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PART6 無用の惨劇●動物たちの復讐『罪なきものの虐殺』

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ウェブ魚拓より   世界医薬産業の犯罪

PART6 無用の惨劇●動物たちの復讐『罪なきものの虐殺』への追補●レイプ・ラック●代替法『罪なきものの虐殺』への追補●堕ちた偶像『罪なきものの虐殺』への追補●心臓だけではなく肺も●そして骨髄も●そして狂気へ●ついに脳の移植

ーーーーーーーーーーーー以下転載ーーーーーーーー

PART6 無用の惨劇



イギリスの女医第一号、アナ・キングスフォード博士は次のように書いている。


「動物実験者の魂に巣食う精神の堕落は、彼から最高最善の知識を得る能力を奪う。
彼は健康の秘密を発見するよりは、病気を蔓延させることの方がはるかに容易だということを知るだろう。
彼は生命を蝕む細菌を探し求めるが、見出すのはただ新しい死に方のみである」。


***
科学は人類に迷信からの救済を約束した。
しかし、自らが歴史上、もっとも高慢で残虐な迷信と化した。
これは現代文明の生んだ最大の悲劇と言えよう――かつて、もっとも秀れた常識のフォルムであった科学は、今や神として生まれ変わった。
民衆(信徒)も科学者(司祭)とともに天上の声を聴く科学はかく仰せられる、かく求めておられる、と。
科学は機械的な神である――かつての神々は司祭に去勢を求めた。
しかし科学は司祭に、人間的感情を取り除くよう要求する(ブリジツド・ブロフイ『ザ・リスナ~』一九六九年)。


***
人の寿命は少しも変わっていない。
人は老いると病気がちになる。
どんなに多量の薬を飲もうと、どんな手当をしようと、六五歳という平均寿命は、この一世紀の間ほとんど変化していない。
薬は老化に伴う疫病には手の出しようがない。
老化現象そのものにはさらに手の出しようがない。
薬は
心臓病も癌も関節炎も肝硬変も、そしてごく普通の感冒さえも治せない。
確かに老いた人々の苦痛の一部は緩和できるようになった。

しかし残念ながら、一般論としては、老人への専門的医療措置は苦痛を増加させる。
そればかりでなく、措置がうまくいった場合、かえって苦痛を長引かせる結果になっている(イヴァン・イリッチ『医学のネメシス』p45,"ロンドン、一九七五年)。


***
「多数の労働者に職がない時、失業問題がおこる」というフーバー大統領の有名な論法がある。
実はこれは、学術論文でしばしば見かける論法なのである。
「生体が食物を与えられなければ飢餓がおこる我々はこれを、統計的に有意な数のイヌ、ネコ、サル、ロバ、ブタその他の動物を使って科学的に証明した。
また助成金が与えられれば、これを再度証明する準備がある」
しかし今日、「基礎研究」と呼ばれる仕事に携わる人々は、このような見え透いた言いわけをするだけの良心もなくしてしまったようだ。
「基礎研究」といえば響きは良いが、つまりは、健康な動物にまったく不必要な拷問を加え、肉体的精神的に破壊してしまうという作業のことである。
これは正気な人間にとっては、考えることさえ不可能、ましてや実行することなど論外な行為なのである。

 

 



●動物たちの復讐『罪なきものの虐殺』への追補

WHOによれば、肉体的精神的にハンディキャップを負った人の数は、一九八〇年に世界中で四億五〇〇〇万人、すなわち世界人口の約一〇パーセントに上るという。
そのうち一億三六〇〇万人が一五歳以下である。
これは、健康環境が悪化し、かつてないほどに多くの子供たちが、国際教育財団のお節介で、いやがおうでも有害な医療介入を受けている結果の数字と言えよう。

たとえば、胎児期に母胎に施された治療、出生後の各種の予防接種、放射線、合成ビタミンや合成薬品の投与などである。
一億三六〇〇万人の内訳はヨーロッパ一一〇〇万、北米六〇〇万、ラテンアメリカ一三〇〇万、アフリカ一八〇〇万、アジア八八〇〇万となっている。


***
次に引用するのは『臨床薬理学および治療学』(Vol.7,1966,pp.250-270)に載ったイギリスのロバート・シャープ博士の、非常に啓蒙的な論文である。
これは、拙著『罪なきものの虐殺』の内容を確認するものである。


――フレミングはペニシリンが(ペニシリンは偶然に発見された。
動物実験によるものではない――著者)、血液によって不活性化するのではないかと考えていた。
この懸念は、サンプルをウサギに注射したところ、確認されたかのように思われた。
この結果に落胆したフレミングは、ペニシリンをさらに広汎に応用してみようという興味を失い、体表面の感染症に限って使用した。

後にオクスフォードのフローレイとチェインの二人がペニシリンに再注目し、ネズミで感染症に効果があることを確認した。

しかし、ここで幸運だったのが、実験動物の種類の選択である(二人がこの実験を開始した時、彼らの実験室では、もっとも一般的な実験動物であるモルモットが全部死んでいたのである――著者)。
ペニシリンはたとえ微量であってもモルモットには致命的である。

もしネズミの代わりにモルモットが実験に使われていたとすれば、おそらくペニシリンは永遠に日の目を見ることがなかっただろう。

さらに幸運が重なる。
ある重病の患者を救うためにフレミングはペニシリンを脊椎に注射することを考えた。
しかしその結果がどうなるかについては未知である。
フローレイは急ぎネコを使って実験を行なった。
が、その結果を待っていたのでは、フレミングの患者が助かるチャンスはなくなる。
ネコの結果が出る前に、患者はペニシリン注射を受け、回復した。
しかしフローレイのネコの方は死んだ。
この教訓は今もって生かされていないのである。


***
一九八一年四月二十三日、医師、研究者、作家、芸術家などからなる三〇名のイギリス人が、マーガレット・サッチャー首相宛ての嘆願書にサインした。
国の医学研究予算の一部を、動物実験に代わる別の方法の開発専用に回して欲しいという主旨のものだった。
この時も、それまでと同様、サッチャー首相は断固、冷たくNOと言い放った。

同年五月十四日付、ダウニング・ストリートからの返信は次のようなものだった。


「――生化学研究における動物使用に代わる研究方法開発のためにさける国家予算は、残念ながら、ありません。
医学研究委員会は、代替法に関する研究プロジェクトは、従来の研究プログラムの一環として行なうのがベストであると考えています――」。


この「医学研究委員会」なるものが強硬な実験主義者によって構成されているという点はここで指摘するまでもなかろう。
また、「科学畑」出身で、これまでも常に動物実験支持の姿勢を見せていたサッチャー首相は、自身がかつて動物実験に関わっていたのではないかという疑惑を持たれるのである。
事実、動物実験を認めるほどの人は誰でも、実験そのものへの参加をも躊躇しないだろう。


***
西ドイツの保健相アンジ・ヒューヴァーの姿勢もサッチャー首相のそれに非常によく似ている。

一九八一年六月二十五日、ヒューヴァー保健相はボンでの公聴会の席上、動物実験を破棄することはできないし、部分的廃止たとえば化粧品のための実験や残酷な上に間違った結果を導きがちなLD-50(対象動物の五〇パーセントに対する致死量)テストなど――も問題外である、ときっばり言い切った。
ちょうどその頃、保健相の同僚ミルドレッド・シールが、「癌征服プログラム」
のために、マルクをかき集めている最中だった。

ヒューヴァー保健相は、他の仕事があるからと言い二〇分で公聴会から逃げ出した。
あとは保健省の役人の一人が引き継いだ。
この役人は、実験削減の実施すらも難しいと述べた。
というのは、保健省が実験の実態を完全に把握しきれていないためだという。
「たとえば、我々は我が国の大学の中で、何がおこっているのか知りません」と彼女は言う。
また、なぜ保健省がせめて悪評フンプンのLD-50テストだけでも禁止しないのか、と聞かれて、こう答えている。
「もしそんなことをすれば、我が国は薬品を輸出できなくなります」。

この時、彼女は明らかに、アメリカの時代遅れのディレイニイ改正法に言及していたのである。

この改正法は、各種のテストを義務づけたもので、今日の全世界の薬害に大いに責任を負うべき法律なのである。
また、彼女の回答は、サッチャー首相、ヒューヴァー保健相をはじめとする先進工業国の政治家たちが、製薬トラストの利益にいかに深く絡んでいるかを示す証言だったのである。


***
ニューヨーク州ローゼスポイントで発行されているタブロイド誌『ザ・グローブ』の一九八〇年五月二十七日付の記事に次のようなものがあった。


空軍の極秘化学戦・レーザー線研究に携わっていた心理学者が明らかにしたところによれば、殺人光線や電気ショックによってアカゲザルが情容赦なく盲目にされたり苦痛を与えられたりしているという。
テキサス州サン・アントニオのブルクス空軍基地での実験に使われたアカゲザルは、その傷めつけられ方があまりにもひどかったため、自己破壊的になり、自分の腕の肉を噛みちぎったり、胸から毛の塊を抜き取ったりするようになった、と心理学者のドナルド・バーンズは『ザ・グローブ』の単独インタビューに答えて語った。

バーンズはオハイオ州立大学の卒業生で、ブルクス空軍基地で一六年間、研究者として非の打ちどころのない仕事ぶりだった。
しかし、実験用サルの扱いが余りにもひどいため、これを世間に公表すると抗議したところ、今年一月に解雇されたという。

空軍スポークスマン、サルバトーレ・ギアンモは、空軍施設は、実験動物認定協会の検査官による立入検査を、一九七九年五月十五日に受けており、その際、問題なしと判定されたと語っている。

しかし、たとえば首の回りの拘束カラーがきつすぎたため、窒息死した三匹のサルを目撃したとバーンズは語る。
さらにこう証言する。
「椅子に縛りつけられたサルたちが、胸の前でクロスしている金属の棒の間から死にもの狂いで抜け出そうともがいているのも見ました。
サルたちが余りにも激しくもがくので金属棒が腹壁に食い込み始めていました」。

アカゲザルが実験動物として重宝されるのは、穏やかで非常に信頼のおける動物だからである……。

バーンズは言う。
「――台はユラユラ揺れるようになっており、我々はサルたちにその台をまっすぐにするレバーの使い方を教えました。
その訓練の仕方というのは、足の裏に金属板をつけ、
彼らが迅速に正確にレバー操作をしないと、そこに電流が流れるようになっているのです。
なかなか操作を覚えないサルには、突然電気を流してショックを与えて罰しました。
サルは一日に何百回もショックにつぐショックを与えられます――けれども私たちの行なっていた実験はほとんど無意味なものでした。
すでに以前、行なわれたことのある実験ばかりだったんです」。


***
一九七九年九月二十四日付、ロンドンの日刊紙『スター』より。


実験施設へ送られるサルたちは、檻にぎっしり詰め込まれたままの状態で激しく鳴き叫ぶ。
そのため喉が膨れ上がり呼吸ができなくなる。
インドネシアから発送された六二五匹のうち、恐怖の空の旅を耐え抜いて、生きてスウェーデンに着いたのはたった一四〇匹だけだった……。


アムステルダム空港で、サルの輸送風景を目撃したディック・ヴァン・ホーンのコメント。


「九月八日、インドネシア、ジャカルタからスウェーデン、ストックホルムへ送られる数百匹のサル(ジャワ産、アカゲザル)が、乗りつぎのため、アムステルダム空港で数時間待たされていた――取り締まり官が檻のうちふたつを開けるよう命じた。
ひとつの檻には一五匹のアカゲザルが入っていたが、そのほとんどすべてが怪我をしていた。
もうひとつの檻には一一匹いたが、そのうち七匹はすでに死んでいた。
これらのサルの死因は明らかに空気不足で、眼球はとび出し、舌は自分で噛みちぎったものらしかった。
取り締まり官は灯りをかかげて、他の檻も検査したが、次々に死んだサル、怪我をしたサルが発見された――」。


***
国際霊長類保護協会(IPPL)の会長、シャーリー・マクグリ~ル博士のリポートから、サルの輸出に関する情報を少し拾ってみよう。

インド政府は一九七七年、サルが残酷な放射能実験に使われていることに抗議して、輸出禁止に踏み切った。
アメリカとWHOからの強力な圧力、またインド自身の政権交替にもかかわらず、現在も、輸出は再開されていない。

バングラデシュ政府は一九七九年、あるアメリカの業者に七万匹以上のサルの輸出を許可した契約をキャンセルした。
八一年三月二十六日付の『ウォール・ストリート・ジャーナル』によれば、ダッカのアメリカ大使館は、バングラデシユ政府に、輸出が再開されない場合は、アメリカからの政府援助を打ち切るとの脅迫まがいの圧力までかけていたという。
さらに、アメリカ大使館にこの輸出再開要求をゴリ押しさせたのは、契約をキャンセルされた動物業者だったとも伝えている。

この件のもっとも強硬なロビイストの一人は、WHOの生化学薬剤部長フランク・パーキンズ博士である。
博士の娘、ジェイ・パーキンズ・イングラムは、アメリカでジャッカス霊長類商会なるサルの輸入業を営んでいる。


***
インドの切実な外貨獲得の必要にもめげず、あえてアカゲザル輸出禁止に踏み切った当時のインド首相はモラルジ・デサイである。
七八年六月二日、ニューヨークでの記者会見での彼の発言は、アメリカ人報道関係者にとっては、人間性、倫理観、医学観などに関する耳の痛い教訓だった。

質問――首相御自身、我々人間にとっての医学上の必要性についてはよく御理解いただいているとは思いますが、研究用アカゲザル輸出反対の立場を御説明頂けますでしょうか。
答――真の人間であるならば、いかなる生きものに対しても残酷な仕打ちはすべきではない、というのがインドの哲学です。

それゆえに我々はいかなる動物も人間による残虐行為の対象となるべきではないと考え、輸出を拒否しているのです。
現在のような科学研究だけが人類の幸福への答ではありません。
自然の法則に従うことにより、人類は幸福、健康へとより大きく前進できるでしょう。
この方法では薬はまったく不要です。
私自身、これまで何年も、そして現在も、薬は使っていません。


***
動物実験業界およびいわゆる保健機関により暗黙のうちに公認されているごく日常的な実験を少し紹介してみよう。

〔イルカの自殺〕イルカの知能はひょっとすると人間以上かもしれないとさえ言われるが、実験によるフラストレーションと不安に耐えかねて、実際に自殺をするイルカもいると言われている。

〔苦痛を与えられて殺されている動物の数〕アメリカだけでも年間九〇〇〇万匹近くに上る。
そのうち三四〇〇万匹が製薬業界の犠牲である。
動物だけではない、何万人という人間までもが、製薬会社の間違いだらけのしかも言いわけにしか役に立たない実験の犠牲になっている。

〔イギリス、ハンティントン研究所での実験〕ウサギの目にシャンプー液を噴きつけると、その激しい痛みに耐えかねて普段は声を出さないウサギでさえ叫び声を上げるという(この種のテストを行なったことを認めている企業は、レブロン、ウェラ、エリザベス・アーデン、ファベルジェ、ジレット、コティ、モンテイル、ヘレナ・ルビンスタイン、ジョンソンなど。
ヤードレイは数年前に動物使用を中止したと語っている)。

〔痛みの効果を調べる実験〕イヌやネコを熱した鉄板の上におくと、踊り狂い、灼けた手足を吹いてさまそうとする。

〔有害食物実験〕無理矢理、有害食物を食べさせられたビーグル犬は、何日も苦しんだ揚句死んだが、その血液はチョコレート色に変色していた。

〔固定実験〕さまざまな種類の動物が拘束衣その他の固定装置によってまったく動けないようにされた結果、完全に麻痺したり発狂したりした。

固定装置にくくりつけたサルたちに定期的に電気ショックを与え続けたところ、胃の腫瘍で次々と死んだ。
最後の一匹が死んだのは実験開始二三日目だった。

〔歯痛と食物〕イヌの歯の根幹にドリルで穴を開け、イヌが食物を食べる時の痛みをいかにしてコントロールするかを調べた。

〔暗闇実験〕仔ネコの両眼を縫いつけ、暗闇の中でどのような反応を示すかを調べた。
この種の実験はこれまであちこちの国で際限なく繰り返されている。

〔ラットが溺れるまで〕ラットを水の入ったタンクに落とし、溺れるまでにとのくらいかかるかを調べた。
すぐに「絶望して」溺れ死ぬラットもいれば、六〇時間も頑張って泳ぎ続け、力尽きて死ぬラットもいるという。

〔不眠の影響を調べる実験〕実験動物をノーブル=コリップ・ドラム(noble-Collip drums)に入れて上下に激しく振り回し眠らせないようにすると、三〇日間も寝ずに耐え、ようやく死ぬ動物もあった。




●レイプ・ラックへつづく

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

 

イギリスの女医第一号、アナ・キングスフォード博士は次のように書いている。
「動物実験者の魂に巣食う精神の堕落は、彼から最高最善の知識を得る能力を奪う。
彼は健康の秘密を発見するよりは、病気を蔓延させることの方がはるかに容易だということを知るだろう。
彼は生命を蝕む細菌を探し求めるが、見出すのはただ新しい死に方のみである」。


***
科学は人類に迷信からの救済を約束した。
しかし、自らが歴史上、もっとも高慢で残虐な迷信と化した。
これは現代文明の生んだ最大の悲劇と言えよう――かつて、もっとも秀れた常識のフォルムであった科学は、今や神として生まれ変わった。
民衆(信徒)も科学者(司祭)とともに天上の声を聴く科学はかく仰せられる、かく求めておられる、と。
科学は機械的な神である――かつての神々は司祭に去勢を求めた。
しかし科学は司祭に、人間的感情を取り除くよう要求する(ブリジツド・ブロフイ『ザ・リスナ~』一九六九年)。


***
人の寿命は少しも変わっていない。
人は老いると病気がちになる。
どんなに多量の薬を飲もうと、どんな手当をしようと、六五歳という平均寿命は、この一世紀の間ほとんど変化していない。
薬は老化に伴う疫病には手の出しようがない。
老化現象そのものにはさらに手の出しようがない。
薬は
心臓病も癌も関節炎も肝硬変も、そしてごく普通の感冒さえも治せない。
確かに老いた人々の苦痛の一部は緩和できるようになった。

しかし残念ながら、一般論としては、老人への専門的医療措置は苦痛を増加させる。
そればかりでなく、措置がうまくいった場合、かえって苦痛を長引かせる結果になっている(イヴァン・イリッチ『医学のネメシス』p45,"ロンドン、一九七五年)。


***
「多数の労働者に職がない時、失業問題がおこる」というフーバー大統領の有名な論法がある。
実はこれは、学術論文でしばしば見かける論法なのである。
「生体が食物を与えられなければ飢餓がおこる我々はこれを、統計的に有意な数のイヌ、ネコ、サル、ロバ、ブタその他の動物を使って科学的に証明した。
また助成金が与えられれば、これを再度証明する準備がある」
しかし今日、「基礎研究」と呼ばれる仕事に携わる人々は、このような見え透いた言いわけをするだけの良心もなくしてしまったようだ。
「基礎研究」といえば響きは良いが、つまりは、健康な動物にまったく不必要な拷問を加え、肉体的精神的に破壊してしまうという作業のことである。
これは正気な人間にとっては、考えることさえ不可能、ましてや実行することなど論外な行為なのである。


●動物たちの復讐『罪なきものの虐殺』への追補

WHOによれば、肉体的精神的にハンディキャップを負った人の数は、一九八〇年に世界中で四億五〇〇〇万人、すなわち世界人口の約一〇パーセントに上るという。
そのうち一億三六〇〇万人が一五歳以下である。
これは、健康環境が悪化し、かつてないほどに多くの子供たちが、国際教育財団のお節介で、いやがおうでも有害な医療介入を受けている結果の数字と言えよう。

たとえば、胎児期に母胎に施された治療、出生後の各種の予防接種、放射線、合成ビタミンや合成薬品の投与などである。
一億三六〇〇万人の内訳はヨーロッパ一一〇〇万、北米六〇〇万、ラテンアメリカ一三〇〇万、アフリカ一八〇〇万、アジア八八〇〇万となっている。


***
次に引用するのは『臨床薬理学および治療学』(Vol.7,1966,pp.250-270)に載ったイギリスのロバート・シャープ博士の、非常に啓蒙的な論文である。
これは、拙著『罪なきものの虐殺』の内容を確認するものである。


――フレミングはペニシリンが(ペニシリンは偶然に発見された。
動物実験によるものではない――著者)、血液によって不活性化するのではないかと考えていた。
この懸念は、サンプルをウサギに注射したところ、確認されたかのように思われた。
この結果に落胆したフレミングは、ペニシリンをさらに広汎に応用してみようという興味を失い、体表面の感染症に限って使用した。

後にオクスフォードのフローレイとチェインの二人がペニシリンに再注目し、ネズミで感染症に効果があることを確認した。

しかし、ここで幸運だったのが、実験動物の種類の選択である(二人がこの実験を開始した時、彼らの実験室では、もっとも一般的な実験動物であるモルモットが全部死んでいたのである――著者)。
ペニシリンはたとえ微量であってもモルモットには致命的である。

もしネズミの代わりにモルモットが実験に使われていたとすれば、おそらくペニシリンは永遠に日の目を見ることがなかっただろう。

さらに幸運が重なる。
ある重病の患者を救うためにフレミングはペニシリンを脊椎に注射することを考えた。
しかしその結果がどうなるかについては未知である。
フローレイは急ぎネコを使って実験を行なった。
が、その結果を待っていたのでは、フレミングの患者が助かるチャンスはなくなる。
ネコの結果が出る前に、患者はペニシリン注射を受け、回復した。
しかしフローレイのネコの方は死んだ。
この教訓は今もって生かされていないのである。


***
一九八一年四月二十三日、医師、研究者、作家、芸術家などからなる三〇名のイギリス人が、マーガレット・サッチャー首相宛ての嘆願書にサインした。
国の医学研究予算の一部を、動物実験に代わる別の方法の開発専用に回して欲しいという主旨のものだった。
この時も、それまでと同様、サッチャー首相は断固、冷たくNOと言い放った。

同年五月十四日付、ダウニング・ストリートからの返信は次のようなものだった。


「――生化学研究における動物使用に代わる研究方法開発のためにさける国家予算は、残念ながら、ありません。
医学研究委員会は、代替法に関する研究プロジェクトは、従来の研究プログラムの一環として行なうのがベストであると考えています――」。


この「医学研究委員会」なるものが強硬な実験主義者によって構成されているという点はここで指摘するまでもなかろう。
また、「科学畑」出身で、これまでも常に動物実験支持の姿勢を見せていたサッチャー首相は、自身がかつて動物実験に関わっていたのではないかという疑惑を持たれるのである。
事実、動物実験を認めるほどの人は誰でも、実験そのものへの参加をも躊躇しないだろう。


***
西ドイツの保健相アンジ・ヒューヴァーの姿勢もサッチャー首相のそれに非常によく似ている。

一九八一年六月二十五日、ヒューヴァー保健相はボンでの公聴会の席上、動物実験を破棄することはできないし、部分的廃止たとえば化粧品のための実験や残酷な上に間違った結果を導きがちなLD-50(対象動物の五〇パーセントに対する致死量)テストなど――も問題外である、ときっばり言い切った。
ちょうどその頃、保健相の同僚ミルドレッド・シールが、「癌征服プログラム」
のために、マルクをかき集めている最中だった。

ヒューヴァー保健相は、他の仕事があるからと言い二〇分で公聴会から逃げ出した。
あとは保健省の役人の一人が引き継いだ。
この役人は、実験削減の実施すらも難しいと述べた。
というのは、保健省が実験の実態を完全に把握しきれていないためだという。
「たとえば、我々は我が国の大学の中で、何がおこっているのか知りません」と彼女は言う。
また、なぜ保健省がせめて悪評フンプンのLD-50テストだけでも禁止しないのか、と聞かれて、こう答えている。
「もしそんなことをすれば、我が国は薬品を輸出できなくなります」。

この時、彼女は明らかに、アメリカの時代遅れのディレイニイ改正法に言及していたのである。

この改正法は、各種のテストを義務づけたもので、今日の全世界の薬害に大いに責任を負うべき法律なのである。
また、彼女の回答は、サッチャー首相、ヒューヴァー保健相をはじめとする先進工業国の政治家たちが、製薬トラストの利益にいかに深く絡んでいるかを示す証言だったのである。


***
ニューヨーク州ローゼスポイントで発行されているタブロイド誌『ザ・グローブ』の一九八〇年五月二十七日付の記事に次のようなものがあった。


空軍の極秘化学戦・レーザー線研究に携わっていた心理学者が明らかにしたところによれば、殺人光線や電気ショックによってアカゲザルが情容赦なく盲目にされたり苦痛を与えられたりしているという。
テキサス州サン・アントニオのブルクス空軍基地での実験に使われたアカゲザルは、その傷めつけられ方があまりにもひどかったため、自己破壊的になり、自分の腕の肉を噛みちぎったり、胸から毛の塊を抜き取ったりするようになった、と心理学者のドナルド・バーンズは『ザ・グローブ』の単独インタビューに答えて語った。

バーンズはオハイオ州立大学の卒業生で、ブルクス空軍基地で一六年間、研究者として非の打ちどころのない仕事ぶりだった。
しかし、実験用サルの扱いが余りにもひどいため、これを世間に公表すると抗議したところ、今年一月に解雇されたという。

空軍スポークスマン、サルバトーレ・ギアンモは、空軍施設は、実験動物認定協会の検査官による立入検査を、一九七九年五月十五日に受けており、その際、問題なしと判定されたと語っている。

しかし、たとえば首の回りの拘束カラーがきつすぎたため、窒息死した三匹のサルを目撃したとバーンズは語る。
さらにこう証言する。
「椅子に縛りつけられたサルたちが、胸の前でクロスしている金属の棒の間から死にもの狂いで抜け出そうともがいているのも見ました。
サルたちが余りにも激しくもがくので金属棒が腹壁に食い込み始めていました」。

アカゲザルが実験動物として重宝されるのは、穏やかで非常に信頼のおける動物だからである……。

バーンズは言う。
「――台はユラユラ揺れるようになっており、我々はサルたちにその台をまっすぐにするレバーの使い方を教えました。
その訓練の仕方というのは、足の裏に金属板をつけ、
彼らが迅速に正確にレバー操作をしないと、そこに電流が流れるようになっているのです。
なかなか操作を覚えないサルには、突然電気を流してショックを与えて罰しました。
サルは一日に何百回もショックにつぐショックを与えられます――けれども私たちの行なっていた実験はほとんど無意味なものでした。
すでに以前、行なわれたことのある実験ばかりだったんです」。


***
一九七九年九月二十四日付、ロンドンの日刊紙『スター』より。


実験施設へ送られるサルたちは、檻にぎっしり詰め込まれたままの状態で激しく鳴き叫ぶ。
そのため喉が膨れ上がり呼吸ができなくなる。
インドネシアから発送された六二五匹のうち、恐怖の空の旅を耐え抜いて、生きてスウェーデンに着いたのはたった一四〇匹だけだった……。


アムステルダム空港で、サルの輸送風景を目撃したディック・ヴァン・ホーンのコメント。


「九月八日、インドネシア、ジャカルタからスウェーデン、ストックホルムへ送られる数百匹のサル(ジャワ産、アカゲザル)が、乗りつぎのため、アムステルダム空港で数時間待たされていた――取り締まり官が檻のうちふたつを開けるよう命じた。
ひとつの檻には一五匹のアカゲザルが入っていたが、そのほとんどすべてが怪我をしていた。
もうひとつの檻には一一匹いたが、そのうち七匹はすでに死んでいた。
これらのサルの死因は明らかに空気不足で、眼球はとび出し、舌は自分で噛みちぎったものらしかった。
取り締まり官は灯りをかかげて、他の檻も検査したが、次々に死んだサル、怪我をしたサルが発見された――」。


***
国際霊長類保護協会(IPPL)の会長、シャーリー・マクグリ~ル博士のリポートから、サルの輸出に関する情報を少し拾ってみよう。

インド政府は一九七七年、サルが残酷な放射能実験に使われていることに抗議して、輸出禁止に踏み切った。
アメリカとWHOからの強力な圧力、またインド自身の政権交替にもかかわらず、現在も、輸出は再開されていない。

バングラデシュ政府は一九七九年、あるアメリカの業者に七万匹以上のサルの輸出を許可した契約をキャンセルした。
八一年三月二十六日付の『ウォール・ストリート・ジャーナル』によれば、ダッカのアメリカ大使館は、バングラデシユ政府に、輸出が再開されない場合は、アメリカからの政府援助を打ち切るとの脅迫まがいの圧力までかけていたという。
さらに、アメリカ大使館にこの輸出再開要求をゴリ押しさせたのは、契約をキャンセルされた動物業者だったとも伝えている。

この件のもっとも強硬なロビイストの一人は、WHOの生化学薬剤部長フランク・パーキンズ博士である。
博士の娘、ジェイ・パーキンズ・イングラムは、アメリカでジャッカス霊長類商会なるサルの輸入業を営んでいる。


***
インドの切実な外貨獲得の必要にもめげず、あえてアカゲザル輸出禁止に踏み切った当時のインド首相はモラルジ・デサイである。
七八年六月二日、ニューヨークでの記者会見での彼の発言は、アメリカ人報道関係者にとっては、人間性、倫理観、医学観などに関する耳の痛い教訓だった。

質問――首相御自身、我々人間にとっての医学上の必要性についてはよく御理解いただいているとは思いますが、研究用アカゲザル輸出反対の立場を御説明頂けますでしょうか。
答――真の人間であるならば、いかなる生きものに対しても残酷な仕打ちはすべきではない、というのがインドの哲学です。

それゆえに我々はいかなる動物も人間による残虐行為の対象となるべきではないと考え、輸出を拒否しているのです。
現在のような科学研究だけが人類の幸福への答ではありません。
自然の法則に従うことにより、人類は幸福、健康へとより大きく前進できるでしょう。
この方法では薬はまったく不要です。
私自身、これまで何年も、そして現在も、薬は使っていません。


***
動物実験業界およびいわゆる保健機関により暗黙のうちに公認されているごく日常的な実験を少し紹介してみよう。

〔イルカの自殺〕イルカの知能はひょっとすると人間以上かもしれないとさえ言われるが、実験によるフラストレーションと不安に耐えかねて、実際に自殺をするイルカもいると言われている。

〔苦痛を与えられて殺されている動物の数〕アメリカだけでも年間九〇〇〇万匹近くに上る。
そのうち三四〇〇万匹が製薬業界の犠牲である。
動物だけではない、何万人という人間までもが、製薬会社の間違いだらけのしかも言いわけにしか役に立たない実験の犠牲になっている。

〔イギリス、ハンティントン研究所での実験〕ウサギの目にシャンプー液を噴きつけると、その激しい痛みに耐えかねて普段は声を出さないウサギでさえ叫び声を上げるという(この種のテストを行なったことを認めている企業は、レブロン、ウェラ、エリザベス・アーデン、ファベルジェ、ジレット、コティ、モンテイル、ヘレナ・ルビンスタイン、ジョンソンなど。
ヤードレイは数年前に動物使用を中止したと語っている)。

〔痛みの効果を調べる実験〕イヌやネコを熱した鉄板の上におくと、踊り狂い、灼けた手足を吹いてさまそうとする。

〔有害食物実験〕無理矢理、有害食物を食べさせられたビーグル犬は、何日も苦しんだ揚句死んだが、その血液はチョコレート色に変色していた。

〔固定実験〕さまざまな種類の動物が拘束衣その他の固定装置によってまったく動けないようにされた結果、完全に麻痺したり発狂したりした。

固定装置にくくりつけたサルたちに定期的に電気ショックを与え続けたところ、胃の腫瘍で次々と死んだ。
最後の一匹が死んだのは実験開始二三日目だった。

〔歯痛と食物〕イヌの歯の根幹にドリルで穴を開け、イヌが食物を食べる時の痛みをいかにしてコントロールするかを調べた。

〔暗闇実験〕仔ネコの両眼を縫いつけ、暗闇の中でどのような反応を示すかを調べた。
この種の実験はこれまであちこちの国で際限なく繰り返されている。

〔ラットが溺れるまで〕ラットを水の入ったタンクに落とし、溺れるまでにとのくらいかかるかを調べた。
すぐに「絶望して」溺れ死ぬラットもいれば、六〇時間も頑張って泳ぎ続け、力尽きて死ぬラットもいるという。

〔不眠の影響を調べる実験〕実験動物をノーブル=コリップ・ドラム(noble-Collip drums)に入れて上下に激しく振り回し眠らせないようにすると、三〇日間も寝ずに耐え、ようやく死ぬ動物もあった。


レイプ・ラップ(愛無き動物実験)から何が産み出されるというのか?

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現代医学の科学的根拠は動物実験から成り立っているという・・

 

が、この愛無き地獄絵のような動物実験から何が産み出されるというのだろうか?

