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Channel: わたしんちの医学革命と雑多な情報
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脳の科学ーー脳が先か、意識が先か 生命の根源とは?

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段々とむずがゆくなってきた「生命の根源に迫る」論

 

 こんどは意識の問題です。

現代医学は唯物科学で進歩した科学でしょうから、脳が先で意識はあと。

となるでしょうね。(意識は物質ではないですからね。感情なども物じゃないし)

ところが、スピリチュアルの世界では当然のこと、意識が先ですね。

脳はあと。

それどころか、脳も含めあらゆる物質世界は実は夢のような非実在物だという。

これには驚きますね。試しにほっぺをつねってみました。

あ、痛くない!! やっぱり・・・夢?

途端に隣から

「イテテテェ~~~! なにすんだ!」

という叫び声が・・・

 

なんだ、やはりこの物質世界は夢なんかじゃ無い!と思ったのですが・

どうも最先端の量子物理学では物質というのはスカスカの空間みたいなもので、実体が無いのだという話も伝わってきますし・・・

どうなってんだろう? 夢にしては現実感が超リアルだし、それじゃあ、病気はどうなるんだ!

痛いし苦しいし、とっても夢なんかには思えないぞ!

 

と考えている事自体・・・さて? 脳が考えているのか、意識が先に考えているのか?

それにしても、意識って何なんだ。影も形もないじゃないか。

意識を出して見せて見ろ! 

たってねえ~~~

 

DNAは情報が満載だというけれど、じゃあ、その情報って一体なんなんだ?

これも不思議というか、謎というか、DNAは確かに物質としてある。だが、情報は無い(というか、情報そのものを取り出して見ることは出来ないようでし)

さらに、脳死が先か、心臓死が先か?

なんて事も言われて、もうワタシなんぞパニックだ。

考えるな、感じるんだ!

などと言われて久しいが、だいいち考えるのは脳なのか、それとも意識なのかさえ分からず、感じるってのも脳が感じるのか、意識が観じているのか?

あ、久しぶりにまえがきが長く書けた♪

 

まだあるんですよ、細胞が先か、血液が先か・・とね。


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

248P
    (4) 脳の科学ーー脳が先か、意識が先か

 二十一世紀は「脳の時代」と言われていますが、今以て「脳と意識」の関係は五里霧中です。
端的に申せば「脳が先か、意識が先か」という問題です。
そして今の医学は「脳が先で、意識は後」と一方的に決め付けております。
「最初に脳ありき」ということで、これは「最初にDNA(細胞)ありき」という考え方と同一線上にあるもので、現に目に見えるものから出発するわけで、意識とか生命とか目に見えないものは無視するやり方です。
結果結果、何が起きているかとい言うと、ご存知のように脳死の問題です。
これは大変な問題を提起しているわけです。
今テレビでも盛んにやっていますから皆さんも注目されているでしょうけれども、あれは脳波が止まったら理論的に死んだと判定するのです。
しかし、この段階では心臓は動いていますし、血も流れています。
仮に人工受精したら子供を産む能力も持っているわけでして、もし子供が生まれたとしたら、その子は死人から生まれた子供になるわけです。
こういう状況の中で、脳死判定と臓器摘出にどう歯止めを掛けていけば良いのか。
少なくとも先進諸外国、特にキリスト教圏では健常時に予め表明した個人の自由音笠心を尊重するという方向で制度化が進められていますが、日本の宗教界は沈黙したままで、全くダラシがないと思います。

 次に生命が、どの時点で始まるかということに対しても、カトリックははっきりと《受胎の瞬間》であると定義しています。
日本は昭和二十三年に優生保護法という世界でも珍しい悪法によって中絶を合法化していますが、この根拠になっているのは、妊娠二十二週目(欧米では十二週間)迄は人間として認めないという考え方です。
カトリックは受胎の瞬間から人間と認めるので中絶には絶対反対ですが、イスラム世界もそうです。
つまり神の創造説を信じている国々では中絶はあり得ないのです。
今アメリカでは、最高裁のメンバーが変わって中絶禁止の動きが高まっています。
日本は今なお中絶を平気でやっていますが、昭和二十三年という戦後の極度の食糧不足の状況の下では、宗教的には兎も角としまして、政治論的には緊急避難的に止むをえなかった事情もありましょうから、一概に是非を論じることは出来ません。
けれども現在のように世界一の経済大国になり、贅沢三昧な生活をしながら、フリー・セックスの後始末として社会的・経済的理由だけで中絶をする自由は果たして許されるのでしょうか。
大体、二十二週未満は人間ではない、という考え方自体が可笑しいわけで、これでは生命の尊厳も庇ったくれもありません。
マザー・テレサは《中絶は平和の敵》と呼んでいますが、中絶は人殺しだということを日本人は真剣に考える時でしょう。
女性に「産む・産まないの選択権」があるならば、胎児には「産まれる権利」がある筈です。
しかも胎児はものも言えず、全く無抵抗です。
この弱者の権利を強者が保護することこそ最も必要なことです。

 私は汎神論的な東洋的直観哲理を実に素晴らしいと思っておりますけれども、こうした問題に対しては歯止めが全然付けられません。
仏教また然りです。
この意味で頼りになるのはやはりクリスチャンの方々と存じます。
もともと近代医学はキリスト教を土台にして発展したわけですから、その医学が中絶と脳死判定という人生の始期と終期にかかわる技術を可能にした以上、生と死を分ける時間の定義を明かにする必要があると思います。

 それから最近は、前世療法だとか臨死体験、あるいは幽体離脱等、見えない世界のことが盛んにテレビ等でも放映されるようになって参りました。
この前、私が読んだ本の中で、キリスト教でも大体七世紀頃までは前世の存在を信じていたと言うことです。
真偽の程は私には分かりませんが、その本では七世紀頃から、前世や来世等は無い、ということになったようです。
仏教では昔から輪廻転生を説いていますから、我々の頭の中には生き変わり、死に変わるという死生観が根付いています。
何れにしましても、生命は時間の流れですから、前世も有れば来世も有ると考えて少しも可笑しくないわけですが、そのためには個体の生と死の転機を含めて、生命と時間の関係をハッキリさせて置く必要があり、この点を科学的に明確にしない限り、中絶論争も脳死問題も真の解決はあり得ないと思います。


ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

松本先生も「いったいどうなってんだ!」とお怒りのご様子でしたね。

 

ところで、あの世では胎児になるひとが親を選んでくるそうですね。
だから「親は子を選べず、子は親を選ぶ」という事だそうですから、
親に

{ドウシテ、ワタシを産んだのよ~!」
という叫びは無効になりますね。

 

それにしても脳の能力の違いというのは厳然としてありますからねえ。

でも、オマエの脳とは違う  と言われたって、どこがどう違うのか・・
意識はちゃんとあっても脳が働かないという風になっているのかな?

考えてみたが、

やっぱり考えるより感じるんだ・・・・・・な¥

 

心臓が先か脳が先か?

脳死が人の死だとすれば、胸によく手を当てて考える・・・という標語は通用しなくなりますね。

胸に手を当てて、ようく考えるんだ  →  頭に手を当てて、ようく考えるんだ

胸騒ぎがする  →  頭(脳)騒ぎがする

胸くそが悪い →  頭(脳)くそが悪い

いろいろ考えているんだが・・・・

 

考えるなって!

 

 

 


日本人の高血圧患者、5500万人に贈る言葉「ほっとくのが一番」

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高血圧はほっとくのが一番

前にもご紹介した本ですが、

日本人の高血圧症患者はナント  5500万人!

そして、成人のうち27.5%が降圧剤を飲んでいるという。

 なんとオロオロ (・_・ )( ・_・) オロオロ いや、愚かな・・・

と思うのは極少数。

だが、アナタはその一人の入っているかも知れない。

しかも、何の疑問も無しに

ただこのセリフに惑わされているのではないだろうか?

 

タケシの番組じゃないが

アナタ放っておくと大変な事になりますよ!

と。

 

だが、この本を読むと・・・・

ほっとけ、ほっとけ、さあさあほっとけ♪ (唄かい!)

高血圧はほっといた方が安全だというのですからね、アナタ。

 

その詳しい内容、どうしてそうなのか?などは本を買ってください。

安いぞ、安いぞ~~たったの840円。 ゼイ抜き

え、それでも買わん~~~?
ええ~~い、タダだ~~タダ。

あ、お客さん、

タダはタダでもオイラの名前なのね

ちゃんと払ってチョウダイ♪

 

それでも絶対買わないという傲慢を通り越して餡饅になったひとへ

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

第一章 「高血圧症」という名の詐欺商法



14P
       8年間で50も下がった基準値

 高血圧の基準値は、たった8年で50も下がっているL。これを聞くと、多くの人は耳を疑うのではないか。
 私は大げさに言っているわけでも、ウソをついているわけでもない。
 2000年までの基準値は、実質、上180mHgだった。それがどんどん下がり、2008年には130になっているのだ。
 今は、130を超えると、その人は「高血圧症」と判断される。「病人」として、医者に生活上の指導を受け、降圧剤(血圧を下げる薬)を処方されるのだ。
 なぜ短期間に、これほど大きく下げられたのだろう? 2000年前後に、高血圧のリスクを説く画期的なエビデンス (科学的根拠) が得られたのだろうか? そのような研究を、私は寡聞にして知らない。むしろ、高血圧の通説に疑問を投げかける研究が、数多く発表されている。にもかかわらず、基準値はどんどん下がっているのだ。どう考えても、これはおかしい。

表  高血圧基準値の変遷と患者数の増加  (「国.民健康・栄養調査」等により作成) 

基準値を下げることは、いうまでもなく患者を増やすことである。基準値を上160から140にするとは、150で 「正常」だった人が、突然「異常」 になるということだ。


 基準値は10下げれば、新たに1000万人の 「患者」が生まれる。
 1980年代後半は230万人ほどしかいなかった 「高血圧症」が、今では5500万人に増えている。なんと、20倍以上の増加率である。


 そして2011年の国民健康・栄養調査では、成人のうち27・5%、4人に1人が降圧剤を飲んでいる。


「患者」を増やせば、降圧剤の売り上げが伸びるのは、当然である。基準値の操作は製薬会社にとって、大金を生む打ち出の小槌なのだ。


 私たちは、明らかに不必要な血圧の薬を大量に飲まされている。いつの間にか基準値を下げられ、誘導されているのだ。


 私は「高血圧症」とは、降圧剤を多く飲ませるための詐欺商法だと考える。それも国家的規模の壮大さだ。


 やり口がまた、悪辣である。

「血圧が高いと、脳卒中や心臓病を起こしゃすくなる。高血圧は、自覚症状がないのが特徴だ。小まめに血圧を計り、できるだけ下げなければならない。放っておくと、大変なことになる」 医療関係者は口を揃えてこう言い、一般人を丸め込もうとする。


 しかし、これはいかにも詐欺師の話術であり、立派な恫喝だ。


 カラクリは、あきれるほど単純である。人知れずソーッと基準値を下げること。それだけで製薬会社は、濡れ手で粟なのだ。


 遠からず基準値は、今の130から120になるだろう。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 降圧剤データの改竄事件もあったことだし、そろそろ気づいてもよさそうなのに、

相変わらず呑気に降圧剤を飲み続けている、「なんの疑いも疑問も不審も脳も持たない」(言い過ぎだ)人たちが居るというから、もうなんと申し上げようか・・・・

えええ~~~い!

一切黙ってよ!

 

それが出来ない恥けっちょの性格だからねえ。

自分だけ知っているという自慢呼気が鼻に悪臭としてかかるのだが・・

戦時中にそれが起こっていた。

だれも考えようとしなかった・・・

そんなことお上の言うことに黙って付いて行くだけでイイ野田!!と。

そして、たまにきず、ならぬ、違うことを言い始めると、
途端に全日本愛国婦人連合(そんなのあったか)の、ようするにご近所仲間の婦人たちがそろって押し寄せて、「アナタ何言ってんの!非国民!!」とさんざんののしられるのがオチ。

それくらいならまだしも、どうやら気に入らないので、「特高や憲兵」に密告されるという憂き目にあったらしい。

さて、その特高とか憲兵さん達・・・戦後どうしたのかな?

いっぺんに消えてしまったのかな?
いや、天皇陛下のお言葉を聞いた途端、「やっぱ、民主主義だ~。最初からワシは常々考えていたんじゃ~」とか、転校生、じゃない、転向性丸出しではなかったの駄郎か?

「じゃあ、なぜ早く言わなかったんだ?」
などという愚問に
「やっぱ、特高や憲兵が怖かったしぃ~~」とか
オマエがそうじゃないか!

「いえ、それもこれも国民が一番怖かったシィ~~~」

なに?

「はい、ニッポンコクミン一億《何も考えない》お上追従ニンゲンバッカりでしたからぁ~~♪」

と、もうこうなりゃ、イッパンコクミンも特高警察や憲兵隊などに負けてはおれん。
やっぱ、わしらも鼻からそう思っていたんだ。うん。

怖い特高や憲兵がいたから黙っておったんじゃ。うん。

妙に納得顔で言うから、みんなが「そうだ、そうだ」となってシマッタ。

その妙な反省無しが今日も続く「お上のお達し」(権威筋ベッタリ)好きな国民となっているの駄郎・・・か?

その証(あかし)が、血圧基準値が下がれば・・・いちいち納得するから

いつの間にか、55000万人もの高血圧患者とされても、ちっとも疑問ももたず、金だけもっているから、血圧降下剤にすぐ飛びつく。

かくして成人(心ではない、身体だけの成人ね)の27%あまりも降圧剤を飲んでいる。

 

悪いか!

いえ、好きで飲んでいるなら止めやしません。それが自由選択というきほんてき人権ですから。 

「あ、その先に行くと落とし穴があるよ」

「ああ、そうかい・・・」と平気で歩いて行く人をワタシは抑えつけて止めるなどという野暮はしませんから。

ただねえ。その裏側のカラクリを知って、またその奥の高血圧のホントの原因とか原理を知ってからでも「落とし穴に落ちる」こともイイのでは?

なんて、余計な事をつい言ってしまう、アホな性格なんですよ。マッタク。

友人が直ぐ口に出す言葉

「オレに強制するな!オレは人に強制されるのが一番イヤなのだ!」

と。別に抑えつけてやらせるわけでもないのに、「これ美味いから食べろよ」なんてFriend気分で言うものなら、絶対受け付けないのです。
だから、もう神経使いすぎて、

「これ喰うな、まずいぞ」と反対に言うと。

「あ、そう」

で喰わないんです~~~♪

 

人は自分で信じた事を他人からとやかく言われるのが一番嫌いなのだ。

そう、自分で納得しない内はそれが言葉であろうが文字であろうが、見たくもない聞きたくも無いのでした・・・・

ゆえに、あとになって

「知らなかった」とか  「教えてくれなかった」 とかは

決して言わないでください。

本当に知りたいことはどこからでも入ってきているのです。それを選んでいるのは自分なので、意識してもしなくても「シャッター」は自前のシャッターなんですね。

 

お、オレのシャッターどうした?

はは、オマエのは錆び付いて動かないぞ w¥w

 

 

 

 

 

どうして敗戦を認めないの? だって・・ (米医学大本営より)

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くれぐれも日本の話じゃ無いってことね。

アメリカですよ。

その点、日本は素晴らしい!世界一の医療大国ですからねえ~♪

 

 

あのロバート・メンデルソン医博著

患者が医者にだまされたいとき

じゃないな!

「医者が患者をだますとき」はホント、小気味よい文で綴っていますねえ。

ボクもあれほど書けたらなあと思いつつ、

オマエのくだらんまえがきはイラン!なんて、励ましのお言葉で一瞬奮起するのですが・・・

どうも文才が無い分際でして。 小気味が悪いなんてね。

 

では小気味よい文才満帆の引用を

  ご注意 これはアメリカの古いの本ですからね。日本は違いますよ~~タブン??

 

ーーーーーーー第8章 予防医学という名の魔物ーーー以下一部引用ーーーーーーー

病院の倒産を予防する医学


 最近知人の医者からこんな手紙をもらった。


 「人びとに希望を与え、誰もが安心して暮らせる世の中を作るために、医者だからこそ出来ることは何だろうか?」


 私はこう返事をした。

 


 「医者を辞めることだね」



 治療医学のひどさはこれまで見てきたとおりだが、いわゆる予防医学なるものもそれに劣らずひどい。

 現代医学が人びとの生き方を管理しようとするとき、予防医学は格好の口実に使われてきた。 実は予防医学こそ現代医学が生み出した巨大な魔物なのだ。

 政府を含め権力欲の強い組織が、問題を未然に防ぐという名目でやりたい放題のことをしていることは周知の事実だ。

 医学界はもっとあざとい。

 例えば、 国防総省は国民を敵から守るという名目で、毎年莫大な防衛費を使っている。 その大半は無駄遣いだが、国防総省は防衛費の一部が有効に使われている証とし て「敵が周囲にいないのは多額の防衛費のおかげだ」と主張する。


 だが、医学界は同様の主張をすることはできない。 

「病人が周囲にいないのは莫大な医療費のおかげだ」とは到底いえないからだ。 

それどころか、医療費が高騰するにつれて、病人がますます増えているのが現状だ。


 アメリカは国民皆保険制度がない国だがこの制度を導入してもあまり期待はできない。 

それどころか、もし導入すれば、最も危険な決定のひとつになる恐れ がある。 

たとえ無料で医療が受けられるようになったところで、病気や障害はますます増えると予想されるからだ。

 そもそも、すでに有り余っているものをこれ以上増やしてなんの役に立つかはなはだ疑問である。

 現代医学は人びとが医療と健康管理を同一視するよう巧み に働きかけてきた。

 だが、医療を健康管理と同一視すると、人びとの健康を蝕み、家族を崩壊させ、地域と世の中を破壊する恐れがある。

 

  (中略)

いま望まれる医学

 
 高齢者の対する差別は、呪いをかけることから始まる。

 年齢と共に才能や能力が衰え、社会の一員として役に立たなくなると思い込ませるのだ。

 医者に呪いの言葉をかけられた高齢者は、家族から隔離され、老人ホームに監禁される。


 もちろん現代医学の究極の目標は、全ての人々を監禁することである。

 医者はあらゆる機会を利用して、人々に無意味な儀式を受けさせようとする危険な傾 向がある。 

新しい医療処置が次々に法制化されてゆくのは、医者が個人に対してさらに強大な権力を行使したいからだ。

 たとえば、誰かが自宅で出産し、母 乳で育てようとすると、医者が抵抗するのは、そういうわけである。



 医学界は「予防医学」という言葉を使って世間を巧妙にだました。 予防医学と他の医学を区別することによって、予防医学が病気を未然に防げるかのような錯覚を人びとに抱かせることに成功したのだ。


 現代医学が推進している医学を「予防医学」と呼ぶなら、そう呼ばせておけばいい。

 私たちが実践する自主的な健康管理は、予防医学と呼ばないようにすれ ばいいのだ。

 現代医学が「母乳栄養は子どもの依存心を高めることになる」と主張するのなら、母乳で育てて子どもの依存心を高めることに努めよう。 

純粋 な食べ物にこだわることで変人と呼ばれるなら、自ら変人を名乗ろう。


 現代医学は正統でない医者に「藪医者」の烙印を押す。

 それなら今、最も必要とされるのは多くのやぶ医者である。 


大切なのは言葉ではなく行動だ。 それも、現代医学教を打破する行動である。



 アメリカには、がんや心臓病のような重い病気の予防を目指している優秀な研究者が何百人といる。 

だが、その研究方法が現代医学から見て正統でないために、医学界から追放されないように細々と研究しているのが実情だ。



 ノーベル化学賞と平和賞を受賞したライナス・ポーリング博士が、その典型的な例だ。

 ビタミンCががん患者に有効であることを研究によって解明したが、それを確認するために国立がん研究所に資金以来をしに行ったところ、門前払いを食らったのだ。

 私の知り合いの数人の医者は「自分や自分の家族ががんになれば、現代医学で認可されていないがん治療に頼るつもりだ」と言っている。 

医者自身が信頼していない治療法で、どうやって人びとの健康を保証できるのだろうか。



 人びとは現代医学と手を切ったほうがいい。

 そのためには、現代医学の呪縛から自らを解放する決意、健康と病気に対する社会全体の取り組み方を新たに模索する知恵、勇気、戦略を持つネットワークの構築が必要になる。

 
 いま、切に望まれるのは何か。

 それは現代医学とは違う視点に立つ新しい医学である。

ーーーーーーーーーーー以上ーーーーー

まあ、これはアメリカの話ですので・・・

日本は違うでしょうね。


もうひとつのご注意

医者や製薬メーカー、国の省庁やら増す目で矢などと怨んでも詮無し缶ビール。

じつは「騙されたい患者(ワタシ達)が創り上げたのが、こういうイヤな役割の役」なんですから。


解決法?


実に簡単♪

メンデル寸博士も言っているでしょ。

「病院に近づくな」と。


要するに、君子危うきに近寄らず

キミコじゃないですよ、朱美ならイイか? って!


