Quantcast
Channel: わたしんちの医学革命と雑多な情報
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1801

インフルエンザ予防接種は重症化を防ぐか? 

$
0
0

再掲です。

まだインフルエンザ狂騒曲が聞こえてきますが、本当のことを言うお医者さんは少なく、相変わらず効きもしない手洗いだのマスクだのと言っていますね。

それをNHKはじめ放送曲(曲ですよね狂騒曲の)が流すので善男善女(お人好し)は一生懸命守っている方が多いのかな?

ま、マスクくらいはクシャミの飛散を防ぐのと喉の乾燥を防ぐ程度の効果で否定は出来ません。鼻水も隠してくれるし・・

ですが、予防できない予防接種などを推進派の医者はさも効くかのように話しているのは「あなたは嘘つき者になりないのですか?」と言いたいのです。

ウイルス学者なら常識ですよ。

と母里啓子先生の本に書いてあることを、現役の医者達は無視して、しかも反対の事を支持しているというのは、「あなたは愛がないのですか?」と言いたいですね。

まあ、「愛より金だよ、チミィ~~」などと言われたら困りますけど。

 

インフルエンザワクチンは効かない。ゆえに今度は苦し紛れに「重症化を防ぐ」なおという嘘(本当かどうかも証明出来ていないのに、さも本当の事の様に言う嘘)を平気で流している関係者さんたち← 「あなたは嘘つき者になりたいのですか?」

と言えば、そのまま返ってくるこだまの様に「オマエは嘘つき者だな」と。

こうなると、もう他人に真偽を判断して貰う時代じゃないな、こりゃ。

だからこそ、今デショ!ゼロポイントフィールドに繋がる。

繋がると、自分にとっての真実が見えてくる(他人にとってじゃないでしょう)

 

 嘘とねつ造満載の世の中に真実を見るのは、私が本当の「私」に繋がる以外になさそうじゃなあ

 

といいつつ、自分がそうなっていないんじゃないの?

「アンタが一番わかっていないんじゃない?」というツッコミを入れられた事を思い出しながら、やっぱり、股、他人のふんどしを借りてきているのだな、こら。

 

 

 

インフルエンザ予防接種は重症化を防ぐか?

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

http://union-milme.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-437a.html

インフルエンザ予防接種は重症化を防ぐか?

 MBSラジオでアナウンサーの人が、「インフルエンザの予防注射をしていたのにインフルエンザにかかっちゃったんです。インフルエンザの予防注射をするといつも調子が悪くなるけど予防注射したのに。」と言っていました。まったくそのとおりです。予防接種が効かなかったという話があちこちで飛び交っています。coldsweats02

さて、インフルエンザワクチンが効かないという記事について、次のような質問をいただきました。

ひとつ質問です。
インフルエンザの予防接種が効く、効かないというのはどんな基準に基づいて判断しているんでしょうか?

例えば、インフルエンザに罹ったか罹らなかったかという基準でしょうか。

それとも、罹ってもその症状が軽かったか重かったかという基準でしょうか。

または、完治するまでの期間が短いかどうかという基準でしょうか。

罹ったか罹らなかったかという基準では効かなかったとなっても、症状が軽くなるとか完治までの期間が短くなるという基準では効いているんであれば、予防接種が一概に無意味とは思えないんです。

どうなんでしょうか?

