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Channel: わたしんちの医学革命と雑多な情報
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医薬への妄信が今日の多病世界を作りあげた

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これから再掲が続きます。

内容については、各自の自由洗濯です。ジャブジャブジャーブジャブ♪

 

※なお、本書の内容は私の心情とか信条とか、普段の生活とかに一切関係しておりません。カンチガイしないようにお願い致します。

 

松本英聖著 21世紀の医学革命へ 

発行年月:1995.5 出版社:技術出版

より

 

二十一世紀医学革命へ
 松本 英聖 医事論集 第三巻

第一章 “病なき世界”をめざす世界戦略
第二章 揺らぎ出した医学神話
第三章 医学の正統性をめぐる東西の激突
第四章 「善意」の現代医学が生んだ悲劇
第五章 西欧肉食文明の没落
第六章 自然医学に近づく世界の流れ
第七章 ついに来た不治の病=エイズ
第八章 スペイン風邪大量死時代
第九章 早老・早死時代の到来
第十章 非行・犯罪の多発する世紀末時代
第十一章 精神も狂わす蛋白質(肉食)


第十四章 南北経済格差と環境破壊

アーユルヴェーダ入門

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーー
12P
    第二章、揺らぎ出した医学神話
      「病気治し」から「健康づくり」ヘーー


    飢えと飽食の狭間で悲惨な大惨禍

 国連WHOが大目標として掲げた。

病なきせ界″を実現しようとする場合、最も重要な課題は、いま地球上には相反する原因からくる二つの健康問題が存在し、この両者を一緒に解決しなければならないという難題をかかえていることである。


 一つは貧しい途上国を脅かしている。

飢え″(栄養失調)による大惨禍。

他の一つは豊かな先進国を悩ましている。

飽食″(栄養過剰)が招いた文明病という名の死病。

一方は食の量的欠乏であり、しかも自ら求めずして巻き込まれた、あまりにも悲惨な苦しみ。

これに対して、一方はあり余る物ゆえに自らはまりこんだ、笑うに笑えない悲喜劇。


 いずれも極端な。

食の片寄り″から引き起こされた悩みであるが、前者は世界人口(五十七億)の約八割
 (四十六億)を占め、その中の約半数近くが栄養失調で苦しみ、さらに五億人もの子供たちが飢えに泣き、死線をさまようという地獄絵が繰り広げられているのだ。


 こうした惨状を見るとき、ややもすると議論が政治経済問題(南北経済格差)にスリ変わって、国連スローガンは途上国向けの緊急対策であり、先進諸国ではとうの昔に解決済みの問題として受け取られやすく、識者の中でさえこうした誤った受け取り方をする向きが少なくない。


 だが、こうした考え方をする背景には、ある重大な思い上がりI現代医学だけを唯一絶対と過信する優越感と途上国民を蔑視する偏見――、が知らず知らずに培われていることを指摘しておかねばなるまい。


 と言うのは、途上国での飢えの問題は確かに量的、経済的に解決しうる問題ではある。

しかし、それはあくまでも緊急避難的な対策、それですべての健康問題が解決するわけではないからだ。

いま人類にとって最も重要な課題は、先進諸国を支配している現代医療そのものを厳しく問い直し、文明病対策を根本から見直すこと。

この厳しい医学批判の上に初めて。

病なき世界″を実現し得る正しい。

健康づくり。

の道が開かれるのである。

はっきり言えば、いまの医学の延長線上には人類の未来はない、ということである。


 実はこうした現代医学についての認識の違いが、アルマ・アタ宣言の合意に至る過程で、旧ソ連と中国を両極とする南北(途上国と先進国)間の激しい対立として浮き彫リになるのだ。

この模様は別章で紹介することにして、ここでは現代医学の功罪とその矛盾点について取り上げておこう。




13P
    伝染病の成果で現代医学を救世主視

 そもそも国連WHOは、第二次大戦直後の荒廃した世相と極度の食糧難の中で蔓延した伝染病対策を主任務とする国際機関として。

戦勝国によって設置された。


 当時の社会では伝染病が人類の生存を脅かす敵として最も恐れられ、伝染病を撲滅すれば人類社会から病気はなくなるという安易な考え方が支配的であり、世間も為政者もそう信じ込んでいた。


