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Channel: わたしんちの医学革命と雑多な情報
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菌達のネットワークはインターネットよりも強力か?耐性を一気に拡大する能力

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先回は「数打ちゃ当たる式」の抗生物質多剤投与でしたが、

これは薬剤に科学性などミジンコも無いという証拠でして、
科学性があれば、「どれが聞くのかワカンナ~~イ」ので「数打ちゃ、どれかが当たるデショ♪」で、一度にたくさん使うという、ひじょ~~に、小学生でも笑っちゃうくらいのやり方です。

もともと、抗生物質の元祖のようなペニシリン自体がはじめから計画されて作られたものでもなんでもなく、ただ偶然の産物でした。近代医学とセレンディピティという本によると、ほとんどの近代医学の主要な薬や医学的発見はセレンディピティ(偶然の発見)であって、それをマイナーチェンジ(自動車がよくやる外観だけ変えて、中身はほぼ同じ構造で新車発売と銘打っているような感じ)で、新薬を作っているようなものでしょう。

偶然の産物だから、当然計画的とかいう科学性などないし、あるとすれば「効いたから、後からこじつけ理論を付け加える」という後出しジャンケンみたいなエビデンスでしかないわけでして、ゆえに、どの抗生物質がどの用に作用してどのような効果を上げるのか・・がサッパリ分からない・・ゆえに、「数打ちゃ当たる」式を採用するのでしょう。

あまりくどくどしくて説明するのも嫌になっちゃうんですけど。

エビデンスとか科学的根拠など無いから、多剤投与となるんで。。。

ああ、いやになっちゃう・・

 

ところがその多剤投与こそ、またまた多剤耐性菌を育てるという糸車に・・・

薬剤耐性をもった菌が別種の菌にもその耐性を移譲すると言う異常さ。

 

 

 

超」細菌の報復---  抗生物質がつくりだすスーパーバグ
発行日  一九九六年八月三〇日
第一刷発行著者 ジェフリー・キャノン

より

一部誤植ありますので本書を読んでください。

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

303P
   日本で何か起こつたか

 細菌は、無作為の突然変異の結果として抗生物質に実際耐性をもつようになる。

しかし、一九五〇年代後半になるまでわからなくて想像もされなかったし、それは当時の研究者たちを愕然とさせた非常に驚くべきものであったが、生物学的「知性」という手段によって、バグは特質上スーパーバグになる。

無作為の突然変異はたった一つの細菌種に影響し、ほとんど確かに一つだけの薬剤への耐性を生じる。

しかし、細菌は、無作為の突然変異によって、二種以上の薬剤、ときにはすべての利用できる薬剤に対して通常ではないがときに耐性をもつようになるのである。

実際に起こっていることは従来の遺伝学に矛盾するもっと興味をそそられる現象であり、それはある日、種の起源についての新しい学説を促進する可能性がある。

実際、チャールズ・ダーウインが非常に高性能の顕微鏡の助けを借りてその研究をすることができていたら、彼は彼自身なんらかの異なった結論に達していたかもしれない。

 多剤耐性スーパーバグの発見とそれらが抗生物質に対してそれらの力をどのようにして得たかについての話は日本で始まっている。

近代化の後、日本の人々は志賀赤痢菌によって引き起こされた赤痢の連続的な流行に見舞われた。

この赤痢菌種はもっとも毒力が強く、暑い気候でもっともよく見られる。

それは軽度あるいは重い下痢程度しか引き起こさないが、全身に侵入し、激しい痛みと熱を引き起こす。

成人はたいてい数日から数週間で、この「細菌性の」赤痢から回復するが、すぐに気づかなければ、それはほとんどが熱帯諸国においては高熱、脱水状態を引き起こし、赤ん坊や幼児では死ぬことさえある。

 第二次世界大戦後、スルホンアミドが日本に導入され広く使われた。

それらは細菌性赤痢に効いて、その流行がくい止められ、この病気の発症率は二年間で五分の四に減った。

しかし、二年後の一九四九年に、日本は通常サルファ剤に耐性のある志賀赤痢菌によって引き起こされた細菌性赤痢の新たな流行に見舞われた。

この病気の発症率は今までになく上昇した。

そのときイギリスでは、微生物学者たちは、ある日、薬剤耐性がついにはペニシリンを無効にしてしまうだろうと恐れていた。

日本では、医師たちはスルホンアミド耐性細菌に直面し、事実無力になっていた。

 しかし、どこでもそうであるように、ストレプトマイシン、クロラムフェニコール、テトラサイクリンといった、赤痢の有効な治療薬となりうるものすべてが日本に導入され、一九五〇年代初期までに、医師に明らかに力を与え戻してやった。