 動物虐待の意味だけではない、無用な非科学的根拠となり得る、「動物と人間の違い」が実際の医療に負の遺産を残してきたのだ・・・・

 

その一例として、レイプ・ラップという実験がある。

 さて何のことだろうか? 転載記事の次にレイプ・ラップの記事を転載(なんだ、転載バッカし)

 

 

元記事

世界医薬産業の犯罪 

 

一部転載ーーーーーーー

●レイプ・ラック

一般にどこの国でも、報道機関は動物実験の実態を公表するについては非常に消極的だと言えよう。しかし、カナダの『トロント・サン』のように、何度も繰り返し強硬な姿勢でこの問題に挑んでいる新聞もあるにはある。同紙の「実験室における科学という名のサディズム」というピーター・ウォージングトンの記事は、次のような書き出しで始まる。

カナダやアメリカにおける最重要機密事項は、諜報活動でも公定歩合でもプールでの首相のプライバシーでもない。さまざまな大学、研究所、実験施設における動物実験で何が行なわれているか、なのである。

続いてウォージングトンは実験室内で繰り広げられている残虐行為の実例を示す。回転ドラムの中で死ぬまで振り回されるイヌ、未精製の石油を食べさせられる北極グマ、「レイプ・ラック」にくくりつけられて妊娠させられる雌ザル――このサルはやがて自分の赤ん坊を虐待するようになる。
すなわち、床に赤ん坊の顔を叩きつけたり、体を引き裂いたり、歯で頭を噛み砕いたりするのである。何のためにこのような実験をするのかと言えば、虐待された人間の子供が成長すれば、やがて自分自身の子供を虐待するということを証明するためという。
サディストたちはこの手の実験を飽きもせず繰り返す。人間の苦痛を防止するためにというもっともらしい口実に隠れて、実は空前の規模で、新手の拷問が動物たちに与えられているのである。明らかに精神的に狂ったサディストどもの手によって。しかも明らかに文明社会の立法者としてはふさわしくない立法者どもの庇護のもとで。

***
ケンブリッジの研究員、コリン・ブレイクモアが同僚と行なった実験については『罪なきものの虐殺』でも紹介したが、彼らはまず、アルバートという名のネコの片目を一〇二度回転させ、ヴィクトリアという別のネコの片目を七七度回転させた。手術は二匹が生後一二日目に行なわれ、手術後は一日一八時間明かりをつけた部屋に入れられていた。九カ月が経過した後、二匹には一〇カ月間の行動実験が行なわれた。その結果、二匹は回転された目だけを使っていても障害物を避けるこ
とができた、という(『実験脳研究』Vol.125,一二九七六年)。

***
ここで『アニマルズ・ディフェンダー』(動物擁護者)八〇年十二月号に載った動物実験の宣伝を少しばかり拾ってみることにしよう。
まず『イギリス実験病理学誌』(六一巻、一九八〇年、pp.61-68)に、マンチェスター大学外傷科のH・B・ストーナー、A・ハント、J・ハドフィールドおよびH・W・マ~シャルが次のように書いた。「人によっては納得しかねるような奇妙な実験が、そこかしこで行なわれているのも事実だろう。しかし、大部分の実験はほとんど苦痛のないものである」。
『ネイチャー』二八五号(一九八〇年、pp.225-227)には、シアトルのワシントン大学心理学部霊長類研究センターのH・M・H・ウー、W・G・ホームズ、S・R・メディナ、およびG・P・サケットがこう書いた。「忘れてならないのは、動物たち自身も実験の恩恵を受けているという点である」。
前述の『イギリス実験病理学誌』(六〇巻、一九七九年、p.589)にはグラスゴー西部病院病理生化学部D・F・J・ローム、G・ジェデオン、J・ブルーム、およびA・フレックがこう書いた。
「動物実験を行なう有資格者は動物を愛している。同時に、それらの人々は現状では何をすれば一番よいのかを的確に判断したのである」。
一九八〇年、イギリスの動物実験反対団体、動物解放戦線が、ケンブリッジ郊外にある実験研究農場に踏み込んだことがある。当時その農場では、ヤギの乳房を首に移植するという実験が行なわれていた。警察はカメラマンを逮捕し、カメラとフィルムを押収した。とにかくまず第一に保護されるべきは実験者であり、すべての証拠は国家機密法の名のもとに差し押さえられねばならないというわけだろう。この法によれば、政府は動物実験研究室内の写真をとる人物は誰でも告訴することができるのである。『ザ・ガーディアン』(八〇年七月一日付)はこの乱入事件を次のように報じた。

バブラハム・ホール研究農場を運営する農業研究委員会は、この乱入事件を非難する次のようなステートメントを発表した。「バブラハムの実験動物たちは、日頃、平穏な雰囲気の中で、気心の知れた世話係による静かで優しい取り扱いに慣れている。それゆえに、動物たちは今回のような、窓ガラスや柵の破壊、カメラのフラッシュなどに、ひどい苦痛を覚えたはずである」。

このようなイギリス流の偽善に比べると、アメリカの動物実験者たちのあけっぴろげの率直さは、むしろ斬新にさえ響くだろう。たとえば、『ザ・ナショナル』〔一九五四年六月号)に載ったシカゴ大学のジョージ・ウェィカリン教授の言葉、「この件に関しては『人道的』という語とはいっさい関わりを持たせたくない」。『ピッツバーグ・プレス』(一九七四年十月二十七日)のインタビユーでのウィスコンシン霊長類センター所長バリー・F・ハーロウ博士の言葉、「私は動物は好きではない。ネコもイヌも嫌いだ。サルなどどうして好きになれよう」。このハーロウ博士というのは、
「愛」についての研究というもっともらしい口実をもうけて、生まれたばかりのチンパンジーの赤ん坊たちを母親から引き離し、最長の場合は八年間も、一匹ずつを完全な隔離状態で暗闇の中に置き、その成長過程を観察した人物である。

***
一九五〇年、ボストン生まれのヘンリー・フォスターという獣医が、チャールズ・リバー繁殖研究所という名の実験動物供給会社を設立した。この会社は実験用ビーグル犬の繁殖で大儲けし、七七年には一五〇〇万ドルもの利益を上げる優良企業へと成長した。八〇年四月二十八日号の『タイム』は、ユーモアさえ交え、次のようにチャールズ・リバー社について書いている。

一九七九年度の同社の売り上げは三〇〇〇万ドル、純益は三〇〇万ドルに上った。本年度は同社から一八〇〇万匹を越える動物たちが世界中に送り出される予定である。これらのお育ちの良い動物たちは、科学の名のもとに、サッカリンをむさぼり食い、酒に溺れ、紫煙をくゆらせ、放蕩に身をもち崩すことになっている。

動物実験の量、質では世界のトップをひた走るアメリカが、長寿ランキングでは世界の一七位にしか顔を出さないのはどうしたことなのだろう。しかもアメリカでは末期患者を一秒でも長く生かすべく必死の延命努力が行なわれている――事実、多くのアメリカ人にとって人生の最後の数年間は集中治療室内での苦痛の引き延ばし期間にすぎない――にもかかわらず、こうなのである。
大雑把な数字を示すと、アメリカでの心臓麻痺による死者は、一九四九年の四〇万人から七三年は二倍の八〇万人に、癌死の割合は一〇万人につき六八人から一七〇人へと急増、さらに一九〇〇年には糖尿病による死者は一〇万人につき一二・二人だったが、四分の三世紀の進歩の後、一八・五人(五ニパーセント増)に増えている。この間に何百万とも知れぬイヌたちが糖尿病のための実験と称して膵臓切除の苦しみをなめさせられてきたのである。何と素晴らしい成果ではないか!
過去一〇〇〇年にわたる動物実験は、人間の病気のために、ただのひとつの治療法さえも生み出さなかった。しかし、無数の新種の病気を作り出してきたのである。

***
動物実験者は実験が単に研究者個人の野心や好奇心を満たすためのものではなく、人類の幸福にとって不可欠なものであると主張する。しかし実験の実態が公表さえされないという事実が、この主張の立証を困難にしているように思われる。
今日の豊かな社会で、高騰する燃料費が支払えないため、寒さに凍えて死ぬお年寄りが何千人といる。その傍らで、癌撲滅キャンペーンでは、昨年、七五〇万ポンドが集まり、研究費としてあちこちの研究団体に寄付した。医学という名の祭壇に捧げものをすることによって、悪魔の目を避けることができると信じている迷信深い大衆の貢ぎ物を当然のように受け取っている団体が
いくつもあるのだ――痙性麻痺協会は三〇〇万ポンドを研究助成に使った。この協会はガイズ病院の研究プログラムに二〇〇万ポンドの助成金を出したことがあるのだが、そのお金がどんなことに使われたか知っているのだろうか。かつてこの病院で働いていた青年研究者の母親の証言を聞いてみよう。
この青年が、ロンドン大学内のある建物の最上階から動物のなき声が聞こえてくるのに気づいて上がっていった。そこではさまざまな動物が、たとえば、筋ジストロフィーの実験のために手術をされた後ろ足をひきずるなどして、苦痛にのたうち回っている光景を目にした。
この時、この青年は動物実験への嫌悪感から、科学者としての自らのキャリアを捨てたのだという(動物の権利擁護協会の機関紙『クラリオン』一九八〇年二月号、ロンドン)。

***
これまで三五年聞、エストロゲン錠剤の定期的服用は女性の乳癌予防に効果があると言われていた。しかし、この主張に真っ向から対立する新しい研究が報告された。――そのリポートによれば、エストロゲンはかえって癌を発生させる可能性があるという――アメリカだけでも、五〇〇万人から六〇〇万人の中年女性が医者にエストロゲンを処方されていると言われる(『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』一九七六年八月十七日)。

***
――アメリカでの、ここ数年来の保健行政のあり方には懸念すべき点が多々ある。これは単に、例の豚インフルエンザについてだけ言っているのではない。豚インフルエンザプログラムが始まった年の九月、食品医薬品局(FDA)特別委員会の作成した報告書によれば、普通の感冒を治すあるいは予防する薬は存在しないにもかかわらず、製薬会社は三万五〇〇〇種類もの感冒薬を市販しており、消費者は年間三億五〇〇〇万ドルを、それらの薬のために支払っているとの指摘があった……。
――保健行政の優先順位を決めるのは企業の営利主義である。豚インフルエンザの時も、主だった製薬会社は、いずれ持ち上がるかもしれない損害賠償の申し立てから、納税者のコスト負担で会社の損失が守られるという保証がとれるまで、ワクチン製造を見合わせていた(つまり会社側はワクチンの副作用を十分予測していたということである。現実にワクチンは多数の死者と麻痺患者を出し、その結果、企業ではなく政府が訴えられた――著者)。
我が国の経済においては、保健行政は私企業の利潤追求の手段になっている。最近の調査によると、全国の病院の九〇万床のうち二五パーセントが空いているというが、それにもかかわらず、病院の拡張は続けられているのである(『ザ・プログレッシヴ』一九七七年一月の中の記事「我が国の病める保健行政」より)。

***
現在、世界中で年間四億人が飢えのため死んでゆくという。その一方で、医者たちは片や健康な
胎児を堕胎して金持ちになり、片や試験官ベビーのための費用をかき集めているというこの現実。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

上記の中でレイプ・ラップという聞き慣れない言葉があったので検索してみた。

文字や言葉だけでは伝わらないものがあるが、ここには写真があったので直ぐ分かった。

目からの情報は直ぐ届く(時には錯覚も起こしやすいが)

 

 

 

 

 

一部転載ーーーーーーーURL:http://open.mixi.jp/user/2473503/diary/1937893934

 


心理学者のハリー・ハーローはこんな実験を行った。

生まれたてのアカゲザルを母親から引き離し、2体の「代理母」と過ごさせる。

代理母のうち、一体は針金製。
胸には哺乳瓶が取り付けられ、ミルクが出る様になっている。

もう一体の代理母はタオル製。
タオル母には哺乳瓶は付いていないが、ふかふかと柔らかい。


すると何が起こったか?
仔ザルはミルクをくれる針金母ではなく、ずっとタオル製の母親にしがみついていたのである。
ミルクを飲む時だけ針金母のところに行き、すぐに走ってタオル母に戻るのだ。


彼は「接触」が重要な変数であることを見出した。

仔ザルには接触が必要なのだ。
ふかふかとして暖かい存在を抱きしめ、抱きしめられることが。
そしてそれは給餌よりも大切なことであるらしい。

我々がハグなどのスキンシップを好むのも、根源的にはこれと同じ理由であると思われる。
孤独に震え、温もりを求める仔ザルは、私やあなたの心の中にもいるのだ。【註1】






この実験から教訓を引き出すなら、「子育ての際にはできるだけ赤ちゃんを抱きしめてあげましょう」ということだと現代に生きる我々なら誰もが思うだろう。

だがハーローの結論は別の方角を向いていた。
彼は「母親による授乳はあまり重要ではない」と考え、女性が積極的に社会進出することを薦めた(当時はフェミニズム台頭の時代だった)。

しかし後に「代理母に育てられた仔ザルは攻撃的で暴力的で反社会的に育つ」ことが判明。

そこでハーローは、代理母が自動的に揺れる仕掛けを組み込んだ。
仔ザルをあやし、遊ばせる様に。
事態はやや改善されたが完全ではなかった。

ハーローは実験を続け、「一日に30分、本物の母ザルと一緒にさせる」ことで仔ザルは正常に育つことを発見した。

接触・動き・遊び。
愛にはこの3つの変数が関係しており、この3つを与えてやれば、霊長類の欲求は満たせるのだ、と彼のチームは主張した。

こうして彼は自分の結論を守ることができた。
30分のケアなら女性の負担になることもない、と。【註2】



…それから数十年、現在では孤独なサルの物語はどう扱われているのだろうか?

アメリカのコメディードラマ『ビッグバンセオリー』にその片鱗を見ることが出来る。
主人公の一人、レナードは合理的すぎる冷淡な母親に育てられ、そのことについて複雑な感情を抱える青年だ。
彼は小学生の時にハグ・マシーンを製作した、と語る。
いつでも自分を抱きしめてくれる機械を。
その話を聞いたヒロイン、ペニーは「そんな悲しい話、初めて聞いた…」と絶句する。
だがレナードは続けてこう言う。
「一番悲しかったのは、パパも使っていたことだ」

…機械化されたハグはギャグのネタになるほど文化に根を下ろしたらしい。




ハーローの一連の実験はかなり有名だが、実際に使われた代理母の画像は不思議と目にしない。
「針金でできている」とか文章ではよく見るのだが、一体どんなデザインだったのか?

以前は探すのも一苦労だったが、ネットの発達した現代ではぐぐればすぐに見つかる。

えっ、こんなんなの!?


フォト



フォト



フォト




…だが「こんなん」であっても、仔ザルは明らかにタオル母に愛着を示した。
「空腹時にはミルクを、そうでない時は居心地の良い場所を求めているだけ」では決してない。
タオル母のデザインを少し変えただけで怒る。

仔ザルに向かって棘を突き出したり、冷水を浴びせる悪魔的なタオル母も作られたが、仔ザルはどれほど虐待されようともタオル母から離れようとはしなかったという。


ハーローの一連の実験はその残酷性を非難され、動物権利運動のきっかけとなった。

ハーローは挑発的な物言いをする人間で、動物嫌いだったらしい。
彼は実験に使うサルを少しも愛していないと公言した。

実験のせいで正常に育たなかった雌ザルは正しい交尾姿勢を取らなかったので、ハーローは実験用の仔ザルを得るために雌ザルを拘束具に固定し、雄ザルをけしかけて妊娠させた。
彼はこの器具を「レイプラック」と呼んだという。

TITLE:
DATE:2017年2月27日(月)
URL:http://open.mixi.jp/user/2473503/diary/1937893934


ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

これを見ると医学研究者って(特に動物実験者たち)なにか変だよね。

ボクも変だけど・・

あちらはしかめっ面をして、さも科学者に見えるけど、実際は・・・・・へんしつ者じゃないか!!

 

ボクもよくしかめっ面をすることがあるけど(酒が無い!とか金が無い!とか、女がいない!とか・・・でんでん(云々)・・・

だが、白衣を着ていれば尊敬されるだろうか?  (無いだろう無~~~)

 

上の猿の実験など可愛いものでしょう・・

もっと本格的な実験?はこちらでどうぞ。

一部転載ーーー

 “罪なきものの虐殺”  

  この本ほど動物実験の真実を克明に記している本はありませんが、この本は弾圧を受け、

  書店から回収されたことさえあります。

  リューシュ氏は、本書から得た情報を広めてほしいと願っています。

  私は彼の意思を汲んで、当サイトに多くの引用を掲載しました。

  残念ながら、出版者に問い合わせたところ、現在日本でこの本は絶版中であり、

  再販の時期も決定されていません。しかし、図書館に置いてある可能性が高いです。

  当サイト掲載の文章は一部に過ぎないため、ぜひこの本を読んで頂きたいと思います。

                                 著者 ハンス・リューシュ

                                 訳者 荒木敏彦・戸田清

                                発行所 株式会社新泉社

   


下記サイトでは、この本からの抜粋を、動物実験の写真とともに紹介しています。

          動物実験の無益性                  どんな動物実験が行われているのか?

          動物実験についての証言集 ‐1‐         動物実験についての証言集 ‐2‐
 
          動物実験の残虐性 ‐1‐               動物実験の残虐性 ‐2‐

          動物実験によってもたらされる悲劇 ‐1‐     動物実験によってもたらされる悲劇 ‐2-

          無駄な実験に使われる動物たち ‐1‐       無駄な実験に使われる動物たち ‐2‐

          化粧品のための動物実験              金欲の犠牲となる動物たち

          動物実験写真集 ‐1‐                動物実験写真集 ‐2‐

               ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー



本当にきちがいかきょう人と言ってもよいくらい医学上の動物実験は見るに堪えないものです。

(もっとも肉を食べる手前、他人に殺させた肉を美味しいねえ♪と言って食べるボクも同質なのかな?)

いやいやいやいやいやいや

人類のため」と言って動物実験から人間の治療に応用できるという「錯覚」こそ問題なのです。

そもそも、最初から「愛無き」動物実験から産まれた「科学」が疑似科学だということなのです。

そこに気づくまで「動物実験 → 人体実験」という構図は続くでしょう。

 

もっとも、医学者達だけをわるもの扱いは出来ませんね。患者という「わたし」が要求しているんですから。

ボク達が居て、キミたち(動物実験者)が居る

 

 

代替法●堕ちた偶像『罪なきものの虐殺』への追補

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記事より   

真の医療、未来の医学について・・・

 

・・・・華々しい新聞の見出しになるようなものでもなく、サッカースタジアムを埋める大観衆の喝采を浴びるようなものでもなく、研究者、実験者、医者そして化学・医学・動物実験コンビナートに名声と金銭を約束するようなものでもない。
それゆえ、動物実験そして人体実験は続けられるだろう人々が真実に目覚め、新しい立法を求めて反乱をおこす日まで。


(ノーベル医学賞なども当てはまるようで・・・)

 

世界医薬産業の犯罪 ウェブ魚拓より

PART6 無用の惨劇●動物たちの復讐『罪なきものの虐殺』への追補●レイプ・ラック●代替法『罪なきものの虐殺』への追補●堕ちた偶像『罪なきものの虐殺』への追補

一部転載ーーーーーーーー

 

●代替法『罪なきものの虐殺』への追補


カナダ、バンクーバーの『ザ・プロヴィンス』が一九八〇年六月二十二日付で報じたところによれば、ブリテイッシユコロンビア癌研究所のハンス・スティッチ博士が用いた薬品の発癌性テスト法では、これまでの動物実験法では一種の化学物質をテストするのに二〇万ドル、三年を要したのに比べ、何と六〇〇ドル、一週間で済むという。

しかしこれまでずっと動物実験室での訓練しか受けてこなかった研究者にとっては動物実験こそがすべて、である。
その上、医学研究分野においてこの種の代替法が採用されることになれば、研究者には新たに科学的トレーニング、想像力、知性が要求されるようになるだろう。


これまでだと、どんな馬鹿でも、動物を切り刻んだり毒を食べさせたりして、目で見たことと、結論が実用的なものかどうかなどいっさいお構いなく、報告する程度のことはできたのである。


***
似而非科学実験室で繰り広げられている無用の惨劇について、近年、かなり広く報道されるようになった。
ところが、カトリックもプロテスタントもその他の西欧諸教会も公式には、動物実験に対し抗議の声を上げない。
いやそれどころか、教会の指導者たちは、この常軌を逸した蛮行を公然と容認してきた。
表向きには、「人間第一主義」をその容認の根拠としている。

しかし実際のところは、ユダヤ教会・キリスト教会が、口先では貧しい者のための教会と唱えながらも、実は富める者のための教会になっているというのがその理由だろう(この点に関しては『罪なきものの虐殺』の「宗教」の項、日本語版二七六~二八二頁を御参照いただきたい)。
動物実験はキリスト教の本質――謙虚、利他主義、憐憫に背く重大な罪である。
これでは若い人たちが、西洋の既成宗教に背を向け、東洋の宗教、とくに仏教にひかれるのも当然といえば当然だろう。
仏教ではあらゆる存在への憐れみを説き、次のように戒める。

「人が他の生きものに、大地に、そして他の人に行なうすべての悪は、すべての人類への報いとして返ってくる」。


***
いま、現実に目覚め、その現実を好まない医師たちが急増している。

キース・アラン・ラスコー博士の『億万ドル医療詐欺』から少し引用してみよう。


もしたった一カプセルのクロロマイセチンが、骨髄にとり返しのつかない損傷を与え白血病の原因となるということを知っていれば、病人は自ら進んでクロロマイセチンを服用したりするだろうか。
ところがクロロマイセチンの売り上げは年々上昇しているのである。
一九七六年には医師によって五〇万通を越えるクロロマイセチンの処方箋が書かれた。
今も思い出すのは、風邪にクロロマイセチンを処方されたばかりに、再生不良性貧血にかかり死んでいった一人の子供のことだ(風邪に!クロロマイセチンがウィルス感染の風邪に効くはずがないではないか!)。

臨終の床で子供は出血し、両親は泣いていた。
私は何人かの同僚医師から、もし両親に、子供が開業医の心ない処方が原因で死んだのだという事実を告げれば、私自身大変なトラブルに巻き込まれるぞ、とおどされた……。

人々は外科医の妖しい魅力、尊大な態度にごまかされているが、いったん仮面を剥ぎとれば、瞳にドルサインを光らせている平凡な金持ちの一人にすぎないことを知るだろう。
人々は彼を崇めるかもしれない。
が、実のところ、それほど頭脳明晰な人種でもないのである。
外科医とは単なるテクニシャンである。
木工や彫刻などの工芸家、あるいは熟練した葬儀屋や肉屋といった職人と同じである。



    ↑

●堕ちた偶像『罪なきものの虐殺』への追補


数年前のことである。
ブラジル、リオデジャネイロのマラカーニャ球技場に集まっていた一三万五〇〇〇人のサッカーファンに、一人の外国人ゲストが紹介された。
観衆はまるでブラジル代表チームが決勝ゴ~ルでも決めた時のような大歓声を上げてこのゲストを歓迎した。
この時、観衆は自分たちが、さかのぼって一九二〇年代チンパンジーの性腺移植によって老人に若さを甦らせることができると発表したセルジエ・ヴォロノブ教授以来の大ペテン師に、喝采を送っているということを知る由もなかった。

このゲストは、一九六七年、人類の救世主として歓呼をもって迎えられた、南ア、ケープタウンの心臓曲芸師クリスチアン・バーナード博士だった。
使いものにならなくなった心臓を新しい元気な心臓に取り換えることができるということは、他の臓器も同様に取り換え可能だということではないだろうか。
すなわち、人類太古以来の夢であった永遠の生命に今一歩のところまで近づいた、と世界中が錯覚したのも無理はない。

バーナード博士に続いて、心臓移植手術を行なった外科医の多くが、その手術の愚かさに気づき、やがてきっぱりと止めてしまった。
アメリカの心臓外科医の第一人者、マイケル・ディベイキー博士もその一人である。
一方で、もう少し生物学に造詣の深い外科医たちは、このような移植手術の必然の結果を前もって予想しえたために、手術をしてみようと思わないだけの良識を示した。

すべての生体に生得的に備わっている免疫系が遅かれ早かれ、外部からの臓器を拒絶するということは、あまりにもよく知られている医学上の定説である。
それゆえに、たとえしばらくであっても生体に外部からの臓器を保っておかせるためには、生体が健康に生きてゆくには不可欠なこの免疫系の働きを麻痺させる必要がある。
これは結果的に生体を、致命的感染症から癌まで、あらゆる病気に対してまったく無防備な状態におくということを意味する。

この医学の常識を無視して、バーナード博士は、心臓移植患者たちの死因についての責任を回避し続けている。
ケープタウン発のロイター電はバーナード博士の信じられないような発言を伝えている。

「拒絶反応は問題ではない(原文のママ!)。
我々の移植手術で、これまで拒絶反応によって死んだ患者はいない。
死因は、三人が感染症、一人が肺塞栓症、そして一人が自殺である」(『バンクーバー・サン』一九七八年二月二日)。


***
マルコム・マジェリッジは、率直な発言で知られた著名なイギリス人ジャーナリストである。
実際あまりにもズケズケと言いすぎるため、彼の書く記事の中には、イギリス特有の「名誉棄損法」
に抵触するとして、本国では載せてもらえないものが出るほどなのである。
この法によれば、たとえ内容が事実であると証明されたとしても、ある個人を恥ずかしめるような内容のものは公表が禁止されているのである。
そこでその手のマジェリッジの記事は、アメリカで公表されることになる。

『ヒューマン・ライフ・レビュー』(ニューヨーク、一九八〇年冬号、Vol.Vl.No.1)でマジェリッジは、バーナード博士の移植実験について書き、その背後にある彼の心理構造の分析を行なっている。

まず、彼はバーナードの心臓移植第一号患者だったワシュカンスキーについてこう語っている。


心臓は動いた。
そしてしゃべるという点から言えば、患者は確かに生きていた。
病院にはお祝いが殺到し、テレビカメラが入り込んだ病院内テレビ取材禁止の大原則が崩れ、病院にはあるまじき華々しいシーンが繰り広げられた。
ワシュカンスキーは舞台の中心に引き出され、スポットライトが当てられた。
愛する家族との面会シーンがセットされ、患者は喜ばしげな科白をいくつかしゃべった。

そして一八日目、感謝に満ちて息を引き取った。

「奴らは私を殺そうとしている」とワシュカンスキーは死の前に絞り出すように言った。
「眠れない、食べられない、何もできない、奴らは針でもってしじゅう私をつついている――昼も夜もずっと、気が狂いそうだ」。



ワシュカンスキーに続く第二号患者、歯科医のフィリップ・ブレイバーグ博士は手術後二年間生きた。
この二年を彼がどのように過したかについての報道の仕方に関しては、ワシュカンスキーの時とほぼ同じだった。
活字での報道では――ここでも病院内取材禁止の原則は無視された――彼はより一層、厚顔無恥であることを要求された。
心臓移植のわずか三週間後、彼はそのニュースを待ちわびていた世界に向け「セックスを行なった」との発表さえしたのである。


実は心臓移植を行なったのは、バーナード博士が最初ではない。
行なったことを広く宣伝したのがはじめてだったのである。
それだけ彼が売名に熱心だったということの証明であろう。
そして彼の大々的に宣伝された第一回目の手術後、患者にはこのような形での新たな苦痛が課せられることになったのである。

ロンドンの内科医で、世界的にもよく知られた臨床医学の教授であるM・H・パプワース博士がその『人間モルモット』(ペンギン、一九六九年)の中で次のように書いている。


どのように経験を積んだ医師であっても、移植をしないで生きられる期間と、移植後最終的に拒絶反応がおこるまでの移植受容期間のどちらが長いかを正確に言い当てることはできない。


ブレイバーグ博士が移植手術に同意する前にこれを読んでいなかったのは気の毒としか言いようがない。
手術はバーナード博士の名声を不動のものにしたが、おそらくはブレイバーグ博士の苦痛を増大させただろう。
そして、手術によって、彼の生存期間が長くなったか、あるいはかえって短くなったかは証明のしようもないのである。

ブレイバーグ博士の二二歳の娘、ジルは、ケープタウン発UPI電で、父親が移植心臓で生きた一九カ月間は「地獄」だったと語っている。

「薬のせいだったのか移植のせいだったのかは分かりませんが、父はまったく別人になってしまいました」とブレイバーグ嬢はインタビューに答えている。
「肉体的に、移植後の父の生は地獄そのものでした。
父はずっと苦痛を訴えっ放しでしたが、そのことを世間に知られるのをとてもいやがっていました――」。
なに、バーナード博士は、知られるのはもっといやだったろう。

マスコミは依然としてこの手術を一種の奇跡として取り上げたがった。
そして『ホスピタル・メディスン』誌には報告されていた事実、すなわちブレイバーグ博士が、移植後、二度の激しい心臓発作に襲われ、薬の作用が原因のひどい黄疸をおこしており、さらに抵抗力低下による髄膜炎にかかっていたということを公表しないよう、細心の注意を払っていたのである。
これらのすべての症状は、拒絶反応を防ぐためにとられた医学的処置の結果としておこったものである。
そしてブレイバーグ博士は生きている間、ずっと病人であり続け、その上、おそらくはその死期も早まったものと思われる。


『人間モルモット』の中でパプワース博士はさらに次のように述べている。


患者にとって移植後の状態が、移植の原因となった病気の状態よりもましな状態だとは到底考えられない――我々は、移植手術によってもとの病気が治癒することは決してなく、健康人に戻ることもない、ということを知っておかねばならない――移植手術はすべて失策の自認、すなわち早期発見初期治療の失敗の告白なのである。


ところが悲しいかな、病気の予防とはお金を使わないで獲得される一人一人の健康にすぎない。

すなわち、華々しい新聞の見出しになるようなものでもなく、サッカースタジアムを埋める大観衆の喝采を浴びるようなものでもなく、研究者、実験者、医者そして化学・医学・動物実験コンビナートに名声と金銭を約束するようなものでもない。
それゆえ、動物実験そして人体実験は続けられるだろう人々が真実に目覚め、新しい立法を求めて反乱をおこす日まで。


***
一九七七年六月二十二日、ケープタウン発グルート・シュア病院でバーナード博士が二五歳のイタリア人女性にヒヒの心臓を埋め込み、本人の心臓とつなぐ手術を行なったが、二時間半後、この女性は死んだというニュースだった。

これはバーナド博士の実験シリーズの一部にすぎなかった。
さまざまな動物を使った各種の実験(たとえば、彼の自伝にあるイヌの出産過程の逆行実験など『罪なきものの虐殺』日本語版四四~四五頁参照)に始まって、やがて動物実験者の常で、人間での実験にまでおし広めるという残酷極まりない実験シリーズである。
イタリアの日刊紙『コリエール・デラ・セラ』はこの女性の死に次のようなコメントをしている。

今回のバーナード博士の手術に関しては多少の当惑を覚えるむきもあるのではないのだろうか。

ことに患者が心臓弁の移植手術だと了解していたという事実を知ればなおさらだろう。
心臓弁の移植は、我が貧しきイタリアにおいてさえ、ごく普通の手術なのである……。

この分野のパイオニア、ミシシッピ大学のジェイムズ・バーディ博士は一九六四年一月二十一日、サルの心臓を死期の迫っていた六八歳の男性に移植した。
ラッシュという名の患者は二時間後に死亡した。
バーディの結論は、サルの心臓はヒトの血液循環を維持するには小さすぎる、というものだった。

「バーナード博士は次のように語って間接的ながら自分の失敗を認めている。
『この失敗は我々にとっては良い教訓でした――次回はチンパンジーの心臓で試してみるつもりです』」と『コリエール・デラ・セラ』は伝える。
「しかし」と同紙は続ける「そのような実験はすでに一〇年前、ジェームズ・バーディ博士が行なっているのである」(ハーディ博士の心臓移植失敗に関する参考文献としては『アメリカ医師会誌』一九六四年、一八八号、pp.1132-40「ヒトの心臓移植」およびハーモン・スミス著『倫理と新しい医学』ーアビントン出版、一九七〇年がある)。

一九七七年六月のこのイタリア女性の死の後、世界的規模で医学関係者の間で憤りの声が上がり、ついに検死尋問が行なわれた。
ただし結果は予想通り、博士には過失なしとの評決だった。
彼は嘆息してこう言った。
「私は人の命を救おうとして責めを受けているのだ1」。

この失敗は彼の良心にいささかの影も落とさなかったものとみえる。
同時にバーディ博士の前例も彼にとっては何の生物学上の教訓ともならなかったらしい。
というのはただちに彼が、ヒヒの心臓はヒトには不適だと分かったので、次回はヒヒよりも大きいチンパンジーの心臓で試してみると発表したことで分かる。
バーディ博士はすでにチンパンジーの心臓も不適当であると実証済みだったのである。

一九七七年六月二十二日付『ザ・バンクーバー・サン』に載ったケープタウン発AP電は次のように伝えたー心臓移植患者の夫、妻の死因は手術だと非難。

ヒヒの心臓の移植を受けた後死亡したイタリア人女性の夫、ポーテロ氏は「もし心臓移植チームがこの種の手術を行なわなければ妻はまだ生きていたでしょう」と、英語新聞『ザ・シチズン』のインタビューに答えて語った。
「特定の個人を攻撃するつもはないのですが、もう「度言います。
あの手術では何か間違いがおこったに違いないと確信しています」。

バーナード博士が今日ロンドンで語ったところによれば、手術時、人間のドナー(提供臓器)が見つからなかったのだという。
「緊急を要する手術でしたし、人間の心臓が手に入りませんでした。
それで、患者自身の心臓が回復するのではないか、あるいは人間の心臓が手に入るまで、何とかヒヒの心臓が持ちこたえてくれるのではないかという望みを持って、ヒヒの心臓を移植したのです」。


七月七日付のイタリアの週刊誌『ストップ』では、次のような記事が追加されている。

バーナード博士と接触のある人々の最近の話によれば、博士の心身は崩壊の瀬戸際にあるという――ヒヒの心臓を移植され死亡したマリレーナの夫はこの高名な心臓外科医を次のように非難する。
「彼らは妻で実験がしたかったんです」。

またマリレーナの父親もバーナード博士が明らかに手術に失敗したとの手厳しい告発をしている……。

人の生命が一本の糸にぶら下がっているきわどい瞬間の責任を負う医師たるもの、敏捷な反射神経と頑健な精神力を備えていなければならない。
しかし、バーナード博士にはもはやそれがないのではないだろうか。

事実、バーナード博士自身も、自分の指が比較的若い五三歳という年齢で関節炎のために曲がってしまい、手術中ずっとメスを持ち続けていることができず、たびたび助手に譲り渡さねばならない状態であることを認めていた。

フランスの権威ある新聞『ル・モンド』は、博士のこの野蛮な実験を「臨床的にナンセンス」との語で批判した。
しかし、それにもめげず、南アフリカの英雄を気取る彼は、この手術失敗からわずか四カ月後、サルの種類を変えて、またもや失敗の上塗りを重ねたのだった。

七七年十二月四日、二人のドイツ人精神分析医ヘルベルト・ステイラー博士とマルゴット・スティラー博士が『ハンブルグ・アーベントブラット』に宛て、次のような投書を行なった。

「我々はこれまで、自己顕示欲の強いバーナード博士の感受性の方ばかりを斟酌しすぎたのではないでしょうか。
彼は人から批判されると必ず喘息の発作をおこすほどに繊細な神経の持ち主だということはよく知られています――バーナード教授の感受性への思いやりを少しばかり減らして、彼の無辜の患者の方に、今少しの思いやりを示そうではありませんか」。

南ア連邦政府がバーナード博士のこれ以上の人体実験を阻止しようとしないことに、多くの医療関係者は驚きの色を隠さなかった。
その後、博士の判断に誤りがあったのではないかとのイタリア『ストップ』誌のほのめかしを、博士自身、軽率にも認めてしまうという事態がおこった。
博士があるインタビューに答えて、南アはその「敵を殺すべきだ」という常軌を逸した意見を述べたのである。

ほとんどの体制派新聞はこのニュースを差し止めた。
しかし欧米の一部の新聞、たとえば西ドイツの日刊紙『ビルト』(七九年七月二十七日付)や『トロント・スター』にはケープタウン発の特別リポートとして「バーナード博士、国家の敵を『殺せ』と発言」という見出しで掲載された。


心臓移植で世界的に有名なクリスチアン・バーナード博士が、「南ア連邦はその敵を殺すべきだ」との意見を発表して、南ア国民にショックを与えている。
バーナード博士は彼が抹殺すべきだと考えている人々のリストを南ア政府に提出したと語っている。

アフリカーンス語の日曜紙『ラポート』のインタビューに答えて、「南アフリカは断固、敵を殺さねばならない」と博士は語った。

一九六七年に世界初の心臓移植手術を行なって以来、数々の問題発言をしてきたこの外科医は、今回、とうとう越えてはならない一線を越えてしまったようだ。

ショックを受けた医学界の面々は、バーナード博士の殺人計画への参加呼びかけに応じる医師は一人もいないだろうと述べた――ある内科医はこう語った。
「バーナード教授の発言は、すべての医師が守るべきヒポクラテスの誓いに反するものです。
医師は生命の保護に献げられた身なのです」。


ところが、南ア政府はあくまでもバーナード博士を国家的英雄とみなしており、この少々神経質な御曹司に対し、声を荒げて叱責するのはどうも気が進まないといった風情なのである。

一方で、世論には変化の兆しが見えている。
ヨハネスバーグのウィットウォーターズランド大学霊長類研究センターの所長であるG・A・ドイル博士は、バーナード博士の失敗に終わった二度目のサルの心臓移植を「完全に不道徳」ときめつけた。
これは七七年十月十五日付『トロント.スター』に載ったケープタウン発の外電の記事によるものである。
この記事には「地球上には四〇億人のヒトがいるが、チンパンジーはほんの少ししか残っていない」とのコメントが付けられている。

記事はさらに次のように続く。


ケープタウン、グルート・シュア病院のバーナード博士の心臓外科病棟に続くサルの檻では悲しみに満ちたシーンが繰り広げられていた。
昨日の手術で配偶者の心臓が使われたため、今は独りぼっちになったチンパンジーが、金属製の檻の中で悲しみの叫び声を上げながら跳ね回っている。
従業員の一人がこう話している。
「もうこんなことに我慢できません。
あのチンパンジーはここにいる人間皆に罪の意識と惨めさを感じさせるのです」。


そしてこの惨めさの結果、いったいどれだけの成果が得られるのだろうか。
多少古い資料にはなるが、七〇年八月に同じ『トロント・スター』に載ったケープタウン発の記事を参考にしてみよう。


世界中でこれまでに実施された心臓移植一五九例のうち、現在生存しているのは二一人である。

チェコスロバキア唯一の移植患者は五時間生きた。
ロシア唯一の患者は一日生きた。
フランスでは三つの移植チームが一例ずつ手術を行なったが二日以上生きた患者は一人もいない。
スペイン唯一の患者は二日生きた。
ドイツで同一チームによって行なわれた二例の手術では二人とも一日のうちに亡くなった。
もう一人のドイツの患者は手術した日のうちに亡くなった。
インドでは同一チームによって二例の手術が行なわれているが、一人は三時間生き、もう一人は一四時間生きた。
ベネズエラ唯一の患者は六時間、アルゼンチンの患者は一五時間、オーストラリアの患者は一四時間で亡くなっている。
アメリカでは、一九六八年、ダラスのサウス・ウエスタン医療センターで初の移植手術が行なわれたが、患者は一時間半で死んだ。
第二号患者は五日間生きた。
それ以降、この手術チームは移植を行なっていない。
シカゴ大学ビリングズ病院での一例は五時間後に死亡。
イリノイ州ハインズ退役軍人病院での一例では四時間、ピッツバーグ・アレゲニー総合病院での「例は二日目……。

これは、奇跡をおこそうとする外科医にとっては何がしかの成果だと言えるのだろう。
各国政府は、製薬.医学シンジケートに完全に洗脳された結果、檻に閉じ込めるべき対象を間違えているのではないだろうか。
もし外科医たちが多少の良識が無理ならば、せめて常識さえ備えていたならば、疑うことを知らないまま死んでいった数多くの患者たちはひょっとすると今日も生きていられたかもしれないのである。

前述の記事は七〇年のものであり、それ以降、移植後の生存率が好転しているのも事実である。

しかしそれは単に患者の苦痛が引き伸ばされたというにすぎず、しかもその苦痛は多くの場合、非常に激しいものなのである。
私は、七九年にフランスで、移植後「番長く生存している患者に会ったことがある。
免疫機能抑制のために薬漬け処置漬けの状態にあり、その膨れ上がった顔と体を見ても、あまり羨ましい生き方とは思えなかった。
彼が他人の心臓を移植されなかった場合、今以上に良い状態で生きてはいなかったと言い切れる人などいないのである。

この点に関し、内科医であり医学ジャーナリストでもある」・ライケンバッカー博士が『ビルト・デル・ヴィセンシャフト』(シュトッツガルト、No.1,」二九七六年)という科学雑誌に報告しているドイツでの例は注目に値する。
六七年バーナード博士の最初の心臓移植手術のニュースが伝えられると、ベルリンやミュンヘンの心臓外科医たちは我も我もと功を焦った。
ドイツでの最初の人間モルモット三人は、全員手術後二四時間以内に死んだ。
そして四人目が辛うじて致命的「副作用」を免れたのである。

六八年十二月四日、この患者は、あと二四時間は生きられないとの宣告を受け、移植手術に同意した。
医師団は手術にとりかかったが、土壇場でドナーの家族側でゴタゴタが持ち上がり手術は中止された。
そしてその結果、この移植予定取り消し患者はライケンバッカー博士の報告の時点――すなわち手術中止の七年後だが――元気で生きていたのである。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

まあ、欺されたがる人が居て、だます人が登場する。

 ボク達が居てキミたちが居る♪

 

人類はこれまでいかに「だまされるか」をテーマにしてこの地球上でゲームを始めたんでしょうね。

だから近代医学にセレンディピティという幸運(本当は後になって不運に変わるのだが)が後押ししたんでしょうね。

近代医学とセレンディピティ

ね・・・って。

パスツールやコッホンなどの時代、そしてあのフレミング氏の抗生物質の発見などから急速に世界医薬産業が勃起、じゃないか!!勃興したんでしょうね。

ね・・じゃないでしょ!

