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「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

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    消えたHPの魚拓です。

    2004年版ですので、現時点での検証と選択はセルフサービスでよろしく。

     

     

    https://web.archive.org/web/20040825094827/http://iryoumisu.hp.infoseek.co.jp/page4.html

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


    3.医療ミスの必然的要因

    1. 診断ミスが起きる素地

    病気になれば当然のこと、病気かどうかわからなくても、何らかの症状があればたいていの人は医者や病院へ行きます。

    また長い間病気にかかったことがなく、自分は健康だと思っていても、不安を煽る医学情報の影響などから、人間ドックやその他の検査目的で、医者や病院を訪れる人が増えています。

    現代病のほとんどは慢性病です。

    慢性病は正式には『慢性退行性疾患』といわれるように、組織細胞が退行していく、つまり衰え崩れていく病気です。

    病気はじわじわと進行しますが、発病してすぐに死ぬということはまずありません。

    いわば執行猶予期間があるため、人々は、「医療を信頼し、その処置に従っておればまず間違いない」という安堵感があるわけです。


    このような状況で、一つ大きな盲点があります。

    それは、問診や検査結果でわかった症状を、医者がどう判断し、診断に結びつけるかという問題にかかわっています。


    このときの医者の対応について、コーネル大学生理学教授エリック・キャッセルは、「病気の本当の原因を探ろうとするのではなく、あらかじめ分類された病気のカテゴリーのなかから、既知のどの病名に当てはまる症状なのか、ただそれを見つけ出そうとしているにすぎない」と指摘しています。

    まさにそのとおりですが、じつは、症状から病名を特定するのは至難の業なのです。


    ありふれた病気はべつとして、同じような症状が異なる病気(病名)を表していたり、逆に、異なる症状が同じ病気のものであったりというケースに、医者はよく直面します。

    そういったさまざまな症状を識別して、間違いなく病気を特定できるかどうかは、医者個人の知識によって大きく左右されます。

    もちろん、症状の解釈の仕方によっても、診断の結果は異なってきます。

    こういう場合、医者の主観によって病気、病名が決められてしまうことがよくあります。

    じつはここに、診断ミスの真因が隠されていたのです。


    医者を無条件に信頼したり、何でも医者に「おまかせします」では、このような現実があるなど知るべくもありません。

    キャッせルが指摘するまでもなく、急性症状は別にして、「医者が病気の根本原因を知らない」ことは事実です。

    ですから、診断結果を頭から信じないよう、常に気をつければいいわけです。

    またそうすることによって、診断ミスにあうのも避けられるはずです。


    第一章でご説明したとおり、生命はたえず流動し、循環し、変化しています。

    そういう動的な現象の表れである症状を一時的に固定し、部分的に静止して判断しようとすることに、そもそもミスが生じる原因があるのです。

    病気の根本原因はあくまで血液の質的悪化です。

    ですからそれさえ知っておれば、いちいち症状にこだわる必要はないのではありませんか。

    むしろ症状はそのままにしておいて、まず血液の性状を改善していくことが先決です。

    それにともなってほかの条件もおのずとよくなり、やがて病気そのものが自然に治っていくのです。

    症状をむりやり除去しようとして、あれこれ攻撃的な治療をするから、かえって病気が悪化するわけです。


    ところで、とくに症状がない場合、そのまま放っておいても安心なのでしょうか。

    もちろん、そうではありません。

    年齢、その他の条件にもよりますが、今はなんともなくても、体の奥深くで、知らず知らず病気が進行している可能性がないとはいえないからです。


    慎重で几帳面な人は、病気予防のつもりで医療機関を訪れますが、残念ながら、医者でも検査によっても、病気の兆候を察知することはできないのです。

    とても信じられないと思われるかもしれませんが、これから順を追ってお読みいただければ、必ずおわかりになるものと確信しています。


    まず、主要な検査手段である血液検査が、検査の名に値しないものだということです。

    現在の医療技術では、たった30項目しか分析できません。

    また成分値だけではなく、血液の質そのものを測定するには、600項目におよぶ分析が必要とされています。

    そのうえ、生体内の血液と採血した血液では、最初からすでに質の違いがあります。


    具体的にいいますと、採血した血液はすでに異常な代謝をはじめており、そこにはさまざまな夾雑物が混じっているのです。

    ときにはウイルスやバクテリアが混入していることもあり、そんなものが正確な検査の対象にならないことは、医学知識のない人でも容易にわかるのではないでしょうか。



    2. 私の体験ー許せない診断ミスと治療放棄

    検査の問題を続ける前に、私事で恐縮ですが、ここで私がこうむった診断ミスとその結末を、事実のままお伝えします。


    ある日突然、仕事中に腹部の激しい痛みに襲われ、茨木市にある「友紘会総合病院」という中堅の救急指定病院へ搬送されました。

    とりあえず血圧と心拍を計ったあと、痛み止めの点滴をしただけでその日は終わりました。

    翌日から、血液検査、胃カメラ、エコー、CT、 MRI、カテーテル、肛門から内視鏡を挿入して大腸を調べるなど、ありとあらゆる検査が続けられ、その間ずっと、私は症状の痛みと検査という二重の苦痛を必死で堪えました。

    鎮痛剤はほとんど効きませんでした。


    絶飲・絶食と点滴、たえず襲ってくる激痛発作、そしてまたべつの痛さである検査の繰り返しで、地獄のような日々が続きました。

    でもやがて絶飲・絶食によって、痛みが出る回数はやや減りました。

    それでもそれが出たときは、やはり耐えられないほどの激痛でした。

    こうして不安と苛立ちが2週間も続いたころ、やっと『虚血性大腸炎』と診断されました。


    しかし、この診断にたいして、病名がわかるのがあまりにも遅かったこと、激痛は胸の辺りにあること、一日に10本以上もの鎮痛剤や座薬を使っても痛みがほとんど消えないこと、痛みの原因や病状の説明が何もなされないことなどから、私ははっきり、「おかしいな」と感じました。

    友人や妻もそう思うといったので、この病院は信頼できないということになり、ついに私は転院を決意しました。


    転院先は、尼崎市にある有名な「関西労災病院」です。


    ところがこの大病院でも、やることは最初の病院とまったく同じでした。

    そしてくる日もくる日もやはり一向に病名がわからず、痛みは少しましになったり、また強くなったりで、病状が回復に向かっているようには思えませんでした。

    むしろ痛みが出るときは、それまでより長く、強くなったようでした。

    再び不安と苦痛が続くなか、なんと今度は転院から二ヵ月半もたってから、やっと『急性アルコール性膵炎』であることがわかったのです。

    そうです、最初の病院とぜんぜん異なる診断だったわけですが、私はこのとき、この診断も信用できないと思ったものです。

    しかしその後の経過から、それは正しかったのです。


    しかし病名がわかったあとも、治療らしいことは何もおこなわれず、妙なことに、また同じ検査を繰り返すばかりなのです。

    それについて主治医に質問したところ、「膵臓は胃の真後ろにあって、画像が見にくいから」とのことでした。

    ようするに、先端機器で3ヶ月もかかって調べても、膵臓の状態は捉えられないということです。


    あるとき、若い医者が数人エコーモニターの前に集まって、苦しんでいる私を尻目に、「あっ、ファータ(膵頭)が見えた、あれがファータだ、あれ、あれ」といって興奮気味に囁きあっていたことがありました。

    私はこのとき、自分の膵臓が研修医たちの勉強の材料にされている、と直感しました。


    その後も同じ検査が繰り返され、やはり時折襲ってくる激痛に、私はもう耐えられなくなりました。

    こんな状態が今後も続くようではたまらないと思い、手術のことを考えはじめていた矢先に、ついに主治医から所見を聞かされることになりました。

    主治医はこう告げたのです。

    「強烈な消化・溶解作用を持つ膵液が、最初は膵臓そのものを溶かしはじめていたのが、今は周辺組織にまで漏れ出し、胃、胆嚢、十二指腸などを溶かしてしまい、その結果、仮性嚢胞という、これからも激痛の原因となる厄介なものができている」と。


    結局、痛みを取り除くには手術しかないという結論が示され、私のほうから手術を依頼する形になってしまいました。

    私は、膵液の流出をなぜ阻止できなかったのかという点に疑問をもちましたが、主治医はそれには触れませんでした。

    つまり、痛みの原因が膵臓であることがわかるのに、あまりにも日数がかかったことを認めたくなかったわけです。

    過ぎたことを詮索してもしようがないと思い、あとはすべてを医者に任せるより仕方ありませんでした。


    手術で痛みは除去できたものの、これがあとあと、もっとつらい苦痛を強いられることになりました。

    退院後今日までずっと、手術の後遺症である激しい動悸や息切れ、不整脈、極度の疲労感などに間断なく苦しめられ、きびしい食事制限によって体力が衰退しつづけ(文字通り骨と皮の状態です)、社会復帰は絶望的という人生を送らなければならなくなってしまったのです。


    手術は自分から頼んだ以上、今さらそれに対して抗議することはできません。

    しかしながら、このような結末に至ってしまったのは、明らかに医療側(つまり医者)に責任があります。

    一つには、最初の診断ミスは正真正銘の医者の知識不足によるものだということ、もう一つは、それが原因で病名がわからなかったため、適切な処置が何もできなかったことです。


    許せないのはつぎです。


    最初に運び込まれた病院では、私が激痛で顔を引きつらせ、断末魔の声を張り上げ、のた打ち回っているのを見れば、医者でなくても、これが急性症状の勃発であることはわかったはずです。

    急性症状の勃発はしばしば命の危険があるため、処置は一刻を争わなければならないのは当然です。

    ところが、そんな緊急事態であるにもかかわらず、2週間も無意味な検査を繰り返すだけで、セカンド・オピニオンを求めるなどの情報収集を怠り、病名がわからないまま、症状を長期間放置したということです。


    やったことといえば鎮痛剤の注射、点滴、座薬ぐらいなもので、それらはどれも一時的に激痛をやや緩和したにすぎません。

    激痛はすぐにぶり返し、そのつどまた鎮痛剤の使用が繰り返されただけで、根本原因は除去できなかったのです。

    病名がわからなければ正しい処置ができないのは当たり前で、とにかくもっと早い時点で、私に「病名がわからない」ことを正直に伝えるべきだったのです。


    そして二番目の病院では、最初の病院からのカルテなどで症状や検査結果は知っていたにもかかわらず、また同じ検査を繰り返し、2ヶ月以上も病名がわからなかったということです。

    関西労災病院ほどの病院なら、その気さえあれば、私の症状が「急性アルコール性膵炎」という急性疾患のものであることくらい、もっと早く調べて突き止めることができたはずです。

    そして急性疾患を長期に放置すれば、症状が悪化して、手遅れになることは十分予見できたことも明らかです。


    じつは、手術は避けることができたのです。

    その後、私自身でいろいろ調べたところ、痛みの原因はアルコールの飲みすぎによる、アミラーゼという酵素の過剰分泌であること、そして(早く的確な診断ができていれば)、アミラーゼの過剰分泌を早く抑え、あとは時間をかけて保存療法(内科療法のこと)を続け、膵臓を元の状態に戻すことができた、ということもわかりました。


    そういう意味で、医者たちは知識不足だったうえ、急性症状の長期放置がもたらす結末は十分予測できたにもかかわらず、迅速な処置を怠ったことは明白です。

    したがって私個人としては、こういった行為は刑法でいう「未必の故意」に相当し、本質的には立派な犯罪ではないかと解釈しています。


    しかしながら、医療行為にたいしては、そのような刑法上の判断がじっさいに適用されることはないでしょう。

    そして、手術じたいは成功したこと、手術は私のほうから依頼したこと、死亡には至らなかったこと、つまり救命処置はとられたと判断されることなどから、これが医療事故とみなされるかどうかさえ疑問です。

    また過去において、私のようなケースが立件されたことがあるのか、それも今のところ不明です。


    じつは、医者の明らかな過失を確信するようになってから、私は、これら二つの病院と、診療に当たった医者たちを告訴することも考えたのです。

    しかし今述べたような事情と、そんなことをしても自分の体が元通りにならないことから、提訴する気持ちは失せてしまいました。


    ただ、私自身のためではなく、医療ミス根絶のために、自分の体験をできるだけ多くの人々に知っていただく必要はあると思っています。



    3. 無意味で危険な検査

    アメリカの医療情報によりますと、臨床検査は患者の利益になるより、逆に不利益になることが多い、検査データの不正確さはもはやスキャンダルと呼ぶべきものになっている、などの認識が広まっています。


    そこで、全米疾病対策センター(CDC)が全国の医療機関の検査の実態を調査したところ、検査ミスが発生する割合は、なんと全体の4割以上もあったことが判明したのです。

    そのうち血液検査(ヘモグロビン、血清電解質)のミスは3割もありました。


    同センターはさらに、鎌状赤血球性貧血が確認できない割合、伝染性単核症(白血球増加症)の誤診がそれぞれ3割以上、正常な検体を白血病と誤診したもの2割、確実に異常と誤診したもの2.5割などというショッキングな事実を公表しました。

    日本ではこのような調査が行われた例がないため、詳しいデータはありませんが、おそらく数字はもっと高いものと推測されます。


    血液検査(採血)によって、体が直接被害をうけることはないかもしれません。

    しかし、検査結果がいい加減なものだとわかれば、好んで痛い目にあう必要もないでしょう。


    医者が検査を積極的に薦めるのは、患者を確保するのが目的だという専門家の意見があります。


    ハイテク医療機器は、科学技術の進歩の結晶のように思っている人が多いのですが、じっさいには、上記のような問題や数値の誤差が生じるなど、さらには医者がデータを誤読したり、診断を誤るという問題もいぜんとして残っているのです。


    医者が儀式的に(患者の信頼を得る手段として)取り扱うさまざまな医療機器のなかでも、最も普及していて、もっとも危険なものがレントゲン装置です。

    とにかく見えない体のなかを透視できるため、これを自在に操る医者や技師に、患者が畏敬の念をいだくのも無理からぬことでしょう。

    医者は患者側のこういう心理をちゃんと見抜いています。

    そしてそれを、自分がやりたいことができる下地を作るのに利用するのです。


    それに陶酔する医者は、にきびが発生するカラクリから、胎児の成長の神秘まで、ありとあらゆる検査にレントゲン装置を使いまくるのです。


    レントゲン検査がなぜ危険なのか、一般の人は考えたこともないのではないでしょうか。

    それは、とくに日本においては、医療の実態について体制が事実をひた隠しにして、国民にすべてをオープンに公表しないからです。


    たとえば、小児白血病が、胎児のときの医療被曝、つまりレントゲンと深い関係があることはすでに実証されています。

    2,30年前に頭部、首、胸の上部に放射線を浴びた人たちのなかで、甲状腺機能低下症が何万という単位で発症していますし、甲状腺がんは、歯科医のレントゲン検査10回で浴びる放射線量を下回る線量の被爆でも発症することがあるのです。


    アメリカでは、現在までもう何人もの科学者が、アメリカ議会で警告しています。


    「たとえ低線量の放射線でも、人体に照射すると遺伝子を損傷して、現世代だけではなく、それ以降の世代にわたって大きな影響を及ぼす危険がある。

    X線は糖尿病、心臓病、脳卒中、高血圧、白内障といった、いずれも加齢に伴う病気の原因になることは間違いない」。


    がんや血液の異常、中枢神経系の腫瘍の原因が放射線にあると指摘する研究は、ほかにもいくらでもあります。

    病院や診療所、歯医者で受けた医療被曝が直接の死因と見られる死亡者は、年間5,000人以上にものぼると推定されています。


    最近の調査では、胸部レントゲン検査はじっさいの治療には無意味であることや、マンモグラフィーという乳がん検査の診断が正確さを欠くことは、実習を受けた医者も、何も受けていない医者も同じだと報告しています。


    これらのことを知ったうえで、さらに注意をしなければならないのは、医者によってはわずかな症状の異変を根拠にして、病気を捏造する場合があるということです。

    これはとても許されるべき行為ではありませんが、いずれにしても、現代医学は病気の診断すら的を射ていないわけで、安易に医者や病院へ赴く前に、熟考すべき問題がいくつもあることを知っていただきたいのです。



    4. 慢性疾患と急性疾患の混同視

    慢性病にはじつに多くの種類があります。


    がん、糖尿病、肝臓病、腎臓病、心筋梗塞、高血圧症、神経痛、肥満、自律神経失調症など、すべて慢性病と考えられています。


    こういった病気の分類について、森下先生は次のように述べています。

    「現代医学はそれらの一つひとつに異なった発病のカラクリがある、という考え方をしている。

    そしてそれぞれにいかにも難しい理屈を並べ立てて、治療法も複雑化する一方だが、それで病気を治せるようになったかというと、否である。

    むしろ反対であって、一時的に症状を抑えるテクニックは優れていても、病気そのものは一向に治せない。

    かえってこじれた状態に追い込んで、いよいよ慢性病を治りにくくし、寿命までも縮めてしまっている。

    つまり、現代医学の考え方は間違っているわけだ」と。


    現代医学はこうして病気を細かく分類していますが、本質的に見ると病気はただの一つとみなすべきなのです。

    いいかえると病気の成り立ちはすべてに共通しているわけで、この点を正しく捉えていないと、的確な慢性病対策は立てられないのです。


    第一章でもおわかりいただいたように、発病の決定的因子は「食べ物の誤った摂り方」にありました。

    森下先生はさらにいわれます。

    「現代医学は、食べ物はたとえて言えば自動車を動かすためのガソリンであり、機関車を動かすための石炭だと考えている。

    ようするに燃料にすぎないとみなしているわけだ。

    当然、食べ物が材料になって血球が作られるとは、夢にも思っていない。

    食べ物は食べ物、血球は血球であって、両者はまったく別物だと、間に壁をこしらえて考えている。

    むろん、腸で血球が生み出される『腸造血』などということは知らないし、私どもが腸造血説を唱えても、まったく認めようとしない」。


    日本を代表する名医の言葉に、全国の医者は謙虚に耳を傾けるべきだと思います。


    幸か不幸か、国民皆保険というものがあるために、私たちは病気予防という問題にたいして、関心が薄くなる傾向があります。

    「医学のことはわからない」、「医者や専門家に任せておけばいい」、「病気になったらなったときだ」という意識がその表れです。


    医療改革の一環として、「インフォームド・コンセント」や「セカンド・オピニオン」が話題になっていますが、患者側の意識の向上がともなわなければ、それらは逆に医療従事者に悪用されかねません。


    たとえば、患者に知識がないのをいいことにして、複雑な理論や専門用語などで患者を煙に巻く、といったことは現実によく行われています。

    意識をたかめることは、医療被害を未然に防ぐのに大きな役割を果たします。

    また、医療情報をめぐる「常識の罠」にはまらないよう注意することも大切です。


    次の例から、その意味がおわかりいただけるのではないでしょうか。


    昨年の四月でしたか五月でしたか、「スーパー熱血医師、患者を救う!」というテレビ番組がありました。


    日本テレビの徳光アナが心筋梗塞で命を落とすところだったのが、三つの奇跡が重なって助かったというものでした。

    その奇跡というのは、知り合いに医者がいたこと、処置が迅速だったこと、その医者が「神の手を持つ男」として世界的に有名な外科医だったことでした。


    血流が悪くなって冠状動脈が詰まったため、バイパスを作る手術が行われたのです。

    心臓関係の手術としては、ほかにバルーン(風船)やステント(筒)を挿入する冠動脈形成術、動脈硬化部を削り取るアテレクトミー、ロタブレーターなどがあります。

    これらは部分的な修復手術といわれるものですが、手術の種類としてもう一つ、がんのような処置の施しようのない病変細胞や、腐敗、壊死した患部をまるごと切って捨ててしまうという切除手術、除去手術もひんぱんに行われます。


    いずれも高度な技術が要求されるもので、とくに手先の器用な日本の外科医のなかには、世界を舞台に活躍する人もいて、「日本の医療はやはりすばらしい」、「病気になっても安心だ」といった安易な信仰を生むのではないか、懸念されるところです。


    じつはこのとき、テレビ映像のインパクトに気を取られて、視聴者は大きな錯覚に陥っているのです。

    冷静に考えればすぐわかるはずですが、これはけっして病気そのものを治療しているのではなく、いわば一時的な応急処置を施しているにすぎません。


    もし病気の根本原因を放置したままだと、いずれそのうち別の箇所で、同じ症状が勃発しないという保障はないのです。

    この番組を見たほとんどの人が、「心筋梗塞が治った」という印象を植えつけられたとしたら、とんでもないことではないでしょうか。


    誤解をなくすには次の認識が必要です。


    病気とは慢性疾患のことで、このケースのように突然、発作や激しい苦痛が起きるものは急性疾患です(私のケースも同じです)。

    急性疾患はすでに病気の段階を通り越して体内の負傷、つまり怪我となったものですから、手術はその怪我を修復するだけで、それでもとの病気が治るわけではありません。

    重症であれば手術に頼らざるをえないでしょうが、そうでなければ急性症状に到った原因を突き止め、その原因を除去する対策や処置を考える必要があります。

    しかしほとんどの場合、医者も患者も、手術で病気が治るものと勘違いするため、原因の究明ということを忘れがちです。

    手術で一時的な延命はできても、それとて大変な危険と隣り合わせであることを覚悟しなければならないのです。

    つまり手術しだいでは、そのまま一命を落とすこともしばしばあるということです。

    ようするに大切なことは、そういう事態に到るまでに、慢性状態をそれ以上悪化させないよう、それより病気にならないよう、予防しておかなければならないことはいうまでもありません。


    手術をおこなう前に、肉体は細胞の寄せ集めではなく、内臓も単品の合体ではないということをよく認識すべきです。

    体はすべてがそろって全体の調和を保ち、規則正しい生体リズムを生み出しているわけです。


    一例をあげますと、子宮に問題があってそれを摘出したとします。

    術後、やがて腰骨に異常がおき(ずれたり曲がったりする)、これが子宮に移行して子宮の神経異常を引き起こし、いずれ腫瘍やがん、筋腫などを作る原因となる場合があります。


    切断された神経の流れは元に戻らないまま、全体としての生体リズムは、今はもうない臓器に向けて正確なパルスを送り続けます。

    これが時の経過とともに、新たな問題を発生させないといえるでしょうか。


    「患部」という部分だけにとらわれ、それを処置してすべて終わりとしても、もとの病気は治らないばかりか、苦痛を長引かせるという、悲惨な結果を残すことを知らねばなりません(私の場合がそうです)。

    命の危機に瀕している場合を除いて、手術は軽々しくやるものではないのです。


    もうおわかりのように、「はっきり目に見える症状に対する処置」、ズバリ「対症療法」が西洋医学の本領であり、その特色は、外科手術を中心とする攻撃的で危険な治療法です。


    もともと西洋医学とは、戦争や交通事故、犯罪や喧嘩や工事現場での負傷、日常生活での転落、転倒による怪我、はたまた先天性の肉体上の奇形、変形、臓器の欠損や機能不全などの治療が専門で、いわゆる慢性疾患、つまり病気というものに対しては、処置理論も療法もいまだに確立されていない、まして病気予防や健康維持の対策とはぜんぜん畑違いの分野だったのです。


    ところが、いつの頃からか急性疾患が増加しはじめ、それによる体内負傷の治療を手がけるようになり、人々がこれを「病気の治療」と勘違いした、そのために慢性病を侮り、急性症状の勃発というぎりぎりの時期まで対策を怠っている、というのが実情なのです。




    5. 健康体を切り裂く悪魔的所業

    この勘違いゆえに、痛ましい悲劇が繰り返されています。

    医者を信頼するあまり、検査によって「がん」と宣告され、医者が「でも小さいうちに見つかってよかったですね。

    すぐに手術で切り取ってしまえば安心です」とでもいえば、「ありがとうございます。

    ぜひ、お願いします」、というのがよくあるケースです。


    化学療法や放射線療法を薦める場合もありますが、イメージ的に手術のほうがすっきりするのか、患者から手術を希望することが多いといわれています。

    そしてこの決断が、血も涙もない医者の非人道的な行為を許すことになるのです。


    こういったケースでは、二つの可能性があります。


    一つは、いわゆる「がんもどき」のケースです。

    これは第一章でご紹介した「医療ミス」の共著者、慶応大学の近藤医師が手術療法を批判されている言葉で、単なる炎症か良性の腫瘍を、故意に「がん」と診断するもののことです。


    検査や診断のさい、医者はなるべくオーバーな病名をつけようとします。

    たいした病名でなければ、診断のための検査料や投薬料などが保険で認められないため、診療報酬請求をカットされる恐れがあるからです。

    もう一つは、本当のがんである場合、見つかったものは小さくても、ほかの臓器などにすでに転移してしまっている可能性があります。


    最初のケースは論外ですが、二つ目の場合も手術は無意味で不要なのです。

    なぜなら、転移していれば手術をしても再発は避けられないからです。

    そして不幸にも手術をされてしまった患者は、以降ずっと、いや恐らく死に至るまで、手術の後遺症がもたらす苦痛に苛まれ、「いっそがんで死んだほうがよかった」ということになり、いくら悔やんでも悔やみきれるものではありません。


    こうした場合、つぎのような風評が流れ、それがやがて既成事実になってしまうことがあります。


    「A医師は名医だ。

    彼が手がけた手術で患者は病気を克服したし、ほとんど再発もない。

    5年治癒率も非常に高い」、「なるほど、それは間違いない。

    その点、B医師はだめだなあ。

    再発するということは、手術は失敗だったのだな」。


    これがあとあと何を意味することになるか、考えただけでも空恐ろしくなります。

    がんは慢性病です。

    根本原因を取り除かないかぎり、手術で治ることなど絶対ありえません。


    先ほどの例から明らかなように、急性症状の勃発に見舞われたら、はっきりいって手遅れです。

    ですから繰り返しになりますが、慢性病が進行しないうちに、いや、できれば病気にならないうちに予防対策をしておくべきです。

    そしてそれは、自分自身でしかできないのです。


    いかに高名な学者であれ、医学博士であれ、優秀な医者であっても、あなたに病気が発生するのを阻止することは不可能です。

    長年にわたって日ごろから積み重ねてきた、あなたの生活習慣のなかに病気の原因が作られていくわけですから、他人がこれに直接関与できないのはあまりにも明白な事実です。


    病気そのものは治療するものではありません。

    血液と細胞の異常という原因は、主として食生活を改善することによって、少しずつ取り除いていくしかほかに選択肢はないのです。


    どうか、このことをくれぐれもお忘れなく。


    一言つけ加えるならば、先の近藤医師は、がん治療専門の外科医や多くの医者からひんしゅくを買ったり、攻撃されたりしています。

    金儲けのためには患者を人間とも思わず、非情な行為を平然とおこなうそれらの医者のなかには、「頼むから、波風を立てないでくれ」と、ひそかに近藤医師に嘆願する者もいるそうで、医者の倫理観はもはや遠い過去のものになってしまいました。

     ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

     


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    消えたHPの魚拓です。

    2004年版ですので、現時点での検証と選択はセルフサービスでよろしく。

    https://web.archive.org/web/20040825095002/http://iryoumisu.hp.infoseek.co.jp/page5.html

    より

     

    音声版はこちら 

    web魚拓3「医療ミスの必然的要因」より 2016年5月5日

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     


    4.自家生産される病原体

    1. 病原体説のウソ

    慢性病は予防する以外、ほかに対策はありません。

    しかしその対策について考えるとき、私たちはまたしても、ある重要な問題にかんして、これまでの常識を改めなければなりません。


    重要な問題とは、西洋医学が誤った概念を科学理論へと発展させ、それが広く世界に受け入れられ、先入観として定着してしまったという問題です。

    そしてそれは私たち一般庶民だけではなく、医者や医学者までもがいまや当たり前の常識として、固く信じて疑わないという先入観のことです。


    一体どういう先入観かといいますと、それは『感染症』という概念で、風邪やインフルエンザ、アレルギー性疾患、はしか、風疹、肺炎、結核、胃腸炎、肝炎、エイズ、赤痢などは当然のこと、その他、多くの慢性病も病原体によって引き起こされる、という考え方です。


    つまり、人体の外から真菌(カビなどの微生物)や細菌、バクテリア、ウイルスといった病原体が体内に侵入してきて、それらが病気を発生させるというものですが、じつはこれは「真っ赤なウソ」です。


    こういいますと、きっと読者の方は反感をもたれ、「いい加減なことをいうな」といってお叱りを受けることでしょう。

    でも私は、何の根拠もなしにいっているのではありません。

    多くの権威ある医学者、生物学者、いや細菌学者のなかにも、病原体説に疑問を呈したり、否定する学者がいるのです。

    そのような情報を知らされていない一般の人々は、長い間それを無意識に信じてきて、常識となってしまっているわけです。

    そしてその常識を強要しているのが現代医学です。


    私たちの居住空間や行動範囲には、ありとあらゆる微生物や細菌がうようよしています。

    それらのなかで、いわゆる病原体、つまり人間の体細胞を病変させるようなウイルスやバクテリアは存在しないのです。


    日常の経験からも明らかなように、もし、それらが病原体だというなら、誰もかれもが四六時中病気にかかっていることになるわけですが、現実にそんな馬鹿げたことは起こっていません。

    これは自明の理であるにもかかわらず、人はなぜか、偉い学者の難解な理論を信じてしまうのですね。


    ただしこれには、つぎのような紛らわしい問題があります。



        環境と人体の接点となる皮膚やその近接部、呼吸器官、消化器官、膣などに、『常在菌』と呼ばれる細菌が棲みついている。

    普段は無害なものであり、むしろほかの有害な細菌から体を守っている。

    しかし、肉体疲労やストレスなどで体力が衰え、免疫機能が低下したときなど、その常在菌が何らかの悪作用を及ぼし始め、風邪、ぜんそく、アレルギー症状などを引き起こす。

    患部の組織を疫学検査してみると、間違いなく、細胞のなかにそれらが存在していることが観察できる
        臓器移植を行ったさい、免疫機構が過剰に働いて拒絶反応を起こすのを防ぐため、故意に、人為的に薬品を用いて免疫を抑制する。

    すると、普通なら何の問題もない常在菌や真菌にたいし、体がまったく無防備になる。

    そこへより強力な真菌が外から侵入し、細胞に有害な働きをしたり、侵食したりする。

    その結果さまざまな症状が発症する
        エイズ患者では、免疫が破壊されるため、各種の病原体に対し完全な無抵抗の状態にさらされる。

    また、白血病の患者の場合、治療に使用される強力な抗がん剤が、腫瘍細胞とそのなかに巣食うウイルスだけでなく、免疫の主役である白血球を激減させ、同時に正常細胞も著しく損傷する。

    そこへ新たなウイルスが侵入してきてさらに免疫が低下し、やがてほとんど働かなくなる。

    病原体が活動する絶好のチャンスとなる

    上記がいわゆる病原体についての現代医学の一般的な説明ですが、病原体を常在菌とか、真菌とか、ウイルスなどといったり、その有害な作用といっているものの解釈もあいまいで、なんとも支離滅裂なこじつけでしかありません。


    第一、「何らかの悪作用」などというのは、よくわかっていない証拠です。

    こうして『病原体説や感染症論』をさも正当化しているのですが、ようするにこれらはすべて、つぎの事実を看過した本末転倒論です。



    2. 自然発生という概念

    じつは、病原体(といわれているもの)は人間自身の体のなかで、厳密にいうと腸内で自家生産されるのです。

    そして病原体が生み出される大元の材料が食物です。


    肉、卵、牛乳などの動物性蛋白食品の摂りすぎによって腸内に腐敗物質が産出され、異常発酵が起こり、そこから病的ウイルスや病的バクテリアが生み出される、それらが腸内で造られる血液に乗って全身をめぐる、そして細胞に異常刺激を与えつづけ、ついに炎症を起こして慢性病の原因へと発展していく、そういう因果関係のなかで、病原体の発生が確認できるわけです。


    ところがすでにご説明したとおり、現代医学(西洋医学)は血液(流動組織)と細胞(固定組織)のあいだに壁を作って、体細胞は体細胞だけ独立したものと考えています。

    そのため、こういった生命現象の連続相が把握できず、仕方なく症状やその原因を外に求めざるをえなくなり、いわば窮余の策として、病原体というものの存在を考え出しているわけです。

    そこから感染症や伝染病という概念も生まれ、病原性を持つ微生物が人から人へ移っていく、などという的外れな理論ができていったのです。


    いうまでもなく、そういう意味での病原体は外部には存在しません。


    いかに多くの人が同時に、あるいはつぎつぎと発病しても、人それぞれが自分の体の事情で発病しているのであり、その病気が他人に移る、または他人から移されるということはありません。


    わかりやすくいえば、病原体と呼ばれているものは、病気の原因ではなく、病気の結果として出現してくるのです。

    病変細胞のなかにいろいろな微生物がいるのは当然の成り行きで、そうなった因果関係を無視して結果だけを見ているから、病原体は「体の外から入り」、「それが病気を引き起こした」と、間違った判断をしてしまうわけです。


    現代医学はまた、体のなかで発見される微生物がどこで、どのようにできるかという点も理解していません。

    じつは、体細胞には核と膜があり、体が健康なときには、それら細胞質はすべてコロイド状をしています。

    しかし、細胞が病変するとそのコロイドの性質が変わり、もとは無構造で均質的であったものが、分解してつぶつぶの顆粒となっていきます(いわゆる析出)。

    これがもうすでに、バクテリアの始まりなのです。

    最初は小さな球状であったのが、やがて互いに一列につながって桿状になっていく、前者が球菌であり、後者が桿菌と呼ばれるものです。


    いずれにしても、体のなかに存在するいろいろな微生物は、体のなかで「湧いてくる」のです。

    現代医学は、そういう発想は非科学的だとして絶対に認めませんが、生命の世界とは本来そういう世界です。

    じっさい、バクテリア類は体内で自然発生し、それが条件次第で桿菌になったり、球菌になったり、それよりさらに細かいウイルスになったりします。

    逆にいうと、ウイルスもバクテリアも、もともと細胞の材料でもある、という認識が大切になってくるわけです。


    ここのところをちゃんと理解していないから、現代医学は病気(慢性病)を治すことができないのです。



    3. 細菌との果てしなき攻防

    パスツールとコッホが『細菌学』を創設し、それを科学の分野にまで押し上げたことは、当時の医学にとって画期的な業績でした。


    医者であったコッホは多くの細菌を発見し、炭疽菌の分離にも成功しています。


    ライバルで科学者のパスツールは、炭疽(病)を予防するワクチンを発明しました。


    ワクチンというと、伝染病の予防に効果を発揮することから、一般にワクチンが病原体を殺すと思っている人が多いのですが、これはとんでもない誤解です。

    ワクチンは、単に人体に自然に備わっている免疫を利用するにすぎません。


    現代医学はとかくワクチンや抗生物質などの使用に執着し、『抗原』(病原体のこと)に対する『抗体』(病原体を攻撃するもの)という、二元論的な病気の対処法から抜け出すことができないようです。

    抗体を魔法の弾丸とか、ミサイルとか称して、人間に戦いを挑んでくる(と思っている)悪い細菌やウイルスを、科学の力で撲滅するという発想の虜になっています。


    こういった現代医学の考え方は、いうまでもなく科学の影響によるものです。


    ジェンナーが牛痘接種をした時代には、医学はワクチンにたいして否定的な考えをもっていましたが、時をへて理解されるようになり、やがてパスツールらによって理論が確立されました。

    それいらい今日まで、現代医学は細菌学に何の疑問も感じないままその理論を継承し、細胞理論、遺伝理論とともに医学理論の三本柱としてきたのです。


    じつは、パスツールもコッホも一世紀も前の人たちで、それはフィルヒョウやメンデル、モルガンなどとほぼ同時代であることを知る必要があります。


    これら歴史上有名な人物は近代科学の影響を強く受け、人間そのものを探求するより、病気の原因を外部環境に求めるという、まさに二元論的手法を実践したわけです。


    あくまで科学至上主義に固執する現代医学は、細菌学をますます発展させ、いわば分割思考の無間地獄に落ち込んでいます。

    それでも懲りることなく研究の対象範囲をなおも拡大しつづけ、得られたデータはまさに混乱のきわみです。

    はっきりいって、細菌学者も自分自身、何をやっているのかわからない、という現状にあります。


    病原体(菌)は人体の外から侵入してくると想定することによって、その対処法はどうしても攻撃的になります。

    結局は薬、つまり化学薬剤を用いてこれを退治してしまえばいいという論理です。

    それが多くの厄介な問題を抱えていることは、すでに述べたとおりです。


    すなわち、病原菌は殺せても人体に与えるダメージが大きすぎるという代償、薬剤耐性菌の問題、抗原と抗体との因果関係がわからないなど、この論理にははじめから宿命的なジレンマが内包されていたのです。

    その当然の結果として、薬の毒性がホルモンや自律神経の機能を狂わせ、細胞の代謝に不可欠の酵素を破壊してしまう、また、病原菌を特定するのに多くの時間がかかり(エイズウイルスの究明には数年かかっています)、その後も薬と病原菌とのいたちごっこをえんえんと続けなければならないなど、難問が山積することになっているわけです。


    今騒ぎが一段落したサーズにかんしていえば、WHOはわりと早期に、新型コロナウイルスが原因であると結論づけましたが、病気の発生との因果関係は未だにわかっていません。

    病原体という概念そのものが間違っている以上、これは当然であり、私は、今後もずっとわからないだろうと予測しています。


    一つの微生物が患部から検出されるだけでは不十分です。

    たまたま弱っている患者に、日和見的に取りついたかも知れないからです。

    病原体を特定し、さらに発症との因果関係を立証するには、複数の病原体候補をほかの健康な生体に接種し、同じ症状が現れるかどうかを確かめなければなりませんが(これは動物実験に頼らざるをえない)、それでもまだ嫌疑は十分とはいえません。


    病原体を希釈して接種しても、新しい宿主内で増殖し、再び検出する必要があります。

    そうしなければ、病気の結果生じた毒素や異物が、移転して起こった作用と区別できないからです。


    これがいわゆる『コッホの三原則』で、WHOの結論もこの原則を遵守して得られたものです。


    なお、病原体は純化されなければならないという点で、さらに条件をくわえる必要があります。


    それは、病原体を精製したり、体外で純粋培養して感染実験をおこない、分子レベルの不純物の混入を防ぐという、とてつもなく手間のかかる分離作業です。

    しかしながら、宿主外で培養不能の病原体もあり、必ずしもコッホの三原則が適用されているわけではありません。


    たとえば、BSE(牛海綿状脳症)の病原体とされるプリオンは、難溶性のためまだ精製されていません。

    C型肝炎ウイルスも、遺伝子はわかったものの、電子顕微鏡でその実体を確認されていません。

    新型コロナウイルスも、すべてのサーズ患者から検出できたわけではないのです。



    4. 神経性疾患の原因はワクチンか?

