医学の革命書(中)より
岡田茂吉論文研究家のみなさんへ
今回は「医療とは何か」を知るためにご紹介。

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↑マネしてこんなのいれました。
「。」の所に改行をくわえてあります。
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
医療とは
『栄光』185号、昭和27(1952)年12月3日発行
これについて私は、筆に口に常に知らしているので、一応は言い尽したように思われるが、実はまだまだ足りない気もするのでここにかくのである。
何しろ一般の人は医学迷信に陥っている結果、病に苦しんでいる人が余りに多く、到底見ておれないからである。
といっても長い年月のコチコチに固まった迷信であるから、これを溶かすとしても容易ではない。
そこで私はこれでもかこれでもかというように、あらゆる面から説いて来たがこれなら分らない訳はないと思う程に、本文は徹底したつもりであるから、その気持で読んで貰いたいのである。
信者の中には標題だけでも直ぐ判る人もあろうが、しかし一般の人に分らせようとする場合、説き方の参考ともなるから、充分玩味(がんみ)されたいのである。
まず人間何かの病気に罹るや、早速御医者さんに診て貰う。
すると御医者さんは二、三の服み薬を呉れると共に、近頃は大抵注射をするからそれでちょっとよくなるので、これで治るものと思って毎日通うか、御医者さんの方から来て貰うかするが、実際は十人中八、九人は思うように治らないもので運よく一時治っても暫くすると必ず再発するのは誰も知る通りである。
もちろん薬という毒で一時抑えをするだけで、本当に治ったのではない事はいつもいう通りである。
右のように一時的で完全に治らないのは、御医者さんも充分知り抜いているはずであるが、しかし分っても現代医学ではどうにもならないから、こういうものだと諦めているだけであろう。
そこでまずお医者さんの肚の中を想像してみるとこんなところであろう。
病気というものは実に分らないものだ。
だが今日までの学者、先輩が解剖や分析、機械などで、研究に研究を尽して作り上げた医学であるから、これを信ずるより外はもちろんない。
これ程進歩した医学でも治らないのだから、まず気長に世界の学者達が協力して、たとえ僅かずつでも進歩するとすれば、いつかは完璧な医学が出来るに違いあるまいと、ただ漫然と時を待っているにすぎないのが実状であろうから、まことに心細い話である。
だがそれだけなら我慢出来るとしても、それまでの間いかに多くの病人が出来、その苦しみは固より、生命の犠牲までを考えれば考える程恐ろしい気がするのである。
ところで現在の病理であるが、病原は最初黴菌が口からか、鼻からか、皮膚等から侵入し、繁殖するためとされているが、これはまことに単純な考え方である。
では御質ねしたいが黴菌が侵入しても病が発生する人と、しない人とが出来るのはどういう訳であろうかである。
するとお医者さんは言うであろう。
黴菌に負ける弱い身体だから発病するのだとの定り文句であろうが、事実はその反対である事が近来分って来た。
それは結核は腺病質の子供は余り罹らないで、健康な子供の方が罹るという事実である。
これだけでも医学は丸っきり判っていないのである。
右は小さい例だが、大きい例といえば医学が益々進歩する程、病気の種類も増えどこもかしこも病人だらけである。
何よりも薬の新聞広告をみても分る通り、デカデカな広告を出しても、割に合う程病人が多い訳である。
従って真に薬が効くものなら段々病人が減ってゆき、ついには薬の広告主もなくなり、お医者さんは飯が食えず、病院は閉鎖する事にならなければならない。
ところが事実はその反対ではないか、としたら大いに考えざるを得ないであろう。
それについて私は長い間随分医学の盲点や、薬害の恐ろしさをかいて来たが、もしこれが間違っているとしたら、その道の人は大いに憤慨し凹(へこ)ませに来なければならないはずだが、今日まで一向そんな人はないのをみると、御説御もっともとしているのであろう。
私といえども宗教家であり、人類愛をモットーとしている以上、悪口や失業者を作るような説は言いたくないが、何としても記かざるを得ない程悲惨な現状と、神から命ぜられた私の役目を思うからである。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
さて、ここでボクが注目した文を抜き出したものです。
黒字のところが本論文です。
一般の人は医学迷信に陥っている
薬という毒で一時抑えをするだけで、本当に治ったのではない事はいつもいう通りである。
右のように一時的で完全に治らないのは、御医者さんも充分知り抜いているはずであるが、しかし分っても現代医学ではどうにもならないから、こういうものだと諦めているだけであろう。
これ程進歩した医学でも治らないのだから、まず気長に世界の学者達が協力して、たとえ僅かずつでも進歩するとすれば、いつかは完璧な医学が出来るに違いあるまいと、ただ漫然と時を待っているにすぎないのが実状であろうから、まことに心細い話である。
黴菌に負ける弱い身体だから発病するのだとの定り文句であろうが、事実はその反対である事が近来分って来た。
それは結核は腺病質の子供は余り罹らないで、健康な子供の方が罹るという事実である。
これだけでも医学は丸っきり判っていないのである。
医学が益々進歩する程、病気の種類も増えどこもかしこも病人だらけである。
私は長い間随分医学の盲点や、薬害の恐ろしさをかいて来たが、もしこれが間違っているとしたら、その道の人は大いに憤慨し凹(へこ)ませに来なければならないはずだが、今日まで一向そんな人はないのをみると、御説御もっともとしているのであろう。
さて、どうでしょうか?
いろいろな反論があると思います。
しかし、これが昭和27年1952年発表ですから、大胆ですね。まだ敗戦後7年ですし、当時の占領アメリカ軍にも気を遣っていたのでしょうがこれだけ書いたのですからね。
おそらく、現代でもこれだけ書けるのは船瀬俊介さんクラスでないとね。
最近はインターネットや本でも相当ヒドイ(じゃない)凄い題名の本が増えて来たので驚かないでしょうが。
あの時代にこれだけ書いたのですから当局は医学界の目の敵にされたのかも知れません。そういえば何か別の件で逮捕されたりしたそうですし、岡田氏の死後は文部省より宗教認可の取り消しをちらつかされて、肝心要の医学論文を引っ込めたという話も伝わっていますね。
そうして、後々は教団の勢力争い・・だなんて恥かしいなあ。
みんなにんげんだもの(みつを)
まあ、日本医師会だけじゃない、世界医薬産業界は鉄壁の防護壁をもって現代医学批判を封じてきましたし、一般庶民は徹底的に教育されたので皆信者さんバッカりになってしまいました。
それでも近年になってようやく目覚めつつあるようで、こんなボクでもブログくらいでしかできないのですが・・発信を続けてこられました。
インターネットが始まる頃に「これだ!」と思った通りになりつつありますね。
やはり物質文明の進歩はありがたいものでございます。
ただし、医学に物質一辺倒の思想を吹き込んだのにはへきえきしますけど・・
まあ、目覚めるには時間がかかるんですね。
原発神話なんてのは子供だましのようなものですよ。あんな単純な話ジャナイ。
要は人類が共同謀議(笑い)して創りあげた医学神話ですから。
信じる者は救われん(本当に救われないんでしょうが)
医学を信じ切ってしまった世界中に人間たちがあらゆる教育、分化で常識としてしまったのですからね。これがひっくり返るには下準備が100年はかかったんでしょうね。
その中にこの岡田茂吉という宗教家が加わったわけです。
もちろん、医学界にも古今東西現れていたんですが、知られなかっただけのようです。
そういう人たちも今浮上しつつあるようです。
なんと言っても岡田茂吉の凄いところはこれを宗教にしたところかも知れません。
なんとか治療としての組織だと案外弱い。それを宗教にすれば教祖対信者として絶対的信頼の上で成り立つわけで、その実効性も抜群のわけです。
それにはなんと言っても
「論より証拠」
それが治療法としての「浄霊医術」だったんでしょうが、あまりにも奇跡が起きすぎた・・・
起きすぎた? いえ、治る確率があまりにも高かったのでしょうね。
それが結局は「浄霊という方法」が主となって
「薬毒からの解放」という目的が従になってしまった。
したがって、主たる浄霊医術が効けば効くほど信者さんが集まる。
まずは浄霊という効果を頼みの綱にですね。
あとから論理を知ればよい。先ずは治るという結果を出すことが先決になる。
かくして、奇跡の宗教と言われ、燎原の火の如しで拡大に拡大・・・
ところが・・
その裏に潜んでいたのは
「依存」でしょう。
何が何でも浄霊という依存
だが、その浄霊法が効かなくなった(全然では無く、効くのだが以前よりも効果が薄くなった)としたら・・・
そのときどうする信者さんたち。
やっぱり医者だ薬だと里帰り。
それじゃあ、元の木阿弥
もともとは、医学の最大の誤りが毒を薬と称して、しかも体内毒素の浄化作用である病気に用いたこと。
それに気がつけば人類は病気を縁を切ることが出来るという教え。
その教えが徹底して腹に落ちなかったら、やっぱり浄霊でも治らないじゃないか・・・やっぱり薬にまた頼ろう・・・となる。
これが世界メシヤ教の岡田教祖の失敗だったのかも知れません。
奇跡の治療が永遠に続いているとすれば、それは薬から浄霊という治療に「依存」対象が替わっただけ。
本来は自主独立の依存は自分に向かうべきものだった。
