世界医薬産業の犯罪より
ーーーーーーーーーーーー以下転載ーーーーーーーー
音声読み上げ世界医薬産業の犯罪 part1
薬の押し売り
今日の医者のほとんどは、こけおどしの神秘的なネーミングでぞくぞく市場に参入してくる新しい合成薬品なくしては、医者としての仕事をやっていけないのではないだろうか。
ところが、彼らが医学校で学んだ薬理学の知識といえばほんの限られたものにすぎない。
というのも、古い薬にとって代わる新薬が次々と市場に現われ、その交替があまりにも頻繁であるため、医学校の教師自身が新しい薬の知識に追いつけないからである。
医者がプロとしての技術を学習し始めるのは、医学校を終えて患者との実際の接触が始まった時点である。
それと同時に、生涯ずっと続くことになる薬理学の勉強も始まる。
この時、医者への薬理学教育を施すのが、薬品会社のセールスマン、そして洪水のごとく送り届けられるパンフレットなのである。
セールスマンは金ペンやカモ猟への招待といったプレゼントを携えて医者を定期的に訪問し、新薬のサンプルを山のように置いてゆく。
そしてその代償として、新薬を患者に試してみた結果のリポートを要求するのである。
これをみても、実験室内でのテストが何の意味ももっていないという点は明白であろう。
若い医者は、医学校の教師から医学教育を施されるのではない。
教師たちの知識ときては、何年も昔の古いものなのである。
彼らを教育するのは製薬会社の強引なセールスマン連中である。
ところが製薬会社の目指すところは人々の健康ではない世の中が健康な人ばかりになれば薬品工業は潰れてしまうではないかー目標は会社の利益の増大につきる。
薬に添付されてくる説明書を読んだ医者は、それが人間の病気に関する専門家によって書かれたものだと思うだろう。
ところが実際には、病人などまったく診たこともない動物学的知識しかもたない人間によって、書かれているのである。
この事実を知っている医者はほとんどいないだろう。
いずれにせよ、その事実を知ると知らざるとにかかわらず、多くの医者は頼りにできる新薬を常に手許に置いておくことだけで満足してしまうらしい。
『サイエンス・ダイジェスト』誌の一九八〇年一月号で、小児癌専門医力ール・E・ポシェドリー博士がこの点に関し、率直すぎるとも思える告白をしている。
手の施しようのない癌に冒されている子供とつきあう時、化学療法剤の数が多くあるということは、医者にとっては非常に助かるのである。
試すことのできる新薬が常に手許にあるということで医者は落ち着きを取り戻す。
すなわち、使える薬の種類が多いということは、何もできないというフラストレーションを減少させるのである。
「癌に冒されている子供とつきあう」という部分に注目していただきたい。
癌そのものとはつきあうことができない状態、それをポシェドリー博士はごく正直に「手の施しようのない」と述べているがすなわち不治なのである。
しかし有難いことに、まだ無効性も有害性も証明されていない新薬がどんどん開発されるので、医師は、癌の子供やその親に少なくとも「何か新しい手をうっている」という印象を与えることができるのである。
営利主義の製薬会社は、大衆をも医師をも組織的にミスリードし、医師を自分たちの組織の「手先」に使っている。
この事実に、医療過誤裁判というショックを与えられるまで気づかない医者もいるようだ。
多少古い話になるが、一九七五年六月九日号の『タイム』によれば、かつては稀だった患者からの医療過誤の訴えが、最近急増したため、高リスクの専門医の保険の掛け金が急騰しており、たとえばカリフォルニア州では一年のうちに五三七七ドルから二万二七〇四ドルにもなっているという。
動物実験では安全だとされた薬を、人間に使用した結果の薬害が急増しているという現実を知れば、保険金が跳ね上がるのも当然だと言えよう。
本書では、薬害の実例を網羅することはできない。
ここで、氷山の一角にすぎないが、いくつかの例を挙げてみよう。
↑今日の医者のほとんどは、こけおどしの神秘的なネーミングでぞくぞく市場に参入してくる新しい合成薬品なくしては、医者としての仕事をやっていけないのではないだろうか。