    歴史上、麻疹、百日咳、ポリオ、天然痘、ジフテリアなど、いわゆる伝染病が世界各地域で発生し、多くの犠牲者が出たことは事実です。


    しかしながら、それらいずれの伝染病も、その発症の決定的な因子は、はっきりいって不明なのです。


    病原体の蔓延という現象は、細菌やウイルスが人から人へ伝播して広がっていくのではなく、社会環境、食生活事情、衛生管理、栄養状態などの要因がたまたま重なり、多くの人がほぼ同期に病気にかかり、その結果、それらの人々の体内から同じ病原体が検出される、というのが真相です。


    二元論的思考パターンの西洋思想は、人間ではなく、外部世界に病気の原因を求めようとしたために、本末転倒の捉え方をしてしまっているわけです。


    日本も含め多くの国で、伝染病の予防と称して、国と医学界が共同してこれまで行ってきたことは、莫大な資金の浪費と、多くの動物たちの命の犠牲の連続でした。


    ほんの一例をあげれば、ポリオウイルスの研究の名のもと、このウイルスはアフリカミドリザルの腎臓で最も繁殖するという理由で、何万匹もの猿が実験のために殺されたのです。

    いくら科学の研究のためとはいえ、学者たちの神経を疑わざるをえません。


    伝染病とされる多くの病気の予防に、慣習的にワクチンの接種が行われますが、過去の例から見ても、ほとんどのケースが徒労に終わったことは明らかです。


    日本におけるインフルエンザ予防の経緯については、集団接種の副作用をめぐる訴訟で、国の責任を認める司法判断が定着したため、その改正によって、現在ではなかば義務的な接種から任意接種に変わっています。


    じじつワクチンには、確率は低いものの、《運動失調症、知的障害、精神薄弱、精神遅滞、多動性障害、情緒不安定、無菌性髄膜炎、てんかん、ひきつけ、半身不随》といった、致命症となりかねない神経性障害を引き起こす副作用があるのです。


    時にはワクチンが原因で、"伝染病"になってしまうという皮肉な現象さえ報告されています。


    アメリカでギラン・バレー症候群が一度に600件近くも発生し、予防接種を受けてから数時間以内に、30人の高齢者が「説明不可能な死」をとげていたことも判明しました。


    1977年に、ソークワクチン(ホルマリン不活化ポリオワクチン)の開発者であるジョナス・ソーク博士は、議会で次のように証言しました。

    「1970年代初めに、アメリカで発生したポリオ(流行性脊髄麻痺、小児麻痺)のほとんどは、この国で使用されているポリオワクチンの副作用である可能性が高い」と。


    アメリカでは生ワクチンが使用されましたが、フィンランドとスエーデンのように死菌ワクチンを接種した国では、ポリオの発症はまったく報告されませんでした。


    ポリオ撲滅の功労者といわれる博士自身が、いまだに犠牲者を出している病気の原因が、そのワクチンにあると認めているのです。


    ワクチンというものの意義について、考えなおす時期に来ていることは明白ではないでしょうか。


    現代医学はこうして試行錯誤を繰り返し、あげくのはてには行き詰まり、その過程で、多くの疑問を残したまま開発・製造される薬が人体をとことん痛めつけるという、悲惨な結末を迎えているわけです。


    いっそのこと病原体という概念を捨ててしまえば、難解な医学理論も、混乱を招くだけの余計な理屈もまったく無用です。

    病気発生の原因はきわめて単純明快です。


    病気を予防するには、「どんな薬でもぜったいに飲まない」、「腸を汚さない、そのためには現在の食事を自然食に切り替える」、原則としては、ただこれら二つのことを実行すればいいのです。


    なお、理想の自然食メニューについては、「くすりはもうやめて!」のなかで詳しく書きましたから、どうぞご参考になさってください。



    5. 厚生労働省の怠慢

    予防対策や治療にたいする意識の改革という点で、さらにいくつかの問題があります。


    厚生労働省の医療行政が怠慢なことは周知のとおりです。


    過去における薬務行政では、《ペニシリン、サリドマイド、キセナラミン、スモン・キノホルム、ザルソカイン、アスピリン、クロロキン、ソリブジン》などによる甚大な薬害が発生したことは、今もなお、私たちの記憶に新しいところです。


    薬害が発生するたびに国は責任を回避したり、否定したりして薬事裁判を長引かせ、薬害をむやみに拡大してきたのでした。


    私たちはこれらの事件を風化させないため、また同様な事件を起こさせないためにも、つぎのような問題提起を怠ってはなりません。


    それは、製薬企業との関係における、国の薬害防止責任をどう考えるかという点です。

    製薬企業を「救命商人」のように思っている人もいるようですが、実体は利潤を追求する私企業にすぎません。

    したがって、残念ながら(むしろ当然ながら)、利潤を追求すればするほど、商品である医薬品の副作用のマイナス情報の公開をしぶり、軽視、無視して販売を促進することになりがちです。

    過去の事件でも、そうした事実が数多く明らかにされました。


    それを率直に認めるなら、そうした企業の行為をチェックし、国民の立場に立って、医薬品の安全の確保を図るのは国しかないはずです。

    国が本当に真剣になって薬害防止の施策を講じないかぎり、薬害はこれからも必ず起きます。

    国がどうしてもそれをやらないなら、私たち国民が自己防衛するしかほかに方法はないでしょう。


    クロロキン問題ではこんなことがありました。

    小野薬品の課長自身が服用していて、いち早く副作用情報に接し、自ら服用を中止したにもかかわらず、国はなかなか使用中止をしなかったのです。


    腹痛や下痢の治療に使用されたキノホルムが、失明や全身麻痺などを引き起こし、壮絶な闘病生活を強いられたあと死亡するスモン病(亜急性・脊髄・視神経・神経障害)の原因であったことはとっくにわかっていたのです。

    それを当時の厚生省がスモンを「原因不明の奇病」としたり、アメリカのFDAが「キノホルムはアメーバ赤痢のみに限定されるべきで、ふつうの下痢に使用してはならない」と勧告したにもかかわらず、日本の裁判では、製薬会社がFDAの販売規制措置を隠し続け、厚生省が「キノホルムは長い間、緒外国でも副作用が問題にされたことはなく、広く使用されていた」とウソをついてまで使用禁止を断行しなかったため、結果的に被害者を一万人以上に拡大してしまったのです。


    これまで阿鼻叫喚のなかで死んでいった被害者は、その三分の一にも達しています。

    その他の薬害に対しても、怠慢行政を続けてきた、いや、今もなお続けている(エイズ濃縮製剤)ことはいうまでもありません。


    しかもこういった例はほんの氷山の一角であり、政府官僚の天下りによる厚生労働省と医薬品業界との太いパイプは、国民の命をないがしろにし、これからも同様の悲劇が繰り返されることは必至です。


    私たちは、医薬品の管理体制について、もはや厚生労働省を信頼するわけにはいきません。

    テレビのコマーシャルで、医薬品メーカーが節操もなく薬の宣伝をやっていますが、それらはすべて無視して買うべきではないでしょう。

    「厚生労働省認可」というレッテルは、厚生労働省の無力さと怠慢を象徴する以外の何物でもないからです。


    そんな厚生労働省は、病気予防の対策についても消極的です。


    予防医学の重要性を訴える医学者や専門家は、すでに病気の根本原因を解明し、実証済みの具体策を国に提言しています。

    それらのなかには、それを実践すれば現代医学に頼らなくても、多くの難病が治癒したり、国民の健康が間違いなく改善されると期待されるものがあるのです。

    にもかかわらず国はそれらの提言を検討するどころか、耳を貸そうともしません。


    ところで、その厚生労働省が原因不明の難治性疾患として、特定疾患に指定している病気があります。

    つぎがその主なものです。


    「ベーチェット病、クローン病、潰瘍性大腸炎、慢性間節リューマチ、全身性エリテマトーデス、慢性膵炎、溶血性貧血、ネフローゼ症候群、エイズ、橋本病、シェーグレン病、重症筋無力症、原発性肺高血圧症、メニエール病、突発性心筋症、難治性肝炎、突発性大腿骨壊死など、ほか多数」
    これを見て、読者の方はどう思われたでしょうか。


    ほとんどの方は、「聞きなれない病気があるものだな。

    ま、自分には縁がないだろう」と思われたのではありませんか。

    じつは、それはとんでもないことで、これらの病気はすべて、明日にでもかかる可能性があるのです。


    前章5節でふれたように、まず、病気の分類じたいが無意味です。

    それは単に表面的、あるいは部分的な症状の特徴に対してつけられた名称で、病気そのものを表しているものではないからです。


    現代医学は特定疾患のみならず、通常のポピュラーな病気の原因さえわかっていないのです。

    ですからあなただって、それらの一つにいつ何時かかるか、まったく予断を許したものではありません。

    そしてかかった病気の特徴によって、仮に病名がつけられるだけの話です。

    なお、特定疾患を指定することにより、ずさんな治験やその他の人体実験を行い、医薬品に対する国民の依存度を高めようとする狙いがあることも付け加えておきます。



    6. 自己免疫疾患

    私たちは、すでに病気の本当の原因(第四章2節)について理解していますが、じつをいいますと、その原因から一直線に結果にいたるということではありません。

    つまり、発病までの移行現象として、見逃してはならない局面があったのです。


    動物性蛋白食品の多食によって腸内腐敗が起こり、有害物質の発酵によって病原体が発生し、細胞に異常刺激を与える、ここまではご記憶のとおりです。


    このとき、免疫システムが病原体を抗原と知覚して、抗体反応を起こします。


    そして、いざ抗原を攻撃せんとなったとき、その武器として抗体が活用するのが、じつは『活性酸素』と呼ばれるものです。

    活性酸素という言葉は、今ではほとんどの人が知っていますが、その実体やはたらき、とくに病気発生との因果関係などについては、まだ一般によく理解されていないようです。


    しかし、「活性酸素は万病の元である」と断定する医学者がおられました。


    ここでその注目すべき見解をご紹介して、免疫システムと活性酸素との密接な関係を確認したいと思います。


    『患者よ、がんで死ぬには及ばない』、『抗酸化水が健康長寿を実現する』など多数の著書を出された医学博士の林秀光氏は、『現代医学 七つの大罪』のなかで、「自己免疫疾患」というものについてわかりやすく解説しておられます。


    その部分をつぎに引用させていただきます。



    さて、自己免疫という言葉があります。


    『病気解説事典』(桐ヶ谷紀昌著)によりますと、つぎのように解説されています。


    「免疫とは、生体が自己(自分の生体成分)と非自己(異物のようなもの)を識別する生体の反応です。

    そのために、自己の成分に対しては抗体(防御物質)は作りません。

    ところが、T細胞やB細胞の働きのバランスが崩れて、B細胞の機能が異常に高まる(過敏症になる)と、自己の成分に対する抗体が作られるようになります。

    自己の成分に対する抗体を自己抗体と呼びます。


    本来、こんなものが生成されてはいけないのです。

    したがって、自己抗体は体に悪さをします。

    この自己抗体が原因で起こる病気を『自己免疫疾患』といいます。

    全身性エリテマトーデス(SLE)では、自己の細胞の核に対する自己抗体(抗核抗体と呼ぶ)が作られて、皮膚、腎臓、その他の病気を起こします。


    橋本病(慢性甲状腺炎)では、甲状腺の成分に対する抗体が作られて、甲状腺がはれたり、甲状腺の機能が低下したりします。


    その他、上記した膠原病、アジソン病、バセドー病などの内分泌疾患、インシュリン依存型糖尿病なども自己免疫疾患です。


    傷害された臓器が限局されているものを限局性自己免疫疾患、全身に及んでいるものを全身性自己免疫疾患と呼んでいます」
    これを頭のなかに入れておいた上で、以下の私の説明を読んでいただきたいと思います。

    理解を助けるために箇条書きにします。



        免疫とは、生体が自己(自分の生体成分)と非自己(総称して「異物」と呼ぶことにします)を識別する反応です。


        ここで、「異物」とは自分の生体成分とは異質のすべてを指します。

    いいかえれば、本来の自己の体内には存在しないもの、自分にとり有害なものをすべて含みます。

    たとえば細菌・ウイルス・化学物質など、本来自己の成分とは異質なものすべてが、「異物」を意味することになります。


        さて、「生体」が「異物」と出会ったとき、どのような反応が起きるでしょうか。

    いうまでもなく、そこでは「生体」と「異物」との闘いが起きることになります。

    その際、「生体」が闘いに使用するのが「活性酸素」というわけです。

    つまり、「生体」は「活性酸素・ミサイル」を発射して「異物」を攻撃しようとするわけです。


        この場合、本来ならば「生体」は「異物」を攻撃処理するのに必要なだけの「活性酸素・ミサイル」だけしか作らないはずです。

    ところが、両者の戦闘が長期戦になってくると、どうしても作られる「活性酸素・ミサイル」の量が過剰になってしまうという事態が生じることになります。


        その結果、「異物」を攻撃するために必要な量だけ作られるはずであった「活性酸素」が過剰になり、その過剰の「活性酸素」が今度は自分自身を攻撃することになる。

     つまり「生体」自身を病気に追い込むという事態が生じることになります。


        このように考えて見ますと、冒頭の解説文の中にある「自己抗体」を作り出す生体とは、「活性酸素」にほかならないということになります。

    いいかえれば、自己免疫疾患発生の際に生じる抗体(グロブリンなど)は、活性酸素の反応に付随して生じる物質であると考えることができます。

    つまり、免疫反応の主役はあくまでも「活性酸素」であって、抗体はその結果生じる「反応物質」に過ぎないということになります。



    このように林博士の説はわかりやすく、理論が一貫していることから、博士の主宰される「新しい水の会」(還元活性水素水の普及会)でも多くの賛同者が集い、博士とともに、すべての日本人の万病克服、健康長寿達成を目標に幅広い活動を展開中です。


    博士はまた、食べ物によって産出される有害物質や病原体だけではなく、環境汚染が原因の大気や水道水の酸化も体内の活性酸素を増大させ、自己免疫疾患の発生に拍車をかけていると述べています。


    さらに、人間の精神状態や感情の不安定、ストレスなども活性酸素を生み出す要因になりうる、とも説明しておられます。

    ようするに過剰になった活性酸素が免疫システムにダメージを与え、機能不全を起こすということで、これは単純明快であると同時に、発病のメカニズムを包括的に捉えた優れた理論といえるのではないでしょうか。

    またこのように考えますと、「発病の直接の因子は活性酸素にある」という見解は正しいのではないかと思います。




    4.自家生産される病原体

    1. 病原体説のウソ

    慢性病は予防する以外、ほかに対策はありません。

    しかしその対策について考えるとき、私たちはまたしても、ある重要な問題にかんして、これまでの常識を改めなければなりません。


    重要な問題とは、西洋医学が誤った概念を科学理論へと発展させ、それが広く世界に受け入れられ、先入観として定着してしまったという問題です。

    そしてそれは私たち一般庶民だけではなく、医者や医学者までもがいまや当たり前の常識として、固く信じて疑わないという先入観のことです。


    一体どういう先入観かといいますと、それは『感染症』という概念で、風邪やインフルエンザ、アレルギー性疾患、はしか、風疹、肺炎、結核、胃腸炎、肝炎、エイズ、赤痢などは当然のこと、その他、多くの慢性病も病原体によって引き起こされる、という考え方です。


    つまり、人体の外から真菌(カビなどの微生物)や細菌、バクテリア、ウイルスといった病原体が体内に侵入してきて、それらが病気を発生させるというものですが、じつはこれは「真っ赤なウソ」です。


    こういいますと、きっと読者の方は反感をもたれ、「いい加減なことをいうな」といってお叱りを受けることでしょう。

    でも私は、何の根拠もなしにいっているのではありません。

    多くの権威ある医学者、生物学者、いや細菌学者のなかにも、病原体説に疑問を呈したり、否定する学者がいるのです。

    そのような情報を知らされていない一般の人々は、長い間それを無意識に信じてきて、常識となってしまっているわけです。

    そしてその常識を強要しているのが現代医学です。


    私たちの居住空間や行動範囲には、ありとあらゆる微生物や細菌がうようよしています。

    それらのなかで、いわゆる病原体、つまり人間の体細胞を病変させるようなウイルスやバクテリアは存在しないのです。


    日常の経験からも明らかなように、もし、それらが病原体だというなら、誰もかれもが四六時中病気にかかっていることになるわけですが、現実にそんな馬鹿げたことは起こっていません。

    これは自明の理であるにもかかわらず、人はなぜか、偉い学者の難解な理論を信じてしまうのですね。


    ただしこれには、つぎのような紛らわしい問題があります。



        環境と人体の接点となる皮膚やその近接部、呼吸器官、消化器官、膣などに、『常在菌』と呼ばれる細菌が棲みついている。

    普段は無害なものであり、むしろほかの有害な細菌から体を守っている。

    しかし、肉体疲労やストレスなどで体力が衰え、免疫機能が低下したときなど、その常在菌が何らかの悪作用を及ぼし始め、風邪、ぜんそく、アレルギー症状などを引き起こす。

    患部の組織を疫学検査してみると、間違いなく、細胞のなかにそれらが存在していることが観察できる
        臓器移植を行ったさい、免疫機構が過剰に働いて拒絶反応を起こすのを防ぐため、故意に、人為的に薬品を用いて免疫を抑制する。

    すると、普通なら何の問題もない常在菌や真菌にたいし、体がまったく無防備になる。

    そこへより強力な真菌が外から侵入し、細胞に有害な働きをしたり、侵食したりする。

    その結果さまざまな症状が発症する
        エイズ患者では、免疫が破壊されるため、各種の病原体に対し完全な無抵抗の状態にさらされる。

    また、白血病の患者の場合、治療に使用される強力な抗がん剤が、腫瘍細胞とそのなかに巣食うウイルスだけでなく、免疫の主役である白血球を激減させ、同時に正常細胞も著しく損傷する。

    そこへ新たなウイルスが侵入してきてさらに免疫が低下し、やがてほとんど働かなくなる。

    病原体が活動する絶好のチャンスとなる

    上記がいわゆる病原体についての現代医学の一般的な説明ですが、病原体を常在菌とか、真菌とか、ウイルスなどといったり、その有害な作用といっているものの解釈もあいまいで、なんとも支離滅裂なこじつけでしかありません。


    第一、「何らかの悪作用」などというのは、よくわかっていない証拠です。

    こうして『病原体説や感染症論』をさも正当化しているのですが、ようするにこれらはすべて、つぎの事実を看過した本末転倒論です。



    2. 自然発生という概念

    じつは、病原体(といわれているもの)は人間自身の体のなかで、厳密にいうと腸内で自家生産されるのです。

    そして病原体が生み出される大元の材料が食物です。


    肉、卵、牛乳などの動物性蛋白食品の摂りすぎによって腸内に腐敗物質が産出され、異常発酵が起こり、そこから病的ウイルスや病的バクテリアが生み出される、それらが腸内で造られる血液に乗って全身をめぐる、そして細胞に異常刺激を与えつづけ、ついに炎症を起こして慢性病の原因へと発展していく、そういう因果関係のなかで、病原体の発生が確認できるわけです。


    ところがすでにご説明したとおり、現代医学(西洋医学)は血液(流動組織)と細胞(固定組織)のあいだに壁を作って、体細胞は体細胞だけ独立したものと考えています。

    そのため、こういった生命現象の連続相が把握できず、仕方なく症状やその原因を外に求めざるをえなくなり、いわば窮余の策として、病原体というものの存在を考え出しているわけです。

    そこから感染症や伝染病という概念も生まれ、病原性を持つ微生物が人から人へ移っていく、などという的外れな理論ができていったのです。


    いうまでもなく、そういう意味での病原体は外部には存在しません。


    いかに多くの人が同時に、あるいはつぎつぎと発病しても、人それぞれが自分の体の事情で発病しているのであり、その病気が他人に移る、または他人から移されるということはありません。


    わかりやすくいえば、病原体と呼ばれているものは、病気の原因ではなく、病気の結果として出現してくるのです。

    病変細胞のなかにいろいろな微生物がいるのは当然の成り行きで、そうなった因果関係を無視して結果だけを見ているから、病原体は「体の外から入り」、「それが病気を引き起こした」と、間違った判断をしてしまうわけです。


    現代医学はまた、体のなかで発見される微生物がどこで、どのようにできるかという点も理解していません。

    じつは、体細胞には核と膜があり、体が健康なときには、それら細胞質はすべてコロイド状をしています。

    しかし、細胞が病変するとそのコロイドの性質が変わり、もとは無構造で均質的であったものが、分解してつぶつぶの顆粒となっていきます(いわゆる析出)。

    これがもうすでに、バクテリアの始まりなのです。

    最初は小さな球状であったのが、やがて互いに一列につながって桿状になっていく、前者が球菌であり、後者が桿菌と呼ばれるものです。


    いずれにしても、体のなかに存在するいろいろな微生物は、体のなかで「湧いてくる」のです。

    現代医学は、そういう発想は非科学的だとして絶対に認めませんが、生命の世界とは本来そういう世界です。

    じっさい、バクテリア類は体内で自然発生し、それが条件次第で桿菌になったり、球菌になったり、それよりさらに細かいウイルスになったりします。

    逆にいうと、ウイルスもバクテリアも、もともと細胞の材料でもある、という認識が大切になってくるわけです。


    ここのところをちゃんと理解していないから、現代医学は病気(慢性病)を治すことができないのです。



    3. 細菌との果てしなき攻防

    パスツールとコッホが『細菌学』を創設し、それを科学の分野にまで押し上げたことは、当時の医学にとって画期的な業績でした。


    医者であったコッホは多くの細菌を発見し、炭疽菌の分離にも成功しています。


    ライバルで科学者のパスツールは、炭疽(病)を予防するワクチンを発明しました。


    ワクチンというと、伝染病の予防に効果を発揮することから、一般にワクチンが病原体を殺すと思っている人が多いのですが、これはとんでもない誤解です。

    ワクチンは、単に人体に自然に備わっている免疫を利用するにすぎません。


    現代医学はとかくワクチンや抗生物質などの使用に執着し、『抗原』(病原体のこと)に対する『抗体』(病原体を攻撃するもの)という、二元論的な病気の対処法から抜け出すことができないようです。

    抗体を魔法の弾丸とか、ミサイルとか称して、人間に戦いを挑んでくる(と思っている)悪い細菌やウイルスを、科学の力で撲滅するという発想の虜になっています。


    こういった現代医学の考え方は、いうまでもなく科学の影響によるものです。


    ジェンナーが牛痘接種をした時代には、医学はワクチンにたいして否定的な考えをもっていましたが、時をへて理解されるようになり、やがてパスツールらによって理論が確立されました。

    それいらい今日まで、現代医学は細菌学に何の疑問も感じないままその理論を継承し、細胞理論、遺伝理論とともに医学理論の三本柱としてきたのです。


    じつは、パスツールもコッホも一世紀も前の人たちで、それはフィルヒョウやメンデル、モルガンなどとほぼ同時代であることを知る必要があります。


    これら歴史上有名な人物は近代科学の影響を強く受け、人間そのものを探求するより、病気の原因を外部環境に求めるという、まさに二元論的手法を実践したわけです。


    あくまで科学至上主義に固執する現代医学は、細菌学をますます発展させ、いわば分割思考の無間地獄に落ち込んでいます。

    それでも懲りることなく研究の対象範囲をなおも拡大しつづけ、得られたデータはまさに混乱のきわみです。

    はっきりいって、細菌学者も自分自身、何をやっているのかわからない、という現状にあります。


    病原体(菌)は人体の外から侵入してくると想定することによって、その対処法はどうしても攻撃的になります。

    結局は薬、つまり化学薬剤を用いてこれを退治してしまえばいいという論理です。

    それが多くの厄介な問題を抱えていることは、すでに述べたとおりです。


    すなわち、病原菌は殺せても人体に与えるダメージが大きすぎるという代償、薬剤耐性菌の問題、抗原と抗体との因果関係がわからないなど、この論理にははじめから宿命的なジレンマが内包されていたのです。

    その当然の結果として、薬の毒性がホルモンや自律神経の機能を狂わせ、細胞の代謝に不可欠の酵素を破壊してしまう、また、病原菌を特定するのに多くの時間がかかり(エイズウイルスの究明には数年かかっています)、その後も薬と病原菌とのいたちごっこをえんえんと続けなければならないなど、難問が山積することになっているわけです。


    今騒ぎが一段落したサーズにかんしていえば、WHOはわりと早期に、新型コロナウイルスが原因であると結論づけましたが、病気の発生との因果関係は未だにわかっていません。

    病原体という概念そのものが間違っている以上、これは当然であり、私は、今後もずっとわからないだろうと予測しています。


    一つの微生物が患部から検出されるだけでは不十分です。

    たまたま弱っている患者に、日和見的に取りついたかも知れないからです。

    病原体を特定し、さらに発症との因果関係を立証するには、複数の病原体候補をほかの健康な生体に接種し、同じ症状が現れるかどうかを確かめなければなりませんが(これは動物実験に頼らざるをえない)、それでもまだ嫌疑は十分とはいえません。


    病原体を希釈して接種しても、新しい宿主内で増殖し、再び検出する必要があります。

    そうしなければ、病気の結果生じた毒素や異物が、移転して起こった作用と区別できないからです。


    これがいわゆる『コッホの三原則』で、WHOの結論もこの原則を遵守して得られたものです。


    なお、病原体は純化されなければならないという点で、さらに条件をくわえる必要があります。


    それは、病原体を精製したり、体外で純粋培養して感染実験をおこない、分子レベルの不純物の混入を防ぐという、とてつもなく手間のかかる分離作業です。

    しかしながら、宿主外で培養不能の病原体もあり、必ずしもコッホの三原則が適用されているわけではありません。


    たとえば、BSE(牛海綿状脳症)の病原体とされるプリオンは、難溶性のためまだ精製されていません。

    C型肝炎ウイルスも、遺伝子はわかったものの、電子顕微鏡でその実体を確認されていません。

    新型コロナウイルスも、すべてのサーズ患者から検出できたわけではないのです。





    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    解釈はそれぞれあるでしょうが

    要するに外から〝敵″がやって来るという解釈が現代西洋医学ですかね。

    病源菌とか病源ウイルスとか・・・

    農業においての害虫というもの。

     

    じつは土壌中の腐敗物質を作物が吸って、それを虫が食う。

    ニンゲンも体内に腐敗物質(毒素)が溜まると虫がわいて掃除する。

    直接的なのが細菌、間接的なのがウイルス

    どちらも最初は体内からわく。

    もちろん、他人も同様な状態ならそこへ移動することもあるでしょ。

    おわり。

     

    抗体についても耳に鱗でしたね。  

    え? 説明しろ?

     

    キミがやりたまえ。  交替

     文字制限のため分割してつづく

     

     


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    消えたHPの魚拓です。

    2004年版ですので、現時点での検証と選択はセルフサービスでよろしく。

    https://web.archive.org/web/20040825095002/http://iryoumisu.hp.infoseek.co.jp/page5.html

    より

     

    音声読み上げはこちら   

    web魚拓4「自家生産される病原体」より 2016年5月5日

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

    4. 神経性疾患の原因はワクチンか?

