化の頂点にいるのは、実はミスコピーの中からひょっこり良いのが出て来て、それが進化したというわけです。

     余談になりますが、「神はサイコロを振り給わず」というのがアインシュタインの信念でした。
    彼の宇宙観は素晴らしい秩序性とハーモニーを確信しており、ニールス・ボーア(原子の太陽模型説を唱えた)等のコペンハーゲン学派が言うような不確定な確率論的世界観に最後まで反対して学界から孤立したことは有名な話です。
    アインシュタインは敬虔なクリスチャンとして神の創造した宇宙の秩序を固く信じていたことは間違いありませんし、実はダーウィンもそうです。
    それと言うのはキリスト教世界では、神を無視して生命は論じられないからです。
    目本では昔から汎神論的な考え方ですし、また明治以降は無神論的な立場が進歩的という誤った考え方が強いので生命観が非常に曖昧模糊となっているように思います。

     兎に角ランダムとはサイコロの目、つまり確率論ですから、神はサイコロを振ったのか、という問題になるし、もし振ったとしてもサイコロの目は神と雖も自由に出来ないということでまこの根拠となる考え方が現代物理学の基本原理(不確定性原理)ですから、生命を論ずる場合はこの辺のことをキチンと整理して置く必要があると思います。

     話を元に戻して、ランダムの中から何故、秩序性が出てくるかという問題に移ります。
    さて近代生物学には幾つかの基本前提がありますが、その一つが、生物は増殖するということです。
    これは「生めよ、殖えよ、地に満ちよ」 前世記)という言葉の通り、生殖能力を生命の本質として前提するわけです。
    その生殖能力がたまたまミスコピーをして突然変異が起こり、その突然変異種の中で数学的には千回に一回ぐらいの確率で優秀なものが出てくる可能性があると前提するのです。
    こうしてアメーバから人間が出てくる確率を計算すると、何と十の三百万乗分の一という信じられないような数字が弾きだされます。
    十の三百万乗分の一という数は、コンマ以下三百万個の〇が付くわけです。
    一頁に千個の〇を書いたとしても三千頁いります。
    そんなベラボーな数字でも、数学的には正しいわけでまこのような計算をするのが集団遺伝学で、これと結び付いたのが現代の正統派進化論(総合説)です。

     そこで、これに反対する学者達はこう言いままミスコピー説は、有り得べからざることを信じているに過ぎない。

    これでは神の創造説と変わりないじゃないか - と。

    これに対して正統派は、確かに有り得べからざることではあるけれども、しかし数学的には確実であるし、しかも現に人間が存在しているではないか、存在している以上はこの論理に間違いはない、と開き直るわけです。
    ここが問題です。
    数学的計算は間違いないのだから、もし文句があるなら、論理を示せ、それが出来ないなら文句を言うな、というわけです。
    こうなると無茶苦茶です。

     この強引な論法を根底で支えているのが、先程述べた現代量子論の基本原理《不確定性原理》です。
    従って不確定性原理が覆らない限り、ミスコピー説は堂々と罷り通るわけでまこの意味で神の創造説を原理的に否定するのは、不確定性原理であるということを、まず押さえて置くことが大切です。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

    つづきます。

     

    現代量子論とか何チャラとか・・・

    ???小首をかしげながらも理解に努めようとしていますが、
    いつのまにか小首がこっくり、コックリこと傾いたままで・・・

    後はアナタの選択眼と認識眼にてセルフサービスでよろしく~~~

     

     

     


    0 0

     

     

    先回のつづきです。

    (何か書いたら?・・・)

    あ、お盆で忙しくて・・・あの~~

     

    やっぱ、「不適者不適損」ですかねえ~^^;

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     


    234P
        ②自然選択--適者生存

     進化論には、もう一つ落とし穴があります。
    それは自然選択という考え方です。
    ダーウィンはこれを自然淘汰と呼びました。
    この考え方にも色々な立場がありますが、一つはラマルクが唱えた獲得形質の遺伝説です。
    これは生物が生存するために都合の良いものが獲得されて子に伝わるという考え方です。
    これに対してダーウィンの方は、生存競争によって優れたものが生き残る(適者生存)という考え方です。
    これは選びの思想と言ってもいいと思います。
    この場合誰が選ぶかというと、それは自然が選ぶ首然選択)というわけです。
    その極端な考え方が旧ソビエトのルイセンコ学説です。
    これは戦後の一頃日本でも非常に盛んでした。

    現在はソビエトが崩壊しましたが、かって共産主義が華やかなりし頃、スターリンがルイセンコ学説を支持したため、この説が旧ソ連を支配します。

     この説の特徴は社会環境を重視することです。
    人間は自然の産物であると同時に、社会的な生物でもあります。
    昔から《氏より育ち》という言葉がありますが、人間は育った環境(社会的条件)によって条件付けられた受動的存在だという説です。
    これに対して西欧側は猛反対しまま条件付けは一代限りで遺伝しないというわけです。

     西欧側はご承知のメンデル、モルガン、ワイズマニズムが主流で、これは種(遺伝子)優位の考え方です。
    ところがスターリンの音頭でルイセンコが天下を取り、メンデル、モルガニズムの学者を全部追放して強制収容所に送ってしまったのです。
    これはルイセンコ学説に立つと、種(血統)とか家柄等はブルジョア思想の残滓であり、プロレタリアこそ歴史変革の担い手であると革命政権を正統化して、旧支配階級や宗教を潰すには都合が良かったからです。
    しかしフルシチョフ時代になるとスターリン批判の嵐の中でルイセンコも厳しく批判され、その学派は全部失脚し、ルイセンコは流刑になって、悲惨な目に逢います。
    仇を取られたわけです。
    こうして旧ソ連も西欧的なメンデル・モルガニズムに還っております。

     なお、ラマルクの獲得形質遺伝説は生物の生命力に向上性を求め、生存に都合の良いものを獲得して進化するという考え方で、これを定向進化と言います。
    しかし、定向進化は、生命力という分けの分からないものを前提にしており、しかも生命刀は生まれ付き目的性を持っているという考え方が批判され、今日では正統学派から完全に葬られています。

     以上のようなわけで現在では、環境優位説と生命(種)優位説の折衷案と言いますか、、つまり生物と環境の相互依存関係によって、ランダムに生じた突然変異種が自然選択(適者生存)されて進化するという考え方(総合説)が主流になっています。
    そこで問題になるのは自然選択のメカニズムです。

