体験は「差」によって面白くなる。
貧富も差です。その差を体験できるのは「すべてを忘れて演じきる」からでしょ。
王様の意識があっての乞食体験は真の体験にならないんですよ。
だから、ボクは今はビンボウ体験を楽しんでいます¥(うそっぽい話だね)
どんな悲惨な状態も病気も「すべては自分が選んだ体験」だということです。
が・・・・それを回避できる能力を忘れても居るんでしょ。ただそれが運命だと諦めてしまうとまた違うんじゃないかな。
出来ることはやってみる。
出来ないことは諦める。
それの使い分けもありです。
で、ボクの不如意はどうなるのよ・・・・?
って。 まあ、自分のこころに聞くしかないでしょ。
「ニュー・メタフィジックス」第5章 輪廻転生
どうやらこの輪廻転生ゲームも終焉が近づいているようですね。
もっとも大根の輪切りのようにある時突然なくなるというのではないようで、漸次そのように移行するのかもしれません。
「本質を忘れる」ということから地球輪廻転生ゲームが有効だったのでしょうが、「思い出す」「気づく」ということの加速によって無くなっていくのでしょうか?
このチャネリングは西欧社会では当たり前のキリスト教社会ですから、輪廻転生などという教えは聖書から削除されているようで、こちら東洋から言えば、輪廻転生など当たり前だのクラッカー。
しかし、本質のことは神のような上位からの強制輪廻じゃなくて、人間自ら臨んで決めてくる輪廻転生だということ。
そして、もっと真実は三次元世界と違って時間の直線的経過じゃないので、同時進行で起こっているという不思議な世界だということです。
生まれ変わりといっても、自分の本体があっちへ行ったり来たりしているのじゃなくて、意識の焦点が幾つもあるということでしょうか?
そして、総合的に幾つもの体験を同時進行(進行というのも時間的で変だけど、三次元のボクにはわかんない)しているわけで、総合的にみてプラスマイナスの調整をしてゼロポイントを・・・・(何言ってんだか自分でもわかんない)
とにかくです。
輪廻転生は自分で選んで、そこには神の裁きとかは一切無い。ということ。
しかも、気づけばもう輪廻しようという意欲(意思、希望、意志?)も薄れてしまい、「ボク、もう輪廻しないもんね~~♪」と成家もしれません。
それはアチラの側に帰ってからのお楽しみですが・・