つまり、世界は人間がいろいろな不運にみまわれて、悲しみや怒り、不安や恐怖というテーマをもって人体実験をしたかったんでしょうかねえ。神はヒマだから・・・

そうでなきゃ、これだけ長い間、人間どもがだまされ続けられるはずが無い!

あ、いまだに気づかないほど嘘が浸透してシマッタ?

 だから、あなた、今日の朝これからお宅の痴呆の大病院に行ってみてください。

駐車場にはどこかの大企業のような車の数とロビー(受付)はチョー満員と、一流ホテルでもこれだけ流行ればホクホクだという風景を眺めてみてくださいね。

ね・・・


近代医学とセレンディピティ

不運が後押ししてシマッタ!近代医学の『偶然』の発見

   偶然が科学かい?

「後出しジャンケン」だよね。   ね。

 

 

 

    

 

腐敗

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ハンス・リューシュ氏の勇気と正義の告発書

「世界医薬産業の犯罪」より

 

癒着には腐敗がまとわりつく 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

●腐敗

動物実験を基礎とする金権体質の現医療体制を、スムーズに機能させるためには、必要とあらば暴力的戦術に訴えることさえ辞さない公的保健機関の腐敗ぶりを証明する証拠は、その一部だけでも図書館の棚をいっぱいにできるほどの量になるだろう。ここでは、ほんの二~三の例だけを記すことにする。

(一)西ドイツの『シュピーゲル』は、その体裁からも格式からも、アメリカの『タイム』や『ニューズウィーク』に匹敵する週刊誌である。その『シュピーゲル』八五年六月二十四日号の表紙に、大文字の見出しで「製薬工業はいかにしてボンを買収したか」、さらに副題として「新たな政治腐敗発覚」とある。近い将来、「製薬工業はいかにしてワシントン(あるいはダウニング・ストリート)を買収したか」という見出しの記事が、アメリカやイギリスの新聞雑誌を賑わす可能性はあまりないように思われるので、ここで『シュピーゲル』の記事(本来は数ページにわたる長文記事である)をごく短く要約して紹介しておこう。ことの本質としては、アメリカにもイギリスにも十分あてはまるものだと考える。


製薬企業は、原則として、政党にではなく、保健政策に決定権を持つ政治家や官僚個人に政治献金をした。そしてこれらの政治家や官僚の力を利用して、長期にわたり利益をもたらす、破格に有利な販売条件をわがものとしたのである。

今や巨大産業に成長した製薬企業が、このようにして立法府を買い占めた、という事実が、公開された記録類によって明らかにされている。


以来、薬品の認可は、化学物理テスト、動物実験、および臨床評価によって明らかにされた「効能」と「無害性」の二つが条件とされるようになった。



さらに、この記事では、買収劇に関与した政治家、官僚が名指しでリストアップされ、彼らが懐にした賄賂も一覧表になっている。

これを、詐欺的医療体制の維持をもくろむ団体から、国会議員に選挙資金として大金が大っぴらにわたっているアメリカの現状と比べてみていただきたい(『罪なきものの虐殺』日本語版三六〇~三六一頁参照)。

 



(二)一九七九年、当時イタリアの保健相だったティナ・アンセルミは、薬事委員会が無益あるいは有害だと判断した数千種の薬の認可取り消しを提案した。ただちに製薬業界の代表が、彼女がこの提案を撤回するならば三五〇億リラを指定のスイスの銀行に振り込むと言ってきた。三五〇億という数字は、どこの国の通貨単位にせよ、大金であることに違いはないだろう。
ティナ・アンセルミは翌朝、この賄賂の申し入れを公にしてしまった。数日後、彼女の車が爆破された。彼女自身に怪我がなかったのは幸運だったとしか言いようのない状況だった。この事件の後、まもなく、彼女は保健相を更迭され、今日に至るまで保健省への再推薦は受けていない。

もちろん、国民の過半数が、動物実験から生まれる合成医薬品の恩恵を信じて疑わないという状態が維持されているのは、爆弾の威力によると言っているのではない。

組織的洗脳と穏やかな説得という、はるかに効果的な力によるのである。

暴力よりは言葉巧みな誘惑の方が、有効で効果が長もちする。


暴力はあくまで最終的手段であって、実際に使われるのは、ティナ.アンセルミやサルヴァドール・アジェンデのようなごく稀なケースだけである。

普通は工業界にバックアップされた政治とマスコミが、国民の世論を「正しい」方向に導いているお陰で、実力行使の必要はほとんどないのである。


動物保護団体や動物実験反対団体の、意図的愚鈍さといおうか、故意の事実無視という罪状は、今さらあげつらうまでもないだろう。

今日、多くの医学の権威者たちが、動物実験は真の医学の進歩を妨げる破滅的行為であ筏廃止されるべきである、との見解でまとまりつつある。

それにもかかわらず、体制サイドに立つ歴史のある大きな反対団体に限って、この新しい世論の流れを頑固に無視し続けている。


その理由のひとつは、とくにイギリスの団体で顕著であるが、それらの団体が、実験者やもと実験者を理事会のメンバーに据えているためだと思われる。

彼ら工作員は上から与えられている指示を決して忘れないー

議論は倫理問題にとどめよ、医学問題はタブーだ!

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

結論へつづく

 

 

書評(お!ショヒョウだって?イッチョマエに)

癒着と腐敗

切っても切れない中だ悶ね。そして仲間になれないヤツは排除。(時には実体の消滅工作まであるという)

 免疫革命の安保徹教授が、医療体制にとっていかに邪魔な存在だったか。そして突然の訃報。

どうも怪しい・・・

自然死だとしても、なぜメディアは報道しなかったのか?

 

ま、当然といえば当然なのですが、その肝心のメディア産業自体がその「癒着仲間」に入って居るからに他なりませんね。  ね・・

主要な人物・・・特に影響力のあるひと、時には葬り去られる。もしくは何かのスキャンダルを作られて社会的に葬られる。 仕事場から追放される・・・などなど

しかし、それは極少なくて済む。
というのは、大衆さえだまくらかせれば(騙くらかす)良いから。

そして、だまくらかせられた大衆(一般人)は、真実を聞かされても

「それはトンデモ論だ!」とか「陰謀論だ」としてオツムに入れない。

いや、見ざる聞かざるで、もちろんおつむに入れないから他人にも言わざるという

ニンゲン猿になってしまう。
後はどうにでもなる。そこに科学性があろうがなかろうが、「これが科学なんだ」と言われれば、「はい、それが科学です♪」と嬉々として反復する。(反復猿)

 近代映画史上、傑作の誉れ高い「この世界の片隅で」(だったかな?)

いちど見ました。

あの戦争の時の日本人が「反復猿」、つまり「お上の言うとおり」猿になってしまった様子がじつによく表現されていましたね。

天皇のラジオ放送があるまで、誰もとめられなかった。

あれがなければ・・・・・日本人は竹槍で本土決戦を本気でやって、最後は「玉砕」するつもりだったのでしょうか?

医療界でも同様、ハンス・リューシュ氏のような真実告白者たちは「異端者」として葬られて来たのでしょう。 それも大衆の支持が無かったからに他なりません。

国中が「戦争は勝つ」「日本は負けたことが無い神国だ」・・などと信じ切っている状況で、それに反する事を言えば「非国民」とされて、「国民が国民を監視、密告、村八分にする」のです。

ハンス・リューシュ氏もロバート・メンデルソン医博も真実の告白者として、世界医薬産業という巨大な仕組みに立ち向かったのは数十年前のことですが、一般大衆がだれも指示しなかった(極少数だけだった)為、なんの反応も得られないで終わった・・・かの様に見えました。

が、「時は今!」

決して無駄では無かったと思います。

今一度、30数年前の本を読み返してみて、いまとどう違うのか、どう変化したのかを自分の頭で判断してみたいものです。

 

 

 

 

 

追記ショヒョウ

 この本は1985年頃までの海外の情報が主となっているが、わが国の情報もチャンとはいっているわけで、当時はインターネットなど普及していなかった時代に、よくここまで情報を集めたものだと驚きます。

 

いまではインターネット上で様々な情報が得られるので、さほどの努力など要らない時代ですから、真の情報を得ようと思えば(思えばの話ですが)、個人が簡単にできるわけです。

ゆえに、「知らなかった・・」などという言い訳はもう通用しませんよ!アナタ!! (相棒のセリフのように云う)

 

そして、あれから30年以上・・・・

いまじゃ女房の笑顔に後ずさり・・・(キミマロかい)

いや、いくらでも観られる他人の裸体・・・でもないか。

製薬企業と政府と政治家と役人とジャーナリストと国民の癒着・・(ついに国民まで入れちゃった笑)

「悪の製薬」という本でも、その他ありますね。

ところがこれらの本を紹介すると・・

「そんなトンデモ本!」と見るのも拒否。(古女房じゃあるまいしね)

 

要するに「製薬企業の犯罪」じゃなくて・・・
「一般人の怠慢の犯罪」と題名変えた方がよろしいのかも・・・・

船瀬俊介氏がよく言われているように

 

「知ろうとしない罪」

ですか・・・

 

で、その罪に対しての罰則は・・・・

 

何も知らないで薬を飲み、その結果が自分の身に起こる・・・
いや、親から子に、子から孫にまで罰則が伝わる・・・

という、下にも恐ろしい自然の「原因と結果の作用」でしょうか・・・・

 

 

悪魔の移植実験者たち part6無用の惨劇

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音声読み上げmp3は→ PART6 無用の惨劇(世界医薬産業の犯罪)

記事よりーーー

一九八〇年、ヨーロッパ各地で放映されたあるテレビ番組を、不信と嫌悪をもって見た人々が何百万人といたことだろう。
その番組では、あのロバート・ホワイト博士が、タバコをくゆらせお酒をなめながら、実験室内を歩き回り愉しげにしゃべっていたのである。
一方では、身動きできぬように縛りつけられてはいるがはっきりとした意識のある死にかけのサルが、鼻と口から血を流しながら、恐怖に満ちた眼差しで博士を見つめていた。
「皆さんと再び御一緒できて愉快でした」というのが、この移植実験第一人者の終わりの挨拶だった。

このシーンはある諺を思い出させる――もし動物たちが悪魔の存在を信じるならば、その悪魔は必ずや人間の姿をしているだろう。

 

 

 

 

ウェブ魚拓より

 

世界医薬産業の犯罪 PART6 無用の惨劇●動物たちの復讐『罪なきものの虐殺』への追補●レイプ・ラック●代替法『罪なきものの虐殺』への追補●堕ちた偶像『罪なきものの虐殺』への追補
●心臓だけではなく肺も●そして骨髄も●そして狂気へ●ついに脳の移植

 

 

 

一部転載ーーーーーーーーーー

 

 

●心臓だけではなく肺も


心臓移植手術の相つぐ失敗は、外科医たちに、デベイキー博士の例にならい、この野蛮な実験を破棄する決心をさせたのだろうか。
そして医師たちは、病人に苦痛と死ではなく健康と幸福をというヒポクラテスの原点に戻って勉強をし始めたのだろうか。
とんでもない。
実験者どもはそのギャンブル手術を縮小するどころか、ますますエスカレートさせ、心臓と一緒に肺までも移植し、その結果を観察しようとしているのである。

一九八一年三月十一日、カリフォルニアのスタンフォード大学病院で、医学史上四例目の心臓・肺同時移植手術が行なわれたと、世界中の新聞が報じた。
患者はアリゾナ州メサのメアリー・ゴールク夫人(四五歳)で、術後二日目を迎え「意識はあるが危篤状態」と伝えられた。
六八年から七一年にかけ、同様の心肺同時移植を受けた三人の生存日数は八日から二三日だったという。
しかし病院側スポークスマンによれば、「サイクロスポリンA」というすばらしい「新薬」が開発されているために、ゴールク夫人の生存の可能性は、以前の三人に比べるとずっと大きいという。







●そして骨髄も

一九八一年一月三十日付、ニューヨーク州ハーネルの移植患者死亡」という次のような記事が載った。

『イヴニング・トリビユーン』紙に「骨髄
クリーブランド発(UPI)。
血のつながりのないドナーからの骨髄提供により、世界初の骨髄移植手術を受けた乳児が死亡した。
しかし、これは将来における新しい治療法の採用を妨げるものではないだろう。

インド出身で、現在はニューヨーク州ウィリアムズヴィルに住むファジリ夫妻の一〇カ月になる息子カムランちゃんが、木曜日、レインボウ小児病院で死亡した。
カムランちゃんは悪性の小児性大理石骨病という珍しい病気だった。

一月二十日に行なわれた手術の、一〇人の医師からなる移植チームの長、ピーター・コシア博士の語ったところによれば、カムランちゃんは移植に備えてとられた処置と拒絶反応抑制のためにとられた処置とによって合併症をおこしたという。

「患者を移植手術に備えさせるために必要だった放射線療法および集中的化学療法による合併症をおこし死に至りました――移植された骨髄が機能していたかどうかを評価するにはまだ時期尚早でした」。

拒絶反応を回避するには、生体の生命維持機能である免疫機構を麻痺させなければならない。
それゆえに、この方法は袋小路につき当たるしかないのである。
盲人たちにはその標識が見えないのだろう。


 


●そして狂気へ

一九八一年二月三日付『ニューヨーク・タイムズ』科学欄に「人工心臓、人間への適用近づく」
という大見出しが踊った。
これは過去二四年間にわたる人工心臓の実験で、何千何万という動物たちに与えられた苦痛の見返りとして、ついに無知な人間にももたらされることになる大きな苦痛を約束する言葉だった。

これまでも実験医学の分野では常にそうであったのだが、今回もきっと、「あなたの生命を救う唯一の方法はこの人工心臓の移植ですよ」と患者を説得する無節操きわまりない医者が現われ、またそれに同意する患者も現われてくるだろう。

次の『タイム』の記事は、我々がすっかり忘れてしまっていたニュースを思い出させてくれる。


一九六九年に、テキサス心臓研究所のデントン・クーリー博士が、死に瀕していた四七歳の男性に人工心臓を設置したことがある。
患者は人工心臓で六〇時間以上生きた。
この六〇時間のうちに医師たちは通常の心臓移植手術のためのドナーを見つけだした。
しかし、結局、心臓移植後三二時間で、患者は肺炎と拒絶反応抑制剤の作用のため死亡した。
これ以降、専門家の知るところでは、この種の試みは行なわれていない。


一方で、一部の医師たちの賢明かつ現実的な将来への展望が、一九八一年二月十一日付『レスブリッジ・ヘラルド』という小新聞に掲載された(カルガリー発「心臓移植の袋小路」)。
この種の記事は、ロックフェラーセンターの束縛を受けない中小新聞にしか出ないのである。


エドモントン大学病院胸部心臓外科部長ジョン・カラハン博士は、心臓病患者の部品交換の可能性は非常に難しい生物学的壁にぶち当たっている、と語った。
彼は、まず心臓移植については、非実用的であるという。
なぜならば、手術費用は患者一人当たりゆうに三〇万ドルを越え、しかも手術によって延命できるのは長くても一年か二年だからである。
この莫大な費用は、拒絶反応の徴候を常時監視し続け、さらに拒絶反応をおこさないよう処置を施すのに要するものである。

さらに、人工心臓については熱の発生という問題がある、と言う。
これは今日製造されているもっとも高性能なポンプを使用しても解決できない……。

そこで、我々一人一人が負うべき責任は、まず心臓病を予防することだ、各人がライフスタイルを変えることによって自分の生命を救うことができるだろう、これは国中の科学者・医師・病院が心臓病治療になし得る以上のことなのである、とカラハン博士は語る。





●ついに脳の移植

以下は、一九七九年十一月十五日付、イギリスの『ガーディアン』紙の「ふたつの脳はひとつに劣る」よりの引用である。


アメリカ、オハイオ州ウェスタンリザーブ大学のロバート・ホワイト博士は、向う一年以内に、完全なヒトの頭部をその脳の機能を失わせずに別の体に移植することに成功するだろうと語った……。

すでに一九六二年に『サイエンス』誌で解説されたことがあるのだが、この種の実験とはまず、麻酔をかけられた脳(当時はヒトではなくサルの脳)の外科的分離が行なわれる。
そして継続的潅流によって、やがてその機能が回復する。
この時、脳の生存の確認は脳波の測定により行なわれる……。

一九六九年までに、ホワイト教授はサルの分離脳実験を一〇〇例以上達成しており、心肺装置につないで一二時間まで、ドナーサプライにつないだ場合には数日間生かしておくことに成功している――過去一〇年間の間に、アメリカ、西ドイツ、そしておそらくは日本とソ連でも、サル、ネコ、イヌなどの脳移植が行なわれてきたことが知られており、動物脳の分離実験はこれまでかなりの規模で行なわれてきたものと推測される。
そして今日なお続けられている。

この種の実験で非常に困惑させられるのは、実験のテクニックが進歩するにつれ、分離された頭部の示す脳波がどんどん「正常」に近づいているという点である。
すなわち分離された脳が自然な動物のものだと考え得るような感覚をもっていることを示唆する結果が出ているらしいのである……。

もしこれが事実だとすれば、これらの脳の経験した感覚は想像を絶する恐怖であったはずである。
それは、首を切られても生きている動物の体験する混乱、苦痛、衝撃だけにとどまらない。

動物が自然に持つ苦痛除去メカニズムではどうにも対処のしようのない、苦痛その他の恐怖感覚の人為的増幅という恐るべき状態なのである。

極度の痛みや死の恐怖という状況下におかれると、自然な動物の場合は、脳への血液の供給が失われ、昏睡状態に陥る。

ところが機械やドナーによって血液を補給される「頭部」には、この痛みと恐怖からの解放が与えられないのである。
脳がどのように感じようが、痛みがどの程度のものであろうが、おかまいなくポンプが動き続けるからである。
多少なりとも想像力と感受性を持ち合わせている人には、このような処置がいかなる生物に対してであっても、決して許されるべきではない蛮行だということが分かるだろう。

このような脳の感覚維持の可能性が日本の研究報告により確認されている。
すなわち、外科的に分離されたネコの頭部に数時間潅流を続けた後、光をあてた場合の眼球反応や、分離されたサルの頭部の刺激に対する筋肉反応を調べた報告である……。

そもそもこのような分離脳実験や分離頭部実験は、その目的とするところが曖昧な上、実験のやり方そのものが野蛮である。
それゆえに、この種の実験は文明社会においては法律により禁止されるべきであると考える……。


[参考文献]
『サイエンス』Vol.141,No3585,pp.1060-1061「試験管内でのサルの脳の分離について」
『ネイチャー』Vol.212,一九六六年十月、pp.268-270「試験管内でのネコの長時間冷凍脳の生存能力について」
『神戸医科学誌』
『サルの体へのサルの頭部移植』R・ホワイト、第五回国際神経化学会、東京、「一九七六年。



***
一九八〇年、ヨーロッパ各地で放映されたあるテレビ番組を、不信と嫌悪をもって見た人々が何百万人といたことだろう。
その番組では、あのロバート・ホワイト博士が、タバコをくゆらせお酒をなめながら、実験室内を歩き回り愉しげにしゃべっていたのである。
一方では、身動きできぬように縛りつけられてはいるがはっきりとした意識のある死にかけのサルが、鼻と口から血を流しながら、恐怖に満ちた眼差しで博士を見つめていた。
「皆さんと再び御一緒できて愉快でした」というのが、この移植実験第一人者の終わりの挨拶だった。

このシーンはある諺を思い出させる――もし動物たちが悪魔の存在を信じるならば、その悪魔は必ずや人間の姿をしているだろう。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


音声読み上げmp3は→ PART6 無用の惨劇(世界医薬産業の犯罪)

 

結論」より「現代医学の教義は、宗教教育に用いられる手法によって導き出されたもの」

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「世界医薬産業の犯罪」より


現代医学の教義は、科学の方法論によるのではなく、宗教教育に用いられる手法によって導き出されたものである

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

「世界医薬産業の犯罪」より

結論



健康というものに対する機械論的捉え方、そして動物実験に基づく研究方法、という二重の不条理をベースに成立している現代医学そのものが、今日の人間の病苦の最大の原因であるー識者たちは現代医学のあり方をこう批判してきた。

 

 


しかし、人間というものは、その心身の形成期に与えられた価値観、すなわち人生で最初に出会った権威者たちに教え込まれた考え方、に固執するものなのである。

 

 


人生で最初に出会った権威者たちと言えば、両親であり学校の先生たちだろうが、いかんせん、これらの人々は皆、同じ教育を受けてきたのである。

 

 


中世の人々が教会の奇跡の力を、理性を超えて疑わずに信じるよう教え込まれたように、現代の人々は、動物実験に基づく医学の奇跡の力を信じるよう教え込まれているのである。

 

 


実際のところ、現代の医学研究の科学的無効性を証明するのは、2+2が5にならないということを証明するのと同じくらい簡単である。

 



しかし現代医学の教義は、科学の方法論――すなわち、事実に基づく論理的証明で、自由な議論の対象となる――によるのではなく、宗教教育に用いられる手法――すなわち、証明できない命題を幼い頃から反復により教え込む――によって導き出されたものである。

 



そのため、いかに証拠を示し合理性に訴えて説得を試みても、信じてしまった者の心を変えることは不可能なのである。

 



理性ぬきで信じさせられてしまった人の信仰を、理性によって崩すことはできない。


一度浸み込んだ信仰は論理性を受けつけない。


これが、現代医学が科学ではなく宗教であると定義されてしかるべき理由なのである。

 

 


動物実験が有効な研究手段であるという神話を広める医師の多くは、自分自身その神話をかたく信じて疑わない。



というのも、彼ら自身、ずっとそう教えられてきたからである。


彼らはこの組織犯罪の共犯者というよりは犠牲者と言うべきだろう。

 


彼ら医師司祭は自分の語る言葉を信じている。

同じように、中世の司祭たちも聖水の治癒力を信じていた。



実際、聖水はしばしば病人を癒した。


少なくとも現代医学の治療法よりはるかに害が少なかったことだけは確かだろう。

 


医学界の現体制は異端を排除し無限に自己生産的だ。



吐き気を催すような実験室内での行為に、反対するだけの知性と率直さを持った医学生が、医学校を無事卒業できる可能性たるや、疑い深い神学生が司祭に任命される可能性ほどにもないだろう。

 


また、自分のやっていることに遅ればせながら気づき、あえてそれを公言しようとする医師は、医師仲間からは村八分にあい、資格を剥奪される危険を冒すのみならず、異端者として社会から追放される可能性すら覚悟しなければならない。

 




冗談ではない、これは現実に、しばしばおこっていることなのである。



時に、化学・医学・動物実験コンビナートは、自分自身の医学上の大失策を公表することがある。


それはただ、研究費の不足を訴え、資金集めの宣伝用としてそれを行なうのである。

そして集められたお金は、またいつもの破滅路線上の研究に費やされる。


この好(悪?)例がDESだろう。

メリーランド州ベセスダの国立癌研究所のロバート・W・ミラー博士は、DESケースの公式発表の中で、動物「モデル」による実験の強化を提唱することにより、最初の大失策を倍加させてしまったのである(『罪なきものの虐殺』日本語版三三一~三三二頁、三一二七~三三八頁参照)。


本書でリポートしたさまざまなニュースは、一般の新聞雑誌にも載っているもので、誰の目にでもとまる種類のものである。


ところが、それぞれが孤立し、解説もなく、無関係に掲載されているので、ひとつひとつの持つ意味が見えて来ない。

まるで、ジグソーパズルのごちゃ混ぜのピースである。

しかし、これらのピースをきちんとはめ込もうとする人、あるいははめ込める人にとって、えせ完成された絵は、ただひとつの意味を表わす。

すなわち、現代医学の似而非研究法は、一般大衆の健康のために、禁止されなければならない、である。


しかし、一般大衆の健康と、化学・医学・動物実験コンビナートのトップの思い描く利益とは一致しない。

そこで、コンビナート側は、本来明白な意味を持つピースをごちゃ混ぜのままにしておく。

こうしていつまでも彼らの研究の失敗を、歴史的大成功であるかのようにだまし続けていられるよう図るのである。

どうりで、この歴史的大成功には明確な成果がないはずだ。

いつまでたっても「より高度な研究のためのより多くの予算」を要求し続けるばかりなのである。


この点に留意して、ここ数十年ばかりの新聞や医学雑誌類をめくってみると、鳴り物入りで宣伝された「突破ロ」のニュースの信じられないほどの多さに気づかされる。

これらの「突破口」の実用化は、いつも「間近か」に迫っている。

しかし、本当に実用化されたことは一度もない。

「五年後」という約束は、常に次の新しい五年後の約束が持ち出される中で、次々と忘れ去られる運命なのである。


化学・医学・動物実験コンビナートのトップたち、先進各国の保健機関、マスコミ、そして体制派動物福祉団体これらはすべて、巨大医療詐欺の共犯者である。

彼らはグルになって、動物実験をベースとする医薬研究の破滅的結果を、一般の我々の目に触れぬよう覆い隠そうとしているのだ。


これまで、イヌによって救われた子供は一人もいない(もっとも、溺れかけた子供を犬が助けた、というケースは別である)という事実を、これまで私は繰り返し証明してきた。

分かってくれたのは少数である。

この証明が、大多数の人々に受け入れてもらえるようになるまでは、動物実験の問題は永久に、例の絶望的似而非命題にすり換えられたままだろう――イヌか赤ん坊、すなわちフェイちゃん、か?

    ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

この「結論」だけで済むのでしょうが、それには検証が必要だということで

数々の世界中の医学情報を収集して整理したのがハンス・リューシュ氏です。

 

インターネットの無い時代に、よくここまで情報収集の調査したものです。

 

「世界医薬産業の犯罪」より

世界医薬産業の実質的オーナーは? ボク達が居てキミ達がいる

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「世界医薬産業の犯罪」の著者は結論として書いてありますが

結論」より「現代医学の教義は、宗教教育に用いられる手法によって導き出されたもの」

一部抜粋引用ーー

現代医学の教義は、科学の方法論によるのではなく、宗教教育に用いられる手法によって導き出されたものである。

そのため、いかに証拠を示し合理性に訴えて説得を試みても、信じてしまった者の心を変えることは不可能なのである。

理性ぬきで信じさせられてしまった人の信仰を、理性によって崩すことはできない。

一度浸み込んだ信仰は論理性を受けつけない。


これが、現代医学が科学ではなく宗教であると定義されてしかるべき理由なのである。

現代医学の教義は、科学の方法論によるのではなく、宗教教育に用いられる手法によって導き出されたものである。

そのため、いかに証拠を示し合理性に訴えて説得を試みても、信じてしまった者の心を変えることは不可能なのである。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 


 


理性ぬきで信じさせられてしまった人の信仰を、理性によって崩すことはできない。


一度浸み込んだ信仰は論理性を受けつけない。
これが、現代医学が科学ではなく宗教であると定義されてしかるべき理由なのである。

 

 

近代医学だけじゃないんですよ。世界医薬産業は近代のものですが、その前からのことなんですよ、ボクらがだまされ続けてきた一番の原動力は「信仰」だったわけですから。

ハンス・リューシュ氏も書いていますが、近代医学(現代医学)は宗教だとね。

 

その「信仰」の柱となっているのは、「薬信仰」でしょうね。

薬信仰とはひと言で言えば「薬で病が治る」という錯覚ですね。   錯覚。

このことを言うと「ま、まさか~~」と言う人はまだその信仰が進行中だということでしょうね。

 

 「あっと驚く薬理学」で、薬理学者がつい口を滑らせて(指を滑らせたのかも )しまい、

「残念ながら、お薬には病を治す力を持ち合わせておりません」と書いてシマッタのですが、

後に「リベンジ版」を出版したので覗いて見たら、チャンとそれは除かれて有りませんでしたね。

 

そうです。この世界で生きて行くには「本当のこと」(とくに重大な真実)は隠しておかないと、生きづらくなるからです。ヘタすると(影響力のある方は)ポアされてしまいますからね。

著者が「残念ながら」というのは、今まで人類がずっと信じてきた「薬が病を治す」という信仰が、実は迷信だったということから起こる「残念、無念」感を言いたいのでしょうね。

世界医薬産業がここまで巨大化できたのは、一般大衆(人類)がそれを支えてきたからです。ゆえに、医薬産業が別物のように思うと間違いで、じつはみんなが参加していた構造なんですよ。

医者ももちろん、その中で教育されてきたのでお仲間です。彼らは職業上で専門家ですが、それを支えているのはボク達です。 

ボク達(一般大衆)が居て、キミ達(医者)が居た。

そして、その上に世界医薬産業が居る。

  その世界の医薬産業に君臨してきたのがロックやロスなどという名前の家族でしょうが、彼らはじつは「ボク達は薬を飲まないのね♪」となりますか。

農家が農薬化学肥料まみれの農作物を販売用にまわして、自分たちは安全な作物を食べているとか、牧畜農家が抗生物質などの薬まみれの牛を売って、自家用はやせた牛(なぜか抗生物質を使わないとやせ気味だという)を食べている・・・

 

ところで世界医薬産業を支え、心から応援してきたボク達(ボンクラ達の略)は信仰者ですかね。その強い信仰を捨てたら、もうヘナヘナになりますよ、きっと。

 

世界中のあらゆる薬と言うものが「じつは病気を治すものではない」と知れたとき(もっとも知っても認めたくないでしょうが)、

じゃあ、なんだったんだよ~~!!

となるでしょうが、それは自分の頭でも考えて貰うとして・・

この本の著者も書いてありますが「病を治す力は自分自身の力なのです」

と。

 

そこで大抵の人は言うでしょう。

「薬はたしかに病を治せないかも知れないが、自己治癒力を助ける働きがある」とね。

ところが、どっこい  ショ。

その薬が病を作るという訳です。

 ここまで来ないと薬はやめられない止まらない喝破えびせん

 

しかし、見た目にはそうは見えませんね。

それが「原因と結果の時間差攻撃」(バレーボールか)なのでしょうね。

 

一時的に効果がある・・・・(個人の一生のうち持続する場合は一時的とは言えなくなる)

個人的に見えるのは(それでいいじゃ無いかというとここで終わりますが)

時間が短いわけでして、じつは自分の代だけじゃなくて、次の代、そしてそのまた次の代まで総合的に考えないと分かりにくいと思うのです。

いまの自分が行ったことが原因として、その結果が自分に返ってくる場合は即分かりますが、そうでなくて自分の代には結果が出てこない場合にです。

次世代に受け継がれて、いつかはその結果が出るということです。

 これが原因と結果の時間差だと思うのです。

これはニンゲンを個々だけでみると分かりにくいのでしょうが、全体としてみないとこの原因と結果の法則は分かりにくくなっているのでしょう。

 

いま良いから・・・・という時間が長いと・・・・それで良いのだ・・・となります。

だから「原因」が見えなくなる。

 

  

下は最初に書いたので繋がりが無いのでわけました。

 

 

 

ぼくらはずっと長い間

金ピカのガラクタを押し付けられてきたわけです。

それは一見「科学的」にみえますが、じつは死の黒魔術のようなものでした・・・

 

 もっとも、ガラクタがキンキラキンの新品に見えるのは僕たちの曇った心から見るからですが・・

どうして心が曇ったのかって?

それがドラマを創り出すための最高の下地になるからです。

 

そこから喜怒哀楽という人生ゲームを体験できるからでしょう・・・か・・

か?  

  病気という体験がいかに人生ドラマを豊富にするか・・・・ということでしょうか。

そして、本質がガラクタなのに、見た目は金ピカ金に思い違いする・・・には?

  時間差  でしょうか?

か?

原因と結果の間に時間をもうけることでしょう・・・・か。

 

そうすると、結果をみて原因を知ることが困難になります。

そして、本当の原因ではなく、憶測や想像の原因をもってきました。

それが「かんちがい、まちがい」だったと言うわけです。

 

そこから、始まったんですよ、アンタ。

アンタ!?

そう、ボクらは初めに勘違いしたんですよ。もっとも、それは心の奥の意識では

「わざわざ間違った、勘違いする」という意志があったのでしょう。

そうでなければ

ここまで長い間、その勘違い、間違いを持続できなかったでしょうよ。
途中で全然気がつかなかったのも、ここら辺にあるのでしょうね。

 

え?何が言いたいのって?

「世界医薬産業の犯罪」という本はそういう事に気づいたハンス・リューシュ氏がまとめた啓蒙書のようなものでしょう・・・と言いたかったわけ。(ボク)

ボク・・・・ボンクラの略ジャナイですよ!!

 

薬に治す力はない!唯一治すのはあなたの中の自然治癒力だけ

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このブログは何度も同じような繰り返しなので、飽き飽きするでしょうが・・

 近代医学だけでなく、古来からの人類の薬信仰からすべてが始まったとみると理解出来るかと思います。

 もともと薬には病気を治す力は持ち合わせておりません・・・というのが現代の薬理学の専門家が書く時代です。

 病気という浄化作用(排毒作用=体的) (本来の自分に帰る=心的)だという。
 その浄化作用を一時停止する力が種々の毒の作用(薬の効能)

しかし、毒の効能ですから、当然害作用なのです。(大局からみれば一時的緩和さえも、全体から言えば有害・・・・心的には、気づかせない効果)

 確かに苦痛は早くおさめたい。
だから病気は早く治したい・・・・当然ですが・・・

本当に治していないところに大きな問題があるわけです。

  「治していない薬」というものに依存してきた人類。

その末路は、人類全体の体質の悪化による虚弱人間(ヘタレ人間)の蔓延でしょうか?

 元気で長生きではなく、ヘタレ人間の長生き化(この長命も長続きしなくなる)

 

世界医薬産業の犯罪 より

 医学は科学では無い(科学的と思えるが「的」であって、科学のように見えるだけ)、宗教であると。

その宗教の第一の教義が

 薬でしょう。 

そして、

病気は悪化作用

 これも見た目は実際上そうなのですが、本当は排毒浄化作用だったわけです。

その浄化作用を停止するのに一番力を発揮するのが毒だったわけです。

 (近代の化学薬品だけでなく、古来から天然自然の毒物が薬として使われてきた)

その毒の作用によって一時的に症状が緩和する(これは宇宙のリズムによって長続きする時期が関連しているのだが)

一時的にも「症状」「苦痛」が緩和する  =  病気が治る  ← 錯覚、勘違い

 

 

そこで、先回の記事の補足です。

 

音声読み上げは↓ ↓ 。

薬に病気を治す力はない!唯一治すのはあなた自身の中の自然治癒力だけ音声mp3

 

ネット記事から    

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

薬に治す力はない!唯一治すのはあなたの中の自然治癒力だけ

■薬は毒!