     
    235P
       ③時間のマジック

     一口に自然選択と申しますが、それは百年や千年の期間で起こるものではなく、我々が知っている限りでは三十数億年という茫々たる時の流れの中で営まれたものです。
    言い換えれば、自然選択という概念を突き詰めてゆくと、結局は「時が解決する」という考え方なのです。
    現に、正統派進化論の大御所ジュリアン・ハックスリーは著書の中で「時間さえ充分にあれば、どれほどありそうもない結果でも、自然選択が生み出す」と述べています。
    では「時間」とは何か、と問えば誰も答えられません。
    この正体不明の「時間」が、自然選択という奇術を実行するわけですから、まさに「時は神なり」です。
    ここで問題を整理してみますと ーー

    ①進化の原動力は突然変異である。
    それはランダムに起こる。

    ②このランダムな突然変異の中に他よりもちょっと優位なものが現われる(十の三百万乗分の一の確彗
    ③この突然変異が次々と継起し、その中で優位なものが何億年という時の流れの中で自然選択という名の尋匝によってアメーバから人間にまで進化した、という筋書です。

     ①②については後でお話しするので、③だけ取り上げると、自然選択というのは青菜のマジックであって、その内容は「時間の手品で彗その手品のカラクリを明らかにしない限り、「神の御手によって」と言い換えても少しも可笑しくないわけです。

     そこで進化論を主張するためには-
     ①時間が自然選択するならば、そのカラクリはどうなっているか
     ②時間とは何か
     ③時間と生命の関係は
    以上の三点を明確にする必要があるわけでまそこで私は、神の創造説を信奉されているクリスチャンの方々は、物理学者や生物学者に対して「この三点について明確な答えを示せ」と、はっきりと問題提起すべきではないかと思います。
    実は、この時間の概念について、私は三十年間悩み続けて来ました。
    この問題を解決しない限り、神を信じるにしても、また信じないにしても、何れにしても真実の答えを引き出すことは出来ないからでまこのことを科学者も宗教家も共に真剣に考えるべきことではないでしょうか。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    次回はミクロ生命科学(分子生物学)の問題点です。

      う~~む~~~

     

    どんどん、分からなくなってきた・・・ゾ~~

    まあ、著者の様な方でも30年間も悩み続けたといいますから、

    ワタシにも3分間の時間をください。

     

    え、オマエの一分は百年だと言うんだろう!

     

    生まれ代わって来ます・・・・




    0 0

     現代医学に神話がある。 セントラル・ドグマに迫る

    という事を専門家の立場から詳しく解説してあります。

     ど素人を標榜するワタシにはサッパリ解らん  のですが・・・

    どうやら、この神話から導き出されているのが現代医学の基礎部分となっているように思われます。

    まあ「思われます」低度のボクの解説は書きようもありませんし、書いたところで「恥書き論」に落ち着くことはマチガイなしという事で。

    でも、この究極は現場の医療に繋がっている重要ポイントとなりますので、毒者諸君は、あ、読者諸兄は懇切丁寧に毒破されんことを、いや、読破されんことを願いつつ、筆を置くことと致します。(なんだか・・)

     

     

     

    松本英聖・医事論集  
           第二巻  「医学と生命」
                    (一九九四年一〇月三〇日初版)
           より

           

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    (第4部) 現代医学の神話

          
    237P
         第二章、 ミクロ生命科学(分子生物学)の問題点

      (1)セントラル・ドグマ(DNA↓RNA↓蛋白質)

      ①最初にDNAありき

     次に遺伝の問題に移ります。
    ご承知のように遺伝情報を担う物質は遺伝子(核酸DNA)で、このDNAのコピーが親から子へと継承されていくわけです。
    この場合、まずDNAのコピーが出来て、次にRNAが転写され、それから蛋白質が合成されます。
    つまり、DNA↓RNA↓蛋白質という順序です。
    そしてこの道の過程は無い。
    即ち蛋白質↓RNA↓DNAという過程は無いというのが、現代の分子生物学で確立されているセントラル・ドグマの考え方です。
    これはワトソンとクリックの二人の科学者(一九五〇年にDNAの二重螺旋構造を発見、一九六二年度ノーベル賞受賞)が提唱したものです。

     ここで問題としたいことは、何故、二人がこの考え方をドグマと呼んだか、ということです。
    日本ではドグマという言葉を嫌って、プリンシプル(原理)とすべきだという方がいますが、これはとんでもない間違いです。
    彼等がわざわざドグマと断わったのは、それなりの理由があるからです。
    その理由は、最初のDNAは何処から来たのか、というDNAの起源は一切問わない。
    神様がお創りになったか、茫々たる時間の流れの中で自然発生したか、そんなことは全く無視して、現に目の前に存在するDNAを出発点としますよ、ということです。
    生命とは始期と終期をもつ時間的存在

    ですから、その起源を無視するということは、当然ドグマと言わざるを得ないわけです。
    ここにもキリスト教の強い影響(神の創造と予定)が現われているわけでして、この点を日本人はしっかり押さえて置く必要があると思います。



       ②ウイルヒョウの細胞観ーー細胞は細胞から

     セントラル・ドグマの考え方は、実は一九世紀のウイルヒョウという細胞学者の考え方と同じで、彼は「細胞は細胞より生ず」という有名な言葉を残しています。
    これも細胞の起源を問わないという考え方です。
    これが、今日の医学の土台である《細胞病理学説》の考え方です。
    セントラル・ドグマは「DNAはDNAからーー」という考え方ですから、考え方は全く同じで、少しも進歩していないわけです。

     今日、ガン問題が未だに解明できないでいるのは、まず「初めに細胞ありき」として、それが突然変異によってある日突然にガン細胞に変わるという考え方が支配しているからです。
    この論法で行けば、ガンの原因は突然変異ですから細胞に突然変異を起こさせる物質(変異原)を見つけ出せば万事解決するということで世界中の学者が血眼(ちまなこ)になって変異原探しをやったわけです。
    その結果、変異原がどんどん見つかり、今では凡ゆるもの、例えば自然の食物中にも変異原が含まれていることが分かって、話がややこしくなった。
    つまり我々は昔も今も、無数の突然変異に囲まれて生活をしているわけですから、誰もがガンになって然るべき筈であるのに、実際にはガンになる人とならない人がいる。
    そこでどうも変だということになって、今度はプロモーター(発ガン促進物質)という考え方が浮かび上がって来ました。



