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「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

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    まえがきはあとがきにしました。

     

     

    医学と生命 松本 英聖 医事論集 - 技術出版

    より

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーー

     

     

    86P
        心臓血管病と薬毒ーーー問題の焦点は薬毒

     心臓血管症の対策については、前著(松本英聖医事棄第垂で紹介したように、心臓病死亡を半減することを当面の目標とした雇事指針』が示されているから、後は、あなたご自身が、このガイドに沿って食事を改めるか、否か、という選択に掛っている。
     〝医薬に頼って滅びるか、食事を改め健康になるか〟その何れを選ぶかは、飽くまでもあなたご自身の自由帯頭誰からも強制はされないから、賢明な決断を祈るのみである。
     なお、ここで強調したいことは、食毒もさることながら、より重要なことは薬毒を抜くことだ。今日の体内汚染は〝食毒五〇%、薬毒五〇%〟と考えればほぼ間違いない。
    食毒は、謂わば自然の毒だが、薬毒(農薬・添加物などの化学物質を含む)は、それ自体人間がこしらえた完全な反自然物(異物)である。
     前者は食事の誤りによって生じた体内の歪みであるから、この理を弁えれば自(おの)ずと解決が付くし、体内の許容量も大きい。だが、後者は違う。それ自体が人工的な反自然物であり、しかも浄化力を封じ込めようとする最悪の反自然物だから、それを排除するために浄化力も相応して強化される。アレルギーや自己免疫病(膠原病など)を初めとしてガン、エイズ、成人丁型白血病といった具合に浄化力が益々強力になるわけだ。心臓血管病でも同じこ毛脳卒中や心筋梗塞などは食毒を抜くだけで五〇%防げるが、後の五〇%は薬毒量が問題となる。その一例として、最近目だって増えてきたのが急性心不全(心臓麻華と呼ばれる〝突然死〟だ。特に日頃健康そのものに見える若い人にある日突如として襲ってくるから恐ろしい。


    87P
       突然死の恐怖

     数年前、埼玉県の高校生が体育の授業中(千五百㍍を完走した直後に〟突然死〟した。身長一八〇㌢、体重六七㌔、中学時代は水泳部の主将を務める等、健康そのもので週に三、四日、一日三千㍍を泳ぐほどのスポーツ青年だった。しかも、半年前の健診では心臓に全く異常は無く、死の前兆等は全く無かったと言う。
     このようは痛ましいケースが、今全国的に広がり、昭和六十年度で九〇件の突然死が発生している。
     しかも、その原因が全く不明で、心臓病の予兆さえ無かった。医学者は〝学校健診で心電図さえ撮っていれば防げた……〟と言っているが、そんな予算は何処にも無いし、仮に心電図を撮ったとしても、治療の手立ては全く無いのが現状。
     普通、人間はどんなに走っても心臓が止まる前に、息が切れて呼吸困難でぶっ倒れるから、死ぬまで走ることは出来ない。ところが、草食動物(馬や鹿)は、襲われると逃げる以外に身を守る術が無いから、呼吸困難になる前に心臓の方が先に止まるので死ぬまで走り続ける。まさに命掛けで走るわけで、馬・鹿だからできる芸当だ。
     実は〝突然死〟もこれと同じで、呼吸よりも先に心臓の方が止まるというケース。
     こんな悲劇が増加してきた背景として、〝食毒プラス薬毒〟特に薬毒の加重という現代生活の歪みがあることを、この際しっかり認識して尊い教訓とすべきであろう。


        ハンドル握ったままバッタリ

     一方空目同年者にも最近〝突然死〟が増加している。
    特に昨今では自動車運転中の突然死(発作後二十四時間以内に

    死亡)が多くなってきた。
     東京都監察医務院の徳留省悟医長が発表(昭和六十一年衛生学会)した「路上の車内でハンドルを抱えたまま死んでいた」などの例(都内二十三区)を集計分類したデータは表の通り。四年間の突然死は七十六件、年平均十九件で、全部男子1人口比率で計算すると全国では年間約三百件となり、年齢的には四十歳以上が全体の八三%と圧倒的に多い。
     車種別ではマイカーが一位だが、車の台数はタクシーの方がはるかに少ないから、職業別に見るとタクシー運転手の突然死がダントツに多い。この調査では、突然死に伴なう事故は追突や側壁への衝突程度の軽事故だけだが、これは発作時にアクセルから足が外れて減速するためらしい。
    しかし、もし足元が狂えば、大事故に繋がる可能性もあり、それがタクシーなら乗客もろともの大惨事になるから恐ろしい。
     ともあれ、健康に良いと信じて、日頃栄養物(動物性食品)をふんだんに摂り、白米・白砂糖・ジュースにコーヒー、その上、予防注射やドリンク剤、カゼ薬等、食・薬毒にドップリと浸った生活。これでは助かる生命も助からない。せめて食毒だけでも抜いていたら、このような悲劇は避けられたであろナス食毒を栄養と思い込み、毒を薬と信じて飲む悲劇。現代医学・栄養学の罪は大きい。


    88P
       ガンは〝食毒プラス薬玉伊 の浄化

     ガンが国民死因の第一位になったのは一九八一年(昭和五十六年)のこと。先進国中では世界のグルメ王国フランスがガン死第一位だから、花のサンジェリエと日本の銀座はガン死のシンボルだ。
     だが、前著(松本英聖医事論集第一巻)で述べたように、アメリカの『食事目標』も『NRCレポート』も、ガンに対しては歯切れが悪い。
    その理由は肉食(動物性蛋白)の問題がタブーになっているためだが、ガンが増加する最大の要因が食生活の欧風化(肉食増加)にあることは否めない事実だ。
    例えば男性の前立腺ガンは今後欧米並み(アメリカでは肺癌に次いで男性のガン死因の第二位)に増える、との予測を、慈恵医大の古里征国助教授のグル-プと三重大医学部の矢谷隆一教授のグループが、日本ガン学会(昭和六十一年十月二十一日)で発表したが、両グループ共、食生活の欧風化が要因であると指摘している。
     ところで、食毒だけがガンの要因であるなら、古代ローマもガンで滅んだ筈であるが、彼等はペストで滅んだ。
     であるとすれば古代ローマと現代は何処が違うか。
    答えは、薬毒(環境汚染物質と薬剤の濫用)の出現であって、この点が古代ローマの生活と本質的に違うところで、ここにガンという強力な浄化装置が出現する理由がある。
     ともあれ、現代文明社会における薬毒増加は驚異的だ。
    例えば、環境汚染物質一つ見ても、排ガス中のベンツピレン、ブレーキライニングの石綿、水道水中のトリハロメタン、日光中の紫外線(フロンガスによる)、コンクリート中の放射能(ラドン)等々、数え上げると限りがない。そして、農薬、中性洗剤、食品添加物、化学調味料……と続き、その上に様々な医薬品の氾濫である。
     先程述べたように心臓血管病では、〝食毒と薬毒〟の割合は五分五分程度と思われるが、ガンの場合は、薬毒のウエートが圧倒的に多くなり、恐らく〝食毒二~三割に対して薬毒八~七割〟の割合になるであろうと筆者は見ている。何れにしても、薬・食毒を抜くことがガンを防ぐ最善の道である。

     ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    ここでお待ちかねのあとがき

    え、ここでやめた?

     

     

     

    まえがき

    何日分かを予約投稿してありますので、本当は今日出しているわけじゃありません。

    いま、ヘタな横スキーに行くことがありますので。

     シーズン券買ったことだし、元を取らなきゃ~

    まあ、ボクが年寄りぶっていたら、「アンタまだ若いねえ~」と宣う年寄りも居ますので

    歳というのはマラソンの折り返し地点(まあ、60歳当たりからかな?)を過ぎると、今度は若返ってくると言いますからね。

    道理でその日の疲れが出ないわけじゃ。

    なんて思っていると、数日してからその疲れや筋肉痛が出てくる・・・

    が、本人は数日たっているため「??なんか変だな、身体の調子が・・?」

    なんて気がつかない・

    これに似ているのが、普通の飲み薬なんてもの、後で出てきた害作用も薬のせいだとは思わない・・というか、感づかない鈍感さん。

    それをもっと大きくしたようなのが予防接種。別名「時限爆弾」と言われるゆえん。

    それが出てきた時にはもうすでに『忘れている』痴呆症のごとく、

    「あれ~~変だな~~~」

    それを証明出来ないため、現在も世界中で使用拡大中。

    そりゃそうだ・・・「直ちには影響ありません」ってね。

    だが、そうは自然が許さなくなってきた。

    原因と結果の時間差が短くなってきたからだろう。

    そうなると、人によってだが、「ただちに影響があります。ポポ~~ン」と

    公共広告機構舎さんがテレビで流す時代が来るかも知れない。

     

    もっとも気がついたときには既に遅しとなるやも。

    それでも皆の為になる・・・・他山の石として散るかな・・・

     


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     現代医学は宗教だという話はあとで。 

     

     

     松本英聖・医事論集   第二巻 
     「医学と生命」
    より   




    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    はじめに
     古代ギリシャの医聖・ヒポクラテスは「病とは、人間の反自然的生活が招く体内の歪みを是正する自然の浄化作用である」と喝破し、この確信を以て「自然順応」の医学を説いた。「病は善なり」という医療観である。
     しかし五百年後に出現したローマ医学の巨匠ガレノスは、ヒポクラテスの教えに背き、「病は悪化作用」と捉らえ、病と闘うことを医学の使命と信じ、「矛盾には矛盾を」(毒を以て毒を制する)という攻撃的な逆症療法を確立した。
     「死と対決し、病を制圧しよう」という医療観である。それ以来二千年ガレノス医療観が医学を支配し史上最強の攻撃性を誇る現代医学へと発展。さらに「神への挑戦」を夢見る「遺伝子操作」へとエスカレートする。
     だが、その結果は、慢性病や難病奇病が激増し、それと共に医療費負担が急増して医療財政を圧迫。アメリカの医療は既に財政的に破綻し日本もやがてそうなるであろう。
     こうした最中、国連WHOは「西暦二千年までに全ての人に健康を!」という史上空前の大理想をスローガンに掲げる『アルマーアタ宣言』を全人類の名において可決(一九七八年九月)。「病なき世界」の実現を目指す具体的政策(プライマリー・ヘルスーケア)に向けて世界各国の保健政策を転換するよう緊急勧告した。
     その要旨は。従来の医療一辺倒(病気治療)の政策から、各人の自覚に基づくセルフーケア(健康づくり)を推進する保健政策に転換せよ、ということである。
     この政策を採択するに当って、近代医療を正統とする先進国と民族伝承医療を主張する途上国の意見が激突し、会議は幾度かデッドーロックに乗り上げた。まさに医学の正統性を巡る論争であったが、この論争を通して、これまで蔑視されていた伝承医療の主体性が民族自決権の下で国際的に確立された。
     医学は一つではない、ということである。
     かくして世界の医療は、西欧医学の一極支配時代は終焉し、民族伝承医学を認める医学の多極化時代へ突入した。
     因みに、世界の三大伝承医学は中医学(東アジア)、インド医学、ユナニ医学(イスラム圏・西アジア圈)であるが、何れも「健康・長寿」(健康づくり)を目指す医学であり、生活科学(養生法)を説く優れた医学である。
     本編はこうした世界の医学思想を、特に「医とは何か」、「病とは何か」という視点から先哲の思想を尋ねつつ、 「生命の質」と「医療の在り方」について読者と共に考えてみたいと願うものである。
           一九九四年十月          著者 松本英聖

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    地方の大病院の玄関先にその医聖ヒポクラテスの象が飾ってありました。

    だけど、ほんとかいな? とクビを傾げるのはボクだけなのかな・・

    だって、言っている事とやっていることが真逆じゃあネエ~

    と余計な話は書きたくなかったのですが、それだと転載そのマンマなので・・・

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


    。。。第一部  医学とは何か  


                                                              -
    第一章、ヒポクラテスに還れ      -隠されたその真実


         医学の原点
    医学の始祖

     エーゲ海の空はどこまでも高い。寄せては返すさざ波は、ゆったりと浜の真砂を洗い清めて行く。
     遙か沖には紫色に霞むドネカサス群島の島々、その一つコス島ーー。
    舞台はキリスト聖誕前五百年の古代ギリシャに遡る。
     主役は一人の黄金の杖を持った老人卜現代西洋医学の始祖として今なお仰がれる医聖ヒポクラテス(前四六〇~三七七)。
     彼は、大きな一本のすずかけの木陰で、集まり来る医学生たちに諄々と語りかけた。


      ″病は自然が治す。医師はそれを助けるのみ……″と。


    この千古不滅の箴言こそ医学の原点であり、ヒポクラテスは人間の生命力(自然回復力)に絶対の信頼を置き、この確信を基礎にして医学を建設した。そして彼は、 「病気とは、反自然的な牛活によって引き起こされる様々な歪み《体液(内部環境)の不調和》を是正するための《自然の浄化作用》である」と説いた。
      ″病は善なり″という確信である。


     また、彼は『空気、水、場所について』という有名な著者を残し、その中で自然環境(火、水と空気、土)と体液(内部環境)との調和を図ることが医学の使命である、と説いている。
     彼が説いた火とは光・熱=電磁的環境(宇宙的環境)、水と空気=無機的循環系(地球生態系)、土=有機的循環系 (生物生能系=食物連鎖)のことであり、この三者の三位一体的な調和活動によって生命が育まれる。つまり人間は自然によって生かされている、という医学思想である。
     この思想は、《環境と生命》を一体不可分の関係として捉えるもので、まさに仏法で説く″依正不二″の理であり、東洋医学における″身上不二″の原理でもある。自然界を大宇宙、人体を小宇宙と見る古代ギリシャの相似象的な考え方だ。


     この点、自然界と人体を切り離し、それぞれ独立した対立物と見る現代医学とは、およそ対照的な医学であると言えよう。
     ヒポクラテスの思想は、今世紀アメリカのキャノンによって、ホメオスターシス(恒常性維持機能)という概念に高められた。因みに、ホメオは″同一の″、スターシスは。〝状態〟を意味するギリシャ語であって、時事刻々と変動ずる外界の変化に対応して、体内条件を常に一定に保つ能動的な働き《生体と環境との動的バランスを整える全身的な調節機能》のことである。


     ご承知のように、生物は外界条件(自然環境)が一定の生理的許容範囲を越えると、当然生存できない。
     つまり、生物は環境に依存し、支配されているわけだが、この自然環境自体も、実は巨大なホメオスターシスによって動的バランスを保っているダイナミックな存在である。大気も海洋も河川も、そして土壌も岩石圏も、これらが一体となって一つの有機的循環システム(地球生態系)を構成し、これを動かす原動力が太陽エネルギーである。


     また、個々の生命体は、太陽エネルギーを生物エネルギーに変換し、それを駆動力として生物生態系という巨大なネットーワークを営む大宇宙である。つまり地球を人体に譬えれば、個々の生物は細胞に相当するわけで、個々の生命は生き変わり、死に変わりしつつ、地球という生命体が生き続けるわけで、地球と生物は相互補完的な一体不可分の関係にあるわけだ。
     イギリスの物理学者でNASAテメリカ航空宇宙局)の研究員でもあるラブロック氏は、このような観点から、地球は「生きてる巨大な星」であるという「ガイア仮説」を提唱し、ニューサイエンスとして世界の注目を集めている。


     因みにガイアとは、ギリシャ神話の「大地の女神」のことであるが、最近では、このガイア仮説をさらに発展させて《人間はガイア(地球)の脳細胞(頭脳)である》という「グロ~バルーブレイン仮説」が登場した。「人間は地球無しでは生きられないが、地球も亦、人間の頭脳活動が無ければ発展できない」という相互補完の生命観である。


     昨今、地球の環境汚染が頻りと叫ばれているが、この「グローバルーブレイン仮説」に立つと、それは、人間の体内汚染の反映であり、従って体内汚染を浄化することが地球の環境汚染を浄化することになる、という結論が引き出される。環境汚染を騒ぐ前に、体内汚染を浄化せよ、ということである。


     では、体内汚染の由来はなにか? それは繰り返し説いているように、食生活の乱れである。食の乱れは、単に個人の体内汚染を招くだけでなく、巡り巡って、やがて環境汚染を広げることを、この際、はっきりとご認識頂きたい。


     恐らくヒポクラテスは、二千五百年前に、このことを洞察していたに違いない。であるからこそ、彼は環境の重要性、特に食生活による体液の不調和を正すことを力説した。
     それが、最も身近な問題であり、同時に人間の選択が大きく関与する問題でもあるからだ。
     即ち、自然の秩序を人間の我儘な生活によって乱すことが。反自然的生活であり、とくに舌先三寸の味覚に溺れ、それを恣(ほしいまま)にする欲求追及型の食生活態度が、体内汚染を引き起こすことになるからである。
     そこで、病者に対しては、その依ってくる反自然的要因を見抜き、それを改めるための手立てを見つけ、教え導くことが医学の使命であり、医師の勤めであると説いた。つまり、病気を治す主人公はあぐまでも病者自身の自覚に基づく自然治癒力であり、医学はそのために奉仕(教え導ぐ)する助言者に過ぎない。


     今日のように医師任せ、薬漬けという医療中心の医学、つまり〝病気を治すのは医薬の力であって患者ではない〟という医療観や 〝病を悪とし、敵視する医学〟とは、およそ正反対の医学である。


     ヒポクラテスは、このような医療観卜″千古不朽の真理」を若い医学生たちに諄々と説き、弟子達にアスクレピオス(ギリシャの医神)の神殿に額いて、有名な。ヒポクラテスの誓い″を誓わせ、医学の基礎に据えた。



    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    つづく

    ヒポクラテスの誓いへ

     

     

    追記コメント

    医学は宗教である  とはロバート・メンデルソン医博著 医者が患者をだますとき

    だが、

    最近では日本の医師も気づき始めたというからおもしろくなってきた(なにが)

    どうやらその宗教の正体はやはり アレ だった。

    アレ?

    そう、あれ・・・ダンス。 エビが踊るという・・・

    ??

    ここに書いてあった(笑

    現代医療という名の宗教

     

     

     

     


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    先回のつづき

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー



             ヒポクラテスの誓い

    私は医神アポロン、アスクレピオス、および医にかかわるすべての神にかけて誓います。またあらゆる男神と女神を証人として、私の能力と判断力の及ぶ限り、この誓いを守り抜きます。
     私は、この術を授けてくれた人を両親同様に敬い、生活を共にし、自分の全財産を彼に委託します。その人の息子たちを自分の兄弟同様に考え、もし彼らがこの術を学びたいと言うなら、報酬や契約書などは度外視して、これを教えます。私の息子たち、私の師の息子たち、それに医師の掟により契約を行なった生徒達には、医師の心得と講義、その他すべての学習を受けさせ、それ以外の人にはこれを許しません。私は能力と判断力の限りを尽くし、全力を尽くして食養生法を施します。このことによって、害を与えたり、不正を行なったりしません。私は頼まれたにせよ、誰にも致死薬を与えたり、また教えることもしません。女性に堕胎の手段も教えません。私は純潔で敬虔に、生涯を送り、術を施します。私は結石患者に対し切石術を行なわず、これを業とする人に任せます。どの家に入るのも、病人を助けるためであり、決して危害を加えたりしません。男女を問わず、また自由民か奴隷かにかかわらず、自分の地位を乱用して彼等と性行為に耽るような真似はいだしません。医術に関するか否かにかかわらず、見聞きしたことで漏らすべきでないことは秘密を守り、決して囗外いたしません。この誓いを守り続ける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ、すべての人から尊敬されるでしょう。もしもこの誓いを破るならば、その反対の運命を給わらんことをーーー。





         闇に消えた真実

     この誓いは、今なお、欧米の殆んどの医学校(日本は例外であるが……)の卒業式において厳かに誓われている。が、今この誓いは形骸化し、重要な部分はすべて反古にされてしまった。
     〝堕胎はいたしません″と誓う言葉は空々しく、〝切石術(膀胱結石の手術)はいたしません、そのようなことは、それを仕事こするものに任せます〟と誓ってメスを揮う。自ら破戒を宣言しているわけだ。〝医学を志すものには無報酬で……〟とんでもない。学費は最も高く、医療費は鰻登り……。このようにヒポクラテスの誓いは今では全ぐ空文化し、医は仁術から算術に変貌した。
     一体どうなっているのだ。

     世界的な細菌学者ルネーデュボスは、その名著『健康という幻想』の中で、  「ヒポクラテスの書物は、聖書の持つ権威と同じ位置を医学の中で占め、誰もが聖書から引用するように、彼の言葉を引用する。だが、ヒポクラテスの書を本当に理解する者はごく少ない」と皮肉っている。

     なぜ、そんな事になったのか? 実は、ヒポクラテスの死後、ギリシャは急速に衰亡し、それと共に彼の医学も夕闇が迫るように次第に黄昏れ、やがて五百年後、キリストの聖誕を転機として、彼の医学は完全に光を失い、真実は夜のしじまの中に閉ざされた。あたかも日が沈むかのように……

    そして夜の帳の中で、〝病は悪なり″というヒポクラテス医学とは逆転したローマ医学が世界に君臨し、以後今日まで二千年に亘って西欧医学を支配するのだ。だが今、再び時代は巡り、ヒポクラテス医学の真価が見直される時代となった。

     シュペングラーは〝西欧文明の没落〟を著わし、トインビーは、〝東洋の叡知に期待する″と述べている。
     医学もその例外でない。西洋医学よ、ヒポクラテスの原点に還れ!そこから新しい道が開けるのだ。




        ソクラテスの医学観

     ヒポクラテスがエーゲ海の小島で世俗を離れ〝医とは何か、病の本質は……″と医学生に向かって医学の真理を説いている頃、対岸のギリシャ本土では、ソフィスト達の詭弁術が横行する中で、哲人ソクラテス(前四七〇 二九九)が独り超然として〝無知の知″を説き、〝人生如何に生きるべきか″という人倫の実践規範を論じ、その証として〝悪
    法もまた法なり″との信念によって、法の命ずるままに毒を仰いで従容と死についた。

     ソクラテスはヒポクラテスと面識があったらしいが、その医学観は定かでない。しかし、対話の中でよく「コス島のヒポクラテスは」と引き合に出し、真の医術は「人を病から解放する」と述べているから、ヒポクラテス医学を高く評価していたことは間違いない。
     それを示すエピソードとして彼は、当事ギリシャ本土で盛況を極めていた各種健康法ーーーギムナステン(今日のスポーツクラブ)、オイルマッサージ、食養料理などーーーを厳しく批判し「自分の栄耀栄華のために健康・長寿を願うことは人間のエゴであり傲慢な思い上がりある。こんな輩に付け込んで悪賢い医師が蔓り、荒稼ぎをずる」と決めつけている。
     その頃、アテネ市民の間では、  「一に達者で、二は見目麗しく、三は真面目に稼ぐ金」という歌が酒席などで流行っていたと伝えられているから当時の世相は現代と実によく似ている。
     こうした人間中心の欲望追求と浅薄な知識が氾濫する中で、彼は「自分は全くの無知である」という「無知の知」を説き、魂を浄化ずる「貧者の哲学」を実践した。ソクラテスは、当時の浅薄な世相に追従し、それに迎合する医療や健康法などは人間の堕落を助長する何者でもないことを見抜いていたのである。
     ソクラテスにとって重要なことは、「人間如何に生きるべきか」という存在意義{レーゾン・デートル}を探求し、それを実践すること。それが「無知の知」であり、「貧者の哲学」であり、同時にそれは「真の医学」でもある。
     ヒポクラテスは医師として人間の「内なる自然」を発見し、哲人ソクラテスは「内なる靈性」に目醒めたということである。
    昨今、末期医療の在り方を巡って「医療と死」の問題が大きくクローズアップされ、「生命の質」が頻りと論議されているが、二千五百年前に、ソクラテスとヒポクラテスはこの問題を提起していたのだ。
      「真の医学」とは、自分自身のレーゾンーデートルを問うことである。

     だが、ソクラテスの死後、彼の弟子達ーーープラトン及びその弟子のアリストテレスは、師の教えである。人生とは何か″という実践命題から離れ、人間の視点から自然を眺め、それを説明しようとする壮大なギリシャ自然哲学を集大成した。

     彼等が建設したギリシャ自然哲学は、人間と自然を切り離し、人間の立場(理性)から全てを対象物として観察し、説明しようと試みた。そして、この思想が、ルネサンスを経て、今日の科学思想(医学を含めて)へと発展するのだ。

     一方その頃、史上名高いペロポネソス戦争(アテネとスパルタとの二十七年にわたる角逐)がギリシャ全土を戦火に巻き込んでいた。その戦端が開始されて二年後(前四七一年)、突如としてアテネの街を有名な″アテネの疫病」(天然痘と言われている)が襲い、市民の四分の一が死に絶え、指導者ペリクレスも斃れた。

     この惨禍によってアテネは戦意を喪失し、以後ギリシャは衰運の一途を辿るが、もしヒポクラテスが生きておれば、この疫病が栄華に耽るギリシャ人の反自然的生活に対する大自然の浄化作用であることを見抜いたに違いない。

     だがーーー、ギリシャ自然哲学に心酔した当時の医師達はそれを見抜けなかった。彼らは、この大惨禍に対して為す術を知らず、医学の無力を痛感するのみで、師とは別の道を摸索し始めた。やがてそれは、アレキサンダー大王が率いる大遠征の兵馬の響きと共に、インドーペルシャ・エジプトなどの文化と習合して、片やプラトンの流れを汲むヘロヒロス(解剖学の祖)、他方は、アリストテレスを信奉するエラシストラトス(生理学の祖)の二大学派に別れ、互いに覇を競いながらアレキサンドリアを中心として絢爛たるヘレニズム医学が開花した。

     しかし、その医学はヒポクラテスが説いた医の本質ーーー〝医とは何か、病とは何か″という命題から離れ、人体を客体化し、物質的側面から人体を観察する解剖・生理学のみが重視された。その結果、臨床医学は人間の肉体上に現われた症状(現象面)に対応するための技術(対症療法)となり、病気は「死に至る悪化作用」という世俗的な疾病観へ逆戻りした。

     こうしてヘレニズム医学は、ヒポクラテスが説いた「病は自然が癒す」という千古不滅の真理から遠ざかると共に、ソクラテスが説いた「生命の質」も無視するに至った。
     まさに医学思想の逆転であるが、それは後で述べるローマ医学(ガレノス)によって決定的となるのだ。

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    つまり、ギリシャ医学はローマ医学にとって替わったという。

    ヒポクラテスからガレノスへ

    現代医学はそのガレノスの医学思想を受け継いでいるというから、現代西洋医学が「医聖」と示すのはガレノスではなかろうか?

