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再掲;パスツール一派の「病源説」の終焉は自然界からの報復(超耐性菌の出現)で幕を閉じるのか?

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 音声詠み上げ

 共生という生き方

先回のつづきです。

「自然界は共生との生き方で成り立っている」

という科学的根拠は限りなく出てきている。しかし、当時の思想がそれを否定したという。

 現代の世界は「共生という生き方」でないと「破滅」が待っているだけなのだ。それが経済であろうが戦争であろうが、全ての社会構造が「共生」なくして成り立たなくなっている。

ゆえに今人類は「共生」か「破滅」かを選択する時代に直面している。

すでに「敵を叩く」という思想はまさに死相なのでアール。

 病源微生物と言われる敵は実は自然界におけるお目付役のようなもので、それにやられるという事は「こちらに非がある」のであって、病源はこちらにあったのだ。

それをパスツールが晩年に漏らした(パンツじゃないぞ)「環境こそすべてである」という意味なのだ。

だが、その師の言葉を聞き漏らした(のかどうか不明だが)弟子たち(現代までの医学専門家、特に感染症研究者達ね)が「パスツール一派として世界中を席巻してしまったのだ。

そして、近代の化学の進歩発達によって魔法の弾丸(爆弾のように使われたが)抗生物質による劇的効果によって、「人類は細菌との戦争に勝利」・・・・したかのように一時は思われた。

が、そこは孫悟空のお釈迦様の掌で遊ぶが如し、救世主と思われもてはやされた抗生物質王子様は見るも無惨な姿をみせることになる。

それが超耐性菌、すべての抗生物質にも負けないというスーパーバグ!の登場であった。

さてはて、ここから人類は果たして窮地を脱することが出来るのかどうか  パパンパン!!(扇子の音)

 

いや、すでにここに居たることは数十年前から予告、警告されていたのだ。

人類が微生物に勝てる道理も無く、いずれは無残にも敗北するだろう・・・と。

 

 

「共生という生き方」より

 

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーー

 

 


 私が最終試験を受けるころまでには、伝統的な「大型生物の生物学」の世界はこのような因習を脱したように見えた。

微生物の視座から生命を眺めることで、ほぼすべての物事が方向転換したように思われたのである。


微生物は、見つけしだいあらゆる場所から駆除されるべき不具戴天の殺し屋ではなく、むしろ過去四〇億年の進化の歴史におけるきわめて重要な変革者だったのだ。

このことは、(ハーヴァード大学のアリの専門家だった有名な生物学者E・O・ウィルソンが、やり直せるならば何をしますかと尋ねられて  微生物生態学者になりたい と答えたことで、驚くべきことではないことが知られるに至った。


活動の程度や速度が微々たるものなので、微生物の生活ーー人間の歯の上で暮らしていようと、消化管内で暮らしていようと、または海の中で暮らしていようとーーはまさにベールが剥がされはじめたばかりなのである。

