薬には病を治す力を持ち合わせておりません
これが現代薬理学の結論です。
これは化学薬品に限らず、昔からの漢方薬など自然からの薬物も同様。
人類は病気の苦痛症状を病気の本体と勘違いし、苦痛緩和方法が治癒だと思い込んでシマッタわけ。
その苦痛緩和方法の第一番目に毒物が使われたわけ。
その進歩発展がいまの現代医療の姿です。
つまり苦痛を抑え、緩和する方法に毒物(これは自然、人工に限らない)を用いているわけです。
その毒物の種類にも千差万別あり、体内に起こっている反応にたいして、その毒物を入れると何かの反応を引き起こすのが薬としての効用。
だけど、その効用には主と副があるかのように言っていますが。
じつは主も副も無いのです。
主作用と言っているのはただ単に「毒が引き起こす幾つもの反応のひとつ」でしかない。
つまり、人間側の都合によって(目的によって)解釈しているだけのこと。
起こっている事はその毒物が体の中で幾つかの反応を同時に進行しているわけ。
副作用とはその主(薬の効能、主作用)以外の反応を言っているだけのことで、目的によっては主と副はいつでも入れ替わるのです。
そして、薬が目的の場所にだけ到達するわけでも無く、全身のあらゆる箇所に到達しているのです。
薬の効能とは体が起こす反応に、どう対処するかで目的別に分類されているのでしょうが、これはあくまで人間側の都合であって、薬そのものは毒物でできているのであって、目的がどうだのこうだのという理由で働いているわけでも無いわけ。
あらゆる反応を引き起こし、全身のどこにでも回って行く。
では、病気の本体とは何か?
口が酸っぱくなるほど、いや、手が酸っぱくなるほど書いてきましたが・・・
体内の浄化作用なのです。
浄化の種は不要なものがあるから排泄するということ。
そのきっかけになるのは年齢や活動状況や季節の変動や、その時の精神状態によって・・・発動する
ノロウイルスにかかる人とかからない人の差はそこにあるようです。
免疫力とは体内の状態によって病気(浄化作用)を引き起こすかどうかの差とも言えます。
それは食生活も精神、肉体活動、気候なども含めてあらゆるきっかけがあるとして個人差が大きいでしょうが
(中にはこの世界に出る前にお供に連れてきている病もあると言うし)
すべては「浄化作用」と割り切ってしまえば
あとは生きようが死のうが(本体は肉体で無いので死にもしないのだが)どうってことないって(と、吾に言い聞かせる 笑い)
ところが、病気の苦痛が思ったより長く続いたり、死にそうになったり・・・と、
すると、その覚悟も一瞬のうちに忘却の彼方へ・・・・
そこから、もがき始めるわけ(苦笑 体験談)
でも、そのもがきが適正なものならよいが、たいていは外れてしまうのですね。(苦笑)
その一番の勘違いが薬というわけです。
だって薬学博士が「残念ながらお薬には病を治す力を持ち合わせておりません」と書くほどですから。
毒を飲んで体が癒される?
わけないでしょ。治るのはぜんぶ自分自身に備わった浄化力、つまり自然良能力です。
その自然良能力が体内にお毒(お薬のこと)を入れれば、とうぜん排泄する為にかつどうを起こします。
それが病気症状としての苦痛が伴う浄化作用。
おあとは本の方へ。。
この著者も同じ会に属した時期がありました。
松本英聖著 21世紀の医学革命へ
発行年月:1995.5
出版社:技術出版
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27P
第三章、 医学の正当性をめぐる東西の激突
- 「医療選択の自由権」確立をー・-
医学の普遍性をめぐり激しい論争
アルマ・アタ宣言への道は平坦ではなかった。
道は険しく、幾度となく会議がデッドロックに乗り上げるという茨の道、まさに陣痛の苦しみであった。
それもそのはず、〝病なき世界〟をこの世に、しかも今世紀末までに実現しようという人類史上空前の世界戦略。
そのコンセンサスを強(したた)か者ぞろいの国際会議でまとめ上げるわけだから、すんなりまとまる方がむしろ不思議なくらいだ。
口角泡をとばす激論の果てに席を蹴って退席、会議はストップし、その合間を縫って妥協工作と根回しが続く。
舞台回しの立役者はマーラ-国連WHO事務総長。
〝病なき世界〟をめざす彼の情熱と百戦錬磨の国際手腕がなければ、恐らくアルマ・アタ宣言は日の目を見なかったであろう。
まさに産婆役であり、時の氏神であった。
