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「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて
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    年代不詳となっていますが、スプレプトマイシン(抗生物質の一種)が出た頃ですから昭和2?年頃だと思われます。

    内容についてはもちろん取捨選択が必要ですが

      現代医療についてこれだけの批判論を書いていたので、これが「未発表」になっていた理由でしょうか?

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    医学の発見に就て

    未発表、年代不詳

     最近中村医博が死人の眼球を利用し角膜移植によって、盲眼を治癒し成功したという報告があり、それをよく聞かれるからここに解答するのである。


     白内障等にて水晶体が曇った場合、程度艶消硝子(つやけしガラス)のようなものであるから、透明硝子を入れ替えれば一時見えるのが当然である。

    しかし時日が経つに従ってまた元通り見えなくなるのである。

    何となれば白内障の原因は前頭内にある毒素が、浄化作用によって眼球から排除されようとして集溜するものであるから、一時消失してもいつか元通りに再び集溜するのである。

    それは原因である頭脳内の毒素が皆無にならない限り、そうなるのは当然で、しかも頭脳内の毒素は案外に多量であるものであるからである。

    従って根本的に治癒するには現在眼球に集溜せる毒素と、前頭内に残存せる毒素との両方を排泄されなければならないのである。


     今日まで医学における新療法または新案は例外なく一時的効果であって、決して永久的効果はただ一つもないのである。

    例えば手術にしても一時治癒したように見えても事実は再発するか、または他の病源が新たに作られるかどちらかで、決して発病以前の状態にまで全治させる事は不可能である。

    これは医家も充分知っているはずである。

    これを二、三の例を挙げてみるが、彼(か)の扁桃腺除去によって扁桃腺は起らないとしても、淋巴腺や耳下腺炎が起りやすくなり、頭脳にも影響してその活動力が鈍化し、根気が薄くなり、集中力が薄弱になるのは、吾々が常に経験するところである。

    また盲腸炎手術の結果は腹膜炎、肝臓障碍(しょうがい)、萎縮腎等を起しやすく腹力が弱まり労働力が減退し精力が衰える事はこれまた常に見る所である。

    また腎臓病の療法として、一方の腎臓を剔出(てきしゅつ)除去する結果、残りの腎臓は二重の負担がかかるから障碍が起りやすく全身的にも精力の減退は著(いちじる)しく、まず一人前の人間としての生活力はなくなるのである。

    その他胃癌直腸癌の手術など、成功して廃人同様となり生命も数年を保つに過ぎないのである。

    しかしながらこれらの手術について医学がいつも言う事は、数ケ月しか保てない生命を手術によって数年延びるとすれば差引き有利ではないかというのであるが、これがまた大変な間違いで、吾らの経験上数年保つ寿命を手術のために数ケ月に短縮される方がずっと多いのが事実である。

    これに目覚めない医学にいつも長大息(ちょうたいそく)するのである。


     次に薬剤についていうが彼の肺結核の特効薬としての薬剤であるが、昔はクレオソート剤を唯一のものとして盛んに用いられたもので、これは防腐剤で肺臓の腐敗を防止するというのであるから、いささか滑稽で今日は電柱等の防腐剤として用いられている。

    近年に至りセファランチンが一時推奨(すいしょう)されたが、ペニシリンが出てこの方法が流行の勢を示したが、最近はストレプトマイシンが代って流行するかと思えば、昨今それ以上の特効薬が出来たという事である。

    これらによって見ても判る通り、新薬を試験するや、一時的効果に幻惑され、有頂点となって発表し宣伝するのであるが、もちろん一時的で持続的効果がない事が判り、たちまち放棄せられ、次から次を求めるというのが真相である。

    故に今後何十何百の特効薬が出ても、全部無効果である事を吾らは断言して憚(はばか)らないのである。




    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     現代では白内障の手術は一般的になりましたし、その成功率もかなり高く一般人としては「医学の進歩」の賜物だと思われています。

    が、根本原因は頭の方にあるというのですが・・・

     

    抗生物質の華々しい登場時期にかかれたものらしいですが、その後の抗生物質への耐性菌出現で現実になってきたようです。

     

    また、扁桃腺除去、虫垂手術等も最近では医学者が指摘するようになってきました。これらの部位は人体に不要どころか重要な器官だったと。

    岡田論は昭和初期から基本は同じですから(医学論に関してだが)、すでに数十年経っているわけです。

    取捨選択で何を取り入れ、何を捨てるかは自由ですが、この論文に関してはかなり必要なのでは無いかと、ボクは考えています。

     

     



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    治癒の中心は自分自身の力です。

    ただ、放っておくという事になりますが、これには時間がかかります。

    それに耐えられないので(本当は耐えられるのだが)ひとは何らかの療法に頼ります。

    今までは薬物療法(毒素療法)が主でした。

    そして、現在でも主役です。 薬で楽になるという効果は否定できないからです。

     

    しかし、真の治療方法では無いことは現代の薬理学の方で分かっていることです。

     

    さて、当面の苦痛をどうしのぐか・・・・・

    たとえ当時の効果抜群の浄霊治療であっても、全部が全部、楽になったか・・・

    それは100パーセントではなかったと思います。

    「浄霊治療」の効果があるなしに関わらず、やはり治癒の主役は自分自身の力です。

    それが生命力であり、内在する神の顕現ですねえ~~

     