    歴史上、麻疹、百日咳、ポリオ、天然痘、ジフテリアなど、いわゆる伝染病が世界各地域で発生し、多くの犠牲者が出たことは事実です。


    しかしながら、それらいずれの伝染病も、その発症の決定的な因子は、はっきりいって不明なのです。


    病原体の蔓延という現象は、細菌やウイルスが人から人へ伝播して広がっていくのではなく、社会環境、食生活事情、衛生管理、栄養状態などの要因がたまたま重なり、多くの人がほぼ同期に病気にかかり、その結果、それらの人々の体内から同じ病原体が検出される、というのが真相です。


    二元論的思考パターンの西洋思想は、人間ではなく、外部世界に病気の原因を求めようとしたために、本末転倒の捉え方をしてしまっているわけです。


    日本も含め多くの国で、伝染病の予防と称して、国と医学界が共同してこれまで行ってきたことは、莫大な資金の浪費と、多くの動物たちの命の犠牲の連続でした。


    ほんの一例をあげれば、ポリオウイルスの研究の名のもと、このウイルスはアフリカミドリザルの腎臓で最も繁殖するという理由で、何万匹もの猿が実験のために殺されたのです。

    いくら科学の研究のためとはいえ、学者たちの神経を疑わざるをえません。


    伝染病とされる多くの病気の予防に、慣習的にワクチンの接種が行われますが、過去の例から見ても、ほとんどのケースが徒労に終わったことは明らかです。


    日本におけるインフルエンザ予防の経緯については、集団接種の副作用をめぐる訴訟で、国の責任を認める司法判断が定着したため、その改正によって、現在ではなかば義務的な接種から任意接種に変わっています。


    じじつワクチンには、確率は低いものの、《運動失調症、知的障害、精神薄弱、精神遅滞、多動性障害、情緒不安定、無菌性髄膜炎、てんかん、ひきつけ、半身不随》といった、致命症となりかねない神経性障害を引き起こす副作用があるのです。


    時にはワクチンが原因で、"伝染病"になってしまうという皮肉な現象さえ報告されています。


    アメリカでギラン・バレー症候群が一度に600件近くも発生し、予防接種を受けてから数時間以内に、30人の高齢者が「説明不可能な死」をとげていたことも判明しました。


    1977年に、ソークワクチン(ホルマリン不活化ポリオワクチン)の開発者であるジョナス・ソーク博士は、議会で次のように証言しました。

    「1970年代初めに、アメリカで発生したポリオ(流行性脊髄麻痺、小児麻痺)のほとんどは、この国で使用されているポリオワクチンの副作用である可能性が高い」と。


    アメリカでは生ワクチンが使用されましたが、フィンランドとスエーデンのように死菌ワクチンを接種した国では、ポリオの発症はまったく報告されませんでした。


    ポリオ撲滅の功労者といわれる博士自身が、いまだに犠牲者を出している病気の原因が、そのワクチンにあると認めているのです。


    ワクチンというものの意義について、考えなおす時期に来ていることは明白ではないでしょうか。


    現代医学はこうして試行錯誤を繰り返し、あげくのはてには行き詰まり、その過程で、多くの疑問を残したまま開発・製造される薬が人体をとことん痛めつけるという、悲惨な結末を迎えているわけです。


    いっそのこと病原体という概念を捨ててしまえば、難解な医学理論も、混乱を招くだけの余計な理屈もまったく無用です。

    病気発生の原因はきわめて単純明快です。


    病気を予防するには、「どんな薬でもぜったいに飲まない」、「腸を汚さない、そのためには現在の食事を自然食に切り替える」、原則としては、ただこれら二つのことを実行すればいいのです。


    なお、理想の自然食メニューについては、「くすりはもうやめて!」のなかで詳しく書きましたから、どうぞご参考になさってください。



    5. 厚生労働省の怠慢

    予防対策や治療にたいする意識の改革という点で、さらにいくつかの問題があります。


    厚生労働省の医療行政が怠慢なことは周知のとおりです。


    過去における薬務行政では、《ペニシリン、サリドマイド、キセナラミン、スモン・キノホルム、ザルソカイン、アスピリン、クロロキン、ソリブジン》などによる甚大な薬害が発生したことは、今もなお、私たちの記憶に新しいところです。


    薬害が発生するたびに国は責任を回避したり、否定したりして薬事裁判を長引かせ、薬害をむやみに拡大してきたのでした。


    私たちはこれらの事件を風化させないため、また同様な事件を起こさせないためにも、つぎのような問題提起を怠ってはなりません。


    それは、製薬企業との関係における、国の薬害防止責任をどう考えるかという点です。

    製薬企業を「救命商人」のように思っている人もいるようですが、実体は利潤を追求する私企業にすぎません。

    したがって、残念ながら(むしろ当然ながら)、利潤を追求すればするほど、商品である医薬品の副作用のマイナス情報の公開をしぶり、軽視、無視して販売を促進することになりがちです。

    過去の事件でも、そうした事実が数多く明らかにされました。


    それを率直に認めるなら、そうした企業の行為をチェックし、国民の立場に立って、医薬品の安全の確保を図るのは国しかないはずです。

    国が本当に真剣になって薬害防止の施策を講じないかぎり、薬害はこれからも必ず起きます。

    国がどうしてもそれをやらないなら、私たち国民が自己防衛するしかほかに方法はないでしょう。


    クロロキン問題ではこんなことがありました。

    小野薬品の課長自身が服用していて、いち早く副作用情報に接し、自ら服用を中止したにもかかわらず、国はなかなか使用中止をしなかったのです。


    腹痛や下痢の治療に使用されたキノホルムが、失明や全身麻痺などを引き起こし、壮絶な闘病生活を強いられたあと死亡するスモン病(亜急性・脊髄・視神経・神経障害)の原因であったことはとっくにわかっていたのです。

    それを当時の厚生省がスモンを「原因不明の奇病」としたり、アメリカのFDAが「キノホルムはアメーバ赤痢のみに限定されるべきで、ふつうの下痢に使用してはならない」と勧告したにもかかわらず、日本の裁判では、製薬会社がFDAの販売規制措置を隠し続け、厚生省が「キノホルムは長い間、緒外国でも副作用が問題にされたことはなく、広く使用されていた」とウソをついてまで使用禁止を断行しなかったため、結果的に被害者を一万人以上に拡大してしまったのです。


    これまで阿鼻叫喚のなかで死んでいった被害者は、その三分の一にも達しています。

    その他の薬害に対しても、怠慢行政を続けてきた、いや、今もなお続けている(エイズ濃縮製剤)ことはいうまでもありません。


    しかもこういった例はほんの氷山の一角であり、政府官僚の天下りによる厚生労働省と医薬品業界との太いパイプは、国民の命をないがしろにし、これからも同様の悲劇が繰り返されることは必至です。


    私たちは、医薬品の管理体制について、もはや厚生労働省を信頼するわけにはいきません。

    テレビのコマーシャルで、医薬品メーカーが節操もなく薬の宣伝をやっていますが、それらはすべて無視して買うべきではないでしょう。

    「厚生労働省認可」というレッテルは、厚生労働省の無力さと怠慢を象徴する以外の何物でもないからです。


    そんな厚生労働省は、病気予防の対策についても消極的です。


    予防医学の重要性を訴える医学者や専門家は、すでに病気の根本原因を解明し、実証済みの具体策を国に提言しています。

    それらのなかには、それを実践すれば現代医学に頼らなくても、多くの難病が治癒したり、国民の健康が間違いなく改善されると期待されるものがあるのです。

    にもかかわらず国はそれらの提言を検討するどころか、耳を貸そうともしません。


    ところで、その厚生労働省が原因不明の難治性疾患として、特定疾患に指定している病気があります。

    つぎがその主なものです。


    「ベーチェット病、クローン病、潰瘍性大腸炎、慢性間節リューマチ、全身性エリテマトーデス、慢性膵炎、溶血性貧血、ネフローゼ症候群、エイズ、橋本病、シェーグレン病、重症筋無力症、原発性肺高血圧症、メニエール病、突発性心筋症、難治性肝炎、突発性大腿骨壊死など、ほか多数」
    これを見て、読者の方はどう思われたでしょうか。


    ほとんどの方は、「聞きなれない病気があるものだな。

    ま、自分には縁がないだろう」と思われたのではありませんか。

    じつは、それはとんでもないことで、これらの病気はすべて、明日にでもかかる可能性があるのです。


    前章5節でふれたように、まず、病気の分類じたいが無意味です。

    それは単に表面的、あるいは部分的な症状の特徴に対してつけられた名称で、病気そのものを表しているものではないからです。


    現代医学は特定疾患のみならず、通常のポピュラーな病気の原因さえわかっていないのです。

    ですからあなただって、それらの一つにいつ何時かかるか、まったく予断を許したものではありません。

    そしてかかった病気の特徴によって、仮に病名がつけられるだけの話です。

    なお、特定疾患を指定することにより、ずさんな治験やその他の人体実験を行い、医薬品に対する国民の依存度を高めようとする狙いがあることも付け加えておきます。



    6. 自己免疫疾患

    私たちは、すでに病気の本当の原因(第四章2節)について理解していますが、じつをいいますと、その原因から一直線に結果にいたるということではありません。

    つまり、発病までの移行現象として、見逃してはならない局面があったのです。


    動物性蛋白食品の多食によって腸内腐敗が起こり、有害物質の発酵によって病原体が発生し、細胞に異常刺激を与える、ここまではご記憶のとおりです。


    このとき、免疫システムが病原体を抗原と知覚して、抗体反応を起こします。


    そして、いざ抗原を攻撃せんとなったとき、その武器として抗体が活用するのが、じつは『活性酸素』と呼ばれるものです。

    活性酸素という言葉は、今ではほとんどの人が知っていますが、その実体やはたらき、とくに病気発生との因果関係などについては、まだ一般によく理解されていないようです。


    しかし、「活性酸素は万病の元である」と断定する医学者がおられました。


    ここでその注目すべき見解をご紹介して、免疫システムと活性酸素との密接な関係を確認したいと思います。


    『患者よ、がんで死ぬには及ばない』、『抗酸化水が健康長寿を実現する』など多数の著書を出された医学博士の林秀光氏は、『現代医学 七つの大罪』のなかで、「自己免疫疾患」というものについてわかりやすく解説しておられます。


    その部分をつぎに引用させていただきます。



    さて、自己免疫という言葉があります。


    『病気解説事典』(桐ヶ谷紀昌著)によりますと、つぎのように解説されています。


    「免疫とは、生体が自己(自分の生体成分)と非自己(異物のようなもの)を識別する生体の反応です。

    そのために、自己の成分に対しては抗体(防御物質)は作りません。

    ところが、T細胞やB細胞の働きのバランスが崩れて、B細胞の機能が異常に高まる(過敏症になる)と、自己の成分に対する抗体が作られるようになります。

    自己の成分に対する抗体を自己抗体と呼びます。


    本来、こんなものが生成されてはいけないのです。

    したがって、自己抗体は体に悪さをします。

    この自己抗体が原因で起こる病気を『自己免疫疾患』といいます。

    全身性エリテマトーデス(SLE)では、自己の細胞の核に対する自己抗体(抗核抗体と呼ぶ)が作られて、皮膚、腎臓、その他の病気を起こします。


    橋本病(慢性甲状腺炎)では、甲状腺の成分に対する抗体が作られて、甲状腺がはれたり、甲状腺の機能が低下したりします。


    その他、上記した膠原病、アジソン病、バセドー病などの内分泌疾患、インシュリン依存型糖尿病なども自己免疫疾患です。


    傷害された臓器が限局されているものを限局性自己免疫疾患、全身に及んでいるものを全身性自己免疫疾患と呼んでいます」
    これを頭のなかに入れておいた上で、以下の私の説明を読んでいただきたいと思います。

    理解を助けるために箇条書きにします。



        免疫とは、生体が自己(自分の生体成分)と非自己(総称して「異物」と呼ぶことにします)を識別する反応です。


        ここで、「異物」とは自分の生体成分とは異質のすべてを指します。

    いいかえれば、本来の自己の体内には存在しないもの、自分にとり有害なものをすべて含みます。

    たとえば細菌・ウイルス・化学物質など、本来自己の成分とは異質なものすべてが、「異物」を意味することになります。


        さて、「生体」が「異物」と出会ったとき、どのような反応が起きるでしょうか。

    いうまでもなく、そこでは「生体」と「異物」との闘いが起きることになります。

    その際、「生体」が闘いに使用するのが「活性酸素」というわけです。

    つまり、「生体」は「活性酸素・ミサイル」を発射して「異物」を攻撃しようとするわけです。


        この場合、本来ならば「生体」は「異物」を攻撃処理するのに必要なだけの「活性酸素・ミサイル」だけしか作らないはずです。

    ところが、両者の戦闘が長期戦になってくると、どうしても作られる「活性酸素・ミサイル」の量が過剰になってしまうという事態が生じることになります。


        その結果、「異物」を攻撃するために必要な量だけ作られるはずであった「活性酸素」が過剰になり、その過剰の「活性酸素」が今度は自分自身を攻撃することになる。

     つまり「生体」自身を病気に追い込むという事態が生じることになります。


        このように考えて見ますと、冒頭の解説文の中にある「自己抗体」を作り出す生体とは、「活性酸素」にほかならないということになります。

    いいかえれば、自己免疫疾患発生の際に生じる抗体(グロブリンなど)は、活性酸素の反応に付随して生じる物質であると考えることができます。

    つまり、免疫反応の主役はあくまでも「活性酸素」であって、抗体はその結果生じる「反応物質」に過ぎないということになります。



    このように林博士の説はわかりやすく、理論が一貫していることから、博士の主宰される「新しい水の会」(還元活性水素水の普及会)でも多くの賛同者が集い、博士とともに、すべての日本人の万病克服、健康長寿達成を目標に幅広い活動を展開中です。


    博士はまた、食べ物によって産出される有害物質や病原体だけではなく、環境汚染が原因の大気や水道水の酸化も体内の活性酸素を増大させ、自己免疫疾患の発生に拍車をかけていると述べています。


    さらに、人間の精神状態や感情の不安定、ストレスなども活性酸素を生み出す要因になりうる、とも説明しておられます。

    ようするに過剰になった活性酸素が免疫システムにダメージを与え、機能不全を起こすということで、これは単純明快であると同時に、発病のメカニズムを包括的に捉えた優れた理論といえるのではないでしょうか。

    またこのように考えますと、「発病の直接の因子は活性酸素にある」という見解は正しいのではないかと思います。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    毒素は物質だけで無い、精神状態や感情の不安定、ストレスなどからもつくられる

    という。

    岡田論て言えば、霊の曇りが体に写されて毒素となる。。かな。。

    想念も言葉も気をつけよう・・・と思いつつ、ついつい・・・

     

     

     

     


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    アーサー・コナンドイル
         の霊界からのスーパーメッセージ
      コナン。ドイル・人類へのスーパーメッセージ
    1994年11月22日 第1刷発行    編 者-アイヴァン・クック    
    訳 者一大内博   発行所一株式会社講談社
                                           怪説者 himaari
    名探偵コナンの読者諸君ならびにテレビ鑑賞者諸君!!
      きっと、コナンの名の由来はかの有名な英国の作家アーサー・コナンドイルの名前から来ていると察知しているだろう。
     しかも彼が世界的に先駆的で有名な探偵推理小説「シャーロックホームズ」の作者であることを知っている人も多いだろう。
    しかしこのコナンドイルの霊界通信という大変興味深い内容の本を知っている人はそれほど多くはないと思う。
     コナンドイルは生前は晩年ほとんどの私財をなげうって精神的霊的世界の啓蒙運動に全勢力をかけて生涯を終えたという事実もあまり広く知られていないだろう。

    だが、これだけではなく驚くべき事に、コナンドイルの霊界通信はコナンドイル自身の死後まもなく始まったのである。しかもその内容は人類にとって偉大な真 理を含んでいた。今後の世界情勢のことや霊界の真相などが細かく説明されているのであった。まさに個人から個人への情報と言うよりも、高次元霊界を代表し て、地球物質界に住む人類へのメッセージとも思えるものであった。
     その内容は題名のごとく
         「人類へのスーパーメッセージ」というそのものであった。

    それでは、その中から医学関連について抜粋してみよう。
           そのうち いつか きっと 全文載せたいと思っている。こうご期待?


      
    すべての病の癒し

    いつの日か、現代の医学が霊の法則を研究せざるをえなくなるであろうことは、確実であると思われます。

      *コナン・ドイル は、読者がアストラル体が存在することを理解しており、地上の人間のあり方の一部として受け入れている、と仮定していることがわかります。さらに、医学界 はやがてこの真実を受け入れ、病の全容を発見し、治療法を見いだし、それによって医学に大変革が起きるであろうと考えています。肉体の病は、長い間にわ たって体の内部で進行していたものが外面化する最終的な段階であることが理解されるだろうというわけです。別な言い方をすると、医学は、現在、病による結 果を治療しょうとしているのに対して、将来は、病の原因を研究することになるだろうというのです。このような立場にたって、コナン・ドイルはすべての病の 原因と治療にいての話を始めます。


     私はかつて、医師として手術の場面に立ち会ったことがあります。今にして思うと、恐ろしさと嫌悪のあまり身震いがするほどです。しかしながら、数多くの 人命が外科医の技術によって救われているという事実に対しては感謝しています。とはいえ、医学界が人間のアストラル体とその健康をも研究の対象とすれば、 さらに多くの人々の生命が助かるだろう、とあえていっておきたいと思います。


     人間が自らを神聖な知性に対して開けば、肉体を癒すために利用できる光を手に入れることができます。これは、ヒーラー(治療家) の知的な資質よりもむ しろ、その霊的な知性ないしは洞察力によるものです。この霊的な知性により、ヒーラーは癒しの光を自分自身に引きつけ(磁石の引力と同じようなものと考え ればよいでしょう)、その光を患者に当てることができるのです。医学が光とさまざまな色彩の光線に関する情報をいつの日か受け入れ始めると、種々の新しい 治療法が可能になりますが、これはその一つの例にすぎません。


     健康と癒しと生存に必要なものすべてが宇宙界にあって、人間に利用されるのを待っているというのは、まさしく真実なのです。しかし、不幸なことに、霊的に無知な人々は、神がこのように豊かに供給してくれるものを利用することができずにいます。


     この知識をもっている人々が、それを他の人々に伝えるというのは、不可能とはいわないまでも、非常に難しいことです。これは、魂自身の理解によって達成されなければならないのです。しかし、宇宙のキリスト意識から送られてくる光によって、影がさして真っ暗な状態にある人間の理解力に光がさす日が必ずきます。そのとき人間は真っ暗闇の状態から目を覚ますことになるでしょう。


     私は一人でこの仕事をしているのではありません。たくさんの仲間がいて、私はその一人にすぎないのですが、特定の目的に向けて特別な訓練を受け、多くの ことを教えてもらったのです。スポークスマンになって、これらのメッセージを伝えるのが私の任務なのです。私が伝える情報の多くは、その目的のために私に 与えられたものです。

     たしかに、私も、ここで説明している素晴らしい霊界の現実を数多く目にしてはいます。こうした現実が実際にあるということはわかるのですが、私自身がそ うした驚異のすべてを体験しているかと聞かれれば、そうとも言い切れないところがあります。にもかかわらず、ときとして、人間の生命の全体の姿が、ひとつ のパノラマとなって私の目の前に現れるように感じられることがあるのです。そんなとき、人類の過去の姿が見えるだけでなく、地球と人類の未来も見ることが できます。


     数々の大きな変化がやってきます。素晴らしい一条の光が地球に向けて注がれており、人類がそれに呼応した動きを見せています。人類がこの光に対してどの程度応じるか、その程度によって人類全体の霊性が高まり、地球全体の波動が上がっていくことになるでしょう。


     おそらく、皆さんとしては、地上の生活にもっと関係のある、もっと単純でわかりやすい話をしてほしいと思っていることでしょう。しかし、今私たちが話していることは、神が自らの子供である人類に与えた贈物の中でも最も単純なことの一つなのです。

     過去何世紀にもわたって、病を癒すためにさまざまな方法が実施されてきました。それぞれの治療法は効果があるように見えても、その対象は限られた数の病気にとどまり、すべての病気に通用する治療法というのはありませんでした。

    今私たちがなそうとしているのは、病気の原因を探るだけでなく、ヒーラーの力の源泉を見つけ出すことです。

     このようなことをいうと、大議論を巻き起こすことになるかもしれません。病気は、患者の心の状態が原因であると考えられているようですが、ふつうはそれよりもずっと深いところに根ざしているのです。ときには、人の意識から始まり、またときには、潜在意識に由来することもありますが、前意識に始まっていることが一番多いのです。




     前意識という意味は、現在生きている人生よりもずっと昔の意識の状態という意味です。人間の過去の人生に遡った意識ということです。つまり、数多くの輪廻転生にまで遡る意識のことです。

    しかし、これを、心理学者がいうところの〝種としての本能″と混同してはいけません。

     前意識は人間の自我、霊と関係があるのに対して、人間の本能的な心とでも呼ぶべきものは、人間に内在すると思われる動物的ないしは種の本能に関係しています。

    人間の本能的な心は、前意識と呼応することはないようです。

    前意識は人間がすべて普遍的かつ霊的な遺産として共有しているものです。
    この前意識の状態は、動物界では未知のもののように思われます。

     今日の人々は、人間の意識、あるいは潜在意識のほうに関心を払うことが多く、意識ないしは潜在意識が、数多くの、さほど重大ではない肉体的問題の原因になっていて、場合によっては重大な病を引き起こすこともありうると認めています。
    また、意識にも潜在意識にも起因するとは思われない、数多くの病気もあります。


     ヒーラーの治癒力の源泉については、すでに話をしましたが、まだヒーラーの分類をしていませんでした。ヒーラーは次のように分類することができます。

     磁気的なまたは心霊的なヒーラー  クリスチャンサイエンティストをはじめとする精神的なヒーラー  催眠術を使うヒーラー  食事療法のヒーラー、自然に依存するヒーラー  霊的なヒーラー  秘跡的なヒーラー  整骨医などの操作的なヒーラー  超自然的なヒーラー  色彩光線によるヒーラー

     これらのヒーラーたちは、それぞれ何かの病気を治癒することはできますが、すべての病気を癒すことはできません。これは明確にしておくべきことですが、ここにあげた方法は、痛みや病気を治療する際には、患者の肉体だけではなく、エーテル体および精神体をも治療するのです。


    繰り返しますが、すべての重い病気は、人間の霊体と肉体の調和の欠如が原因であり、肉体に表れるのは病気の表現としては最後の段階なのです。
    ここに述べたさまざまなヒーリングの手段を使うとき、ヒーラーは患者との接触点を見つけなければなりません。それができなければ、患者を直すことはできません。したがって、一人のヒーラーがすべての病気を治癒することができないのは明白です。


     ハーブによる治療も忘れてはなりません。多くの場合とくに、局部が炎症を起こしているときなどは、霊的な力を送り込むよりもハーブのほうがずっと効果的 です。ある種のハーブや薬は肉体に作用するだけでなく、人間のエーテル体にも作用するということは一般にはあまり知られてはいませんが、本当のことです。


    つづく
            

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    アーサー・コナンドイル
         の霊界からのスーパーメッセージ
      コナンドイル・人類へのスーパーメッセージ
    1994年11月22日 第1刷発行    編 者-アイヴァン・クック    
    訳 者一大内博   発行所一株式会社講談社
     その二

     人間のエーテル体は、肉体に似てはいますが、ずっと緩い組織構造になっています。薬の中には、患者の意識的、潜在意識的な霊体の調和の乱れの結果として生じた毒や障害から、エーテル体を解放させる働きをするものもあります。

    〝霊体〟という言葉は必ずしも、脳に直結した人間の外面である、肉体的・精神的な肉体に当てはまるものではないことを、ここで強調しておいたほうがよいかもしれません。  欲望や感情と直結しているアストラル霊体があり、天界あるいは宇宙界と直結している第三の霊体もあります。
    この説明で、問題をさらにわかりにくくしていなければよいのですが。

     とにかく、人間の意識が間違った考え方をすれば、それによって肉体の細胞の意識に影響を及ぼし、それを弱めることとなるのとまったく同じように、宇宙意識または前意識は人間のより高い意識を通して働きかけることによって細胞の意識をコントロールし、かつ純化することができ、こうしてすべての病気を癒すことができるのです。

    このような理由で、地上の病気で治癒することが不可能なものはない、と私は言っているのです。


     ここではっきり述べておきますが、すべての人間の生命はさまざまな振動数の色に分けることができ、人間の生命はその色によって支配されています。ここでは、そのうち、一二の色についてだけ説明することにします。

     すべての人間は異なった振動数を持つ一二の色のどれかに波長があっています。
    したがって、ヒーラーが第七の色で振動している人に、第五の治療法を用いれば、必ず失敗することになります。それだけでなく、かえつて害をなすかもしれません。しかし、その逆に、第七の色の患者にそれに適した治療を施すならば、病気を直すことができるでしょう。

     振動数は色で表現されます。つまり、色は振動数の外面的な目に見える象徴です。

    それぞれの数に応じた色を次にあげていきましょう。

    一番目は赤の光線、二番目は緑、三番目はブルー、四番目がピンク、五番目は貴色、六番目は紫、七番目はヴァイオレット、八番目はラヴェンダー、九番目は真珠色、一〇番目は銀色、一一番目は金色、一二番目は純白です。

     色彩を使うヒーラーにとっては、患者が振動している色は何であるか、それを発見するのがまず第一の仕事になります。光の色とその数に応じて、患者はある 種の病気にかかりやすいのです。患者のあり方と調和をはかり、回復させるためには、沈静効果をもつ光か、刺激的な光のどちらかが必要になります。


     黄色い光線は、結核の治療にとくに効果的な色であり、ブルーの光線は神経系統の病気に最善の結果をもたらし、赤い光線は血液が毒に犯されているとき有効であり、紫と緑の光線には共に癌の治癒力があることが発見されるでしょう。


     患者によって、治療すべき霊の中枢がいろいろと異なる場合があります(まだこの点について明確にしていませんが、いずれそうしたいと思います)。人によっては、喉が一番感受性の強いこともあり、その場合には、緑の光線を喉に向けると効果的ということになります。


     また、中には、心臓が紫の光線に最も強く反応し、血液の病気や、血液中の毒素の治療の際に最も効果的であるという人もいるでしょう。それは、紫の光を心臓に当てれば、血液が心臓から出たり入ったりするときに、血液を掃除し、純化してくれるからです。


     繰り返しますが、この光線による治療はすべての人に対して効果があるといっているわけではありません。色とそれに準ずる番号の一覧表はすでに示した通りです。私たちは独断的にこうだといっているのではなく、提案をしているのです。


     病気になるもっとも多い理由は、リラックスできないということです。
    あなた方のほとんどが、意識的にも無意識的にも、糸がピンと張りつめたような緊張した生活を送つています。これは目を覚ましている ときだけでなく、眠っているときでも同じです。緊張した心のまま眠りにつくと、あなたの指、肘、膝、毒その他の骨の部分が、心のあり方に応じた緊張を保ち つづけているのです。

     なぜ、そうなるかといえば、だいたい同じような緊張した状態が、日中の生活をほとんど支配しているからです。肉体の緊張は、恐れ、心配、抑圧された感 情、押さえられた欲望といった心の状態によるものです。したがつて、眠つているときであれ、目を覚ましているときであれ、病気に苦しむ人の霊体のさまざま な中枢にエネルギーの停滞が生じるのです。


     子供のときからリラックスすることの大切さを学び、それを習慣にして、毎日毎日の生活をゆったりとした気持ち で、自分自身ばかりでなく、ほかの人たち、そして神との心の調和を保ちながら生活すれば、霊体および肉体の中を、エネルギーがなんの滞りもなく、リズムを もつて流れるようになるでしょう。
    この流れはその本来の性質によって、すべての廃棄物を運び去ってくれ、除去してくれます。それはやがて、普遍的な宇宙によって吸収され、新しいエネルギーへと転換されます。


     息を吐くとき、人は毒を吐き出します。というのは、息を吐くことによって人は、使い古した肉体的な物質霊的な物質を絶えず吐き出している のです。ですから、逆に、息を吸い込むことによって、人は純粋なプラナ、すなわち、宇宙の生命力を吸い込むべきなのです。この宇宙生命力であるプラナは、 人間の肉体をリズムのある完全な健康状態に保ってくれるものです。


     したがって、クリスチャンサイエンティストが主張するように、
    すべての病気は〝人間の心″に起因するというのは誤解を招く恐れがあります。
    病気はそれよりも深いところに原因があるのです。

    しかし、人間が〝心″をリラックスさせ、新鮮な宇宙の生命力に助力を求めるならば、流入するエネルギーがただちに修正され、やがて完全に健康な状態が生まれるのです。


     事故の原因は、犠牲者の前意識のなかに隠されているのでしょうか。それとも、人は自分ではどうにもできない災難の犠牲者にすぎないのでしょうか。

     じつは事故ですら、前意識の自己の深いところに、前もって作り出された不協和の結果なのです。これは非常に厳しい教えのように思われるかもしれませんが、よく考えてみれば、そうではありません。事故の犠牲者になる魂は、事故にはそれを体験することによってのみ学ぶことのできる教訓があることを、前意識において、十分に知っているのです。

     子供についても、きっと質問があるに違いありません。父親が酔っ払って欲情をおこし、その結果生まれたかわいそうな子供たちはどうなのか、と質問したい に違いありません。あるいは、病気の親から、病気をもって生まれた子供はどうなのかと。このような罪のない子供たちもまた、運命によって苦しみに満ちた人 生を生きていかなければならないのかと。

     あるいは、狂気の肉体に閉じ込められた@ 生まれたときから病に犯された肉体に閉じ込められた魂はどうなのだろうか、という疑問を抱かれるかもしれません。このような疑問に対して、どうすれば納得のいく答えが得られるというのでしょうか。

     これらの場合にもまったく同じ答えが当てはまる、と私たちは答えたいと思います。

    人間の魂は自分に何が起きるか、ということについての予知能力を常にもっており、自らに提示された人生を受け入れることも拒絶することもできるのです。



     このような問題について、きわめて限られた洞察力しかもっていない人間にとっては、どのような動機によって、魂 が苦難の人生を選択したのかを理解することは不可能であり、魂がどれほどの苦しみを体験しなければならないのかを垣間見ることすら不可能です。しかしなが ら、戦懐を覚えるほどの惨事が地上において行なわれているのを目撃した後ですら、人間が、善なるもの、確宇宙の第一の源と呼んでいる、あの全能の存在の価 値を判断してはなりません。
    たとえこの存在が幼い子供たちが苦しむのに任せて、何もしないように見えるにしてもです。


     私たちがいるところでは、誰であれ価値判断をするということはありません。より広い視野から 見ると、神はいかなる意味においても、復讐をしたり残酷であったりするようにはけっして見えないのです。私たちがいつも感じているのは、限りない愛であり、神の思いやりに満ちた知性であり、人間に対する永遠の慈悲心です。私たちに見えるのは、全智全能の父が、自分の子供が歩む道を自由に選択する意思の力を与えている姿です。苦しみの道であれ、喜びの道であれ、エゴを克服していく道であれ、すべての道は上昇を続け、やがては、完壁な宇宙の崇高な意識のもとに帰っていくのです。


     猫がネズミをもてあそんでいるのを見て、感傷主義者は身震いしてこう叫びます。「なんて恐ろ しい、残酷なことをするんでしょう。自然は残酷さにみちみ ちている!」。一見そのように見えるかもしれません。しかし、そう見えるのは限られたヴィジョンしか持っていない人なのです。実際はそうではありません。 さまざまな外観の背後には神の愛と理解があり、すべてのものに浸透しているのです。私たちのまわりに充満しているように見える苦しみは、神の崇高な調和と 愛と美を、すべての神の被造物の意識に理解させるための手段を包み込んだものなのです。


    つづく
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    アーサー・コナンドイル
         の霊界からのスーパーメッセージ
      コナン。ドイル・人類へのスーパーメッセージ
    1994年11月22日 第1刷発行    編 者-アイヴァン・クック    
    訳 者一大内博   発行所一株式会社講談社
     その三


    メーテルリンクの『青い烏』の一場面

     病気との関係において、前意識の影響力について話してきました。これによって、明らかに善良で、聖人のように思われる人でも、苦しい病気に襲われたり、不治の病にかかったりすることがあ る理由がわかるのではないかと思います。
     このようなわけで、明らかに不公平と思われる出来事に抗議したり、問題にしたりしても、なんの役にも立たないように思われます。そのような病気の原因は、病気にかかっている人の親切でやさしい性質よりも、ずっと深いところに根ざしているのです。


    その原因は、病んでいる人の現在の人生を越えたところに起因しており、その根っこは現在の人生の外面的な部分に見いだすことはできないのです。

     熱と同じように、苦しみは洗浄の先駆けとなるものであり、一つの過程の終りを告げるものでもあります。


    懐疑論者は人が昼も夜も苦しむのを見て、感傷主義者が猫に掴まったネズミを見て示すときと同じ反応を示すかもしれません。彼らは、病気に苦しむ人がやがてもたらすことになる、がっしりとした根や美しい花などというものを考慮に入れようとはしません。

     したがって、懐疑論者は、人間の内部にうごめく、より豊かな生命力の根源については無知のままであり続けるでしょう。この内なる生命は、病気や苦しみを 通して耕された土壌に、元気よく、美しく芽を出すことになるのです。懐疑論者は人間存在の表面だけを見て、表面のみを知るにとどまるでしょう。人間の魂の 真の生命は、懐疑論者に見えることはありません。



     怒り、貪欲、羨望といった外面的かつ破壊的な感情は、魂の深いところに根ざした病気とははっきりと異なった、もっと単純な病気を作り出すというのは、興味深い事実です。例えば、自己憐憫はよく腰の痛みや腎臓病の原因になります。自己憐憫はまた肝臓病の原因にもなります。ただし、肝臓病は激しい感情の暴発によっていつでも誘発されるものであり、その結果、血液に毒が送り込まれることになります。


     恐れや心配といった感情は、長いあいだ続くと、同じような病気の原因となり、癌をもたらすことすらあります。一定数の癌の症例の原因を調べてみれば、深く根ざした恐怖感が緊張状態を誘発し、そのために、霊体がとざされ、その結果、霊のエネルギーの流れが停滞した結果であることがわかるでしょう。


     外面的な感情(怒り、貪欲、羨望など)ははっきりと何かの病気を引き起こす可能性があると申しあげました。人間は、自分の内面的な心をコントロールでき ない限り、こうした有害な感情の手綱を操れはしないということを覚えておかなければなりません。ここで再び、健康に関するかぎり、心の内面的な調和が非常 に大切であるという事実に話が戻ってきます。そして、人間の心の調和は霊的な自我が目覚めているかどうかにかかっているのです。

     人がどんなものを食べるか、ということは人間の健康に影響を与えるでしょうか。
    答えは、イエスです。

    人によってはただちに影響が出ます。だいぶ時間がたってから影響が出てくる人もいます。また、何を食べてもまったく影響を受けることのない人もいます。
    神の法則を理解した結果、心の平和を達成し、調和のとれた生活を営んでいる人は、食べすぎたり、食べるべきではないものを口に入れて自分の体を痛めつけることはないでしょう。
    消化不良は多くの場合、当人の意識的な心によって引きおこされます。


     こちらの世界から、著名な作家のインスピレーションがどこから来ているのかを見ていると、じつに興味深いものがあります。メーテルリンクの『青い鳥』を 思い出します。その本の中に、子供たちが地球に戻るべく名前を呼ばれるのを待ちながら、みんなが集まっている場面があります。

     それぞれの子供は袋を持っていて、その袋には、地球に持ってかえる贈物や知識だけでなく、自分が患うことになる百日咳や獲紅熱といった病気も、きちんと包まれて入っています。子供たちは、星の海を〝父なる時〟の船に乗って渡り、地球で待っている母親のところに帰ろうとしているのです。

     ただのおとぎ話だと言う人もいるでしょう。しかし、ここには、大変な真実が述べられているのです。それはおそらく、宇宙存在から降りてきたか、作者の自我の前意識のレベルから出てきたものでありましょう。