どんなに「美味しいよ~~~」と声かけられたって、
「そんなのイラン」と言われてしまえば詮無し。


栓どころか伝家の宝刀(お薬、注射、手術等)もふぬけ同様。

しかし、

そこには覚悟が居る。

果たして「現代医療を受けないで我慢できるかな?」(笑


まあ、「我慢する」ようではダメですねえ。

我慢というのは無理しているわけだから。


自然にそれが出来るまでは知識を得るしか無いでしょうね。

納得できない行為は無理したって腰砕けになりますし。


この引用記事を読んで、小気味よい♪ などと思うほど

あなたも変人になれるかどうか・・(笑


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

人びとは現代医学と手を切ったほうがいい。

 そのためには、現代医学の呪縛から自らを解放する決意、健康と病気に対する社会全体の取り組み方を新たに模索する知恵、勇気、戦略を持つネットワークの構築が必要になる。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


 究極は「変人」ですからね。

悪くすると、異端児とか反逆者とか、革命科とか・・

独りでいると、変人だけど、多くなると改革派とかね。

まあ、あまり群れても蒸れすぎるとね。

でも、最近は蒸れないムーミンパンツなどもあるようだから。

モノは使いよう。





「医者でもないのに」という平凡な基準に、プロでもアマでも無い大きな基準点があるから選択できる

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よく

「医者でもないのに」と言われたり、自分でもそう言うひとがいる。

でも、医者が神さまのごとく専門知識満載だと思っているからだろうが、ボクにとっては医師とは「現代医学の知識を丸呑みするからこそ医者となれる」であって、そこには現代医学が「すべて正しい」という前提が「絶対条件」としてあるのだ。

(絶対に正しいなどとは決して無いのだが・・・・医学上、過去の正統は明日の異端になっている事実から、コロコロ変わっているのが医学の定説)

 

ボクはその絶対条件「現代医学はすべて正しい」という条件を外しているから、「医者でもないのに」という言葉は無効である。

だが、決して医師よりも知識が豊富とかいうことではない。

身体の構造とか病気の種類とか、クスリの名前や種類(1万8千種もあるから絶望的だが)とか、そういう知識はほとんどど素人なのだ。

だが、平気で現代医学の取捨選択が出来る。
いや、出来ると思っている。

その理由(わけ)は

ただ、基準点というか視点がまったく異なるからなのだ。
ヘタすると180度異なる場合が多い。

そうなると、いくら専門家であろうが、いくら詳細な研究結果であろうが、基準点が異なっているものは直ぐ「変だ」と感じるのだ。

まあ、プロはプロの知識があり、積み上げた資料も莫大なものになるだろうから、それはそれで役立つのだが、それをすべてに当てはめるということはマチガイになると思っている。

それは「基準点」「視点」が異なるからだ。

 

それについては何度も書いたし、他の記事で分かり過ぎるほど、くどく書いてあるのだが。

しかし、普通の人はそのようなど素人の言うことなど見向きもしない。ゆえに持ち出してくるのがやっぱり「権威」のあるひととか、「専門家」の記事をもってくるわけだ。

それも「自分の基準に合うようなもの」 「視点が合っている」というような「よいとこ取り情報」なのである。

プロでもアマでも同じ視点であれが、「同じ土俵」なのだから、当然「プロの方が上」になってしまう。だからアマはプロの意見を無批判に聞いてしまうし、受け入れるんだ。

だが、「別の視点」でいると「別の土俵」だから、勝負(別に戦うのではないが)は「プロとかアマの違いは無視される」のである。

確かにプロの方がずっと上位には違いないが、視点が違うと全然勝負にもならない事が多い。むしろ何も知らないアマの方が全体が見える場合もあるのだ。

そこが、「医者でもないのに・・」 (ナニをぬかすか!)という平凡な意識が介入できないという理屈なのだ。

が・・・・

そう簡単にはいかない。

プロはプロの土俵があり、アマはアマの土俵がある。

おなじ土俵に登れば当然、プロ(横綱、大関)には敵わない(知識において)。

が、視点が違うから別の土俵上では(序の口でも)、横綱だろうが大関だろうがたいした問題ではない。(おお、そこまで言うか)

何故かというと、自分に当てはめてその医療を受けるかどうかを決められるからだ。

自分の身体を考えてみて、これは要らん、これは要る・・・イカにも直感的だが、それは基準点、視点がハッキリとしているから出来ることなのだ。

 

いま医学でも基礎となる生物学でも、かなり進歩している。だが、それはどうしても細分化して行くと同義語だろう。

細分化してゆく専門分野。それがプロの実体である。
そうなると、いつかは全体から離れて個々の微細な研究になってゆく。

そして、個々の研究ではプロでも全体のアマに陥るのだ。

よく会話で聞くが

「ワタシは○○の専門ですので、●○の事は別の専門のセンセーに聞いてください」

とか。

事実、専門以外はよく知らないというプロのアマチュア版が出来上がるのだ。
それほど、細分化した専門分野で確立したという「科学」が本当に「全体の科学」になるのか?というと、群盲、象をなでる・・如し、「個々の科学」は正しくとも、「全体の科学」にはならない・・・方が多いだろう。

それが現代医学、現代生物学が進歩してもいっこうに病気が解決できない原因の一つだとおもう。

むしろ、進歩すればするほど、全体から離れてしまう現象が起こっていると思う。

そこにはプロ集団があるのだが、微に入り細に入り研究しつくしてはいるが、その分野だけのプロであって、全体としてはアマになってしまう。

そのアマに対して、もともとアマの一般人が視点を変えて見たら、案外アマの方が的を得ている事が多いのかも知れないのだ。

それがアマの強みでもあるが、プロ中のプロも居るからそれには敵わない。

プロ中のプロとは、個々のプロでも有り、全体を見渡せる(俯瞰するとも言うのかな)プロでもある。

その様なプロを捜し当てるのも、アマの特権であり能力であるから、たとえアマでもその点だけはプロなのだ。

なんだか分かりそうで分からない話だった・・・菜。

 

 

21世紀の健康と生命の確立の為には

  「プロだけに任しておけない。これからはアマにも聞け」 

 

 参考にどうぞ(勝手にリンクさせて戴きました)

 

笠谷哲郎の仕事道・男塾
第61回「大往生したけりゃ医学知識を持て」

 

2014-07-21第94回・第95回「薬、止めませんか 」

 

第66回「無明なる現代的末期医療への一撃」2013-08-18

 

 

大昔から本当の薬と言うものは無かった

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不老長寿の薬

なんと魅惑的なものなんでしょう!  秦の始皇帝が東の蓬莱島に行けばある・・と徐福に行かせたというが・・・・そんなモノは見つかったのでしょうか?

いや、薬などと言うものは本当は無い。 むしろ浮浪は、いや、不老長寿は薬の無い国のひとだった・・・・・

昔から、これこそ不老長寿の妙薬だなどと、時の王様や皇帝が飲んでいたという薬。
これが現代人がみたらナント愚かな! と言えるシロモノだったそうな。

そして、現代人はもう少し未来になって「なんと21世紀までの人間はオロ愚かな!あんなモノで病を治したり健康になろうとしていたんだ!!  アッハッハハア~~」などと、囃し立てられ、入る穴も無しで・・・(ちゃんと骨壺に収まったのかい?)

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

薬の常識はウソだらけ  三好基晴著(チャンと医学博士ですよ)

 

序章  薬は毒である


      薬は毒をもって毒を制す。
 稲作など農耕技術がなかった時代の昔、人は野生の木の実や葉物を食べたり動物や魚を獲って食べたりしていました。
 天然の物でも毒物を有している食べ物があります。どういう物を食べれば腹痛やしびれなどの中毒症状にみまわれるか、長年の経験で毒物の知識を得て、また、日常生活で発熱したり痛みが生じればどういう草を食べれば症状が改善されるか、ケガをして出血した時はどういう草を患部に塗れば止血できるかなど、長年の経験で薬草の知識を得たことでしょう。
 そして、人間の生命にかかわる重要な毒物、また薬物の知識を仲間や子孫に伝える必要が生じてきました。


 現在のイラク周辺になる中央アジアのチグリス川とユーフラテス川の流域にシュメール人によって古代メソポタミア文明は築かれました。紀元前2000年以上前の粘土板にはくさび形文字が刻まれていました。
 その文字を解読すると250種類以上の薬草などの植物性薬、180種類以上の内臓などの動物性薬、120種類以上の薬石などの鉱物性薬の記録がありました。


 ナイル川流域にエジプト文明は築かれました。紀元前1552年に紙であるパピルスに書かれたものと思われる幅30m、長さ20mにも及ぶ巻物には、約700種類の植物性薬、動物性薬、鉱物性薬が書かれていました。


 あくまでも推測ですが、人類は毒物や薬物の記録を仲間や子孫に残すために文字や紙などの記録媒体を発明したのではないかと思えます。
 注目されるのは、薬物と毒物は完全に別々のグループに分けられているのではなく、同じものが薬物ともなり、毒物ともなっていることです。


 同じ薬草でも、量が少なければ薬物として働き、量が多ければ毒物となります。例えば、毒物として有名なトリカブトも少量では鎮痛剤、リュウマチ剤、強心剤としての漢方薬になります。

 そのため、昔人は「毒は薬なり」とか「薬は毒をもって毒を制す」という言葉を残しています。現在の薬理学の教科書にも「副作用のない薬はない」と明記してあります。「薬」という文字は草冠に楽と書きます。病気の症状を楽にしてくれる草ということです。楽にはなっても病気そのものが治るわけではありません。薬は毒であることの認識が必要です。



16P
    不老長寿の薬は毒物であった


 昔の時の権力者は、今とは違って絶大なる権力を持っていました。そういう権力者の多くは不老長寿の薬を求めていたようです。


 中国の唐の時代の皇帝たちは、丹薬という薬が不老長寿の妙薬であると信じて服用していました。


 丹薬とは硫化第二水銀でした。硫化第二水銀は400℃で焼くと水銀と硫黄に分離します。その水銀を300℃に加熱し酸化すると酸化第二水銀になります。酸化第二水銀をまた400℃で焼くと水銀と酸素に分離し、この水銀が硫黄と反応すると硫化第二水銀にもどります。


 当時は、薬草のような薬では燃えてしまえば灰になってしまいますが、丹薬のような鉱物の重金属は反応を繰り返しながら元の物質にもどるため、鉱物としての生命が途絶えることがないとのことで不老長寿の効果があると信じられていました。


 この時代の皇帝たちの中にはミイラが発見されており、遺体を分析すると高濃度の水銀が検出されており水銀中毒が原因で亡くなっていたようです。


 どんなに医学が発達しようが不老長寿の妙薬など出来るはずがありません。これは天地の法則です。現代では一般の人でもアンチエイジングと称してさまざまなサプリメントや健康食品を追い求めていますが、唐の皇帝たちと同じような運命をたどることになるでしょう。


17P
    大衆薬でも副作用死 
  医薬品の副作用による病院での死亡例のほかに、少ないですが薬局で買える大衆薬の副作用による死亡例も年間数例あります。その薬はかぜ薬、発毛剤、鼻炎剤、漢方薬などです。


 ただし、数例といっても医療機関や薬局が厚生労働省に報告した件数です。よって、実際にはこの何倍あるかわかりません。


 厚生労働省は、法律を改正して大衆薬をコンビニでも販売出来るようにしています。こんな悪法が成立したら、薬による副作用死がさらに増えるでしょう。


 また、コンビニでも現在売られているビタミン剤やミネラル剤などのサプリメントや、栄養ドリンクや健康食品にも副作用はあります。

薬剤や漢方薬や健康食品などで症状を抑えることが出来ても、病気そのものを治すことは出来ません。

 

モノでは病気は治らないのです。病気には、自分自身の持っている自然治癒力で治る病気が多いのです。

 

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

イカは好き、じゃない医科は嫌い、でもない、以下は添え物ですから読まないでください。

 

古今東西、病気を治す薬という物は無かった。

などと言うと、 ナニイッテンダ!  とどやされるでしょうが・・・

岡田茂吉は「本来薬と言うものは無い、しいて言えば米の飯くらいだ」と言いました。

もっとも米を主食とする地域の事ですが、その他の国ではその地域で一番安定して採れる作物を主食としていたんで、その食べ物のことになると思います。

 

でわ・・(では)、薬と言うものは一体何なんだ!

となりますから、

「はい、毒です。」と答が返ってきます。

さて、その毒がどうして病を治してきたんだろうか?

もちろん、ある種の毒は使い方次第で薬になるからさ。

と、まあ答えられてお仕舞いになるところですが・・

 

ところが、岡田茂吉は「薬という名の毒は、病を治しているんじゃ無い、苦痛症状を緩和させたり、停止させるのである。」

と。

それでもイイじゃん♪  緩和させる==楽になる。だから薬と書くんでしょ?

停止させる==いいじゃないか~   とりあえず症状が無くなれば楽になれるんだし・・・

そう言えばそうだな・・・・
などと、納得していたら、ここでこの記事はお仕舞い。

 

ところがどっこい書

後があるのです。

「薬という毒はそう簡単には消えない。残って蓄積される」と岡田氏。

ここがミソ。

まあ、手前ミソかどうかは各自が検証することにしまして、とりあえずその論拠を。

「にんげんは食べ物は消化して、吸収する物を吸収したあと、残りは排泄出来るように創られている。だから、食べ物にはちゃんと食べられるかどうかを判定できる舌がある。ところが薬と称している毒はたいていは不味い、苦い等の判別で口に入れないものだ」という事らしい。

でも、たまには間違って口に入れるから、その都度、苦しんだりして来た経験が蓄積されて知恵となって伝わってきたわけです。

しかし、近年になると、その毒も味をつけたりして分からないように(口で判定できないようにカムフラージュする、錠剤にして甘くしたり)するから、区別もできなくなった。

しかも直接注射器で入れられたらもう、消化とかという器官を通り越して、直接血液に入り込んでしまう。

こうして、薬が毒だと言うことが口で判別できなくなってしまった今、ほとんど薬が毒などとはあまり考えなくなってしまったのです。(日本人は特に。海外では認識している国もあるのだ)

しかし、どうしても薬が病気を治していると思い込んでしまった歴史が長いため、たとえ薬が毒であっても、「適量」なら良しと思っているわけです。

(その適量も人によって千差万別なので定義も出来ないのだが)

「毒をもって毒を制す」という様に、未だ近代西洋薬などが出来る前から知らされていたことですが、外から毒を盛って(以て)、既に内にあった毒を制する・・・と、こんな考え方なんでしょうが、みんなが漫然と思っていたのす。

それ以上は突っ込まないというか。
しかし、今の薬学では「一切の薬は毒である」(副作用の無い薬は無いと同義語)

毒だから、毒の作用がどうしても一緒について回る・・・という事です。

主作用だけにしたいのだが、毒物だからどうしても副作用が一緒になっている、ワンセットなのだと。

まあ、よく言えば「出来るだけ主作用(効能)だけ強くして、できるだけ副作用を抑える」という事に一生懸命になって薬を開発するのです。

が・・・

いかんせん、元々原材料は各種の毒物ですから、その毒性物のもつ幾つかの人体に作用する働きの・・・ひとつ (目的によって決める)を主作用とする・・・だけのことですから、

主作用だけ強く、副作用を弱くという意味自体が不可能だと思うわけです。

でも、試行錯誤の末、どうにかそれに合格するのは「主作用が先で、副作用は後」という様な配合が成功したものでしょう。

しかし、それも動物実験の結果ですから、それから今度は人間に使ってみなければ分かりません。(毒物によっては動物と人間とはまるっきり異なる性質のものがあるから。動物実験では確かめられないという宿命があるのです)

そして、人間に使って、それも大勢に、長期間使ってみて、ようやくその薬の真価が分かるというものです。 (薬によってはその後の副作用(毒の害作用)が強くて、社会問題にもなる場合がある)

有害さがハッキリとしたときには既に多くの人がその害を受けているわけで、ようするに人体実験そのものが治験よりも、実際に認可された後で行われるということです。

ということは、認可された薬が安全であるという確証は最初から無いわけで、多数で長機関使ってこそようやく分かるというものです。

動物実験で安全 = 人間も安全

動物実験で効果あり  =  人間に効果有り

動物実験と人間実験(実際に使用しないと分からない)が同じになるかどうかは、「モノによって違う」という事ですから。

それが毒として薬の宿命、動物と人間の違い(同じ場合と反対の場合)という宿命ですから、「認可されたから安全、安心」では無いわけです。

それでも、そんな事は分かっていても薬はありがたいものだ。少々残ってしまおうがとりあえず、この苦しい症状を緩和したい!という願いの方が強いわけでしょうね。

それは極当然のことだとは思います。
だから、承知して使うのならそれでもよいでしょうし、使う、使わないは個人の自由意識であり、誰も強制することは出来ません。

しかし、薬の真実とはどこまで行っても「毒」であり、その毒がまた別の悪影響を及ぼすというのは「一切の薬に副作用がある」という事実です。

もうひとつは以前紹介した薬学の専門家の言葉

「残念ながら、お薬には〝病を治す力″を持ち合わせておりません。病を治す力は自分自身の力以外にないのです」

それは分かっている! そんな事は百も承知のうえだ。

なぜなら、一時的であっても苦痛が緩和、症状が消える・・・という現実。

これがやっぱり最大の魅力、薬の効果でしょうね。

この魅惑に打ち勝つ最大最終の武器とは?

はい、

「薬飲まなくても死んでもよい」

という覚悟でしょうか。

これは言うは易く行うは難しで、自分自身が最後まで貫こうと思っていますがはてさて・・・・・

そういえば、歯を食いしばってでも!という言葉で思い出しました。

35年間、薬を一切使わず・・・・がウソだったということを告白しまして、

歯医者さんに行くと必ず、詰めものなどの際に消毒をされます。これがイヤで初診時に消毒や薬を使わないでください・・と申し上げると、「別のところへ行ってください」」と。必ず断られます。

仕方なく、消毒されまして・・・。

前はレントゲンも断ったら、チンタラ治療でイジワルされたみたいで、なんだかアルバイトのような歯科医と交替され、なんと一年間も通う羽目になりました。

ショウガナイ、歯医者さんのレントゲンは断れない、消毒も断れない・・

かくして、今年の夏に古い歯がぐらついて食事を噛めなくなり、ついに抜いてもらいました。

そのとき、麻酔と消毒。そしてレントゲン。

もうワタシは過去の栄光を返上しました。

帰りは抗生物質と痛み止め薬を出され、黙って受け取って来ました。

でも、それは勿論捨てます。どこに捨てようか、ゴミにいれても大乗愚かな?

などと、

これが薬についてのついでの歯無しの話でした。

 

 

治験は前座、本番はアナタ方が・・・人体で(別名人体実験?)

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先回の記事で、薬が認可されて実際に使われる前に厳しい審査がある。

とワタシは思っていました。(ここで、悪友の声が・・・「カンチガイシタママシンデユケ~~♪」)

え!

まあ、動物実験は人間に当てはまるものと当てはまらないものがある。

という事は分かっていましたから、動物実験で成功した、成果が上がった・・・というエビデンスは、「どちらになるかは分からないものだ」ということが分かったわけです。

それについては、ハンス・リーシュの著書(たとえば「医療の犯罪」世界の医師千人の証言集)を読むと理解できると思います。

さて、動物でエビデンス(科学的証拠? でも科学ではないな、実際は・・・だって、人間に通用しないかも知れない証拠だからだ。もちろん、人間と一緒の場合もあるから、かえって惑わされるのだが)が証明された後、次は人間だ。

動物実験の次は人間実験とうわけ。 これを人体実験と言うと何だか怖いから、そうは言わないみたいですが。

まあ、本番前の一応儀式となるもので、これを通ると、始めて本格的な人間実験(実験というのは、使ってみてからようやく正しい評価ができるというものだから、やってみないと本当のことは分からないゆえに実験)が行われる。

そして、その薬によってはほぼ安定していて(さほど薬害が出ない薬)、そのまま長期間使われる薬が多いようです。

しかし、薬害(副作用のこと)はあまり出なくてよかった・・・と思っていたら、後々の科学的検証で、なんだ! 効果も無かった!! などという事実も出て来る薬もあるというのだから、やはり、「薬の効果とは毒の強弱にも関係する、ゆえに効果が強いのは、副作用も強く出るが、その反対は害も出ないが、効能(主作用)も弱かった(中にはまったく効果が無いものもあった)」という、当たり前過ぎる話ですが・・・

え、話が長すぎる?