    しかし、それも間に合わないほどの体質のひとは浄化してこの肉体を去ることになります。

    それがひとつの覚悟なのでしょうが、覚悟が出来ないひとの方がずっと多いわけでして、どうしても薬物に依存する方向へ

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    病気を治す方法

       『医学革命の書』昭和28(1953)年執筆

     以上によって病気なるものの実体は大体分ったであろうが、ではそれを治すにはどうすればいいかという事である。

    前項のごとく放置しておけば治るのは間違いないが、それでは非常に時日がかかる。

    というのは毒素が少量であれば速かに治るが、そういう人は極く稀で、大抵な人は薬毒が充満している。

    もっとも政府も医師も小学校時代から薬を服めと教育し、奨励し、これが文化のあり方としているのだからたまらない。

    今日薬剤特に新薬がいかに売れるかは、新聞広告欄を見ても分る通り、第一位を占めている。

    かてて加えて先天性薬毒も保有している以上、今日の人間は人間の形をした毒の塊であるから、ともすれば病気に罹り易く、その都度(つど)薬と来る。

    という訳で戦々兢々として日を送っている。

    しかもそういう人に限って矢鱈(やたら)に薬を服み、衛生にも充分注意していながら弱々しいのは、昔から養生家程弱いと言われている通りである。

    また当局は当局で医学の説を金科玉条と信奉している。

    そのためヤレ帰宅したら手を洗え、含嗽(うがい)をしろ、風邪を引くな、暴飲暴食を慎め、無理をするな、睡眠を充分採れ、黴菌を恐れよなどと注意怠らず、結核検診、各種の予防注射は固より、子供は寝冷をするな、生水を飲むな、食物をよく噛め、よく睡れなどと、ザッとかいただけでこのくらいだから、現在生活の煩雑さは生きているのが嫌になるくらいである。

    これが文化的生活としたら、一種の牢獄であろう。

    この最大原因こそ病なるものは、健康のための神の恩恵である事を知らず、逆に病気を病魔と言い、闘病などといって敵視しているのを、吾々からみれば迷信地獄に陥ちて苦しんでいる人々としか思えない。

    それに引換え吾々の方では病を大いに歓迎している。

    例えばお陰様でやっと風邪を引きました。

    先日は酷い下痢と嘔吐があって、それからとてもからだの工合が好くなりましたとか、やっと熱が出たからもう大丈夫だと、仕事に取掛るというような有様を見たら腰を抜かすであろう。

    これこそ病の根本が分っているためと、必ず治るという自信があるからで、この境地こそ文字通りの安心立命を得た幸福者である。

    ゆえにこの世界から薬剤全部を海へ投げ棄てるとしたら、その時を限りとして病は漸次この世界から消滅するのは、断言して憚(はばか)らないのである。


     以上は現代医学に対し、大胆率直にその真相を暴露したのであるが、ではこの誤謬を是正するにはどうしたらいいかというと、それははなはだ簡単である。

    すなわち私の説に従い、病気に罹った場合自然療法か、または浄霊療法を行えばそれで解決するのである。

    これについて今までの統計によるも、最も治り難いとされている結核の治癒率が九十三パーセント、他の病気は九十七パーセントという好成績を挙げている。

    しかも右の少数失敗者の原因は、薬毒が余りに多量のためであるから、そうでないとしたら百パーセントは確実である。

    また浄霊法の最も誇るべき特長は、施術の場合医療と異(ちが)って、肉体に一手も触れない事である。

    そうして浄霊の主眼は薬毒解消法であり、薬毒が減っただけは治るからよく分る。

    といっても医学迷信に固まっている現代人は、容易に信じられまいから、充分納得のゆくよう詳説すると共に、本人手記の百の実例〔略〕をも添えてある以上、理解されないはずはないと思う。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

     

     


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    まだ読んでいないのですが

    チラッと覗いた「私の目(節穴)」はゾクゾク~~っとしたのです。

     細胞には意志がある。

    なんともビックリですが、世の中はそういうものなんですね。

     おそらく、細胞で出来ている生物はもちろん、

    無生物とさえ言われているウイルスでさえなんらかの意志があると思っています。

    この地球は微生物の海、空から海の底まで、土の中と・・微生物だらけの地球。

    そして、その微生物たちに護られ(時には廃棄される 苦笑)ている生物たち。

    人間はその中で活きている、しかも60兆個と言われる体の細胞ひとりひとり(擬人化語)が意志を持って、交響曲を奏でている・・・・♪

    そして、これだけexcellentであるボクが居る¥  

    自画自賛です。(え?爺が自讃)

     

    団まりな氏は「細胞には意志がある」とハッキリと示してくれているようです。

    (まだチラリ覗きなのですが・・)

    ついでに、ひとはなぜ細菌と一緒に出来ているのか?
    そして、時には細菌が病気を引き起こしたり、ウイルスが侵入して(初発は発生するという説もあるが)病気を引き起こすのか?

    岡田論によれば、それらは「浄化作用の手助け」だという。
    必要時に現れ、不要になれば去ってゆく。そういう天狗のおじさんみたいな微生物が「病原性微生物」の存在理由だという。

    普段は体内には100兆個以上の細菌が住んで共生しているそうだし、細胞には細菌と合体したようなものとかウイルス遺伝子がひと遺伝子となっているような細胞もあるという。

    もしも、(おそらく「もしも」じゃないだろうが)細胞に意志があるのなら、当然のこと、常在細菌との「話し合い」はもちろん、常在じゃ無い(病原性と言われるような)微生物、病原性細菌とか病原性ウイルスとか言われている彼ら(彼女?)とも「話し合い」がされていると思うのだが

    医か我でしょうか?

    医学者達にはこういう微生物をテロ余話張りしているが、テロを作り出した張本人だったのではないのか  なあ~~? 

    欧米諸国がテロ組織を育て、それをばらまいてから、掃討するという一種の仕掛けみたいに(笑い ←わらうばあいか)

    細胞に意志があり、ウイルスや細菌にも意志がある。

    キミ達がいてボクがいた。

    ボクがいてキミ達がいた。

    そこには付いたり離れたり、一生の仲間と通りすがりのような仲間(バイ菌とか病原ウイルスとか)とも話し合いが持たれているのでは無いだろうか?

