音声読み上げはこちら → 体内細菌が免疫機能の一部として共生している(別バージョン解説)
天を葦の髄から覗く。
六人の盲人、象をまさぐる。
モナリザの油絵を顕微鏡で観察する。
細菌は小さくて普通の人の目には見えませんね。中には見える人も居るかも知れませんが(いるか!)
そこで、どうしても研究者達は覗き穴が小さくなって、微に入り細に入り研究するのですね。
ところが、個々の細菌の様子は確かに捉えたのですが、それが全体の環境の中でどう働いているのかという総合関係が見えなくなってしまうのでしょうね。
たしかに病気の場合には、「そこに細菌が居て、しかも繁殖して、細胞が破壊される」という現象が起こっているのでしょうから、真実なんでしょうが、六人の盲人が象をまさぐってみる・・・ように、個々の真実が全体の真実とはかけ離れてしまうきらいがあるわけです。
では、全体の真実とは何か?
ご自分の股ぐらをまさぐっても分かりませんよ~~そこアンタ~ (あ、ワシのことかい?)
「超」細菌の報復--- 抗生物質がつくりだすスーパーバグ
発行日 一九九六年八月三〇日
第一刷発行著者 ジェフリー・キャノンより
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
191P
免疫による防御
私たちの身体の内部の管腔通路に住む細菌は、ただ浮かんでいるだけではない。
呼吸器および口から肛門までの胃腸管全体の筋肉の壁の内側は、感染症だけでなく、その他の病気がらも身体を防御するため一列に並んだ軟組織である粘膜で覆われている。
この粘膜は、体内の管腔をなめらかにして保護する、むしろ油のように働く濃い液体である粘液を生じる。
この保護は単に機械的なものではなく、唾液のように、粘液には外部の微生物による感染症から保護する自然の抗生物質が含まれている。
健康体の中で優勢な細菌種自体は保護膜を形成し、粘液とその下にある粘膜に深く浸透する。
著名なオランダの微生物学者、ディルクーファンこアルーワアーイ博士が言うように、これらの細菌は、「回腸[小腸の下から三分の一の部分]と結腸「大腸」に裏打ちされた粘膜に特に固着し、。
生きた壁紙”を形成している」
一九七一年、フアンーデル。
ワァーイ博士は「コロニー(細菌集落)による抵抗力」という言葉を、病気を起こしやすい微生物を閉め出すための体内の防衛システムについて言及するためにつくり出した。
●コロニーによる抵抗力には四つの防壁がある。
一つめは身体に住んでいる細菌である。
二つめは体内の管腔を裏打ちしている粘膜である。
三つめは常に自身を更新し、死んだ細胞とその他の残骸とともに毒素を消滅させる管腔の内壁である。
人とともに進化してきた細菌を組み込んでいる「生きた壁紙」はこれら三つの防壁すべての不可欠な部分である。
195P
10 ヒトの体内の生態学
細菌一起源の種
私たちにはそれらが見えず、病気の原因としてしか気づかないことから、私たちをイライラさせたり、ひどい目に会せたりするものとして、細菌やウイルスをとらえる人間中心の考えは理解できる。
しかし、もっと役に立つのは、生態学的な考え方であり、微生物が私たちに何をするかではなく、それらがお互いに、さらに土壌、水、植物、動物、人とともにどのように進化してきたかについて見つめることである。
その後で、それらが私たちのために何をしてくれるのかということについて、もっとよく考えるべきである。
しかし、細菌の宿主としての私たちの観点からすれば、奸気性の細菌種と嫌気性の細菌種との間に重要な違いがある。
好気性菌は、生存し、増殖するために空気中の酸素を必要とする。
体表に寄生している細菌、たとえば、表皮ブドウ球菌は好気性菌である。
多くの嫌気性菌は、生存し、増殖するために酸素があってはならない。
それらは多くのバクテロイデスおよび健康な人の腸管で優勢なビフィズス菌の「味方の細菌叢」種を含む体内に住んでいる細菌である。
簡単に言えば、好気性菌は体外に住み、嫌気性菌は体内に住んでいる。