 

じゃあ、結論を急ぎます。

動物実験効果有り  →  治験(限定付き人体実験?) →  認可後の薬の使用(人体実験の公認化=人体実験の本番)

となるわけでしょうね。

これに誰もが文句も言わず、疑いもしないわけです。(ボクもそうでしたけど)

しかし、動物実験が人間に当てはまるかどうかは、まさに千差万別で、正も逆もある。

ということはハンス・リーシュの著書を読んで分かったことです。

 

ゆえに、「動物事件でOKだったけど、果たして人間にはどうなんだろう?」というのが本当のところでしょうね。だからまずは治験を行うようになっている。

そして、治験で確認したら本格的にOKとなる。

ここまでは誰でも分かることですが、どうやら、そのチケンがどうもsuspicious(怪しい)のです。チケンはキケンだと言いたかったのですが。

 

それについて専門分野の方のブログより参考になりましたので。

「がん治療と免疫」様より

治験はなぜ不正が繰り返されるのか

そして、

 

治験ではなぜ不正が繰り返されるのか(2)

 

ーーー以下一部転載ーーーーー

 

験というシステムの問題点は、

「密室で行われる」

つまり関係当事者以外にはよくみえない、、、


「莫大な資金が必要であり、そして資金提供者と
 治験の好結果による受益者が同一である」



基本的には、こういうことです。



大規模な治験の場合は、ですが、
治験に参加する関係者は、承認申請する事業者から
みんな、お金をもらっている、ということです。
そして、好結果がでると、みんな、もっとお金をもらえるのです。


ところが、もっと大きな問題があります。


それは、治験は科学的根拠を問わない、ということです。




「効果証明」 と 「安全性の確認」 これが目的なのですが
効果の意味を問われることはありません。


なお、抗がん剤の場合は、原理から考えて、「危険」であることが
自明なため、健常者への投与による試験は免除されています。
抗がん剤を健常者に投与すると、ほぼ確実に病気になってしまうからです。
がんになるリスクも高くなります。



はじめから、通常、実施される試験すらやらなくていいほど
危険ということなのですが、がん患者さんに投与した際の
副作用は調べますので、「どの程度、危険か」は、チェックされます。

つまり、「安全性の確認」というのは、この場合、
「どの程度、安全性が低いかということの確認」なわけです。


これを「安全性の確認」という、誤解を生むような表現をするのです。



治験といっても、いくつか種類があります。

製薬企業が申請者&スポンサーとなって
製造販売承認を取得することを目的とする場合
結果は、「白」か「黒」しかありません。

適用範囲とか、適用条件といった制約条件がつきますが
「承認される」か、「承認されない」か、どちからの結果に
なります。

そのため、複雑な人体の反応を、おそろしく単純なデータに
してしまいます。 複雑なデータでは、白なのか、黒なのか
わからなくなるからです。


治験を実施することの承認取得と、治験の結果に基く
製造販売承認取得という、大きなイベントに人々の関心が
集まるのは当然として、データの意味は問われなくなります。


降圧剤の事件では、降圧剤の有害事象が争点の一つに
なってはいますが、基本的に、「血圧を下げる」から
承認されたわけで、大前提に、血圧がある数値以上だと
「血圧が高い」と考えられ、「病気」だと、みなされています。

なぜ、血圧が高いのか、誰も問わないのです。


様々な理由で血圧が上昇する圧力がかかっていたとしても
それが何なのか、どれほど、血圧を下げる対処療法が必要か
ということは考慮されません。
ナトリウム過多になっているから、血圧をあげて、ナトリウムを
追い出そうとしているのに、降圧剤で血圧を下げてしまうと
腎臓には負荷がかかってしまいます。


あの大変な「治験」によって効果が証明された
それはそれは、素晴らしいものなのです、と、
持ち上げられるわけですが、で、何をどう証明したのか、
という内容はほとんど問われません。


治験で効果を証明する前に、まずやることがあります。



「病気をつくる」 ことです。



血圧が一定の数字より高いと、「高血圧」という「病気」なのである
と決めてしまうのです。 何か問題があって、血圧があがっている
はずなので、どういう問題があるのか調べてみましょう、という
余計なことを考えさせず、とにかく、血圧が高いんだから
病気なんだ、とやってしまうのです。

そのうえで、血圧が下がるエビデンスを出せば、
はい、承認、となるわけです。



こうして、意味もない病気がつくられつづけてきました。


血糖値が高い  これは、ほんものの病気です。


高血圧  ほんとに病気かどうかはわかりません。
       少なくとも、病気の本質は血圧を上昇させる何か、です。

高脂・高コレステロール血症   
  コレステロールが高いことがなぜ問題なのか科学的な根拠はありません。

  
うつ病   やる気がでない、、、 そんなことは誰でもあります。

夜、なかなか眠れない、、、、 年をとったら、寝なくていいので、当たり前のことです。



さて、血圧測定器を買わされて、毎日、血圧を測って、
数字の上下に一喜一憂し、降圧剤を飲み続ける、、、 
すると、通常は、やる気がなくなっていきます。

高齢になれば、睡眠時間はそれほど必要ありません。
ところが、夜、眠れないんだ、、、と
まるで病気みたいに思ってしまう人が後をたちません。 
これは、当然のことであるにも
かかわらず、誘眠剤を処方されます。  
こんなものを飲むと、もともと、眠る必要がないのに
無理やり眠らされ、睡眠が浅くなる上、
翌日の午前中は、頭がぼーっとしたりします。
やはり、やる気がでにくくなるのです。

結局、意味もなく、コレステロール合成阻害剤をのみつづけ、
降圧剤をのみ、誘眠剤をのみ、やる気がでない、
と診療を受けると、うつ病の薬をのまされます。
うつ病の薬というのは、やる気をなくさせる作用があります!?
こんなものを飲み続けると、ほんもののうつ病になってしまい、
薬をやめられなくなっていきます。
まあ、やめられないことはないのです。 
ただ、やめればいいのです。
するとまた、元気になっていきます。


こうして、日本人が次々と、病気と診断され、各々1兆円市場を形成する
治験で効果証明された薬剤を投与され、今度は、ほんとうの病気になっていく
こういうことが、まかり通ってきたのです。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

あ、全部転載して(∋_∈)シマッタ!

 

肝心なところは強調文字にさせて戴きました。

「チケンはキケン」 (∋_∈)

という意味はここにありますね。

だってだって、だって~~  こんなのが治験?

信じていたワタシのエビデンスはどうなったの~~!

 

そんなのはアンタが勝手に思い込んでいただけ駄郎が (と、その時

また聞こえてきたのがあのbaka悪友の声だった 

 (カンチガイシタママシンデユケ~~♪) ←実際に奴はそう言っているのだが(∋_∈)

そうか、

となると、動物実験=uncertain(あやふや)
      治験=uncertain(あやふや)

かくして、めでたく本番に取りかかるわけだな・・・

 「こんどイイ~くすりが出ましたよ~~♪」

 「あ、それなら早速使ってみます~♪」

数年後、もしくは突然・・

 

新聞記事   「●○薬は治験の段階で捏造が行われていた・・」

新聞記事 「○●薬は、多くの薬害患者が続出したため、使用を禁止することになった・・」

 

え? え! なんなんだ・・ワシの飲んでいた薬じゃないか・・
でも、まだワシは大丈夫。 よほど丈夫なんだな・・ワシ。

だったら、クスリなど要らないだろうが! とツッコミ

 

ところで、クスリのエビデンス(真の科学的証拠などは発売後の人体実験でようやく判明するというので、これが真のエビデンス、科学的根拠。その前は憶測低度か、希望予測による非科学溺愛根拠)

まあ、動物実験も治験もその段階では

出来合い、いや溺愛(あまりにもそのクスリを愛するため、本当の姿が見えない状態を言うw)であった。

だから、認可後が真のエビデンスが得られるということでした。

だから、イイ新薬に飛びつくのは、カンチガイ組だと言うわけでした。
 そこで、また奴の悪口が・・・・

 

うつ病を治す薬がある・・・・と思い込んでいる方にも同じ事ですね。

 

「うつ病の薬というのは、やる気をなくさせる作用があります!?
こんなものを飲み続けると、ほんもののうつ病になってしまい、
薬をやめられなくなっていきます。」記事より

 

薬がむしろ病気を悪くしているということですね。また、依存性薬物として長く飲み続けると、本当に治りがたい病気が定着して(∋_∈)シマッタ!となるようです。

 

ホント、後から言うからシマッタ(∋_∈)となるわけで。

その条件としては

カンチガイしなくてはなりませんぞ、アナタ。¥(∋_∈)¥

 

 

 

 

「降圧剤は脳梗塞の発症を倍にする」という、ちゃぶ台返しの真偽?

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医者でも知らない、知っている医者の説明

 

なんて言うと変かな?

高血圧はほっとくのが一番

 

それにしても、血圧の基準値を50も下げたお陰で、日本人五千五百万人もの高血圧症患者を創り上げることが出来た。ヽ(^。^)丿

 

血圧降下剤は売れて売れて・・・嬉しい悲鳴 \(-o-)/

なんちゃって高血圧症患者激増の裏には

エビダンスを踊っている何ものかがいる。

だが、こんなダンスに同調して踊り出すニッポン!アチャチャア~ニッポンン!人が激増している事のほうがよっぽどjoyfulめでたいので唖ル

 

なんちゃって詐欺じゃないけど、血圧が高い = 高確率で脳疾患

こういうなんちゃって言葉が効くんだろうな・・・

 

なんちゃってエビデンス?

 

 

 

「高血圧はほっとくの一番」より

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


53P
  降圧剤は脳梗塞の発症を倍にする

  脳梗塞は高血圧が原因といわれるが、そうではない。むしろ、血圧の低いときに起こる疾患である。

 脳の血管が詰まりかけたとき、体は懸命に血流を勢いよくし、血のかたまりを吹き飛ばそうとする。血圧を上げて、脳を守ろうとしているのだ。

「高血圧だから、脳梗塞になった」 のではなく、「脳梗塞だから、血圧を上げて治そうとしている」 のだ。


原因と結果を取り違えているのである。


 このとき、血流が弱く、血のかたまりを押し流すことができなければ、簡単に脳梗塞になってしまうだろう。これは少し考えれば、わかることである。


 薬で血圧を下げることは、命取りなのだ。


「脳梗塞は (降圧剤を処方した)医師によって作られる」 と言っても過言ではない。


 東海大学医学部名誉教授・大櫛陽一氏の研究によれば、「降圧剤を飲んでいる人は、飲んでいない人に比べて脳梗塞の発症率が2倍になる」とい54


大櫛氏は、1999年から2007年までの、福島県郡山市に住む男女4万人の健診データを全国のものと比較し、降圧剤は脳梗塞を増やすことを発見したのだ。


 私は、一人でも多くの医師が降圧剤の使用に慎重になることを願ってやまない。

 なぜ多くの人が降圧剤を「脳卒中を予防するために」飲んでいるのだろうか?

 


 実は、戦後1950年代までは、脳卒中のうち、約90%が「脳溢血」だった。
時代を下るにつれ、脳溢血は減り、脳梗塞が増える。


70年代に入ると逆転し、90年代に入ってからは、脳溢血が10~20%で横ばい、脳梗塞は80~90%で90年代半ばから急に増加している。


 なぜ昔は、これほど脳溢血が多かったのか?


 それは、戦後の日本は、非常に栄養状態が悪かったからである。今で言うと、難民のたくさんいる発展途上国並みで、とくに敗戦から数年は、食料を占領国アメリカの救援に頼っていたほどだった。



 栄養が悪いため、血管がもろく、高い血圧に耐えられなかったのである。
 また昔は、肉体にかかるストレスも強かった。農作業や土木作業も、今のように機械を用いず、ほとんど人力に頼っていた。家事も電化製品などなく、掃除や洗濯はすべて人の手で行っていた。



※図; 脳卒中死亡の内訳の変化

 血管がもろいうえに、強い肉体のストレスが加わって、たやすく血管が破れていたのである。そのため、脳溢血が多発していたのだ。

 


こうして、「高血圧=脳卒中で倒れる」 というイメージが医者や国民の間に広まったのである。

 実際、昔は、脳溢血で倒れた人の話をよく聞いたものだ。


 今では栄養が改善され、肉体労働も軽くなり、脳溢血は脳卒中の1~2割ほどまで減っている。

 



 にもかかわらず、「高血圧=脳卒中」 というイメージだけが、しぶとく生き残り、脳溢血予防の56ために、何千万人もの人が降圧剤を服用しているのである。


 予防の対象が、〝昭和″ で止まっているのだ。


「脳卒中」という箱の中身は、降圧剤によってリスクの減る「脳溢血」から、リスクの増える「脳梗塞」 に入れ替わっているのである。



 それなのに、なぜ高血圧の基準値をどんどん下げ、降圧剤を飲ませようとするのか? 理由は、言うだけ野暮だろう。



 私は「血圧の薬は絶対にダメー!」とは言わない。


血圧を下げれば、確かに脳溢血のリスクは減るからである。
しかし一方で、脳梗塞になる確率は、間違いなく高まる。



 患者に降圧剤を出す時、私は必ず、ここで述べたことを説明するようにしている。


ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

さあ、和紙はこんなエビダンスは踊らないので関係ないが

ニッポン人の薬半数が高血圧症患者にめでたく仕立て上げられ、そのうち、成人の何千万人が降圧剤を飲んでいるというのが前に紹介した記事だが。

おそらく家族や痴人のなかに、血圧降下剤を飲んでいるひとが一人や二人はいると思う。

そんな人にこの本を贈呈してくださいね。

 

え、受け取らない?

そうなのね~~♪

そんな本、損な本、読む気もしないや! とね。

だから、医療費はどんどん上がって、毎月市役所にお支払いしなければなりませんぞ。

あ、自動引き落とし?

う^^む。

おそるべし、洗脳社会、いや、濁脳社会。

 

 

「免疫革命」を読んで。akyohimaの書評より

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安保徹教授の本、「免疫革命」を読んでの感想文

あの本が発売された当時書いた記事です。

かなり古いかな?



ーーーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーー


 新聞には、毎日のようにガンを治す民間療法の広告や記事がでています。おそらく、それだけ西洋医学の医療で効果が上がらないと感じている人が多いのだと思います。私は、民間療法に関しては、まずなによりも、その療法を信じてとりくむという患者の前向きな態度が、治癒力回復を促しているのではないか、と思っています。さらに、いま注目を集めている民間療法は、たいていどれも免疫活性を促しますから悪いものではありません。

 たとえば、昔からラジウム温泉が効くといいますが、この場合は、微量の放射線を浴びることにより、細胞が壊され、それが刺激になって代謝が高まり病気が治るという経過をたどっていると考えられます。そう考えると、放射線治療なども、そのくらいの微量で免疫活性化させるつもりで行えば、効果も違った現れ方がするのではないかと思います。


 じつは、いまから二十年前に、抗ガン剤とまったく異なるガンの薬がいくつも製品化されました。バイオロジカル・レスポンス・モディファイヤ(BRM)といわれる薬群です。BCGワクチンや丸山ワクチンもこの類です。たとえば。K432、レンチナンなども、ガンに効くといわれて、認可を受けました。

 K432は丹毒をつくる黄色ブドウ球菌製剤、レンテナンは霊芝成分で、どれもガンを縮小した歴史をもった物ばかりでしたが、やがて、効果がないといわれ、医療の現場からはとんどが消えていっていました。

私は、[[これらを抗ガン剤といっしょに使っていたのが、問題だったのだと思います]]。もし抗ガン剤を使わないでこれらの薬を服用していれば、必ず大きな成果がでたはずです。ところが、抗ガン剤を使った人で治験をしてしまったわけです。だから、プラスのデータがとれなかったのです。 
どれも抗ガン剤といっしよに使ってしまったために、いい結果が得られませんでした。結局、これらの薬も、一時期は、五十億~百億円の年間売り上げがあったのに、医療の現場から消えていってしまいました。残念なことです。




抗ガン剤は浄化停止の極みですし、相当の毒性物を身体に入れるわけですが、これと併して丸山ワクチンや他の食品をとっていても、まったくナンセンスな方法です。

抗ガン剤は浄化停止、健康食や無害なワクチンなら自然生命力を助ける側、これでは片方で水を汲んで片方で水を汲み出しているようなもので、相反するものですし、強力な抗ガン剤側の力が勝ることでしょう。

繰り返しますが、自身の生命力は浄化促進の方向です。



 また、最近は、アガリクスや、メシマコプ、サルノコシカケ、プロポリスがさかんに使われています。これらを服用して治ったという患者さんは、手遅れといわれたり、あるいは体力ががくっと落ちて、さすがにもう抗ガン剤はやっていられない、とやめた後で使用している人が多いからでしょう。

アガリクス、メシマコプ、サルノコシカケはキノコ類ですが、これらは少し多めにとるとすぐ下痢が起こります。不消化多糖(ベータグルカン) ですから、消化管を刺激して、嬬動運動を促し、さらには勢いあまって下痢が起こるわけです。消化管の働きの極限は下痢です。だからすごくリンパ球が上がっているのです。


 こう振り返ってみると、民間療法でも、

自分が治ると信じられるものに自己責任でとりくむことは、免疫活性につながります。

抗ガン剤といっしょに使ったりしなければ、よい効果を得られるのではないでしょうか。


ーーーーーーーーーーー以上引用終わりーーーーーーーーーーーーーーーーー



始めから抗ガン剤を使わないで来た人はたとえ死を迎えてもそれほどの苦しみは少ないようですし、その期間も短いと思います。しかしそんな人は少なく、さんざん抗ガン剤で痛めつけられた後で自然療法へ走っても、その効果は少ない場合があります。

やはり普段からよく知っていないと、いざという時は抗ガン剤などの医学の三大療法に走ることになるようです。

いずれも自由な選択ですので、現代医療にかかるも自然療法に走るも「自己責任」でありますからどちらも非難されるものではありません。その人の思った通りの道を認めるしかありません。

力ずくで、強制で、「こちらが正しいからこうしろ」というやり方はやはり後に禍根を残すことが多いのですから、本人の自覚のままに自由にやるのが基本でしょうが、その大前提として「公正な情報を公開する」ことが重要なのです。

いつも片側だけの情報では選択の自由はありません。それに対して偏った情報だけを流してきた医学界も重大な責任がありますが、それを鵜呑みにして大々的に流すマスコミ(情報「産業」)は大きな責任があります。

しかし、これだけではないのです。


大衆の多くはこの偏った情報をまた鵜呑みして、いくらでも反情報としての異端論を聞く機会があったにもかかわらず、それを拒否してきたのが一番の責任です。
私たちはそれを見ようとも聞こうともしないどころか、検討するどころか無視や非難するだけでした。
いまこそ、ひとりひとりの責任において自分の健康は自分で守る時代になったようです。



[[ ガン治療中の注意]]

ーーーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーー
 ガンを治すための四力条を患者に実践するよう指導している仲間の医師たちの経験談を紹介します。この話は、福田稔医師、川田信昭医師のほか、比較的最近仲間に加わった長崎県長崎市の田島圭輔医師、京都府宇治市の池田朗彦医師らとの研究会でよく出た話です。いずれの先生も、副交感神経刺激法として、自律神経免疫療法をとり入れています。

 まず第一に言いえることとして、患者さん自身が四力条にとりくむのだという強い意志が何よりも大切だということです。医師に頼りきり、まかせっきりでは、効果は最大にはなりません。

第二に、ガンの検査を頻繁に受けすぎない、ということが重要です。そもそも、免疫能が下がってガンになったのですから、免疫能が上昇してこないと治癒に向かいませんが、免疫能が上昇してくるまでには最低でも一、二カ月はかかります。さらに、ガンが退縮するにはそれ以上の時間がかかります。ですから、初めの三、四カ月は、検査を受けても思うような数字の上昇は期待できません。

はじめのうちは、とにかく治療だけに専念するほうがよいのです。とくに、ガンマーカーは、独特の動きをするので、判断に注意が必要です。というのも、じつは、ガンマーカーの上昇は、ガンが大きくなったときだけの指標とはいえないからです。

四力条を実践してしばらくして免疫能が上昇し、ガン細胞と言えども、ガンマーカーは上昇するのです。ですから、四力条をきちんと実践しているのなら、ガンが破壊されはじめたときにガンマーカー、腫瘍マーカーに一喜一憂することはないのです。


 また、Ⅹ線写真、CTやMRIの画像に一喜一憂する必要もありません。免疫能があがると、ガンの直径が拡大していても、じつはその中心部が壊死をはじめている場合が多いからです。また、転移も心配することはありません。転移が起こり、そのあとでガンが消滅することがあるからです。この現象を、私たちの仲間の医師たちは何度も経験しています。

 検査の結果よりも大切なこと、それは、自覚症状が改善しているかどうかということです。食事がおいしくなったり、身体の冷えがなくなったり、顔色がよくなったり、疲れがでにくくなったり、便秘が改善されたりするということこそ、大切な治癒の目安です。 とくに、抗ガン剤や放射線治療を離脱した人は、こうした自覚症状をきちんと自分で感じとることが大切です。検査結果がすぐに改善しなくても、こうした自覚症状の改善が続いていれば、いずれはよい結果がでてくるからです。

ーーーーーーーーーーー以上引用終わりーーーーーーーーーーーーーーーーー




今、地方のお役所でも癌の検診を行い、盛んに勧めているのが現状です。癌の検診をしない方が良いなどと言う人はほとんど居ないのですが、実際には癌検診のマイナス面は前から指摘されていました。
それが一部の医師の異端論で終わってしまっていたので、相変わらず市町村の癌検診は行なわれています。

私は癌になって医学的治療を受ける「覚悟」のある人はそれで仕方がないと思うのですが、自然療法をはじめから選ぶ気のある人には検診は精神的にあまり良くない状態にしてしまうと思います。

やはり「癌」という言葉には一種の「恐怖感」が伴いますから、発見されて喜ぶひとより悲観する人が多いのは自然療法選択でも同様だと思うからです。

「恐怖」という感情はとても身体を痛めつけるのだと思います。身体に一番よいのはやはりリラックスできる状態だからです。安心こそ身体の栄養素になるのでしょう。




薬剤で食欲減退

抗ガン剤や点滴などで食欲が減衰すると言われますが、薬剤を使わないでいると食欲減退も一時的で回復が早いと思います。一人の身体を同時に別の方法を採れないので比較は難しいのですが重度の食欲減退はまず薬剤を疑ってよいと思います。


わたしんちの場合は重度の浄化の時はまるっきり食欲が落ちました。これで体重が激減してこのまま死を迎えるかの様に見えました。

しかし、やがて食欲が少しずつ戻りはじめ回復へと向かいました。やはり身体は重度の浄化時には前エネルギーを浄化作用の方に回すため食を受け付けないのかも知れません。動物が病気や怪我の時に何も食べないでじっとしているそうですが、人も回復のために食を断ちエネルギーを有効に使うようになっているのでしょう。


そしていわゆる栄養食というものを食べたくなくなります。肉類などの脂っこいものには見向きもしなくなり、あっさりした粗食系を好みます。こうしたことから重度の浄化(病気)の時はあえて身体が栄養食を必要としないのかも知れません。


生命のエネルギーを浄化と回復に回そうとしているのだと思います。

無理に牛乳とか卵などの食はとらない方が身体には良いのでしょう。
浄化が終息してくれば嫌でも食欲が湧いてくるもののようです。

要は身体が要求するのでそれに従うのが一番です。元気な時は動物食もそう影響が少ないのですが、浄化(病気)時はこれを一時的にでも止めた方が身体には良いのでしょう。

食べないと死ぬという恐怖感が悪い影響を与えるだけで、食べなくてもそう簡単には死なないのが人間の様です。

最後には食べなくなり死ぬのでしょうが、寿命(誰も自然死の時期は特定できない)が有る限り浄化が終われば回復の望みがあると思います。

もちろん、この事も自分自身の望む範囲でやれば良いことで、ひとつの論と書いています。

ひとまずここで癌についての項は終わります。
医学の情報は昔と違ってずいぶん異端説も取り入れられる様になってきましたので、もう少しで多くの人が気づく時が近づいたようです。安保教授の免疫理論もそのうちのひとつですが、他にもいろいろ情報が出ていますので、自分で総合的に判断できる環境ができてきました。「免疫革命」という少数派であるがゆえに今は医学界では異端論とされているようですが、明日の正統派となることは否定出来ないでしょう。
医師がこの論を速やかに取り入れて実際に治療に効果を出してくれる事を期待しますが、いつ患者側になるかも知れない自分自身が賢くなるのが一番のようです。

全部を鵜呑みにせず、全部を否定せず・・・・・・・の精神で!

