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「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

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    あの関先生の本で既に紹介されていた本がありました。

     

    心は宇宙の鏡―いま見えてきた「グラヴィトン」の時代 | 関 英男 ..

     

    1500円(中古)がありましたが、購入者が出ていま2000円くらいですが、意外と根強い人気本。

    また、天啓的なひらめきで磁石を利用したグラヴィトン発生装置を発明した方のHPがこちら

    波動、グラヴィトン

      で、グラヴィトンまたはグラビトンとは?こちらをクリック!

    最新更新したホームページ、こちらを是非クリックしてください!

     

    (最近は更新してないので、なにか妨害でもあったのか? それとも飽きちゃったのか(そんなわけないな)、それとも、行き詰まったのか? 潰されたのか(医療界のように

     それが本当にグラヴィトン波なのかどうかはアナタが検証してください。

     関英男博士の グラビトン波の模式図らしいです。

     

     

     

    you ちゅうぶる(中古)でもありますね。

     

    Gravitonics gravitonrainbow

    グラヴィトン波は極々精妙な波動という。

    エネルギーは微細で精妙 ゆえに物質的要素から離れている     らしい

     

    昔だが・・ボクも好奇心でやってみたグラヴィトン波動の基写真を繰り返して貼り付け統合するという作業(パソコンで自動作業だが) おそらく累計10万回以上

     

    それに表紙(前面に出る画像)を好きなものを貼り付けたもの

    これね  ↓

     

     

    見るな、感じるんだ!

     

    ボク?   いやあ~~さっぱり分からん  (鈍感なのです

     

     

     

     

    ところで、
    ニュートンやエジソンが晩年はオカルトの研究をしていたという。

    当たり前ですよね、物質世界の裏には密着して非物質世界があるのですから。

    科学者も物質を追求すればするほど、その非物質世界に入り込むのは当然。

    ゆえに、見えない世界を無いとする科学者はまだまだ駆け出しなんです(笑い

     

    その見えない世界を称して「オカルト」と呼んだのね。
    つまり、ご自分の才能のなさで理解出来ないものを十把一絡げにして「オカルト」よわばりしちゃうわけ。  ミソクソ一緒にするなよな、西欧諸国民よ。 あ、ニッポン人もいるか・・・

    まあ、いつの時代も先駆者はオカルトとかヒカガクテキだとか言われて、無視ならまだしも、迫害の目に遭ってきたわけ。

    それが今回の重力波発見などと大騒ぎするわけは、それが権益大のところから発信されているだけのこと。

    すでに世界のどこかでこんな初歩的な重力波のことは研究実験されていたのでしょ?

    千島、森下学説がオカルトだとか非科学的だとか言われ無視されてきたのもその一環のわけ。

    医療関係者の大多数がいまだ進歩の遅すぎというわけで、発展途上国が先進国を理解出来ない、いや南洋のド人並なのかどうか分かりませんが、彼らは自分たちだけが進歩していると思い込んでいるだけのこと

    世の中はもっともっと進歩した先駆者達がごまんといるのにね。

    それを発見するのが並のわしらの度量というわけ。

    その第一のツボは、

    好奇心

      奇怪を好む(笑い

    はてさて・・・奇っ怪な!

    好奇心こそ、次の段階 「試してみる」とか「聞いてみる」とかで、あって

    「最初から信じることではない」のです。

     

      信じる者は救われん( あ、勘違いしているっていうんでしょ。 救われん=救われないと)

     

    まあ、全部が全部とは言いませんけどね。

     

    それよりか、「まず、疑ってみる」ことから始まってもよいくらいで、次の段階に進まないひとはそこで終わりね。 損なひとたちが「オカルト」だとか「非科学的」だとか言って、何もしないうちに否定しちゃう人種ね。

    まずは疑いなさい。その次が大切なのですけどねえ

     

    そして、それこそ科学だと言うんですよ。

    そこから検証が始まるんですから。そこで止まっていたら科学者ジャナイ。

    なんでも否定する前に、その検証をしなさいってね。

     

    あ、グラヴィトンでしたね、  あれもボクは実験というか、試しに磁石をヒモで巻いて作ってっました。いまでもありますけどね。

    でも、今はほとんどやっていません。

     

    それよりか

    人体から放射されるグラヴィトン波もあるのではないでしょうか?

    それが誰でもできるであろうという手かざしなんですが、個人でやってみたらいかがかと?

    まったく何も無い事は無いでしょう・・・(やってみなければ分からないが)

     

     

     意識するとなにかが始まる

     

    ナンダロ?

     


    0 0

    まあ、誇大広告並みの題名で申し訳ありません。

    が、嘘かホントかは自分で見分けてください。

     

    ーーーーーーーーーー以下転載ーーーーーー

     

    「「ワクチンが天然痘を撲滅した」は嘘です」は嘘です


     

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    え?  それってウソ?  

    なのかどうか、WHOの方が正しいのかどうか?

    そして、もしも・・もしもですよ・(笑

     

    万が一(笑)  WHOの方がウソだったとしたら・・・・・

     

    もう笑っちゃってどうにも止まらないバッカえびせん♪

     

    どうなんだろ?

     

    こんな妄想、いや空想対談もあるし・・・

    おじいさんとの対話 6 天然痘と種痘の関係 復習 - わたしんち

     

    どうなんだろ?

    って、自分でかんがえろよ!

    そうは言ってもネエ~~~  ワシもよう分からんのだ(爆汗

     

    そういえば、現代の賢人はやっぱり賢く説いている (当たり前か賢者だもんね)

    ワシ、邪険者

     

    ワクチンの祖と思われたジェンナーの真相 さんから

     

    さらにこんな話もあるが・・・


    内海聡の内海塾

    2015年2月7日

     

    そして

    まだ言うか! と

    おじいさんとの対話 6 天然痘と種痘の関係  復習

    音声読み上げまでつくちゃって~~♪

    アンタのヒマねえ~~

    ホントニホントニゴクロウサン♪

     

     追記  (え!まだあるの~~~)

    予防接種の歴史 「天然痘撲滅勝利宣言」からみる 現代医学の感染症対策
    http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/322.html

     

    つい、追記 (おい!いい加減にしろや)

     

    世界の真実ブログ様より

    「ワクチン予防接種」の真実とは!

    ジェナーを賞賛して、クライトンを排斥する医学界 の傾向は止まらなかった。クライトンの本はボイコットされ、隠された索引の中に 追いやられた。 
    この時から おそらく人類に対する最もひどい欺瞞、「ワクチン予防接種」が始まった。

     

     う~~~む、

    これだけ出しても・・・・消化できない?

     

    まあ、丈夫な胃袋、いや脳袋だこと!

    やっぱ、寄らば大樹の陰だな♪  

    よし!やっぱ

    「天然痘は医学の叡智によって撲滅されたんだ」とワシも

    長いものには巻かれろ堕悶根。

     

    あれ、大樹が老木化してもうすぐ・・・・斃れそう?

    長いものも老いてしまって・・・・干からびてきた?

     

     

     


    0 0

    なな、なんだ・・・・パスツール一派?だと!!

    どうも、医学は死相、じゃないな、思想なんだな・・・と想うようになってきた。

    というより、前々からそうなんだろうけど。

    ロバート・メンデルソン医博が現代医学は宗教だと、しかも迷信呼わばりしたのも、きっとこの「考え方」にあるのだろうね。

    というのは、徹底的に「攻撃的思想」なのだ。

    まず「敵を想定する」ことからすべてが始まるようだ。

    そこには「共生」という思想は入り込まないのだ。

    その「思想」が土台にあるから、現代医学は攻撃的医療になったのではないか?

    たとえば、ガン治療にみるとよく分かる。

    徹底して敵を叩くという思想が根底にある。 破壊、焼く、切る ・・・・・猛毒抗癌剤、危険な放射線、そして血を流しても切り取る・・・

    すべてが敵(ガン細胞)をやっつける、叩く、殺すという方法だ。

    だが、この三大療法は既に知られてしまった「無効どころか有害」「百害あって一利無し」という実体が明らかになった。
    (ただこの事を日本人の大半が知らない、というか「知ろうとしない」のだから、未だにこの三大療法は流行っているが)

    ところで、感染症、伝染病についても同様なのだ。

    敵は「微生物」、つまり「バイ菌」であり「病原菌」なのだ。

    それについては医学があまりにも近視眼的であるか・・・なんども書いたが、それを専門家の視点で書いた本がある。

    以前にも紹介したが「共生という生き方」である。

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     科学史家は、科学者が動物、植物、菌類、微生物のあいだの交流を明らかにすることを妨げてきた重要な要因として、決定的な実験を遂行するための適切な実験技術がなかったことがあげられると考えていた。

    ノーベル賞を受賞した免疫学者ピーター・メダワーは述べた。

    「よい科学者は解決できる見込みのある最も重要な問題を研究するものである。」そして、「結局、科学者の仕事というものは問題を解決することであって、単に問題に取り組むことではない。

    政治が可能性の技術であるとすれば、研究は疑いもなく解決の技術である。

    双方とも、非常に利にさとい職業なのだ」と結論づけた。

    二つのグループの大型生物が互いにどのように関連しあうかを調べることに比べると、動物や植物と微生物とがどのように交渉を持つかを調べることはたいへん難しく、実験操作上の画期的な革新を必要とするのである。

     微生物にとってのもう一つの不幸は、それらが悪評をこうむっているという厳然たる事実だった。

    研究されるあいたに、望みもしないのに有名になってしまっていたのである。

    微生物が決定的な要因となっているチーズの香りやワインの芳香に関してでも、農作物の豊穣を確かなものとしている農業においてでもなく、医療関連の研究において不朽の名を与えられたのだった。

    医療においては、血液中に微生物が存在することは確実に病気のしるしである。

    病原性を持たない微生物を探し出す作業は、どちらかといえば複雑で厄介だ。

    ルイ・パスツールのような十九世紀のフランスの微生物学の先駆者たちは、致死的と思われる微生物を研究した。

    これは、社会的恐怖が最も大きいために、研究が抵抗を受けにくいやり方である。


     パスツールはたった一人でバクテリアはよくないものだと見なす時代をもたらした。

    清潔に対する彼の  〝狂信″ に妨げられて、私たちは、仲間の微生物を目に見えない暗殺者以外のものとして見ることができなくなっている。

    初期における彼の最も注目に値する仕事は、蔗糖の精製やワイン産業の要となるたいへん生産的な微生物の取扱法を改善することだったのだが、パスツールはバクテリアを「病原菌」と改名したことで最大の評判を得ている。

    名声が高まるにつれて、パスツールはますます辛辣になり、これら人類の敵を追いつめ滅ぼすべきだと勧めた。

     パスツールが病気をひき起こすバクテリアの問題に取り組んだ先駆者だったことは疑いない。

    一八八一年に、彼は、フランスの牧羊業者を脅かしていた死に至る病気である炭疽病のワクチンを考案した。

    一八八五年には、狂犬病のワクチンを作り上げたと主張したが、近年、科学史家はこの話を疑っている。


    パスツールの技術は革新的で、結核、コレラ、ペストに対するワクチンがすみやかに開発された。

    結核菌を牛乳から除去する低温殺菌法は今日も依然として利用されている。

    しかし、人が病気になるのはバクテリアのみが原因で、かかった人の栄養状態の悪さは病気とは何ら関連性がないという主張は承服しがたい。


    当時も、多くの医者が、貧しい人々に感染して最終的に死をもたらすバクテリアを同定するよりも、人々の栄養状態や生活環境の改善がはるかに重要だと主張していた。



     パスツールはくじけなかった。

    極度に政治的だった彼はフランス議会に立候補したことがあり、その行動は病原菌に対する彼の戦いのキャンペーンで発揮された才能を思い起こさせた。

    保守主義者であった彼は大衆を恐れていた。

    大衆、それはパスツールにとってどこの誰とも知れぬ小作農の群れで、革命時に王を殺し、貴族に反対して恐怖政治をそそのかした張本人どもだった。



    作家で同時に歴史家でもあるデーヴィッドーボダニスは、大衆に対してパスツールが用いた言葉が、バクテリアを特徴づけるために彼が考案し発展させた言葉に引き写しといってよいほど似ていることを明らかにした。



     暴徒をしてパリを奪わしめよ。

    我等を支える王も皇帝もなしには、我等は暴徒と何ら異ならぬ目的も持たぬ群集になりさがるであろう。

    バクテリアの群集に我等の肉体を奪わしめよ。

    さすれば我等は襲撃してきたバクテリアどもと何ら変わらぬ膿みただれたバクテリアの塊になりさがるであろう。


    もし、不快な存在、たとえば群集とかバクテリアとかが存在せねばならぬのならば、それらは身の程をわきまえるべきだ。


    下層民、とりわけ職工どもは従順なカッリック系の組合か国家管理のクラブ、もしくは信頼できる官僚的な紐帯に縛りつけられているときにのみ、安全なのだ


    バクテリアなどというものはどれもこれも不快で何かにつけて増殖したがる手合いで、延々と続く存在の鎖の一つの環、すなわち死骸の分解者という地位に限定されているときにのみ安全なものなのだ。


    それら分解者は、天寿が全うされて肉体に宿っていた生命がすべて消えうせたあとにのみ秩序を乱し、体を構成していた原子を再生のために土壌へと戻す。

    だが、それを除いては、バクテリアは恐ろしいものである。



     一八九〇年代の後半までには、バクテリアは忌まわしいものだというイメージが日常生活の一部にまでなり、初期のイギリスの従軍記者によって使われた最もありふれた比喩の一つとなったほどだった。


    キッチナー陸軍元帥率いる軍隊がエジプトを急襲したとき、『デーリー・メール』紙の報道員は、敵のことを 「丘をよじ登り……急襲する疫病のようだ」と形容した。


    第一次世界大戦では、英国の報道機関は紙面でドイツ兵を「ジヤームハ」と呼びはじめた。

    『ニュー・ステーツマン』紙は、あたかも「流行する猩紅熱」のように「ジヤームハン」を防がなければならないと報じた。


    敵軍を完璧に包囲し一人も逃れられないようにするという考え方は、バクテリアに対するイメージから生じたフランスの慣用句、防疫線とともに、いまだに言及される。



         
     パスツールの弟子たちは、いかにして彼が微生物を植えつけ、培養し、手なずけることができたか、その結果、目に見えないものが普通の観察者にもはっきりと理解できるものとなったかを証明してみせた。


     身中の敵を鎮められるのはパスツール一人だった。

    プリンストン大学の医科学史家ジェラルドーギーソンは、パスツールを「不可視世界の芸術家」と呼んだ。

    しかし、パスツールの科学的才能が残した遺産、自称微生物殺しとしての彼の威信と所説を支えるために作り上げた生物学用語は、続く七〇年間というもの微生物学に暗い影を落としたのである。



          アメリカに到着した何次にも及ぶヨーロッパ移民たちは流行病に悩まされた。

    彼らはしばしば栄養不良だったのである。

    移民は、最初はアイルランドやドイツから、十九世紀にはスカンジナビアから、その次にはイタリアや東欧からアメリカに到着し、二十世紀になってもそこかしこから引き続き入国した。


    したがって、パスツールの病原菌説の最も熱心な追随者がアメリカ東部海岸の都市に住む医者たちだったことは、驚くにはあたらない。


    一九二〇年代および一九三〇年代には、この熱狂が病的な状態にまで達した。

    時期を同じくして、スターリンがソヴィエトから知識人階級に属する潜在的な「身中の敵」を追放しつつあった。

    アメリカは、当時の新聞や本に育まれた、微生物を忌み嫌う根拠のない妄想の総攻撃をこうむった。


    最も有名なものに、ポール・トークライフが一九二六年に刊行した『微生物の狩人()という本がある。


     トークライフの本は犯罪小説としてすばらしいもので、科学者は個人の財産を守る擁護者として書かれ、一方バクテリアは盗人や人殺しの役を演じさせられている。

    「卑劣な微生物どもは不可解にもひそかに何百万もの人々を殺す」と彼は書いた


    そして、これらの病原菌は「ギロチンやワーテルローの大砲よりもずっと有能な殺し屋なのだ」と結論した。

    この言葉は産業文明をもたらした次世代の人々に影響を及ぼしたが、現在では、私たちは病気をひき起こすバクテリアは多種多様な微生物のうちのごく一部でしかないことを知っている。


     環境から無作為に選び出したバクテリアが人を病気にするものである可能性は低く、むしろ、生活廃水を分解したり私たちのために酸素を供給してくれたりするものである可能性のほうがはるかに高い。

    害を及ぼすことなく慎ましく、海の表面や庭で、どの生態系にとってもきわめて大切な生物過程をひそかにこなしているのが圧倒的大多数のバクテリアの姿なのである。


    多くのバクテリアは私たちが食べるほとんどあらゆる種類の食べ物の生産や分解に、廃棄物のリサイクルに、土壌を肥沃にするために、必須のものなのだ。


    バクテリアのなかには命を奪うものもあるのは事実である。

    バクテリアはよく毒素を作って人を死なしめるが、皮肉なことに、それはバクテリアがストレスをこうむっていることを示すサインなのだ。


    バクテリアはみな病気の素だとする比喩が、あまりにも長期にわたって私たちの生物に対する理解を混乱させてきた。


    実際には、病原性を持つ微生物は例外的で、大部分は持たないのである。



    ーーーーーーーーーーー以上ーーーーー

    つづく

     

    パスツールが実は死の直前に自ら気づいたという

    微生物が全てではない、環境(体内の状態のこと)が重要なのだということを・・・

     

    しかし、パスツールの信奉者たち(これをパスツール一派という)は、その遺言など見向きもしないで微生物病源教団を維持して来たのであった。

    しかし、それもそろそろ終わりの時代を迎えようとしている。

    なぜなら、敵を叩くための爆弾が底を突いてきたからだ。

    爆弾・・・・魔法の弾丸、抗生物質

    底を突く・・・・・超耐性菌の蔓延

     

     


    0 0

     

     音声詠み上げ

     

    先回のつづきです。

    「自然界は共生との生き方で成り立っている」

    という科学的根拠は限りなく出てきている。しかし、当時の思想がそれを否定したという。

     現代の世界は「共生という生き方」でないと「破滅」が待っているだけなのだ。それが経済であろうが戦争であろうが、全ての社会構造が「共生」なくして成り立たなくなっている。

    ゆえに今人類は「共生」か「破滅」かを選択する時代に直面している。

    すでに「敵を叩く」という思想はまさに死相なのでアール。

     病源微生物と言われる敵は実は自然界におけるお目付役のようなもので、それにやられるという事は「こちらに非がある」のであって、病源はこちらにあったのだ。

    それをパスツールが晩年に漏らした(パンツじゃないぞ)「環境こそすべてである」という意味なのだ。

    だが、その師の言葉を聞き漏らした(のかどうか不明だが)弟子たち(現代までの医学専門家、特に感染症研究者達ね)が「パスツール一派として世界中を席巻してしまったのだ。

    そして、近代の化学の進歩発達によって魔法の弾丸(爆弾のように使われたが)抗生物質による劇的効果によって、「人類は細菌との戦争に勝利」・・・・したかのように一時は思われた。

    が、そこは孫悟空のお釈迦様の掌で遊ぶが如し、救世主と思われもてはやされた抗生物質王子様は見るも無惨な姿をみせることになる。

    それが超耐性菌、すべての抗生物質にも負けないというスーパーバグ!の登場であった。

    さてはて、ここから人類は果たして窮地を脱することが出来るのかどうか  パパンパン!!(扇子の音)

     

    いや、すでにここに居たることは数十年前から予告、警告されていたのだ。

    人類が微生物に勝てる道理も無く、いずれは無残にも敗北するだろう・・・と。

     

     

    「共生という生き方」より

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーー

     

     


     私が最終試験を受けるころまでには、伝統的な「大型生物の生物学」の世界はこのような因習を脱したように見えた。

    微生物の視座から生命を眺めることで、ほぼすべての物事が方向転換したように思われたのである。


    微生物は、見つけしだいあらゆる場所から駆除されるべき不具戴天の殺し屋ではなく、むしろ過去四〇億年の進化の歴史におけるきわめて重要な変革者だったのだ。

    このことは、(ハーヴァード大学のアリの専門家だった有名な生物学者E・O・ウィルソンが、やり直せるならば何をしますかと尋ねられて  微生物生態学者になりたい と答えたことで、驚くべきことではないことが知られるに至った。


    活動の程度や速度が微々たるものなので、微生物の生活ーー人間の歯の上で暮らしていようと、消化管内で暮らしていようと、または海の中で暮らしていようとーーはまさにベールが剥がされはじめたばかりなのである。