    医聖ガレノス・ローマ医学・・・それは攻撃性の高い医学であり、思想でもある。

    医学は思想だというと変だろうが、根底にあるのは攻撃か共生かという思考性が潜んでいると思う。

    手術で切り取るとか、抗癌剤で細胞をやっつけるとか、放射線で焼くとか、抗生物質で細菌を殺すとか・・・
    大抵は攻撃的医療となっているのは、その思想にあると思う。

    病は善・・・・ヒポクラテス・・・・共生的思考

    病は悪・・・ガレノス・・・・・・攻撃的思考

     

    それが進歩発達したのが現代医学(西洋医学)というものだろう。

     

    キリスト教徒が歴史上何千万人も他国のひとを殺しまくってきたか?
    もしイエスさんが生きていたら、「おまえらは私の信徒では無い」と息巻くったらどうする?
    同じように、「医聖」だのとおだてあげるけど、「おまえたちのやっている事は私の誓いを破った破門者だ」と言われるかも。

    「治療」と称して、実は毒を盛り、人体を切り刻み、放射線を浴びせる・・・
    こんな錯覚した医療がいつまでも続くわけが無い。

    ちょうど聖書に手を当てて、「私は神に誓って嘘をつかない・・・云々」と言いながらドンドン平気で嘘をつくようなものかも知れない。

    「神に誓って・・云々」などと言う人がいるが、そんなのわざわざ人に言わなくたって、嘘をつかなければイイだけ。

    とこれを書いていて、鼻白むのは(?_?)なぜだろうか (?_?)

     

     


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     病気とは自然の浄化作用。天の恵みである健康維持装置が備わっているのが人間。

    病をありがたいものだと気づいて居れば、余計な事をしなかっただろうし、医学の隆盛もなかったであろう。
    医学が進歩するというのは、医学も医者も不要になる世界が出来上がるということなのだ。

    ところが、「病は悪だ」と逆にとってしまった思想(ガレノス医学)が、余計な薬を造り余計な医療を作り出して、それを進歩させれば病は地上から消えるという大錯覚に陥ってしまった。

    だから、医学が進歩するほど病気が重度化し増えてしまうという大矛盾が起こるのだ。
    その進歩こそ、間違いカンチガイだということに気づくまで・・・・・ガレノス医学は続くのだろう・・

     

     

     

    しかし、それに気づくのには時が必要だった。

    ガレノス以来2000年も経て、ようやくその事が分かり始めてきたのだが・・・

     

     ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

      松本英聖著 「医学と生命」 第一部

    26P
       第二章、 医学思想の逆転

     話をヨーロッパに戻し、ヒポクラテスの死後五百年ほど経った西暦一三〇年のこと。古代ヒポクラテス医学の発祥の地コス島の対岸メシア(小アジア)のペルガモンに一人のギリシャ人医師が生まれた。彼の名はガレノス(英読みガレン)。ギリシャ医学のヒポクラテスと並び知られるローマ医学の巨星である。

     彼はギリシャ医学を学び、三十五才でローマ皇帝マルクス・アウレリウスに招かれ、王子コンモーヅスの侍医として最高の地位を得た。折しも〝アントニアヌスの疫病″(一六五年)と後に呼ばれた大疫病がローマを襲い、人々がバタバタと倒れ、ローマでは一日に二千人の人が死んだと言う。この死人の山を前にギリシャ医学(ヘレニズム医学)はなす術を知らず、ガレノス自身も翌年にはローマを離れて難を逃れざるを得なかった。まさに医学の敗北である。無力感に打ち拉がれた彼は避難地でこう自問した。
     「この善悪無差別の暴威に対して、ヒポクラテスの教えは役に立たず、人間の〝自然回復力″は余りにも無力だ。病は〝悪″であり、人類の〝敵″だ。この〝人類の敵″と戦うことが医学の使命ではないか……」と。

     こうして彼の疾病観は一変し、ヒポクラテス医学とは正反対に、病と戦うことを使命とするガレノス医学(ガレニズム)が誕生。爾後二千年にわたって酉洋医学を支配し、今日(現代医学)に至るのだ。まさに医学思想の逆転であり、ガレノス医学によって、ヒポクラテス医学は終焉を告げた。

     奇しくも丁度その頃、東洋の中国では腸チフスが大流行、死人の山が築かれる中で張仲景(一四〇年)が現われて『傷寒論』と「金要略』を著し、「症」によって方剤する漢方医学を確立したことは前に述べたが、この段階で中国医学も病を悪とする疾病観に転換したのである。
     西も東も、同じ時期(二世紀)に、疫病が大流行し、その惨禍によって疾病観が逆転したことは不気味な一致と言えよう。

     だが、本当にヒポクラテス医学は間違っていたのだろうか。この疫病の背景には、当時のローマ人の生活全般にわたって何か大きな反自然的要因が潜んでいたのではないか。その原因を突き止めて、禍根を取り除くべく努力をすることがヒポクラテスの教えではないのか。実は、当時のローマ人たちの食生活は贅沢を極め、心身ともに劣弱化していたのである。
     だが王宮の反自然生活に慣れ切っていたガレノスは、このことに少しも気づかず、それが当たり前だと思った。

     彼の間違いはここにあった。出発点でボタンをかけ違えたのだ。だから何処まで行っても辻褄が合う筈がない。事実、百年後に古代ローマを襲った。キプリアヌスの疫病″(二五〇年)に際してガレノス医学は無力を露呈した。
     そして三百年後に大流行した史上最初のペスト禍と言われる〝エスティニアヌスの疫病″(五四二年)において、栄耀栄華を極めたビザンチンは壊滅的な打撃を受け、東ローマ帝国は住民の半数以上もの人命を失って、これが口ーマ帝国崩壊の端緒となった。この時もガレノス医学は全く役に立たなかった。
     天網恢恢、疎にして漏らさず、鉄槌は下ったのである。



    27P
       他人委せの医療観

     話は前後するが、疾病観が逆転すれば、当然、医療観もまた逆転する。即ち″病気と戦い、それを征圧する″という攻撃的医療観への転換である。
    しかし、このガレノス医学の考え方は、裏を返せば、人間の反自然的生活を正すことなく、逆に人智(医学)によって人間の思うがままに、自然を征服しようとする思い上がった人間中心の思想に外ならない。
     だが、よく考えてみれば、人間は必ず死ぬ。これが真理である。従って、もし死に到る過程を″病気″と考えるならば、人間は永遠に病から解放されることはない。
     では、医学とは何か?

     ヒポクラテスは、病は〝死に到る悪〟ではなく、〝天寿を全うするための自然の浄化作用、つまり善である″と喝破した。そして浄化作用を滞りなく速やかに終わらせる手立てや浄化を必要としない生活条件(正しい生活)を探求し、それを教え導くことーーつまり〝健康を保持し、天寿を全うする道″を医学の使命とした。

     一方、ガレノスは、これと正反対に、病は〝死に到る悪化作用″と考え、死をもたらす悪(病気)と戦うことを医学の使命と考えた。即ち〝死との対決″である。

     だが、それは所詮空しい足掻きに過ぎない。死の影は常に人間に付き纏い、遅かれ早かれ死は確実にやって来るから医学は常に〝敗北の学問″となる。事実、ガレノスの願いも空しく、病気は常に人智を越え、医学の努力を嘲笑うかのように、次々と新しい悪疫が出現。その都度、医学は挫折感と無力感に打ち拉がれた。

     またガレノスの医学観に立つと、ヒポクラテスが確信した〝人間の自然回復力(生命力)″は、外敵から身を守るための生体防衛力として位置づけられる。そしてこの相対化された非力な生体防衛力が外敵(病原)と戦っている姿が病気であり、遂に力尽きてギブアップした時が死である。従って最後は必ず病に負けて死ぬという哀れな疾病観が導かれるから、病気を恐れて敵対視するわけだ。病気を〝悪″と考える限り、当然の帰結である。

     そこで、病気に対して、無力な自分の代わって闘ってくれる強力な味方が医療ということになる。つまり、病気(敵)と戦うのは医療であって、人間は医療費を払って、この戦いを一喜一憂しながら見守る観客に過ぎない。
     言い換えれば、病と戦う戦士(主体)は医療(医師)であり、患者は生命を医師に預けるだけという医師委せの医療観である。そこでは、人間の主体性は完全に無視され、肉体だけを対象とする人間不在の医療が罷り通る。 

     その結果、謂わゆる〝矛盾には矛盾を″という有名なガレノスの言葉が示すように〝毒を以て毒を制する″という危険な医療が正当化され、熱には解熱剤、痛みには鎮痛剤、さらにメス、放射線、抗ガン剤と、より強力な武器を求めてエスカレートするわけだ。このような攻撃的医療を逆症療法と呼ぶ。
     現代医療はアロパシー医学の最高峰であり、史上最強の攻撃的手段を誇る医療であることは言うまでもあるまい。

     ところが、このような攻撃的医療をヒポクラテスは厳に戒め、弟子達に対してこの掟てを守ることをアスクレピオスの神殿に誓わせた。ヒポクラテス医学においては、再三述べたように「病は、自然の自浄作用」であり、「自然の癒し」であるから、この理を悟り、自らの自覚で生活を正すことが、「病から解放される唯一の道」である。つまり、真の医学の主体は人間自身であり、医薬などに頼ることは、自然の癒しを妨げる有害無益な愚かな行為に外ならない。 
     〝医療(人智)に頼るか、自然(神智)を信じるか″。
     この何れの道を選ぶか。あなたの健康と運命は、この選択に掛っていると言えよう。



    29P
        ローマは食毒で滅んだ 

     〝ロ―マを滅ぼしたのはローマ風呂″という警告があるが、当時の贅沢三昧な世相をよく表わしている。有名な文明史家シゲリストは、ローマ時代には、古代の世界からあらゆる珍味が輸入され、正式の食事メニューは《前菜、アントレ-三皿、焼肉二皿、デザー卜七皿》と記しているから、現代人顔負けの〝美食飽食″だ。 この反自然的生活によってローマ人達の体内に大量の食毒(とくに肉毒)が蓄積され、それが飽和点に達した時、その歪みを正すための社会的大浄化作用としてペストが発生して、ローマは滅んだ。大事なことは、ペストは結果であって、原因はローマ人の反自然的生活にあったのである。

     かって、ローマの建設時代、彼等は〝質実剛健″をモットーとし、頭領の大カトーは常々〝自然に還れ!″と大号令した。だが、大ローマ帝国の出現と共にその美風は忘れ去られてしまった。

     ローマの爛熟期、憂国の詩人ルクレティウスは美食飽食に明け暮れる軽佻浮薄な当時の社会風潮を慨嘆して「人間が大自然の恵みを、敬虔な祈りを捧げて食べていた古き良き太古の時代こそ、人間は本当に健康で幸せであった……」と謳い上げた。

     その昔、ギリシャの哲人ソクラテスは「ローマ人は、豚肉を喰うから必ず滅びる」と予言したが、その言葉は五百生後に見事に的中した。またグイオジ・ニスは精強を誇ったローマ兵が軟弱化する姿を見て、「生や豚を喰うからだ」と指摘したと伝えられる。
     〝奢れる平家、久しからず″

     ローマ人の天を恐れぬ傍若無人な反自然的生活は、武力で他民族を征服し収奪した虚構の豊かさであり、何れは破綻する運命にあったが、暖衣飽食に溺れたローマ人は、それに気付かず、栄耀栄華の夢を追った。それが人間の宿業であろう。
     このローマ人の救い難い生活の歪みを一挙に是正するための社会的大浄化作用がペスト禍であって、それはローマ人自身が招いた人災である。この真理に目醒め、反自然的生活を改めて禍根を絶つことがヒポクラテス医学の神髄である。

     前者『松木英聖医事論集第一巻』(食と生命)で紹介したアメリカの『食事目標』は、このことに気付き〝美食飽食″を慎み、〝素食に帰れ″と勧告した。果たして、〝先進国民はこの勧告を素直に受け入れ、各自の自覚で食事改善に踏み切れるであろうか。日本を含めて西欧社会の命運はこの一点に掛っている、と申し上げて置く。





    31P
        美食は人口を減らす

     民族の消長と食生活の関係について真正面から取り組んだのは、かって国連世界農業機構の理事長であり、人口食糧問題の世界的権威として知られたカストロ博士(ブラジル大学栄養研究所長)である。     同博士は、世界各国民の食生活と出産率との関係について大規模な疫学的調査を行ない、次の結論を得た。
     動物性蛋白質(肉・魚・卵・生乳)を豊富に摂っている豊かな国民ほど出産率が低く、その反対に粗末な澱粉食(素食)を常食としている貧しい民族ほど出産率が高い、という事実である。この事実はスロネーカー(生物学者)が行った次の実験によって生物学的にも裏付けられた。

     彼はネズミを幾つかのグループに分け、蛋白質をさまざまな割合で混ぜた餌をこしらえ、A群にはAの餌という具合にして飼育、六世代にわたって繁殖率を調べた。その結果、蛋白質の摂取量が増えるにつれて、ネズミの繁殖率(受胎率や胎児数)が次第に減る事実が明らかになった。この実験は、ネズミの繁殖が、謂わゆるネズミ算式に増えず、繁殖率が、栄養条件(餌の質)によって変わることを示すものであって、マルサス流の人口論は、この事実(栄養条件)を無視した机上の空論であることが分かるであろう。 

    また、アメリカのマク・ケイ教授(コーネル大学動物研)は、ネズミを使って飼育実験を行ない、解剖して健康状態を調べた。すると蛋白質の多い餌を腹一杯食べさせたネズミは発育がよく、色艶もあって、見るからに健康そうに見えたが、間もなく腎臓硬化その他の病気に罹って早死にした。
    一方、普通の餌を死なない程度に減らして与えたネズミは発育が遅く、見るからに貧弱そうに見えたが、寿命が長く、最高記録は通常のネズミの二倍半近くも長生きした。しかも彼らは耐久力があり、老化が遅く、バイ菌を植え付けてもビクともしない抵抗力を示した。矢追秀武博士(元東大教授)も同様な実験を試み、素食少食は、体質を強め、丈夫で長生きすることを確かめている。
     高名な杉靖三郎博士(筑波大学名誉教授)も同様な実験を行ない、ネズミの体力が強くなることを確認すると共に「戦時中の食糧事情が悪かった頃、日本人はみな痩せ細り、栄養不良で病気に罹りやすいと考えられていたが、その後の調査で、その頃は病気が激減し伝染病まで減っていることが判明した」と述べておられる。以上を総括するとーーー、
     美食飽食者は、見かけは健康そうだが、食毒のため老化が早まり、早晩に死病(慢性病)で倒れやすく、民族的には出生率が低下して民族の滅亡を招く。

     一方、素食少食者は、一見すると体格が貧弱で、病気にも罹りやすいように見えるが、事実はその逆で、健康に恵まれ、天寿を全うし、民族的には若さのシンボルである生殖能力が強く、民族を興隆する。
     これが生物界を支配する鉄則であり、この掟は絶対である。

     昨今、出生率の低下が目立ち、大きな議論を呼んでいるが、それは現在のグルメ時代と決して無縁ではなく、早晩に民族の衰亡を招くことは歴史の示す通りである。
     ともあれ、美食飽食は食毒を招き、その浄化作用として、さまざまな病気が発生するということである。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

     愚利己のオマケ 患者には出すけど、自分(医者)は飲まない薬とか、売りには出すけど自分ちでは食べない野菜とか

     

     

     

     

     

     

     

     

    読まなくてイイよ ↓

     

    うまい物喰いたいなあ~~

    なんだ、うまいものって?

    ・・・・・・

    スーパーに行くと、毎日が盆正月料理だもんね。
    あれじゃあ、有り難みがなくなるさね。

    そんなに美食飽食させて、アタシヲドウシタイノ~♪

    なあに、まるまる太らせて、わしの美食のもとになるのさ。

    そういえば、野菜のあの青々した色は本当は腐り野菜になるらしいぞ。

    むしろ、色が薄い緑の方が本物で腐りにくいらしいね。

    あれもやっぱりエサ(肥料)のやり過ぎらしいねえ。 腐って果てるか、しおれて枯れるように果てるか。

    人間もおなじく、腐って果てるか、自然に枯れて逝くか・・・

    と、いいつつ、今日も美食飽食に・・・ オイ!

    いや、あのね、明日から素食にするつもりなのね。だから今日は精いっぱい食べまくって・・

    「明日は呑むの止めよう」と今日は固く誓って、最後の晩酌をする。

     

    そして、今日もまた・・・固く誓った ・・

     

    でも、ローマ人嗤っていられないねえ。いまのニッポン人も同じようなところに行き着くのかな?

     


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    もうメチャクチャでござりまする~~  (花菱アチャコ)

    え、知らない?

     

    世界中がもう花菱アチャコ状態に入っているらしい

    それもそうだ、あの幻のフォトンベルトをズボンに通してしまったときから

    もう太陽からじわりじわりと放射される振動でビビビビ~~ブルブルブル~と反応しだしたのだから。

     

    え、何言ってんのオッサン?

    そんな世界情勢などあっちに任せておいて

    こっちはもっとちっちゃな世界情勢だ。

     

    それは細菌。

    じつは細菌に逆らっても生きて行けない時代にはいったようだ。

    外の世界もいいが、内なる世界にも目を向けてみよう。

    それはあなたの厚い面の皮の内側に居るという常在細菌様のことである。

    え、ワタシの面の皮は薄いって? 

    それはボクも同感だ(それより強いのが舌なのかも知れない)

    床屋で、熱いタオルかけてから「熱くないですか~~♪」というやり口は止めて貰いたいものだ。

     

    抗生物質をさんざん使っておいてから、やっぱりダメでした~~♪

    とか

    スイマセ~~ン、抗生物質であんたの有用常在菌タクサン居なくなりました~♪

    とか

    あ、抗生物質ね・・・そんなのもう効かなくなったんですよ。もう出しません♪

    なんて

    これからはあなたと一緒になっている細菌さんたちにめんどう見て貰いなさい♪

    とか

    今ごろになってようやく、細菌に病源を付けたりしないで、共生という名前を付け足す始末。

    さて、急に猫なで声で「アンタ~~♪」なんてすり寄ってきてもネ・・・・

    あの「ドラ顔」を思い出すと、もう嫌気がさして後ずさりするのがオチ。

    だが、それでも回心して細菌様にスリスリとすり寄るか・・・

    あ、その前に抗菌グッズはずしてからにしてね(細菌様より)

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

    ヒトの細胞と共生細菌




     マイクロバイオームという言葉がある。これは人体には自身の細胞の10倍もの数の細菌が存在しており複雑な生態系を構築している姿をマイクロバイオームと呼んでいる。

     ちなみにヒトの細胞数は約60兆個といわれている。これは人体1kg当り約1兆個の細胞が集まっていることになる。

    これらの細胞の寿命はさまざまで、最も寿命が短い腸管粘膜細胞は1~2日で、最も寿命が長いのが脳細胞で生涯にわたる。

    細胞で一番多い赤血球の寿命は約120日といわれる。

    細胞全体としては平均すると2週間位の寿命となる。

    約60兆個の細胞の平均寿命が2週間ということは、言い換えれば毎秒約5000万個の細胞が生まれ変わっていることになる。

     



     ヒトの細胞の数はひとつの小宇宙とも呼べる程に膨大なものではあるが、更に驚くことは、このヒトの口や鼻の粘膜、胃や腸、皮膚や膣などには、このヒトの細胞数の10倍ともなる約1000兆個の細菌(常在菌)が生息していることである。

     


     子宮内には通常、細菌がいないので、新生児は無菌であるが産道をくぐり抜ける際に、母親の共生微生物(細菌)が体について増え始める。

     

    その後、授乳や家族など外界との接触を通して多種の細菌が取り込まれ急速に増殖する。


     マイクロバイオームに含まれる微生物(細菌)はヒトの体(心身)の維持や活動に深く関わっており、

    善玉菌も悪玉菌も混じっているがそれぞれが単純に善玉、悪玉と決めつけ難い複雑な関係を維持しながら、体と共生菌の複合社会を構成している。



     例えば、胃に生息するピロリ菌は、胃酸を制御する働き以外にも食欲に関わるグレリンとレプチンという二つのホルモンを作る働きもしている。

    グレリンは空腹感を伝え、レプチンは満腹感を体に伝える。

    このため胃潰瘍や胃ガンの原因ともいわれたピロリ菌を抗生物質で除去した人は体重が増えるといわれている。また、ピロリ菌がなくなると逆流性食道炎を起こしやすくなる弊害も出てくる。


     また、肺炎連鎖球菌は通常人の鼻腔におとなしく住みついているが、身体がインフルエンザウイルスに応答して体温を上げ、ノルアドレナリンなどのストレスホルモンを放出すると遺伝子のパターンが変化して呼吸器細胞に致命的な影響を与える。


     このように体内・体表に生息する細菌は、人の健康や病気に間接・直接に心身にわたって複雑に関わっている。


    ヒトの遺伝子の数は2万~2万5千といわれるが、

    マイクロバイオーム全体ではその数が約330万となる。

    これから見ても共生細菌のヒトの体に対する影響力が甚大であることが想像できよう。



     ヒトの細胞と体に生息する細菌は区別できる。

    ヒトの細胞にはヒトのDNA(遺伝子の構成要素)が内蔵されており共生細菌はヒトとは異なるDNAを持っている。顕微鏡でその共存状態を確認すれば、それぞれの個体も区別・識別できる。


     しかし機能的には、ヒトの細胞も共生細菌も極めて密接な関係が実在しており、機能的には完全に区別することは難しく現実的ではない。


     例えば、赤血球は体内にありヒトのDNAを持っており間違い無くヒトの細胞であり、機能的にも人体の維持に深く関わっている。この赤血球は微細なピンセットで摘むことができ、個体として独立した細胞でもある。



     共生細菌(例えば、ピロリ菌)は機能面でこの赤血球とどう異なるのであろうか?ピロリ菌は胃粘膜の外側に付着しているが赤血球は内側にいる。場所は多少異なれども人体の維持にそれぞれ関係している。ピロリ菌はヒトの一部なのであろうか、それともヒトの外界なのか?