  


何年前の記事だった廊下? 

 










五千五百万人の高血圧症患者さんに贈る「ちょっとまった~」

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うん、ちょっとだけ寝♪

おい、そういう意味じゃ無いぞ、待った無しじゃない、待ったは待ったでも、

ちょっとまった~~!だよ。

うん、だからちょっと待っただけよ。

「まった~~?」 と 「まった~~!」の違いだよ。

あら、文字って勝手に解釈してしまうモノね。 モジモジ・・

なんてのはどうでもいいのだが、

「1980年代後半は230万人ほどしかいなかった 「高血圧症」が、今では5500万人に増えている。なんと、20倍以上の増加率である。
 そして2011年の国民健康・栄養調査では、成人のうち27・5%、4人に1人が降圧剤を飲んでいる。」

とにかく、どうして高血圧症患者がこうも増えたのか?

 

答 チョイチョイよ♪

え?  

簡単なのよ、チョウカンタン♪ 50下げちゃったぁ~~~♪

なに?

数字よ、すうじ♪  だって、少しずつ下げたらうまくゆくのよ、これが♪

ということで、あっという間に(と言ってもこの国の人には気づくことはない、一挙に下げないというテクニックである。少しずつだと忘れちゃうのねえ、前のことを。。)

 

まあ、こういうことでした↓ ↓

「高血圧はほっとくのが一番」という本より (検索はセルフサービスでよろしく)

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

17p

 5倍になった降圧剤の売り上げ

 高血圧の薬(降圧剤と血管拡張剤) は、今や年間の売り上げが1兆円の超巨大市場である。1980年代の終わりごろは、2000億ほどだったから、この二十数年で5倍にも膨れ上がったことになる (28ページのグラフ参照)。


 日本は、世界の40%もの薬を消費している。その量は、アメリカに次いで第2位だ。一人当たりに換算すると、日本が1位である。


 世界一薬好きな日本人が、最も多く飲んでいるのが降圧剤であることは、あまり知られていない。降圧剤は、潰瘍用剤や鎮痛消炎剤を抑え、医薬品市場のトップを占める (29ページの表参照)。


 私たち日本人は、ものすごい量の降圧剤を飲んでいるのだ。
 そして先に触れたように、バルサルタンは降圧剤だけでなく、2012年、すべての医薬品の中でもっとも売れた薬だった。


 バルサルタンが、収益の面でどれほどすごいかわかるだろう。
 この事件からいえるのは、製薬会社にとって降圧剤は非常なうまみがあり、わずかな操作で莫大な利益を上げられるということである。
   (中略)。
    表2011年度における医療用薬品の生産高                 (「ミクス」2012年増刊号より作成)「降圧剤」

と「血管拡張剤」で9000億円を超え、売り上げでは1兆円を超える。


 製薬会社から大学に、1億円を超える寄付金が渡っていたこともわかっている。


 また、先の医療雑誌を舞台にしたキャンペーンでは、製薬会社から雑誌社や教授たちに、広告費や謝礼という形で、金が渡っていたのはいうまでもない。


 この事件は、医薬品という命にかかわる分野において、製薬会社、学者、メディアが癒着し、利益を最優先していることを、浮き彫りにした。
 本来は公正であるべき学者が、あくどい商売の片棒を担ぎ、広告塔になってしまっているのだ。
 彼らは、御用学者のそしりを免れない。



 製薬ビジネスはギャンブル同然

 この事件が、氷山の一角であるのは、いうまでもない。同時に、起こるべくして起こったといえる。

  ※ 

  ※ バルサルタン事件とは


 なぜなら、新薬を開発するのは、非常に大変だからである。
 先程、バルサルタンは 「ブロックバスター」だと言ったが、このような大ヒット商品は、今はもうほとんど出ない。
 80年代までは画期的な新薬はしばしば生まれていたが、90年代からはほとんどない。強いて挙げるなら、抗エイズウイルス剤ぐらいだろうか。


 人間の発想には自ずと限界がある。薬の分野で、出るべきものは、すべて出尽くした感は否めない。
 しかし、企業は新薬の開発を止めることはできない。開発に何百億という巨費を投じているからだ。何とかしてヒット商品を出さなければ、元を取れない。


 ヒットが出れば、今までの損を取り返せるどころではない。莫大な利益を得ることができる。これはもはやビジネスというより、ギャンブルである。
 まず、このような製薬ビジネスの際どさを指摘しておきたい。
 何百億もかけて開発した新薬が、効果がないことや、強い副作用があることが最終段階でわかり、認可されなかったとしよう。その瞬間、莫大な金が煙のごとく消えるのだ。
 当然、製薬会社は、何とかして認可に漕ぎつけようとする。認可が下りると下りないでは、天と地ほどの差がある。
 製薬会社は研究者や学会の幹部に、取り入ろうとする。謝礼、接待、贈り物……そして研究費の援助。
 その結果、研究者は、新薬に対する評価を甘くしたり、データを捏造したりするのだ。


31P
 寄付金をせびる御用学者たち ここに興味深い新聞記事がある (2008年3月30日付読売新聞朝刊「指針作成医9割へ寄付金 製薬企業から」)。
 新聞社は、全国50の国公立大学に、2002年から2006年までの5年間で、医学部の 高血圧指針の作成にかかわった医師が治療薬メーカーから受けた寄付金額学者の受け取った寄付金の額や提供者を公開するよう求めた。


  所属講座あての寄付金 表略


 その結果、高血圧や高コレステロールなどのガイドラインを作った276人中87%に当たる、240人に製薬会社から寄付金が渡っていることがわかった。


 2004年の高血圧ガイドラインの場合、委員の9人全員に、合計約8億2000万円もの寄付金が渡ってた。一番多かった人は約2億3000万、そして約9400万、約8500万、約8300万と続く (期間はガイドライン作成までの3年間)。


   (中略)




 そして、この記事の5年後に、降圧剤バルサルタンのデータ改竄は明るみに出る。


35P
     あやふやすざる基準値の根拠

 高血圧の基準値が、2000年から2008年までの8年で50下がったことは、この章のはじめに述べた。
  (※ 高血圧の基準値は、たった8年で50も下がっている)

 

 ここで我が国における、基準値の変遷を振り返っておこう。1987年、厚生省(現厚生労働省)は「老人保健法による健康診査マニュアル」によって、要治療の基準値を上180、下100にした。これは40歳以上健診で用いられた数値36で、94年版でも変わっていない。ちなみにこの健診は、2008年に始まる「メタボ健診」の前身といえる。実際、臨床の現場でも、2000年までは、上180、下105までなら、3カ月ほど様子を見ることになっていた。その間、いつ測っても160/95を超えていれば、はじめて降圧剤による治療を行うのが一般的だったのである。


 ところが、1999年、WHO(世界保健機関)が基準値を160/95から、140/90に変えた。上は一気に20も下げてしまったのだ。
 2000年、日本もこれにならい、新たなガイドラインを作って基準をWHOに近づけ、2004年にはほぼ同じにした。2008年から実施された公的保健制度「メタボ健診」では、さらに10下がり、今では上130である。


 実質的に8年で、基準値が180から130と、50も下がっている。10年にも満たない期間で、これほど大きく下がるのは、どう考えても異常である。
 根拠もかなり疑わしく、いろんな研究者から疑問の声が上がっている。
 例えば、日本の従った、1999年のWHOによる変更は、統計的に意味があるのか疑わしい根拠によっている。それは心筋梗塞のリスクに関する、たった一つの研究なのだ。


 これほど重大な決定は、よほど明白か、複数の研究を元にしなければならない。


 にもかかわらずWHOが変更に踏み切ったのは、多国籍企業の巨大製薬会社が関わっているためと言われる。
 そのことは、当時のWHOが演じた、ドタバタ劇を見れば明らかだ。


 基準値を160/95から140/90に変えるガイドラインは、1999年2月4日にロンドンで発表された。
 その数時間前、WHOは 「新しいガイドラインはWHOとは無関係である。WHOの同意なしに、スポンサーの製薬会社が決めたものだ」という旨のプレスシートを記者に配った。しかし翌日、WHOは声明を取り下げ、一転して新しい基準値を認めてしまう。


37P
     金まみれのWHO

 WHOは予算の7割を製薬会社の寄付金に依存している。

事業計画の増加とともに依存度は高まる一方で、近いうち8割を超えると言われている。

製薬会社から金銭面での圧力がかかったのは、想像に難くない。新しい基準値を認めないなら、もう金は出さないと脅されたのだろう。その日一日、WHOは公正さと寄付金のはざまで悩み、揺れたのだ。結局、背に腹はかえられず、寄付金を選んだのである。

国際的な消費者団体と、医師のグル-プが、「基準値が低く設定され過ぎている。根拠も製薬会社によるたった一つのものであり、信頼できない。WHOは、責任を負うことを怠っている」という非難の書状をWHOに送った。


 それに対して事務局長は、「我々と民間企業の関係によって、公正さが損なわれることはあってはならないが、今回のガイドラインには、多少の懸念が残っていることは否定できない」と、渋々過ちを認めていた。


 この眉唾物の決定が、日本にも大きな影響を与え、新たに2000万人も「高血圧症」の患者を増やしたのである。


 1970年代頃までのWHOは、世界から天然痘を撲滅するなど、非常にいい機関だった。しかし近年は、製薬会社との癒着を強め、公正さを失っていると指摘される。

(注(ブログ主のコメント; 天然痘撲滅は予防接種のお陰ではなかった。自然に無くなったというのが真相だという、データがインターネット上や書籍で紹介されているので、この著者は知らないのでしょう)


 2009年、WHOは、新型インフルエンザの流行に対し、「すべての人類が脅威にさらされている」として、パンデミック (世界的大流行) の宣言を行ったが、実際は普通のインフルエンザと大差はなかった。この大誤報も、ワクチンを売る製薬会社との癒着が原因といわれている。


 WHOが世界の健康問題に、強い影響力を持つのはいうまでもない。一方で、私も含め、日本人は、国際的なものに非常に弱い。WHOなどといわれると、すぐに平伏してしまう。基準値を発表する際のお粗末さなど顧みることなく、決定を無批判に受け入れ、追従してしまうのだ。しかし、実際はWHOも、非常に生臭いのである。私たちはそうしたことにも、気を付けるべきだ。


39P
    3歳児にまで血圧検査を推奨

 日本における高血圧の基準値は、メタボ健診に見られるように、今130である。

先程、これが120になる日も、そう遠くないと書いたのは、決して筆が滑ったせいではない。

すでにアメリカでは、120まで下げられているからである。これがまた、うさん臭いのだ。欧米でも、医療関係者と製薬会社の癒着は、しばしば取りざたされている。アメリカにも日本と同様、高血圧のガイドラインを決める委員会がある。そこの研究者たちは、製薬会社から講演料、助成金、株などを受け取り、議論をゆがめるため、医療ジャーナリストから「高血圧マフィア」と呼ばれている。


 いうまでもなく、日本にも同じたぐいの人たちがいる。私は彼らを御用学者と呼んでいるが、「高血圧マフィア」は、それよりもっと辛辣な呼び名である。


 2003年に、基準値が140から120に下げられた時、アメリカの高血圧患者は5000万人増えたという。日本では20下げると、患者は2000万人増えるから、人口比から言って、当然そうなるだろう。


 以前、アメリカで、3歳以上の子どもには血圧検査をすべきという意見が、研究者によって発表されたことがある。高血圧が中高年に特有なのは、いうまでもない。基準値もそうは下げられないため、年齢層を下げるという新手を考え出したのだろう。さすがにアメリカとなると、馬鹿馬鹿しさもスケールが違う。


 それに対して、ある医師は、皮肉を込めてこう言ったという。「何てひどい話だ。いっそのこと、へその緒を切った時に、血圧を測ればいい」(アメリカの高血圧の事情については、レイ・モイニハン、アラン・カッルズ著『怖くて飲めない!』より) しかし、よその国だからといって、聞き流すことはできない。

とかく欧米に弱い日本は、120という数値に追従したり、それを口実に下げたりすることもありうるからだ。幼児の血圧検査という悪い冗談のようなことも、決してないとはいえない。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

  まあ、疑うことを知らないひとびと

よく言えば、素直な・・・悪く言えば、まるでダメ男君  自分で考えることを箒で掃いたひとびと

こんな国民だから、あっという間に高血圧症患者さん、五千五百万人とされても、ちっとも不思議に思わない。

「1980年代後半は230万人ほどしかいなかった 「高血圧症」が、今では5500万人に増えている。なんと、20倍以上の増加率である。
 そして2011年の国民健康・栄養調査では、成人のうち27・5%、4人に1人が降圧剤を飲んでいる。」

と言うことも起こるべくして起こっている・・・・当然のごとく。

 

どれどれキミが習った教科書を見せてごらん♪

「医学上のお達しにはすべて従うべし。ゆめゆめ、疑うなどと言う不遜な考えは社会の規範を乱す非国民として村八分の運命が待ち受けているのでR(あ~~る)」

な、なるほど・・・

「考えるな、従うんだ」という教育か・・・

 

 では、本当に高血圧はほっとくのが一番なのかどうか?

それは本書を購入してください。

 あ、タダですよ~~(タダし、多田氏の言だからね)

 

 

 

 

ウイルス・細菌病源説に鋭くツッコミを入れると・・

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akyoonは語る。

「なあに、病源はアンタですよ。バイ菌やウイルスに罪をなすりつけちゃって~♪」

それどころか

「ウイルスを筆頭に細菌や黴とか微生物はこの地球の守護神ですよ。」

などとのたまう。

「彼らに恭順して従わなきゃあ~~アンタ、逝けませんよ」

などと、脅しもする。

しかし、世界の共通概念は

「病源はウイルスや細菌でア~~ル」
でア~ル。

しかし、これに対しても

「あ、チミ達はねえ~~一方的に植え付けられているんですよ~大本営発表に♪」

と、いっさいがっさい反省も無い。

ところが、煮たもの同士が居たのでア~ル。

 

 

 

   『治す医者か、ごまかす医者か」
絶対あきらめない患者学
 
医師・小澤博樹 著    三五館・出版

より
 
 ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


 
 第三章        ウイルスを悪役にした現代医学



      現代医学は怠けている

 一九九六年一一月、岐阜県のある病院で職員九人が院内感染により結核にかかっていたことをマスコミが報じた。結核のような古典的な病原細菌によっておこる感染症など、とっくの昔に抗生物質によって制圧され、取るに足らない病気と化していたのではなかったのか。

結核予防のために子どものころ受けた予防接種BCGはほんとうに効きめがあるものなのか。


 「死の病」と呼ばれていた時代に比べれば、今日では結核は激減している。しかし日本ではいまだに年間約三万人が新たに結核患者となり、二千人以上が死亡している。日本での罹患率は人口一〇万人当たり二三三人であり、英国の約二倍、米国の約四倍で、先進諸国の中では圧倒的に高い数字を示している(二〇〇四年現在)。WHOは抗生剤が効きにくい多剤耐性結核菌や、まったく効かない超多剤耐性結核菌が最近、増加傾向にあるという(「中日新聞」、二〇〇七年四月六日夕刊より)。


 また、現在まで多種の抗生物質や抗ウイルス剤が開発されてきたのにもかかわらず、エボラ出血熱(一九七七年)、レジオネラ在郷軍人病(一九七七年)、病原性大腸菌O‐157感染症(一九八二年)、エイズ(一九八三年)などの新興感染症やコレラ菌、結核菌、A群レンサ球菌に 医学が進歩した、長寿社会が到来したと喧伝されて久しいが、ではなぜこうした状況が生じるのか。それは、人間をみる本当の工夫を現代医学が怠ってきたからではないのか。
 この章では、現代医学の感染症に対する考え方の誤りについて述べておきたい。


  62p   感染症の歴史を追う

 なぜ感染症や伝染病がおこるのかという真の原因を理解するには、まず人間と病原微生物との関係について歴史的にふりかえって考えてみる必要がある。 一四九二年コロンブスがアメリカ大陸を発見したころ、彼らに寄生していた天然痘ウイルスや麻疹ウイルス、おたふくかぜウイルスが、これらに対して免疫抗体をもたないアメリカ先住民たちの間にたちまち感染し、多くの死者を出した。そのため、先住民たちは赤子の手をひねられるかのごとく次々と征服されていった。
 一五二一年コルテスがメキシコを征服したときも、天然痘により多くのアステカ族が死んでいった。一五三二年ピサロらに侵入されたインカ帝国も同様の結末を迎えている。
 当時のヨーロッパ人たちが新大陸を少人数で征服できた理由のひとつに、彼らヨーロッパ人がすでに天然痘や麻疹に対する自然免疫を獲得していたために発病しなかったことがあげられる。逆に、新大陸の先住民たちがこれらの伝染病に対する免疫抗体をまったく有していなかったために致命的な状況におちいってしまったのだ。ヨーロッパ人たちのもつ武器が優れていたからだけで、アメリカ大陸が彼らによって征服、植民地化されたわけではない。
 人口の爆発的増加や、その人口を養いうるだけの食糧の確保ができていなければ、それによって伝染病を発生させる引き金にもなる。
 ベストはペスト菌によっておこり、元来ネズミの間の伝染病であり、ノミの媒介により人間にも感染するといわれている。この伝染病は紀元前より十七世紀に至るまでアフリカ、アジア、ヨーロッパに流行し、多くの死者を出している。特に六世紀からその後二世紀にわたる流行で当時のヨーロッパの人口は半減してしまった。また一三三〇年アジアからヨーロッパに広がったペストも多くの死者を出しながら、一五〇〇年までつづいている。


 過剰となった人間や動物の数を、これら伝染病の結果おこる大量死によってコントロールし、その中で病気に対する免疫や耐性を獲得し生き残った生体だけがより強い子孫を残していくこと、これも自然の摂理だといえる。


 食糧の増産ができるようになると人口が増加し、人口が増加すれば職を求めて都市に人口が集中し、スラム化する。そのため水は汚染され不潔な環境をつくりだす。そしてまた伝染病が流行し、人口が減少する。

その典型がインドにおけるコレラの発生である。イギリス植民地時代のインドーカルカッタでは人口が増加し不潔な社会環境となり、一八一 七年コレラが発生し、世界へ広がり、多くの死者が出ている。その後、この国ではコレラは何度も流行をみせ、最近では一九九二年に流行し、アジア、中近東、中南米へと波及していった。


 近年、第三世界にも開発の波がおしよせ、急激な近代化、工業化が進められており、原生林やジャングルを切り開き、道路やダム、農地がつくられている。これらがきっかけとなり、もともとその地に生息する野生動物に寄生していたウイルスなどの微生物が、いままでは未開の地であった地域に入りこんだ人間の体内に侵入し、伝染病が蔓延する場合がある。


 第二次世界大戦後、アルゼンチンは農地を拡張する目的で、その北西部の土地を開拓する際に、その地に繁茂していたパンパスグラス(日本のススキを大型にしたような植物)を刈り取っていった。この地ではネズミとその天敵がバランスよく生態系を保っていたが、人間がパンパスグラスなどの野草を取り除いてしまったために、ネズミの天敵がいなくなり、ネズミだけが繁殖しはじめた。ところがこのネズミに寄生していたある種のウイルスが開拓者たちに感染し、アルゼンチン出血熱という伝染病を発生させたのである。


 一九七〇年代、韓国では急激な都市化が進み、森林を伐採して新しい宅地を確保していった。この森林地帯に生息するネズミはある種のウイルスを体内に寄生させており、このウイルスは郊外への都市化拡張を契機に、都市に住むネズミヘと乗り移り、そのネズミの排泄物から人間に感染するという現象がおこっている。そして一九七八年、人体に出血と腎臓機能障害をきたす腎症候性出血熱の流行をもたらしたのである。日本でも一九六〇年に大阪で発生し二人が死亡している。この病原微生物はハンタウイルスと呼ばれている。


 ある地域に戦争がおこると、兵士やそこに居住する人間は飢えと劣悪な環境下にさらされることになる。このような状況下においても伝染病が流行する。
 発疹チフスは発疹チフスリケッチアという病原微生物によっておこる伝染病でシラミが媒介して感染する。中世のヨーロッパでは戦争が多発し、いたるところでこの病気が蔓延していた。
 一〇八三年シチリアの修道院で集団発生し、十七世紀におこった三十年戦争時ドイツで発生し、また一八二一年ナポレオンがロシアに進軍したときもフランス兵の間で流行、このためナポレオンは敗退してしまった。


 病原微生物によっておこる感染症、特にウイルス感染症では、人間(宿主)がそのウイルスに初めて接触した場合、当初はそのウイルスに対する免疫抗体をもっていないため、感染症は広範囲で重篤なものとなり、流行病と呼ばれる。

この流行病に感染し生き残った人間はそのウイルスに対する抗体を獲得し、免疫力を身につける。

その後、同じウイルスが再び感染しても流行の範囲は狭く、軽症となり、今度は風土病と呼ばれるようになる。

また風土病の状態も長い年月を経ていくうちに人間の体内でウイルスが共生できる可能性もでてくる。

しかし、ウイルスはその環境に応じて、変異をおこし、毒性を強くする場合もあり、後述するように宿主としての人間側の免疫力や抵抗力の強弱が発病するか否かの鍵をにぎることになる。

 


 病原ウイルスに対する免疫抗体は自然感染によるほうが確実である。

ワクチン接種は、むしろ人体の免疫力を低下させ有害である。

伝染病が流行しても、そこで生き残りたいのなら、常日頃の食生活や生活習慣を正し、これによって免疫機能を高めておく必要がある。

現代的な食生活をし、ワクチン接種をしても伝染病に対しては何の効果も期待できない。

 


 ウイルスやほかの病原微生物の人体への感染を別の視点から見てみると、病原微生物こそ、人類を進化させるために存在していることも理解できるだろう。

ある病原微生物に感染し、そこで生き残り、その微生物に対する免疫抗体を獲得すれば、人間は一段と生命力を増すことが約束されるのである。

 


 人間と微生物に関する以上のような歴史的事実からも理解できるように、感染をおこして発症するか否かは、人体内環境つまり免疫力や抵抗力の強弱が大きな鍵となるのである。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

うん、そうだそうだ♪

おい、わかって言ってるんだろうな!

 

ふむふむ~~~♪

 

いってみろ!

え! まだ逝きたくな~~い♪

内容をいってみろ!

そんなの無いよ~~~う♪

 

 

高血圧症患者五千五百万人の日本人へ贈る「ほっとくのが一番」

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話が前後して分かりづらいという方へ。

本書を購入してください。

 

まず、データの捏造から誘導へ、そして売り上げナンバーワンとなった血圧降下剤。

それには、先ず「患者を造る」ことから始まる。

それは凄く簡単だった。(すぐ、引っかかるからw¥w)

 

その裏の事情を知ってから、今度は高血圧はなぜ起こるのかとか、どうしたら一番よい対処法があるのか?等、

まず順番どおり読み進めると、アナタでもチャンと理解できる本です。

買ってね♪

 

 

 

 ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

「高血圧はほっとくの一番」


松本光正著
講談社+α新書

2014年4月21日初版発行




はじめに
 - 血圧を気にしなければ病知らずになれる これから私は、あなたがビックリ仰天することを述べようと思う。
ショックを受けないよう、心して聴いていただきたい。

「高血圧は少しも気にすることはありません。ほっとくのが一番です」 私はけっして、驚かせようとしているのではない。自信を持って、思うところを述べただけである。


 しかし、あなたは語気を強め、こう問い返すだろう。

「えっ! 高血圧は脳卒中や心臓病のリスクを、大きく高めるのですよ。どちらも死に至ることの多い、恐ろしい病気ではありませんか」 

それに対し、私は答える。
「いいえ、上が200を超える極端な場合を除き、何ともありません。心配する必要はまったくないのです」

「あなたは医者のくせに気は確かですか? 高血圧が恐ろしいことは、専門家でなくても、誰もが知っている常識ではありませんか」

「常識でも、間達っているものはたくさんあります。たとえば少し前まで、BCGは結核の予防に効果があるとされていました。しかし、今では成人の予防には効果がないことがわかっています。実際、アメリカやドイツでは、もうBCGは行われていません。高血圧が危険であるというのも、間違った常識だと私は考えます」

 今や「高血圧症」は国民病といわれ、患者数は約5500万人もいるとされる(2011年国民健康・栄養調査より)。5500万というのは、とてつもない数である。
日本人の成人の半分以上が、「高血圧症」 という病気なのだ。
 普通に考えれば、こんなことがあるはずはない。


 猫も杓子も「病人」だという。しかし本人は痛くもかゆくもなく、どう見ても健康なのだ。ただ、血圧という数値が、基準より高いだけである。
 私は断言する。高血圧は病気ではない。通常、人が気にする程度の血圧が、重い病気を引き起こす可能性はゼロに等しい。


 これが四十数年問、10万人近くを診察し、自分なりに調べた末の私の結論だ。「高血圧症」が国民病など、嘘八百である。


 なぜ嘘っぱちがこれほど広まり、膨大な数の人間が「病人」 にされてしまったのか? 製薬会社、御用学者、行政が一丸となり、キャンペーンなどによって、「高血圧は危ない」 という考えを広めたせいである。


 私は 「高血圧症」とは、製薬会社の利益のために作った、虚構の病だと考えている。
 本書で述べるように、数ある医療の中でも、血圧ほどデタラメの多い分野はない。実際そこは、嘘の宝庫である。


 血圧は気にしないほうがいい。むしろ、気にしてはいけない。血圧を気にすることは、それ自体ストレスであり、そのマイナス思考が、かえってさまざまな病気を招くのだ。

ガンも脳卒中も心臓病も、最大の原因がストレスなのは、いうまでもない。「病は気から」とは、よく言ったものだ。「バカは風邪を引かない」もまた、真実である。
 スポーツジムや公民館などに置いてある血圧測定器に、間違っても腕を差し入れてはいけない。家庭用血圧計を持っている人は、今すぐ捨てよと言いたい。
 それらの計器はあなたの心を暗くし、あなたを病へ導くだけである。
ましてや血圧の薬を飲むなど、もっての外だ (上が200を超えている極端な場合や、心臓に持病がある場合はこの限りではない)。

 この世には、たくさん健康法がある。どれも毎日の食事に気をつけたり、運動を心がけたり、かなり面倒だ。
 しかし、私の説く高血圧に対する健康法は、じつに簡単である。


 放っておく。たった、これだけである。


 私は学生時代、中村天風に師事した。天風は日本で初めてヨガを行った人として知られる東洋思想家だ。私の医療に対する考え方は、天風に大きな影響を受けている。天風は、結核にかかった自らの体験から、自然治癒力を高めるプラス思考を説いた。マイナス思考は、それを弱めてしまう。


 天風は言っている。「人間は強い。自然治癒力を信じなさい。薬なんか飲まないほうがいい。平常心があれば、どんどん生きる力が湧いてくる」 何事もプラス思考が大事である -。

こういうと、誰もが納得してくれる。それを実践しながら、楽しく人生を送っている人も多い。ところがそうした人も、健康に関することになると、とたんにマイナス思考になってしまうのだ。
 血圧は、その最たる例である。


 血圧心配症から自由になれば、身も心もすこやかになれる。
 健康診断などで血圧が高いと言われ、気にしているあなたが本書を読み終えると、すっきりした笑顔とともに、病知らずに大きく近づいているはずだ。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

さて、「ほっとくのが一番」だと言われてもネエ~

これがワタシ達の本音であろうから、でわ、どうしてなの、ねえ、どうしてなの~~

ワタシは「ほっときゃ、それでイイの!」で済ましてしまう。

が、さすが専門家。臨床ですっかり自信を持っていられるから、詳しく説明されているようだ・・・・(って、オマエ読んでないのかい?  いや、読んだけど頭に入ってこないのねえ)

で、賢明な方ならすぐ理解できるでしょうから少し引用しました。
賢明で無い方は、{どうせクスリなんてのは病を治す力を持ち合わせておりません¥という理解で十分かな ¥¥w^)

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


   第二章 脳梗塞は医者が作っている


48一番怖いのは脳梗塞 

 なぜ、高血圧はいけないといわれるのか?一つには 「高血圧は脳卒中を引き起こす」ということが、常識になっているからだ。

 高血圧は別名「サイレントキラー」と呼ばれるとおり、自覚症状がないのが特徴である。だから医者は、「高血圧を放っておくと脳卒中になって、半身不随になったり命を落としたりします。

今すぐ薬で下げないと大変なことになりますよ。予防のために薬を飲んだほうがいい」 と患者をおどすのである。

 しかし実際は、医者が患者を脳卒中にしているのだ。

 このことを、少しくわしく見てゆこう。
 確かに脳卒中は、命を脅かす恐ろしい病気だ。脳卒中は、ガン、心臓病に次いで死因の第3位。日本人の死因の約15%を占める。
 日本には約150万人の脳卒中患者がおり、毎年25万人以上が新たに発症しているという。
 ※図 「さまざまな脳卒中」50 


しかし、「脳卒中」 に3種類あることほ、意外と知られていない。


 脳卒中は、脳の血管が詰まる「脳梗塞」、脳の血管が破れて出血する「脳溢血 (脳出血)」、脳の表面の血管にできたコブが破れて、くも膜という髄膜の下に出血する「くも膜下出血」 に分けられる (49ページの図参照)。


 1999年度の調査によると、脳卒中を起こした人のうち、脳梗塞が84%、脳溢血が13%、くも膜下出血は3%だった。

 この結果は、最近の有名人にもよくあてはまる。
 故小渕恵三元総理、長嶋茂雄さん、映画監督の故大島渚さん、石原慎太郎さん、歌手の西城秀樹さん、学者の栗本慎一郎さん、タレントの麻木久仁子さん、プロレスラーの高山善廣さん、女子アナウンサーの大橋末歩さん……。

 これらは皆、脳梗塞を患った人たちだ。
一方、脳溢血やくも膜下出血になった有名人というと、あまり浮かばない。

※ 図、血栓ができ、脳梗塞が起こるまでの様子(「薬のチェックは命のチェック」より)51


 脳卒中のうち最も多い脳梗塞とは、どのような病気なのだろう?

 まず、脳の血管に小さな傷ができ、それをふさぐために血の固まりができる。皮膚が傷つくと、出血の後、乾いた血によって治まるが、それと同じである。小さな血栓ができたことで、スムーズだった血の流れは乱れたり渦巻いたりし、血管はさらに傷つきやすくなる。血栓も大きくなって、ついに血管をふさいでしまう。これが脳梗塞である(51ページの図参照)。


 血栓が大きくなるのはゆっくりだが、血の通り道が非常に細くなり、ふさがってしまうのは、短時間である。麻痺などの症状が突然起こるのは、そのためだ。

 脳梗塞の原因になる血の固まりは、脳の血管に生じるものだけではない。心臓でできた血の固まりが、血流によって運ばれ、脳の血管を詰まらせることもある。

 血管にも、太いのから細いのまでさまざまある。運ばれてくる血の固まりが大きければ、太い血管を詰まらせるため、影響も大きく、非常に短い時間で症状が出はじめる。

 血管が詰まり、脳が酸欠状態になると、3~4分で脳細胞が壊死し始める。死んでしまった脳細胞は元には戻らない。このため、命が助かったとしても、手足の麻痺や、言語障害などの後遺症が残ることが多い。脳梗塞の治療は、時間との戦いなのである。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

と、まあ、原理はこうらしい

 

ということで・・・・

 

つづき

 おまけ  

健康への脅迫  BCG 世界医薬産業の犯罪  P130

 

 

薬毒と食毒のなれの果ては

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 はじめに書いておきます。

これ人ごとじゃありません。
和紙もこれを読むと、ちょっと心苦しい。むずがゆいのですが・・

 


 松本英聖著  「医学と生命」
   1994年刊

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー



   第2部 二十一世紀の展望


   第一章、 二十一世紀の五大病
      -一食・薬事の果て--

   不気味な予測

 月日の経つのは早いもので、アメリカの『食事目標』が発表されてから、既に十七年。その間日本ではガン死が死因の第一位にのし上がり、心臓病が第二位に眺り出た。そして西暦二千年にはガン患者が倍増すると予測されている。

では、二十一世紀には、一体どのような病気が我々を、待ち受けているのだろうか。過去のデータから弾きだした予測は、次の五大病である。
①心臓血管病 ②ガン ③免疫病(アレルギー・自己免疫病・エイズなど) ④精神病 ⑤先天奇形
 如何であろうか、何れ劣らぬ難病ばかりがズラリ。心臓血管病とガンは誰しも見当付くが、まさか精神病と先天奇形がワースト5の中に数えられようとは……。
しかし、これが二十一世紀の日本人の実像なのだ。
 ところで、この予測は過去めデータから予測されたものであり、その喪では極めて信匿が高いが、その反面、過去のデータが無いものについては全く予測出来ない、というのが実情である。


 従って、例えば今世界で大騒ぎしているエイズや人喰いバクテリアのようなニューフェースについては、それが登上するまで皆見当も付かない。であるから、この先エイズよりもっと恐ろしい正体不明の病気が、ある日突然発生して、人がバタバタ倒れ大量死する、という事態も起こり得るわけだ。
 もしそんなことになったら……、考えるだけでも身の毛がよだつ。
 そんな可能性はあるのだろうか。自然医学の権威・森下敬一博士は、次のように警告している。      


 「現代人は、押し並べて美食飽食のために食毒が溜まりきっている。そこへ長年の薬毒がプラスされるから、最近、身体の免疫異常が目立ってきた。謂わば浄化槽が満杯になっているようなものだ。

そこでちょっとした異物、ダニや花粉あるいはウイルスなどに接触すると、それが引き金となって、全身の毒素がいっぺんに吹き出すことになる。
エイズがその典型的なもの。そこで、このような一触即発の状態にある人々が、社会に溢れていると、誰か独り可笑しなことになると、将棋倒し(連鎖反応)に次々と薬毒が吹き出し、手の付けようがなく、バタバタと大勢の人々が倒れて大量死する、というような事態も予想し得る話。

そうなると今の医学では手の施しようが無いから、常日頃、食事を改めて身体をオーバーホールし、長年溜った食・薬毒を抜き取るよう心掛けて置くべきだ」


 なんとも恐ろしい話だが、実は先進国民は、今から八十年ほど前の今世紀初頭(一九一八~九年)、この話と同じような大量死を実際に体験しているのだ。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

20年前の本

果たして・・

 

まだこれからかな?

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 


73P
   二十世紀の疫病

 話は今世紀初頭に遡るーーー。当時欧米人達は、パスツゥールやコッホによって導かれた細菌学の目覚ましい成果に狂喜し、〝最早、人類社会から病気が無くなる日は近づいた。医学の勝利だ!〟と、バラ色の夢を描いて、手離しに現代医学を謳歌していた。


 当然である。有史以来、幾度かヨーロッパ社会を突如として襲い、その都度到る所に死人の山を築いて、人々を恐怖のドン底に叩き込んできた伝染病しその病原体が次々と発見されたのだから無理もない。近代医学を救世主と仰いで熱狂的に信奉し、誰一人としてその成果を疑う者はなかった。

 ところが、その幻想が無残にも打ち砕かれ、医学の無力さをいやという程思い知らされる日が来た。〝スペインかぜ〟の悪名で知られる悪性インフルエンザ(流感)の大流行である。

それは第一次大戦のフランス戦線に始まり、あっという間にヨーロッパ全土を席巻し、僅か一年足らずで二千五百万~五千万人と推定される人々がバタバタ倒れ、文字通り大量死した。もし、この流行が、ジェット機が飛び交う大量輸送の現代であれば、それこそ数週間で目を覆う惨状を呈したことであろう。


 このスペインかぜは日本にも飛び火し、罹患者二千三百万人、死者三八万人を数えた。欧州に比べて比較的死亡者が少なかったことは不幸中の幸いであったが、その理由は、当時の日本人は欧米食に馴染まず、昔ながらの自然の素食を専らとし、薬毒もごく少なかったからだ。


 今の日本なら恐らく欧米並み、いやそれ以上の惨禍に見舞われるに相違あるまい。


 この惨状を前にして、あれほど成果を誇った当時の花形医学は為すことを知らず、ただ右往左往するのみであった。インフルエンザの病原体が、バイ菌でなくウイルスであることが判明したのは、ずっと後の話である。


 「医学がこれだけ発達した御時世、そんなへマは絶対に無い筈。第一ワクチンがある」と、あなたは仰るかもしれないが、それは甘い。


 そもそもワクチンと言うものは、カギとカギ穴の関係に譬えられているように、カギ(ウイルス)が合わなければアウト。このため毎年、過去のデータから翌年流行(はやり)そうなウイルス型をコンピュータで弾きだし、その予測に基づいてワクチンを造る。競馬の予想と同じだ。

であるから、見込みがはずれればパーで、それから大急ぎでウイルスに合わせたワクチンをこしらえても半年も掛かるから、その時には既に事は終わっている。


 ともあれ、ウイルス性疾患には薬がない。ワクチンが駄目なら抗生物質があると思うだろうが、どっこいこれが役に立たないからお手上げなのだ。


何れにしても このような非常事態に際して現代医学は役に立たないから、せめてもワクチン予想が当たるよう祈るしかない。

災害は忘れた頃にやってくる。という事を決して忘れてはなるまい。


 対策はただ一つ。常日頃から薬・食毒を抜くよう心掛けることである。

 



ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

あの頃はまだ判明していなかったかどうか分かりませんが、スペイン風邪の大流行は自然の成り行きとしまして、人工的な要因が絡まっていたということが分かってきました。

当時の治療薬と言えばアスピリン(これくらいが代表的な薬だったのでしょうね)、ところがこのアスピリンが命取りに貢献していたというのですから、驚きです。

もっとも今の医者はそんな事を知らないでしょうし、いまだに風邪に抗生剤を出す医者も居ると聞くと、まったくもって無知蒙昧には頭が下がります。 頭が高い!

20年前よりも今の方がたくさんの薬毒(食や大気などの環境汚染も含め)が増えていると思われます。浄化の種はすでにたくさん仕込んだという状態でしょうか。

 

そして、浄化の引き金にちょうど福島のダダ漏れ放射能が絡んでくると、用意は出来た。

あとは・・・

放射能だけでみんなが何とかなるというものでなく、あらゆる要因(薬毒、食毒)が絡んで、和え物状態になった時に、世界的浄化作用(主に感染症的な形態になるかも)が起こっても不思議は無いのでしょうが。

 

さて・・・・・

万が一その時には、

今の医学はマッタク手が出ない、出せないということでしょうか。

それよりか、真っ先に逃げ出すセンセー方となるやも、

 

センセ~~~カンバ~~ク~~~~

といくら呼んでみても、それは無理というもの。

だって対処の仕方が全くないとすれば、逃げるが勝ちですからねえ。

 

それにしても、パスツールやコッホの時代はまだよかった。

浄化停止のエネルギーに合っていたから。

けど、パチンコ狂いじゃないけど・・・・

 

いちど勝利の美酒を味わったら、もう止められない、止まらない~~

何時まで、勝てると思うなよ、女房と微生物(ウイルス、細菌一同)

 

贈 !ひとでなし人科の皆さん江     微生物一同 

  

 古女房、やっぱ、一度噛みついて成功したのが運の尽き・・・・親父の遺言

バイ菌マン、もう立ち向かえない、奴らは変身する不死身マンだった・・・・あんパンマン

倍返し、そんな門じゃ清まない、一万倍返し・・・・病原性と言われてきた微生物一同

 

 

 

 

梅毒からエイズ、そして・・・・

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古代ローマと言えば、あの映画のローマ風呂。

あれは日本の風呂をマネして造られたというが・・・・果たして・・

そんな事あるか!

 

それにしても、今の医学は医聖ヒポクラテスの思想から大きく離れて実質はガレノス医学。つまり、ギリシャからローマへ移った攻撃的医学なのだという事は、いつのか記事で分かりましたね。

え、聞いてない?

まあ、最初から聞いてないかすぐ忘れるかのどっちかな~?