ではなぜ、国際会議はそんなに荒れたのであろうか。
対立の焦点は医学の普遍性と正当性をめぐって、東西両医学(東洋医学と西洋医学)が真正面から激突し、国際世論を二分して激しい激論が巻き起こったためである。
謂わば医学の正邪を分ける世紀の戦いが、国連を舞台として繰り広げられたわけだ。
旧ソ連と中国が真っ向から対立
論戦は中国代表(東洋医学)と旧ソ連代表(西洋医学)を主役として展開された。
旧ソ連は現代医学(近代西欧医学)の輝かしい成果をふまえ、近代医療技術を駆使することが世界戦略の正統的手段(ソ連方式)であるという「北の論理」を展開、その実証地としてアルマ・アタを挙げ、実地検証をかねてこの地で国際会議を開くよう強く要請した。
この提案に対して、日本を含む先進諸国および東欧中進諸国など、近代医学を正統祝する主として白人系の諸国が支持した。
旧ソ連とすれば、かつて中央アジアの古都として栄えた廃墟に、近代技術の粋を集めて緑したたる新興オアシス都市を不死鳥のように甦らせた「ソ連方式」の実力と実績を全世界にPRしたかったのであろう。
それにしても、いまの日本人の常識ではソ連の提案はごく当たり前のことであり、異議を挟む人はまずあるまい。
誰もが現代医学の普遍性と正当性を固く信じて疑わないからである。
ところが、中国の考えは違った。
先進国の主張に真っ向から反対する「南の論理」を展開し、自国の中国医学をはじめ諸民族古来の伝承医学の正当性を認める「中国方式」を提案して、「北の論理」を激しく論難した。
この中国の主張は途上国(主として有色民族)の圧倒的な支持を得て国際世論を二分し、決定的な対決へとエスカレートした。
「北の論理」に立つか、「南の論理」を認めるか。
医学の正当性をめぐって論戦の火蓋は切って落とされた。
まさに〝東西医学の激突〟である。
29P
現代医学(西欧医学)か伝承医学かの南北対決
中国の主張(南の論理)は、こうだ。
「先進国(ソ連方式)は、近代西欧医療の一面の成果(伝染病対策)だけを誇示するが、その反面では慢性病が急増するなどさまざまな矛盾が噴出している。
であるのに西欧医学だけが普遍妥当性をもった唯一絶対の正統医学であるとして、これを全人類に押しつけることは虚構の論理であり、白人優位の思想である。
このような論理は、民族の主体性と歴史性を否定し、有色人種の伝統文化を蔑視し、根こそぎ破壊しようとする恐るべき偏見である。
各民族にはそれぞれ固有の伝承医学(中国医学やインド医学、アラビア医学など)が現存している。
これら伝承医学を次世代が引き継ぐか否かは民族自決権に委ねるべきものであって、他国がとやかく口をはさむ問題ではない。
現に中国は、中国三千年の伝承医学を発展的に継承することによって、伝染病を見事に克服し、国民体位も平均寿命も、そして疾病構造まで大きく改善された。
こうした主体性に目覚めた人民パワーこそ、〝病なき世界〟を実現するための医学の主人公であり、歴史の原動力である」中国はこのような論理に立って、中国医学の実情を実地検証するため、北京での国際会議開催を強く主張した。
アルマ・アタか、北京か--。
開催地をめぐる論戦は、実は医学の普遍性と正当性をめぐる対決であり、それは現代医学(西欧医学)か伝承医学かという民族のアイデンティティーをふまえた南北の対決であった。
またそれは、十億(二五%)の先進国民が信奉する白人医学に対して、四十億(七五%)の有色人種パワーを背景として掲げられた民族伝承医学の主体性宣言であり、医学の主人公は誰かという問いかけでもあった。
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開催地はアルマ・アタに、民族自決の伝承医学は承認
医学の正当性をめぐって繰り広げられた果てしない論争は、結局マ-ラ-事務総長の燃えるような情熱と不退転の信念、そして精力的な調停工作によってようやく双方の面子を保つ形で終結し、アルマ・アタ宣言がなされた。
彼は両者の対立を解消するに当たって、次のような趣旨で両者の言い分を調停した。
「病なき世界をこの世に打ち立てることは人類共通の悲願である。
その目的を達成するための世界戦略(手段)がプライマリ-・ヘルス・ケアであるから、その手段として、当該地域において、民族固有の伝承医学が役立つと考えるなら、大いに活用すればよい」
つまり、伝承医学を一律に否定するわけではなく、地域住民のニーズに応じて適用すべきであって、その採否の決定は民族自決権にあるという原則を示したのである。
