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わたしんちの医学革命表紙
アーサー・コナンドイル
の霊界からのスーパーメッセージ
コナンドイル・人類へのスーパーメッセージ
1994年11月22日 第1刷発行 編 者-アイヴァン・クック
訳 者一大内博 発行所一株式会社講談社
その二
人間のエーテル体は、肉体に似てはいますが、ずっと緩い組織構造になっています。薬の中には、患者の意識的、潜在意識的な霊体の調和の乱れの結果として生じた毒や障害から、エーテル体を解放させる働きをするものもあります。
〝霊体〟という言葉は必ずしも、脳に直結した人間の外面である、肉体的・精神的な肉体に当てはまるものではないことを、ここで強調しておいたほうがよいかもしれません。 欲望や感情と直結しているアストラル霊体があり、天界あるいは宇宙界と直結している第三の霊体もあります。
この説明で、問題をさらにわかりにくくしていなければよいのですが。
とにかく、人間の意識が間違った考え方をすれば、それによって肉体の細胞の意識に影響を及ぼし、それを弱めることとなるのとまったく同じように、宇宙意識または前意識は人間のより高い意識を通して働きかけることによって細胞の意識をコントロールし、かつ純化することができ、こうしてすべての病気を癒すことができるのです。
このような理由で、地上の病気で治癒することが不可能なものはない、と私は言っているのです。
ここではっきり述べておきますが、すべての人間の生命はさまざまな振動数の色に分けることができ、人間の生命はその色によって支配されています。ここでは、そのうち、一二の色についてだけ説明することにします。
すべての人間は異なった振動数を持つ一二の色のどれかに波長があっています。
したがって、ヒーラーが第七の色で振動している人に、第五の治療法を用いれば、必ず失敗することになります。それだけでなく、かえつて害をなすかもしれません。しかし、その逆に、第七の色の患者にそれに適した治療を施すならば、病気を直すことができるでしょう。
振動数は色で表現されます。つまり、色は振動数の外面的な目に見える象徴です。
それぞれの数に応じた色を次にあげていきましょう。
一番目は赤の光線、二番目は緑、三番目はブルー、四番目がピンク、五番目は貴色、六番目は紫、七番目はヴァイオレット、八番目はラヴェンダー、九番目は真珠色、一〇番目は銀色、一一番目は金色、一二番目は純白です。
色彩を使うヒーラーにとっては、患者が振動している色は何であるか、それを発見するのがまず第一の仕事になります。光の色とその数に応じて、患者はある 種の病気にかかりやすいのです。患者のあり方と調和をはかり、回復させるためには、沈静効果をもつ光か、刺激的な光のどちらかが必要になります。
黄色い光線は、結核の治療にとくに効果的な色であり、ブルーの光線は神経系統の病気に最善の結果をもたらし、赤い光線は血液が毒に犯されているとき有効であり、紫と緑の光線には共に癌の治癒力があることが発見されるでしょう。
患者によって、治療すべき霊の中枢がいろいろと異なる場合があります(まだこの点について明確にしていませんが、いずれそうしたいと思います)。人によっては、喉が一番感受性の強いこともあり、その場合には、緑の光線を喉に向けると効果的ということになります。
また、中には、心臓が紫の光線に最も強く反応し、血液の病気や、血液中の毒素の治療の際に最も効果的であるという人もいるでしょう。それは、紫の光を心臓に当てれば、血液が心臓から出たり入ったりするときに、血液を掃除し、純化してくれるからです。
繰り返しますが、この光線による治療はすべての人に対して効果があるといっているわけではありません。色とそれに準ずる番号の一覧表はすでに示した通りです。私たちは独断的にこうだといっているのではなく、提案をしているのです。
病気になるもっとも多い理由は、リラックスできないということです。
あなた方のほとんどが、意識的にも無意識的にも、糸がピンと張りつめたような緊張した生活を送つています。これは目を覚ましている ときだけでなく、眠っているときでも同じです。緊張した心のまま眠りにつくと、あなたの指、肘、膝、毒その他の骨の部分が、心のあり方に応じた緊張を保ち つづけているのです。
なぜ、そうなるかといえば、だいたい同じような緊張した状態が、日中の生活をほとんど支配しているからです。肉体の緊張は、恐れ、心配、抑圧された感 情、押さえられた欲望といった心の状態によるものです。したがつて、眠つているときであれ、目を覚ましているときであれ、病気に苦しむ人の霊体のさまざま な中枢にエネルギーの停滞が生じるのです。
