最終更新日 2004年
ですから、12年前の魚拓となります。
医学は宗教である。
とは、ロバート・メンデルソン医博が書いていますが・・・・
トコトン信じちゃったんだなあ~~ (ワシ;9
でも、それが解けたとき
本当の本当が見えてくる
あらら・・・
音声もあるでよ♪
web魚拓 6殺す医学から生かす医学へ.mp3 2016年5月13日 web魚拓 5生体内元素転換理論.mp3 2016年5月13日 web魚拓4「自家生産される病原体」より 2016年5月5日 web魚拓3「医療ミスの必然的要因」より 2016年5月5日 web魚拓2 「凶器と化した薬」より 2016年5月2日 webギョ拓1 「驚くべき医者の無知」よりーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
6.殺す医学から生かす医学へ
1. 人体はロボットではない
医療現場の実態や、治療例の調査結果を伝える報道に接するたびに、がんを代表とする多くの難病にたいし、現代医学がなんら有効な手立てを持たないことを痛感させられます。
たとえばがん治療については、「マンモグラフィーなどの検査で早期発見すれば完治できる」、「がん細胞だけを狙って集中攻撃できるハーセプチン、イレッサなどの化学療法や、ライナック、ガンマナイフなどの放射線療法がある」、「遺伝子の解明によってがん細胞の発生を阻止することが可能になる」など、医学の進歩をさかんに強調した、希望的な観測ばかりをマスメディアで喧伝していますが、それらはすべて幻想か錯覚にしかすぎません。
医療の現実は、けっしてそんな楽観的なものではないのです。
むしろその結末の多くは、体に物理的な攻撃を仕掛けたために命ぎりぎりの多大な心身の犠牲を強いたあげく、ほとんど短期的にその命さえも奪ってしまうという冷酷なものです。
「何らかの原因によって、正常な細胞が突然変異を起こす」とみずから定義づけているように、現代医学は、がん細胞発生の原因は不明であると告白しているのです。
また生命現象も含めて、自然界の現象はすべて必然変異であり、そこには必ず因果関係が存在するはずです。
医学研究に『突然変異』などという概念を持ち込むことじたい、もはや責任を放棄してしまっているとしかいいようがありません。
万策尽きた結果、攻撃的な治療法によって一時的に症状を消すことはできても、原因がわからなければ再発や転移を阻止することはできないのです。
おまけにその間、患者は薬剤の副作用や手術の後遺症に苦しみ、悩まされることになります。
こうして精神力も免疫も低下してしまい、現代医学を批判する少数派の医者が指摘するように、まさに「医療を受けたためにかえって病気が悪化する」のです。
また、遺伝子を人工的に操作することは未知の危険をはらんでいます。
細胞はそれぞれが単独で機能を果たしているのではなく、血液、ホルモン、酵素、神経伝達物質などが全身で脈動し、総合的に作用しあって恒常性を維持しています。
そしてそれを取り仕切っているのがDNAです。
さらにDNAは、個々の細胞のなかだけではなく、一つの大きな分子として、体全体をコーディネートする役目も果たしているのです。
そのようなDNAの働きを無視して、ウイルスベクターや人工ベクターを挿入するなど、必ず不都合なことが起こる可能性を考えないのでしょうか。
こういった部分的な操作は、精妙な連携システムを混乱させたり、遮断したりし、人体をまるで壊れたロボットのような状態にしてしまうのです。
ロボットならいくらでも修復できますし、完全に元通りにすることもできるでしょう。
しかし、人体はそうはいきません。
げんに遺伝子治療を試みたあと、薬の副作用に相当する結果が生じているのです。
科学では検知不可能の、超ミクロ現象を全身で演出しているDNAに不用意な手をくわえると、全体機能が狂うのは当然です。
明らかな一例としては、ドーパミンなどの脳内化学物質の生成がアンバランスになったり、指令中枢を担うニューロンの混乱をきたして躁や鬱、見当識障害などが誘発されることがすでにわかっています。