        ⑨ガンのイニシエータ-とプロモーター
     現在の発ガンのプロセスはイニシエーションとプロモーションの発ガン二段階説(正確には多段階説)で説明されています。
    イニシエーションは正常細胞に突然変異が起きる段階で、これには確率的なミスコピーで起きる《自然変異》と、外因的な変異原の作用で起きる《誘発変異》とがあり、これらを総称してイニシエーター(仕掛人)と呼んでいままこの段階でガンの芽が出来ままこのガンの芽を育てる物質が発ガン促進物質(プロモ-ター)で、この段階をプロモーションと名付けており、これで発ガンが完了するわけです。
    そして、ガンの芽(イニシエーション)が出来てから発ガンに到るまでの発ガン期間(プロモーション)は、十~二十年も掛かると考えられています。



    239P
       ④ガン細胞は消える--修理屋遺伝子
     次に重要なことはガンの芽は容易に正常細胞に逆戻りすることでます。
    つまりガン細胞が消えるわけです。
    このメカニズムがなかなか判からなかったのですが、最近この働きが遺伝子にプログラムされた修理屋遺伝子によることが判明して注目を集めています。
     つまり出来損ないの遺伝子(ガンの芽)を修理して元通りに正常化するわけで、自然の働きは実に絶妙です。
    しかし、プロモーターが多いと、この働きが阻害されますから、ガンの芽を育てないようにするには、プロモーターを除去することが重要になるわけです。
    そのためにはプロモーターとしての食物因子が非常に大きなファクターとなるわけでして、昨今、ガン予防のために食事改善の重要性が叫ばれている理由はここにあるわけです。

     しかし、現在の科学技術特に医学生物学における研究方法では、十年も二十年も掛けてプロモーターを検索して行くということは実際問題として不可能です。
    このため止むを得ず手術で切り取ってしまうか、抗癌剤や放射線で叩き潰す以外に方法がないわけでまそこで早期発見・早期治療が叫ばれるわけですが、どんなに早く発見したとしても、この段階は既に発ガン段階ですから、手遅れなのです。

     今日、ガンが不治の病として恐れられているのはこのためですが、ガンの原因を突然変異と考える限り、そうなるわけです。
    何故なら、突然変異説は飽くまでも結果論であって、原因論ではないからです。
    そして、医学に原因論が無いのは、今の病理学が細胞(あるいはDNA)を出発点とするからです。
    現代医学の盲点はここにあるわけで、その由来はセントラル・ドグマであり、従って最初のボタンを掛け違えれば最後まで辻褄が合わないのです。

    240P

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    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     


    0 0

    ウイルヒョウとか言う、ワタシのあずかり知らない人物がどうやら今の医学に暗い影を落としているようですね。

    細胞は細胞より生ず

    という事を唱えたそうですが、これが今の医学の土台となっているそうですよ。マッタク(って、解ってんのかい?)

    ところが、この毒魔、いやドグマ、癌問題が解決されない元凶?になっているようですよ。マッタク!

    まあ、どういう事かはよく読んでセルフサービスでよろしく。

    現代医学の盲点をするどく突く快心の記事ですから、そこのところはよろしく。

    (って、オマエ解ってんのかい?)

     

    それはともかくと致しまして・・・

    先回は医学、生物学のセントラル・ドグマとやらに迫る記事で癌について基礎的な面についてでした。

    よくお解りだったでしょうか? ( オマエの方に聞きたいよっていうツッコミは止めてね)

     

    つづきです。

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     


      241P
         (2)生命の起源論
     
       オパ-リンの物質進化

     では、最初のDNAは何処からきたか、という問題になると、それは生命の起源論ということになります。

    さて、生命の起源論を最初に提起したのはオパーリンです。

    今世紀の前半(一九二〇年頃) にオパーリンの生命の起源論が出てきます。
    オパーリンはこれを物質進化と名付けましたが、最近は化学進化と言っています。
    つまり地球の創生期に単純な無機質から、まず簡単な有機物(炭化水素やアンモニアなど)が出来て、それ等が結合してやや複雑なアミノ酸となる。
    さらにそれらが集まって高分子(有機物)となり、細胞構造に発展するという筋書きです。

     従って、生命の起源論から見ると、まず最初に蛋白質が出来、次にRNA、最後にDNAが出来る順序になるわけで、これはセントラル・ドグマとは正反対のプロセスです。
    何故逆さまになるかと言えば、元を糾せば蛋白質が出発点であるのに、セントラル・ドグマは、それを無視して最後に出現したDNAを出発点とするからです。
    つまり、セントラル・ドグマは原因(生命の起源)を無視した結果論だということです。
    これでは生命を見失うのは当然でしょう。




       天地創造説、天来説、自然発生説

     話は前後しますが、最初の生命が何処から来たか、ということについては三つの考え方があります。
    一つは聖書にあるように神の創造説です。
    次は天体説です。
    これは、何処かの天体から胚種が飛んで来たという考え方で、現在ではUFO説等も出ています。
    目本民族は天孫民族で天から天降ったという思想がかってありましたが、要するに天来説です。
    仮りに天来説を採るにしても、しからばその最初の生命は何処で生まれたか、ということになると、、神の創造か、さもなければ何処かの天体で自然発生した、ということに帰着にします。
    三つ目は自然発生説で、オパーリンの生命の起源論は自然発生説です。
    なお宗教的に見ると、一般に汎神論の地域(東洋や日本)では自然発生説が受け入れやすいようです。



    242P
       自然発生の否定 - パスツール

     生命の自然発生を否定したのは有名なパスツールですが、ここで一つの疑問が出て来ままそれは現代の生命の起源論は自然発生説を説きながら、一方では生命の自然発生説を否定しているという矛盾で彗一方で自然発生と言い、その舌が乾かぬうちに自然発生はしない、と言うわけですから、訳が分かりません。
    この問題は後でもう一度取り上げますので、ひとまず話を先に進めて生命の人工合成について垣間見て置きましょう。

     生命の人工合成を最初に手掛けたのはオパーリンです。
    彼は実験室という一定の条件下で、単純なコロイドが集まって高分子系のコロイドの塊になることを明らかにして、これをコアセルベートと名付けました。
    これは細胞とは程遠いものですが、化学的操作だけで細胞様の高分子系物質が出来ることを明らかにして、生命の自然発生説を世界的に確立したわけです。
    現在では、さらにこれを押し進めて、海水の中でマリグラミールと名付けられた細胞様のものが作られていままこれはオパーリンのものより数段進んだもので、簡単な物質代謝の真似事をやりままこれも物質代謝そのものではありませんが、外部から物を取り入れたり、外へ出したりするのです。
    これが発展すると「食機能」になるわけですが、未だそこまでは行っていません。