    こんど尋ねてみよう・・・

     

    細胞には意志がある。そして60兆もの同志がそれぞれの役割を果たしているという。その立場も千差万別。

    キッスをする唇を形にする細胞たち、ウンコを排泄するために臭い場所(肛門)に位置する細胞たち・・・アソコに位置して伸びたり縮んだりする細胞たち、その隣に位置してご主人様が他人様の細胞を訪問する時には、いつも入り口付近で待機している細胞達・・

    それぞれの立ち位置をお互いに守って体全体を維持していくいじらしくも賢い細胞、、

    彼ら60兆の細胞にはそれぞれ意志があるという。

    そういう細胞に生まれてか死ぬまで付き添って、活力を与えてくれる共生細菌、そして、いざというとき(体内の汚染度が増して浄化される状況)には、「悪者」として登場してくれる浄化担当の細菌、ウイルスたち・・・・

    お互いに意志があり、「話し合い」が行われているに違いない。

    マチガイナイ!  (と、ボクが言うとまちがいなんだろうけど・・)

     

    団まりな 氏を検索すると出てきます。

    そして、その結果この本を借りてきました (痴呆の図書館より)

    細胞の意思 〈自発性の源〉を見つめる (NHKブックス)  細胞は神の意志なり (akyoon談) NHK出版

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    細菌の最近学は休息の進歩を継げているという。

    あ、誤字だらけじゃないか!!

     

     いつも言うようにバイ菌から逃げたら阿寒。

    だって、ボク達、バイ菌人間なのだから。

    しかも・・バイ菌だらけの世界にどっぷり浸かっているのだし・・・

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    人類は細菌が圧倒的優勢である世界の小さなシミにすぎないとも言える。私たちはこうした考え方に慣れる必要がある。

     ウイルスも存在する。厳密に言えば生物ではない。生きた細胞に侵入しそれを利用することによって複製する。インフルエンザや風邪、ヘルペス、HIVなどのウイルスは、ヒトに対して「害悪をなすもの」と考えられている。しかしウイルスの大半は、私たちヒトに無関係な存在である。ウイルスの主た
    星の数より多いかも知れない。それらが海のなかで無数の細菌に寄生して生きている。何十億年にもわたって水中にいる間に、細菌とウイルスは、お互いを負かすための軍拡競争をしてきた。それは、風刺雑誌『MAD』に連載された「スパイ対スパイ」という古典的マンガを思い出させる。事実、細菌感染によって引き起こされる病気の治療法として、細菌を殺すウイルスである「ファージ」の活用が検討されている。そのことについては、本書の最後で触れる。

     多くの微生物がこの世界に棲み、この世界をかたちづくっている一方で、本書の主要な焦点は細菌にあり、また、私たちが細菌を薬剤によって無差別に殺戮した場合に何が起こるかということに置かれている。もちろん、悲惨な症状をもたらすマラリアの原因となるマラリア原虫などの真核生物も存在する。それがもたらす問題はまた異なるものである。病気を引き起こすウイルスについても同様である。ウイルスは抗生物質に反応しない。それは後日のテーマとする。

     微生物はどこにでも存在する。海には数え切れないほど多くの微生物が暮らす。とはいえ、いくつかの推定値がその遍在性に具体性を与えている。少なくとも二〇〇〇万種類(おそらく現実には一〇億種類くらい存在する)の海洋微生物が、海洋生物質量の五〇から九〇パーセントを占める。海表面から海底までに一本の中空の柱を立てて、そのなかの海水の微生物数を推定すると、一〇の三〇乗(ノニリオン)個の微生物が存在すると考えられている。一〇億×一〇億×一〇億×一〇〇〇。これは、アフリカゾウニ四〇〇億頭分の重さと等しい。

     国際海洋微生物調査TGMM)は、世界中の一二〇〇箇所から1〇年以上にわたって海洋微生物を採取している。調査によれば、海洋にはこれまで考えられていたより1〇〇倍以上多くの種類(属)が存在すると推定され、観察されたどの場所においても、いくつかの種類の細菌が数と活動性において優位にあることが明らかになった。しかし驚くべきことは、どのような場所にあっても多くの種類の細菌が存在するということである。それは、一回限りの単独個体を含む一万個体くらいの数(細菌にとっては大した数ではない)として存在していることが多い。
    国際海洋微生物調査によれば、海洋中の多くの稀少な微生物は、今はじっと待機しているが、環境が彼らに有利に変化すれば、いつでも繁栄し優勢になるという。同じ考え方は、私たちの体内に住む微生物にも当てはまる。長期間にわたって少数の個体で潜伏し、突如として繁栄する能力は、微生物の特徴とも言える。

     多くの海洋微生物は、いわゆる好極限性細菌である。彼らは、マントルから出た硫黄やメタンや水素を豊富に含む熱水が冷水に出会い、煙突のような円錐形を形成する熱水排水口に棲む。そこは酸と重化学物質が混合した場所だが、そこで細菌たちは酸素と太陽光を欠きながらも繁栄しているのである。同じことは、ワイオミングのイェローストーン国立公園の間欠泉や熱湯のなか、あるいはカリブ海の島国トリニダードで発見されたタールの湖でも見られる。細菌は南極の巨大氷河のなかや北極海の氷山の下にも生存している。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    要するにボク達は微生物の海の中でうごめいているのね。

    鹿も、馬い具合に体の中にも100兆個以上(もっともっといるかも知れないが)の細菌がいるという、要するにボク達みんなが「バイ菌まみれなのだ」 はい♪

    だから、他人様から「バイ菌野郎!」などと呼ばれても、「ああ・・・そうだけど。それがどうしたの?」と言えば良い。

    しかも除菌だのと言ってむやみやたらに手を洗っている「バイ菌野郎」を見たら、声に出さなくてもいいけど「あらら~常在菌が君を守っているのに、それも除菌しちゃっている~~♪」と嘲笑ってやろう。

    他所からのバイ菌からボク達を守っているのは常在するバイ菌なのだからね。

     

     


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  • 04/19/17--17:30: 薬毒1
  •  

     

    すべてを鵜呑みにしない。信者ではない一般人に

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    薬毒(一)

    未発表『医学革命の書』昭和28(1953)年執筆

     ここで薬毒について、一層詳しく説いてみるが、さきにかいたごとく薬はことごとく毒であって、毒で浄化を停止する。

    それが種々の病原となる事は大体分ったであろうが、薬にも漢薬と洋薬との二種あり、どちらも特質があるから、一応は知っておく必要がある。

    もちろん効果においてもそれぞれの違いさがあって、例えば漢薬であるが、もちろん草根木皮が原料となっており、伝説によれば支那(シナ)前漢時代、神農(しんのう)という神のごとき偉人が現われ、病を治す方法として山野から種々の草木を採取し、これを薬として服(の)ませたところ、苦痛が減ったので、これこそ病を治すものと思い、それから今日まで続いたのである。