     心霊のヒーラーは、霊体の滞りを癒すという点で、きわめて重要な働きをすることができます。

    心霊のヒーラーが役に立たない場合もありますが、それは、患者の本当の問題まで深く調べることができないからです。患者自身が自助できるとき、ヒーラーもその力を十分に発揮するのです。

     この種の心霊治療においては、明らかに病気が直って、つまり、患者の〝家″を大掃除して飾り立てもしたのに、患者自身がより高い存在の力との接触から遠 ざかってしまうと、健康状態が前よりももっと酷い状態になるというようなことがあります。一匹の悪魔に取りつかれていた人が、〝家″の大掃除をしてその悪 魔を追い出し、飾り付けもしたけれども、空っぽのままにしてどこかに出かけて帰ってみると、家には最初の悪魔も含めて七匹の雫魔が住みついていたという寓 話は、ここで私たちが言わんとしていることの意味をよく伝えています。


     繰り返しになりますが、どんなヒーラーであれ、すべての病気を癒せるなどと言い張るのは無益なことです。


    一二の光線について先ほど申しあげましたが、それと結びつけながら、黄道帯の一二の星座、イスラエルの一二の〝支族″について、そして一二という数字の神秘と重要性について考えてみましょう。

     これらの数字がー二であるというのは、一二の光線のもとに人間の家族を分類できることを暗示しているのかもしれません。すべての薬草は、一二の光線のい ずれかに属します。古代の賢者は、すべての病気には必ずそれに呼応する薬草があり、薬草にはそれぞれ波動の合う数と色があり、素晴らしい効力を発揮すると いうことを知っていました。古代の慣習や魔術的な力を持つ飲み物の源は、この知識に遡ることができるでしょう。

     人類に関して言えば、四と三という数字は強烈な数字であり、人間が関わっているあらゆる事柄で人間に影響を及ぼします。世界の計算の土台はずっと昔、四 角と三角のシンボルの上に築かれました。エジプトのピラミッドの意味について考えて見てください。そうです。ピラミッドは生命の数字のシンボルとして立っ ているのです。

     さて、一二の家、一二の支族、人類がそれに呼応して振動するー二の光線を四つに分ける必要があります。その四つとは、土、空気、火、水のことです。

     いつの日か、それはずっと未来のことになるかもしれませんが、医師は患者の治療をするときには、まず患者のホロスコープを見ることになるでしょう。これは根拠のない話ではありません。私たちは真面目に話しているのです。もし人間が望むのであれば、すべての病気の原因をいつの日か発見することができるように、海図を与えようとしているのです。

     患者のホロスコープを見ることによって、それがなされるでしょうが、そのホロスコープはふつうのホロスコープではなく、今の人生を越えて、自我のこれま でのすべての人生に及ぶものです。これまでの数多くの輪廻の人生の中で振動してきた光が何であるか、それを明らかにしてくれるホロスコープです。

     この方法によって、すべての病気は四つのグループのいずれかに分類できることが発見されるに違いありません。患者が土のサイン、水のサイン、あるいは、 火のサインに波動が合うと思われるときには、そのサインに見合った適切な治療を施すことができるでしょう。これまでのように、すべての人に対して同じ治療 をすることはなくなるはずです。土、空気、火、水のどれに波動が合っているかを知ることによって、かかりやすい病気がわかり、その結果、予防策をとること も可能となるでしょう。

     振動数によって一二の光線があることを説明したので、今度は、これらの光線が接触する一二のポイントについて話しましょう。心臓を出発点として、次のように数えます。
     
    心臓

    松果体
    脳下垂体
    脾臓
    脊柱の基部
    @@@@
    二本の足


     この一二の霊的な中枢は、ヒーリングの光線に対してきわめて敏感であることをなんらかの計測器によって証明するのは可能であり、いつの日か必ず証明されることになるでしょう。


    人間の体そのもの、および肉体の中にある生命体である魂は、外部の助けを借りずに自らを癒すことができるというのは事実です。それだけでなく、人間は他の人々を癒すことのできる光を引きつけ、それを他の人々に向けることもできます。


     しかし、すでに説明したように、病気の中にはその原因がきわめて皮相的であるため、表面的な治療で簡単に直せるものもあります。ねぷとなどは、磁力による、または霊的な力による治療よりも、湿布で治療したほうがずっと簡単です。

     また、それぞれの心霊中枢には、体の一器官が接続していることも発見されるでしょう。例えば、一定の色の光線、それは一つの波動にすぎないのですが、そ の光線で喉の中枢を治療すれば、反応が出てくるのは、喉ではなく胃なのです。強迫観念や精神錯乱を治療する場合には、脳下垂体の中枢を治療しなければなり ません。

     てんかんは長い間、医学関係者を悩ませてきました。この病気は、子供が母親の体内に宿ったとき、両親の霊的な不調和が原因となって、子供の霊体に不適応が生じたのが原因であると聞けば、なるほどと思う人は多いかもしれません。

     親の責任がどれほどのものか、私たちははたしてわかっているのでしょうか。父親の罪は、子供の三代四代までもついてまわると、俗にいわれています。確かにそうであるとしても、この諺にはそれよりもさらに深い意味が込められています。

     もっと正確にこれを言うならば、〝人の罪は三番目四番目の輪廻転生にまでついてくる″ということになるかもしれません。まさに、私たちのこれまでの輪廻転生の人生は、今後に続く人生の〝父親″となるのです。


     それでは、てんかんはどうすれば治療できるのか、という疑問がここで湧いてくることでしょう。てんかんに苦しむ人は一生この病気に苦しまなければならず、この病気は曖昧なままに放置されるしかないのでしょうか。
     じつは脳下垂体と松果体を接続することによって可能となる、患者の霊体の調整ができて初めて、てんかんは直ります。この二 つの器官の間に裂け目が生ずるとき、てんかんの症状が起きるのです。もっと簡単に言うと、ネジが緩んでいるのです。ネジが緩んだときに、てんかんの症状が 現れるのです。ネジを閉めてください。つまり、霊体を完全な形に調整してください。そうすれば、てんかんは直ります。



    四つのサインとその治療法

     ここで、病気を土、空気、火、水のそれぞれのサインにグループ分けして、さらにそれぞれのサイ ンには、鉱物、動均野菜の三つの部分があることを考慮に入れながら、適切な治療を提案したいと思います。

    ●空気のサイン このグループに所属する人たちは、霊の中枢を適して暴れる神経系の病気に悩まされるでしょう。頭と腰が最も頻繁に影響を受けるでしょう。治療に対して最も効果的な霊の中枢は脊柱の基底部です。

    ●火のサイン このグループに属する患者は感情的で、強迫観念、精神病、炎症、高熱を患う可能性が強いでしょう。治療は、脳下垂体、松果体を通して行なうとよいでしょう。

    ●土のサイン 粘液質の人、全体的に動作が緩慢で、エネルギーの流れに澱みがあるため毒素を蓄積しがちな人たちが、このグループに属します。粘膜に炎症が現れ、その結果、血液に毒素が生じたり、原因を同じくするその他の病気が出るでしょう。

    ●水のサイン 奇妙に思われるかもしれませんが、水のサインは体の下半身、脚・足に影響を及ぼします。これは流動性の強いサインであるため、このサインに属する人たちは、心霊的な、磁力による治療が最も効果的です。


     火のサインの人は色彩光線による治療に最もよく反応します。空気のサインの人は、霊的・秘跡的な治療、土のサインの人はクリスチャンサイエンスが行なっているような、食事と精神的な治療が効果的です。

     これらのヒントに従うならば、(注意してほしいのですが、これはあくまでもヒントにすぎません)、そしてまた、厳密さを欠いた、思惑的な現代の医学に惜 しみなく投入されている実験や研究活動のほんのわずかでも、この研究に注ぐならば、普遍的な癒しの、厳密で科学的な方法がもたらされることでしょう。その 方法は人間の肉体の性質、心霊的な性質、霊的な性質に基づいたものとなるに遠いありません。もし人がそう望むなら、その癒しは確実で厳密な手法を確立でき るでしょう。


     薬草の治療について、さらに説明をしたいと思います。体の一二の部分のそれぞれに、波動と色彩が呼応する薬草を入手することが可能です。そして、火、 水、土、空気のいずれに属するかを知れば、それに応じた、適切な薬草を選ぶことができます。適切な薬草を用いれば、いずれの場合もきわめて効果的ですが、 間違った薬草を用いると害になる場合もあります。

     薬草は一定の法則のもとに生長します。薬草の生長は、気候とか季節にだけ依存するのではなく、地上の鉱物界、野菜界、動物界の生命を支配する一定の光線 に基づいて、その形および性質を形成します。したがって、ヒーラーは占星術からみた患者の性質を理解していなければなりません。なぜなら、すべての薬草 は、黄道帯のそれぞれのサインをもっているからです。

     薬草は病気の性質病人の性質に一致するものを選ばなければなりません。例えば、獅子座の上昇するサインの人には、それにふさわしい数と光線の薬草をあげ るべきで、べつな光線を与えてはいけません。薬草による治療を、かなりの厳密さと正確さをもって分類することは可能であるはずです。

     薬草による治療は、すべての病気に対応することはできません。患者はそのサイン、気質によって治療する必要があります。喘息は神経組織を原因とする病気 です。この種の神経の反晦つまり体のリズムの乱れは、青あるいは緑の光線によって、効果的な治療を行なうことができます。喘息は他の神経系統の病気と同じ く、心霊的な原因に起因していると思われます。ときには、磁力を用いた方法が治癒力をもつでしょう。治療すべき中枢は太陽叢です。消化不良の問題もあるか もしれないので、食事にも注意を払うべきでしょう。


     喘息の発作の多くは、この種の不注意によって引き起こされますが、そもそもの原因は心配事や心の悩みであることが多いようです。心の悩み を解決すれば、喘息は直るでしょう。このようなわけですから、喘息に関しては、ブルーの光線、つまり、心を穏やかにし、心の平和を回復してくれるこの光線 が必要であることがおわかりいただけると思います。

     ある種の薬を飲むということは、単に症状を治療しているにすぎないのです。
    その根本原因までつきとめなさい。喘息の場ARそれは心霊的な混乱であって、多くの場合太陽叢を中心とした混乱です。この病気に苦しむ子供は大体の場合母親のはりつめた神経組織が原因です。
    あなた方はこれを即座に否定することでしょうが、しかし、事実なのです。いずれにせよ、この霊の浄化という治療を受ければ、この病気が再発することはけっしてないというのは、元気づけられることではないでしょうか。

    つづく
            わたしんちの医学革命表紙

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    また魚拓からです。

    ほんと過去消えたと思われていた記事が読める・・・

    いいようなわるいような・・・・

     

    https://web.archive.org/web/20040825095226/http://iryoumisu.hp.infoseek.co.jp/page6.html

    からの魚拓です。

     

    本当の事は知らされない。

    いや、本当の事は潰される。

    そんな医学界、医療界のタブーを知らない、知ろうとしない素人衆にはヘキエキしますが(笑い

     

    それでも知って著|¥だい

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     


    5.生体内元素転換理論

    1. 栄養・健康情報に振り回されるな

    ここ数年来、未曾有ともいえる健康食ブームが席巻しています。

    当初私は、これは的外れの医療や、効き目のない薬に愛想をつかし、国民が病気予防の大切さを自覚しはじめたためではないかと思っていたのですが、そうではありませんでした。


    ブームの火付け役がいたのです。


    1980年代後半、心臓病やがんの死亡率が急上昇しつつあったアメリカは、『ヘルシーピープル2000』という政府主導の一大健康キャンペーンを旗揚げしました。

    そして栄養学を医学教育に取り入れたり、その他、予防医学を促進するための法律の制定や整備をおこないました。

    当時日本でも、高齢化社会の到来や、生活習慣病の急増によって、国民医療費が破綻の危機に面したことから、やはり国民の健康問題に無関心でいられなくなり、政府が「栄養摂取」という観念を国民に広めようとしたのがことの発端だったのです。


    その具体案がいろいろ検討され、ついに2000年に、『健康国民21』という政策が発表されたことは周知のとおりです。

    こうしてアメリカより10年以上も遅れて、アメリカと同じようなコンセプト、といってもそれを皮相的にまねたものを国民に"強要"することになったのです。

    いわば政府体制側の音頭とりによってすべてが始まったわけで、本当の意味で国民のニーズを反映するものではありません。

    また発信される情報は、西洋医学的な分割思考型になっているのが特徴的です。


    そして気がついてみると、さまざまな情報が乱れ飛び、それらは医学界だけではなく、大手食品メーカーや、大企業の利害を考慮に入れて巧妙に操作された、しかも歪曲されたものになってしまったのです。


    表向きには栄養学という名でカムフラージュしていても、その中身をよく検討してみますと、単なる食品分析学にすぎないことは明らかです。

    当然そこには、健康維持や、病気予防に直結する基本理念など毛頭ありません。

    端的にいって、栄養成分とその効果だけに絞って食品を分析しているだけで、食物と体との相関関係をまったく無視したものになっています。

    そんなものは、とうてい栄養学と呼べるような代物ではないのです。


    食品はその生産地や栽培方法によって栄養成分が異なりますし、食べる季節や人の体質によっても効果はまちまちです。

    たとえば山形と埼玉では、同じ大根でも成分値が違ったり、有機農法と化学農法という点でも、その違いには大差があります。

    地域によっては、ほうれん草の鉄分がゼロという場合もあるのです。


    農水省や厚生労働省はこういった問題に無頓着で、公表されている統計や分析データは、いい加減で信頼できるものではありません。

    健康食品の製造・販売にかんしていえば、法律が未整備のため野放し状態で、間違った理論や製法によってつくられる商品が、すでに被害を生みはじめています。


    陰性体質の人が冬に青汁ジュースを飲んで体調を崩したり、長く続けたために病気になってしまったという実害が出ているのです。

    また、天然素材をうたい文句にしていても、根拠の疑わしい商品が数多く出回っています。


    テレビの健康番組などで、栄養学博士といわれる先生たちが、「魚にはEPAやDHAが、野菜にはこれこれのビタミンやミネラルが、果物にはエストロゲンやポリフェノールが豊富に含まれている」などといって、知識の切り売りのような講義をやっていますが、そんな知識はただ混乱を招くだけで、栄養学とは程遠い感があります。


    食品には元来、それぞれ特有の健康効果があるもので、それらを分析して優劣をつけたり、栄養素を個別に強調したところで、実質的な効用があるわけではありません。

    アロエ、にんにく、フコイダン、アガリクスなども、それぞれが単品で病気の原因を取り除くものではないのです。


    ある番組で、ココアの健康効果はすごいと放映したため、それを真に受けた主婦たちが、バケツ一杯のココアを買ったというのですから、もう何をかいわんやです。


    栄養問題を取り上げるなら、消化機能や腸内環境などをしっかりその中心にすえた、もっと本質的な観点から論じるべきではないでしょうか。

    しかし、それは腸造血を知らなければできない相談で、それを知らないために、話がすべてピンボケになってしまうのです。


    とにかく、「あれがいい、これがいい」という単純な『足し算的発想』に終始しているわけで、まるで小学生なみの低レベルには呆れるばかりです。

    所詮は娯楽番組だからといって、済まされる問題ではありません。


    といいますのは、公共の電波に乗って流される情報が誤解を招き、それがもとで罹患する可能性さえあるからです。


    ココアと同じような現象が起こったもう一つの例がありました。


    その番組では「ザクロ」が紹介され、ザクロには女性ホルモンのエストロゲンが含まれており、更年期障害に効果があると放送されたため、これをうけた飲料各社はこぞって「ザクロジュース」などの関連商品を開発し、女性消費者が飛びつくブームとなったのです。


    ところが2002年にアメリカで、16,000人を対象に実施された大規模な臨床実験で、エストロゲンなど女性ホルモンの補充療法が、逆に乳がんの発病リスクを高めることが判明し、臨床実験は中止になりました。

    万が一、番組に煽られてザクロを大量に摂取した視聴者が乳がんになったら、いったい誰が責任を取るというのでしょう。


    さらにべつの番組では、たった2,30名にインフルエンザに対するポリフェノール効果(このときもココアでしたか?)の実験をおこなっただけで、確かに効果があったと強調しましたが、医学的な見地からすれば、実験というには200以上のサンプルが必要なのです。


    こういう無責任な内容のテレビ番組に対して、医学者などの専門家はなぜ放任しているのか、理解に苦しむところです。


    それとも専門家自身、知識が乏しいのでしょうか。



    2. アミノ酸推奨の無知と弊害

    こういった無責任情報が氾濫するなか、とくに問題ではないかと思われるのは、重要栄養素とされるアミノ酸を過大評価し、これを積極的に摂るようにと、くどいほど薦めている現状です。


    いわく、「私たちの体はすべて蛋白質でできており、そのもとの栄養素であるアミノ酸は不可欠であり、これが不足するとスタミナがなくなるなど、さまざまな健康障害を引き起こす」と。


    なるほどもっともらしい論理に聞こえますが、これははっきりいって、認識不足からくる誤った見解です。


    アミノ酸を豊富に含む食品は、いうまでもなく動物性蛋白食品です。

    そしてその代表格である肉、卵、牛乳などは腸内でとくに腐敗しやすく、腐敗するとアミン、アンモニア、フェノール、インドール、スカトール、ヒスタミン、ニトロソアミン、硫化水素などの有害物質を発生させます。

    これら有害物質は、すべてアミノ酸が材料となって生み出されるものです。

    つまり、腐敗産物の原料となっているのがアミノ酸で、そんなものが体に不可欠であったり、スタミナのもとになったりするはずがありません。

    腐敗物質が血流に乗って全身をめぐると、組織(細胞)に異常刺激を与えて炎症を起こし、それがさまざまな慢性病の原因になっていきます。


    げんに、がんをはじめとする多くの生活習慣病といわれる難病が、動物性蛋白食品を多食しはじめたころから急増していることは、誰も否定できない事実です。


    フランスの生化学者(理論物理学者でもある)ルイ・ケルブランは、ブルターニュで鶏を観察していたところ、石灰岩のない土地で石灰質の殻の卵を産むのはなぜか、大変興味を抱きました。

    よく観察してみると、土に混じって雲母が見つかったのですが、雲母の成分はアルミニウム、カリウム、珪塩酸などで、カルシウムはほとんど含まれていなかったのです。

    不思議に思って情熱的に研究を続けた結果、ついに、雲母に含まれるカリウムが水素と結合して、カルシウムに変化するということがわかりました。

    これがきっかけとなって、ケルブランは、「人間はもちろんのこと、すべての動物の体内で、『元素転換』という現象が起こっている」という驚くべき発見をしたのです。


    この現象は常温核融合と同じく、ごくわずかなエネルギーでも起こりうる核反応の一種だとされていますが、陽子や中性子より微小な超ミクロ世界を検知できない現在の科学は、こうした現象を正式には認めていません。

    しかしながら、量子力学を支持する科学者たちは、『生体内元素転換』は間違いなく起こっているといっています。


    ケルブランとその研究を日本で受け継いだ小牧久時博士は、二人そろって1975年のノーベル医学生理学賞の候補者にノミネートされたのですが、科学界の閉鎖的な体質のため、受賞は実現しませんでした。

    科学の常識を変えるほどの重大な成果であるにもかかわらず、その成果が認められなかったことは大変残念です。


    私たちの体は蛋白質でできているのに、そのもとになっているアミノ酸がなぜ有害物質を生み出すのか、このなぞを解明する手がかりとなるのが、今ご説明した『生体内元素転換理論』だったのです。


    じつはなんと、消化器官のなかで元素転換が行われているのです。

    栄養素の基本である炭水化物が、腸における造血過程をへて蛋白と脂肪に作り変えられる、つぎにそれらが全身の体細胞に蓄えられる、そのあとは生体の要求に応じてそれぞれの働きをする、肉体運動のエネルギーが必要なときは蛋白が主役を演じ、休息の指令が出るとその同じ蛋白が脂肪に"変身"する、といった生命活動がめまぐるしく起こっているのです。

    そして炭水化物から分化した蛋白は、最低限必要なアミノ酸を含み、過度の腐敗には至らない仕組みになっています。

    ただし、そのメカニズムの詳しいことはわかっていません。


    栄養成分の基本となる炭水化物、つまり食物でいうなら米、麦、とうもろこしなどの穀類や野菜を摂っていれば、必要な蛋白や脂肪は体内で十分作り出せます。

    腸内腐敗の恐れのある肉食をする必要はまったくないのです。


    難しい理論を持ち出すまでもなく、この事実を一目瞭然に示してくれるのが、大型の草食動物たちです。


    森下先生は、「牛や象などが巨大な体とバイタリティを持っているのがその証拠となろう。

    彼らは別にステーキを食っているわけではない。

    草の成分である炭水化物を、自分の腸で蛋白や脂肪に作り変えたりしているだけだ。

    蛋白や脂肪の元は炭水化物なのである」と述べておられます。


    さらに、「こういう決定的な、しかも重要な意味を持った事柄に、現代医学・栄養学は完全にほおかぶりしてしまっている。

    蛋白偏重主義は、その結果としての誤れる産物に過ぎない」とのことです。



    3. 肝炎、腎炎の真因

    現在、慢性の肝炎や腎炎が急増しています。

    なんと子供や低年齢層にまで広く蔓延しているのです。

    この憂慮すべき事態について、森下先生はつぎのように語っておられます。

    ご著書『自然医学の基礎』から、原文のまま引用させていただきます。



    「主な原因は動物性蛋白食品である。

    具合が悪いことに現代医学では逆の考え方をしていて、特に肝臓障害では、それからの立ち直りを早くするために動蛋食品が大事だから、十分に摂取せよと教えている。

    蛋白を大変消耗する臓器であるから、肝臓機能の蘇りをはかるためには、正常なとき以上に蛋白の補給をしっかり行わなければならない、という考え方だ。

    それでじっさい、患者にはどんどん肉を与えている。

    そのために肝炎はどんどん悪化していく。


    私のクリニックの近くに有名な国立の大学病院があるが、そこでも肝炎患者に肉食を多く摂らせる。

    入院患者ともなれば、それはより徹底して強制的に行われる。

    それで肝炎は一向によくならない。

    かえって見る見る悪化していって、たいていの人が最悪事態である肝硬変になってしまう。

    肝炎だってほうっておけば、自然に治るケースもある。

    それなのに、ちゃんとした治療を受けて早く治そうと考えたばっかりに、病院食を食べる羽目になり、肝硬変になってしまっているわけだ。


    そんな患者さんが、入院中に私の本を読んだ。

    それで、こんなことをしていては殺されてしまうと気づき、直ちに退院を決行し、私のクリニックへこられた。

    自然医食療法をまじめに実践して、見事肝硬変を治してしまった。

    それで、かつて入院していた病院に、元の患者仲間のお見舞いに行った。

    みんなもわけを聞きたがったので事情を話して、『このままでいたら、殺されてしまうぞ』と教えたらしい。

    それで次々に私のところへ来られるようになった、という次第だった。


    全員が肝硬変だった。

    入院時点では、みんなそれぞれ肝炎の程度は違っていたはずなのに、毎日肉を食べさせられて、みんな一様に最悪事態に陥ってしまったわけである。

    現代医学では、そんな馬鹿げた治療が行われているのだ。

    内科においては第一人者などといわれる教授の病室で、こんな現象が起こっているのだ。

    今あげたケースのみが例外というわけでは決してないのだ」

    このように、病気を治すべきはずの医者が逆に病気を悪化させたり、場合によっては患者を殺してしまうなどという事実が、現実に存在するのです。

    しかもそれが、国が一流と認める医者によっておこなわれているとは、もうあいた口が塞がりません。

    行政の怠慢とその責任は厳しく追及されるべきです。


    医療被害の原因の大半が、現代医学そのものの欠陥や、間違った医学教育にあることは歴然としているのです。

    それらの改革は、国をおいていったい誰ができるというのでしょうか。



    4. 食物繊維の神話

    食物繊維に対しては、人々は大変高い関心を抱いています。


    そのことじたい、いい傾向であることは間違いなさそうです。


    そして最近、食物繊維には、これまで考えられてきた効用のほかにも、きわめて重要な働きがあることがわかったのです。


    今までの一般的な知識といえば、せいぜい、「食物繊維はがんを予防してくれる、腸の汚れや老廃物を取り除いてくれる」、くらいなものでした。


    そもそも食物繊維はなぜもてはやされるようになったのか、そのいきさつをたどることで、食物繊維の新しい知識が得られると思います。


    ロンドンにあるセント・トーマス病院の上級研究員デニス・バーキット博士は、イギリスやアメリカなどの文明国と比べると、アフリカなどの未開発国ではがんの発生率が極めて少ないことに注目し、両者の食生活を長年にわたって調査していました。


    その結果、食物繊維の摂取量に大きな違いがあることに気づいたのです。

    このことから博士は、食物繊維はがんの予防に卓効があると確信しました。


    そして博士がこの意見を携えて1982年に来日したとき、日本の学会やマスコミが大騒ぎしたため、あっという間に『ダイエッタリー・ファイバー』フィーバーが日本中に広まったのです。


    しかしバーキット博士の主張は、それより2,30年も前に、森下先生が指摘し、力説していた内容とほぼ同じものだったのです。

    そればかりか、じつはがん問題にかんしては、森下先生のほうがはるかに進んだ研究をおこなっておられました。

    そして、「食物繊維の摂取量を増やすだけでは、がん問題は決して解決できない、肉、卵、牛乳などの摂りすぎこそが発ガンの最大の原因であるから、がんを予防するためには穀物を主食とし、野菜を副食とする"穀菜食"に切り替えなければならない」と叫んでおられたのです。


    ところが日本の学会やマスコミは、当時、この森下理論に見向きもしませんでした。

    それなのに、外国の学者が日本にきて同じような主張をすると大騒ぎする、こういう日本の風潮を「嘆かわしい」と批判され、そういう風潮を改めるよう学会に訴えておられます。


    私は、こういったいきさつの裏には、行政や学会のしたたかな思惑が介入したのでは、という疑問をもっています。

    自分たちの都合のいいように情報操作するためには、国内の学者(とくに森下先生のような現代医学の異端児)に本当のことをいわれ、それを認めると、のちに都合が悪くなることをちゃんと計算しているのです。

    外国の学者がいったことは、あとからどうにでも脚色して、適当にごまかせると考えたことは容易に推察できます。

    それとも、森下説がすでに存在していたことを知らなかったのでしょうか。


    さて、森下先生のご研究によりますと、食物繊維の真の効用は、腸内の老廃物をその網の目で引っ掛けて体外に排泄するという機械的な作用だけではなく、腸内環境を整えるのに不可欠の、腸内細菌の繁殖を促すのに大きな寄与をしている、ということが明らかにされました。


    さらにもう一つ、食物繊維にかんする注目すべき先生の研究結果があります。


    多くの栄養学の専門家が、日本人はとかくカルシウムが不足しがちで、高齢者に多い骨粗しょう症はそれが原因であるといい、カルシウム不足を解消するために、牛乳をもっと飲むよう薦めていることは周知のとおりです。


    栄養学者だけではなく、医者までもが牛乳の効用をさかんに強調しているのです。

    これに対し先生は、「認識不足である」と批判されています。

    それは、つぎのような理由によるものだそうです。



    「牛乳は大変危険な食品だ。

    そもそも人間以外の動物の蛋白質が人体に入ると、拒絶反応が起こり、それがさまざまなアレルギー症状を引き起こす。

    牛乳の成分の大部分は人体に不要なカゼインで、ミネラルの組成も人体に適していない。

    とくに乳幼児には、その弊害がもろに出る。

    すなわち水分、電解質代謝の混乱を招いて、水ぶくれ状態になったり、歯や骨がもろくなる。

    加えて、ウルトラプロセス法という高熱殺菌処理によって、蛋白質変性が起き、乳糖はもはや乳酸菌を繁殖させる力を失っている。

    さらに牛乳には、BHCという農薬や抗生物質も含まれている。

    BHCは脳、肝臓、腎臓などに残留して排泄されにくく、慢性中毒を起こすのである」

    ようするに先生は、こういう危険な牛乳は避けたほうがいい、と警告されているのです。

    そしてもっと安全で、本当の意味でのカルシウム補給になるのが、じつは食物繊維だったというわけです。


    その根拠とされている部分を、さらに引用させていただきます。



    「食物繊維を構成している珪素という元素は、動物の体の硬組織を形成する上で、主要な役回りを果たしていると考えられる。

    カルシウムやりんが動物の骨格を形成する材料となっているのと同様に、珪素は植物の骨格とも言うべき食物繊維の主要構成材料になっている。


    巨視的に見て、動物は植物によって生かされている存在であるから、食物繊維が動物の硬組織を構成する要素になっていることは、ごく自然な発想であるはずだ。

    私は臨床結果や、さまざまな実験によって得られたデータから、動物の体内で、珪素がカルシウムに転換していると確信せざるをえない。

    したがって、骨粗しょう症の治療や、成長期の子供を骨太にするためには、植物性食品をしっかりとることが最善の対策となろう」

    これを見て、私はわが目を疑いました。

    なんと森下先生も、先のケルブランと同じ視点で人体の生理機能を観察、研究されているのです。


    改めて世の栄養学者や医者の不勉強ぶりを知るとともに、本当に価値のある情報をもっと広める必要性を痛感しました。


    しかしえてして、そういった目的の前には、大きな壁が立ちはだかっています。


    ご存知かどうかわかりませんが、国や医学界、医薬品メーカーや食品メーカーをめぐってはさまざまな利害関係が複雑に絡み合い、政治的な意図が暗躍していることは公然の秘密だといわれています。

    食品業界の代表や、その息のかかった人たちからの資金供与をめぐって、不正な取引が日常茶飯事のようにおこなわれているのです。

    その結果、健康に支障のある食品の製造・販売を黙認したり、その規制を緩和したり、あるいは情報操作によって、正確なデータやまともな理論が国民に伝わらないようにするなどの裏事情があり、問題の解決は容易ではありません。


    新薬の臨床試験にかんしてもいい加減な使用量、データの改変や捏造、ダンピングなどがおこなわれていることは、新聞でもたびたび報道されています。


    さらに、医者が製薬会社に雇われて、新薬の許可承認の基準に合格する研究報告をしたり、助成金を獲得することだけを目的にインチキな報告を作成する、そんな場合、研究に携わる医者は互いに馴れ合いの関係にあるから、同僚がまやかしの実験をし、インチキな研究報告を書き、無責任な分析をやっても見て見ぬ振りをする、このような慣行は医学会の常識であるとさえいわれているのです。

     ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

    最後の方の医者の薬知らず・・・について

     

    「医者はもちろんだが、ほとんどのひとが薬のことを知らない」

    等というと・・・!!

     

    「悪の製薬」という本を読んでみてくださいね。

    だれも「製薬企業以外」のひとは、知らないのですよ。

    なぜ?