     このような高分子系をオパーリンは、前細胞系(プロテノイド)と名付けています。
    物質代謝を営む蛋白質という程の意味です。
    その次の段階は疑細胞系です。
    これは生物の基本条件の一つである自己増殖能を持つもので、未だ出来ておりませんが、この段階まで進化したものを、オパーリンはプロトビオントと名付けています。
    疑細胞系になると、DNAが出現し、さらに進化するとバクテリアが出てくるわけですが、その前にウィルスの段階があります。
    これは物質と生物との中間段階で自己増殖機能を持ったものです。
    つまりDNAの塊と考えたらよいでしょう。


    それから、もう一つ重要な物質はATPです。
    これはエネルギーの缶詰のような物質で、これがなければ物質代謝も出来なければ、生殖機能も営めませんから、生命活動の基本的な物質です。

     以上を纏めると、生命の基本物質は、①蛋白質②ATP ③核酸DNA ④細胞膜 ーー の四点セットで、どれ一つ欠けても生命活動は出来ません。
    余談になりますが、今私たちの細胞内でATPをこしらえている小器官をミトコンドリアと言いますが、その振舞いはバクテリアそっくりです。
    そこで最近ではバクテリア=ミトコンドリアという説が有力になっています。
     つまり太古のバクテリアがミトコンドリアとして我々の細胞内で共生しているという考え方です。
    それを裏付ける根拠の一つがミトコンドリアの中でATP合成に関与しているチトクロームという呼吸酸素です。

     このチトクロームは、バクテリアから人間に到るまで全生物に共通して存在しています。
    そこでチトクロームの側鎖(蛋白質の鎖)を調べると、人間と猿、猿と兎、トカゲと蛙…‥等の違いを正確に調べることが出来ます。
    この方法でバクテリアから人間迄の進化の足取りを調べる分野が分子進化学です。
    分子進化学で調べ上げた進化の系統樹は、化石や骨で調べた従来の化石進化学の系統樹と全く同じです。

     こうしたことから、現在の進化論は、分子進化学と化石進化学が一体になって進んでおり、その宿方三十数億年の生命進化の足取りが次第に明らかになってきました。

     ←クリックすると拡大



     なお、化学進化以降の生物進化は《原核生物(バクテリア) ↓ 真核生物(単細胞生物・アミーバ等) ↓ 多細胞生物》という発展段階を経て、今日の百五十万種の生物に進化したと考えられています。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    少しは解説もしたいのですが

    なにしろ、お盆で忙しくて・・・・

     

     

     


    0 0

     

    途中で投げ出してしまう中途半端な性格は治るのでしょうか?

    それはアンタ次第さ

    でも生きている間に、どうにか出来るようなものでは・・?

    さあねえ~~~

     

    ところで、途中で投げ出していたと思われる (意識がない、憶えていない)

    悪を憎むな、悪を愛せよという思想から、悪(病気)の正体を知る

    のつづきです。(もし投稿済みだったらお許しを)

     

     

     

     松本英聖著 「医学と生命」 第一部
    より

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    29P
        ローマは食毒で滅んだ 

     〝ロ―マを滅ぼしたのはローマ風呂″という警告があるが、当時の贅沢三昧な世相をよく表わしている。

    有名な文明史家シゲリストは、ローマ時代には、古代の世界からあらゆる珍味が輸入され、正式の食事メニューは《前菜、アントレ-三皿、焼肉二皿、デザー卜七皿》と記しているから、現代人顔負けの〝美食飽食″だ。 

    この反自然的生活によってローマ人達の体内に大量の食毒(とくに肉毒)が蓄積され、それが飽和点に達した時、その歪みを正すための社会的大浄化作用としてペストが発生して、ローマは滅んだ。

    大事なことは、ペストは結果であって、原因はローマ人の反自然的生活にあったのである。


     かって、ローマの建設時代、彼等は〝質実剛健″をモットーとし、頭領の大カトーは常々〝自然に還れ!″と大号令した。だが、大ローマ帝国の出現と共にその美風は忘れ去られてしまった。


     ローマの爛熟期、憂国の詩人ルクレティウスは美食飽食に明け暮れる軽佻浮薄な当時の社会風潮を慨嘆して「人間が大自然の恵みを、敬虔な祈りを捧げて食べていた古き良き太古の時代こそ、人間は本当に健康で幸せであった……」と謳い上げた。


     その昔、ギリシャの哲人ソクラテスは「ローマ人は、豚肉を喰うから必ず滅びる」と予言したが、その言葉は五百生後に見事に的中した。またグイオジーニスは精強を誇ったローマ兵が軟弱化する姿を見て、「生や豚を喰うからだ」と指摘したと伝えられる。


     〝奢れる平家、久しからず″
     ローマ人の天を恐れぬ傍若無人な反自然的生活は、武力で他民族を征服し収奪した虚構の豊かさであり、何れは破綻する運命にあったが、暖衣飽食に溺れたローマ人は、それに気付かず、栄耀栄華の夢を追った。それが人間の宿業であろう。


     このローマ人の救い難い生活の歪みを一挙に是正するための社会的大浄化作用がペスト禍であって、それはローマ人自身が招いた人災である。この真理に目醒め、反自然的生活を改めて禍根を絶つことがヒポクラテス医学の神髄である。


     前者『松木英聖医事論集第一巻』(食と生命)で紹介したアメリカの『食事目標』は、このことに気付き〝美食飽食″を慎み、〝素食に帰れ″と勧告した。果たして、〝先進国民はこの勧告を素直に受け入れ、各自の自覚で食事改善に踏み切れるであろうか。日本を含めて西欧社会の命運はこの一点に掛っている、と申し上げて置く。


    31P
        美食は人口を減らす

     民族の消長と食生活の関係について真正面から取り組んだのは、かって国連世界農業機構の理事長であり、人口食糧問題の世界的権威として知られたカストロ博士(ブラジル大学栄養研究所長)である。 

              同博士は、世界各国民の食生活と出産率との関係について大規模な疫学的調査を行ない、次の結論を得た。


     動物性蛋白質(肉・魚・卵・生乳)を豊富に摂っている豊かな国民ほど出産率が低く、その反対に粗末な澱粉食(素食)を常食としている貧しい民族ほど出産率が高い、という事実である。

    この事実はスロネーカー(生物学者)が行った次の実験によって生物学的にも裏付けられた。


     彼はネズミを幾つかのグループに分け、蛋白質をさまざまな割合で混ぜた餌をこしらえ、A群にはAの餌という具合にして飼育、六世代にわたって繁殖率を調べた。その結果、蛋白質の摂取量が増えるにつれて、ネズミの繁殖率(受胎率や胎児数)が次第に減る事実が明らかになった。

