松本英聖・医事論集 第三巻 「二十一世紀の医学革命へ」(1995年刊)より
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
65P
浄化作用として諸症状が顕現
糖尿病も同じである。
人間の体には必要以上のエネルギーは無用であり、むしろ有害である。
そこで血液中の余分な糖質は、血管壁に蓄えられているインシュリンの働きで中性脂肪となり、皮下脂肪として貯えられる。
これが過ぎると全身に脂肪が溜まって肥るわけだが、そうなると血管壁にも脂肪が沈着して動脈硬化となる。
つまり肥満と動脈硬化とは同時多発であり、なおかつカロリーが余れば尿として排泄される。
これが食餌性糖尿病であるが、こんな無理が続けば当然インシュリン生産が間に合わなくなり、パンクすれば本物の糖尿病だ。
要するに、美食飽食という度を過ぎた人間の我欲に対して肥満・動脈硬化・糖尿病という二重、三重の安全装置によって血液の浄化を図り、何十年と生き延びられるわけだから、実に有り難い話。
ここに気づき、天の恵みに感謝して食を正せば糖尿病は簡単に解決するが、それをせず医薬に頼る限り絶対に救われない。
糖尿病が贅沢病といわれる所以である。
では高血圧はどうか。
今日一般に高血圧を恐れ、血圧コントロールなどと称して、一生降圧剤を飲み続けることが正しいことと信じられている。
確かに高血圧は脳溢血という突然死を招いたり、心臓に高負担をかけることは間違いない。
だがよく考えてみると。
血圧が勝手に上がるわけではなく、また脳血管が破れるのも、元はと言えば動脈硬化があるため。
動脈硬化で血管内腔が狭くなれば、当然血液がスムーズに流れないから、全身に老廃物が停滞する。
とくに肝臓や腎臓の血流が悪くなると、血液浄化がうまく運ばず、下手をすれば尿毒症を起こして、一晩であの世行きとなる。
そこで、心臓が懸命に働いて血圧を上げ、全身の血流を確保する。
このため心筋が代償的に発達した状態が心臓肥大、心筋がバテれば不整脈、くたびれ果ててダウンすれば心不全だ。
しかし、そうなるまでにはかなり時間がかかるから、高血圧のお陰で、ともかく健康で過ごせるわけ。
つまり、動脈硬化にともなう血行障害から生命を守るために、自然が与えた浄化作用の現われが高血圧であるから、むしろ「有り難うございます」と喜んで感謝するのが本当である。
ところが、現代医学はこれを逆に解釈し、血圧を下げることに狂奔する。
血圧が下がれば血行障害がひどくなるから、結局は血管を詰まらせて生命を縮めるのがオチ。
脳卒中は減っても、心臓病が増えるのはこのため。
所詮、人間の浅知恵で自然に刃向かおうとしても無理な話。
要は自然の理に従って生活を正すこと。
高血圧はその警告と受け止めねばなるまい。
67P
医薬盲信でガン死時代が現実化
いま日本で一番恐がられている病気はガン。
なにしろ死因のトップで四人に一人がガンで死ぬ時代。
ガンの宣告は死刑の宣告と同じで。
誰しも不治の業病と思い込み、ガン告知をめぐっていまや各自の人生観が問われる時代。
明日は我が身のことであるからだ。
ちなみに一九八四年(昭和五十九年)現在の日本のガン死者は十八万二千人。
一九七〇年(昭和四十五年)には約十二万人だったから、十四年間でI・五倍に増えたわけだ。
そして西暦二手年には、日本の年間ガン患者数は、現在の二十二万人から約二倍の四十二万人に達すると予測されている。
ガンは患者のうち八三%が死ぬとされているから、仮に死亡率が八〇%としても西暦二手年のガン死者は三十五万人となる。
この数は、現在死因の首位にある心臓・血管病(約二十九万人)を大幅に上回り、死者の半数がガン死という文字どおりのガン死時代が到来する。
ガンの発生部位別予測では、胃ガンは減るが肺ガン・大腸ガンおよび女性の乳ガン・男性の前立腺ガンが急増し、小児の白血病も増える。
「医学が進歩し、早期発見・早期治療でガンは治る」と威張ってみても、減るのは胃ガンだけで他のガンは増えるのだから、まるでモグラ叩き。
これが年間二十数兆円の巨費を費やす現代医療の実情であるが、それでもこの医学に頼らざるをえないとすれば、まさに悲劇であり、医薬盲信と言わざるをえまい。
その昔、ギリシャの盗賊プロクルステスは旅人をつかまえるとべベットに寝かせ、背丈がベットより大きければ足を切り、小さければ引き伸ばしてベットの寸法に人間を合わせた。
これと同じ発想が医薬盲信で、いま必要なことは既成概念(自然支配型の医療観)を捨て、新しいパラダイム(自然順応型の健康観)に頭を切り換えること。
医薬を盲信してガンで倒れるか、自然の理に目覚めて健康を甦らせるか、そのいずれを選ぶかということである。
この発想転換のシナリオがアルマ・アタ宣言であり、また新しい対ガン路線の方向を示しだのが『ガン予防の食生活』(全米科学アカデミー。
NRCレポートー九八二年)である。
そこでこの新しい対ガン路線について、自然医学の立場から若干の論評を加えてみよう。
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浄化作用として諸症状が顕現
糖尿病も同じである。
人間の体には必要以上のエネルギーは無用であり、むしろ有害である。