    全部を知らせない   ← ただ、それだけのこと。

     

    戦時中の大本営発表とか、北朝鮮の状況とまったく同じこと。

     

     

    愚利己のおまけ


    森下敬一博士のスキー術


    0 0

    最終更新日  2004年

    ですから、12年前の魚拓となります。

     

    医学は宗教である。

    とは、ロバート・メンデルソン医博が書いていますが・・・・

    トコトン信じちゃったんだなあ~~   (ワシ;9

     

    でも、それが解けたとき

    本当の本当が見えてくる

    あらら・・・

     音声もあるでよ♪

    web魚拓  6殺す医学から生かす医学へ.mp3 2016年5月13日 web魚拓  5生体内元素転換理論.mp3 2016年5月13日 web魚拓4「自家生産される病原体」より 2016年5月5日 web魚拓3「医療ミスの必然的要因」より 2016年5月5日 web魚拓2 「凶器と化した薬」より 2016年5月2日 webギョ拓1 「驚くべき医者の無知」より

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


    6.殺す医学から生かす医学へ

    1. 人体はロボットではない

    医療現場の実態や、治療例の調査結果を伝える報道に接するたびに、がんを代表とする多くの難病にたいし、現代医学がなんら有効な手立てを持たないことを痛感させられます。

    たとえばがん治療については、「マンモグラフィーなどの検査で早期発見すれば完治できる」、「がん細胞だけを狙って集中攻撃できるハーセプチン、イレッサなどの化学療法や、ライナック、ガンマナイフなどの放射線療法がある」、「遺伝子の解明によってがん細胞の発生を阻止することが可能になる」など、医学の進歩をさかんに強調した、希望的な観測ばかりをマスメディアで喧伝していますが、それらはすべて幻想か錯覚にしかすぎません。


    医療の現実は、けっしてそんな楽観的なものではないのです。

    むしろその結末の多くは、体に物理的な攻撃を仕掛けたために命ぎりぎりの多大な心身の犠牲を強いたあげく、ほとんど短期的にその命さえも奪ってしまうという冷酷なものです。


    「何らかの原因によって、正常な細胞が突然変異を起こす」とみずから定義づけているように、現代医学は、がん細胞発生の原因は不明であると告白しているのです。

    また生命現象も含めて、自然界の現象はすべて必然変異であり、そこには必ず因果関係が存在するはずです。

    医学研究に『突然変異』などという概念を持ち込むことじたい、もはや責任を放棄してしまっているとしかいいようがありません。


    万策尽きた結果、攻撃的な治療法によって一時的に症状を消すことはできても、原因がわからなければ再発や転移を阻止することはできないのです。

    おまけにその間、患者は薬剤の副作用や手術の後遺症に苦しみ、悩まされることになります。


    こうして精神力も免疫も低下してしまい、現代医学を批判する少数派の医者が指摘するように、まさに「医療を受けたためにかえって病気が悪化する」のです。


    また、遺伝子を人工的に操作することは未知の危険をはらんでいます。

    細胞はそれぞれが単独で機能を果たしているのではなく、血液、ホルモン、酵素、神経伝達物質などが全身で脈動し、総合的に作用しあって恒常性を維持しています。


    そしてそれを取り仕切っているのがDNAです。

    さらにDNAは、個々の細胞のなかだけではなく、一つの大きな分子として、体全体をコーディネートする役目も果たしているのです。


    そのようなDNAの働きを無視して、ウイルスベクターや人工ベクターを挿入するなど、必ず不都合なことが起こる可能性を考えないのでしょうか。

    こういった部分的な操作は、精妙な連携システムを混乱させたり、遮断したりし、人体をまるで壊れたロボットのような状態にしてしまうのです。

    ロボットならいくらでも修復できますし、完全に元通りにすることもできるでしょう。

    しかし、人体はそうはいきません。

    げんに遺伝子治療を試みたあと、薬の副作用に相当する結果が生じているのです。


    科学では検知不可能の、超ミクロ現象を全身で演出しているDNAに不用意な手をくわえると、全体機能が狂うのは当然です。


    明らかな一例としては、ドーパミンなどの脳内化学物質の生成がアンバランスになったり、指令中枢を担うニューロンの混乱をきたして躁や鬱、見当識障害などが誘発されることがすでにわかっています。


    生命の仕組みというものは、どこまで細分割しても人知の及ばない領域です。

    それを承知で遺伝子操作などをやっているとすれば、科学も医学も、「無知で傲慢である」といわれて、返す言葉があるのでしょうか。



    2. DNAの驚異

    科学はたしかにDNAを捉えています。

    しかし、それは物質レベルでのDNAの姿にほかなりません。


    遺伝物質の鎖は糖やアミンなどの単純な分子に分けられ、その分子はさらに炭素、水素、酸素などの原子に分けることができます。

    しかしそれをさらに原子からもっと細かく陽子、中性子などの素粒子に分け始めると、物質はときに粒子として、ときに波動としての姿を現わしはじめます。

    しかし、同時に両方の姿を見せることは絶対にありません(量子実験で立証済み)。

    この瞬間、物質は粒子なのか、それとも波動なのか、科学では決着がつけられない、したがってその正体を掴むことができないという大問題が行く手を阻むことになります。

     これは技術的な問題ではなく、『観測者効果』(実在性は観測者の行為に依存する)と呼ばれる宿命的な壁が存在するためで、人知ではいかんともしがたいものです。


    細胞のど真ん中に陣取るDNAは、人体というステージで演じられる現象のすべてを取り仕切っています。

    それは、みずからの一部を紡ぎ出し、神経ペプチド、ホルモン、酵素となって全身をかけめぐり、同時に自分の別の分身をレセプターとして細胞壁に作り、それをアンテナにしてさまざまな情報を処理するという、とんでもない離れ業をやってのけるです。


    物質レベルの水素や炭素などが、そのような働きをするのではありません。

    それらはDNAの組み合わせのなかでは、単に存在しているにすぎません。


    最も新しい研究によれば、じつは、DNAが最初に作られたときに、波動エネルギーが粒子に変わり(これをクオンタムリープという→量子飛躍)、それらがDNAに組み込まれ、今述べたような驚異的な働きをする、ということがわかっています。


    そしてDNAのタイムテーブルに乗って、人間では70年以上も続くわけです。

    ブリスルコーンという松の一種では、なんと2,000年もDNAの活動が続くことが知られています。


    自然の英知は時間と空間を超越し、こうして自然界のすべての生命を成り立たせているのです。

    このような生命現象の神秘が解明できない科学は、物理学者が『特異点』と呼ぶ境界線上で立ち往生しています。

    特異点とは、物質が波動になったり、波動が物質に変わる根源的な分岐点のことです。


    科学と同様、ここで壁につき当たった医学は、やむをえず物質レベルの研究や治療法に甘んじるほかなく、それでもなお分割的なものの考え方に明け暮れているというわけです。


    このことは、医学研究の専門分化や医者の分業化によく表れています。

    この傾向が進むと、文字通り「木を見て森を見ず」になるのですが、困ったことにこれを医学の進歩だと錯覚しているのです。

    じっさいはそうではなく、DNAの神秘的な働きも含め、病気発生の根本原理からますます遠ざかっているにすぎません。


    まず内科と外科があります。

    外科は怪我が対象ですから、怪我をした体の部分ごとに分かれるのは仕方ないでしょう。

    しかし、内科をいくつもの科目に分けるなど、ちょっと考えればいかに馬鹿げているか、子供でもわかるのではないでしょうか。

    内科は呼吸器、泌尿器、消化器、循環器、内分泌など20ぐらいの科目に分けられ、さらに病気を臓器別に見ると、胃腸科、心臓科、腎臓科、肝臓科などと細分化していきます。

    また、血液科とか神経内科といった分け方もあります。

    これが医療の現場で何を意味するのか、もうおわかりでしょう。

    医者は専門バカになっており、患者の症状の訴えでは、その原因がわかるはずがないわけです。


    医者や病院を選ぶとき、よく、「あの病院には内科の大家がいるそうだ」というような噂をあてにする人がいますが、その人が大学病院の教授であれ、医者であれ、内科全般に精通しているわけではありません。

    医局講座制や研修医制度の欠陥についてすでにおわかりのように、いくら優秀な医学者、医者であっても、得意科目はふつう一つか二つです。

    まして病気の本質を熟知している専門家など、日本中でも数人いるかいないかという現状であり、そんな人に出会えるのは宝くじに当たる確率より低いかもしれません。

    「医者は病気のことは何でも知っているだろう」という安易な思い込みが、すべてのトラブルの発端です。

    つまり科目の間をたらい回しにされ、結局原因がわからず、不要な検査や薬剤投与がおこなわれ、病気が悪化していく、そこへ患者軽視や利益優先の方針が入ると、もっとも危険な手術もあえておこなう、これが臨床現場の実態なのです。


    このような事情から、今話題の遺伝子治療も含め、現代医学の治療手段である薬、放射線、手術は、いずれも人体を切り刻む恐怖の武器そのものになってしまったのです。

    現代医学を『死の医学』、『殺人医学』と酷評する人がいますが、その意味では核心をついているのではないでしょうか。

    医学知識の大半が死体剖検や、組織や細胞、血液や尿などの体の副産物を切り離し、分析して得られらたものであり、生きている体については皮相的な知識しかもたないことに、あらためて背筋が寒くなる思いです。



    3. 新しい医学の試み

    さて、第一章で述べたとおり、量子力学は主流科学としては確立するまでにいたっていません。


    しかし一方、私たちの日常生活に目を転じると、量子理論を応用、実用化したものが目白押しであることに気づかされます。

    家電製品、オフィス機器、自動車、新幹線など、その中枢部はマイコンチップ、つまりエザキダイオードの『トンネル効果』をテクノロジー化したもので、私たちは今、まさに量子力学百花繚乱の時代に生きているといえます。


    また理論分野においても、『ホログラフィー理論』、『フラクタル構造理論』、『意識工学』、『サイ科学』などが一般に知られるようになり、科学だけではなく、医学、心理学、宗教などのなかにも、量子力学的な考え方や世界観が随所に見られるようになりました。


    とくに医学の新しい分野として、『代替医療』、『心身医学』、『ホメオパシー医学』、『ホリスティック医学』、『クオンタム・ヒーリング(量子治療)』などの台頭が注目されています。


    これらの新しい医学に共通する考え方は、「生命の尊厳を最重要視する、人間をあらゆる要素の統合体とみなし、それらを分割するのではなく、全体と部分の相互浸透性を探求するべきである」、というものです。


    そのような理念のもと、部分にとらわれ全体の犠牲を考えない医療手段、つまり薬や放射線の使用、外科手術などを行わないことを鉄則としています。

    それらに替わり、施療内容はマクロビオテック(玄米正食などの自然健康食療法)、カイロプラクティック、鍼灸、温熱、バイオフィードバック(精神的、心理的、肉体的生理機能調節)など広範囲におよび、臨床実験も世界的な規模で行われ始めています。


    しかし、これらはもともと、世界各地で数千年も前から民間療法や伝承医学のなかにあったもので、相性の悪さがゆえに、これまで科学的な考察がなされなかっただけなのです。


    それが近年になってようやく、西洋医学の限界や欠陥に気づき始め、温故知新で見直されることになったというわけです。


    日本における医療機関としては、現時点では数えるほどしかありませんが(それぞれのセンター支部、クリニックは主な地域で広がりつつある)、なんといっても安全であることが最大の利点であり、しかも著しい治癒効果を挙げていることが伝えられています。


    時代の要求に応じて登場してきたこれらの革命的な(というより原点回帰的といったほうがいいのでしょうか?)医療や医学も、体制や西洋医学による抵抗を考えると、普及への道程には厳しいものがあります。


    しかしながら、これら「統合して生かす」医学こそ、私たちが本当に求めている理想的な医学であり、それらの一日でも早い確立は誰しも願うところです。

    また、一世紀にもわたって欠陥医学を是認してきた医療行政の転換を促すためにも、私たち自身の積極的な関心と意識改革は、欠かすことのできない条件であると思います。

    この点につきまして、ぜひ皆様の率直なご意見をお待ちしております。



    4. 現代医学は宗教か?

    私たちは今の医療、つまり現代医学による医療に対して、大変な思い違いをしているようです。


    たいていの人は依然として、「医療は確実に進歩している。

    その最先端の知識や技術を駆使できる医者なら、病気は必ず治せるし、健康も改善してくれる。

    病院に行けば、ハイテク機器で病巣や病気の予兆を突き止められ、病気を予防することができる。

    だから医者や病院に頼るのは当然であり、自分自身ではどうすることもできないだろう」と思い込んでいるのではないでしょうか。


    しかしながら、これはほとんど根拠のない、事実に反する妄想にすぎないことが、上記のような新しい医療、医学を提唱する著名な医学者によって明らかにされつつあります。


    注目すべきは、それらの医学者が、西洋医学の権威的存在であるにもかかわらず、「現行医療は危険そのものである」と、みずから率直に告白していることです。

    そのために、当然のことながら医学界から異端視され、中傷や誹謗の的にされ、その社会的、職業的地位さえ脅かされています。


    ふつうの人間なら命にかけても死守したいものを犠牲にして、真実を訴えつづけるこれら医学者の真摯な声に、私たちは無関心であってはならないと思います。


    非難や妨害に敢然と立ち向かい、アメリカ医学界の改革に多大な貢献をし、全米健康連盟(NHF)の会長も勤めたイリノイ州立大学医学部教授のロバート・メンデルソン博士は、その著書『医者が患者をだますとき』のなかで、次のように述べています。

    抜粋、要約してご紹介します。



    現代医学は宗教と化してしまった。

    人々は医療を盲目的に過信し、これを崇拝している。

    医療が自分たちの命を救ってくれる唯一の神だとさえ、勘違いしているのだ。

    じつは、医療の当事者である医者、彼らこそが人々の健康をおびやかしている最も危険な存在である。

    現代医学による治療は効果がないことが多い。

    というより、当の病気よりも治療のほうがはるかに危険だ。

    医者、病院、薬、医療機器など、現代医学を構成するこれらの9割がこの世から消えてなくなれば、現代人の体調はたちどころによくなる、これが私の確信である。


    一例をあげよう。

    世界でも有数とされる心臓病治療センターであるクリーブランド病院の"すばらしい"治療現場が報道された。

    臨床検査、心電図、CT、レントゲン検査、開胸手術の総数など、世界的な実績を誇ってはいるが、いずれの処置も健康の維持、または改善ができるかどうかという裏づけがないものばかりだ。

    また、この『医療興行記録』によって救われた患者がいるのかという点については、何も明らかにされていない。


    なぜか、それは病院というものが『医療工場』に成り果ててしまっており、しかもそこでは健康など生み出されてはいないからだ。

    この工場では、患者は健康を改善しにきた人間とはみなされない。

    患者は医療工場の経営を改善するための材料とみなされるだけである。


    妊婦は病院へ行ってはいけない。

    病人として扱われるだけだからだ。

    医者にとって妊娠・出産は、10ヶ月に及ぶ病気であって、妊婦とは患者でしかない。

    点滴装置と分娩監視装置の装着、各種薬物の投与ばかりか、必要もない会陰切開と称する治療を押しつけられ、あげくの果てに医療工場の極めつきの商品が待ちかまえている。

    帝王切開である。


    風邪を引いても医者には行くべきではない。

    医者はたいてい抗生物質を投与するが、抗生物質は風邪やインフルエンザにはほとんど効かず、それどころか、薬が原因で風邪をこじらせてしまい、病状がさらに悪化する。


    新生児が母乳を飲まず、育児書どおりに体重が増えないからといって、医者のいうままにする必要などない。

    医者は母乳の自然な分泌を抑える働きのある薬(乳汁分泌抑制作用)を母親に飲ませるかもしれない。

    母乳が出にくい体質に変えられてしまった母親は、空腹の赤ん坊をミルクで育てるように指示される。

    これは危険なことである。


    健康診断は意味のない宗教行事である。

    受付で無作法に扱われ、医者に近寄って緊張すれば、患者の血圧も平常ではいられない。

    血圧を下げるために降圧剤を処方され、しかもそれを大量に買わされる羽目になる。

    こうして性生活にピリオドを打つ人が増えていく。

    インポテンツは心理的な原因よりも、むしろこうした降圧剤などの薬の副作用によるものが多いのだ。


    年をとり、人生の最期を病院で迎えなければならないのは不幸なことである。

    医者は、「一日に500ドルも入院費を払えば、最新の医療機器が完備した病室で、医療スタッフがあなたの最期の言葉を聞いてくれるから安心しなさい」、という。

    だが医療スタッフというのは、つまるところ家族に代わって高齢者の最期を看取る賃金労働者に他ならない。

    誰でも自分の死に際に、赤の他人に言い残したいことなどあるはずがない。

    最期の言葉とは、心電図モニターが発する信号音くらいなものだろう。


    医者は、健康や医療に関しては、人々は無知だと決めつける。

    そしてそれを逆用して、医学理論で恐怖を煽りたてる。

    人は怖いことがあると、避ける、無視する、逃げる、たいしたことではないと無理に思い込もうとする。

    その結果、誰か適当な人を見つけて心配してもらおうとする。

    こうして、結局は医者が主導権を握ることになる。

    患者が医者にそうさせてしまうのだ。

    しかしじっさいには、医者は患者が怖いのだ。

    なぜかというと、医者と患者の関係は、知識ではなく、信頼に基づいているからである。


    薬の副作用について説明を求められると、医者は、もし正直に説明すれば、医者と患者の関係が損なわれてしまうと思っているから、口が裂けても本当のことはいわない。

    薬だけではなく、医療のうち少なくとも9割は不必要なものであり、そのなかには人を死に至らしめる危険性すらある、という事実は常に存在する。


    人々が本当にこれを知ったなら、医療は即崩壊する。

    現代医学は患者の信頼がなければ存在できないのである。

    それは、病気を癒す医術や科学ではなく、一種の宗教だからである。

    こうして現代人は、人間の生き方を方向づけて管理する力にすがろうとして、現代医学教に年間数千億ドルにも及ぶ巨額の『お布施』を献上していることになる。

    医療費と呼ばれるこの莫大なお布施は、本当は何か別の目的に使われる性質のものではないだろうか。


    現代医学教の呪縛から抜け出すには、医者に、「それはなぜか」と質問することだ。

    もしこれに対して、「医者を信頼していればいい」という返事が返ってきたら、そのときこそ、医者が危険な治療を行おうとする瞬間であるから、一刻も早く医者から逃げ出すことである。

    ただ、医者から逃げおおせる人はほとんどいない。

    たいていの人が医者に屈服する。

    人は、医者がまとう呪術師の仮面と、その奥に潜む未知なる雰囲気に恐れおののき、自分の体に今起こっていること、これから起こりうることに底知れぬ不安を抱かされる。

    そしてついには、医者の巧みな説明に畏敬の念をこめて、あえなく同意してしまうのである。


    だが、医者と称する呪術師の思うがままに操られてはいけない。

    現代医学の呪縛から自らを解放することは可能であり、そのほうがずっと身のためである。

    少なくとも、医者に殺されることだけはないからだ。

    診察室や診療所、病院などに、準備のないまま近づくことほど危険なことはない。

    準備とは生命保険に入ることではない。

    医者に出会って生還を果たすために、必要な知識や要領、駆け引きを身につけなさい、ということだ。


    まず、医者を知ることである。

    現代医学が宗教であることがわかれば、より効果的に自分を守ることができる。

    もちろん、現代医学はみずからを宗教とはぜったいに呼ばない。

    病院という宮殿にしても、宗教に捧げるためのものではなく、人を癒す医術、または科学のためのものであるかのように常に偽装している。

    それは国が加担しての、巧妙で壮大な偽装である。

    宗教というのはすべてそうだが、現代医学教の場合は信仰に依存している度合いがきわめて高く、人々がたった一日でも信仰を忘れてしまうと、医療制度全体が崩壊してしまうほどである。

    それは、次の三つの疑問について考えてみれば、すぐに理解できるだろう。



        ほかの状況であれば、当然疑うべきはずの行為でも、それが医療行為であるというだけで公然とまかり通っている。

    それは一体なぜか。


        手術についてほとんど理解していないのに、患者は麻酔で眠らされ、自分の体を刃物で切り裂かれることに同意している。

    それは一体なぜか。


        人々は、薬の成分である化学物質にどういう作用があるかほとんど知らないのに、毎年総量何千トンにもおよぶ薬が消費されている。

    それは一体なぜか。



    なぜなのか? それは、人々が現代医学教を信仰してやまないからである。

     ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    まさか! まさかの坂があったとは・・・

     

    現代医学の魔坂は急坂なので、滑り落ちたらあっという間に

    それでもまだしがみついている(苦笑

     

     

     

     

     

     


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  • 05/13/16--23:41: okada s11
  • okada s11


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    後でよく見るつもりですが、いまタマ玉たどり着いた動画です。

     

    股股、akyooonの感がありました(嗤い)

     

    中宮寺の弥勒菩薩像は数年前に新潟県に来られました。
    この行き先には話がありますがまた後で。

    とりあえずはお薦め動画になるかと思います。(自分がまだよく見ていないのに~)

     

    1853 Shotoku taishi as Mithras聖徳太子=ミトラ神説+聖徳太子の実像by はやし浩司Hiroshi Hayashi, Japan


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    IE5.5以上は縦書き表示→ブラウザの文字の大きさを変えるとちょうど良く見る事ができます  ※画面移動は下のスライダーを
    アーサー・コナンドイル
         の霊界からのスーパーメッセージ
      コナン。ドイル・人類へのスーパーメッセージ
    1994年11月22日 第1刷発行    編 者-アイヴァン・クック    
    訳 者一大内博   発行所一株式会社講談社
     その四
     これまで、伝染病を除いて、すべての人間に共通した病気について述べてきました。多くの病気は前意識にその源を発してい るということから考えてみると、なんの原因も理由もなく、伝染病がまるで野火のように、あっというまに広がっていくというのは理解しがたいかもしれませ ん。しかし、この場合でも、相当多くの人々は伝染病に羅患しません。クリスチャンサイエンスを実行している人々はその一例です。つまり、人間の意識的な心 は、このような問題に関しても、ある程度のコントロールができることを実証しているのです。

     クリスチャンサイエンティストが守っているのは自分自身の精神の活動だけではありません。伝染病にかかるという特定の体験をする必要がないところまで彼らは進化しているのです。伝染病にかかる人々は、この体験をする機が熟した人々であり、それによって教訓を学ぶことになっている人々だとも考えられます。

     これに同意する人は、ほとんどいないかもしれません。そしてこう聞くでしょう。「なぜ幼い子供が伝染病にかからなければならないのでしょうか。子供は純真無垢なのに、どうして守られないのでしょうか」

     どんな肉体の病気であっても、その背後に横たわっている原因を明らかにしようとすれば、広い領域を扱わなければなりません。ここで再び繰り返しますが、子供たちは、病気や苦しみ、あるいは健康や幸せ、その他もろもろの、人間生活を構成し、かつ人格の形成に資する人生の浮き沈みを体験する覚悟をして、この世に生まれてくるのです。

     しかし、伝染病は必要悪ではありません。そのうち、霊の法則がよく理解されるようになるにつれて、伝染病はなくなるでしょう。現在でも、 どうすれば自分を守れるかということをわかっていれば、伝染病にかかる必要はないのです。意識的な心、 および無意識の心によって支配されている肉体の細 胞の生命が、伝染病の侵入を許しているとも言えるのです。もしも意識的かつ無意識的な思考の活動によって十分な抵抗をするならば、肉体の細胞は伝染病を退 けることができるのです。

     したがって、子供は初めから、正しいものの考え方の訓練を受ける必要があります。子供の教育は七歳から始めるのではなく、生まれたときから始める必要があります。親 も看護婦も、幼児はまわりの環境から、両親や看護喝親戚の人々、友達が漂わす雰囲気から、良い考えであれ、悪い考えであれ、吸収するのです。肯定的な思い を与えられた子供は健康の息吹を与えられたのであり、肉体的にも、精神的にあ、霊的にも、生き生きと元気よくなり、あらゆる原因による病気に対して抵抗力 をもつことでしょう。

     子供の健康と幸福についての真実は、徐々に理解されるでしょう。まもなく、人類は自分の任されている幼い魂への責任に目覚め、この目覚めを通して、地球全体への責任に目覚めることでしょう。


     人間の肉体のリズムの乱れ、ないしは波動の乱れについて申し上げました。これは、早死にの原因になることもあります。リズムの乱れというこの法 則は、人間の家族や、一人一人の人間、または集合的に人類全体、世界全体にもあてはめることができます。この間題についてはじっくり考えてみましょう。こ れは途方もなく重要な問題です。このリズムの乱れ、調和の破壊は、心の病、道徳的な伝染病をもたらし、ひいては、世界全体の幸せに影響を及ぼすのではないでしょうか。

     それは間違いのないことです。実際すでに起きつつあるのです。一九三二年の今、世界は病み、ほとんど死にかけています。人類を救うことが できる偉大な霊界のマスターたちの力の存在を知らなければ、人類の生存に関して絶望してしまうかもしれません。現在最も必要とされているのは、民族の癒し であり、世界の国々の癒しです。それが実現しますように、と神に祈るばかりです。


    10宇宙的な同胞愛

     「すべての良きものの創造者であるあなた、常に存在し、常に愛に満ち、常に叡智に満ち、力に溢 れたあなた、私たちはあなたの御前にやってまいりまし た。あなたから送られてくる光が、私たちひとりひとりの魂にしみとおりますように。あなたの美しい光が、私たちの心を照らし出し、あなたの偉大な力で、私 たちを愛情に満ちたあなたの腕に抱いてくださいますように、そして、私たちがあなたと一体になることができますように。
     私たちのこの仕事に、どうぞ祝福を与えてくださいますように。あなたが地球の人々のもとに送るよう命じられた光の上に、疑いや恐れの影がさすことのありませんように」


    巨大な愛の心のなかで

     人々と国々のあいだの同胞愛の必要性をここで再び強調したいと思います。というのは、人類全体が進化のスピードをあげ、すべての生命を常に支えて いる宇宙的な霊の力の中で人類全体が息づき、活動し、存在しているのだということを理解して初めて、人類は滅亡から自分自身を救うことができるのですか ら。

     希望を失わないでください。人生における価値観がー八〇度転換する日がくることは確かです。人生の状況も、それに応じて変わればよいのですが。人 類は今、非常な苦しみと窮乏を経験しようとしています。それは、人間の命を真に生かしてくれる、より大きな真実を探求するためです。


     この単純な真実を語ることは、なんとも簡単なことのように思われます。この真実は、至るところに、あらゆるものの中に存在しているのですから。しかし、 世俗的な心にとって、この真実を見てとるのは、なんと複雑で難しいことでしょうか。にもかかわらず、霊界にいる私たちは皆、ついにこの真実を理解するに至 り、宇宙の同胞愛を感謝の気持ちで信頼し、その愛を分かち合い、一緒に安らかに生活しているのです。


     同胞愛以外の生き方などというものは、世界が歩むべき道の選択肢として開かれてはいないのです。現在、世界の国々は疑惑と恐怖心の中で存 在しています。誰も譲ろうとせず、お互いを恐れています。ビジネスの世界では、一人一人が自分の分け前を確保しようとして、同胞と戦っています。このよう な生き方は、人間をどこに導いていくのでしょうか。安定でもなければ、永続的な繁栄でもないことは確かです。それどころか、文明がこれまで一生懸命築きあ げてきたものすべての崩壊につながることでしょう。


     気を取り直して勇気を出しましょう。いつの日か、人類の心が高貴なる気高さを達成するときがやってきます。人間の心を高みに引き上げてくれる、真 の同胞愛のヴィジョンに目覚めるときがやってきます。そのとき、人間は悟るはずです。すべての命、自分自身の命も他のすべての人々の命も、一つの巨大な愛 の心のなかに存在するのだということを。

    そして、自分の肉体としての生命は、その巨大な愛の心で息づいているのだと悟ることでしょう。そのとき、自らを傷つけることなく他人を傷つけることは不可能であると知るでしょう。人を憎み、戦うべく戦争に行くというのは自分自身との戦いに赴くことにほかならないのですから。他人を殺すことは、殺人者にとって霊的な死にほかならないのです。〝剣を抜くものは剣によって死す″とは、このような意味です。


     これからやってくる新しい人間は、自分の呼吸一息一息が、心に抱く思いの一つ一つが、世界全体に影響を及ぼすことを知るでしょう。神の宇宙にあっては、 究極的には死はけっして君臨することなく、人間がひとたび本来の自分を理解し、神を理解するならば、天においても地上においても、死という現実はありえな いと理解するでしょう。

     新しき人間にとって、初めも終りも存在しないのです。なんとなれば、新しき人間は、生命は終わることのない〝周期″であり、この周期は常に進化し、常に 回転し、すべての人間の魂を周期の腕の中に永遠に抱擁してくれている、と理解するからです。もしひとりの人が一つの法則を破るならば、神の定めた一つの真 実を犯すならば、すべての人間の幸福を脅かすことになるのです。

     世界がこのような救済を体験する前に、難難辛苦を通して同胞との魂の絆の結合をはからなければなりません。現在あなた方の地球には、物質主義によってもたらされた大きな破壊が進行しているのが見えます。これは死にほかなりません。物質主義による死にほかなりません。そして、ついでにいえば、物質主義そのものの死の始まりでもあります。

     物質主義はそう簡単には死にません。かくて苦しみが訪れることになります。人間が物質の富の神をかくも長くかつ絶えず崇拝してきたのですから、これはし かたのないことです。人類が非常な苦痛を体験した後に訪れる新たなる始まり、霊的な悟りと理解が達成された、光に満ちた新しい時代の到来が、私たちには見 えます。やがて人間の共同体における生活の霊的な基盤が確立されるでしょう。すべての芸術、文化、科学、国政、宗教の活動において、人間は天界の叡智に よってインスピレーションを与えられ、導きを与えられることでしょう。


     私たちが今話している宇宙的な同胞愛について語るべきことはたくさんあります。悲しいことに、ほとんどの人はこの言葉の本当の意味を理解することができ ません。それは、たいていの人は、子供のときから他人を犠牲にして、隣人を破滅させてでも、自分自身のために戦い、自分を主張するように、と教えられてき たからです。

     人間は、人生の目的は自己の個人的な利益の追求にほかならないという、誤った信念をもち続けてきました。人生において成功をおさめ、兄弟に打ち勝ちたいと望むなら、どのような犠牲を払ってでも、他人よりも優れた人にならなければなりません。
    このような生き方は、あらゆる点で、同胞愛という宇宙の法則に対して罪を犯すことになります。
    自分自身のためだけの利益を追求する人は、すべての霊的な法則を破ることになります。人類全体が同じような生き方を選択し続ければ、結果は病める肉体、病める、里∵混沌と戦争しかありません。

     真に偉大な人間とは、自分自身の欲望を追求する代わりに、無限にして永遠の力に身を任せる人です。それぞれの人間の魂は、本来の自己を見いだすために自己を失わなければなりません。自分の力によって力と達成がやってくるという誤った考えをもっている間は、神を見いだすことはできません。

     人間の魂が上昇し、自己中心主義のもったいぶった衣を脱ぎ捨てるとき、最も難しい試験に合格しなければなりません。自己という概念をすべて脱ぎ捨てなけ ればならないのです。そのとき、魂は真っ暗闇の、一見破滅そのものにしか見えない深淵に直面するのです。気がくじけそうになる魂を支えてくれるのは、ただ 一つの希望です。それは身をまかせ、降伏し、すべてを捨て、自我のすべての残浄を犠牲にすれば、神という名で呼ばれる、無限にして永遠の愛と一体になれる という希望です。

     このような降伏はけっして自己の消滅ではありません。自己の拡大です。というのは、人間の魂がその地点にまで到達すると、神への愛は圧倒的なものとな り、願うことはただ一つ、神と一体になりたいということになります。そして、その愛が神を自分にひきつけることになり、神性を自らのなかに包み込むことに さえなるのです。すると、すべての人間は神のように見えるようになります。なぜなら、すべての人の中に神が住んでいるのが見えるからです。

     宇宙的な同胞愛を理解する人は、「すべてを捨て、私の後についてきなさい」(キリストの言葉)を文字通り実行することになるでしょう。神そのものである 宇宙的な無私を発見するために、すべてを断念し、自分を無にし、自分を放棄しなければなりません。この崇高な瞬間に、人は神と一体になるだけでなく、自分 自身と一体になり、すべての生きとし生けるものと一体になるのです。これこそが贖罪です。つまり、神と一体になることなのです。


    つづく
            わたしんちの医学革命表紙

    0 0

     

    医学は科学である

    と言われていますが、ロバート・メンデルソン医博は

    「医学は宗教である」と断言しています。

     

    どっちなんだ!

     

    その前に、科学とは一体なんなんだ?