生命の仕組みというものは、どこまで細分割しても人知の及ばない領域です。
それを承知で遺伝子操作などをやっているとすれば、科学も医学も、「無知で傲慢である」といわれて、返す言葉があるのでしょうか。
2. DNAの驚異
科学はたしかにDNAを捉えています。
しかし、それは物質レベルでのDNAの姿にほかなりません。
遺伝物質の鎖は糖やアミンなどの単純な分子に分けられ、その分子はさらに炭素、水素、酸素などの原子に分けることができます。
しかしそれをさらに原子からもっと細かく陽子、中性子などの素粒子に分け始めると、物質はときに粒子として、ときに波動としての姿を現わしはじめます。
しかし、同時に両方の姿を見せることは絶対にありません(量子実験で立証済み)。
この瞬間、物質は粒子なのか、それとも波動なのか、科学では決着がつけられない、したがってその正体を掴むことができないという大問題が行く手を阻むことになります。
これは技術的な問題ではなく、『観測者効果』(実在性は観測者の行為に依存する)と呼ばれる宿命的な壁が存在するためで、人知ではいかんともしがたいものです。
細胞のど真ん中に陣取るDNAは、人体というステージで演じられる現象のすべてを取り仕切っています。
それは、みずからの一部を紡ぎ出し、神経ペプチド、ホルモン、酵素となって全身をかけめぐり、同時に自分の別の分身をレセプターとして細胞壁に作り、それをアンテナにしてさまざまな情報を処理するという、とんでもない離れ業をやってのけるです。
物質レベルの水素や炭素などが、そのような働きをするのではありません。
それらはDNAの組み合わせのなかでは、単に存在しているにすぎません。
最も新しい研究によれば、じつは、DNAが最初に作られたときに、波動エネルギーが粒子に変わり(これをクオンタムリープという→量子飛躍)、それらがDNAに組み込まれ、今述べたような驚異的な働きをする、ということがわかっています。
そしてDNAのタイムテーブルに乗って、人間では70年以上も続くわけです。
ブリスルコーンという松の一種では、なんと2,000年もDNAの活動が続くことが知られています。
自然の英知は時間と空間を超越し、こうして自然界のすべての生命を成り立たせているのです。
このような生命現象の神秘が解明できない科学は、物理学者が『特異点』と呼ぶ境界線上で立ち往生しています。
特異点とは、物質が波動になったり、波動が物質に変わる根源的な分岐点のことです。
科学と同様、ここで壁につき当たった医学は、やむをえず物質レベルの研究や治療法に甘んじるほかなく、それでもなお分割的なものの考え方に明け暮れているというわけです。
このことは、医学研究の専門分化や医者の分業化によく表れています。
この傾向が進むと、文字通り「木を見て森を見ず」になるのですが、困ったことにこれを医学の進歩だと錯覚しているのです。
じっさいはそうではなく、DNAの神秘的な働きも含め、病気発生の根本原理からますます遠ざかっているにすぎません。
まず内科と外科があります。
外科は怪我が対象ですから、怪我をした体の部分ごとに分かれるのは仕方ないでしょう。
しかし、内科をいくつもの科目に分けるなど、ちょっと考えればいかに馬鹿げているか、子供でもわかるのではないでしょうか。
内科は呼吸器、泌尿器、消化器、循環器、内分泌など20ぐらいの科目に分けられ、さらに病気を臓器別に見ると、胃腸科、心臓科、腎臓科、肝臓科などと細分化していきます。
また、血液科とか神経内科といった分け方もあります。
これが医療の現場で何を意味するのか、もうおわかりでしょう。
医者は専門バカになっており、患者の症状の訴えでは、その原因がわかるはずがないわけです。
医者や病院を選ぶとき、よく、「あの病院には内科の大家がいるそうだ」というような噂をあてにする人がいますが、その人が大学病院の教授であれ、医者であれ、内科全般に精通しているわけではありません。
医局講座制や研修医制度の欠陥についてすでにおわかりのように、いくら優秀な医学者、医者であっても、得意科目はふつう一つか二つです。