 

日本人は大の薬好きのようです。

 

ちょっと風邪気味だ、やれ頭痛がする、胃が痛いなどというとすぐ家庭の常備薬を飲んで不快感をしのぐというのが普通です。

 

アメリカの医科大では「薬は毒である」とまず教えるそうです。

 

薬は表面に見える症状をなくしたり軽減したりするのに役立つことはあるけれども、『症状がないこと = 健康』ではありません。

 

いくら薬を与えられても、病気の根本原因は取り除かれることはなく、薬をいう体にとっては異物の侵入がもたらす弊害は、体の組織を徐々に傷つけていくことを促進させるばかりです。

 

健康のときに使わないもの(薬など)を、病気のときに使うのは、賢明な選択ではないのです。

 

私は医学部卒ではありませんのでわかりませんが、日本の大学の医学部とは大分違うように思われます。

 

以下、「50代からの超健康革命」松田麻美子著よりご紹介します。

 

■薬には治す力はない!

 

「風邪」のような単純な病気をガンのような複雑な病気にさせてしまう最大の原因は、現代医学による介入です。

 

症状を薬で抑え、体内毒素の排泄を人為的に失敗させてしまうからです。

 

誤った食習慣やライフスタイルがもたらす状況(病気と呼ばれるもの)から解放されるには、本人の強い意志と努力が要求されます。

 

「労せずして素早く快適な状態に戻りたい」

 

と願う習性のある現代人は、痛みを即座に取り除く物質(薬)を作り出し、最近は益々これを乱用するようになっています。

 

その結果、非常に多くの人々が、病気そのものもためではなく、薬のために体を傷付けていますが、それには気付いていません。

 

「薬は血圧、血糖値、コレステロール値、尿酸値を下げ、病気を治してくれる」

 

という幻想に、人々はすっかり陥っているのです。

 

これは現代医学に潜む非常に危険な罠です。

 

 

 

人々は自分が無分別な食生活や生活習慣を行なっていながら、その結果もたらされる悪影響を帳消しにしてくれるような魔法の薬を信じたがる傾向がありますが、そのようなものは存在しません。

 

これらは「偽りの希望」を与えているに過ぎないのです。

 

 

この世にあるのは、「原因と結果の法則」だけです。

 

現在の自分の体重や血圧、血糖値やコレステロール値、中性脂肪値、尿酸値などが気になったら、その数値の原因となっていることを考えてみることです。

 

病気をただの風邪から、最終段階のガンにまで発展させたくなかったら、また、もっと健康になりたかったら、もっと長生きしたかったら、まずはその根本原因である

 

「誤った食事やライフスタイルを改めなければならない」

 

というのがナチュラル・ハイジーンの教えです。

 

 

薬も医者も病気を治すことはできません。

 

治すことができるのは、唯一あなた自身の体の中にある自然治癒力だけなのです。

 

今日でも医学を志す人々が必ず学ぶ『ピポクラテスの誓い』には、

 

「医者はアシスタントに過ぎない。自然の助手である。助けること、或いは少なくとも害を及ぼすようなことはしないことが重要である」

 

とあります。

 

また、シュバイツァー博士も、

 

「我々医者は何もしない。ただ内なる医師を助け、励ますのみである」

 

と言っています。

 

 

私たちの体の中では、精子と卵子というたった二つの細胞から、六十兆個もの細胞で構成された人間を創り上げたものと同じ能力が、健康のときも病気になったときも、絶えず働いています。

 

切り傷や骨折を治すのはその力です。

 

その力はまた、細胞や組織に生じる異常や欠陥を修復し、常にベストな状態に保とうと、私たちが最後の息をする瞬間まで休むことなく努力を続けてくれているのです。

 

 

私たちがこの力に全幅を信頼をおき、必要なものを与え、傷付けるようなことをせずに協力してあげれば、致命的なダメージのために修復が不可能になっていない限り、病気のどんな段階においても、体は健康を取り戻していけるのです。

 

たとえ修復不可能といわれる第七段階のガンであっても、治ろうという強い意志と、ナチュラル・プラントフード(新鮮な生の野菜と果物、木の実、種子類、発芽させた穀類や豆類、海藻など生の植物性食品だけの食事)という徹底的な食事プログラム、そして十分な休養と睡眠、運動、日光、ストレス・マネージメントなどによって回復していく例が世界中に多数あります。

 

【出典】「50代からの超健康革命」松田麻美子著

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

また薬毒についても

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

薬の副作用はもとの病気より怖い

薬の発明はこの世の最大の悲劇です。薬は・自然の警告システムを働かなくし・危険な行為(病気の根本原因である誤った生活習慣)を続けるように仕向けてしまうものです。人々が完全に健康になり、病気が減っていくのであれば話は別ですが、医学がいくら発達し、様々な薬が開発されても、病人は増え、医療費は天文学的にかさ...

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ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

薬はすべて毒です。毒で無いと薬にはならないとも言います。

 

毒を体内に入れるといろいろな作用で変化が生じます。

その変化作用(毒によって数多くある)のうち、「自己都合によい働き」を「主作用」とか「効能」と言っているだけです。

 自己都合とは「これこれの症状を軽くする」とか「苦痛を緩和する」とかの都合です。

 

とうぜん「都合の悪い作用」も「同時に起きている」のですが、そちらを「副作用」と称しているだけのことです。

薬というものが「主作用だけ」とか「副作用だけ」とかに分けることは出来ません。もともと毒なのですから。その毒によっていろんな反応が体に起きるだけのことです。

 

「主作用」「副作用」などと言っても人間側の都合で分けているだけのことです。主作用も副作用も同時に起こっているわけですから。区別など出来ないのです。

そもそも、毒の作用が体内でいろいろな反応を引き起こしているのが薬の作用とういうものです。

その作用が時間的にみて、早く顕れる作用と遅く顕れる作用とありますが、薬の治療効果(治すのではないが治療と呼んでいるだけのこと)と言っても、毒による反応であって治す作用ではありません。

それは薬理学の先生が書いた本「あっと驚く薬理学」にも書かれています。

 

「残念ながら、お薬には病を治す力を持ち合わせておりません」

 

 

では、なぜ薬で治ったように思えるのか? ですが・・・

もともと本当に治る、治す力は自分自身の治癒力なのですが、そこに薬を使った=一時的に症状が緩和した= 薬で治った・・・・という思い込みが働いているのです。

人間の思いの力というのはバカにならないほど強いものです。

 

薬のプラシーボ効果というのは四割くらいだという説もありますが、実際はそれ以上だと思うのです。

それは心の作用が薬の毒作用(普通は副作用と言う)をお抑えて治癒することが出来るという意味でしょう。

 

しかし、もともと毒を体内に入れているので、人によってはその毒の害作用を受ける場合が多くあります。その場合は一時的緩和作用も長続きせずに、すぐまた症状として顕れますから、飲み続けなければならないことになります。

もともと「薬には治す力は無い」のですから、けっきょくは体内には毒の成分が蓄積されていくわけで、いづれは一時的効果(症状の抑制)も次第に無くなってゆきます。

そして、次の薬、また次の薬と変えて行きますが、ついには薬の効果が無くなってきます。

これが薬の治療の末路です。

 それが個々のひとによって異なりますので、その期間が短いひと、長いひととあるでしょうが最後は薬が効かなくなり、その症状によっては手術とかになるでしょう。

(手術というのはあくまで最後の手段であって、薬で治ればほとんどが必要の無いものだからです)

そして、手術もダメとなるので、ついには「臓器移植」へとたどり着くわけです。
ただし、他人の臓器は生涯「免疫抑制剤」が必要。

そこで考え出された最後の最後の手段として「自分の細胞から作り出す臓器」ということでしょうか、それがESとかIPS、そしてあのSTAP細胞。

結局は最後の最後の手段としての臓器移植なのですから、本来の医療ではないわけです。

本来の医療とは「なんら自身の臓器を傷つけずに元に回復する」ことですから、医療が第一に「薬で治れば他の方法は要らない」という方針で進歩してきて、結局は「薬では治らない」という現実に気づき、そこからいろんな「手術」が。そしてその手術の究極が臓器移植というものでしょう。 (これも最終的には失敗だと気づくでしょうが)

 

繰り返しますが、「薬で病気が治る」ものなら、ほとんど要らないものです。
それに「薬で病気が治っている」のなら、新たに薬を開発する必要も無いわけです。

ひとつの薬が使われ、その薬が病気を治していたのなら、それ以上新薬を作る必要も無いのです。

実際はドンドン新薬が作られ、ドンドン消えて行く・・・を繰り返してきたわけです。

これが「薬で病気は治らない」という証拠なのですが、「医学信仰」に陥っている医学者も一般人もこの単純明快な事実に気づかない。いや気づかないふりをしているのかは分かりませんが、相変わらず同じ事を繰り返しています・

が、そろそろその頂点に達したわけで、嫌が上でもそれに気づかざるを得ないところに来たようです。

 また話が飛んでしまい、次の文に繋がらなくなりました・・

 

じつは薬による体質悪化はそのひと個人だけに終わらないということです。

親の体質悪化は次世代に受け継がれて行くということです。

 自然農法、自然栽培の方で言えば、種は自家採取が一番だといいます。
それは、化学肥料などで育った作物の種子は汚染されているので、汚染されていない自家栽培の種子の方が強く育つというわけです。

それが人間の体の方でも起こっているとすれば、子を元気で強く育てたいと思えば親の代から作りあげなければならないでしょう。

それを、予防接種だの風邪薬だの抗生物質だの、そして食品添加物満載の加工食品ばかり体に入れ続けるている現代人は次第に体質悪化しているので、ついには子どもや孫にまで影響して弱体化してゆくということです。

 

体の方は体を強くしようとして体内の毒を排泄しようとします。(浄化作用=病気)

しかし、この浄化作用をできるだけ抑え込もうとするのが現代医療(ばかりか古来からの医療だが)です。そこに一番用いられるのが薬という毒物です。

毒の作用によって苦痛症状が抑え込まれる・・・・しかし、薬(毒)には病気を治す力は無い・・・・とすれば・・

 

あらゆる薬に治す力は無いとすれば、症状緩和作用も一時的どころかいずれはその積み重ねによって、体質は悪化してゆき、それがその人の代で解消しない限り、子々孫々にまで続くというわけでしょう。

 

近代医療が急速に発展進歩(と言っても本当の医学の進歩ではない)した功績は、おそらく「抗生物質の発見」だったと思います。

抗生物質の効果は目を見張るものがあったというのですが、今でも抗生物質は医療において無くてはならない薬の代表格でしょう。

 

しかし、抗生物質がいままでいかに効いてきたかという事が事実としても、あくまでもそれは時間の経過で言えば「一時的時間が長かった」だけでしょうから、いずれは体質の悪化をまねき、親の代からこの代へ孫の代へと、実質的には毒作用の一時的な効果だと気づくときが来るでしょう。

それが自然界の法則だと思います。

そして、自然界は微生物の海のようなものでしょうから、そこに身を置く人間は原因→結果という法則が顕現されるものでしょう。

実際に抗生物質の長いあいだの使用で微生物側もそれに反発するかのように、耐性菌が増加してきて、近い将来には「すべての抗生物質が効かない耐性菌」によって、医療界から「抗生物質が消える」という事態が起こるだろうと思います。

あらゆる症状に抗生物質がつかわれて来ましたので、この抗生物質がまったく使えない状況というのは現代医療にとっては致命的なものになると思います。(手術も抗生物質なしには成り立たないという)

「抗生物質」については過去記事にたくさん紹介しましたのでそちらをどうぞ。

 

 


 巨大な医療詐欺 第二版のための追補

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 本書初版の出た一九八二年夏から、その後増刷の運びとなった八五年末までの三年余の間に集まった、政府機関と化学・医学コンビナートによる組織的詐欺の新たな証拠は驚くべき量に達した。  (中略) 

この三年間に論駁されたものはひとつとしてない。かえって公式に追認を受けたものが多くある。

 

 本書「世界医薬産業の犯罪」は1982年から1985年までの内容だったということです。


引用元

巨大な医療詐欺 第二版のための追補予防接種 追補癌は増加 追補●DESによる癌の増加人間モルモット 追補狂気へ 追補●一九八三年、バーニー・クラーク、人工心臓●一九八五年、ジャック・バーチャム、ウィリアム・シュローダーなど


音声読み上げはこちら

巨大な医療詐欺 第二版のための追補音声読み上げ


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

   ● 巨大な医療詐欺 第二版のための追補

本書初版の出た一九八二年夏から、その後増刷の運びとなった八五年末までの三年余の間に集まった、政府機関と化学・医学コンビナートによる組織的詐欺の新たな証拠は驚くべき量に達した。


初版時に私が疑問を呈した項目のうち、この三年間に論駁されたものはひとつとしてない。かえって公式に追認を受けたものが多くある。

これは動物実験が医学にとって必要不可欠であるという神話を打ち砕き、むしろ有害であるという点を明らかにした最初の本であった『罪なきものの虐殺』の場合とまったく同様である。


この追補の目的とするところは、【一九八五年現在の】最新の証拠の追加である。



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    ●予防接種 追補

一九七八年版の『罪なきものの虐殺』で、ポリオワクチン製造に使われるサルの腎臓に存在するSV-40ウィルスが人間に与える致命的危険性については報告したが(日本語版三二七~三二八頁)、八五年五月二十八日、「九八〇〇万人に死の宣告?ポリオワクチンに脳腫瘍ウィルス発見」という。さらに好ましくないニュースが追加された。フロリダ州ランタナの『ウィークリー・ワールド・ニューズ』よりの抜粋は次の通り。

専門家によれば、一九五〇年から六〇年代にかけて、ポリオの予防接種を受けた九八〇〇万人のアメリカ人は、その予防接種が原因の脳腫瘍にかかる可能性があるという。SV-40と呼ばれるウィルスがポリオワクチンを汚染していることはすでに知られていたが、シカゴ大学医療センターの研究チームの報告によれば、最近になって脳腫瘍患者の持っていた同種のウィルスに発癌性物質が発見されたという。SV-140ウィルスは正常な脳や、体の他の部分から転移した脳腫瘍からは発見されていない、と研究チームの主任、ジェイコブ・ラクリン博士は言う。
アメリカ神経外科学会で博士は「これらの結果は、SV-140がヒトの脳腫瘍の原因の有力候補であるという点を示唆している」と語った。ただしこれはまだ「予備的段階」であると念を押している。
ラクリン博士のチームが発癌性物質を特定したウィルスは、数人の脳腫瘍患者から採取したものであるが、これらの患者の中には、妊娠中にポリオワクチンの接種を受けた母親から生まれた子供が三人含まれているという。


この記事は、動物実験による医学研究法が人類を病気から救済することなどまったくできず、むしろサリドマイド悲劇をはじめとする多くの薬害の例でも明らかなように、病気の直接原因を作っているという記事を再確認するものである。




一九八五年六月二十八日付『デイリーメイル』(ロンドン)の第一面「悲劇のワクチン、禁止」。

五カ月の双子の兄弟が謎の死を遂げたため、二種の小児用ワクチンの調査が行なわれている。
この双子は、破傷風、ジフテリア、百日咳の三種混合ワクチンの接種を受けて数時間後に死亡した。二人は同時にポリオの糖衣経ロワクチンも服用していた。
「ロサンジェルス・タイムズ』の記者ビル・カリーは、八五年六月]日付同紙「ポリオ撲滅運動論争再燃」でこう書く。

――今日のアメリカでは、ポリオ感染の唯一の経路は、国のポリオ撲滅運動の一環として乳幼児に投与されている経ロワクチンである。

予防接種問題に造詣の深いカリーがこの長文の記事の中で、ひとつ言い忘れていることがある。

それは、ポリオにとくに「敏感」な人が、ポリオ・ウイルスのキャリアと接触した時にだけ感染がおこるのだという点である。

ほとんどの人はポリオに「敏感」な体質ではないし、また実際ポリオは非常に稀な病気なのである(医療機関のヒマ人が統計の数字をいじろうなどと思いつくまでは、過去においてもずっと稀な病気だった)。

たとえ「敏感」な人でも、ポリオウィルスのキャリア(非常に数が少ない!)に接触しない限りは、予防接種など受けていなくとも病気にかかりはしない。

ところが、「敏感」な人が予防接種を受けるということは、わざわざウイルスに接触して病気にかかるということなのである。


小児科医ロバート・メンデルソン博士はイリノイ大学(シカゴ)の予防医学科教授であり、州医師免許委員会の長でもある。そのメンデルソン博士による『消費者のための医学ニューズレター』(Vol.8,No.12,一九八四年)の「国民の医者」より。


今日、ソーク博士がセービンワクチンを攻撃しているが、少し前はセービン博士がソークワクチンを攻撃していた。両者ともに正しい、と私は考える。

破傷風ワクチンは私が最後まで破棄をためらっていたワクチンである。ゆえに、読者にはこのワクチンについて私に尋問する権利があるだろう。
私にとって、百日咳、はしか、風疹のワクチンは、その効果のなさと副作用のひどさゆえに、破棄するのはいとも簡単なことだった。リスクが大きく益が小さいおたふく風邪のワクチンに対しては、作られた当初から、私のみならず多くの医者が馬鹿げているとの印象を抱いたものだ。ジフテリアワクチンについての論争は、過去一五年間の流行で、予防接種をした人としなかった人の死亡率および症状の激しさがまったく同じだったところから、余り意味のないものになってしまった。天然痘ワクチンについては政府でさえ一九七〇年には廃止してしまった。

そしてジョナス・ソークが、アメリカでポリオに感染する一番手っ取り早い方法は、セービンワクチンを受けたばかりの子供のそばにいることだという証明をしてみせた時、私はポリオワクチンをも破棄した。

しかし破傷風ワクチンについては、私はこれをかなり長い間捨てることができなかった。このワクチンへの信仰を捨てるには段階を踏む必要があった……。

破傷風ワクチンの安全性と効果とを証明するための科学的対照実験は、これまでまったく行なわれていないとの認識は徐々に広がってはいる……。
近年急激な増加を見せている自己免疫性の疾病、すなわち関節リューマチ、多発性硬化症、紅斑性狼瘡、リンパ腫、白血病などであるが、これらと免疫とを関連づける理論に関心が高まっている。しかし豚インフルエンザワクチンによっておこったギリョン=バレ麻痺のケースでは、免疫との関係は理論値以上の結果が出たのである。



ロンドンの『サンデー・タイムズ』(一九八五年七月十四日付)より。

スコットランド、ダンファリンに住むリチャード・ボンスローンは現在九歳、歩くことも話すことも座ることも、頭を持ち上げることすらもできない。固形食物を咀噛することもできず、完全な失禁状態にある。しかしリチャードは障害をもって生まれたのではなかった。「いつも笑っているほんとに可愛い赤ん坊でした」と母親のアイリス・ボンスローンは、健康で幸せだった赤ん坊時代を思い出す。

一九七六年、アイリスは赤ん坊のリチャードをジフテリア・破傷風・百日咳の三種混合(DPT)予防注射を受けさせるため、近くの病院に連れて行った。二年前、リチャードの兄ジョンにも同じように予防注射を受けさせていた。
二度目の注射から一週間ほど経って、リチャードは最初の痙攣をおこした。一日に三〇回もの発作をおこすひどさだった。やがて回復不可能な重度脳障害と診断された。
リチャードの他にも百日咳ワクチンによって脳障害を負ったと考えられる子供が現在約七〇〇人判明している。七三年、ローズマリー・フォックス夫人が、「ワクチン障害児親の会」を結成し、これらの子供たちの窮状がはじめて公開された。この「親の会」のメンバーの子供たちの障害の原因として、さまざまなワクチンが槍玉にあげられている。たとえばフォックス夫人の娘へレンはポリオワクチンによる脳障害だという。

しかし、百日咳ワクチンが原因のケースがもっとも多い。

一九八五年十二月七日、アルバート.・セービン博士はイタリア、ピアチェンツァで医師たちに講演を行なった。インフルエンザワクチンが効かないという彼の主張、および抗生物質の濫用の危険性についての質問に答えて、セービン博士は次のように語った、とトリノ最大の日刊紙『ラ・スタンパ』(十二月八日付)は伝えている。

現在アメリカで実施されている大規模な予防接種は、それが免疫を与えるはずの疾病の発生状況を顕著に改善しているとは言えないとの公式データが出ています。



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   ● 癌は増加 追補

 癌はこの数年も相変わらず着実な前進を続けていると言ってももちろん治療が進歩したのではない。死亡率が上昇し、それ以上に癌対策費が増加しているという意味である。八五年八月十三日付『ニューヨーク・タイムズ』に「スローン・ケタリング癌研に三六二〇万ドルの寄付」という見出しの記事が載った。

スローン・ケタリング記念癌研究所は、ローレンス・S・ロックフェラーより、三六二〇万ドルの寄付を受け、新しい研究所の建設を計画している……。

一方、ヨーロッパの現状はと言えば、これまでアメリカのやり方をみならってきたヨーロッパ各国の癌研究団体は、お家元のアメリカでさえ考えつかなかった新しい資金集めの方法をあみ出した。
八四年、銀行が定期的に顧客に送付する残高明細書と一緒に、癌研究への寄付をアピールする文書を送るよう主要銀行に協力を要請したのである。さらにその文書には、寄付の額が多くなればなるほど、癌問題に早く決着がつくという主旨の銀行独自の推薦文もつけるという。寄付に対し銀行側は手数料をとることができるので、協力を得るのは容易だった。
ローマ銀行が発送したイタリア対癌協会の寄付募集のリーフレットには「健康に投資しましょう」とある。

癌は来年にも あるいは三年、五年、十年後に征服できるでしょう。すべては研究に使えるお金、すなわち皆さんの寄付、にかかっているのです。資金がひどく不足していたこれまでの研究態勢下でさえ、その成果は捨てたものではありません。一九六〇年から現在までの間に、癌研究者は五〇〇名から一五〇〇名に増え、治癒率は二八パーセントから五八パーセントに上がっています。

この楽観的数値を、資金集めの団体によるものではない独立した情報源による数値と比較してみよう。まず、西ドイツの有力新聞『ハンブルグ・アベントブラット』の八四年八月十五日の記事にはこうある。

研究担当大臣ハインツ・ライゼンヒューベルは、癌の収支報告を発表した。それによれば、ドイツにおける癌の死亡率は着実に増加の一途を辿っているという。

すべての「文明国」における癌の増加は、ほぼドイツに併行している。
また、おびただしい数の動物実験を行なっても、警告からもれる癌のリスクもある。たとえば避妊用ピルの場合のように、ヒトに発生した癌の疫学的研究によってはじめて明らかにされるのである。以下はイギリスの『ガーディアン』(八五年三月二十九日付)第一面を賑わした記事の要約である。

空前の規模で実施された国際調査の結果、受胎調節用ピルに子宮頸癌をおこす可能性があると発表された。WHOの調査では、五年以上ピルを服用している女性は、癌の罹患率が二倍に跳ね上がるという。
二年以上五年以内のピル服用者の子宮頸癌のリスクは二五パーセントから七三パーセント増、五年以上になるとそのリスクは五三パーセントから最大二〇〇パーセント増にもなっていたという。

WHOの調査団は次のように言う。「最近行なわれた別の三種の調査の結果でも経口避妊薬使用者の癌、とくに子宮頸癌の増加が見られた。これら別の機関による調査結果および我々独自の調査結果を、非論理的だとして無視してしまうことはできないだろう」

八五年四月三十日付『ガーディアン』より。

一九七二年に、三四歳以下の女性の子宮頸癌患者は二〇〇〇人に満たなかった。これは癌総数の一五パーセントに当たる。ところが八二年(最新のデータ)には二五パーセント以上、五〇〇〇人に増えている。

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  ●DESによる癌の増加
本書の「DES」の項でも述べたが、すでに一九七三年に私はDES(スチベストロール)を原因とする癌は増加するだろうと予言した。この予言は不幸にも的中した。ロンドンの『イヴニング・トリビユーン』(八四年十一月二十九日付)に載ったボストン発AP電にはこうある。

妊娠中にDESを服用した女性は乳癌の罹患率が通常より高いとの報告が、今日、あった。ニューハンプシャー州ハノーバーのダートマス・ヒチコック医療センターのE・ロバート・グリーンバーグ博士は、該当する数百万人の女性はDES使用が二〇年以上も前のことであっても、早急に乳癌の検診を受ける必要があると述べた。
この間にもDES製造メーカーおよびDESを無定見に処方してきた医師を相手どっての訴訟に、患者側が勝訴するケースが増えてきた。
この種の訴訟はまったく終わる気配がないどころか、今後ますます増える気配を見せている。というのもDESは、妊娠中にDESを使用した女性の娘に癌を発生させるのみならず、その影響は、さらにその娘である第二世代の女性にまで広がっているからである。さらに最近の調査では、男児の生殖器にまで影響が及ぶ可能性も指摘されている。

ところが、飼料にDESを添加することにより、家畜の生育が促進されるということが発見されたため、今なお全世界で、食肉を通してDES使用は継続されているのである。

このような状況下で、アメリカからオーストラリアまで、DES被害者の会が次々に誕生している。が、残念なことに、これらのグループの活動は、このホルモン剤を製造販売したメーカーに金銭的賠償を求めて訴訟をおこすことに集約されており、大抵の場合、癌の根本原因DESに安全無害の太鼓判を押した動物実験を糾弾するまでに至っていない。
オーストラリア、ヴィクトリア州キャンバーウェルのDES被害者の会では、DESを含む市販薬品のリストを作って回覧している。

    



   ●人間モルモット 追補

 赤ん坊をはじめとする、実験動物同様に無力な人々を対象にした人体実験が増えつつあるということは本書の「人間モルモット」の項ですでに述べた通りである。この、疑問の多い人体実験の拡大は、単に数の上だけではなく、その危険度において、近年頂点に達した。一九八四年の、イギリスのホリーちゃん、アメリカのフェイちゃんのふたつのケースがそれである。
「イギリスで心臓移植の赤ちゃん死亡」というAP電が、八四年八月十八・十九日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビユーン』に掲載された。

イギリス国立心臓病院は、世界最年少の心臓移植患者だったホリー・ロフィちゃんが金曜日、死亡したと発表した。ホリーちゃんが移植手術を受けたのは生後一〇日目の七月三十日、そして生後二八日目の八月十七日、呼吸困難をおこして死亡したという。
ホリーちゃんは生まれた時、心臓の左半分がなく、脳障害で死亡したオランダ人の赤ちゃんの心臓を移植された。これまでの心臓移植の最年少記録は、一九六七年、アメリカのニューヨーク州ブルックリンの生後二週間半の赤ちゃんだったが、この場合は手術後間もなく死亡している。
ホリーちゃんは心臓移植の二日後、腸穿孔を塞ぐ手術を受けたが、さらに腸と腎臓とにトラブルが生じ、八月九日からは腎臓透析を受けていた。

『ロンドン・タイムズ』はこの手術を手厳しく批判し、トーマス・スタッタフォードの「早すぎた実験」という長文の記事を掲載した。スタッタフォードは、生後間もない新生児に安全な範囲で投与できる免疫抑制剤の量さえまだ分かっていないとの指摘をしている。
かのクリスチアン・バーナード博士さえも、この時ばかりは批判をされる側ではなくする側の快感を味わったようだ。八四年八月十六日付『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』に載ったUPIによれば次の通りである。

世界ではじめて心臓移植に成功したクリスチアン・バーナード博士は、ホリー・ロフィに心臓移植を行なったのは、医師たちの「重大な過ち」だと語った。
バーナード博士は、七月三十日ロンドンの国立心臓病院で生後一〇日の嬰児に対し行なわれた心臓移植手術は「あまりにも多くの未解決の問題をかかえている――ホリーちゃんの成長とともに心臓も成長するかもしれず、ホリーちゃんの生存の可能性を判断できる人間は誰もいない」と述べた。

とても信じられないことだが、この手術からわずか数週間後、あらゆる経験に基づく批判、論理的推論、解剖学的特異性、生物学的差異、代謝上の証拠、そして何よりも確実な失敗の記録をあっけらかんと無視して、死亡したホリーちゃん同様の障害を持って生まれた生後一二日目の新生児に対し、さらにリスクの大きい不自然な移植手術を、アメリカの医師たちが試みたのである。

八四年十月二十六日、カリフォルニア州ローマ・リンダ大学医療センターで、両親の希望により「フェイちゃん」と匿名で呼ばれる女児が前代未聞の試練を受けた。フェイちゃんは左心室形成不全症候群という心臓疾患を持って生まれたが、その心臓が若いメスのヒヒの心臓に取り換えられたのである。この実験は医学用語では「異種間移植」と呼ばれるものである。
次に引用する『タイム』八四年十一月十二日号の記事にあるように、この実験には最初から異議を唱えるベテラン外科医が多かった。


「これまでに異種間移植は一度も成功したことがありません」とアメリカでも指折りの小児臓器移植専門家であるミネソタ大学外科のジョン・ナハリアン教授は語っている。「現段階では、手術はただ死のプロセスを引きのばすだけです」。

さらにカリフォルニア大学ロサンジェルス校の心臓外科モネイム・ファダリ博士をはじめとする幾人かの外科医たちは、動物の臓器を使用する決断は単なる「向うみず」にすぎないと考えている。

事実、このフェイちゃんの冒険が失敗に終わるであろうことは、小児臓器移植の専門家でなくとも予測できただろう。初歩的な生物学的知識、あるいはただ健全な常識――この常識というシロモノが医学の世界のもっとも非一般的特性なのだが――さえ備わっていれば、十分に判断できたはずなのである。

半分欠けた心臓を持って生まれてきた可哀そうなフェイちゃんは、自然な死を迎えようとしていた。ところが、ハイテク医療によって、より大きなより長い苦しみへと引き戻されてしまったのである。ほんの数週間前にイギリスのホリーちゃんにおこったこと、そして賢明なるパプワース博士がすでに一九六九年にはその著書『人間モルモット』で明らかにしていたこと(『罪なきものの虐殺』日本語版四一~四三頁参照)をまったく無視した結果だった。

この手術にはさらに困難な問題もあった。ヒトの心臓では大動脈弓から出る大動脈が三本あるのに対しヒヒには二本しかない。それゆえにまずフェイちゃんの大動脈のうち二本を一本に結び合わせる作業をしてから、ヒヒの動脈につなぐ必要があった。これはそれでなくとも問題の多い冒険的手術を、さらに複雑なものにしていたのである。

では、この愚かな向うみずな実験を思いついたレナード・L・ベイリー博士とはいったいどのような実績を積んだ人物なのだろう。彼はこれまでに三〇〇頭を越すヤギ、ヒツジ、ヒヒの異種間心臓移植を行なっており、その生存率はゼロである。生存最長記録は、子ヒツジの心臓を移植されたヤギの一六五日だという。
バーナード博士の場合も、まずイヌで心臓移植実験を繰り返したが、その結果は失敗続きでベイリー博士の実績と似たりよったりだった。がそれにもひるまず、人間での移植に応用したのである。
ベイリー博士も同様に、度重なる失敗にも落胆することなく、果敢にもその破滅的実績を、まずフェイちゃんを使って、人間にも広げようと決心したのである。

無防備な赤ん坊を使ってのこの人体実験には成功の見込みなどまったくなかった。異種間移植における拒絶反応は、通常よりはるかに深刻であるが、問題はそれだけではない。そもそも、若いヒヒの心臓が人間の赤ん坊の成長と同じベースで成長するという保証などどこにもなかったのである。

人間に比べ寿命が短く、成長時の体が小さいヒヒは、人間よりずっと短い期間、一年で心臓をも含む臓器すべてが成長しきって大人になる。この異種間移植は野蛮と無知のなせるわざである。

これを犯罪行為控え目に言っても愚行だと指弾する人々が存在するのも当然と言えよう。
ところが、新聞は、この愚かな実験を新たな「突破口」として紹介した。これまでのすべての「突破口」も遅かれ早かれことごとく「行き止まり」に終わったのである。手術のわずか三日後、十月二十九日付『ニューヨーク・タイムズ』特別版に、ローレンス・K・アルトマン博士はこう書いた。「ヒヒの心臓を移植された赤ちゃんの状態は『非常に良好』と医師団発表」。

生後一七日を迎えた赤ちゃんは血色もよく、この一週間つけられていた人工呼吸器も外されて、自力で呼吸している、と医師団は語っている。

これは誤報だったということが間もなく明らかになるのだが……。いずれにせよ、一週間後の十一月六日付の『ニューヨーク・タイムズ』に、同じアルトマン博士が、大真面目で次のようなオーバーな表現で再び書いた。

――この赤ちゃんの心臓の鼓動の一回一回が、動物の心臓を移植された人間の生存記録を更新しているのである。
これは近年の医学の歴史で、もっともエキサイティング、そしておそらくはもっとも重要な一ページとなるだろう。この勇敢な実験を行なった移植チームの長であるレナード・L・ベイリー博士はこう語る。「私たちは今、世界中の誰よりも、新生児の心臓移植と免疫学とについて、多くを学んでいるのです」。


次に十一月一二日号『タイム』より。

手術後一週間経ち、フェイちゃんが非常に順調な回復を示しているため、この実験に批判的だった人々も再考を迫られている。
同じ号の『タイム』には堕ちた偶像バーナード博士の大甘の論評が載った。ほんの数週間前にはイギリスのホリーちゃんのケースを批判したこの高名な哲学者風の外科医は、明らかに心変わりした模様で、より問題の多いローマ・リンダ病院のフェイちゃんの移植には両手を上げて賛成したのである。

バーナード博士はフェイちゃんのケースを非常に積極的に支持しており、ヒヒを使用するについてもまったく懸念を示していない。博士によれば、ヒヒは南アフリカでは害獣とされ、農夫たちは見つけ次第射殺するのだという――「そのうちに我々は移植用にヒヒを飼育するようになるかもしれませんな」。

この間にも、事態は日に日にますますグロテスクな様相を帯びてきた。医師団は、移植されたヒヒの心臓をも含めてフェイちゃんのすべての臓器の検査に余念がなかった。同時に彼らは、こちらの方はまったく何の遠慮もなく、赤ん坊のヒヒに心臓移植を行ない、フェイちゃんに与えるのとまったく同じ薬を与えて、フェイちゃんの体内でおこっていることを再現する試みをしたのである。

おそらくこの医師団は、動物は薬に対し人間とは非常に違った反応を示すということ、しかもサル類の反応は他の種の動物以上に人間と違うということを耳にしたことがなかったのだろう。とは言え、このようなやり方は、大衆一般を欺いてはしゃぎ過ぎのやま師どもを、人の生命を救うため、真面目な「研究」に取り組んでいる「科学者」なのだと錯覚させるには十分な効果があった。

科学記者たち、医事評論家、ジャーナリスト、哲学者そしてバーナード博士までもが、お祭り騒ぎを楽しんでいる間、たった五ポンドの肉と骨の塊は血を流しながら、点滴につながれ、カニューレを入れられ、薬品漬けにされ、人工呼吸器と透析器にしばられ、レントゲンに晒されていた。現代の文明社会では、実験動物だけが耐えることを余儀なくされている拷問を受け続けていたのである。

初期の頃の楽観的な記者会見の内容とは矛盾する情報が外部に漏れ始めたのは少し後になってからだった。十一月十六日付の『ニューヨーク・ポスト』に、ローマ・リンダ医療センターのスポークスウーマン、ジューン・オクスが、フェイちゃんは手術後二二日目もまだ人工呼吸器をつけ点滴を続けていたことを明らかにした。同紙の週間レジメでは、十一月十二日、すなわちフェイちゃんの死の三日前の様子が、次のように報じられている。


フェイちゃんの体は当初考えられていた以上に激しくヒヒの心臓を拒絶している。医師団は強心剤の他に、これまでのサイクロスポリンとステロイドホルモンに加え、もう一種の抗拒絶反応剤・リンパ球免疫グロブリンを与えている。哺乳ビンによる授乳は中止され、点滴を再開、さらに体力保持のため人工呼吸器に戻されている。

手術後二〇日半で、医師団とジャーナリストたちにとっては後味の悪い虚脱状態が訪れた。フェイちゃんがようやく永遠の眠りについたからである。病院のスポークスマン、エド・ワインズの言葉を十一月十六日付『ニューヨーク・ポスト』は次のように伝えている。
フェイちゃんは午後九時死亡しました。体重五ポンドのフェイちゃんは、今日午前中は重体ながら安定した状態と伝えられていましたが、午後になり腎機能が停止、午後七時頃には腹膜透析が必要になりました。そして二時間後、去る十月二十六日の歴史的手術によりフェイちゃんの生命を救ったヒヒの心臓はついに力尽きました。