    この実験は、ネズミの繁殖が、謂わゆるネズミ算式に増えず、繁殖率が、栄養条件(餌の質)によって変わることを示すものであって、マルサス流の人口論は、この事実(栄養条件)を無視した机上の空論であることが分かるであろう。 


    また、アメリカのマク・ケイ教授(コーネル大学動物研)は、ネズミを使って飼育実験を行ない、解剖して健康状態を調べた。

    すると蛋白質の多い餌を腹一杯食べさせたネズミは発育がよく、色艶もあって、見るからに健康そうに見えたが、間もなく腎臓硬化その他の病気に罹って早死にした。

    一方、普通の餌を死なない程度に減らして与えたネズミは発育が遅く、見るからに貧弱そうに見えたが、寿命が長く、最高記録は通常のネズミの二倍半近くも長生きした。

    しかも彼らは耐久力があり、老化が遅く、バイ菌を植え付けてもビクともしない抵抗力を示した。矢追秀武博士(元東大教授)も同様な実験を試み、素食少食は、体質を強め、丈夫で長生きすることを確かめている。


     高名な杉靖三郎博士(筑波大学名誉教授)も同様な実験を行ない、ネズミの体力が強くなることを確認すると共に

    「戦時中の食糧事情が悪かった頃、日本人はみな痩せ細り、栄養不良で病気に罹りやすいと考えられていたが、その後の調査で、その頃は病気が激減し伝染病まで減っていることが判明した」

    と述べておられる。以上を総括するとーーー、


     美食飽食者は、見かけは健康そうだが、食毒のため老化が早まり、早晩に死病(慢性病)で倒れやすく、民族的には出生率が低下して民族の滅亡を招く。


     一方、素食少食者は、一見すると体格が貧弱で、病気にも罹りやすいように見えるが、事実はその逆で、健康に恵まれ、天寿を全うし、民族的には若さのシンボルである生殖能力が強く、民族を興隆する。


     これが生物界を支配する鉄則であり、この掟は絶対である。


     昨今、出生率の低下が目立ち、大きな議論を呼んでいるが、それは現在のグルメ時代と決して無縁ではなく、早晩に民族の衰亡を招くことは歴史の示す通りである。


     ともあれ、美食飽食は食毒を招き、その浄化作用として、さまざまな病気が発生するということである。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    お盆にはたくさんの美食飽食された方はどうしたら良いんでしょうか?

    さあねえ~~アンタしだいさ~

    デモ、食べてしまったし・・・・

    たら腹水、盆に帰らず♪

     

    近頃の野菜は大きくてリッパだけど、栄養素が少なくなっているそうね。

    そういえば、近頃の子供達はなりばかりでっかくて・・・

     

     

     


    0 0

     

    現代医学の基礎になっているひとつに、生命の自然発生の否定  があるそうですね。

    パスツールの神話と言って過去にもかなり記事紹介をして来ました。
     (どこにあるかは分かりません。セルフサービスで検索をよろしく)

    ここでも書かれているのは、やはりパスツールの実験が今でも医学、生物学上の基礎になっているようですが、これに反したのが日本では千島喜久男博士、そして同じような実験観察であきらかにしたのが森下敬一博士。

    それも国会で証言した記録までちゃんと残っています。(昭和41年、1966年)

    かれこれ半世紀も過ぎて未だに無視されてきていますが、これが日の目を見ないと今の癌医療は自滅するまで続くのでしょう。

    すでにこの時、今の癌医療では行き詰まるとハッキリと証言されているわけでして。

    その内容は本ブログの「国会証言シリーズ」にて、当劇場にて絶賛上映中!!

    あ、あまり絶賛もされていないようで・・・・す。

    ほんと見る目のないひとバッカしで・・・・・・

     

    今回も医学のセントラル・ドグマのひとつに迫る記事です。

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

     
    244P
      (3)医学の神話

     話が横道に逸れましたが、ここで生命の自然発生についての歴史をザッと振り返ってみましょう。

     十七世紀までは、生物は湧くという考え方が有力でした。
    虫が湧くというのは自然発生の考え方です。
    十八世紀になると、生命は自然発生するか、否か、ということで大論争が繰り広げられます。
    例えば、肉にガーゼを一枚掛けると蝿が卵を産み付けないから、姐が湧かない、という実験を行って自然発生を否定する。
    すると、それに対して反対論が出る、といった具合で論争が続くわけです。
    そして十九世紀にパスツールが有名な首の長いフラスコを作りまして、この中で生命が自然発生しないことを証明して以来、これが今日の定説になっています。
    これに対して私共は、様々な実験から自然発生を主張しています。
    生体の中では、今でも生命が自然発生している、というのが私共の立場です。
    これについて簡単にご紹介して置きます。



    245P
        ①生命の自然発生--森下博士の国会証言

     昭和四十一年(一九六六)に衆議院(第五十一回国会)で森下敬一博士(現在・国際自然医学会長)が生命の自然発生について国会証言をいたしました。
    その機会を与えて下さったのは、当時、科学技術庁長官であった故斉藤憲三先生でした。
    この方は木酢--一木酢というのは、木を蒸し焼きにして出てくる液体で、これは防腐剤です。
    この防腐剤の中から、こともあろうにバクテリア様のものが出てくることを発見したのです。
    そこで防腐剤の中から何故バクテリアが出てくるのか、ということになった。
    その当時、森下敬一先生は日赤血液センターの所長でしたが、以前から生命の自然発生説を唱えておりました。
    それと言うのは、血液センターで管理している保存血液というのは、今でもそうですが、採血して二週間程すると腐ってしまいます。
    何故腐るのか。
    外から微菌が入った、というのが現在の定説です。
    ところが、現在の保存技術は大変に進歩していて外部からバクテリアが入ることはまず考えられないくらい完全です。
    でも腐ってし乞う。
    普通なら何処からか、微菌が入ったのだろうと気にしないわけですが、森下先生は血液生理が専門で、どうも可笑しいというので色々研究するわけです。
    そして無菌状態で赤血球を潰してみると、その瞬間に赤血球の内容物からバクテリアが出現することを偶然発見するのです。
    何回やってもバクテリアが出来て来るのです。
    こういう実験を踏まえて森下先生はウィルスとかバクテリアが集まって融合発展し、新しい細胞に生まれ変わるという仮説を提起します。
    つまり新しい細胞が自然発生するわけでして、これが細胞新生説です。