まして病気の本質を熟知している専門家など、日本中でも数人いるかいないかという現状であり、そんな人に出会えるのは宝くじに当たる確率より低いかもしれません。
「医者は病気のことは何でも知っているだろう」という安易な思い込みが、すべてのトラブルの発端です。
つまり科目の間をたらい回しにされ、結局原因がわからず、不要な検査や薬剤投与がおこなわれ、病気が悪化していく、そこへ患者軽視や利益優先の方針が入ると、もっとも危険な手術もあえておこなう、これが臨床現場の実態なのです。
このような事情から、今話題の遺伝子治療も含め、現代医学の治療手段である薬、放射線、手術は、いずれも人体を切り刻む恐怖の武器そのものになってしまったのです。
現代医学を『死の医学』、『殺人医学』と酷評する人がいますが、その意味では核心をついているのではないでしょうか。
医学知識の大半が死体剖検や、組織や細胞、血液や尿などの体の副産物を切り離し、分析して得られらたものであり、生きている体については皮相的な知識しかもたないことに、あらためて背筋が寒くなる思いです。
3. 新しい医学の試み
さて、第一章で述べたとおり、量子力学は主流科学としては確立するまでにいたっていません。
しかし一方、私たちの日常生活に目を転じると、量子理論を応用、実用化したものが目白押しであることに気づかされます。
家電製品、オフィス機器、自動車、新幹線など、その中枢部はマイコンチップ、つまりエザキダイオードの『トンネル効果』をテクノロジー化したもので、私たちは今、まさに量子力学百花繚乱の時代に生きているといえます。
また理論分野においても、『ホログラフィー理論』、『フラクタル構造理論』、『意識工学』、『サイ科学』などが一般に知られるようになり、科学だけではなく、医学、心理学、宗教などのなかにも、量子力学的な考え方や世界観が随所に見られるようになりました。
とくに医学の新しい分野として、『代替医療』、『心身医学』、『ホメオパシー医学』、『ホリスティック医学』、『クオンタム・ヒーリング(量子治療)』などの台頭が注目されています。
これらの新しい医学に共通する考え方は、「生命の尊厳を最重要視する、人間をあらゆる要素の統合体とみなし、それらを分割するのではなく、全体と部分の相互浸透性を探求するべきである」、というものです。
そのような理念のもと、部分にとらわれ全体の犠牲を考えない医療手段、つまり薬や放射線の使用、外科手術などを行わないことを鉄則としています。
それらに替わり、施療内容はマクロビオテック(玄米正食などの自然健康食療法)、カイロプラクティック、鍼灸、温熱、バイオフィードバック(精神的、心理的、肉体的生理機能調節)など広範囲におよび、臨床実験も世界的な規模で行われ始めています。
しかし、これらはもともと、世界各地で数千年も前から民間療法や伝承医学のなかにあったもので、相性の悪さがゆえに、これまで科学的な考察がなされなかっただけなのです。
それが近年になってようやく、西洋医学の限界や欠陥に気づき始め、温故知新で見直されることになったというわけです。
日本における医療機関としては、現時点では数えるほどしかありませんが(それぞれのセンター支部、クリニックは主な地域で広がりつつある)、なんといっても安全であることが最大の利点であり、しかも著しい治癒効果を挙げていることが伝えられています。
時代の要求に応じて登場してきたこれらの革命的な(というより原点回帰的といったほうがいいのでしょうか?)医療や医学も、体制や西洋医学による抵抗を考えると、普及への道程には厳しいものがあります。
しかしながら、これら「統合して生かす」医学こそ、私たちが本当に求めている理想的な医学であり、それらの一日でも早い確立は誰しも願うところです。
また、一世紀にもわたって欠陥医学を是認してきた医療行政の転換を促すためにも、私たち自身の積極的な関心と意識改革は、欠かすことのできない条件であると思います。
この点につきまして、ぜひ皆様の率直なご意見をお待ちしております。
4. 現代医学は宗教か?