    もちろん今日でさえ薬は毒である事を知らないくらいだから、況(いわ)んやその時代においてをやである。

    何しろ一時的ながらも苦痛が緩和するので、薬の効果を信じ今日に至ったのである。

    そうして漢方薬は量が非常に多いので、左程でない毒も案外害は大きいもので、しかもお茶代りに飲む人さえあるのだから厄介な話である。

    また漢薬常用者は、特に顔色が蒼白であるからよく分る。

    中国人のほとんどが黄色なのはそのためであろう。

    またこれが腎臓に及ぼす影響も相当なもので、浮腫(むくみ)の原因となる。

    中年以上の婦人で青(あお)ん膨(ぶく)れの人をよく見受けるが、これと思えば間違いない。

    そうして漢薬中毒の痛みは鈍痛が多く、昔花柳界の女で持薬としてドクダミ、ニンドウなどを飲んだのは、花柳病予防に効果があるからで、つまり湿疹や腫物などの浄化停止に効くためからである。

    また昔の婦人によくあった癪(しゃく)、寸白(すばく)、冷え症などもそれであり、男の疝気(せんき)といって睾丸の痛む病気も同様である。

    その他男女共通の病としての胃痙攣、脚気、リョウマチ、心臓病などもそれである。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    この論文については幾つか納得しがたい所もあるかと思います。

    あなた取捨選択を駆使してください。 研究ですからね。

     

     

    ここからはakyoon談=========

    ただ、現代の西洋化学薬品も古来の漢方のような自然薬品も同じく「毒」であるという事は否定できないでしょう。(薬学知識があるなら常識)

    つまりクスリと称するものはほぼ100パーセント近くは「毒物」からつくられるという事です。

    もちろん、抗生物質も同じですし、医療用大麻なども毒性があるはずです。

    比較的毒性が低いのは山菜ていどでしょう。(あく抜きするのでもっと低毒になるが)

    つまり、「毒だから効く」わけで、「効くから薬になる」わけです。

    ただし、本性は毒性物質に変わりないわけで、その毒性物は体内でどうなるか?

    この研究がされてこなかった。研究はどうやったら「効くか」であって、その後の有害効果?についてはほとんど無視に近かったのでしょう。

    要するにとりあえず効けば「治った」ことにされたわけです。

    薬は効くのです。

    ただし、その「効く」というのは浄化作用停止の効果であって、病気の根本を解決していたわけでは無かったのです。そのことを現代の医者達はほとんど知らない(そもそも教育されないので)わけです。

     

     


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  • 04/20/17--16:27: 薬毒2
  •  

    研究会ですから、検証してください。

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    薬毒(二)

    『医学革命の書』昭和28(1953)年執筆

     ここで薬毒の症状についてかいてみるが、彼(か)の天然痘における掻痒苦(そうようく)であるが、これは掻痒苦中の王者である。

    この病気の原因は薬毒の遺伝であって、これが浄化によって皮膚から排泄されるのであるが、治ってからも醜い痘痕(あばた)が残るので人は嫌うのである。

    ところが種痘によってそれを免れるが、これで然毒が消えたのではない。

    ただ排除を止めたまでであるから、残った毒は種々の病原となる。

    その著しいのが彼の疥癬(かいせん)である。

    これに罹るや掻痒苦はなはだしく、症状も天然痘といささかも変らない。

    つまり真の天然痘が急性であり、疥癬は慢性であると思えばいいのである。

    また蕁麻疹(じんましん)であるがこれももちろん薬毒であって、カルシウムの中毒が断然多く、その際考えれば直にそれと分るが、不思議にも分らないとみえて、腸が原因などという。

    察するに魚肉中毒の場合、蕁麻疹的症状が出るので、これと混同したのであろうからナンセンスである。

    そうして魚肉の方は放っておいても二、三日で治るが、カルシウムの方は数ケ月あるいは数年も掛かる人さえある。

    これについてよくカルシウムには骨の成分があるから、育つ盛りの幼児などによいとしているが実にナンセンスである。

    というのはカルシウムのない時代、菜っ葉や米だけ食って漁夫や農民など、骨太で立派な体格であるのはどういう訳か訊きたいものである。


     次に精神病の原因が黴毒としてサルバルサンを打つが、これは事実において逆作用である。

    私が長い経験によるとサルバルサンのための精神病が頗(すこぶ)る多いのに驚く。

    これは医学で研究すれば分るはずである。

    そうして精神病は医療では治らないとしているが、原因は霊であるからで、体のみを攻めても何にもならないからである。

    次は胃に関した病気であるが、これこそ薬の作った病気である。

    その中でも胃潰瘍は消化薬のためで、消化薬には必ず重曹が含まれており、そのため胃壁が柔らかくブヨブヨになる。

    そこへ固形物が触れるので、亀裂が出来出血するのと、今一つは粘膜の薄くなった部分から血液が滲出し、胃底に溜って一時に吐血、または下痢によって排泄される。

    また人によっては血液が古くなり、黒色の小塊となって便に混り出る事もある。

    ところが厄介な事には医療は流動食と安静にするので、粘膜の損傷は塞(ふさが)り、治ったと思い安心していると、これが癌の初期となる事が多い。

    というのは今まで濁血が出るべく集溜する局所が塞がったため、集溜したまま固結する。

    それが癌である。

    しかしこの癌は真症ではない。

    この見分は手術の場合血液の塊があるのは疑似癌で、真症癌には血液を見ないのである。


     次に胃下垂であるが、これも消化薬を飲み、消化のいい物を食うため、胃の活動は鈍化し、怠け者になるので弛緩する。

    それが原因であるから、つまり人間の無智が作ったものである。

    ゆえに香の物でお茶漬でも食えば、胃が活動しはじめるから、否(いや)でも応(おう)でも治るのは当然である。

    次は胆石病であるが、これは背面腎臓外部に固結した薬毒が、浄化によって少しずつ溶け、胆嚢の裏から浸潤する。

    それが胆汁と結合して結石となるのである。

    これが輸胆管を通過する場合非常な激痛に苦しむ、それが腎臓に流下し腎臓結石となり、次で膀胱(ぼうこう)に入り膀胱結石となる。

    ところが始末の悪いのは腎臓も膀胱も、結石が尿中にあるので、尿が付着し育ってゆく。

    その結果尿道の出口を石が閉塞し尿閉塞となり、腹部膨満死ぬ事さえある。

    この病気について面白い事は、浄霊するや結石は破砕され、砂のようになって排泄簡単に治るものである。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    天然痘は自然に消え去ったというのが真実のようですが、医学では種痘のためと言っています。それについては過去にも紹介したので・・・