痴人が、「おい、俺の話を聞けQ!」などと怒り出すことがあるが、

「ふん、それを言う前に俺の話も聞け!」と言いたいが、じっと我満、我慢。

 

 

 

「食と生命」 松本英聖著より

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

5P
    フリーセックスの代償

 話題のついでに、セックスに纏(まつ)わる怪っ体な感染症ーーーヘルペス性病について紹介して置こう。


 ヘルペスとはウイルス性疾患の一つであるが、今アメリカでは二千万人がヘルペス性病に罷っていると言う。


 ヘルペスは昔からあったが、それは口唇に限られていた。かって古代ローマ時代口唇ヘルペスが蔓延し、ティベリウス帝は公式儀式でのキッスを禁止したと伝えられている。これは古代ローマの美食がもたらした食毒浄化に外ならないが、現在の陰部ヘルペスは薬毒浄化、避妊薬の乱用と、性病治療の化学療法や抗生物質の発達で出現した薬原性のウイルス。
 なお最近、二十代前半の若者を中心に風邪とオタフク風邪が合併したような「伝染性単核症」が俄かに広がって来た。欧米ではキスで感染(唾液感聾する例が多いため、「キス病」とも呼ばれる。生命には拘わらないが、感染すると高熱が出て、首の両側のリンパ節が腫れて痛む。このキス病が数年前から日本にも上陸しているから、まさに古代ローマの再現と言えよう。


 ウイルスの型は口唇ヘルペスはⅠ型、陰部ヘルペスはⅡ型で少しばかり型が違うようである。ともあれ、古今・東西を問わず雀の荒廃〟の裏には必ず〝性の退廃〟が伴ない、それに対応した浄化作用が始まるということである。




    エイズ・パニック


 「今世紀中にエイズで一億人が死ぬ!」ーーー、この不気味な予測を十年前に発表(一九八六年十月)したのは、米国公衆衛生総局の主席医務監エペレット・クープ博士。
米国におけるエイズ対策の総元締めである。同氏はさらに次の発言もした。
 「エイズの治療法やワクチンが完成する見込みがない今、「考えられる対策は教育だけ。エイズ教育はなるべく早く小学三年生からでもよい。その際コンドームの使い方も……」
 そして三ヵ月後、バウアー米教育次官は〟小学生のエイズ教育〟に関するメモを全米教育委員会に送った。これが全米のウーマンパワーに火を付け、柳眉を逆立てて侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が沸騰した。〝エイズは怖いが、さりとて小学生にまでコンドーム教育とは…‥〟というわけ。 フリーセックスの本場アメリカでも流石(さすが)にショックは大きく、狼狽(ろうばい)振りが目に見えるよう。日本の教育ママなら一体どう答えるだろうか。海の向こうの話などとタカを括って入られない。それにつけても思い出されるのが、十六世紀ヨーロッパに登場した梅毒の歴史だ。


76P
  歴史は繰り返す-ー梅毒とエイズ

 梅毒のルーツは、前述したように、コロンブスがアメリカ大陸を発見(一四九二空したお土産にヨーロッパに持ち込んだもの。時恰かもルネッサンスの真っ盛り。人間解放とフリーセックスの波に乗ってあっという間に全ヨーヨッパに広がり、〝シビリゼーション 文明)は、シフィリゼーション(梅毒)なり〟という有名な警句が出来たほど。


九年後には、はるばる海を超えて日本に上陸しているから、そのスピードに驚く。セックスに戸は立てられぬという教訓だ。
 因みにシフィリスは、ギリシャ神話に出てくるハンサムな青年牧童の名で、「日の神」を呪った神罰として全身が腐る業病を受けた。この話に因んで一五三〇年、ヴェロナのフラカルト(医師で詩人)が名付けたのが始まり。
 思えば十六世紀以降、ヨーロッパ諸国は黄金と香料を求めてアフリカ大陸やアメリカ大陸に侵入、我が物顔で原住民を殺し、奴隷にし、莫大な富を手にした。が、その代償としてセックスに纏わる業病を貰い、さらに十八世紀産業革命がもたらした繁栄の陰で白いペスト(結核)が猛威を揮(ふる)った。自業自得とは言え、ろ自然の秩序を乱せば、必ず相応の復元作用を受けねばならない。


 そして今、現代文明の行く手にエイズが立ち阻(はだ)かった。歴史は繰り返すと言うが、この前代未聞の疫病には現代医学も歯が立たず惨禍は広がる一方。


 エイズが始めてアメリカにお目見えしたのは一九八一年六月のこと。アトランタの米国立防疫センタ-(CDC)がロス地区で五人のカリニ肺炎患者(※(1))と、ニューヨーク地区で二十六人のカポシ肉種患者(※(2))が発生、何れも男性同性愛者であったと報告したのが第一報。それ以来この正体不明の奇病について監視が続けられたが、月毎に発症者が増加し、翌年九月には五九三名(うち死者二四二多に達した。この時点でこの奇病に対しエイズ=AIDS(後天性免疫不全症候群》という正式名称が付けられた。
 ※(1)カリニ肺炎=カリ二原虫の日和見感染で起こる重症肺炎
  ※(2)カポシ肉腫=皮膚血管が異常増殖する一種のガン。カポシはウィーンの医師名

 そして翌年この免疫不全がエイズウィルスによる感染症であることがフランスのモンタニエ博士(パスツール研)によって明らかにされ、漸く正体が訐(あば)かれた。


 一九八九年四月末現在、アメリカのエイズ患者は八万九千五百一人、感染者三百万~四百万と推定され、二年後には感染者は五百万人に達すると予想されている。またエイズの中心地ニューヨークでは、患者数が既に一万人を突破し、感染者は五十万人と推定されており、二五~三〇歳代の死因のトップは男女共にエイズとなっていると言う。
 兎に角、今アメリカでは毎年二万人のエイズ患者が発生し、一万人がエイズで死んでいるから、まさに世紀末の死病である。
 ところで、今アメリカのエイズ患者の九割以上は男性(この中二〇~四〇歳代が七〇%)が占め、内訳はホモ六五%、麻薬常用者一七%、その他が血友病患者と輸血感染者となっている。


 この点、日本のエイズ患者の場合は七割(感染者の九割)が血友病患者であること。またアフリカでは患者の四割弱が女性で、感染ルートも異性間交渉が八割を占め、特に子供への蔓延が著しいこと等、地域によって夫々流行パターンに特色がある。


 しかし最近では、アメリカでも女性患者の増加が目立ち、流行地もこれまでの大都市から地方小都市へと無気味に拡散しており、日本でも同様のパターンが見られるから怖い。特に昨今では、アジア地域でエイズが爆発的に広がっていることはご承知の通りだ。
 ともあれ、人間生活の基本は〝食と性〟の二大本能によって支配されており、〝食の奢り〟は〝色の乱れ〟を誘い、グルメとフリン (不倫)は表裏一体の関係にあると言えよう。
 今、アメリカ社会はエイズ・パニックのお陰で、性モラルがスローペースながらも健全化に向かっているとか。大いに結構なことで、性の自粛はやがて食の健全化を促すことになろう。日本民族もここらで食・性共に自粛すべき時であろう。


   免疫力を破壊するエイズ

 エイズ《後天性免疫不全症候群》はその名が示すように人体を守っている免疫機能が駄目になる病気で、謂わば警察のストライキだ。


 人体の防衛機構は連続した五重のバリケードで守られており、相手に応じて適材適所に対処するが、その最後の砦が免疫系である。
 免疫系は、細胞性免疫(T細筆と体液性免疫(B細胞系)の二段構えになっていて、互いに協調しながら働いているが、エイズはこの中のT細胞系(ヘルパーT細胞)がエイズウィルスに占領されてしまう病気だ。
 ヘルパーT細胞は、B細胞(抗体産生細胞)に対して抗体を造るよう指令する細胞で、謂わばアクセル役の細喝これに対してブレーキ役の方はサプレッサーT細胞と呼ばれる。そこでヘルパーT細胞(アクセル)が駄目になると、B細胞から免疫抗体が作られないため、今までお大人しくしていた微生物がここぞとばかりに暴れだす。この状態を日和見感染と言うが、要するに全身に徴菌が蔓(はび)こって、生きながら身体が腐るわけだ。


 こんな恐ろしいことになるのがエイズで、最も多い症状はカリニ肺炎(カリ二原虫の日和見感染)とカポシ肉腫(皮膚血管のガン)及びその合壁咤エイズと判定されるのはこの段階で、発症すると五年以内に殆ど全員が死亡する。


 しかし、エイズに感染しても直ぐに発症するわけではなく、二、三年経ってから感染者(キャリヤー)の二五~三〇%が発症するが、中には感染後十年以上も発症しない例もあるため、この原因解明が、エイズ対策の有力な手掛かりとして、大きな注目を集めている。


   エイズも自然の浄化作用


 今述べたように、エイズウィルスは感染から発症まで長期間潜伏するためレンチ(遅延型)ウィルスと呼ばれるが、作用面からはレトロウイルスに分類される。

レトロは〝逆戻り〟という意味だが、この名がついた理由はこうだ。


 普通生体では、親から貰った遺伝子(核酸DNA)から出発してDNA→RNA→蛋白質という順序で複製(コピー)される。ところがエイズウィルスに感染すると、この順序が狂って、RNAからDNAが合成(逆転写)されるためレトロの名がついた。レトロと言うとカッコ好いが、働きの面から見れば子が母親を学ませるようなもので、あってはならない大逆罪だが、この順逆の逆転劇を体内で演出するのがエイズウィルスなのである。このような前代未聞の逆転写ウイルスが、現代社会で猛威を振るっているのも、因(もと)はと言えば、食や性の乱れ(反自然的生活)から来る体内汚染であり、それを正すための自然の浄化作用がエイズに外ならない。

 


 従って、ウイルスだけを目の敵に(かたき)しても始まらないわけで、各自が生活を正して体質浄化を図ることが先決である。

それをせずに、やれワクチンだ治療薬だとウィルス退治に狂奔することは見当違いも甚だしい。



その間にも体内汚染は酷くなる一方だから、薬が出来なければどうなるか。また旨く薬が出来たとしても、体内汚染は今より進んでいるから、それに見合ったより強力な浄化作用(難病奇病)が発生して、助かる生命(いのち)も助からなくなる。


 その兆の(きざし)一例が、最近、南日本を中心に不気味な広がりを見せている成人丁細胞型白血病(ATL)だ。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

え^^t^、感想を・・・

あ、読んだらすぐ忘れるのが特技なので・・・

あとで気が向いたら書きます。

 

 

からだの脅威的な浄化システムでアトピーもアレルギーも万病の解明が

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ヤマノアナアナアナ・・・

穴フェラ、じゃない!!

ええ~~と、なんだっけ?

 

ど忘れのakyoonは思い出すのに小一時間・・・・

 

アンタのは忘れたんじゃ無くて・・・・

最初から頭に入らない口じゃないの?

 

アレですよ、アレ。

おお、アレか・・・

スズメバチに刺された時の、アレですよ。

うん、アレね。

 

心太で、アトピーもアレルギーもどういう意味合いがあるか知っている?

? 同じアナのムジナでしょ。

え?

だから~~、どちらも「ア」がついているでしょ!

とすると・・・

そう、アンタ(アキョン)も同じアナのムジナってことよ♪

 

むむ、不思議だ! 得体の知れないものなのか・・・・、アナ何とかと似ている・・・

 

(こういう前垣は要らないっての)

 

 

松本英聖著 「食と生命」1994年出版

より

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

200P
     第七章、免疫
            ーーー この不思議な浄化システム ーー

 免疫とは、外敵から身を守るための細胞レベルの働きであるが、前章で述べたように最近では「免疫・老化・ガン」の三者は一体として考えられ、これと「食事」との関係解明が、世界の医学の主流となってきた。 こうした動きは、十年前には予想もされなかったことで、まさに隔世の感である。


 このように、免疫システムの解明は、最先端の課題であり、それだけに、これを解説することは、かなりの紙面と高度の専門知識が必要であるため、ここでは極く大雑把に最近の動向だけを述べることにする。
 まず最初に、現在考えられている免疫障害の主なものを列挙するとーー、


①免疫過敏症=アレルギー・アトピーなど
②自己免疫=リウマチ・バセドー病・胃潰瘍など
③後天性免疫不全=エイズ


    ●①アレルギーとは何か 


 アレルギーという医学用語を最初に提唱したのはウィーンのピルケー。今から八十年ほど前(一九〇六年)の話だ。

ちなみに、アトピーとは″不思議な病気″という意味で、コカが命名(一九二〇年)、アレルギーとほぼ同じ概念である。


 さて、人体に何か異物(抗原アレルゲン)が侵入すると、生体は、この抗原を浄化して無毒化するため、抗体と呼ばれる浄化物質を作りあげる。

異物と手を握り、平和的に浄化する働きである。

この作用を医学的に抗原抗体反応と呼ぶ。

この反応は、一つの抗原に対して、それとピッタリと合う一つの抗体が作られるため、カギ(抗原)とカギ穴(抗体)の関係に譬えられる。

人間の場食その対応力は一億種類以上の抗原に対応できる能力を持つと言われている。

この抗体の対応能力の謎を分子レベルで解いたのがご存知の利根川進博士(ノーベル賞)で、この解明によって、免疫システムに関する研究が、ここ十年ほどの間に長足の進歩を遂げた。


 最新の研究によると、この免疫システムには二種類あって、一つはリンパ球(T細胞とB細胞)およびマクロファージなどの細胞性免疫システム。

他の一つは各種の免疫グロゾリン(Igと略す)を主役とする体液性免疫システムだ。

これらの免疫システムは細胞と細胞の隙間を埋めている結合組織を遊走しているリンパ球を中心にして営まれている。


 結合組織はコラーゲン繊維で出来た立体的な網目構造(細胞外マトリックスと呼ぶ)で、これによって全身が形作られている重要な組織。

この網目の中に体細胞やリンパ球が存在している。

つまり、細胞を城の本丸とすれば、結合組織は内堀に当り、血管中の血液は外堀に当たる。従って免疫システムは、内堀の浄化装置と考えてよいだろう。

 


 この内堀浄化の主役を演じるのは、リンパ球の内部にあるリゾソーム(食毒浄化)及びミクロソーム(主として薬毒浄化)で、この二段構えの浄化装置によって、本丸(細胞内)への毒素侵入が防げるわけ。

 


 ところが、食毒や薬毒が異常増加し、それが一定の限界を越えると、今度は毒素を強制的に排出する働きが始まる。

これが「炎症」で、従来の医学定義によると「潮紅・腫張・発熱・疼痛」の四大徴候を備えた症状である。

 


 この生理的反応を引き起こすのが、前章で述べたアラキドン酸カスケードである。そして、この反応が過敏になった状態がアレルギー反応にほかならない。


 なおアレルギー反応には、肥満細胞と呼ばれる特殊な細胞(細胞内部に起炎物質を入れた袋を持つ)が関与するが、これらについては、話がややこしくなるので省略する。


 さて、この強制排出の仕組みは、今述べた肥満細胞の口が開いてそこからヒスタミン、セロトニン、ゾラディキニン、ゾロスタグランディンなどの、化学伝達物質(メディエーター)が放出される。


 これらはすべて起因物質であるから、これが粘膜や内臓筋を強く剌激して排毒を促凖するわけ。


すなわち喘息発作、アレルギー性鼻炎、下痢(過敏性大腸)、湿疹など、またかゆみなどもこのためだ。


ところが、この浄化作用を抗ヒスタミン剤などの薬(毒)で押さえようとするため、ますます浄化が強力となり、ついにはアナフラキシー・ショックと呼ばれる衝撃的反応を引き起こし、ひどい時は瞬間死するから恐ろしい。


 これが薬毒禍の終着点で、ペニシリン・ショック死、アンプル薬ショック死、予防注射ショック死……など、みなこれである。

 


 今の医学では病気を悪と見るから、アレルギーを過敏体質と解釈して恐れるわけだが、本当は内堀(結合組織)に毒素が溢れきっているから、これを強制的に体外に出す有難い作用であり、天の恵みなのである。

 


 なお、この強制排出作用は、腸粘膜(腸間膜リンパ系)や気道粘膜(肺門リンパ系)及び全身の皮下組織などで行なわれる。


 因みに、東洋医学では大腸(陽)と肺(陰)は陰陽の関係にあり、また皮膚はこれらと表裏一体として把握しているが、これらはすべて、アレルギー反応による強制排出の場であるから、古代東洋医学の叡知に頭が下がる。

 


 ともあれ、病気は人間が作るもの(食毒と薬毒)であり、その歪みを矯すのはアレルギーを含めて、すべて自然の浄化作用であることを正しく理解すべきである。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

だそうですよ。

 

あ、そう

 

全ての病気症状は、回復の為の工作(人体浄化作用)が行われている最中なので、これを抑えつけても本当の治癒にはならないということでしょうか?

ところが、現代医学は「病気=悪」という思想が根底にあるので、

ほっといてはイカン。

ほっぽっとくと、アナタタイヘンナコトニナリマスヨ! と脅すのでしょうか?

いや、脅してはいないよ。ご注意申し上げているわけ。アナタノタメニ(医療関係者瓣)

 

だそうです。

あ、そう・・・

 

はて、どっちが正しいのかわかんな~~い

そんなの好きな方を選びなさいよ!

 

ところで

アレって?

アナフラキシー・ショック

のことでした・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己免疫疾患とは?その解決法はコレだ! 自分を褒め称えなさい(?)

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え~~と

どうしたの?ナニ悩んでるの?

 

いや、まえがき考えていたんだ・・・小一時間・・・

 

要らないっての!  柔らかトンカツとか刺し身とか、「要らない」ってのに出すんだから!マッタク!!

(安飲み屋に行くと、親父が勝手に出してくるオツマミの話だが)

どうして、ひとは要らないって言うと出したがるんだろう?

 

オマエのことだよ、マッタク  ← 事故突っこみ (自己免疫疾患に繋がる・・)衝撃度5

 

それよりも、記事と前垣が一致しないというワガママなコメントは記事の下の方に書き込んでください。(直しませんけど)

 

 

松本英聖著   「食と生命」994年刊 より

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 


  203P
   ●②自己免疫病
 
 免疫とは本来外敵から自己を守る働きである。
 ところが、自己免疫病とは、事もあろうに自分の身体を異物と見做して抗体を作り、我が身を溶かしてしまう、という恐ろしい病気。


 国民を守るための軍隊が、銃口を国民に向けて発砲するのと同じことで、謂わば免疫力のクーデターである。

しかも、普通の免疫抗体は、外敵(抗原)が無くなれば自然消滅するが、自己兔疫病の場合は、抗原が自分目身であるから、死ぬまで治らない。まさに自己否定病である。


 この代表例が膠原病(エリテマトーデスやリウマチなど)という名で知られる難治症で、例えばエリテマトーデスは皮膚が侵され、リウマチの場合は、前章で述べたように、細胞内のリソソーム酵素によって関節が溶かされたために骨が変形する。


 なぜ、こんなことが起きるのか。


 今の医学では全く原因不明であり、従って有効な治療法もなく、僅かに副腎皮質ホルモンによって、症状を軽減する程度だが、これとても、副作用が強く、手の施しようがない、というのが現状である。


 ところが、最近では、胃潰瘍などの潰瘍性疾患も自己免疫病の一種ではないか、という考え方が有力になってきた。


 その理由はこうだ。


 ご承知の様に、胃は肉類(蛋白頁)を分解する強酸性の胃液(ペプシン)を分泌するが、なぜか自分の胃は、溶かさない。

実に、不思議な話であるが、この理由は、胃の粘膜にはヌラヌラした粘液(ムコ多糖類)が覆っていて、これが胃液による自己消化を防いでいる、と考えられている。

 事実、強いストレスが掛かると、この粘液分泌がストップするため、一晩で胃壁がただれ、遂には穴が開くことが動物実験で確認されている。

 


204P
 その後の研究で、この粘液が胃液に対する自己抗体を作るため、胃壁が守られていると考えられている。


 そこで、この自己抗体の生産能力がダウンした状態。つまり自己免疫機能の障害が胃潰瘍であると考えられているわけだが、そのメカニズムの詳細はまだ不明である。


 以上が、胃潰瘍の自己免疫病説の概要であるが、

これを自然医学的に見れば、


こうした異変が生じるのは美食飽食に胃の生理が追い付けないためである。

それと言うのは、胃液に対する自己抗体の生産能力は先祖代々親からもらった遺伝子にプログラムされているから、その生産能力を凌駕する蛋白質が入れば、当然、胃液とのバランスが破れて、胃壁が溶かされ穴が開くわけだ。

 


 そこで、食を正し、昔ながらの素食・少食に帰れば、簡単に回復する。

胃の再生力は実に強力だから、胃に開いた穴など、すぐ修復されてしまう。


であるから、胃潰瘍は、食の乱れに対する警告反応であって、むしろ感謝すべき自然の働きである、と理解すべきである。

 


 ところが、これを逆恨みして、胃潰瘍を怖れ、医薬に頼って、揚げ句はメスで切り取ってしまう。

まさに《角を矯めて牛を殺す》という愚行である。


 リウマチなどの膠原病も理屈は同じで、食毒と薬毒が全身に溢れているため、自然は最善の浄化手段として、それらを溶かして排毒しようとしているわけ。

 


 自己免疫病とは、そういう浄化作用なのである。


 すべては、自然の浄化作用であり、それによって生命の安全が保たれているのだ。

この理を悟って、医薬信仰を改め、食事を正す以外に助かる道はない。生命の主はあなた自身であり、その生命力を信じて食を改める時、必ず道が開ける。これが生命の法則である。




  205P
   ●③後天性免疫不全症候群(エイズ)


 昨今、エイズが大きな話題となり、その対策が緊急課題となっていることは今更述べるまでもあるまい。エイズは人体の免疫力が駄目になる病気で、医学的には免疫細胞(Tリンパ球)がウイルスによって破壊され、免疫抗体が作られなくなった状態。まさに免疫ストである。
 このため、免疫力が極端に低下するから、さまざまな感染症を引き起こし、発症すると殆どが二年以内に死亡する。
 しかも、有効な対策が全くないため、世紀末の「死神」などと言われて大騒ぎされているわけ。
 では今なぜ、突如としてエイズ禍が文明社会に蔓延しだしたのか。
 この問題については、拙著『松本英聖医事論集』第二巻〈医学と生命〉で詳しく述べたので、ここでは省略させて頂く。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

なるほど、なるほど~~~♪  (おい、わかって言ってるのかい?)

 

ふむふむ~~~♪

 

おい!

 

ひとつだけ不可解なところが¥

なんだ?

 

「角を矯めて牛を殺す》・・・・・矯めて?

この「矯めて」という意味がねえ・・・

 

オマエの事を言っているんだよ。

 

え? ボクが貯めるのはお金くらいかなあ・・・・

 

いいカネ、『貯める」じゃない! 「矯める」というのはね、
アンタのねじ曲がった精神を矯正して、正しく素直な心にするという意味なんじゃよ。

 

あら、それなら必要ないね、ボクには♪

 

自己免疫疾患とは「自分で自分を嫌う」からなるんでしょ。
だから、ボクは素直にボクを認めてやる、しかも褒め称えてやる ンですよ。

アナタも自己反省もよいけど、少しは自分を褒めてあげてね。

 

自分を責めてばかり居ると、胃にアナが空いちゃうかも・・・

 

オマエはオツムにアナが空いているんじゃないのか?  あ、自己否定ダメね。

 

 


ボタンの掛け違いは中興の祖、パスツールやコッホが加速させたのか

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ボタンの掛け違いはどうして起こるのか?

これはねえ~♪

たいていは上からかけるのね、ワシの場合。

まあ、ひとによって上からでも下からでも起こりえるのだが・・・

 

ところが、このボタンの数だが

ふつうは数個、多くても一〇個くらいだろう。

まさか、20も30もボタンがあるシャツを着ている奴はいないだろう(居るかも知れないが)

 

ところが、ところが、ところがである。

このシャツは異常にボタンが多かったのである。

そして、まだ最後のボタンまでたどり着いてはいないのである。(異常に長いな・・)

そのボタンの数は数え切れないほど長い矯めに、最初に間違ってアナがずれていたなどと気づくのに200年、いや2000年もかかるようである。(長い、長すぎる!)

しかし、朗報・・・・

幾人かはその長いシャツのボタンの掛け違いに気づき始めたのであったからだ。

おお~~~♪

だが・・・
ボタンが数が余りにも多いために、まだ最後までたどり着いていないために、それを証明出来ないジレンマに陥っているという。

ダッテ

そこまで行かないと、みんなが気づかないのだ悶寝¥

 

したがって、この文は今だボタンを掛け違ったとは思わない、思えない人たちにとっては、「オマエこそボタン掛け違っているぞ!」
と、ご注意される駄郎寝¥

 

アンタ、ナニが言いたいの・・・って?