私たちは今の医療、つまり現代医学による医療に対して、大変な思い違いをしているようです。
たいていの人は依然として、「医療は確実に進歩している。
その最先端の知識や技術を駆使できる医者なら、病気は必ず治せるし、健康も改善してくれる。
病院に行けば、ハイテク機器で病巣や病気の予兆を突き止められ、病気を予防することができる。
だから医者や病院に頼るのは当然であり、自分自身ではどうすることもできないだろう」と思い込んでいるのではないでしょうか。
しかしながら、これはほとんど根拠のない、事実に反する妄想にすぎないことが、上記のような新しい医療、医学を提唱する著名な医学者によって明らかにされつつあります。
注目すべきは、それらの医学者が、西洋医学の権威的存在であるにもかかわらず、「現行医療は危険そのものである」と、みずから率直に告白していることです。
そのために、当然のことながら医学界から異端視され、中傷や誹謗の的にされ、その社会的、職業的地位さえ脅かされています。
ふつうの人間なら命にかけても死守したいものを犠牲にして、真実を訴えつづけるこれら医学者の真摯な声に、私たちは無関心であってはならないと思います。
非難や妨害に敢然と立ち向かい、アメリカ医学界の改革に多大な貢献をし、全米健康連盟(NHF)の会長も勤めたイリノイ州立大学医学部教授のロバート・メンデルソン博士は、その著書『医者が患者をだますとき』のなかで、次のように述べています。
抜粋、要約してご紹介します。
現代医学は宗教と化してしまった。
人々は医療を盲目的に過信し、これを崇拝している。
医療が自分たちの命を救ってくれる唯一の神だとさえ、勘違いしているのだ。
じつは、医療の当事者である医者、彼らこそが人々の健康をおびやかしている最も危険な存在である。
現代医学による治療は効果がないことが多い。
というより、当の病気よりも治療のほうがはるかに危険だ。
医者、病院、薬、医療機器など、現代医学を構成するこれらの9割がこの世から消えてなくなれば、現代人の体調はたちどころによくなる、これが私の確信である。
一例をあげよう。
世界でも有数とされる心臓病治療センターであるクリーブランド病院の"すばらしい"治療現場が報道された。
臨床検査、心電図、CT、レントゲン検査、開胸手術の総数など、世界的な実績を誇ってはいるが、いずれの処置も健康の維持、または改善ができるかどうかという裏づけがないものばかりだ。
また、この『医療興行記録』によって救われた患者がいるのかという点については、何も明らかにされていない。
なぜか、それは病院というものが『医療工場』に成り果ててしまっており、しかもそこでは健康など生み出されてはいないからだ。
この工場では、患者は健康を改善しにきた人間とはみなされない。
患者は医療工場の経営を改善するための材料とみなされるだけである。
妊婦は病院へ行ってはいけない。
病人として扱われるだけだからだ。
医者にとって妊娠・出産は、10ヶ月に及ぶ病気であって、妊婦とは患者でしかない。
点滴装置と分娩監視装置の装着、各種薬物の投与ばかりか、必要もない会陰切開と称する治療を押しつけられ、あげくの果てに医療工場の極めつきの商品が待ちかまえている。
帝王切開である。
風邪を引いても医者には行くべきではない。
医者はたいてい抗生物質を投与するが、抗生物質は風邪やインフルエンザにはほとんど効かず、それどころか、薬が原因で風邪をこじらせてしまい、病状がさらに悪化する。
新生児が母乳を飲まず、育児書どおりに体重が増えないからといって、医者のいうままにする必要などない。
医者は母乳の自然な分泌を抑える働きのある薬(乳汁分泌抑制作用)を母親に飲ませるかもしれない。
母乳が出にくい体質に変えられてしまった母親は、空腹の赤ん坊をミルクで育てるように指示される。
これは危険なことである。
健康診断は意味のない宗教行事である。
受付で無作法に扱われ、医者に近寄って緊張すれば、患者の血圧も平常ではいられない。
血圧を下げるために降圧剤を処方され、しかもそれを大量に買わされる羽目になる。
こうして性生活にピリオドを打つ人が増えていく。
インポテンツは心理的な原因よりも、むしろこうした降圧剤などの薬の副作用によるものが多いのだ。
年をとり、人生の最期を病院で迎えなければならないのは不幸なことである。
医者は、「一日に500ドルも入院費を払えば、最新の医療機器が完備した病室で、医療スタッフがあなたの最期の言葉を聞いてくれるから安心しなさい」、という。