     

    とにかく、どこまで真実なのかを決めるのはあなたです。

     

    浄霊の効果については当時のものであって、現在そのまま当てはまるかどうか、それはあなたの実験でしか分かりません。

    他人の経験談がすべてのひとに当てはまるというものでは無いですし。

     


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  • 04/23/17--16:49: 「薬毒について」
  • 世間はまだ球試合をやっているようで、北朝鮮がミサイルを撃ってきたら、それもサリンというオマケまで付けて(大笑い

    そんな嘘とねつ造満載の世界ですが

    やっぱり地味ながらも、これほどの捏造は無かったのでは無いかと思われます、薬信仰についてです。

    もっとも、岡田茂吉氏の論をすべて正しいなどと思ってはイケメンですよ。

     正否はあなたが決めるのですから。

    決定権はあなた以外にはありません!

     

    と言いながら、ボクの日常は・・・・(正反対だったりして 苦笑

     

    今回も薬毒について

    太字の所だけでも結構かも?

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーー薬毒に就いて

    未発表『医学革命の書』昭和28(1953)年執筆

     前項までに詳説した薬毒のいかなるものであるかは、大体分ったであろうが、ここに最も明らかな例をかいてみると、もし薬なるものが本当に病を治す力があるとしたら、先祖代々人間体内に入れた薬毒は、驚くべき量に上っているはずであるから、現代の人間は非常に健康になっていて、病人など一人も無い世界になっていなければならないにかかわらず、事実はその反対であるとしたら、ここに疑問が起らなければならないが、全然気付かない迷盲である。

    何よりも昔から病は薬で治るものとの信念になり切っており、それが迷信となってしまったのである。

    それがため医学の進歩を嗤(わら)うがごとく病人は増えるばかりで、医師が、看護婦が足りない、病院は満員、ベッドの不足、健康保険、療養所、社会衛生等々、何だかんだの病気に対する対策の繁(はん)なる衆知の通りで、これだけ見れば医学の進歩とは科学的に、微に入り細に渉(わた)っての唯物的進歩であるから、治す進歩であって治る進歩でない。

    学理上治るべき進歩であって、実際上治るべき進歩ではない。

    こう見てくると現代人の生命は学理の支配下にある以上、もし学理が誤っているとしたら、学理の犠牲になる訳である。

    その根本は現在の学理は、人間生命まで解決出来る程に進歩したと信じているからである。

    実に驚くべき学理の信奉者である。


     そうして最近の統計によれば、日本人の寿命は近来非常に延び、三十年前は男女平均四十七歳であったものが、最近は六十二、三歳にまで延長したといって喜んでおり、これが医学の進歩としているが、この理由はこうである。

    すなわち浄化作用を止めるべく医学は薬毒で人体を弱らせ、浄化を弱らせ、苦痛を緩和する。

    ところが以前用いた薬毒は弱いため浄化の方が勝って死んだのであるが、近頃の新薬は中毒が起らない程度に毒を強めるに成功したので、浄化の停止期間が長くなり、それだけ死も延長された訳で、ちょうど医学が進歩したように見えるのである。

    従って近来の新薬続出となったので、言わば変体的進歩である。


     もちろんそれで病が治るのではないから、死にもせず健康にもならないという中ブラ人間が増えるばかりで、この傾向は文明国程そうである。

    近頃欧州から帰朝した人の話によるも、英仏などは老人が多くなると共に、一般国民は勤労を厭(いと)い、安易な生活を求め、享楽に耽(ふけ)る事のみ考えており、殊に英国のごときは食糧不足に悩まされ、戦敗国の日本よりも酷(ひど)いという事であるから、全く国民体力が低下したためであるのは争うべくもない。

    同国に社会主義が発展したのもそのためで、社会主義は優勝劣敗を好まず、働く意欲が衰えるからで、英国近来の疲弊もそれが拍車となったので、日本も大いに考えるべきである。


     話は別だが歴史を繙(ひもと)いてみると、日本の建国後千年くらいまでは、天皇の寿齢百歳以上が通例であった事で、その時代はもちろん薬がなかったからである。

    その後漢方薬が渡来してから病が発生しはじめたと共に、千四百年前仏教渡来後、間もなく疫病が流行し、当時の政府は仏教入国のため、日本神々の怒りといい、仏教を禁圧したところ、それでも効果ないので、再び許したという事である。

    今一つの例は有名な伝説で、彼の秦の始皇帝が「東方に蓬莱島(日本)あり、その島の住民は非常に長命で、定めし素晴しい薬があるに違いないから、その霊薬を探し求めよ」と、臣徐福に命じ渡来させたところ、当時の日本は無薬時代であった事が分り、流石の徐福も帰国する能(あた)わず、そのまま日本に残り一生を終ったそうで、今もその墓が和歌山の某所にあるそうだから、無稽(むけい)な説でない事が分る。

    これらによってみても人間の寿齢は、薬さえ用いなければ百歳以上は易々(いい)たるもので、事実人間の死は病気のためで、言わば不自然死であるから、無薬時代となれば自然死となる以上、長命するのは何ら不思議はないのである。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     未発表とありますので、世間には発表されなかったのだろうか?

    でも、ボクは前に読んだような気もするから、本になっていたんだろうと思う。

    もっともかなり後になっての年代だが・・・

     

    現代では薬といっても、添加物やら農薬やら、化学製品やらでいっぱいなので、医薬品だけに限らないのでしょう。

    あとは精神毒という見えない毒もありそうだし・・・・(こっちの方が有力かも?