 それと言うのも、ヨーロッパでは、歴史上幾度となく襲いかかったペスト禍をはじめ、さまざまな疫病によって、何千万人という生命が奪われた。

この忌まわしい記憶が世代を越えて人々の潜在意識に刻み込まれ、その対策が敗戦国・戦勝国を問わず二十世紀前半の医学に課せられた至上命令であったからだ。


 この悲願に応えて登場したのが近代医学である。

パスツールやコッホらによって導かれた細菌病理観に基づいて、DDTなどの強力な消毒剤、予防注射やワクチン、さらにフレミングによって発見された抗生物質など史上最強の細菌攻撃手段で完全武装し、伝染病への戦いを挑んだ。


 その威力と戦果は目を見張るものがあり、いち早くその恩恵に浴した文明社会では、伝染病をはじめ結核・ライなどの感染症が次々と制圧されて姿を消していった。


 一方この間、先進国経済は高度に成長し、国民生活が豊かになると共に。

ホイトやルプナーらによって確立されたミクロ栄養観(現代栄養学)に導かれて、先進諸国民の食事内容が大きく変化した。

その結果、脚気、壊血病、クル病などの栄養障害が激減すると共に、日本では青少年の体位が向上し、著しく大型化した。


 そして、これら一連の成果によって乳幼児死亡(とくに新生児)が激減した結果、文明諸国の平均寿命は大幅に延びた。


 こうした現代医学の目覚ましい成果を目の当たりにすれば、誰しも現代医学を万能と信じ込み、救世主のように崇め奉ったとしても決して不思議ではなく、むしろ当然のことと言えるだろう。


 しかしこうした華々しい成果の陰で、医学にまつわるさまざまな矛盾が潜んでいた。

しかし表面上のきらびやかさに幻惑された人々の目には、。

アバタもエクボ″で、やがて医薬不信時代が到来するであろうなど、夢想だにできなかった。


 しかし二十世紀後半になると、医学の矛盾が表面化し、医薬不信の声が大きく高まってきたが、今なお過去の栄光にしがみつき、医薬の進歩に一縷の望みをかけているのが現状。


 ここに、現代医学思想の混迷とそれがもたらす悲劇性を読みとらねばなるまい。





5p
    内実は空虚で無力な現代医学

 いま文明社会では古典的伝染病は過去の語り草、これで死ぬことはまずなくなった。

また外科手術が発達したお陰で、昔は助からなかった大ケガでも、手当て次第で助かる可能性が大幅に広がってきた。


 だが、こうした事実だけを見て医学の勝利と手放しで喜ぶことができるのだろうか。


 今や、クスリと菌(耐性菌)のイタチゴッコが始まり、MRSAによる院内感染症を始め、真菌症(カンジダなど)、常在菌(大腸菌など)による感染症(膀胱炎など)などが大きな問題となってきた。


 またウイルスには抗生物質が役立たず、風邪さえ治せないばかりか、ついにはエイズという前代未聞の感
染症をはじめ、昨今ではプロウイルスや、致死率九〇%以上と言われるエボラウイルスなど正体不明のウイルスまで出現、世界中が恐怖のどん底に叩きのめされる始末。


 それだけではない。

栄養改善で青少年の体位が見違えるように向上したと自慢しても、体質や免疫力が低下し、アレルギーをはじめ若年性老化現象や慢性病が増え続けているが、いまなお有効な手だては何ひとつない。

この現状をどう見るか、少なくとも体位向上と体質低下には相反性があると考えねばなるまい。


 とすれば、このことを予見しえなかった現代医学には何か根本的な欠陥があるはず。

この点を曖昧にして 「科学未だし」などとゴマかすことは犯罪行為にも等しい罪悪と言わざるを得ない。


 こうした行き先不透明な中で、二十一世紀を迎えようとする文明社会の行く手に、一体どのような病気が待ち受けているのだろうか。


 また平均寿命が伸びたといっても、その反面、巷には成人病という名の死病(ガン・心臓病・脳卒中など)が若年層まで巻き込んで激増し、病人は減るどころか益々増える一方。

とくに昨今ではボケ老人や寝たきり老人の問題が大きな社会問題となり、その悲惨な状況がテレビドラマのテーマとなる時代。

一体、何のための長生きか、人間の尊厳死も含めて、自分自身の人生観が厳しく問われる時代となっている。


 いまや長寿問題は。

生命の質″(クオリティーオブライフ)という価値観の転換(パラダイムシフト)なしには語れない時代となった。

端的に言えば、植物状態で延命することが、果たして意味があるのかという問題である。


 それはともかく、こうした世相の中で昔はなかった新しい難病奇病が続出、挙げ句の果てに医療そのもの
が原因となって起こる医原病や、忌まわしい薬禍問題が噴出して、医療に対する不信と不安が不気味な広がりを見せてきた。