     赤血球とピロリ菌をヒト細胞と共生細菌の例として述べたが、個体としては別、人体の維持という機能面では共通、といえよう。

    これは、ヒトを主体(内界)と環境(外界)の両面からとらえる場合、

    ピロリ菌は個体として見るならば外界の存在であり、

    機能から見るならば内界に含まれる存在ということができることになる。


     この場合、ヒトの細胞と共生細菌の関係は、而二不二(ににふに)という関係が成り立っているといえる。

     実は、細胞膜を持たずDNAと核酸のみからなっている(細菌より更に微小な)ウイルスも共生細菌と同様にヒトに付着し、ヒトの健康・病気に関係している。

    このウイルスの数は細菌を更に上回るのはまちがいない。

     


     ヒトの体内にある遺伝子の99%はヒトの細胞ではなく共生する微生物のものであるという事実は厳粛に受け止めなければならない。

     共生細菌、そして共生ウイルスまで含めたマイクロバイオームは、正にヒトと而二不二の関係にあるといえる。


     人間としての主体(正報)と人間が存在する外界としての環境(依報)は、単純に二律背反として分離した存在として論ずることは実態とは合わない。

    やはり依正不二(えしょうふに)という捉え方が実態に即しているということが、ヒトの細胞と共生微生物の関係についてもいえるのではないかと思う。




    DATE:2015年1月31日(土)
    URL:http://www.ekoko.jp/blog/files/34ff454c77f1475d582383447d0e4272-6.php




    作成日: 2015年2月10日(火)

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

    おまけ

    ワクチンを受けない方が健康的 衝撃的な研究結果

     

     

     

    ここからは読まなくてだいじょうぶ

     

    まあ、ピロリ菌もそうだが腸内常在菌という細菌様をどんだけ虐めてきたことか・・・

    そう、抗生物質(昔は様をつけていたかな)

    そして、いま

    もう抗生物質は役立たずになりつつある。

    役に立たないhima亭主はお払い箱、いや生ゴミ入れが待っているかも。

     

    まず細菌との共生(ほんとうはお世話になりっぱなしなのかもしれず。とても供に分かち合いなどと言えない立場のにんげんだが)

    そして、その裏に居られます細菌様達の司令塔のようなウイルス様へ再敬礼!

    ウイルス、細菌がなぜ病源となるのか?

    それはもう散々書いたが、

    真の病原はワタシやアナタなの。

     

    護るも攻めるもくろがねの~~♪ (パチンコやじゃないぞ)

    それがウイルス、細菌様たち。

    いつも護られている微生物群、いや同居、いやこちらから入り込ませて戴いている居候的なのが人間

    いつもお世話になっています。

    だが時には鬼のようになる!

    攻められるにはわけがある。

    居候がホニャララの時だ。

     

    そのホニャララとは一体!?

     

    セルフサービスね

     

     

     

     


    0 0

     松本英聖著 「医学と生命」 第一部より

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     松本英聖著 「医学と生命」 第一部より


    31P
        美食は人口を減らす

     民族の消長と食生活の関係について真正面から取り組んだのは、かって国連世界農業機構の理事長であり、人口食糧問題の世界的権威として知られたカストロ博士(ブラジル大学栄養研究所長)である。           同博士は、世界各国民の食生活と出産率との関係について大規模な疫学的調査を行ない、次の結論を得た。
     動物性蛋百質(肉・魚・卵・生乳)を豊富に摂っている豊かな国民ほど出産率が低く、その反対に粗末な澱粉食(素食)を常食としている貧しい民族ほど出産率が高い、という事実である。この事実はスロネーカー(生物学者)が行った次の実験によって生物学的にも裏付けられた。
     彼はネズミを幾つかのグループに分け、蛋白質をさまざまな割合で混ぜた餌をこしらえ、A群にはAの餌という具合にして飼育、六世代にわたって繁殖率を調べた。その結果、蛋白質の摂取量が増えるにつれて、ネズミの繁殖率(受胎率や胎児数)が次第に減る事実が明らかになった。この実験は、ネズミの繁殖が、謂わゆるネズミ算式に増えず、繁殖率が、栄養条件(餌の質)によって変わることを示すものであって、マルサス流の人口論は、この事実(栄養条件)を無視した机上の空論であることが分かるであろう。 
    また、アメリカのマク・ケイ教授(コーネル大学動物研)は、ネズミを使って飼育実験を行ない、解剖して健康状態を調べた。すると蛋白質の多い餌を腹一杯食べさせたネズミは発育がよく、色艶もあって、見るからに健康そうに見えたが、間もなく腎臓硬化その他の病気に罹って早死にした。一方、普通の餌を死なない程度に減らして与えたネズミは発育が遅く、見るからに貧弱そうに見えたが、寿命が長く、最高記録は通常のネズミの二倍半近くも長生きした。しかも彼らは耐久力があり、老化が遅く、バイ菌を植え付けてもビクともしない抵抗力を示した。矢追秀武博士(元東大教授)も同様な実験を試み、素食少食は、体質を強め、丈夫で長生きすることを確かめている。 高名な杉靖三郎博士(筑波大学名誉教授)も同様な実験を行ない、ネズミの体力が強くなることを確認すると共に「戦時中の食糧事情が悪かった頃、日本人はみな痩せ細り、栄養不良で病気に罹りやすいと考えられていたが、その後の調査で、その頃は病気が激減し伝染病まで減っていることが判明した」と述べておられる。以上を総括するとーーー、
     美食飽食者は、見かけは健康そうだが、食毒のため老化が早まり、早晩に死病(慢性病)で倒れやすく、民族的には出生率が低下して民族の滅亡を招く。
     一方、素食少食者は、一見すると体格が貧弱で、病気にも罹りやすいように見えるが、事実はその逆で、健康に恵まれ、天寿を全うし、民族的には若さのシンボルである生殖能力が強く、民族を興隆する。
     これが生物界を支配する鉄則であり、この掟は絶対である。
     昨今、出生率の低下が目立ち、大きな議論を呼んでいるが、それは現在のグルメ時代と決して無縁ではなく、早晩に民族の衰亡を招くことは歴史の示す通りである。
     ともあれ、美食飽食は食毒を招き、その浄化作用として、さまざまな病気が発生するということである。


    33P
        第三章、 中世を支配した神の医学

     六世紀に古代ローマを襲ったペスト禍は、全人口の半分が死亡してローマ帝国は崩壊し、ローマ医学の権威も地に落ちた。この信じ難い現実を目の前にして人々は人生の儚さと医学の無力さをいやというほど思い知らされた。 こうした不安と絶望が渦巻く中で、時代はキリスト教の絶対権威が支配する中世に移り変わり、それと共に医学も亦、《神の恩寵と祈り》を説く僧院医学へと次第に傾斜していった。その一つの現われが、有名なロイヤル・タッチだ。
     この〝王の手″が触れるだけで万病が治るという奇蹟は、ペスト禍の余韻がくすぶる五世紀末(四九六年)にフランス(フランク王国)のクロヴィス王が神の啓示を受けて行なったことに始まり、以来歴代フランス王家によって継承された。イギリスでは、懺悔王の名で知られるエドワード王(一〇四二~一O六六)が初めてこれを行ない、多数の〝るいれき″(結核性リンパ腺腫)患者が治ったと王家の記録は伝えている。

     〝奇蹟の手″の歴史は古く、ギリシャの神殿には患部に手を翳している医神の姿が描かれており、またイエス・キリストは手を触れるだけで奇蹟を現わしたことが聖書の随所に記るされ、その伝統はキリスト教の按手礼として、今なお受け継がれている。中国の外気功然り、日本でも前述した少彦名神の「手翳し」(天津御手振り)が伝わっている。
     病気の〝手当て″とは手を当てることであり、この〝手当て″こそ人類の発祥と共に始まった人類最古かつ最善の治
    療法と見ることもできよう。だが、それは「病は自然が癒す、病は自然の海化作用なり」というヒポクラテス医学を確信し、食生活を改めることが必要条件であって、さもないと恐るべき虚構の医学へと変貌する。
     現に、この人類最古の〝癒しの手″が、ガレノス医学と結び付いた時、中世医学の悲劇が始まった。
     ガレノス医学は〝病は敵″と捉らえ、その敵と戦うこと(攻撃的医療)を使命とする。だが、ペスト禍で、ローマ医学の無力が露呈するや、人々は〝病は天罰″と説く僧院医学に助けを求めて〝神の慈悲″に縋ろうとした。実は、ここに中世医学の陥し穴があり、人々はその穴に嵌った。
     ペストという現象面の悲惨さに目を奪われた人々は、本来は、神の恩恵と受け止めるべき自然の浄化作用を、〝天罰″と思い込んでしまった。

     無理もない話であるが、しかし本当は、人々の反自然的生活こそが神の御心に反するものであり、悔い改めることを教え論すことが医学の使命である。しかるにガレノス医学に毒された中世医学は、それに気付かず、病は〝神罰″と説き、その許しを願って、ひたすら神に祈り、恩寵に縋れと教えた。しかも僧医自身は、豪奢な生活にドップリと浸りながら、それを改めようともせずにーー。

     真実がねじ曲げられている以上、如何に祈っても神に通じる筈がない。彼らが天罰と教えられた病気こそ、実は神の御救いの手(浄化あるいは浄罪)に外ならないのに、それを〝悪″として憎み恐れながら、何を願うと言うのか。まさに転倒妄想であり、これでは救われる筈ない。
     かくして、真実の神は人間の手によって葬られ、代わって人間が勝手にデッチ上げた虚像の神、即ち人間中心のご都合主義が作り上げた偶像崇拝が始まった。

     神とは何かーー、まさか人間に奉仕する〝幸福製造業″ではあるまい。だが実際には、ガレノス医学と結び付いた中世医学は、知ってか知らずか、神様さえも″病魔退散″の道具と見做すことになるのだ。
     かってマルクスは〝宗教は阿片なり″と激しく非難したが、中世医学はまさにそれ。 ともあれ人々が反自然的生活に目覚め、それを改めない限り、浄花作用は必ず起こる。それが自然法則であり、神の摂理であるからだ。
     事実、キリスト教の絶対権と石造りの城壁に囲まれ、心身共に束縛された中世の反自然的生活に対応する陰惨な浄化作用が始まった。中世を代表する疫病(慢性伝染病)〝ライ″の猖獗(しょうけつ)である。


    35P
       ライを一掃したペスト

     中世のライは十二~十三世紀にピークとなった。当時の人々は中世の厳めしい城塞の中で、豚や生と一緒に寝起きし、それを殺して食べ、新鮮な野菜や果物も不足しがちで、庶民にはトイレも風呂も殆ど無かったと言うから彼等の日常生活が極度に反自然的であったことは想像に余りある。
     だが人々は、ライが彼等の反自然的生活に相応した浄化作用であることを露知らず、僧院医学が教えるままに、これを〝天刑病″と信じ恐れるだけで、生活を改める道も知らず、ひたすら神に縋った。こうした反自然的な生活が千年も続いた結果、ライを免れた人々の体内にも次第に食毒が蓄積されていった。中世医学が招いた悲劇である。
     やがて、中世住民の食毒蓄積がマキシムに達した頃、十字軍の遠征と蒙古襲来という二つの人災が重なり、この凄惨な殺戮と収奪を契機として遂に史上空前の恐るべき大浄化作用が起こった。ペスト襲来(一三四八年)である。当時の惨状をボッカチオの名作コデカメロン』は克明に記述しているが、花の都フィレンツェでは住民の半数が死に絶え、ペストは街から街へ、村から村へと瞬く間にヨーロッパ全土に広がり死人の山を築いた。

     この惨禍の最中、一人超然としてペストの街々に現われ、見捨てられた患者の救護に当たった人物がいる。ユダヤ系のフランス人医師・ノストラダムスだ。彼は行く先々のペストの町で、先を争って逃げ惑う人々に対して〝一九九九年七月、人類は滅亡する″という不気味な大予言を残して、ペストの終焉と共に忽焉と姿をくらました。
     恐らく彼は、ペスト禍が積年の食毒を一掃する大浄化作用であり、体質が健全であれば、決して感染しないことを知っていたに違いない。そして五百年後の二十世紀末、人類が再びこの愚を繰り返さないよう警告したのではなかろうか。歴史は繰り返すと言うが、世紀末の今、ペストの教訓を決して忘れてはなるまい。

      不思議なことは、ペストによる浄化作用によって、中世のライが一掃され、それ以後は極めて稀な病気となったことだ。
     そして、辛うじて生き残った民衆の手によって、新しい人間復興のルネッサンスが到米すると共に、人々は虚妄の神の鉄鎖から解放され中世僧院医学は瓦解した。
     〝破壊と建設″が裏表一体となって同時進行する大浄化作用は、恐ろしくもまた希望に溢れた破局と言えよう。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

     

     

    なぜ世界的大流行する伝染病があるのだろう?

     という疑問に珍回答してみるakyoonだったが・・・

     

    科学は仮説だというから、ボクのも科学なのだ(笑

     

     

    「 不思議なことは、ペストによる浄化作用によって、中世のライが一掃され、それ以後は極めて稀な病気となったことだ。」という記載について

    人は見えない根っこのところで繋がっている共同生命体のようなものでしょうかねえ。

    たとえば畑の野菜が土の中では共通しているわけで、土壌中の状態が表面に出ている野菜に現れるわけでして、その野菜にも強弱あり、ぜんぶが同じような状態になるわけではありませんね。

    作物がぜんぶ病気になったとしても、幾つかの例外はあるわけで、その生き残った作物の種が次世代の強い作物を持続させるものです。

    まあ、土壌の中の状態が悪化(作物にとって)すれば、表面の作物に現れるとしても、一様では無くダメになるモノと生き残って丈夫なモノに別れることです。

    野菜が虫に食われるとかウイルス病で斃れるとか、それはみな土壌の中の状態が表の野菜に現れるのでしょうが、じつはこれは土壌の浄化作用の過程であって、結果として野菜の虫食いや病気斃れで土壌が改善されているとも見られるわけですね。

    同様に人間も全体としてはひとつのエネルギーの形として共通しているネットワーク上にあり、エネルギー状態が正負に別けるとして、負の状態がかなり進んでしまうと、大きい感染症として表層(にんげん)に現れるのでしょうか?

    そうなると、この感染症によって共通する土壌(人間の共通しているエネルギー域)が浄化されて、清浄化されるので同じようなエネルギー状態にならない場合か、別の状態のなっている場合は同じような感染症が大流行しなくなるわけでしょう・・・か?

     

    もうひとつは人類のその大規模浄化作用(伝染病大流行)によって、生き残った野菜(にんげん)の遺伝子がより強い作物(人間)を創り上げるという風になっているのかも知れません。

    ひとの共通している見えない根っこの域(エネルギーというか波動というか、畑で言えば土壌のような)ではマイナスかプラスかの状態によって、調和するような自己回復機能が備わっているのでしょうね。

    もちろん、個々の人間も同様、自己回復機能、すなわち、自己浄化機能が備わっているわけでして、その個々の機能と全体としての機能(根っこの域)が共同してネットワーク上になっていて、それがウイルスや細菌の助けを借りて個人の浄化作用が共通、同時多発的に起こる・・・それが世界的とか広域的な伝染病、感染症となって見えるのではないかと。

    だから、昔あった伝染病がいま無くなったのは、その時期の人類のエネルギー域にあったような対策で起こるわけで、そこに登場したウイルスや細菌が再登場しなくなるのは、個人の麻疹のように、全体としての免疫機能が行われているのではないかと思われます。

    個々の人間で言えば、麻疹などのように古い遺伝的毒素(先代からの引き継ぎ)を浄化してきれいにする働きで、これは一度かかれば生涯免疫となるわけで、その負のエネルギーが解消した為とみればよいわけです。

    だが、産まれてからも色々な毒素が日々入りますから、それらを軽い状態(エネルギー的に低い)で片付けてしまおうというのが風邪(インフルエンザも同質)なのですが、それを悪くとって止めたり、余計な毒(治せないのにあるという風邪薬)を入れるため、次第に負のエネルギーが増えてしまうわけです。

    そして、いつかそれをまた解消しなければならなくなります。そのような時に人類は共通している土壌がありますから、表層にある個人が同時多発的に風邪症状として浄化するわけです。

    だから、風邪が流行すればインフルエンザと呼んでいかにも横から横にうつる(感染)するように見えますが、じつは医学上でその「水平感染」を証明出来ないでいるそうですから、単純に人から人へ感染するのでは無く、見えない共通する領域で繋がっているため、モグラ叩きの穴ではありませんが、表面のにんげんにあちこちと同時に顔を出すのかもしれません。

    医学は唯物科学が土台ですから、見えない非物質領域など無いとして、あくまで水平感染としているのでしょう。だが、それを証明出来ていない、つまり推測の域なのです。

    医学が本当の科学で無い「推測」「仮説」なのなら、こちらも同様なのでして、非科学的と言われても「医学と同じですよ」と答えるしかありません(笑い

     

    病気は不調和の状態を元に戻すきっかけでもあり実効でもあるわけでしょうから、病気は悪では無く、本質は善なのですね。だが、借金と似ていて「返すのは辛い」わけで、あまりにも借りすぎたときは家ごと破産になってしまい、リセットされる場合もありますね。

    しかし人間の場合リセット(この場合、死だが)されても、人は肉体が本体では無い意識体、エネルギー的には不滅なので、このリセットは決して失敗でも悪でも無い、次の肉体に転生した場合はその負のエネルギーが解消されているわけで自由度が高くなると思うのです。

    病気という悪い状態に見えるものを忌み嫌うのは当然としても、これはいつかどこかで借金しているものを自然が返すために起こす浄化作用と考えれば納得するしかありません。

    その借金返しを嫌だと言って人類が長い間、病気を止めようして色々な毒物を応用してきたのが薬で、それを学問にしたのが薬理学でしょう。

    しかし、最近ではその薬理学の専門家が「薬は病を治す力を持ち合わせておりません」とハッキリと言う時代になりました。「治すのは自分自身の力」だとも。

    その自分自身の治す力が「浄化力」なのですが、これも都合の良いように考えてしまい、「病気になったら働く機能」だとしか認めないと本質が分からなくなりますね。

    本当は「病気になる機能」も含まれているわけでして。
    つまり、負の状態、不調和の状態にあるとき、発動するので表面的に言えば「病気になる」という状態です。
    もちろん、何も無い状態では病気になりたくてもなれないのですが、その病気なれる状態にある場合は自分自身の治癒力が働いて病気を引き起こすわけです。

    その過程が苦痛症状であり、峠を越えれば前より調和の状態にもどるわけです。

    それを自然治癒力と言うのですが、たいていは病気になった後の方だけを指して言うようですから、これだと病気は悪だという思想が残っているのでしょうね。

    もっとも、病気になるほど体内が不調和になっているのですから、見方によっては悪い状態にあるわけですね。

    その浄化作用に自然界の助っ人(あまり有り難がられない存在)としてウイルスや細菌が存在しているわけです。

    体内の要らないものを分解して排泄するという浄化作用の手助けですから、急速に行われる大掃除のようなモノで、それはかなりキツイことも人によってはあり得るので、やはり人間のエゴ意識としては嫌なわけです。

    人間の浄化作用としては感染系で無いモノも多数ありますが、なかでもガンなどは究極の浄化装置として働いているのでしょうね。医学者が不思議がっている「感染症にかかっている患者にガンが少ない」という話をきくと、浄化作用の形態が異なっていても、浄化の本質は体内の毒素排除ですから、箒で掃く掃除か電気掃除機で吸い取る掃除かの違いはあっても掃除には違いありません。

    ただ、ガンは排毒が困難になったような状態に働くのかも知れません。

    つまり、体外に出せなくなったときは仕方なく次善の策としていったん体内の局部に集めてできるだけ全体を長持ちされるというような。

    それは畑の野菜が病気や虫食いに合う場合も似ているかも知れませんが、全体を護るために一部、もしくはほぼ半分近くもやられてしまうという、そこで残った作物に次世代を担って貰うのかも知れません。

     

    人間は野菜じゃありませんが、全体としての人類を存続するために一気に浄化を行う自然の働きが広域、世界的な伝染病を引き起こしているじゃ無いかとボクは仮説します。はい。

    地球上は人間によってかなり汚染されているようですが、その地上に住む人間が汚染されているのは当然ですから、個々に浄化装置が備わっているのでそれぞれの病気として現れるのは「浄化の過程」なのです。

    有難くもあり有難くも無い

    というのは本質的には絶対的善である浄化作用なのですが、表層意識(自我意識)としては耐えられないほどの苦痛と、「本質を知らぬがゆえの」不安と恐怖で、病を忌み嫌うわけです。

    「感染するにはわけがある」という意味は納得できたとしても、それが実際に我が身に迫ったり起こったりすると自我意識が即発動してもがくわけです。

    そのもがきが役に立たない、どころかむしろ蟻地獄に陥ってジタバタ騒ぐように、もっと不都合な状態になってしまうのです。

    それをずっと続けてきたのがコンニチまでの世界の主要な医療だったわけですが、気がついた医師も増えてきたようで浄化作用を妨げないで、出来るだけ手助けするような医療にシフトし始めているようです。

    だが、多数が真実だとする世界ではまだまだ少数派ですが、これから起こる自然界の浄化作用のうち、人間が感染症、伝染病と呼ばれているような病気が大流行して、ようやく気がつくのでしょう・・・か?

