チャンとした医学ってなんだろう?
それは簡単でしょ。
世の中から段々と病が重い病から軽い病と減りつつ、それに伴って医療費が減ってゆき、しまいにはお医者さんも病院もひまでひまで、みんなhimaariになっちゃう。(笑い
それが「ちゃんとした医学」ですよね~♪
でも世の中には薬があふれ、難治性の病が多くなり、医療費は年間40兆円を超えたそうで、
なるほど、「ちゃんとした医学」を学んだ医師達の成果でしょうかねえ~
と皮肉を言いたくなりますが、(言ってるじゃ無いか!)
だから、正当な医学に対して異端の医学も知る必要があるという理由(わけ)
だからといって、すべてを鵜呑みにしないってこと。研究者の資格でしょ。
たいていの人は言うでしょう。
「私は薬を飲んでちゃんと病気が治ったのである。これは事実である」と
ところが現代の薬学者は「残念ながらお薬には病を治す力を持ち合わせておりません。治すのは自分自身の力なのです」と。
「医学は進歩している」のに「なぜ病が減らないのか?」
ごくごく基本的な疑問なのです。
岡田氏はもっと詳しく書いた。
ボクは宗教(組織はもちろんだが、その教えにもかなり重要な欠点があると知りました)はもう不要な時代に入ったという素タンスで岡田論文を研究資料にしています。
研究とは信者では出来ませんから、信仰とは無縁な方が研究されることです。
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
健康の自由主義
未発表『医学革命の書』昭和28(1953)年執筆
病気とは体内浄化作用であり、それに伴う苦痛をいうのであるが、これを逆の意味に解し、浄化停止をもって治病の方法としたのが医学の考え方であった。
そうしてこの停止手段としては、身体を弱らすに限るから、薬と称する毒を用いたのである。
従って毒の強い程よく効く訳で、近来医学の進歩によって、死の一歩手前にまで毒を強める事に成功したので、決して治病の進歩ではない事を知らねばならない。
その結果死亡率が減ったのであるから、つまり逆進歩である。
以下この意味をかいてみよう。
誰でも病気発生するや、これは自然の浄化作用であるから、苦痛は割合強くとも、そのまま放っておけば順調に浄化は行われ、速く治るのである。
ところがその理に盲目であるため早速医師に診て貰うが、医師ももちろん同様盲目であるから、専心浄化を停めようとするので、ここに自然治癒との衝突が起る。
すなわち浄化とその停止との摩擦である。
そのため浄化は頓挫(とんざ)し、一進一退の経過を辿(たど)る事になり、衰弱死に至るのである。
それが従来死亡率の高かった原因であるが、近頃は前記のごとく生命を保ちつつ、浄化を圧(おさ)える事が出来るようになった。
というのは前記のごとく強い薬が使えるようになったからで、ある期間寿命を延ばせるのである。
しかし無論全治ではないから、時が経てば復(ふたた)び発病する。
このようにして人間は漸次弱って来たのである。
ゆえに医学の進歩とは治病の進歩ではなく、一時的苦痛緩和と若干(じゃっかん)生命延長の進歩である。
この最もいい例としては借金である。
元利合計請求された場合、一時に払おうとすれば破産するから、月賦にして気長に払う事にする。
そうすれば第一楽であり、暫くでも破産を免れられると同様の意味である。
右のごとく医学の進歩とは、借金返済ではない、借金延期法の進歩でしかないのである。
しかしこれで一時なりとも寿命は延びるが、病の方はそのまま固ってしまい、真の健康とはならない以上、溌剌(はつらつ)たる元気などはない。
この際医師はこう言うのである。
何しろ貴方(あなた)のからだはヒビが入ったようなものだから、余程大切にしないといけない、軽はずみをすると元通りになると注意されるので、患者はビクビクもので、その日を送る事になる。
私はこの種の人を消極的健康人というが、今日こういう人は益々増えるばかりである。
この例として高度の文明国程そうであるのは、彼(か)の英仏などを見ても分る通り、近来この両国民の元気のない事はなはだしく、我国とは反対に人口増加率低下に弱っているのみか、国民は安易を求めるに一生懸命で、国家の前途などは二の次にしている。