子供のときからリラックスすることの大切さを学び、それを習慣にして、毎日毎日の生活をゆったりとした気持ち で、自分自身ばかりでなく、ほかの人たち、そして神との心の調和を保ちながら生活すれば、霊体および肉体の中を、エネルギーがなんの滞りもなく、リズムを もつて流れるようになるでしょう。
この流れはその本来の性質によって、すべての廃棄物を運び去ってくれ、除去してくれます。それはやがて、普遍的な宇宙によって吸収され、新しいエネルギーへと転換されます。
息を吐くとき、人は毒を吐き出します。というのは、息を吐くことによって人は、使い古した肉体的な物質霊的な物質を絶えず吐き出している のです。ですから、逆に、息を吸い込むことによって、人は純粋なプラナ、すなわち、宇宙の生命力を吸い込むべきなのです。この宇宙生命力であるプラナは、 人間の肉体をリズムのある完全な健康状態に保ってくれるものです。
したがって、クリスチャンサイエンティストが主張するように、
すべての病気は〝人間の心″に起因するというのは誤解を招く恐れがあります。
病気はそれよりも深いところに原因があるのです。
しかし、人間が〝心″をリラックスさせ、新鮮な宇宙の生命力に助力を求めるならば、流入するエネルギーがただちに修正され、やがて完全に健康な状態が生まれるのです。
事故の原因は、犠牲者の前意識のなかに隠されているのでしょうか。それとも、人は自分ではどうにもできない災難の犠牲者にすぎないのでしょうか。
じつは事故ですら、前意識の自己の深いところに、前もって作り出された不協和の結果なのです。これは非常に厳しい教えのように思われるかもしれませんが、よく考えてみれば、そうではありません。事故の犠牲者になる魂は、事故にはそれを体験することによってのみ学ぶことのできる教訓があることを、前意識において、十分に知っているのです。
子供についても、きっと質問があるに違いありません。父親が酔っ払って欲情をおこし、その結果生まれたかわいそうな子供たちはどうなのか、と質問したい に違いありません。あるいは、病気の親から、病気をもって生まれた子供はどうなのかと。このような罪のない子供たちもまた、運命によって苦しみに満ちた人 生を生きていかなければならないのかと。
あるいは、狂気の肉体に閉じ込められた@ 生まれたときから病に犯された肉体に閉じ込められた魂はどうなのだろうか、という疑問を抱かれるかもしれません。このような疑問に対して、どうすれば納得のいく答えが得られるというのでしょうか。
これらの場合にもまったく同じ答えが当てはまる、と私たちは答えたいと思います。
人間の魂は自分に何が起きるか、ということについての予知能力を常にもっており、自らに提示された人生を受け入れることも拒絶することもできるのです。
このような問題について、きわめて限られた洞察力しかもっていない人間にとっては、どのような動機によって、魂 が苦難の人生を選択したのかを理解することは不可能であり、魂がどれほどの苦しみを体験しなければならないのかを垣間見ることすら不可能です。しかしなが ら、戦懐を覚えるほどの惨事が地上において行なわれているのを目撃した後ですら、人間が、善なるもの、確宇宙の第一の源と呼んでいる、あの全能の存在の価 値を判断してはなりません。
たとえこの存在が幼い子供たちが苦しむのに任せて、何もしないように見えるにしてもです。
私たちがいるところでは、誰であれ価値判断をするということはありません。より広い視野から 見ると、神はいかなる意味においても、復讐をしたり残酷であったりするようにはけっして見えないのです。私たちがいつも感じているのは、限りない愛であり、神の思いやりに満ちた知性であり、人間に対する永遠の慈悲心です。私たちに見えるのは、全智全能の父が、自分の子供が歩む道を自由に選択する意思の力を与えている姿です。苦しみの道であれ、喜びの道であれ、エゴを克服していく道であれ、すべての道は上昇を続け、やがては、完壁な宇宙の崇高な意識のもとに帰っていくのです。
猫がネズミをもてあそんでいるのを見て、感傷主義者は身震いしてこう叫びます。「なんて恐ろ しい、残酷なことをするんでしょう。自然は残酷さにみちみ ちている!」。一見そのように見えるかもしれません。しかし、そう見えるのは限られたヴィジョンしか持っていない人なのです。実際はそうではありません。 さまざまな外観の背後には神の愛と理解があり、すべてのものに浸透しているのです。私たちのまわりに充満しているように見える苦しみは、神の崇高な調和と 愛と美を、すべての神の被造物の意識に理解させるための手段を包み込んだものなのです。
