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Channel: わたしんちの医学革命と雑多な情報
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世界医薬産業の実質的オーナーは? ボク達が居てキミ達がいる

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「世界医薬産業の犯罪」の著者は結論として書いてありますが

結論」より「現代医学の教義は、宗教教育に用いられる手法によって導き出されたもの」

一部抜粋引用ーー

現代医学の教義は、科学の方法論によるのではなく、宗教教育に用いられる手法によって導き出されたものである。

そのため、いかに証拠を示し合理性に訴えて説得を試みても、信じてしまった者の心を変えることは不可能なのである。

理性ぬきで信じさせられてしまった人の信仰を、理性によって崩すことはできない。

一度浸み込んだ信仰は論理性を受けつけない。


これが、現代医学が科学ではなく宗教であると定義されてしかるべき理由なのである。

現代医学の教義は、科学の方法論によるのではなく、宗教教育に用いられる手法によって導き出されたものである。

そのため、いかに証拠を示し合理性に訴えて説得を試みても、信じてしまった者の心を変えることは不可能なのである。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 


 


理性ぬきで信じさせられてしまった人の信仰を、理性によって崩すことはできない。


一度浸み込んだ信仰は論理性を受けつけない。
これが、現代医学が科学ではなく宗教であると定義されてしかるべき理由なのである。

 

 

近代医学だけじゃないんですよ。世界医薬産業は近代のものですが、その前からのことなんですよ、ボクらがだまされ続けてきた一番の原動力は「信仰」だったわけですから。

ハンス・リューシュ氏も書いていますが、近代医学(現代医学)は宗教だとね。

 

その「信仰」の柱となっているのは、「薬信仰」でしょうね。

薬信仰とはひと言で言えば「薬で病が治る」という錯覚ですね。   錯覚。

このことを言うと「ま、まさか~~」と言う人はまだその信仰が進行中だということでしょうね。

 

 「あっと驚く薬理学」で、薬理学者がつい口を滑らせて(指を滑らせたのかも )しまい、

「残念ながら、お薬には病を治す力を持ち合わせておりません」と書いてシマッタのですが、

後に「リベンジ版」を出版したので覗いて見たら、チャンとそれは除かれて有りませんでしたね。

 

そうです。この世界で生きて行くには「本当のこと」(とくに重大な真実)は隠しておかないと、生きづらくなるからです。ヘタすると(影響力のある方は)ポアされてしまいますからね。

著者が「残念ながら」というのは、今まで人類がずっと信じてきた「薬が病を治す」という信仰が、実は迷信だったということから起こる「残念、無念」感を言いたいのでしょうね。

世界医薬産業がここまで巨大化できたのは、一般大衆(人類)がそれを支えてきたからです。ゆえに、医薬産業が別物のように思うと間違いで、じつはみんなが参加していた構造なんですよ。

医者ももちろん、その中で教育されてきたのでお仲間です。彼らは職業上で専門家ですが、それを支えているのはボク達です。 

ボク達(一般大衆)が居て、キミ達(医者)が居た。

そして、その上に世界医薬産業が居る。

  その世界の医薬産業に君臨してきたのがロックやロスなどという名前の家族でしょうが、彼らはじつは「ボク達は薬を飲まないのね♪」となりますか。

農家が農薬化学肥料まみれの農作物を販売用にまわして、自分たちは安全な作物を食べているとか、牧畜農家が抗生物質などの薬まみれの牛を売って、自家用はやせた牛(なぜか抗生物質を使わないとやせ気味だという)を食べている・・・

 

ところで世界医薬産業を支え、心から応援してきたボク達(ボンクラ達の略)は信仰者ですかね。その強い信仰を捨てたら、もうヘナヘナになりますよ、きっと。

 

世界中のあらゆる薬と言うものが「じつは病気を治すものではない」と知れたとき(もっとも知っても認めたくないでしょうが)、

じゃあ、なんだったんだよ~~!!

となるでしょうが、それは自分の頭でも考えて貰うとして・・

この本の著者も書いてありますが「病を治す力は自分自身の力なのです」

と。

 

そこで大抵の人は言うでしょう。

「薬はたしかに病を治せないかも知れないが、自己治癒力を助ける働きがある」とね。

ところが、どっこい  ショ。

その薬が病を作るという訳です。

 ここまで来ないと薬はやめられない止まらない喝破えびせん

 

しかし、見た目にはそうは見えませんね。

それが「原因と結果の時間差攻撃」(バレーボールか)なのでしょうね。

 

一時的に効果がある・・・・(個人の一生のうち持続する場合は一時的とは言えなくなる)

個人的に見えるのは(それでいいじゃ無いかというとここで終わりますが)

時間が短いわけでして、じつは自分の代だけじゃなくて、次の代、そしてそのまた次の代まで総合的に考えないと分かりにくいと思うのです。

いまの自分が行ったことが原因として、その結果が自分に返ってくる場合は即分かりますが、そうでなくて自分の代には結果が出てこない場合にです。

次世代に受け継がれて、いつかはその結果が出るということです。

 これが原因と結果の時間差だと思うのです。

これはニンゲンを個々だけでみると分かりにくいのでしょうが、全体としてみないとこの原因と結果の法則は分かりにくくなっているのでしょう。

 

いま良いから・・・・という時間が長いと・・・・それで良いのだ・・・となります。

だから「原因」が見えなくなる。

 

  

下は最初に書いたので繋がりが無いのでわけました。

 

 

 

ぼくらはずっと長い間

金ピカのガラクタを押し付けられてきたわけです。

それは一見「科学的」にみえますが、じつは死の黒魔術のようなものでした・・・

 

 もっとも、ガラクタがキンキラキンの新品に見えるのは僕たちの曇った心から見るからですが・・

どうして心が曇ったのかって?

それがドラマを創り出すための最高の下地になるからです。

 

そこから喜怒哀楽という人生ゲームを体験できるからでしょう・・・か・・

か?  

  病気という体験がいかに人生ドラマを豊富にするか・・・・ということでしょうか。

そして、本質がガラクタなのに、見た目は金ピカ金に思い違いする・・・には?

  時間差  でしょうか?

か?

原因と結果の間に時間をもうけることでしょう・・・・か。

 

そうすると、結果をみて原因を知ることが困難になります。

そして、本当の原因ではなく、憶測や想像の原因をもってきました。

それが「かんちがい、まちがい」だったと言うわけです。

 

そこから、始まったんですよ、アンタ。

アンタ!?

そう、ボクらは初めに勘違いしたんですよ。もっとも、それは心の奥の意識では

「わざわざ間違った、勘違いする」という意志があったのでしょう。

そうでなければ

ここまで長い間、その勘違い、間違いを持続できなかったでしょうよ。
途中で全然気がつかなかったのも、ここら辺にあるのでしょうね。

 

え?何が言いたいのって?

「世界医薬産業の犯罪」という本はそういう事に気づいたハンス・リューシュ氏がまとめた啓蒙書のようなものでしょう・・・と言いたかったわけ。(ボク)

ボク・・・・ボンクラの略ジャナイですよ!!

 


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