この調停によって、双方が歩み寄り、開催地は旧ソ連(先進国)が望むアルマ・アタに決まって大国の面子は保たれ、また中国(途上国)は北京での開催を断念する代償として、民族自決権の下で伝承医学の正当性が国際的に承認されたのである。
しかし、中国はアルマ・アタへの参加をボイコットした。
そうすることによって、世界には少なくとも中国医学というレッキとした伝承医学が現代医学と共存している事実を全世界に示したわけで、どこまでも筋を通したわけだ。
かくして世界の医学は、これまでの西欧医学一辺倒の時代から、民族伝承を対等の立場で容認する多極化時代へと移行した。
この流れは、やがてインド医学やアラビア医学を巻き込んで大きな潮流となるであろう。
すでに西洋医学万能の一極支配時代は終わりを告げ、健康づくりを導く新しい医学の時代が東洋から明け染めているのだ。
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伝承医学信奉人口は全世界の七五%
日本の医学は文明開化の足音と共に明治七年(一八七四年)、太政官布告(政府命令)をもってそれまでの東洋医学を切り捨て、西欧医学を正統医学として受け入れた。
以来百二十年間、これにドップリとつかり、いまでは医学と言えば、誰しも西欧医学だけと信じ込む時代を出現した。
だが、世界は広い。
お隣の中国医学はすでに現代医学と実力を競うまでに成長し、またインド医学も最近になってその隠れた実力が国際的に知られるようになり、さらにアラビア医学(イスラム世界)もようやく厚いベールの中からその片鱗をのぞかせ始めた。
いずれも数千年の歴史をもつ世界三代伝承医学だ。
ちなみに、この地域の人口分布を見ると、中国(一三億)、インド(八億)、西アジア・イスラム諸国(十億)の総人口は全世界人口の五六%(約三二億)を占め、これにアフリカおよびラテンアメリカの人口を加えると、実に世界人口の七五%(四三億)に当たる。
この膨大な民衆がいまなおそれぞれの民族伝承医学を信奉しているわけで、残りの二五%(一四億)と、ほんの一握りの途上国のエリートだけが現代医学の信奉層に過ぎない。
この比率は西暦二千年になると八対二に広がり、さらに二十一世紀半ばには九対一になることが予測されている。
この数字が示すように、民族伝承医学の信奉者は日時と共に大きな勢力に発展しつつあるのだ。
だが経済力から見ればこの逆で、わずか十数%の先進国が世界経済の八〇%以上を握るというアンバランス。
この恐るべき経済格差の上に現代医学が成り立っているわけだ。
しかも昨今では先進国でさえ天井知らずの医療費急増に悩み抜いているのだから、まさしく金力医学であり、〝亡国医学〟と言わざるを得ない。
このような医学が果たして世界五十七億の人民を救いうるのだろうか。
アルマ・アタ宣言が声を大にして医学革命(健康づくり)を叫び、中国が激しく「ソ連方式」を非難したのも当然であろう。
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「医療選択の自由」が全くない日本
ところで、民族固有の伝承医学をあっさりと捨て、国を挙げて外来医学にドップリと浸かり込んだ民族は、世界広しと言えど日本民族ぐらいで、きわめて珍しいケースだ。
お隣の韓国や台湾では、かつて日本に武力統治された時代には、西欧医学だけを正統医学として強制された。
が、日本の敗戦(一九四五年)で彼らが独立すると、すぐに伝承医学(東洋医学)が復活し、東西両医学を併存させて、どちらの医学を選ぶかは個人の自由に任せている。
中国もインドもそうだ。
国民は自分の自由意志で自分の好む医療を選べる仕組みになっている。
つまり、「医療選択の自由権」が政府によって保障されているわけだ。
ところが、今の日本には〝医療選択の自由〟は全くない。
政府公認の正統医学は現代医学(西洋医学)だけだから、臨終のときはイヤでもそのやっかいになり、所定の手続き(死亡診断または死体検案)を経ないと葬式さえすぐには出せないと言う実に不便(というより不可解)な仕組みになっている。
なぜ自分が選ぶ死に方ができないのか。
昨今話題になっている尊厳死や死ぬ権利の問題と併せて、とっくりと考えてみなければならない重要な課題であろう。
とにかく医学は一つ(西洋医学)だけではないのだから……。