つづく
わたしんちの医学革命表紙
アーサー・コナンドイル
の霊界からのスーパーメッセージ
コナンドイル・人類へのスーパーメッセージ
1994年11月22日 第1刷発行 編 者-アイヴァン・クック
訳 者一大内博 発行所一株式会社講談社
その二
人間のエーテル体は、肉体に似てはいますが、ずっと緩い組織構造になっています。薬の中には、患者の意識的、潜在意識的な霊体の調和の乱れの結果として生じた毒や障害から、エーテル体を解放させる働きをするものもあります。
〝霊体〟という言葉は必ずしも、脳に直結した人間の外面である、肉体的・精神的な肉体に当てはまるものではないことを、ここで強調しておいたほうがよいかもしれません。 欲望や感情と直結しているアストラル霊体があり、天界あるいは宇宙界と直結している第三の霊体もあります。
この説明で、問題をさらにわかりにくくしていなければよいのですが。
とにかく、人間の意識が間違った考え方をすれば、それによって肉体の細胞の意識に影響を及ぼし、それを弱めることとなるのとまったく同じように、宇宙意識または前意識は人間のより高い意識を通して働きかけることによって細胞の意識をコントロールし、かつ純化することができ、こうしてすべての病気を癒すことができるのです。
このような理由で、地上の病気で治癒することが不可能なものはない、と私は言っているのです。
ここではっきり述べておきますが、すべての人間の生命はさまざまな振動数の色に分けることができ、人間の生命はその色によって支配されています。ここでは、そのうち、一二の色についてだけ説明することにします。
すべての人間は異なった振動数を持つ一二の色のどれかに波長があっています。
したがって、ヒーラーが第七の色で振動している人に、第五の治療法を用いれば、必ず失敗することになります。それだけでなく、かえつて害をなすかもしれません。しかし、その逆に、第七の色の患者にそれに適した治療を施すならば、病気を直すことができるでしょう。
振動数は色で表現されます。つまり、色は振動数の外面的な目に見える象徴です。
それぞれの数に応じた色を次にあげていきましょう。
一番目は赤の光線、二番目は緑、三番目はブルー、四番目がピンク、五番目は貴色、六番目は紫、七番目はヴァイオレット、八番目はラヴェンダー、九番目は真珠色、一〇番目は銀色、一一番目は金色、一二番目は純白です。
色彩を使うヒーラーにとっては、患者が振動している色は何であるか、それを発見するのがまず第一の仕事になります。光の色とその数に応じて、患者はある 種の病気にかかりやすいのです。患者のあり方と調和をはかり、回復させるためには、沈静効果をもつ光か、刺激的な光のどちらかが必要になります。
黄色い光線は、結核の治療にとくに効果的な色であり、ブルーの光線は神経系統の病気に最善の結果をもたらし、赤い光線は血液が毒に犯されているとき有効であり、紫と緑の光線には共に癌の治癒力があることが発見されるでしょう。
患者によって、治療すべき霊の中枢がいろいろと異なる場合があります(まだこの点について明確にしていませんが、いずれそうしたいと思います)。人によっては、喉が一番感受性の強いこともあり、その場合には、緑の光線を喉に向けると効果的ということになります。
また、中には、心臓が紫の光線に最も強く反応し、血液の病気や、血液中の毒素の治療の際に最も効果的であるという人もいるでしょう。それは、紫の光を心臓に当てれば、血液が心臓から出たり入ったりするときに、血液を掃除し、純化してくれるからです。
繰り返しますが、この光線による治療はすべての人に対して効果があるといっているわけではありません。色とそれに準ずる番号の一覧表はすでに示した通りです。私たちは独断的にこうだといっているのではなく、提案をしているのです。
病気になるもっとも多い理由は、リラックスできないということです。
あなた方のほとんどが、意識的にも無意識的にも、糸がピンと張りつめたような緊張した生活を送つています。これは目を覚ましている ときだけでなく、眠っているときでも同じです。緊張した心のまま眠りにつくと、あなたの指、肘、膝、毒その他の骨の部分が、心のあり方に応じた緊張を保ち つづけているのです。
なぜ、そうなるかといえば、だいたい同じような緊張した状態が、日中の生活をほとんど支配しているからです。肉体の緊張は、恐れ、心配、抑圧された感 情、押さえられた欲望といった心の状態によるものです。したがつて、眠つているときであれ、目を覚ましているときであれ、病気に苦しむ人の霊体のさまざま な中枢にエネルギーの停滞が生じるのです。