     

     ここで珍説は終わります。

    え? 沈説

      チ~~~~ン♪   擬音小者の鐘の音

     

     

     


    0 0

     

     

     

    松本英聖著 「医学と生命」 第一部
    より

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    松本英聖著 「医学と生命」 第一部

     

     37P
        第四章、 病は神罰か、浄罪か

      「ガレノスとアヴィセンナ《中世アラビア医学の泰斗(九八〇~一○三七)・『医学正典』を著わす》、この二人が真実の医学をねじ曲げ、我々を千年以上も騙し続けて来た諸悪の根源である!」
      パラケルススはこうアジると、真っ赤に燃える焚き火の中に 『医学正典』を投げ込んだ。
     呆っ気にとられる聴衆を尻目に、彼はさらに続けた。 「病は神罰ではなく、神の浄罪である!」
     一五二七年、聖ヨハネ祭の日(六月二四日)、弱冠三十三才の若さでバーゼル大学教授に迎えられたパラケルススが、市の広場で学生たちを前に就任演説をした時のことだ。この激しいアジ演説は学生たちを魅了し、熱狂的な興奮を引き起こした。


     それもその筈、それまで支配していた中世スコラ医学では病気は神罰であると説かれ、またローマ医学(ガレノス医学)では、病気は悪魔の所業と考えられていた。それが正反対の〝神の恵み″であり、〝浄罪″であると言い切ったのだから、まさに医学革命である


    奇しくもその十年前(一五一七年)、マルチン・ルーテルは、法王庁が発行する〝免罪符″に激しく抗議し、宗教革命の口火を切った。〝医学革命〃と〝宗教革命″の同時進行である。
     なお一般の医史によると、ヴェサリウスは実際に人体解剖を行なってガレノスの解剖学上の誤りを指摘し(一五三七年)、それから九一年目(一六二八年)にハーベイが血液循環論を公表するに及んで、ガレノス医学の虚構性が明白となって幕を閉じた、と書かれている。無論その通りであるが、しかしこれは、基礎医学(解剖・生理学)だけの話であって、ガレノスが打ち立てた臨床医学観(攻撃的医療)、およびその根底にある疾病観(病は悪化作用)は微動だにせず、現代医学(臨床医学)に脈々として受け継がれ、今なお生き続けているのだ。
     ところがパラケルススは、ガレノス医学の根木的誤謬である《疾病観の誤り》を見破り、徹底的に非難したのである。

     

     


    38P
        医学の革命児--パラケルスス

     パラケルススは、ゲーテの名作『ファウスト』のモデルとなった革命児で、一四九三年スイスに生まれ、激動する近世ヨーロッパの最中を「医学革命」の情熱を燃やして孤軍奮闘、生涯を独身で通し、流浪の旅先において四七歳の若さで波瀾万丈の人生を閉じた。


     彼は執烈なクリスチャンであったが、教会の権威を一切認めず、信仰の基盤を「内なる神」に置き、貧者や清貧を旨とする人々に「愛の医術」を実践すると共に、幾度も断食修行を行なうなど「貧者の医学」に徹した。

     彼はヒポクラテス以降の古典医学、民間療法、錬金鐵占星術など凡ゆる学問に通曉し、ヒポクラテスを高く評価すると共に、ガレノス医学の虚偽性を激しく非難した。そして彼は、ヒポクラテスの『自然順応』医学に止どまらず、それを越えてクリスチャンとして「神の医学」へと高めた。

     


     では、彼の考え方はヒポクラテスと、何処がどう違うのだろうか。


     まず彼は、病因をーー①天体因(占星学的要因)、②毒因(食毒など)、③自然因(環境条件)、④精神因(ストレス)、⑤神因ーーの五つに分ける。

    そして①~④はヒポクラテスの自然順応医学で間に合うが、⑤番目の神因は、神の直接の意志によるものであるからヒポクラテス医学では及ばない。

    即ち「自然のままに」ではなく、「御心のままに」という信仰の中に道を求めねばならず、ここに異教徒であるヒポクラテスの限界がある、というわけだ。


     彼の論理は、自然=神と考える汎神論的世界観から見ると奇異に思えるが、彼はクリスチャン(一神教)であり、そこでの世界観は神(創造主)と自然(被創造物)とは峻別されるからだ。 従って、彼が言う神の意志とは、キリスト教神観における神の「創造と予定(終末)」を意味するわけで、つまり個体的には「誕生と死」であり、人類的には「歴史の終末」である。仏教的に言えば「生病老死」の四諦と法滅観(仏教の終末観)と見ることが出来よう。


     要するにパラケルススは、生命を《誕生と死》によって規定される時間的存在として把握すると共に、この形而上的命題を医学の原点として真っ正面から取り上げ、クリスチャンとして「神の医学」を建設したのである。
     まさに「生命の質」の問題であり、ここにパラケルスス医学の卓越性と現代的意義を見出ださねばなるまい。


     そして彼は、キリスト教的死生観に立って「病は神の浄罪なり」という揺るぎない疾病観に到達したのである。


    39P
         浄罪と浄化

     ところでーー、パラケルススが到達した「神の浄罪」と、ヒポクラテスが説く「自然の浄花作用」とは、どこが違うのであろうか。


     結論的に言えば、ヒポクラテスのカタルシスは心身の生理的浄化作用であるが、

    パラケルススの浄罪は心身の浄化とそれに伴なう高次元の霊的浄化(魂の浄化と霊性の向上)を意味する。



     因みに、カタルシスとはギリシャ語の下痢のことで、体内の不浄物を排泄する浄化作用を意味するが、後のアリストテレスはこれを拡張して、悲劇的作品などを観て涙することも「心の浄化」と呼んだ。

     


     つまリギリシャ的カタルシスとは心身両面における生理的浄化作用(生理現象)であり、これによって心身が浄化され健康が回復するから、この自然回復力をヒポクラテスは「病は自然が癒す」と喝破したのである。無論、それなりに正しい認識であるが、この場合のカタルシスは病者を元の健康体に尿すだけの働きであって、病の原因である人間の反自然生活を正す働きではない。

    従って、喉元過ぎれば何とやらで、健康が回復すれば、再び元の反自然生活に戻って同じ過ちを繰り返すことになる。これでは元の木阿弥であり、人は永遠に病から解放されない。まさに賽の河原の無間地獄だ。


     パラケルススの慧眼はここに気付いた。


     彼は、カタルシスによって健康が回復するということは、単に元の身体に戻るだけでなく、カタルシスという苦しい体験を通して、霊性が甦り、以前よりも霊的に向上した人間へとスパイラル的に回帰することである、と説いた。


     従って、病気とは神に背いた人間の無軌道な罪(反自然生活)を浄めるための「神の浄罪」であり、同時にそれは、人間の魂(霊性)をより高い次元に向上させるためのチャンスでもあるから、まさに『神の恩寵』なのである。仏教的には大慈大悲の働きと言えよう。


     即ち、この神意に目醒める時、人は自ずから神に感謝の祈りを捧げ、愛と報恩の生活を実践することによって、より人間性が高まり再び過ちを繰り返さないであろう。

    要するに単なる神頼みではなく、霊性の向上に向けて精進することが重要であって、ここに人間の尊厳と人生の意義がある。
    41P

     


      また、この神意を伝え導くことが医師の使命であるが、しかし医師自身は非力であって。「病は神が癒す」ことを悟らねばならない。何故ならば「生と死」は神の御心にあるからだ。


     かくして、彼は「内なる神」に導かれて「神の医学」を確信した。この確信は「神=自然」と観る汎神論的世界観においても共有し得る医学観であり、筆者はこの医学観こそ人を病から解放する真の医学であると信じて疑わない。

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    さすが松本英聖先生は文章が高潔であり深い味わいがありますねえ。

     

    病気とは単なる肉体の浄化作用では無いというのでしょうかねえ?

    つまり、病気という体験を通して自分自身を知る。

    その自分自身とは数パーセントしかない自我意識でも無いし、潜在意識でもない。

    それは神に通じる神意識の自分なのだと言う

    単なる個人肉体の浄化作用で終わったらそれはまだまだ中途はんぱ

    病を通して「内なる神」を知るという絶好の機会なのだ。

    すると、病気になった人は凄い、そのきっかけを得たわけだ

    が・・・それも知らずにもがくと

    もっともがきが・・・

     

     

     

     

     

     

    それに比べて・・・akyoon氏の文は

    う、うるさい!

    (え、まだ何も言ってないよ)

     

    ただ、阿修羅掲示板で褒められたことはある♪

    「あんたの文章は小学生並みだ」と。

     

    フンフン♪ そらそうだ。

    ボクは小学生にも分かる様に「あえて」書いているからだ。

     

    「なんだかよう分からんね・・・」  (小学生談)

     

     


    0 0

     

    以前にも紹介したと思いますが・・

    これだけ素晴らしい病気観をもっていたパラ蹴る煤、じゃない、化学療法の父--パラケルスス 

    が水銀という毒物を使った(夜の時代だからよく効いたと思う)

    その効果のため、肝心の病気観は忘れられ、実効(対症療法に過ぎないのだが)効果にのみ注目されたため、化学療法の父と後世に崇められたという。

    だが。あちらにいるパラ蹴る煤、じゃないって! パラケルススは憂鬱(ゆううつ)だという・・・・(ってボクが勝手に思い込んでいるだけだが)

    そりゃそうだろう。 
    対症療法の浄化作用停止の水銀など使ってシマッタのだからね。それは「アンタのせいじゃな」とボクは声援を贈っておこう。 え?

     

     

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

     

     41P
        浄罪に逆らう医学

     パラケルススは神の浄罪力と医学との関係について次のような極めて注目すべき見解を著書『奇蹟の医書』(大槻真一郎・明治薬大名誉教授訳)(工作舎)で述べているので、同書から引用させて頂く。 

     「あなた方が知って置かねばならないことがある。それは、ヒポクラテスやラージス(アラビア医学の泰斗)やガレノス(ローマ医学)などの時代に医術がうまくいったのは、浄罪力が小さかったからだ。しかし今日では、悪が絶えず増大しているために、浄罪力が強まり、彼らの医学は通用しなくなってしまった。だから、今ほど悪い医者が多い時代はかってなかった。それと言うのも、今は浄罪力があまりにも強く、どんな医者でもその力に逆らうことは出来なくなっているからである」

     要するに、病気の原因は人間の罪(反自然生活)であるから、それを改めない限り、ますます浄罪力は強まるということ。しかも、そこに気付かず、医学で治そうとすることは、罪の上塗りをすることであって、つまり、医学は人を救うどころか、反対に病気の原因を助長することになるわけ。ここに「神なき医学」の悲劇と恐ろしさがあることに気付かねばなるまい。

     昨今のエイズ、MRSA(耐性菌)、輸血によるB型肝炎、人喰いバクテリア等々は、そのことを雄弁に物語っているが、パラケルススは五百年前にこうした時代が来ることを予見していたわけで、ここに彼の偉大さがあると言えよう。

     だが、医学は彼の警告を無視して、神の浄罪力に立ち向い、益々攻撃的医療をエスカレー卜して今日に至るのだ。

     神意に背いてひた走る「神なき医学」ーー、まさに歴史の悲劇と言わざるを得ないが、これも人知では計り知れない神のプログラムであろう。
     それと言うのは、皮向なことに、現代の強力無比な化学療法への道筋が、実はパラケルスス自身の手によって期せずして導かれたからである。



    42P
       化学療法の父--パラケルスス 

     「神の医学」を実践したパラケルススは、意外にも現在の医学史では「化学療法の父」と呼ばれている。この問題は避けて通ることが出来ないので簡単に紹介しておこう。

     さて、パラケルススは当時の占星術や錬金術をマスターしたが、それに止どまらずそれらを超える独創的な理論を構築して医学に取り入れた。
     例えば、古代天文学(占星術)ではマクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(人体)を相似象(人体は大宇宙のミニチュア)として捉えているが(中国の陰陽五行説も同じ)、クリスチャンである彼は、「神は両者を〝双子の宇宙″して創造した」と述べている。つまり彼は「大宇宙=人体」と捉え、自己の中に「内なる大宇宙」(霊的実在)を自覚していたので、例えば占星術が説くように「外なる星」によって人体が支配されるのではなく、人体は「内なる神」の調和である、考えたのである。
     また当時の錬金術が金を造り出すことだけに血道を上げていることに対して、拝金主義に毒された邪道であると非難すると共に、「内なる錬金術師」という前代未聞の着想によって人体の生理を説明した。実はこの考え方は、インド医学(アーユル・ヴェーダ)のアグニ(今日の消化酵素に当る)という考え方にそっくりであるから、恐らく彼はインド医学を学んでいたのであろう。
     彼は、この「内なる錬金術師」の働きを正常化することが錬金術の使命であると考え、鉱物質を積極的に医学に活用することを考えた。まさに東洋古来の錬丹術の考え方である。なお、丹とは自然水銀(辰砂=硫化水銀)のことで、赤色(朱色)をしている。これが不老長寿の神仙思想と結びついて東洋では錬丹術となった。
     当時の錬金術では水銀と硫黄が中心であったが、彼はこれに塩を加え、この三者の三位一体的な調和を整えることによって「内なる錬金術師」の働きを正常化することが出来ると考え、この着想から当時ヨーロッパ中に蔓延していた梅毒疹に対する水銀療法(水銀硬膏)を創始して、劇的効果を上げたのである。

     しかし、この劇的効果が仇となって、彼の予期せざる方向へ医学を導くことになった。彼が残した錬金術に関する著書『アルキドクシス』を読んだ後の医師達は、故意か過失か知らないが「神の医学」や「内なる錬金術師」という考え方は全ぐ理解されず、専ら水銀療法の一時的な即効のみに幻惑されて、より強力な化学薬剤を求めて走り出した。

     かくして近代化学療法への道が開かれ、彼は、一般医史において「化学療法の父」と呼ばれることになった。が、生前の彼であれば、恐らくこの呼称を直ちに峻拒したであろうが、歴史の歯車は彼の願いとは逆に「神なき医学」を目指して独走し始めたのである。

     その結果、人々はやがて恐るべき薬毒の虜にされるのだが、その運命の転機はパラケルススの水銀療法に始まるわけで、人々は医療が一時的にせよ効秦する限り、人々は神を忘れがちになるという教訓である。しかし、ひとたび医療不信に陥ると、手掌(てのひら)を返すように神の救いを求め、それに縋ろうとする。まさに困った時の神頼みであるが、千年の長きに亘って中世ヨーロッパを支配した僧院医学がその典型と言えよう。


     ともあれ、ガレノスの誤った疾病観と、それから導かれる虚構の医療観を持ち続ける限り、人は病から解放されず、揚げ句の果ては、神仏さえも、病気治しの手段となることは、今も昔も変わりはない。


    その根底にある考え方は、他人任せで主体性のない医療観が支配するためであって、〝物(医薬)に頼るか、神仏(偶像)に縋るか″という点が違うだけ。所詮は同床異夢に過ぎない。


    かくして、人は医学と宗教との間を、彷徨いながら破滅に向かって驀進する。
    人盛んにして天に勝ち、天定まって人に勝つーー

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     緑色の部分は重要ですね。

    薬に任せる。医者に任せる。
    他の療法に任せる(民間療法等)

    これが「任せる」=「丸投げ」にするということでは同質だと言っているようです。

    これについては「浄霊法」も同じ事。

    これさえやれば後は・・・となると、効かないときは、また他に丸投げする・・・
    まったく逆の方法(固めるか、溶かすか)の違いはあっても、丸投げはいけません。

    どれをやるにしても、主役は自分自身なのだということ。

     

     

    岡田茂吉の医学論の土台にあるのが薬毒論と浄化作用論ですが、

    その土台にあるのが「夜昼転換論」なのですね。

    難しいことは抜きにして、エネルギー状態が固結か融解かという働きが背景にあるという。
    (もっと分からない?)

     

    今までは夜の時代だから薬(毒)の固める作用がよく効いたというのだ。

    ちなみに現在は昼への転換期にあるという。

    それは昔はよく効いた薬が今後は逆転してくると言うのだ。

    それは薬の本質、先祖返りのようなものか・・・毒の性質がよく顕れて来るというのだ。

    だから、昔は単純にある主の毒を用いてもよく効いたし、長持ちしたというのが夜の時代という背景があったから。

    近代で言えばステロイド剤とかね、劇的に効いたわけ。
    魔法の弾丸、抗生物質とか。

    いずれも初期は劇的効果を上げていたが、段々と効果が薄れると同時にその薬の本質である毒性が顕れやすくなってきた。

    これも昼の時代にサイクルが替わって来たからと。

    そして、夜の影響より昼の方が影響力が増すと、すべての薬が同様になってくるというのが骨子。

    そのよい例が抗生物質が効かない超耐性菌の出現。

     

    インフルエンザが大流行するというのも、浄化作用の形が集団化するということです。

    それは体内に浄化の原料があるためであって、必要なければウイルスなど活躍もできないのです。それは細菌も同様、エサが無ければ繁殖できないわけです。

    病源をいつまでも外から侵入するウイルスや細菌だとしている医学は今後も感染症に振り回され続けるでしょう。

    もう80,90年前から言われたことを繰り返しているだけなんですけどねえ。

    風邪(インフルエンザも同じ)は万病を防ぐ元。

    罹るときには罹るがよかろう。

    ただし、余計な邪魔をしないこと(浄化作用の停止=下熱剤や咳止め薬などの薬毒)

     

     

     




    0 0

    「ま~い~にち、ま~い~にち、ぼくらは~てっぱんの~~♪」

    あのたい焼き君が唄っていたけど、

    それに負けないでがんばっているのが「ま~~いとし~、ま~い~とし、ぼくらは~~いんふる~~の~~♪」

    そう、恒例の日本の夏、緊張ル じゃないか?

    恒例のインフルエンザ大流行という、ニッポンの冬。

    さて、治療薬は一切無いというのは医学常識なのに、やっぱり飲む、今日も飲む「ばあさん、一本♪」 「また~~~?自分でやりなさい!」

    しぶしぶと自分で一本、いや2本も・・・

    「アンタ!どうしてガマンデキナイノ!」

    だって、苦しいの・・・・・ガマンできないの・・・・ひとさまも飲んでいるしぃ~~・・・・

     

    そう言い分けする前にこれ読みなさい!

    なに、それ?

    akyooon氏が集めておいてくれた悶よ。

     

    あ、それいらない!

     

    当ブログのトップにある検索窓で「インフルエンザ」と入れて見てくださいね。

    え、嫌、めんどくさい?

     

    それじゃあこれでどうだ!?

     

    わたしはインフルエンザ・ワクチンやタミフルを飲みません(薬剤師 ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/e1077024fa4722840944128cf4085ceb 2010年12月25日 ... 薬剤師さんは知っている。 インフルエンザ・ワクチンやタミフルの正体を。 阿修羅掲示板 より転載. 「WHO、インフルエンザはワクチンで予防不可と結論」という記事 - わたし ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/3fda52b18121278ddaf54da283906fd6 2015年1月27日 ... いま我がニッポン国ではインフルエンザが大流行らしい。 らしい・・・というのは、世間に 関わらないでどうにか生きているボクだからサッパリ事情が見えないという事でして。 インターネットでの事情徴収しか手立てが無いからだ。 風邪の流行 == ... インフルエンザ・ワクチンは国民の為に?いやワクチンメーカーや医師たち ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/159adfcc7b8ee07023fdda2ced7dc5d7 2009年9月7日 ... 「インフルエンザワクチンは打たないで」 より ーーーーーーーーーー以下引用 ーーーーーーー …・医師も、研究者も、マスコミ も、 しっかりしてほしい それほどまでし て インフル工ンザーワクチンの 製造量を増やしたいわけ 前章では、小中学生 ... 間違いだらけのインフルエンザ治療~知識不足の医師たち ? - わたしん ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/11d351f0e1d33c35454510b7014380aa 2013年7月18日 ... 医師がネット上に公開しているインフルエンザの治療方法や、解熱剤の禁忌に関する 多くの記述が間違いだらけだ。 事例として ... インフルエンザ 治療のガイドラインや 解熱剤の作用機序を理解しない医師や薬剤師が多いようだ。(ガイドライン ... 風邪は唯一の浄化法(インフルエンザの原理を解明) - わたしんちの医学 ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/30fa81e013224aaf8829455702700e96 2009年5月28日 ... インフルエンザは風邪です。 風邪症候群の一種に過ぎないものをウイルスの違いとか 抗体とかの関係でわざわざ難しくしてしまった現代医学のおかしさが見えてきたのが 最近の新型インフルエンザ騒動でした。 これは針小棒大のごとく、心象 ... インフルエンザの真実を語ると損をする? - わたしんちの医学革命と雑多 ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/ca78168ca013195b6f90ba7884c366f1 2008年3月8日 ... ここにも現役のプロが本当に真剣に患者さん側に立ってのエビデンス(科学的証拠)を元 にインフルエンザの真実を述べられ ... インフルエンザがこわい」と宣伝されるときに、 必ずひきあいに出されるもののひとつに 「インフルエンザ脳炎・脳症」 仕組まれた!? インフルエンザワクチンとタミフルの謎とき - わたしんちの ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/deb87bb624dbb276cc71f8b29e2ec25a 2008年3月12日 ... 製薬企業と厚生官僚と医学界の故意の計画でインフルエンザ予防接種とかタミフルの 使用とか調べるとどんどん出てくるでしょうが、そういう関係者はごく少数なのですから、 やはりマスコミ関係者が大きな責任を負わなければならないかも知れ ... 風邪の原理を知ればインフルエンザ恐怖症は消滅しちゃうんだ! - わたし ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/ce4045c2206c8904e13ae6cf525cf70a 2008年12月23日 ... 流行性感冒が流行するというおかしな表現ですね。インフルエンザは風邪なのです。 特殊な風邪などないのですが、インフルエンザと称して特殊に考えている医学は風邪の 原理を知らないのですから無理もないわけです。 ただ単にそこに現れ... 現代医学教が新型インフルエンザ騒動を創造したわけ - わたしんちの医学 ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/36ef9a543a90a0f87cd1d63a26757e9c 2009年10月28日 ... 人体は浄化装置 読み上げサービス インフルエンザは風邪なのだよ。 という話しを前提 しないと今の騒動は理解できない。 ウイルスの形にだけこだわっているから本質が見え てこない現代医学。 その信奉者の集まりがWHOをはじめとする各国 ... インフルエンザ治療薬 タミフルと医師の見解とhima語録4 - わたしんちの ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/72f515a3e6b4eed2bb28a252ca1ee02b 2005年12月15日 ... 乳児におけるインフルエンザ脳症は安全性が確立されていないもののステロイドとともに タミフルを使ったほうがよいという指針が厚労省研究班から出されています。 乳幼児にも 安全に使用できるかは世界的に有用な情報になるでしょう。 ーーー ...   嘘には目的があるーー二酸化炭素説、鳥インフルエンザ等々 - わたしん ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/7605e9de56467b6eebcd2c49f2685d12 2008年7月26日 ... ま、こういう嘘は20世紀までは必要悪としてはびこってきたのだから、そのままうまく行く だろうって思っているのかどうか知らないが、それにしてもこうも良く引っかかってしまっ た、二酸化炭素説、それと鳥インフルエンザワクチン。 しかし、嘘も ... 予防接種が免疫低下を招く理由(抗体=免疫という嘘) - わたしんちの ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/55723c4714a5411edee37a6ba879e9de 2011年1月25日 ... 外から入ってきたインフルエンザウイルスに対抗して免疫が頑張っているところに、 ワクチンで血液中にも毒をいれてしまうと、中に対する免疫と、外からの方への免疫と 両方にエネルギーを向けなければならなくなり、体が対応しきれなくなって、 ... 予防接種の真実とは{学問的根拠無しで何十年も - わたしんちの医学 ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/ecd7ff6d19cc9f729f08431e9cd4cfc4 2015年9月15日 ... なんどもこの手の話は紹介したので、ヘキエキしているが・・ 難渋年経っても改めようと しないアンタの飲酒癖(あ、ワシのことか!) ほんと、節酒に努めてくださいよ・・・. ところで. 学問的根拠も無いのに、やっているインフルエンザ・予防接種. ウイルスは宇宙からやって来るというが・・ - わたしんちの医学革命と雑多 ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/3d4f608595e4bf6dca1cb4b4ad46c8fd 2012年9月27日 ... 1990年代になって、その時のスペイン風邪のインフルエンザの世界での拡がり方 について入手可能なすべての記録を調べたルイ・ヴァインスタイン博士という科学者が いるのですが、ヴァインスタイン博士が調査の途中で、下のようなコメントを ... これさえ理解できれば「一切のワクチ予防接種は不必要」? - わたしん ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/a0f4299d19c63c9b61fe0ec83d68d040 2014年11月25日 ... 今回は二人の人物を取り上げて新型インフルエンザを考えてみたいと思います。 以前、 日本における独創的 .... 厚生労働省はインフルエンザの予防のために、インフルエンザ ワクチンの予防接種を推奨しています。 それは「予防接種を受け ... マッソン秘密結社の役割の重要項目のひとつ 医学によって人類を弱体化 ... blog.goo.ne.jp/akyoon/e/35968333c3f7b49ced31e8b04ce3125b 2010年1月18日 ... マッソン秘密結社 今で言えばイルミナティーとかフリーメーソンなんて言うのかな? 石屋 組合、日本では医師屋組合なんていうブラックジョークもあるそうですが。インフルエンザ 騒動は今に始まったわけではないようです。昔もそのときは「新型 ...