 
 微生物は、昆虫よりもさらに多様である。

ノルウェーのオスロ大学の細菌学者ヴィグディスートルスヴィクは、茶さじいっぱいの普通の土には遺伝的にタイプの異なるバクテリアが約一万個はいることを見出した。

もし八〇アールの耕作地からすべてのバクテリアを抽出すれば、それらを集めた目方はヒツジー○○匹よりも重いだろう。

微生物が動物界をしのぐもう一つの領域は、バクテリアの驚くべき性生活にある。


  他の生活様式とは異なり、バクテリアの異常な性行動は過去五〇年にわたって念入りに調べられてきた。


  これは、主として人間の病気の治療との関わりのためである。

性生活を除いては、バクテリアの生活様式はどちらかといえば変化に乏しい。

動物や植物の細胞は一〇〇万もの異なるタイプの細胞、たとえば花弁、眼、皮膚の細胞へと変化しうる。

これとは対照的に、バクテリアの大きさや形はほぼ一生を通じて変らない。

どれを使うにせよ哺乳動物の細胞が一生を通じて利用する遺伝子は持っている遺伝子の五ハーセットほどに過ぎないだろう。

だが、バクテリアは、ほぼつねに、大半の遺伝子を使っている。

頻繁かつ急速に複製するので、多すぎる遺伝子を持つバクテリアは複製のたびにそれらをコピーするために子不ルギーを無駄にすることになる。

そのようなバクテリアは、他のそれほど重荷を負っていない仲間にすぐに打ち負かされてしまうだろう。

微生物遺伝学者は、バクテリアには、複製サイクルとはまったく独立に、接合と呼ばれる遺伝子を注入するタイプの一種の性交渉が起こることを発見した。

この行動が、複製を待たずに、一生を通じて新たな遺伝子を取り入れることを可能にしているのである。


 ジャーナリズムは、自然界に関する一般向けの記事を書く際に、バクテリアのような目に見えない生物を描写することは難しいと感じてきた。

いまだに微生物からは身を引いて猛獣や鳥類に焦点を当てることしかせず、人間自身や生物界における人間の位置についての私たちの理解をゆがめる危険を冒している。

哺乳類に焦点を絞ることによって、進化というものは山頂、すなわち人類へ向けてやまず変化する過程であるという疑わしい概念を強めているのだ。

バクテリアは原始的な生物で、大昔に進化における革新の火を大型生物に手渡したのだという考えは、誤った方向へ導く。

バクテリアは生物の歴史における絶えざる革新の担い手なのだ。

バクテリアのいない生物学は、さまざまな力やエネルギーを欠く物理学のように不完全なものなのである。


 バクテリアは私たち人間と同等の存在なのだということを示してきた。

病気との不断の闘争がこのことを立証している。

バクテリアは大半の生物過程ーー性や光の受容から呼吸や運動までーーを編み出したばかりか、地球上のほぼすべての生物自来の化合物を作り上げてきた。

バクテリアはバクテリアを除く生物の四つの界の進化の先鋒を務めてきた。

バクテリアを利用するたびに、それがヨーグルト作りであろうと、あるいは油膜の除去であろうと、私たちは比類なく精巧だが目には見えない、四〇億年にわたる革新の成果を利用しているのである。

現代医学によって実質的に制圧された三つの病気、天然痘、ポリオ、麻疹がどれも微生物によるものではない(これら三つはウイルス病である)のに対し、現時点における最も重要な三つの死に至る病ーーマラリア、結核およびAIDSのうち二つが微生物による病気だということは何ら驚きではない。

 微生物および微生物との提携は、ツノゴケからカバに至るまで、私たちが遭遇するあらゆる生物の、起源、進化、さらには現時点における機能の基礎となっている。

人間自体に対する理解さえも、新しい微生物の視座に立ったものの見方によって大きく前進している。

今日では、庭の土を調べようと、大西洋の底を調べようと、進化や生態系の研究をするには、要となる私たちのいとこである微生物の活動を認識せずには意味をなさない。

実際、過去半世紀における最も重大な飛躍的前進-jンンビオジェネシス説、免疫確立の微生物媒介説、ガイア仮説-は、微生物の領域に隠されていた力を明らかにすることによって従来の生物学の学説に異議申し立てを行ったものだった。


 新たに発見された、微生物と微生物が関与する密接な結びつきについての知識は、科学の世界観を変質させるという好ましい結果をもたらしつつある。

続く各章では、この新たな視座から遠路はるばる(リウッドまで、地球上の生物の通史をお話しすることにする。

『スター・ウォーズファントムーメナス』では、ポッドレースと銀河系間の政治工作シーンの真っ最中にジェダイの秘密の力が「ミディ・クロリアン」との共生に由来することが明らかにされる。

ミディ・クロリアンというのは「すべての生細胞」に存在する顕微鏡でなければ見えない生物である(ジョージ・ルーカスによれば)。


 生物学においては、共生という言葉は異種生物(通常微生物を含む)問の長期にわたる親密な関係を表すのに用いられる。

このような交流はどの生命系の発展にとっても必須のものである。

水面下の火山やシロアリの塚、人間の歯の隙間のようなかけ離れた生活環境で発見された生物から見出された新たな証拠をよりどころにしながら、私は本書の中で、生きているということが成長し繁殖することであるのと同じように、仲間との絆を結ぶことでもあると主張する。


 微生物とのつながりが進化における革新の主要な手段であるという考えは、初めて提出されたのが一〇〇年以上も昔であったにも拘わらず、主流となる段階に達するためにたいへん長い年月を要した。