ところが、彼らが医学校で学んだ薬理学の知識といえばほんの限られたものにすぎない。
というのも、古い薬にとって代わる新薬が次々と市場に現われ、その交替があまりにも頻繁であるため、医学校の教師自身が新しい薬の知識に追いつけないからである。
医者がプロとしての技術を学習し始めるのは、医学校を終えて患者との実際の接触が始まった時点である。
それと同時に、生涯ずっと続くことになる薬理学の勉強も始まる。
この時、医者への薬理学教育を施すのが、薬品会社のセールスマン、そして洪水のごとく送り届けられるパンフレットなのである。
セールスマンは金ペンやカモ猟への招待といったプレゼントを携えて医者を定期的に訪問し、新薬のサンプルを山のように置いてゆく。
そしてその代償として、新薬を患者に試してみた結果のリポートを要求するのである。
これをみても、実験室内でのテストが何の意味ももっていないという点は明白であろう。
若い医者は、医学校の教師から医学教育を施されるのではない。
教師たちの知識ときては、何年も昔の古いものなのである。
彼らを教育するのは製薬会社の強引なセールスマン連中である。
ところが製薬会社の目指すところは人々の健康ではない世の中が健康な人ばかりになれば薬品工業は潰れてしまうではないかー目標は会社の利益の増大につきる。
薬に添付されてくる説明書を読んだ医者は、それが人間の病気に関する専門家によって書かれたものだと思うだろう。
ところが実際には、病人などまったく診たこともない動物学的知識しかもたない人間によって、書かれているのである。
この事実を知っている医者はほとんどいないだろう。
いずれにせよ、その事実を知ると知らざるとにかかわらず、多くの医者は頼りにできる新薬を常に手許に置いておくことだけで満足してしまうらしい。
『サイエンス・ダイジェスト』誌の一九八〇年一月号で、小児癌専門医力ール・E・ポシェドリー博士がこの点に関し、率直すぎるとも思える告白をしている。
手の施しようのない癌に冒されている子供とつきあう時、化学療法剤の数が多くあるということは、医者にとっては非常に助かるのである。
試すことのできる新薬が常に手許にあるということで医者は落ち着きを取り戻す。
すなわち、使える薬の種類が多いということは、何もできないというフラストレーションを減少させるのである。
「癌に冒されている子供とつきあう」という部分に注目していただきたい。
癌そのものとはつきあうことができない状態、それをポシェドリー博士はごく正直に「手の施しようのない」と述べているがすなわち不治なのである。
しかし有難いことに、まだ無効性も有害性も証明されていない新薬がどんどん開発されるので、医師は、癌の子供やその親に少なくとも「何か新しい手をうっている」という印象を与えることができるのである。
営利主義の製薬会社は、大衆をも医師をも組織的にミスリードし、医師を自分たちの組織の「手先」に使っている。
この事実に、医療過誤裁判というショックを与えられるまで気づかない医者もいるようだ。
多少古い話になるが、一九七五年六月九日号の『タイム』によれば、かつては稀だった患者からの医療過誤の訴えが、最近急増したため、高リスクの専門医の保険の掛け金が急騰しており、たとえばカリフォルニア州では一年のうちに五三七七ドルから二万二七〇四ドルにもなっているという。
動物実験では安全だとされた薬を、人間に使用した結果の薬害が急増しているという現実を知れば、保険金が跳ね上がるのも当然だと言えよう。
本書では、薬害の実例を網羅することはできない。
ここで、氷山の一角にすぎないが、いくつかの例を挙げてみよう。
↑
合法的大量殺人へつづく
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
上記は「世界医薬産業の犯罪」という古い本です。
しかも外国の話。
さて、日本は大丈夫でしょうね・・・・・きっと・・・・・
それより・・・・我が身はだいじょうぶでしょうねえ~~~ブルブルブル~~