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現代西欧医学は一つのローカル医学
「みんなで渡れば恐くない」ーー、最近よく耳にする言葉であるが、日本人の集団行動心理を見事に言い表わしている。
弥生以来の農耕稲作民族が四つの島でひしめき合って暮らしてきた日本人としては、みんなと同じ行動パタ-ンをすることが習性であり、それがまた安心感につながるわけだ。
だから、世界人口の七五%がいまなおそれぞれの民族固有の伝承医学を頑なに守り続けていると言っても、まずピンとこない。
むしろ、「古くさい伝統医療や、いかがわしい民間療法がいまだにはびこっているのは、彼らの社会が貧しく、教育や文化水準が低いからだ」というように受け取りがちだ。
だが、これは日本人特有の集団意識であって、自分たちの仲間がやっていることは世界中に通用すると思い込んでいるだけ。
医学でも、みんなが信用しているのだから間違いはない、しかも先進諸国でやっている医学だから世界最高の医学だと錯覚しているに過ぎない。
だが、すでに見てきたように、世界には三大伝承医学をはじめさまざまな伝承医学が現存している。
そこで、これらの医学の存在を謙虚に認めて尊重し、その医療を受ける権利を保障することが大切である。
その意味で〝医療選択の自由〟とは、信教・思想の自由と同じ基本的人権の一つである。
いずれの医学を選ぶかは個人の自由であり、決して他人がとやかく言うべき筋合いのものではない。
現代医学を選ぶのも自由、東洋医学を選ぶのも自由、そして自らの意志で医療を拒否することも自由である。
このような〝医療選択の自由〟を保障する社会こそ、真の意味での民主国家であって、こうした社会の上に〝病なき世界〟は実現するのである。
その展望と〝医療選択の自由権〟については、本シリーズ『松本英聖・医事論集 第二巻』(医学と生命)に詳しく述べたので、参照されたい。
ともあれ国際化時代を迎えたいま、そして医学の多様化が国際的に承認されたいま、現代西欧医学はすでに少数派医学となり、やがて他の伝統医学と共に一つのローカル医学として位置づけられる日が近づいていることだけは知っておいて頂きたい。
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医学思想の根底に・神・汎神論の相違が存在
視点を変えて、ここで東西両医学のものの見方・考え方の違いを、それぞれの医学思想を根底で支えている世界観の面から探ってみよう。
さて、東洋医学は、地理的にはインドを含めてアジア・太平洋地域に住む人々(有色人種)が伝承する医学で、その人口は世界人口の三七%(二一億)を占め、思想的には汎神論的世界観(東洋思想)を背景として成立する医学体系と位置づけることができるであろう。
これに対して、近代西欧医学はインドの西側(西アジア)伝承されるアラビア医学の流れをくむ医学(ユナ二医学)で、思想的には一神教的(イスラム・ユダヤ・キリスト教)世界観に立つ医学である。
このように、東西医学を支えている世界観はおよそ対照的(汎神観と一神観)であって、そのいずれを信奉するかはあくまでも個人の自由(信教・思想の自由)であり、お互いに相手を認め、尊重する以外に道はない。
アルマ・アタ宣言が民族自決権の下に医学の多極化を承認した理由も、ここにあるわけだ。
次に、東洋医学(汎神論的世界観)の特徴は、全宇宙と生命(個体)を一体として把握(統一的生命観)することで、ニューサイエンス的にはホロニックな生命観と言うことができるであろう。
ホロニックとはギリシャ語の全体(ホロン)にちなむ学術用語で、アーサ-・ケストラ-が立体写真(ホログラフ)の原理から導いた東洋的な概念であるが、その後、数学的なフラクタル理論が浮上してきた。
フラクタル理論は一九七五年にブノワ・マンデルプロ-博士(米エール大教授・数学者)が自然界の海岸線、河川、樹木の形などの造形をコンピュ-夕・シュミレー卜するために提唱した概念であるが、これが株価や経済的変動の予測などにも応用できるということで、にわかに脚光を浴びていることをつげ加えておこう。
ホロニックについては後章で詳しく紹介するが、要するに《部分は全体を含む》ということで、東洋古来の《一即多・多即一》という直観哲理の現代版と考えてよいだろう。
分かりやすく言えば《自然(全体)=生命(個体)》、《人体(全体)=細胞(部分)》という具合に、全体と部分を一つのシステムとして把握する考え方だ。