     
     微生物は、昆虫よりもさらに多様である。

    ノルウェーのオスロ大学の細菌学者ヴィグディスートルスヴィクは、茶さじいっぱいの普通の土には遺伝的にタイプの異なるバクテリアが約一万個はいることを見出した。

    もし八〇アールの耕作地からすべてのバクテリアを抽出すれば、それらを集めた目方はヒツジー○○匹よりも重いだろう。

    微生物が動物界をしのぐもう一つの領域は、バクテリアの驚くべき性生活にある。


      他の生活様式とは異なり、バクテリアの異常な性行動は過去五〇年にわたって念入りに調べられてきた。


      これは、主として人間の病気の治療との関わりのためである。

    性生活を除いては、バクテリアの生活様式はどちらかといえば変化に乏しい。

    動物や植物の細胞は一〇〇万もの異なるタイプの細胞、たとえば花弁、眼、皮膚の細胞へと変化しうる。

    これとは対照的に、バクテリアの大きさや形はほぼ一生を通じて変らない。

    どれを使うにせよ哺乳動物の細胞が一生を通じて利用する遺伝子は持っている遺伝子の五ハーセットほどに過ぎないだろう。

    だが、バクテリアは、ほぼつねに、大半の遺伝子を使っている。

    頻繁かつ急速に複製するので、多すぎる遺伝子を持つバクテリアは複製のたびにそれらをコピーするために子不ルギーを無駄にすることになる。

    そのようなバクテリアは、他のそれほど重荷を負っていない仲間にすぐに打ち負かされてしまうだろう。

    微生物遺伝学者は、バクテリアには、複製サイクルとはまったく独立に、接合と呼ばれる遺伝子を注入するタイプの一種の性交渉が起こることを発見した。

    この行動が、複製を待たずに、一生を通じて新たな遺伝子を取り入れることを可能にしているのである。


     ジャーナリズムは、自然界に関する一般向けの記事を書く際に、バクテリアのような目に見えない生物を描写することは難しいと感じてきた。

    いまだに微生物からは身を引いて猛獣や鳥類に焦点を当てることしかせず、人間自身や生物界における人間の位置についての私たちの理解をゆがめる危険を冒している。

    哺乳類に焦点を絞ることによって、進化というものは山頂、すなわち人類へ向けてやまず変化する過程であるという疑わしい概念を強めているのだ。

    バクテリアは原始的な生物で、大昔に進化における革新の火を大型生物に手渡したのだという考えは、誤った方向へ導く。

    バクテリアは生物の歴史における絶えざる革新の担い手なのだ。

    バクテリアのいない生物学は、さまざまな力やエネルギーを欠く物理学のように不完全なものなのである。


     バクテリアは私たち人間と同等の存在なのだということを示してきた。

    病気との不断の闘争がこのことを立証している。

    バクテリアは大半の生物過程ーー性や光の受容から呼吸や運動までーーを編み出したばかりか、地球上のほぼすべての生物自来の化合物を作り上げてきた。

    バクテリアはバクテリアを除く生物の四つの界の進化の先鋒を務めてきた。

    バクテリアを利用するたびに、それがヨーグルト作りであろうと、あるいは油膜の除去であろうと、私たちは比類なく精巧だが目には見えない、四〇億年にわたる革新の成果を利用しているのである。

    現代医学によって実質的に制圧された三つの病気、天然痘、ポリオ、麻疹がどれも微生物によるものではない(これら三つはウイルス病である)のに対し、現時点における最も重要な三つの死に至る病ーーマラリア、結核およびAIDSのうち二つが微生物による病気だということは何ら驚きではない。

     微生物および微生物との提携は、ツノゴケからカバに至るまで、私たちが遭遇するあらゆる生物の、起源、進化、さらには現時点における機能の基礎となっている。

    人間自体に対する理解さえも、新しい微生物の視座に立ったものの見方によって大きく前進している。

    今日では、庭の土を調べようと、大西洋の底を調べようと、進化や生態系の研究をするには、要となる私たちのいとこである微生物の活動を認識せずには意味をなさない。

    実際、過去半世紀における最も重大な飛躍的前進-jンンビオジェネシス説、免疫確立の微生物媒介説、ガイア仮説-は、微生物の領域に隠されていた力を明らかにすることによって従来の生物学の学説に異議申し立てを行ったものだった。


     新たに発見された、微生物と微生物が関与する密接な結びつきについての知識は、科学の世界観を変質させるという好ましい結果をもたらしつつある。

    続く各章では、この新たな視座から遠路はるばる(リウッドまで、地球上の生物の通史をお話しすることにする。

    『スター・ウォーズファントムーメナス』では、ポッドレースと銀河系間の政治工作シーンの真っ最中にジェダイの秘密の力が「ミディ・クロリアン」との共生に由来することが明らかにされる。

    ミディ・クロリアンというのは「すべての生細胞」に存在する顕微鏡でなければ見えない生物である(ジョージ・ルーカスによれば)。


     生物学においては、共生という言葉は異種生物(通常微生物を含む)問の長期にわたる親密な関係を表すのに用いられる。

    このような交流はどの生命系の発展にとっても必須のものである。

    水面下の火山やシロアリの塚、人間の歯の隙間のようなかけ離れた生活環境で発見された生物から見出された新たな証拠をよりどころにしながら、私は本書の中で、生きているということが成長し繁殖することであるのと同じように、仲間との絆を結ぶことでもあると主張する。


     微生物とのつながりが進化における革新の主要な手段であるという考えは、初めて提出されたのが一〇〇年以上も昔であったにも拘わらず、主流となる段階に達するためにたいへん長い年月を要した。

    各章で、人身攻撃政策、技術的な遅れ、知識の完全な欠如がない交じって、一握りの先駆者の革新的な考え方を異端であるとして非難させた有様を検討するが、現在ではこの異端の説は科学史における最大の飛躍だとして誉め称えられているのである。


     一八九六年、ビアトリクス・ポターは共生説のパイオニアが遭遇する最初の障害、無知に基づく偏見に直面した。

    その後まもなく童話を書き、挿絵を描くことで有名になったポターだったが、彼女はロンドンの一流の科学研究所の閉鎖的な階級性と狭量さによって生物学の世界から締め出されてしまったのである。

    これらの研究所のメンバーはみな男性だったが、地衣類が一種類の生物からなるものではなく、二種類の生物が切っても切れない同盟関係を結んでいるものであるという、ポターの提出した証拠を受け入れることを拒否した。

    地衣類というのは木の幹や海岸の岩、壁などの上に張りついて暮らしている奇妙なかさぶたのような生物である。

    しかし、彼女の明察は、同時代人どころか彼女自身さえけっして夢想もできなかったほど広範な影響を及ぼすものだった。


     地衣類のみならず、地球上のほとんどすべての草や木の暮らしには裏があるのである。

    つまり、菌類と切っても切れない関係を結んでいるのだ。

    ランやオークなどは独立した個体のように見える。

    しかし、実際には地下世界に広がる菌類の基底菌糸網とほぐしえないほど絡みあった連絡網を結んで暮らしているのである。

    自然界の真実を求めるビアトリクス・ポターの探究が抑圧され、彼女が生物学界から隔絶された状態へと自発的に退却することを最終的に余儀なくされてから一世紀経った今日、私たちは彼女の根本的に新しい生命の見方を賞賛できるようになった。

    生物相互のつながりは、単なる潜在的な争いの種というよりは、むしろ頼みとなるものでありうるのだ。

    消耗の素ではなく、むしろ生命の維持に欠かせない活力の素なのである。



     パスツール自身の死後ですら、この巨人は、ヨーロッパや北米の医学関係の研究室のみか、海洋生物の進化の研究にまで広く影響を及ぼした。

    動物の共生に関する最も目覚しい実例の多くが深海にひそんでいた。

    しかし、この驚嘆すべき領域を探究した初期の研究者の仕事の多くは、パスツールの支持者たちによって虐げられた。

    この世のものとは思われない海底の世界で、生物学者は、これまでに広範な発光動物を発見してきた。

    新しい遺伝学の技法が、その光は手を結んでいるバクテリアの賜物であることを明らかにしている。

    深海魚は暗黒の中での狩りのために自前の微生物によるサーチライトを持ち、タコやイカは発光共生体を捕食者からの隠れ蓑として利用したり、異性との交信のために使っているのである。


     昆虫の場合には、最新の分子生物学的手法、たとえばDNAフィンガープリント法や発光遺伝子をマーカーとする方法によって、甲虫類やチョウ、(エの仲間に対するバクテリアの広範に及ぶ影響が明らかになった。

    共生細菌は性決定、食べ物の消化、巣作りなど、昆虫の暮らしのさまざまな局面に幅広く影響を及ぼしている。

    遺伝分析によって、目覚しいアリの畑作りの偉業も明らかになった。

    アリたちは自家受精するキノコ農場を作り上げ、持続的な収穫に努め、さまざまなお気に入りの作物を近くの仲間と交換することによって、人間が自らを養う方法を探るうえで教訓となりうるような、微生物との精妙な同盟関係を作り上げてきているのである。

    研究者のなかには、地球上の昆虫の途方もない多様性を背後から支えるメカニズムを共生細菌がもたらしているということさえ、いつの日にか、明らかになるだろうと予言している人たちもいる。



     科学史の研究者たちは、「このたいへん重要な視点が認められるまでに非常に長い時間がかかったのはなぜだろう?」と首をひねってきた。

    解析手段のお粗末さ、パスツール一派の頑なさ、知的怠惰さは部分的にこの問題を説明するものではある。

    だがたいへん不幸なことに、共生の研究は、少々例をあげるならば二度にわたる世界大戦、ナショナリズム、反共主義といった世界規模の政治にも関わりあいを持ってしまったのである。

    共生という言葉は純然たる科学用語として作られたものなのに、これに敵対する人々の心の中で、不運にも危険な政治運動と結びつけられてしまったのだ。

    この分野の先駆者の大部分がフランスやドイツ、革命前のロシアのような非英語圏の人々だったことも、この考え方を後押しした。

    第一次世界大戦における大虐殺、さらにはソヴィエト連邦の新たな脅威の結果、共生の研究は政治的破滅だとして科学の主流から非難されたのだった。

    共生は人間性にひそむ明らかな闘争への欲望をも生物の進化のバターンをも説明することはできない、というのである。

    共生は国際的に異端の課題となった。

    暗黙裡の教科書検閲や、本職の科学者間のマッカーシーを思わせる魔女狩りの生贄とされたのだった。


     一九九〇年代になって、共生生物学はついに生物学界のベルリンの壁を越えて脱出した。

    共生の重要性を何十年ものあいだ擁護してきた人々は、自分たちの考えが最終的に勝利を収めたことを了解した。

    これは、新しい遺伝学の技術が彼らの学説を強力に支持したためばかりではなく、仲間の科学者たちが共生というものの見方に対してずっと偏見を持たなくなったためでもあった。

    最近の研究は、広く認められてきた科学知識に対して、胸のときめくような異議申し立てを行った。

    すべての生物が絶え問のない競争を行っているどころか、多くの生物は非常に親密に結び合っているので、どこからが一方の生物でどこからがもう一方なのかもはや見分けがつかない状態になっているように見えるのである。

    林床のような変わりやすい環境では、資源を受け取る側の必要に応じて、微生物が、広い意味での彼らの家族である、種の異なる仲間に資源を供給しているように見える。


     過去数年間に共生に関する理解には突然の変化が生じた。

    このことは、生物同士の連携にとって究極的な障害であった事柄が受け入れられたことを示している。

    究極的な障害、それは共生説が従来の進化の学説に突きつけている挑戦状である。

    伝統的な生物の進化の物語―突然変異と競争に基づく闘争によるものーーに対して持ち出されたこの学説を前に、生物学者は、生物と微生物との膨大な数の融合例と融合によって新たに生まれた統一体を理解しようと努力した。

    自然界には生物同士の緊密な提携が広範に認められるという新たに見出された知識は、ダーウィ三スムの言葉に新たな専門用語をつけ加えつつある。


     私たちの仲間である微生物が果たす重要な役割を認めるこの生命のモデルは、二十一世紀の科学に新たな手段をもたらしている。

    このモデルは、生物に対する全体論と還元主義的見解のあいだの緊張や、成長過程における生まれと育ちの役割、さらには個人と共同体の相対的重要性の問題を解きほぐす助けとなるのである。

     生物科学においても、日常生活においても、私たちは、手つかずの自然と人手の加わった自然をもっと完全に理解し、それに基づいて地球と新しい関係を築いてゆく揺籃期にある。

    この新しいものの見方は、すべての生命体において微生物の果たす中心的な役割や人間が微生物と逃れがたく結ばれていること、周囲の生物や他の仲間と交渉を保つことの重要性を認識させてくれる。

    共生が科学の周辺的な位置にとどまっていた一〇〇年は過ぎ、微生物の立場から生命を見るという根本的に新しい方法が復活を要求している。

    本書は、今後、私たちがどのようにすれば新たな同盟関係を構築できるかを示唆するものである。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    ね。

    ここまで来るに100年も経ったというし、もうそろそろパスツール一派も引退まじかね。

    それにもう細菌との闘いは「人類側の敗北」は既に決定したんだね。

    それに逆らえば超耐性菌の報復が待っているだけ。

    彼らとの同盟(共生)を選ぶしか「選択肢」は無いわけ。  選ぶのはひとつ。

    ただ「滅びの道」も残されているから、それは自由なのが人間の特権だけど・・

     

    細菌の役割は「いいものを育て、わるいものを片付ける」

    となると、ぼくたちおんなのこ~~~~♪   じゃない!  ぼくたちいいこ~~~~♪

    いいこ?

    そう、パスツール爺の残したことば「環境がすべて」なのね。

    まあ、ひとさまに言えるほどボクもたいしたことないけど・・・・

    むやみやたらに血液を汚さない、できるだけきれいにする

     

    簡単なんだけどね~~いうはやすしきよし~~おこなうは難し~~

     

    穴かしこ

     

     

     


    0 0

    本題は

    「悪の製薬」よりみる、エビデンス(医学上の科学的根拠)について考察する

      です。

     

     

    それなのに・・・

    なんだか不明な題名付けやがって・・・・

     

    まえにも何度か書いたエビダンスのことですが・・・世界中で使われているのはエビデンスというそうです。

    エビデンスーーーーまあ、医学上における科学的根拠のことらしい

    で、

    エビダンス とは?ーーー¥^^; akyon師の勘違い用語のひとつらしい。

    しかも、エビデンスをもじって歪曲解釈をしているという。

    その真意は烏賊に? 

      科学的根拠という虚構の真実放送(大本営発表)に小躍りしている医師や民衆。

    それが「嬉しさのあまり、身をくねらせて踊るので、エビのダンスと見える」 というのがakyon死の見解。(おい!)

    つまり、医療界の大黒柱となるもの、それはナンダ?

    ヒント 医者からこれを取り上げたらほぼバンザイしちゃう?もの

     

    そう、違約品、じゃないか、違約品・・あれ?

     

    約束とちがうジャナイか! という医薬品のことですが。

    それがなんと猫とネズミじゃないけど、『猫を監視するネズミが猫側についていた」とか、これじゃあ、監視役なんぞ当てにならないジャナイか!

    というボクの解説はもっと分かりにくいか・・・・

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    病院で医者の診察を受け、処方箋をもらい、薬局で薬剤師から説明を聞いてから、薬を受け取る。私たちが当然のように受け入れている一連の流れだ。薬の効能や副作用については、処方箋に書かれているものがすべて正しいと信じて疑うことなどない。だが、それがもし、揺らいだとしたら…。

     「悪の製薬」という少々刺激的なタイトルがつけられた本書は、イギリスの医者でありサイエンスライター、そして人気のコラムニストとして活躍する著者が、製薬業界の闇に鋭く切り込んだ作品である。

     薬が患者の手に渡るまでの過程に、多くの欠陥が潜んでいる。特に著者が問題としているのは、イギリスの製薬業界から資金援助を受けた臨床試験の不当性と、そのデータの大半が行方不明になっている事実だ。


    製薬会社が臨床試験を行うときに公表するデータは、薬にとって好都合なものばかりで、不都合なデータは公表されないという。


    さらに、臨床試験を受ける人々の公平さに関する問題、管理する立場にあるはずの規制機関と業界との癒着や、ゴーストライターによる医者の論文作成など、素人ならば見過ごすであろう問題点を一つ一つ厳しく掘り下げる。


     無論、すべての薬が「悪」というわけではない。ただ、世の中に出回るすべての薬が、患者のためになるとは限らない。新薬が開発されても、それが既存の薬よりも優れているとも限らない。では私たちは何を信じればいいのか。

     

    TITLE:
    DATE:2016年2月20日(土)
    URL:http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/books/2-0029258.html

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    そもそも、薬の認可に至までの過程そのものが雲に隠されているような

    しかも、認可して貰う為の情報が「大本営発表」的で、都合の良いモノだけがたくさんという。

    それを調査監督するお役所は、時代劇の悪徳代官所のようなもので、越後屋、いや今はムサシ屋か・・・・の言いなり、見逃し、不感症・・・・

    不如意の代官所を通り抜けたあとは

    今度はその大本営発表、じゃないか・・エビダンスをもって、あいや、エビデンスをもって今度はお医者さんに接待攻撃、じゃないな、あまいエビの臭いをかざして、恋来いする。

    まあ、昔は「知らぬは夫ばかりなりけり」というが

    いまは「知らぬは医者と患者バカりなりけり・・」

    と、認可された薬の本当の正体を知る者は皆無に近いのでは?

     

    それをこのイギリス人の医師が書いた本でした。

    まだ毒書とちゅうですが・・・

     

    Amazonの書評より

    烏賊 いやーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    「ファルマゲドン」とほぼ同じく、現代の製薬業界の問題点を指摘している本。ここ最近こういった書物が続けて出版されているのは、まさに今医薬品業界の現状が世界的規模で大きな壁に直面していることのあらわれかも知れないと強く感じる。
    「ファルマゲドン」はアメリカの医者による本、そして本書はイギリスの医者による本であるが、これらの著者の主張は、ほぼ間違いなく日本にも通じるものと思われる。

    本書での議論は大きく2つ。
    ひとつは、臨床試験の問題。
    そしてもう一つは医薬品業界によるマーケティングの問題である。


    まずは、臨床試験。


    ここでは好都合なデータが意図的に採用されている現状を克明にあげている。


    例えば、スタチン、抗がん剤、そしてあのタミフルに至るまでの実例が指摘されている。


    そして、学術雑誌に発表される論文は、あからさまな捏造の事例が見られるといい、業界の資金援助を受けたレビューには懐疑的な視点が欠落しているともいう。


    また、特許期限切れのため廉価となった薬の代わりに、新しくて高価な薬が優れているという証明を得るために歪められたエビデンスを採用することがあるという。


    さらには短すぎる臨床試験、予定より早く切り上げる臨床試験、情報価値のない結果を測定する臨床試験、奇妙な方法で測定結果をまとめる臨床試験、脱落者を無視する臨床試験、終了してから結果を変更する臨床試験、などなどいくつもの問題のある事例が提示される。


    中には、バイラルマーケティングの手法として使われる臨床試験もあるというから驚きである。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     ※ ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    本当はヤバい「バイラルマーケティング」wolfyroppongi

     

    バイラルマーケティングというマーケティング手法を知っているでしょうか? 

    口コミを使ったマーケティング手法で、ブログツイッターを使用し、テレビCMより安価に、商品宣伝を行う手法です。 典型的なものは有名人が、製品の使用感想を言うという、深夜番組のような内容のCMですね。こういったテレビCMでは、「使用者の個人の感想です」といった注意書きが入りますが、ブログツイッターではそういう表記はほとんどありません。 バイラルマーケティングが、容易にステルスマーケティングに変化しやすい理由もここにあります。

    バイラルマーケティング発祥の地アメリカでは、2009年にアメリカ連邦取引委員会が、違法行為を定めました。

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

    まあ、この著者

    イギリスの医師・研究者にして「ジャーナリストや政治家、製薬会社、代替医療師による科学の利用と悪用」をテーマに活躍している気鋭のサイエンスライター。

    だそうです。

     

    なんと!代替医療を批判する御仁らしい。当然のこと、あのホメオパシーのことは「あめ玉扱い」で否定している。当然、医薬品自体を否定していない、現代西洋医学の医療こそ世界の主流だとているようだ。

    だから、これは同じ土俵上(現代西洋医学)での取り組みなのだ。

    akyoonの様な土俵外の者からみた天の邪鬼じゃなく、れっきとした西洋医学一派の一人なのだ。

    それゆえにこそ、真実があるのだろう。

    我々一般人が真実だと信じている医学的根拠に基づく医薬品について、いかに不透明であり、虚偽に満ちているか・・・エビデンスという言葉にいかに欺されていたか・・・

    それがじつは・・・

    世界中の医師たちも同様だった。

    先ず、医師達が医薬品について何も知らなかったのである。

    いや、知っているのだが・・・(どっちなんだ)  医者が知っているのは「大本営発表」的、医薬品業界の都合の良い情報だけだったのである。

    それを取り締まる機関もまったく当てにならない状態であった。

    これでは、インフォームドコンセントやら、なんチャラ、そもそも薬の科学的根拠が虚偽にまみれていたんじゃ、選びようも無いじゃ無いか  かな

     

    詳しくは本書を

    市の図書館にあるかも知れません。なかったらリクエストしましょう。

     

    まあ、土俵外の者には必要も無いことですね。

    だって

    そもそも、(残念ながら)薬は病を治す力を持ち合わせておりません(薬理学者より)

    もともと薬は毒ですから、次の病気の原料になります。

    病気は薬毒やその他の毒素の浄化作用ですから、そもそも薬毒を入れても根治しません。

    こういう教義を盲信(笑い)している輩ですからね。

    最初から薬に科学性があるなんて思っても居ません

     

    だから、こいつアタマがおかしいと言われるんでしょうが・・・

     

    それについては反論があります。

     ボクのアタマは非常によい!
    見てご覧、これほど形がよいアタマはないだろ!

    ま、自讃ですけどね。

     

     

     


    0 0

    鹿熱、天狗熱、エバラ熱・・・・怖いですねえ

    え、名前がちがう?

     

    そして、毎年恒例のインフルエンザ大流行

    それ! 危険だ怖い! ワクチンだ!