これらの薬の使用とともに、細菌性赤痢の発症率は再び落ちた。

科学は薬剤耐性菌より一段階―あるいは三段階―先にあった。

誰も、無作為選択という仮定に基づき、実際に不可能であった多剤耐性については心配していなかった。

 そう、ほとんど誰も心配していなかった。

一九五二年に微生物学者の渡辺努博士が、当時わかっていたことからすればほとんどありえないことだったが、一つの薬にではなく三つの薬、サルファ剤のスルファニルアミド、ストレプトマイシン、テトラサイクリンに耐性のある赤痢菌の例を見つけたからである。

その後一九五五年に、香港から東京に帰って来た女性が細菌性赤痢に罹っていた。

彼女の治療のために呼ばれた病院医師が、彼女はこの病気を治療するために用いられる四つのすべての薬に耐性のある赤痢菌のある株に感染していることを見つけた。

すでに言及したものだけでなくクロラムフェニコールもそうであった。

ありえないと思われていたことが起こったのである。

 細菌性赤痢への多剤耐性の最初の発見は、日本以外の科学者にはほとんど知られていない専門誌で発表され、初の症例は、他の不可解な現象と共通して、異常な現象であると考えられていた。

しがし、後に一九五〇年代になって、流行性の赤痢が再び日本を襲い、それは多くの場合、この病気を治療するために当時使われていた四つの薬すべてに耐性があった。

何が起こっていたのだろうか。

当時、もう一人の微生物学者、東京大学の秋葉朝一郎博士は、多剤耐性を二重に不可解なものにする発見をした。

彼は細動性赤痢に罹っている入院患者の腸の細菌の試料を調べた。

彼が発見したものは赤痢菌の中で選ばれた四つの薬に対する耐性だけではなく、健康な腸管の中に存在するまったく異なる細菌種である大腸菌にも同じパターンの多剤耐性を示したことであった。

 赤痢菌と大腸菌のような二つの異なる種類の細菌は、無作為の突然変異の結果として、同じ四つの薬にいずれも偶然に耐性をもつようになったというようなことはまったくない。

細菌の細胞における偶然の突然変異の割合が一〇〇分の一であると仮定しよう、四つの薬剤それぞれに耐性をもたせるようにする二つの細菌種における偶然の突然変異の可能性は、一〇〇万の八乗一すなわち一〇〇万×一〇〇万×一〇〇万×一〇〇万×一〇〇万×一〇〇万×一〇〇万×一〇〇万-分の一である。

この数は、地球上に存在している細菌の数よりはるかに大きいのである。

多剤耐性は無作為にはなりえない。

 しかし、無作為でないとすれば、どうなのか。

ある意味では細菌は薬剤に耐性をもつことを学習できたのだろうか。

この考えは信じられないように見えるが、そうであることが証明されたのだ。

重要な実験が、落合国太郎博士率いる研究チームによってなされた。

スルホンアミド、ストレプトマイシン、クロラムフェニコール、テトラサイクリンに耐性のある大腸菌群が、四つの薬剤すべてに弱い薬剤感受性赤痢菌群と混合された。

そのとき起こったことは、赤痢菌がその性質を変えたことである。

それらは薬剤耐性を増やすようにもなった。

たった一つ、考えられうる原因があった。

どういうわけか、大腸菌スーパーバグは、かつては耐性のなかった赤痢菌を治療できなくして強力に致命的なスーパーバグに変え、その耐性力を別の細菌種に移すことができるようになったのである。

 最初、これがどんなふうにして起こったか誰もわからなかった。

しかし、その意味するところはたいへんなものであった。

特定の細菌種の無作為の突然変異によって引き起こされた薬剤耐性は、リチャード・ノビックが医大で教えられたように、違う抗生物質の使用によって必ず克服できる。

しかし、細菌同士で、ある細菌種から別の細菌種へと増やされ移される薬剤耐性は、計り知れないほど不吉なものである。

というのは、そのような薬剤耐性がどのくらい遠くまであるいは速く広がるか、あるいは細菌感染の突然発生や流行がいつどこで治療不可能であるとわかるようになるかについて知る方法がないからである。


ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

あらゆる症状に抗生物質。

あらゆる手術に抗生物質。

あらゆる家畜に抗生物質。

こうして、人類は膨大な量の抗生物質を使ってきた。

そして、いま

あらゆる抗生物質が効かないスーパーバグ(超細菌)の登場。

これがいま世界中に拡散中という。

これは垂直伝播どころか、水平伝播するという。

まさに時空を飛ぶスーパーバグなのだ。

 

「いずれ人類は抗生物質の無い時代へ再び戻らねばならない。」

と宣う医学者達の危惧。

だが、相変わらず日々使われている抗生物質はもう誰も止められないやめられないかっぱえびせん。

かくしてあれから20年余り

最後の審判の日まで・・・・

という恐ろしいような話しなのだが、果たして人類の未来は・・・

 

え?オマエの未来の方が早仕舞いだと~~~!!(akyoon談)

 

 

オマケ

(え?ボクの方がオマケ!)

 

虚構社会の本質 国家はなぜワクチンを打たせたがるのか? それはもちろん国民を病気にするため 死因の第一位は医療支配者たちのゲーム殺人

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

303P
   日本で何か起こつたか

 細菌は、無作為の突然変異の結果として抗生物質に実際耐性をもつようになる。

しかし、一九五〇年代後半になるまでわからなくて想像もされなかったし、それは当時の研究者たちを愕然とさせた非常に驚くべきものであったが、生物学的「知性」という手段によって、バグは特質上スーパーバグになる。

無作為の突然変異はたった一つの細菌種に影響し、ほとんど確かに一つだけの薬剤への耐性を生じる。

しかし、細菌は、無作為の突然変異によって、二種以上の薬剤、ときにはすべての利用できる薬剤に対して通常ではないがときに耐性をもつようになるのである。

実際に起こっていることは従来の遺伝学に矛盾するもっと興味をそそられる現象であり、それはある日、種の起源についての新しい学説を促進する可能性がある。

実際、チャールズ・ダーウインが非常に高性能の顕微鏡の助けを借りてその研究をすることができていたら、彼は彼自身なんらかの異なった結論に達していたかもしれない。

 多剤耐性スーパーバグの発見とそれらが抗生物質に対してそれらの力をどのようにして得たかについての話は日本で始まっている。

近代化の後、日本の人々は志賀赤痢菌によって引き起こされた赤痢の連続的な流行に見舞われた。

この赤痢菌種はもっとも毒力が強く、暑い気候でもっともよく見られる。

それは軽度あるいは重い下痢程度しか引き起こさないが、全身に侵入し、激しい痛みと熱を引き起こす。

成人はたいてい数日から数週間で、この「細菌性の」赤痢から回復するが、すぐに気づかなければ、それはほとんどが熱帯諸国においては高熱、脱水状態を引き起こし、赤ん坊や幼児では死ぬことさえある。

 第二次世界大戦後、スルホンアミドが日本に導入され広く使われた。

それらは細菌性赤痢に効いて、その流行がくい止められ、この病気の発症率は二年間で五分の四に減った。

しかし、二年後の一九四九年に、日本は通常サルファ剤に耐性のある志賀赤痢菌によって引き起こされた細菌性赤痢の新たな流行に見舞われた。

この病気の発症率は今までになく上昇した。

そのときイギリスでは、微生物学者たちは、ある日、薬剤耐性がついにはペニシリンを無効にしてしまうだろうと恐れていた。

日本では、医師たちはスルホンアミド耐性細菌に直面し、事実無力になっていた。

 しかし、どこでもそうであるように、ストレプトマイシン、クロラムフェニコール、テトラサイクリンといった、赤痢の有効な治療薬となりうるものすべてが日本に導入され、一九五〇年代初期までに、医師に明らかに力を与え戻してやった。

これらの薬の使用とともに、細菌性赤痢の発症率は再び落ちた。

科学は薬剤耐性菌より一段階―あるいは三段階―先にあった。

誰も、無作為選択という仮定に基づき、実際に不可能であった多剤耐性については心配していなかった。

 そう、ほとんど誰も心配していなかった。

一九五二年に微生物学者の渡辺努博士が、当時わかっていたことからすればほとんどありえないことだったが、一つの薬にではなく三つの薬、サルファ剤のスルファニルアミド、ストレプトマイシン、テトラサイクリンに耐性のある赤痢菌の例を見つけたからである。