     

    一言で言えば「この世は物質オンリーじゃ」というのでしょう。

    唯物思想から出来上がっちゃった(嗤い)

     つまり片輪だから、生命現象にはからっきし意気地がない(笑い

    なぜなら、生命分野はもう片輪の方が主となっているので両輪あっての安定と進行もフラフラしなくなる。 (おい、このブログ主のフラフラをどうにかしろよ! ←なんて事故突っこみ)

     

    片輪の物質科学で生命、健康は理解できない。タダのロボット医学になっちゃうんだ悶寝。

     

     

    7. 科学的医学の宿命

    https://web.archive.org/web/20050124155236/http://iryoumisu.hp.infoseek.co.jp/page8.html

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

    音声読み上げ

    web魚拓 7. 科学的医学の宿命 2016年5月17日 web魚拓  6殺す医学から生かす医学へ.mp3 2016年5月13日 web魚拓  5生体内元素転換理論.mp3 2016年5月13日 web魚拓4「自家生産される病原体」より 2016年5月5日 web魚拓3「医療ミスの必然的要因」より 2016年5月5日 web魚拓2 「凶器と化した薬」より 2016年5月2日 webギョ拓1 「驚くべき医者の無知」より 2016年5月2日


    7. 科学的医学の宿命

    関連リンク:杉岡幹生氏『相対性理論の誤りを指摘』
    1. 科学への幻想

    科学の進歩はたしかに目覚しいものです。

    日々、誰もが一様にその成果を十分に享受しており、生活の便利さや快適さも肌で実感しています。

    そのため、人々は、科学は「万能である」と思いがちですが、もちろんそんなことはありません。

    科学には多くの分野があり、それらすべてが均等に発達してきたわけではなく、分野によっては停滞や退歩を繰り返したり、完全に行き詰まった分野もあります。

    ちなみに科学の体系は次のようになっています。



    科学=形式科学→数学・論理学

    経験科学→自然科学(天文学・物理学・化学・生物学・医学・地質学など)

    社会科学(経済学・政治学・法学・社会学・心理学など)

    体系ではまず、科学を形式科学と経験科学に大別しています。

    形式科学とは、実体験をともなわない、単なる頭のなかの思考の組み立てであるのにたいし、経験科学とは、自然の観察や実験など、人間の経験によってわかった、たしかな事実を土台にして成り立つものをいいます。

    そして一般に科学という場合、それはふつう、経験科学のなかの自然科学のことを意味します。

    この自然科学のなかにも多くの分野があることがわかりますが、じつはそのために、人々が科学を誤解したり、科学者自身も、科学の本当の目的を見失ってしまう、ということがよくあります。

    そして皮肉なことに、その複雑で紛らわしい分類をしたのも科学です。


    第一章で、量子力学の登場によって、唯物科学は事実上終ったのだ述べましたが、それは、物事を何でも分割することによって起こる混乱のなかで、正しい方向がわからなくなる、ということをいいたかったのです。

    ただし、機械面での物理学の応用は現代文明にとって不可欠であり、理論の実用化という観点から、その意義を否定するつもりはありません。

    この問題について考える前に、自然科学の現況を確認しておきます。


    自然科学のなかでも、物質や宇宙の仕組みを研究する物理学、およびそれによって得られる知識は、ほかのあらゆる分野に影響を与え、各時代の文明の基礎学問になるため、物理学の発達の状況は、文明を左右するほど重要です。

    今日の私たちの生活を便利にしてくれているのは、物理学の発展による原子力利用技術、電子工学部門のコンピュータ技術と自動化技術、遺伝子工学部門のバイオテクノロジー技術、宇宙工学部門の宇宙開発技術などです。


    しかしながら、これらの分野における科学技術の進歩や発展はいわば諸刃の剣でもあり、それらが発展すればするほど、地球環境は汚染、破壊され、エネルギー枯渇の問題が逼迫するなど、人類の生存までもが脅かされる方向へどんどん進んでいます。


    科学は本来、自然の原理を解明し、その結果を人間の幸福のために役立てる、いいかえれば、人類に夢と希望を与えるものでなければならないはずです。

    そのような考えからすれば、科学(つまり現代物理学)は決して万能ではないばかりか、逆にどこかに矛盾をはらんだ、欠陥科学でもあるのです。

    このことは最近、多くの人々も明らかに実感し始めています。

    ではいったいなぜ、科学は欠陥科学になってしまったのでしょうか。

    それは一言でいいますと、科学が本来の領域を逸脱してしまったからなのです。


    デカルトやニュートンによって確立された近代科学は、今からおよそ半世紀ほど前から、すでに古典物理学と呼ばれています。

    今日、「古典物理学」という言葉に出会ったら、それはニュートン力学のことを指していると思えばいいでしょう。

    「近代」なのに「古典」とは妙ですが、それはつぎのようないきさつによるものです。


    ニュートン力学の真髄は、「物質現象はすべて解明できる」とするもので、この理論が1世紀ばかり、つまり19世紀末ごろまで主流を占めました。

    その後、測定機器の発達とともにミクロの領域が研究されるようになり、ニュートン力学では説明不可能な現象がつぎつぎに観測され、多くの科学者が、それらの現象の解明に乗り出しました。


    光が波の性質を持つことを発見したトーマス・ヤング、電磁波を研究したマイケル・ファラディやジェームス・マックスウエル、光はつぶつぶの「量子」であると発表したマックス・プランク、さらに、「個々の粒子は確率的にしか存在しない」という驚くべき考え方を提示したマックス・ボルンをへて、ミクロの物質はつまるところ、「粒子であると同時に波でもある」というのが、物理学の考え方の基本になりました。


    そして、ハイゼンベルグの「粒子と波の姿を同時に見ることは絶対にできない、したがって物質(粒子)の位置とスピードを同時に測定することはできない」とする『不確定性原理』や、後世になって「量子力学の父」と呼ばれたニールス・ボーアの『相補性の原理』(一方を知ろうとすると他方が不明確になる、つまり互いが互いを排除するという逆の意味)などによって、ついにニュートン力学の土台は、根底から崩壊することになったのです。


    これが20世紀のはじめに近代量子論へと発展していくわけですが、そのような考え方に疑義を呈したのが、古典物理学の理論を進化・発展させて、『相対性理論』を発表したアインシュタインです。


    「科学はあくまで理論的であるべきだ。

    いかなる自然現象の神秘も、科学的研究による理解の延長線上にある」との信念に固執したアインシュタインは、マイケルソンとモーレーの実験結果にわが意を得たりとばかり、のちに重要な概念として論争の中心となった『エーテル概念』を、一刀両断に切り捨ててしまったのです(次節を参照)。


    それ以降、エーテルは存在しないと固く信じられるようになったため、『特殊相対性理論』の基本となる、「光のスピードは観測者の運動に関係なく、常に同じ値をとる」とする『光速度不変の原理』が定着することとなり、これが今日までずっと、科学の主流概念となっているわけです。


    しかしながら、ごく最近になって(20年足らず前に)、アラン・アスペやハンス・クラインポッペンが、エーテルは立派に実在すること、量子力学の主張は正しいことを、十分信頼に耐えうる見事な実験によって証明するに至って、アインシュタイン理論の崩壊が真剣に議論されるようになった、これが昨今の科学界の現状です。



    2. 「仮定」で成り立つ机上の空論

    科学はいかにあるべきかという点で、アインシュタイン理論の成否を明確にすることは、大変重要な問題だと思います。

    アスペらの実験によって、その間違いが明らかになったとはいえ、今なお量子力学を認めようとしない科学者が多く存在し、それが原因ゆえに、量子力学へのパラダイムシフトが遅々として進まないからです。


    とくに日本では、一流の科学者が相対性理論の熱烈な信奉者であり(なぜかよくわかりませんが)、それらの科学者がアインシュタインを礼賛するあまり、その理論に問題があることを、一般の人々に率直に伝えようとしません。

    そのため、この理論が、本質的には唯物科学の所産であるということが理解されていないのです。

    そして現代医学の問題点も、じつはこのこととは深い関係があるのです。


    科学評論家のコンノケンイチ氏が、相対性理論の矛盾についてわかりやすく解説されています。

    要点をつぎにご紹介しましょう。



    現実の事象を追求する科学には、たとえ一つといえどもパラドックスは許されない。

    万一パラドックスが出現したら、すぐに究明して正しい結論を出さねばならない。

    最も有名な科学のパラドックスといわれるのが、『アインシュタイン特殊相対性理論』の双子のパラドックスである。


    1905年に発表された『特殊相対論』(光速度不変の原理)は、運動する系によって時間の進み方が異なってくるとした。

    停止している人の時計よりも、運動している人の時計のほうがゆっくり進むというのである。


    このアインシュタインの主張は、時間にたいする人々の常識を根本から覆したが、逆に深刻なパラドックスをもたらした。

    こちらが停止して、あちらが運動しているのなら、あちらが停止して、こちらが動いているという逆も成り立つというパラドックスである。


    宇宙に、太陽と地球しか存在しないとする。

    この場合、地球の周りを太陽が回っていると考えても一向にかまわない。

    宇宙には運動を決定する、絶対静止の基準座標が存在しないからである。

    私たちが、地球が太陽の周りを回っていると定めているのは、多くの惑星が地球と一緒に太陽を回っていることが、観測で確認されているという理由でしかない。

    (むろん正しいが、しかし、太陽系も銀河円盤の縁をものすごいスピードで突進しているのである)。

    しかし、「双子のパラドックス」となると、そうはいかないのである。


    ここに双子の兄弟がいて、兄のほうがロケットで宇宙へ飛び出す。

    ロケットは徐々にスピードをあげながら宇宙を突進していく。

    アインシュタイン特殊相対論によれば、ロケットが地球から発進したとき両者の時計はピタリとあっていたが、ロケットがスピードを増して宇宙を突進するほど、地球にいる弟から見ると、兄の時計の進み方が遅くなって、その差は徐々に大きくなっていく。

    そして兄の乗ったロケットが目的を達成して地球に帰還すると、じつに妙なことが起こる。


    弟より兄のほうが時計がゆっくり進んだので、地球で兄弟が再会したときは、兄より弟のほうが老人に(年齢が上に)なっていた。

    まことに奇妙だが、『アインシュタイン特殊相対論』によれば、そうなるのである。


    しかし先述のように、宇宙には運動の基準となる絶対的な座標系は存在しない。

    弟から見て、兄のほうのロケットが遠ざかっていくように見えるなら、兄から見れば、逆に地球の弟のほうが遠ざかっていくように見えるはずである。

    となると地球で兄弟が再会したとき、いったいどっちが多く年を取っているだろう?
    『アインシュタイン相対論』は、20世紀の革命的な科学理論といわれてきたが、「双子のパラドックス」の本質は100年近くも放置されたまま、いまだにスッキリと解決されないのは、科学者の怠慢といわれても仕方ないだろう。

    というよりも、誰も解明できなかったというべきかもしれない。


    『アインシュタイン相対論』の間違いが証明されたら、科学の権威が崩壊するともいわれる。

    しかしパラドックスが存在することじたい、すでに『アインシュタイン特殊相対論』の間違いが示唆(決定)されていると考えるべきではないだろうか。

    もし正しければ、このようなパラドックスが導き出されるわけもないのである。



    じつは、双子のパラドックスは光速度不変の原理から推論され、光速度不変の原理は、マイケルソンとモーレーの実験を根拠にしています。

    この実験が見事なものだったため、「どの方向に発射した光にもスピードの差はなかった」という実験結果は無条件に信用され、アインシュタインがこれを根拠に双子のパラドックスや、「物体の運動が光速度に達すると質量は無限大になる」、「光速を超えると因果関係が逆転する」などの荒唐無稽な理論を考え出したのです。


    そのような現象が宇宙のどこにも存在しないことは明らかです。

    第一、無限大の質量など、現実の世界には存在しえないことは小学生でもわかりますし、子供が親より先に生まれるがごとき理論など、オカシイと思わないほうがどうかしています。


    因果関係の逆転についていえば、それが可能となるためには、物体の運動スピードが無限大、つまり到達時間が完全なゼロを超えることが絶対条件で、たかが秒速30万キロメートルを超えただけで、時間の反転など起こるはずがないのです。


    もともと、マイケルソンとモーレーの実験には、致命的な欠陥があったとされています。

    それは実験装置や測定方法のことではなく(それはほぼ完璧だった)、実験の前提となる想定が間違っていたのです。

    目的そのものは、光が波なら何を媒介として遠くまで届くのか、その媒介物として考えられる仮称エーテルは果たして存在するのか、それを検証するというものでした。

    実験のもととなる原理について、先のコンノ氏はつぎのように解説しています。


    「マイケルソンとモーレー、そして当時の科学者は、光の波を媒介する物質(仮称エーテル)は、地球を取り巻く空間の中にビッシリと充満し、地球はそのなかを突進していると考えた。

    したがって地球軌道(東西方向)に向けて発射した光のスピードと、それと直交する南北方向に発射した光のスピードには、当然、所要時間の差が認められるはずであると考えた。

    しかし実験では、光のスピードには何の変化もなかった。


    わかりやすい譬えで説明する。

    コーヒーカップの中のブラックコーヒーをスプーンで回転させ、上からクリームをたらす。

    すると白いクリームはコーヒーの回転運動に同化されながら、瞬間的だが渦状銀河そっくりになる。


    おわかりいただきたいのは、クリームの渦巻き運動は、コーヒーぜんたいが回転運動をしているからこそ生じるわけで、誰もクリーム独自で渦巻き運動をしているとは思わないだろう。

    しかし現代天文学は、ブラックコーヒー(空間)という宇宙の運動の主役を無視して、クリーム(銀河)独自で渦巻き運動をおこなっていると考えているのである。


    このコーヒーカップの中のクリームによる銀河のそっくりさんを、私たちの渦巻銀河と考える。

    私たちの太陽系はコーヒーカップのなかで回転しているクリーム(銀河の全恒星)の微細な一粒(1,000億分の一個)であり、ブラックコーヒー(空間エーテル)ぜんたいの渦巻き運動に完全に同化して回転している。


    地球(クリームの微細な一粒)は、マイケルソンとモーレーが考えていた地球を取り巻く静止エーテルの中を突進しているのではなく、クリーム(銀河)全体を巻き込んでいる、ブラックコーヒー(空間エーテル)という渦巻き運動に同化されながら宇宙を突進していたのである。

    大事な点はつぎである。


    その運動状態を地球を中心に微視化すると、地球は空間(エーテル)のなかに完全に停止しているのと変わらない状態にある。

    たとえば、アマゾン河全体の流れをエーテル流とする。

    その流れと遊離してボート(地球)が突進していたのではなく、アマゾン河という全体の流れにまかせてボートは進んでいただけだった。

    したがって、ボートと周辺の水流部分とを微視化すると、アマゾン河の流れに対してボートはまったく動いていないことがわかるだろう。


    マイケルソンとモーレーの実験で、どの方向に光を発射してもスピードの差が生じなかったのは当たり前だったのである」
    数年前、日本で爆発的なブームを起こした『ビッグバン宇宙論』のことは、ご記憶の方も多いでしょう。

    じつは、この宇宙論はアインシュタインの『一般相対理論』から導き出されたもので、これもやはり、大変な偏見と誤謬に満ちた噴飯ものだったのです。

    バカバカしくなるほどの内容なのでここでは詳しく取り上げませんが、深層心理学者の第一人者である、スイスのユングのつぎの言葉をご参考に、こういった理論の意義をお考えいただきたいと思います。


    「西洋人の神話への希求は、初めと終わりという目標を持った進化的な宇宙論を必要とした。

    西洋人は、静的な事象の永遠の繰り返しという観念を受け入れることができないと同様に、初めと終わりのない宇宙論に反逆したのだ。

    抽象的にいえば、西洋人の自我は《切断》する力が強く、何かにつけて明確に区分し、分離していくのに対し、東洋人の自我はできるだけ切断しないで、《包含》することに耐える強さを持っているといえる」
    ビッグバン宇宙論の「宇宙全体を占める空間と時間のなかから、空間と時間そのものである宇宙が誕生した」という、じつに矛盾きわまりない暴論に対し、ユングは明らかに疑問を感じたようです。



    3. 科学なのか、数学なのか?

    じつは、科学理論には二つの種類のものがあることは、案外知られていません。

    一つは、じっさいの観測や実験で得られたデータに基づいて構築されるもので、もう一つは、単なる仮定、または推論を、数値や数学的な解釈によって積み重ね、拡大していくというものです。

    この定義によっておわかりのように、前者が本来の正当な自然科学から導き出される理論であるのに対し、後者は現実の事象から離れた、ややもすると机上の空論になりかねない、きわめて危うい性格のものです。


    そしてなんと、今日主流としてまかり通り、もてはやされているのがこの後者の理論なのです。

    そう、もうお気づきのように、アインシュタインの相対性理論と、スティーブン・ホーキングのビッグバン理論がそれです。

    いずれも仮定を発展させただけの、事実とは無関係の理論であるにもかかわらず、その点を表立って指摘する科学者がほとんどいないのです。


    しかし最近になって、当然のことながら、これらの理論に矛盾する現象が続々と観測されるようになり、相対性理論もビッグバン理論も、崩壊の寸前にあることは先述のとおりです。

    相対性理論については、すでに光速度を超える現象が確認されており、「物体は光速度に近づくほど質量が増大し、光速では無限大になる」を数式化した、かの有名な<E=MC2>も、今や無意味なものになってしまいました。


    ビッグバン理論では、『宇宙の赤方偏移』という現象を、「銀河どうしが互いに遠ざかっている」と誤って推理し、ハッブル定数を利用して宇宙の始まりを逆算し、宇宙は150億年前、超ミクロの粒子が突然爆発して誕生したとしていたのが、精度の高い天体観測機器の発明によって、これと大きく矛盾する現象が確認されています。


    たとえば、その代表的なものにグレート・ウオールという、ハッブル望遠鏡による宇宙の大規模構造の発見があります。

    これによって、グレート・ウオールが形成されるには、なんと1,000億年もかかることがわかりました。

    子供の年齢が親の年齢を上回るはずはありませんし、地球上の山や川が地球より先に誕生するわけがありません。

    さらに、ハッブル望遠鏡の新しい観測結果によりますと、もし、ビッグバン理論の基本とされてきた赤方偏移説が正しければ、宇宙の年齢は150億年の半分くらいになってしまうのです。

    グレート・ウオールだけではなく、宇宙には年齢が100億年というパルサーのような天体は無数にあり、7,80億年しかたっていない宇宙のなかに、100億歳や1,000億歳のパルサーやグレート・ウオールが存在するなど、矛盾もいいところです。


    ようするにこれらの理論は、「人を煙に巻くマヤカシ」であることが暴露されたわけです。

    それを認めようとしない科学者が伝統に固執したり、居心地のいい閉鎖的な科学界で、無関心を装っているというのが実情です。

    このような科学者がアインシュタインやホーキングをやたら賞賛し、それらの理論を紹介する本を出版したり、何も知らない大衆がそれに殺到し、ベストセラーになったりしているわけです。


    以上のことからおわかりのように、自然科学であるはずの物理学が、いつの間にか、形式科学のなかの数学に成り代わってしまったのです。

    物理学も観察や測定を必要とすることから、数学的な要素があり、理論を記述するさい、あやふやな直感に頼るより、数式で表現したほうが正確な印象を与えることがあります。


    その点で、物理学も数学も同類だと錯覚しがちですが、両者には決定的な違いがあります。

    それは、物理学が認知可能な対象を研究するのに対し、数学は現実的な存在には依存しないという大きな違いです。

    数学ではゼロやマイナスという概念が堂々と登場しますが、自然界にはそんなものは絶対にありえないのです。

    ホーキング宇宙論の特徴は、「虚時間」や「虚空間」が随所に記述されていることですが、そんなものは、宇宙のどこにも実体として存在しません。


    これについてコンノ氏は、つぎのように述べています。


    「われわれの身の回りにおいて、マイナスという事象が現実存在だと錯覚することがある。

    バッテリーのマイナス記号や、寒暖計のマイナス表示などである。

    しかしバッテリーのプラス・マイナスといっても、それは単なる電極の記号であるという意味だけで、マイナス(負)の電気がそこに存在するわけではない。

    寒暖計のマイナス表示も同じで、絶対零度(マイナス273.15度)にいたるまで、零下100度といえども、温度そのものは有(プラス)として立派に存在する。

    数学でいうゼロ・マイナスという独立した存在や現象など、自然界に絶対ありえない。

    こうした数学と物理学の基本的な異質さに、妙なことに、一流といわれる物理学者さえ気づいていないどころか、完全に混同視しているのは、まことに憂慮すべき事態だといえる」
    アメリカの著名な科学評論家ジョン・ボスロウは、「宇宙論は混迷の真っ只中にあり、ビッグバンは危機的状況下にある。

    そしてこの間に得た教訓といえば、われわれを幻滅させる以外の何物でもなかった。

    ようするに、近代科学が立てた目標はめったに達成されないということが、またしても確認されたということだ」、と述べています。


    また天文学博士で、『ネイチャー』の編集員でもあった科学ジャーナリストのデビッド・リンドリーも、アインシュタインについてつぎのように語っています。


    「相対性理論もまた、空間の幾何学や重力の規則を説明する手段として、数学をエレガントに利用した。

    こうした理論の形、つまり、まぎれもない数学であり幾何学であるというところが、それだけで説得力を持っていたのだ。

    相対性理論を直接実験で検証することなど、今日ではほとんどない。

    物理学者をこの理論に惹きつけるのは、一見理論が生まれもっている魅力、つまり、これほど心底満足できるものならば、深遠な真理を必ず含んでいるに違いない、という錯覚である」

    4. ニュー・エイジ・サイエンス

    1970年代に、「現代物理学は、研究手段の限界からこの世界の現象を解明できておらず、今後も解明の見通しはほとんどない」と宣言し、アメリカを中心にいわゆる『ニュー・エイジ・サイエンス』運動を始めた少数の科学者がいました。

    アメリカの核物理学者フリッチョフ・カプラ、イギリスの理論物理学者デビッド・ボーム、アメリカの大脳生理学者カール・プリブラム、イギリスの物理学者ブライアン・ジョセフソン、日本の通産省電子技術総合研究所の猪股修二などで、これらの科学者は異口同音に、「現代科学の欠陥や行き詰まりは、世界を細かく分割して扱うデカルト哲学に原因がある、また、この世には物質世界(明在系)のほかに人間の意識を含む多次元世界(暗在系)が存在し、物質世界は多次元世界がこの世に投影されたものである」、と主張しました。

    そして科学本来の発展のためには、意識のパラメーターを導入して多次元世界を解明しなければならず、そのような研究ができるパラダイムの確立がどうしても必要であると、世界の科学者に訴え続けてきたのです。


    自然現象を探究して真理を窮めようとする、その過程でさまざまな矛盾が生じるのは、じつはこのパラダイムに問題があったのです。

    パラダイムとは、一つの分野における科学者の考え方の基本となっている、支配的な理論の枠組みのことです。

    パラダイムは一度確立されると、後に間違いが立証されても、これを変更するには長い年月がかかります。


    過去においては、天動説から地動説への転換が、約二世紀もかかって達成されたという例がありますが、ニュートン力学以降は、古典物理学といわれるその多くの理論的欠陥にもかかわらず、パラダイムシフトは現在まで行われていないのです。

    相対性理論がニュートン力学を変えたという科学者もいますが、相対性理論は単なる仮定であり、唯物科学の産物であることに変わりはありません。


    相対性理論を筆頭とする、これまでの科学常識のすべてを覆し、ミクロ世界の本質を明らかにした量子力学への転換を図らなければ、現代科学が抱える矛盾を解決することはできないのです。


    こういった科学の矛盾が最悪の形で反映されているのが、じつは現代医学なのです。

    つまり医学は、物質先行型の西洋思想に傾倒し(森下先生は"西洋かぶれ"していると批判)、ミクロの波動現象が人体の生理機能を瞬時に統括していることに気づかず、組織や細胞を部分的に固定して観察・分析し、局所的な処置をする、いわば生きた体をロボットとみなすこの考え方や手法が、多くの問題と禍根を残しているわけです。


    そういいますと、いや、そんなことはない、医学は遺伝子やヒトゲノムなどミクロ現象を解明しつつあり、今現在は研究途上にあるため、いろいろ問題があるかもしれないが、やがて近い将来それらも克服して、安全で確実な治療法がきっと実現される、またそれができるのは科学しかないではないか、と反論されることは承知しています。

    しかしこれは、「ミクロ」の意味を本当に理解していないために生じる錯覚です。

    いったい科学は、ミクロの世界をどの程度まで検知できるのでしょうか、物質の究極にどこまで迫り、解明できているのでしょうか。


    超ミクロなもの、つまり素粒子などは、真空中で正面衝突させるというのが一般的な研究方法です。

    そのために、素粒子の速度をできるだけ上げる装置が『粒子加速器』です。

    粒子加速器にはリニアックという線形のものと、シンクロトロンというリング型のものがあり、線形のものは長さが長いほど、リング型は半径が大きいほど、素粒子の速度を上げることができます。

    こうして少しでも性能のいい加速器を目指して、日本をはじめ、世界各地でより大きな装置を作ろうとしていますが、何しろ、建設費が一基一兆円以上という巨額になるのが難点とされています。

    現在のところ、ドイツのHERAという大型円形加速器が、10のマイナス18乗センチメートルの粒子を検知することができます。

    これは1センチの10億分の1のさらに10億分の1という極小ですが、最小ではないのです。

    これよりさらに小さな素粒子の存在が予言されており、超ミクロ世界の探求はまさに底なしなのです。


    なお、現在アメリカがテキサス州に建設中のSSCは、周囲が87キロメートルもある巨大なものですが、それが完成したとしても、最小の素粒子(クオーク)は検知できないことは前もってすでにわかっているのです。

    もうお気づきのように、ミクロの世界はマクロの宇宙と同様、どこまで行っても際限がなく、その実態を捉えることは、人智ではまず絶対に不可能なのではないでしょうか。


    ちなみに宇宙の広さとは、一説では5、000?6、000億光年だといわれています。

    じつに幻想的ともいうべき壮大なスケールであることがおわかりでしょう。

    宇宙は無限大のようだから無理だとしても、極小世界のほうはいつの日か解明できるかもしれないという幻想と夢を追い求めて、いつの日か水泡に帰するであろう努力と投資を続けている、というのが正直なところ科学の現状です。

    世界の頭脳と称されるライアル・ワトソンは、「科学はその目的を正当化できる根幹の部分がわかっていない。

    今後も何もわからないであろう」と、謙虚に語っています。



    5. 生命は空間の「ゆらぎ」だ

    ワトソンがいうこの根幹の部分こそ、ミクロ世界のなぞのことで、そこはあらゆる科学常識を逸脱する超常現象のカオスであるため、科学が暗在系として匙を投げている世界です。


    ところが、そのなぞを解く鍵が、じつは、『空間』というものに対する解釈の仕方にありました。

    空間とは空っぽのことではありません。

    アインシュタインがエーテル概念を認めなかったことは先述のとおりですが、そのために科学は空と無の区別があいまいになってしまい、むしろ空も無もまったく同じもの、数学的な表現でいうなら、単なるゼロと解釈してしまったのです。


    しかし量子力学は、宇宙空間もあらゆる物質の内部も、すべて空間が占拠しており、その実態は単なる空ではなく、極小微粒子がぎっしり詰まった状態であると説明しています。

    たとえば、1立方センチメートルの物質の塊(固体、液体、気体に関係なく)のなかには、宇宙全体の星の数に匹敵する超微粒子が充満している、というのです。

    つまり厳密な意味での真空、いいかえれば無など存在しないわけで、空間は万物の母体であるというのが、量子力学のもう一つの主張です。


    現代医学が研究している遺伝子やDNAは、あくまで実体のある物質レベルのものです。

    しかし、その働きをコントロールしているものの正体は、そんなマクロレベルの物質ではない、いや物質というより、それこそ宇宙全体に非局所的、同時的に遍満する波動にほかなりません。

    そして波動の実体というか、正体は、科学的な手段では絶対に捉えることはできないのです。


    ヒトゲノムをすべて解読するという作業は、とくに実用的な意味があるわけではありません。

    また、たとえいつの日にかそれができたとしても、予想だにしなかった障壁が出現する可能性は十分考えられます。

    遺伝子の解明などというと、いかにも科学的なムードいっぱいの、楽観的な希望を抱かせるような響きがありますが、実際問題として、そんなものは早晩壁に突き当たり、「新たな問題が生じた」、「もっと研究を深める必要がある」などといって、適当にお茶を濁すことになるのは目に見えています。


    ところで仏教の代表的な経典の一つ、般若心経に、有名な「色即是空」、「空即是色」のくだりがあります。

    「色」とは宇宙の森羅万象、つまりあらゆる物質存在のことで、「空」とはズバリ空間のことです。

    なんと般若心経は、この世のすべてのものは空間から生じてくるものであると、簡潔明瞭に教えているのです。

    今からほんの一世紀ほど前に登場してきた量子力学がついに掴んだ宇宙の実相を、二千年以上も前の仏教がすでに知っていたとは、じつに驚くべきことではないでしょうか。

    カプラが、量子力学は仏教思想に通ずるものといったのは、まさにこのことだったのです。


    長々とあれこれ述べてきましたが、いよいよ結論です。

    簡単にいえば、生命は、物質の根源の、またその根源から生じてくるものです。

    私たちが健康体でいられたり、病気になったりというさまざまな人体の現象も、物質を通り超えた、いわば形而上の世界からの、「ゆらぎ」の発生と深くかかわっているように思われます。

    「ゆらぎ」とは、量子力学的にいえば、粒子と反粒子が対生成・対消滅している現象、また、それによって生まれる空間エネルギーの状態のことです。

    ようするに、生命現象はすべて実体のないものが作り出している現象であり、元来、「目に見えないものは信じない」西洋思想の、科学的機械論で太刀打ちできるものではなかったのです。


    フィルヒョウの細胞理論、メンデル・モルガンの遺伝理論がその科学的思考の典型であり、これらの理論を医療の根拠としている限り、現代医学は宿命的に、永遠に病気を克服することはできないでしょう。

    この厳然たる事実に背を向け、危険極まりない毒(薬品)や放射能(放射線)やメス(外科手術)で生命を脅かしたり、しばしば抹殺さえしてしまう現代医学にたいし、私たちは、断固として決別を宣告すべきであると考えます。


    一介の素人に過ぎない私が、声を大にしてこのことを訴えてもたかが知れています。

    共感していただける方のご意見やご忠告を賜りながら、少しでもできることを実行していくしかありません。

    どうぞ何なりと、掲示板に書き込んでいただければうれしく思います。

    よろしくお願いいたします。

     ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     なるほど~~~~

    アインシュタインが古い科学だったとは・・

    高等な詐欺じゃないのか?

    あ、

    そうか;;;

    長い舌をベロ~んと出している写真があったな。

    そうか;;;  

    「みんなだましてゴメンね♪」

    という表示だったのか~~

     

    ま、物質科学のなんたるかもよく知らないボクには上記の文が高等すぎて・・・

    読者諸君のセルフサービスでよろしく

     

     

     

     

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    0 0

    ひじょうに為になったHPでした。

    (ひとによってはダメになるというかも知れませんが)

     

    2004年の話が今でも重要な点で通用するのでは無いでしょうか?

     

     

    これでこのweb魚拓は終わります。

    (次は他のHPのギョギョギョ焚くに移ります。 )

     

    音声はこちら

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    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


    8.クオンタム・ヒーリングとは?

    1. 意識と生命

    クオンタム・ヒーリングという言葉をご存知でしょうか。

    直訳すると「量子治療」となり、何か最新の医療技術のような意味合いに取れそうですが、そうではありません。

    量子というのは物理学用語で、「それ以上分割することができない、物質の最小単位」という意味です。

    これまで陽子や中性子などのハドロン、それらを構成するクオーク、電子を構成するレプトンといった素粒子の存在が確認され、それらを量子と考えてきましたが、究極の素粒子はまだ発見も確認もされていません。

    しかしとにかく、あらゆる物質的存在はもちろん、電気、電磁波、光、重力などのエネルギー形態もすべて、量子のゆらぎから誕生したものと考えられています。

    しかし観測手段の限界から、科学は量子の実体を捉えるまでには至っていません。


    将来科学がいかに進歩しても、この限界を超えることはできないのです。

    それは譬えていえば小さな虫一匹や、一輪の草花でさえ、科学で創り出すことはできないのと同次元の限界です。

    最先端科学である量子力学は、生命の根源も量子ではないかといい始めています。


    ライアル・ワトソンはその著書『ロメオ・エラー』で、「生物学の研究が進むにつれ、生命体とは、物質が特殊な結びつき(明らかに波動が関与している)で組織化されたものであることがわかってきた。

    自然界にはわれわれが"死"とみなすものと、"生きている"と定義するものとの間に、可能な限りのあらゆる組織化の段階が存在しており、その連続体のどこかに線を引いて、"生命はここから始まる"と断言することは不可能である」と述べています。

    これは、生と死は考え方の尺度の違いによる、きわめてあいまいな概念であると、じつに大変なことをいっているのです。


    ところで生命の存在は、意識というものを切り離しては考えられないものです。

    唯物科学が一世紀以上も置き去りにしてきた、その意識についての研究が、最近とみに注目されるようになり、『意識工学』という新しい科学の理論体系が提唱されるようになりました。

    そして量子治療も、人体の組織や細胞といった肉体レベルを突き抜け、体と心の接点となる意識に迫ろうとする斬新な医療の試みなのです。


    西洋医学による通常の治療法、つまり薬、放射線、外科手術がほとんど功を奏さなかったにもかかわらず、がんなどの難病患者がみずから奇跡的な治癒を果たし、医者に宣告された命の期限を過ぎても再発することなく、健康で長生きしているケースは意外にも多く報告されています。

    しかし患者全体の比率からすれば、自然寛解はきわめて少ないのです。

    そのため医学はこれまで、このようなケースが起こるたびに、「科学的な根拠がない」として、そのメカニズムを解明しようとすらしませんでした。

    精神病ならともかく、肉体を冒す病気の原因が精神的なものであるという考えは、長い間西洋医学では受け入れられなかったのです。

    それが最近になってようやく、一部の医者のなかに、体だけを治療のよりどころとしていては立ち行かなくなり、精神的な要因を探ろうとする動きが出始めてきたのです。


    アーユルヴェーダ(生命の科学)や古代インドの英知と量子論を統合し、病気の発生に心がいかに大きくかかわっているかを解明した、アメリカの若き医者ディーパック・チョプラは、ほとんどの人は意識の力を過小評価しているといっています。

    苦境や危機に瀕したときに潜在意識の存在に気づいたり、その強力な働きを活用しようとする人はきわめて少ないというのです。

    チョプラは、さらにつぎのような注目すべき発言をしています
    「奇跡的な治癒は、畏怖と不信が入り混じった感情で受け入れられる。

    しかし意識は誰もが持っており、そうした治癒は奇跡でもなんでもなく、当たり前の能力の延長にすぎない。


    骨折が治っても人はなぜ奇跡と呼ばないのか。

    そのプロセスは医学では再現することさえできないほど複雑で、信じられないような現象が完璧なタイミングで起こっているのだ。

    がんがひとりでに治ると奇跡で、折れた腕が治るのは奇跡ではない理由は、つまるところ心と体の結びつきという問題に帰着する。


    骨折は心の介在なしに体が治しているように見えるが、がんの自然治癒は特殊な心の資質や、生きようとする強い意欲、英雄的な前向きの姿勢といった、類まれな能力に依存していると一般に広く信じられている。

    つまりヒーリングには通常のものと、変則的、ないしは少なくとも例外的なものとの二種類があると思われている。

    しかしこの区別は間違っていると思う。

    本質的には両方とも意識が治しているのだ。


    なぜ誰もがヒーリングのプロセスを最大限に活性化できないかというと、内面の能力(つまり潜在意識)を動員する力が一人ひとりで大きく違っているからだ。

    このことは、病気に対する反応が人によって異なるという点に表れている」
    潜在意識の力を意識的に活用した有名な症例があります。

    テキサス大学の放射線学者カール・サイモントン博士は、末期的な咽喉がんを患う61歳の男性の治療に当たっていました。

    食べ物はほとんど飲み込めず、80キロ以上あった体重は45キロそこそこにまで激減していました。

    治療後の5年生存率はわずか5%と予測され、西洋医学のもてるあらゆる手段を講じても、衰弱がひどすぎて効果があるようには思えませんでした。


    このような状況で、博士は放射線療法の効果を高めるためのいわば投機的な試みとして、イメージ法というものを思いたったのです。

    そして患者に次のように指示しました。

    「自分のがんの様子をできるだけ鮮明に思い描きなさい。

    そして免疫系が働いてがん細胞をどんどんやっつけ、それらを体から一掃して、健全な細胞だけがあとに残るさまをありありとイメージしてみなさい」と。


    患者がじっさいに行ったのは、真っ白な粒子の免疫細胞が吹雪のように病巣を覆い、ちょうど黒い岩石の上に雪が降り積もっていくようなイメージを描きました。

    このイメージ法を一日に何度も、そして毎日欠かさずやり続けたところ、なんと3週間後に腫瘍が小さくなっていることが確認され、ついに2ヵ月後、がん細胞は完全に消滅してしまったのです。

    これに勇気づけられ、イメージ法にほぼ確信を持った患者は、足に患っていた関節炎もこの方法で治るのではと思い、直ちに実行したところ、やはり数週間後、その期待も現実のものとなりました。


    このイメージ法とその驚くべき結果は世界的に知られるようになり、今日一般の医者の間でも、「サイモントン療法」という名で知識の片隅にはあるようです。

    ただそのメカニズムがわからず、医学理論に矛盾すると思っているほとんどの医者は、このイメージ法をじっさいの医療に取り入れることはありません。

    しかし理論はどうであれ、治癒はまぎれもない事実です。

    また, 矛盾しているのは医学理論のほうなのではないでしょうか。



    2. 万物に意識がある

    チョプラがいうまでもなく、私たちは意識というものをとかく軽視しがちです。

    これについて、「物質文明にどっぷり浸かり、モノとカネを追い求めて忘我の日々を送る現代人は、潜在意識が正常なものではなくなっている」といって、警鐘を鳴らす心理学者や人類学者がいます。