    よくも飽きもせず、毎年毎年おなじようなことを・・・・(オマエだってよく厭きないで・・自己ツッコミ)

     

    ザワザワ いや ワザワザ 音声読み上げまでオマケ付き

     ※最後に心に青雲様のブログ記事の読み上げもあります。

     

    しかし、微生物学の方では

    「私たちは微生物の海の中で活きている」と。

    もう手洗いやらうがいやらしても・・・・・ね。

    結局、微生物の海の中で微生物を排除しようとしても無駄というわけです。

    それよりも、多種多様な微生物が普段は護って育ててくれているという感謝とともに、

    どうして病気のような目に遭わせるのかを反省してみる必要があると思いますね。

     

    世界中の学者さんがどうしてこのことに気づかないでしょうね・・・

     

    私たちは微生物の海に浸かって生きている。活かされている。

    そして、微生物に逆らうことは出来ない。

    きれい・・・・・育成される

    汚い・・・・・・除去される

     

    これを基本とすれば、病気の原因を微生物だけのせいにしている人間の方が間違っていますね。

    しかし、西洋医学の一派(日本では現代医学と呼ぶ)が、これを認めなくなってから、微生物との戦争が始まったのですね。

    そこには英雄の登場が必要だった。それがジェンナー氏とかパスツール氏、コッホ氏などでしょうか。

    そして100年くらいは続いたでしょうね。

    そしてどうなったかですが、ご存じのように日本人ばかりか海外の多数の人たちが、異常に感染症を恐れるようになったわけです。

    たとえば風邪、インフルエンザと区別していますが、すべて微生物のせいにしているわけです。

    これも教育のお陰でしょう。親から子へ、政府からお役所へ、学者から教授へ、教授から医者へ、医者から患者へ・・・・マスコミ報道、小説、ドラマ・・・ありとあらゆる方面で教育され刷り込まれてきたのが微生物との闘いです。

    ウイルスや細菌は人間にとって忌むもの、病源としての敵である、としたのです。

    しかし、細菌に対しては抗生物質という爆弾(これは体内に使えば有用常在細菌まで殺してしまう無差別攻撃です)が「抗生物質耐性菌」を産み出し、ついにはどんな抗生物質にも耐え得る超耐性菌、スーパーバグの登場となり、近未来には全ての抗生物質が使えないという自体が予測されます。

    もうひとつ奥の微生物としてウイルスも地球上のどこにでも、そして体内にも存在している(どころか既にDNAに入り込んでいるのが多数あるという)ほど、ウイルスの海に浸かっているのです。

    細菌とウイルスは体外、体内に居るのが当たり前の世界ですから、まさに私たちは微生物の海に浸かっているということになります。

     

    しかし、医学の方では「病気に関連した微生物だけを取り上げて注目している」わけで、微生物学から言えば、ほんの一部の世界しか見ていない狭い学問だということです。

    ウイルスといえば、病気。細菌と言えば病気。

    単純過ぎる反応でしか微生物をみる事が出来ません。

    いつも言うようにのぞき穴が小さすぎて、一部しかのぞけないのです(笑

    その様な狭い思考では、これからも微生物を敵に回して闘うことしか念頭に無いでしょうから、必ず失敗することは目に見えています。

     

    小説や映画、テレビドラマなどで、よく「感染症大爆発」とか「恐怖のウイルス兵器」とかありますが、これらも皆、教育のたまものでしょうね。

    それを見て、物語に真剣になれるのも、私たちが教育されているからでしょう。

    怖がるネタがあって、それに反応する・・・

    しかし、基礎的な微生物学を知っていると、こういう手のドラマがなんだかつまらなくなってしまうのです。

    それはウイルスばらまいても、細菌ばらまいても、イコール発症するわけではないという事を知っているからです。

    しかも感染(体内にウイルスや細菌が移っていても)しても、平気なひとの方が多いことも知っているからです。

    感染症パニックを意図的に起こそうとしているとは言いませんが、微生物に対して狭い視野の無知な学者バカ(失礼!)があまりも多いのでは?しかもそれを鵜呑みにする大衆がコラボレーション企画で大騒ぎしているのではなどと、奇想天外な思いをしているのはワタシだけではないと思いますね。

    私は素人として、こういう素人並みの玄人に教えてやりたいことがあります。

    「病源は微生物側では無い、真の病原は人間側ナノダ」と。

     

     

    参考に

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー



    私も大爆発的に死者が出るという話には懐疑的です。


    ただし、最近の麻疹や百日咳の流行と同じような意味で、感染症に対する最低限の知識は告知して、社会人はマナーを身に付けて欲しいと思っています。



    地域で感染が広まっていて似た症状が出ているのに、医者で検査を受けず、マスクもしないで通勤通学電車に乗り、ウイルスをばら撒くのはどうかと思いますので。


     
     

    2008/05/07 01:16

    Commented by ニッポニア・ニッポン さん

    To はり王子さん
    >ただし、最近の麻疹や百日咳の流行と同じような意味で、感染症に対する最低限の知識は告知して、社会人はマナーを身に付けて欲しいと思っています。



    どもども。

    最近の感染研がらみの報道はインチキばかりですよ。

    最近でた、中国新華社電「手足口病」なみの劣化報道です、はしかも百日咳も。

    ちなみに、はしかはウイルス、百日咳は細菌の感染が原因とはいうものの、どちらもある意味においては「常在ウイルス」「常在細菌」ですね。

    病気になるのは、ウイルスや細菌が「ある・なし」が決定的な要因ではありません。

    そこを紛らわしい報道や情報によってミスリードされてしまいがちです。

    そこに果たしてる最近の感染研や厚労省の公式発表の仕方は非常に腹立たしいものがあります。

    まるで無知につけこんで恫喝や扇動を意図的にやっているようなものです。

    その結果、『感染症に対する最低限の知識は告知して、社会人はマナーを身に付けて欲しいと思っています。』のような勘違いを流布してしまう愚をおかすのです。

    あたかも「自覚なしに感染を広げることはいけないことだ」みたいな偏向した知識が、さもさも正しいものであるかのように思い込んでしまっているのです。

    常在するものに対して、「うつす・うつさない」ということは重要なことではありません。

    真に重要なことは、うつされても大丈夫なように「免疫つけておく」ことや、「日和見感染」に負けないように栄養状態体調管理に気をつけておく、というごくごくあたりまえのことなのです。

    さもさも「うつす・うつされる」が重要問題であるかのように意識誘導させるのは、「病原体のない」ことの(仮想架空妄想の)世界にいると錯覚させ、それを前提にした意識にしておきたいがためのものではないでしょうか。

    そうしておくと非常に「インフルエンザパンデミック」の騙しがきく状況を維持しておけることになるわけです。

    こういう騙しは、馬鹿にはできないワザです。

    非常に狡猾なやり方をしていますね。


     
     

    2008/05/29 01:19

    Commented by ニッポニア・ニッポン さん


    DATE:2008/06/02 00:57
    URL:http://koibito.iza.ne.jp/blog/entry/480600/
    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    まあ、欺されたがる大衆が居るから、欺す者が現れる

    という卵が先か鶏が先かのような思考になりますが。

    結局、いくらだます者が居たとしても、それに引っかからなければどうって事ないわけです。

    それには難しい学問などよりも、基本的な知識、叡智が必要ですね。

    叡智というとそれも難しそうですが、本当の自分から来るメッセージという、本当の「カン」でしょうかね。

    うその「カン」もあるそうですから、「直観」もぜんぶ正しいとは限らないそうで、あとで分かるほっけのなんとか・・・「結果」でしょうかねえ。

    そうなると、欺されてみるのも一つの手なのかもね(♪

     

    引用記事は私も大変参考になりました。

    そして、標題は相変わらず意味不明ですねえ♪

     

     

     〆と致しまして、

    心に青雲様のブログ記事の魚拓を読み上げます。

     

     

     共生という生き方 音声詠み上げ

     

     


    0 0

    たったいま、Facebookで見付けたあの「ジカ熱」のことですが、どうやら裏が見えてきたようです。さっそく貼り付けます。

     

    どうやら、先進国では使えないような農薬や除草剤がたくさん使われ(販売され)ているようです。

    病気は排毒作用という原理原則から言えば、いずれ何かの毒物が体内に入り込むことが原因となっているのでしょうね。

    それに暑い国は頭が熱せられることで、毒素が集中しますから、昔の日本脳炎と同様、脳に毒素が集まるのでしょうか?

    それを蚊のせいにして(蚊の運ぶウイルス)いるのでしょうが、ウイルスはどこでもいつでも現れるので、原因と言うよりも環境(体内)次第なんでしょう。

     

    現代医学の偏った視点でみると、敵(ウイルス、細菌)をやっつけることが一番。という思考ですが、そのやっつける爆弾は無差別攻撃だという事を忘れてはなりませんね。

    例えば、抗生物質は体内細菌叢まで無差別殺傷するわけで、敵(病菌)ばかりか味方菌までやっつけるわけです。

    敵の潜む建物(一般人や味方も居る)を攻撃する大型爆弾のように。

     

     パブロフの犬(教育による条件反射)  (世界の医学者達がパブロフの犬になった)

    ウイルス、細菌 → 怖い、敵 → 攻撃 → ワクチン、抗生物質、消毒・・・・無差別攻撃(体内において)

    抗ガン剤にしてもそうですが、ガン細胞と同時に普通細胞までやっつけるわけで、「効果ある」というのはペトリ皿などの実験室だけの効果です。

    実際に行われるのは私たち自身の身体のなかですよ!

     

     

    途中ですが追記(2016年2月22日)

     情報元はこちらでした。

     

    ジカ熱が4類感染症に (02/17) ベトナム風物 (02/16) 「ジカ熱」に関係していた日本企業 (02/13) ジカ熱、「パンデミック」前夜 (02/09) 「ジカ熱」は小頭症激増の本当の原因隠し? (02/08) ジカ熱より怖いジカ熱「対策」 (02/06) ジカ熱ー国際的不妊キャンペーン (02/05)

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    いずれにせよ、農薬は水頭症や小頭症発症に関係があり、遺伝子組み換え蚊も遺伝子組み換えワクチンも危険だと言う事です。

    「ジカ熱」に関係していた日本企業

    メコン・デルタの旅を終えサイゴンに戻ると、とんでもない情報が待っていました。ブラジルの医師たちが、小頭症多発の本当の原因は殺虫剤、しかも日本企業の製品だ、と詳細なデータつきで暴露していたのです。↓はそのリポートの要点ですが・・・

    1.ブラジルではデング熱の流行が今も続いているが、これは見捨てられた貧困世帯が何百万人も暮らしている東北部で特に多い。その上に加わったジカウイルスは、同じような病気をもたらすが、デング熱にくらべてずっと軽い。

    2.新生児の先天性奇形、特に小頭症の劇的な増加がわかると、ブラジル健康省は、ただちにジカウイルスと結びつけた。しかし、同省は、もっとも病気がひど い地域には、蚊の幼虫(ウジ)に先天異常をもたらす防虫剤(防ウジ剤)が18ケ月にわたって散布されたこと、さらに、政府はこの毒物(ピリプロキシフェ ン)を飲料水にも散布したこと、それによって人々が影響を受けたことを認めていない。

    3.これまで、ジカ熱の伝染国では、人口の75%がジカウイルスに感染しているにも関わらず、その流行によって先天異常が起きたことはなかった。また、他の国、たとえばコロンビアでは、ジカ熱の症例は非常に多いが、小頭症の記録はない。

    3.防ウジ剤として使用されているプリプロキシフェンは、モンサントの子会社である住友化学が製造している(WHOが推薦している)。

    4.ブラジルの医師ら(Abrasco)は、防虫剤による防虫戦略は、環境と人々を汚染し、蚊の数は減らないどころか、実際は、ラテンアメリカの健康相やWHO,PAHOに深く食い込んでいる化学毒物業界の商業的ペテンだと主張している。

    5.飛行機を使った(防ウジ剤の)大規模噴霧は、メルコスール政府が考えているように、犯罪的であり、役に立たず、それらの行動が実行された場合をシミュ レートする政治工作である。疾病が広がる底辺には不平等と貧困があるので、コミュニティをベースにした行動がもっとも良い防衛法である。

    6.ブラジルが行っている現在の戦略ー遺伝子組み換え蚊の使用ーは、他の国々でも実施されるだろうが、これは完全な失敗である。

     ジカウイルスは前記事で書いたとおり、1947年に「発見」され、それによる最初の症例は1960年代、アフリカで報告され、その後、アジアやポリネシ アで散発的な伝染があったくらいでした。それが2015年5月になって、WHOが突然、ブラジルでの流行を認め、2015年12月にはブラジル政府が44 万人~130万人がジカウイルスに感染していると発表したのです。

     しかし、実際は、「ジカ熱の臨床症状はデング熱の症状と似ているし、信頼できる診断キットがないのでよく知られていない」「流行地帯では多くの人がジカ に対する抗体をもっている(感染者が多く、すでにそれに対する免疫ができている)」「症状が出るのは感染者の18%ほど」というような状態でした。誰も 「ジカ」と判断できないのに、政府が勝手に「ジカと小頭症」を結びつけてしまったのです。

     そこでBrazilian Association for Collective Health (ABRASCO)は、2016年1月、ブラジル健康省に公開質問状を出し、�ジカウイルスと先天奇形を関係づけることになった線形分析ーなぜ太平洋諸国 やコロンビアには小頭症が発生していないのかも含め、�媒介生物駆除のための化学物質による影響を無視している理由、を聞きただしたようです。

     ブラジルでは過去40年にわたって、蚊の駆除のために化学毒物を大量に用いていましたが、2014年前半に、残留毒性で知られる有機リン系のテメホスの 使用を中止しています(蚊も耐性をもってきたため)。問題は、その後に使われ始めたピリプロキシフェン、製品名スミラルブでした。製造企業はモンサントの 関連企業あるいは子会社である日本の住友化学。それが大量に散布されたのが、人口密度が高く、伝染病や貧困、社会的無視が蔓延しているブラジル東北部、と くにペルナンブーコ地方でした。人口増加に衛生施設や上下水道などの都市整備が追いつかず、特に水の汚染がひどく、そこが蚊の発生源になっていました。ブ ラジル健康省は、ただでさえ不潔な貯水池に、じかにピリプロキシフェンを散布したのです・・・到底、信じられません。住友はそのような使用を止めもしな かったのか?

     WHOが推薦するこの毒物は、蚊の幼虫の成長抑制剤であり、蚊がウジから幼虫ー成虫に発達するプロセスを阻害し、奇形や死亡、不妊など、内分泌かく乱物 質(環境ホルモン)と同じような影響をもたらします。飲料水にピリプロキシフェンを撒いた地域で、多くの小頭症患者が出たのは偶然ではありませんが、政府 があえてその事実に触れないため、ABRASCOはこれらの毒物の影響に関する調査を求めたのでした。今年1月20現在の小頭症児3893人(死亡49 人)のうち、ジカウイルス感染が確認されたのはわずか5人に過ぎなかったのです。

     いかがでしょうか。「ジカ熱」という聞いたこともないような病名と共に振りまかれた「小頭症」の恐怖。そこには、農薬メーカー(住友、モンサント)、バ イオエンジニアリング企業(Oxtec)、ワクチンメーカー(サノフィ、GSK)など札付きのグローバル企業が相乗りしているという構図がありました。も ちろんゲイツ財団、WHO、米のCDCなどのグローバル組織の後押しがあって可能な事件の展開。これらを組み合わせると、この件、「人口削減戦略」を否定 する方が難しい。2016.2.13。

    (参考資料)
    http://www.reduas.com.ar/…/…/Informe-Zika-de-Reduas_TRAD.pdf
    http://www.longisland.com/…/the-latest-zika-virus-reporting…

    http://wonderful-ww.jugem.jp/?eid=1527&pagenum=2

    ______________

    モンサント、グリホサート、その帰結。
    https://www.youtube.com/watch?v=KyeoKm2Xato

     

     

    ・ 40秒のルカス君(3歳)は、魚鱗癬という皮膚が鱗のように硬くなり剥がれ落ちる皮膚?病を患っています。母親は妊娠中、除草剤グリホサートを畑で無防備に使用していました?。

    ・ 3分30秒のファビアンさんは農薬を空中散布する会社で荷積み等の仕事に長く従事して?いました。一日の大半は動くことすらできません。

    ・ 4分45秒のタリアさん(14歳)は先天性の奇形を患い、心臓の手術を受けました。両?親は子供の頃から使用が禁じられた殺虫剤を散布しているタバコ畑で働いていました。

    ・ 5分16秒のファビアン君(8歳)は水頭症を患っています。両親はタバコ畑で除草剤ラ?ウンドアップを使用していました。

    https://www.youtube.com/watch?v=KyeoKm2Xato


    製作者、パブロ・ピオバノさんはアルゼンチンの新聞社のカメラマンで、アルゼンチン北?部、沿岸部12000キロを2回に分けて私費で取材し、写真集を発表したところ、中南?米のいくつかの写真コンクールで受賞したそうです。
    40秒のルカス君(3歳)は、魚鱗癬という皮膚が鱗のように硬くなり剥がれ落ちる皮膚?病を患っています。母親は妊娠中、除草剤グリホサートを畑で無防備に使用していました?。
    3分30秒のファビアンさんは農薬を空中散布する会社で荷積み等の仕事に長く従事して?いました。一日の大半は動くことすらできません。
    4分45秒のタリアさん(14歳)は先天性の奇形を患い、心臓の手術を受けました。両?親は子供の頃から使用が禁じられた殺虫剤を散布しているタバコ畑で働いていました。
    5分16秒のファビアン君(8歳)は水頭症を患っています。両親はタバコ畑で除草剤ラ?ウンドアップを使用していました。
    アルゼンチンは1996年、世界に先駆け遺伝子組換え技術を導入し、15年の間に70?0億ドルの利益を得ました。米国、ブラジルに次ぐ世界第3位の大豆生産国であり、アル?ゼンチン産遺伝子組換え大豆の74%は中国へ輸出されています。
    農薬被害を受けた人々の写真を見ていると無知・無関心が社会毒の蔓延に加担しているこ?とを改めて痛感します。

    http://s.ameblo.jp/tousekitetsu/entry-12072346861.html

     

    ーーーーーーーーーーー以上ーーーーー

     との情報です。(強調太文字は私がかってにやらかしちゃいました)

     

    真相は自分で確かめるしか無いのですが、どうやら、やっぱりWHOってのは信用度が低くなってきましたね。

    あの「悪の製薬」の著者は「陰謀論などまったく無い」というのですが、あの本の内容は陰謀論というよりも、真実追究の結果そのままというわけで、それなりに真相なんですね

    毒を撒けば蚊やウジが死ぬが、それが巡り巡りて人間に・・・

    虫はコロリと死ぬが人間はじわっと・・・・

    そういえば、わが国もかなり農薬や除草剤、化学肥料をつかっているそうですから、蚊どころか直接脳に来るやも知れませんね。

    え、ボク・・・・?

     

    脳をやられた本人は気がつきません♪

     

     ほんと医療情報にだまされ易い日本人ですから、お上から言われたまま素直にしたがって

    後で痛い目に遭う・・・・もう、この繰り返しは止めまショ

    ジカ熱が4類感染症に (02/17より引用

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    今後、ネッタイシマカが「発見」されたら、まずは狂ったような農薬散布が行われるということです。また、感染症に指定されるということは、そのためのワク チンが開発されれば、まちがいなくそのワクチンが予防接種法に盛り込まれ、妊婦を中心に接種が推奨されることになります。そうなると、情報弱者の日本人 は、「小頭症を産みたくなければ、打て」といわれたら、誰もそれに抵抗できず、第二のHPVワクチン薬害が起きることになりかねません・・・。
     まさか遺伝子組み換え蚊を放してネッタイシマカを駆逐する案までは出ないでしょうが、南米、インド、アフリカ、東南アジアでは、今後、この①農薬散布、②ワクチン、➂GMO蚊の三種の施策が強力に実行されるはずです。2016.2.16

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

    こういう事にならないために確りと情報を得ましょう。

    そして、意思表示も大切です。

    周りの情報弱者(おバカさんと言われてしまう鴨)に追随しないように。

       みんなで渡れば怖くない赤信号♪

    そして、アナタだけ、いや連れのお子さんだけ・・・・車に突っ込まれてシマッタ!