    0 0

     松本英聖著  「医学と生命」
       1994年刊
    より

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    45P
          第五章、 食毒から薬毒へ

       文明開化は梅毒と共に


     パラケルススが中世僧院医学を激しく攻撃し「神の医学」を説いていた頃、ヨーロッパではライに代わって新しい病気の洗礼に見舞われていた。
     コロンブスが新大陸を発見(一四九三年)した土産として、原住民の風土病であった梅毒を持ち込んだからだ。
     このセックスを媒介とする新しいタイプの感染症は、華やかなルネッサンスの春風に乗って、あっという間にヨーロッパを席捲し、花のパリでは市民の二人に一人は梅毒だったと伝えられている。
     その伝播速度はすさまじく、五年後にインド、九年目にはバスコダ・ガマの一行によって中国経由で、日本に運び込まれた。              
     〝シビリゼーション・イズ・シフィリゼーション″(文明化は梅毒化なり)という警句があるが、ルネッサンスによる性のタブーの解禁は思わぬシッペ返しを喰うのだ。
     だがこれは、大航海時代という白人によるグローバルな富の収奪と食生活の拡大がもたらした反自然的生活(それに伴なう体内汚染)に対応した、種族保存のための自然の浄化作用に外ならない。
     こうした状況の中で医学者達は、先程述べたようにパラケルススが残した化学療法の効果に魅了されて、次々と新薬づくりに挑戦した。薬毒時代の開幕を告げる序曲である。
     そして今世紀の初頭(一九〇八年)、エールリッヒが日本の秦佐八郎博士を助手に、梅毒の新薬として砒素を含むサルバルサン(謂わゆる六〇六号)の合成に成功し、その功績でノーベル賞を受けた時、本格的な薬毒(人工合成薬)時代が開幕、これまでの天然薬(生薬時代)から化学薬時代へと大きくステップした。

     このように、ヨーロッパ諸国は食毒時代から薬毒時代へと、ルネッサンス(大航海時代)を転機に大きぐ転換したが、それと共に浄化作用もまたパラケルルススが見抜いていたように、益々強力化して行った。人智のエスカレートに対応する自然のバランス回復力の現われである。



    46P
        イギリスのヒポクラテス

     十七世紀以降、医学界を上げて新しい薬物を求めて狂奔している最中、〝イギリスのヒポクラテス″と呼ばれるシデナムは生体の自然回復力(浄化作用)に絶対の信頼を置く医療観に徹した。彼はこう述べている。


     「病原となるものが、例えどんなに有害なものであっても、その病原を払いのけて、患者を回復させるのは、力強い自然回復力以上のものはない」


     「生体の浄化作用でもっとも強力な武器は〝熱〟であり、それはあらゆる毒素を排除する働きである。例えばマラリヤの熱は、マラリヤが身体を攻撃しているのではなく、身体がマラリヤを排除している姿である」。

     そして彼は、こう付け加える。「医師は、患者の病状(浄化作用)が何を物語っているか、それをよく見極め、その依ってくる真因(反自然的生居要因)を探求し、その対策を立てることだ」と。 まさしく、ヒポクラテス医学の考え方そのものである。が、シデナムの願いは当時の医師達から無視された。

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    現代医学(西洋医学の一派に過ぎない)が対症療法オンリィワンとなると、それは原因などどうでもいいわけね。

    だって結果を追いかけるおっかけに過ぎないから。

    道理で「原因不明な病気です」と言われた人が多いわけだ菜。

    しかし原因が解らないに、なぜ薬を使うの?

    だれも不思議がらない。

    だって、原因が解らないであなた起こっている現象を解決できる?
    それはどんな仕事でも言われるでしょ。

     

    親方「おまえなあ~~~どうしてこうなったのか分からんくせに、どうしてそれを直すんじゃ!」

    丁稚「だって~~何かしないと~、やってみて当たればラッキー♪」

    親方「じゃあ、外れたらどうするんじゃ。、品物は一つしかないんだぞ!」

    丁稚「たいてい大丈夫ですよ~。だってこの品物、けっこう丈夫ですから~~♪」

     品物ーーーー人間?

     

     

     

    発熱は治癒の第一歩である。

    とすれば、熱の出ないガンが難病になっているわけか・・・

    感染症にかかった患者はなぜかガンにかかりにくい・・・・医学情報より

    そりゃ、そうかもね。

    だって全体としての人間の浄化作用は場所や患部が異なっていたとしても、浄化作用としてはひとくくりだもんね

    拡げれば800巻、まとめれば1巻  お経のようにね。まあ、仏教で言えば般若心経でひとくくりか?

    病気もまとめると浄化作用。

    そこに熱が出るのが一般的な病状(浄化)、その中に感染症も含まれるというあんばい。
    インフルエンザ(風邪の流行に過ぎないが)だって、熱が出るでしょ?

    高熱出して毒素が排泄されるわけ。

    そして、うまい具合にウイルスも高熱が出始めると退散(役目が終わる)するというから、ほんとうに自然はうまく創られている。

    だが、ガンは熱が出ないという。

    そりゃ、究極の浄化の形なんでしょうかねえ。

    熱が出ないから、外へなかなか出ない・・・・そこで、温熱療法などが出てきたのか。

     

    感染症にかかると高熱が出て体内の毒素が出やすくなる。そのきっかけを作ってくれるウイルス様に感謝!

    そして感染症等にかかって高熱出して毒素が出ると、残りが少なくなったひとはガンにもなりにくい。

    そりゃそうだわ、毒素が減ったお陰。感染症ばんざい!

    むかし、「風邪をひくとガンになりにくい」という話がありましたね。ただし、ちゃんと出た熱は止めないで何も薬など用いない場合。そのとき薬など使っていたらどんどん借金(毒素)が増えるだけだもんね。

    こうなったら積極的にインフルエンザに感染しましょう♪

     

    だが、水平感染が証明出来ないでいるというインフルエンザらしいぞ。

    そう簡単に感染しない人はどうしたらいいの?

    そら、まだ罹らないでもイイひとだということさ。だから周りがクシャンクシャンとなっていても平気な奴いるでしょ?

    はは~~~

    はは、ハックション!

     

     

     


    0 0

    ひとは目に見えないものに恐怖する

    それを利用して、脅かしまくるのはやめろよ!WHO

     

    ぽぽぽ~~ん♪  (好況広告機構です)  突然ですがこちら音声読み上げします。

    これさえ理解できれば「一切のワクチ予防接種は不必要」と解る!?

     

     

    あの新型インフルエンザ大パンデミック狂想曲を奏でたのは忘れたのか~?
    チャンちゃんよ。

    また今度は「君たちは無知だかねえ♪ 」と、マスコミを使ってどんどん怖がらせる。

    そしていつか・・・・

    「コンナンノ、デキマシタァ~~♪」

    とシンガタワクチン新発売!

     

    いい加減にひっかるのやめろよ。

    だます側もだまされているのかもしれないけどね。
    それに輪をかけてだまされる大衆(お客さん)にもの申す。

     

    ここで、またおさらい(ドブじゃないぞ)

     

    なぜウイルスや細菌が病源として働くのか?

     

    畑で言えば、土壌中の汚染(腐敗状態)

    人間で言えば、体内の汚染(毒素の多い状態)

    社会で言えば、社会の悪(悪思想の多い状態)

    それを是正するために虫がわいて、喰ってくれる(要らないものをかたづけてくれる)

     

     

    そこで、その虫を殺そうと人間は考えたわけですね。

    虫さえ殺せば、作物も人間も助かる・・・と。

    それが大成功したわけです。  一時的だったが。

    その結果として、殺虫剤耐性の強い虫の発生とか、人間の方が抗生物質が効かないスーパーバグの登場。

    それが世界的に拡大されて昨年あの(製薬企業べったりのww)WHOでさえも! 警告し始めたわけです。(そんな警告は世界中で50年も前から言われていた。いや、抗生物質登場の時から言われていたことだが)

    しかし、細菌はともかくとしてです。

    上には上があったわけですね。

    それが世界最強の存在(人間が絶対に敵わないということ)  ウイルス 様です。

    まあ、神に 様をつけるようなものでして。

    敵わない存在に立ち向かっていこうとしても、骨折り損のくたびれもうけ。

    いいえ、その骨折り損はまだしも、努力の結果がくたびれじゃ済まないのでした。

    もちろん、ウイルスは細菌とちがって一切のクスリを受け付けないのですから、何もしようがないのです。が、それにナントカナントカしようと必死に努力したのが、抗ウイルス薬とか言うものなんでしょう。

    よく分からんけど、おそらくそんなのはクソの役にも立っていないと思われます。いえ、糞の方がまだ虫たちには役立っているかな?

    ウイルスを細菌と勘違いしているひとがいかに多いか( あ、ボクもそうだった)

    ウイルス毒~~?

    ウイルスのどこにそんな毒があるんじゃ~~
    出して見せてみろ~~

    なんてボクがわめいても、所詮ウイルス自体が見えないもの。
    電子顕微鏡で死骸のようなウイルスの形だけは写真にとってみせてくれるでしょうけどね。

    ちょっと引用

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    そうそう、ウイルスの「毒性」っていうのも、大変に摩訶不思議なコトバなんですけどね。
    ウイルスは、核酸の遺伝情報以外は、何も自分で作り出すことができません。
    増殖するにあたって全部宿主細胞の材料に依存します。
    基本は①核酸と②殻(カプシド)と、③宿主細胞膜由来の外膜(エンベロープ)を持ってるものと持ってないもの。
    たったそれだけ。
    どこに「毒」を有しているのかワケワカメだぞ(笑)。
    不正確な科学知識もどきを流すのはやめろよ、専門家のみなさん。
    マスコミも酷すぎる。
    いんちな知識にはつっ込めるくらいの知識は有しておけ。
    いまや科学者といえど詐欺師ペテン師みたいのがたくさん生息してると思っておいたほうがいいしな。



    DATE:2008/06/02 01:09
    URL:http://koibito.iza.ne.jp/blog/entry/558061/
    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

    まあ、学者バカというか、学生の頃からそういう偏向教育を受けてしまったため
    パブロフの犬になってしまうんでしょうね。

    ウイルス  即反応  病源  とかね。

    細菌もそうですけど、ウイルスなんてもう五万と、いや数え切れないほどの数がこの地上にいるわけでして、もちろんボクら人間だってウイルスと一緒、細菌と一緒。細胞の数なんぞ屁のような悶でして(笑
    なんと細菌とウイルスは我が身の一部化しているというのですゾ~~

    細菌恐怖症、ウイルス恐怖症の方にはまことにお気の毒ですが(笑い

    わしらはウイルスや細菌とガンダム(合体)なんです~~

    まあお嫌いな方は我が身を恨むんですね。

     

    貯金など要らん(あ、預ける金が無いだけか)

    除菌など要らん。ウイルスをやっつけるクスリなど要らん(もちろん最初から無いが)

    微生物に護られ育てられてきたにんげんが都合が悪くなったとき(もちろん、自分のせいですが)だけ、彼ら彼女ら(性別があれば)を嫌いに嫌ってやっつけようなんて虫が良すぎるのです。

    良寛和尚じゃないですけど、

    「ウイルスや細菌にかかるときはかかるがよかろう」なんちゃって。

    だって、もうその時にはどうしようもないのですから。

    抗生物質も効かない、ワクチンも効かない(もともとそんなものは無いか・・)

    参考に感染症と予防接種の裏側(ワクチンの効果の疑問点)

     

     

    問題はボクやキミ自身の体内の環境次第なんです~~~

    ウイルスや細菌が病気に関して働くにはそれなりの必須条件があるのです~~

    それについては前に何度も書いたし~~~

     

    自分でさがしてね。

    あ、ボク?  健忘症いやアルツハンマー症なので・・・・

     

     

     


    0 0

     松本英聖著  「医学と生命」
       1994年刊
    より

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

    47P
       第六章、 薬毒時代の開幕

       医学を支配する戦争の論理

     今述べたシデナムの考え方は、多くの支持者を得たが、所詮は〝蟷螂の斧かで、病と戦うことを使命と信じる当時の医師達は、シデナムの考え方をこう批判した。  
    「何もしない臆病な医学であり、単に患者を見守り病状を記録するだけの看護役に過ぎない」  


    「今苦しんでいる患者を前に黙って見ていることは、無能であるばかりか、非人道的だ。医師は患者のため最善を尽くして戦わねばならない」と。


     このガレノス(アロパシー医学)の医学観に支えられて、医学はより一層攻撃性を高めていった。


     一方、患者にも問題がある。何にしろ千数百年もの間「病は悪であり、敵である」というガレノス医学の疾病観が、条件反射として頭の中に叩き込まれているから、「何かをしてもらうこと」また「何かして欲しい」という医学に対する依頼心と期待心が心の底にこびり付いて離れない。だから、医師としても、その願いに応えねばならないわけだ。


     こうして陰・陽相引き合うようにして、新しい薬毒時代が出現した。ガレノス疾病観の恐ろしさはここにあるわけで、医学だけを責めることは決して出来ない。


    まさに需要と供給の関係であって、医学に頼り、医師に縋りつこうとする依頼心と恐怖心がアロパシー医学を支えている、ということである。


     その結果、病に対する被害妄想が次第にエスカレートしていったが、時恰かもヨーロッパは帝国主義の真っ盛りで、これが医学思想にも反映し、専守防衛(予防接種など)か、先制攻撃(早期発見・早期治療)か、という戦争の論理が医学を支配することになる。


     その転換は、イギリスの外科医ジェンナーが種痘法を発見(一七九六年五月十四日)した時に始まるが、それは浄化作用を未然に封じ込むという、新手の薬毒時代の出現であった。


     このワクチンは、人間の免疫力を低下させて毒素の排出を妨げる働きをするから、益々体内汚染を深刻化し、より強力な浄化作用を招くことになる。圧力鍋の安全弁を作動させなければ、やがて爆発するのと理は同じである。


     確かに種痘は天然痘を根絶した。しかし、種痘の普及と共に、各種慢性病が激増したことは紛れもない事実であって、その代表的なものが結核である。


     そもそも結核は、産業革命によってもたらされたヨーロッパ社会生活の大転換(都市化)に伴なって出現した慢性伝染病で、かっては″白いペスト″と呼ばれて恐れられ、今世紀前半まで先進工業国における死病の王者として君臨した。その消長を統計的に見ると、種痘の普及と共に結核が増加しており、天然痘は減るが結核は増えるという相反関係になる。


    そして現在では、結核は減ったが肺ガンが異常に増える時代、まさにシーソー現象であるが、各種予防接種の普及と共にアレルギーが鰻登りに増えている事実も見逃してはなるまい。


     ともあれ、アレルギーは医学自体が生み出した医原性の薬毒浄化作用であって、「台風が吹けば桶屋が儲かる」という落語があるが、「医学が進めば、アレルギーが増える」と言い換えても良いであろう。


     神(自然の浄化作用)に反逆する医学は、次々と新しい病気(薬毒浄化作用)を生み出して行く。自然と人間の果てしない戦い。これが疾病観を誤った現代アロパシー医学の実体である。


    49P
        コレラ菌を飲んだ医学者

      「目に見えないバイ菌が人体を蝕むために病気なる。だからバイ菌の侵入を防ぎ、それを殺すことが病気を予防し治療する最善の道だ」まさに戦争の論理であるが、これが十九世紀パスツールとコッホによって導かれた細菌病原観であり。現代人の常識でもある。


     ″それはウソ″とでも言おうものなら、それこそ村八分にされてしまう。
     だが、木当にそう言い切れるのだろうか。
     それについてこんな話がある。


     コッホが結核菌やコレラ菌を発見し、細菌病原説を引っ下げて颯爽と世にデビューした頃、この説を真っ正面から否定し、舌鋒鋭くコッホに喰い下がった学者があった。ミュンヘン大学のペッテンコッフェル教授(衛生学の父と言われる碩学)で、森鴎外がドイツに留学した際の師でもある。彼は終始一双細菌は病原でなく、体質が健全ならば、仮えバイ菌が侵入しても絶対に発病しないと主張したが、論争は水掛け論となり一向にラチが明かなかった。業を煮やした彼は、自説を証明するため科学アカデミーにおいて次のような途方もない人体実験を提案し自らの身体で次の実験を行った。


     一八九二年のある日、彼は七四歳の老体をもって、コッホが培養したコップ一杯のコレラ菌を、証人となる学者たちの面前で一気に飲み干した。かくして、コッホが常々、一個連隊(約千人)の兵士を全てコレラにして見せると豪語していた無数のコレラ菌が彼の消化管を通過した。そして数日後、彼は軽い下痢をしただけでコレラにはならず自説の正しいことを証明した。
     ″菌か、体質か″、軍配は〝体質″に上がったのである。


     この身体を張った人体実験の結果を知れば、細菌病因観が如何にバイ菌だけを槍玉に上げる一面観であるかが分かるであろう。


     それだけではない。その後、フランスのレーリー博士によって、さらに重大な事実(レーリー現象)が発見された。


     レーリーは、肺や腸に分布する自律神経を物理的(ピンセットなど)あるいは化学的(毒物など)に持続的刺激を加えると、肺には肺柘核、腸にはチフスや赤痢と同様な病変を起こさせ得ることを実験で示した。病原菌なしで、伝染病と同じ病変が内臓に起きることを証明したのである。


     こうした事実から、最近では、炎症などの内臓病変は、ストレスに対する生体の適応反応(ストレス学説)であり、細菌感染症をはじめ、発熱、化膿、下痢などはすべて免疫系の働きであって、その仕組みやメカニズムが次第に解明されつつある。


     また伝染病についても、実はコッホ自身がペッテンコッフェルの人体実験を重視し、伝染病が発生する三原則として、①病原体の存在、②環境条件、③体質条件(免疫力など)の三条件が揃わなければ発病しない、という見解を示していた。
     要するに、バイ菌だけでは感染症は起きないわけで、ペッテンコッフェルが実証した体質条件が極めて重要なわけ。


     しかし、病を敵とするアロパシー医学の下では、体質条件は無視され、バイ菌だけが「人類の敵」として悪玉にされてしまった。


     もし体質条件を重視すると、体質低下を招いたのは本人自身であるから、悪者は人間ということになり、これではアロパシー医学は成り立だない。

    そこで、自分の事(反自然生活)は棚に上げ(相手(バイ菌)だけを責めるわけ。まさに自己を正当化して相手をやっつける「戦争の論理」であって、この自己主張型の医学が西欧医学(アロパシー医学)の本質である。


     これがエスカレートすると、バイ菌を恐れる余りに被害妄想的なバイ菌恐怖症になる。

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    この項だけでも現代西洋医学の本質をついているとおもいますね。

     


    0 0

    自家ウイルス? 

    そうです。 自分用にウイルスが働いていてくれるのです。

    あんなじかウイルスとかにオロオロさせて(まあWHOなど製薬奇病、いや奇業がスポンサーになっていますからね)、アタシをどうしたいの?ってわけ。

     

    どんな名前だろうが、昔あった日本脳炎とか最近の天狗熱(デング熱とも言うらしい)とか、みんな蚊のせいにしちゃって。まあ、本当に蚊が媒体になっているとしてもだが、本当の病源は体内にある借金が多いか少ないかで決まる。

    請求されるにはそれだけの借金があるわけね。蚊やウイルスのせいにするけど、何ともない人も居るということは、その借金が少ないわけ。それを免疫力とか抵抗力とか言っているだけのこと。

     

    借金? マイナスエネルギーとかマイナス波動とか毒素とか汚物とか、呼び名はなんでもいいんだけど。

    ようするにワタシにとって要らないもの、邪魔なもの、これ支払えばもっと楽(健康)になれるもの。

     

    例えば借金がたまったら、こらあ、返さなくちゃあ~ たまりっぱなしだと、後が大変だ。

    一度に払うか、中間で払うか? それともチビチビと払うか?

    う~~ん、どれも払いたくな~~~い!

    あ、そう。  でも、無駄な抵抗なのね。

    だって、ウイルスさんがね。勝手に支払いのお手伝いしちゃうから~♪

    なに~~~! ウイルスなんて寄せ付けないぞ! ちゃんとワクチン打ったし。

    ふふふふ・・・・・・

    ????

     

     

     

    ーーーーウイルス・プラネットよりーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    ●地球のどこにでも
     地底の奥深くであれ、サハラ砂漠の吹きさらしの砂粒であれ、南極の厚い氷床の底であれ、どんな場所を探してもかならず、そこにはウイルスが存在します。そして、身近な場所に目を転じると、こんどは新種のウイルスがいろいろと見つかるのです。


      2009年、サッディエゴ州立大学の生物学者、デーナーウィルナー率いる研究チームが、人間の体内のウイルス探索を行ないました。手順はこうです。嚢胞性繊維症(痰、鼻汁、胆汁など、全身の粘液の粘度が高くなる、遺伝性の疾患)の患者5人と健康な人5人、合わせて10人に、咳をしてもらい、痰を容器に吐き出してもらう。そして、その喀痰からDNAの断片を見つけ出し、すでに知られている何千万ものウイルス遺伝子のデータベースと照合する1このような調査を行なったところ、どちらの被験者からもウイルスが見つかりました。


      じつはウィルナ~がこの調査を実施するまで、健康な人の肺にはウイルスはいないと考えられていました。

    しかしこのとき初めて、健康であるか病気を患っているかに関係なく、すべての被験者が肺に多種多様なウイルスを保有していることが明らかになったのです。

     1人の肺の中には、平均174種のウイルスがいましたが、すでに知られているウイルスやその近縁種は、そのうちの10パーセントにすぎませんでした。

    残りの90パーセントは、まったく未知のウイルスです。

    そう、「結晶の洞窟」に僣んでいたウイルスと同様に。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    ね、アンタの体の中にそもそも初めから済んでいるのよ。

    しかもゲノムの一部にもなっているそうだ。アンタのDNAにウイルスさんが合体!しているの。

    そんなウイルスさんが病気の原因になるときは、アンタに借金ができたからよ。

    ご親切にその借金返済のために大活躍してくれてんの♪

     

    え~~~~!!  