     前置きが長くなりましたが、こういうことをやっていた関係で、斉藤先生が森下先生を指名して国会で証言をするわけです。
    その後、斉藤先生は科学技術院に依頼して、木酢から出て来たものがバクテリアかどうかを調べてもらったところ、れっきとしたバクテリアであることが証明されています。
    防腐剤の中からバクテリアが出て来るなど、常識では信じがたいことですが、事実は事実なのです。
    これはパスツール以来の定説を覆す大変な発見ですが、何故かマスコミも取り上げず、学界も知らん顔です。
    これは今の医学界が既成概念を金科玉条として、これに抵触するものは一切認めようとしないからです。
    このような教条主義を私は医学の神話と呼んでいます。



    246P
        ②腸内バクテリアの自然発生
     もう一つ例を申しますと、私共の腸内には約百種頬・百兆個と言われるバクテリアが存在しています。
    しかしながら、生まれた瞬間は全く無菌でして、お母さんのお腹の中にいる間も全く無菌です。
    ところが生まれて二、三日すると、ワッとバクテリアが出てきます。
    私共は腸の中でバクテリアが自然発生すると考えておりますけれども、現在は口や肛門から入って来ると説明されています。
    つまり外部から菌が入るという考え方しかしないわけです。
    こうしたことも医学の神話に取り憑かれているためです。

     次に現代医学では、血液は骨髄で造られるという骨髄造血説が定説です。
    これに対して、今述べた森下先生は私共の食べた食物が、腸の絨毛組織に取り込まれ、そこで赤血球に生まれ変わるという『血球の起原論』(消化管造血説)を一九六〇年に提出しております。

     分かりやすく言えば、「食物が血になり、血が肉になる」ということで、まさに自然発生の考え方です。
    このプロセスを顕微鏡フィルム等で証明したわけですが、未だに承認されないまま今日に到っております。
    しかし消化管造血説(自然発生説)に立つと、生命の起源から現時点に到る)項連綿として続く一貫した生命の発展(自然発生)思想が確立されるのでありまして、私共はこの立場を三十年来、主張し続けているわけです。
    それからもう一つ付け加えますと、腹の中で食物から赤血球が生まれて来る過程を時間的に見ますと、三十六億年という生命進化の歴史が、腸内で僅か一日足らずで再現されているわけでして、恰かもビデオテープの早送りのようなものです。
    つまり、腸の中の一日は、生命進化の三十六億年に相当するわけです。
    そこで問題は、三十六億年=一日という等時関係が、現在の物理学で承認できるかということです。



    247P
       ⑨へッケルの法則
     十九世紀にへッケルという生物学者が「個体発生は系統発生を返す返す」という有名な言葉を残しました。
    これは、一個の受精卵から胎児が発生していく過程で、数億年の生命進化の足取りを辿るという事実が観察されるからです。
    実際に受精卵を取り出して成長過程を観察しますと、下等生物から高等生物へと発展する姿が見られます。
    卵細胞というのは一個の単細胞です。
    つまり、アメーバと考えていいわけでして、アメーバから人間までの進化の足取りが、十月十日という短期間に見事に再現されるわけです。
    この事実を生物学ではへッケルの法則と呼び広く承認されています。
    これと同じようなことが体細胞でも起きるというのが、私共の消化管造血説です。
    ところが、現代の生物学では、ワイズマンの「生殖細胞連続説」によって、生殖細胞は親から子へと連綿と受け継がれていくが、体細胞の方は一代限りで、子には伝わらないと考えられているため、腸造血説は承認されないわけです。

     医学・生物学のこうした首尾一貫しない混乱は、結局、腸内の一日=自然界の三十六億年という等時関係を現在の物理学が説明できないからです。
    そこで苦肉の策として、生殖細胞と体細胞は別だという庇理屈をデッチあげてゴマ化しているわけです。
    要するに、説明できないことは時間を隠れ蓑にして逃げてしまうわけです。
    現代生命科学は、こういう曖昧な点をハッキリさせる必要があるわけで、そのカギは《時間とは何か》ということを明確にすることです。

     この時間概念に明確な答えを出された方がいます。
    国立生理研の東晃史博士です。
    私はこの理論に出会った時に長年の謎が氷解しました。
    私が三十年来悩んでいた《腸内の一日=自然界の三十億年》という等時概念が物理学的に説明できると主張されているからです。
    この問題は後で触れることにして、話を先に進めます。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    う^^む~

    ここまで来るとワシの出番も無いな・・・

     

    時間とは何か?

    という崇高な重い問題にまで来たか・・・

    ええ~~とそれにつきましては・・・・

     

    あ、時間が来ましたのでいずれまた・・・・

     

     

     


    0 0

     

    キャイ~~ン

     

    な、なんだ!

     

    はい、題名だけで尻尾を巻いて逃げて行く子犬の鳴き声です♪

     

    ふふふ、先回の猫死んじゃった♪ で参ったと思っていたら、未だいたのか w¥

     

    むずがゆい話はこれが最後になります。

    ふ~~~~ (って!)

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    250P
       (5)不確定性原理の問題点

      ①神はサイコロを撮り給わず(アインシュタインの悩み)

     最後に時間の問題に移ります。
    まず話の順序として、現代物理学上の最も基本的な問題ーーーアインシュタインとファインマンの二人のノーベル賞学者の悩みについて、先程述べた東晃史博士の著書から引用してお話しさせて戴きます。

     まず、第一点はアインシュタインの悩みです。

    先程お話ししたように、彼は不確定性原理に最後まで反対しますが、その理由を明かにすることが出来ず悩み抜くわけです。

     不確定原理とは、この世の事象は全て確率的で、未来のことを確定的に予知することは出来ないという原理です。
    これは現代量子論(ミクロ世界観)が到達した結論でハイゼンベルグが提出した理論です。
    何を意味するかと言うと、ミクロ(量子)の世界では因果律が成立しない、ということです。
    これをマクロの世界に拡張しますと、未来のことは確率的にしか分からないということです。
    例えば最近、天気予報が当たらないと良く言われますが、これは現在の予報技術が過去のデータを因にして将来を確率的に予測するために、過去のデータにない事象は当たらないわけです。
    つまり、現在の予知予測技術は過去のデータがあるものは確率的に予測できるが、過去のデータが無いもの一切分からない、ということです。

