In Deepブログ様の記事を読んでいると
日本も含めて「これは壮大なディストピア社会化実験」の進行中なんじゃないかと思いつつ、それもまた仏陀の言う幻想かもしれないしアメリカでもヨーロッパでもガン治療の主流が「代替医療」か「治療しない」ことによってガン患者の死亡率がどんどん低下している中で日本は
やはり、気づきは突然起こる
ひとと、他人にそういう人が周りに増えると自分も気づくひと
そして、社会がそうなった(制度とか社会常識)時に、ようやく気づく(というか、日和見菌のような存在)ひと。
でも、圧倒的に多いのが最後の日和見菌種なのではないか?
医療技術が世界一発達したと言われる日本 = 医療の進歩
と思う人が圧倒的に多い
しかし、医療技術の進歩は 医療の進歩とは根源的に異なる事だ。
とかっぽ、いや喝破したのは岡田茂吉医学博士じゃないか!!
宗教の教祖。
だから、いまのところ上記のブログにもそうだが、どこにも「岡田茂吉の医学革命論」などほとんど出てこない。
いや、知っていてもはばかる事が多すぎるのかも知れない。
純粋に医学論だけでも研究して戴きたい (そこで、himaari倶楽部というものを作ってはみたが・・)
その医療技術が世界一進歩(世界二でもいいのだが)したと言われる医療大国ニッポン。
実情は非常に矛盾していることはその費用対効果でみても一目瞭然だ。
しかし、それも見て見ぬふりしているとしか思えないニッポン!アチャチャ~♪ 音頭が廃れないのも、それには理由(わけ)がある。
たとえば標題の様にじつにけしからん題名の本について、日本医師会などはもっと大騒ぎをしてもイインジャナイ?て思うのだが・・・
じつは、これはもう公然の秘密というか上層部では常識過ぎて、なにを今更という心境なのかどうかわからないけど、権力と権威があまりあるほどの医療界はほとんど口をつぐんだまま。
ほんの一部の医師が書いたりしている本もあるが、それも当を得るほど本質を突いていないのだから、どうやらこの「殺される」シリーズは真相を突いているやも知れない。
だが単純に「病院で殺される」と言って、医者や製薬企業をいくら非難してもそれは詮無し缶ビール
今の時代、すべては自分に責任があり。
真実を見破れない自分にあるのですね。
知ろうとしない素人集に贈る愛の本。
題名は強烈だが、いずれも「患者の為に書いてある愛の本」なのだ。
「病院で殺される」というショッキングな題名の本が売れているらしい。
こんな本を書いた人が「ころされるんじゃないの?」なんて心配して怖れているが
いまだ顕在らしい。
どうやら、怖くて近寄りがたいのか知れない・・・(顔で人を判断するな!)
ところで、もっと古いのだが
【あなたが病院で「殺される」しくみ】

などという、これまた毒々しい題名の本があります。
※でます調とである調が微妙に入り交じって微妙なハーモニーを醸し出している我が記事。
しかも、誤字などもちりばめてアキさせないように工夫を重ねているわけでして・・
Amazonで中古が異常に安い(時には送料の方がずっと高い場合もあるほど、貴重な中古本が売られている、いや売れないから安いのだろうが)
(この本も買ってしまった。himaari倶楽部で取り上げるつもり)
医療による「殺される」システムというが、
まあ、システムと言うよりも根本的に医学が土台外れを起こしているからなのだろう。
したがって、いろいろな改革案など出してもみて、ほとんど根本的解決にはほど遠いということでしょうね。
基本的に、薬や手術で病気を治せる事が出来るのかどうか?
