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Channel: わたしんちの医学革命と雑多な情報
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シュバイツァー博士と桜沢如一氏

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密林の聖者は神話だったという。桜沢如一氏がシュバイツァー博士の元を訪れた時、それを見たという。あまりにもお粗末な西洋医学の医療実績を現地で見た。 
「家政婦は見た」を遙かにしのぐ衝撃の実話らしい。

野口英世伝とか、どうも「英雄伝、聖者伝」というのは創作が多いようで・・・夢を壊すなよ!

 

という怪しげなまえがきは気にしないでくださいね。

いま西洋式医学は現代医学と呼ばれて世界一の医療だと皆が思っている。特に我がニッポン人は寝。

だが、それは眠りこけた猫の様であって、夢を見て薄笑いを浮かべている様相だろう。
(猫が薄笑いを浮かべるかどうかは未確認だが)

 

もうこの時代に桜沢如一氏(さくらざわ ゆきかず)は既に見向いていたのだ。

西洋医学はまったくの無知蒙昧な学問だったという。

ま、現代でもそんな事を言えば、本気で怒られるか、頭からバカにされてしまうだろうが。

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

【医療】「シュバイツァー博士は“密林の聖者"ではなかった」1
【医療】「シュバイツァー博士は“密林の聖者”ではなかった」1
      

現代では、病気になったり、体調不良であれば、まず病院で診察してもらい、薬をもらいます。

そして、日本では医者といえば西洋医学の専門家のことを指します。しかし、全世界的・歴史的には西洋医学がメインであった時代は近代以降のごくごく一僅かな期間にすぎません。

では、それ以外の医療にはどのような種類があるのでしょうか?まず、全体像を見てみます。

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■医学の歴史

19世紀初頭まで、医学には五つの流派があって、お互いに補完し合って共存共栄していました。ところが、19世紀にアロパシーのみが唯一科学的根拠のある優れた医学として採用され、他の四つの医学は時代の権力闘争などの複雑な要因によって駆逐され衰退したそうです。

そして、明治維新と共にアロパシーのみが西洋医学として日本に伝来されてきたのです。

自然療法【ナチュロパシー】食事療法、芳香療法、鉱物療法

整体療法【オステオパシー】指圧、鍼灸、呼吸法、ヨガ、ストレッチ、カイロプラクティック

心理療法【サイコオパシー】瞑想、色彩療法、音楽療法、催眠療法、思考場療法、自律神経訓練法

同種療法【ホメオパシー】極微量の毒で健康を増進

対症療法【アロパシー】病気の症状と反対の効果を持つ薬品を投与

アロパシーのみが対症療法で、それ以外の四つは自然治癒力を高める根治療法です。現代の医学ではアロパシーが主流となり、症状を抑え込む薬剤の使用が中心となっていますが、病気の根本的な原因を取り除くためには、症状の原因を単体的に絞るのではなく、体全体の諸器官の関連性や心との関わりなどを総合的・複合的に捉える必要があります。

数百年の歴史しかない現代医学と異なり、自然療法は紀元前から行われてきた、いわば、これこそが医学の原点であり、本流なのです。

「食べない生き方」リンクより抜粋引用
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西洋医学は、対症療法【アロパシー】のひとつであって決して人類が実践してきた医学のすべてではない。まして、あらゆる地域や、あらゆる病気に万能などではない。

西洋医学が万能ではないにも関わらず、それを絶対唯一の方法として疑わず実践し、逆に病気を増やしてしまった人物としてシュヴァイツァー博士の事例があります。

一般的には、

『アルベルト・シュヴァイツァー(Albert Schweitzer, 1875年1月14日 - 1965年9月4日)は、ドイツ出身のアルザス人で、フランスの神学者・哲学者・医者・オルガニスト・音楽学者。

30歳の時、医療と伝道に生きることを志し、アフリカの赤道直下の国ガボンのランバレネにおいて、当地の住民への医療などに生涯を捧げたとされている。「生命への畏敬」への哲学などでも知られ、世界平和にも貢献。「密林の聖者」とまで呼ばれている。

マザー・テレサやマハトマ・ガンディーと並び、20世紀のヒューマニストとして知られている人物である。日本においても、内村鑑三などによって古くから紹介され、その業績は野口英世のように児童向けの偉人伝においても触れることのできる人物である。

Wikipediaより抜粋引用(リンク)』

と、歴史的偉人として学校では教えられてきたはずです。

ただ、教科書や西洋人の視点からは見えてこない実態はまったく違ったようです。

つづく


TITLE:【医療】「シュバイツァー博士は“密林の聖者”ではなかった」1 - るいネット -

URL:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=260801
  

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

つづき

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

【医療】「シュバイツァー博士は“密林の聖者"ではなかった」2
【医療】「シュバイツァー博士は“密林の聖者”ではなかった」2

TITLE:【医療】「シュバイツァー博士は“密林の聖者”ではなかった」2 - るいネット - URL:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=260802

      
これは、マクロビオティック創始者の桜沢如一氏の体験談がもとになっています。

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■シュバイツァー博士は“密林の聖者”ではなかった
 
 この事実を多くの人々はまったく知らない。赤道アフリカの、旧フランス領コンゴの首都プラザビルから、480キロメートルも奥地に入ったランバレーネという小集落(現在はガボン共和国の一部)から、オゴエ川を船で40から50分さかのぼった密林の中に、シュバイツァー博士は病院を建てて、現地人の医療と伝道を始めた。1913年のことである。その後40年にわたっての努力に対して、1952年度のノーベル平和賞が与えられた。

 博士の名声と、献身的な努力は世界中に知れわたり、世界中から訪れる学徒も多く、ボランティア志望者も跡を絶たなかった。 桜沢如一夫妻が、シュバイツァーの招きに応じて、ランバレーネを訪れたのは1955年の10月であった。
 まず驚いたのは、迎えにきた船の現地人をはじめ、手足を切断されている人々が多いことであった。間もなくわかったことは、これらの現地人はハンセン病にかかり、シュバイツァー病院で切断手術を受けたということである。

 そのハンセン病は、シュバイツァーが持ち込んだ砂糖、ミルク、コーヒーなどを、現地人にとらせたために急速に広がったということを桜沢は知ったのである。ハンセン病王国の誕生である。博士の病院は入院患者で満員であった。夜になると、ぜんそく患者のせきの大合唱だった。かつては、この地方にぜんそくなどなかったのである。博士の食事指導がその原因だった。

 その他、白内障、結核、リューマチ、心臓病、腎臓病、尿道炎をはじめ、多くの病人がいた。桜沢は、これらの病人を食事だけで、極めて短時間に片っ端から治していった。

 博士が病人を製造し、桜沢がこれを治していったのである。この事実を見せられた現地人は博士を恨むようになった。

 博士が晩年に厳しい批判を浴びるようなったのはこのためである。“密林の聖者”ではなく、“密林の悪魔”だったのである。このような事態を引き起こしたのは、博士が“身土不二”の原理を知らなかったためである。

 現地人のみならず、博士のアシスタントの医師や看護婦もほとんど健康を害し、落後する者も多かった。

 現地人の病気は、異国の食物をとったためであり、医師や看護婦は、異国で遠いヨーロッパの肉食を主とした食事をとっていたためである。いずれも“身土不二の原理”に従わなかったためである。というよりは、知らなかったからである。

 桜沢は、ここで図らずも博士と対立する事態が起こった。桜沢夫妻が、不治といわれる風土病である“熱帯性かいよう”にかかったからである。

 原因は、ランバレーネ到着以来2ヶ月間、40人の白人と同じ食事をとったからである。

 その食事の材料は、95パーセントが動物性食品やバター、チーズの乳製品、砂糖で、すべてヨーロッパから取り寄せたものであった。「その土地の産物を食べる」という、身土不二の原則に違反するものだったからである。

 桜沢を見舞った博士は「切断しなければ死んでしまう」と、西洋医学式治療を勧めたが、正食の教科書には“手術”はない。桜沢は自分で治すといって手術を断った。食事だけで治す自信があったからだ。これは西洋医学への宣戦布告だった。

 そして、特別に取り寄せた玄米によって、たった8日間でこれを治してしまった。正食の勝利であった。博士はこれを知って不思議に思い、かいようの治った跡を黙って眺めるだけだった。「どのようにして治したか」を聞こうとはしなかった。

 この事実を見せつけられても、なお“正食理論”を拒否している博士に、桜沢は見込みなしと判断し、もうランバレーネに用なしとして去るより外なかったのである。

 しかし、桜沢は博士の献身的な行動は高く評価していた。病院も患者の家族も一切無料、すべて博士独りで負担していたからである。


「砂糖病(シュガー・ブルース)」(ウィリアム・ダフティー著 日貿出版社)

てんみくろん様より抜粋引用(リンク)
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上記の事例からは、

・西洋医学は絶対ではない
・医療分野以外の社会や環境、人体に関する総合的な見識を持つ必要がある
・事実を受け入れる(理論を現実に当てはめようとしない)

ということが重要だといえます。

 シュバイツァー博士のケースでは、本人はおそらく何の悪意も無く、善意で行った医療行為なのだと思われます。しかし、人体や病気に対する正しい認識を欠いていたために、そして、事実を見せつけられてもそれを受け入れない(専門家故の)頑迷さゆえに、目的とは正反対にむしろ病気を拡大してしまった。

 もちろん、桜沢氏のマクロビオティックも唯一絶対ではないといえます。ただ、少なくとも、「身土不二」という原理原則を知っていた分、自然の摂理に近いといえます。

 人間というのは、想像以上に環境(風土、食物、菌類他)に依存・適応している。その環境条件を考慮せずに、同じ方法論を無理矢理あてはめようとすることはきわめて問題が大きいのだと思われます。



TITLE:【医療】「シュバイツァー博士は“密林の聖者”ではなかった」2 - るいネット - URL:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=260802
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

知らないでやる悪業

善意でやるが、結果は悪い。

こんな事が日々世界で、そしてこのニッポン、アチャチャア〜ニッポンン!

で、善意で正しいと思って、思われて行われている・・・まさに幻想はいつか覚める夢の如し。

さて、この夢が覚めるのは近いのか遠いのか?

底が問題だ・・・・・   

 

 

 

 

つい追記。

まあ、こんな古い話を持ち出してみても・・・

とされてしまうだろうが。

 

それにしても、今の昔の人(老人)の若い時代の食べ物と

今の今の人(若い人)の食べ物

 

ほんと、まったく異なっている事は間違いないだろう。

さて、本当にこの食の違いが実際に現れてくるのだろうか?

 

これを見届けるには残り少ない・・・あちゃあ。

というよりも、ワシも現代人的食事をして来たからじゃが・・・あちゃあ。

 

 

 


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