だが医療スタッフというのは、つまるところ家族に代わって高齢者の最期を看取る賃金労働者に他ならない。
誰でも自分の死に際に、赤の他人に言い残したいことなどあるはずがない。
最期の言葉とは、心電図モニターが発する信号音くらいなものだろう。
医者は、健康や医療に関しては、人々は無知だと決めつける。
そしてそれを逆用して、医学理論で恐怖を煽りたてる。
人は怖いことがあると、避ける、無視する、逃げる、たいしたことではないと無理に思い込もうとする。
その結果、誰か適当な人を見つけて心配してもらおうとする。
こうして、結局は医者が主導権を握ることになる。
患者が医者にそうさせてしまうのだ。
しかしじっさいには、医者は患者が怖いのだ。
なぜかというと、医者と患者の関係は、知識ではなく、信頼に基づいているからである。
薬の副作用について説明を求められると、医者は、もし正直に説明すれば、医者と患者の関係が損なわれてしまうと思っているから、口が裂けても本当のことはいわない。
薬だけではなく、医療のうち少なくとも9割は不必要なものであり、そのなかには人を死に至らしめる危険性すらある、という事実は常に存在する。
人々が本当にこれを知ったなら、医療は即崩壊する。
現代医学は患者の信頼がなければ存在できないのである。
それは、病気を癒す医術や科学ではなく、一種の宗教だからである。
こうして現代人は、人間の生き方を方向づけて管理する力にすがろうとして、現代医学教に年間数千億ドルにも及ぶ巨額の『お布施』を献上していることになる。
医療費と呼ばれるこの莫大なお布施は、本当は何か別の目的に使われる性質のものではないだろうか。
現代医学教の呪縛から抜け出すには、医者に、「それはなぜか」と質問することだ。
もしこれに対して、「医者を信頼していればいい」という返事が返ってきたら、そのときこそ、医者が危険な治療を行おうとする瞬間であるから、一刻も早く医者から逃げ出すことである。
ただ、医者から逃げおおせる人はほとんどいない。
たいていの人が医者に屈服する。
人は、医者がまとう呪術師の仮面と、その奥に潜む未知なる雰囲気に恐れおののき、自分の体に今起こっていること、これから起こりうることに底知れぬ不安を抱かされる。
そしてついには、医者の巧みな説明に畏敬の念をこめて、あえなく同意してしまうのである。
だが、医者と称する呪術師の思うがままに操られてはいけない。
現代医学の呪縛から自らを解放することは可能であり、そのほうがずっと身のためである。
少なくとも、医者に殺されることだけはないからだ。
診察室や診療所、病院などに、準備のないまま近づくことほど危険なことはない。
準備とは生命保険に入ることではない。
医者に出会って生還を果たすために、必要な知識や要領、駆け引きを身につけなさい、ということだ。
まず、医者を知ることである。
現代医学が宗教であることがわかれば、より効果的に自分を守ることができる。
もちろん、現代医学はみずからを宗教とはぜったいに呼ばない。
病院という宮殿にしても、宗教に捧げるためのものではなく、人を癒す医術、または科学のためのものであるかのように常に偽装している。
それは国が加担しての、巧妙で壮大な偽装である。
宗教というのはすべてそうだが、現代医学教の場合は信仰に依存している度合いがきわめて高く、人々がたった一日でも信仰を忘れてしまうと、医療制度全体が崩壊してしまうほどである。
それは、次の三つの疑問について考えてみれば、すぐに理解できるだろう。
ほかの状況であれば、当然疑うべきはずの行為でも、それが医療行為であるというだけで公然とまかり通っている。
それは一体なぜか。
手術についてほとんど理解していないのに、患者は麻酔で眠らされ、自分の体を刃物で切り裂かれることに同意している。
それは一体なぜか。
人々は、薬の成分である化学物質にどういう作用があるかほとんど知らないのに、毎年総量何千トンにもおよぶ薬が消費されている。
それは一体なぜか。
なぜなのか? それは、人々が現代医学教を信仰してやまないからである。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
まさか! まさかの坂があったとは・・・
現代医学の魔坂は急坂なので、滑り落ちたらあっという間に
それでもまだしがみついている(苦笑