これ以降、科学記者たちも多少自重するようになった。動物実験と医化学業界の擁護者たる『タイム』でさえ、八四年十二月三日号では、本来だと称賛一辺倒に終わるはずの、フェイちゃん関連記事の中で、論説委員チャールズ・クローザマーが次のような疑問を投げかけている。

フェイちゃんの死亡の後、今となっては結果論でしかないが、さまざまな議論が交わされている。血の気がなくまっ青で喘ぐように息をしていたフェイちゃんが、ピンク色になりラクに呼吸していたのだから、手術は苦痛を減らすのに役に立ったのだ、という意見がある。一方で、いや報道陣のカメラが捉えたのは調子のいい時だけだったのだ、人工呼吸器、カニューレ、注射、縫合あと、不整脈、尿毒症などは公開されなかった、との意見もある。手術がなければ、自然な死はおそらくは数週間早く訪れていただろう。フェイちゃんにとって、自然な死よりも今回のような形での死が、本当に苦しみの少ないものだったと言えるのだろうか。

これは『タイム』らしからぬ論調と思いきや、やはり次のような弁解めいた文が続く。

フェイちゃんの死は、より高い目的達成の手段だったのである。この実験はフェイちゃん一人の苦しみを取り除くために行なわれたのではなく、後に続く多くの人々の苦しみのために行なわれたのである。この手術が間違っていたと言ってしまってよいのだろうか。未来の苦しむ赤ん坊たちが、今日の我々にそれを要求しているのではないだろうか。

これでこそ『タイム』らしい。かりそめの「突破口」ばかりで成り立つ「医学」という名の現代の宗教の栄光のために、これからも次々と行なわれるであろう愚かな人体実験、動物実験を性懲りもなく擁護し続けるがいい。

心臓の手手品師バーナード博士は手術失敗のたびに「拒絶反応は問題ではない」(原文のママ!)と繰り返した。同様にローマ・リンダのベイリー博士も、フェイちゃんの死因は拒絶反応ではなく、「他のいくつかの原因」――すなわち腎不全などだと発言した。
しかし、フェイちゃんの腎不全は、自然の、つまり最終的には避けられない拒絶反応の進行を遅らせるために大量に投与されたサイクロスポリンをはじめとする免疫抑制剤が原因と考えるのが妥当だろう。
ローマ・リンダの首脳陣が、再度の挑戦のための適切な言いわけを考え出すのにちょうど一年かかった。フェイちゃんの死因がヒヒの心臓への拒絶反応あるいは免疫抑制剤の作用であることを認めてしまえば、もうこの種の実験の再開はあり得ないだろう。そこでどうしても、別の死因を考え出さねばならなかったのである。
一ニカ月の間、彼らは額を寄せ集めて策を練った。そしてついに、本人たちは実にスマートだと考えたらしい結論を引き出した。八五年十月十六日付『ロサンジェルス・タイムズ』には、医学記者ロバート・スタインブルックの「フェイちゃんの死因は血液型不適合」と題する記事が載った。

フェイちゃんの心臓移植手術を執刀した外科医が、火曜日、明らかにしたところによれば、フェイちゃんの死は、異なった血液型を持ったヒヒの心臓を移植したのが原因だったという。
フェイちゃんの血液型はOだったがヒヒはABだった。「もしフェイちゃんがAB型だったら、今も元気で生きていただろう」とベイリー博士は述べた。当初、拒絶反応あるいは抗拒絶反応剤サイクロスポリンAによる腎障害が死因ではないかと考えられていた。
しかし検死の結果、拒絶反応の徴候は微々たるものであり、薬品による腎障害はまったく認められなかったと、博士は語った。

しかし、こんなにも簡単な検死の結果を発表するのになぜ一年もかかったのか、一晩で分かることではないか、この問いには誰も答えてはくれない。
また、人間とまったく同じ血液型をもつサルはいないという点や、サイクロスポリンが腎臓を駄目にするという点を一般の人々に誰も教えてはくれない。そこで大衆は、次の実験では医者はただ血液型の適合さえきちんとすれば成功間違いなしと信じ込まされたのである。
さらに『ロサンジェルス・タイムズ』は、「移植手術についての新情報を含む包括的報告」を行なったこの日のベイリー博士は非常に落ち着いた態度でユーモアさえ交えて、フェイちゃんの死への経過を語った、と報じている。

ベイリー博士はこれまで、この件に関してはいっさいのコメントを避けてきたが、今回の二〇〇人余りの医師、看護婦、その他の医療従事者を前にしての四五分の報告では、時折ジョークをも交えてリラックスしている様子だった。会議終了後、報告内容に関しての報道陣への説明はいっさい行なわれなかった。

馬鹿げた報告内容に関しての説明を拒否するというのは確かに賢い逃げ方には違いない。それにしても、ローマ・リンダ医療センターの次なる犠牲者は誰なのだろう。
付け加えると、フェイちゃんの医療費は約一〇万ドルとのことだが、これには医師の給料がいっさい含まれていない。というのもこの実験に連なった医師たちは、医学実験のために自らの技術を無償で提供したためだという。この一〇万ドルというお金は、一人の赤ん坊の苦痛をいたずらに延長するためによりも、一般の出産の取り扱いを人道的にするために費やした方がより有効だったろう。アメリカの病院では、産婦の扱いは一般にあまり重んじられていないのが現実である。さてローマ・リンダでは産婦はどんな扱いを受けているのだろう。
次に引用するのは八一年十月十八日付『ワシントン・ポスト』の「実験薬による死亡」という記事である。これは同年秋、同紙に連載された人体実験(主に子供)に関するシリーズからの「例である。

――本紙の一年間にわたる調査によれば、癌患者の死亡のうち、実験薬が原因と考えられるケースが六二〇例あることが判明した……。
ボストンのある病院では、NCI(国立癌研究所)の新薬を子供の患者たちに試したところ、数日のうちに患者たちが腎不全に陥った……。
これらの実験薬には数百に上る死亡例の他に、激しい副作用が確認されている。たとえば腎臓障害、肝臓障害、心臓障害、呼吸困難、骨髄破壊による造血機能停止、脳障害、麻痺、脳卒中、昏睡、幻覚などである。
実験薬についてはまだ未知の部分が多い。医師たちはこれらの薬剤が癌の成長を阻止するどころか、かえって助長したり、癌を発生させたりという、期待に反する皮肉な結果を生むという発見をしている。

   




   ●狂気へ 追補

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  ●一九八三年、バーニー・クラーク、人工心臓
本書の「そして狂気へ」の項で、治療の分野でのハイテク装置の採用は、ただ苦痛の増大を約束するものでしかないと書いた。とくに人工心臓が、何年にもわたる動物実験を経て、人間に応用されるのももう時間の問題というところまで来ていると書いたのだが、その後ほんの数年の問に、ついにこれが現実化し、その結果は予想通り――それもごくやさしい予想だったのだが――すべて失敗に終った。期待の頂点から幻滅のどん底へと、ローラーコースターのような急激な転換だった。

一九八四年十一月十六日付『ニューヨーク・ポスト』より。

昨年、心臓病患者の延命法研究はまったく新しい方向に針路をとった。心臓病で死期の迫っていたユタ州の歯科医バー二ー・クラーク博士に、ウィリアム・デヴリーズ博士が人工心臓を埋め込んだのである。クラーク博士は鋼鉄とプラスチックの機械につながれて一一二日間生きた後、死亡した。
この勇敢な歯科医の死後になって、彼が機械につながれていた日々のほとんどを、激しい苦痛と精神錯乱のうちに過していたという事実が明るみに出た。
このケースは医の倫理について深刻な問題を提起した。すべてが終結した後、この種の手術を行なう政府の許可を得ている唯一のアメリカ人医師であるデヴリーズ博士は、予見可能な将来において、二度と手術を行なう予定はない、と述べている。

八三年四月四日号『タイム』より。

先週、ひとつの長い闘いが終わった。腎不全、慢性呼吸困難、結腸炎などによりクラーク氏(六二歳)が静かに逝った。正式な死因は「全身機能不全による循環虚脱」である。
クラーク氏が医師たちに、よりよい人工心臓を作るための助けを提供したことには疑いの余地がない。「これまで九年間、動物で学んだよりずっと多くのことをこの数カ月間でクラーク氏から学びました」とUMCの心臓ポンプテクニシャンであるハリー・ヘイスティングスは語っている。

ヨーロッパの新聞報道の論調も、だいたいこれに似たようなものだった。健康というものに対する機械論的概念を、神の言葉そのものとする現代医学の見解に則っていれば当然だろう。これが単なる無知のゆえか、知的能力の欠如のゆえか、あるいは何らかの意図あってのことかは、ここでは問題にしない。
ポイントは、人工心臓が決して人間の生理学上の問題を解決するものではないという点である。
生物学に無知、無関心のテクノクラート連中が、人工心臓を開発するのに何年という時間をかけて動物実験を行なった。
しかし、それが人間には使えないということを知るのにはほんの二~三カ月しかかからなかった。なぜこのようなことがおこったのだろうか。
それは何よりも、人工心臓が解剖学的に生物学的に代謝的にそして心理的に人間との共通点がまったくない四つ足動物――主に仔ウシだったが――で完成されたからである。

しかし、たとえヒトで完成されたとしても長期にわたって満足のゆく働きはできないだろう。というのは、自然の心臓はあらゆる心身の刺激、そして生体の中で絶えず行なわれている複雑な代謝プロセスに敏感に反応するからである。中でも重要なのが感情に対し反応するという点である。この感情という語は、グラムやミリメートルといった数量で表わせないために、研究者たちにはもっともイヤがられ、その語彙からは除外されている語なのである。

たとえば、恐怖や怒りは自然の心臓の鼓動を速める。睡眠や休息は鼓動をゆっくりにする。ところが、人工心臓は神経系から発せられる感情の刺激や代謝の変化のいかんにかかわらず、同じリズムで動き続ける。将来開発されるであろうより高度な人工心臓でもこの生物学的必然を解決することはできないだろう。

もし心臓が心理的刺激や代謝の変化に反応しなければ、ヒトは精神を病み錯乱状態に陥り、生物学上のトラブルをおこして長くは生きていられないだろう。そしてこの反応のできる人工心臓はない。機械主義的動物実験に基づく研究というものは、すべて出口のない袋小路なのである。バー二ー・クラーク以後のいくつかの実験がこの点を証明している。

報道関係者の愚かさと医学関係者の自賛ばかりが渦巻く中で、何を間違ったのか『タイム』が、クラークのケースへの理性的論評を前述の八三年四月四日号にまぎれ込ませてしまったのである。
よりよい方法は、慢性心臓疾患の予防法を開発することだろう。「もしそれができなければ、我々は永久に、この恐ろしく高価で倫理的には首をかしげたくなる未完成技術の虜になったままだろう」とスローン・ケタリング記念癌センターのルイス・トーマス博士は書いている。また、国立心臓・肺・血液研究所のウィリアム・フリードヴァルト博士はこう語っている。「私たちの目標はもちろん予防です。将来一人のバーニー・クラークも出さないことです。しかし現時点ではそれは夢物語でしょう」。

なぜ、予防が夢物語なのだろう。それは予防によって得られるものが金銭でもなく名声でもなく、ただ健康だけだからである。健康への適切な助言をしたところで名声など得られはしない。しかし、自然の心臓のかわりには決してならないが新聞の見出しにはなるような、フランケンシュタインを作れば、動物実験者には名声と金銭とが転がり込んで来るのである。

    ↑

●一九八五年、ジャック・バーチャム、ウィリアム・シュローダーなど

一九八五年五月六日号『タイム』より。

イリノイ州リロイ出身の、四人の子持ちのバーチャム氏は、最初の手術から回復しないままに先週亡くなった。ジャーヴィクワ人工心臓の五人目で最年長の移植患者となってからわずか一〇日目、六二歳だった。
デヴリーズ博士が後に認めたように、人工心臓がバーチャム氏の死期を遅らせたか早めたかについては定かではない(傍点著者)。
バーチャム氏の容体の急変と死亡は、人工心臓プロジェクトで続いている失望と失敗に、またひとつ新たな失望をつけ加えた。すでに死亡したクラーク氏も、また現在、病院の向いにある特別仕様のアパートで生きているシュローダー氏も重度の精神障害に侵されている。

八五年五月十四日付『ニューヨーク・タイムズ』より。
ウィリアム・J・シュローダーが人工心臓によって生きてきた一七三日は、最初の一八日を除けば、重度の脳障害に苦しむ日々である。彼は人工心臓移植者としてはもっとも長く生きているが、先週二度目の脳卒中の発作に襲われ、話すことができなくなり、右手右脚が麻痺して完全に寝たきり状態となった。

八五年九月十六日号『タイム』より。
これまでにジャーヴィクワ人工心臓の移植を受けた患者のうち三人が生存しているが、この三人全員が重度の合併症に苦しんでいる。ウィリアム・シュローダー(五三歳)は移植後四二週目を迎え、生存最長記録を誇るが、この間に二度の脳卒中発作に襲われ、言語および記憶に障害がある。マーリ・ヘイドン(五九歳)も卒中発作を一回おこしている。スウェーデンのライフ・ステンベルク(五三歳)はストックホルムで最近激しい卒中発作に見舞われた。

八五年十一月十四日付『ロサンジェルス・タイムズ』より。
ケンタッキー州ルイスビル発(UPI)。ウィリアム・シュローダーの神経科医が水曜日、語ったところによれば、シュローダーを最近襲った三度目の卒中発作は、明らかに人工心臓からの遊離凝血が原因であり、さらに凝血を抑制するために使われている低粘稠化剤の作用が事態を複雑化しているという。
初期の二度の卒中による脳障害の結果、シュローダーは発語が不明瞭になり、ごく最近のできごとが思い出せなくなっており、さらに最近は何もしゃべらなくなってしまったと、ゲイリー・フォックス博士は語る。彼の生の質についての質問を受けたフォックス博士はこう答えている。
「私は、あんな風に生きたいとは思わないですね」。


八五年十二月九日号『タイム』より。

ウィリアム・シュローダーが自らの胸の中で脈打つ人工心臓の音に気づいてから一年が過ぎた。
しかし、その最初の日の明るい希望は消えてしまった。世界中を感動させたあの快活なシュローダーの面影は今はない。三回の卒中発作が彼を弱々しくメソメソと陰気で、しゃべることもできない老人に変えてしまった……。
先月、スウェーデンのジャーヴィクワ移植患者ステンベルク(五三歳)が死亡したが、これを機に、患者に苦痛を与えるだけの人工心臓移植手術の一時禁止を求める声が医師の間で徐々に上がっている(傍点著者)。


ワシントンDC、八六年一月四日『サイエンスニ一ユーズ』より。

ボストン大学医事法の教授ジョージ・アナスが、委員会で次のような意見を述べた。「(人工心臓移植の中止を求める理由として)最初の四人におこったことでは不十分だというのであれば、いったいこれ以上、どんなことがおこればいいというのでしょう。人工心臓は人の生命を救うことはできません。死に方を変えるだけです」。

    ↑

新しい病気 追補 へ続く

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

1985年までの資料ですが、いま読んでも古さを感じませんね。

 ということは・・・

ほとんど、世界の医療は本質は変わっていないという事だと思います。

むしろ・・・

悪くなってきた・・・ような・・・

 

 



新しい病気 追補

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 新しい病気 追補●エイズ●オキシキノール 追補

  音声読み上げ新しい病気 新しい病気  エイズ、オキシキノール



ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

新しい病気 追補 ●エイズ

現代医学は科学ではない、果てることのない哲学論争、あるいは直感的談話にふさわしい宗教なのだ、という点をこれ以上証明する必要があるとすれば、最近ではエイズを例に挙げるのがもっとも分かりやすいだろう(ただし、せめて研究予算獲得の口実のための論争、談話ではないとしておこう)。
エイズについてひとつだけ確かなのは、エイズが新しい病気であるという点である。あとは、すべてまだ論争中である。次に引用するのは、八五年十二月二十日付『ガーディアン』の「疑惑の細菌」と題する記事である。

ある医師によれば、エイズの流行は、失敗に終わった生物戦研究(微生物を戦争兵器として利用する研究――訳注)がその原因ではないかという……。
以前、ミドルセックス病院の性病科コンサルタントで、現在はハーレイ通りで開業しているジョン・シール博士が昨日発表したところによれば、アメリカあるいはソ連が、羊に感染症をおこすビスナ・ウィルスと呼ばれるウイルスからエイズウィルスを作り出したのではないかという……。

シール博士のこの主張はモスクワ放送にヒントを得たものだという。そのモクスワ放送は、エイズウィルスがCIAと米国防省の行なった秘密実験で作り出され、ヒトがこれらのウィルスに感染させられていた、と述べたという……。

ここ数年の間に、世界各地でエイズに関する記事や書物が洪水のように出版された。しかしそれらは混乱を収拾するどころかかえって激化させている。
八五年十二月号『ディスカバー』に載った、ジョン・ラニョンとサナ・シワロップの長文の記事の一部である。

エイズは新しい病気だと言われるが、それは欧米の人々にとっては新しいということらしい。
最近明らかになってきたのは、アメリカで最初の患者が発見されるより少なくとも一〇年前に、アフリカではエイズウィルスが存在していたこと、またこのウィルスは五万年も前からサルには存在したウィルスの進化したものであることなどである。

この文章の最後の方は、「科学記者」という人種がどのような無責任な当てずっぽうでも平気で言ってのけるという良い証拠だろう、盲目の国ではひとつ目でも威張れるのである。それにしてもこのような発言の情報源は何なのだろうか何もない。
古代ギリシャのホメロスは『イリアス』『オデッセイア』を書いた時、『ディスカバー』の物語作家よりもはるかに信頼に値する情報源によっていた。さて『ディスカバー』の続きである。
マサチューセッツ州サウスボーロにあるニューイングランド霊長類センターで、実験用アカゲザルが、エイズに似た奇妙な病気で檻の中で死に始め、死んだサルから、ある種のサルウィルスが発見された。どのようにしてこのウィルスがサルの群に入り込んだのかは不明だったが、檻の中での感染経路についてはこう推測したサルはグループで檻に入れられると、ホモセクシュアルおよび異性間での性関係を持ち、さらに尿のかけ合いなどを頻繁に行なう(サルを一匹ずつ別の檻に入れると発病率が下がった)。

八五年十一月二十一日付『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』の「新しいサルウィルス、エイズと関連か」より。

――他のサルからも関連したウィルスが発見されている。そのひとつがSTLV-3と呼ばれるウィルスで、軽いエイズに似た症状をおこすことで知られている。今回、このSTLV-3の新しい変種が七匹のミドリザルから分離された。ハーバードのP・J・カンキおよびマックス・エセックス、タフト大学医学部のJ・アロイらは、ミドリザルが、経ロポリオワクチンをはじめとする各種のヒト用ワクチン、薬品生化学研究、病気の診断などに広く使われていることから、今回の発見について懸念を隠さない。

フランスの『アクション・ゾーブイル』に載ったグスタフ・マシュー博士の記事より。

一九六九年にカリフォルニア州デイヴィス霊長類センターで遺伝実験に使われていたサルの四〇パーセントがエイズに似た病気で死ぬまでは、何ごともおこらなかったのだということを思い出していただきたい。ではこれらのサルに行なわれていた遺伝実験とは何だったのか――レトロウィルス操作と言われる実験だったのである。この操作で「ニューモシスティス・カリニ」と呼ばれるウィルスが作り出され、エイズが誕生したのである。このウィルスは何も知らない研究所の従業員によって外部に持ち出され、世界中に広がった。
実験に使われていたサルの一部が故郷アフリカに戻された可能性もあるが、その点については我々には分からない(あるいはウイルスに感染したアメリカ人が無意識のうちにアフリカに病気を持ち込んだのかもしれない)。いずれにせよ、アフリカのザイールで、エイズが数例発見されたのが七一年より前でないのは確かである。そしてロサンジェルスでエイズパニックがおこったのが八一年だった。
この結論はごく簡単である。エイズが実験室内で作り出された病気だということである。もし動物実験というものが存在していなければ、エイズという人間の発明もあり得なかっただろう。
似而非科学がレトロウィルス実験「材料」にアフリカ産のサルを使わなければ、「ニューモシスティス・カリニ」は誕生せず、人間はエイズに苦しめられることがなかっただろう。

エイズも動物実験室の産物であるという上記のような告発は、今のところまだ発表されたばかりだが、近い将来、動物実験ロビーやその関連勢力の猛反撃に会ってたたき潰される運命にあるのは目に見えている。しかし、サリドマイド、DES、スモン、ベンデクティン、オラフレックスなど、似而非健康機関によって生み出されたすべての薬害の場合を思い出していただきたい。当初はその告発に対し、動物実験側から激しい反駁が行なわれたが、やがて告発側の正しさを認めざるを得なくなったのではなかったか。しかも、その間にも、動物実験側は、世間の目を他の問題の方に向けさせようとしたり、今にも実現しそうな「突破口」の甘い夢を見させようとしたり、必死のあがきを続けていたのである。

●オキシキノール 追補

八四年四月三日付『ガーディアン』「製薬会社、示談に応ず」より

ERスクイブ社に対しおこされていたハルキノール薬害の損害賠償請求が示談により解決した。
示談の内容をいっさい公表しないというのが条件である――ハルキノール(同社商品名はクイザリン〉はクリオキノール同様、ハロゲン化ヒドロキシキノリンの一種である――これらは腸で吸収され、神経系に著しいダメージを与え、麻痺や失明などをおこす。時には死に至ることもある…。

本書の「オキシキノール」の項で、スイス・チバ・ガイギー社がオキシキノール/クリオキノール製品(メクザフォルム、エンテロ=ヴイオフォルムなど)の有罪を認めようとせず、消費者に責任をなすりつけ、この売れ筋商品をあくまで市場に出し続けようとしたことはすでに述べた。しかしオキシキノールの有罪を立証する証拠が次々と明らかになるにつれ、この強力な多国籍企業も前言を翻さざるを得なくなった。
そこでチバ・ガイギーは五年以内にオキシキノール製品を回収すると発表した。しかしオキシキノール被害者やその遺族のおこす裁判の件数は膨らむ一方で、会社側は回収時期を早めざるを得なくなった。が、辛くも在庫品をすべて売りさばくだけの猶予は残した。
スイスの新聞『ベルネル・ツァイトゥング』(八四年十一月二十七日付)より。

総合化学会社チバガイギー(本社バーゼル)は、全世界でのメクザフォルムおよびエンテローーヴイオフォルムの販売を来年三月で中止する意向である。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

エイズについてはかなり驚きの情報が出てきていますが、この本は1985年までの資料です。

 

 

part2 化学・医学・動物実験コンビナート(世界医薬産業の犯罪) その2

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part2 化学・医学・動物実験コンビナート(世界医薬産業の犯罪)音声読み上げmp3  web魚拓より

 

世界医薬産業の犯罪 

 PART2 化学・医学・動物実験コンビナート医学シンジケート●医学シンジケートの組織動物実験シンジケート●潜入的浸透●動物実験シンジケート事情 イギリス●動物実験シンジケート事情 フランス●動物実験シンジケート事情 アメリカ●動物実験はビジネス●シンジケートの法王

 

 

 

以下転載ーーーーーーーーーーーー

 

医学シンジケート

シチリアとドイツの王、ホーヘンシュタウエン家のフリードリッヒニ世が、当時はびこっていた金儲け主義のニセ医者の手から病人を守るため、勅令を公布して医学の権威というものの基盤を築いたのは一三世紀のことだった。それによって、国家の認可を受けた「医師」が誕生し、そのドクターのみが合法とされた。「ドクター」という言葉そのものが、この時作られたのである。
しかしながら、人間というものはいつの時代も変わらぬものらしく、この時代も、ほどなく、にせ医者たちが一致団結し、国家権力さえも介入できない強力かつ利己的なシンジケートを作り上げた。国によって「認可された」ドクターたちの方は、患者にのみ利益のあるお金のかからない自然療法を行なっていたのであるが、これは当然のことながら、にせ医者どもの濡れ手でアワ式の金儲けにとっては大変な脅威だった。そこでにせ医者どもの画策で「認可された」ドクターの方が、逆に「にせ医者」の烙印を押されて追放されたり、果ては牢に入れられたりする始末だった。そして本当のにせ医者どもは、イカが墨をまいて身を護るように、自己防衛にこれつとめたのである。
中世では、不可思議なおまじないの呪文や七回ものミサで祝福された奇跡の聖水などが治療に用いられていたが、これに代わって現代では、化学式が奇跡の薬として登場する。そしてその化学式が複雑になればなるほど、薬の値段は高くなり効果は大きくなる。この図式は中世そのままだろう。


今日でも我々は病気が治った場合、それが自然の力によるものではなく、薬の力だと考えるよう条件づけられてしまっている。
しかし、薬の副作用さえも克服して病気を治したのは、この自然の力なのである。

当然、大多数の人々(大多数はいつも間違っているロスコモン)は、それを認めはしないだろう。それは自らの愚かさを認めることになるのだから。


医師という選ばれた司祭階級だけが、健康の奥義を知っているのだという一種の神話を、医学権力は作り上げてきた。これは化学工業シンジケートの宣伝力に支えられた医学の入念な陰謀であり欺瞞なのである。
現代では、そもそもいったい誰が医師を認可する権利をもっているのだろうか。それはもちろん、すでに十分な名声を得た他の「すでに認可された」医師たちだ。では彼らはどのようにしてその名声を得たのか。もちろん、「自然」のみが「最高治療者」であるということを認めることによってではない。自分自身を「最高治療者」すなわち病人の「救い主」として押し出すことのできる厚かましさによって、その名声を獲得したのである。

医学は科学ではない。それゆえに、人をだませる才能があり、人と共謀しようとする積極性のある者が、医学界では指導的地位につきやすいのである。


クルト・ブリューヒェルは一九七四年『白い魔術師』(ベルテルスマン社、ミュンヘン)を出版したが、その中で彼は、西ドイツ製薬業界のインチキの実情を暴露し、業界こそが各種の慢性病、奇形、癌などの増加の最大の仕掛人であるという点を証明してみせた。拙著『罪なきものの虐殺』でも述べたが、『白い魔術師』の最初の出版元であるミュンヘンのベルテルスマン社は、発売後間もなく『白い魔術師』を市場から回収するよう「説得」されてしまった。ベルテルスマン社はドイツ国内で最大の発行部数を誇る『シュテルン』などの雑誌を出しており、こういった雑誌への大広告主とけんかのできる立場にはなかったのである(『白い魔術師』は後日、フィッシャー社で再版された。
同社は広告主の圧力が問題になるような雑誌類を出版していない)。
この間にブリューヒェルはさらに『医学シンジケート』(ロファルト、一九七八年)というタイトルの、ドイツ医学界の内幕ものを出版している。

●医学シンジケートの組織

クルト・ブリューヒェルは、長年、医学関係団体や製薬会社への特派員をつとめていたことのある、医学雑誌の編集者である。それゆえに、彼が医学界にタックルをかけた時、自分の書いている内容については熟知していたはずである。現在、我々にとって本書のコンテクストとの関連においてもっとも興味のあるのは「医学シンジケートとその組織」という章だろう。次のような書き出しである。

最近の辞書によれば「シンジケート」という語には、主に次のふたつの定義が与えられている。
1 独自の法体系と行政機能をもつビジネス団体。カルテルの、より結束の強い形式。
2 アメリカにおいては、合法的企業体の仮面に隠れた犯罪組織。


すぐお分かりになるように、このふたつのタイプの「シンジケート」は、本質的にはまったく同じものである。そして我が国の医学界組織のあり方は、この「シンジケート」という語によって定義されるにふさわしいものだろう。
商業的な面から見たシンジケートの特徴を挙げてみる。
1 ある特定の品物やサービスの独占――すなわちそのタイプの品物やサービスを必要とする人は、シンジケートからしかそれを得られない。そこでシンジケートの力は無限に巨大化し、市場や社会に脅しをかけるのが可能となる。
2 シンジケートの存続のための厳しい内部規制。各メンバーはその規制への絶対服従を要求される。逸脱は、シンジケートの基盤――すなわち独占体制を揺るがすものとして、すべて厳しく罰せられる。
3 シンジケートの収益の最良の部分は、シンジケート内外の政策を一手に握っている少数の指導者のものとなる。シンジケート内の一般メンバーにも、国民の平均をかなり上回る収入は約束されているが、莫大な収入を得るのは、わずかな人数の上層部の人々に限られる。

さらにブリューヒェルによれば、一般に、シンジケート内の法体系と国の法体系とは衝突する場合が多いという。そのため、シンジケートは秘密結社のごとき様相を呈し、自らをその国の法の枠外にある――あるいは法の上位にあると言った方がよいかもしれないが――とみなすのだという。
ともかく、シンジケートは独自の法をもち、その法を情容赦なく内外に適用する。自身の内部での反抗者との抗争、そしてシンジケートの利益の妨げとなる外部のあらゆる人物や社会との抗争――こういった内外での絶え間ない抗争が、シンジケートの活動を特徴づけている。
ブリューヒェルの分析は、ドイツ医学界についてのものであるが、どこの国の状況も同じようなものだろう。
ある国の医学界と、別の国の医学界との協力関係は単なる紳士協定力と金という同じ理想を共有する紳士たちの協定にすぎないという点を付け加えなくてはならない。それゆえにある国では大きな利害関係の絡む問題であるためにその国の医学界が強力に介入しているが、他の国ではその問題にまったく介入しないという場合が往々にしてある。例としてBCGのケースを挙げてみよう。フランスでは一九五〇年、多数の良心的な医師たちの猛反対を尻目に、学童や軍人に対しBCGの接種が義務づけられた。「人道的配慮」から接種は「無料」ということにはなっているが、もちろん納税者がちゃんと代金を支払っているのであり、かのパスツール研究所が毎年ワクチン何百万人分かの利益を受け取るという仕組になっている。しかし、他の国の医学界がこのフランスの制度に右へならえをすることはない。むしろある国ではBCGの危険性が公然と批判されさえする。
その国では誰もBCGで利益を得ることがないためである。
アメリカでは、ポリオの「究極的解決策」として、(アメリカ製)ソークワクチンおよびセービンワクチンが一時大変なもてはやされぶりだった。しかし当時、ポリオはすでにほとんど絶滅しており、かえってワクチンの接種が原因で各地でポリオが復活したというのが実情だった。一方、フランスで採用されているポリオワクチンは、ソークでもセービンでもなくレピンワクチンである。
ピエール・レピンとは、パスツール研究所長その人なのである。そういえば、BCGがフランスで義務化された時のパスツール研究所長はカルメットだった――蛇足ながら、BCGのCはカルメットのCである。
一九七五年イタリアで、非常に象徴的な事件がおこった。薬事委員会が数千種の薬をリストアップし、それらがまったく無効、あるいは危険であることが証明されたとして、健康保険カタログからはずすよう要求した。報道機関はすでにその薬品リストを公表していた。ところが薬事委員会の上位に立つ最高保健協会が乗り出して、薬事委員会の要求をくつがえし、全薬品をもとのままカタログに残すとの決定を行なった。このようにして、国民の健康よりも製薬業界の利益が優先されたのである。この一例を見ても、医学権力の独裁の前に、良心的な医師たちがいかに無力なものでしかないかが分かるというものだろう。イタリアがとくに例外的なわけではない。むしろ典型的というべきだろう。
一九七八年六月二十三日、ウィスコンシン州の『デイリー・ノースウェスタン』など少数のマイナーな新聞だけに載った「安い薬の供給を妨げる裏工作」という次の記事も、象徴的と言えよう。
しかし、記事として出たことにより記事の行間に隠された問題点を察知し得た人々が少数とはいえいたことにはなる。

薬事法改正支持グループが今日、語ったところによれば、製薬業界は、安い薬を供給するために作られている州条例をくつがえす工作を密かに全国規模で行なっているという――この改正支持グループの母体は、全国退職教育組合、ニューヨーク州議会などであるが、彼らによれば、二流銘柄の薬品を製造している製薬会社の連合団体が、密かに運動して、かなりの州で州条例を変更させたり廃止させたりしてきた」という。これまでのところ、三八の州で、医師が処方した高価な一流銘柄薬を薬局の薬剤師がより安価な一般薬に変更して売ることを禁止するように、法律が改定されたり廃止されたりした。

ただし、このような曖昧模糊とした記事にさっと目を通しただけで、ことの真相を把める読者はほとんどいないだろう。これは簡単に言ってしまうと、未知の勢力――報道機関があえて実名を明かそうとしないある種の人々が、産業界よりは一般市民の利益のために作られた法律を廃棄させるよう、政治家に働きかけるだけの「影響力」を持っている、ということを示しているのである。
そして、この種の記事は『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』といった体制派大新聞には、なかなか載りにくいのである。
この項の締めくくりとして、イギリス人の開業医でありコラムニストでもあるヴァーノン・コールマン博士が、一九七五年に書いた文から引用させてもらおう。

製薬業界が医学界を取り仕切っているというのが実情であろう。医師たちは製薬会社に、こづき回され、脅しをかけられ、金銭でつられ、すっかり専門職としての自己規制を失ってしまっている。しかし不適切な薬の処方の結果、引きおこされる悲劇に対し、医師たちは全責任を負うべきである。
もともと、産業界の唯一の目標は利潤の追求なのであって、彼らの倫理観の欠如を糾弾するのはフェアとは言えない。責任は明らかに、専門職たる医師の側にある。今や医師というものが、製薬業界からの指示と命令を仰ぐだけの下僕になり下がっており、まだ専門職と呼べるかどうか、そこが問題ではある(『メディスン・メン』モーリス・テンプル・スミス社、一九七五年)。

動物実験シンジケート

医学専門家、研究者、科学記者といった別々の人々によるまったく同じ主旨の動物実験擁護論が、各地で同時に持ち上がるという不思議さこれが各地の動物実験産業に対し、反対運動への対処の仕方を指示している中央組織の存在を示唆しているのは確実だろう。
一方で、旧態依然の自称、反動物実験団体の発表する非科学的な声明などの中に、実験擁護団体のそれと驚くほどよく似た論調が見出されることがある。
すなわち、すべての動物実験は(ワグナーの時代から言われているように)最終的には廃止されるのが、倫理的見地からはスジであるが、現時点では必要不可欠であるということが暗黙のうちに了解されている、という論調である。そこでは、動物実験の無益さ以上に、その誤った研究法が引きおこすダメージを糾弾する多くの医療関係者の言葉はまったく無視され続けてきた。すなわち反対派にも擁護派中央組織からの指示が届いているのである。
では、その中央組織とはどこにあるのだろうか。これは謎である。一般にはワシントンDCにあるかのように思われがちだが、どうもそうではないらしい。ICIの本拠地ロンドンか、スイスのチューリッヒにあるらしい。このチューリッヒという都市は、スイスの銀行業の中心であると同時に、バーゼルのホフマン・ラロシュ社の非常に精密な実験装置製造の中心地でもあり、さらに世界唯一のナパーム弾製造会社であるアメリカのダウ・ケミカル社のヨーロッパの拠点でもある。ダウ・ケミカルはチューリッヒに自社の銀行ダウ・バンキング・コーポレーションまで持っている。
化学工業シンジケートが支配的な力を持っているような国ではどこでも、動物実験シンジケートは、科学的かつ高尚な名称を隠れみのにした強力なロビーに守られているものである。
このシンジケートの主な仕事は、一般大衆への「方向づけられた情報の提供」、報道関係者および政治家への「圧力」、そして動物保護団体(動物実験反対団体も含む)への潜入的浸透である。
表向きには、シンジケートは大衆や報道機関に「方向づけられた情報」を提供しているだけである。しかし裏ではこっそりと、政治家や報道関係者を賄賂で操作している。さらにもっと密かに、シンジケートの構成員にマル秘「ガイドライン」を与えて反対派への対処の仕方を指示しているのである。私はこの種の書類を実際に見たことがあるが、中にはきちんと印刷されたものもあったが大抵はガリ版刷りである。「真の動物実験反対論者は菜食主義者であるだけでは不十分。革靴や羊毛製品なども身につけるべきではない」とか「これまで一度もアスピリンを飲んだことがありませんか?」といった類の実験反対論者との論争に使える表現の例が挙げられているばかりでなく、そのような論争に臨む場合の服装や態度にまで、指示の内容は及んでいる。
「論争相手は、服装なども多少だらしない、激しやすい若者である場合が多いので、相手とのコントラストを際立たせるためにも身だしなみをきちんとすることが大切である(必ずネクタイ着用のこと)。ただし、あまりぜいたくな身なりもよくない(グッチの靴はダメ!)。相手がどんなに敵意をむき出しにしてきても、常に礼儀正しく冷静に振る舞え。相手の話を途中でさえぎってはいけない。絶対カッとするな。こちらが落ち着いていれば、相手がカッとなって落ち着きを失う、これがこちらの思う壷」といった具合だった。
しかし、もっとも重要なガイドラインは、動物実験反対団体向けのそれである。これは書面にはなっておらず、私が信頼できる筋から得た情報では、口頭によるものだった。その効果のほどは御存知の通りである。実際このような反対団体への広汎な潜入的浸透が行なわれているからこそ、反対派がいくら騒ぎたてようとも、動物実験シンジケートは安心して活動が続けていられるのである。