    ワクチンは「時限爆弾」と言われていますが、時には時間も来ないうちに即爆発する場合もあり、正にロシアンルーレット。

    だが、この拳銃にはすべて玉が入って居て、効果の時間が異なるだけだったら・・・・

     

     

     

     

     

     

     


    0 0

    相変わらず、題名には惑わされるが・・・

     

    前回の投稿で

     パブロフの犬(教育による条件反射)  (世界の医学者達がパブロフの犬になった)

    ウイルス、細菌 → 怖い、敵 → 攻撃 → ワクチン、抗生物質、消毒・・・・無差別攻撃(体内において)

    という事でしたが、現代医学(西洋医学の一派が世界を石けんしたわけ)の教育はまず、医学研究者からパブロフの犬になって貰わなければなりません(苦笑)

    その後はドミノ倒しのごとく、最後には大衆一般人という巨大なコマを倒すことができます。

    最初は点でも後は自動的に拡大してゆくパブロフの犬現象。

     

    またまた、20年前の本で恐縮ですが、(もっとも、二〇年経ってもほとんど変わっていない犬現象だから、いまごろがちょうどよい時期なのかも・・・)

     

     

    「超」細菌の報復---  抗生物質がつくりだすスーパーバグ
    発行日  一九九六年八月三〇日第一刷発行

    著者 ジェフリー・キャノン

     

    ●著者紹介ジェフリー・キャノン(GeoffreyCannon)ロンドン在住の英国人ジャーナリスト。著書にベストセラー本であるDietingMakesYouFat(ダイエットで太る)やTheFoodScandal(フード・スキャンダル)など多数あり。その他、多くの新聞、雑誌に寄稿している。また、テレビやラジオのレギュラーキャスターでもある。1993年、国際的な公衆衛生活動に対して受けるEvian賞を受賞。現在は、世界がん研究基金の科学部門のディレクターである。

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     バグ爆戦争
            細菌はどのようにして健康を保ってくれるか     

    169P

       8  病気の病原微生物説


      バグを攻撃する

     私たちは虫を嫌う。

    テレビのコマーシャルでは、流し台やトイレにいまだに潜んでいる小さな奴、そしてある印象的なフレーズ、「ドメストスは虫を全部殺します。

    完全に!・」を思い出させてくれる。

    そして私たちは、家庭の虫に対してもつのと同じ力を医師が病気を引き起こす細菌にもっていると信じるようになった。

    ザップ(蚊とり線香)である!・ 医学の賢明な観察者、ルイスートーマス教授は、その「病原体」についてのエッセーでこう書いている---

     それは最悪の種に思われていて、まさに私たちが所有している病原体なので、私たちは、寝室、台所、浴室は特別に、どこにでも殺虫剤をまくように教えられている。

    幸運にも消臭剤と混ぜ合わされた噴霧

    剤の雲を鼻、口、腋の下、特別に奥まった所i電話機のずいぶん奥までさえふきかける……。

    私たちは微生物が常に取り付き、細胞を次から次と破壊しようとしている世界に住み、相当な注意と恐れをもって生きているのである。

    テレビを見れば、あなたは私たちが人間の探している病原体によって周囲すべてを取り囲まれ、それらを殺して近づけないようにしてくれる化学的技術によってのみ感染と死から保護されているという、総じて危険な入り江に住んでいると思うだろう。




     これはそのとおりだろう。

    私たちは病気、すなわち「外にある」ものによって取り囲まれているという考えを受け入れており、よく考えることなく、トイレに(Iビッグを、浴室にザーモを。

    台所にヴィムを、薬品棚にデトールその他の殺虫剤を備え、これらは虫を全滅させると強力なイメージでテレビで宣伝されてい 皮膚と家のパイプの中にいる虫を安くて剌激臭のある化学薬品で殺してしまうと、今度は人目につかない所や奥まった所にいる虫を高価で香りのよい化学薬品で徹底的に破壊する。

    これらの小火器による細菌への攻撃が失敗し、私たちが感染症に罹れば、魔法の爆弾-抗生物質-を求めて医師のところへ行く。


     もしその予防策から害が生じなければ、もちろん病気から身を守るのは賢明である。

    しかし、注意すべきことは私たちが細菌に関してはいかに攻撃的であるかということと、反対に、細菌がなぜ感染するのかという理由については私たちがいかに無関心であるかである。

    実際。

    私たちは細菌はすべて私たちにとりつこうとして躍起になっていると思い込んでいる。

    さらに、予防はなんらかの事前の考慮を必要とする。

    治療は必要としない。

    イギリスでは、バグとの戦争を行う方法のある注目に値する最近の例は、ガンマ線放射によって、サルモネラ腸炎菌やりリステリア菌によって汚染の可能性がある食物を殺菌することを企業に許した政府の決定であった。

    これらの二つの細菌種は、一九八九年に全国で新聞の大見出しとなった食物媒介性感染の原因病原体である。

    ガンマ線は、何人かの人が恐れているように食物に放射能をもたせることはないが、食物中の栄養分のいくつかを破壊し、汚染された食物の「虫の数」を減らすために、食品会社の無茶なことをする無責任な職貝によって使われてしまう。

    食品会社はまた、工場化した畜産農場の動物および加工食品の前準備の安全でない方法によってサルモネラとリステリア感染症が生まれたという基本的な問題に注意を注いでいない。

    しかし、医師が魔法の抗生物質爆弾を私たちに用いるように、企業は今、食品に魔法の原子爆弾を使っているのである。



     「魔法の弾丸」という軍事的なたとえは、依然として西洋医学の試金石である。

    医学部でのその最初の日々から、医師は自分たちを病気と闘う兵士として考えるように奨励され、病院の医師が耐えているぎっしり詰まった訓練と厳格な職階制は軍隊をモデルとされている。

    戦地の将官のように、顧問外科医のような医師のエリートは自身の生死の決定を問われるとは思っていない。

    多くの女性がこの軍隊文化に受け入れられず、トップの内科医や外科医には女性はほとんどいない。



     現代の医学を戦争の一形態と考えるように訓練されているのは医師だけではない。

    私たちは皆このようにして教えられている。

    たとえば、一九八八年に国内の新聞紙上で発表されたトップのイギリスの慈善団体で一ある、大英帝国がん研究基金の広告の文面がある。

    その見出しにはこう書いてある。

    「今、私たちはがんを探一寸こザイルを開発した。

    身体全体を攻撃する必要はない」。

    それはこう続く。



     がんを殺すことと患者を殺すことは境界線ぎりぎりとなる。

    しかし今、モノクローナル抗体ががん細胞の中に向かい、それらに固着する。

    したがって、それらは早期警戒システムと強力な武器として使える……。

    薬を適用すると、高用量の放射線とミサイルがそれらの「弾頭」をもつ……。

    これは、希望のもてる一つの軍備拡張競争である。



     スターウォーズみたいに幻想的なこのような考えは、薬を魔法の弾丸として見ている私たちの信念と私たち自身のために爆撃してくれる医師の能力に対する信頼とに基づくものである。

    皮肉にも、その言語が医療従事者によって現在使用されている軍人は、彼ら自身、ベトナムの村やリビアやイラクの都市を爆撃することを「外科的計画攻撃」と呼び、再確認のたとえとして医学用語を使っている。


     「私たちは世界でもっとも攻撃的な医師だ」---これはイリノイ大学のマークこフッペ教授がアメリカの医師について考えていることである。

    シカゴで本書のインタビューに答えて彼は続けてこのように言った。

    「一九世紀の医師、ペンジヤミン@プッシュは、一歩踏み込んで言った。

    『私たちは病気を治すために自然を利用できるのだという考えに期待しすぎている。

    私たちはもっと攻撃的になる必要がある。

    戦うことによって病気を治療しなければならない』。

    それは戦場である。

    もし、私たちが微生物と戦うなら、化学兵器を用いる。

    そして、『それを打ちのめしてしまおう』と言う。

    これは戦争と同じ精神である。

    私たちがベトナムでしたことを覚えているか。

    『村を救うために村を爆撃する』」。

    しかし、これらの化学兵器である抗生物質がたくさん使われれば使われるほど、特に病院という閉鎖した環境においてはより多くのスーパーバグが生まれる。

    「医学会は、個々の患者のためになされるすべての決定が与えられる衝撃が、患者という母集団全体とその社会に及ぶと考えることがあまりにもできていない」。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    まずは医師への教育

    パブロフの犬のように、微生物 → 反応! → 敵だから叩く !!  (医学教育で徹底的に刷り込まれる)

     

    かくして始まったのが無差別攻撃爆弾。

    最初は魔法の弾丸として敵だけをやっつけるものだと思い込まれていた。

    が・・・

    つづきは近日上映! 当館にて

     

    附則  医学教という信仰への道

     

     


    0 0

     

    なんだか題名が・・・・

    まあ、、いいっか・・・

     

     

     

    ところで『教育』とはある意味、宗教の教義のようになる場合が多い。

     

    それが宗教だけで無く、科学の方でも起こりやすいのですね。

    そこにある共通意識  「無批判、盲目的信頼、鵜呑み・・・」でしょうか・・

    そして医学は科学科というと、「ほんとは仮説だらけ」なのではないか菜?

    ところが、それを「確定した真実」だと錯覚してしまった、初期の段階が次の段階でも引き継がれ、その次、その次・・・

    最初の『確定してしまった論』を『土台』『基礎理論』として、次から次へと受け継がれて行く。

    それが表面上は「進歩している」という風に見えた・

    そして、幾星霜・・・

    ん?なんだかおかしい、変だな・・・????

     

    ところがその原因がなかなか分からないのですね。最初の原点に戻って『リセット』しないと回復できない。
    パソコンでいえばリカバリーして最初の真っ新に戻ることです。

    だけど、これだけたくさんのソフトを入れたり設定したりしているので、もうとても戻す意欲がわかない・・・

    えええい、しょうがないか~~~このまま逝くしかない~~~~~~

    なんて感じでしょうね、いまの医学界は・・・元に戻るには「ご破算になりましては~~」となってしまうから、そこに関連していた数え切れない程の産業や人々は・・・・いったいどうなるの?

    じゃ、このまま逝くしかない・・?

    いずれにしても、激突して大破するしかないか、途中でブレーキ踏むか・・

    皆で渡れば怖くない赤信号♪

    そして、イツカ大型ダンプが突っ込んでくるかも知れないけど・・・・(やば

     

    それはともかくとして千回のつづきです。

     

    「超」細菌の報復---  抗生物質がつくりだすスーパーバグ
    発行日  一九九六年八月三〇日
    第一刷発行著者 ジェフリー・キャノン

    より

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

       小さなヒトラーたち

     私たちが医療従事者と製薬会社と共有している軍隊の語彙と態度は、私たちが「病気の戦争」について考え、話しているとき、病原微生物説に基づいている。

    すなわち、病気は、私たちの健康を取り戻すために殺されねばならない目に見えない生物という実体によって引き起こされる。

    そしてこれらの見えない敵は病原体である。

    細菌、ウイルス、その他の微生物は病気を意味するものととられている。

    事実、それはまるで病気そのものである。


      病気の病原微生物説は私たちの思考の中に埋め込まれている。

    次の『オックスフォード中辞典卜の定義を見てみよう。



     細菌:すべての分解途中の動物と植物の液体に見いだされる顕微鏡でしか見えない・・・・生物・したがって、bacteriticは(病気を起こす)細菌が存在するときに使われる。


     病原体:初期には、漠然と病気の「種(たね)だとされていた。

    現代の使用法では、特に病気を引き起こす微生物に用いる。


     微生物:植物または動物で、極端に小さい生物。

    主に病気や発酵を引き起こす細菌に使われる。




     一般的な医学の手引き書からはほぼ同じ印象を受ける。

    たとえば、一九八三年にリーダーズーダイジェストによって出版された『家庭の医学のアドバイザー』が感染症について言っていることがある。



     病原体として知られている有害な生物が体内に侵入すると感染症が起こる。

    これらの生物にはウイルス、細菌、原生動物、リケッチア、真菌、線虫……が含まれる。

    有害な生物は汚染された食物、飲み物、あるいは土壌の中におり、口や開放創から体内に入ってくる。



     では治療はどうすればよいのか。

    「感染症の医療処置の成功は病気を招いた生物に左右される。

    ペニシリンのような抗生物質は細菌をなくす」。

    この本の中ではまた、身体自身のもつ防衛能力について軍隊用語で述べられている。



     身体が感染症といかに戦うか。

    細胞でできた大きな軍隊は、病気の原囚が起こすあらゆる攻撃を迎え撃てるように常に警戒している。

    身体に侵入する病原体のほとんどが、病気を引き起こす毒素を放出しようとしている細菌とウイルスである。



     したがって病原体との終わりない闘いに従事しているのは医師だけではないようである。

    私たちの身体も闘っているのだから、病原体は世界の敵と、世界の敵は病原体とみなされているようである。

    イギリス政府によって考案され、戦時中の新聞や雑誌で公表されたヒトラーの漫画は、彼が計画したイギリスへの侵入が、イギリスの殺虫剤によって阻止された恐ろしい毒性のあるバグとして彼を表していた。


      病原微生物説によると、病気は「外にある」もので、私たちに侵入する。

    私たちは外部の因子である「バグ」あるいは「病原体」、すなわち細菌、ウイルス、その他の「思いがけなく」現れる病気の保菌者の犠牲者となる可能性は多かれ少なかれもっている。

    熱帯を旅行する(マラリア、赤痢)、混んだ列車に乗る(よくある風邪)、多くの性的パートナーをもつ(リン病、梅毒)などの行動をすることによって、自身を病気により罹りやすくすることがあるが、全体として病気は私たちがたまたま「遭遇する」事故なのである。

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    微生物学では細菌やウイルスはどこにでも存在している。しかも有用な方がずっと多いと分かってきた。

    体内においても細胞数の何倍も細菌が共生しているし、ウイルスなどは遺伝子にまで入り込んでいる共生者(者というかどうかは?だが)

    だが、医学では細菌やウイルスは即『病気の原因」と教えるし、教えられる。

    自然界そのものが微生物の海のようなものである。そこに我々が住まわせて戴いているのである。

    しかも、護られている方が圧倒的に多いのだ。

    だが、時には病気の場合に関わる微生物が登場して活動するのも事実だ。

    なぜか?

     

    そこんとこ、考えたことありますか? アナタ♪

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     


      この考え方には歴史上のルーツがある。

    一七世紀から一九世紀まで、微生物は顕微鏡で観察されていたが、その重要性は一般に認められていなかった。

    一八三〇年代にヨーロッパで始まった大々的な公衆衛生運動の指導者たちは目に見える汚れと戦い、まともな労働、生活条件、食物で栄養分をとることの重要性について確信していた。

    彼らの働きによってより清潔で安全な環境がっくり出された。

    一八三〇年代から八〇年代までの半世紀に、公衆衛生運動は、ロンドンやパリのような都市を比較的安全な場所にした巨大な水道や下水道システムを建築した技師たちによって指導されていた。

    感染症の伝染による死亡率は、それらの効果的な治療法は別にして、これらの病気の原因について誰も多くを知ることなしに低下していた。


      なかでもルイ・パストゥールが現在もっともよく知られている一九世紀後半の「微生物の狩人たち」は新しい物語を語った。

    彼らは微生物を感染症の原因として確認していた。

    当時、感染症は、王族、貴族、社会の指導者、戦場の軍隊、もちろん一般の人々に対する大きな殺人鬼であった。

    実際には、当時「病気」は「感染」を意味した。




     病原体とそれらの病気における重要性の発見は、一九世紀初期と中期の公衆衛生運動の終末を迎えようとした時期だった。

    なぜなら、この運動は開放系の下水溝、路上の廃棄物、汚物、悪臭、人混みをなくすには不十分だったからだ。

    新たに発見された病原体、すなわち顕微鏡でしか見えない病原因子は、どんな衛生非常線でも通り抜けることができる。

    水、空気、土、手はきれいに見えるかもしれないが、実際は目に見えない汚物の一種、細菌がうようよしているのである。


      病気の病原微生物説は、清潔な環境は病気を起こす細菌が生存していれば無意味であり、ましてもっと破壊的でさえあり、もし細菌が殺されるなら、清潔な環境は心地よいが、医学的には不必要である、ということをほのめかしている。

    したがって、一八八〇年代ごろから、公衆衛生における支配力はエンジニアから科学者へ、公衆衛生の保護から個々の病気の治療へと移った。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    いよいよパスツール氏の登場となりました・・・

    つづきは近日公開! 当館にて  抗ご期待♪

     

     

     

    こちらも参考に  パスツール一派の「病源説」の終焉は自然界からの報復(超耐性菌の出現)で幕を閉じるのか?

     

     

     

     


    0 0

      ご注意; 転載記事とブログ主の記事があまりにもギャップが凄すぎるというご注意を戴きましたが、

    今さら著者に直してくれとは言えませんので悪しからず。

    (あれ、作者の方が? 凄すぎる? ひどすぎるのマチガイじゃ・・・・←事故突っこみ)

    それにしても、誤字脱痔がおおいなあ・・

     

     ※突然ですが追記(途中で入れるかよ)

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    10988275_791205340953638_389566227873036029_n

    この本は、ピロリ菌と胃がんの因果関係を証明することに貢献し、その後、ピロリ菌除菌の手法確立のため、ご自身を最初の実験台にした、マーチン・ブレイザー博士のご著書『Missing Microbes(仮訳:失われた細菌)』なのですが、そこには衝撃的な告白が描かれていました。

    結論から言いますと、

    ピロリ菌を除菌すると、胃がんになる確率は低減できるが、食道がんになる確率を上昇させてしまう

    ということです。

    ご本人は、ピロリ菌と胃がんの関係を説き、除菌方法まで指南してしまった責任から、WHOや医学界に向けて、その危険性を訴え続けているそうですが、なかなか、ノーベル賞まで受賞してしまった「ピロリ菌悪玉説」や「ピロリ菌除菌の常識」を上書きしてもらえずに、苦しんでいらっしゃいます。また、世界に先駆けて、ピロリ菌除菌をしたご本人は、今現在、逆流性食道炎に苦しんでいるとのことです。でも、

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

    百年前の魔法の弾丸も次第に色あせて来たきょうこのごろですが・いかがお過ごしでしょうか。

     

    なんて

    とにかく、原因不明の伝染病大流行に悩まされてきた西洋諸国だった。

    ノストラダムスの時代も大量死を迎えていた伝染病大流行だったが、原因がまったく分からず、西洋社会は恐怖と混迷を来していた・・・・パパンパン♪

    それが・・・ついに病源体を捉えた! のであった。

     そこから始まった魔法の弾丸・・・抗生物質

    世紀の大発見であった。

    それに合わせて化学の進歩と顕微鏡などの道具の進歩

    このまま行けば二十一世紀にはあらゆる病気は克服出来る ぞ~~~!!

    と。

    ところが・・・・

    人生にはマサカという坂がある  (koizumi語録)

    一〇〇年は続いた魔法の威力だったが。

    、その『魔法』も溶け始めてきたことは「超耐性菌の出現」であきらかになってきたわけで。
    その当時の様子はどうだったのか・・・覗きははじまる・・・

     

    「超」細菌の報復---  抗生物質がつくりだすスーパーバグ
    発行日  一九九六年八月三〇日
    第一刷発行著者 ジェフリー・キャノン

    より
    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

      エーリッヒの魔法の弾丸

     感染症の原因病原体についての知識が、その病気をいかに効果的に治療するかという知識が伝わる前に一般に伝わったので、一八八〇年から一九三〇年の半世紀は不安な時代であった。

    当時、医師はあなたの悪いところは何かということを十分考えていただろうし、医師として患者に接する態度と(イギリスで国民健康保険ができる前には)請求書を出す以外には実際にはたいていほとんど助けとなることができないのに、長い科学名称を用いて自信をもった診断をしていたのであろう。


      それにもかかわらず、ある日科学が答を出してくれるだろうと希望がもたれ、信じられていた。

    一八九五年、エミール・トレラ博士は最先端を行くフランスの雑誌『科学評論』に次のように書いている。



      病気各々の源としての微生物、その好む環境、その習癖、その正調のしかたがわかれば、私たちは十分な医学的管理とともにそれをそのうち捕らえ、その進路でそれをくい止め、微生物の使命である殺人を続けることを予防できるようになるだろう。




     病気との戦いで、一九世紀後半の科学者たちは、目に見えない刺客のようにすべての障害を通り抜ける暗黒(無知)という力の秘密の媒介体である細菌の動きをすべて追う、光明(知識)という力を求める一種のスパイであるとみなされていた。

    病因として細菌が確定された後であるが、スルホンアミドの発見前であったこの妄想の時代において、人々は病気だけでなく医師についてもかなり恐れていた。


      この雰囲気は、一九〇六年に初演された、バーナードーショーの医療従事者についての風刺劇である『医師のジレンマ』に現れている。

    この作品の前書きでショーは書いている。



     有名な病気の病原微生物説は一般的な医学理論である。

    すなわち、すべての病気はエデンの園でまさに創造されたその微生物をもっており、それ自身を着実に増殖させ、以来ずっと悪性の病気の拡大循環を生み出し続けている……。

    医師たちは……十分な技能をもった医師によって殺菌剤が投与されることによって殺されるまでは微生物は死なないと考えている。



     彼が提案した医師のモットーは、「微生物を見つけてそれを殺せ。
    たとえやり方がわからなくてもだ」である。

     この時代、人々は細菌を見ることも聞くことも触れることもできないが、冷戦時代のアメリカ人の心の中にあるソ連(逆にソ連人の心の中にあるアメリカ人)のように、いつ侵入してくるかわからない「外部の」
    脅威と感じていた。


      このような妄想は、アレクサンダー・エルザン、ロベルト・コッホ、とりわけポールーエーリッヒのような他の微生物学者による、ペスト、ジフテリア、梅毒、結核のような恐ろしい他の感染症の原因病原体だけでなく、それらに対して考えられうる効果的な治療法についての発見がなされるにつれて、「魔法の弾丸」として知られるようになった薬剤とともに徐々になくなっていった。


      「魔法の弾丸」という言葉は、パストゥールの一世代後にベルリンで研究していた、現代化学療法の基を築いたポールーエーリッヒによってつくり出された。

    エーリッヒは、彼自身が「標的とされるものだけを攻撃する」薬のことを述べるためにこの言葉を用いた。


      一九〇五年、梅毒の原因病原体は、現在はたいていペニシリンで攻撃される微生物の梅毒トレポネーマと同定された。

    ペニシリンの出現前は、エーリッヒとその助手たちはヒ素化合物を何百もテストし、梅毒トレポネーマを殺した六〇六番のアースフェナミンを見つけ、これを彼はサルバルサンと呼んだ。

    一九一〇年、その細菌標的の発見からちょうど五年後に、サルバルサンは市場に出、その後その改良版であるネオサルバルサンが出た。

    両サルバルサンは魔法の弾丸ではなかった。

    それらは非常に毒性の高いものだった。

    しかし、それらは生命を救った。


      一八八〇年から一九三〇年代の間に発達した病気の病原微生物説の魅力と力は、その後、かつては医師の技能を超えていた多くの感染症の治療法としてのスルホンアミドとペニシリンの発見と大量投与によって拡大された。

    そして、病原微生物説を高く評価しすぎた考えが今も続く神話となった。

    すなわち、ただ病原体が病気を引き起こすというだけでなく、すべての細菌が病気を引き起こし、すべての病気は細菌によって引き起こされるれるのだという考えである。

    したがって、健康へ到達するには病原体との戦いを行うという手段によったのであった。


      医師たちはこの神話を追い払うのと同じくらいのことをしてこなかった。

    彼らは、病気の原因だけではなくその治療法を明確に知ることによって権威を得た。

    そして、医師たちが良い食物と清潔な環境が病気を予防し、健康を促進する手段であることを認めているにもかかわらず、現代医学は公衆衛生にはあまり関心をもたなかった。

    二〇世紀前半に医師たちを興奮させたものは病気の特異的な原因と特別な治療法、すなわちバグと薬、標的と弾丸だった。

    あなたは医師に診てもらいに行き、医師はあなたのどこが悪いかを見つけ、薬を与え、あなたは再び回復する。

    とりわけ、抗生物質はやはり私たちを苦しめる目に見えない敵を捜し出して破壊する魔法のミサイルであるようである。


      以上のようなわけで現在このような状態になっているのである。

    私たちは身体を治療してきたのだ。

    これは、製薬会社の目を見張るような成長と二〇世紀の後半のハイテク医療の流れである。
    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    「標的とされるものだけを攻撃する」薬

    じゃなかった事は近年どころかこの二十年前の本で明らかになっていましたね。

     

    なんのことはない。

    腐った物が巷にあふれた  ←  腐敗分解菌の登場

    これが人間界に起こったわけ。

    その分解菌の存在を知らなかったので「みえない敵」に対する大きな「恐怖心」があった。

    ところが、顕微鏡の発明によって

    ついに覗くことができた。 居たいた~~~♪ 

    そうか!こいつらだったのか~~~悪さをしているのは!!(ここでは、まさか腐っている人体が源とは考えもしない)

    そこにチョウド運良く現れたのが、近代化学の進歩による合成化学品(最初は染料薬のようだった)。

    これだ、使ってみると凄い!(ただし害作用の方も強かった)

    魔法のように効く・・・

    そして、セレンディピティ(ラッキ~♪ 思いも寄らぬ偶然の発見)式抗生物質が新登場!!