仏法で説く〝依正不二〟や〝心身一如〟も同じ世界観に立つ哲理である。
このような世界観から、東洋医学の〝身土不二〟や〝一物全体食〟といった食事観が導かれ、また〝気血
の調和〟〝医食同源〟など自然と一体となり、自然との調和を図る自然順応型の医療観が育まれたわけだ。
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一神教世界朝は科学技術文明の母体
これに対して、一神教の世界では万物はすべて神の創造物であり、自然と生命は神によって創られた独立存在であるというように考える。
つまり、自然と生命を対立的(相対的)に認識する世界観(対立的世界観)である。
この世界観に立つと、人間と食物の関係はそれぞれ独立した対立関係にあるから、必然的に〝喰うもの〟と〟喰われるもの〟という対立的な食事観が導かれる。
このため神への祈りや感謝あるいは愛といった信仰心が失われると、自然を支配(人間中心思想)しようとする自然支配(収奪)型文明や自己主張型の対立闘争的な思想が芽ばえやすい。
その典型が現代の欲望追求型・自然収奪型の科学技術文明であって、ついには人間の限りない欲望を満たすために自然を破壊し、資源を浪費し、公害を拡散するという恐るべき人間中心の近代文明社会を出現するに至った。
また、対立的生命観に導かれた西欧医学は、環境と生命を切り放し、人体と内臓をバラバラにし(臓器別医学)、さらに人体を細胞に分割して研究するミクロ医学(細胞病理学や分子生物学)へと発展し、また食物を分析して物質的側面から研究する現代栄養学など、およそ東洋医学とは対照的な医学を創り上げた。
このように生体を各構成要素にバラして研究する方法を要素還元主義と呼ぶが、ケストラー(前出)は、その欠陥と誤りを鋭く批判すると共に、新しい東洋医学的な研究方法(ホロニック・パス)を提唱した。
このホロニック・パスの最先端を行くのが、自然医学にほかならない。
次に、中国、インド両医学の思想的背景を播き(ひもと)ながら、そのアウトラインを解説してみよう。
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〝医食同源″でありながら「薬主食従」の中国医学
現在、わが国では東洋医学と言えば、一般的に中国医学だけと思いがちであるが、実はインド医学もレッキとした東洋系伝承医学であって、前者は十三億の中国人民、後者は八億のインド民衆によって連綿と受け継がれた、いずれも三千年の歴史を誇る医学である。
この点、わずか二、三百年の歴史しかもたない西欧医学に比べて、世代を越えて蓄積された東洋系伝承医学の情報量は彪大であり、貴重な遺産でもあるわけだ。
さて、中国医学は、周知のように陰陽五行説ー1自然現象を陰陽と五行(木火土金水)に分類当てはめて説明する相似象的自然観 -、によって人体機能(五臓六腑)を全身的に調整(気血の調和)しようとする、謂わば自然調和型の医学体系である。
陰陽五行説を情報論的に見れば、すべての現象を陰陽五行という抽象的パターン(相似象)によって類型的に分析する論理であって、さしずめアナログ型コンピュータに相当する思考形式と言えよう。
これに対して、西欧医学はすべてを構成要素に分解し、○×式にイコ-ルを求めていく論理方式であって、現在のデジタル型コンピュータに相当する思考形式であることは、きわめて興味深いものがある。
アナログ型かデジタル型かはともかくとして、中国医学も西欧医学も共に一定のロジックに従って合理的に運用される医学(合理的医学)という意味において、両医学には共通性がある。
昨今中国医学の近代化が叫ばれ、とくに中西両医学結合路線が強力に進められている背景には、いま述べた情報論的に共通性があるためである。
この点、インド医学はかなり異なる面をもつが、これについては後に触れることにする。
次に同じ中国医学でも、黄河流域で発達した北方医学と、揚子江流域を源流とする南方医学では、医療技術面で大きな違いが見られる。
北方医学の特徴は体表と内臓(五臓六肺)を結ぶ急所(ツボ)を発見し、世界に類例のない優れた体表医学(鍼・灸)を創造したことだ。
これらのツボおよびツボと内臓を結ぶルート(経絡)の科学的解明が一九七〇年以来、長足に進歩しているが、ツボという局所と全身の働きが機能的に連動している事実は、まさに人体がホロニックな構造になっていることを示すものである。