医学ですよ、医聖ガレノス医学以来、人類のボタンの掛け違いがそろそろ最終のボタンに近づいてきたということですよ・

 

ま、今回は中興の祖、パスツールやコッホからのボタンを言っているんでしょうけど。

ホントはもっとずっと前からボタンの掛け違いは始まったという。

それが松本英聖著「医学と生命」に書いてありましたね。

現大学の異性は、いや、威勢はガレノス・ローマ医学から始まった。

いやいや、威勢のいいのはガレノス派であって、ヒポクラテスは威勢が削がれたというわけか。

つまり現代医学の医聖はヒポクラテスの医学では無く、ガレノスだったという事です。

ここから始まったボタンの掛け違いですね。

「病気は天恵の(内に備わっている)浄化作用」 から 「病気は外からやって来る悪化作用」という思想にね。

外から害を与えるのは、昔は悪霊、今はウイルスや細菌微生物。

 

 

   『治す医者か、ごまかす医者か」
絶対あきらめない患者学
 
医師・小澤博樹 著    三五館・出版

より

 

先回のつづきです。

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


   ボタンの掛け違いはパスツールとコツホから
           ーーー細菌説と病原環境説

 太古の昔から多くの人々は、伝染病がなぜおこるのかという疑問をもちつづけていた。伝染病や感染症に微生物が関係していることが分かったのは、オランダのアントン・フォン・レ・ウェンフックが顕微鏡を発明し、微生物の観察が可能になった一六八三年以後のことだ。


 ヨーロッパやアメリカで、病気は明らかに伝染性であると信じる人々と、疫病は環境の変化や身体内部の乱れによっておこるとする人々との間に論争がおこった。

この論争は十八世紀に最高潮に達していた。


 十九世紀に入って、ルイ・パスツールは発酵や腐敗現象はすべて微生物の増殖によるものであることを証明した。また、炭疽菌や結核菌、コレラ菌などを発見したロベルト・コッホは微生物が病原であることを証明するための方法を確立している。


 「細菌説」(病原病原体説)、つまり感染症の原因はすべて病原菌にあり、その病原菌を殺せば、感染症は治るとする考え方を提唱したのがパスツールとコッホに代表される医者たちであり、彼らはこの説を一八八〇年代初頭に唱え、西洋医学の基本的な考え方のひとつとして定着させていった。

しかし当時彼らは人間のもつ免疫機能については知る由もなかった。

 


 しかし、いまでは一般的にあまり知られてはいないが、当時、細菌説に対抗する学説も存在していた。それが「病原環境説」という考え方である。

その名のとおり病気の原因は環境にあるというものである。主唱者となったのは、ドイツのマックス・フオン・ペッテンコーフェルという衛生学者とロシアのエリー・メチニコフという細菌学者であった。


 ペッテンコーフェルとメチニコフは、パスツールの学説に反対し、それを証明するため、学会の会場で人間の死体から培養された大量のコレラ菌を飲んでみせたが、コレラを発症することはなかった。


 また、アントワーヌ・ベシャンという細菌学者は「病気の原因は体の中にある。

体の中には有機的な微生物が存在し、体が衰弱するとそれが菌に変化して現れてくる」と説いていた。

この現象は、微生物から人間へと進化した過程を逆にたどること、つまり退化の過程をたどって、人間から微生物にもどることである。


 ペッテンコーフェルとメチニコフが公衆の面前で行なったコレラ菌を飲むという大胆な行為は、このベシャンの学説を彼らが支持していたからである。


 ベシャンは、生体内にいる微生物のことを「マイクロザイマス」と名づけたが、当時の学会は、彼の説を受け入れなかった。


しかし現在、ペシヤンの学説をみごとに証明したガストンーネサンという生物学者がいる。
 ネサンは、生体内に存在する微生物のことを「ソマチッド」と名づけている。  (中略)


 なぜパスツールは「病気の原因は外から体内に侵入した細菌である」と言えたのか。
 それは、ベシャンが顕微鏡下で体内に微生物が存在することを発見していたからにほかならない。パスツールは、自分の説を理論固めするために、ベシャンの発見を利用して、病気の原因となる細菌は体外から侵入したのだと言い張っただけなのである。69p


       二つの説は、一時期拮抗していた。しかし、論争は細菌説派の勝利に終わった。

だからこそ、パスツールやコッホは、学校の教科書にも紹介され、子どもでも知っているのである。


   


   金儲けのために「細菌説」を選んだ西洋医学

 これら二つの学説のうちどちらが正しいか。いまの時点で、西洋医学にとらわれていない目から見るならば、環境説のほうが正しい。

真理をついていると思われる。だが西洋医学は細菌説を選んでしまった。選んでしまったというより、間違っていると分かっていても、故意にそうしたのである。


 環境説が細菌説に敗れたのは、ひとつには「細菌が原因だ」と言ったほうがよりセンセーショナルであったからだ。

そしてまた、病気を細菌のせいにすれば人間の責任ではなくなり、気が楽だという面もあろう。


 しかし、いちばんの理由は、「細菌説」をとり、人間の敵である細菌を皆殺しにする薬、抗生物質を使えたほうが、金儲けができるからである。つまり薬剤をつくって儲ける側の人々がパスツールを支持したからである。


 まさに陰謀であり、この陰謀は現在まで延々とつづけられている。抗ガン剤しかり、放射線療法しかり、向精神薬しかりである。真実を何も知らされず、医科大学で教えられたウソの理論を受け入れ、操り人形のごとく、黙々と末端で働く医師や医療関係者たち、そしてだまされ骨の髄までしぼりとられる患者たち。

これが悲しい現実の世界なのである。


 もしも、当時の西洋医学が環境説を支持していれば、現代医学の治療概念は、現在のものとは大きく異なったものになっていただろう。そして今日これほどまでの間違いをおこしてはいなかったであろう。


 細菌説を選んでしまった結果が抗生物質や抗ウイルス剤、予防接種など有害薬の乱用であり、薬剤耐性菌の出現や、ウイルスの変異により強い毒性をもった新しいウイルスの出現などである。毎年、数万人の患者が院内感染という医原病で殺されている。


 学校給食での01157食中毒にも見られたように、O‐157に汚染した同じ給食を摂取しても、重症になる児童もいれば、発症しない児童もいる。

この差は、宿主である人間の体内環境の違いによる。体内環境が抗酸化の状態にあり、腸内常在菌のバランスもとれ、免疫力が正常に働いていれば、O‐157が体内に侵入したとしても、ひどい症状になることはない。

発病するかしないかは、病原菌によるのではなく、人間の体内環境の状態によるのである。

 


 また、戦時下における伝染病の流行も、人体内の環境が悪化することによっておこるのである。

戦争ともなれば、食糧不足、衛生状態の悪化とともに、戦時下にある人々は恐怖や憎悪、悲しみなど否定的な感情をもつようになる。

これらは、人の免疫力を低下させ感染症をおこしやすくする。71p

 


 いままで、調和を保って野生動物の体内に共生していたウイルスや微生物が、人間が行なう自然環境の破壊や乱開発を契機に、自然環境内の調和が破れ、微生物たちも自分の身を守るために、一気にその毒性を増すのである。そのため、そこに足を踏み入れた人間、特に免疫力の低下した人間に感染をおこし、発症させるのである。

 


 しかし、ルイ・パスツールやロベルト・コッホらの説が当時の主流となり、現在までつづいている。

病気の原因はバイ菌にあり、このバイ菌さえ皆殺しにしてしまえば病気は治るというものだ。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

ふむふむ・・なるほど~~~

 

内なる偉大なる存在を無視して、「そんなものは居ないのだから、他に依存しましょう」

というスローガン(思想)がボタンの掛け違いの始まりだっただな、きっと。

 

だから、病気の際

「ほっとくと大変なことになる」と思うわけだ。

「ほっとく(放っておく)」 = 「何も治療しない」

という公式が出来ちゃったジャン。

 

ゆえに、「アナタホウッテオクトタイヘンナコトニナリマスヨ!」という呪文が効いてくるわけだな、きっと。ねえタケシさん。

ところが、「ホントは居る、住んでいる大旦那さん」なのに、

「まったく頼りない、無能な役立たず、愚図・・・」などと(言い過ぎかな)

「居ないがごとく押し込められた」わけ。

ですが、もともと居るんですから・・

他に頼っていたって、ちゃんと奥で働いていた。

なのに、それを「居ないもの」としたから、認められない。無視されちゃった。

「役に立つのは他から呼んできたお助けマン」だと。

これがカラクリです。

 

つまり、「薬は病気を治す力は持ち合わせておりません」(現代薬理学者の弁)

なのに、

「薬を飲んで(も)病気が治る」場合が数多くある。むしろ、その方が多かった。

だが、

「薬を飲まなくても病気が治る」ことは一切無視されてきた。

そう、一番の大御所、ご主人は自己治癒力なのに、

ほぼ無視、

いや、認めているかのように言いながら実は実質、ほぼ「無力」だとしたのだ。

だからタケシの健康番組の「アナタホウッテオクトタイヘンナコトニナリマスヨ!」が効くのだ。

 

「医者にもかからず薬も飲まず死んで逝きます♪」

などと宣うものなら、危地害扱いにされてきたのであ~る。(経験上)

 

ワクチンも要りません

などと言うと、小首を傾げるのである。(それほど頭が重いのか)

 

ウイルスも細菌も生物共通の矯正、いや、共生存在なのである。

いや、むしろ人間の方が依存共生しているのだろう。

そして、

時には共生が矯正に変わる。(矯正===不調和 ← 調和にする働き)

それは人間がねじ曲がった時なのだ。

(あ、ボクの事は棚にあげてね¥^^¥)

 

 

 

 

「病気と闘うな医者と・・」読書感 4「本当は健康な病人」はこうして仕立て上げられる

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2001年の本だから、古いですね。

「あの頃は・・・」 あの頃は~~♪ 唄じゃ無いけど

「ああ、日本の医療もあんな時があったなあ・・」と思い出して笑うのもよし、

 

そこで、当時の日本の医療の裏事情を書いた本を懐かしく思い出して読んでみた。

もっとも読んだ時の感想は忘れたので、いま股よんでの感想になるが。。

 


病気と闘うな医者と闘え

   医者の嘘(うそ)の見破り方

(医師)富家 孝  光文社カッパ・ブックス

より

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

第4章  数字の虚と罠


数値で決まる健康状態

 現代はデジタルの世の中である。
 デジタルの世の中の主役は、いうまでもなく数字である。つまり、この世の中を支配しているのは、数字であって、人間の言葉などではないということを、私はつくづく感じてきた。というのも、現代医学というのは、まさにデジタル化が究極まで進み、数字がなければ、ほとんどの診察行為が成立しないからである。

 たとえば、身長、体重にはじまって、血圧、血糖値や体脂肪率まで、あなたの体はすべて数値化されて表わされる。そして、その数値だけで、あなたが健康かどうかが判断されるのである。

いくら本人が自分は健康だと言い張っても、数値が悪ければ、それは偽りの健康である。医者はそこを言葉巧みにつき、自覚症状のない病人を日夜大量生産しているのである。


〝本当は健康な病人″が大量生産される背景には、2つの理由がある。

その第一は、現代人の異常なまでの健康崇拝からくる空前の健康ブームである。

人間はいつも健康であることが第一とされ、病気が犯罪のように扱われる社会は異常ではなかろうか。

私は医者としてあえて言うが、人間がその生涯を通じて健康であることなどあり得ない。むしろ、ときどき風邪をひいたり、体調を崩したりするほうが自然だ。

 しかし、なぜか現代の日本人は、この人間本来の自然さを敵視するように仕向けられている。いつもいつも、健康でなければ気がすまないように思わされている。

おそらくこれは戦後の経済第一主義のもと、日本人のほとんどが健康な労働者であることを余儀なくされたからだろう。元気でがんばる姿が、人間の理想とされ、そう信じ込まされたのだ。

この状態をデジタル式に言うと、日本人ならいつもいつも〝いい数値〟でいなければならないということになる。

だから、私たちは本当は健康でも、数値が悪いとたちまち落ち込んでしまうのだ。〝本当は健康な病人″をつくりだすもうひとつの原因は、医療側の陰謀である。現代の医療制度は健康な人間に対して詐欺を行なっているようなものだ。


 私たちは、医者がふりまわす勝手な数値によって、病人に仕立てあげられているのである。現代の医者とは数値というトリックを巧みに操って、病人を  (中略)




基準値という名のトリック

 この最近の日本人の健康に対する過剰反応に便乗して行なわれているのが、健康診断や人間ドックの類である。空前の健康ブームの影響で、検診や人間ドックを受診する人の数は毎年右肩上がりの状態が続いているが、じつは、ここで出される数字には重大なトリックが隠されているのだ。


 そのひとつが、基準値(標準値、正常値ともいう)という名のトリックである。実際に検査を受けた人は、基準値と検査表の数値とを比較しながら、「私は健康」または「私は病気」と一喜一憂するわけだが、この基準値そのものに重大な欠陥が隠されていたとしたらどうだろうか? 

 

つまり、この基準値(正常値)が診察する側の医者や第三者である製薬会社の都合で引き上げられたり、逆に引き下げられていたらどうだろうか、ということである。


 たとえば、基準値が70~30だったのをあるときから60~40と変えてみたらどうなるか。数値が上下10ずつ狭まくなった分、異常に該当する人は増える。つまり、病人の数が増え、病院、医者はもちろん、製薬会社まで儲かるというわけである。


 本来、これら検査で設定される基準値は、よほどのことがないかぎり、動かしてはならない性質のものである。ところが、それが病院や医者の都合だけで、最近はいとも簡単にま当にたまったものではない

 私か医学の道に入ってからすでに30年ほどが経つが、この間に高血圧の数値はずいぶんと変わった。高血圧というのはほとんど数値のみで判定するから、この数値の認定の仕方が変化すれば、正常が異常になる。もちろん、それは数値を改竄(かいざん)するということではない。そんな大がかりのことなどする必要はない。ただ、ちょっと基準値の幅をいじくればいいのだ。つまり、正常とされる数値の幅を狭くすれば異常とされる数値の幅が広がり、このことは患者の数が増えることを意味するわけである。


 これは何も、血圧ばかりでなく、血液中のコレステロール値、肝機能のGOTなども同じだ。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

まあ、もっとも医者が決めているとは言っても、一部のピラミッドの上層部に居る「一部」なのだが、それがピラミッド構造で底辺の医者に通達されるわけでしょうね。

だから、もしアナタが直接お医者さんに言ってみても詮無し。

「上からのお達し」なのだからで終わりますね。

上の記事は2001年の本ですが、それが今では無くなったのかな?というと、

やっぱり今でも続いているものがありそうです。

それが高血圧患者を激増させたという血圧基準値の引き下げ事件(あえて事件です)でした。

最近の投稿でご紹介した「高血圧はほっとくのが一番」に書いてありました。

そのお達しはWHOから始まっていると知ると、もう何ともはや、世も末ですなあ~(どこかのマネ)

だから、アナタが知っているお医者さんを責めてみてもまったく無効ですから。もし怒りたいなら、早速、トイレなどに飛んでいって、鏡に向かって叫ぶしかないですね。

「ああ、こんな嘘数字をまともに信じちゃった、ボクちゃんのばかばかbaka~~~」とね。

ま、あまり自分を責めるのは止めましょ、失敗は成功のもと。
失敗は決して無駄になりません。ここで股いちばん上昇できるのだというバネ論で乗り切りましょう。

この世は嘘800万の騙しの世界でいかの乗り切っていくかという体験ゲームを設定して、そこに喜んで参加したアナタ(ボクもですが)にとって、失敗など、車の運転ゲームでしょっちゅうぶつかってリセットされる機械上の幻想だと覚って・・

それよりも、「知っても止められない」性格の矯正の方が急務です。(あ、ワシの事か)

騙されるには騙される側の原因がかなりあるというわけでして、嘘を見破られない甘さがあったとね。

くれぐれも、身近なお医者さんに文句言っても無駄ですよ。お医者さんさえ数字のトリックに騙されて来た(教育されて来た)わけですから。

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 1960年代の後半、日本中の医学部でもっとも広く使われていた教科書のひとつが『内科診断学』 (7版 1969年) という本だった。のちに臨床医として初めて文化勲章を受賞する沖中重雄氏が、著者のひとりに名を連ねる権威ある教科書であり、そこには「健常者の血圧」として「日本人の年齢別平均血圧」 が示されている。年齢別平均血圧に近い数字の算出法は「出雲同血圧=年齢数+90mHg(以下をmmHgを略し、数字で表わす)」で、この「年齢数に90を加えた数字よりも低ければ、血圧は正常」という診断法が、当時の主流であった。

 沖中氏たちは血圧の正常値を150/100と考えていたようで、この教科書には最高血圧が150、最低血圧が100より高い人々の割合が示されて、血圧が150/100以上の高血圧患者の割合は、45歳から49歳の男性では12・7%、女性は13・7%と記されている。



 ところが、これが、1970年代に入ると、世界保健機構(WHO) が、最高血圧を160以上、最低血圧を95以上と規定したことから、日本でも160/95以上を高血圧とするようになった。

つまり、この時点では正常とされる数値の幅がやや広がったのだった。

 


 さらに、1993年になると、WHOと国際高血圧学会(ISH) は新しい分類法を発表した。血圧の正常値を「最高血圧が140未満、最低血圧が90未満」としたのである。

加えて、最高血圧が140、最低血圧が90のいずれかを超えたときには、「境界域高血圧」と呼んだのである。これは、正常値と異常値の間にいわばグレーゾーンをつくったようなものだった。


 厚生労働省の保険局国民健康保険課が監修した小冊子に『血圧と健康』があり、そこには「血圧は個人差がありますが、WHOでは、最高血圧が140以下、最低血圧が90以下を正常血圧、最高血圧が160以上、最低血圧が95以上を高血圧としています。その中間は境界域血圧と呼びます」と書いてある。



毎日の生活に気をつけましょう」ということなのだが、いつのまにか日本では最高血圧なら140最低血圧なら90の、いずれか二方が超えても高血圧ということになってしまった。

つまり、グレーゾーンも異常値に含めてしまう方向に進んでしまった。

その結果、かつては治療の対象とならなかった人が、最近では血圧が140/90を超えただけで、定期的な血圧測定の対象にされることになった。


 これが数値のトリックである。厚生労働省と医者のサジ加減ひとつで、高血圧患者は増加し、儲かるという図式である。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

ね、こういう仕組みになっていたんですね。しかも2001年の本ですよ、これ。

 

それよりも、だいたい血圧がどうして上がるのかという身体の役割などが全然分かっていないところがいい加減な基準値を産みだしているということです。

しかもWHOでさえ、というよりもWHOは世界の医学の基準を西洋医学(対症療法、逆症療法を柱とする医学)にしていますから、「原因」などはどうでもよいのです。

というよりもこの医学では「原因」などより「結果」(症状)を重視しているので、そんな仕組みなどどうでもいいのでしょう。

どうでもいい・・・などと言うと不謹慎ですが、西洋医学の構造上というか、そのものが原因を知る事が出来ない、いや教えても受け付けないという頑なな医学でして。

だから、血圧が高い = 病気の発生が高い という、既に方程式が造られたあとで、その対処法としての薬が使用されるというわけでして、決して治す薬では無く、「血圧を下げる薬」なのです。

ところが、人体の仕組みとして『血圧がなぜ上がるのか?』という究極の所にまでたどり着くと、その意味がわかってきます。

それについては「高血圧はほっとくの一番」に書かれていますが、それを医者でさえ知らない。いや、知ろうとしないのかも知れません。

知っていたら、いまのような無闇矢鱈に血圧降下剤を処方するはずもないからです。

厚労省にしても、どこの部署の誰が全責任をもってやっているのか?