病原菌の多くは食物中や動物、昆虫、ほこりで運ばれる好気性菌なのである。
多くが侵襲的であり、体内で生き残ることができるのは、それらに適応力があるからである。
それらは科学者たちには、「通性好気性菌」として知られており、酸素のある環境を好むが、酸素がなくても増えることができる。
●開腹手術が危険である一つの理由は、手術されているどんなものでも、傷が一度縫われたら、
健康な体内には存在しないが、適応し増えることができる通性好気性菌にさらされることになるからである。
健康な腸管で優勢なバクテロイデス、ビフィズス菌などの細菌種は「偏性嫌気性菌」として知られている。
これらは酸素を必要としないタイプである。
健康な腸管に少数住んでいるその他の細菌、そのうちの一例である大腸菌が「通性嫌気性菌」であり、通常の生息環境はほとんど酸素がない状態であるが、酸素を含む環境にも適応することができる。
腸管に住む多くの通性嫌気性菌は通常無害だが、体外へ移動し、またそれらにとっては、本来のものでない部位に入ってくると、病気の原因となることがある。
こんなわけで大腸菌は偏性嫌気性菌によってくい止められ、通常腸管の中では無害だが、腸管から出て、たとえば女性の生殖器や尿管に入り込むことが可能な場合は危険となる可能性がある。
同様に、偏性嫌気性菌は無害であり、実際腸管の中に含まれていて有益であるが、腸管が障害されたり、潰瘍ができたりして、それらが体内で動き回れるようになれば、危険なものとなる可能性がある。
一般的に言って、細菌は、なんらかの理由でそれらが不適切な場所にいるときに病気の原因となる。
細菌には、酸素はもちろん(あるいはそれがなくても)栄養分と適切な範囲の温度と酸性度が、生き残り増えるために必要である。
試験管の中では、速く増殖する細菌は、細胞分裂という手段によって三〇分に一度、二倍になることができる。
したがって、一つの細菌は五時間で1000個、一〇時間で一〇〇万個になる。
●この増殖過程を止めるものがなければ、世界ははるか昔に細菌がぎっしり詰まった塊になっていただろう。
しかし、細菌は、栄養分があり、条件が適切で、攻撃を受けない限り、増殖するので、
それらの必須の栄養分のいずれかがなくなれば、細菌は増殖をやめ、しばらくしたら死に始める。
細菌と地球上の他の生き物とのバランスを決定する一般的な自然法は、人の集団を支配する法律と同じである。
何億年もの間、細菌はそれら自身の世界に住んでいた。
独立栄養生物として知られている初期の細菌は水や土の中に住んでおり、植物と同じように、二酸化炭素と光か無機化合物のいずれかを栄養源として利用していた。
後になって従属栄養細菌が進化した。
これらは有機化合物をもとにして生きている。
ということは、動植物の進化の前に、それらがその他の細菌をもとにして生きていたことを意味しているのである。
後で、何億年も前のことだが、(酵母とカビを含む)真菌とその他の原始的真核(多染色体)生物が進化した。
微生物がなければ地球は、植物および動物と人にとっての支援システムとして進化しなかった。
世界の土壌は細菌と真菌によって形成され、地球だけでなく、すべての新しい生命の生まれ出るすべての生物の分解過程も細菌によってなされている。
細菌がなくては、生命は絶える。
起源生物としての細菌がなくては、人を含めて私たちが理解しているような生命は始まることはなかった。
人類はバグの子孫であるだけでなくバグに依存している。
地球、植物、動物および人類を結び付けているものが細菌である。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
ここから入らぬお節介説です。
なぜ一部の細菌が病原菌として働くのか?
これは岡田茂吉論で解かれている説として
どんな細菌でもエサが必要だ。つまりその細菌にとっての養分ということですが・・
なんと、その病源として働く細菌のエサとは、一口で言いますと、「体内毒素」なんですよ~~~
驚きましたか?