中国では、これをバイオ・ホログラフィ-と名付けて精力的な研究が続けられており、恐らく、二十一世紀にはそのカラクリの全容が明らかにされるであろう。
また最近、ハリ麻酔の作用機序として脳内で生成される生理的麻薬用物質(エンドルフィン=麻薬の百倍以上の作用をもつ)の鎮痛機構の全容が解明され、痛みの生理的コントロールについての研究が大きく前進した。
一方南方医学は、医食同源思想に基づく内科的な漢方医学(湯液・薬膳)が発祥し、最近わが国でも漢方ブームが巻き起こっていることは、ご承知の通り。
なお、中国では古来〝医食同源〟の言葉があるが、実際の臨床面では方剤(漢方薬またはハリ、灸)を主とし、食養はあくまでも補助とする「薬主食従」の医療観である。
このほか、道家を始祖とする導引・吐納(気功)が日本でも大きな話題を呼んでおり、言わゆる〝気〟の科学的解明が二十一世紀の最大の課題となるであろう。
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神秘思想と「食主薬従」のインド医学
インド医学は、後で紹介するア-ユルヴェーダを原点とする医学で、その根底に流れる生命観はヒンドゥー(仏教)的な神秘思想(輪廻転生観)である。
即ち個々の生命は《悠久の宇宙的時間系の中で、カルマの法則(因果律)に基づいて生き変わり死に変わりつつ、過去 →現在 →未来へと永劫に輪廻転生する一過程(現世)》として時間的に把握される。
このような過・現・末三世にわたって永遠に生き続けるという生命観を仮に時間系東洋思想(神秘主義)と呼ぶなら、中国の生命観はあくまでも現実の世界における現象を対象とする空間系東洋医学(合理主義)と呼ぶことができるであろう。
次に思想面では、インドのヒンドゥー教を母体として仏教という偉大な世界宗教が発祥したのに対して、中国北方では理性的・倫理的な儒教(孔子)が、南方では直感的・密教的な道教(老子)が出現した。
また医学においては、中国医学が陰陽五行説に基づく合理的な経験医学を創出したのに対し、インド医学は広大な宇宙と共に生きる実際的知識と行法(瞑想と調息法)を中心に、心身調整法(ヨ-ガ)、食事法(とくに断食)、心身浄化法(パンチャカルマ)および生活全般にわたるノウハウ(睡眠法・入浴法・房事法など)を詳細に説いた一大健康科学(ア-ュルヴェーダ)を集大成した。
インド医学を貫く神秘主義と、その行法は、一見すると現実離れしているため、近代合理主義(あるいは中国合理主義)に慣らされている目には、容易に馴染めない面のあること(喰わず嫌い)は否定できない事実である。
しかし最近になって、インド医学に関する科学的研究(心身相関医学)が進むにつれて、優れた合理性をもつ技法であることが次第に解明され、今後の研究が期待される。
次に、インド医学で特筆すべきことは、実際の臨床治療において薬物よりも食事指導を優先する「食主薬従」 の医学観と、パンチャカルマと呼ばれる世界に類例のない優れた心身浄化法が伝承されていることだ。
この点、中国医学では〝医食同源〟を説きながら、実際の臨床面では生薬を優先する「薬主食従」 の医療観と、ツボ療法という優れた《気の医学》を創出した。
そこでインド医学を《食》と《浄化》の医学とすれば、中国医学は《生薬》と《気》の医学と呼ぶことができるであろう。
ともあれ、インド社会は、その地理的条件によって数千年間も中国や西方イスラム世界と交流をもち、さらに十八世紀以降三百年以上もイギリス統治におかれていたにもかかわらず、いまなお八億の民が神秘思想、食事法(生活法)および心身浄化法を説くアーユルヴェ-ダ医学を脈々と受け継ぎ、その教えを頑なに守っている事実は、まさに驚異である。
それにひきかえ、極東の島国で三百年も太平の夢をむさぼっていた日本民族が、いともあざやかに西欧医学に乗り換えた変わり身の速さ。
果たしてこれで良かったのだろうか。
いまこそ広い世界に目を向けて、東洋医学のあり方を真剣に学び、真に民衆の役立つ新しい健康づくりの医学を建設することが日本民族の使命ではなかろうか。
そのためには、中西医学結合をめざす中国医学と、東洋三千年の神秘思想を伝えるインド・アーユルヴェーダ医学を総合的に再編成することが必要である。
みんなで渡れば式に付和雷同して現代医療を過信し、それのみに頼ることは、最早、時代錯誤と言わねばなるまい。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー