天変地異の激化
経済の破綻
人間の病の増加
人類は果たしてどうなるのか?
そして、
ワシはどうなるんだ? (結局、これが一番心配なのね、つまりは・・)
現代は破局期だそうです。
つまり古いものは捨て去り、新しいものに生まれ変わる・・・・というこの地上の大変革期だということです。
これはずいぶんと前から言われてきた事で、今さらこんな古い話を・・・と思っていたら・・
「いまその真っ最中に入っているという」シマッタ事なんですね。
だから、いまさらジタバタしてみても・・・だけど、受け入れる心をと。
古い(20年前)本ですが・・・
いまようやく気がついた人には新鮮度があるでしょう・・か?
(ボクには新しいものでした・・ハイ¥)
先回のつづきです
松本英聖著 「宇宙と生命」より
1995年刊
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
●「全体=部分」-ホロニズム
暗闇の中にカゲロウのように不気味に浮かび上がる立体映像--、ディズニーランドのホーンテョドマンション(幽霊屋敷)を覗いた方はご存知であろう。
あれが今話題のホログラフィーだ。
従来の映像は写真でもビデオでも、全て三次元の立体像が二次元の平面写像として再現されるが、ホログラフィーでは、立体像がそのまま空間に映し出される。
このためホログラフィーでは、従来の写真と違って常識を破る奇妙な現象が見られる。
例えばそのネガ(ホログラム)にはこれまでのような画像は全く見られずバーコードのような細かい縞があるだけだが、これに特殊な光線を当てると空間に立体像を結ぶ。
さらに驚くべきことは、このホログラムを細かく千切って、その一片に光を当てると、元通りの全体像が再現される。
つまりホログラムでは「部分=全体」という、これまでの常識では考えられない関係が成り立っているわけ。
昔から東洋では「一則多、多即一」という有名な教えが伝えられてきたが、ホログラフィーがそれを実証したわけで、東洋直観哲理の素晴らしさが、これによっても分かるであろう。
ところで、ホログラムが今述べたような超常的現象を現わすのは、光が粒子、波動という二重性を兼ね備えているためで、光の粒子性(レンズの屈折性)を利用したのが従来の写真技術であり、波動性(光の干渉作用)を応用したのがホログラムなのであるーーと一応説明されている、しかしながら、この光の二重性(粒子・波動)という概念が、実は曲者なのである。
周知のように、粒子とは、一粒一粒がそれぞれ独立した非連続の存在であるが、波動は一定の振動数を以て無限に広がる連続の世界だ。
そこで、この全く相容れない性質(連続と非連続)を兼ね備えているのが光の特性である。
つまり、光はジキルとバイトの二重人格者で、あるときは粒子、あるときは波動として振る舞うわけ。
ところが厄介なことにこの光の粒子性と波動性を同時に測定することはできないため、これが現代科学の泣き所となっているのだ。
つまり光(量子)の世界においては正確な測定はできず、全ては確率的にしか言えないことである。
この原理が有名なハイゼンベルクの《不確定性原理》である。
「確かなことは言えない」ということが「確か」というのだから、実に妙な話だが、これが現代科学が到達した結論なのである。
そしてこの原理の出現によって、これまで絶対に確実とされてきた科学測定(客観的測定)の根拠が根底からぐらつき、「科学とは何か」と言うことを改めて問い直さねばならなくなった。
しかしそのためには、「不確定性原理」の壁を超える新しい理論が必要である。
実はその革新的な理論が日本の東晃史博士(国立岡崎生理学研究所)によって既に提出されていることを、付け加えておく・(巻末の著書目録参照)。
今述べたようにホログラムにおいては「部分=全体」という関係
が成り立っているが、実はこの関係は生体や社会組織にも当てはまることであって、これを″ホロン”という新しい概念で把握し「人間はホロンとしての自覚を持って生きるべきだ」と提唱したのがアーサー・ケストラー氏の「ホロニック・パス」 (ホロニズム)である。
ホロンとは、ギリシャ語のホロス(全体)とオン(部分または粒子を意味する接尾語)を組み合わせた造語で、文字通り「全体と部分」という二面性を持った存在を意味する。
例を上げよう。
例えば臓器は人体(全体)の一部だが、各臓器はそれぞれ無数の細胞(部分)からなる一つのまとまり(全体)でもある。
また細胞レベルで見ると、それは多数の細胞内小器官《部分(核やミトコンドリアなど》からなる全体であり、これらの小器官はまた高分子の有機物(蛋白質やアミノ酸など)からできた全体である(図参照) -
このように人体は《人体→←内蔵→←組織→←細胞→←小器官→←蛋白質→←分子→←原子→←素粒子……》という階層構造(ヒエラルキー)からなり、各階層はそれぞれ上位から見ると「部分」だが、下位から見ると「全体」であるという二面性を持つことが分かる。
このような二面性を持つ構成単位をケストラー氏はホロンと名付けたわけ。
そこで人体(個人)をホロンとしてみると、図のように《個人家族(血縁) →← 民族(地縁)→←人類 (種)》という縱の絆で結ばれると同時に、各階層のホロンは、共生と強調という緩やかな横糸で結ばれている。
その好例として白蟻や密蜂を採ろう。
周知のように、彼等はそれぞれの巣に帰属して集団生活を営んでいるが、一匹一匹の動きを一見すると、勝手気ままに動き廻っているように思えるが、最近の研究では、彼等は一匹だけでは生きていけないことが分かってきた。
つまり、彼等は巣という共同体(全体)の成員(ホロン)として見えざる絲で互いにしっかりと結び付けられ、仲間のホロンと共生することで初めて生きていける。
人間も同じことで、ただ人間の場合は、彼等と違って、大幅な自由度が許されているに過ぎない。
このようにホロンは機械仕掛けの歯車とは違って、それぞれがかなりの自由度(自律性と協調性)を持っているが、これは自然界の生物(ホロン)だけでなく体内の細胞(ホロン)にも共通することである。
例えば生体が外界の変化に上手く適応して体内条件を常に一定に保つ働き(恒常性維持機能)があるのは、ホロンに自由度があるためで、このようなシステムを特に自己有機体化システムと呼んでいる。
この自己有機体化システムの中心になる仕組みがフィードバック・システム(自動調節機構)である。
フィードバックとは、例えば自動温度調節装置のように、結果(温度上昇)から原因(熱源)を制御する仕組みのことだ。
普通、物事は「原因 →結果」という直線的因果律によって支配されているが、オートメの場合は、 「原因→結果→原因」というように常に結果から原因に遡るわけで、これを循環的因果律と呼ぶが、生物界はもともと循環的因果律が支配する世界である。
しかし、生物界におけるそれは、オートメとは違って単なる堂々巡りではなく、絶えず一定方向(成長→老化)に向かってスパイラル状に進行し、しかも突如として劇的変化(死の転機)を迎える。
なだらかな河の流れ(連続的変化)が、ある地点で瀧(不連続的変化)に変わるようなもの。
このような大激変をルネ・トム氏は破局と名付け、位相幾何学を駆使した独自の「カタストロフィー理論」を展開して、静的モデルにおけるカタストロフィーは七つのタイプしかないことを明らかにした。
それにしても天変地異や大恐慌などの大破局が七つあるとは--、まさに《七転八倒》の終末を暗示するかのようで不気味である。
しかし、その一方で破局は《七転八起》の産みの苦しみ--、と説く学者もいる。
同志社大の市川亀久弥教授(創造工学)が提起した「等価変換理論」がそれで、解かりやすく説明すると、こういうことだ。
ご承知のように、蝶は《卵→幼虫(芋虫)→さなぎ→蝶(羽化)→卵》という四段階の変態を経て羽化するが、この各段階は紛れもなく破局である。
しかし、それはより高次の段階に発展するためである。
そして等価変換理論によると、人類文明は一九七〇年代から破局期(蛹の最終段階)に突入。
この段階で既成文化は、ちょうど芋虫・蛹の中で完全に融解・解体し、やがて殼を破って羽化登仙するように、人類社会も最終到達段階(超人類社会の出現)に至る、というわけ。
世紀末の今、新しい文明の創造に向けて、破局と創造が同時進行しつつあるということだ。
●地球は巨大な生命体-ーガイア仮説
「地球は巨大な生き物」という理論《ガイア仮説》を膨大なデータに基づいて提唱するのはイギリスの物理学者ジム・E・ラヴロック氏。
彼はNASA(米航空宇宙局)のコンサルタントとして火星探査計画に参画し、それがガイア仮説を産みだす契機となった。
因みにガイアとはギリンヤ神話に出てくる大地の女神だ。
NASAから依頼された研究テーマは火星など惑星の大気分析結果から生命の存在を探知する方法の調査であった。
そこでまず、地球の大気分析からどの程度まで生命の存在を証明しうるか、という研究が徹底的に行なわれた。
その結果、地球の大気、気候、海水(塩分濃度)などが何十億年もの間、安定性を保っていることは、単なる物理・化学的反応だけでは説明できないため、生物との相互作用による地球の自己調節機能である、と彼は結論づけた。
そして、このような自己調節機能を持つ地球を「ガイア」と名付け、地球は巨大な生命体と見做すべきだ、と提唱したのである。
まさに仏法で説く「依正不二」 (環境と生命は一体)を科学的に裏付けたわけ。
ところで現在の生命科学では、オパーリンの生命の起源論で代表されるように「生命は地球創成期における地上ただ一回の奇跡(物理・化学的条件)によって自然発生し、それ以後は環境変化に適応したものだけが進化して今日に至った」とされている。
つまり生命は環境に支配される受動的存在である ー-という環境優位の生命観である。
図表略
これに対してガイア仮説では、今述べたように地球自体(環境)が生物との相互作用によって自己調節を営む巨大な生命体であり、全生物はホロンとしてガイア全体の生命活動に直接参加する。
つまり地球と生命は持ちつ持たれつの相互関係にあるという能動的な生命観である。
視点を変えてガイアを宇宙的観点で見ると、それは太陽系の一員としてのホロンであり、さらに銀河系→←大宇宙と無限の彼方へと夢は広がる。
そこで視点を太陽に絞ると地球(ガイア)は太陽エネルギーを原動力として地表の水が《大気(水蒸気)、海、土壌》の三者間を循環する巨大なシステムである。
因みに地表に存在する水の総量は十三億五千万立方粁、海水のそれは三万六千立方粁であるから、海水は約四万年で全部入れ替わる計算になる(大気中の水蒸気は年に四〇回入れ替わる)。
ところが、この地表の水は、全て二百万年毎に植物によって分解され、再び動・植物によって新しい水に再生されているのだ(大気圏の酸素は二千年毎、炭酸ガスは三百年毎に全て生物によって再生される)。
生命は水なしでは生きて行けないが、その水は生物によって再生されているわけで、実に見事なリサイクルーンステムと言えよう。
それだけではない。
この無機的リサイクル・システムの中で、《太陽→植物(葉緑素)→動物(血色素)→微生物→植物》という食物連鎖のネットワークによって、生態系の有機的サイクル・システムが営まれている。
まさに天(太陽)、地(大気・水・大地)人(全生物)の三位一体の生命活動である。
以上を纏めるとガイアは、天の恵み(太陽子エネルギー)を受けて、地の恵み(無機質=大気・水・大地)と生物(有機質)とが相互作用を営みつつリサイクルする巨大な自己有機体化システムであり、人類はその構成要素の一員(ホロン)に他ならない。
従って人類がホロンとしての役割と責務を自覚する時、人類の未来はひらけるであろうし、またそうしなければならない。
なぜならばガイアを構成するホロンの頂点に立つのは人類であり、それはガイアの頭脳(脳細胞)に当たるからだ。
73P
●ガイアの頭脳―-人間
この視点から壮大な未来展望を示したのはイギリスのピーター・ラッセル氏が提唱する『グローバル・ブレイン』仮説(吉福伸逸他訳・工作社刊)である。
彼は次のように説く。
生きとし生けるものは、全てガイアという巨大な生命体を構成するホロンであるが、そのピラミッドの頂点に立つのが人類であり、それはガイアの脳細胞に相当する。
かって数千万年前、猿から枝分かれした人類の脳細胞は、どんどん増え続け、その数が百億個に達した時、突如として意識に目覚めた。
ホモサピエンスの誕生である。
以来、人口の増加と共に、人類文化は発達し、ついに今日の物質文明を築き上げた。
そして今世紀半から急激な人口爆発が起こり、今や世界人口は六十億、来世紀には百億を突破することが確実になった。
これはかっての人類の脳細胞増加に対応するもので、ガイアの脳細胞である人類が百億人に達した時点で、突如、ガイアは宇宙意識に目覚め新しい宇宙文明時代が開幕する---という考え方だ。
であるとすれば、今まさに破局期であり、既成体制は音をたてて崩壊しつつある。
そして、その起爆剤となるのが、途上国の人口爆発であり、既に途上国と先進国との人口対比は八対二となり、百億の時点では、九対一となる。
まさに人口爆発こそ、来たるべき宇宙文明の到来を約束する神の祝福と言えよう。
奢れる強者は滅び貧しき弱者に栄光は輝く。
しかし、ガイアの歴史は自動進行するものではなく、人間(ホロン)の主体的活動との相互作用によって初めて進行する。
さすればこの歴史の大転換期に当たって、今なすべきことは、各自が地球ガイアの成員の一人(ホロン)であることに目覚め、その自覚と責任において、常に「天・地・人」の調和を図り、我利―我欲を慎んで、人畜と環境に害を与えない生活を営むよう心掛けることである。
今この時、一人のホロンが目覚めれば、その意識はガイアの脳細胞である全人類へと必ず波及するであろう。
ホロンは常に全体と見えざる絲で結ばれているからだ。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
芋虫ならまだしも
ウジ虫と言われたらどうしよう!
じんるいみなウジ虫(笑い
ガイア様から処分されちゃうかも(汗;