     

     


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  • 04/23/17--17:07: 「薬の逆効果」
  • 薬で病気は治せない: とは現代の薬理学者が本に書いていまして。

    その後改訂版では削除されました。 (当然ですね、本当のことを医療界で書いたら生きていけません   いや、近藤誠医師は生きていけましたが 、かなり窓際の立場だったそうです)

     

    薬が病気を造る  などと、昭和28年の論文ですが、岡田氏は昭和の初期から同様なことを書いています。

    いま内海聡医師が自称「キチガ医」などと称していますが、時代が全然違いますね。

    いまは言いやすい時代です。それでも大変な立場になりますから、薬迷信は世界中を支配してしまったというわけです。

    その中で、「人類は薬で病気を治したことなど全然無かった」などという話は受け入れられるはずが無かったでしょうね。

    だからといって岡田氏を賛辞ばかりして崇め奉ることは全く不要なことです。

    論文中にもなにかまちがいがあるかも知れないとまずは懐疑心を持って読んでくださいね。

     たとえばペニシリンについてとか・・・

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

    薬の逆効果

    未発表『医学革命の書』昭和28(1953)年執筆

     次に薬の逆効果をかいてみるが、再三述べたごとく、今日まで広い世界に薬で病が治った例(ため)しは一人もない事である。

    もちろん治るという事は、手術もせず薬だけで再びその病気が起らないまでに根治する事であって、これが本当の治り方である。

    ところが事実はそのことごとくが一時的効果でしかないのは、一例を挙げれば彼(か)の喘息(ぜんそく)である。

    この病気に対する特効薬エフェドリンのごとき注射にしても、なるほど最初は一本でピタリと止まるが、それはある期間だけの事で、暫くするとまた起るというように、その期間も漸次狭(せば)まり、初めの内は一ケ月に一回で済んだものが、三週間、二週間、一週間というようになり、ついには一日数回から数十回に及ぶ者さえある。

    そうなると自分で注射器を握り、その都度(つど)射つのであるが、こうなると最早死の一歩手前に来た訳で、まず助からないとみてよかろう。

    ところが喘息ばかりではない、あらゆる注射もそうであるから、実に恐るべき問題である。

    もちろん服薬も同様であって、世間よく薬好きの人とか、薬の問屋、薬詰めなどといわれている人もよくあるが、こういう人は死にもせず、健康にもならず、中途半端で年中ブラブラしていて、生きているのは名ばかりである。

    ところがそういう人の言い条(じょう)がいい。

    「私が生きているのは全く薬のおかげです」としているが、実は薬のために健康になれないのを反対に解釈したので、薬迷信が骨の髄まで沁み込んでいるためである。

    これを一層判り易くいえば、いかなる薬でも麻薬中毒と作用は異ならない。

    ただ麻薬は薬の効いてる間が短いから頻繁に射つので、普通の薬は効いてる間が長いため気が付かないまでである。

    この理によって麻薬は急性、普通薬は慢性と思えはよく分るであろう。


     そうして薬について医学の解釈であるが、それはどんな薬でも余毒は自然に排泄消滅するものとしている考え方で、これが大変な誤りである。

    というのは元来人間の消化器〔機〕能は、消化される物とされない物とは自ら区別されている。

    すなわち消化されるものとしては、昔から決っている五穀、野菜、魚鳥獣肉等で、それらは人間の味覚と合っているからよく分る。

    これが自然に叶った食餌法である以上、これを実行していれば病気に罹るはずはなく、いつも健康であるべきである。

    それだのに何ぞや、アレが薬になるとか、これは毒だなどといって、人間が勝手に決め、食いたい物を食わず、食いたくない物を我慢して食うなど、その愚なる呆れる外はないのである。

    また昔から良薬は口に苦しというが、これも間違っている。

    苦いという事は毒だから、口に入れるなとその物自体が示している訳で、毒だから浄化が停止され、一時快くなるので効くと誤ったのである。


     元来消化器能なるものは、定められた食物以外は処理出来ないよう造られている以上、薬は異物であるから処理されないに決っている。

    それが体内に残存し、毒化し、病原となるので、この理を知っただけでも、人間は大いに救われるのである。

    しかも薬剤の原料はことごとく毒である事は、専門家もよく知っている。

    それは新薬研究の場合、必ず毒物を原料とする。

    彼の梅毒の特効薬六○六号にしても、耳掻一杯で致死量という猛毒亜砒酸(あひさん)である。

    また近来流行のペニシリンにしても、原料は水苔であるから毒物ではないが、人間の口へ入れるべきものではない。

    魚の餌として神が造られたものであるから、人間に役立つはずはない。

    またよく薬の分量を決め、破ると中毒の危険があるとしているが、これも毒だからである。

    以上によって薬と名の付くものはことごとく毒であり異物である以上、消化吸収されず、体内に残って病原となるという簡単な理屈が分らないというのは、全く医薬迷信の虜になっているからである。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

    ペニシリンが毒物で無いというのはまちがいでした

     後々にペニシリンショックという薬害があったことは本質では毒だからでしょう。

    ペニシリンによる副作用 - 副作用ハンドブック

     

     


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    自民党と公明党がやったそうですね。

    日本人のためと言っています・・・・え?

     

    ※【三橋貴明】森友疑惑の真の目的は日本の食の安全を破壊する工作を隠す為。


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  • 04/24/17--17:11: 「健康の自由主義」
  •  チャンとした医学ってなんだろう?


    それは簡単でしょ。

    世の中から段々と病が重い病から軽い病と減りつつ、それに伴って医療費が減ってゆき、しまいにはお医者さんも病院もひまでひまで、みんなhimaariになっちゃう。(笑い

    それが「ちゃんとした医学」ですよね~♪

     

    でも世の中には薬があふれ、難治性の病が多くなり、医療費は年間40兆円を超えたそうで、

    なるほど、「ちゃんとした医学」を学んだ医師達の成果でしょうかねえ~

    と皮肉を言いたくなりますが、(言ってるじゃ無いか!)

