医者が患者をだますとき 女性編
でロバート・メンデルソン医博は
現代医療の9割あまりが不要だという衝撃的な説を書いていた。
だが、そんな話はほとんど荒唐無稽な話として誰からも受け入れられなかったのだろう。
だからこそ、この日本においてもアメリカと同じように現代医学
(本当は西洋医学の一派が異常に拡大して世界を圧倒しただけで、正当であると思わされているだけで、本質は代替医療なのである。 代替医療とは人間自らの自然修復力(病気を引き起こす力も含まれる)が正当医療というもので、代替医療はそれにとって変わるものでは無い。西洋式対症療法のひとつである、薬剤を中心とした一時的苦痛緩和法が現代医学と呼ばれているもので、むかしは西洋でもひとつの派でしかなかったのだ。それが政治力、経済力などを抱き込んで、いや逆なのかも知れないが、ひとつの権力や金力と結びついて発展下に過ぎない。これが正当だという理論的な証拠など無くても世界中に拡げられたのは一般人にそのような教育を施したのもひとつの理由だろうが、一番の理由は大衆、一般人がそれを望んでいたからだ。
その基盤となるのが人類の永年にわたって深く信じられてきた「薬信仰」にあったのだ。
薬を使えば病気が治ると錯覚したのが延々と続いてきたのだが、それ信仰によって産まれたのが薬中心の対症療法で物質科学の進歩と相まってその威力を発揮したわけだ。
それが今世界中で現代医療の中心となって世界を席巻している現代西洋医学というものだろう。
しかし、この時節において次第にその化けの皮が剥がれてきている。
その化けの皮という過激な表現だが、じつは苦痛緩和と病気が治ると言うのは本質が違っていたのだ。
ただし、薬が病気を治しているのではないが、薬を使っても病気が治ったわけで、そこがもの凄いカン違いを産んできたのだろう。
つまり薬という毒を入れて苦痛緩和を施しているのだが、本当の治癒は自分自身の身体に備わっている修復力が行っているわけで、同時に進行中とすれば治ったのは薬のお陰だと思うわけだ。
自分で治る力が無ければどんな薬でも治らない。また他の治療法でも同様と言える。
本当の治癒力は自分自身だから、正当な治療法は自分の内なる力であり、これが正当な治療法というわけだ。
したがって、代替医療と呼ばれるものも含めて、正当医療と称している現代医療も同じく「代替医療」なのである。
いかなる奇蹟的治療法でも万人を治せるわけでもない。
だから、薬という一時的緩和方法で治ったのも、毒(薬)を使わない他の方法で治ったのも自分自身が主治医だということだ。
だが、その補助手段として代替医療を活用するのは有効だろう。
それも個々によって大きな差が出るのは当然だ。
主治医が治さなければ効果に大きな差がでるわけだから。
いずれにしても、薬という毒が一時的緩和方法であり、病気を治すのはないという事を知れば現代医療はいずれ首座を明け渡す時期が来るだろう。
その一番の理由は薬は毒だからだ。どんな理窟をならべてみても、毒を入れて何かの刺激をあたえり影響を与えたりするその裏側には同時進行で毒による血液(生命の象徴のようなもの)を汚してあらゆる病気の源をつくるからだ。
ひとによってはその汚濁した血液を容易に浄血する能力が強い人、弱い人と大きな差があるので、方程式がかけないのだが本質から言えば、毒を入れたら害になるという自然的単純な方程式はあると思う。
苦痛緩和方法や毒の性質を利用して何かの作用を施してみても、それは根本治療にはならないという事を知れば、いずれは西洋式対症療法が行き詰まりになるのは自然の成り行きであり、我々はそれを心のどこかに認識しておれば、見えてくるものだろう。)
あれ、括弧内でおわっちゃった。
(^_^;
ピンクリボン運動と全然関係なかったね。 コイツゥ(=^ェ^=)∂ポカ(^_^;)