17P
    予想されうる。

難病奇病の地獄絵」

 十年ひと昔と言うが、〝病なき世界″の実現をめざすアルマ・アタ宣言が採択されてから、すでに十七年が過ぎた。


 この間、日本ではガン死が死因の第一位となり、心臓病死が脳卒中を抜いて第二位に躍り出た。


 そして西暦二千年にはガン患者が現在の二倍に増え、とくに重要なことは、この先十年間に乳ガン、大腸ガンが急カーブを描いて激増することが確実視されていることだ(図参照)。


 こうしたガン急増の中で二十一世紀を迎えるわけだが、その先どのような病気が出現するのだろうか。

現在までのデータから弾き出された予測によると、次の五大病がワーストーファイプとしてランクされている。


①心臓・血管病心臓病・脳卒中など。


②ガン  胃ガンは減るが乳ガン・大腸ガン・肺ガンが激増する。


③免疫病免疫過敏症(アレルギー性疾患)
           自己免疫病(胃潰瘍・リウマチなど)
           免疫不全症(エイズなど)
④精神病痴呆症・うつ病・心身症・ノイローゼなど。


⑤先天奇形外形上の奇形のほかに代謝異常(フェニルケトン症など)が激増する。



 いずれ劣らぬ業病である。

①~②にっいては当然予測できるから余り驚かないが、③~⑤にっいては全く予想外であり、しかもいまの医学では有効な対策はなく、全くのお手上げというのが実情。

このまま行けば二十一世紀の文明社会は。

病なき世界″どころか。

難病奇病が渦巻く地獄世界″となることは間違いない。


 そこで問題は、こうした最悪の事態を避けるにはどうすればよいか、ということである。


 この対策として掲げられたのがアルマ。

アタ宣言であり、その基本戦略の考え方は、すでに述べたように 。

病気治し″から。

健康づくリ″(プライマリー・ヘルスーケアこへと医学の方向転換を急ぐこと。



医薬に頼らず、自分の健康は自分で守る!″ということである。




18P
    教え込まれた医者・クスリヘの信仰

 いま先進国、とりわけ日本人は、病気を治してくれるのは医者とクスリであると固く信じている。

であるから、少し体の体調が悪いとすぐ医者に診てもらえ、早期発見・早期治療が最善の道で、放っておくと取り返しがつかなくなるI-、そう考えることが常識であり、子供のときから家庭でも学校でもそう教えられ、そう信じ込まされてきた。


 だから、〝三つ子の魂、百まで″で大人になってもこの常識が邪魔して、まさかそれがウソであり、まやかしであるなどとは夢にも考えてみない。

そこで、たまたまそういう常識外れのことを言う人があれば、寄ってたかってバカにし、迷信視してしまうのがオチ。

ともかく偽物を本物と信じ、本物を偽物と思い込んでいるわけだから始末に悪い。


 それでも病人が減リ、みんなが健康になれるなら問題はないが、事実はその逆。

医薬に頼るほど病人は増え、いまでは一億総半病人などと言われる時代を出現した。


 その結果どうなったのか。

医療に支払う費用がべらぼうに膨れ上がって、このままでは国の財布がパンクしそうになってきた。

病気と医療費の堂々めぐりである。


  「稼ぐに追いつく貧乏なし」、昔は貧乏と言えば、病気が最大の原因だった。

このことは昔も今も変わりはない。

ただ昔は個人にすべてしわ寄せがきたが、いまや医療費負担で国の経済が圧迫され始めている。

経済大国ニッポンなどと安心してはいられないのだ。




19P
    経済全体を蝕む医療費の急増

 ここで、日本の医療費の推移を見ておこう。


 わが国の医療費は昭和四十年に初めて一兆円の大台に乗ったが、その後が大変。

毎年急上昇を続けて平成六年現在、二四兆円(一人当たり二十万円)。

実に三十年間で二十四倍も膨らみ、二十一世紀初頭には少なく見積もっても四十兆円を軽くオーバーする。

まさに天文学的な数字である。


  「生命あってのもの種」と言うが、それは「健康で」という条件つきの話。

病人が巷にあふれ、その上に寝たきりとボケ老人がひしめくとしたら、どうなるであろうか。


 まさに生ける屍の群であり、それを補う医療費の帳尻は?考えるだけでもそら恐ろしくなるが、世界一の長寿大国となったいま、これが日本民族が確実に歩まねばならない現実の道である。


