股股~~ド素人が~
好き勝手に書いているらしいゾ~
ま、いいじゃないですか。
だれも頼んでないのに書く。これこそ風呂愚のいや、大風呂敷風呂愚の真骨頂ですから。
先回もその股前から掻いていますが、ボリボリ。。
感染症と言えば、外から勝手にむりやりやって来る微生物(細菌、ウイルス)が細胞をやっつける(破壊する)というのが馬鹿の一つ覚え、じゃないか!!医学のひとつ憶えだとして来ました。(ボクの勝ってですが)
スカス、「細胞には意志がある」で有名なのは団まりな先生の本(これこそノーベル医学賞か生物学賞を戴く価値があるのではないかな?もっとも残念ながら素に帰りましたので戴けませんが)
細胞の意思 〈自発性の源〉を見つめる (NHKブックス) | 団 まりな |本 | 通販 ... https://www.amazon.co.jp/細胞の意思-〈自発性の源〉を見つめる.../4140911166 かねがねDNAに意志があり、粘菌や木々にも意志があると考えていますので、細胞に意志があるのは当然のことと思います。最近、「量子力学が明らかにする存在、意志、生命の意味」(Amazonで発売)において、電子には意志があることが述べられています。
ウイルスや細菌は細胞が呼び寄せる
ここからマッタク視点が変わるわけです。なぜなら、感染症は人類の為にある。 なんとも逆転の発想でしょうか! ま、おろろくには早すぎる。いや、遅すぎる。こういう話は既に何十年前からあったのですから。
ところで、細胞は人体を構成する多田の部品だと言っている人がいまだにいるそうです。 (多田氏) ところが、実はトンデモナイ! 細胞にはこれこれしかじか意志があるかのように働き動いているという研究結果が出ているのですゾ~
そうなると、なぜウイルスや細菌が特定の部位(臓器や細胞)にだけ感染するのかが自ずと知れましょう。 そうです、感染症は「夜這い」(窓を開けてまっている娘っこ=細胞)だったのです。 そこのイキナリ侵入してくるだけじゃなく、「おいでナサ~~イ♪」的お迎え状態が出来ているからこそ、ボクが侵入できるのでした。 え? ところで、「アンタのダメ~」とののしられ、スゴスゴと窓から出てきたあの時は人生の最低経験でした・・・
それはともかく、いかに細胞には意識というものがあるか、けっして部品のひとつじゃないということは団まりあ師の本を読むとイイデショ。 ボクも読んだけど、例によってさっぱり憶えていませんけど。 ただ、憶えているのは「細胞には意志がある」という意識だけですね。
なんでもあまり深入りする必要はありませんね。薬は毒だ。毒を飲めばいつか病気の素になる。毒が身体を癒すわけがない。まあ、これだけ分かれば、何万種類の薬の効能だの害だのという知識は不要と同じことです。 感染症とは身体の浄化作用を手伝う細胞と微生物と共同作業である・・・と理解すれば後は難しいことを憶える必要も無し。
ところがオツムがあまりにも発達し過ぎた人たちはそれでは納得できない。エビデンスは科学的根拠は!! としつこいのでR
そんなのいくらでもでっち上げることができるんだけどね。 ひとは自分が欲している情報しか耳に入らない、聞こえない、見えないのでRから、どんな科学的根拠を出そうが、気に入らないのは受け付けないのでR.
他人に相談に行くとしても、自分の気に入る答を出してくれる人の方にだけ行きたがり、好みの答だけが耳に入る。
そんなわけで、ここに「細胞には意志がある」などというエビデンスをだしてみても詮無し缶ビールなのですが、それでも。自己承認欲求が「どうしても!」というので、そうか「どうしても・・・」なら・・と。
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー NHK サイエンスZERO
細胞「私」をつくる60兆個の力
より一部抜粋転載
アクセル役とブレーキ役が揃った高度な免疫システム。その発達は、他者である腸内細菌の助けなくしてはありえないという事実を日本人研究者たちのコラボレーションが明らかにしたのです。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
一部なので判然としないひとは本を読んでくださいね。
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー 誕生時、すべてのシナプスは「自己」の初期状態としてセットされます。
まだこの先、どんな人生を歩むのか、無限の可能性のある赤ちゃんにとって、どんなシナプスも、そのシナプスが構築する回路も、きわめて使用頻度の高いものになる可能性を秘めています。そのあいだは、ミクロクリア細胞も健康か否かという判断基準で選別すれば、事は済みます。回復できないとなれば、そのシナプスは他者の地位へと転落し、免疫によって攻撃される対象となります。
しかし、成長していくにつれ、私たちの未来は少しずつ限定されていくことになります。その一方、選択した生き方において特に必要なものも、はっきりしていきます。
もはや無限の可能性を優先する段階ではありません。
この段階においておそらく、ミクロクリア細胞の選択基準として、「健康か否か」に加えて、「必要か否か」が重要になっていくと考えられます。
必要性が確かなシナプスは保護される一方、不要と判断されたシナプスは、脳の免疫細胞であるミクロクリアの攻撃対象になるのです。細胞の免疫システムがあたかも他者と判断したかのようです。
それまでは間違いなく自己であったものが一転して、他者になるi細胞世界の境界がもつ動的な一面がここにも如実に表れています。
排除されたシナプスは、まったく違う人生の選択をしたとき、大切にされていたのかもしれません。違う人生を歩むなかでは、排除されたほうこそ、自己であったのかもしれません。
それは偶然のようにもみえます。少なくともはっきりといえるのは、私たちの個のありようは、すべてが決定論的に決まっていたわけではないということです。決定論的な要素はあっても、その場その場の自主的な選択が新たな流れをつくっていくということができるでしょう。
選択次第で自分自身が変わる、本当の自分も変わるIそんな人生の機微を、自己と他者が能動的に移り変わる細胞の世界は教えてくれているのです。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
文字数制限がきになるので、続きとします。
え? もうイイ?