    これらの学者は、「物欲が刺激されるのは、五感が活発すぎるせいである。

    感覚器官からの情報ばかりが意識に入り、意識がそれに振り回される状態が続くと、正常な神経がマヒするようになる。

    人間関係の軋轢や、自然や生き物に対する配慮、思いやりが薄らいでくるのもそれが原因だ」と、警告さえ発しているのです。

    そういわれてみれば、この情報過多の現代社会のなかにあって、私たちの意識は、外部の世界に向きっ放しになっているような気がしないでもありません。

    それより内面の世界、つまり心というものにもっと意識を向けることが必要なのかもしれません。


    じつはそのことを明らかに示唆する、驚天動地の事実があったのです。

    人間や動物に意識があるのは当たり前ですが、なんと植物や鉱物にも意識、いや意識というよりもっと単刀直入に、心があるということが、実験によって証明されたのです。

    さらにもっと驚くべきことに、植物は人間さえ知ることができない、宇宙の神秘にかんする情報まで知っていることが実証されました。


    植物の意識についての研究の端緒を開いたのは、ポリグラフ(うそ発見器)の専門家で、CIAの尋問官であったクリープ・バクスター博士です。

    博士はあるとき、ガルバノメーター(微弱電流計)を使って、ドラセナという観葉植物が水をどのように吸い上げるのか観察していました。

    水を吸い上げたときの葉の電導率は上がるはずだったのが、記録計は逆の下降線をたどったのです。

    人間でいえば、ゆったりと気分を落ち着けたくつろいだ状態と同じ反応を示したわけです。


    そこで博士は、くつろいだ状態を示すなら、恐怖を与えたらどうなるだろうと、手っ取り早く葉を燃やしてみたらとそう思った瞬間、メーターの針が勢いよく跳ね上がったのです。

    びっくりした博士は、この体験によって、「植物が人間の感情を読み取る能力を持っている」、という驚愕の事実を発見することになったのです。

    その後の追認テストでは、たまねぎ、レタス、オレンジ、バナナなど25種類以上の植物や果物を使って、同じ結果が得られたことが確認されています。


    バクスターは植物だけではなく、動物の単細胞にも同じ装置を使ってさまざまな実験をおこない、その結果を発表しています。

    つぎはそれらのほんの一部です。

    信じられない方もいらっしゃるかもしれませんが、すべて実験によって証明されている事実です。



        植物には過去を記憶する能力がある
        植物と植物の間、さらに植物と動物の間で、たえず情報通信が行われている
        植物は自分を世話してくれる、あるいは自分に好意を示してくれる人間に特別な感情を抱き、どこにいてもその人の想念を監視している
        植物や動物だけではなく、アメーバ、ゾウリムシ、血液、精子などの単細胞生命体にも意識がある

    これらの実験結果について、バクスター自身はつぎのように述べています。

    「知覚力は細胞レベルで終わっているとは思われない。

    それは分子、原子、さらに原子の構成要素にまで達しているかもしれない。

    これまで常識として、生命なきものとみなされてきたあらゆる種類の存在は、評価しなおされる必要があるだろう」と。

    ようするにバクスターは、細胞レベルに意識があることは確認したが、さらに分子、原子、さらには原子核(陽子と中性子)や電子のレベルにも意識がある可能性があるといっているのです。


    じつは日本にも、バクスターの研究成果(とくに植物の意識)をさらに推し進めて、ふつうの科学的手段ではとうてい知ることができない、稀有の情報を植物から得るシステムを開発した人がいます。

    理学博士の学位を持ち、勲四等紫綬褒章を受与された三上晃がその人です。

    三上博士はリーフ・バイオ・センサーという、植物の葉を使った生体感知器を開発しました。


    この装置は、植物と植物の間で交わされる交信エネルギーを高感度増幅器で微小電流として捉え、それをガルバノメーターに接続し、ランプを点滅させることによって、植物が発する情報をキャッチするシステムです。

    人間が調べたい物や情報を発信台からセンサーで植物に伝え、それにたいする植物からの回答が受信台へ同じくセンサーで送られてくる、という仕組みになっています。

    この装置によって三上博士は、植物からつぎのような驚くべき情報を得ることに見事成功したのです。

    ただし世間の常識というものがあるため、人々を惑わすような内容の情報は公開しないとのことです。



        人物の写真を送信して、その人が、がんやエイズなど、難病にかかっているかどうかわかる
        航空写真から、地下鉱脈の発見や埋蔵物の位置がわかる
        天体写真から、ほかの惑星に水や生物が存在するかどうかがわかる
        病気を癒したり健康を回復する目的で、人それぞれに適合する薬草を選別する能力がある

    三上博士はさらに研究を進め、上記のほかにも、植物は人間の目に見えないものも見えて知っている、文字を理解し、数学計算ができる、宇宙にかんする多くの事実や、未来のことも知っている、植物が発する波動には、人間の病気を治癒する効果があるなど、恐るべき植物の超能力の数々を解明してこられました。

    これらの研究成果は、現代科学では知りえない世界のことや、医療問題など、その他、行き詰まった多くの問題の解決にも役立つものと期待されています。

    それと同時に、人間は自分自身に対してはもちろんのこと、他人や動物や植物、つまり生きとし生けるものすべてにたいして愛情をもち、これらを大切に扱うことの意義を改めて考えさせられるものでもあります。

    私個人としては、今回の情報収集を終えて、「人間には、動物の生命をむやみに奪う権利はない」ということを思い知らされ、今後、肉食は一切口にしないことを決意せざるをえませんでした。



    3. 波動が宇宙を支配する

    自然とは、一つの大きなネットワークです。

    万物はそれぞれ孤立して存在しているのではなく、空間に充満する波動というエネルギーによって、すべてがつながっているのです。

    とくに生物の世界はDNAと深く結びついており、一つひとつのDNAが波動を媒体として情報交換を行っています。

    (季節が来れば花がいっせいに開花するのはそのためです)。

    また万物個々の内部にもネットワークが形成され、個体自身の調和と統合を図りつつ成長、繁殖、種の存続などのエキサイティングな生命活動が展開されているのです。


    植物の超能力もそういった当たり前の、自然の営みの発現にほかなりません。

    空間を虚無(物理学的には真空)とみなしてきた現代科学は、生命体の意識が波動から生じ、波動によって伝播されるということに、最後の最後まで気がつかなかったのです(これは過去形ではありません)。


    動物の超能力はいうまでもありませんが、無生物である鉱物にも不思議なパワーが秘められています。

    人間の潜在意識に作用したり、健康効果をもたらすとして水晶、トルマリン、麦飯石、遠赤外線セラミックスなどが研究され、注目を集めていることはご存知のとおりです。


    ダイアモンドやサファイアなどの宝石が人間の運勢に影響を与え、ときには人生をいい方向へも悪い方向へも変えることがあるのは古くから知られており、あながち迷信だといって片付けることはできません。

    これは鉱物がもつ一種の放射性エネルギーによるものと考えられていますが、その詳しいメカニズムはわかっていません。

    やはり波動が関与していると思われ、鉱物に意識が存在していることは間違いないようです。


    なお、動物のさまざまな能力については、ここでとりあげるまでもないでしょう。

    ただ、意識という観点から万物を考えるとき、動物、植物、鉱物といった分類すら、とくに意味はなさそうな気がしてくるのですが、いかがでしょうか。


    アレキシス・カレルが「人間、この未知なるもの」といったように、人間の隠れた能力については長い間、本格的に研究されることはありませんでした。

    ようやく近年になって、フロイトやユングによる潜在意識の発見をきっかけに、多くの知られざる事実が明らかにされてきました。


    人間には、動物のなかでは最も発達している大脳新皮質(理性の座)というものがあるために、それによって形成される顕在意識(表面意識)が潜在意識を抑圧するという理由で、本来の能力がロックインされてしまっているのです。

    動物や植物のように、人間が自然に与えられた能力を発揮しない、あるいはできない理由はじつはここにあったのです。


    生きていくうえで無視することができない社会的、文化的、経済的および精神的制約、さらには環境から受ける肉体的な圧迫やダメージが原因で、顕在意識が異常なものに変貌することは、心理学によってすでに実証されています。

    顕在意識と潜在意識は表裏一体でつながっており、本来は顕在意識を自在に支配するほど強力な潜在意識が、時間の経過とともにマインドコントロールされて屈折していき、ついには捏造された動機づけを強要する理性によって、逆に支配されてしまうのです。


    クオンタム・ヒーリングは、心の奥深くに押し込められて埋もれている、この潜在意識を解放することを最終目標としています。

    潜在意識が解放されるとさまざまな超能力が発現することは、超心理学や心霊科学の分野では、多くの実験によってすでに証明されています。


    いわゆる超能力と呼ばれるものには、『遠感知』、『未来感知』、『読心』、『病気治癒』、『念力』、『"変身"』、『瞬間移動』(テレポーテーション)などがあり、欧米やロシア、中国などでは相当古くから研究されています。

    アメリカやロシアなどは国家的なプロジェクトとして超能力を研究しており、着実に成果をあげています。

    イギリスではオックスフォード、ケンブリッジ、その他多くの大学に超心理学や心霊科学の研究所が設置されているのです。


    心の働きを利用して病気を治癒させる試みは、とくにアメリカでは多くの医者が医療現場で、じっさいにおこなっているのです。

    それらの医者はべつに超能力者ではありません。

    ただ人間の潜在能力を信じる医者たちで、たとえば手術をおこなう前に、「この患者が無事生還できるように」、「自分がやろうとしていることがうまくいくように」といった"祈り"に似たような気持ちを込めておこなうと、予想以上の結果が出たことがすでに証明されています。

    心と自然治癒との関係について多くの書物を著し、この問題では世界的に有名なアメリカのラリー・ドッシイ博士は、その著書でつぎのように述べています。


    「130件以上の、適切な管理下での実験により、祈りや、祈りに似た思いやり、共感、愛などは、一般に、人間から細菌に至るまでのさまざまな生物に、健康上プラスの変化、または効果をもたらすことが示されている。

    薬品や手術でも同じだが、これは祈りが常に有効だという意味ではない。

    しかし、統計学的に見て、祈りには効果があるのだ」
    そのような実験について、ドッシイ博士が報告しているものを一つご紹介します。


    心臓病専門医であるランドルフ・バードは、サンフランシスコ総合病院の心臓病集中病棟の患者393名の協力をえて、研究実験をおこないました。

    米国内のさまざまな場所にいるキリスト教信者の集団が、指定されたグループの病人の一人ひとりに対して祈りをささげました。

    一方、別のグループ(対照グループ)の患者に対しては、誰も祈りませんでした。

    そして、祈りという要因を除いて、すべての患者は同じハイテク治療を受けました。

    これは二重盲検法と呼ばれるものです。

    つまり、患者、医師、看護婦らすべてが、誰が祈られ、誰が祈られなかったかわからないようにしたわけです。

    その結果、祈られた人たちは、いくつかの測定や統計に照らし合わせても、明らかに有意義な効果を表したのです。

    そして、祈りの距離はその効果を左右するものではないこともわかりました。

    東海岸からの祈りも、西海岸にあるこの病院に近い信者からの祈りも、まったく同様に効果的だったのです。


    現在の科学では、このような現象は説明のしようがありません。

    おそらく、「それは気のせいだろう」、「一種のプラシーボ(偽薬効果)だ」くらいで片付けると思いますが、それは甚だしい認識不足です。

    量子力学では、「物質(粒子)の非局所性」を主張します。

    それは、同じ位置にあった素粒子が分離して、片方に何か変化が起こったとき、もう一方にも同時に情報が伝わる、そしてそれは、宇宙の果てであっても関係ないというものです。

    そしてこのことは、1981?1983年にかけておこなわれた、パリ大学光学研究所のアラン・アスペとスコットランド大学のハンス・クラインポッペンらの実験によって証明されたのです。


    アスペの実験では、一定方向のスピンを有する二つの電子を逆方向に同時に発射して、一方の電子のスピンをはかる装置の向きを瞬間的に変えることにより、もう一方の電子のスピンの向きも光より早く変化することを確認しました。

    つまり、地球で人為的に電子スピンの向きを変えると、4.3光年離れたアルファ・ケンタウリの電子スピンの向きも同時に、同じように変化するわけです。


    先述の超心理学は立派な科学の学問分野であり、今から80年以上も前に、アメリカのデューク大学にライン博士が研究所を開設して研究が始められたのです。

    その点日本では、個人研究者を除けば公的な研究機関は皆無に等しい状態で、この分野における現状は、世界レベルから見て、約80年は遅れているといわれています。


    ついでながら、日本の超心理学者としては、東大の福来友吉、東京工大の宮城音弥、そのほか橋本健、本山博、内田秀男などが有名です。



    4. 生命の泉・チャクラ

    4,000年も前のインドで、人間の肉体には7カ所の生命力発現の部位があり、それらが肉体の生存はおろか、生命の維持をもコントロールする重要な役目を果たしている、ということがすでに知られていました。

    それらの部位はサンスクリット語で『チャクラ』と呼ばれ、超心理学や心霊科学も注目し、長い研究の歴史があります。

    いろいろな研究でわかったことは、チャクラは西洋医学でいう7カ所の内分泌腺にぴったり符合し、それがホルモンの生成と湧出の根源だったということです。


    チャクラは生理的な器官でも、組織でも細胞でもないため、西洋医学はその存在に気づいていません。

    つまり視覚では捉えられないもので、「見えないものは信じない」西洋医学が気づくはずがないわけです。

    しかし、本来の医学的な考え方からすれば、チャクラを無視して病気の原因を追究したり、健康維持を図ろうとするのは見当違いのはずです。

    数少ないチャクラにかんする文献には、つぎのように記されています。


    「チャクラは身体的な要素ではなく、精神的な要素、つまり心と直結するものである。

    ふつう心という言葉を使うとき、われわれはさまざまな行動をしている自分の身体が本当に実在しているものであって、心とは何か身体に付属しているもの、たとえば身体に結びつけたゴム風船みたいに、漠然と自分の体につながっているもののように思っている。

    これはじつに散漫で不正確きわまりない誤った認識で、事実はむしろ逆なのである。

    本当に存在する人間とは心なのであって、その心が肉体を所有しているのである。


    チャクラは、肉体の生存に不可欠の生命力が流れ込んでくる入り口の役目をしており、さらにまた思考や感情などの波動を、見えないアストラル的領域(幽体の次元)から、目に見える物質的領域へ伝える通路でもある」
    東洋医学の専門家で、日本予防医学センター、NHK文化センターなどの講師をしている田村勝昭氏は、地球に向かって進んでくる天体中心の宇宙の求心力と、地球から出て行く遠心力を、それぞれ「天の気」、「地の気」と呼び、森羅万象はこの二つの力で生存していると述べています。


    人間の場合、「天の気」は頭頂の渦巻きから入り体の下方へ進む、「地の気」は生殖器から入り上方へ進む、二つの力は体の最深部を垂直に走る通路のなかを流れ、7カ所にあるチャクラをつぎつぎに充電していく、と解説しています。


    さらに、チャクラから体内に向けて宇宙エネルギー(波動エネルギーともいう)が放射される、それが物質化し、ホルモンとなって体内のもろもろの器官を養い、健全な働きを維持しているとのことです。


    田村氏はまた、ホルモンは物質と霊的なもの(極小微粒子ということか?)との中間的な存在で、そのため現代医学や科学では解明できないだろうと明言しています。


    中国漢方医学では、チャクラを経絡の中の経穴(ツボ)と定義しています。

    経絡とはエネルギーが循環するルートのことで、経穴とは宇宙からのエネルギーを貯蔵する場所のことです。


    田村氏のご説明のとおり、チャクラは宇宙にあまねく充満するエネルギーを取り込み、人体組織のなかで活性化して、生体機能を維持しています。


    このように重要なチャクラについて、西洋医学、つまり現代医学の知識はゼロであり、知識を得ようとする意欲さえありません。

    西洋医学を批判もなく信奉する医者たちは、この方面の研究には怠慢そのものです。

    人体や生命をあつかう医者たちがこれほど無知では、医療など進歩するどころか、やがて近い将来崩壊するのではないでしょうか。

    しかし考えようによっては、そのほうが医学ぜんたいにとって利益になることを意味しているのかもしれません。


    さて、超心理学や心霊科学などによるチャクラの研究でわかったことは、潜在意識をコントロールして得られる能力とは、まさに神にも迫らんとするほど驚異的なものだということです。

    それは 「真理に目覚める、人生を思うままに生きる、運命、宿命を転換する、肉体を若返らせる、他人を不幸や苦しみから救済する」など、およそこの世に不可能はないという境地に達することができると、超心理学は断言しています。

    自分の病気を治すなど、それらの能力のいわば副次的な効能の一つに過ぎないということです。


    クオンタム・ヒーリングは、潜在意識を自由に解き放つための具体的な方法として、「腹式呼吸の日常的、継続的な実践と、潜在意識に向かって心を集中させる、瞑想の習慣を身につける」ことをあげています。

    超能力はともかくとしても、病気を治す目的であれば、これらのことを試してみる価値は十分あるのではないでしょうか。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    試してみる

    ことが第一歩です。

    何も無い内から信じる必要はありませんし、疑いから始まり、経験から信じる。

    他人の経験では無く、自分に起こった経験です。

     

    好奇心が原動力。

    はじめから信じなさい

    などというのは間違いのもと。

    だいいち、顕在意識での信じるとか疑うとかの裏には潜在意識がありますし・・

     

     


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    わたしんちの医学革命表紙

    アーサー・コナンドイル
         の霊界からのスーパーメッセージ
      コナン。ドイル・人類へのスーパーメッセージ
    1994年11月22日 第1刷発行    編 者-アイヴァン・クック    
    訳 者一大内博   発行所一株式会社講談社
     彼の名前と名声はいまだに生き続けている。ほとんどの本屋に彼の短編小説選集(大体は『シャーロック。ホームズ』のシリーズであるが)が 置いてあるし、彼の著作はしばしばラジオで続き物として放送されている。『白衣団≡ナイジェル鯉や、心霊主義に関する著書だけが忘れられてしまっている が、これらの本こそコナン・ドイルにとって最も大切なものであった。彼の書いた本のなかで娯楽的な価値のあるものが、これからも引き続いて読まれていく気 配であるが、より深い思索に満ちた彼の著作はそういう道をたどるとは思われない。〝彼は死んではいない"彼はこの本のなかに生き続けている。ここに彼の最 後のメッセージがある。
    (略)
    ここでおもしろい事が書いてあります。数字に関することですが、言霊に対して数霊という言葉がありますが、言霊は万国共通とは行かないのですが、数霊はこの地球上では同じということになり、数の示す意味が万国共通になっているのかも知れません。
    ただ、その地域によって数の解釈が異なっているので、まったくの共通とはならないのですが、数は0~9までの10の組み合わせしか無いので、かなり近いものがあるようです。
     例の「666」の数字も西洋では悪魔の数と云われているようですが、本当は視点の違いでみるだけで、逆にも解釈されるようです。
    平面的にみると 567と369の 経と緯の交わる点、三次元的にみると468がそれに加わって真ん中の6が3つ揃って666となり、中心を表します。
     そうなるとこの三次元世界の自由自在の中心点ともなり、左右、上下、前後を統一する一番良い位置として見られることになり、悪魔の数字は天国の数字にもなり得るようです。
    すべては人間の見つめる視点によって善にもなり悪にもなり、その時所位によって自由自在に変化出来るとすべてを包括できる創造者となり得るのでしょう。

    三六九の数も1~9の数字を各々隣同士合わせたりしていくと三六九のリズムになり、当たり前と言えば当たり前であり、おそらくすべてのものが振動しているという波動の共鳴現象などにも潜んでいるリズムなのかも知れません。  (hima)
    体系の一つの単位であるから、数字に対して振動する。例えば、〝星の力″は数字と密接なつながりをもっており、それを運用するには数学の計算が必要であった。

     事実〝星の力″は三-六-九の振動で運用された(九という数字は、秘義を伝える人の数字であると考えられたため)。ポラレ・プラザーフッドにシンボルと して与えられた六つの先端からなる星も、もちろん六の波動であった。このため、ブラザーフッドは、最善の仕事をするためには三-六-九の波動に合わせる必 要があることを自覚し、主要な活動はすべて毎月三、六、九日の三、六、九時に行なったのである。また、『ポラレス会報』の見出しのマークに三-六-九の数 字を表わす図を採用したのも同じ理由による。


     ミネスタは六月九日に生まれ、また九番目の子供でもあった。ここでもまた、三-六-九の波動が彼女の人生において作用していることがわかる。
    コナン・ドイルの誕生日は五月二二日である。五月は五番白の月で、二二日の二つの二を足すと四になり、五と四を足すと九になる。こうして、ここにも三-六-九の波動が明らかになる。
    ミメスタというのは先天的に霊感が強い女性であったようです。
    コナンドイルの霊界通信の前の事が紹介されていますが、彼女が最終的にコナンドイルの霊界通信の優秀な霊媒となったのです。


     この本の編者の誕生日が五月二二日であることも、言及する価値のあることかもしれない。三六五分の一の確率にはそれなりの意味があると思われるからであ る。最後に、コナン・ドイルのメッセージはすべて毎月二七日に始まったということも付記しておきたい。二七は三の三乗の数字である。

     コナン。ドイル(これから便宜上ドイルと呼ぶことにする)の最初のメッセージは、一九三一年一月二七日に始まり、これによって一連のメッセージの送信が開始され、この中でドイルは心霊主義をまったく新しく説明し直した。

    死と死後の生存(二つの世界間の時折のコミュニケーションも含めて)はごくふつうの当たり前のことと見なせるものであり、男と女が愛し合うことや子供が生 まれることと同じくらい、人間の生活の一部にすぎないことを明確にしたのである。彼のメッセージを冷静にかつ心を開いて読むならば、死への恐怖心は解消す るはずである。
    現代においても戦争などの死をのぞいて平和な世界であっても、病気による死 は人間にとってはとても悲しい事実です。癌をはじめとして現代医学ではとても解決できない病気は数多くあります。さらに突然訪れる事故災害による死など。 これが身内に起こった時、人はとても深い悲しみを経験します。
    しかし、死後の世界が認識されたとき、その悲しみは薄らぎ人々に深い愛と希望を与えることになるでしょう。(と、ちょっとカッコつけて書いてしまった・・)

     ドイルが亡くなって数日して、心霊主義者たちは彼らの指導者を追悼すべくアルバート・ホールでメモリアル・サービスを行なった。会場に収容し切れないた め、何百人もの人々の入場を断らなければならなかった。心からの悲しみと彼への尊敬の念を表わすために集まった何千人もの人々の中で、ドイル自身の長年に 及ぶ力強い努力の結果、どれだけの人々が死後も生命が持続することを信じていたかは興味深い問題である。


     半分の人々はそう信じていたかもしれない。それほどに彼の心霊主義の運動は強力だったのである。時期を同じくして、心霊主義の指導者の多くが一堂に会 し、ドイルの心霊主義への貢献を記念することを目的とした、さまざまな提案について話し合いが行なわれた。百万シリング基金はその一つであるが、彼らの前 にある可能性たるや無限であった。実際に何が達成されたかについては後述することにする。
    次にコナンドイルとのファーストコンタクトとなった交霊会の様子を見てみましょうか。
    「はい、はい、はい、私は近づいている。近づいている。はい! 神様、ありがとうございます。なんという素晴らしい集いだ・・-・・。
    (話し手はその場にいる人たちの目には映らない、明るい光に輝く数多くの存在を見ているか、気づいているようであった)
    私はたくさんの友達に囲まれているようだ。光がとても明るい。これは素晴らしいことだ、素晴らしい。話してください。私に話しかけてください」
    (小さな声で、みんなが〝よく来てくれました、歓迎します″と言う)

    「アーサーが再び話します。私の妻に!(ここで記録の一部が省略されている)」

    「神様、ありがとうございます。神に祝福あれ! 私はここに来られた、来ることができた! 皆さん、私の感情の高ぶりを許してください。感情の高ぶりを感 じるなんて、私らしくないかもしれませんが、あなた方と再びこうして話ができるのがうれしくて仕方がないのです。これが何を意味するか、あなた方にはわか らないでしょうね。私は戻ってきたのです。今や、すべてが私に戻ってきたのです。もちろん、前にも話しましたが、私のすべての力をもって話したのではあり ません。


     私は素晴らしい体験をしました。私はそのすべてをあなた方に話したい。それはたやすいことではありません。あなた方が私を呼んでいるのが聞こえたのです。そのようなとき私はあなた方の近くにいたのですが、障壁がありました。今や、私はついに力を与えられました。
    しかし、私は心を静めなければなりません。なぜなら、私には明確なメッセージを伝えるという任務があります。ですから、皆さん、私が言うことを注意深く聞 いてください」「私の手助けをしてくれた方々に感謝します。私は最初自分がどこにいるか理解したとき、非常に戸惑いを覚えたようでした。私が願ったことは 唯ひとつ、戻ることでした。それから、説明しなければならないこと、話さなければならないことが山ほどあります。私は家に戻りました。家の中に入りまし た。愛する家族も見ました。私が意図したことのすべてを達成することを妨げたのはなんだったのだろう。私には達成しなければならない使命が見える。私はあ なた方にメッセージを伝えなければならない。難しい」

    以上のようにコナンドイルが最初に霊媒を通しての交霊は非常に難しい様子です。
    霊界からの通信というのは簡単ではなく、波長の合ったよい霊媒を通じてもなかなか思うように通信出来ないようですね。
    それでもコナンドイルの通信では「私には使命がある。それはあることを伝えるために戻ることである」というのですした。
    そしてこれから始まるコナンドイルの霊界通信がその重要な事を伝える事になったのです。(hima)




    つづく
            わたしんちの医学革命表紙

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    徹底的に薬剤批判を説いていた岡田茂吉の医学論の初期のものです。

    ただし、判断は貴方しだいですので、あくまで

    研究用です。

     

    岡田茂吉の医学論文集より 昭和10年ですので、約80年まえですが・・

    中毒にかかった日本人はかなり多いのでは?

    (かくいうボクもそうでしたが。。)

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    十一、薬剤中毒

    『日本医術講義録』第1篇、昭和10(1935)年執筆

     病気が、薬剤に依って治癒するものと一般は思っているが、これが大変な謬(あやま)りである。

    薬剤なる物の力は、苦痛を緩和させるだけの働きである。

    しかるに実際の治癒から言えば、前項に述べたるごとく、苦痛その物が病気治療の工作であるから、その苦痛を緩和するという事は治病の延期になる訳である。

    しかもそれのみではない。

    苦痛を緩和した、薬剤その物は、血液中に混入するのである。

    元来、血液は、絶対的純潔を保たなければならない性質のものであって、人間は血液さえ純潔ならば、黴菌に対する殺菌力の強烈なるはこれも、前項に述べた通りであるから、病魔には襲われないのである。

    又血液純潔ならば、その人は外界に対する抵抗力が強きを以て、冬の寒さも、夏の暑さにも、割合耐え易く、常に朗らかにして、元気旺盛なのである。

    現在非常に多い、神経衰弱等は、血液の溷濁(こんだく)が原因である。

    それらの多くは肉食及び薬剤服用、注射等の為が頗(すこぶ)る多いのである。

    私が永い経験上、何年も薬剤を服用し、又は頻繁なる注射をなしたる人の皮膚をみれば能(よ)く判るのである。

    一見するに、皮膚は黄色を帯び、光沢なく、弾力も無く、三四十にして、すでに老人の皮膚のごとくである。

    かくのごとき人は、常に憂欝にして元気なく、これと言う病気が無いに拘わらず、何となく優れず、随って、年が年中、薬餌に親しむという具合で、本人は飽くまで、薬に依らざれば、健康は回復しないものと、信じ切っているから、あちこちの病院を彷(さまよ)い、又は種々の薬剤を物色しつゝ、年を経る毎に、漸次、衰弱の度を増し、ついには、生命を失うまでに到るのである。

    嗚呼(ああ)、かくのごとき薬剤中毒者が、年々増加の傾向を認むるにおいては、結核や伝染病よりも恐るべきものがあるのであって、しかも、何人もこれに気が付かないというにおいては、人類社会の大問題である。

    私はこういう患者へ対して、薬剤中毒のいかに恐るべきかを教えるのである。

    幸にもそれを信じ、実行する人は、時日の経るに従い、薬剤中毒の自然消滅によって血行の循環は良くなり、胃腸は活力を益(ま)し、全体的健康は増進して来るのである。

    特に注意すべきは、小児の発育不良、慢性下痢等である。

    これらはほとんど、薬剤中毒である事は勿論、も一つ恐るべき事は、嬰児の発育停止である。

    折々見る所であるが、非常に発育が悪く一年を経ても、歯が生えないとか、目方が増えないとか、ほとんど発育停止の状態なのがある。

    この原因は医師に判らないという事をよく聞くが、私の診断では、矢張り、薬剤中毒である。

    生後間もない嬰児には、乳以外他の何物も不可なのである故に、薬剤服用が非常な悪作用をするのである。

    故に、そういう嬰児に、薬剤使用を禁止するにおいて、漸(ようや)く普通の発育状態に還(かえ)るにみても間違いのない事である。

    次に、面白いのは、多く足部であるが、豆粒大もしくは、梅干大の腫物が、能く出来るのを見るであろう。

    これは未だ誰も気が付かないが、実は、各種の予防注射が原因であるのである。

    それは、注射薬が、一旦、血液へ混入するや、時日の経るに従い、血液自体の、不断の浄化作用によって、血液中の不純物は局部的に集中せらるるのである。

    そして、なお益々(ますます)、浄化せらるるにおいて、遂に膿汁と化するのである。

    その膿汁が外に出でんとする、それが、前述の腫物の発生になるのである。

    故にこの場合は、自然に放置しておけば、膿汁は皮膚を破って排出され、自然に治癒するのであるが、この理を知らざる故に、驚いて医療を受ける、医師も気が付かないから切開をする、その時、無痛等の注射をするに依って、その注射薬が又、いずれは再び、膿汁となるから腫物が出来る、再び切ると言う様な事を繰返すのである。

    しかるに、不幸なる患者は、医師の誤診の犠牲となり、最後に医師は再々の腫物に依って梅毒の疑を起し、駆梅療法を行うのである。

    例の六百六号や、水銀療法等で、それら薬物が又、時日を経るに従い、膿汁に変化する。

    こういう膿汁又は汚血は、普通肩胛部、頸部に集注する性質がある。

    常に肩が凝り、首筋が凝り、頭痛がするという人は、そういう原因から来たのが多いのである。

    こういう患者が、偶々(たまたま)心配や過激に頭脳使用するにおいて、精神朦朧(もうろう)となったり、頭痛眩暈(めまい)等を起すのである。

    そうなると、医師の診断は、往々、脳梅毒と誤診するのである。

    脳梅毒と宣告された患者は、発狂の前提と思い、恐怖心を起し、職業を抛(なげう)ち、廃人のごとき生活を送るものさえあるのである。

    嗚呼(ああ)、諸君、これは架空の話や小説ではない。

    実際である。

    私が、観音力に依って知り得た、多数患者の病気の本源である。

    即ち、始め単なる一本の予防注射が、遂に、廃人同様の脳梅毒患者にまでされてしまうのである。

    何と悲惨なる事ではないか。

    かく、私が述べる事は、余りにも不思議と思うであろう。

    しかし、事実であるにおいて致し方がないのである。

    これらの真実を社会に覚醒さする運動こそ、人類救済の、根本的、緊要事であり、政治経済以上の大問題である。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    宗教的に言えば「観音様の教え」でしょうか・・

    いまでは船瀬俊介さんとかの教え

    内海聡医師の教え

     

    言っていることは

    「薬で病気を治せない、薬で病気をつくる」

    単純なのですが¥¥

    一度「中毒」にかかると抜け出せない「想念」なのでしょう。

    で、反省期どころか半世紀以上も経って、まだ、このような論文が

    変に思えるのでしょうね。 中毒患者には。。

     

     

     

     