    ここから西洋医学の一派が世界的に大躍進した・・・とさ。

     

    そして、パスツールの登場で一気呵成(意味不明で使うな)

    そしてゴッホ、(おい、コッホだろ)   あ、ゴッホン

     

    それが今日、日本でも医学なら西洋医学と金平糖、ん、一偏頭か・・

    だから、今でも感染症に恐怖している、だいいち毎年まいとし、ぼくらは鉄板の~~~インフルエンザ大流行

    治す薬など無いのに、飲んでますか~~♪ (昔CMであったな)  風邪引いたら縷々三錠♪ 

     

    しかもウイルスにはマッタク効果の無い抗生物質を

    「念のため出しておきますね♪」と北門だ。 出さない正直医者には「あのセンセ~藪だよ、コウセイ剤出してくれないんだゾ」と総スカン句。

     

    「ああせい、こうせいしょう」となるから、ショウガナク「とりあえず飲んでください」と、「ねんのため」「とりあえず」詐欺じゃあるまいに。

    やっぱ、あのセンセ優秀だ〝~~♪

    かくして、ああせい、こうせい剤は日本人バッカりじゃなく、世界中に大人気・・・

    まあ、どこまで逝けば気が済むやら、ついにはあのWHOで(さえ) 「使いすぎじゃろがな」と音を上げるしまつ。

    ま、あの百年前にさかのぼるが (本当に百年なのかは定か出ないのでセルフサービスでよろしく)

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

    181p
       治療の稲妻 

     パストゥールがその頂点に立っていた病原微生物説者たちは、健康と病気の性質についての一九世紀の大きな論争の一派として居並んでいる。

    彼らは活力と方法を備えて証拠を整理し、当時病原微生物説に対して起こった反対の声がだんだん消えていくまで反論を繰り返した。


      この論争のもう一派には、パストゥールの同世代人であるもう一人のフランス人生理学者、クロード・べルナール教授が関与している。

    彼は、病気を外部から侵入することによってではなく、私たち自身が正常に保つことが可能な体内での障害や衰弱によって引き起こされる病気が「外にあるもの」ではなく「内にあるもの」と見た。

    ベルナールは健康は体内の環境、すなわち彼の言う内部環境の中の適切なバランスいかんであると考えた。

    すなわち、彼は生態学的な思考をしたのである。



    182p
     この理論によれば、私たちは健康な生活習慣という手段によって、感染症以外の病気ばかりだけではなく、感染症に対しても自身を強くすることができる。

    このように、病気は医学的ではなくむしろ社会的な問題であり、治療するのではなく予防するのが最良だというのである。

    この病気に対する見方は「地球論」と呼ぶことができ、パストゥールが死の床で次のような言葉、「病原体はなんでもない。
    すなわち、地球がすべてである」として容認したものである。


      ここで「地球」と訳されているパストゥールのものだと考えられるフランス語の単語は”terrain"であったが、これは「環境」という意味にもとることができる。

    もし、あなたの外部環境が健全であれば、そしてあなたの身体がよく耕された土壌のように十分に栄養をとっていれば、あなたは病気に十分抵抗できる。

    反対に、酷使された身体はちょうど痩せた土地のように病気に罹りやすい。

    健康は、ただ病気が存在しないということではない。

    すなわち、それは積極的な幸福である。


      このような考えは治療術と同じくらい古い。

    それらは伝統的なインド医学と中国医学の哲学的基礎を形成している。

    それらは、公衆衛生についての西洋の考えの偉大な伝統、ヒポクラテスから一九七八年にアルマアータでなされた「すべての人に健康を」という世界保健機関宣言--までを伝えるものである。

    反対に、現代西洋医学の基礎知識である病原微生物群は新奇なものである。


     地球論と病原微生物説との実際的な違いは、義務履行能力の違いである。

    病気は予防することが最良であるということを受け入れれば、あなた自身と生涯にかかわる他の人々の健康に気をつけるようになる。

    しかし、病気は治療することが最良であると思うのなら、あなたは自身の健康の見物人になり、その治療を医師にゆだねてしまう。

    したがって、あなたは一人の人から一人の患者に変わるのである。


      人の生命を奪う重い病気が流行性の感染症であった時代、一九世紀に、病原微生物説をなぜそんなに賞賛せずにはいられなかったかが理解できる。

    そして、もちろんこの理論に関して言われるべきことがある。

    すなわち、病原体の中には、ときどきいくつかの病気の原因となるものもいる。

    しかし、細菌、ウイルス、その他の微生物は、なんらかの感染症の物語の一部にすぎない。

    今、誰も意識的に病原微生物説を病気の普遍的な原因として提唱しないだろう。

    それは、時代の検証に耐えなかった。

    まず、私たちが今罹っており、それが原因で死亡する病気のほとんどが感染症ではない。

    さらに、問題を起こしているものすべてが病原体であれば、人という種族は、いくつがの原始的な世界的流行の感染症によって殺され、ずいぶん前に一掃されていただろう。

    病気の性質と原因について今私たちにわかっているすべてのことから、現在なされている大きな論争はルイーパストゥールではなく、クロード・ベルナールによって勝利されることだろう。


      しかし、私たちは病気の病原微生物説にほとんど魅せられたままであり、西洋において私たちのほとんどを死に至らしめるがん、心臓病、循環器系疾患は、感染症であるかのように扱われている。

    私たちのはとん一どが、このような病気から自分たちを守るために、ほとんどかまったくなにもしていないし、何か症状が出一れば、薬か手術が治してくれるという望みを抱いて内科医や外科医のところへ行くのである。

    感染症ではな一い疾患の症状は薬で抑制され、心臓病とがんはときどき切除されたり燃やされたりする。

    しかし、このような治療法は魔法の弾丸でもなんでもない。

    それらは瘢痕を残し、その他の病気に罹る機会を増やす。

    そして潜在している病気がまた出てくるのである。


      一八八〇年代には、病原微生物説は、病気の治療に関心をもつ医学者が、それによって病気の予防に関心をもつ社会改革者との戦いに彼らの力を見せつけた手段であった。

    一九三〇年代初めには、病原体に働く薬が医療従事者に固有の権威を与えた。

    医師たちは「ジュピターの治療の稲妻で武装していた」とイギリス薬剤安全性委員会の初代会長であるデリックーダンロップ卿が一九七二年に書いた。

    彼は、[かつて現れた進歩より大きな医療の進歩がなされたが、その進歩の荘厳さと輝きが今世紀の残された年数にどのようになるかについてはわからない」--と述べた。


      抗生物質に対する私たちの信頼は病原体に対する嫌悪感と結びついている。

    私たちは、病原体がいない、すなわち無菌であることが最良であると信じている。

    私たちは近くに細菌にいてほしくなく、それらを湾に遠ざけておくための化学兵器の兵器庫を利用する。

    私たちはドメストスの人の健康理論を信じている。

    私たちはすべての細菌を完全に殺さねばならないのだ、と。


    184P

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

    ね、世界は細菌、ウイルスなどの微生物であふれている(というより微生物の海だなこれ)

    というのに、

    医学では無菌を目指すという、この破廉恥焦連魔(はれんちじれんま)

    出来もしないのに億万長者を目指すというakyoonのごとく・・

    ちょきん、チョキン、チョキチョキチョッキンナ~~貯金♪

    じょきん、ジョキン、ジョキジョキジョキジョッキンナ~~  除菌

    似ているな・・・(どこが!)

     

    抗生物質は魔法の弾丸じゃなかった   ←  爆弾だった。(無差別攻撃爆弾)

    そして、抗生物質耐性菌を産み出すことになる。 → すべての抗生物質が効かないスパーバグの登場

     

     

     

     

    ここからは不要なカキコ

     

     世界で初めて抗生物質を発見したと言われている御仁(ええ~と、フレミングだったかな?)

    も抗生物質の性質を知ると、「抗生物質の使いすぎが細菌の変化を即す・・」と危惧していたそうですね。

    そんな始祖達の気づきももう遅かった。商業的に突っ走り始めてシマッタ抗生物質事業は行き着くところ(すべての抗生物質が無効となるスーパーバグの登場)まで逝く必要があったようです。

    パスルーツでさえ、晩年になってようやく気づいたのですが、それも既に出来上がってしまった「微生物病源説」は突っ走り始めた弾丸列車。しかもそれに乗りたがる大衆の支持基盤がある(これこそ、土台になるのだが)ために、止まらない止められない魔法の弾丸列車。

    最近ではあのピロリ菌ですね。

    近視眼的医学を学んだ学生が出世して研究者や教授になり、教え込まれてきた「微生物病源説」でいっぱいになったアタマが、偏光プリズムのごとく偏向偏っている狭いのぞき穴でみるため、ピロリ菌即病源と勘違いしてシマッタのでしょう。

    しかも、それをノーベル医学賞まで授与されたため、もうこの説はひとり歩きしてあっという間に世界中に拡がり、鵜のみ教育で育った医学生が医者になり、上からの情報が頼りとなる性質上、この説をまた鵜のみにしてしまい、さらにさらに鵜のみでは同等の能力を持つ大衆の支持基盤があるため、わがニッポン!アチャチャ~国でも、痴呆によっては無料で「ピロリ菌除去」という蛮行が行われているという。 これでイッチガポ~ントサケタ♪

    一度張り始めた機関車は暴走してしまって、もう止めるにも止まらない・・

    ええ~~い!ママよ。 と激突するまで乗客を振り落としながらも暴走するという、もうこれはシマッタでは済まされないが、後悔あとでというように、先にわかれば苦労しない。

    ピロリ菌除去の抗生物質が大切な共生菌(ピロリだけじゃ無く、他の腸内細菌なども)をペロリと除去してくれる・・・・まさに無差別爆撃はテロだけじゃない、味方の市民まで大量処分してくれる。

    そして、残ったのは殺伐とした焦土か・・・

    気づいたときはすでに遅し、地団駄踏んで悔しがっても誰も元に戻しては紅。

    ああ、暁の夕暮れに、、、ため息とともに、ぽっと漏らすしずくかな  

    「ああ~また自慰ちゃん、もらしてる~~~」 孫

     

     

     


    0 0

     

    愛変わらずですね・・・・・題名の貧雑さ・・

    それはともかくとして(なんだ!)

     

    中世の医学研究者達が狭い覗き穴で覗いたバッカりに、本体を掴めなかったのであるが、つまり足の指先とか、尻の毛とか(おい!)・・鼻の穴の糞とか・・・(もうヤメロ)

    微生物の全体象をみないで節穴から覗いてみた医学観では微生物を知る事はできなかった。

    だが、当時の無知鞭、ムチムチの人類にとっては、そんな小さな貧弱な覗き穴だけでも、大驚異だったのである。

    たちまち、これが政府や企業にその功績を称えられ、取り上げられてしまったのであ~~る。

    ゆえにたとえばパスツールが後になって、「いや、あの、じつは~~~あれはカンチガイだった・・・私の覗き穴が小さかったために・・・」などと悔悟してみせても、もう遅かったのであ~る。

    一度突っ走り始めた列車はもう止められないやめられないポテチ♪

    (ポテチ・・・・ポテトチップスなどのスナック菓子の魅力に取り憑かれてシマッタため、やめたくても止められないという症候群・・現代医学でもいずれ病名としてポテチ症候群と名付けるであろう ← あるか!)

     

    え、くだらないまえがきはもうやめろ?  

    しょうがないなあ~~~~もっと書きたかったのに。それに立派な記事に相応しい表紙代わりとして必須なんだがなあ・・・

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    「超」細菌の報復---  抗生物質がつくりだすスーパーバグ
    発行日  一九九六年八月三〇日
    第一刷発行著者 ジェフリー・キャノン



    185Pより

      9 細菌とともに暮らす

      腸内細菌一重要臓器

     細菌のほとんどが腸管の中にいる。

    ヒトの大腸には四〇〇から五〇〇種が住み、全部で約一・五キログラム(三ポンド)程度の重さになる。

    糞便の大部分は細菌からなる。

    ヒトの腸管に住む細菌種の集団は、ヒトとそれぞれの種がお互いにバランスを保ちながら進化してきた。

    ミミズが代謝回転して土壌を肥やすのとほとんど同じように身体の重要な過程に寄与し、ほとんどすべてが有益である。


      最近まで、ほとんどの生物学者が腸管の中身については興味をもっていなかった。

      (中略)
    一九九〇年、当時『イギリス栄養学会誌』の編集者であったミカエルーガール教授はある論説で、「私たちは腸管の中にいるおよそ四〇〇から五〇〇の微生物種のことをほとんど知らない。

    それらの種と食事における大小の変化の重要性との間のバランスに栄養素がいかに影響を及ぼすかについては特に無知である」と書いた。


      科学者たちには、食物はもちろん腸管の細菌叢に対する薬の影響についても学ぶべきことがたくさんある。

      (中略)

    細菌による病気はもうすでにすべてが発見されたというかなり自己満足した考え方が始まり、抗生物質の出現前には、人々は抗生物質の投与の結果生まれた腸管の細菌叢の問題には気づかなかった。

    そして、腸内細菌への関心に再び火がつけられたのは、実際第二次世界大戦が終わってからのことであった。



     すなわち、一九四〇年代から五〇年代の抗生物質の第一回めの黄金時代において、医師は、平均的な庭師がテントウ虫に吹きかける殺虫剤の効果ほど、これらの薬がヒトの腸管の細菌に何をしていたかについてはあまり考えることなく抗生物質を使用した。




     微生物学者は今、腸管の細菌叢に非常に感心をもっている。

    それらは何をするのか。

    なんのためにあるのか。

    微生物研究グループがハーロウの臨床研究センターに設立された。

    ピーター・ボリェロ博士が一九九〇年の代表であった。

    彼は、自分で言っているように「それ自身の権利をもった身体の一臓器」として見える腸管の細菌叢の重要な機能に興味をもっている。


      (中略)
    私たちの体内の細菌の集団は「最高に複雑な生態系」に等しく、「それについての知識はまだほんの少ししかない」のである。


      最先端を行く科学者たちが、腸管の細菌叢の機能についての無知を告白しなければならないことは驚くべきことに思えるがもしれない。

    しかし、それらの複雑さは私たちをたじろがせるものである。

    腸管の中の何百もの細菌種は、少なくとも一七のタイプに分けられ、そのすべてが相互作用し、無数の亜種と変種をもち、突然変異することができる。

    「腸内細菌叢の膨大な複雑さがそれらを研究することを極端に難しくしている」とボストンのニューイングランド医療センターの微生物学者、シャーウッド・ゴーバック教授は言っている。




      人の胃腸管の細菌群は非常に複雑な生態系を構成している……。

    四〇〇以上の細菌種が一人の糞便から分離されると推定されている。

    そのような糞便試料のいろいろな種の混合物についての詳しい微生物学的分析を完了させるのに一年間はかかるだろう。



     想像してみてほしい。

    一つの糞便の研究に一年だ!



     しかし、科学者たちは今、腸管の細菌叢、すなわち私たちの胃腸管の中に非常にたくさん住み着いている細菌は、消化器系にとって不可欠な部分であると確信している。

    それらは腸管の内容物、特に脂肪と繊維物質を消化し、それによって食物を栄養分に変えている(ほぼ同じ方法で、上、水処理プラント、動物と人の老廃物の中に住む細菌は、貯蔵牧草や汚水を飼い葉や堆肥に変えている)。

    腸管の細菌叢はビタミンBとビタミンKも産出する。

    それらは、腸管壁とそれを覆っている粘膜と相互依存している。

    それらは腸管壁の中の細胞の更新を刺激し、その表面の残骸をあさり、食物を身体に通過移動させる腸管の筋肉の脈動である蠕動運動も刺激する。



      一九八九年に発表された総説で、ノルウェーの微生物学者、トーレーミドヴェット教授は、「糞塊停止は死である--便通は生を意味する。

    腸管の内容物の正常な動きを生み出す際に、細菌叢はその主となる機能を果たしている。

    ただ私たちを生かしておくために」と書いた。

      (中略)ヘンドリック・ヴァンーセーン博士は、「蠕動運動、粘膜細胞の更新、ビタミンの産生のために腸管の細菌は必要だ。
    それは生きている臓器系である」
    と私に語った。


      このように、二〇世紀中に、私たちの体内の細菌についての考えには一大革命が起こったのである。

    最初、科学者たちはこれらの細菌には毒性があるに違いないと考えた。

    その後、関心が失せた。

    科学者たちは腸管の細菌叢が何のためにあるのかわがらなかったし、それらを重要なことではないとして見過ごしてしまった。

      ●この期間に抗生物質が開発された。

    そして今、腸管の細菌は消化器系の重要な部分であることが知られている。

    私たちの健康のためには腸管の細菌叢が必要であり、それらは身体の重要な臓器になっているという考えに慣れるまでには時間がかかっている。

    しかし、それが現状なのである。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    まあ、しょうがないといえばショウガナイか・・

    みんながムチムチだったのね。 男は嫌だけど・・

    とにかく、最初に微生物(細菌)を見られるようになったのは顕微鏡の発明からだった。
    それまでは「何か目に見えないモノ」として得体の知れないものが病気に関わっている・・としか分からなかったのだ。

    そこへ、《細菌の発見」という衝撃度は大きかっただろう。

    そして、ちょうどその時期にセレンディピティ(意図もしないのに偶然に、ラッキィ♪)で抗生物質が見つかった。

    まあ、これだけチョウドよくと言う事自体が「世界人類の共同謀議」なんだろうけど・・・

    なぜって、人間は病気という体験を通じて、様々な物語、ストーリーが創られるからだ・・・ろうな。

    これは戦争などという表向き系と比べると内的系だが、こちらのほうがずっと創作意欲をわかせるのであるから。

    古今東西、ありとあらゆる物語(小説から映画まで)に「ひとの病気」がストーリーに組み込まれている。
    これは映画には音楽が必須のように、物語には病気が必須だということだろうね。

    かくして、細菌の発見で病源は微生物(後にウイルスも発見されてウイルスも含まれたが)としてインプットされた。

    そして、ちょうどよい時期に抗生物質の発見。(もともと民間伝承では知られていたが、科学的に証明されたのはこの時期から)

    この抗生物質が奇跡的″に効果を現してシマッタ(成功なのにあとで失敗になるという意味)のであ~~~る。

     

    やがて何十年・・・

    この本が出たのである(日本では二十年前)

    ところが、このまま失われた二〇年・・・・ほとんど理解が進まなかったようである。

    そして、現在2016年、古本が今さらながら役に立っているというわけ。

     

     

     

     

     

     


    0 0

     

     

     松本英聖著  「医学と生命」
       1994年刊
      第2部 二十一世紀の展望
    より

       二十年前の予測は外れました・・・・か?

    死因のガンはずっと首位を保ったままでしたが、精神病が増えたのかも知れません?