●潜入的浸透

あなたの真摯さを証明するために、動物実験者を痛罵してもよい、いや、痛罵せよ。その際、道徳的、倫理的、知的見地からの攻撃は構わないが、決して医学的見地からの非難はするな。これだけはタブーだ(動物実験シンジケートが動物保護団体向けに出しているガイドラインより)。

大企業をはじめとする資金力の曲豆かな大勢力が、政府の内部に潜入して、政治を動かす影の力となっていることは周知の事実だろう。しかし、動物保護団体にまで、この手の潜入的浸透が行なわれていることはあまり知られていない。そしてこの潜入的浸透は大抵の場合、いともたやすく成功するものなのである。必要なのはお金と時間である。この場合どちらかといえば、時間の方が多少よけいにかかるかもしれない。
動物実験反対運動内部への潜入的浸透は、ヨーロッパ各国では相当激しく行なわれているが、アメリカではさほどでもない。というのは、ヨーロッパ各国での動物保護関係の法律は、それが字義通りに施行されれば動物実験がほとんど不可能になるほどの厳しいものであるのに対し、アメリカにはその種の法律がないため、潜入的浸透によって反対派を切り崩す必要性も小さいのである。
さて、そのヨーロッパの現状であるが、動物実験を行なっている研究施設を監督し、法が遵守されているかどうかを監査する委員会が存在する。しかしこれが実はまったくの見せかけにすぎないのである。委員会のメンバーに正統反対派が入り込める余地などなく、結果としてすべて擁護派ばかりで構成されることになる。この委員会は時おり、一応警告の真似ごとは行なう。たとえば、実験動物の食餌内容とか小屋の狭さとかいった程度のことで、それ以上の追及はしない。真の動物実験反対論者はこの監査委員会のメンバーにはいないからである。
ヨーロッパ各国で、歴史があり、資金力も豊かな動物保護団体よりも、新しい団体の方がより積極的な発言をし活動的である理由も、この浸透にあると考えられる。つまり、新しい団体には、まだ浸透が行なわれていないのである。
時として、リーダーの無能さが原因で動物保護運動が自然に停滞し、潜入的浸透を受けているかのように見える場合もある。が、多くの場合、保護団体の活動の非能率さは、外部から慎重に故意に企まれた潜入的浸透の結果だと言えるだろう。
また、ヨーロッパの歴史の古い動物保護団体では、動物シェルターを作るとか、代替法研究(alternateve research)のための基金を準備するなどといった一種の牽制行動が多いのも、潜入的浸透のなせる技だと考えられよう。こうして動物保護団体としての仮面をかぶったまま、実に注意深く巧みに動物実験の実態、すなわち、その明らかな医学的無意味さから、国民の目をそらさせるよう動いているのである。そればかりか、暗に、動物実験の有用性、必要性を宣伝してさえいる。いわく動物実験廃止が実現できるのは代替法が考案されてからである、と。そして、動物実験に基づく現在の医薬研究法は単なる言い逃れの口実で、むしろ昨今の薬害急増の原因となっているという事実を指摘する多くの医療関係者の証言には決して耳を貸さないのである。
さらに、拙著『罪なきものの虐殺』が、ヨーロッパで、皮肉にも動物実験反対グループから無視され悪評をこうむった原因も、この潜入的浸透にあるのだろう。『罪なきものの虐殺』は、医学における動物実験の果たすマイナス効果について科学的包括的に論述した最初の書物だと言わせていただこう。ヨーロッパでの冷たい反応とは対照的に、この本はアメリカの反対グループには好評であり、また世界中の多くの医師からも熱意をこめた賛意を寄せていただいたのである。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

part2 化学・医学・動物実験コンビナート その1

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part2 化学・医学・動物実験コンビナート(世界医薬産業の犯罪)音声読み上げmp3

 

 web魚拓より

 

世界医薬産業の犯罪 

 PART2 化学・医学・動物実験コンビナート化学工業シンジケート●国民投票●政府を操る影の力医学シンジケート●医学シンジケートの組織動物実験シンジケート●潜入的浸透●動物実験シンジケート事情 イギリス●動物実験シンジケート事情 フランス●動物実験シンジケート事情 アメリカ●動物実験はビジネス●シンジケートの法王

     

 以下転載ーーーーーーーーーーーー

PART2 化学・医学・動物実験コンビナート 化学工業シンジケート

多くの多国籍大企業が、あらゆる合法的(時に非合法的)手段を駆使して、ライバルを押しのけ、世界市場におけるシェアの拡大に血まなこになっているという現実は、今さら、説明するまでもないだろう。これは自由競争社会では当然の現象と言えよう。同時に、それらの巨大企業群がひとたび共通の利益を目指せば、あるいは共通の危機に瀕すれば、彼らは即座にライバル意識を捨てて、連合軍を編成するのである。
化学工業界の利益は、ほとんどの基幹産業 鉄鋼、石油、航空機、武器と密接に絡み合っている。が、我々はここでは、医学界、および動物実験業界と、化学業界とのドロドロした関係に目を向けてみることにしたい。三者の関係を簡単に図式化すると、医学界は大衆を洗脳し、化学業界がペテンビジネスを続けていられるよう力を貸している。
すなわち、ある薬が無用または有害であるということが大衆の目から隠しきれなくなっても、すぐそれに取って代わる新薬を繰り出せるよう常にお膳立てをしているのである。そして動物実験業界は、他のふたつの巨大パワーに原材料と技術とを提供している。この化学・医学・動物実験コンビナートの結束はきわめてかたい。というのも、この三者の利益は完全に常に一致しているからである。
今日、化学工業界の送り出す石油化学製品は世界経済の中枢をなし、我々の生活のあらゆる側面に浸透している。ざっと見渡すだけでも、医薬品、化粧品、染料、顔料、添加剤、工業用洗浄剤、接着剤、衣料用洗剤、合成繊維、肥料、農薬、樹脂、プラスチック、潤滑剤、合成ゴム、原子炉などにわたり、その上、その各分野で常に新製品を供給し続けているのである。
もちろん、このリストがすべてを網羅しているわけではない。たとえば西ドイツのヘンケル社だけでも、同社発行のパンフレットによれば、あらゆる分野にわたる八〇〇〇種以上の製品を製造しているという。
このように、化学工業は他の工業、たとえば石油、鉄鋼、武器産業などの筆頭顧客であると同時に筆頭原料供給者でもある。顧客として大量の石油や鉄鋼を買い入れ、毒ガス、ナパーム弾、細菌兵器、核兵器などの製品にして売るのである。
この場合、製品は、予備段階および最終段階は、動物実験業界がテストを引き受け、その後はいわゆる「総演習」の場すなわち、朝鮮、ベトナムをはじめとするアジア、アフリカ、南米における戦争のことである――で人間を対象に実用に供される。
巨大企業が、その汚れた手でかき集める資金の力は無限大であり、集めた資金の使われ方は実にあくどい。可能ならばこっそりと、しかし場合によっては大っぴらに、政治家たちを買収してさらに利益を拡大するのに使われるのである。しかも国内にとどまらず、外国の政治家にまで、その買収の手は伸びる。
ロッキード事件を思い出してほしい。ロッキード社は自社の航空機をさまざまな国の空軍に買い上げてもらうべく(もちろん実際に支払うのはその国の納税者なのであるが)、女王の夫君、首相、国防相、政府高官などに買収の手を伸ばし、いとも簡単に彼らを「籠絡」してしまったではないか。
ドイツでは、そのロッキード社の戦闘機が平和時というのに数年間に二一一人ものパイロットの生命を奪ったため、世論が、一体全体何ゆえにドイツ空軍はあんな危っかしいポロ飛行機を買うのを止めないのだと疑問を投げかけ続けた。にもかかわらず、関係者からの弁明はいっさい聞かれなかったではないか。
とは言うものの、一航空機会社の財力など、化学工業界全体のそれには及びもつかない。化学シンジケートはその巨大な力を、もっと横暴にもっと広い方面に働かせているのである。
どこの国でも、医学権力は化学工業界のもっとも頼りになる協力者である。無智な大衆はこの両者の協力関係に気づいていないので、事は実に能率的に運ぶ。中世では教会が果たしていた役割を、今日では医学権力が担っているのである。
一九七七年、西ドイツ、パソー大学法学部教授のマルティン・フィンク博士が『薬剤テストー犯罪的手法』を出版し、薬剤テストの犯罪性を糾弾した。この本では病院がどのようにして何も知らない患者をだまして新薬のテストをしているか、中には新薬の効能と安全レベルを確定する目的で、スケジュールに組み込まれてしまう患者さえいる、といったことが述べられている。医学界に対しフィンク博士の下した判決は謀殺により有罪。
普段は互いに激しく競争し合っている西ドイツの、バイエル、ベーリンガー・ゾーン、べーリンガー.マンハイム、ヘキスト、メルク、シェリング、クノールの七つの製薬会社が、ここで共通の危機に瀕したとみるや、ただちに結束し、「薬学医学研究協会」なる団体を設立した。この団体は、その攻撃の矛先をもっぱらフィンク博士のプライベートな面に向けた。というのも、法律的科学的論争ではとても勝ち目がないと分かっていたからである。
本来、製薬会社の犯罪を暴くのは政府の役目である。しかしながら、国と製薬会社とはグルになっているため、国が製薬会社を告訴したといった例はどこの国でも見当たらない
スイスという国は、国としては小さいが、その経済力はなかなかのものである。このスイスにおける製薬業界の影響力は政府経由で他に及んでいる。そしてこのスイス方式が、他の多くの先進国でのやり方の手本となっているのである。スイスの製薬業界のある大立者が、中央政府に対し、次のように言ったことがある。
「私たちがこの国での一番の多額納税者であり、大口雇用者なんだってことを忘れないで下さいよ。
私たちが国を支え、あんた方を護ってるんですよ。だから私たちが政府のやり方に口をはさむのは当たり前でしょう。もし私たちのやり方が気にくわないとおっしゃるんでしたら、私たちはすぐにでもスイスの工場を閉鎖して、どこか開発途上国に移転してもいいんですよ。そこじゃ私たちは大歓迎を受けるでしょうからね。ま、いずれにせよ、私たちは人類のために働いているわけで、あんた方の幸せもスイス国民の幸せも、私達のそれと一心同体ってわけなんですな」。
「人類のため」云々は眉つばであるにせよ、この大立者の言わんとしていることへの反論は難しい。
事実、スイス政府は彼らの前にひざまづき、言われた通りにする他、しようがないのである。その結果が、予防接種の義務化、医療費の急騰、人口に不相応な強大な軍隊、豊富な水資源を無視した無駄な原子力発電所、などなど、さまざまな常軌を逸した政策となって現われる。アメリカでも事情は酷似しているのではないだろうか。

●国民投票

スイスのバーゼルという都市は、その世帯の六一パーセントが何らかの形で製薬工業に依存している文字通りの薬の町である。そのバーゼルで一九三九年、動物実験に反対する小さな団体が、動物実験を「今すこし人道的なものにするため」の国民投票を要求した。その時、製薬業界ばかりではなく、バーゼル市議会までがすぐさま、この動きを圧さえる方向で動いたのだった。
市議会は、大学の医学関係者、製薬会社、および市保健当局の三者。この三者は互いに密接に関連しあっていたのであるがに、動物実験に関する「意見書」を提出するよう指示した。提出された三者の「意見」はすべて動物実験を称賛し、無条件でその継続に賛成するものだった。市議会はそれをひとつの報告書にまとめ上げ、一般市民に宣伝されるよう、政治家や報道関係者に配布した。この報告書に市議会がつけたメモを見ると、上記三者の意見は明晰で、まったく異論をはさむ余地はなく、市議会としてはこれを完全に支持せざるを得ない、とある。
しかし実際は、この意見書というのは、動物実験賛成論の虚偽のエッセンスとも言うべきものであったし、次のような明らかなでっち上げさえも見られた製薬業界において実施されている動物実験は動物の福祉という基本原則に則っている。
一方、国民投票推進派は、チューリッヒの歯科医ルードヴィヒ・フリーゲルの著した『動物実験に反対する一〇〇〇人の医師』という本の意見を基にして、独自の意見書を市議会に提出した。動物実験を馬鹿げて誤った行為だと言明した「一〇〇〇人の医師」一〇〇〇の中に七〇人以上もスイス人医師が含まれていたにもかかわらず、バーゼル市議会は、この推進派の意見を無視した。そのため、一般市民にとって、製薬会社が書いて市当局が支持した例の報告書のみが、投票の際の判断基準となったのである。
さらに、万が一に備え、製薬会社側は連日、自社の従業員に回覧をまわし、もし国民投票が推進派の思う通りの結果になれば、従業員は失業することになるのだと脅しをかけ、他の関連会社にまで圧力をかけた。国民投票の結果によっては、スイスの主要工業の海外流出を促進することになり、それはバーゼルだけではなく、スイス全体の経済の崩壊を招く、というのがその主張だった。
投票前の一週間というもの、自分自身の健康のため、家族のため、そして街のため、この国民投票に反対票を入れるようにと勧めるポスターや新聞広告が街中に溢れた。さらに投票日直前になって、それまでこの問題に中立を約していたバーゼル動物保護協会が突然方向転換をして、協会メンバーに反対票を投じるようビラや広告で呼びかけた。
スイスでは国営放送が唯一のラジオ放送であるが、その国営放送は、製薬会社のスポークスマンであるロズリン博士の意見のみを放送し、反対意見はいっさい流さなかった。その他の報道機関も同様だった。
また、公開討論会の場で、バーゼル市保健局長ヒューバー博士は、この国民投票はスイスの製薬工業を潰そうとする外国企業が資金を出して企んだものだという噂を広めた。この噂は野火のように広がった。
投票前夜、動物実験反対グループは討論会を開き、さらに自分たちの見解を新聞広告に載せようとしたが、すべての新聞社がこれを断った。このような状況下で行なわれたこの国民投票の結果がどのようなものであったかは説明するまでもないだろう。

●政府を操る影の力

膨大な富をバックにした化学工業シンジケートの情容赦のない影響力は、自国内の政治にとどまらず、外国政府にまで及ぶ。
たとえば一九七八年、スリランカ(セイロン)の社会党政府は、アメリカからの薬品の輸入を大幅に削減すると発表した。が、その計画は外圧により破棄せざるを得なくなった。スリランカにとって不可欠であるアメリカ政府からの食料援助を打ち切られては困るので、仕方がなかったのである。
アメリカ政府の食料援助とは、製薬会社が行なっているものではなく、納税者の負担で行なわれているものだろう。ところが製薬業界は、この援助制度を、アメリカ製薬品を買うだけの経済力ももたず、そのような薬品を必要ともせず、欲しいとも思わない貧しい国に押し売りするための私的な脅しの手段として使っているのである。しかもそこで得られた利益は本来の負担者である納税者には還元されず、製薬会社の懐に転がり込む仕組になっている。この一点を見るだけでも、この巨大企業体がどの程度強力に、アメリカ政府を影で操っているかが分かるだろう。
さらにこのシンジケートは、アメリカ政府が発展途上国に借款を与える際に(もう一度言うが、このお金も納税者から出たものである)、そのお金がアメリカ製品の購入、それも借款国が必要としない製品の購入 必要とする製品はそのような細工をしなくても相手国は買うのであるーに費やされるよう要求を出す。そんなわけで、不要な人工肥料が南米やアフリカの肥沃な土地にむなしくバラ撒かれるというような馬鹿なことがおこる。モノが売れればともかく利益は上がる。しかしその利益は、借款のお金を負担した一般市民のではなく、化学会社の懐を潤すのである。
しかも化学会社は製品を法外な高値で売りつける。借款をもらっている国には、クレジットで買わせていただく製品を値切るほどの厚かましさはないのだろう。そして多くの場合、化学シンジケートの利益は医学シンジケートの利益に重複するのである。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

 

part3健康への脅迫 その1(世界医薬産業の犯罪より)

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ウェブ魚拓 世界医薬産業の犯罪 より

 

PART3 健康への脅迫癌は金鉱脈癌研究は前進、癌は増力ヒューストン=ナル・リポート●「癌は不治」が前提   part3健康への脅迫(世界医薬産業の犯罪より)←音声読み上げmp3です

 一部抜粋

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PART3 健康への脅迫 癌は金鉱脈

「癌は増加、国会で専門家が発言」。これは一九七九年三月七日付『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙の見出しである。記事の概略は次のようなものだった。

国立癌研究所の担当官が、昨日、上院保健小委員会で語ったところによれば、ほとんどすべてのタイプの癌が今なお増加の傾向にあり、数種は劇的に増えているという。男性の癌では膀胱、前立腺、肺、腸など主要一〇種のうち八種が、女性では肺、子宮、乳、膀胱、腎臓など一三種のうち八種が増加を示している。

癌の致死率の高さは、いわゆる「癌研究費」と呼ばれる予算を大幅にかつ急速に膨張させてきた。
「癌戦争」における国防省ともいうべき国立癌研究所の、七二年から七八年にかけての支出は五〇億ドルに達している。この額は、研究所創立以来七二年までの三五年間の総支出の二倍にあたる。
同じ時期のアメリカ対癌協会(こちらは私立の機関である)の「戦費」も、七一年の七五〇〇万ドルから七二年は約一億五〇〇〇万ドルと、ほぼ倍増した。
しかし、これだけの莫大な出費に見合うほどに癌は減ったのだろうか。答はもちろんNOである。
癌の根絶は、癌のメカニズムを理解したからといって達成できるわけではない。正常細胞を狂わせて癌に変化させる癌誘発物質を最小限に抑えることによってはじめて可能となる。巷に氾濫している科学情報は、空気中にも、食物にも、水にも、薬にも、化粧品にも、タバコにも癌誘発物質が存在するということを教えてくれている。
ところが、これらの排除のためにはほとんど一銭も使われていないのが実情である。
癌誘発物質の使用は法律によって禁止されるべきである。もし禁止されれば、製薬業界は大きな損失をこうむるだろう。その上に、癌治療薬関連の利益まで失うというダブルパンチを受けることになる。
今や癌は医学の問題ではなく、社会経済問題である。自然界にバラ撒かれている薬品類、食品保存剤、工業用溶剤、放射線、殺虫剤――これらが癌の犯人なのだ。ところが、政治家の優先順位では、健康や倫理は利益よりずっと下位におかれている。これまでの各種の癌撲滅キャンペーンがひたすら資金集めに終始してきた理由もここにある。
一九四九年、モリス・ビールが『薬の話』という本に、次のように書いている。

癌患者へのラジウム使用を、どこかの金儲けのうまい医療ビジネスマンが流行らせて以来、.ラジウムの価格は一〇倍にも跳ね上がった。そのためにラジウムを所有する人々にとって、転がり込む莫大な利益のことを考えると、ラジウムを使わない癌治療など容認できるはずもない。
また、癌患者に使われる多量の薬品は、薬品の価格引き上げに貢献する。そのために製薬業界は、薬を使わない自然治療法を認めることができない。そこで、薬も血清もX線もラジウムも、そしてメスも使わずに癌の治療をする医師は――いずれにせよ、それらを使ったところで癌は治せないのだが医学界体制派からひどいいやがらせを受けるのである。
それだけではなく、製薬工業界の勢力下におかれている食品医薬品局(FDA)、郵政省、公衆衛生局、連邦取引委員会をはじめとするさまざまな政府機関からの圧力までかかるのである。
本当に正直な医者は、癌はオーソドックスな治療法では治らない、というだろう。X線や外科手術は、苦痛の期間を長びかせる(場合によっては短縮する)だけである。その期間中、嘘の希望が患者やその家族に「時的な安らぎを与えてバランスを保っているにすぎない。
しかし製薬業界にとっては、この苦痛の期間こそが稼ぎ時なのである。彼らが薬品を使わない癌治療に反対する最大の理由である。原価五セントの薬が、小売値では五ドルにもなる。癌患者の苦痛をごまかすために使われる薬が製薬業界の利益に貢献している度合いはかなりのものである。
また、放射線照射を受けた後には激しい苦痛が伴うことはよく知られており、この時も大量の投薬,注射が必要になる。製薬会社が手術の補助手段として放射線照射を薦める理由もここにあるのである。
痛みが麻痺すれば患者は回復の希望を持つ。そこで大量のアヘン剤が投与される。しかしいかに大量のアヘン剤を使ってみても、照射の後におこる神経炎は結局は患者にとって命とりとなる。
しかも患者はこのアヘン剤を製造原価の百倍もの値段で買わされているのである。
一方で実際に癌は治っている。しかし、善意の人々の寄付で存在もしない病原菌の探索を行なっている癌ビジネスのお陰で治るようになったのではない。コッホ、レフラー、ジェーソンら本ものの医師、そして自然療法のブラスやホクシーらの尽力によるのである。

このビールの記事は古すぎて、今日の状況にはピッタリこないという人がいるかもしれない。そのような人は、八〇年十二月二十二日号の『タイム』を見てほしい。これは「医学」ではなく「法律」に分類されている。
記事によれば、七八年、マサチューセッツ在住の若い夫妻が、白血病にかかった三歳の息子チャドに化学療法を指示した法廷命令に従うことを拒んでメキシコに出国した。メキシコで治療を受けたチャドは九カ月後に死亡、夫妻は子供ばかりでなく住む場所までも失ってしまった。アメリカでは二人に逮捕状が出ていたからである。
チャドが、悪名高いアメリカの治療を受けたからといって治っていたという保証のできる人などいるはずがない。にもかかわらず医学権力の圧力を受けた当局はそう広言したのである。
夫妻は、それまでアメリカ国内でチャドに化学療法を受けさせていた。が、結果は明らかに思わしくないものだった。さもなくば、わざわざ費用をかけ不便さをしのんでメキシコまで行ったりせず、そのままアメリカで化学療法を続けさせていただろう。
一般的な治療法を見限って、多少怪しげな療法にでもすがろうという人々の多くは、それまでの治療法がまったく無益か逆効果でさえあることをすでに経験しており、他に救いの道がなくなっている場合が多いのである。しかし当局はそうは見ないと『タイム』の記事は言う。

七八年のケースを起訴した前司法副長官ジョナサン・プラントは判事に、もし夫妻が化学療法を指示する法廷命令に従っておれば、チャドは今週五歳の誕生日を祝っていただろう、と述べた(原文のママ!)。
そして、他の一般国民同様、完全な洗脳を受けている判事は、あらゆる反証にもかかわらず、の言葉を完全に信用したものと思われる。

癌研究は前進、癌は増力

アメリカ対癌協会と人口動態調査の統計によれば、癌による死者は着実に増加している。一九六八年には死因の一六・八パーセントが癌だったのが、七〇年は一七・ニパーセント、七五年は一九.三パーセント、そして七八年は二〇パーセントを越えた。このような癌の増加の割合は、いわゆる文明国、すなわちアメリカとよく似た医学保健体制を敷いている国では、ほぼ同じだと言ってよいだろう。これが過去二〇〇年間にもわたって、事実上動物実験にのみ依存して行なわれてきた儲かる「癌研究」の成果なのである。
記録に残っている最初の癌に関する実験は一七七三年、フランスのベルナール・ペイリルのものである。ペイリルは乳癌患者から採取した「癌液」を犬に接種した。この実験によって彼は、リヨン科学アカデミーの「癌とは何か」という論文コンクールで一位を獲得した。
それ以来、納税者と社会全般の途方もない費用負担によって、何百万どころではない何億というあらゆる種類の動物が犠牲にされてきたのである。常に、これこそが癌の「秘密」を解く最良の方法だと言われ続けて。
しかし実際のところ、癌は秘密でも何でもない。大部分の癌の原因はよく分かっているのである。ゆえに、予防によって避けることが可能である。ところが、予防医学は医学界では継子扱いなのである。金にならないからである
毎年、何百万匹という動物に癌を発生させることによって、癌の治療法を見出そうとする、驚異的に費用のかかる試みは、コンピュータによって犯罪をコントロールしようとする試みに似て、禾己主義、不毛、そして馬鹿げていると言わねばなるまい。外部からの癌細胞の移植、著しく片寄った食餌、あるいはある特定の物質を極端な量与えることなどによって実験的に発生させた癌は、自然に発生する癌とはまったく別のものであり、しかもそれが動物と人間ではさらに大きく異なってくるということは誰の目にも明らかだろう(少なくとも、マスコミや教育を通じて組織的に行なわれる洗脳によって完全に理性を失わされていない人にとっては)自然発生の癌は、それを発生させた生物体そのものと密接な関連を持つ。そしておそらくは精神的なものも大きく影響するものと思われる。
しかし、外部から移植された癌細胞には生物体との自然な関連がまったくない。その生物体は癌細胞の単なる培養基にすぎないのである。
癌というこの恐ろしい病気に対する人々の恐怖をうまく利用して、研究者、製薬業界、そして医学界は、癌を金儲けの種にしているのである。
しかも、癌は、化学会社の作り出す化学工業製品によって引きおこされる場合が多いのである。二〇世紀とは、癌研究、癌治療が、前例を見ないほどの素晴らしい金鉱脈と化した世紀なのである。

***
南ア連邦・ヨハネスバーグで発行されている『ザ・スター』(一九八一年四月十日付)に「なぜ、癌研究は失敗したか」という記事が載っている。

動物を使って実験を行なっていることが、癌研究の失敗の原因であり得る。動物の癌は人間のそれと異なるからである。これは動物実験シンポジウムにおける、ゲストスピーカー、ロバート・シャープ博士の見解である。
シャープ博士によれば、癌研究において、動物実験に代わる他の方法もあることにはあるが、現在あまり広く使われていないという。「当局の調べによれば、イギリスの癌の発生率は著しく増加している――癌研究において、動物実験は好ましい結果を残しているとは言い難い。むしろ、研究方法が動物実験に片寄っていることが、癌研究失敗の原因だといえよう」とシャープ博士は語った。

***
では、この「癌研究」なるものはどのようにして行なわれているのだろうか。動物実験室で仕事をする自称「研究者」たちは、病気の研究というものがいかに行なわれるべきかという点についてはまったく無知である。彼らが知っているのは、癌をも含め、病気をいかに発生させるかという一点のみである。この点については、彼らは実に想像力豊かな素晴らしい業績を残している。
「実験用動物をもっと買うために、もっと金が要る。金が多ければ多いほど、買える動物が多くなり、成功のチャンスも多い」と彼らは言う。大した成功である買われた動物は、皮下に腫瘍を移植され、その腫瘍が成長して体の器官を侵していく様子が観察される。癌の成長とともに苦痛も増し、やがて死に至る。放射線の効果を調べるために、多量の放射線を浴びせられる動物もいる。
しかしすでに述べたように(そして多くの医学者が指摘しているように)、動物に人工的に発生させた癌への効果を調べたところで、それは人間に自然発生的にできる癌とは何の関係もないのである。
強い放射線の影響で、動物の四肢は壊疽にかかることが多く、やがてもげ落ちてしまう。
また、発癌性があるとされている(あるいはその疑いをもたれている)物質を多量に食べさせられた動物は、嘔吐を繰り返し激しく痙攣してやがて死ぬ。腫瘍をかかえている動物の多くは食欲が落ちるが、これは腫瘍の成長速度を緩めることにもなり、苦しみの時間がいたずらに長びく結果となる。
また、腫瘍が化膿することがあるが、そのような場合、その動物は他の感染症にも侵される。腫瘍は胸部、脊椎、耳、尾など体のあらゆる部位に発生させられるが、体の外部にできた腫瘍は同じ檻の中にいる仲間に噛みちぎられることも多い。さらに、温度が腫瘍の成長にどのような影響を与、凡るかを見るために、極寒極暑に放置される動物もいる。
医師から悪性と診断された癌が、すっかり治癒した多くの場合、自然食療法などによってという例が報告されている出版物が、ヨーロッパでもアメリカでも、非常に多いのに驚かされる。
医学界体制派は「もし治ったのであれば、もともと癌ではなかったのだ」と言い逃れる。しかし、不治の癌との診断は「認可された」医者が「認可された」診断法によって下したという事実を、軽々しく忘れてもらっては困るではないか。

次の引用は七九年九月七日、『フィラデルフィア・インクワイアラー』に載った、ダビー・デイヴィスという女性の談話である。

「私の母は九年前、癌と診断されました。医者や病院が与えようとしたのは希望ではなく、大がかりな手術でした。それでは母は生命は助かったとしても、一生寝たきりになる可能性が十分でした。母の癌は心臓のまわりをぐるりと取り巻き腹部にまで広がっているというものだったのです。しかし母は幸運にも、現代医学以外の道もある、ということを知っていたのです」。
ダビーさんのお母さんは、フロリダに住む生化学者の友人を捜しあて、その友人の指示するビタミンと自然食の厳しい食餌療法を守ったのだった。
「今、母は私よりも元気なくらいです」とダビーさんは言う。
現在の癌治療は億万ドルビジネスだ。信じたくないことだが、これは厳然たる事実である。癌を治さずに、ただ、患者の生存期間を引き延ばす。患者にとっては拷問である。一方、自然療法(医師によるもの、カイロプラクティック、食餌法などすべてを含む)は費用がかからない。もしアメリカで、癌治療法として自然療法が合法化されれば、金儲けの手段を失って路頭に迷う人が多数出るだろう。

この記事には誤りが一ヵ所だけある。「患者の生存期間を引き延ばす」というくだりである。大抵の場合、引き延ばすことはほとんどなく、苦痛を倍加させながら短縮してしまうと言ってよいだろう。
いずれにせよ、この種のニュースが全国レベルで報道されるのは非常に珍しい。癌ビジネスの利益の妨げとなるようなニュースは、すべて、オピニオン・リーダーとなるべき大手の新聞によって揉み消されてしまうのである。新聞社が製薬シンジケートの直接の保護下に入っている場合もあり、製薬会社からの広告収入に依存せざるを得ない場合もある。

ヒューストン=ナル・リポート

アメリカではじめて、癌研究内部に調査のメスを入れた報道といえば、ロバート.ヒューストンによって一九七八年から七九年にかけて書かれた一連の記事だろう。これにはWMCAラジオの解説者ゲイリー・ナルの協力があった。
今さら驚くには足りないが、この告発記事はアメリカ中の主要新聞社からは、ことごとく掲載を拒否された。たったひとつ引き受けたのが『アワー・タウン』というニューヨークのタウン誌(発行部数五万四〇〇〇)だった。この雑誌はその性格から、広告収入に頼っていなかったから引き受けられたのである。
その後、真面目な医学報道にはあまりふさわしからぬ雑誌『ペントハウス』が引き受けた。このヌード専門誌には、五三五万人もの熱心な固定ファンがついており、タウン誌同様に広告主の圧力からは自由の身だったのである。『アワー・タウン』七八年九月三日、十月二十九日、および『ペントハウス』七九年九月号の抜粋を御覧いただきたい。このヒューストン=ナル・リポートの内容は、よる裏づけを受けている。
その後同様の調査を行なった他の人々に桁はずれの大金を投じて癌征服を目指している組織的癌研究が、大ニュースを発表した――自らの研究そのものが誤りであることが証明された、というのである。
このクライマックスは「癌戦争」である。これはニクソン政権下の一九七一年、PR用として始められたプロジェクトだったが、七八年五月末、ついに敗北を認めざるを得なくなった。国立癌研究所所長アーサー・アプトン博士による敗北宣言は『ニューヨーク・タイムズ』の第一面を賑わした「癌研究・戦術を転換」……。
しかし、この敗北は巨大企業にとっては予定通りだったのではないか。癌は不治という前提に立ってこそ生き残りが可能な企業には、すでに金が湯水のごとく流し込まれた後なのだから。反論ありますか?