各章で、人身攻撃政策、技術的な遅れ、知識の完全な欠如がない交じって、一握りの先駆者の革新的な考え方を異端であるとして非難させた有様を検討するが、現在ではこの異端の説は科学史における最大の飛躍だとして誉め称えられているのである。


 一八九六年、ビアトリクス・ポターは共生説のパイオニアが遭遇する最初の障害、無知に基づく偏見に直面した。

その後まもなく童話を書き、挿絵を描くことで有名になったポターだったが、彼女はロンドンの一流の科学研究所の閉鎖的な階級性と狭量さによって生物学の世界から締め出されてしまったのである。

これらの研究所のメンバーはみな男性だったが、地衣類が一種類の生物からなるものではなく、二種類の生物が切っても切れない同盟関係を結んでいるものであるという、ポターの提出した証拠を受け入れることを拒否した。

地衣類というのは木の幹や海岸の岩、壁などの上に張りついて暮らしている奇妙なかさぶたのような生物である。

しかし、彼女の明察は、同時代人どころか彼女自身さえけっして夢想もできなかったほど広範な影響を及ぼすものだった。


 地衣類のみならず、地球上のほとんどすべての草や木の暮らしには裏があるのである。

つまり、菌類と切っても切れない関係を結んでいるのだ。

ランやオークなどは独立した個体のように見える。

しかし、実際には地下世界に広がる菌類の基底菌糸網とほぐしえないほど絡みあった連絡網を結んで暮らしているのである。

自然界の真実を求めるビアトリクス・ポターの探究が抑圧され、彼女が生物学界から隔絶された状態へと自発的に退却することを最終的に余儀なくされてから一世紀経った今日、私たちは彼女の根本的に新しい生命の見方を賞賛できるようになった。

生物相互のつながりは、単なる潜在的な争いの種というよりは、むしろ頼みとなるものでありうるのだ。

消耗の素ではなく、むしろ生命の維持に欠かせない活力の素なのである。



 パスツール自身の死後ですら、この巨人は、ヨーロッパや北米の医学関係の研究室のみか、海洋生物の進化の研究にまで広く影響を及ぼした。

動物の共生に関する最も目覚しい実例の多くが深海にひそんでいた。

しかし、この驚嘆すべき領域を探究した初期の研究者の仕事の多くは、パスツールの支持者たちによって虐げられた。

この世のものとは思われない海底の世界で、生物学者は、これまでに広範な発光動物を発見してきた。

新しい遺伝学の技法が、その光は手を結んでいるバクテリアの賜物であることを明らかにしている。

深海魚は暗黒の中での狩りのために自前の微生物によるサーチライトを持ち、タコやイカは発光共生体を捕食者からの隠れ蓑として利用したり、異性との交信のために使っているのである。


 昆虫の場合には、最新の分子生物学的手法、たとえばDNAフィンガープリント法や発光遺伝子をマーカーとする方法によって、甲虫類やチョウ、(エの仲間に対するバクテリアの広範に及ぶ影響が明らかになった。

共生細菌は性決定、食べ物の消化、巣作りなど、昆虫の暮らしのさまざまな局面に幅広く影響を及ぼしている。

遺伝分析によって、目覚しいアリの畑作りの偉業も明らかになった。

アリたちは自家受精するキノコ農場を作り上げ、持続的な収穫に努め、さまざまなお気に入りの作物を近くの仲間と交換することによって、人間が自らを養う方法を探るうえで教訓となりうるような、微生物との精妙な同盟関係を作り上げてきているのである。

研究者のなかには、地球上の昆虫の途方もない多様性を背後から支えるメカニズムを共生細菌がもたらしているということさえ、いつの日にか、明らかになるだろうと予言している人たちもいる。



 科学史の研究者たちは、「このたいへん重要な視点が認められるまでに非常に長い時間がかかったのはなぜだろう?」と首をひねってきた。

解析手段のお粗末さ、パスツール一派の頑なさ、知的怠惰さは部分的にこの問題を説明するものではある。

だがたいへん不幸なことに、共生の研究は、少々例をあげるならば二度にわたる世界大戦、ナショナリズム、反共主義といった世界規模の政治にも関わりあいを持ってしまったのである。