     

     だから、正当な医学に対して異端の医学も知る必要があるという理由(わけ)

    だからといって、すべてを鵜呑みにしないってこと。研究者の資格でしょ。

     

    たいていの人は言うでしょう。

    「私は薬を飲んでちゃんと病気が治ったのである。これは事実である」と

     

    ところが現代の薬学者は「残念ながらお薬には病を治す力を持ち合わせておりません。治すのは自分自身の力なのです」と。

     

    「医学は進歩している」のに「なぜ病が減らないのか?」

      ごくごく基本的な疑問なのです。

     

    岡田氏はもっと詳しく書いた。

     

    ボクは宗教(組織はもちろんだが、その教えにもかなり重要な欠点があると知りました)はもう不要な時代に入ったという素タンスで岡田論文を研究資料にしています。

     研究とは信者では出来ませんから、信仰とは無縁な方が研究されることです。

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

    健康の自由主義

    未発表『医学革命の書』昭和28(1953)年執筆

     病気とは体内浄化作用であり、それに伴う苦痛をいうのであるが、これを逆の意味に解し、浄化停止をもって治病の方法としたのが医学の考え方であった。

    そうしてこの停止手段としては、身体を弱らすに限るから、薬と称する毒を用いたのである。

    従って毒の強い程よく効く訳で、近来医学の進歩によって、死の一歩手前にまで毒を強める事に成功したので、決して治病の進歩ではない事を知らねばならない。

    その結果死亡率が減ったのであるから、つまり逆進歩である。

    以下この意味をかいてみよう。


     誰でも病気発生するや、これは自然の浄化作用であるから、苦痛は割合強くとも、そのまま放っておけば順調に浄化は行われ、速く治るのである。

    ところがその理に盲目であるため早速医師に診て貰うが、医師ももちろん同様盲目であるから、専心浄化を停めようとするので、ここに自然治癒との衝突が起る。

    すなわち浄化とその停止との摩擦である。

    そのため浄化は頓挫(とんざ)し、一進一退の経過を辿(たど)る事になり、衰弱死に至るのである。

    それが従来死亡率の高かった原因であるが、近頃は前記のごとく生命を保ちつつ、浄化を圧(おさ)える事が出来るようになった。

    というのは前記のごとく強い薬が使えるようになったからで、ある期間寿命を延ばせるのである。

    しかし無論全治ではないから、時が経てば復(ふたた)び発病する。

    このようにして人間は漸次弱って来たのである。

    ゆえに医学の進歩とは治病の進歩ではなく、一時的苦痛緩和と若干(じゃっかん)生命延長の進歩である。

    この最もいい例としては借金である。

    元利合計請求された場合、一時に払おうとすれば破産するから、月賦にして気長に払う事にする。

    そうすれば第一楽であり、暫くでも破産を免れられると同様の意味である。


     右のごとく医学の進歩とは、借金返済ではない、借金延期法の進歩でしかないのである。

    しかしこれで一時なりとも寿命は延びるが、病の方はそのまま固ってしまい、真の健康とはならない以上、溌剌(はつらつ)たる元気などはない。

    この際医師はこう言うのである。

    何しろ貴方(あなた)のからだはヒビが入ったようなものだから、余程大切にしないといけない、軽はずみをすると元通りになると注意されるので、患者はビクビクもので、その日を送る事になる。

    私はこの種の人を消極的健康人というが、今日こういう人は益々増えるばかりである。

    この例として高度の文明国程そうであるのは、彼(か)の英仏などを見ても分る通り、近来この両国民の元気のない事はなはだしく、我国とは反対に人口増加率低下に弱っているのみか、国民は安易を求めるに一生懸命で、国家の前途などは二の次にしている。

    こんな訳で両国の国威はガタ落ちで、植民地の維持すら困難となり、ともすれば離れようとする現状である。

    また国際的正義感にしても麻痺状態で、彼の中共の中国、南鮮侵略に対しても、ただ指を食えて観ているばかりか、英国などは逸(いち)早く承認を与え、アメリカを吃驚(びっくり)させたくらいである。

    その後も御義理(おぎり)的にアメリカに追随しているにすぎない有様である。

    しかも同国が戦勝国でありながら、戦敗国日本よりも食料不足に悩んでいるのもその現われで、全く気の毒なものである。

    仏蘭西(フランス)にしても御同様人民の闘志などは全然なく、アメリカがいかに気を揉んでも何らの手応えなく、ただその日その日を無事安穏に過ごす事と、享楽に耽(ふけ)る事のみ考えているようだ。

    以上によってみても、昔英国が七つの海を支配し、仏国がナポレオン当時のアノ華やかさに比べたら、まことに感慨無量というべきである。

    この原因こそ全く恐るべき医学の進歩にある以上、日本も殷鑑(いんかん)遠からず油断は出来ない。


     次の米国にしても、近来医学の進歩につれて、病人は益々増える一方で、悲鳴を上げている状態である。

    これに気付かない限り、いずれは英仏の後を追うのは必然であろう。

    私が先頃『アメリカを救う』の書を発刊したのもこの事を憂慮したに外ならないと共に、日本にもお次の番が廻って来ないと誰か言い得よう。

    そうして右は大局的に見た医学なるものの実体であるが、これを個人的に見るとなおさらよく分る。

    周知のごとく今日医学の建前を基礎として、国民保健制度を立てているが、これは日本ばかりではない。

    世界の文明各国は大同小異はあるが、いずれも同様である。

    今それについてザッとかいてみるが、何しろ現代人の健康の低下と来てはまことに酷いもので、そのため当局の社会衛生上の注意も、益々微に入り細に渉り、煩(はん)に堪えないくらいである。

    ヤレ無理をするな、睡眠を多く取れ、風邪を引くな、暴飲暴食するな、栄養を摂れ、防毒に注意せよ等々、全く毀(こわ)れ物扱いである。

    剰(あまつさ)え病菌の感染を極度に怖れ、結核や伝染病患者には近づくべからず、ヤレ手を洗え、含嗽(うがい)をしろ、消毒をせよ、マスクを掛けろ、濁った空気を吸うな等々、その窮屈さは生きているさえ嫌になるくらいである。