こんな訳で両国の国威はガタ落ちで、植民地の維持すら困難となり、ともすれば離れようとする現状である。
また国際的正義感にしても麻痺状態で、彼の中共の中国、南鮮侵略に対しても、ただ指を食えて観ているばかりか、英国などは逸(いち)早く承認を与え、アメリカを吃驚(びっくり)させたくらいである。
その後も御義理(おぎり)的にアメリカに追随しているにすぎない有様である。
しかも同国が戦勝国でありながら、戦敗国日本よりも食料不足に悩んでいるのもその現われで、全く気の毒なものである。
仏蘭西(フランス)にしても御同様人民の闘志などは全然なく、アメリカがいかに気を揉んでも何らの手応えなく、ただその日その日を無事安穏に過ごす事と、享楽に耽(ふけ)る事のみ考えているようだ。
以上によってみても、昔英国が七つの海を支配し、仏国がナポレオン当時のアノ華やかさに比べたら、まことに感慨無量というべきである。
この原因こそ全く恐るべき医学の進歩にある以上、日本も殷鑑(いんかん)遠からず油断は出来ない。
次の米国にしても、近来医学の進歩につれて、病人は益々増える一方で、悲鳴を上げている状態である。
これに気付かない限り、いずれは英仏の後を追うのは必然であろう。
私が先頃『アメリカを救う』の書を発刊したのもこの事を憂慮したに外ならないと共に、日本にもお次の番が廻って来ないと誰か言い得よう。
そうして右は大局的に見た医学なるものの実体であるが、これを個人的に見るとなおさらよく分る。
周知のごとく今日医学の建前を基礎として、国民保健制度を立てているが、これは日本ばかりではない。
世界の文明各国は大同小異はあるが、いずれも同様である。
今それについてザッとかいてみるが、何しろ現代人の健康の低下と来てはまことに酷いもので、そのため当局の社会衛生上の注意も、益々微に入り細に渉り、煩(はん)に堪えないくらいである。
ヤレ無理をするな、睡眠を多く取れ、風邪を引くな、暴飲暴食するな、栄養を摂れ、防毒に注意せよ等々、全く毀(こわ)れ物扱いである。
剰(あまつさ)え病菌の感染を極度に怖れ、結核や伝染病患者には近づくべからず、ヤレ手を洗え、含嗽(うがい)をしろ、消毒をせよ、マスクを掛けろ、濁った空気を吸うな等々、その窮屈さは生きているさえ嫌になるくらいである。
これが文明のあり方とすれば、文明こそ大いに呪いたいくらいである。
それに反し吾々の方の恵まれ方はどうだ。
いわく食いたい物を、食いたい時に、食いたいだけ食い、寝たい時に寝、働きたいだけ働き、無理をしてもよく、風邪引き結構、伝染病も結核菌も屁とも思わない。
というように人に迷惑を掛けない限り、自己の職業に差支えない限りは、自由無碍(むげ)、明朗闊達(かったつ)、何ら不安ない日常を送っている。
恐らく人生これほどの幸福はあるまい。
これを称して私は健康の自由主義というのである。
今日荐(しき)りに唱えられている自由主義などとは、比較にならない程の幸福さであろう。
では右を実行した結果はどうであるかというと、これまた大したものだ。
私初め信者数十万人ことごとくそうしているが、結果は一般人よりも罹病率の少ない事は十分の一にも足りないくらいであるから、病気の不安など全然ないと言っていい。
その根本理由こそ今日の医学衛生の考え方は逆であるから、そのまた逆にすれば真の健康法となる訳である。
以上によって医学の無智がいかに人間の自由を束縛し、無益な労力と余計な金を使わせ、生産をマイナスにし、しかもあらゆる不幸の原因を作っているかという事である。
以上のごとくであるとすれば、今日これほど重大問題はあるまい。
また宗教についても一言いいたい事は、宗教本来の使命は万人の不安を除き、安心立命を得させるにある以上、それが出来ないとしたら、存在の意義はない訳である。
私はこれに対しても敢(あえ)て考慮を求める次第である。
(注)
殷鑑遠からず(いんかんとおからず)、戒めとすべき他人の失敗の例。
〔詩経〕殷王朝の鑑(=手本)は、遠く古代に求めなくても、前代の夏(か)王朝の滅亡がよい戒めである。
戒めは身近にあるということ。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