     

     

     

     

    これは岡田茂吉研究としてのひとつの材料です。

     当時はまだウイルスについては医学も初期の段階であったため、主に細菌についての解説になっています。

    また、ウイルスは霊界(非物質界)からわき上がってくる(自然発生のこと)という、まあ現代科学では考えられない、いや考える能力が無いため否定されて来ましたが、ようやく量子学のほうで非物質界を認めるようになったそうで。

    これからは無い世界は有る世界に変えられるでしょうね。

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    病原としての細菌

    『結核の革命的療法』昭和26(1951)年8月15日発行




     近代医学においては、病原のほとんどは細菌とされている。
    従って細菌の伝染を防ぎさえすれば、病に罹らないとする建前になっているが、一体細菌というものは、いかなるものであるか、これが徹底的に究明されなければならない。
    すなわち細菌とは何の理由によって、どこから発生されたものであるか、まずこの根本が判らない限り、真の医学は確立するはずはないのである。
    いくら微小な細菌であっても、突如として偶発的に湧いたものではない。
    湧く理由があり、発生源があるべきである。


    ところが医学においては、細菌の伝染経路を調べるだけで、その先の根本を判ろうとしない。
    つまりそこまでには達していないからで、現在はその中途まで判っただけでしかない。


    ただ菌の伝染によって病気が発生するというだけでは、いわば一種の結果論にすぎない。
    単なる顕微鏡の発達によって微小なものを捉え、それが病原と判ったので、有頂天になってしまい、それを基本として研究を進めて来たのが、現在の黴菌医学であってみれば、吾々からみる時はなはだ浅薄極まるものと言えよう。
    どうしても黴菌発生の根源にまで突進んで、その実体を把握しなければならないのはもちろんである。


    しかし、学者によっては、そこに気が付かない訳はなかろうが、それを知るには肝腎な方法がいまだ発見されていないから、止むを得ないのである。
    そうして顕微鏡の進歩も、これ以上は容易な業ではないのみか、実はこれから先の領域は、機械での測定は不可能である。


    何となれば無に等しい世界であるからで、私はこれを名付けて無機質界という。
    しかし真の無ではない事は学者も認めており、何かしら確かに在るには違いないとは想像しているが、その実体が判らない。


    ただ僅かに掴み得たものが彼のヴィールスである。
    としたら黴菌医学はまだ揺藍時代の域を脱していないと言えよう。
    もっともこれにも理由がある。


    というのは右の無機質界は、前述のごとく科学の分野ではなく、言わば科学と宗教との中間帯であるからで、実はこの中間帯こそ黴菌発生の根源地であって、空気よりもずっと稀薄な元素の世界である。


    それをこれから解明してみよう。

     右のごとく、病原の本体である黴菌の発生源が無機質界に在るとしたら、現在のごとき唯物医学では、到底病理の解明などは、木によって魚を求むるようなものである。
    としたら今後いかに研究を続けても、百年河清(かせい)を待つに等しい無益な努力でしかあるまい。

     以上のように、私は思い切って医学の盲点を指摘したが、もちろん人類救済の目的以外他意はないので、もしこの発見がなかったとしたら、人類の未来は逆睹(ぎゃくと)し難いものがあろう。
    この意味において私の説を肯定し、医学が再出発をするとしたら、病なき世界の実現は決して難事ではないのである。
    ゆえによしんばこの説が全世界の学者、智識人から反対され、非難せられ、抹殺されるかも知れないが私は敢然として、真理の大旆(たいはい)を翳(かざ)して進むのみである。

     とはいうものの学者の中には、私の説に驚嘆し、瞠目(どうもく)し、共鳴するものも必ずあるには相違ない。
    何となればもし百年前に空飛ぶ飛行機、千里の先の話を聞くラジオ、一瞬にして何百万の人間を屠るという原子爆弾の話をしたとしても、誇大妄想狂として、一人の耳を傾ける者もなかったであろう。

     ここに、先覚者の悩みがある。
    しかし私の説は真理であり、しかも事は人間生命の問題である以上、いかなる偉大なる発明発見といえども、これに比すべきものはあるまい。
    としたら全世界の医学者に訴えたいのは、私の説を既成学問に捉われる事なく、白紙となってベルグソンのいわゆる直観の眼をもって見られん事である。




    (注)
    逆睹(ぎゃくと)あらかじめ将来を見越すこと。
    予測。

    大旆(たいはい)堂々とした旗印。
    昔、中国で天子または将軍が用いた、日月と昇竜・降竜を描いた大きな旗。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


    いまこのような文章を読めるヒトはスバラシイ!


    ボク?  もちろん!  (よう分からんかった~~汗)


    だが、そこは調子呼気のボクのこと、体位はアレだな♪ じゃない

    大意は

    ひとことで言えば(akyoon解説のこと)

    ウイルスは最初見えない世界(非物質世界)から産まれてくる(発生する)

    ゆえにその非物質界の存在を認めて、その根本原因を掴むとすべての感染症(ウイルスであろうが細菌であろうが)の原理がひと言で言い表せる野田。

    しかし、
    現代の科学は非物質世界を認めない(無いとする)唯物論から出来上がっているので、医学もそれを土台(基礎)としているから、病気の真の解明などどだい無理だということ。

    今現在知られているウイルスについては未だ物質科学では解明できない理由が底にある。


    現在の科学分かっていることは「生物学出来には無生物」だとされ、働き的には充分「生命活動をしている」ことだ。

    そして、生物学においてはウイルスは生物にとって有用な存在のほうがずっと多くて、病源となるようなウイルスはずっと少ないということ。

    だが、あの憂いパスツールやコッホんのお陰なのかどうか、医学では「病源」としてのウイルスや細菌だけに注目してきた。

    つまり、のぞき穴の範囲が狭かったのである。

    「あらら~~ババアだけじゃないか!」とか「まあ、じじいばっかり~」とか落胆の声をあげたのぞき魔の行く末のようなものだ。
    お隣のひとは、のぞき穴が大きかったので「おお~~♪ じじいやババアの近くにピチピチした若いカラ堕が!!」と・・・・

    どうも例えがどうしてこうなってしまうのか・・・


    つまり、視野が狭かったのである。そして大先輩ののぞき穴が小さかったため(どうしてものぞき穴にしたいのね)、後輩達はぜんぶそれをマネしてしまったのだ。

    そして立派な大学で教授の言う事にゃマチガイナイ!と。
    その教授も当初は同じ思いで出世しただけなのだが・・

    そして、世間イッパンタイシュウ人は「教授」や「政府」や「WHO」笑の言う事にゃ、マチガイナイ!

    と。

    同じ穴のムジナ ならぬ、 同じ穴ののぞき魔には全体が見えないのだ。

    だから何時までたっても分からない。 


    穴かえろよ!!


    つづく








    あ、ここまで来ちゃったのね♪


    生物外においてはタダの結晶のようなものだそうだが、いざこれが生物内(動植物)に入り込むと、途端に大活躍するという不思議な存在だソウダ。

    そして、遺伝子情報を書き換えたり、情報を伝達したりするというから、本当は立派に意志を持っているのではないかと思われるノダロウ。


    さてさて、情報とは何か?

    想念も物では無い、情報もそうだ。紙に書かれようとコンピュータのHDDメモリの書かれようと、情報そのものは物では無い。その情報を操作したり、伝えたりするのは人間であるが、それと同じようなことをウイルスがやっている・・・・

    とすれば、

    ウイルスは立派に意志をもっている生命体のようなものだ。

    人間だったら頭脳だけで勝負するような天才肌の奴かも知れない。
    だって、情報を扱う以外、後はな~~~んにも出来ないじゃないか?(笑い


    ところが、これが最高の智慧ぬしだと分かってきている。

    それがウイルス学のトップ連中の言う事だからマチガイナイ(だかどうだかは知らんが)

    ウイルスなくして細菌無し、細菌さえも操っているようなのだ。そして、細菌無くして地球は無し。

    つまり細菌の居ない地球はなにも出来ない。

    とすればウイルス無しでは我々にんげん共はもちろん、ありとあらゆる生物は生存できないほど重要な役目を持っているのだろう。

    いやこの場合は駄郎じゃないね。持っているのだ。

    それを知るにはこの世とあの世は表裏一体となっている事を認めることだ。

    すると自家ウイルスだろうが、他家ウイルスだろうがかんたん、かんたん♪



    つづきはいずれまた こんど、いつか、きっと    (あれ?)

     



    病原としての細菌

    『結核の革命的療法』昭和26(1951)年8月15日発行

     近代医学においては、病原のほとんどは細菌とされている。従って細菌の伝染を防ぎさえすれば、病に罹らないとする建前になっているが、一体細菌というものは、いかなるものであるか、これが徹底的に究明されなければならない。すなわち細菌とは何の理由によって、どこから発生されたものであるか、まずこの根本が判らない限り、真の医学は確立するはずはないのである。いくら微小な細菌であっても、突如として偶発的に湧いたものではない。湧く理由があり、発生源があるべきである。ところが医学においては、細菌の伝染経路を調べるだけで、その先の根本を判ろうとしない。つまりそこまでには達していないからで、現在はその中途まで判っただけでしかない。ただ菌の伝染によって病気が発生するというだけでは、いわば一種の結果論にすぎない。単なる顕微鏡の発達によって微小なものを捉え、それが病原と判ったので、有頂天になってしまい、それを基本として研究を進めて来たのが、現在の黴菌医学であってみれば、吾々からみる時はなはだ浅薄極まるものと言えよう。どうしても黴菌発生の根源にまで突進んで、その実体を把握しなければならないのはもちろんである。しかし、学者によっては、そこに気が付かない訳はなかろうが、それを知るには肝腎な方法がいまだ発見されていないから、止むを得ないのである。そうして顕微鏡の進歩も、これ以上は容易な業ではないのみか、実はこれから先の領域は、機械での測定は不可能である。何となれば無に等しい世界であるからで、私はこれを名付けて無機質界という。しかし真の無ではない事は学者も認めており、何かしら確かに在るには違いないとは想像しているが、その実体が判らない。ただ僅かに掴み得たものが彼のヴィールスである。としたら黴菌医学はまだ揺藍時代の域を脱していないと言えよう。もっともこれにも理由がある。というのは右の無機質界は、前述のごとく科学の分野ではなく、言わば科学と宗教との中間帯であるからで、実はこの中間帯こそ黴菌発生の根源地であって、空気よりもずっと稀薄な元素の世界である。それをこれから解明してみよう。
     右のごとく、病原の本体である黴菌の発生源が無機質界に在るとしたら、現在のごとき唯物医学では、到底病理の解明などは、木によって魚を求むるようなものである。としたら今後いかに研究を続けても、百年河清(かせい)を待つに等しい無益な努力でしかあるまい。
     以上のように、私は思い切って医学の盲点を指摘したが、もちろん人類救済の目的以外他意はないので、もしこの発見がなかったとしたら、人類の未来は逆睹(ぎゃくと)し難いものがあろう。この意味において私の説を肯定し、医学が再出発をするとしたら、病なき世界の実現は決して難事ではないのである。ゆえによしんばこの説が全世界の学者、智識人から反対され、非難せられ、抹殺されるかも知れないが私は敢然として、真理の大旆(たいはい)を翳(かざ)して進むのみである。
     とはいうものの学者の中には、私の説に驚嘆し、瞠目(どうもく)し、共鳴するものも必ずあるには相違ない。何となればもし百年前に空飛ぶ飛行機、千里の先の話を聞くラジオ、一瞬にして何百万の人間を屠るという原子爆弾の話をしたとしても、誇大妄想狂として、一人の耳を傾ける者もなかったであろう。
     ここに、先覚者の悩みがある。しかし私の説は真理であり、しかも事は人間生命の問題である以上、いかなる偉大なる発明発見といえども、これに比すべきものはあるまい。としたら全世界の医学者に訴えたいのは、私の説を既成学問に捉われる事なく、白紙となってベルグソンのいわゆる直観の眼をもって見られん事である。

    (注)
    逆睹(ぎゃくと)あらかじめ将来を見越すこと。予測。
    大旆(たいはい)堂々とした旗印。昔、中国で天子または将軍が用いた、日月と昇竜・降竜を描いた大きな旗。


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     松本英聖著  「医学と生命」
       1994年刊
    より




    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


    51P
       バイ菌恐怖症のルーツ

     消毒法を初めて現場の医療で実施しだのはゼンメルワイスだ。


     彼は、自分の勤務する病院で、多数の産婦が産褥熱で死ぬのを見て、良心の呵責に悩んだ。

    やがて彼は、その原因を、医師たちが、死体解剖や膿を扱った手で、産婦の検診をするためと睨み、手の消毒を徹底的に実施した。

    その結果、彼の病棟では産褥熱が激減し、多数の産婦が救われた。

    産褥熱の原因は汚染された医師の手にあったわけだ。


     彼は、この実績を踏まえて消毒法に頑強に反対する産科医の大物スカンツオニに手紙を出し「あなたは殺人者だ。

    歴史は、あなたを医学上のネロと呼ぶだろう」と激しく攻撃した。


     この余りにも生真面目で潔癖性の彼は、それから四年後、精神病でこの世を去った。

    が、皮向なことに、彼が実施した消毒法は、今日の教育ママたちの被害妄想的なバイ菌恐怖症としてそのまま受け継がれているが、そのルーツは彼に始まるわけ。

    なお、それから数年後、リスターによって今日の消毒法が確立し、本格的なバイ菌(浄化菌)の受難時代が始まる。

      ところで、前世紀末の病院で繰り広げられた産褥熱の悲劇は、実は、産業革命による都市化がもたらした彼女たちの反自然的生活と、病院という最も反自然的な医療が引き金となって、体内汚染の強烈な浄化が始まった、と見るのがヒポクラテス医学の立場である。

    兎に角、現代の完備した白亜の殿堂においても、院内感染(交差耐性菌や菌交替現象)が、病院管理上の最大の問題点として尾を引いているのだ。

    細菌は絶滅できない、という教訓である。


     それにつけても、犬や猫は傷口を舐めて治す。

    昔は我々もそうしてきた。

    それで必要かつ十分な治癒条件は満たされているのだ。

    唾液には強力な制菌・解毒作用があり、体内には白血球もあれば抗体をつくる能力もある。

    しかも唾液腺ホルモンには、強力な組織賦活作用まで備わっている(『松本英聖医事論集第一巻』食と生命参照)。


     ところが、消毒薬は殺菌作用の面では充分過ぎる条件を備えているが、組織賦活というもう一つの必要条件は全くゼロであるばかりか、むしろ正常細胞を痛め付けるというマイナス作用しかない。

    だから唾液をつければ二、三日で治る傷口が、消毒薬をつければ四、五日もかかる。

    馬鹿化だ話であるが、これもバイ菌恐怖症のため。

    羹にこりて膾を吹くーーの類である。


     バイ菌は体内汚染を清浄化するために出現した浄化菌であるから、彼等に対する不当な偏見を捨て、体質を正常化してお引き取りを願うことが本当の対策なのである。




    52P
        史上最強の魔弾

     昭和三十一年五月十五日。

    日木の新聞は一斉に東大・尾高朝雄教授の訃報を伝えた。


     日く″ペニシリンーショック″。


     この痛ましいニュースは、医薬を信じきっていた日木人に大きな衝撃を与えた。

    日本の薬禍第一号であるが、続いてアンプル入リカゼ薬事件、そしてスモン禍、サリドマイド禍、種痘禍、ワクチン禍等々……、相次ぐ悲報によって薬毒の恐ろしさを身に滲みて思い知らされた。


     イギリスのフレミングが空気中の カビからペニシリンを発見したのは一九二八年のこと。

    その功績で一九四五年ノーベル医学賞を受賞したが、それ以来、この史上最強の魔弾・抗生物質で武装した現代アロパシー医学は、大胆不敵な攻撃的医療を展開してきた。


     しかし、バクテリアの方も黙って叩かれてはいなかった。

    次々と耐性菌が出現し、ついには菌交代現象という世にも不思議な現象まで引き起こすに到った。

    まさに医薬とバクテリアのイタチごっこである。


     因みに菌交替現象とは、フランスのプリソニーによって一九五二年に報告された現象。

    簡単に説明すると、抗生物質を乱用すると腸内の有用菌が絶滅されて腸内フローラ(菌叢)がメタメタに攪乱される。

    その結果、カンジダ菌(カビの一種)のように抗生物頁に対して自然耐性のある菌や、たまたま自然耐性を持っている菌だけが生き残り、ここぞとばかり猛烈に繁殖し、それまでの病原菌と入れ替わって、病状だけが受け継がれる、という珍現象である。

    要するに抗生物質が生み出した病原菌ならぬ医原菌だ。


     そもそも、体内の腐敗菌や病原菌は、腸内の余剰蛋白質(アミノ酸や体内の汚染物質を分解するスカベンジャー(清掃人)であり、それは食毒(肉毒)を浄化するための浄化菌にほかならない。

    この有難い浄化菌を抗生物質で叩いた結果、その薬毒浄化のために出現したのが耐性菌という名の医原菌であるから、それを薬で叩けば次の医原菌という具合に、何処まで行っても限りがない。

    まさにモグラ叩きだ。


     兎に角、天然痘を種痘で抑えれば結核、結核菌をB・C・Gで防げばアレルギー、カゼを薬で止めればインフルエンザ……というように次から次へと姿を変えて新しい難病が出現する。

    サルバルサンで梅毒が減ったと思いきや、今度はヘルペス性病やエイズが出現する。

    淋菌は以前はペニシリンで叩けたが、今はカンジダ症というカビのお化けに手こずる仕末。

    薬が強くなる程それを嘲笑うかのように菌もまた強くなり、遂にMRSA(メシチリン耐性黄色ブドウ球菌)という史上最強の耐性菌や人喰いバクテリアまで出現するに至った。


     所詮、自然の浄化力には人知は及ばぬもの。

    対策は唯一つ。

    食事を正して「薬毒を作らず、使わず、持ち込まず」という非核三原則ならぬ「非薬三原則」を守ることである。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

    特に解説もありません。

    が、真実は必ず事実として現れる。と言いますからもう黙ってみているしかないのでしょうね。

    納得するには「体験」が必要でしょうから、愚者は体験しないと納得しない。賢者は体験しなくても思考でも理解する。

    そして、akyoonは「他人様の体験をみて理解する」 (あれ?

     

     そもそも、ウイルス様は地球のご意志を反映している、守り神的な存在でしょ?

    だから、良きモノは育て、バッチイものは片付ける。

    まあ、発酵にするか腐敗にするかという細菌の働きに上に君臨しているようなものか?

    だってウイルスは細菌にも感染(入り込む)ことが出来るんだからね。

    そうなると、普段のおとなしい(ボクのような) 常在菌でもウイルスさんの指示が有れば、たちまち病原菌(腐敗菌)として変身しちゃうこともあるそうだから、細菌の司令塔役にもなっているらしい。

    しかも、しかもだ。 細菌は厚生労働省、じゃない抗生物質でやっつけられる(現在はほとんど耐性菌の方が上を行っているが)が、ウイルスはやっつける薬が無いと北門だ。

    こんな手強い相手に立ち向かうバカ、おっと、現代医学はほんと超超ちょうちょ、ちょうちょ♪ 愚 だよね。

    って、バカなボクが言うから利口か? あちらは・・・

     

    ウイルスって何もの?

    まだまだよく分かっていないのね。それを姿形を不自然な状態で電子顕微鏡で覗いたってねえ、ほんとの事はわかりはしません。のぞき魔が濃いサングラスをかけて一所懸命に小さな節穴からのぞいているような揉んだわ。

    そういうボクも知らんのだが・・・

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーウイルス・プラネットよりーーー

     

    ●ウイルスの意外な語源
     今お話しした2つの例が示すとおり、ウイルス学という学問は、いまだ荒っぽくて活きのよい若年期にあります。見つかったウイルスを十分に理解する間もなく、次から次へと新たなウイルスが発見されているのです。


      しかし、この状況は遅れてきた青春だともいえるでしょう。私たちはすでに何千年も前からウイルスのことを知っていたのですから。

    病や死をもたらすものとして、その存在に気づいてはいたものの、そのような結果と原因とをどのように結びつければよいかが、ずっとわからなかったにすぎません。
     そもそも「ウイルス」という言葉からして、使われはじめた当初から矛盾をはらんでいました。

      「ウイルス」は、ローマ帝国で用いられていた言葉、ラテン語に由来しますが、ラテン語の「ウイルス」には「蛇の毒液」と「人間の精液」という2つの意味がありました。

    1つの言葉の中に、創造と破壊 とが同居していたわけです。


      その後何百年ものあいだ、「ウイルス」という言葉はさまざまな意味で用いられてきました。触れると病気がうつるもの全般を意味することもあれば、傷口から滲み出てくる液体を指すこともありました。空気中をただよう得体の知れない物質を意味することもあれば、はたまた紙に染み込んでいて指を触れただけで病気になる毒素を指すこともありました。

     ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

    ウイルス自体に毒素が含まれていると錯覚しているひとが居ますが、ウイルスの中には情報が入っているだけでしょ。

    しかも生物に入り込まない状態ではタダの結晶のようなもので、生命などは感じられないので無生物だとされてきました。

    が、いざ、わしらの身体にはいると自由自在になってまるで命のあるごとし。これを生命有る働きといわずして何という。

    うえの記事では昔のひとは本質を見抜いていたんですねえ。

    ラテン語の「ウイルス」には「蛇の毒液」と「人間の精液」という2つの意味がありました。

    1つの言葉の中に、創造と破壊 とが同居していたわけです。


     ひとつの言葉に真逆の意味が含まれていたんですね。(現代医学の方では「毒液」とか、「破壊」の性質だけを取り上げている)

     

    そう、良いモノには創造につくし、悪いモノには破壊神となって暴れる。

    インドのシバ神みたい。

    そういえば、日本のクニトコタチの神さまは閻魔大王と観音様を兼任していたそうですし。

    破壊と創造、立て替え立て直しの神さまは、節分の鬼となって「悪い子はおらんか~~」と回るんだけど、

    人間の方は「おら、悪くない!」とがんばって豆まいて追い払ったという・・・

    まあ、鬼とは言っても神さまの一形態だから、なんでもお見通しで、悪い子はどんどんシバイチャウ♪
    (あ、ボクも危ういか)

    ウイルス神も時には観音様のように人間をすくすく育てる陰の力となってくれ、時には悪い子ねえと、どんどん悪い子を懲らしめる、いや、懲らしめているんじゃ無くて本当は慈悲の心で要らないものを片付けるお手伝い。

    まったくどちらも吾ら人間にとっても地上の生物全体にとっても、ありがた~~~い存在なのです。

    が、借金するときはニコニコ顔、返すときは鬼の顔・・・という風に見えるわけ。

    そして、その鬼の顔だけを強調して出来上がったのが現代西洋医学のウイルス神話というわけ。

    それって、ほんとう?

    さあ~~~自分で考えてて見ましょう(笑

    ボクのはかがくでも仮(かがく)の方だからね。

    でも、医学も科学というけど、ほんとうのところはほとんど仮説で成り立っているから、やっぱりボクと似たもの同士なのね。とくに薬学なんてのも仮説がいかに多いことか。

    ただ、正反対のこと言っているから、信じたい方を信じることが一番。

     

     

     


    0 0

    現代医学はどこまで突っ走るのでしょうか? 