    もっとも精神病を造り出しているのが現代医学の薬だという主張もありますが・・

    ただひとつの原因だけでなく、食のほうもひずんできたためかも知れませんね。

     

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    第一章、 二十一世紀の五大病
          -一食・薬事の果て--

     不気味な予測

     月日の経つのは早いもので、アメリカの『食事目標』が発表されてから、既に十七年。

    その間日本ではガン死が死因の第一位にのし上がり、心臓病が第二位に眺り出た。

    そして西暦二千年にはガン患者が倍増すると予測されている。

    では、二十一世紀には、一体どのような病気が我々を、待ち受けているのだろうか。

    過去のデータから弾きだした予測は、次の五大病である。


    ①心臓血管病 ②ガン ③免疫病(アレルギー・自己免疫病・エイズなど) ④精神病 ⑤先天奇形
     如何であろうか、何れ劣らぬ難病ばかりがズラリ。

    心臓血管病とガンは誰しも見当付くが、まさか精神病と先天奇形がワースト5の中に数えられようとは……。


    しかし、これが二十一世紀の日本人の実像なのだ。


     ところで、この予測は過去めデータから予測されたものであり、その喪では極めて信匿が高いが、その反面、過去のデータが無いものについては全く予測出来ない、というのが実情である。


     従って、例えば今世界で大騒ぎしているエイズや人喰いバクテリアのようなニューフェースについては、それが登上するまで皆見当も付かない。

    であるから、この先エイズよりもっと恐ろしい正体不明の病気が、ある日突然発生して、人がバタバタ倒れ大量死する、という事態も起こり得るわけだ。


     もしそんなことになったら……、考えるだけでも身の毛がよだつ。


     そんな可能性はあるのだろうか。

    自然医学の権威・森下敬一博士は、次のように警告している。

          
     「現代人は、押し並べて美食飽食のために食毒が溜まりきっている。

    そこへ長年の薬毒がプラスされるから、最近、身体の免疫異常が目立ってきた。

    謂わば浄化槽が満杯になっているようなものだ。

    そこでちょっとした異物、ダニや花粉あるいはウイルスなどに接触すると、それが引き金となって、全身の毒素がいっぺんに吹き出すことになる。


    エイズがその典型的なもの。

    そこで、このような一触即発の状態にある人々が、社会に溢れていると、誰か独り可笑しなことになると、将棋倒し(連鎖反応)に次々と薬毒が吹き出し、手の付けようがなく、バタバタと大勢の人々が倒れて大量死する、というような事態も予想し得る話。

    そうなると今の医学では手の施しようが無いから、常日頃、食事を改めて身体をオーバーホールし、長年溜った食・薬毒を抜き取るよう心掛けて置くべきだ」
     なんとも恐ろしい話だが、実は先進国民は、今から八十年ほど前の今世紀初頭(一九一八~九年)、この話と同じような大量死を実際に体験しているのだ。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

    森下博士は今もご健在で、最近、船瀬俊介氏の推薦で講演DVDもできましたね。

    ぼくも早速注文しました。いまならナント1000円、その後は2,500円でも安価だと思いますので、お薦め致します。

     

     

    こちらもご覧ください → 重要国会証言(32

     

     ーーーーーーーーーー転載ーーーーーーー

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    船瀬 俊介さんの写真 ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー  

     


    0 0

    なんだか意味不明の題名ですが・・・

     私たち一般人バカりか、かなり上層部の医学者達、そして一般の医師たちが信じているアルことについて

    まず、以下をご覧ください。

    セレンディピティと近代医学」より  (あ、題名出したら分かっちゃうか!)

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー



     尋ねてはいけない、話してはいけない



     自分の発見に偶然とか幸運が貢献したと述べる人は、ほとんどいないと言っていい。


    学術論文では、実際に研究がなされた様子を正確には書かない。


    研究者はおおむね、観察したこと、データ、結論を乾いた受動態で書く。

    このことで発見はよく考えられた慎重な実験から導かれたものだという印象が生まれる。


     その結果、ピーター・メダワー(免疫学のパイオニア的業績でノーベル賞)がいうように、実際に行われたことを「隠し、誤解させる」ことになる。


     科学論文ではほとんど例外なく、推論から発見までをpost fact(事実の後)的な論理で書くことを要求される。



    研究が報告されるとき、こうした論理的堅牢性を重視する文章構成では、偶然の役割などが顧みられることはない。



     さらに、キャリアの浅い科学者にとって、偶然の観察が自らの成功につながったことを認めるのは、危険でもある。


    だから彼らはずっと後に、しっかりした名声が得られてから、思わぬ結果とか、幸運な出来事、前提と違う例外などがあったことを、受賞講演、自伝、取材などで証言したりする。



     ノーベル賞受賞者が授賞式の講演で、幸運、間違い、偶然などについて初めて話すのはよくあることだ。



    例をあげればシャルル・リシエ(一九一三年、免疫学)、アレキサンダー・フレミング (一九四五年、最初の抗生物質)、バルーク・ブランハーグ (一九七六年、B型肝炎ウィルス)、ロサリン・ヤロ7 (一九七七年、ラジオイムノアッセイ)、ロバート・ファーチゴツト(一九九八年、シグナル分子としての一酸化窒素)などである。



     立派なことに、一九六三年にノーベル賞をとることになるアラン・ホジキンの場合は、神経伝導の実験を記述するとき「まったく違うことを試験しようとして偶然発見された」「驚いたことに」「幸運にも」「幸運の大きなかけら」といった語句を使い、率直であった。



    Ⅹ線の発見で一九〇一年度のノーベル賞に輝いたウイルヘルム・レントゲンも、地元の物理学会でその発見の偶然性についてすすんで言及している。


    37

     肝臓移植手術のパイオニア、トマス・スターツルは、同僚への個人的書簡で、研究を始めた頃のことを書いている。


    「非常に言いにくいことだが告白する。


    私の研究人生で上げた業績は、ほとんど全て、予測していたのと反対のことだった。


    これは私の仮定が全て間違っていたことを意味する。


    当然私はこのことを誰にも言っていない。


    古い友人である君を除いては!」

     自分自身にセレンディピティ的出来事が続いたことに基づき、エイサー・ロススタインはこう述べる。


    「生物学における多くの進歩は、偶然と、知的な追求が合わさって得られたものだ…・科学者のイメージが実際とずれているのはこの点だ。


    研究者は冷静で論理的な生き物とされる。



    しかし行動の実際は、他の人間と同じように確信のもてない手探り状態であり、そこに予測不能の事態が襲う」「科学の発見に幸運が重要な役割を果たすことは、偽善者でない研究者なら誰もが認めることだ」とピーター・メダワーは主張する。



     また、J・H・バンフリーは、イギリスの国立医科学研究所の免疫部門で輝かしいキャリアを終えた一九八四年、「私の発見はほとんど予期せぬものや、偶然の観察から生まれた。


    そしてそれを追求できる幸運があった」と述べる。



    バンフリーはこの点を回想だけで終わらせてはいけないと感じ、最終的に 『英国医学雑誌』 にもう少し強い感じで書いた。


    「私は、自身の個人的経験や知人からの話から、いくつかの重要な実験において、当初の目的が最終的な発見にいかに関係なかったかに気づいた。


    このことは出版されたものからはほとんど分からない……ふつう、論文が出る頃には、その発見が現在の知見と融合され、あたかも最初からの仮説を論理的に実行したかのように書かれるからだ」。



    ある人はこのことを娩曲に「時間逆行性変造」といい、またある人ははっきり「詐欺」という。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    なんの事を言っているかというと、

    偉大な発見や発明した科学者は、その研究段階で、「一から始めてその積み重ねで目的をする結果を得る」という、日々の研鑽努力で成果を勝ち取った。

    と思われた来たが、

    じつは、「ああ、あれは偶然のたまものだったんですよ。私が理論上こうだのああだの思いながら実験して、その通りになったんじゃないのでした。あはは♪ でもね、それを最初から本当の事を言ったりしたら、学術論文は通りはしませんよ」

    akyooon;だから、あなたはさも、理論通りに実験や研究をしてその成果を出したと発表するわけですか?

    「そりゃそうだよ、まあ、本当の事を言えるのは、ノーベル賞とか大きな賞を勝ち取って、自分の地位も安泰になって、もうバレてもイイって時期になれば本音を言えるけどね。それまでは知らせず・・・つまり、黙っているというわけさね♪」

    akyoon;なるほど~~。でもボクらはあなた方研究者はちゃんと筋道を通った学問通りにキチンと実験をしていて、その積み重ねの成果だと思っていましたよ。

    「あはは、そりゃそうだろ。誰にも言わないんだからね。それがバレたら困るんだな。それが、たまたま、偶然、予期もしないのに、ラッキー♪ なんて本音を語ったら形無しだし、第一そんなのは認められない公算もあるしね。

    akyoon:それじゃあ、あの論文は? じつによく解説してあるジャナイですか?

     

    「だから~~、最初から研究目的にそって、地道に理論通りに実験研究した・・・という様に見せかけなければ、通らないジャナイか!キミ」

    akyoon; それじゃあ、誇大広告、いや詐欺ジャナイですか?

    「いいんだよ、学術論文などは後出しジャンケンなんだから(笑い。 それで納得されるんだからね。さも「科学的に」というハクを付けるには学術論文だよ、やっぱ¥」

     

    ボロ愚主の解説はなんともはや、迷宮すぎるかな?

     

    ところでSTAP細胞も、玉玉、偶然に発見されたのかな?

    そして、まずは論文だね、発見を認めて貰うには・・・・

    (「悪の製薬」によると、発表されるほとんどの学術論文には裏があるそうで、それが学会の常識となっているそうだ・・・・つまり「証拠より論」だという意味)

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    このように、真実を述べなかったり、ずっとあとで話すという例は、医学的発見につながった創造的行為を意図的に隠しているものだ。


    一般科学論文は実際に行われた筋道を忠実に反映しているわけではない。


     時に科学者自身の間にも、研究過程における混乱や障害、不意の出来事、飛躍のきっかけなどについて討論会を催して欲しいという要望がある。


    オープンに語ることで有名なリチャード・ファィンマンは一九六六年のノーベル賞講演でこう断言する。

     我々は、研究をできるかぎり完了したものとして科学論文を書く習慣がある。
    今後よく分からない袋小路などでもう悩まないように、あるいは、最初に間違ったアイデアなどもたなかったかのように、すべての足跡を隠して書く。
    だから研究者がその発見をしたとき、実際に行われたことが、堂々と公にされる場所などないのだ。




     なぜほとんどの科学者が慎重なのか、理解するのは難しくない。
    恥ずかしさや、現在の地位を失うことへの恐れが、全て明かすことを控えさせているのかもしれない。

    彼らは、資金集めや、グラント(助成金)の獲得、論文の発表、キャリアのアップにつながるチャンスを危うくすることなど望まない。
    彼らにとって、多くの発見がまったくの偶然で起きることを認めるのは、不安なことなのだ。


     研究における非論理的な要素に言及して、ロススタインはこう結論する。

    「偶然やセレンディピティという要素を明らかにし検証したような文献、著作で、人々が注目するようなものはない」。

    この不満こそ、私が本書で何とかしたいと思ったものなのである。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    まあ、医学的大発見とか、新薬の開発をさも「科学的に発見、創り上げた」かのように思われるでしょうが・・

    実際は主要な薬の多くが、セレンディピティ(偶然な幸運)だったという事が明らかになってしまいました。

    この本の作者はもちろん、これらの数々の発見を幸運だとして、近代医学を賞賛している側ですので、たとえ偶然であってもそれは人類の為になった・・・と解釈しています。

    ところがドッコイしょっと。
    akyoon師はビックリこいているだけでなく、「それってホントに幸運だったの?ねえおじさん」(コナン少年のごとく)

    どうも、へそ曲がり的に考えてしまうのです。

    新薬の登場などに「科学的根拠など無い」と思いつつ、これが本当に幸運だった(セレンディピティ)と言われるのか? どうやら、時間が経過するとともに、ラッキー♪ が アン・ラッキー♪に代わってくるのでは無いかと危惧している次第であります。

    まあ、いまでも新薬は数打ちゃ当たる式の古くさい手法で開発しているのでは無いかとこれも想像の域を出ませんが、新薬開発で何千、何万回の繰り返しをしていると聞くと・・

    う~~ん、どうも薬の開発には「科学的理論」などあるんかいな? そんなの無いからこそ、何万回も実験を繰り返さなければならないんじゃないのかな??

    科学的であれば、理論どおりに試験をしてゆけるわけだし・・・

    だいいち、薬なんてのは「毒物」からつくり出すんでしょ。毒で無くなったら薬になるのかな?
    毒でありながら、毒にならない・・という薬を開発する?

    う~~ん、よく分からない、矛盾するな・・・

    いやいや、学術論文さえしっかりと提出して貰えばイイ・・・・なんだろうか・・・???

    論より証拠、いや、証拠より論か・・・

     

    これでakyoon師はどうにか納得したようで。 お後がよろしいようで・・

     

     


    0 0

     

     これは二十年前に日本でも発売されていた本であった。

    が・・・

    その当時のまま、何の反省もなく抗生物質は使われてきたのだろう。

    昨年のWHOの警告はすでに20数年前から、いや、抗生物質を発見したフレミングでさえ

    「抗生物質の乱用を警告していた」のである。

    だが今や、「乱用」」どころか「普通に使われても」   直ぐ耐性菌ができるという。

    もう、新たな抗生物質の開発は時間的にも不可能なのだ。

    もし登場したとしても、あっという間にその抗生物質耐性菌が登場する。

    いまや、時間の問題であろう、「人類は抗生物質が登場する前の時代に戻る」こと。

    そして、すでに今までの抗生物質が作りあげた超耐性菌に対処しなければならないことである。

    さらに、いままで使用された抗生物質による人体防衛機能(免疫機能)としての人体内細菌叢がメチャクチャにされてしまった人もいる。

    我々は気づくのが遅すぎたのか?

    いや、気づいていたのに無視してきたのか?

     

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    「超」細菌の報復---  抗生物質がつくりだすスーパーバグ
    発行日  一九九六年八月三〇日
    第一刷発行著者 ジェフリー・キャノン

    より

     


    189P
      感染症のバリア

     腸管の細菌叢が健康にとってなくてはならない第二の理由は、それらが感染症から私たちを保護してくれ るために免疫システムの一部にもなっているということである。

    それらは病気を引き起こす微生物を追い払ったり、衰えさせたりしながら、身体の表面に住んでいる味方の細菌叢とちょうど同じように機能している。


       テキサスこアク大学微生物学部のデビッド・ヘントゲス教授は、腸管の細菌叢と人の健康と疾病における それらの役割についての教科書の編集者である。
      (中略)彼は、「腸内細菌叢の安定 性は、腸管の病原体細菌によって起こされる感染症に対する人や動物の自然の抵抗力における非常に重要な因子となっている」と述べている。

    言い換えれば、私たちに住んでいる味方の細菌は、腸内細菌とともに病気をもたらす他の微生物が不法侵入してくるのを防ぐのである。



       腸管の細菌叢の微生物学的バリアが、生命体の始まり時には十分に形成されていないのと、生命体の終わりには病気になる可能性もあって弱くなるために、小さな子供と老人は比較的感染しやすくなっている。

    し かし、普通、成人ではそれは驚くほど強い。

    「抗生物質の投与のような、もっとも著しいストレス状況だけが 細菌叢の安定性に大きな影響を与える。

    抗生物質は、耐性のある体内の細菌の過剰増殖、あるいは周囲から 獲得された外来性微生物を定着させ、人の腸管の微生物細菌叢の組成に大きな変化を頻繁に起こしている」 とヘントゲス博士は言う。



      ● 簡単に言うと、抗生物質は、同じく腸管に住んでいるが通常はくい止められている危険性の濳む細菌のために余地を残し、健康な腸管の中で通常は優勢である細菌を破壊してしまう。

    これらの病原細菌は増加し、私たちを病気にし、抗生物質に対する耐性を獲得し、より危険になる。

    また、通常優勢な健康な細菌叢の破壊によって、危険な細菌が体外の環境から体内に入ってくる余地を与えることになる。

    これらはまた増え、私たちを病気にし、抗生物質に対する耐性を獲得し、もっと危険になる、すなわち薬の足踏み車である。



      ヘントゲス博士は、一度抗生物質が感染に対する身体の自然のバリアを破壊したら、どんなに少しの病原生物でも宿主に深刻な感染症を引き起こすことがある。

    明らかに、腸内細菌叢の完全な状態は宿主の健康にとって重要であり、それを覆す抗生物質は厳重な注意を払って使われねばならない」と結論している。



      これは、抗生物質は過用と誤用されたときだけではなく、使用についての公認された指針に従った医師によって処方されるときでも、健康を害する要因となることを意味している。



     イギリス薬剤安全性委員会のような規制組織は、適切に処方されれば、抗生物質の利点はほとんどいつでも、あるいは少なくとも通常は、危険性に優ると信じている。

    しかし、腸管の細菌叢に対する抗生物質の副作用は必ずしもこのリスター利益の方程式に従うとは限らないはずだ。

     

      ここで明らかなのは、ルイ・パストゥールとクロード・ベルナールとの一九世紀の論争と同程度に根本的な医学における意見の不一致である。

     
     ●一世紀後の今。

    最先端を行く医師たちと最先端を行く微生物学者たちは互いに違う方向を向いている。



     医師の責務は、抗生物質で効果的に治療されうる直面している感染症患者に対してある。

    微生物学者たちは、その他の人々、環境。

    および実際に感染がより長期間にわたるまさにその患者に対するこれらの強力な薬剤の効果に、より大きな関心がある。

    微生物学者たちは生態学的に考えている。

    彼らはもちろん正しいが、言っていることは概して世間にうまく伝わっていない。

    二〇世紀後半には、科学者たちは彼ら独自の専門用語でしか話さないようになってしまった。

    このように、抗生物質については大きな論争がない---いや、とにかくまだないのである。



     ● 現代の皮肉は、地球の生態学に思慮深い関心をもつ知識ある人々が、これらの薬剤が個体の生態学、すなわち身体中の皮膚、囗や喉、生殖器官の中や周囲、とりわけ腸管に与えうる障害を知らず、何の考えもなしに抗生物質を飲んだり注射してもらったりしていることだ。


     さらに皮肉なのは、薬剤を与える医師たちがたいてい微生物生態学の勉強をほとんどしていないことだ。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    微生物学者は覗き穴をできるだけ大きくして、対象物の全体象を覗こうとしている。

    しかし、

    パスツールの時代から医学の基礎石の一部となって確立してしまった教義(医学の基礎論)のため、現在までの医学者達は相変わらず覗き穴がチッチャイのである。

    この覗き穴で見えるのは《微生物=病源》 としか見えないのである。

    どちらが生物を知る事ができるであろうか?

    もちろん、覗き穴の大きな微生物学者たちのほうであ~~る。

    「さらに皮肉なのは、薬剤を与える医師たちがたいてい微生物生態学の勉強をほとんどしていないことだ。」

    病気 ← 微生物が病源

    というパブロフの犬現象。 さらにずっと長い間効果を現してきた抗生物質神話が加えられシマッタ教義が

    医学生の教育に組み込まれている(医学生だけで無く教授や専門研究者たちからだが)ため、

    どんどん、生物学の研究進展とかけ離れて行くのは当然なのである。

    そして、やがて

     

     ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


    そして、もしこれらが失われれば、血流に乗って循環し感染部位に集中する免疫グロブリンと貪食細胞が関与する内部の防衛力が感染に対する身体の四つめの防壁になる。




      この最後の防壁だけが、病気に対する身体の免疫力の一部であると昔から考えられている。

    確かに、「免疫反応」という言葉がもし免疫グロブリンに関連する感染に対する反応の一部のことだけをいうのだとすれば、これは定義としては正しい。

    しかし、病気を起こす微生物に対する私たちの抵抗力を一緒になってつくり上げている四つの防壁のうち、最初の三つは明らかに感染に対する身休の免疫力の一部でもある。

    したがって、より広く論理的な意味で、私たちに住む細菌は免疫システムの一部であるということになる。



      抗生物質のもっとも良く見られる二つの副作用が下痢とアレルギー反応である理由を説明する。


     これらは両方とも、身体に住む細菌が薬剤の攻撃を受けた結果である。

    下痢に関しては、コロニーによる抵抗力は働いている。

    蠕動運動が速まり、と同時に腸管の壁の細胞がする処理のように、裏打ちされた粘膜と一緒にそれら自身を更新する。

    腸管は、毒性のある薬をなくし、危険な微生物による感染を予防し、腸管の中の細菌群を健康なバランスに戻すように働いているように思われる。

    この結果、たいていよい効果が現れる。

    不快で急激に痛む場合があるが、単純な下痢は身体の外部の免疫防御の健康な反応である。



     アレルギー反応に関しては、コロニーによる抵抗力は効力を失う、細菌と粘膜の「生きた壁紙」ははぎ取られ、むき出しになった身体内部の防御力はショック状態に入る。

    通常、薬が取り除かれれば、健康な腸管の細菌叢は回復するが、患者は同じか関連のある抗生物質が将来投与されれば、アレルギー反応を起こしやすくなる。



      腸管の完全な状態は感染からの保護のためだけではなく、腸管自体の健康のために、感染症以外の病気からの保護のためにも重要なものである。

    しかし、心臓血管系の病気、特に冠動脈疾患についての研究が、今世紀後半最先端の科学者と大きな研究資金を引きつけたとてつもない活気のある分野であったのに対し、身体の重要臓器系としての腸管の重要性は現代医学によってその他ものに比べて無視されてきた。



      もし腸管が障害されたら、私たちは全身が不健康になる。

    私たちは腸管を単に老廃物を運ぶもの、むしろ下水パイプのように考える傾向がある。

    しかし、それ以上のものが腸管にはある。

    腸管は食物を栄養分に変える。

    それがもし適切に働がなかったら、そのうち身体全体が飢えるようになる。

    また、腸管は物質が通り抜けられる。

    腸管壁を通り抜ける病原体は腹部内部に達することができ、そこから血流に乗って身体のあらゆる臓器に感染する。



      ちょうど切られた皮膚が通常すばやく癒えるように、健康な腸管は障害を受けた後、通常それ自身を修復する。

    しかし、身体の他の部分すべてについてもそうであるように、定期的な障害や攻撃は修復機構を破壊し、重篤な病気になる。

    腸管が病気になれば、その他の病気、感染症と非感染性疾患症に罹りやすくなる。



     ●あなたの腸管が健康を保つことと病気に対するその防御力を強力に保つことを確実にする最良の方法は、そこに住む細菌を敬意をもって治療することだ。



    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

    ああ、それなのに、それなのに・・・

    無闇矢鱈に抗生物質を使ってきた、そして、いまもどんどん使っている・・

    「せんせ~~抗生剤くださ~~い♪」

    「念のため、とりあえず、出しておきますね、抗生物質♪」

     