などと言えば、みんなが輪になって後ろ指さす低度でしょうね。

 

よって、全責任は患者個人にあ~~る。

などと書いたら、また全国五千五百万人にんの高血圧症患者さんがたから憎まれてしまうでしょうから

この辺で・・・

 

 

 

痛みの解消法と手当法の効果

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ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

食と生命


     第七章、免疫
            ーーー この不思議な浄化システム ーー




206P
    第八章、痛みについて

   ●痛みを消す脳内麻薬

 痛みは人間の肉体的苦痛として最大のものであり、誰しも本能的に逃れようとする。

 たとえ病気が浄化作用であるとしても、痛みが強ければ、それから逃れようとして医薬に頼りたくなるのも、また人情である。
〝死んでもいいから、痛みを取って欲しい″という人間の切ない願いに応えようとして、古来医学が発達して来た、と言っても決して過言ではあるまい。

 とは言え、痛みが肉体の危機を知らせる警告反応であることも事実である。
この世に居たいから痛いので、痛く(居たく)なくなればお終いーーーなどと駄洒落を言っても始まらない。
理屈はどうであれ、現に痛みがひどければ、人間誰しも救いを求めたくなる。
ここに薬物の誘惑ーーー麻薬を王座とするさまざまな鎮痛・鎮静剤が乱用され、習慣性となる最大の理由がある。
分かっちゃいるけど、やめられないというわけだ。

 ところで、この麻薬であるが、一九七五年、ヒューズ教授(アバディーン大学)によって動物の脳からモルヒネ様物質(MLF)が抽出され大きな話題を呼んだ。
そして四年後。
麻薬研究の世界的権威、ゴールドスタイン教授(スタンフォード大学)が、モルヒネの二百倍も強力なMLFを脳(下垂体)から単離することに成功して、ダイノルフィンと名付けた。
現在では、これらの脳内MLFを総称してエンドルフィンと呼び、平均して麻薬の五十倍の鎮痛効果があることが確認されている。

 人間の脳から麻薬の数十倍も強力な鎮痛物質が分泌されていたとは驚きである。

 このエンドルフィンは、脳内においてPOMC(アミノ酸・チロシンから作られる)と呼ばれる前駆物質から作られるが、この時、エンドルフィンと同時にACTH(副腎皮質刺激ホルモン)が同量作られることが明らかにされている。

 ACTHは脳下垂体から分泌されるホルモンで、この刺激で副腎皮質ホルモンが分泌され、これが抗肉体的ストレス作用を発揮することは以前から知られていた(セリエのストレス学説)。

 ところが、ACTHと同時に同量のエンドルフィンが脳内に分泌され、これが痛みや精神不安を解消するという抗精神的ストレス作用を発揮するわけで、この両面の働きによって、心身のストレスが解消されるのである。

 天の配剤とは言え、この絶妙な働きには、今更ながら深い感動を覚えるのは筆者独りであろうか。

 最近、中国のハリ麻酔が世界の注目を集めているが、数年前、日本の生理学者・武重手冬名誉教授(昭和大学・前医学部長)によって、ハリ麻酔の鎮痛メカニズムが生理学的に解明され、それがエンドルフィンの作用であることが立証されて、中国四千年の伝統医学の優秀性が見直されたのである。
  「痛みにモルヒネ」という西洋医学の発想は、すでに過去のものとなり、人間本来の生理機能による「痛みのコントロール」時代が幕開けているのだ。

 なお、武重名誉教授は、目下、気功の生理学的研究に鋭意努力されており、近い将米その全貌が明らかにされるであろう。


208P


   ●痛みを増幅する食毒

 マサチューセッツ大の研究クループ(ワートマン及びファーンストローム)は、食事によって痛みに対する感受性(疼痛閾値 とうつういきち)が異なることを明らかにして大きな注目を集めた。
彼らの研究はこうだ。

 炭水化物を摂ると、脳ー血液関門と呼ばれている関所を通ってトリプトファン(必須アミノ酸の一種)が脳内に入り、セロトニンという神経伝達物頁が生産される。
セロトニンは一名〝睡眠ホルモン″とも呼ばれており、このため眠くなる。
昔から腹がくちくなると眠くなると言われ、また事実そうであるが、この理由は、炭水化物(穀物類)食は脳内セロトニン濃度を高めるためである。

 ところが、肉食の場合はこの逆で、脳内にノルアドレナリンやドーパミンなどの〝覚醒ホルモン″と呼ばれる神経伝達物質が出来るため、脳の、覚醒レベルが高まって寝付けなくなる。

 肉と穀物では脳に対する作用が逆となるわけで、これが痛みの感受性に大きく関係するのである。

 テンプル大学の研究チームは、慢性の顔面神経痛患者三十人を対象にして、高炭水化物食(低蛋白・低脂肪食)を一ヶ月間続ける臨床研究を行ない、著しい和痛効果のあることを明らかにした。

 このように、穀菜食者は痛みに強く辛抱強いが、反対に、肉食をすると痛みに過敏となり、痛みが激しくて我慢が出来なくなるのだ。
これは心理的な暗示効果や神経的な作用ではなく、生理学的に立証された厳然たる生物学的法則なのである。

 先程の武重名誉教授の研究によると、‘疼痛抑制機構には脳内エンドルフィンの他に、脳内セロトニンが深く関与するだけでなく、さらにCCKという神経伝達物頁が重要な役割をしていることが明らかにされている。

 CCKは胆汁分泌を促す腸ホルモンで、十二指腸から血中に放出されるが、このホルモンは脳内において、エンドルフィンの鎮痛作用を抑制するブレーキ役をすることが確認されている。

 そこで、肉食(特に動物性脂肪)をすると、十二指腸からCCKが血液中に大量放出され、脳内にもこれが増える。
その結果、脳内エンドルフィンの作動が抑制されるので、痛みに過敏となるわけだ。

 実際、素食を常食とする民族は、昔の日本人を含めて、一般的に痛みに対して我慢強く、また辛抱強いことは、こうしたメカニズムによるものであろう。

 ところが文明の発達によって高蛋白質の美食飽食を欲しいままにする生活は、脳内エンドルフィンの働きを低下させるため、痛みや苦痛に対して必要以上に過敏反応するわけである。

 昔の日本の産婦や、今でも途上国の産婦たちが比較的安産であるのは、素食のためであるが、これに対して現在のアメリカでは殆どが麻酔分娩である事実は、この辺の事情をよく物語っている。

 かって快禅和尚は「心頭を滅却すれば、火も亦涼し」と喝破して壮絶な焼死を遂げた。
この他修行僧の火渡り儀式や最近では欧米でもこの種の精神修業が話題になっているが、脳内エンドルフィンの作用が活発であれば、こうした芸当も生理学的に頷ける話である。

 本来、痛みは自然の警告反応であるから、我慢できないことはないはずであり、また鎮痛機構も備わっているのに、それが辛抱しきれないということは、それ自体が反自然的現象であって、つまり食毒と薬毒、特に鎮痛剤と睡眠剤の乱用によるものである。
その結果、ますます頭痛、不眠その他の不快症状が増幅されていることを知らなくてはならない。

 当世流行の精神安定剤や船酔い薬など、百害あって一利なし。
習慣性となって雪ダルマ式に薬毒が脳内に蓄積され、ついには廃人同様になってしまう。
「頭痛には○○を……」といったコマーシャルに騙されてはならない。
〝薬は毒〟であることをしっかりと頭に入れて欲しい。


 ともあれ、痛みをコントロールするには、食事を改善し、病は浄化作用であることを確信して思い切って薬を止めること。
それが本当の解決策である。

   

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

病気は浄化作用

しかし、苦痛が伴う。

この苦痛を嫌がって皆が薬の効力に頼むのですが・・・

薬は毒ですから、この毒の作用が体のどこかに潜り込んで悪さをしてしまう。

だから、苦痛はイヤ、薬はイヤ

というワガママものには

 

手当法があります。

ボクは三十五年余り・・・・・いま454歳ですが。。

この手当法で腰痛から頭痛、肩こり、打撲痛等・・・

しのいで参りました。

世間からの冷たい目もしのいできました・・・

まあ、今では薬も医者も要らないなんて言うと変人に見られますが、前ほどではなくなってきましたね。

変人も珍人になり、そして沈人となって去ってゆくのでしょうが・・・・

 

ところで、手当法は痛み解消によく効いてきた(ただし人と時によって定番はないが)わけでして。

 岡田式浄霊法では痛みの軽減が起こるのは、毒素の活力が減衰するからだというていましたね。

ゆえに、吾あれ。

あれ?   

ゆえに、ボクも痛いときは手当てをしています。いまでも。

ぜひアナタもお試しください。

要領はブログのどこかに書いたつもりですから、あとはセルフサービスでよろしく。

 

痛いのにはその原因を作ったのを思い出し、それが解消するための痛みだと認めて

それから、自然治癒力の偉大さに感謝して、

それから

 

手当てをする。

手当てはあくまで副

自然良能力こそ主

最初から副を頼りすぎるとスカンを喰うこともありです。

しかし、副は医者も薬も無い無人島でもお役に立ちますね。

だって、

手だけあれば良いのですから。

じゃあ、手のない人は?

 

きっと

ユーフィリング かも知れません。

それもどこかに書いたつもりですが、どこだったかな?

 

 

「病気と闘うな、医者と・・」読書観5 健康診断と人間ドッグの愚とは?

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病気と闘うな医者と闘え―医者の嘘の見破り方

(カッパ・ブックス) 新書 – 2001/2
富家 孝 (著)





 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

第4章  数字の虚と罠

 


深刻な病気は発見できない

 よく考えてみてほしい。
 
 
 ふつう、私たちは自覚症状が出てから病院に行く。
 
 つまり、病気でなければ、病院と医者を必要としない。
 
 
 ところが、健康診断や人間ドックを受診するということは、健康なのに病院へ行く行為である。


これが、何を意味するかはもはや言うまでもないだろう。

医者と病院にとっては、健康な人が来てくれるのだから、これほどありがたいことはないのだ。



 日本医師会は、健康診断の必要性については→次のように説明している。
 
 
 「生活習慣病はますます若年化し、高校生で症状の出る人もふえてきました。20代で脂肪肝、肝機能障害、糖尿病になる人も少なくありません。その主な原因は過食と運動不足です。症状が出てからでは手遅れなのが生活習慣病の恐ろしいところです。定期的に健康診断を受けましょう」



 ハッキリ言って、この説明には無理がある。
 
 そもそも健康診断や人間ドックで見つかる病気は、一般的に高血圧や胆のうポリープ、脂肪肝、肝血管腫、腎嚢胞(じんのうほう)、乳腺嚢胞などにかぎられ、本当はいずれもそれほど深刻な病気とは言えないからだ。


しかし、それを言ってしまえば、健康診断や人間ドックを受ける人はぐっと減ってしまう。だから、こうして、その必要性を、日本医師会は訴え続けているのである。




 私はよく友人知人から、健康診断や人間ドックの検査結果について相談を受ける。そうした相談のうち、ここ数年目立ってきたのが胆のうポリープと肝血管腫である。

「いやあ、なんの自覚症状もないのに胆のうにポリープがあると診断されたんだが、どうすればいいか」

 と言われると、私はほとんどの場合、「ほっとけ」と答えるしかない。
 
 
 というのは、そうしたポリープは、発見されなければ、そのままその人の生活に何の悪影響も与えないからだ。


胆のうポリープも胆石も、.人間ドックで発見されなかったら、一生知らないで過ごしたサイレント・ストーン(無症状結石)であることが少なくない。

実際の所、生存中に何の症状もなくても、死亡後に解剖してみるとサイレント・ストーンがあったという例は、5~10%もある。



 では、胆のうポリープとともに多い肝血管腫とは何か~
 
 これは文字どおり肝臓の中の血管にできる腫瘍だから、診断されたほうは一瞬青ざめる。
 
 医者が「腫瘍といっても悪性ではありませんから」と言っても、腫瘍があるということは、本人にとって気持ちのいいものではない。しかし、この肝血管腫も、病名がおどろおどろしいだけで、まったく心配などいらないのだ。ガンのように悪性のものではないので、そのままほうっておいてもどうってことはない。つまり、サイレント・ストーンと同じく、発見されないほうが、本人も悩む必要がなかったというシロモノなのである。


 では、なぜ、現代医学はこんな罪つくりの診断をするのかというと、この両者とも超音波診断(エコー) が、人間ドックに導入された成果なのである。



超音波診断は、当初は脳の腫瘍や乳腺の診断、体内の異物の存在のチェックなどに使われ、その後の技術の進歩で、あらゆる臓器の診断に利用されるようになった。しかも、患者には苦痛がほとんどないし、検査時間も短いので、ついには人間ドックにも導入されるようになったものである。


しかし、これは医者側の勝手な都合であって、診断される側にはたいしたメリットはもたらさない。


 もちろん、肝ガン、膵臓ガン、乳ガンなどのガンの発見には役立つ。
 
 
 
 しかし、ガンの発見によってガンからの生遼寧があがったなどというデータはどこにもないのである。






人間ドックの患者生産システム

 私はかねてから、人間ドック、ガン検診、健康診断を見直すべきだと言い続けてきた。
 
 
 これらの検診の本質が患者を騙してリピーターに仕立てあげることにあるからであり、また、現在行なわれている検査法では、やらないのと同じくらいムダだからである。

 この辺のところは、前著『開業医の嘘、大病院の罠』 に詳しく書いたので、ここでは、2、3の例だけにとどめて説明してみよう。


 まず、人間ドックであるが、始まったころは、それなりに機能していたし、効果もあった。
 1954年に国立第一病院 (現在の国立国際医療センター) で始められた人間ドックは、当初は7日間の入院を必要とする精密な健康診断で、これは時間的にも経済的にもゆとりのある人しか利用できないものだった。

このため、1959年に聖路加国際病院が中心とのが、1泊2日の短期ドックである。
これが現在の人間ドックの主流である。

やがて1970年代になると、コンヒーーターか導入されて、3時間で検査する 「半日ドック」 も登場したのである。



 その間に、全国の病院で組織する日本病院会と健康保険組合連合会がタイアップして、受診料を一部負担するようになり、人間ドックを受ける人の数が飛躍的に伸びていった。


日本病院会の集計によると、1979年には約38万人だった受診者が、10年後の1989年には約124万人と急増しており、さらに現在でも増加の一途である。


 しかし、そういった受診者の増えた人間ドックは必然的に「見落とし」 の多い大雑把なものになり果ててしまったのだ。


というのも、l般的に1日100人程度の人が受診に来るような人間ドックでも、医者はせいぜい2、3人。それだけの人数で大量の検査データをチェックできるわけがないからだ。


もちろんコンピューターが診断してくれるデータはいいが、胃や胸のⅩ線写真などは医者が自分の眼で見なければならないので、その手間たるや大変だ。

その場合、「めったに異常などない」という先入観で写真を見るために「見落とし」が起きてしまう。


 しかし、この人間ドックも、現代では病院経営にとってそれほどうま味のあるものではなくなっている。



 人間ドックには医師、看護婦、検査技師などの人件費だけでなく、検査に使う試薬などの費用がかかる。

そのう、え、最近の先端医療技術の進歩に伴い検査機器が非常に高価になってしまったからだ。これでは、薄利多売のビジネスである。あとの見返りを期待しなけ ごれば、馬鹿らしくてやってられないというのが病院経営者の本音だろう。


 こうなると、病院側は何でもやる。
 
 先に述べた「正常値」が、ここで生きてくる。
 
 現代人が数字に弱いのをよく知っているから、「正常値」を平気で「異常値」に書きかえてしまうのである。

いまは、患者のデータはコンピューター管理だから、ある程度コンピューターにプログラミングさえしてしまえば、受診者から一定の割合で「患者」をつくるのも可能だろう。


こんなことをやっている人間ドックだから、その数値に信用がおけないのである。





人間ドックは健康診断と大差なし

 現在の人間ドックの主流は1泊2日コースだが、半日コースというのも人気がある。しかし、どちらも気安めに行くならともかく、真剣に健康チェックをしたいなら、やめたほうがましである。

一般の人は「人間ドックだから詳しい検査をしてくれる」と期待するだろうが、一泊であろうと半日であろうと、定期の健康診断とたいして変わりはないのだ。



 中略・・・・の両立腺のチェックか加わるくらいで、あとは看禎硬婦がつくといった検査とは無関係のサービスがあるくらいだ。せめて1泊2日のコースにはCTスキャンはともかく、少なくとも胃や大腸の内視鏡や負荷心電図くらいは欲しいものだが、両者の差は医学的には無意味なサービスの差でしかないのが現状だ。




 続いて
 人間ドックと企業や自治体が行なっている【定期健康診断】を比較してみても、検査の内容には目立った差はない。



人間ドックの検査がどうして定期健康診断並みの検査なのかというと、もし人間ドックを受診中に医療事故が起きると大変なので、できた当時は検査のメニューに入っていた心臓の負荷心電図などが、現在ではほとんどの人間ドックで行なわれなくなったからだ。


つまり、医療事故が起きるたびに検査の内容が減らされ、ついには定期健康診断とほぼ同じ内容になってしまったというわけである。



 たとえば、以下のような例をあげれば、納得できるだろう。1990年に全国の市町村が実施した胃ガンの集団検診では、6016人から胃ガンが発見されていて、受診者の総数が404万8233人だったから、胃ガンの発見率は0・15%ということになる。これに対して人間ドックにおける胃ガンの発見率は、1泊2日ドックの受診者の総数の37万8174人に対して胃ガンが432人から発見されたので、発見率は0・11%ということになり、集団検診よりも低いということがいえるのだ。これが、半日ドックになるとさらに低くなり、61万637人の受診者から477人の胃ガンが発見されたので、発見率はわずか0・078%なのだ。



 これで、私が人間ドックや健康診断をムダという理由がわかってもらえたと思う。


ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

現代医学は検診技術の進歩は凄いものがあると思います。

ただ、病気を発見したその後が問題なのでしょうね。

さて、異常値をみつけて病気を発見した・・

 

それをどうするか・・・逆症療法なんですね~~~

柱が薬毒なんですねえ~~~

一時的に緩和しますね~~~

 

その見返りが来るんですよ。

薬毒の・・・・

そして、症状緩和=病気の根本治癒じゃないんですね~~~

寛解なんですよ。一時抑え。

病気は自由解放運動。それを抑えつけるんですねえ~~~

 

だから、検診  →  抑えつける医療     ・・発見=良くない  こういう事なんでしょうかねえ?

 

まあ、人間ドックなんてのはニッポン医療大国の副産物なんでしょうねえ~~

詳しくは

岡田正彦先生の本をよんでみてください。

たとえば

「検診は寿命を延ばさない」とか。

 

 

痛みに対して西洋と東洋の違いは医学にも現れている・・・・『食と生命』

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   第2部 二十一世紀の展望
松本英聖著  「医学と生命」
   1994年刊



先回のつづきです。

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

食と生命

200P
     第七章、免疫
            ーーー この不思議な浄化システム ーー




   

210P
   ●痛みを消す自然法則

 ここで、腰痛、椎間板ヘルニア、神経痛、ムチウチ症など、諸々の痛みを、簡単に解決する方法を紹介しておこう。
話の主は、かってNHK特集で自閉症や筋萎縮症などの難病まで治した例が放映されて、大きな話題を呼んだ仙台の外科医・橋本敬三院長(温故堂医院・故人)。

 橋本院長は、痛みの解決法を求めてあらゆる療法-ハリ・灸・カイロ・指圧・電気療法などの民間療法も含めて何十年も研究した結果、痛みの自然治癒の法則性を発見した。

 その法則性は〝痛くない方に動かす〟という単純な原則。
これまでの療法は、すべて痛い方へと無理して動かしたが、これは逆。
かえって痛みを増幅して治りを遅くする。

 コロンブスの卵みたいな話だが、沢山の難治者がケロリと治っているから不思議。
早い人は瞬間に痛みが取れるから習っておいて損はない。

 橋本院長の説明では、これが″自然体の法則であり、人体の設計にはミスがない″ということである。
犬や猫はよく背伸びするが、これも自然回復力を応用して、身体の歪みを正しているのだ。

 子供の寝相が悪いのもこの現われの一つ。
自然の動きは痛くない方へと動いて身体の歪みを正大子供など、脇腹をコチョコチョくすぐると、こそばがって、逃げ回る。
この動きが自然体の動きで、これを繰り返していると、寝小便などもピタリと止まるから妙である。

 兎に角、人間の浅知恵で余計なお節介をせず、自然の動きに委ねることが、痛みコントロールの秘訣である。



211P
    ●呼吸法による痛みのコントロール

 既に述べたように呼吸法の原則は、息を吐く時は筋肉が緩み、吸う時は筋肉が緊張するという自然の法則である。
そこで、息を吐きながら身体を動かせば痛みが和らぐが、反対の場合は逆となる。

 実際、笑う時にはワッーハハハIと息を吐きながら笑うし、泣きじゃくるときは息を小刻みに吸う。
その逆はあり得ない。
これが呼吸の法則であって、笑えば緊張がほぐれ、内臓の働きが良くなる。
笑う門には福来たるである。

 ヨーガや中国の気功法、日本の合気道などすべてこの原理を応用し、息を吐きながら運動することによって、痛みは自然に和らぎ、また内臓平滑筋(不随意筋)の働きをコントロール出来るのである。

 これに対して、西洋の運動法は骨格筋(随意筋)の訓練を主眼とする。
そのためには、息を止めて力一杯踏ん張る。
東洋が力を抜くのに対して、西洋は力むわけだ。
力むと骨格筋は太く強くなる。
スポーツやボディービル(アイソトーニックスやアイソメトリックス)はすべてこの要領でやる。
今流行りのエアロビクス体操やジョギングなどは、力みこそしないが、酸素を十分に吸う有酸素運動法である。
ラジオ体操の深呼吸も〝大きく息を吸って……″で始まるが、これは自然の原理に反した呼吸法である。

 人間この世に生まれた時の第一呼吸は「オギャー」という呱々の声。
つまり、呼吸は吐く息で始まって、死ぬ時は息作を引き取ってお終い。

 息は、吐いて吸う。
これが〝阿吽の呼吸〟の原理である。



212P
    ●東洋医学と西洋医学

 東洋と西洋では、力の入れ方が逆になる。
鋸でも鉋でも、日本では引いて使うが、西洋は押して使う。
力の入れ方がまるで逆。
西洋のフェンシングは突き合うが、日本の力は引いて切る。

 日本人は引き算が得意だが、彼らは苦手。
だから釣銭も足し算でやる。
文章でも右タテ書きと左ヨコ書きで左右も逆転する。
日本人は朝日を拝して柏手を打つが、西洋人は夕日に敬虔な祈りを捧げる。

 また、東洋医学は排泄を重視し、断食が最高の治療法。
一方、西洋医学は摂る方の栄養を重視し、排泄は無視する。
言うなれば、東洋はマイナス発想の医学だが、西洋はプラス思考の医学。
中国は体表医学(ツボ療法)が発達し、西洋は体内の解剖学(メス)が進歩した。
まさに裏と表である。

 疾病観もそうだ。
東洋医学では病を善と考え、自然の浄化作用と見る。
だから発熱を喜び、また治療中に排毒が起こり、症状が一時的に悪化して見えることを瞑眩(めんけん)現象(好転反応)と呼んで大いに歓迎する。

 西洋医学は正反対で、病気は悪であり人類の敵と見て、発熱を恐れ、下痢を止め、症状を押さえることに汲々とする。


 東洋医学は、〝食・息・動・想・環(自然環境)″の調和を図ることを目的とする自然順応型の医学であり、〝医食同源″″武医一体に″身土不二″を旨とする医学である。

また″色心不二″(身体と心)・″依正不二(環境と生命″の仏法の神髄に生きる医学でもある。


 これに対して、西洋医学は、人間と自然を対立的に捉える人間中心の自然支配型の医学である。

そこでは。

環境と生命″、〝心と肉体〟は切り離され、内臓をバラバラにして臓器別に研究する分析主義の医学が発達した。


 この何れの医学を是とし、信奉するかは、あなた自身の自由である。

だが、世界には西欧医学だけでなく、中国医学もあれば、インド医学やユナニ医学(イスラム系医学)もあり、世界三千億の民衆が、それぞれの伝統医学を固く信じていることを忘れないで欲しい。


 医学は一つではない、ということである。

 

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

 

 

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