     ところが、人間はそれでは不安で生きていけませんから、何か縋ったり、拝んだりするために宗教を求めるわけです。
    現在の若者は既成大教団を嫌らって、霊現象とか、チャネリング、あるいはUFOやスプーン曲げ等の超常現象がブームになっていますが、これは若い人が前途に非常な不安を抱いているからです。
    戦前の日本は、好い悪いは別として、皇国史観という偏狭な歴史観によって一億玉砕とか悠久の大義を信じて、一つの目的性を持って、前向きに生きて来た。
    ところが、戦後はその価値観がひっくり返って目的を失ってしまった。
    この思想的混乱の中で、唯物的な科学至上主義が台頭するわけですが、最近になってスペースシャトルの爆発事故がテレビ放映されたり、ジェット磯が墜落するとか、列車事喝交通事故……等が頻発し、科学技術が進めば進むほどそれと裏腹に危険性が増大して、科学技術への信頼が揺らぎ、誰しも一寸先は闇とひしひしと感じている時代です。
    実は、それを原理的に保証しているのが不確定性原理です。
    これに対してアインシュタインは、そんなことはない、宇宙は見事な秩序と調和がある、神様がサイコロを振られる筈がないと反対したわけです。
    しかし、不確定性原理を論破することが出来ず、晩年は学界から孤立して悩み抜くわけです。
    なお、この悩みに対して東博士は、アインシュタインはエネルギーと時間の関係を見抜けなかったためだ、と指摘されていることを一言付け加えて置きます。



    251P
       ②自然を理解したとは思えない(ファインマンの悩み)

     第二点はファインマンの悩みです。
    ファインマンは日本の朝水振一郎博士と共に、一九六五年に光の理論によってノーベル賞を受賞した科学者です。
    ファインマンの理論を簡単に申し上げますと、光の不思議な件質を独創的な「時計の理論で解析したもので(経路和積分法)、その方法は時空全体を一気に見渡して光の全経路を時計の針で表わすのです。
    この方法を彼は「巨人の観測者」と呼び、この視点から「不確定性原理は過去のものになるだろう」と著書で述べています。
    つまりミクロの視点では「不確定性」でも、時空全体を一気に見渡すマクロの視点では全て正確に示せる、というわけです。
    ところがこの巨人の目で眺めた時空を数式化(経路和積文法)すると、現在の物理学で表わされる数式(時間微分法)と一致するのです。
    つまり数式上は《不確定=確定》ということになるわけでして、何とも奇妙な話です。
    彼はこの矛盾に終生悩み抜くわけで、自著の中で「なんとも不思議だ。
    どうも自然を完全に理解したとは思えない」と述懐しています。

     このファインマンの悩みに対して東博士は、彼もアインシュタインと同じように時間とエネルギーの関係を解決できずこのため時間の階層性に気付かなかったと述べています。
    時間の階層性とは、時計の針(時針、分針、秒針)が一定の比例関係で進むように、時間には一定の比例関係を持った階層性(固有哲があるということです。
    なお、この時間の階層性(固有時)を物理量として数学的に表わしたものを東博士は「確率の振幅」と呼んでいます。

    要するに宇宙の時空間は秩序整然とした演算可能な階層的連続体だという理論です。

     この辺になりますと、私の守備範囲を遙かに超える問題であり、かつ煩雑な説明が必要となりますので、東博士の著書をお読みになることをお奨めいたします。

     要は、時間の階層性と及び時間とエネルギーの関係を明かにすれば、アインシュタインとファインマンの二人のノーベル賞学者の悩みは自ずと解決し、同時に生命の謎も物理法則によって説明出来るということです。
    実は私共の腸造血説も東理論で綺麗に説明できるし、進化論のところで申し上げた時間のカラクリも説明できるのです。



     252P
      ⑨ネコのパラドックス--シュレーディンガーの洞察

     次に《観測の理論)について触れてみたいと思います。
    この問題を最初に提起したの波動力学の創始者シュレーディンガーで、《生命とは負のエントロピーなり》という仮説を出した人でもあります。
    彼は波動力学者として、量子力学の確率論に対して、ネコのパラドックスという有名な思考実験を提出して問題提起をします。
    図がネコのパラドックスの思考実験の概念図ですが、かい摘んで説明しますと、右側の箱は暗箱になっていて、覗き窓があります。
    左側の箱の中には放射性元素が入っています。
    そして、この放射性元素が半減していく過程でα粒子を出す時間を凡そ一時間後に設定します。
    つまり一時間経つとα粒子が出るか、あるいは出ないか、ということになるわけでして、その確率は二分の一です。
    さて、α粒子が飛び出すとガイガーカウンターが作動して、ハンマーがパーンと降りる。
    すると毒ガスの上のガラス蓋が破れて、中からシアンガスがバッと出て来て、ネコは一分以内に死んでしまうというお膳立てです。

     さて、一時間後にこのネコは生きているか、死んでいるか、ということが問題です。
    一時間後にα粒子が飛び出す確率は二分の一ですから、一時間後にネコが死んでいる確率と生きている確率は五分五分です。
    そこで暗箱の外からネコの生死を知るには覗き窓を開けてみる以外にはありません。
    開けるまではネコの生死は絶対に分からないわけです。
    しかし理論的にはネコの生・死の確率は二分の一と言えるわけですが、実際のことは観測しなければ分からないわけです。
    これを《観測の理論》と言い、大変な議論を呼ぶのですが、未だに解決出来ないでいます。



     この問題に対して、コンピューターの生みの親であるノイマンは確率論を振りかざして、ネコは半分死んでいて、半分生きているという答えを出します。
    どうでしょうか。
    納得できますか。
    しかし、これが現代物理学の主流であるコペンハーゲン学派の答え(不確定性原理)なのです。
    流石に、これに対してデイヴィッド・ボームは「そんな馬鹿なことはない。
    それは可笑しい」と真っ向から反対します。
    こうして現在のニューエイジ運動(ニューサイエンス)が始まるのですが、今なお決着が付いていません。
    ここで大事なことは、実際は、ネコの生死は決まっているのに、蓋を開けて我々が実際に観測するまでは、ネコの生死は絶対に分からない、ということです。
    この図が示しているように、まずネコの身体から出た光子が瞳孔のレンズに入って神経を伝わり、脳で生き死にの判断をするわけですが、それではその判断をするのは脳の何処だと、何処までも突き詰めていくと、最後は意識ということになってしまいます。
    つまり、目とか、神経、脳等の形あるものは全て道具であって、真の観測者は目に見えない意識そのものである、ということに帰着します。

     シュレーディンガーが言いたいのは、そこのところです。
    大事なのは意識そのものです。
    実は不確定性原理を出したハイゼンベルクは「観測とは究極においては客観的実在の蒸発である」と言っています。
    実に意味深長な言葉ですが、これは現代物理学が、観測者(主任と観測対象(客体)を切り離して考えることに起因します。
    そこで、観測の主人公は脳ではなくて意識そのものであり、意識が脳をアクセスする、ということを物理学的に説明する理論が必要となるわけです。