    かくして、自然界は最初は黙っていた・・・かのように見えていたが・・

    ひと盛んにして天に勝つ、天定まってひとに勝つ

    こんな当たり前の現象なのだが、ついには「抗生物質を食べるスーパーバグ」の登場とあいなったのである。

    これも天の愛なのだが・・・

     

     

     

     

     


    0 0

    またまたわけのわかりにくい題名でした・

    とにかく(なにが・・・

    私たちはみんな勘違いしていたんです。

    学理上これこれこうだという方程式があって、科学的思考をもって医薬品が開発される・・・なんてね。

    ところが主要な薬の歴史を調べてみたら

    なんと! ノーベル賞受賞者までが・・・

    「ええ、あれは意図もしないのに、偶然なんですよ・・・発見したのは・・・」と漏らしたりして。

    まさか、想定外の発見とか、科学的思考で無く発見とか・・・偶々、ラッキーだったとか・・

    ちっとも科学的根拠など、最初っから無かった・・ 

    科学的根拠って、あとでとりあえず付けたもの?  (飲み屋の付け出しじゃありまいが)

     

    「セレンディピティと近代医学」より

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

    序論 セレンディピティ ー自然科学の知られざる秘密



     二〇世紀の医学上の大発見を考えるとき、ほとんどの人は、輝かしい経歴のすばらしい科学者が、決められた目標に向かって突き進んだものと思う。


    難しい実験で、まずこの物質、それから次の物質、と一歩一歩進み、遂に治療薬を見つけ「やった!」と叫んだものと思う。


    微量のラジウムを集めるために何年も涯青ウラン鉱の残査が入った桶をかき混ぜたマリー・キュリー、あるいは梅毒の特効薬「魔法の弾丸」を目指して六〇六回も枇素化合物を作っては試験、作っては試験し、サルバルサンに到達したバウル・エールリッヒの姿を頭に浮かべることだろう。



    また、現在はいわゆる ビッグ・サイエンス の時代である。


    世間の人々は、蔦の絡まる大学で、あるいは巨大製薬会社の研究室で、スマートな白衣の研究員たちがチームを作って、がんを治すために、あるいは新しい医学の発見をするために日夜働いていると考えている。


     この、ほとんど誤ったイメージが定着していることは、医学の権威者たちにとって好都合である。


    彼らは伝統としても習慣としても、科学を事実と信念が合わさったものとして考えているようだ。


    信念というのは、十戒のように全能の神が決め、それに従えば間違いなく望む結果に導いてくれるようなものを指す。


    さらに彼らは科学の発展の歴史を、小さな進歩が着実に連続して起きたものとして描く。


     しかし実際は違う。


    多くの進歩は、スタートが誤っていても起きる。


    間違った考えが広く長い間信じられていても起きる。


    医学の多くの発見、新しい理論、技術は、苦労した実験で得られたものでなく、偶然や明らかな失敗から突然生まれたものだ。


    このことは、我々が現在恩恵を受けている薬、多くの抗生物質、麻酔薬、化学療法剤、抗血液凝固薬、抗うつ薬などにも当てはまる。


     医学の研究ではどのように物事が進むのだろうか。


    以下の例は典型的なものである。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    後は本を買って読んでくら灰♪

     

     「医学上こうだ・・・」とか 「エビデンスに基づいて・・・」とか

    「論理的に言ってそれは非科学的だ・・」とか・・

     

    なんのことはない、主要な薬がそもそも最初から「非論理的」だったんじゃないか!

    科学的?  どこが偶然の発見を科学的というんじゃ~~

     

    と、ワシの雄叫びは轟きわたるのであった・・・・・

     

     

     

     


    0 0

    平均寿命とは予測寿命

    つまり、今平均寿命と読んでいるのはあくまで、その年に生まれた人の予測平均値だという。

    いま

    80歳平均となっていても、自分のことではないらしい。まして今年生まれた子供が80年後にどうなるかはまったく分からないこと。

    現代はお年寄りが丈夫で長生きの人も目立つ

    が、裏では・・・・・

     

    二十年前の予測

     松本英聖著  「医学と生命」
       1994年刊
    より

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

      第2部 二十一世紀の展望


       第一章、 二十一世紀の五大病
          -一食・薬事の果て--

     

      寿命は伸びたが--

     人生僅か五十年ーー。

    かって歌にも謳われた時代に比べて、今日本人の寿命は大幅に伸び、人生八十年時代が出現した。


     長い人間の歴史の中で、平均寿命が七十歳を超えたのは、つい五十年ほど前のこと。

    この水準に到達するのにヨーロッパでは三百年掛かったが、日本では明治以来百二十年で欧米を抜き世界一の超高齢化社会に突入した。

    欧米に比べて、実に三倍の猛スピード。

    特に戦後四十年間で三十年も寿命が伸びた。


     この数字を見れば、誰しも近代科学、特に医学・栄養学の進歩のお陰とその成果を誇り、この分で進めば人生百年時代の出現も間近いと思うであろう。


     だが、それは幻想に過ぎない。




       〝長寿地獄〟の実体


     「お年寄り(六五歳以上)の半数は病気持ち」ーー、厚生省が毎年発表する「国民健康調査」の結果である。

    因みに国民全体の有病率は、人口千人当り一三八・二人(八人に一人の割合)。

    調査を始めた昭和二十八年当時に比べて三倍も増え、六五歳以上では実に六倍に及んでいる。

    しかも毎年着実に増え続けているから無気味で、一億総半病人時代と言われる所以である。


     こんな国は世界中探しても何処にも無く、要介護老人の国際比較では実に欧米の三倍にもなっているのだ。


     つまり、今の日本は世界一の長寿国と言っても名ばかりで、実体は病人だらけであるから、むしろ〝長寿地獄〟と言った方が相応しい。

    この状態が今後も続けば、一体どうなるのだろうか。





        ボケと寝たきり老人

     ボケ老人二二三万人、寝た切り老人二〇二万人 日大・人口研が発表(昭和六一年十二月三日)した西暦二〇二五年(平成三七年)の日本の姿である。


     現在、日本の総人口は約一億二千万人、老年人口(六五歳以上)は千二百万人で、このうちボケ老人六九万人、寝たきり老人は六八万人である。


    これが三十年後(二〇二五年)には総人口一億三千二百万に対して、老年人口は約二・五倍の三千二百万人(総人口の四分の一)に増え、この時、ボケ老人と寝た切り老人は現在の三倍(二倍になるのは二十年後)に増えると予測されているわけだ。


     今でさえボケ老人や寝たきり老人が大きな社会問題になっているのに、この先二倍、三倍と増えたらどうなるか。


     仮に四五~五五歳の専業主婦がこのお世話をするとすれば、二十年後には主婦一人当たり一人のボケ老人か寝た切り老人を抱える計算になり、三十年後には一人当たり一・二三人の割合となって専業主婦の数を上回ることになる。


     また五十年前(戦前)は若者十二人で一人の老人を養っていたが、今では半分の六人で一人、十年後には四人で一人、三十年後には二人で一人を養わねばならなくなる。


     ともあれ長寿国とは、若者にとって高負担な社会であり、長生きのツケはすべて次代の孫・子に負わされるから、下手をすると「姥(うば)捨て山」の悲劇になりかねない。


     咋今、消費税率のアップを巡って大騒ぎしているが、事態は極めて深刻なのだ。


     長生きは大いに結構。

    だが、そのためには〝健康は自分で守る〟ことが鉄則であり、我が子と言えども人には迷惑をかけない - という自覚と責任を持たなければ、長生きをする資格は無いということであろう。




    83P
        平均寿命は四十一歳に縮むー・

     『四一歳寿命説』(情報センター出版局)という衝撃的な著書を発表したのは食生態学者で統計にも明かるい西丸震哉氏(千葉大講師)であるが、『週刊現代』(平成元年四月二十二日)が同氏の所説を特集しているので、要点だけをお伝えしよう。


     「政府等は日本は将来、超高齢化社会に突入すると言い、日本人全体の寿命が伸びるようなことを言っていますが、これははっきり言って瞞(まやか)し。


    現実的にはその逆で、これからの日本社会は急速に短命化社会になっていきます」
     その理由として同氏は、

     「確かに現在の平均寿命は一見高い数字に見えるが、それは統計上の見掛けの数字で、乳幼児、特に零歳児の死亡が減ったことと、高齢者の生存率が高いことによる統計上のカラクリにしか過ぎません。


     例えば、今七十歳の人は大正初期の生まれで、当時は今とはまるで別の生活をしていました。

    それは前近代的で古くさい生活のように思えますが、空気も水もきれいで、食生活も一部の人を除いて昔ながらの素食を旨とする古き良き時代でした。

    僕はそれを〝長寿村〟生活と言い、今の生活を〝短命村〟生活と呼んでいます。

    日本が短命村生活に代わったのは昭和三四年からで、その年を〝短命元年〟と呼んでいますが、それは〝所得倍増元年〟 〟高度成長元年〟 〝汚染元年〟 〝公害元年〟の年であるからです(なお二年後の昭和三六年は国民皆保険が実施された年で、〝薬害元年〟 〝乱診乱療元年〟に当たる)。


     それ以来、日本の〝短命村〟化が進み、生活条件は日に日に悪化しています、そうした中で古き良き〝長寿村〟生活を長年生き抜いて来た屈強の生き残りは次第に他界して、やがて〝短命村〟出身者の時代がやって来ます。


     そうなると、どうなるか。


     そこで厚生省の人口予測などの資料を、過去三十年にまで遡って、予測と実態とのズレをつぶさに検討した結果、短命村の平均寿命は四一歳と弾き出したわけです」
     要するに、昭和三十四年(短命元年)以降に生まれた人(三五歳以下)は、急速に短命化するということである。





         崩れた長寿神話

     以上が西丸説の概要であるが、平均寿命の算出に当たって、現在の生活条件の悪化を折り込んだ点が極めて合理的であり、大いに参考になる意見である。


     ところで、現在の平均寿命の伸びを以て医学・栄養学の進歩とする考え方については、かねてから多くの批判が出されていた。

    筆者も昭和三十八年に「ニッポン放送」でこの問題を取り上げたことがあるが、当時は時期尚早で全く問題にされなかった。

    ところが、十数年経ってから、カナダ政府が政府刊行物『健康展望』で、平均寿命の統計的カラクリを批判する論文を掲載。

    その後、アメリカ上院・栄養問題特製奢貝会においてリー博士(カリフォルニア大学健康政策教授)とスタムラー博士(国際心臓病会議議長)は、「平均寿命の伸びだけを強調することは統計上の錯覚を招き、国民の正しい判断を誤らせて、結果的に国民を騙(だま)すことになる」と指摘して大きな話題を呼んだ。


     その論拠を纏めると、
    一、零歳(及び乳幼児)の平均余命(平均寿命とは零歳の平均余命のこと)が伸びたことは正しい。


    しかし、
    二、中・高年層の平均余命はほんの僅かしか伸びておらず、むしろ縮む傾向が見られ、近い将来急速に短命化する恐れ があること (西丸説と同じ)。


    三、国民(特に老人)の有病率が増加し、医療費が急増していること。


    四、有病率が増えた原因は、今の食事が誤っているためで、その改善を図ることが急務である。


     ということである。


    今や長寿神話は揺らぎ、このまま進めば間もなく早老・短命化時代が出現することになろう。

    栄耀栄輩と長寿の夢を追い続けた物質文明の時代は終わりを告げ、新しい時代は精神文明を基調とし自然の恵みによって生かされる《天寿全う時代》が開幕するであろう。





    86P
        心臓血管病と薬毒ーーー問題の焦点は薬毒

     心臓血管症の対策については、前著(松本英聖医事棄第垂で紹介したように、心臓病死亡を半減することを当面の目標とした雇事指針』が示されているから、後は、あなたご自身が、このガイドに沿って食事を改めるか、否か、という選択に掛っている。


     〝医薬に頼って滅びるか、食事を改め健康になるか〟その何れを選ぶかは、飽くまでもあなたご自身の自由帯頭誰からも強制はされないから、賢明な決断を祈るのみである。


     なお、ここで強調したいことは、食毒もさることながら、より重要なことは薬毒を抜くことだ。

    今日の体内汚染は〝食毒五〇%、薬毒五〇%〟と考えればほぼ間違いない。


    食毒は、謂わば自然の毒だが、薬毒(農薬・添加物などの化学物質を含む)は、それ自体人間がこしらえた完全な反自然物(異物)である。


     前者は食事の誤りによって生じた体内の歪みであるから、この理を弁えれば自(おの)ずと解決が付くし、体内の許容量も大きい。

    だが、後者は違う。

    それ自体が人工的な反自然物であり、しかも浄化力を封じ込めようとする最悪の反自然物だから、それを排除するために浄化力も相応して強化される。

    アレルギーや自己免疫病(膠原病など)を初めとしてガン、エイズ、成人丁型白血病といった具合に浄化力が益々強力になるわけだ。

    心臓血管病でも同じこ毛脳卒中や心筋梗塞などは食毒を抜くだけで五〇%防げるが、後の五〇%は薬毒量が問題となる。

    その一例として、最近目だって増えてきたのが急性心不全(心臓麻華と呼ばれる〝突然死〟だ。

    特に日頃健康そのものに見える若い人にある日突如として襲ってくるから恐ろしい。

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

      

    食毒と薬毒  そして、想念毒が加わって、発症のきっかけは千差万別、個々人で異なるだろうが、それにしても病は浄化作用。

    負のエネルギーを解消してくれる有難いものなのだが・・・・・時には肉体限度を超えてしまうこともあるわけ。

    死は敗北 という思考では納得できないだろう。

    どんな死に方であろうと無駄はないだけど。  病気も同様、悪いのでは無いが、表面意識で判断するとやっぱり悪い・・か・・

     

    なにがあっても無駄は無い!!

    人生の繰り返し  何度かやって気がつくため

    間違いも「間違わないための教訓」となる

    だから、もっと苦しめ、悲しめ~~♪

     

    おい!  おら、やだよ~~~

     




    0 0

    股股また、題名が変ですねええええええええ

     なんたって「まさぐる」としたからでしょ♪

    音声詠み上げは→ 六人の盲人、象をまさぐる如し。近代医学の専門化傾向 人の盲人、象をまさぐる如し。近代医学の専門化傾向

     

    「セレンディピティと近代医学」を読むと、セレンディピティとは「運良く偶然の新発見された」という意味合いがあるようですが。

    その新発見にも採用されるものと不採用のものがある。

    それをわけるのは何か?

     

    医学者たちは盲目なのか? 

    新発見を拒否する多くの学者達は何を見ているのだろうか?

     

    新発見の多くは偶然の発見だったと分かりました。

    が、

    その新発見は「偶然」がゆえに未だ「理論上」では未知数なのです。
    そのため、学者が認めないのは当然といえば当たり前。(いや、当たり前と言えば当然か)

    いつもボクが言うように「のぞき穴が小さすぎて局所だけを覗く」ためかも知れません。

    それについては本書に記載されていますが、とにかく、その偶然の発見が人類にとって本当に役に立つかどうかは、時間も必要だということは確かです。

    かつては幸運と呼ばれていても、いつかそれが逆の評価になり得るのが薬というものでしょう。薬の性質上、毒で無いものはないとすれば、いつかその害作用が表に現れてくるはずですから。

     

    同じ偶然の新発見が吉と出るか凶と出るか・・・それを決定するのは期間が必要だということです。

    で、幸、不幸、どちらにしても、偶然の発見はそれを見いだす人の素質もあるようです。

    そして、それをいかに判断するかが決定的となり、さらに世に出るには時の学者達の目が覚めるのを待つしかないのでしょう。

    もっとも学者達のバックには超巨大産業が控えて目を光らせていますから、これが並大抵では無い・・・・・

    ヘタすると抹殺の憂き目にあったり、投獄されかけたりと酷い目に遭った新発見者も居たのですから。 そうみると、近代医学におけるセレンディピティは、そういう勢力にバックアップされたという「幸運」だったのかも知れません・・・ね。

    そして、潰されたり無視された方の「偶然の発見」こそ、本当に人類の為になる新発見だったのかも知れません ・・ね・  (ね・・は要らないって)

     

     

     

    「セレンディピティと近代医学」より

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


    偶然の発見は、何が起きたか分かる鋭くて創造的な心がなければ得られない。


    「セレンデイピティ」という言葉は、アメリカの生理学者ウォルター・キヤノンが一九四五年の著書『研究者の道』によって現代の科学に導入した。
    キヤノンによれば、セレンディピティをとらえる能力は科学者に必要な特質という。
    現在この言葉は大衆メディアによって、幸運、偶然、ぁるいは出来事の幸運な展開といったゆるい意味で使われている。
    しばしば知性というファクターが抜け落ちることがある。
    悲しいことにこれは誤った使い方だ。
    セレンディピティは、準備された心によって、予期せぬ観察が、求等いなかった何かに到達すること、あるいは何かを発見し、価値あるものになることを意味する。
    幸運な偶然(チャンス)というだけでは発見に結びつかない。
    判断力を伴った偶然でなくてはならない。


     ルイ・パスツールの有名な言葉「観察において、チャンスはよく準備された心にのみ微笑む」の限りにおいては、セレンデイピティはチャンスと同義に扱われている。

    ノーベル医学賞受賞者サルパドル・ルリアは、セレンディピティを「受け入れる力のある日にとまった幸運な観察」とした。

    「何か重要なものを見つけたようだ。
    これが答えになる問題はないか」と観察の順番を逆にする、すなわち答えに合うような問題を見つけることが、大きな発見につながる。

    こういうとき目先が利く研究者は問題を探し出して解決してしまう。


    それは今までの学界の常識を覆すもの本書の物語に登場するヒーローたちは、単にA点からB点に理詰めでこつこつ進むような科学者ではない。


    むしろYを探しているうちに偶然Ⅹにぶつかり、そして将来の有用性を見つけたような科学者である。


    それは時に自分の専門分野外だったりする。

    偶然の出来事はひとつの要因に過ぎず、おそらく創造性を発揮するための触媒のようなものだ。

    そして、そう、発見の過程は実際、創造的である。

    それには直感力といった無意識の要因が必要だ。

    つまり、予期せぬ結果の重要さを認め、明らかになっていない問題との類似点を探す能力がなくてはならない。


    創造的な心というのは開放的で、直線的な推論を超えて広がる。

    枠の外まで考え、既存の知識の外に目を向け、予期せぬものをつかむ。
    一番大切なことだが、創造的な心は、まったく新しいものを見て何かを思い描き始める瞬間を、ちゃんと見分けることができるのだ。




     現実を横に倒して見る

      (中略)


     科学者は、絵画の世界、特に錯覚画作品に触れることで、判断するときの錯覚、すなわち認知的錯覚というものを傭撤することができる。


     ゲシュタルト (形態)心理学者は、背景と前景、明るい部分と暗い部分、凹部と凸部の間に産まれる視覚的バランスといったことを詳しく記述する。



     ●そのメッセージの骨子は、細部に近づきすぎて物を見ると、全体を見誤るというものだ。


    これはセレンディピティ的発見を狙う者にとって特別な意味をもつ。
     この現象を簡単に味わうには、現代美術の作家チャック・クロースの絵を見ればよい。


    普通の距離で見ると、ひし形や涙形を措いた四角形がたくさん並んでいる。
     しかしもっと離れてみると、大きな、生きているよう
    な人物像に見える(次ページ)。


     二五ページにあるM・C・エッシャーの絵のようなゲシュタルト心理図には、悪魔と天使が見える。
    しかし同時に両方見ることはできない。

    一つだけではないと分かった後でさえ、一度には一つしか見られない。
    我々の認知は片方を排除してしまう。


     同じことはW・E・ヒルの『私の妻と義母』でも分かるだろう(二六ページ)。
    彼の可憐な妻を見るのは簡単だ。
    しかし大きな鼻、尖ったあごをした義母を見るには、線の感じ方を根本的に変えなくてはならない。

     ●間違いなく、ある部分に知覚が集中しすぎると、全体の解釈にゆがみが起きる。

     

     



    この現象は医学研究においても大きな意味をもつ。


    我々は、あるイメージの部分的観察、あるいは実際の世界観が完全な真実を捉えていると信じ込んでしまうことがある。
    さらに、論理的に示されるもの、現実にあるものに囚われて判断ミスや誤認をしやすい。

     


    ドラマなら喜劇だが、科学の世界では行き詰まる。

     この現象をよく表すのは、ジョン・ゴッドフリー・サクスの詩『盲人たちと象』 に出てくる六人の盲人である。

    彼らは一匹の象を別々の部分で観察し、それぞれ異なった、しかし全員が間違った結論に至る。

    最初の男は象の横に寄りかかり、これは壁だという。
    二人日は滑らかで鋭い牙を触り、槍と間違える。
    三人目はのたくる鼻を触って、これは蛇だと結論する。
    四人目は膝を触り、木だという。
    五人目は耳を触ってうちわだと宣言した。
    そして六人目は尻尾をつかんでロープだと思う。

     


    この詩の教えるところは、「それぞれは、その部分で皆正しい。
    しかし全員が間違っている!」

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     現代医学はあまりにも細分化してしまい、分析力はピカイチなんだけど、サッパリ全体象が見えなくなったということでしょうね。

    専門家が自分の専門分野では正しい分析結果を出すのですが、それを全体には当てはめられないというジレンマが起こっているのでしょう。

    だから、専門家は専門外のことに対しては素人のようなもので、部分的真実は知り得ても全体の真実は知らない、知り得ない・・という事が起こっているのでしょう。

    たとえばウイルス学者がある部分でウイルスを発見したとします。

    そこにウイルスがいるのだから、そのウイルスが病源だと主張しますね。

    ところが、全体象からいうと、身体の免疫機能と連携して働いているのがウイルスだとすれば、そのウイルスは病源ではなく、身体の保有毒素の多い細胞に拡散(入り込んで)して、免疫機能に教えるための印を付けているのかも知れません。

    その目印のついた細胞は毒素の多い不要な細胞であるから、身体の方でそれを破壊して排泄する・・・という事だったら、ウイルスは浄化の手助けをしているわけですね。

    だから、ウイルスが印を付けない細胞は自身の免疫機能がさけるわけで、ウイルス感染しても全細胞がやられるわけで無く、不要な細胞だけが壊されるのであって、それが終われば自然にウイルスも役目を終えて消えてしまう。

    個人の身体で言えば不要な細胞の破壊と掃除に手助けをするという全体象が見えてくると思うのですが。

    人類の集合体としてみれば、個人が細胞の役割のようになっていて、ウイルスが感染すると発症する者と感染しても発症しない者が居るわけで、野放図に無制限にウイルス感染が拡がるわけでなく、必要最小限で終息するようになっているのでしょうね。

    だから、どんな伝染病でも必ず勢いがあっても次第に自然と終息するのが常でした。

    それは天然痘でもペストでもチフスでも同じことでした。

    抗生物質とかの特効薬が使われる前から既に大流行した伝染病は減少していたという事実があるのですから。

    だから、今の医学者達が細分化した研究をしている限り、細菌やウイルスが病源としてしか認識できないわけで、全体象が見えない研究はいつまでたっても堂々巡り、世界から伝染病の撲滅どころか、かえって勘違いした盲人の事実と同じようにマズイ結果を引き出すことでしょう。

    そもそもどんな伝染病であっても、それは人体の浄化作用のひとつの形なのですから、伝染病にならなくても済むような身体になればウイルスも細菌も病原性を持つ必要が無くなるわけです。

    それが全体象なのです。

     

     

     お、断定したな・・・・

    ダイジョウブカ・・・・・???