そこで血液中の余分な糖質は、血管壁に蓄えられているインシュリンの働きで中性脂肪となり、皮下脂肪として貯えられる。
これが過ぎると全身に脂肪が溜まって肥るわけだが、そうなると血管壁にも脂肪が沈着して動脈硬化となる。
つまり肥満と動脈硬化とは同時多発であり、なおかつカロリーが余れば尿として排泄される。
これが食餌性糖尿病であるが、こんな無理が続けば当然インシュリン生産が間に合わなくなり、パンクすれば本物の糖尿病だ。
要するに、美食飽食という度を過ぎた人間の我欲に対して肥満・動脈硬化・糖尿病という二重、三重の安全装置によって血液の浄化を図り、何十年と生き延びられるわけだから、実に有り難い話。
ここに気づき、天の恵みに感謝して食を正せば糖尿病は簡単に解決するが、それをせず医薬に頼る限り絶対に救われない。
糖尿病が贅沢病といわれる所以である。
では高血圧はどうか。
今日一般に高血圧を恐れ、血圧コントロールなどと称して、一生降圧剤を飲み続けることが正しいことと信じられている。
確かに高血圧は脳溢血という突然死を招いたり、心臓に高負担をかけることは間違いない。
だがよく考えてみると。
血圧が勝手に上がるわけではなく、また脳血管が破れるのも、元はと言えば動脈硬化があるため。
動脈硬化で血管内腔が狭くなれば、当然血液がスムーズに流れないから、全身に老廃物が停滞する。
とくに肝臓や腎臓の血流が悪くなると、血液浄化がうまく運ばず、下手をすれば尿毒症を起こして、一晩であの世行きとなる。
そこで、心臓が懸命に働いて血圧を上げ、全身の血流を確保する。
このため心筋が代償的に発達した状態が心臓肥大、心筋がバテれば不整脈、くたびれ果ててダウンすれば心不全だ。
しかし、そうなるまでにはかなり時間がかかるから、高血圧のお陰で、ともかく健康で過ごせるわけ。
つまり、動脈硬化にともなう血行障害から生命を守るために、自然が与えた浄化作用の現われが高血圧であるから、むしろ「有り難うございます」と喜んで感謝するのが本当である。
ところが、現代医学はこれを逆に解釈し、血圧を下げることに狂奔する。
血圧が下がれば血行障害がひどくなるから、結局は血管を詰まらせて生命を縮めるのがオチ。
脳卒中は減っても、心臓病が増えるのはこのため。
所詮、人間の浅知恵で自然に刃向かおうとしても無理な話。
要は自然の理に従って生活を正すこと。
高血圧はその警告と受け止めねばなるまい。
67P
医薬盲信でガン死時代が現実化
いま日本で一番恐がられている病気はガン。
なにしろ死因のトップで四人に一人がガンで死ぬ時代。
ガンの宣告は死刑の宣告と同じで。
誰しも不治の業病と思い込み、ガン告知をめぐっていまや各自の人生観が問われる時代。
明日は我が身のことであるからだ。
ちなみに一九八四年(昭和五十九年)現在の日本のガン死者は十八万二千人。
一九七〇年(昭和四十五年)には約十二万人だったから、十四年間でI・五倍に増えたわけだ。
そして西暦二手年には、日本の年間ガン患者数は、現在の二十二万人から約二倍の四十二万人に達すると予測されている。
ガンは患者のうち八三%が死ぬとされているから、仮に死亡率が八〇%としても西暦二手年のガン死者は三十五万人となる。
この数は、現在死因の首位にある心臓・血管病(約二十九万人)を大幅に上回り、死者の半数がガン死という文字どおりのガン死時代が到来する。
ガンの発生部位別予測では、胃ガンは減るが肺ガン・大腸ガンおよび女性の乳ガン・男性の前立腺ガンが急増し、小児の白血病も増える。
「医学が進歩し、早期発見・早期治療でガンは治る」と威張ってみても、減るのは胃ガンだけで他のガンは増えるのだから、まるでモグラ叩き。
これが年間二十数兆円の巨費を費やす現代医療の実情であるが、それでもこの医学に頼らざるをえないとすれば、まさに悲劇であり、医薬盲信と言わざるをえまい。
その昔、ギリシャの盗賊プロクルステスは旅人をつかまえるとべベットに寝かせ、背丈がベットより大きければ足を切り、小さければ引き伸ばしてベットの寸法に人間を合わせた。
これと同じ発想が医薬盲信で、いま必要なことは既成概念(自然支配型の医療観)を捨て、新しいパラダイム(自然順応型の健康観)に頭を切り換えること。
医薬を盲信してガンで倒れるか、自然の理に目覚めて健康を甦らせるか、そのいずれを選ぶかということである。
この発想転換のシナリオがアルマ・アタ宣言であり、また新しい対ガン路線の方向を示しだのが『ガン予防の食生活』(全米科学アカデミー。
NRCレポートー九八二年)である。
そこでこの新しい対ガン路線について、自然医学の立場から若干の論評を加えてみよう。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
手年 → 千年 に訂正
まえがきを前に書くなという声が聞こえたので・・・・
え?後に書く「まえがき」?
せっかくの楽しい本番がオマエのゼンギで台なしになるというのだ(前議ね)
それじゃあ、お客さんも逃げていって閑古鳥が鳴く本番ベッド(おい)
しかたなく、枕片手に引っ越してきたのが本番あとのゼンギ、じゃない!まえがき。
あ、お客さん~^^:
本番だけで帰ったら~
と、今回は後書きのゼンギと終わります。
ええ、これが後で書いたまえがきなのです。