    それは自ら鉄壁の壁に突き当たって砕ける自動車のように見えるね。 

    そこまでもうスピードをあげて突っ走るだ けだろう・・・ 

    でも、多くの人はそれを「進歩」と見ていますけど・・・・

    戦時中の大本営発表では「敗退」を「転進」と称して、それを「勝利」のように思 い込んだのと似ているね。・・・

    とにかく、底まで行かないと理解できない、納得しないんだよ。

    ・・・底までですか・・・

    そう、底までね。  


    この本は20年ほど前だが、もっともっと昔から言われていたんだよ。




     松本英聖著  「医学と生命」
       1994年刊
    より



    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    54P
       第七章、 新しい医学の芽生え
        ーーー揺ぎ出した現代医学ーーー

         心と病気
     
        ストレス学説

     「最近ストレスが多くてねI」、日常会話でよく出る言葉だが、このストレスという概念は、もともと物理学上で″歪み″を意味する学術用語、これを医学用語として初めて使用したのは、有名なカナダのハンス・セリエ博士。

    今から五十年ほど前(一九四六年)のことである。


     彼はネズミを使って、A群には寒冷、B群には熱、C群には機械的刺激……という具合にさまざまな不快刺激(ストレッサ士を加え、この不快刺激で彼等が疲れ果てて死ぬまでの期間を経時的に解剖して詳しく調べた。

    その結果、驚くべきことに、ネズミは加えられた刺激の種類には無関係に、いずれも最後は副腎皮質が萎縮して死ぬことを突き止めた。

    彼はこの事実から副腎皮質ホルモンを発見し、これが生体防衛機構の主役であることを明らかにした。


     そして彼は、この生体防衛反応が警告反応期→抵抗期(適応反応期)→疲労期(副腎皮質の萎縮)→死という一連の過程で進行することを明らかにして、これを汎適応症候群(ストレス)と名付けた。


     そして、発熱、下痢、化膿、炎症などの症状は、人間の目には不都合に見えても、すべて生体が現わす最善の適応反応(汎適応症候群)であって、決して悪化作用ではないことを明らかにしたのである。



     セリエのストレス学説は、一九世紀パスツール、コッホが確立した細菌病源観《バイ菌から一方的な攻撃を受けるという被害妄的な病因観》を大きく修正すると共に、さらに最近では免疫システムの分子生物学的解明という新しい研究段階へと発展するのだ。


     この意味において、現代医学の病因観は十九世紀医学に比べて大きく変化した。

    が、その根底にある疾病観は、相変わらず、病を敵視する二千年前のガレニズムから一歩も前進していないのだ。


     その結果、現実の臨床医学においては、新しいタイプの防御兵器として、生体防衛機構の主役であるステロイド系ホルモンという強力な新薬の合成に成功した。


     因みに、ステロイド系ホルモンは体内でコレステロールから合成されるホルモンで、男・女性ホルモンを始め、スポーツ選手のドーピングで一躍有名になったアナボリック・ステロイドもこの仲間である。


     こうして現代医学は、史上最強の攻撃用兵器(抗生物質)と防御用兵器(副腎皮質ホルモン)の二つの新兵器を手にして、病魔と対決するのだ。

     だがその結果はーー、抗生物質に対してはMRSAという史上最強の耐性菌が出現し、またステロイド系ホルモンには強い副作用(ムーンフェイスなど)が現われるなど、大きな壁に突き当たっていることはご承知の通り。

    さりとて、今更引くに引けず、遮二無二突進するほかなく、薬毒はエスカレートするのみ。


     結局、病気を悪と捉らえて敵視する疾病観に立つ限り、この矛盾から抜け出すことは出来ない。




    55P
        精神身体医学

    セリエのストレス学説が発表される少し前、アメリカの生理学者キャノンは、アドレナリン学説を発表した(一九三二年)、彼は猫を檻に入れて犬の側に置いた。

    すると猫は恐怖のため毛を逆立てて威嚇するが、その時、猫の血液中にアドレナリン(ホルモンの一種)が多量に放出され、これが交感神経を緊張させる物質であることを発見した。


     この事実は、恐怖という心理作用と向体との相関性を物質的に裏付ける極めて重要な発見であって、これを端緒として、アメリカのダンパーは精神身体医学を提唱(一九五四年)した。


     まさに心身一如の考え方であり、それまで迷信視されていた〝病は気から″ということが、初めて現代医学にも登場するわけ。

    パラケルススが「精神因」を説いてから丁度四百年目のことである。


     因みに、アドレナリンは体内でアミン酸チロシンから作られるアミン系ホルモンであるが、この仲間のホルモンは感情を支配することが知られている。

    すなわち、アドレナリンは「驚き・恐怖ホルモン」、ノルドアドレナリンは「怒りホルモン」、ドーパミンは「快感ホルモン」という具合である。

    また最近は、大きな社会問題になっている覚醒剤や幻覚剤などもこの仲間であることをつけ加えておこう。


     ともあれ、現代のように、経済戦争や受験戦争などの激しい競争社会では、どうしても闘争本能がかき立てられるから、常時アドレナリンの分泌量が相対的に増加し、交感神経が緊張して、身体の生理は四六時中闘争体制になる。

    また現代の複雑な管理社会においては、欲求不満、人間関係の葛藤、精神不安(失業や老後の不安など)など、いわゆる精神的ストレスが加重されることは誰しも経験するところだ。


     最近〝心身症″という言葉が俄かにクローズアップされ、〝心療内科″などの看板があちこちの大学病院でみられる時代となったのは、こうしたストレス社会に対応する社会現象である。


     それと共にリラクゼーションなどのストレスを解消する訓練法が盛んになってきた。

    自律訓練法、本能療法、バイオフィ~ド・バック、ヨーガ(瞑想法)、気功(太極拳などの動功)、坐禅、腹式呼吸法などである。

    大変結構なことであるが、一言付け加えさせて頂くならば、リラクゼーションと共に、ぜひ正しい食事を実行して頂きたい。

         


    57p
        パブロフ医学

     旧ソ連医学の生みの親と言われる偉大な生理学者パブロフは、今世紀の初頭(一九〇三年)、犬に餌を与える時に常にブザーを聞かせるという訓練(条件づけ)をしたところ、やがて、ベルの音を聞かせるだけで唾液が分泌され、それを起点として胃腸の消化液(胃液など)が分泌されることを実証して、有名な条件反射(獲得反射)理論を唱えた。


     彼の弟子ヴィコフは、パブロフの理論をさらに発展させ、大脳皮質が内臓諸器官を支配するという「大脳皮質ー内臓器官説」を提唱して、旧ソ連における神経主義医学(ネルヴィズム)を確立した。


    人間ハラハラすると、手に汗を握り、固唾を飲んで口がカラカラに渇くことは誰しも経験していることだが、このように、その他の内臓も大脳の支配を受けているという事実を実験によって証明したのだ。


     さて、人間の脳は新しい脳(大脳皮質)と古い脳(大脳辺縁系)および脳幹(脳の中心部)と呼ばれる三つの部分から成り立っていて、大脳皮質が一番外側にある。

    この三つの脳は図に示したように、それぞれに役割分担ーーー(大脳皮質=知性(人間性)、大脳辺縁系=情動・本能の座(動物性)、脳幹=生命の座(植物性)ーーがあって、この三者(智・情・意)が三位一体的なバランスを保って活動している。


     そこで、人間として心身の調和がとれた健康を保つためには、脳令体の働きのバランスが整っていなければならない。

    その最高統御器官が新しい脳(大脳皮質)であり、これが古い脳(辺縁系)以下を統御している、と主張するのがパブロフ医学である。

    新しい脳を〝御者″とすれば、古い脳は〝馬″というわけだ。

     ここで、これまでの諸学説を整理するとーー。


    ①セリエ(ストレス学説)は脳幹(生命の座)の働き(間脳I副腎皮質系)を実証。


    ②キャノン(精神身体医学)は古い脳(情動の座)の働き(感情と向体の関係)を解明。


    ③フロイド(精神分析学)は新しい脳(知性の座)による木能の抑圧が心の葛藤(性的欲求不満)を招くことを明らかにした。


     このように、三人三様それぞれの立場から脳(心)と向体の関係を明らかにしたわけだ。

    その結果、これまで心の働きを全く無視して向体一辺倒で進んで来た現代医学も大きな方向転換を迫られることとなった。

    この点についてパブロフは次のように述べて、近代医学を厳しく批判した。

      「近代医学は、ウィルヒョウの細胞病理観を金科玉條として信奉してきたが、この考え方は、病気を局在的な病変として把握する局所的医学であって、生体と環境を切り離し、心と向体を分断する虚構の医学である」と。


     しかしパブロフ医学自体にも大きな盲点があることを見逃してはなるまい。

    それは、彼が言う環境とは人間によって歴史的に形成された社会的環境のことであって、生物を育んだ自然環境は〝無条件反射〟の世界と位置づけて、これを無視したことである。


     確かに、かっての牧歌的な古き良き時代ならば、それも許されよう。

    だが、今は違う。

    環境破壊と食生活の大混乱及び薬毒の濫用によって、体内環境はメタメタに攪乱されているからだ。


     この視点に立つと、パブロフ医学は仏教で説く〝色心不二〟の世界観には立っても、〝依正不二や〝〝身土不二〟という汎神論的世界観には到達しておらず、謂わば片足の医学と言わざるを得ない。


     〝色心不二と依正不二″、〝心身一如と身上不二″、これが汎神論的生命観であり、この世界観に立つ医学こそ二十一世紀の医学である、と筆者は確信している。

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

     


    0 0

     

    いま外国で和食が人気だそうですね。

    しかし、テレビを見ているとあれは戦後の成長期以後の日本の食であって、本来の伝統食にはほど遠いようです。

    そして、最近では穀菜食より肉食だなんて言う医者も出てきました。

    炭水化物は不要という論です。

    これには理由があるようで、じつは穀物を精白した場合のことのようです。

    それでも、肉食の方がずっとよいという考え方もなにか偏っているような気がします。

    ぜんぶ否定はしませんが・・・

     

     

     松本英聖著  「医学と生命」
       1994年刊
    より

     松本英聖著  「医学と生命」
       1994年刊

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

     59P
       第八章、 心の歪みの由来

       個人か社会か

     オーストリアの精神科医フロイド(一八五六大九三九)は、ヒステリーの原因は心の葛藤であるとし、それは潜在意識に埋もれた性的欲求不満の現われである、と唱えて有名な精神分析学を創始した。


     彼の考え方は、性をタブー視する当時の社会において賛否両論に分かれて大きな議論を呼んだが、やがてフリーセックスを謳歌する時代の流れの中で、当初の批判は姿を潜め、新たな視点から今日の心身医学へと発展するのだ。


     一方、エディ婦人によって一八六七年頃から唱えられたクリスチャン・サイェンスは、〝心の歪み″は〝恐怖と無知と罪耳に由来するとし、また多くの宗教家たちは、謂わゆる〝心の迷い″が精神的ストレスを招くと説く。


     要するに古い脳に欝積されたもろもろの欲求不満がストレスになる、というわけ。


     こうした精神論に対して唯物論に立つパブロフ医学は、大脳の抑制機能は、長年の歴史的・社会的規制(道徳律や教育)によって条件付けられたものであり、それが条件反射的にもろもろの欲求を抑圧するため、古い脳との間で葛藤が生じると説明する。

    つまり社会的規制(条件付けられた大脳皮質)と、個人的欲求(古い脳)との相剋(葛藤)が〝心の歪み″である、と見るわけ。


     かくして〝個人の欲求(自由)か、社会的規制(強制・管理)か″を巡って、議論は分かれる。

    つまり、精神論と唯物論の対立である。


     ところで、このように議論が別れるのは、実はこれらの議論の根底に一つの共通した盲点があるためである。

    その盲点とは、〝脳を養っているものは何か″という人間精神の物質的基盤(食生活)についての吟味が全くなされていないことだ。

    要するに「人間は何を食べるべきか」という問題であって、言い換えれば、人間精神(脳)の所産である文化(結果)と、その人間(脳および肉体)を養っている食生活(原因)との三者の関係、即ち(文化→←人間→←食物)という三者の相互関係を正しく理解しなければならない、ということである。


     さもないと、文化が先か、人間(食生活)が先か、という自明の理(因果関係)が逆転して、木末転倒した不毛の議論に落ちることになるからだ。


     従って、まず最初に必要なことは、人間何を食べるべきか、という問題を生物学的に検討することである。

    実はこの疑問に対して、今世紀初め、イギリスの栄養学者マッカリソン博士(当時インド国立栄養研究所所長)が明快な答えを出しているのだ。




    60P
      ネズミの頭が狂った

     マッカリソンは、ネズミを千匹ずつ三群に分け、A群はフンザ食(昔ながらの自然穀菜食)、B群はインド食(高カロリー・精白食)、そしてC群は現在の英国食(高蛋白・高脂食)を与えて飼育した。

    そして二年七ヵ月後(人間では六十歳に相当する)、すべてのネズミを解剖して詳しく調べた。


     その結果、A群(フンザ食)は例外なく健康だったが、B群(インド食)では、さまざまな病変が起こっていた。

    ところがC群(英国食)の場合は、肉体的病変だけでなく、行動上の異常ーー狂暴性を帯び、腹一杯満腹でも互いに食物を奪い合って弱肉強食の修羅場を展開し、遂には共喰いさえ始めた。

                  
     生物界では通常、共喰いは絶対しないのが鉄則であるから、英国食という高蛋白、高脂肪で砂糖をふんだんに使った餌が、ネズミの精神状態を狂わせ、狂暴性にしたわけ。


     この事実をどう見るか。


     問題の焦点は〝高蛋白・高脂食(肉食)と砂糖(精白食)″は〝心の歪み″を招くが、自然穀菜食は健全な肉体と精神を養うということで、〝健全な精神は健全な肉体に宿り、健全な肉体は健全な食事に由来する″ということである。

     それにつけても思い出されるのは、ガンジーとジンギスカンだ。



    61P
        ガンジーとジンギスカン

     周知のように二人は同じ東洋人でありながら、前者は完全菜食と断食を旨とし、有名な〝無抵抗の抵抗〟という絶対
    平和主義に徹して、英国の弾圧を揆ね退け、インド独立の悲願を達した。

     これに対して後者は、遊牧肉食民族の首領で、肉を喰らい酒を呻って、大蒙古帝国の建設を目指し、武力を以て世界を血で染めながら、史上空前の文化破壊者として歴史に名を止どめたが、しかし彼の野望は槿花一朝の夢と消えた。


     これを見ても菜食と肉食の違いは明らかである。


     また、日本の三島由紀夫は市谷の陸上自衛隊を占拠、アジ演説の後に壮烈な割腹自殺を遂げ、日本武士道の花と散った。


     その是非は兎も角、彼が死を以て示した大和魂は、かってベトナム僧が米国のベトナム侵略に抗議して焼身自殺した時ほどの衝撃を全世界に与えることは無く、むしろ軍国日本の再来を恐れる論評さえ散見された。


     片や身にボロを纏い、素食に精進するベトナム僧の平和思想。

    一方は軍服姿に鉢巻きという闘争的な三島由紀夫の思想の系譜。

    同じ東南アジアの民でありながら、この差異は一体何を物語っているのだろうか。


     かって日木民族は、人民のことを〝民草〟とも〝青人草〟とも呼び〝海の幸、山の幸作を愛でながら、それを自然の恵みと観じて、つましい穀菜食を旨としてきた。

    今なお宮中では、田植えと機織りの儀が受け継がれ、新嘗・神嘗の大祭が厳かに行なわれていると伝え聞く。

    これこそ穀菜食民族のシンボルである。

     
     〝緑の青人草か、赤い肉の思想か″、人間思想の源泉は食生活に由来する。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

    昔はお坊さんは魚さえ食べなかったと言いますが、肉食は欲求が増すのでしょうかねえ。

    でも、穀菜食だけのお坊さんがけっこう立派な体格をしていたりしますから、肉がどうしても必要かどうかは不明?です。

    日本人の食は魚鳥類や貝などの動物食も採っていたのでしょうが、実質は少ない割合だったと思いますね。

    それほど、採取脳力もまだ無かったと思われますし。動物肉にしてもそれほど多くとれなかったと。

    主食が穀菜食だったが今より体格は悪くても元気はあったと思います。

    何しろ、今の様な機械文明にはまったく縁が無く、起きていればひたすら何か動いていたと思います。

    耐力を最大使っていたのでしょうし、現代人は何分の一もからだを動かしていないと思います。
    (指や目は動かしています  パソコンやスマホ  脳の活動は現代人の勝ち♪)

     

     

     




    0 0

    よく分からないような題名つけおって!

    まあ、自分でもよう分からんわけでして・・・

     

    それはともかく岡田茂吉氏の御講話録より

    60年余りも前ですので、ちょっとはズレているかも知れませんが・・・

    いまどうして抗生物質耐性菌が強くなっているのかとか、ウイルス性の感染症がなぜ新たに登場するのとか、抗ガン剤がなぜ効かなくなるのかとか、普段飲んでいるクスリの効果が薄くなるのか・・・とか、基本はここに含まれているのかも知れません。

    それは浄化作用が進んでいる地球と、太陽活動の影響とか、夜昼転換論とか・・・

    音声読み上げにしましたが、誤読もありますので実文を読んでください。

     

    参考に虫(農業)、ウイルス、細菌(医学)の必要論

     

     

    世の中には必要悪と呼ばれるものがたくさんありますね。

    表面上で言えば悪なんだけど、奥のほうを探ってみると、結果として善をなしていたという・・ような。

    鬼平「なあ、友蔵よ、ひとは善をなして悪となり、悪をなして善となる・・・・面白いモノよのう~~」

    ところが病源とされるウイルスさんは(細菌も同様)、悪にみえる働きもじつは善となっているとしたら・

    しかも、悪は一面であってほとんどはそのマンマ善の役割をしていたとすると・・・

    10点悪い(本当は逆なんだけど)としても、残り90点をみなさんはどうして認めないのですか!(ウイルスさんの大便、じゃない、代弁)

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーウイルスプラネットよりーーー

     


      その後何百年ものあいだ、「ウイルス」という言葉はさまざまな意味で用いられてきました。触れると病気がうつるもの全般を意味することもあれば、傷口から滲み出てくる液体を指すこともありました。空気中をただよう得体の知れない物質を意味することもあれば、はたまた紙に染み込んでいて指を触れただけで病気になる毒素を指すこともありました。


    ●タバコ農場に広がった伝染病
    「ウイルス」という言葉が、今日のような意味で使われるようになったのは、19世紀も終わりに近づいた頃のこと。

    そのきっかけを作ったのは、農産物の壊滅的な被害でした。当時、オランダのタバコ農場では、タバコの葉に濃い緑と淡い緑のモザイク状の病斑ができてしまう伝染病が猛威をふるっていました。その病気に襲われたら、農場全体を捨てる以外に打つ手はないというほどの厄介な伝染病です。
      1879年、困り果てたオランダの農民たちは、若手農業化学者、アドルフーマイヤーのもとを訪ねて、何とか力を貸してほしいと援助を求めました。マイヤーは被害の惨状を丹念に調べ上げて、これを「タバコモザイク病」と名づけました。


      名前をつけてはみたものの、困ったことに原因がわかりません。土壌、温度、日照量といった生育環境を調べても、これといった異常は見当たらない。もしかしたら、目に見えない何かに感染しているのではないだろうか……。
      当時すでに、ジャガイモなどの作物が真菌(カビ)に感染することが知られていたので、マイヤーはタバコに真菌(カピ)が付いていないかどうかも調べました。しかし真菌は見つかりません。タバコの葉に寄生虫が付いていないかどうかも調べましたが、やはり見つかりません。
     手詰まりになったマイヤーでしたが、最後に、病気のタバコの液汁をしぼって、元気なタバコに注入してみました。すると、元気だったタバコの葉に、モザイク状の病斑が現れたのです。ついに突破口が開けました。
      何か目に見えない病原体が作物の中で増殖しているにちがいない。そう考えたマイヤーは、病気にかかったタバコの液汁を採取して、それを実験室の培養器に入れておきました。すると、細菌のコロニーが出現して、肉眼でも見えるほどの大きさにまで成長したのです。マイヤーは、その細菌を元気なタバコに付けて、それがタバコモザイク病になることを確認しようとしました。ところが、結果は予想を裏切るものでした。その細菌を付けても、タバコモザイク病にはならなかったのです。ここでマイヤーの研究は頓挫してしまいます。



    ●細菌よりも小さい何か
    それから数年後。マルティヌスーベイェリンクというオランダの科学者が、マイヤーの断念した研究に再び挑みました。

    タバコモザイク病の病原体は、細菌ではない何か、細菌よりもはるかに小さい何かにちがいない。そう考えたベイェリンクは、病気のタバコの葉をすりつぶし、その液汁を、植物細胞も細菌も遮断する目の細かい濾過器にかけました。そして、その澄んだ濾液を元気なタバコに注入したのです。すると案の定、そのタバコの葉にモザイク状の病斑が現れました。


      こうしてマイヤーの研究から一歩前進したベイェリンク。さらに、新たに感染したタバコの液汁を細菌濾過器にかけ、その濾液を用いてさらに別のタバコを感染させることができるのを確認しました。病気のタバコの液汁の中にある何かI細菌よりも小さい何かIが自己増殖して、病気を広げているにちがいありません。ベイェリンクはその液を「感染力をもつ生きた液」と呼ぶことにしました。
      「感染力をもつ生きた液」に含まれている「何か」は、生物学者たちが知っているどんな種類の生物とも異なるものでした。信じがたいほど微小であるうえに、驚くほど丈夫で強靭なのです。  (中略)


      ベイェリンクは、この「感染力をもつ生きた液」に含まれている謎の病原体を指すのに、「ウイルス」という言葉を用いました。このとき初めて、「ウイルス」という言葉が、今日と同じ意味で用いられたのです。


      しかしながら、ベイェリンクは、ある意味、「~ではないもの」というかたちでしかウイルスを定義していません。動物でもなく、植物でもなく、真菌(カビ)でもなく、細菌でもないもの。ではいったい何なのか。ベイェリンクはそれには答えられませんでした。19世紀の科学で解き明かすことのできる限界にまで達してしまったのです。
      ウイルスのことをもっと深く理解するには、高性能の器具や高度な知識の出現を待たねばなりませんでした。その後、電子顕微鏡の発明によってようやく、ウイルスの正体をとらえることが可能になりました。
      ウイルスは想像を絶するほど微小な粒子です。  (中略)


    ●ウイルスー個が、1日で1000個に増える


     ところで、ヒトの細胞には何百万もの多種多様な分子が詰まっており、それを使って周囲の状況を探知し、移動し、栄養を取り込み、成長し、2分裂して殖えるか、周囲の細胞のために自殺するかを決めています。それに比べると、ウイルスは格段にシンプルです。
      これまでに研究されてきたウイルスの多くは、わずかな遺伝子と、それを包むタンパク質の殼だけで構成されています。わずかな遺伝情報しかもっていないにもかかわらず、他の生命体を乗っ取ることで、自己を複製することができます。


    自らの遺伝子とタンパク質を宿主細胞に送り込んで、宿主細胞に、自己のコピーすなわち子ウイルスを作らせるのです。1個のウイルスが細胞内に入ると、ウイルスの種類にもよりますが、1日で1000個以上に増えて細胞から出てきます。


      1950年代までに、こうした基本的な事実こそ明らかになりましたが、ウイルスが病気を引き起こす多様なメカニズムは、ほとんどわかっていませんでした。
      パピローマウイルスに感染するとなぜ、ウサギに角が生え、多くの女性が子宮頸がんになってしまうのか。
      致死率の高い強毒性のウイルスと、比較的無害なウイルスの違いはどこにあるのか。
      ウイルスは、どのようにして宿主側の防御をかわし、いかにして地球上のどんな生物よりも速いスピードで進化していくのかーー。
      こういったことはまだ解明されていなかったのです。
      さらにいえば、のちにHIV(ヒト免疫不全ウィルス)と命名されるウイルスが、すでにチンパンジーから人間に伝播していることも、また、30年後にそれが人類史上最悪の疫病の1つとなることも知らずにいました。

      当時のウイルス学者たちは、地球上にこれほど膨大な数のウイルスが存在するとは夢にも思っていませんでしたし、生物の遺伝的多様性のほとんどがウイルス遺伝子に見いだされるとは予想もしていませんでした。

    私たちの吸う酸素の多くがウイルスの力を借りて生成されていることも、また、ウイルスが地球の温度調整を助けていることも知りませんでした。

     さらに、ヒトのゲノムの一部が、人類の遠い祖先に感染した何千ものウイルスから構成されていることや、私たちが生命と呼ぶものか、40億年前のウイルスから出発した可能性があることなど、想像もしなかったはずです。

      今では、科学者たちはこうしたことがらを事実として把握しています。この地球は、「結晶の洞窟」から人体の内部に至るまで、どこを探してもウイルスのいない場所はないウイルスの惑星である、というのが現在の共通認識なのです。

     ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


    ということで、ワタシもアナタも身体の内でも外でもウイルスさんが居ない場所は無い・・・のです。

    もう私らは細菌もウイルスもウジャウジャしている海の中にいるようなモノでして・・・(汗;

    え?除菌・・・そんなもの無駄なんですよ。

    もしアナタからウイルスや細菌を取り除いたら、アナタは存在できません。


    引用記事によるとウイルスはどんだけ地球のため、人間のために働いていてくれるのか・・・。

    それを

    医学の方では破壊神としてだけウイルスを見ているわけね。

    しかし生物学、微生物学の方ではちゃんと「創造神たるウイルス」の面も見ているわけ。

    全体としてはウイルス(細菌も同様だが)が病気に関わっている面はごく少数派のわけ。

    その少数派だけの「追っかけ」派が現代西洋医学一派(笑)、しかもそこに、製薬企業やらの医療関連企業体有志連合がバックに控えているためもあるが、医学専門家たち(医学に騙されてしまった医学者達、研究者達と言ってもいいかな?あ、悪い・・・)の視野の狭さがあるのね。

    のぞき穴が狭すぎて、しかも狙う位置が悪かった・・・  (あ、ババアばっかりじゃないか オイ!、いや、ジジイばっかりじゃないか ←たまには女性ののぞき魔が居てもイイデショ)

    ゆえにウイルスと聞けば、即、病源!

