医学者が医学にだまされ
医者が医学者にだまされ
患者が医者にだまされる
という構図は今に始まったことでは無い。
ず〜〜っと昔から積み重ねられてきたお宝だから(もっともこのお宝はくず鉄のごとく錆びが出てくるシロモノのようだったが)
医学がどこで、どう間違ったのかなど誰も知るよしもなかった。
だが、今世紀になってようやくそれが日の光に当てられて見え始めてきたのだろう。
その事は最近売れてきている一連の医学批判の書籍にあらわれている。
つまり読者が増えたということだ。
以前にもそのような本はあったのだが、売れなかった。
しかし、ここ1,2年で世人は注目するようになった。
これも人間の奥の意識の方で「もう気づこうよ」という集団意識が働いているのだろう。
それでもまだまだ少数派だ。
昨日も今日も明日も「現代医学は素晴らしい科学的医療だから、進歩し続けている」と固く信じている人たちの方が圧倒的に多い。
それが証拠にどこの地方でもよい。病院を訪問してみれば分かる。
たいていの地方都市には大病院がある。
そこに午前中に行ってみるとよい。
どれだけ多数のひとが集まってくるか。
大病院の駐車場は満杯になるほどだ。
まるでどこかの大工場の労働者が出勤するかのように車が停められている。
これが現実だ。
そして、医学は進歩していると賛美し、いつか・きっと・そのうち(当てにならない三大言葉 (笑い)医学は人類から病気を無くしてくれるだろう。
いつかきっと新薬が全ての病気を解決してくれるだろう。
これが医学信仰というものだが、それが最近は信者数が少しだが減りつつあるらしい。
このような事は既に日本では岡田茂吉が宗教家ながらも昭和初期の時代に指摘していた。
桜沢如一も痛烈な批判論を書いていた。
西洋でもそのような人は居ただろう。
だが、大衆がそれを受け入れなかった。
医学を支えてきたのは大衆の意識だったからだ。
そして、その中からホンノ一部の人が被害を受けたりしてようやく目覚めるという事もあった。
だが、根本的なことが分からなかったのと、それを理解出来る者があまりにも少なかった。
多勢に無勢という言葉のとおり、戦中の非国民のごとく社会の片隅においやられ、追いやったのは同じ大衆であった。
戦争責任者は誰だと言うが、よくよく尋ねてみると皆が上だという、それをたどって行っても今度はそれは下からだと言われる。
下とは民衆と言われる一般人だが、下の方は皆がだまされたと言う。
だが、30年前に「医学は退歩している」とか「薬は毒で病気を造る」と言うとほとんどの大衆と言われる一般人から非国民の様に思われた。医療非国民だ。
医者にも行かない、薬も飲まない。
そんな奴は頭が変だ。おかしな奴だ。変な宗教に凝り固まったのだ・・
しかし、30年後の今、それほどは変わっていない。
その証拠が大病院の朝の駐車場をみに行けば分かるというものだ。
それよりも、国の税収がいま4〜50兆円か?
そして国民医療費が40兆円の大台に近接しているというから、そのうち税収を上回るのかもしれない医療費となる。
それでも気づかないこの国の多くの民はもう駄身だね。
と刺激的な言葉を吐いて憂さ晴らしをしている詮無し缶ビールだが。
今日もアメリカの雄。故ロバート・メンデルソン医博著
女性患者が医者をだますとき 、じゃないか、女性編 医者が患者をだますときから
「現代医学の致命的欠陥」という項目を紹介する。
嗚呼、もう何十年前の医博の告白なのだが、今さらながらという思いである。
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
現代医学の致命的欠陥
前著の冒頭で、わたしがなぜ現代医学を信じないのか、その理由をいくつか大まかに述べた。女性の身にふりかかる医療被害をわたしがなぜこれほどまでに切実に訴えるのか。ここでもう一度その理由を述べておく。
・医療の当事者である医者が、人びとの健康をおびやかしているもっとも危険な存在である。
・現代医学の治療はめったに効果がない。それどころか、治療しようとする病気よりも治療のほうが危険という場合がよくある。
・医者は、本当は病気ではない患者に危険な治療をし、それによって本当の病気をつくり出し、自分が及ぼした被害を取り繕うためにさらに危険な治療をする。そしてその結果、患者はよりいっそう危険な目にあう。
・現代医学は、患者の生命が危ぶまれている場合以外にはおこなうべきでない危険な医療処置を軽症の治療の際にもおこなって、患者を危険にさらしている。
・ほとんどの医者が知らず知らずのうちに製薬会社の手足となって働かされている。その結果、効果の疑わしい非常に危険な薬の大規模な臨床試験のために、おおぜいの患者がまるで実験動物のように利用されている。
・医者、病院、薬、医療機器という、現代医学を構成するこれらの九割以上がこの世から消えてなくなれば、現代人の体調はたちどころによくなるはずだ。
以上がわたしの確信である。
わたしは現代医療システムを一種の宗教と見なして「現代医学教」と呼んでいるが、医学界の異端者によるこのような見解は、同業者の反感を買うことがよくある。
典型的なコメントは次のようなものだ。「あなたの言っていることには部分的には賛成だが、そこまで断定的な主張を展開すべきではない。そんな極論ともとれるような言い方をしていると、あなたは世間の信頼を失ってしまうだろう」
信じられないのは、わたしの主張に激しく反論する多くの医者が、わたしが世間の信頼を失わないように気づかってくれていることだ。もちろん、彼らの本当のねらいがどこにあるのかくらい、わたしはよくわかっている。彼らは自分だけは他の医者たちとは別だから、「無罪放免」という評価を得ようとしているのだ。
しかし、わたしはその手にはひつかからない。もしわたしが「この医者だけは現代医学の破壊的な影響を受けていないから別だ」と認めれば、全米の医者がわれ先にわたしの主張に賛成し、「自分はいい医者だが、他の医者はひどい」と言い出すだろう。そうなれば、わたしの闘争は負けである。
もちろん、すべての医者、あるいは大多数の医者が意図的に不正医療をおこなったり、間違った指導をしたり、だまそうとしたりしているわけでは決してない。
たしかに医者のなかには愚か者、ペテン師、役立たず、悪人といった不届き者がいることは事実である。しかし、それはどの職業集団にも言えることだ。
わたしが批判しているのはそういったことではなく、現代医療システム(または現代医学教)なのだ。
医者は医学部で洗脳され、医者になってからも同一の規範に従うことを求める医学界の圧力を受けながら医業を営んでいる。現代医学の伝統と教義は、医者の行動に微妙な影響を及ぼし、その結果、すべての患者が身の安全をおびやかされるのだ。
このことは前著である程度深く掘り下げて書いたので、ここでは繰り返さない。興味のある方はそれをお読みいただきたい。要するに、わたしがなぜ医者の職業集団を一般化して述べているかというと、程度の差こそあれ、すべての医者が医学生のときに教え込まれた独断的見解の影響を受けているからである。
医学部では、聞こえのいい偽善的な言い回しを使って物事の本質を覆い隠しながら、数々の不正医療を医学生に教え込んでいる。わたしはその実能昔よく知っているだけに、それを憂慮している。
医学生の人格と行動は医学部での洗脳教育によってゆがめられる。その結果、高い代償を払わされ、時には生死にかかわるような状況に置かれるはめになるのは、ほかならぬあなた自身なのだ。
わたしが自分自身を含めて医者の職業集団のほかに例外を認めるわけにはいかないのは、こうした理由からである
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー