このブログは何度も同じような繰り返しなので、飽き飽きするでしょうが・・
近代医学だけでなく、古来からの人類の薬信仰からすべてが始まったとみると理解出来るかと思います。
もともと薬には病気を治す力は持ち合わせておりません・・・というのが現代の薬理学の専門家が書く時代です。
病気という浄化作用(排毒作用=体的) (本来の自分に帰る=心的)だという。
その浄化作用を一時停止する力が種々の毒の作用(薬の効能)
しかし、毒の効能ですから、当然害作用なのです。(大局からみれば一時的緩和さえも、全体から言えば有害・・・・心的には、気づかせない効果)
確かに苦痛は早くおさめたい。
だから病気は早く治したい・・・・当然ですが・・・
本当に治していないところに大きな問題があるわけです。
「治していない薬」というものに依存してきた人類。
その末路は、人類全体の体質の悪化による虚弱人間(ヘタレ人間)の蔓延でしょうか?
元気で長生きではなく、ヘタレ人間の長生き化(この長命も長続きしなくなる)
世界医薬産業の犯罪 より
医学は科学では無い(科学的と思えるが「的」であって、科学のように見えるだけ)、宗教であると。
その宗教の第一の教義が
薬でしょう。
そして、
病気は悪化作用
これも見た目は実際上そうなのですが、本当は排毒浄化作用だったわけです。
その浄化作用を停止するのに一番力を発揮するのが毒だったわけです。
(近代の化学薬品だけでなく、古来から天然自然の毒物が薬として使われてきた)
その毒の作用によって一時的に症状が緩和する(これは宇宙のリズムによって長続きする時期が関連しているのだが)
一時的にも「症状」「苦痛」が緩和する = 病気が治る ← 錯覚、勘違い
そこで、先回の記事の補足です。
音声読み上げは↓ ↓ 。
薬に病気を治す力はない!唯一治すのはあなた自身の中の自然治癒力だけ音声mp3ネット記事から
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
薬に治す力はない!唯一治すのはあなたの中の自然治癒力だけ
■薬は毒!
日本人は大の薬好きのようです。
ちょっと風邪気味だ、やれ頭痛がする、胃が痛いなどというとすぐ家庭の常備薬を飲んで不快感をしのぐというのが普通です。
アメリカの医科大では「薬は毒である」とまず教えるそうです。
薬は表面に見える症状をなくしたり軽減したりするのに役立つことはあるけれども、『症状がないこと = 健康』ではありません。
いくら薬を与えられても、病気の根本原因は取り除かれることはなく、薬をいう体にとっては異物の侵入がもたらす弊害は、体の組織を徐々に傷つけていくことを促進させるばかりです。
健康のときに使わないもの(薬など)を、病気のときに使うのは、賢明な選択ではないのです。
私は医学部卒ではありませんのでわかりませんが、日本の大学の医学部とは大分違うように思われます。
以下、「50代からの超健康革命」松田麻美子著よりご紹介します。
■薬には治す力はない!
「風邪」のような単純な病気をガンのような複雑な病気にさせてしまう最大の原因は、現代医学による介入です。
症状を薬で抑え、体内毒素の排泄を人為的に失敗させてしまうからです。
誤った食習慣やライフスタイルがもたらす状況(病気と呼ばれるもの)から解放されるには、本人の強い意志と努力が要求されます。
「労せずして素早く快適な状態に戻りたい」
と願う習性のある現代人は、痛みを即座に取り除く物質(薬)を作り出し、最近は益々これを乱用するようになっています。
その結果、非常に多くの人々が、病気そのものもためではなく、薬のために体を傷付けていますが、それには気付いていません。
「薬は血圧、血糖値、コレステロール値、尿酸値を下げ、病気を治してくれる」
という幻想に、人々はすっかり陥っているのです。
これは現代医学に潜む非常に危険な罠です。
人々は自分が無分別な食生活や生活習慣を行なっていながら、その結果もたらされる悪影響を帳消しにしてくれるような魔法の薬を信じたがる傾向がありますが、そのようなものは存在しません。
これらは「偽りの希望」を与えているに過ぎないのです。
この世にあるのは、「原因と結果の法則」だけです。
現在の自分の体重や血圧、血糖値やコレステロール値、中性脂肪値、尿酸値などが気になったら、その数値の原因となっていることを考えてみることです。
病気をただの風邪から、最終段階のガンにまで発展させたくなかったら、また、もっと健康になりたかったら、もっと長生きしたかったら、まずはその根本原因である
「誤った食事やライフスタイルを改めなければならない」
というのがナチュラル・ハイジーンの教えです。
薬も医者も病気を治すことはできません。
治すことができるのは、唯一あなた自身の体の中にある自然治癒力だけなのです。
今日でも医学を志す人々が必ず学ぶ『ピポクラテスの誓い』には、
「医者はアシスタントに過ぎない。自然の助手である。助けること、或いは少なくとも害を及ぼすようなことはしないことが重要である」
とあります。
また、シュバイツァー博士も、
「我々医者は何もしない。ただ内なる医師を助け、励ますのみである」
と言っています。
私たちの体の中では、精子と卵子というたった二つの細胞から、六十兆個もの細胞で構成された人間を創り上げたものと同じ能力が、健康のときも病気になったときも、絶えず働いています。
切り傷や骨折を治すのはその力です。
その力はまた、細胞や組織に生じる異常や欠陥を修復し、常にベストな状態に保とうと、私たちが最後の息をする瞬間まで休むことなく努力を続けてくれているのです。
私たちがこの力に全幅を信頼をおき、必要なものを与え、傷付けるようなことをせずに協力してあげれば、致命的なダメージのために修復が不可能になっていない限り、病気のどんな段階においても、体は健康を取り戻していけるのです。
たとえ修復不可能といわれる第七段階のガンであっても、治ろうという強い意志と、ナチュラル・プラントフード(新鮮な生の野菜と果物、木の実、種子類、発芽させた穀類や豆類、海藻など生の植物性食品だけの食事)という徹底的な食事プログラム、そして十分な休養と睡眠、運動、日光、ストレス・マネージメントなどによって回復していく例が世界中に多数あります。
【出典】「50代からの超健康革命」松田麻美子著
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
また薬毒についても
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
薬の副作用はもとの病気より怖い薬の発明はこの世の最大の悲劇です。薬は・自然の警告システムを働かなくし・危険な行為(病気の根本原因である誤った生活習慣)を続けるように仕向けてしまうものです。人々が完全に健康になり、病気が減っていくのであれば話は別ですが、医学がいくら発達し、様々な薬が開発されても、病人は増え、医療費は天文学的にかさ...
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
薬はすべて毒です。毒で無いと薬にはならないとも言います。
毒を体内に入れるといろいろな作用で変化が生じます。
その変化作用(毒によって数多くある)のうち、「自己都合によい働き」を「主作用」とか「効能」と言っているだけです。
自己都合とは「これこれの症状を軽くする」とか「苦痛を緩和する」とかの都合です。
とうぜん「都合の悪い作用」も「同時に起きている」のですが、そちらを「副作用」と称しているだけのことです。
薬というものが「主作用だけ」とか「副作用だけ」とかに分けることは出来ません。もともと毒なのですから。その毒によっていろんな反応が体に起きるだけのことです。
「主作用」「副作用」などと言っても人間側の都合で分けているだけのことです。主作用も副作用も同時に起こっているわけですから。区別など出来ないのです。
そもそも、毒の作用が体内でいろいろな反応を引き起こしているのが薬の作用とういうものです。
その作用が時間的にみて、早く顕れる作用と遅く顕れる作用とありますが、薬の治療効果(治すのではないが治療と呼んでいるだけのこと)と言っても、毒による反応であって治す作用ではありません。
それは薬理学の先生が書いた本「あっと驚く薬理学」にも書かれています。
「残念ながら、お薬には病を治す力を持ち合わせておりません」
では、なぜ薬で治ったように思えるのか? ですが・・・
もともと本当に治る、治す力は自分自身の治癒力なのですが、そこに薬を使った=一時的に症状が緩和した= 薬で治った・・・・という思い込みが働いているのです。
人間の思いの力というのはバカにならないほど強いものです。
薬のプラシーボ効果というのは四割くらいだという説もありますが、実際はそれ以上だと思うのです。
それは心の作用が薬の毒作用(普通は副作用と言う)をお抑えて治癒することが出来るという意味でしょう。
しかし、もともと毒を体内に入れているので、人によってはその毒の害作用を受ける場合が多くあります。その場合は一時的緩和作用も長続きせずに、すぐまた症状として顕れますから、飲み続けなければならないことになります。
もともと「薬には治す力は無い」のですから、けっきょくは体内には毒の成分が蓄積されていくわけで、いづれは一時的効果(症状の抑制)も次第に無くなってゆきます。