    十一、薬剤中毒

    『日本医術講義録』第1篇、昭和10(1935)年執筆

     病気が、薬剤に依って治癒するものと一般は思っているが、これが大変な謬(あやま)りである。薬剤なる物の力は、苦痛を緩和させるだけの働きである。し かるに実際の治癒から言えば、前項に述べたるごとく、苦痛その物が病気治療の工作であるから、その苦痛を緩和するという事は治病の延期になる訳である。し かもそれのみではない。苦痛を緩和した、薬剤その物は、血液中に混入するのである。元来、血液は、絶対的純潔を保たなければならない性質のものであって、 人間は血液さえ純潔ならば、黴菌に対する殺菌力の強烈なるはこれも、前項に述べた通りであるから、病魔には襲われないのである。又血液純潔ならば、その人 は外界に対する抵抗力が強きを以て、冬の寒さも、夏の暑さにも、割合耐え易く、常に朗らかにして、元気旺盛なのである。現在非常に多い、神経衰弱等は、血 液の溷濁(こんだく)が原因である。それらの多くは肉食及び薬剤服用、注射等の為が頗(すこぶ)る多いのである。私が永い経験上、何年も薬剤を服用し、又 は頻繁なる注射をなしたる人の皮膚をみれば能(よ)く判るのである。一見するに、皮膚は黄色を帯び、光沢なく、弾力も無く、三四十にして、すでに老人の皮 膚のごとくである。かくのごとき人は、常に憂欝にして元気なく、これと言う病気が無いに拘わらず、何となく優れず、随って、年が年中、薬餌に親しむという 具合で、本人は飽くまで、薬に依らざれば、健康は回復しないものと、信じ切っているから、あちこちの病院を彷(さまよ)い、又は種々の薬剤を物色しつゝ、 年を経る毎に、漸次、衰弱の度を増し、ついには、生命を失うまでに到るのである。嗚呼(ああ)、かくのごとき薬剤中毒者が、年々増加の傾向を認むるにおい ては、結核や伝染病よりも恐るべきものがあるのであって、しかも、何人もこれに気が付かないというにおいては、人類社会の大問題である。私はこういう患者 へ対して、薬剤中毒のいかに恐るべきかを教えるのである。幸にもそれを信じ、実行する人は、時日の経るに従い、薬剤中毒の自然消滅によって血行の循環は良 くなり、胃腸は活力を益(ま)し、全体的健康は増進して来るのである。特に注意すべきは、小児の発育不良、慢性下痢等である。これらはほとんど、薬剤中毒 である事は勿論、も一つ恐るべき事は、嬰児の発育停止である。折々見る所であるが、非常に発育が悪く一年を経ても、歯が生えないとか、目方が増えないと か、ほとんど発育停止の状態なのがある。この原因は医師に判らないという事をよく聞くが、私の診断では、矢張り、薬剤中毒である。生後間もない嬰児には、 乳以外他の何物も不可なのである故に、薬剤服用が非常な悪作用をするのである。故に、そういう嬰児に、薬剤使用を禁止するにおいて、漸(ようや)く普通の 発育状態に還(かえ)るにみても間違いのない事である。次に、面白いのは、多く足部であるが、豆粒大もしくは、梅干大の腫物が、能く出来るのを見るであろ う。これは未だ誰も気が付かないが、実は、各種の予防注射が原因であるのである。それは、注射薬が、一旦、血液へ混入するや、時日の経るに従い、血液自体 の、不断の浄化作用によって、血液中の不純物は局部的に集中せらるるのである。そして、なお益々(ますます)、浄化せらるるにおいて、遂に膿汁と化するの である。その膿汁が外に出でんとする、それが、前述の腫物の発生になるのである。故にこの場合は、自然に放置しておけば、膿汁は皮膚を破って排出され、自 然に治癒するのであるが、この理を知らざる故に、驚いて医療を受ける、医師も気が付かないから切開をする、その時、無痛等の注射をするに依って、その注射 薬が又、いずれは再び、膿汁となるから腫物が出来る、再び切ると言う様な事を繰返すのである。しかるに、不幸なる患者は、医師の誤診の犠牲となり、最後に 医師は再々の腫物に依って梅毒の疑を起し、駆梅療法を行うのである。例の六百六号や、水銀療法等で、それら薬物が又、時日を経るに従い、膿汁に変化する。 こういう膿汁又は汚血は、普通肩胛部、頸部に集注する性質がある。常に肩が凝り、首筋が凝り、頭痛がするという人は、そういう原因から来たのが多いのであ る。こういう患者が、偶々(たまたま)心配や過激に頭脳使用するにおいて、精神朦朧(もうろう)となったり、頭痛眩暈(めまい)等を起すのである。そうな ると、医師の診断は、往々、脳梅毒と誤診するのである。脳梅毒と宣告された患者は、発狂の前提と思い、恐怖心を起し、職業を抛(なげう)ち、廃人のごとき 生活を送るものさえあるのである。嗚呼(ああ)、諸君、これは架空の話や小説ではない。実際である。私が、観音力に依って知り得た、多数患者の病気の本源 である。即ち、始め単なる一本の予防注射が、遂に、廃人同様の脳梅毒患者にまでされてしまうのである。何と悲惨なる事ではないか。かく、私が述べる事は、 余りにも不思議と思うであろう。しかし、事実であるにおいて致し方がないのである。これらの真実を社会に覚醒さする運動こそ、人類救済の、根本的、緊要事 であり、政治経済以上の大問題である。


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    十五、薬剤の逆作用 『日本医術講義録』

     

    十五、薬剤の逆作用

    『日本医術講義録』第1篇、昭和10(1935)年執筆

     薬剤は、病気治癒を妨害するものである理は、屡々(しばしば)述べた通りであるが、何故に妨害するかと言うと、それは逆作用をするからである。逆作用と は、薬剤を用いる目的と反対の結果になるのである。例えば、胃の悪い人が、消化薬をのむとする。なる程、一時は快くなり、病気が治癒される様に思うが、何 ぞ知らん、それは、胃の力ではなく、薬の力に依ってであるから、その為に胃そのものは、活動が鈍るのである。それは、薬剤が働くから、胃自身の活動は、一 時停止の状態となるのである。随って、服用すればする程、胃は益々怠惰となり、益々弱るのである。故に、最初、胃を強健にしたい目的で、服用する薬剤の、 その結果は、反って反対に、胃を益々衰弱させるという結果になるのは当然なのである。これと同じく便秘する人が、下剤を用ゆれば、大便排泄機関は活動の必 要がないから、漸時退化してゆくのである。退化する結果、いよいよ便秘を来し、いよいよ下剤の必要を感ずるのである。かような訳であるから、胃を強健にし たければ、胃をして大いに活動をさせなければならない。それには、特に、消化良き物を択ばず、すべて、普通食を摂取するのがいいのである。普通食は、自然 に、人間の胃の活動に適合する様に出来ており、祖先以来、それに依って立派に健康を保って来たのであるから、特に、牛乳を呑むとか、肝油を呑むとかは、い かに不合理であるかは判るのである。故に、万一、普通食を摂っていて、消化が悪るかったり、又は、胃に異常が生ずるとすれば、それはいずれかに、間違った 事があるのである。例えば、運動が不足だとか、飯の分量や時間を決めて食うとか、薬剤を服用するとか、それらの原因によってであるから、その原因を改めれ ば、必ず治るのである。胃病等に罹るべきはずのものではないのである。故に、胃病などになるという事は、私は不思議と思うのである。
     次に、便秘なども不思議なのである。物を飲み食いすれば、水分は尿となりて排泄され、固形物は糞便となって、体外へ排泄されるのは、定(きま)り切った 事である。人間の肉体はそう出来ているのである。そうならないのは、矢張りどこかに間違った点があるのである。それをよく査べてみれば必ず解るので、早 速、その原因を革(あらた)めさえすれば必ず治るのである。即ち、水分の摂り方が少いとか、野菜が少いとか、偏食の癖があるとか、又は、腸の付近に気の付 かない様な病気があって、その病気の微熱の為か、まず、それらの点を考うべきである。右述べた、胃病と便秘以外、あらゆる病気はそうなのである。よく、私 が実見する所であるが、腹膜や肋膜で溜った水を排泄すべく、尿の出る薬を、医師は服ませるが、これも前述の理に依って、その薬剤を服用するや、一時は、効 目によって尿が出、尿が出るから病も軽減するが、それは一時的の事であって、ある時期を過ぎると、漸時便秘の場合と同じく、尿の排泄が減少してゆくのであ る。従って病は悪化するのである。
     今日の科学の試験管での研究になった薬剤が、生命力の神秘に触れると言う事は、痴人の夢である。分秒も停止なき、不可解の液体や熱、その他未知の物質に 依って動いている内臓と、ただ物質に過ぎない、試験管の中とは、夢想も出来ない異(ちが)いさである。学理と反対の結果になる等は、当然の話である。この 様な事すら、社会一般に判っていない為に、いかに多くの人が、この薬剤の逆作用によって、苦しみつつ、命を縮めているかは、実に恐るべきものがあろう。故 に一日も早く、これらの誤謬を、一人にても多く、判らさなければならないのである。


    0 0

     

    jwb^^¥「」」  ←意味不明  (翻訳:自由研究です♪)

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     

    現代医学は何処へ行く


    『新日本医術書』昭和11(1936)年執筆

     現在、医学研究の為に、日本だけに見ても幾千の人と、一ケ年幾百万の費用を使って、研究に専心没頭しつつある事である。それは吾々から見れば、全く徒労のような気がしてならない。忌憚(きたん)なくいえば、それらは一小部分に溜(とど)めておいて、今一層有意義なる事に転向したならばと常に思うのである。
     こんな事を言えば、狂人の言葉とも見られるかも知れないが、以下の論旨によって、深く検討されたいと思うのである。
     一体、医学の目的とは何ぞやと言えば、言うまでもなく、人間病気の根絶である。それ以外に何物もあり得ない事である。故に、日本は固より、全世界文明国の医に携わる数多(あまた)の学者権威が智能を絞り、日夜苦心惨澹、分析研究に努力しつつあるのは、終局の目的たる病気根絶の為である事は、言うまでもないのである。故に、それらは最終の目標たる病気根絶のそれまでの研究でもあり、努力でもある訳である。
     故にもし、今直ちに病気根絶の方法が発見され得たとしたら、最早、研究努力の要は無い訳である。しかしながら、余りに意外な私のこの説を、直ちに受入れるのは困難であろう事は判っている。どうしても綿密な実験以外に解りようはずが無いからである。
     医学上最も難治とされる癌、結核、痔瘻(じろう)、喘息、脳溢血、中風、癲癇(てんかん)、発狂、梅毒、脳膜炎等、あらゆる疾患が、罹病後直ちに来れば、二、三回ないし十数回の治療によって全治するので、治病率百パーセントの実績は決して過言ではないのである。現在あらゆる治療に散々拗(こじ)らされたる患者が大部分であるに係わらず、なお八十パーセンテージ以上の治病実績を挙げつつあるにみて、想像され得るであろう。
     事実に抗弁し得る力は絶対に有り得ない。繰返して私は言う。かくのごとき完全療法が成立した以上、医術はこれのみになる事は必然の理である。今日の薬剤、医療器械等、数十年の後には、博物館へ歴史の参考品として飾られるかも知れないとさえ想うのである。
     この療法あるを知らずして、それの恩恵に浴せない事程、不幸な人達はあるまい。否、それよりも最大級の不幸な人というのは、この療法を眼にし、耳にしながら、信ずる得(あた)わずして、遂に貴重なる生命を失う事である。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    当時の岡田式浄霊療法の効果は絶大だったようです。

    そして、いまは・・・??

     

     

     

     ついき

    お陰玉で、予約投稿が今週の土曜までできました。

    明日からは楽ちん

    akyooonよ、どこへ行く

     

     

     


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    すでに昭和11年(1936年)から「医学は退歩していた」とは?

    もっとも、最初からボタンの掛け違いがあったのでしょうけど。

    「気づいた」ということでしょうね。

     

    まさか、まさかの坂が現代医学の魔坂は急坂、上り詰めてみると・・・あとは真っ逆さま

     

    当局から呼び出しが来るかな?

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    医学は退歩したか

    『新日本医術書』昭和11(1936)年6月10日執筆

     去る五月下旬の朝日紙上に、こういう事が掲載してあった。



     非常時局の中堅層をなす我が壮丁(そうてい)の体格及び健康が近年次第に低下しつつあるので当局では深く憂慮し、二十七日午後三時から九段偕行社に陸軍側から小泉医務局長、中島二等軍医正、園田一等軍医、文部省側から岩原体育課長、大西学校衛生官、伊藤事務官が出席、対策協議する事となった。

    こう云う陸軍、文部両当局の協議は今度初めての企(くわだ)てである。


     我国壮丁の体格は筋骨の弱い丙種、丁種の者が大正十一年から十五年までは千人に対し二百五十人であったのに、昭和七年度は千人に対し三百五十人に増し、翌八年は更にこの兵役免除者が四百人に増加している。

    又壮丁の胸部疾患も明治三十二年には百人中二人だったのが、現在ではこの十倍、即ち百人中二十人に増率し、身長に比して体重の増加は著しく劣って居り、教育程度が進むにつれて体格は悪く丙種丁種が多いという悲しむべき状態である。

    この壮丁の悲況を陸軍、文部両当局の協議がいかに打開するか、各方面から注目されている。



     右のごとき、明治三十二年から三十数年を経た今日、兵役不能者が十倍にもなったという事は実に驚くべきである。

    国家的に観てこれ以上の重大問題が他にあるであろうか。

    須(すべか)らく国家全体の智嚢を搾(しぼ)って、その原因を検討しなければならないのである。

    しかも一方医学は非常に進歩したという事になって安心して居るにも不拘(かかわらず)、事実は反対にそれを裏切っているのはいかなる原因に拠(よ)るのであるか。

    この趨勢を以てすれば、今後といえども殖えるとも減少する見込はないと想えるのである。

    何となればその根本原因が適確に判明されて、それに対する方策が確立されなければである。


     しかるにこの重大事に対して、当局も世人も案外無関心で居る、ただ一部の当局のみが焦慮しているに過ぎないとは、聖代におけるまことに不可解事であるといってもよい。


     この一事に徴してみるも、現代医学衛生における根本的欠陥がなければならない事である。

    故にこの重大事を救うの道は、この欠陥の発見で、それ以外には絶対無いと言えよう。


     しかるに私は、その欠陥を発見し得たので、発見と共に全く驚歎久しゅうしたのである。

    それは一体何であるか、以下詳細に述べてみよう。


     これら激増しつつある虚弱者特に結核患者(弱体児童を含む)に対し、現代医療は何をして居るのであろうか。

    真に防止しつつあるのであろうかというに、実際は防止所ではなく反対にどしどし作っているという一大奇怪事である。

    そうしてこの様な信ずべからざる程の重大事に誰もが気が付かないという問題である。

    この意味において、むしろ医療なるものが無かったなら、兵役不能者は一大激減をするであろうとさえ思うのである。

    否事実そうである事は火を睹(み)るよりも瞭(あきら)かである。

    それは医学が進歩するに随って漸増するという一事が遺憾なく証拠立てている。

    千人中二百人にも兵役不能者が増加したという生きた事実こそ、私の右の説を裏書して余りあるのである。

    噫(ああ)、国家の前途に対して、これより大なるものは無いであろう。


     しからば右のごとき、医学の誤謬とは何であるか。

    それを赤裸々に述べなくてはならない。

    それを述べるに当って、その誤謬の根本とも言うべき病気の本体から明かにする必要があろう。

    そうして医学におけるそれの認識が一大錯覚に陥ってるという事実である。

    それは医学においては、何故に病気が発生するかという事には未だ不明であって、医学上における目下のそれはあらゆる病原が黴菌であるという他動的原因、即ち他原説である。

    しかし、これがそもそもの誤謬である。

    否、全然誤謬ではないが、実は一面の解決でしかない事である。


     しかるに、私の研究によれば、病気の本体は実は人間自身の自然浄化作用である。

    即ち、自原説である。

    それは何か、人間が生存上、あらゆる原因に因って不断に汚濁が堆積するのであって、それが為に血液の不浄化となり、その不浄化が病原となるのである。

    が、それは不浄血液そのものではなくて、その不浄血液を浄化さすべき工作そのものである。

    故に、病気現象なるものは、浄化作用としての苦痛でしかないのである。

    そうして結核患者は何が故に発生するのかといえば、それは汚濁が不浄血及び膿汁となって、何人といえども、頸部付近と肩部付近に溜積するのである。

    そうして、その汚濁の溜積がある程度を越ゆる時、それの解消作用が起るのであって、その、動機促進が冬の寒冷でその工作が風邪である。

    故に、風邪に罹るや、それら汚濁を解溶すべく発熱が起り、膿は稀薄となるので、喀痰及び鼻汁とし排除されるので、それに依って人体は健康を保ってゆけるのである。

    故に風邪こそ実に、最簡便なる天与の万病離脱法である。

    しかるに昔から、風邪は万病の因などというが、これは全く誤りであって、実はその反対の万病を免れ得る最も最善の方法であって、実に創造神が作為されたいとも巧妙なる保健法である。


     にも不拘(かかわらず)、それに盲目である医学は、風邪に罹る事を非常に恐れ、飽くまでこれを避けんとするのである。

    それが為万が一罹病した時、発熱を懼(おそ)れて飽くまで下げようとするのである。

    その結果折角の浄化は不能となって、ついに汚濁はそのまま残存し、時日の経過と共に固結してしまうのである。

    この汚濁固結こそ、実に結核的弱体化のそもそもの原因である。


     そうして、頸部及び肩部付近に溜積せる水膿固結は、解熱剤、安静療法その他によって一旦解熱し、鎮静を得るといえども、それは一時的で真の治癒ではないから、再び自然浄化作用に因って風邪に罹るのであるが、医療は再び浄化防止を行うので、その結果として膿の固結は漸次加重されていく訳である。

    かくのごとき事を繰返すにおいて、膿の固結は益々増加するから、当然の結果として自然浄化に因る発熱は解熱剤を以てしても容易に鎮静しない程に執拗(しつよう)となるのである。

    その必要となった発熱の為に溶解した膿が喀痰となって排泄する。

    その為に咳嗽が起り、それが連続的となるのである。


     又、今一つの症状を見逃す事は出来ない。

    それは、不断に頸腺及び肩部に集溜しようとしつつある全身の汚濁は、右の部に溜積した長時日の膿の固結に遭ってその部への集溜は不可能となるので、止むを得ずそれ以下である胸部の上辺から、乳及び腋の下の肋骨膜に溜積固着するのである。

    その固着部が乳及び腋の下辺である訳は、勿論、人間が両腕を絶えず使用するという、その為の神経集中によるからである。

    そうしてこの症状が胸部であるによって、医家の診断は肺結核又は肺浸潤とするのであるが、実はこの際は肺には何ら異状はないのである。

    何となれば、右は肋骨の内部症状ではなくて肋骨の外部であるからである。

    しかし、何分発熱とラッセルとレントゲン写真に雲状を顕すにおいて、肺患と誤診するのは無理もないのであるが、これは全く否である。

    故に、この症状は余の治療に依れば、一人の例外なく全治するに見ても、肺に異状のない事が明かであろう。


     次に、肺患悪化の原因として、特に消化不良の一事である。

    そうして、この原因の大部分が謬(あやま)れる医療の為である事は言うまでもない。

    それは、肺患と知るや、医療は絶対安静を行うのである。

    この為運動不足による胃弱は著しいものであるのと、今一つは消化薬を服用させる事であるが、事実において胃を強め、食欲を増進させようとするその目的とは反対の結果となるのである。

    なぜなれば、一時は胃薬によって消化は旺盛となるが、日を経るに従い、胃自身の活動力は漸次衰退するのである。

    それは薬剤が消化してくれるから、胃は活動の必要がないから衰耗するのは当然な理である。

    その結果として、胃薬の効果が漸次薄弱化し、食欲不振となるから、いよいよ胃薬を服用させるという循環作用によって、胃はついに睡眠状態となるので、それが病勢を悪化さす事は、実に致命的でさえある。

    現在頗(すこぶ)る多数に上りつつあるという胃疾患の原因も、これで肯(うなず)けるであろう。


     その他、下痢、喀血、盗汗(ねあせ)等の原因及び療法等の誤謬も、右と大同小異であるから略する事とするが、要するに以上に依っても判明さるるごとく、現代医療は驚くべき錯覚の道を歩んでいるのである。

    これを一言にして言えば、人体に病気が発生するや、それを治癒しようとするその方法が治療の妨害となる事であって、特にその妨害の最も根本ともいうべきが解熱剤と氷冷である。

    故に、忌憚なく言えば、人体自身の治癒工作と治癒をさせまいとする医療との闘争で、その結果としての結核増加である。


     しからば、いかにすべきが最善であるかという事である。

    それはまず風邪に罹るや、発熱を尊重して、そのまま放置しておけばいいのである。

    そうすれば、汚濁は順調に解溶排泄さるるから根本的に頗る順調に治癒するので、勿論、再発の素因は消滅さるるのである。

    これは実験するにおいて一点の誤りの無い事を知るのである。


     この理によってみても、結核激増の真因は、全く解熱剤がその第一歩である事が知らるるであろう。

    故に、解熱剤禁止と氷冷法廃止と風邪非予防だけを行う事によっても、恐らく結核患者は三分の一以下に減少する事は断言してはばからないのである。

    実に、医学が結核患者を作りつつあるという、信ずべからざる程の戦慄事が、国家の保護の下に公然と行われつつあるという事である。


     しかしながら、医学においても、一部の進歩は認め得らるるのである。

    それは、器〔機〕械の巧緻化と療法の複雑多岐と、薬剤の多種多用になった事である。

    しかしながら、根本である病原を錯覚している限り、それらはただ人々を幻惑させるに過ぎないのであって、反ってそれらに没頭し、満足しつつ終(つい)に根本に遠ざかってしまうという危険さえある事である。

    それ故に、病原の確定的発見さえあれば、器械や薬剤はむしろ不必要の存在でしかなくなるであろう。


     次に、現在医家の診断に誤謬の多い事は、実に驚くべきものがある。

    余が診査するに、官立の大病院における診断でさえ、ほとんど七、八十パーセントは誤診である。

    これを読む人は信ずる事が出来得ないであろうが、事実は厳(げん)として動かす事が出来ないのである。

    それは医学において、唯一の診断法としているレントゲン写真でさえが、決して正確ではない事である。

    それは、前述の肋骨及びその外部に滞溜せる膿の固結と、未固結の膿汁のそれが、雲状に顕出するのを肺の疾患と誤る事によっても明かである。

    もっとも写真映像は平面であるからであろうが、これらも一大自覚の必要があるであろう。

    又、ラッセルにおいても、肺胞の場合もあるが、右の肋骨付近の水膿による場合も多いのである。

    又、肺胞にラッセルがあっても、肺患でない場合も多くある事を知らねばならない。

    又、微熱であるが、これはほとんど肺が原因であるのは十人に一人もない位である。

    そのほとんどは頸腺及び肩部、肋骨部、胃部、腹部、腰部等である。

    これらの発見に因る時、医学の診断の余りにも幼稚である事は不可解と思う程である。

    故に、現今、肺結核とされ、悲観している多数の患者は、実に肺に異常のない肺患者であると言ってもいいので、その事についていつも笑うのである。


     余が治療しつつある肺患の治病率は、その悉(ことごと)くがあらゆる医療を受けても治癒しないで、拗(こじ)れた難治症のみであるに不拘(かかわらず)、治癒実績が実に八十パーセント以上を挙げつつあるのは、何が故であるかといえば、肺に異常の無い、いわゆる肺患者であるからである。


     次に、今一つの誤療を指摘してみよう。

    それは病気軽快と治癒との判別がなく、混同している事である。

    そもそも、病患とは前述のごとく、それは浄化作用であるから、発熱、咳嗽、喀痰、喀血、盗汗(ねあせ)等の種々の苦痛、それはその患者の活力が旺盛であればある程、苦痛現象が猛烈であるはずである。

    しかるにその場合、医療は苦痛緩和の為の対症療法を頻りに行うのである。

    その療法とは、薬剤と獣性滋養食及び絶対安静法等である。

    しかるに、前者は血液を溷濁(こんだく)させ、後者は全身的活力を衰耗させるのであるから、浄化力は薄弱化するのは当然である。

    その結果として熱は低下し、咳嗽も喀痰も減少するので、病症は確かに軽快し、治癒に向うごとく見ゆるので、時によりほとんど治癒されたかと思う事さえもある。

    が何ぞ知らん、これは浄化停止の為の一時的緩和であって治癒ではないから、再発か又は現状維持のまま、全治もせず悪化もしないで数年に及ぶのであって、この様な患者は頗る多い事は誰もが知るところである。

    これは全く自然治癒防止のそれであるから、この様な経過中において、患者が運動をすれば直ちに浄化力が発生するから発熱する。

    それを医家は驚いて病気悪化と誤解し中止させるのである。

    近来泰西において業務に従事しつつ結核治病をせよという説が現われたのは、この絶対安静の非に目覚めた証拠である。


     以上のごとき、診断の不正確と病原の錯覚と治療法の誤謬等を綜合する時、現代医学なるものは一大革命をしない限り、国家の損失と民人の不幸は測り知れないであろう。

    この真相を徹底把握するにおいて、誰か寒心せざるものがあろうか。

    ここに吾人は一大警鐘を鳴らして、当事者に一大自覚を促さざるを得ないのである。


     表題の、「医学は退歩した乎」という事は、これに依て明かであると思うのである。


               (昭和十一年六月十日)

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

     

    うううむ・・・・・・・

    昭和11年か・・・・なつかしいなあ・・ (あ、オレってまだアッチの世界だったかな? よう憶えてオラン)

     

     

     


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    岡田茂吉論文研究会の資料用です。

    貴方の比較検討で必要なところを選んでくダサいね。

     

     

    あ、ダサいのはボク♪

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    病気に対する手当は有効乎


    『新日本医術書』昭和11(1936)年執筆

     病気に対する手当としては、各種の方法がある。

    まず、氷冷法、罨法(あんぽう)、吸入、湿布、芥子泥(からしでい)湿布等である。

    それらを簡単に説明してみる。


     一、氷冷法は最も不可である。

    高熱といえども氷冷しないに限る。

    何となれば、患部を氷冷する時は、自然治癒作用は、停止されてしまうからである。

    一例を挙ぐれば、中耳炎の場合、中耳炎は膿汁が排泄されようとして、中耳内に浸出し、それより外部に出でんとする。

    その為の痛みと高熱であるから、この場合患部を氷冷すれば、膿は中耳に向わずして、方向転換をするのである。

    それは後脳へ移行し、脳膜炎を起すのである。

    中耳炎だけで済むべきを、脳膜炎を併発させるという、それは氷冷するからである。


     又、盲腸炎を氷冷するとする。

    氷冷しなければ、高熱に依て膿溜は解溶され、便となって排泄し、治癒されるのであるが、氷冷の為にその作用は停止されるから、治癒が非常に拗(こじ)れるのである。

    それが為に手術を要する様な結果を、招来する事になるのである。


     他の疾患においても、大同小異であるから略する事とするが、ただ、高熱によって頭痛の場合、水枕位は差支えないのである。


     一、罨法
     あらゆる病気に対し、温めるという事は、多少の効果は必ずあるもので、従って、害はないのである。

    腫物、歯痛等に応用すれば治癒を早める事は確かである。

    それは、膿溜を解溶すべき、発熱に加えての人工熱であるから、自然治癒を援助する訳である。


     一、吸入
     これは、治療上効果もなく、さりとて害も無いのであるが、手数を要するだけ無駄であるから、まず応用しない方がよいであろう。

    特に小児においてそうである。


     一、湿布
     これは反って害があるのである。

    前述のごとく、治療上温めるのはよく、冷すのは悪いのであるから、たとえ、熱湯湿布をするとも、暖い時間より冷たい時間が多いから不可である。

    且つ、薬剤を使用するにおいては、反って害があるのである。

    何となれば、薬剤が皮膚から参透すればするだけ、それは膿汁のごとき、不純物と化するからである。


     一、 芥子泥湿布
     これは、急場の場合、多少の効果はあるものであるから、我療法を知らない人には、応用してもよいのである。


    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    氷冷はひじょ^~によくない

    頭冷やせよ!

    じゃなくて

    ア!玉冷やせよ! 

    かな??

    ここはどうなんだろ?

     

    次に人の性質と病気の性質について

     

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

     


    病気と人間の性質

    『新日本医術書』昭和11(1936)年執筆

     私が幾多の経験上、面白い事には病気とその人の性質とが好く適合している事を感ずるのである。例えば病気治療の場合、よく判るのであるが、素直な性質の人は素直に治ってゆき、淡白な人は病症も淡白である。それに引換え、我の強い人はそのごとく病気も長引く傾向がある。従って、頑固な人は病勢も頑固である。心の変り易い人は病気も変り易く、皮肉な人は病気も皮肉な経過を辿るのである。
     この理によって考える時、療病に際し、この事をよく知って、その人の悪いと思う性質を治してゆく事は、取不直(とりもなおさず)、病気に好影響を与える訳になるのである。それは、何事も素直になる事が最もよいのである。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


    ううむ、皮肉な人は・・・   のところが非常に気になるな・・・

    あと、心の変わりやすい人・・・

    もうひとつ、我の強い人も・・・・・

    あら、蛋白・・・・・も、いや、尿じゃ無いのか・・・淡白のほうね・・・・夜の・・・

     

    土橋重孝先生もガンとひとの性質について仰っていましたね。

    性質が病気に関係して来る

    まあ、思考にとらわれている人間界には病気も必要なのかな?

    病気は肉体だけでなく、精神思考も改善してくれる・・・

    のだろうが・・・・・

    頑固だから寝え~~

    天の邪鬼だからねえ~

    我が強いからネエ~~

     





     


    0 0

     

    手術というのは次善の策である。

    薬で治るなら不要だから。

     

     

    ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

    手術

    『新日本医術書』昭和11(1936)年執筆

     西洋医学中において、最も効果ありとする外科手術について詳説してみよう。

    専門家も一般世人も、手術に依る療法は、病根を芟除(さんじょ)するが故に、その効果は適確であると思っておるのであるが、これは決して完全ではない。

    実に拙劣極まる療法であって、人体器能をメスを以て自由に切開し、患者に苦痛を与え、しかも予後不具にも等しい痕跡を留め、なおかつ危険さえ伴うというに到っては、まことに以て野蛮極まる方法であって、これを進歩せるごとく思うとは、まことに憐むべきである。

    しかし現在これ以上の治療法が発見されないとすれば、また止むを得ないが、何ぞ知らん、我観音力療法は、手術すべき症状も、短時日に容易に全治し、しかも、手術による治癒は、往々失敗の憂と再発の危険あるも、観音力療法による全治は真の全治であって、再発の憂は決して無いのである。


     一例を挙ぐれば、盲腸炎であるが、この病に対して医師は、二十四時間以内に手術をせざれば危険なりとして、手術するのであるが、これはそれ以上の良法の無い為、まことに止むを得ないのであるが、この病の手術後、往々結果の良好でない事がある。

    それは、傷口の容易に治癒せざる事二、三ケ月以上を要する者、稀には二、三年を経るも、なお絶えず傷口から膿の参出する者さえあり、又、一旦治癒するもその隣接部に化膿塊を生じ、発熱痛苦を伴う事盲腸炎と同一の症状を呈するので、この場合医師は、再手術を奨めるのであるが、実際上再三の手術が患者の疲労を増し、遂に生命に係わるまでの危険さえあるのである。

    しかも、かくのごとき不結果なる治療に対して、数ケ月又は、数年の時日と、数百金ないし数千金に及ぶ多額の費用を要するにおいて、余りに無力なる西洋医学と思うのである。

    それに引代え、我観音力療法によれば、一回ないし三回にて全治し、しかも再発の憂なく、費用のごときは、拾円以内にて足りるという、実に比較にならぬ程の違いさである。


     次に、腎盂炎に対する手術も、盲腸炎と大同小異であるから略すが、彼の医学上最も治癒困難とされる各種の癌腫も、手術療法においては、結果不良が多いのであるが、観音力療法によれば、すべての癌腫の治病率が、九十パーセンテージの実績を挙げているのである。

    子宮癌のごときは、二、三回ないし六、七回の施術によって癌腫は解溶し、下痢となって排泄し、何ら痕跡を止めない程に全治するのである。


     その他、扁桃腺炎、中耳炎、淋巴腺炎は二、三回ないし五、六回、痔瘻、横痃(よこね)等も、一週間ないし三週間にて、重症も全治するのである。


     瘍疔及びこれに類する腫物に対しての手術は最も不可にして、これらは自然療法が最も安全確実である。

    忌憚なく言えば、これらの病にて生命を失うに到る原因は、大方手術の為といっても過言ではないので、これは医家も気付かねばならないはずである。

    何となれば、一切の腫物は血液中に在る毒素が、自然浄化作用の為膿化し、その膿が体外に排泄さるる現象であるから、自然に放置すれば、熟するだけ熟して、最後に破れた皮膚面から全部排膿されて、痕跡も無く治癒するのであるにも不拘(かかわらず)、医師は未だ熟せざるに切開をするを以て、充分患部に膿が集溜していないから、幾日も排膿の工作を続けなければならないのである。

    自然療法においては、排膿期は、患部の内面は、既に新しい肉が形成されているから、排膿するや速かに、常態に治癒するのである。

    故に手術するよりも、自然療法の方が、短時日に全治するのである。

    この見易き事実さえ不明なる西洋医学は、まことに不可解とさえ思うのである。

    しかもこの際、唯一の方法としている氷冷法は、非常な誤りである。

    何となれば、氷冷法を行うや、患部への膿の集溜は停止されるから治癒は妨害され、それが為に全治は非常に遅延するのである。

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

     

    ここで言う、観音力療法 なるものは岡田式「浄霊法」のことですが、その威力は当時のことなので現代では通用するのかどうかは不明です。(それほど無いのかも・・・)

     

    あと、自然療法とは要するに医学的治療を施さない(うちゃらかしておく)ことだと思います。

    これは勇気が要りますね。

    だって、放っておく=危ない  と皆思い込んでいるわけで、また時にはそのまま逝く場合もあるだろうし、、

    どっちにしても逝くのは誰もが逝くんですけどねえ~~

    うっちゃらかして置いて逝くってのが許せないんですよね。

    だから、「精いっぱい努力しました」って証(あかし)として猛毒抗癌剤飲んだり飲ませたりして、手術でどんどん体を弱らせて苦しませても

    ありがとうございました~~♪

    と、感謝感激♪  ヒデキ  いや、ひでえなあ~~

     

     

     

    あとにした前書き

     

    手術の進歩は医学の退歩

    なんて言っちゃたら、逮捕されるかな?

     

    しかし、シンの医学の進歩は手術も薬も不要なること。
    少なくともそこに向かって前進すること。

    まず、薬で病が治れば薬はどんどん要らなくなる。(体質がよくなってゆくので)

    ところが薬が増え続けて(現代では18000種もあるらしい)、それでも病は減るどころか増え続けている。

    したがって、薬で治らないから手術となる。(事故とかの傷害は別)

    ところがそれも治しているわけでは無い。(切ったりのはったりでしかない)

     

    そこで、ついには臓器移植。部品交換と北門だ。

    しかも、他人のじゃ受け付けない免疫システム。結局、薬で免疫をやっつけながらでしかない。

    そこに万能細胞と北門だ。

    これが体外で自分の細胞から部品調達製造・・・

    なるかな。 いやナランだろう。

    万能細胞とかで部品交換にまで逝くのが医学の最終的敗北なのだが。

     

    それを万能という言葉でだまされて島茶って・・・・

    ばんざい、ヽ(^。^)丿と叫んでいるのが現代人のバンザイ細胞\(-o-)/脳

     

    手術の進歩が医学の進歩と真っ逆さまに思い込んでシマッタ。

     

    ここには人間はロボット、人形だという医学観でしか考えられない\(-o-)/脳

     

    この時代は盲腸も扁桃腺も平気で切り取ってしまったようだ。

    え?今でも盲腸不要論があるって!

     

    得体の知れないモノ(つまり、自分たちの脳では理解できないモノ)は不要なんだ。ジャンクだ。

    だから、切り取ってしまえ♪

     

    え、オマエのアタマもおかしいから切り取ってもらえばって?(事故突っこみです)

     

     


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