教育が医者を作る
どんな名医でも最初は医学生である。
そして、教育を受けるのはほとんど西洋医学である。
その教育とは? ロバート・メンデルソン医博は告白するのであった。
医者が患者をだますとき 女性編より
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
医者が受けている教育
医者は自分が医学部の出身であることを鼻にかけ、患者を見下したような態度をとるが、医学部の出身であるということは、実際にはそれほどたいしたことではない。
わたしも医学部の出身だし、いくつかの大学の医学部で教鞭をとってきた。しかし、どうしたらその経歴を孫たちに知られないようにできるかを考えているくらいだ。
高等教育の目的は、物事を合理的に考え、論理的思考を培い、疑問を抱き、創造性を発揮するための知識と方法を学生に提供することである。学生は教授と討論し、博士論文の承認を申請すれば、自分の論文の正しさを証明することが求められる。
医学部はそうではない。医学生は議論したり疑問を抱いたりすることなく、思考停止状態で医学理論を鵜呑みにし、指導教官の言葉に条件反射的に紋切り型の答え方をするよう指導される。
たとえば「連鎖球菌」と聞けば、「ペニシリン」と答える。教授が「右下腹部の痛み」と言えば、「アッペ (虫垂切除手術)」と答えるように教え込まれるのだ。(中略)
要するに、医学部は独断と偏見に満ちた医学体系を教え込み、医学生が判断力を行使する権利をごく狭い範囲に限定するのである。
医学生はどの百日咳ワクチンを使用するかについて議論することは許されても、そもそも百日咳ワクチンを使用すべきかどうかについて議論することは許され ない。中耳炎の治療にどの抗生物質を使用するかについて検討することは許されても、感染症の標準的治療として抗生物質を使用することに疑問を抱くことは許 されない。
医学部でおこなわれる主な試験は、ほとんどすべて選択式である。したがって、医学生は単語はおろか、文あるいは@い文章を書くことすらなく、ましてや一 ページもの文章を書かされることはまったくない。医者の処方箋に書かれている字が読みづらい原因はここにある。薬剤師は処方箋の字を判読できないことがあ り、たとえば痛風患者に降圧剤を渡したりすることがある。
なぜ医学部は、判読不能な字を書くことを医学生に徹底的に教え込むのか。わたしは以前この謎が解けなかった。
医者が看護婦に理解できる字で投薬指示書を書き、薬剤師に理解できる字で処方箋を書くのが望ましいことは言うまでもない。
最近、わたしはその謎解きに成功している。
病院のカルテに残っている判読不能ななぐり書きを時間が経過してから調べると、どの医者が指示や記録を書いたかを割り出すことはほぼ不可能だ。ねらいはそこにある。
医者はなぐり書きをしておけば、不正医療の訴訟が起きた際に責任を負わなくてすむのだ。
教えられた内容を疑問視するような医学生は、医学部を卒業する見込みが薄くなるだけでなく、たとえ卒業しても、良い研修医制度と専門医学実習制度に参加しにくくなり、医師免許試験に合格することもむずかしくなる。
波風を立てるような言動は、それどころではすまないことがある。わたしは自分の担当していたある医学生のことが今でも忘れられない。彼は産科学を専攻しようと考え、授業を受けていたのだが、・・・
(中略)
教えられた産科特有の愚劣な医療処置すべてに納得できず、産科の指導教官たちに質問をしたのだ。
「産婦の両足が上げた状態で支脚器で固定されるのはなぜですか?」「なぜ麻酔分娩をするのですか?」「陣痛の初期段階で分娩誘発をするのはなぜですか?」「明確な必要性がないのに、帝王切開がおこなわれているのはなぜですか?」
結局、彼が得たのは、回答ではなく処分だった。
彼は医学部長に呼び出され、精神鑑定を受けることになった。医学部では、敵意のこもった質問をする医学生はすべて 「精神障害者」と見なされるのである。
こういった独断と偏見に満ちた医学教育の弊害は、思考力に富む、知性豊かで、確固たる倫理観を持つ医学生を排除し、愚劣な伝統をかたくなに維持するというだけではない。
このような体質は、無駄な治療をおこなわない画期的な医療体制の確立を阻止することになるのだ。
この点についてロジャー・ウィリアムズ博士は、『病気に打ち勝つ栄養』 という著書のなかで次のように指摘している。
「現在、アメリカの医学部は画一化(均質化ではない)されている。
いったんある信念が正統派として確立されると、それに異議を唱える世代は抑圧される。
われわれは一種類の医学、つまり近代医学しか知らないので、すべての医学部が基本的に同じことを教えている。
カリキュラムは必要と考えられていることで飽和状態になっているために、新しいアプローチを試みる時間も余裕もほとんどない。
その結果、
医学は、すでに受け入れられていることが不変の真理であるとする因習に縛られやすくなる。科学が正統派として不動の地位を築くと、それはもはや科学ではなくなり、真理の探求をやめ、過ちを犯しやすくなる」
(中略)
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
実際は医学上の常識は年々変化しているという。
だが、まだ変更しないことに異論を唱えると抑圧される
この矛盾が理解出来ないひとは医学信者だろう。
信者は教義に異議を唱えてはいけない。あくまで上から変えられた時まで待たなければならない。
信者は批判する自由は与えられない。
ゆえに教義が上で固まったままだと永年ずっとそのままの教義を信じ続けるのである。
(教祖が死亡した時点で時代は停まってしまう。祖の教義の中で時代の進歩にあわなくなって古くなったものでも真理とされ続ける。)
医学は医学内で変更がされない限り、外から変更は出来にくいのだ。
そして、たとえ間違っていたとしてもそれは正当科学だとして持続する。
そんなバカな!
その実例が出てきたのが
アメリカ医学界発「絶対受けたくない無駄な医療」という本だろう。
つまり、医学の上の方の本拠から教義が変えられたことが下に通用してくると言うものだ。
※アメリカ医学界は専門分野からそれぞれ5つずつ無駄な項目を出してもらったら、とりあえず¥¥無駄な医療(有害な場合もある)が露出された。つまり上の方から出された教義の改編である
それを過去において外から幾ら出してみても受け入れられない、拒否され抑圧される運命だった。
そして、それを支えてきたのが信者である。
信者とは患者になるひと全てであるが・・
決して信者側から教義の書き換えは出来ないのだ。
それが医学が宗教であるという意味だろう。
じっさい、信者を止めないと教義の批判や異論を唱えることは不可能なのだ。
それが信者たるゆえんでR
そう、ロバート・メンデルソン医博が「医学は宗教だ」といった意味はそこにあるのだろう。
宗教の教義に対して信者は従順でなければならない。
医学生(将来の医者)も患者も同じ土俵に登っているのだ。
互いに同志で有り、信者仲間なのだ。
だから、患者が医者を非難するのは筋違いというものかも知れない。
同じ土俵上で勝負をして負けて負傷したとしても、それは自らの意志で登ったのだから。
同じルール(教義)でゲームをしている仲間同士である。
そして、先進国のほとんどの人がお仲間である。
その中で異を唱えるものは「非国民」とされるのは当然なのだ。
すべては教育によって導かれている。
だが、中には不良生徒や頭が追いつかない落第生が時々出現する(笑