 重要なご質問です。結論からいえば、どんな基準でも効かないということです。wobbly感染を防ぐことも、発病を防ぐことも、重症化をふせぐこともできないし、完治までの期間の短縮ものぞめないということです。

 インフルエンザウイルスは、鼻やのどや気管の粘膜の細胞にだけもぐりこみ、寄生して繁殖するというウイルスです。空気中にただよっているウイルスを吸い込み、それが粘膜に付着することで感染するのです。粘膜細胞の中で繁殖したウイルスは、粘液といっしょに排出されます。血液を通過して感染するものではありません。

 予防接種は血液中にワクチンを注射するわけですが、インフルエンザの場合は残念ながら血液中に免疫物質(抗体)はできても、かんじんの鼻や気管の粘膜には免疫物質(抗体)ができないのです。ですから、感染もふせげないし発病も重症化もふせげません。

 一度インフルエンザにかかった人が次にはかかりにくくなるのは、鼻や気管の粘膜にも免疫物質(抗体)ができるからなのです。血液中の免疫物質(抗体)と粘膜中の免疫物質(抗体)とは、似てはいますがまったく別の種類のものなのです。

 「そんなことはない。予防接種で感染はゼロにはできないが減るんだ。」とワクチンのメーカーのセールスマンは主張します。どれくらい効くのかというと、「100人に予防接種をすれば2人には効く」のだそうです。少なっ!。しかし、ウイルス学の専門化がいくら調べても「100人に予防接種をしても効いたのは0人だった」としかなりません。

 「予防接種が重症化を防ぐ」というのは、よく聞かれる話なのですが実は全く根拠がありません。「予防接種を打ったのにインフルエンザにかかっちゃったじゃないか。」という苦情を言われた医者が、苦し紛れの弁解として、「もし打っていなかったら、もっと重症になっていたんだよ」とごまかすために作られた真っ赤な嘘なのです。不機嫌な患者をなんとかごまかしたい医者の気持ちはわかりますが、ウソはウソ。鰹節の産地偽装よりたちの悪いウソで、「ウソも方便」と許容することはできません。

 「予防接種はインフルエンザへの感染は防げないが、インフルエンザ脳症の発生は防ぐのではないか」という言われ方もするのですが、これも根拠がありません。

 インフルエンザウイルスが脳に入ることでインフルエンザ脳症が発生するのであれば、血液中の免疫物質(抗体)を増やす予防接種に効果が期待できるのかもしれません。しかし、インフルエンザ脳症では、別に脳にウイルスがまわっているわけではないのです。脳症はインフルエンザ以外の感染症で高熱が出た後にも発生する病気で、インフルエンザウイルスとは直接は関係がありません。

 インフルエンザ脳症の原因については研究が続いていますが、世界中でインフルエンザが流行しても日本にだけ多いのがインフルエンザ脳症なので、ウイルスが原因というより、処方されている薬の副作用ではないかという見方が有力です。

 非ステロイド系抗炎症解熱剤が脳症をおこすことは確実で、現在は投与が禁止されています。インフルエンザになって高熱が出たからと言って、薬局で買った解熱剤をむやみに飲むのは自殺行為に等しいのです。



 タミフルが精神異常をひきおこすことが問題になり、未成年への使用が禁止されていますが、タミフルも新しいタイプの脳症の原因となります。

 老人施設でインフルエンザの集団感染で死者がでたという事件がありましたが、これは看護・介護の体制がずさんであるとしか思えません。予防接種で重症化が防げるのなら、こんな事件は起きません。医師不足、看護師不足、介護職員不足のせいで、インフルエンザ程度の病気で死者がでるのです。



 詳しくは、国立公衆衛生院疫学部感染症室長を務めていらっしゃった母里啓子さんが昨年に書かれた「インフルエンザワクチンは打たないで!」という本(双葉社)がわかりやすいですね。happy01

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

http://union-milme.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-437a.html

 

 

次のふんどし

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

インフルエンザ予防接種は重症化を防ぐか?

さて、インフルエンザワクチンが効かないという記事について、次のような質問をいただきました。

ひとつ質問です。
インフルエンザの予防接種が効く、効かないというのはどんな基準に基づいて判断しているんでしょうか?