こんな話を昭和の初期からしていたんですね~~
ボクが初めて聞いたのは1980年半ば、忘れもしない・・・・ アノコロハ~~♪
そして上記にあるように
●この増殖過程を止めるものがなければ、世界ははるか昔に細菌がぎっしり詰まった塊になっていただろう。
しかし、細菌は、栄養分があり、条件が適切で、攻撃を受けない限り、増殖するので、
それらの必須の栄養分のいずれかがなくなれば、細菌は増殖をやめ、しばらくしたら死に始める。
細菌のエサ、つまり養分がひとの体内毒素だとすれば、その毒素が多ければ多いほどドンドン繁殖するわけですね。
しかも、急激に喰い上げるわけですから、体も大変な状態となります。
もちろん、自分自身の免疫機能と協力しているわけで、毒素を喰うということは排泄する残渣がドンドンでるわけでしょうね。
つまり、体内の毒素とそれにくっついている細胞質のようなものが、糞 くそとして出るわけです。ね。 ね・・・
まあ、同意して貰わなくてもいいのですが、そういう理論なんでしょ。岡田論では。
そして、どんどん排泄される。それが病気症状として下痢だの汗だの血便だの鼻くそ、いや、鼻汁だの、炭だのと・・中には血液と一緒に出たりして出血性だったりして・・・まあ、出るわ出るわ~~~~♪
あまり心地よいモノでないですけど。 というか、苦しい、つらい症状です。
しかし、体のなかの要らないもの、毒素などをどんどん出してくれる大掃除なら、多少の我慢を・・・・本来は有難い浄化作用なんですけどねえ♪
しかし、辛い苦しい・・・や、やめてよ~~~!!
と叫びたくなるわけ、 アトピーなどは痒いでしょ。 ほんと!つらい・・の一言 (経験者は語る)
しかし、自然に排泄が終わる時が来る。
それは毒素が少なくなって細菌のエサが無くなるわけね。 エサが無ければ細菌も死滅して行く。
多少残っていても、エサが少なければじっとしている・・・・いづれまた、毒素というエサが増えると繁殖し始めるというわけですが。
まあ、感染症とか伝染病とか言って、ひじょ~~~に恐れるのは過去のトラウマもあるのでしょうが、実際感染症は急激な浄化作用ですから、体が持たない場合もありますし、(それと余計なことをするわけで、それが益々悪化させるためもあり)人類はひじょ~~~に恐れるんですね。感染症とか伝染病を。。。
すかす、これはもう、防げないもの、自然の中に生きている生物としては、一時的に防げたように見えてもけっきょっくは元の木阿弥で、その役割の細菌が強くなってしまうだけですね。
それが抗生物質に超耐性菌が出現する一番の理由(わけ)でしょうね。ね。ね。
ところが医学者達は覗き穴が小さすぎて、群盲、象をまさぐる~~~ごとし。
全体が見えない覗き穴でしか解釈できない・・・・そこで、試験管環境やペトリ皿環境で、不自然派の細菌を見て全体がそうなんだ・・・ろうな~~~ とね。
毒素を食べる細菌? そんなの自然環境にたくさん居るのですね。 どぶとか、工場から排泄される汚染液とか、田畑のなかに居る農薬や消毒剤などを食べる細菌類がね。
体内に居たって不思議でも何でもありませんね。
わたし・・・きれい?
むかし、口裂きおんな・・というおぞましい都市伝説がこの日本を席巻していましたね。
そして、日本人全体に蔓延してしまったという・・・・
「わたし、きれい?」
それに答えるのは 人間じゃないのですよ。 いや、人間は見えないし分かりづらいわけね。
それに答えるが細菌です。
しかも、バイ菌とか悪名高い「病原性微生物軍団」なんですね~~~
わたし、きれい? それとも汚い?
「そんなの、僕らがキミの体の中に入ってみれば一目瞭然だよ。 僕らのエサがたっぷりとあればドンドン仲間を増やせるからねえ♪」(バイ菌談)
ということで、無闇矢鱈に毒を入れないことと、抗生物質などで体内細菌をやっつければ、防御壁がくずれてしまい、君たちの嫌なバイ菌が入りやすい。
しかも抗生物質自体が毒素という、病菌のエサになるのですから、もう気をつけて貰わなくちゃあ~~~
え、それでも、「センセ~~抗生剤だしてくらは~~い♪」
ま、ご勝手に。
と言いたいところだが・・・
タダじゃ無いんだ。しかもそれによって具合が悪くなった場合、またお金がかかるんじゃ。
そのお金が無尽蔵にあるって?
そりゃ無いだろ。だって、国民の税金(健康保険料で引かれる)だもんね。
使わなきゃ、そんそん♪ そんなソングを歌って 国民医療に40兆円!! やった~~~♪
ああ、ニッポン!アチャチャ~~ ほれ~ ニッポンアチャチャ~~♪
こんな音頭、流行るかな?
バレーボールじゃないんだ。