その後一九五五年に、香港から東京に帰って来た女性が細菌性赤痢に罹っていた。

彼女の治療のために呼ばれた病院医師が、彼女はこの病気を治療するために用いられる四つのすべての薬に耐性のある赤痢菌のある株に感染していることを見つけた。

すでに言及したものだけでなくクロラムフェニコールもそうであった。

ありえないと思われていたことが起こったのである。

 細菌性赤痢への多剤耐性の最初の発見は、日本以外の科学者にはほとんど知られていない専門誌で発表され、初の症例は、他の不可解な現象と共通して、異常な現象であると考えられていた。

しがし、後に一九五〇年代になって、流行性の赤痢が再び日本を襲い、それは多くの場合、この病気を治療するために当時使われていた四つの薬すべてに耐性があった。

何が起こっていたのだろうか。

当時、もう一人の微生物学者、東京大学の秋葉朝一郎博士は、多剤耐性を二重に不可解なものにする発見をした。

彼は細動性赤痢に罹っている入院患者の腸の細菌の試料を調べた。

彼が発見したものは赤痢菌の中で選ばれた四つの薬に対する耐性だけではなく、健康な腸管の中に存在するまったく異なる細菌種である大腸菌にも同じパターンの多剤耐性を示したことであった。

 赤痢菌と大腸菌のような二つの異なる種類の細菌は、無作為の突然変異の結果として、同じ四つの薬にいずれも偶然に耐性をもつようになったというようなことはまったくない。

細菌の細胞における偶然の突然変異の割合が一〇〇分の一であると仮定しよう、四つの薬剤それぞれに耐性をもたせるようにする二つの細菌種における偶然の突然変異の可能性は、一〇〇万の八乗一すなわち一〇〇万×一〇〇万×一〇〇万×一〇〇万×一〇〇万×一〇〇万×一〇〇万×一〇〇万-分の一である。

この数は、地球上に存在している細菌の数よりはるかに大きいのである。

多剤耐性は無作為にはなりえない。

 しかし、無作為でないとすれば、どうなのか。

ある意味では細菌は薬剤に耐性をもつことを学習できたのだろうか。

この考えは信じられないように見えるが、そうであることが証明されたのだ。

重要な実験が、落合国太郎博士率いる研究チームによってなされた。

スルホンアミド、ストレプトマイシン、クロラムフェニコール、テトラサイクリンに耐性のある大腸菌群が、四つの薬剤すべてに弱い薬剤感受性赤痢菌群と混合された。

そのとき起こったことは、赤痢菌がその性質を変えたことである。

それらは薬剤耐性を増やすようにもなった。

たった一つ、考えられうる原因があった。

どういうわけか、大腸菌スーパーバグは、かつては耐性のなかった赤痢菌を治療できなくして強力に致命的なスーパーバグに変え、その耐性力を別の細菌種に移すことができるようになったのである。

 最初、これがどんなふうにして起こったか誰もわからなかった。

しかし、その意味するところはたいへんなものであった。

特定の細菌種の無作為の突然変異によって引き起こされた薬剤耐性は、リチャード・ノビックが医大で教えられたように、違う抗生物質の使用によって必ず克服できる。

しかし、細菌同士で、ある細菌種から別の細菌種へと増やされ移される薬剤耐性は、計り知れないほど不吉なものである。

というのは、そのような薬剤耐性がどのくらい遠くまであるいは速く広がるか、あるいは細菌感染の突然発生や流行がいつどこで治療不可能であるとわかるようになるかについて知る方法がないからである。


ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

参考 抗生物質の危機(2)~魔法の終わる時~

 

こうして見ると(さっと読んでいるだけだけどね)

日本人の研究もかなりイイ銭を逝っていたのですね。

あ、誤字脱痔はセルフサービスでよろしく。

 

つまり、細菌同士が繋がっているというのだ。

別の細菌の性質がまだ別の細菌の性質になるという。

そうなると、体験しないひとが体験した人と同じ性質を得るという、まことに便利かつ早漏な性質なのだ。

たとえば漏れやすいという体験者が別のひとにその漏れやすいという性質を付与してしまうと、別の人もすぐ漏れ易くなると言うのだ。

え?ぜんぜん例えが悪い?  どうして、漏れに持っていくんだ!?

 

耐性を得た細菌の性質が別の種類の細菌にまで耐性を持たせるという事だとしたら・・・

嗚呼、どうしよう~~~

人が見ていないうちに漏らしちゃおう~~♪

 

 

 

 


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