例えば、インフルエンザに罹ったか罹らなかったかという基準でしょうか。

それとも、罹ってもその症状が軽かったか重かったかという基準でしょうか。

または、完治するまでの期間が短いかどうかという基準でしょうか。

罹ったか罹らなかったかという基準では効かなかったとなっても、症状が軽くなるとか完治までの期間が短くなるという基準では効いているんであれば、予防接種が一概に無意味とは思えないんです。

どうなんでしょうか?

 重要なご質問です。結論からいえば、どんな基準でも効かないということです。wobbly感染を防ぐことも、発病を防ぐことも、重症化をふせぐこともできないし、完治までの期間の短縮ものぞめないということです。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

確認したら、↑ 最初のと同じふんどしを切り取っていたことに気づく。

 

 

 

次のふんどし

あ・・ふんどしなどしていないか・・・?

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

宇多川久美子「薬剤師が教える薬のリスク」
やっぱりインフルエンザワクチンは無意味?かえって重篤な副作用の恐れ



ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2015/10/post_12018.html
Copyright © Business Journal All Rights Reserved.

 

 なぜ効かないのか?

 なぜ、重症化を防がないのか?

 なぜ、こんなものを薦めているのか?

 ゼロポイントフィールドに繋がって聞いてみましょ♪

 

  ぴんぽ^~~ん^ 

「こんなの出ました~♪」 昔よく出ていた女占い師調

    ~そこには愛が無いから~

 

いちばん愛に遠いとおもわれるボクが言うんだからマチガイナイ!!

 

  しかし、ワクチンに愛が無い・・  ?

 

 ●◎ ウイルスには愛がある

    インフルエンザ・ウイルスは愛のため存在する。

 細胞はウイルスを欲している

 

これが分かったらインフルエンザ狂騒曲は、町中から聞こえなくなるデショ¥

 

 

 

 

 

 

けど。 
ソフィア 「私」視点の制限解除は、濃い感覚(物理像)ではない周波数帯域で起きるからね。
あなたがたの言語で「内面」とか「内側」というと、一般的には(思考システムの枠内では)
マインドのことをさしていて、この対応関係になじんでいると、
「私」視点の制限解除といっても、心の持ちかたとか考えかたの変化といった意味になって
しまい、たいしたことではないような印象になってしまうけど。
みけ たしかに、スピ系の話や記事で「変化は内側で~」とかいわれて、五感的な現象としては
何も起きないとなると、まやかしとまではいわないけど、けっこうテンション下がるわ。
ソフィア 濃い感覚(物理像)や中程度の感覚(マインド)として感じられる波動って、
ほんとに、ごくごく一部なんだよ。
たとえば地球という惑星像に喩えると、どこかの半島の一部とその近海だけが地球で、
大半の大陸や大洋を「ない」ことにしているのに等しい。
みけ テンション下げないようにするにはどうしたらいいの?
ソフィア 物理像やマインドの動向を気にかけないことよ。
「何か変化が、不思議なことがあっただろうか?」と推移を気にすればするほど、
時間思考、空間思考に引っかかって、思考システムから抜けられなくなる。
逆説的だけど、推移を気にかけていないと、量子的変化が実際に起きていることがわかる。
(量子的変化:1、2、3・・・と連続的にではなく、1から7に跳ぶように変化すること)
みけ 推移を気にかけるって、過去のストーリーから未来を予測するってことだもんね。
てことは、「何か変化が?」という発想をしたら、そこで思考システムが速攻再起動し、
思考システム仕様の「物体としての身体+その身体にもとづく心=私」に戻っちゃうと。
ソフィア 奇蹟的な治癒とか、思いがけない展開とかっていうのは、
思考システムのプログラムの動きを尺としたときの見かたで、
そうした奇蹟の類を含めた自在な場面展開は、「私」が個宇宙全体を見わたしていないと
できない。
「私」が思考システムの定義にしたがって「物体としての身体+その身体にもとづく心」に
制限されていると、
「私」が思考システムによる情報処理を超える周波数(感じ、感覚)を感じられないから。
すると、「私」は思考システムが想定していることしか感じられず出現せず、
現実(物理像とマインド)が非常に狭い範囲に限定されて硬直してしまいます。