そして、次の薬、また次の薬と変えて行きますが、ついには薬の効果が無くなってきます。
これが薬の治療の末路です。
それが個々のひとによって異なりますので、その期間が短いひと、長いひととあるでしょうが最後は薬が効かなくなり、その症状によっては手術とかになるでしょう。
(手術というのはあくまで最後の手段であって、薬で治ればほとんどが必要の無いものだからです)
そして、手術もダメとなるので、ついには「臓器移植」へとたどり着くわけです。
ただし、他人の臓器は生涯「免疫抑制剤」が必要。
そこで考え出された最後の最後の手段として「自分の細胞から作り出す臓器」ということでしょうか、それがESとかIPS、そしてあのSTAP細胞。
結局は最後の最後の手段としての臓器移植なのですから、本来の医療ではないわけです。
本来の医療とは「なんら自身の臓器を傷つけずに元に回復する」ことですから、医療が第一に「薬で治れば他の方法は要らない」という方針で進歩してきて、結局は「薬では治らない」という現実に気づき、そこからいろんな「手術」が。そしてその手術の究極が臓器移植というものでしょう。 (これも最終的には失敗だと気づくでしょうが)
繰り返しますが、「薬で病気が治る」ものなら、ほとんど要らないものです。
それに「薬で病気が治っている」のなら、新たに薬を開発する必要も無いわけです。
ひとつの薬が使われ、その薬が病気を治していたのなら、それ以上新薬を作る必要も無いのです。
実際はドンドン新薬が作られ、ドンドン消えて行く・・・を繰り返してきたわけです。
これが「薬で病気は治らない」という証拠なのですが、「医学信仰」に陥っている医学者も一般人もこの単純明快な事実に気づかない。いや気づかないふりをしているのかは分かりませんが、相変わらず同じ事を繰り返しています・
が、そろそろその頂点に達したわけで、嫌が上でもそれに気づかざるを得ないところに来たようです。
また話が飛んでしまい、次の文に繋がらなくなりました・・
じつは薬による体質悪化はそのひと個人だけに終わらないということです。
親の体質悪化は次世代に受け継がれて行くということです。
自然農法、自然栽培の方で言えば、種は自家採取が一番だといいます。
それは、化学肥料などで育った作物の種子は汚染されているので、汚染されていない自家栽培の種子の方が強く育つというわけです。
それが人間の体の方でも起こっているとすれば、子を元気で強く育てたいと思えば親の代から作りあげなければならないでしょう。
それを、予防接種だの風邪薬だの抗生物質だの、そして食品添加物満載の加工食品ばかり体に入れ続けるている現代人は次第に体質悪化しているので、ついには子どもや孫にまで影響して弱体化してゆくということです。
体の方は体を強くしようとして体内の毒を排泄しようとします。(浄化作用=病気)
しかし、この浄化作用をできるだけ抑え込もうとするのが現代医療(ばかりか古来からの医療だが)です。そこに一番用いられるのが薬という毒物です。
毒の作用によって苦痛症状が抑え込まれる・・・・しかし、薬(毒)には病気を治す力は無い・・・・とすれば・・
あらゆる薬に治す力は無いとすれば、症状緩和作用も一時的どころかいずれはその積み重ねによって、体質は悪化してゆき、それがその人の代で解消しない限り、子々孫々にまで続くというわけでしょう。
近代医療が急速に発展進歩(と言っても本当の医学の進歩ではない)した功績は、おそらく「抗生物質の発見」だったと思います。
抗生物質の効果は目を見張るものがあったというのですが、今でも抗生物質は医療において無くてはならない薬の代表格でしょう。
しかし、抗生物質がいままでいかに効いてきたかという事が事実としても、あくまでもそれは時間の経過で言えば「一時的時間が長かった」だけでしょうから、いずれは体質の悪化をまねき、親の代からこの代へ孫の代へと、実質的には毒作用の一時的な効果だと気づくときが来るでしょう。
それが自然界の法則だと思います。
そして、自然界は微生物の海のようなものでしょうから、そこに身を置く人間は原因→結果という法則が顕現されるものでしょう。
実際に抗生物質の長いあいだの使用で微生物側もそれに反発するかのように、耐性菌が増加してきて、近い将来には「すべての抗生物質が効かない耐性菌」によって、医療界から「抗生物質が消える」という事態が起こるだろうと思います。
あらゆる症状に抗生物質がつかわれて来ましたので、この抗生物質がまったく使えない状況というのは現代医療にとっては致命的なものになると思います。(手術も抗生物質なしには成り立たないという)
「抗生物質」については過去記事にたくさん紹介しましたのでそちらをどうぞ。