●「癌は不治」が前提

ヒューストンとナルは次のごとき疑惑を抱くに至った。

何か間違いがおこった。しかしいっさい説明がない。この問題に正面から立ち向かうことを憚らせる何かが介在している。ということは、この間違いが組織的に企まれたものであると考え得るのではないだろうか。
ここで、癌不治仮説と、それを支持するデータを検討してみよう。命題は次の通り。

(1)癌解決に反対するということは、医学専門家にとっては、自己矛盾であり考えられない行為である。
(2)しかし現在の治療法研究体制の中で、職業的に癌と共存している人々にとっては、癌が解決されてしまったという事実を受け入れることが矛盾であり考えられない行為である。
(3)このディレンマの克服法は、たとえ部分的なものと言えども解決を信じないこと、とくにその解決が外部からもたらされた場合は決してそれを信じないことである。
(4)社会的に自らの独善性を防衛するためには、話題になっている研究の前進は、これをすべて欺瞞であるとして、精力的に否定しなければならない。
事実、癌研究がもっとも恐れているのは、解決の展望なのである。「癌解決」の意味するものは、研究プログラムの終結、技術の切り捨て、栄誉獲得の夢の消滅などだろう。ひとたび癌が征服されれば、無限とも見えた慈善団体からの寄付はなくなり、国の予算はカットされるだろう。
そして大量の資金と技術と設備の投入されている高価な外科放射線、化学療法の最新のノウハウは時代遅れになり、現存の医療研究体制は徹底的に打ちのめされるだろう。このような恐怖が、たとえ無意識的にせよ、代替法への抵抗や敵意をおこさせるのである。その代替法が有望そうであればあるほど、敵意も強くなる。新しい治療法は信用してはいけない、受け入れてはいけない、奨励してはいけない、そしてどんなことがあっても許してはいけない、たとえその療法のテスト結果が良好なものであっても(できればテストなどしないにこしたことはないのだが)、とにかく駄目なのである。次に見るように、このパターンが、現実に、常時繰り返し行なわれている。

ヒューストンとナルは、ここで、公的医学からは認められていない数々の治療法を列挙している。
多くの人々がそれらの療法により実際に癌が治ったと証言しているにもかかわらず、医学界はこれらを「にせ医者行為」とみなす。これらの療法の多くは自然療法をベースとするもので、生食が主になっており、費用もかからない。すなわち、医学界体制派に警戒心をおこさせるに十分な条件が揃っているのである。
さて、ヒューストンとナルのリポートに戻ろう。

これらの非正統派治療法は、各種医療関係機関が資金援助や取り締まりを行なう際に参考にするリストに、タブー領域として記載されている。この異端者名簿とも言うべきリストを集中管理しているのはアメリカ対癌協会(ACS)である。
このACSという私立の団体は、現状維持を金科玉条とし、自らの使命は「良すぎる発見の切り捨て」にあると心得ているらしい。ACS発行の「立証されていない癌治療法」というブラックリストがある。これには現在の「手術、放射線、薬漬け」の一般的治療法にあえて背を向けた療法がリストアップされ、こきおろされている……。
それにしても、本来「立証されていないこと」の研究を目的としているはずの研究団体が「立証されていない」という語を軽蔑的に用い、科学における基本的誤謬とも言うべき、「立証されていない」と「誤りであることが立証された」とを混同するとは、実に奇妙な話ではないか。
もし「立証されていない」道に踏み込んではいけないのであれば、残されたのはすでに知っている道しかなく、進歩というものがあり得ないのである。
七三年、NCI(国立癌研究所)の細胞化学部部長ディーン・バーク博士が、当時のNCI所長フランク・ラウシャー博士に宛てた公開状でこう述べている。「ACSの『立証されていない治療法』のうち少なくとも六つは、無害で有効だと思われます。ただちにNCIで調査するに値すると思います」。さらに、「FDA(食品医薬品局)が認可したが、有毒で免疫反応抑制作用があり、その上発癌性がある」とも述べている。
ACSやFDAでは、非正統的治療法を開発したのは無資格のにせ医者どもだと思い込みたいようだ。
ところが「立証されていない治療法」のリストを調べてみると、事実はまったく逆だということが分かる。治療法の七〇パーセントは、その提唱者がMD(医学博士)であり,しかもその五分の一は医学部教授である。さらに一〇パーセントは生化学・生物学などのPhD(博士号)を持つ科学者である。
すなわち「にせ医者」呼ばわりされている人々の八〇パーセントが、きちんとした有資格者だということである。またこれら「にせ医者」の中には紛れもない天才もいる。
たとえば、植物性薬剤KCの開発者で、MDとPhDふたつの博士号をもつモーヴィス・マクウィーン・ウィリアムズである。
彼女は、かつて、スタンフォード大学のルイス・ターマン博士の行なった有名な天才児研究において、天才児グループの中でもとくに秀れた能力の持ち主とされた人物である(因みに、彼女はACSを相手どって、研究業績を中傷したとして、一〇〇万ドルに上る名誉棄損訴訟をおこした。しかし七六年、本人の死亡により中止となっている)。
また、癌の食餌療法開発者として知られるマックス・ガーソン博士については、かのアルベルト・シュバイツァー博士がこう評している。「私は彼のうちに、医学史上最高の天才を見ます。彼に病を癒された人々が、彼の理論の正しさを証言するでしょう」。
ヒューストンとナルは、『アワー・タウン』に載った最初の記事の締めくくりで、かつて一九四九年、モリス・ビールがその『薬の話』の中で、ACS、AMA(アメリカ医師会)、FDAについて書いたことを、歯に衣着せぬ論調で繰り返している。
現代は癌の暗黒時代である。
その時代に君臨する教会とも言うべきACSは、癌研究におけるもっとも革新的かつ有望な道を、異端として禁教にしている。その上、このACSやAMAに従順この上ないFDAは、革新的療法の提唱者を迫害し、その試みを禁止することによって、教会の魔女狩りに協力している――我々はいつかは、本当の敵は自然現象である癌などではない、敵は癌研究エスタブリッシュメントそのものなのだ、という真実に直面させられるだろう。彼らエスタブリッシュメントは人間の病苦を食いものにする寄生虫である。癌征服の希望が見え始めると、いつもそれを破壊し、自らはますます肥え太るよう画策するのである。

基本原理は「利益」 へ続く

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

あれから30数年・・・・

 

 

part3健康への脅迫 その2(世界医薬産業の犯罪より)

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ウェブ魚拓 世界医薬産業の犯罪 より

 

PART3 健康への脅迫 

基本原理は「利益」●APと『タイム』に抹殺されたニュース●独自の考えの抑圧●アメリカは最高の医療環境に恵まれている癌で生計を立てる人々

 

以下転載ーーーーーーーーーーーー

 

基本原理は「利益」

ヒューストン=ナルの記事以前にも、『罪なきものの虐殺』の中で指摘したように、医学エスタブリッシュメントの基本原理は、国民の健康ではなく自分たちの利益である。もちろん医学の世界に限らずどんな職業でもそうであるように、医師の中にも知的で良心的な人はいるだろう。しかし大勢として、医学界は利益のために動いていると言っていいのである。彼ら医師の思考回路が、医学校で最初の生物学の講義を受けた日から、間違った方向に向いてしまったのは、医師個人の責任ではない。当時、彼らには選択の余地などなかったし、ましてや現在、支配者として君臨する医学シンジケートの構造を変革するなどという選択はあり得ないのだろう。
ここでもう一度、さきのヒューストン=ナル・リポートを引用してみよう。

ACSとNCIは「癌戦争」プロジェクトの目玉商品として、二八万人の女性を対象とする乳癌の集団検診を共催した。悪名高きX線乳房撮影(マンモグラフィー)である。医師たちのさも親切げな微笑や楽観的な説明にのせられて、いけにえの小羊たちは科学という名の祭壇で、発癌のリスクを高めるとされているX線に我が身を晒したのである。
しかも重点は五〇歳以上の女性におかれていた。この年齢層はX線による発癌の危険性がきわめて高いのである……。
ACSの開くセミナーは、言ってみれば春のファッションショウである。医学記者や科学記者に、多額の研究費の行方を華々しく披露しておこうというわけである。現実には、その大金は失敗以外の何も生み出していないのであるが。このショウではいつも必ずひとつやふたつの「大発見」が発表される。
これが、うまい具合にちょうど寄付金募集の頃に発表され、その上、みごとに科学記者会議の時期とぴったり重なっているのである。この華やかな年間行事を見ると、科学記者というものが、報道よりも宣伝に関わっているということがよく分かる。彼らは医学エスタブリッシュメントの利益の増大の片棒を担いでいるのである。
国民はこの時期、科学記者の書く膨大な量の「癌研究さらに前進」なる記事を集中的に読まされることになる。彼らの癌意識は高まり、はかない偽りの希望を持たされて、不毛な癌研究への攻撃の矛先は鈍る。この辺りでACSの資金集めのエンジンがかかる。
すぐそこまで来ている勝利までもう一歩!という歌い文句につられた何百万人という人々からの小切手が、ACSのもとに殺到するのである。確かに「すぐそこ」――地平線のすぐ向こうまで来ているに違いないが、一九一三年にACSが「緊急臨時団体」として発足して以来、ずっとそこに留まったままなのである……。
医学エスタブリッシュメントが地平線目指して走らせている純金製癌研究馬車の用心棒をつとめるのが、体制派科学記者たちなのである。彼らは決して、代替療法などについて報道しない……。
一九六四年、一人のロンドンの医師が、外科手術は癌を根絶するよりも癌の成長を促す可能性の方が大きいと発表した。その年以来、外科手術による切除とその痛みに果敢にも反対してきた多くの癌専門医たちの研究の理論的帰結がガーソン式食餌療法である。ガーソン以前の医師たちも、癌が全身の病気であり、適切な食事が、癌と戦う体を助ける、との見解を持っていた……。
一九世紀の癌治療医で、外科手術に反対した人々の多くが、適切な食事の持つ治癒力を認識していたという事実は注目に値する。
しかし一方で、いわゆる公的医学が、このような栄養学的アプローチに対し、露骨な嫌悪を示して、いずれはにせ医者の烙印を押されるに違いないと考えていたのも事実なのである。
マックス・ガーソンへの攻撃は執拗に繰り返された。もっとも激しい攻撃は身近な仲間からのものだった。
それでも彼はニューヨークの診療所でかなりの年月、頑張った。癌患者は彼の診療所に最後の望みを託してやってきた。そしてその患者の癌が治ると――事実、多くの場合治った。以前の担当医は、その患者が確かに癌であったということを示すカルテを処分してしまうことさえあった。
一九四六年、上院は、癌の予防と治療研究用の予算承認のための公聴会にガーソンを招いた。
彼は五人の治癒患者の病歴を紹介し、委員会のメンバーに大きな感銘を与えた。この時の二二七ページに及ぶ記録(公文書八九四七一号)は、今では連邦印刷局の古文書の中に埋もれてほこりをかぶっている。
この記録の閲覧を申し込んだある新聞記者は「コピーは一部も残っておりません」との素っ気ない応待を受けた。この公聴会の五年後、とうとうガーソンは、ニューヨーク内のすべての病院での医療行為が許されなくなってしまった。今ではすっかりお馴じみになった「抹殺」の犠牲者になったのである。新しい療法の考案者は杜会的に完全に孤立させられ、医学雑誌に論文を発表させでもらえない。どこかで何とか発表したとしても「非科学的」と一言のもとに切り捨てられる。これが抹殺である。
この間にも切除手術や放射線治療を受け、墓場へと急ぐ犠牲者はどんどん増えた。「あれ以上手の尽くしようはなかった」というのがエスタブリッシユメント側の医者の決まり文句だった。
犠牲者は検査も済ませ、支払いも済ませ、お決まりの苦痛と死への一方通行の道をひたすら辿った。
一九五九年、ガーソンは死んだ。アルベルト・シュバイツァーの妻の結核を治した医師、しかし公的医学界からはまったくかえりみられることのなかったガーソンを、シュバイツァーはこう悼んだ――彼を知り、彼の価値を知る我々は、今日この医学の天才に哀悼の意を表する。
医学界の弾圧を受けてきたさまざまな治療法の詳細な説明の後に、ヒューストンとナルはこう書く。

科学の世界では、革新に対しては、信じ難いような弾圧が、これまでも常にあったのは確かだろう。しかし、第二次大戦後、強大な権力をもつ石油化学工業の抬頭に伴って、弾圧の激しさは一段とエスカレートした。

●APと『タイム』に抹殺されたニュース

一九六〇年代から七〇年代にかけて、化学療法は癌治療の新しい希望としてマスコミでももてはやされていた。薬品の副作用の恐ろしさや、その発癌性、致命性についてはほとんど触れられることはなかった。
七三年、NCIの細胞化学部部長ディーン・バーク博士が当時のNCI所長フランク・ラウシャー博士に宛てて公開状を出したことは本書の「ヒューストン=ナル・リポート」で触れた通りである。その中で、バーク博士は、従来の抗癌剤は事実上そのすべてに発癌性があるということがNCI自身の研究によって発見されたと告発している。
APと『タイム』の一般ニュース担当の編集長は当初、このニュースの報道に非常に乗り気だった。ところが医学科学担当の編集長がこれを握りつぶしてしまった。
なぜ、APのごとき大通信社や『タイム』のような有力雑誌がこの種のニュースを抹殺するのかという事情については後述する。

●独自の考えの抑圧

今日、医師たちは、医学界という威圧的なシステムの中で、常に上層部の意向を気にし、独自の考えを抑えながら仕事をせざるを得ない。医師たちは他の何を差しおいても検査を行なう。彼らの診療は、ひたすら防衛的であり、良い診療をしようという積極性がまったくない。彼らは独自の判断で新しい学説を取り入れることを恐れ、どうひいき目に見ても非科学的としか言いようのないやり方でお茶を濁しているのである。
CAST(農業科学技術協議会)、IFT(食品技術研究所)というふたつの半官半民「非営利」団体がある。CASTの場合を見ると、その運営は、加盟メンバーからその規模に応じて年会費を五〇〇〇ドルかそれ以上を徴収して成り立っている。現在のところ、ダウケミカル、モンサント、ホフマン・ラロシュその他九四社からの会費がCASTの収入の半分を占める
非営利とはいえ食品工業、化学工業の営利第一主義の影響をもろに受けたこのような団体が、アメリカ国民のための「食事プログラム」なるものを作り上げ、現在のような問題の多い食習慣を国民の間に定着させてきたのである。その上、発癌性食品添加物の問題では、これを過小評価し、国民に誤った意識を植えつけてきたのもこれらの団体である。ヒューストン=ナル・リポートは、CASTのような団体の実態の暴露を試みた全国規模の報道が、これまでまったくなかったことに気づかせてくれる。

●アメリカは最高の医療環境に恵まれている

ヒューストン=ナル・リポートは続く。

ACS(アメリカ対癌協会)は、ジェーン・プロディという『ニューヨーク・タイムズ』の敏腕科学記者に対し非常に好意的である。プロディは 九七七年、ACSの副所長アーサー・ホレブ博士と共著で『癌との闘いには勝てる』を出版しており、さらに同年、彼女のいささか感情的にすぎると思われる化学療法礼賛記事「癌との薬戦争」に賞を与えた。「卓越したコミュニケーション」というのがその受賞理由だった。
一方で、やはり科学記者で「アメリカ・ジャーナリスト作家協会」の会長をつとめるパット・マクグラディ・ジュニアーが、西ドイツ・ボンのヤンカークリニックで成功した癌に対するビタミンA.酵素療法についての記事を書いた。
この記事は一部ではアメリカ・ジャーナリズムの古典とさえ絶賛されているにもかかわらず、五年間もあちこちの雑誌から掲載を断られ続けた末、ようやく『エスクァイア』に拾われたのだった。なぜ断られたのか?パットはこう言う。「雑誌社がACSにお伺いを立てたからなんです。私の原稿を見せて『これどうでしょうか』と尋ねたわけです。するとACSはあっさりとこう言ったんでしょうね。『アメリカじゃ、もっと水準の高い医療環境に恵まれてるんですよ。外国でのことなんて役に立たないんじゃないですか。ボツにしましょう』とかね」。
彼女の父、バトリック・マクグラディ・シニアーは、かつて、ACSの方針に反旗を翻してACSを辞職した人物である。そのマクグラディ・シニアーはこう語る。「ACSの科学部門、医学部門の連中は誰一人として本当の科学研究などできはしない。彼らはこと金集めに関しては素晴らしいプロだ。だが、癌をどうやって予防するか、どうやって治すか、という点に関しては何も知りはしない」。

さて、ヒューストン=ナルの結論はこうだ。

癌戦争における我が軍の将軍たちは不適格である。医学・石油化学連合軍の銃口は間違った方向――すなわち我々国民に向けられている。今、我々は、我々の基本的人権の第「番目である生命の権利――ひいては健康の権利を断固要求しなくてはならない。

癌で生計を立てる人々

年々、癌による死亡者数に匹敵するだけの人々が、癌によって生計を立てていると言って過言ではないだろう。それゆえにこそ、化学・医学・動物実験コンビナートが現状維持に全力を注ぐのである。
ACS(アメリカ対癌協会)は、一九一三年に設立された時点では「緊急臨時組織」だった。しかし今や、化学・医学・動物実験コンビナートと結託して行動する永続的集金宣伝マシーンになってしまった。一九七八年会計年度のACSの収入は一億四〇〇〇万ドル、総資産は二億二八〇〇万ドルを越えている。このうち研究活動に支出するのは年間収入の三〇パーセント以下で、その研究もACS自身が行なうものはほとんどなく、外部団体の研究に資金援助をするという形が多い。
しかし、それらの「研究」がどのようなものか、またどのような成果が上がっているかについては、ほとんど話題に上ったことがない。
ヒューストン=ナル・リポートによれば、ACSの年間予算の五八パーセントは職員の給与と事務費に消えており、上層部の年収は七万五〇〇〇ドルにもなるという。二億ドルを越える資産が投資に回されており、その結果、ACSは銀行の上得意におさまっている。ACSの重役のうち一八人は銀行関係者で、七六年八月現在、資産の四ニパーセントがこれらの重役の関係する銀行に直接投資されている。ここにも当然のようにロックフェラー家が顔を出している。
各種慈善団体の独立監督機関として全国的にその名の知られている全国情報局が七六~七八年度のACSの会計検査を行なっているが、その結果もかなりスキャンダラスなものだった。次のようなものである。
「ACSの資産の累積に関しては、これが次年度の予算要求額を越えるものであり、疑問の余地がある――ACSは過去数年にわたり、より十分な資金があればより多くの研究補助金が出せただろうとの主張を繰り返してきた。しかしこれは、その正当性が事実によって立証される主張ではない」。
今のところ、このような、エスタブリッシュメント内部の真実の姿を伝える声は無視されている。
その種の報道記事は、体制派の新聞社や出版社では受けつけられない。単行本の場合も普通は出版してくれる出版社がなく、万が一、何とかして印刷までは漕ぎつけたとしても、メジャーな販売ルートに乗ることはなく、その上すぐ絶版にされてしまうというのが現実なのである。
出版された少ない例を見てみよう。ロバート・E・ネターバーグ博士とロバート.T・テイラーによる『癌産業の陰謀』(ピナクル出版、ニューヨーク、一九八一年)である。

NCI(国立癌研究所)やACSの行なっている研究活動は、何億何十億ドルという大金を費やしているにもかかわらず、癌征服の歩みにまったくの逆効果しかもたらしていない。これらの癌エスタブリッシュメントは新しい方法や考え方に対し非常に閉鎖的である。そのために、視野のうちに明確な目標を見定めることのない自閉的組織になってしまっている。

しかし、ACSの筆頭副所長フランク・ラウシャーは七八年六月五日、WMCAラジオで臆面もなくこう言ってのけた。「ACSは国民の利益のために活動する団体です。ACSの資金の大部分は癌患者のケアとリハビリのために使われています」。
このきれいごとの科白の裏にかくされた真実も、ヒューストンとナルは暴いた。ACSの七八年度の予算を検討してみると、たった六二〇万ドル、すなわち五パーセントだけが「個々の癌患者の援助」のために支出されているにすぎないという。

この数十年の歴史を持つ癌撲滅運動の宣伝マシーン、ACSの資金集めの巧妙さには、今や何かしら芸術的な雰囲気さえ漂っている。もちろん、大義を掲げた団体はACSに限らず一般論として、資金集めには長けている。動物愛護団体は言うに及ばず、老人福祉しかり、難民救済しかり、癩救済しかり。
しかし、癌は群を抜いているのである。
多くの著名人が、癌との「聖戦」のためとあらば、その団体がどんなことをしているのか、どのように運営されているのか、はたまた誰を益するのか、などまったく気にする様子もなく、いそいそと名前を貸すのである。八一年三月一三日付『インターナシ・ナル・ヘラルド・トリビテン』に載った次のような記事は珍しくもないだろう。

パスツール研究所およびワイズマン研究所の癌研究費のために催されたパリ・オペラ座での慈善公演で、モナコのカロリーヌ王女の姿が目を引いた。ルドルフ・ヌレイエフが自作の「ドンキホーテ」を踊ったこの公演では二〇万ドルの収入があった。
主催したのは、オペラ座を借り切った宝石商のジャック.アルペル氏とギイ・ド・ロスチャイルド男爵夫人である。男爵夫人は、ロスチャイルド家のパリでの住居であるランベール・ホテルで二五〇人招待の夕食会も開いた。

パスツール、ワイズマン両研究所の研究が主に動物実験によって行なわれているということは、今さら言う必要もあるまい。そして両研究所が、癌研究の分野での大混乱に大いに貢献してきたことも。
さらに八一年十月十二日号『タイム』を見ると、「フランク・シナトラ(六五歳)がスローン・ケタリング癌センターのための慈善興行でルチアーノ・パヴァロッティと共演――」とある。
喜劇俳優のジミー・デュランが死んだ時『タイム』はこう書いた。質素な八室の家に住み、ダモン・ラニョン癌研究基金のために、生涯飽くことなく働いた」。

この奇妙なACS方式はヨーロッパ各地でも真似されている。ごく最近のことだが、イタリアの新聞が、自動車王エンツォ・フェラーりがその全財産をイタリア随一の動物実験研究室である「マリオ・ネグリ薬理学研究所」に贈るとの遺言をした、と発表した。この研究所は創立以来一五年、何百もの論文を世に送り出してきたが、その中に有益な発見は唯のひとつもないと言ってよいだろう。
フェラーリのケースは悲劇的な例と言えよう。彼は最愛の一人息子ディノを筋ジストロフィーで失っている。明らかに誰かが、もし、より多額の資金が動物実験に投資されておれば、ディノの病気は治ったに違いないと、フェラーリに信じ込ませるのに成功したのである。ディノがずっと幼い頃投与された薬か母親が妊娠中に飲んだ薬が原因で、不治の病にかかった可能性が高いのだということを、誰も彼に教えはしなかった。
さらに同じイタリアで、七九年五月八日報道された感動物語がある。ピサに住むパオロ・ギアンダイという一〇歳の少年が癌で死ぬ際に、イタリア対癌協会に自分の貯金を全額寄付すると遺言したというのである。新聞社はこの話を大々的に取り上げ、癌研究資金調達の絶好のチャンスを逃がすまいと張り切った。記事にはパオロ記念寄付金の送り先の住所が抜け目なく付け加えられた。

人は死ぬ。癌で死ぬ人も多い。そして全財産を、ありもしない「癌研究」に遺贈する。それが自らの苦痛と死の原因を生み出した組織そのものへの遺贈であるとも知らずにいるのである。これは故意に流されるにせ情報の威力なのである。そしてこの陰謀は今や本家アメリカのみならず、世界中に広がっているのである。

治療しない方が長生きできる へ続く

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

part3健康への脅迫 その3(世界医薬産業の犯罪より)

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 part3健康への脅迫(世界医薬産業の犯罪より)←音声読み上げmp3です

 

ウェブ魚拓 世界医薬産業の犯罪 より

 

PART3 健康への脅迫

治療しない方が長生きできる一八九〇年式手術 お値段は二万五〇〇〇ドル異端者は切れ王立癌研究基金

 

以下転載ーーーーーーーーーーーー

 

治療しない方が長生きできる

カリフォルニア大学バークレー校の生理学教授ハーディン・ジョーンズ博士が癌患者の追跡調査を二五年スパンで行なった結果、公式医学で「認可」された「手術・放射線・薬剤」治療を受けた患者に比べて、治療を受けなかった患者の方が早く死ぬという事実はない、むしろ長生きする場合が多い、ということが明らかになった(そしておそらくは、苦痛も少ないと言えるのだろう)。
ジョーンズ博士はこれを一九六九年のACSの科学記者セミナーで発表した。この時、彼は、自分自身が一九五五年に同じテーマでニューヨーク科学アカデミーの会報に書いたことの確認を行なったのである。この報告の後、彼は多くの医師から称賛の手紙を受け取った。科学引用インデックスを引いてみると、その後報告された別人による三つの論文が彼の報告を支持していることが分かる。
ところがこのジョーンズ報告を記事に取り上げたのは、新聞一紙、保健ニューズレター一誌だけだった。製薬シンジケートが検閲を行ない、このような物騒なニュースを国民一般の目に触れさせないよう取り計らったからである(医学関連ニュースに課せられる厳しい検閲については後の章で述べる)。
さらに、ジョーンズ報告によれば「癌治療の効果を支持する証拠は、組織的な生物測定の誤りに依存する」というのである。
彼の報告はその後論駁されていない。また癌患者の治療後の生存率が改善されたというニュースも聞かない。むしろ反対に博士の調査によれば、乳癌の場合、従来の治療法による治療を受けない患者の方が四倍も長く生きるという。「治療を拒否した患者は平均一二・五年生きた。手術その他の治療を受けた者の平均生存期間はわずか三年だった。
癌患者への外科手術は逆効果であるという点については、疑いを差しはさむ余地はない」。
我々の病気に対する恐怖の多くの部分は、肉体の統一性を壊し、激しい痛みとストレスとに晒す治療そのものに対する恐怖だろう。まず外科手術は癌を広がらせ転移を促進する。イスラエル・ワイツマン研究所のマイケル・フェルドマンらの一九七八年の研究によれば、初期腫瘍は転移を実際に抑制しているのだという。
さらに、手術による肉体的精神的ショックによって自然な免疫システムに狂いが生じる。免疫作用はあらゆる病気に対するもっとも重要な防衛手段であり、正常に働けば、病気を克服できる可能性は十分なのである。次に放射線照射は、この自然な免疫システムをさらにひどく破壊する。
その上、放射線そのものに発癌性があることは広く知られている。さらに化学療法も、薬自身に発癌性がある場合がある。また、薬の作用が激しすぎ、癌が患者を殺すより早く、薬が殺してしまうことさえおこり得る。
一九八〇年七月、前イラン国王レザ・パーレビがカイロで死亡した。ロイター電によれば、パーレビ国王の死亡後、アメリカ人心臓外科医で、主治医師団の一人だったマイケル・デベイキーがテレビ局のインタビューで次のように語ったという。国王の直接の死因は癌ではなかった。癌を阻止するはずだった化学療法が死因だという。
さらに、名前はふせてほしいというもう一人の医師によれば、エジプト人医師が薬の量を増やした途端に、感染症がおき、死に至ったのだという(『ラ・スイス』一九八〇年七月二十九日)。
癌治療のために、それまで六年聞も化学治療法を受けてきた国王が、死の前年の秋、メキシコからニューヨークへと飛び、アメリカの素晴らしい癌専門医の手中に落ちた瞬間、彼の生きのびる望みは、断たれていたのである。
七九年十月二十六日付の新聞を見ると、医師団は、まず、国王の胆のうの切除手術を行ない、それから癌の集中治療を勧めたという。同じ記事によれば「国王の細胞標本検査を行なった病理チームが、今日、結果を発表した。診断は大細胞型リンパ腫」だという。
そしておそらくは、薬品と手術とによってボロボロになった体をひょっとすると治してくれるかもしれない、まったく別の流儀の医者のところへ行ってみようなどという気を、国王がおこさないようにだろう、癌専門医グループは、自分たちの治療法の有望さを力説したのである。
化学療法チームのリーダーとなるモートン・コールマン博士は、近年リンパ腫が薬品によく反応しているという点を強調した。「リンパ腫はこの処置に非常に敏感に反応します――リンパ腫に対しては、打つ確かな手があるのです」(『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』一九七九年十月二十七~二十八日)。
もし誰かを癌にかからせたいと思うなら、次のような手順を踏めばよい。
(1)大手術を受けさせる。
(2)大量に放射線を浴びさせる。
(3)集中的化学療法を受けさせる。
今日、公式医学によって「認可された治療法」で治りたいと望んでいる癌患者に施されている治療というのがすなわちこの三段階なのである。実際、パーレビ国王にも、この通りが行なわれたのだった。

一八九〇年式手術 お値段は二万五〇〇〇ドル

今日のアメリカにおける乳癌の標準的治療法と言えば、いまだに一八九〇年代のハルステッド式定型的乳房切除である。ピッツバーグ大学外科教授、バーナード・フィッシャー博士を委員長とするNCIの特別委員会からは、このやり方は一九世紀の誤った生理学に基づくもので女性の体を切り刻むだけだとして異議が出されているにもかかわらず、ACSはいまだにこれを支持しているのである。
癌がⅠ期かⅡ期であった場合、生存率について言えば、この定型切除法は、イギリスで一般に行なわれている単純切除に比べて、決して良いとは言えず、しかも免疫システムへの打撃はより大きいと思われる。このアメリカ式切除法は果たしてその平均手術料二万五〇〇〇ドルに値するものなのだろうか。組織的詐欺に、国民はだまされているのではないのだろうか。
アメリカでは、毎週少なく見積もっても一〇〇〇人の女性が定型的乳房切除を受けており、そのうち、かなりの人が、ただ生体組織検査を受けるためだと信じ込んで手術室に入るのである。手術で切除するのは、乳房、胸筋、およびその付近のリンパ腺であるが、切除後、患者には、狭い範囲の切除手術の場合に比べ、はるかに大きな苦痛が残る。
とくにリンパ腺の切除は患者にとってまったく得るところがない。単に手術料を引き上げて医者の懐を潤すという、儀式的犠牲の意味しか持たないのである。この手術法が考案された一八九〇年代には、癌がリンパ腺を通してだけではなく、血液を通しても広がるという事実がまだ知られていなかったので、リンパ腺切除も止むを得なかったと言えよう。
いずれにせよ、リンパ腺切除は、単に不必要というばかりではなく、有害でもある。

異端者は切れ

すでに述べたように、ACSとNCIは共同で乳癌のX線集団検診を実施している。五〇歳以上の女性を中心としているが、この年齢層は放射線による発癌の危険性がもっとも高いのである。
ロスウェル・パーク記念研究所、生物統計学部長アーウィン・プロス博士言うところの「医原性乳癌の史上最悪の大流行」を生む統計的可能性が考えられるにもかかわらず、この集団検診は精力的に続行されているのである。
フロス博士はこの他にも、しばしば率直な発言を行ない、医学界を当惑させている。たとえば、一九七八年八月十日、ニューヨーク州議会保健委員会において、博士は、食生活改善および発癌性物質の規制という癌の初期予防の重要性を強調したが、その発言中、癌産業の営利第一主義という微妙な問題に触れたのである。
「癌の初期予防というのは癌産業にとっては脅威でありましょう。なぜならば、予防が可能になれば、治療による癌のコントロールという現状に代替法をもたらすことになるからであります」。これは癌産業にと。て見逃すわけにはいかない発言だろ。そして次に彼が白血病に使用する放射線量軽減に関する研究を発表した時、NCIはついに彼への研究助成金を打ち切った。
国会予算員会の聴聞会において、ブロス博士は、連邦政府の癌研究費が主として「人間の癌などにはまったく興味もなく、病気の予防などまったく気にかけたこともない実験室研究者に流れている」と告発した。
さらにNCIの癌ワクチン開発計画を「あれはまったくの茶番。時間と労力とお金の無駄使い。その半分の時間と労働とお金が初期予防につぎ込まれていれば、今頃は我々は、癌征服の道を着実に前進していただろう」と酷評した。これではNCIが彼への助成金をカットするのも無理ないだろう。
さらに、NCIが高額な研究委託契約を身内同士で結んでいたという事実が露見するに及んで、この無節操な経営のあり方も槍玉に上げられた。
ウォルフ博士という人物も、七七年、予算委員会で同様の意見を述べている。「産業界はこれまで自らがその原因を作り出してきた癌へのコスト支払いを免れてきたが、もし癌の予防が達成されれば、彼らの利益を大幅に減少させることになるだろう」。
さらには「癌戦争」司令官の中からさえも批判的発言をする人々が現われ始めた。コールド・スプリング・ハーバー研究所長でノーベル賞受賞者、ジェームズ・ワトソン博士がその一人である。
七五年、MIT(マサチューセッツ工科大学)におけるシンポジウムでの博士の発言である。「アメリカ国民は癌関連では粗悪品を売りつけられている」。
癌の八五パーセントが環境汚染が原因と考えられているにもかかわらず、NCIの予算のうち環境問題に費やされるのは、一〇パーセントに満たない。さらに環境問題の大半が食品に関係すると言われているにもかかわらず、食品研究に使われる予算は一パーセント未満である。
しかもこのごくわずかな額でさえ、七四年の国家癌対策法の改正以後、ようやくNCIに強制されるようになったものなのである。
さらにもう一人つけ加えておこう。NCIの予防部副部長ジオ・ゴリ博士は、七六年、アメリカ人の癌の原因の少なくとも半分は食習慣に関連すると考えられるとの証言を行なった。その率直すぎる発言がもとで、彼は七八年、NCIをクビになった。
化学・医学・動物実験コンビナートの陰謀を暴露しようとするジャーナリストたちは、権力側の番犬とも言うべき『ニューヨーク・タイムズ』『タイム』『ワシントン・ポスト』『シカゴ・トリビューン』などからは切り捨てられる。それと同様に、医学界の内情を暴露してその利益と権威とを危機に陥れるような医学内部者も、容赦なく切り捨てられるということなのである。
では今後の情勢にまったく希望がないのかと言うと必ずしもそうではなさそうだ。このところ、権力側の築き上げていた沈黙の壁に少しずつヒビが入りはじめているように思われる。ジャック・アンダーソンは何とか医学権力の検閲をくぐり抜け、自らのコラム「ワシントン・メリーゴーランド」に、「慈善ならざる慈善」と題する一文を載せるのに成功している。以下はその抜粋である。

あの病気、この病気との闘いのための寄付を集める各種の慈善団体は、その出発点においてはすべて、人間を病苦から救うという高適な理想を掲げていた。
しかし、これらの団体の中には、その当初の目標を見失うものも出る。自分たちの大義だけに固執し、出来上がってしまった官僚機構を存続させることに汲々とし始めるのである……。
このような官僚主義の偏見にとらわれている慈善団体のひとつが、かの有名なアメリカ対癌協会(ACS)だろう。ACSが癌治療法研究のためにと宣伝して集める寄付金は、年間一億八〇〇〇万ドルにも上る。
ACSへの寄付の多くは企業からのものである。批評家たちが私の助手モニカ・マッケンナに語ったところによれば、これがネックとなってACSはその広報活動を寄付募集と禁煙キャンペーンに絞らざるを得ないのだという。
ACSは、職場や環境を発癌性物質で汚染している企業を非難して、法人寄付をフイにしようとはゆめ思わないのだろう――と批評家たちはにらんでいる。それゆえに、たとえば、靴職人、病理学者、繊維工業労働者などが日々その危険に晒されているホルムアルデヒドに関する報道に、その絶大な威力を発揮しようとしないのだ、と(ペンシルヴァニア州スクラントン『トリビューン』八二年一月二十日)。

王立癌研究基金

アメリカの対癌協会(ACS)に当たるイギリスの団体と言えば、王立癌研究基金(ICRF)である。そのレターヘッドによれば、ICRFは登録慈善団体であり、その後援者は、王立動物虐待防止協会(RSPCA)の後援者と同じ高貴な人物、すなわち女王陛下であるという。ただしRSPCAは、その名称が「虐待防止」であるにもかかわらず、人類のためと称して、動物実験を正当化している団体なのである。
さて、このICRFも大英帝国の慈善団体の伝統に則って、そのトップには貴族を据えている。
会長はアンガス・オーグルビー卿、理事長はエリック・スコウェン卿という。このスコウェン卿の方は、スコウェン「教授」の他に、恐ろしく長ったらしい称号が続く。MD(医学博士)、Dsc(理学博士)、HorLL.D(名誉法学博士)、FRCP,FRCS,FRCPE,FRCPathといった調子である。
ICRFは、ある若い女性からの質問状を受け取った時、いかにも彼女の誤解を悲しんでいるといったポーズをとってみせた。この女性は拙著『罪なきものの虐殺』を読み、その中で癌研究の分野ではこれまでお金が不足したためしがない、不足しているのは頭脳なのだ、と書いてあるのに注目した。そして、お金のあるICRFがなぜ、新聞広告で寄付を募り続けるのかと質問してきたのだった。
実際のところ、かつて英下院で、癌に関する「有効な」研究のための資金は、必要とあらば国が出す、という保証が与尺られたのである。一九五二年四月二九日、モルソン氏が研究資金の保証に対し次のような発言をしたという記録が残っている。「現在のところ、資金を使えば使うほどよりよい結果が得られると考える理由は何もない」。このモルソン発言の正しさを時間が証明したと言えよう――五二年以来、毎年、癌研究費は増加の一途を辿っているが、一緒になって癌の死亡率の方も増加しているのである。
さて、八〇年五月八日、ICRFは無遠慮な質問状を出した女性に、次のような主旨のいんぎんな返事を送った。差出人は「クレーム処理係」G・K・マクロードMIPR、FBIM、FISMとなっている。
「ICRF会員の多くは、あなた同様に動物を愛しており、商業べ麦で行なわれる動物実験は受け入れられるものではないと考えております。ですから、あなたの動物観と私のそれが同じであると申し上げてよいと思います。しかしながら、人間にそして動物にも苦痛を量る病気の治療の道を見出そうとして日夜研究に励んでいる非常に頭脳明晰な科学者たちとともに仕事をしている私にとりまして、不足しているのは資金ではなく頭脳であるとおっしゃるあなたの御意見には同意致しかねます」

七〇年代末、イギリスだけでも一二万人以上が癌で死んだ。イギリスに限ったことではないが、この一二万人の癌の原因の多くは環境要因それに薬である。
つまりほとんどの癌は予防可能だったということなのである。それは現在も変わらない。しかし相も変わらず癌の脅威を格好の口実として寄付金を集め、それを湯水のごとく使い続ける人々がいる。
ICRFとそのライバル「癌研究キャンペーン」とが運営する「癌チャリティ」は、癌死者が増え続ける中でますます盛況を呈するのである。このふたつの団体の合計資産は四四〇〇万ポンド、年間支出は二二〇〇万ポンド、ところが、癌の教育と予防に使われるのは、そのニパーセントにも満たないというのが現状である。
G・K・マクロード氏、そしてICRFの会員諸氏、今のままの宣伝を続けるといい。あなた方の「カモ」はどんどん増え続けるのだから。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

この本は

1985年までの資料です。


抗生物質と細菌の闘い いつまで続くのだろうか?

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ちょっとまとめてみました。

人類はいつまで抗生物質を使い続けられるのだろうか?

  2017年03月07日 世界的問題「抗生物質が効かない!?」近代医学の危機が始まった・・ 世界的問題「抗生物質が効かない」.mp3

 

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中国で見つかった超耐性菌.mp3

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抗生物質の危機.mp3 このブラウザでは再生できません。
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超耐性細菌の逆襲.mp3 このブラウザでは再生できません。
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細菌の逆襲.mp3 このブラウザでは再生できません。
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昭和28年「抗生物質の危機感」.mp3 このブラウザでは再生できません。
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医療の欺瞞性に気づいたひとのHPより「炸裂する有害医療の惨劇」

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残念ながら消滅してしまいましたが、このHPはWeb魚拓で閲覧できました。

ザワザワ・・・いや、わざわざ音声読み上げに まで して仕舞いました・・・

 

「炸裂する有害医療の惨劇」より

 

現代医療が悪質だというんだから! もう~~~

ほんと、鼻から信じては逝けませんね。

 

おい、鼻ほじりながら聴くな!! (あ、ボクかい?)

 

 

 

盲腸、扁桃腺、切除手術の愚と手術の進歩は医学の退歩なのか?