ここにまで踏み込んで考えないと、もうシステムじゃないですね。
しかも医者や学者の性格の良否などもぜんぜん関係ないってことです。
システムから医学の根本原理にまで遡って行かないと・・・
医聖ヒポクラテスまでね。
その根本に迫ったのが故ロバート・メンデルソン医博でしょうね。
現役医師という職業を通して、医療の現場から気づいた人なんだと思います。
それが先回ご紹介した「医者が患者をだますとき」
その中で第4章、「病院に居ると病気になる」などと
まあ、一般人が言えばふざけたヤツだとなるでしょうが、医博がいうと何となくハクがついてしまうんですね。 ハクは博か・・
ちょっと一部転載
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
病院嫌いは人間の本性
病院はまるで戦場である。 近づかないほうが身のためだ。 もし脚を踏み入れてしまったら、一人でも多くの人を救出し、一刻も早く戦場から脱出すべきだ。
高い入院費を考えれば、そのお金で世界のどんな保養地にでも行って優雅に過ごすことが出来る。 緊急治療が必要な場合を除けば、貴重な時間とお金を転地療養に費やしたほうがはるかに健康的だ。
なぜならば、病院は現代医学教の教会であり、この世で最も危険な場所のひとつだからである。
人間が家を構えて住み着くようになれば、人間があがめる神にも住む場所が必要になる。 こうして神を祭る教会や寺院が建設されるようになり、その宗教に特有の啓示もそこで行われる。
病院とは、現代医学教の神の予言の場である。 この宗教を信仰していない国々から移民をしてきた人たち、とくに高齢者は
「病院なんかに行ったら死んでしまう」と言う。 彼らには神の声が聞こえているのだろう。
子どもは豊かな感性で私たちに訴えかける。
「病院に行くのは怖いからいやだ」と。
医者を恐れる子どもの心理から学びとるものもあるはずだ。 もちろん病院の何がそんなに怖いのかときいても、子どもはそれをきちんと説明することはできない。
しかし、それは大人も同じだ。 たいていの場合、大人ですら、病院の何に恐怖を感じるのかを具体的に説明することができない。 しかも大人は自分が怖がっている事実を認めたがらない。
こうした世間のあいまいな態度につけこんで、医者は「怖いことは何もありません」と言って人びとを招き寄せる。
だが、病院には怖いことがたくさん待ち受けている。
現代医学教の教会に住んでいる神は、「死に神」なのだ。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
ところで、日本人として突起して、じゃないか!! 特記しておかなければならないのが
岡田茂吉でしょうね。
ただ突いているハクが違ったわけで、それが今では胡散臭さのひとつにされて
ちっとも注目されないで来たのですが。
言っている事はロバート・メンデルソン医博や上記の紹介本などよりも、もっともっと過激な内容でした。
医学で病気を治そうとするその行為自体がすでに病気を造り出すことになる。
なんて、これほどまで言うか!
という内容ばかりです。
まあ、霊界論とかもありまして、全部が正解かどうかは「チョット・・」と今では思うのですが、この岡田茂吉の医学論だけに絞ってみると、いま出されている「病院で殺される」的題名の本等はほとんど同質というか、「ようやく気づいたかい?」などと揶揄されるほど、徹底的に現代西洋医学批判論でしたね。
しかし、あまりにも過激すぎたのか、それとも宗教組織にしてしまった為なのか・・
いま岡田教祖逝去後の組織(教団、教会等)は大きく分裂したり、しかも・・いまでは医療拒否などトンデモナイとばかり、信者さんの多くは従順にというか、それなら止めたらと思うほど、岡田氏の医学論などそっちのけで、病院にかけ込んだり、薬を飲んだりしている・・・というウワサを聞くと
やはり、命が惜しい、これは人間の本質ですから何ら非難されることではありません。
だが、どこでどう解釈を変えたのかは知りませんが、やはり最後は病院やお薬だというのですから、それなら「岡田教祖の言うことは一部ウソがある」と言って退会すればよいのにね・・
もっとも、一部と言っても、岡田氏の論文等をあさってみると(今日見てもですが)、どうやら「医学論」が柱となっているばかりか、なかには語った言葉の中に「身内が薬を飲んだら、親子の縁を切る」とまで話しているんですから。
これほど、過激にならなくてもいいのではないかなあ?と思うほど徹底して医学批判をしている岡田氏の医学論ですが、そのまた柱となるのが「薬毒論」ですね。
この【薬毒論】こそ、岡田茂吉氏の肝心要となるもので、「医学革命の屋台骨」ですよ。
だから、これに賛同できないならサッサと止めればあ~♪
と余計なことを書いている、このボクですが。
少々、年喰ってますけど・・
でも、そういうヤツに限って、自分の事は忘れているわけですね。(自戒のことば)
今では一切の組織から見放され、いや、脱落している現在、こうして好き勝手なことを書けるわけです。
岡田氏 などとさも他人事のように平気で書けるのも堕落元信者だからですね。
ただ、脱落者として現役の信者さん方に言いたい事は
「人に依るな、法に依れ」
というお釈迦様のことばらしいですが、ある人物を非常に崇拝していながら、その人の言動を拒否している。 ならば、それは人に依存しているだけのこと。
法、すなわり真理そのものに依存するのだ。
ということで、本当に「病院で殺される」のかな?
などと腰くだけのコメントを書いて、
「それでもワシは薬を飲まない野田」と固く(いまのところ)自分に誓って、おそらく死ぬまで薬は飲まない駄郎的生活を送るわけです。
まあ、いつ逝くかは分かりませんが・・
とりあえず、腰痛が治るのを楽しみにしている今日この頃でございます。
追記
こんど、こんどう氏が出した本
医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法 2012/12/13 近藤 誠
まあ、いい加減きづけよ!
と言いつつ、先に自分が逝ってしまうかも知れないので
もう一度
ワシが生きて居る内に気づけよ!
灰よシニヤ~~(ハイよ、シルバー でもいいか)