  「医学が発達したいま、それまでには、なんとかなるさ!」 大方の人はそう考えるだろう。

筆者もそう考えたいし、またそうあって欲しい。


 だが、この考え方はあまりに現実を無視した希望的観測に過ぎない。


 なぜならば、杖とも柱とも頼む現代医療そのものが白アリのように経済全体を蝕む元凶となっているからだ。


  「生命は惜いし、金はなしーー-」 いずれにしても、絶体絶命のときは目前に迫っている。




20P
   悪循環の根本原因は医薬への盲信

 そもそもこうした悪循環を招いた根本原因は、再三述べているように、「病気は医薬で治すもの」と決めてかかり、医薬が進歩すれば病気はなくなると信じ込んでいたことである。

そうでなければ、誰が文句も言わず黙って医療に大金を払うであろうか。


 しかし、よく考えてみれば、医薬信仰というのは、消防署を増やせば火事はなくなると言う考え方と同じであることに気づくであろう。


 病気(火事)が増えるのは医薬(消防署)が不足しているためではなく、全く別の要因によるのだから、その要因を取り除くことが先決である。

それをないがしろにして、医療にどんなに大金を投じても、病人は増えこそすれ絶対に減ることはあり得ない。


 この自明の理に気づかなかったことは、実に不可思議手万な話。

これも現代医学の華々しい成果に幻惑されて、すっかり騙されていた、としか言いようがあるまい。


 高性能の消防車の威力に見取れて、この車さえ買い込めば火事はなくなると早とちりしたということか。

それにしては余りにバカげた話である。


 しかし、国連WHOはようやくこのことに気づいた。

そして思い切った発想の転換--と言っても本来の正しい考え方に戻っただけの話であるがI-によって、これまで支配的であった医療に頼る考え方を清算して、新しい健康づくりの政策を掲げて出直した。

それがアルマ・アタ宣言であり、その具体的政策がプライマリー・ヘルス・ケアである。


ではプライマリー・ヘルスーケアとは何か、その概要を紹介しよう。




22P
     三条件を規定したプライマリー・ヘルスーケア

 まず第一は、この政策がプライマリー(一次)と呼ばれるように、二次、三次のヘルスーケアが当然である。

セコンダリ(二次)ケアは予防医学であり、サードリ(三次)ケアは現在の医療技術で、その最終的医療がターミナルケア(終末医療)--、言わば葬式医療である。


 以上をひっくるめて現代医学の全容を紹介するとi-、一、基礎医学  人体の構造、機能等に関する研究分野(解剖学・生理学・病理学・生化学・薬理学など)二、実践医学 
1、サードリ・ヘルスーケア(臨床医学)   病気の診断・治療・予防・リ(ビリなど。


 
2、セコンダリーヘルスーケア(予防医学)   環境衛生・公衆衛生・栄養科学など。


 
3、プライマリー・ヘルスーケア(健康づくり)

 次に、国連の政策として採用されたプライマリー・ヘルスーケアの定義は、アルマ・アタ宣言第六条において、次の三条件を満たすよう明確に規定している。


一、健康づくりの『方法と技術』 
 ①科学的合理性
 ②実用性(簡単でどこでもすぐできること)
 ③機会均等性(誰でもが等しくできること)  
 ④社会性(住民の伝統や風俗習慣との間で抵抗なく受け入れられるものであること)
二、自助・自決の精神  各国の政府手算の範囲で費用負担ができること。

三、住民参加の原則  政策決定は、住民の参加を通して行なうこと。




23P
      問題がある科学的合理性の内容

 以上が国連のプライマリー・ヘルスーケアの概要である。

きわめて妥当な見解であるが、一つだけ気になる点は、健康づくりの『方法と技術』のところで述べられている「科学的合理性」とはどのような判定基準をもって評価するのか、という疑問である。

日本を含めて先進諸国では、その評価基準は現代医学であると即座に答えるであろう。

現代医学=科学的合理性と確信しているからである。


 だが果たして、そう言い切れるのであろうか。

世界には数手年の歴史をもつ民族固有の伝承医学があるのだ。

実はこの認識の違いが、後で述べる旧ソ連と中国の大論争となるのだが、ここでは別の観点--現代医学を支えている生命観(生命科学)と、その思想的背景から問題を提起してみよう。


 