どこが重要でどこが不要かはあなたが決めることですが
ボクは強調表示したところが重要だと思っています。(ただ個人的です
終盤の方の「信者の健康度について」ですが、当時の話ですので
現在のことではないでしょう。
ようは信者であろうとなかろうと病気の原理は変わりないということです。
しかも産まれてからのこと。
親からの遺伝のこと、
生きている生活とか心の状態とかもありますので、十把一絡げに薬毒論では解けないのが
ひとの病なんでしょうね。
心の病(不調和とか魂とずれている意識とか)が体の病に現れるという話もありますし。
岡田論文だけでは病を全部説くことは出来ないかとも思います。(私感
そのてんを内海聡医師のブログでも書かれています
つまりひとつの方程式じゃ解けないのがひとの病というわけで。
物理療法の方がよく効く場合もあるわけでして、しかし、根本的な原因は見えない世界にあるのかも知れません。
抗ガン剤でさえも治る人は治るという話もありますから、ほんとひとは不思議な生き物だと思います。
(抗ガン剤は治す薬では無いという前提です)
最後は「意識の世界」が主になるのかも知れませんが、
かといって、いまの薬毒満載の医療はいずれ消滅の運命が待っていることでしょう。
まあ両手で数えるくらいの薬は残るかも知れませんが・・・・(緊急時に使う程度で)
昭和の初期から「薬毒論」 「病気は浄化作用論」 「夜昼転換論」を柱にしていた岡茂吉の医学論(宗教論とか他の論は別にして)はいまだに捨てきれないものがあるとボクは思っています。
取捨選択とは「よいとこ取り」ですから、「不要なものもある」という素タンスです。
信者だったころは、それが出来なかったわけで研究者になれない資格者だった(苦笑)ボクもいまや堕落の一途をたどりながらも、その「よいとこ取り」は捨てていません。
基本的なことが理解できれば、どんな薬であろうと、とくに知る必要も無く、その効果は一時的で「治すものではない」ということで、玄人になる必要はありません。
ワクチン予防接種にしても同様、どんなものが入っているとか、どういう性質なのかなども不要なのです。
が、それを説明しなければならない理由(わけ)は、現代人はそういう権威筋とか学識的な裏付けが無いと信用しないから、「医学関係者の肩書き」を使って引用しているのです。
犬が東を向けば尻尾は西を向く・・・これを説明せよ、科学的に・・・
とかナンセンスでしょ。
すべての薬は毒でしょ。だったら、その毒がひとの健康によいか悪いのか説明せよというようなもので、基本原理さえ腹に落ちれば素人知識で充分なのです。
が、いざとなると、病気の苦痛症状や長引くとき「不安がよぎり」、ついつい頼ってしまうのが薬でしょう。そして、薬には一時的とはいえ、かなりの効果がある。
そこから始まる糸車。
いっときでやめられるなら、それでもよいでしょうが「薬では治らない」ので「飲み続ける」わけです。(治れば飲み続ける必要などない)
そして、暫時薬毒の蓄積と再発の繰り返しで弱って行くという糸車に入ってしまう。
実に簡単な原理なのですが、そうはいかない。
薬が効くからです。 薬は効くのです。 しかし、薬学者も書いたように「薬で病は治せない」のです。
このジレンマのような時代が世界中で行われているとすれば、いずれは気づくしか無い運命にあるでしょうね、人類は。
その前に「治せない医療」によって医療費はドンドン上昇してゆくでしょうから、ついには別の理由で現代医療は自壊してしまうかも知れません。
それが「経済的理由」です。
現在の日本はそれをよく顕しているようで、国民保健制度は医療費40兆円を超えたままどこまで行けるのでしょうか?
国家の経済も借金経済のまま、いつかはたどり着く医療保健制度の崩壊。
その時点で気づくのかどうかは知りませんが、いま進んでいるのは医学の進歩なのではなく、医療技術の進歩であって、根本的な考え方は昔とちっとも変わっていないのです。
技術の進歩を医学の進歩と錯覚しているだけでしょう。
微に入り細に入り専門分野が枝分かれして研究されている人体について総合的にみるという視点が無いのです。
群盲、象をなでる