    これが文明のあり方とすれば、文明こそ大いに呪いたいくらいである。


     それに反し吾々の方の恵まれ方はどうだ。

    いわく食いたい物を、食いたい時に、食いたいだけ食い、寝たい時に寝、働きたいだけ働き、無理をしてもよく、風邪引き結構、伝染病も結核菌も屁とも思わない。

    というように人に迷惑を掛けない限り、自己の職業に差支えない限りは、自由無碍(むげ)、明朗闊達(かったつ)、何ら不安ない日常を送っている。

    恐らく人生これほどの幸福はあるまい。

    これを称して私は健康の自由主義というのである。

    今日荐(しき)りに唱えられている自由主義などとは、比較にならない程の幸福さであろう。

    では右を実行した結果はどうであるかというと、これまた大したものだ。

    私初め信者数十万人ことごとくそうしているが、結果は一般人よりも罹病率の少ない事は十分の一にも足りないくらいであるから、病気の不安など全然ないと言っていい。

    その根本理由こそ今日の医学衛生の考え方は逆であるから、そのまた逆にすれば真の健康法となる訳である。

    以上によって医学の無智がいかに人間の自由を束縛し、無益な労力と余計な金を使わせ、生産をマイナスにし、しかもあらゆる不幸の原因を作っているかという事である。

    以上のごとくであるとすれば、今日これほど重大問題はあるまい。

    また宗教についても一言いいたい事は、宗教本来の使命は万人の不安を除き、安心立命を得させるにある以上、それが出来ないとしたら、存在の意義はない訳である。

    私はこれに対しても敢(あえ)て考慮を求める次第である。



    (注)
    殷鑑遠からず(いんかんとおからず)、戒めとすべき他人の失敗の例。


    〔詩経〕殷王朝の鑑(=手本)は、遠く古代に求めなくても、前代の夏(か)王朝の滅亡がよい戒めである。

    戒めは身近にあるということ。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    どこが重要でどこが不要かはあなたが決めることですが

    ボクは強調表示したところが重要だと思っています。(ただ個人的です

     

      終盤の方の「信者の健康度について」ですが、当時の話ですので

    現在のことではないでしょう。

     ようは信者であろうとなかろうと病気の原理は変わりないということです。

    しかも産まれてからのこと。

    親からの遺伝のこと、

    生きている生活とか心の状態とかもありますので、十把一絡げに薬毒論では解けないのが

    ひとの病なんでしょうね。

     

    心の病(不調和とか魂とずれている意識とか)が体の病に現れるという話もありますし。

     岡田論文だけでは病を全部説くことは出来ないかとも思います。(私感

     

    そのてんを内海聡医師のブログでも書かれています

     つまりひとつの方程式じゃ解けないのがひとの病というわけで。

    物理療法の方がよく効く場合もあるわけでして、しかし、根本的な原因は見えない世界にあるのかも知れません。

     抗ガン剤でさえも治る人は治るという話もありますから、ほんとひとは不思議な生き物だと思います。

    (抗ガン剤は治す薬では無いという前提です)

     

    最後は「意識の世界」が主になるのかも知れませんが、

    かといって、いまの薬毒満載の医療はいずれ消滅の運命が待っていることでしょう。

    まあ両手で数えるくらいの薬は残るかも知れませんが・・・・(緊急時に使う程度で)

     

      昭和の初期から「薬毒論」 「病気は浄化作用論」 「夜昼転換論」を柱にしていた岡茂吉の医学論(宗教論とか他の論は別にして)はいまだに捨てきれないものがあるとボクは思っています。

    取捨選択とは「よいとこ取り」ですから、「不要なものもある」という素タンスです。

     信者だったころは、それが出来なかったわけで研究者になれない資格者だった(苦笑)ボクもいまや堕落の一途をたどりながらも、その「よいとこ取り」は捨てていません。

    基本的なことが理解できれば、どんな薬であろうと、とくに知る必要も無く、その効果は一時的で「治すものではない」ということで、玄人になる必要はありません。

    ワクチン予防接種にしても同様、どんなものが入っているとか、どういう性質なのかなども不要なのです。

    が、それを説明しなければならない理由(わけ)は、現代人はそういう権威筋とか学識的な裏付けが無いと信用しないから、「医学関係者の肩書き」を使って引用しているのです。

    犬が東を向けば尻尾は西を向く・・・これを説明せよ、科学的に・・・

    とかナンセンスでしょ。

    すべての薬は毒でしょ。だったら、その毒がひとの健康によいか悪いのか説明せよというようなもので、基本原理さえ腹に落ちれば素人知識で充分なのです。

    が、いざとなると、病気の苦痛症状や長引くとき「不安がよぎり」、ついつい頼ってしまうのが薬でしょう。そして、薬には一時的とはいえ、かなりの効果がある。

    そこから始まる糸車。

    いっときでやめられるなら、それでもよいでしょうが「薬では治らない」ので「飲み続ける」わけです。(治れば飲み続ける必要などない)

    そして、暫時薬毒の蓄積と再発の繰り返しで弱って行くという糸車に入ってしまう。

     実に簡単な原理なのですが、そうはいかない。

    薬が効くからです。  薬は効くのです。 しかし、薬学者も書いたように「薬で病は治せない」のです。

    このジレンマのような時代が世界中で行われているとすれば、いずれは気づくしか無い運命にあるでしょうね、人類は。

     その前に「治せない医療」によって医療費はドンドン上昇してゆくでしょうから、ついには別の理由で現代医療は自壊してしまうかも知れません。

    それが「経済的理由」です。

     現在の日本はそれをよく顕しているようで、国民保健制度は医療費40兆円を超えたままどこまで行けるのでしょうか?

    国家の経済も借金経済のまま、いつかはたどり着く医療保健制度の崩壊。

    その時点で気づくのかどうかは知りませんが、いま進んでいるのは医学の進歩なのではなく、医療技術の進歩であって、根本的な考え方は昔とちっとも変わっていないのです。

    技術の進歩を医学の進歩と錯覚しているだけでしょう。
    微に入り細に入り専門分野が枝分かれして研究されている人体について総合的にみるという視点が無いのです。

     群盲、象をなでる