    と答えてしまうパブロフの犬のようになってしまうのでしょ。


    泥棒やスリをやると警察官が鬼のように見えるわけ。自分が悪いのにね。

    でも、小さな子供達やワシのようなお年よりを護ってくれているお巡りさん、としてみると頼もしく見えるのね。
    (ああ、それなのに・・・ワシ、警察官みるとなぜか萎縮しちゃうのね・・・)


    ウイルスが病気に関して働くのは、我が身の方に病源があるからよ。

    たとえば細胞内が汚れてくれば、はやく片付けて新しいのと交換しなければいけません。

    その細胞に入り込み(ほんとうは細胞の方が呼び寄せるのだろうが)その汚れた細胞の情報を掴んで、こんどは分裂してたくさんの分身が他の同じように汚れた細胞に入り込むわけ。

    そして、「この細胞は汚れていますよ~と赤旗、いや、黄色でもいいんだけど、目印を立てる」わけ。

    すると、身体の方の掃除隊(免疫力)が出動して、その旗印をつけた細胞だけを壊して外に捨ててしまうのね。

    掃除がほぼ終わればウイルスの役目は終わりだから消え去ってゆく。

    ホントニホントニ、ゴクロウサン♪



    なのだが、(あ、仮の科学ですよ)

    その掃除のつらさが身に染みて、「や、やめて~~~苦しい~~~」と泣き叫んでアナタは薬飲んだり、掃除嫌いだから予防と称してワクチン入れるんだね。(ボクも掃除嫌い。そのぶん散らかし好き♪)

    だけど、そのワクチンそのものがまた要らないゴミなのだから、その掃除にまたウイルスや細菌が働くというわけ。

    切りが無いネエええええ¥~~~

    これじゃあ、せっかく最初のゴミ掃除(風邪やインフルエンザ)までホカシテ(逃れて)しまうから、毎年まいとし流行を繰り返し、ついには最終ゴミ処理管理人「癌、ガン、がん」の登場とあいなって、いまやガン先進国として日本人は世界に誇れるようになったとさ。


    この話、なんだか嘘くさいねえ~~~

     

    それはアナタ次第

     

     





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    医者に命を預けるな


    あのベストセラーになった「

      商品の詳細 大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ (幻冬舎新書)

    2012/9/14

    の著者 中村仁一先生の本の紹介です。



    病院で亡くなる人は約75パーセントだそうですが、ほとんどの人は元気なときには「ワタシは自宅で逝きたい」と、希望しているそうです。

    だけど、いざとなると、やっぱり病院行き。たとえ98歳であろうと、最後は救急車で運ばれて病院で終わりを迎える。(現に親戚のおじさんがそうなりました)

    それは本人がそう望んだのでは無く、家族の方がそうするのです。

    もう一日でも長く生かしたいという願いもあるのでしょうが、実質的にはそんなことは無駄な努力でもあり、むしろ苦しみを長引かせるだけなのかも知れない。

    そのことは、もし自分自身がそうなった場合には、きっと嫌で避けたい事だと思います。

    だが、ちっぽけな愛情なのか、世間体を気にするエゴ愛情なのかは分かりませんが、一日でも長く・・とか、精一杯の医療を受けさせてあげたいと願うのか、そこは「まったく医療を信じ切っている信仰者」であるゆえに、自分で考えることもないのでしょう。


    それについて今の内に自分自身がよく考えておくことが必要でしょう。

    いざという時、もう自分では決められないほど心身共に弱っているので、もうその時には「時遅し」で、決定権は家族が持っているからです。


    もっとも、「自分は嫌だけど親の時はそうした」なら、自分が同じ目に遭うのも、それはそれで責任をとってよいのかも知れませんが。

    死ぬ時の往生際という状況は誰にでもやって来るのです。

    その時にはもう遅いのですから、いま考えてみたらと・・・自分のことは棚に上げてお薦めするのが上記の本です。



    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー



     はじめに

    医者である私がたどりついた結論

    「医者に命を預けるな」とは、かなり過激なタイトルのような感じがします。

     しかし、やってみないとどうなるかわからないというのが医療です。

    できることは何でもやるという医者の「最善」が、ときに「最悪」の結果をもたらします。

    このような
    不確実性”の医療に、過大な期待を抱いて安易に委ねるのではなく、あくまで、主体的に
    〝命の主人公”をまっとうしてほしいのです。

     とくに、死の場面での関与が問題です。

    死ぬのを防ぐことは不可能なのに、「死は医療の敗北」と考え、治すための治療を徹底するほど、死から穏やかさを奪い、無用な苦痛を与え、悲惨な結果を招来することになります。

     幸せな臨終を迎えるために、以前のような安らかな自然な死をめざすためにどうしたらいいか考えてみよう、というのが本書の目的です。

     自然なとは、そのまま様子をみる、何もしないで、の意です。

     そもそも、人間をはじめとして、あらゆる生命体は、自然治癒力をもっています。

    病気やケガを治す中心は、これなのです。

    医師の腕や薬の力では、決してありません。

     私自身は、熱が出ても、生まれてこの方、解熱剤はただの一度も使用した経験はありません。

     発熱であろうが痛みであろうが、生体に無駄な反応はなく、たいていは合目的的な意味のあるものと思っているからです(たしかに、時折、アレルギー反応という好ましくない反応もありますが)。

     したがって、熱も愛い奴であり、目の敵にしたことはありません。

    近頃は時折、発熱にも免疫力を高める作用があり、好ましいものであり、むやみに下げるべきではないという説も散見されます。

     妻からは、かぜをひいても薬を飲ませてもらえないと恨みごとをいわれますが、その都度、病気と闘いつつ、異物である薬の処理にエネルギーを割くよりは、病気一本に絞ったほうが効率はいいはずと、説得してきました。

     また、高熱によって頭がおかしくなるのではとの危惧を抱く向きもありますが、熱によっておかしくなるのではなく、脳炎や脳膜炎のように、高熱の出る病気の中にそのようなものが含まれているというにすぎません。

    熱があるからしんどいともいいますが、しんどいことの原因は、熱ではなく、病気そのものでしょう。

    熱を無理に下げても、病気本体がよくなるわけではありません。

    心理効果はあるかもしれませんが、回復まで〝かえって、時間がかかる可能性がある゛と、自身と家族の体験からは考えています。

     私たちの身体は、内部に何か不都合や歪みを生じたとき、必ず注意信号や警告のサインを発しているはずです。

     いかに科学技術が発達しても、つくりえないほど精巧につくられている人間が、ある日、突然ぶっこわれることなど、ありうることではないのです。

    したがって、私は、突然死はありえないと思っています。


     もし、見かけ上、突然のように思われるのは、内部からの警告のサインを無視、軽視した結果か、あるいは、野性昧の喪失に伴い、サインを感知する能力が低下したせいではないかと思います。

     それは、手軽に医療にかかれるようになったため、以前ほど身体の内部に注意を払わなくなった結果生じた、陰の部分だと思います。


      医療に対する信仰を弱めよう

     医療をあまり過大評価してはいけません、かといって、全否定しているわけではありません。

     ただ、一般に受け取られているより、もう少し割り引いて考えるべきではないかと思うのです。

     激烈な疼痛の緩和など利用できるものは大いに利用したらいいでしょう。

    ただ、あくまで病気を治癒に導くのは、自分自身であり、自然治癒力だということを忘れないほうがいいのです。

    医療者は援助者であり、薬は援助物資にすぎないのであり、決して主役たりえないことを。

     援助者として、治りやすい環境づくりの助言を求めたり、あるいは、外科の手術のように、治るのを邪魔しているものを取り除いてもらうところまでは、期待していいでしょう。

     しかし、薬も異物である以上、副作用があってしかるべきであり、手術も人工的な大ケガである点で、生体にかなりの負担をかける関係上、不測の事態が生じても不思議はありません。

     医療には、何事によらず、一〇〇ハーセント安全ということはありえません。



    どこまでもやってみないと結果がどう出るかわからないという、「不確実性」がついて回るのです。

    したがって、具合の悪い点、不都合な面もすべて知った上で、効用との兼ねあいで決めるにしても、最後は〝賭け”となります。

     成功率九五パーセントといっても、あなたは間違いなく九五のほうに入るなどと、断定しているわけではないのです。

    ありていにいえば、一応の目安ではありますが、実際はどっちに転ぶかわからないということです。


     統計を科学的手法といいますが、集団に適用しえても、目の前の個人には通用しない、ある意味では、いい加減なものといえます。


      病気といかにつきあうかは人生の問題である 一応、「インフォームドーコンセント(医師が患者に診療の目的や内容を十分に説明し、患者の同意を得ること)」は、表面上定着した感があります。

    中心は、自己決定を援助することですが、そのためには、前述のように治療のマイナス面を知ることが大切です。

    が、もう一つ、何もせずに放置したらどうなるかも、選択に際しては重要なポイントとなります。

     しかし、発熱に対してすら、解熱剤を使用せずに、様子をみるという経験をもたない日本の大部分の医療者には、この点に関しては情報提供者としての資格がないようにも思われます。

     現在、病気の中心は、慢性の疾患、生活習慣病という、うつらない病気に移行しています。

    これらは、生涯つきあう病気です。


     病気といかにつきあうかは、医療の問題というより人生の問題です。

    しかし、ふつう、医師は医学の、それも病気の勉強しかしていません。

    だから、必ずしも豊富な人生体験をもっているとは隕らず、また、人生修行を格別してきたわけでもありません。

    したがって、プロとして、技術的な面では全幅の信頼を寄せられても、精神面においても当てにしていいとは隕らないのです。

     そこで、基本的には「頼るな、任すな、利用せよ」となります。

    利用するのはいいですが、無条件に任せてはいけません。

    まして、何もかも頼ろうとするのは、あまりにも無謀といっていいでしょう。

     前述のようなうつらない病気は、治らない病気なのです。

    いくら精密検査をしても、完治の方法は出てきません。

    「診断あれど治療法なし」、どれほど詳細にわかったとしても、それを好転させる手立てがないのなら、それほど意味があるとはいえないでしょう。

                         

     患者としては治りたい一心で、やむを得ず、つらい、苦しい、痛い検査も我慢するのです。

    したがって、勝手な思いこみではなく、その検査の結果を踏まえ
    て、どのように治療法が変わり、病状の好転がどう期待できるのかを確認する必要があるでしょう。

     私のモットーは「救急車は呼ばない、乗らない、入院しない、手術しない」でありますが、医療を完全に拒否しているわけではありません。

    血管が切れて血が噴きだしている場合や骨折などのケースでは、どのような治療が行われ、結果がどう予想されるかを勘案した上で納得がいけば、救急車に乗ることや手術をすることはありえます。

    ただ、脳卒中や心筋梗塞などでは、救急車を呼ばずに、そのまま様子をみたいのです。

     もし、それで命を落とすようなら、それは寿命であり、半身不随で蘇るようなら、仏教徒の私としては、それはそれで生きてみせろど、仏から見込まれたものと受け取りたいのです。

     かつて松田道雄氏がその著書『安楽に死にたい』(岩波書店)の中で「医者でいて病院でなく、あえて自宅で亡くなった方が身近に何人かある。

    どの方も病院にながくつとめた熟達の医師である。

    (中略)医者が病院を敬遠するのは、それほど奇矯なことではない。

    いや、良識からいって当然なことだという考えが、こちらが死に近くなるほど強くなってきた」と書いておられます。

     どうも、病院で死にたくないと思うのは、私ばかりではないようです。

     放置した末の植物状態ならともかく、低体温療法など、人為的に手を加えられた結果のそれは、耐えがたいので、できるだけ避けたいのです。

    もちろん、救命努力の結果であることは、充分承知の上です。


      死を医療者の手から取り戻そう 
    他の生命体の犠牲によって生かしてもらっている以上、人間も〝自然界の掟”には、従わなくてはいけません。

    したがって、自力で息ができない、あるいは、自力で飲み食い不能の状況は、寿命の尽きている証拠と考えていいでしょう。

     それゆえ、点滴注射や経鼻経管栄養や胃瘻からの栄養が一時的なものならともかく、半永久的となれば、掟違反と考えています。

     準植物状態の場合なら、囗から一さじ二さじと食べさせてもらうだけでいいですし、もし、むせて気管に入り、肺炎を起こして一巻の終わりなら、それもそれでいいのです。

    また、介護者の都合で食べさせてもらえなければ、それも縁としていただこうと思います。

     いずれにしても、囗からということになれば栄養充分とはいかないので、何ヵ月も生き延びることは考えにくいと思います。

    寿命が尽きている以上、当然でしょう。

    昔から「末の六〇日」といわれてきたのは、この辺のところを指したものでしょう。

     これが、入院するとどうなるか考えてみましょう。

     原則として、病院医療は、たとえ、どうやっても治すことができないとわかっていても、最後まで治すための医療が続けられます。

     しかし、考えてみれば、これは入院する、あるいは、させる側にも問題があります。

    なぜなら、入院は、  いかなる手段を使ってでも   徹底的に治療してほしい、どのような状態であ今っと一分一秒でも長生きさせてほしいという、患者側・家族側の意思表示にはかならないからです。



     ある判決に「たとえ重篤な状況にあって、いずれ死を免れないことがわかっていたとしても、その生命の維持または延命に向けて真摯な治療を続けるのが一般的であるし、またそうすべきであり、そのような治療を求める患者の期待は、合理的なものとして、法的に保護されるべきである」とあります。

     このように、原則として、医師には延命治療を施すべき法的義務があると考えられるのです。

     通常の寿命を、チューブ入りの練り歯みがきにたとえると、手で搾りだせなくなった状況に匹敵すると思われます。

    さらなる延命治療となると、特殊な道具を使って徹底的にしごき、逆さにして振ることに相当するかと思うのです。

     私自身は、このような状況は願いさげにしたいので、比較的最後まで意思表示可能な、がん死を願っています。

     仏教では、「人生は苦である」といい、死もまた四苦の一つです。

     苦とは、苦しみではなく、思い通りにならないこと、意のままにならないことです。

    したがって、希望は希望として最大限努力するにしても、根本的には、死は人間の関知する領域の問題ではないことになります。

     病院での死亡が七割を越える(二〇一一年は七六・ニパーセント、割合は減少していますが死亡者総数が増えているので実数は増加)といわれますが、医療の関与により、人はより幸せに死ねるようになったのでしょうか。

    濃厚介入により、より悲惨、より不幸になったような気がしてなりません。


     簡単に医療を受けられなかった以前のほうが、よほど安らかに死ねたのいでしょうか。

                     

    どうも、自然な、穏やかな死を希望するなら、死を医療者の手から奪還てはならなくなっているようです。

    そのためには、医療の実態や医療そのものの理解を深め、死についてはより具体的に考え、医療を受けるにあたっても、充分に自己決定権を発揮することが望まれます。

     勝手なことを書き連ねていますが、いくばくかでも読者の参考になれば幸いです。

                                    中村仁一

     

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    内容は本を買って貰うとして

    日本人のほとんどが医療信者ですから、医療にかからないと無駄死にとか不自然死などと思い込んでいるのでしょうが、

    実際は医療が生命を助けることはホンノ一部に過ぎないと思います。

    そういう事は前にも紹介した、岡田正彦先生の本を数冊読めば分かることです。

    結論としては、医療のお陰で長生きしたかどうかの大規模調査の結果は

    ほとんど無かったということです。

    むしろ、短命だったという報告まであって、これは医学界ではタブーでしょうから日本人のほとんどはノー天気状態で知りません。

     

    中村先生は「現代医療の全てを否定するわけではありません」 ゆえに、語る言葉に真実性が高いのです。

    しかも長い間医療の現場に関わってきたことで、医療の真実がよく見えたわけです。

    ただ、他の医師と大きく異なることがあります。

     

    それは医療界で真実を語る勇気があったということです。

     

    普通の医師は知っていても知らないふり、いや、そういう事を言えば医療界では村八分状態になるようですから、保身のためには黙っているのが一番。

    その言い訳として

    以下は過激な分になりましたので、割愛しました。

    ご自分で想像してください。

     

     

     

     

     

     

     


    0 0

     

    炭水化物が地球を滅ぼす?

    え__

    なんか、米を食うなと?

    パンを喰え?

     

    欧米か!

     

     

    なわ・ふみひとの「Browse 365」 (2016.2.5)
    『体によい食事 ダメな食事』 幕内秀夫・著 (三笠書房)
    http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1302-05.html

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    体によい食事 ダメな食事     
                
        幕内秀夫・著  三笠書房     
            
        
     アメリカの小麦戦略――日本人の食生活を変えて輸出を増やす!

      戦後の栄養教育は、理由なき「欧米崇拝思想」によって、米を中心とした食生活を批判してきたわけです。“意図的な米叩き”ともいうべき運動が行なわれていたのです。
      アメリカの対日小麦戦略を最前線で指揮したリチャード・バウム氏は、『アメリカの小麦戦略』を書いた高島記者に対し、次のように話しています。

      学校給食の拡充、パン産業の育成など、私たちは初期の市場開拓事業の全精力を日本に傾けました。ターゲットを日本にしぼり、アメリカ農務省からの援助資金を集中させたのです。その結果、日本の小麦輸入量は飛躍的に伸びました。
      特に若い人の胃袋に、小麦は確実に定着したものと理解しています。日本のケースは私たちに大きな確信を与えてくれました。それは、米食民族の食習慣を米から麦に変えてゆくことは可能なのだということです。

      具体的に行なわれた事業は、キッチンカー(内部に料理台などが取り付けられた大型バス)によって、「小麦食を基本とした料理」の講習会、学校給食のパン導入、パンを焼く職人の育成などでした。そして、それらの事業で行なわれた内容は、「米はいかに悪い食べ物か」を訴えるものがほとんどだったのです。

     「日本人は不思議なほど達者である――ザビエルが日本食を絶賛した理由

      パプアニューギニアの高地に生活する人たちは、食事の90%以上がサツマイモで、肉や牛乳はほとんど口にしません。それでいて、筋骨たくましくよく働くといいます。日本の長寿村といわれた山梨県の棡原(ゆずりはら)村の長寿者も、肉や牛乳などはほとんど食べなくても、なんら困ることなく重労働をこなしてきた人たちです。


      あるいは、宗教的理由つまり戒律によって「肉を食べない」という人たちが世界にはたくさんいます。しかし、それらの人たちに特別に貧血が多いとか、がりがりにやせて力仕事もできない、などという話も聞いたことがありません。


      日本の土を踏んだフランシスコ・ザビエル神父が本部あてに出した手紙には、次のように書かれています。



      日本人は自分たちが飼う家畜を屠殺することもせず、またこれを食べもしない。彼らはときどき魚を食膳に供し、ほとんど米麦飯のみを食べるが、これも意外に少量である。ただし彼らが食べる野菜は豊富にあり、またわずかではあるが果物もある。それでいて日本人は不思議なほど達者であり、高齢に達する者も多い。したがって、たとえ口腹が満足しなくても、人間の体質は僅少な食物によって十分な健康を保てるものであることは、日本の場合によっても明らかである。



      まさに日本人は肉や牛乳などほとんど口にせずに生きてきたのです。しかも、その歴史は10年や20年ではありません。

    現在の栄養教育の主張するように、本当に肉や牛乳が健康を維持するために必要なら、とっくに日本人は滅びていてもおかしくはないはずでしょう。


      そして、現在の栄養教育からすれば栄養失調だったはずの私たちの祖母は、子供を10人も産んできたのです。それも特別な話ではなく、ごく当たり前の話だったのです。



    ★もっと読んでみたい方はこちらをどうぞ → 体によい食事 ダメな食事

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    ううううむ~~~~

    ワシ、気がつくのが遅かった・・・かな・・・・

     

    昔はパン大好き、コーラがぶ飲み、甘いのだいだいだい好き

    そして、いまは話に、いや歯無しに。。 (まだしぶとく残っているのが半分あまり

     

    そういえば、朝飯抜くひとがなんチャラ病に罹り易い  なんて報道があったが

    あれって、単純な統計だろうな。

     

    どういう人が朝飯抜いていたのかという背景がサッパリ分からん。

    もしかしたら、夜更けまで起きていたり、夜中まで飲み食いしていたりして

    そういう生活しているから、朝は食べる気もしない奴かも知れない;;

    意識的に朝を抜いている奴とはちょっとちがうだろ。

     

    不摂生しているから、朝飯が食えないって。

    それよりも、ニッポン人が朝パン食が好きな理由。

    まあ、うまいからかも知れないが、作る手間が格段に簡単だからね。

    しかし、その裏には ご幼少のころに  パン食を学校給食で植えつけられたわけか。

     

    米の国ニッポンが米国からパン食えと・・・・・

    そうすると、foolになるY

    そうか、パパ、ママと呼ぶニッポン人は食も合わせないとねえ

    といいつつ、あそこのパンはうまいからまた喰いたいなあ・・・とアタマによぎるボクだった。。。

     

    まあ、お好きな様に。

    当局はキミの脳や身体に一切関知しない。  事故責任で唖ル

     

     

     

     


    0 0

    ボクはまず「試してみる」ことが大切だと思っているし、ポリシィでも唖ル。

    やってみなければわからないじゃないか。

    それが真実なのかどうかウソなのかどうか、やってみなければ分からない。

    だから、最初から信じろとか疑うなとか言う言葉は信用しない。

    疑ってそこで止めてしまうのもダメね。

    また何も無い内から信じるのも自分を偽っている(表面意識のことだが、潜在意識の方は知りませんよ)

     

    まず好奇心、そして「試してみる」


    それから自分で分かった分だけ信じる。

    ところが、他人の分まで信じてしまうことが多いんだよな~~

    ここが落とし穴になることがあるから気をつけなければ・・・

    多くの人間のうち、小数のひとに起こった事を、全体に起こることと勘違いしてしまう。

    すると、ソレは自分のものではないものを絶対にしてしまうから、外れてしまう道に・・・・

     

    ここでも重力波について、巨大研究所がとか、もしくは逆にただの個人の発見とか・・・

    そういう他人のことを信用する場合、どうしても選択肢が偏りやすい。

    大きかろうが、小さかろうが、権威があろうが無かろうが・・・・

     

    そんなの知らんよ。

     

    ところで、重力波がニュースになったが、この日本ではずっと昔にそれを発見した、しかもそれを応用しようという技術まで実験していた個人が居た。

    それを好奇心たっぷりがけ丼好きなボクがハマったことがあるというのでした。

     

    だが、

    あのグラヴィトン研究所のHP更新が行われていない・・・・・?

    潰されたのか? 

    医療界でも同じような事が昔からあった事だが、これには強大な利権が関わっているからだ。

    ひとりじめ、ひと~~りじめ~~♪(くりかえしてください)

     

    そう、個人の画期的な発見が強大組織の都合でいとも簡単に潰されるのだ。

     

    グラビトン=グラヴィトン

    聞いたことがあるだろうが・・・・え?  ない・・・

    そもそも、波動」という言葉自体が日本人が知らない人が多いという。

    むかし、そのグラヴィトンの実験を河原でやっていたとき、ちょうど市役所の職員が通りかかった。

     

    なにやってるの?

    ボク「はい、グラヴィトン波動の実験です」

    「波動?」

    大学出の彼氏は知らないという。 一緒に居た女子職員も知らない様だった。

     

    波動」を知らない?  そう、大学教育では教えられなかったのか、もしくはまったく興味が無くて忘れたのか・・・・

     

    そこで、膏肓教育をなんとか最後までやり遂げたボクはちょっと説明してやったが、理解出来ないようだった。

    なんたって、ボク自身がよく分かっていなかったからだ。(爆

     

    ところで。。実験(おお~~!)とは?

     

    はい、ただグラビトン用紙(波動発生する写真を印刷しただけの紙)を燃やして、小石に波動が転写するかどうかというお試し(笑い

    ところが、後日この小石を無料であげた一人の老婆、じゃない! 年配のご婦人がその感想をくれたのだ。

    「わたしゃあ~~バスに乗って眠ったことが無かったのに、この小石をもって乗っていたら、眠られたんですよ♪」

    おお~~! 

    このグラヴィトン発生の基となっているのは磁石を利用したものであり、それと水晶(波動を増幅するらしい) の組み合わせで唖ル。

    そして、それを写真にとって、さらにパソコンでその写真を何万回か何万回も貼り合わせて(レイヤーで重ねる)から統合するというもの。

    そして出来上がった写真は前にもこのブログで貼り付けたのでご覧阿禮。

    どこだったかな?

    検索してみてください。

     

     

     


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