子供のときからリラックスすることの大切さを学び、それを習慣にして、毎日毎日の生活をゆったりとした気持ち で、自分自身ばかりでなく、ほかの人たち、そして神との心の調和を保ちながら生活すれば、霊体および肉体の中を、エネルギーがなんの滞りもなく、リズムを もつて流れるようになるでしょう。
この流れはその本来の性質によって、すべての廃棄物を運び去ってくれ、除去してくれます。それはやがて、普遍的な宇宙によって吸収され、新しいエネルギーへと転換されます。
息を吐くとき、人は毒を吐き出します。というのは、息を吐くことによって人は、使い古した肉体的な物質霊的な物質を絶えず吐き出している のです。ですから、逆に、息を吸い込むことによって、人は純粋なプラナ、すなわち、宇宙の生命力を吸い込むべきなのです。この宇宙生命力であるプラナは、 人間の肉体をリズムのある完全な健康状態に保ってくれるものです。
したがって、クリスチャンサイエンティストが主張するように、
すべての病気は〝人間の心″に起因するというのは誤解を招く恐れがあります。
病気はそれよりも深いところに原因があるのです。
しかし、人間が〝心″をリラックスさせ、新鮮な宇宙の生命力に助力を求めるならば、流入するエネルギーがただちに修正され、やがて完全に健康な状態が生まれるのです。
事故の原因は、犠牲者の前意識のなかに隠されているのでしょうか。それとも、人は自分ではどうにもできない災難の犠牲者にすぎないのでしょうか。
じつは事故ですら、前意識の自己の深いところに、前もって作り出された不協和の結果なのです。これは非常に厳しい教えのように思われるかもしれませんが、よく考えてみれば、そうではありません。事故の犠牲者になる魂は、事故にはそれを体験することによってのみ学ぶことのできる教訓があることを、前意識において、十分に知っているのです。
子供についても、きっと質問があるに違いありません。父親が酔っ払って欲情をおこし、その結果生まれたかわいそうな子供たちはどうなのか、と質問したい に違いありません。あるいは、病気の親から、病気をもって生まれた子供はどうなのかと。このような罪のない子供たちもまた、運命によって苦しみに満ちた人 生を生きていかなければならないのかと。
あるいは、狂気の肉体に閉じ込められた@ 生まれたときから病に犯された肉体に閉じ込められた魂はどうなのだろうか、という疑問を抱かれるかもしれません。このような疑問に対して、どうすれば納得のいく答えが得られるというのでしょうか。
これらの場合にもまったく同じ答えが当てはまる、と私たちは答えたいと思います。
人間の魂は自分に何が起きるか、ということについての予知能力を常にもっており、自らに提示された人生を受け入れることも拒絶することもできるのです。
このような問題について、きわめて限られた洞察力しかもっていない人間にとっては、どのような動機によって、魂 が苦難の人生を選択したのかを理解することは不可能であり、魂がどれほどの苦しみを体験しなければならないのかを垣間見ることすら不可能です。しかしなが ら、戦懐を覚えるほどの惨事が地上において行なわれているのを目撃した後ですら、人間が、善なるもの、確宇宙の第一の源と呼んでいる、あの全能の存在の価 値を判断してはなりません。
たとえこの存在が幼い子供たちが苦しむのに任せて、何もしないように見えるにしてもです。
私たちがいるところでは、誰であれ価値判断をするということはありません。より広い視野から 見ると、神はいかなる意味においても、復讐をしたり残酷であったりするようにはけっして見えないのです。私たちがいつも感じているのは、限りない愛であり、神の思いやりに満ちた知性であり、人間に対する永遠の慈悲心です。私たちに見えるのは、全智全能の父が、自分の子供が歩む道を自由に選択する意思の力を与えている姿です。苦しみの道であれ、喜びの道であれ、エゴを克服していく道であれ、すべての道は上昇を続け、やがては、完壁な宇宙の崇高な意識のもとに帰っていくのです。
猫がネズミをもてあそんでいるのを見て、感傷主義者は身震いしてこう叫びます。「なんて恐ろ しい、残酷なことをするんでしょう。自然は残酷さにみちみ ちている!」。一見そのように見えるかもしれません。しかし、そう見えるのは限られたヴィジョンしか持っていない人なのです。実際はそうではありません。 さまざまな外観の背後には神の愛と理解があり、すべてのものに浸透しているのです。私たちのまわりに充満しているように見える苦しみは、神の崇高な調和と 愛と美を、すべての神の被造物の意識に理解させるための手段を包み込んだものなのです。
つづく
わたしんちの医学革命表紙