共生という言葉は純然たる科学用語として作られたものなのに、これに敵対する人々の心の中で、不運にも危険な政治運動と結びつけられてしまったのだ。

この分野の先駆者の大部分がフランスやドイツ、革命前のロシアのような非英語圏の人々だったことも、この考え方を後押しした。

第一次世界大戦における大虐殺、さらにはソヴィエト連邦の新たな脅威の結果、共生の研究は政治的破滅だとして科学の主流から非難されたのだった。

共生は人間性にひそむ明らかな闘争への欲望をも生物の進化のバターンをも説明することはできない、というのである。

共生は国際的に異端の課題となった。

暗黙裡の教科書検閲や、本職の科学者間のマッカーシーを思わせる魔女狩りの生贄とされたのだった。


 一九九〇年代になって、共生生物学はついに生物学界のベルリンの壁を越えて脱出した。

共生の重要性を何十年ものあいだ擁護してきた人々は、自分たちの考えが最終的に勝利を収めたことを了解した。

これは、新しい遺伝学の技術が彼らの学説を強力に支持したためばかりではなく、仲間の科学者たちが共生というものの見方に対してずっと偏見を持たなくなったためでもあった。

最近の研究は、広く認められてきた科学知識に対して、胸のときめくような異議申し立てを行った。

すべての生物が絶え問のない競争を行っているどころか、多くの生物は非常に親密に結び合っているので、どこからが一方の生物でどこからがもう一方なのかもはや見分けがつかない状態になっているように見えるのである。

林床のような変わりやすい環境では、資源を受け取る側の必要に応じて、微生物が、広い意味での彼らの家族である、種の異なる仲間に資源を供給しているように見える。


 過去数年間に共生に関する理解には突然の変化が生じた。

このことは、生物同士の連携にとって究極的な障害であった事柄が受け入れられたことを示している。

究極的な障害、それは共生説が従来の進化の学説に突きつけている挑戦状である。

伝統的な生物の進化の物語―突然変異と競争に基づく闘争によるものーーに対して持ち出されたこの学説を前に、生物学者は、生物と微生物との膨大な数の融合例と融合によって新たに生まれた統一体を理解しようと努力した。

自然界には生物同士の緊密な提携が広範に認められるという新たに見出された知識は、ダーウィ三スムの言葉に新たな専門用語をつけ加えつつある。


 私たちの仲間である微生物が果たす重要な役割を認めるこの生命のモデルは、二十一世紀の科学に新たな手段をもたらしている。

このモデルは、生物に対する全体論と還元主義的見解のあいだの緊張や、成長過程における生まれと育ちの役割、さらには個人と共同体の相対的重要性の問題を解きほぐす助けとなるのである。

 生物科学においても、日常生活においても、私たちは、手つかずの自然と人手の加わった自然をもっと完全に理解し、それに基づいて地球と新しい関係を築いてゆく揺籃期にある。

この新しいものの見方は、すべての生命体において微生物の果たす中心的な役割や人間が微生物と逃れがたく結ばれていること、周囲の生物や他の仲間と交渉を保つことの重要性を認識させてくれる。

共生が科学の周辺的な位置にとどまっていた一〇〇年は過ぎ、微生物の立場から生命を見るという根本的に新しい方法が復活を要求している。

本書は、今後、私たちがどのようにすれば新たな同盟関係を構築できるかを示唆するものである。


ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 追記 2016/02/22  パスツールの遺言 

 

 

ね。

ここまで来るに100年も経ったというし、もうそろそろパスツール一派も引退まじかね。

それにもう細菌との闘いは「人類側の敗北」は既に決定したんだね。

それに逆らえば超耐性菌の報復が待っているだけ。

彼らとの同盟(共生)を選ぶしか「選択肢」は無いわけ。  選ぶのはひとつ。

ただ「滅びの道」も残されているから、それは自由なのが人間の特権だけど・・

 

細菌の役割は「いいものを育て、わるいものを片付ける」

となると、ぼくたちおんなのこ~~~~♪   じゃない!  ぼくたちいいこ~~~~♪

いいこ?

そう、パスツール爺の残したことば「環境がすべて」なのね。

まあ、ひとさまに言えるほどボクもたいしたことないけど・・・・

むやみやたらに血液を汚さない、できるだけきれいにする

 

簡単なんだけどね~~いうはやすしきよし~~おこなうは難し~~

 

穴かしこ

 

 

 


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