     

     




    0 0

    微生物の世界は水平伝播という「遺伝子情報がインターネットのごとく拡散する」らしい。

    ウイルスは遺伝子情報を伝えるとともに、書き換えまでするというから、人類とウイルスは共生という形で進化してきたという。

    そのため、人間の遺伝子にウイルスの遺伝子がくっついている、というか、ガンダム(合体)化しているそうだ。

     

    エイズがこのまま世界に大感染するままなのか、それとも天然痘のように、やがて終息するのか・・・

    おそらく、自然に終息して行くのでは無いのか?

    もっともその経過途中で肉体を去る人も多いのだろうが。

    それを越えた人類は一段と狂人化、いや、強靱化するのかも知れない・・・・という妄想する今日この頃でがいかがお過ごしでしょうか?

     

     

      松本英聖著  「医学と生命」
       1994年刊



    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー




        エイズ・パニック


     「今世紀中にエイズで一億人が死ぬ!」ーーー、この不気味な予測を十年前に発表(一九八六年十月)したのは、米国公衆衛生総局の主席医務監エペレット・クープ博士。


    米国におけるエイズ対策の総元締めである。

    同氏はさらに次の発言もした。


     「エイズの治療法やワクチンが完成する見込みがない今、「考えられる対策は教育だけ。

    エイズ教育はなるべく早く小学三年生からでもよい。

    その際コンドームの使い方も……」
     そして三ヵ月後、バウアー米教育次官は〟小学生のエイズ教育〟に関するメモを全米教育委員会に送った。

    これが全米のウーマンパワーに火を付け、柳眉を逆立てて侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が沸騰した。

    〝エイズは怖いが、さりとて小学生にまでコンドーム教育とは…‥〟というわけ。

     フリーセックスの本場アメリカでも流石(さすが)にショックは大きく、狼狽(ろうばい)振りが目に見えるよう。

    日本の教育ママなら一体どう答えるだろうか。

    海の向こうの話などとタカを括って入られない。

    それにつけても思い出されるのが、十六世紀ヨーロッパに登場した梅毒の歴史だ。




    76P
      歴史は繰り返す-ー梅毒とエイズ

     梅毒のルーツは、前述したように、コロンブスがアメリカ大陸を発見(一四九二空したお土産にヨーロッパに持ち込んだもの。

    時恰かもルネッサンスの真っ盛り。

    人間解放とフリーセックスの波に乗ってあっという間に全ヨーヨッパに広がり、〝シビリゼーション 文明)は、シフィリゼーション(梅毒)なり〟という有名な警句が出来たほど。


    九年後には、はるばる海を超えて日本に上陸しているから、そのスピードに驚く。

    セックスに戸は立てられぬという教訓だ。


     因みにシフィリスは、ギリシャ神話に出てくるハンサムな青年牧童の名で、「日の神」を呪った神罰として全身が腐る業病を受けた。

    この話に因んで一五三〇年、ヴェロナのフラカルト(医師で詩人)が名付けたのが始まり。


     思えば十六世紀以降、ヨーロッパ諸国は黄金と香料を求めてアフリカ大陸やアメリカ大陸に侵入、我が物顔で原住民を殺し、奴隷にし、莫大な富を手にした。

    が、その代償としてセックスに纏わる業病を貰い、さらに十八世紀産業革命がもたらした繁栄の陰で白いペスト(結核)が猛威を揮(ふる)った。

    自業自得とは言え、ろ自然の秩序を乱せば、必ず相応の復元作用を受けねばならない。


     そして今、現代文明の行く手にエイズが立ち阻(はだ)かった。

    歴史は繰り返すと言うが、この前代未聞の疫病には現代医学も歯が立たず惨禍は広がる一方。


     エイズが始めてアメリカにお目見えしたのは一九八一年六月のこと。

    アトランタの米国立防疫センタ-(CDC)がロス地区で五人のカリニ肺炎患者((1))と、ニューヨーク地区で二十六人のカポシ肉質葺((2))が発生、何れも男性同性愛者であったと報告したのが第一報。

    それ以来この正体不明の奇病について監視が続けられたが、月毎に発症者が増加し、翌年九月には五九三名(うち死者二四二多に達した。

    この時点でこの奇病に対しエイズ=AIDS(後天性免疫不全症候群》という正式名称が付けられた。


    (1)カリニ肺炎=カリ二原虫の日和見感染で起こる重症肺炎
    (2)カポシ肉腫=皮膚血管が異常増殖する一種のガン。


    カポシはウィーンの医師名

     そして翌年この免疫不全がエイズウィルスによる感染症であることがフランスのモンタニエ博士(パスツール研)によって明らかにされ、漸く正体が訐(あば)かれた。


     一九八九年四月末現在、アメリカのエイズ患者は八万九千五百一人、感染者三百万~四百万と推定され、二年後には
    感染者は五百万人に達すると予想されている。

    またエイズの中心地ニューヨークでは、患者数が既に一万人を突破し、感染者は五十万人と推定されており、二五~三〇歳代の死因のトップは男女共にエイズとなっていると言う。


     兎に角、今アメリカでは毎年二万人のエイズ患者が発生し、一万人がエイズで死んでいるから、まさに世紀末の死病である。


     ところで、今アメリカのエイズ患者の九割以上は男性(この中二〇~四〇歳代が七〇%)が占め、内訳はホモ六五%、麻薬常用者一七%、その他が血友病患者と輸血感染者となっている。


     この点、日本のエイズ患者の場合は七割(感染者の九割)が血友病患者であること。

    またアフリカでは患者の四割弱が女性で、感染ルートも異性間交渉が八割を占め、特に子供への蔓延が著しいこと等、地域によって夫々流行パターンに特色がある。


     しかし最近では、アメリカでも女性患者の増加が目立ち、流行地もこれまでの大都市から地方小都市へと無気味に拡散しており、日本でも同様のパターンが見られるから怖い。

    特に昨今では、アジア地域でエイズが爆発的に広がっていることはご承知の通りだ。


     ともあれ、人間生活の基本は〝食と性〟の二大本能によって支配されており、〝食の奢り〟は〝色の乱れ〟を誘い、グルメとフリン (不倫)は表裏一体の関係にあると言えよう。


     今、アメリカ社会はエイズ・パニックのお陰で、性モラルがスローペースながらも健全化に向かっているとか。

    大いに結構なことで、性の自粛はやがて食の健全化を促すことになろう。

    日本民族もここらで食・性共に自粛すべき時であろう。




       免疫力を破壊するエイズ

     エイズ《後天性免疫不全症候群》はその名が示すように人体を守っている免疫機能が駄目になる病気で、謂わば警察のストライキだ。


     人体の防衛機構は連続した五重のバリケードで守られており、相手に応じて適材適所に対処するが、その最後の砦が免疫系である。


     免疫系は、細胞性免疫(T細筆と体液性免疫(B細胞系)の二段構えになっていて、互いに協調しながら働いているが、エイズはこの中のT細胞系(ヘルパーT細胞)がエイズウィルスに占領されてしまう病気だ。


     ヘルパーT細胞は、B細胞(抗体産生細胞)に対して抗体を造るよう指令する細胞で、謂わばアクセル役の細喝これに対してブレーキ役の方はサプレッサーT細胞と呼ばれる。

    そこでヘルパーT細胞(アクセル)が駄目になると、B細胞から免疫抗体が作られないため、今までお大人しくしていた微生物がここぞとばかりに暴れだす。

    この状態を日和見感染と言うが、要するに全身に徴菌が蔓(はび)こって、生きながら身体が腐るわけだ。


     こんな恐ろしいことになるのがエイズで、最も多い症状はカリニ肺炎(カリ二原虫の日和見感染)とカポシ肉腫(皮膚血管のガン)及びその合壁咤エイズと判定されるのはこの段階で、発症すると五年以内に殆ど全員が死亡する。


     しかし、エイズに感染しても直ぐに発症するわけではなく、二、三年経ってから感染者(キャリヤー)の二五~三〇%が発症するが、中には感染後十年以上も発症しない例もあるため、この原因解明が、エイズ対策の有力な手掛かりとして、大きな注目を集めている。




       エイズも自然の浄化作用


     今述べたように、エイズウィルスは感染から発症まで長期間潜伏するためレンチ(遅延型)ウィルスと呼ばれるが、作用面からはレトロウイルスに分類される。

    レトロは〝逆戻り〟という意味だが、この名がついた理由はこうだ。


     普通生体では、親から貰った遺伝子(核酸DNA)から出発してDNA→RNA→蛋白質という順序で複製(コピー)される。

    ところがエイズウィルスに感染すると、この順序が狂って、RNAからDNAが合成(逆転写)されるためレトロの名がついた。

    レトロと言うとカッコ好いが、働きの面から見れば子が母親を学ませるようなもので、あってはならない大逆罪だが、この順逆の逆転劇を体内で演出するのがエイズウィルスなのである。

    このような前代未聞の逆転写ウイルスが、現代社会で猛威を振るっているのも、因(もと)はと言えば、食や性の乱れ(反自然的生活)から来る体内汚染であり、それを正すための自然の浄化作用がエイズに外ならない。


     従って、ウイルスだけを目の敵に(かたき)しても始まらないわけで、各自が生活を正して体質浄化を図ることが先決である。

    それをせずに、やれワクチンだ治療薬だとウィルス退治に狂奔することは見当違いも甚だしい。


    その間にも体内汚染は酷くなる一方だから、薬が出来なければどうなるか。

    また旨く薬が出来たとしても、体内汚染は今より進んでいるから、それに見合ったより強力な浄化作用(難病奇病)が発生して、助かる生命(いのち)も助からなくなる。


     その兆の(きざし)一例が、最近、南日本を中心に不気味な広がりを見せている成人丁細胞型白血病(ATL)だ。




    80P
       不気味な成人丁細胞型白血病

     成人T細胞型白血病(ATL)は、最近三十代以上の男女、特に五十台に多い血液ガンの一種で、多発地帯は九州・四国地方等南日本が中心だが、最近では西日本にも広がってきた。

    原因はATLウィルスの感染によることが、目沼頼夫京大教授によって十年ほど前に明らかにされた。

    当初は日本特有のウィルスと考えられていたが、その後に西インドであることが判明して俄(にわ)かに注目を集めた。


     今のところ日本での発病率は、〇・〇五%(感染者二千人に一人の割合で極めて低いが、発症すると二年以内に殆ど死亡するから怖い。

    しかもATLウィルスは授乳で母子感染するから感染者を無くすことが難しいので、今後の推移が心配されるわけだ。

    今、日本ではエイズだけに気を奪われているが、何時ATLが爆発するかもしれないのだ。

     

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    そういえば、最近あまりエイズの話を聞かなくなったけど、感染の勢いが下がってきたのかな?

    エイズにしても自家熱にしても天狗熱にしても、それは体内環境がすべてだ。

    パスツールが晩年に残した「地球が全てだ」ということ。

    地球=環境  人間の体内環境=きれいか汚れているか

     

     


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    人類は感染症に勝利した・・・・・・・かの様に思えたあの夢はどこへ?

    まず天然痘撲滅  人類が始めて細菌(この場合はウイルスだったようだが)との戦争に勝利したと・・・・

    つづきは記事の後に・・・

     

    中気、いや・・中記

      途中ですが、相変わらずインフルエンザ・ワクチンが大流行している?ようですが

    インフルエンザワクチン効果なしで検索してみました。

     

     松本英聖著  「医学と生命」
       1994年刊

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

      第2部 二十一世紀の展望


       第一章、 二十一世紀の五大病
          -一食・薬事の果て--

     

    73P
       二十世紀の疫病

     話は今世紀初頭に遡るーーー。

    当時欧米人達は、パスツウールやコッホによって導かれた細菌学の目覚ましい成果に狂喜し、〝最早、人類社会から病気が無くなる日は近づいた。

    医学の勝利だ!〟と、バラ色の夢を描いて、手離しに現代医学を謳歌していた。


     当然である。

    有史以来、幾度かヨーロッパ社会を突如として襲い、その都度到る所に死人の山を築いて、人々を恐怖のドン底に叩き込んできた伝染病しその病原体が次々と発見されたのだから無理もない。

    近代医学を救世主と仰いで熱狂的に信奉し、誰一人としてその成果を疑う者はなかった。



     ところが、その幻想が無残にも打ち砕かれ、医学の無力さをいやという程思い知らされる日が来た。

    〝スペインかぜ〟の悪名で知られる悪性インフルエンザ(流感)の大流行である。

    それは第一次大戦のフランス戦線に始まり、あっという間にヨーロッパ全土を席巻し、僅か一年足らずで二千五百万~五千万人と推定される人々がバタバタ倒れ、文字通り大量死した。

    もし、この流行が、ジェット機が飛び交う大量輸送の現代であれば、それこそ数週間で目を覆う惨状を呈したことであろう。


     このスペインかぜは日本にも飛び火し、羅患者二千三百万人、死者三八万人を数えた。

    欧州に比べて比較的死亡者が少なかったことは不幸中の幸いであったが、その理由は、当時の日本人は欧米食に馴染まず、昔ながらの自然の素食を専らとし、薬毒もごく少なかったからだ。


     今の日本なら恐らく欧米並み、いやそれ以上の惨禍に見舞われるに相違あるまい。


     この惨状を前にして、あれほど成果を誇った当時の花形医学は為すことを知らず、ただ右往左往するのみであった。

    インフルエンザの病原体が、バイ菌でなくウイルスであることが判明したのは、ずっと後の話である。


     「医学がこれだけ発達した御時世、そんなへマは絶対に無い筈。

    第一ワクチンがある」と、あなたは仰るかもしれないが、それは甘い。


     そもそもワクチンと言うものは、カギとカギ穴の関係に誓えられているように、カギ(ウイルス)が合わなければアウト。

    このため毎年、過去のデータから翌年流行(はやり)そうなウイルス型をコンピュータで弾きだし、その予測に基づいてワクチンを造る。

    競馬の予想と同じだ。

    であるから、見込みがはずれればパーで、それから大急ぎでウイルスに合わせたワクチンをこしらえても半年も掛かるから、その時には既に事は終わっている。


     ともあれ、ウイルス性疾患には薬が射い。

    ワクチンが駄目なら抗生物質があると思うだろうが、どっこいこれが役に立たないからお手上げなのだ。

    何れにしても このような非常事態に際して現代医学は役に立たないから、せめてもワクチン予想が当たるよう祈るしかない。

    災害は忘れた頃にやってくる。

    という事を決して忘れてはなるまい。


     対策はただ一つ。

    常日頃から薬・食毒を抜くよう心掛けることである。




    75P
        フリーセックスの代償

     話題のついでに、セックスに纏(まつ)わる怪っ体な感染症ーーーヘルペス性病について紹介して置こう。


     ヘルペスとはウイルス性疾患の一つであるが、今アメリカでは二千万人がヘルペス性病に罷っていると言う。


     ヘルペスは昔からあったが、それは口唇に限られていた。

    かって古代ローマ時代口唇ヘルペスが蔓延し、ティベリウス帝は公式儀式でのキッスを禁止したと伝えられている。

    これは古代ローマの美食がもたらした食毒浄化に外ならないが、現在の陰部ヘルペスは薬毒浄化、避妊薬の乱用と、性病治療の化学療法や抗生物質の発達で出現した薬原性のウイルス。


     なお最近、二十代前半の若者を中心に風邪とオタフク風邪が合併したような「伝染性単核症」が俄かに広がって来た。

    欧米ではキスで感染(唾液感聾する例が多いため、「キス病」とも呼ばれる。

    生命には拘わらないが、感染すると高熱が出て、首の両側のリンパ節が腫れて痛む。

    このキス病が数年前から日本にも上陸しているから、まさに古代ローマの再現と言えよう。


     ウイルスの型は口唇ヘルペスはⅠ型、陰部ヘルペスはⅡ型で少しばかり型が違うようである。

    ともあれ、古今・東西を問わず雀の荒廃〟の裏には必ず〝性の退廃〟が伴ない、それに対応した浄化作用が始まるということである。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    キス病・・・・・・か・・・・・ボクも感染してみたい  (その前にキスしてくれる人捜さないと・・・)

    こっちはフリー体勢なんだが・・・・・

     

    つづき

    ところが、どうも自然界の法則のようなものがあって、いろいろな時代にあうような微生物が登場して人類を浄化させる。
    それを乗り越えて残った人類は新たに狂人、いや、強靱化して存続できる。

    のかどうか・・とにかく、自然界は時に感染症(伝染病)の形で集団浄化させるみたい。そして、自然に終息する・

    その浄化に耐えられなかった多くの人は肉体を去ることになる。

    しかし、いくら勢いの強い伝染病でも燎原の火のごとく、燃えさかる時間を過ぎ去るとあっという間に消えて行く。

    つまり、なにも人間が手出しをせずとも終息して行く・・・・不思議なようだが、それは畑の作物も同様、土壌が清浄化されると害虫も消え去る。その間に土壌汚染を吸った作物は虫に食われて、一時は大不作になるが。

    ひとも集合的なエネルギー場が共通しているから、表には個々の肉体であっても繋がっている共同体。

    その集団浄化作用が終わると、伝染病も終わるわけだ。

    燎原の火がいくら燃えさかっても、燃えるものが無くなれば消えるわけ。

    簡単に言えば、体内環境が汚染された状態(肉体的にも心的にも)であると、それが集団浄化=伝染病となって浄化する。

    第一次世界大戦の死亡者(一千万人)の半分は感染症だったというのもうなずける。 精神的に毒素をつくる(恐怖などの異常心理状態)

    とにかく、天然痘は人為的に撲滅させたのでは無く、自然に終息したのであった。

    その他の主な伝染病も同様だったが、いまだ無くなっていない病気もかなりあるという事は、人類の浄化が必須だという状態なのだろう。

    いずれにしても、微生物(ウイルス、細菌類)は人の浄化を促進させるためのお助け役。

    ただし、人間側の都合から言うと、まるで悪魔のように見える。 虫は害虫。細菌は病原菌として恐れる。

    あまりにも簡単すぎる仕組みだが、そうはなかなか納得できないのがワタシやアナタ。

    いざとなると、自分の非は忘れるのね♪

    それに、その非も気づかないことの方が多い。

    それは先祖からの遺産(親を通じて)もあるだろうし、霊的に、エネルギー的に負の分を背負って生まれてくる場合もある。

    生まれてからの分は少々認識できるけどね、その他の分は納得できないねえ~~~

    しかし、起こる事で納得するしかないわけ。 伝染病、感染症も微生物がエサとするモノがなければ平気なのだが。

    それが目に見えないから分からないんだなあ・・・・

     

    疫病・・・・大量死は西洋が多かった。これは食のせいか、精神的なせいか分からないが・・・食が精神にえいきょうを与えるというから食かな? ともかく、西洋は疫病恐怖症がトラウマになっているのだろう。 ゆえにここから(病気)よぼう接種が始まったのもうなづける。

    もうひとつは抗生物質だろう。 魔の毒薬、抗癌剤もヨーロッパだし、とにかく、昔から西欧は毒の文化が発達していたわけ。
    毒の裏返しは薬だから、薬の開発も世界一。

    そして、明治以来、西欧に追いつけ追い越せで、医学もすっかり欧米化してシマッタ日本も状況は西欧と似てきているかも知れない。

    パン文化より米文化へと食を  取り戻す!! 安倍さん? 

     

     

     


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