みけ 逆に「私」視点が高次ゾーンだけにフォーカスされているとどうなるの。
ソフィア マインドを超える帯域の周波数をエーテル像(物質波を反映させない物理像のこと)
に翻訳して、簡単にいうと夢のような場面として認識かつ創造できたとしても、
その周波数にふさわしい(相似形の)マインドや物理像を呼び出せない。
ゆえに高次ゾーンで体験したことは、マインドや物理像では実現しません。
みけ そういう人って、物理像やマインドの認識をいったん封印、あるいは弱めて、
「私」視点を高次に引き上げて集中フォーカスするんだよね?
ソフィア そう。そうすると、微妙な感覚は増幅して、エーテル像に対応した、色や形をもった
像として感じられ、出現する。
みけ 私はナチュラルトランスタイプなので、あまりそういうことがないんですが、
何回かは体験したことがあって、物理像ともマインドの想像ともちがう、
クリアな夢のような独特のナマナマしさがあります。
ソフィア 高次ゾーンをそういうやりかたで認識する人の場合、
グラウンディングをしたあとで、あなたが紹介している①~③のイメージワークをするとか、
何らかの方法でハイヤーセルフの視点を回復させておくことをお勧めします。
グラウンディングして濃い感覚(物理像)と中程度の感覚(マインド)に再接続するとき、
客体‐空間‐時間思考システムも込みで再起動させてしまうことが多いから。
めんどうでも、ハイヤーセルフの視点を回復させる手つづきを何度も繰り返しているうちに、
思考システムを取り込まずにグラウンディングするコツがわかってくるでしょうし、
いずれは、高次ゾーンを認識するのに「私」視点を引き上げる必要もなくなるでしょう。
みけ 地球人の場合、高次と、マインド+物理像とを切り離す方式が主流だったんだよね?
ソフィア 切り離し方式は思考システムに影響しないから、
思考システムを温存しておきたい地球人自身にとって安全だった。
だから、座禅や瞑想や、さまざまな方法で意識を探究しても、
思考システムにもとづく生活とか人生という「思考」からは逸れず、
ダブルスタンダードになっていた。
みけ これは私だけかもしれないけど、「グランディングとは日常生活にしっかり対応できる
意識にしておくこと」みたいに誤解していた時期があって、
というのは、伝統的なやりかたをしていると、どうしても「日常生活をしっかり~」の方向に
マインドが接続されてしまうんで、それにすごく違和感を感じていたわけ。
ソフィアやモナ@アルクトゥルスに別のやりかたを指示されて、そのなんともいえない
キモチわるさは解消したんだけど、あれは思考システムを取り込んでたからなのかな。
ソフィア 本来のグラウンディングは、ハイヤーセルフと、ハイヤーセルフから最も遠い
「私」視点が開く感覚(地球人であれば濃い感覚=物理像)のツーポイントをキープして
おくことで、日常生活云々は何の関係もありません。
日常生活というのは思考システムの枠内でだけ通用するフィクションです。
みけ 物理像とマインドだけしか認識しない状態でも、
物理像とマインドをスリープモードにして高次だけに絞るにしても、
「私」の集中フォーカスって、なんか特殊よね。特殊技能って感じ。
ソフィア 「私」視点が特定の周波数帯に偏ることなく、全体を見わたせる軸であることが
原点です。現実がどうなるこうなるってのはその結果だから、気にしなくていい。
みけ あとね、重力がヘンっていうか、
足裏の下に電気の膜みたいなものがあって、それに載ってるような感じ。
上下左右前後の空間感覚のコントラストも弱くなって、フラットになってきてる・・・?
ソフィア 物理“像”が適正化してるんだよ。それも気にしなくていい


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1801

Latest Images

Trending Articles





Latest Images