     マクロの視点でとらえるニューサイエンス
 今日、生命科学と言えば、誰しも思い浮かべるのは、いま最先端科学として脚光を浴びている分子生物学やバイオテクノロジーであろう。

しかし生命科学には相反する二つの研究方向--ミクロ生命科学とマクロ生命科学とがあることを知っている人は少ない。


 前者は生命現象を顕微鏡的なミクロの次元に細分化して研究する方向(分子生物学や遺伝子工学など)であるが、最近ではこのような研究態度を要素還元主義と呼んでいる。

現代医学はまさしく要素還元主義に立つ医学である。

即ち一九世紀にウィルヒョウが確立した細胞概念(細胞病理観)、パスツール、コッホが確立した細菌病理観、そして一九三〇年代にトーン、カニンガム、ジョルダンらの実験によって導かれた造血概念(骨髄造血説)を土台として構築された医学である。


 その後二十世紀後半になって分子生物学が登場し、かつてウィルヒョウが唱えた有名な細胞概念《細胞は細胞から生じる》は、ワトソン、クリックが唱えたセントラルードグマ《遺伝子は遺伝子から生じる》に置き換えられたが、その根底に流れる生命観《親のコピーが子に伝えられる》は少しも変わることなく連綿として受け継がれているのだ。


 これに対して後者は、生命現象を宇宙的なマクロの視点から歴史的(時間系)・生態学的(空間系)な立場から統一的・立体的に把握しようとする研究方向。

最近話題を呼んでいるニューサイエンスの立場である。

ケストラーのホロニズム、カプラのタオイズム、ラヴロックのガイア仮説などがこれで、機械論的な要素還元主義に真っ向から対立する東洋的な生命観と言えよう。


 ニューサイエンスについては後で述べるが、とにかく。

身上不二・心身一如″。

色即是空・空即是色″。

一即多・多即一″など東洋古来の哲理をふまえた最新の知見である。

自然医学はこうしたニューサイエンスに立つ医学であるが、とくに重要なことは、新しい血液概念(血球→↑体細胞)と造血概念《消化管造血説》 (食は血となリ肉となる)を提唱して現代医学を根底から揺るがし、医学のパラダイムシフトを迫っていることだ。


 これらについては逐次解説するので、ここでは触れないが、現代医学とはおよそ正反対の生命観に立った新しい医学(自然医学)が極東日本の一角から産声を上げ、二十一世紀に向けて羽ばたこうとしていることだけは知っておいて頂きたい。


  


    マクロ(自然医学)で。

病なき世界”が実現
 かつてギリシャの哲人プロタゴラスは、有名な人間尺度説を唱えて認識の相対性を主張した。

物差しを変えれば評価も自ずと変わるということである。

生命科学の分野でもミクロとマクロの物差しでは、ものの見方、考え方が一八〇度も違うから、当然導かれる生命観や健康観も大きく変わってくることは容易に想像で

きるであろう。

要はどちらの物差しがよリ正しく自然(生命現象)を反映し得るかということ。

医学においては、どちらが人間の健康と幸せに役立つか、ということである。


 そこで国連の規定に従って、プライマリー・ヘルスーケアの『方法と技術』を吟味する場合も、まずその判定基準となる科学(医学)そのものを検討しておく必要があろう。

つまリミクロ(現代医学)の物差しか、マクロ(自然医学)の物差しか、ということである。

そのどちらを選ぶかによって人類の命運は決まるといっても差し支えあるまい。


 結論だけ先にに言わせてもらえば、科学的合理性をもった健康づくりの『方法と技術』を確立するためには、まず、いまの医学を支配しているミクロの既成概念(細胞概念と造血概念)から脱却すること、そして新しいマクロ科学(自然医学)の生命観(健康観)に基づいて医学のパラダイムシフトを図ることI-、が先決であり、その上に初めて。

病なき世界″の実現が約束されるということである。


 しかしながら、医学のパラダイムシフトが遅れれば遅れるほど、より、多くの尊い生命がガンその他の業病で倒れることになろう。

しかし、その惨禍の中で医学のパラダイムシフトが進行するであろうことは過去の歴史が示している。


 であるとすれば、いま我々が選択すべき道は、各自が医薬に頼らず、いますぐ食事を正すことである。

さすれば、大自然の恵みを受けて体内の自然が甦り、心身ともに健康になれるだけでなく、運命さえも好転して幸せな人生を送ることができる。

これが自然(神)の定めた掟(天寿への道)であり、人間本来のあり方と確信するからである。


26p

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 


 

 


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