    254P
       (6)主観と客観の物理学

     さて《観測理論》に立つと、新しい物理学は観測者、つまり意識を観測の系に入れなければなりません。
    要するに《主観》と《客観》の関係を明らかにする理論が必要なわけです。
    ところで、我々が何かを観測しようとすると、光を当てなければ何も見えませんしかし、ミクロの量子に光をぶつけると対象が弾き飛ばされてしまうため観測が出来ません。
    こうした現実を踏まえて不確定性原理が出て来るのですが、アインシュタインもファインマンも、反論が出来できずに悩んだわけです。
    ところが東博士は、アインシュタインの相対論とファインマンの時計の理論に答えが隠されており、この両理論を脳の覚醒と睡眠の視点から捕らえることで、全てが解決できると述べておられます。
    そこで、このような新たな視点(脳の覚醒と睡眠)から物理学を見直す試みを、東博士は「主観と客観の科学」と名付けています。
    恐らくそれは、物理と化学と生物学の三者を統一する理論であり、それによって科学と宗教の対立は消失するであろう、と私は考えています。





    255P
       ① 東晃史理論

     医学は生命を対象にしながら、肝腎の生命については一切答えていません。
    生と死の違いは明々白々であるのに、この問題は棚上げにされています。
    またシュレーディンガーが提起したネコのパラドックスも、究極的には意識の問題に突き当たって、立ち往生したままです。
    睡眠も同じで人間誰しも毎日眠っているのに、その実態は闇の中です。
    これらの謎を解く鍵は時間の本質を知ることです。
    問題の焦点は時間の階層性及び時間とエネルギーの関係を明かにすることですが、それはアインシュタインの相対論とファインマンの「時計の理論」を脳の「睡眠と覚醒」の視点から捕らえることで解決できるというのが東晃史理論です。
    ここで東理論のさわりの部分を一括して掲げて置きます。


    一、時間の階層性(等時空間と確率の振幅) *確率の振幅=マックス・ボルンの概念
    二、時間は物質とエネルギーの相互変換を実行する
    三、時間=光(エネルギー)であり、脳内では時間の逆行(睡眠時)と超光速が成り立つ
    四、主観と客観は統一的に把握され、宗教と科学の対立は消失する。

     以上を纏めると《時間(光)=生命(意識=神(宇宙)》という結論が導かれます。




    257P
      ②東節男博士の純粋思索空間

     最後に「観測の理論」に関連して、私が日大歯学部の理工学研究室に在籍しておりました時の主任教授で、私の恩師である東節男博士が五十年前に提出された物理・化学の統一理論について、簡単に紹介したいと思います。
    さて、現代科学は正確な測定によって成立します。
    そして測定するためには尺度となる一定の単位を設定する必要があります。
    例えば《C・g・S》単位です。
    では単位とは何か?
    と言うと、数学的には《1》という数値に外なりません。
    この抽象化した《1》をユニバーサル単位と呼びます。
    そう致しますと、この《1》を半径とする球の中は論理的に測定出来ません。
    単位を再分割すればいいではないかと思われるかも知れませんが、最初に測定の単位を《1》と約束したわけですから、それは許されないわけです。
    敢えて分割すると、分割した《1》が単位となります。
    従って単位を決めるということは、実は、その単位《1》を半径とする測定不能空間を設定することになるわけです。
    時間が無いので結論だけ申しますが、このような論理展開をいたしますと、1.6.36.216……という6を公比とする無限等比級数となり、これをモデル化すると、図のような測定不能空間の階層的な連続体が得られます。
    これを数学化したものを統一方程式と呼びます。

     次にこの統一方程式における運動の軌道計算を致しますと、不思議なことに、その解は九十二個の元素の原子量とピタッと合致するのです。
    それだけでなく、メンデレーエフの周期律や原子価まで今日の原子の概念とピタッと合うのです。
    人間の主観(思索)から出発した理論と今日の科学的客観(実測値)とが一致するのです。
    一体これは何を意味するのでしょうか。
    全く不可解ですが、これが事実です。

     この理論は昭和十六年に出されたのですが、この時、同教授の指導教官で、当時、日本のエジソンと言われていた東工大の加藤与五郎教授が、「お前さん、これは引っ込めておけ。
    これは五百年先の理論だからこんな理論を振り回わすと気違い扱いされてしまうから絶対に発表するな」と言われて、それを守って今日に到っています。

    実は、この階層モデルが、先程お話した東晃史博士理論の階層論とそっくり同じなのです。
    お二人が同じ東姓ですから話がこんがらがりますが、一方は純粋思索空間から導かれた階層論であるのに対して、他方は時計の針の理論から導かれた時空間の階層論です。
    前者は意識(主観)から物質(元素)の質量が計算できることを示し、後者は意識(生命)そのものが物理法則(確率の振幅)によって説明し得ることを明かにした理論です。


     私はこの二つの東理論に巡り合って愕然と致しました。
    それと申しますのも、東晃史理論との出会いによって私自身がそれまで(東節男理論では)説明し得なかった生命科学上の《腸造血理論》(生命の自然発生)や進化論における時間のカラクリなどがすんなりと説明し得るだけでなく、さらにこれまで不可知の聖域であった《意識・生命》が《確率の振幅》という演算可能な物理量として科学上の共通概念で語ることが出来ることを知ったからです。


    そして《確率の振幅》は数学的に演算可能な物理量(無限等比級数)ですから、任意の点まで自由に計算可能であり、その究極(最大振幅)が全宇宙ということになろうかと存じます。
    まさに「色即是空・空即是色」の世界であり、「神は科学法則として甦った」ということです。
    神は宗教的・体験的な信仰上の観念ではなく、厳然たる科学法則として、我々の個々の意識(生命)から無限大の宇宙まで全てを統一して支配されているわけで、またその理論は日本の二人の科学者によって既に出されている、というのが本日の拙い私の話の結論でございます。


           東理論五部作
    Ⅰ 脳の主人 - 脳の中のブラックホール ー (南斗書房)
    Ⅱ アインシュタインの悩みとファィンマンの悩みの解消に向けてーーー宇宙と意識 ー (技術出版)
    Ⅲ ポスト「不確定性」文明の曙ー一日本の科学 ー (技術出版)
    Ⅳ「政治権限」と「地球環境」--大脳生理学の立場から ー (技術出版)
    Ⅴ「万能量子論」による「天国と地獄」の構図 ー 「太陽系」の「生理学」 ー (技術出版)



    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    うう^^^^うう^^^む____¥¥¥¥¥

     

    (何か言いたいことあったら言ったら~?)

    うう~~むうう~~~

    ふぁ、ファイト~! マン  (ファインマン?)

     

     

     


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