それを岡田氏は「自然良能力」と称した。だが、信者さんはとにかく治ればよい。理屈はともかく早く楽になりたい一心で浄霊医術に頼って来る。
そして、治る。
やっぱり浄霊法だという。
だが、そこには腹に落ちていなかった薬毒論。
対象療法としての薬という毒の性質上、症状が止まって治るかのように見える治療法に対して、体内毒素を溶かして、ある程度ならそのまま消してくれるという浄霊法は正反対の性質であっても、それがもの凄く効いた時には・・・
効くのは他からのものが主因
という、要するに依存性では同じことになる。
それを薬に依存したのを浄霊に依存するという方向転換はよかったのだが・・
「依存」というものは同質で残されていた。
浄霊法が以前ほど効かなくなったとき、依然として残っている依存性はどこに向かうのか?
また薬や手術に頼る。
徹底的に自己の持つ「自然良能力」に頼り切ることは至難の業だったのだろう。
それは病気とはあまりにも苦しくて、しかも長期になるとあらゆる面で疲弊するからだろう。
それを乗り越えるには力尽きてしまう。
しかも死さえも覚悟しなければならない。
そうなると、やはり周りの大反対や世間の常識に合わせないとやっていけない。
かくして、岡田氏の創りあげた教祖没後は中心の柱としていた「医学の革命運動」を「従」にしてしまった。
それが良い悪いの問題では無く、岡田茂吉氏の最大なる活動目的は「現代医学の革命」だったのだからだ。
もちろん具体的には「薬毒からの解放」だろう。
「薬というものが無くなれば浄霊法も必要なくなる」と言っていたのだから。
しかし、薬が無くなる前の浄霊法が表舞台から消えたようだ。
もちろん、裏ではやっているだろうが岡田氏ご存命の頃から言えば奇跡の奇跡は極少ないのだろう。そんなのがしょっちゅう起きていれば黙って隠していたって他人が黙っていない。
もっとも、薬さえ絶てればそれでよいのだろう。
むしろ、大奇跡など起こらない方が依存中毒にならないから良いのだろう。
効果はあるけど主役は自分の「自然良能力」だということが分かれば、浄霊法も今でも活用出来るのだから。
しかし、これが唯一絶対のとなると・・・期待に添わないことが起こる。
なぜなら、個人個人によって方程式は異なるからだ。なぜ病気をしているのかという理由は単純ではないからだろう。たしかに薬毒は病の原料として間違いは無いだろうが、発症する、治癒するという事には治療法はあくまで「従」であって、治るも治らないも「主」は自分にあるのだからだ。
むやみやたらに他人を治してはいけないというあるヒーラーの言葉があるが、ひとは自意識では分からない奥の意識の方が病気をいま選んでいることがある。その奥の意識と合わないうちに勝手に他人の病気を治してはいけない・・というのだ。
となると、絶対神力といってどんな病気でも奇跡の連続で治るというのは、自意識(表面でわかる意識)では素晴らしいことだが、奥の意識からみると「いま必要あっての病気なのだから、余計な事をしおって」となるのだろう。
これからも数々の岡田茂吉の医学論を紹介して行くが、それを念頭に入れて「浄霊なら何でも治る」というのは当時の奇跡であって、現代では通用しないこともあるのだと言うことです。
もちろん、薬毒論と病気の浄化作用論は捨てられない論です。それに加えて人間の意識論も考えるとよいのではないかと思っています。
2013年7月12日
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尚、信者さんには心のお気の毒になると思いますので、今後はこの岡田論文研究会には覗かない方が健康上のぞましいかと存じます。
済みません。元信者ゆえにご心情がよく分かるからです。
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