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最近は、医学の進歩によって手術の数が増えたと言われていますが、じつは岡田茂吉氏は「手術の進歩は、技術の進歩であって医学の進歩では無い」と述べていました。

全部を鵜呑みにする必要はありませんが、この手術のなかでも長い間当たり前のように行われてきた「盲腸の切除手術」 は実は誤りであった・・・と、ようやく気づいてきたのが生物学のようです。 

じつは盲腸(虫垂)は切り取ってはいけない。不要どころか有用な器官だったと言うのです。

医学の方ではどうなっているのでしょうか? 医学は生物学を基礎として成り立っているわけですから、この生物学を無視してはいけないわけです。

 近代医学がいかに間違っているかに気づくのはまだまだ時間がかかるかと思いますが、本当に進歩の暁には、なんと!「ほとんどの医療が「やらない方が益しだった」と気づく時が来る」と・・

そんな事をど素人が言うな!!  とお怒りでしょうが、全部とは言わずとも盲腸切除(本当は虫垂の切除と言うのでしょうが、一般的には盲腸と言われているので)を例にとってみると、気づくのになんと時間がかかったのだろうかと思うわけです。

そこで、ネット上から盲腸(本式は虫垂のことだろうが、一般的に盲腸としました)についての記事を参考に。

 

TITLE:盲腸は医学の盲点
- 原典聖書研究 - Yahoo!ブログ -
DATE:2017年3月9日
URL:http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/49669839.html

より以下転載・・・・・ーーーーーーーーーーー


最近は虫垂炎なんていう病気は見かけなくなりましたよね。その原因をご存じでしょうか?

 本当の原因は何とバリウム検査です。次が抗生剤の投与による腸内細菌の消滅と腐敗菌

の腸内異状繁殖と便通の阻害によるいわゆる糞詰まりによる虫垂内の逆流便腐敗です。

 だから虫垂炎は全て医原病という次第です。

  さて問題はこの虫垂は人の免疫機能を司る最重要器官の一つで切除などはとんでもな

い蛮行です。 まあ世界人類の医学は未開人のレベルですから医者がそんな嘘に騙された

りそれを真に受けて摘出していますがそれはとんでもない犯罪という事になります。

   以下は最近になって漸く西洋医学も虫垂の重要性に気づき始めた事を報じる未開人の

ネットニュースです。

  そうそう、虫垂の免疫器官としての重要性は最近ちゅうもくされている「あなたの身体は9割りが

細菌」とか「人の命は腸が9割り」 「身体の中の外界 腸の不思議」 「大便通」 「脳はバカ、腸は賢い」

などという最新の免疫関係著書を是非お読みください。
盲腸の手術で不要と切除されてきた虫垂、実は進化した器官で役立っているらしい



人体に不要なものなんてないんです!

進化の世界において、虫垂ほど科学者たちを悩ませてきた器官はないそうです。かの有名なチャールズ・ダーウィンは、昔、霊長類が樹上生活をしていたころ、木の葉を食べて消化するために使われていた器官だと主張。不要になってから、ずいぶんと長い歴史を経てきたものの、いまだに人体に虫垂として残り続けていると説かれもしてきました。

  (中略)
ところが、このほど電子ジャーナルの「Comptes Rendus Palevol」に発表された論文によれば、虫垂は進化に逆行するどころか、身体に必要なものとして進化を遂げてきた重要な器官だと説明されています。虫垂なんて不要と盲腸の手術で切除してしまうと、かえって人体にはダメージがおよぶとも指摘されていますよ。

同論文の発表のもととなる研究には、欧米各国および南アフリカの大学の研究者たちが参加。世界各地で533の哺乳類を調べ、虫垂の働きを調査しました。虫垂をもたない哺乳類も少なくはないものの、1つの種のなかに虫垂を有する個体が出ると、種の繁栄に伴って虫垂が消えることは殆どないことが判明したそうです。

また、虫垂を有する哺乳類と虫垂をもたない哺乳類を比較してみると、虫垂を有する哺乳動物のほうが、盲腸内にリンパ組織による高い免疫系が整っていることが明らかだったそう。虫垂のリンパ組織は、特定の良性バクテリアの成長を活性化させ、腸内細菌の培養に役立っていると説明されています。

免疫を高めるうえで、虫垂が重要な役割を果たしているということは、盲腸の手術なんかで切除してしまったらいけないのでしょうか? 通常の生活に支障をきたすことはないそうですが、今回の発表論文では、虫垂切除後に若干の免疫力低下は避けられないと警告されていますよ。病気の快復に、少しですが周囲より時間がかかるといった傾向も観察されているんだとか。虫垂の役割と盲腸の手術における扱いが、見直されることになりそうですよね…。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

もうひとつ

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

虫垂は腸に免疫細胞を供給、虫垂むやみに取らないで、
腸内細菌のバランスを保つために

TITLE:虫垂は腸に免疫細胞を供給、虫垂むやみに取らないで、腸内細菌のバランスを保つために -

URL:http://www.menekiplaza.com/column/tyusui.html

    

盲腸と虫垂を同じものだと思っている人が多くいます。盲腸炎と言うのは古い言い方で、最近は虫垂炎というのが正しいと思っていませんか? 当然、盲腸炎と虫垂炎は異なるものです。

盲腸は小腸と大腸の境目にあり、盲腸の先端にぶら下がるようにくっついている袋状の突起、これが虫垂です。長さは5~10cmで、直径は1㎝にも満たない小さな臓器です。

さて進化の過程で、盲腸そのものを退化させてしまった動物さえ多くいるのに、わずかの痕跡程度ですが、まかり間違えば命さえ危ない「虫垂」が、人の体に何故残っているのでしょう。

虫垂、免疫細胞を供給・腸の免疫力を保つそれはこれまでの研究で知られている通り、免疫の役割が虫垂にあるからです。腸の内壁は極めて薄く養分を吸収しやすい分、異物や細菌にも侵入されやすく、そのために腸の各所に免疫細胞を配置させておく必要から、特に虫垂にその免疫力の任を集中させました。

このように、この小さな虫垂は、大切な働きをしています。虫垂は非常に発達したリンパ組織を持っており、腸内の免疫機能をコントロールしています。

私たちの腸の中には、およそ300種類の腸内細菌が100兆個以上いるといわれていますが、これらの細菌は、互いにバランスを取りながら、腸内の抵抗力を高めたり、消化吸収を助けるなどの役割を果たしています。しかし、腸内細菌のバランスが崩れることもあり、ここで、虫垂のリンパ組織は、バランスを崩そうとしている細菌をすぐさま察知し、白血球を使って攻撃を行います。虫垂は、こうして、腸内の免疫機能を維持しています。

にもかかわらず、これまで、虫垂炎の手術で虫垂をとってしまっても、それで体が弱くなるという事はなく、虫垂が免疫力の機能はあるものの、現代医学はそれを上回る機能を持っている(?)ことから、現代では特に必要としないものとして軽んじて来ました。

しかしここへきて、新たな研究の結果、免疫力を保ち、腸内細菌のバランスを保つ上でも、虫垂をむやみに取らないように、阪大の研究チームが提言しています。


下記の記事は、日本経済新聞の2014/4/11付朝刊「虫垂むやみに取らないで」「腸内細菌のバランス保つ」「 阪大など、治療に応用期待」と言う記事の転載です。


体に必要ない組織と考えられていた虫垂が腸に免疫細胞を供給し腸内細菌のバランスを保っていることを大阪大などのチームがマウスで明らかにし、10日付の英科学誌ネイチャーコミュニケーションズ電子版に発表した。

チームの竹田潔大阪大教授(免疫学)は「バランスが悪くなると食中毒も起こしやすい。虫垂をむやみに取らない方がよい」と話す。腸内細菌のバランスが崩れて発症する潰瘍性大腸炎やクローン病の新しい治療法開発も期待される。

虫垂は盲腸の端から伸びる細長い組織。体内に侵入した病原体などを攻撃する免疫細胞を作る働きを持つ。だが虫垂炎を起こすことがあり、他の病気の開腹手術の際、大きな影響が出ないとして切除されることがある。

チームは虫垂を切除したマウスと、していないマウスを比較。切除したマウスの大腸内では、腸内細菌のバランス維持を担う抗体を作る免疫細胞が半分になっており、バランスも崩れていた。虫垂でできた免疫細胞が大腸と小腸に移動していることも確かめており、虫垂が腸内細菌のバランスを保つのに役立っていることが分かった。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

チュウ吸い やっぱり必要だったのですね~

チュウチュウチュウ ああ 吸いたい

ところで 

昔はドンドン切り取って(∋_∈)シマッタ  扁桃腺 ですが・・・どうなったんでしょうね。

今はもう「必要」だと気づいたのでしょうか? 現代医学ではどうなってんでしょうね?

ね?

 

・・・・・・・・・・・・・

 

へんとうせん・・・・

 








世界医薬産業の犯罪 訳者(太田龍)解説

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 世界秘密帝国の側に立って、世界人間牧場実現のために、医薬産業に従事して居る科学技術者たちにとっては、本書は、最高のタブーの書であり、存在してはならない禁書の一つであろう。太田龍訳者解説より         世界医薬産業の犯罪 訳者(太田龍)解説音声読み上げへ


訳者解説 太田龍

より転載

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

訳者解説 太田龍
    ↑

(1)
 本書、 『世界医薬産業の犯罪〔化学・医学・動物実験コンビナート〕』は、Naked Empress,CIVIS Publications,1982の翻訳である。
 著者のハンス・リューシュは、ドイツ系とイタリー系の血を引くスイス人で、英独仏伊の四ヶ国語に通じ、英語で、多くの小説を公刊している作家である。日本では全く知られていないが、『世界の頂点(トップ・オブ・ザ・ワールド)』という小説(英文)は、三百万部の大ベストセラーとなり、アンソニー・クイーン主演で映画化されたという。
 つまり、もともとは、作家であり、しかも欧米に於ける大流行作家の一人であったようだ。
 そうした(或る意味では、功成り、名遂げて、社会的地位をも得た)人物が、晩年近くになって、なぜ、本書のような(きわめてホットで、大やけどをすること確実な)テーマを取り上げる気持ちになったのだろうか。
 日本には、リューシュに類する大作家を見出すことは出来ない。リューシュは、一九七〇年代に入って、医学界と医薬産業の、いかがわしい実情に関心を抱き、研究を深め、ついに、動物実験(生体解剖)を批判する『罪なきものの虐殺(スローター・オブ・ザ・イノセント)』(一九七六年)という大著を公刊するに至った。
 本書、『ネイクド.エンプレス(裸の皇后さま)』は、その続編であるが、単なる続編というよりは、前著の次元を超えた著述、というべきかも知れない。リューシュは、本書に於て、 「実験動物」云々に限定、局限されることなく、それを切り口にして、現代世界体制の秘密の暗部、その最大のタブー部分を白日のもとにさらけ出す作業に着手したのである。
 このタブーのまん中に、なんと、あの「ロックフェラー財閥」が居たのだ。動物実験医学とロックフェラー財閥の利害は、闇の中で、密接不可分に連結していたのだった。このことは、世間の目からかくして置かなければならない。それ故、ここに、「謀略」が必須となる。
 つまり、リューシュは、恐るべき巨大な勢力(その中核に、ロックフェラーが存在することは明白だ)の仕かける、情報戦争(諜報戦)のまっただ中に、単身、突入して行くことになる。
 リューシュの著作(『罪なきものの虐殺』と、本書)は、現代世界の秘密の(真の)支配権力にとって、なんとしても葬り去らねばならない「禁断の書」となったのである。

    ↑

(2)
 本書には、「ザ.グレイト.メディカル・フロード(医学上の大ペテン)」、という副題が付けられている。
フロード(Fraud)、という英語は、辞書には「詐欺」とか「欺瞞」とかの日本語に翻訳されているが、多分、これは、余りお上品な表現ではなくて、日本語で「ペテン」といった、きついことばなのではなかろうか。


 前著の「スローター・オブ・ザ・イノセント」、の「イノセント」は、イエス・キリストのように、罪なくして死刑に遭う者、の意味が強くひびく。それは、生体解剖される実験動物たちに注目している。しかし、この視点では十分ではない。
 いや、十分でないというよりも、そこには大きな落とし穴が用意されている。或いは、この問題を研究する者を、本筋からわき道に外らす謀略が、ここに仕かけられている、と言うべきかも知れない。その謀略とは、動物がかわいそうだ、という、いわゆる動物愛護のお涙頂だい式キャンペーンである。


 リューシュは、しかし、わき道に外れず、端的に本筋を突いた。
 リューシュは、本書の冒頭で、
「実際、医薬探究の試金石として動物実験を義務づけてきたこの『医学専門家』と呼ばれる集団は、利潤追求に溺れ、人類に多大な空呈母を及ぼしてきた、史上最大最悪のペテン師集団なのである。今日、この主張に同意する医薬関係者が増加しており、本書の目的も、この主張を論証することになる」 (一一頁)と述べている。


 つまり、動物実験的医学界を、人類史上最大最悪のペテン師集団であると断定し、本書の目的はそれを論証することである、という。 リューシュは、医師でもなく、医学専門家でもない。


 彼の右の命題は、なにも、彼自身の独創物ではない。


彼は、動物実験が生理学、医学に義務付けられるようになった、この百数十年の医学関係の文献をくまなく収集し、分析検証した結果、既に、きわめて多くの医師(大学医学部教授を含む)たちが、動物実験が医学上の詐欺、ペテンであると告発し、糾弾していることを発見したに過ぎない(リューシュ編『動物実験に反対する千人の医師たち』参照)。


しかし、なぜ、それにもかかわらず、このような医師たちの説が消し去られ、あたかも、そんなものは存在しないかのような世間の空気がつくり出されてしまうのだろうか。


    ↑

(3)
リューシュの貢献はここから始まる。


つまり、これは単なる医学界に限定された問題でもないし、まして「動物かわいそう」式の、動物愛護のテーマでもない。十九世紀後半に始まる、石油産業資本の秘密の謀略、それこそが、問題であったのだ。

 


通常、動物実験に批判的な医学専門家たちも、そこまで深く追求はしない。リューシュは、どこまでも真実を追求する、練達の作家、著述家として、一つの国にとらわれず、欧米及び全世界に調査研究の網を広げた。


医学専門家たちには、すべての「専門家」がそうであるように、視野の狭さがある。そこで、彼らには、十九世紀後半以降、医学界を襲う怪物の全体像が見えない。この怪物が、いかなる最終目的と、大戦略を以て医学界を料理しようとしているかが見えない。


リューシュは、ここに、化学工業シンジケート、医学シンジケート、動物実験シンジケート、という、三つのシンジケートと、その結合体を見出した。リューシュは、「第四章、権力の実像」で、アメリカ入独立ジャーナリスト、モリス・ビールの『驚くべき薬の話』(一九四九年)という著作を詳しく紹介している。


ビールは、そこで、アメリカ最大の財閥ロックフェラーの石油会社が、製薬工業に進出し、これを支配下に置くプロセスを解明したという。製薬工業は、化学シンジケートの一部である。そして七大石油メジャーは、石油化学(石油を原料とする化学工業)の創業によって、化学産業と結びついた。


大量生産される薬は、消費=販売されなければならない。
つまり、薬の市場が創出されなければならない。

これは、ロックフェラー財閥の至上命令である。そのためには、治療とは反対に、病気が、無理矢理つくりだされねばならない。これが真実なのだ。


もちろん、彼らのこの本音、本当のことは、決して、大衆に知られてはならない。謀略が不可欠カネだ。ロックフェラー財閥は、金の力で、インテリ学者を買収し、マスコミを買収し、教育機関を買収し、大学医学部をまるごと買収する。これが、十九世紀末から二十世紀初頭のアメリカに、現実に生じたことだという。その魔界は、アメリカから全世界に拡がってゆく。



(4)
それでは、この化学(製薬)・医学・動物実験コンビナートは、いかなる役割を負わされているのだろうか。
アメリカ、ニューヨーク州、ナイアガラフォールズの医師J・W・ホッジ博士は、
「アメリカ医師会(AMA)は、――歴史上類を見ないほどに傲慢、危険、かつ専制的な組織」
(一七七頁)である、と言い、

また、リチャード・クニーズ博士は、「AMAは、アメリカ医師会(アメリカン・メディカル・アソシエーション)ではなく、アメリカ殺人協会(アメリカン・マーダー・アソシエーション)だ」と公言し、AMA大会の場で、自分の会員証を焼き捨て、『金か命か』(一九四七年)というAMA告発本を著したと、リューシュは記している。


動物実験は、まさに、このアメリカ医師会こと、「アメリカ殺人協会」の正体を蔽いかくす仮面であり、カムフラージュ(迷彩)なのである。


リューシュは、しばしば「もはや現代欧米の動物実験医学は、科学ではなくて宗教である」、と糾弾しているが、


ここに、彼が「宗教」という意味を、ありきたりの宗教と取るべきではない。
それはむしろ、「黒魔術」と記述すべきではなかろうか。


つまり、今日の欧米の(とりわけ、その「最先端」はアメリカだが)動物実験医学の医師たちは、「黒魔術師」以外のなにものでもない。
そして彼らの「黒魔術」テクノロジーの本体こそが、動物実験=生体解剖なのではなかろうか。

 


一説によると、世界人間牧場(大衆を家畜人として飼育する牧場システム)の完成を目指す、世界支配の陰謀組織、フリーメーソンの頂点は、ロスチャイルド家であり、そしてこのロスチャイルドに、世界中の何万人という黒魔術師が直結しているという。


地中海周辺の諸文明は、どういうわけか、悪魔とその魔術(黒魔術)の大群を生み出した。或いは、この土地の自然条件に、問題があるのかも知れない。
r

 


この地域で、数千年にわたって蓄積されて来た黒魔術(悪魔学)の、今日的発展形態が、クロード・ベルナール創始にかかる動物実験医学である、と見てよいだろうか。


リューシュは、ここまで見ているわけではないが、「現代医学は科学でも技術でもない、人を救うよりも殺すことの多い偶像崇拝の宗教である」(一八〇頁)、というリューシュの言を、私は、そのように読んでみたいのだが。

  



(5)
しかし、我々は、「化学(製薬)=医学=動物実験コンビナート」は、もう一歩、踏み込んで考察すると、そこに、「マスコミ」を含めなければならないことに気付く。
つまり、
「①化学(製薬)=②医学(教育を含む)=③動物実験=④マスコミ」コンビナート、
としなければならないのではないか。


この四ヶ軍団の共同結合体(コンビナート)の威力はまさに天下無敵だ。

こうなると、この力に打ち負かされないものはこの地上に存在しない、とさえ思えてくる。この「システム」を、まっさきに確立したのは、二十世紀初頭のアメリカである。

アメリカから、イギリスとヨーロッパ大陸へ、そして日本を含む全世界へ、それは輸出されたもののようだ。


しかし、ここに一つの問題(或いは、この犯罪コンビナートにとっての障壁)が生じた。それは、イギリスでは、クロード・ベルナールの動物実験的手法がフランスで時流に乗って台頭して来た直後(一八六〇年代)に、ベルナールの助手をしていた医師を中心に、激烈な動物実験全廃の運動が起き、かなり強力なものとして発展もした、という事情である(この辺のことについては、拙著『声なき犠牲者たち動物実験全廃論』〈一九八六年、現代書館〉にやや詳しく紹介してある)。


この、動物実験禁止運動の結果、全面禁止の要求は斥けたものの、英国議会は、一八七〇年代に、文章の上では、動物実験に、かなり厳しい歯止めをかける法律を可決した。


そして、BUAV(英国動物実験廃止連盟)などの運動団体が何万人という会員を集め、各界の有力者(ヴィクトリア女王を含む)の支持を得て、強力な運動を展開していたのだった。
そして、イギリスにならって、順次、ヨーロッパ大陸諸国にも、同次元の動物実験禁止を要求する運動が成立している。


そこで、アメリカ型の「システム」をヨーロッパに首尾よく移植するためには、こうした、動物実験廃止の団体を、うまく料理する(無力化する、無実化する)必要が生じることになる。


リューシュの大きな功績の一つは、この「システム」の謀略を、見事に、徹底的に見破ったことにあるのではなかろうか。
リューシュは、それを、「潜入的浸透(インフィルトレーション)」ということばで表現している。
このリューシュの洞察によって、我々のこのシステム=犯罪コンビナートについての状況認識は、飛躍的に深められた、と、私は評価している。



    ↑

(6)
従って、我々は、リューシュによって、
「①化学(製薬)=②医学=③動物実験=④マスコミ=⑤動物実験反対運動への潜入的浸透(そして、必然的に、この反対団体を変質させ、逆に、動物実験陣営の道具に変えてしまう)」コンビナート(共同結合体)、
という図式を与えられる。


まさにこの悪魔の五者共闘、ともいうべき構造が、二十世紀の初めから一九六〇年代にかけて、この約半世紀の間に、イギリスを含むヨーロッパとそしてアメリカで、完成されたものの如くである。


リューシュが、前著『罪なきものの虐殺』を書いたときには、未だ、この構図の全体、とくに、「潜入的浸透」と構造は見えていなかったのではなかろうか。


しかし、その直後からの、見えざる敵=「システム」との大会戦の教訓を、リューシュはよく学んだらしい。本書では、ほぼ、前出のコンビナート五者共同体の構図が浮き彫りにされている。
インフイルトレ ションリューシュの戦いの主要なものの一つが、「潜入的浸透」の国際謀略の暴露と摘発に向けられざるを得ない。
それでは、この「国際謀略」の奥の院には何者が鎮座しているのだろうか?


リューシュは、そこに、アメリカのCFR(外交関係評議会、カウンシル・オン・フォーリン・リレーションズ)を見出した。CFRは、『フォーリン・アフェアーズ』という機関誌を発行して居り、最近、『中央公論』誌が、その全論文の日本語訳を毎号連載する契約を取り決めた。


しかし、アメリカに於けると同じく、日本でも、その名は、世間には殆ど知られて居ない。にもかかわらず、第一次世界大戦後に、ロックフェラー家によって設立されたこの機関は、事実上のアメリカの陰の政府である。


そのメンバー(現在二、三千人程度か)は、ロックフェラー財閥によって指名され、金融界、産業界、マスコミ、教育、学界、宗教界、芸能界、軍首脳、法曹界、議会、など、ようするにアメリカを動かすすべての実権者たちを網羅して居る。


過去七十年のアメリカ大統領と行政府高官の、殆どすべてが、CFRの会員から供給されて居る、とされる(アメリカの現大統領、ブッシュ氏も、もちろんCFRのメンバーである)。


ついに、リューシュは、動物実験問題をたぐり寄せて行くうちに、とてつもない巨大な化け物の尻尾をつかんでしまったわけだ。


事は、センチメンタルな「動物がかわいそう」式、の、うさんくさい、偽善的な、いわゆる動物愛護問題の次元ではなくて、現代世界と人類の命運にかかわる、きわめて重大な文明のシステム、体制問題の次元に深められたのである。

    ↑

(7)
私はここで、エイズがアメリカ政府の生物兵器として(動物実験によって)開発された、という説を取り上げなければならない。リューシュも、本書の二九二頁以下で、それに触れて居る。最近では、『ビッグ・デイズ』(大阪日日新聞発行)創刊号が、この件についての、驚くべき内部告発記事を翻訳掲載して居た。


この記事によれば、カーター大統領の命令によって、アメリカの過剰(不要)人口のスムースな殺戮処分のための兵器として、エイズ・ウィルスが動物実験的に開発された、というのだ。そして、その後、この開発に従事した研究者約百人が、続々と変死を遂げて居る、というのだ!


この世のものとも思えない悪魔的なひびきを持ったストーリーだが、しかし、本家本元のアメリカで、ロックフェラーら、陰の地下政府のコントロールするマスコミがこれを黙殺すれば、この事件は存在しないことにされてしまう。


前出の記事によれば、エイズ・ウィルスの開発にかかわったこの内部告発者自身も、生命の危険に脅えているという。
けれども、こんなことぐらいでびつくりしてはならない。


実は、H・G・ウェルズやラッセル(いずれも、二十世紀前半の、イギリスを代表する高名な大作家、大思想家として世間から尊敬されて居る)のようなお歴々が、将来、過剰人口処分(殺戮処分のこと)のために、微生物兵器の製造・使用が必要になろう、と明言しているというのだ。


いや、更に恐るべき超秘密文書が出て来た。


「沈黙の兵器――第三次世界大戦へのマニュアル」(一九七九年)、という、五十頁余の機密文書が、アメリカで偶然の機会に発見され、公刊されたのだ。


それによると、一九五四年に、某所で、国際エリートの会議が開かれ、そこに於いて、全世界の大衆の完壁な奴隷化と、適切な人口計画のための大量殺繊処分を目的とした、第三次世界大戦の宣戦布告が行なわれた、というのだ。そしてこの第三次大戦は、静かな戦争であり、そこで使われるのは、コンピューターや生物的心理的兵器である、とされるのだ。

 


カーター大統領のエイズ・ウィルス開発命令は、この線上でのみ、合理的に了解出来るのではなかろうか。


そして実に、「化学=医学=動物実験=マスコミ=ニセモノの動物実験反対運動」のコンビナートは、秘密の地下世界帝国の第三次世界大戦遂行の不可欠の要素として機能して居るとも考えられるのだ。

    ↑

(8)
ここに、『エイズ――アメリカを締めつける包囲網』(スタンレイ・モンティス医学博士、一九九一年、アメリカ)、という一冊の著作がある。


本書の著者は、三十年間、カリフォルニアで整形外科医を開業して来た高名な医師であるが、一九八〇年代に、エイズの危険を警告して精力的に訴えたにもかかわらず、レーガン政権も、学界も、マスコミも、実質的にはなんの対策も取らず、エイズの拡大を放置するという、了解不可能な対応しか返って来なかった、と結論付けている。
もしこれがアメリカをコントロールする世界地下帝国の謀略であるとすれば、すべて符節が合うことになる。


「罪なきものの虐殺」とは、断じて、「罪なき動物たちの虐殺」、などと翻訳されてはならない。
このような日本語訳は、問題を矮小化し、結局は、リューシュの真意をないことにしてしまう謀略の片棒をかつぐことになるのではないか。


問題の犯罪シンジケートによる大虐殺は、動物たちに限らない。リューシュが、本書で強調しているように、この犯罪シンジケートは、「合法的大量殺人」の意図を抱いている。つまり、大虐殺の対象には、まさに、人類が含まれているのである。しかし、「合法的」ということばに注意しなければならない。


合法的に殺人をなし得るものは、国家権力以外にない。
百七十余の国家群のうち、最大なるもの、超大国は、今や、アメリカ一国である。このアメリカの国家を、或る地下秘密結社がコントロールして居るとすれば、この謀略機関は、アメリカ政府を通じて全世界に一つの権力を打ち立て、この世界帝国に、過剰人口処分の合法的権限を与えようとするのではなかろうか。


そして、この処分をスムースに遂行させるテクノロジーの開発を、動物実験的医学に命じるのではなかろうか。


沼正三氏の『家畜人ヤプー』というSF小説は、我々の推理を進めるのに、大変、役に立つ。つまり、「システム」にとって、「動物実験」の主流は、今や、分子生物学、遺伝子操作、生命工学、そしてマインド・コントロールの領域に移されて居るのであって、一九八〇年代のエイズ・ウィルスは、この潮流の先駆的兆候の一つに過ぎない、とも考えられるのである。


これ程の恐るべき悪魔的な「仕事」(大殺戮と、そして家畜人ヤプー化)をやってのける科学者、医学者たちが、この世に存在するものだろうか、などと疑うのは、ナイーヴ過ぎるのではなかろうか。

  


(9)
私は、動物実験(実験動物)は、家畜制度の最新の位置形態である、と見て居る。従って、家畜制度の枠組みを容認したままで、動物実験を否定し切るわけにもゆくまい。動物実験を禁止するためには、家畜制度そのものの廃止を日程に上せなければならない。


そもそも、家畜制度とはなんだろう。
それは、人間が動物界に宣戦布告し、動物社会と永久の戦闘状態に入ることを意味しないか。


しかし、人間は、まぎれもない動物社会の一員だったのではないか。動物界と絶縁して、それを敵と見ることによって、必然的に、人間は、植物界とも戦闘状態に入り、更には、微生物をも敵とせざるを得ない。これこそ、「人間の神への反逆」、「ヒュブリス(傲慢)の罪」でなくてなんであろうか。


しかしながら、この家畜制度の論理をどこまでも突き詰めてゆくと、必ず、それは、人間社会それ自身の内部に持ち込まれざるを得ない。ということは、人類が、貴族、選民、エリート、権力者と、家畜人の群れ、とに分裂し始めることを意味する。


この傾向は避けられない。そして、太古の時代はごく微々たる流れでしかなかったのが、時と共に膨張し、ついには、収拾つかないような圧倒的な勢いに転化する。


動物実験は、生体解剖(ヴイヴィセクション)、と言わなければならないが、この手法の創始者、クロード,ベルナールに於いては、最善、最良の生体解剖の材料は、人体でなければならない。


だから、動物実験、という言い方が、ものごとを曖昧にさせるのである。

 


沼正三氏の『家畜人ヤプー』では、生体解剖用の専門ヤプーがつくられることになっている。例テストロヤベノトライヴトランスプラノトえば、病理実験用倭人、生体移植臓器の供給源、病態展示保存畜人などが列挙される。こうした家畜人ヤプーの医学的利用によって、白人の平均寿命は、二百歳に延び、しかも寿命の尽きる直前までの健康を享受できるようになった、などという。


こうした状態を、「世界人間牧場」、と名付けることも出来るかも知れない。
ロックフェラーらの世界帝国(新世界秩序、ワンワールド)の意図するものは、国際エリートによる大衆の家畜人化の完成、ではないだろうか。


そして、他ならぬ問題の我が動物実験医学は、大衆を世界人間牧場に巧みにかこい込むためのテクノロジーではないのか。

    ↑

(10)
従って、本書は、前著(『罪なきものの虐殺』)を更に一歩深めて、あくまでも、世界地下帝国の犯罪、その正体を突く告発レポートであり、この世界帝国の必須の「部を成す、化学H医学目動物実験シンジケートに対する正義の戦いのための書であって、動物愛護の書、動物愛護家のための著作ではない。
それ故、いわゆる動物愛護家(欧米白人文明がつくり出した、鼻持ちならない、欺髄的偽善的スタイルとしての)には、本書は縁がないと、はっきり、言って置かなければならない。


こうした、近代欧米文明の産物としての動物愛護家たちは、「戦い」を好まない。しかし、

リューシュは、全身これ闘志である。そして本書は、世界医薬産業と、その背後の世界地下秘密帝国の支配体制に対する、高貴な戦闘、神聖なる戦いの記録である。そして、


このような聖なる戦いに共鳴し、共感する人々に対しては、本来は、尽きせぬ教訓と、知識と、激励を与えるであろう。


しかし逆に、世界秘密帝国の側に立って、世界人間牧場実現のために、医薬産業に従事して居る科学技術者たちにとっては、本書は、最高のタブーの書であり、存在してはならない禁書の一つであろう。

 

 


私は、一九八〇年以来、東洋医学(漢方医学、自然医学)を、よりすぐれたものとする立場から、西洋医学の動物実験を全面禁止すべきである、と主張して来た。
一九八五年には、『家畜制度全廃論』(新泉社)を公刊し、また、ヨーロッパへ旅行してその地の動物実験廃止運動と交流し、日本で初めて、動物実験即時全面禁止の運動を創始した。
この運動はいま、「日本動物実験廃止協会」(機関誌『コンパッション』、一九九二年十月までに、四十八号発行)として結実している。
一九八五年、ヨーロッパ旅行中に、リューシュの存在を知った時から、彼の著作を日本語で紹介しなければならない、と思い続けて来た。
ここに、『ネイクド・エンプレス』の日本語訳が公刊される運びとなり、喜びに堪えない。
なお、残る、リューシュ編の『動物実験に反対する千人の医師たち』、更には、イタリーのクローチェ教授(医師)の『動物実験か、科学か』などの日本語訳も、日本の心ある読者の皆さんに紹介できる日の近いことを祈りたい。


また、リューシュの研究・著述の重要な主題の一つである、動物実験反対運動(一般には、動物インフイルトレ ション愛護運動)への、地下秘密世界帝国の潜入的浸透の実態については、前出の『コンパッション』誌に、詳細に紹介され、また、論評されている。


その中でも、とくに重要なケースは、「世界動物保護協会」(WSPA)、及び、『動物の解放』の著者として有名な(或いは、地下世界帝国のコントロールするマスコミによって持てはやされている)、ピーター・シンガー教授(オーストラリア)であろう。

  (中略)


興味のある方は参照して頂ければ幸甚である。

一九九二年十二月

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

35年前のアメリカの事情

が・・・

イマでしょ! ニッポン!アチャチャ~

 

 家畜人ヤプー

 ぁ 家畜人 アポン?

 

 追記

ところで

「陰の政府」とか「地球支配層」とか、いわゆる陰謀論(これもCIAが真実を隠すために創作した陰謀というが、陰謀と真実をごった煮にしてしまう大衆操作に抜群の言葉であろう。なお、「科学的」という言葉にも同様な意味があるらしい。)

そんな話がこんにちではマスコミに報道され始めたというから、もう隠しきれない時代に入ったようですよ~~~。

コーリーグッド氏の情報とかで裏話が聞けます。もっともあまりにも破天荒(まさに驚天動地の話が多いので、まさかの魔坂とされやすい)過ぎて、直ぐには脳が受け付けないでしょうが・・・・

その「陰の政府」の記事

In Deepブログより

FBIが「アメリカの影の政府」の存在を発表し、そしてその影の政府メンバーたちが政権から追放されている・・・という事実は「地獄の夏」が近いことを示す?

 

こんな時代に入ったんだね。

  

 

 

 

 

予防接種 、インフルエンザ・ワクチン、BCG接種その他

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 予防接種については参考に予防接種神話の嘘 統計上のトリックだった!?の記事も

 

PART3 健康への脅迫より

予防接種 『罪なきものの虐殺』への追補●BCG禍人間モルモット――『罪なきものの虐殺』への追補貧しい国からの搾取●『マザー・ジョーンズ』より●ヨハネ・パウロⅡ世のメッセージ

より転載

 

この「世界医薬産業の犯罪」は1985年までの資料から書かれたものです。

 

 ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

予防接種 『罪なきものの虐殺』への追補

予防接種の効果を正確に評価するのは困難である。接種されたグループとされないグループ(対照グループ)を十分な人数で実験し、統計的に有意な分析結果を出すことが不可能だからである。


それゆえに、予防接種の効果は好意的に解釈しても、はっきりしないというところだろう。


一方で「衛生」の効果には、はっきりと歴史的評価が与えられている。中世以降、ヨーロッパを荒廃に追い込んだ度重なる疫病の大流行がようやく下火になった原因は、予防接種ではなく衛生観念の普及だった。疫病が衰えを見せ始めたのは予防接種の始まる半世紀も以前だった。しかし衛生観念の導入と疫病の衰退はちょうど時を同じくする。この点に関して、医学史の専門家たちの見解は一致する。


予防接種の効果の評価が曖昧であるという状況は、また、化学・医学・動物実験シンジケートに手前勝手な主張を言いやすくさせる状況でもある。

つまり、

効果ありの統計的証明ができないということは
効果なしの証明もできないということだからである。

 

 ( ※ 参考に →  予防接種が感染症死亡率を減少させたという嘘


 

 

ところが、手前勝手な主張も、それが医学エスタブリッシユメント――大学教授、研究所長、保健官僚など――から出されると、国民はその主張が事実であり真実であると頭から信じ込んでしまうものなのである。
ポリオを例にとってみよう。ポリオが予防接種によって根絶されるものではないという決定的証拠が医学文献を賑わしている。
むしろ、集団接種が導入された地域ではどこでも、ぶり返し、あるいは初期増加が見られるという。この顕著な例がブラジルだろう。ブラジルでは、集団接種が始まるや否や、空前のポリオ大流行がおこったのである。
にもかかわらず、このような事実は医学界では故意に無視される。というのも、予防接種神話は、化学・医学シンジケートにとっては、癌鉱脈にも匹敵する確実な収入源だからである。
ジュネーブのWHO(世界保健機構)は、セービンワクチンこそがポリオ撲滅の立役者であるとするセービン自身の論文を発表し、同様の内容のソークの論文も出している、ということを申し添えておこう。一方フランスでは、ソークワクチンもセービンワクチンも両方とも問題にされない。
というのは、パスツール研究所自前のワクチンを差しおいて、よその国のワクチンにお金を出すことなど考えもしないというだけの理由である。自前のワクチンとは、研究所のかつての所長ピエーマール・レピンの名をとってレピンワクチンと呼ばれているもので、ソーク、セービンをはじめとするこれまでに生み出された各種のワクチンと同様、まったく無益かつ危険な代物である。
動物の細胞から作られたこれら各種のワクチンが危険なのは、それが動物に由来するからに他ならない。中には発癌性が証明されたものもある。これが、ヒト細胞を使ったワクチンを生み出すきっかけとなった。このヒト細胞ワクチンには発癌性はまったくない。とは言うものの、すべてのワクチンには危険性がつきものであることは否定できないが。
フィラデルフィア(後にスタンフォードに移転)のレナード・ヘイフリック博士によって開発された、このヒトニ倍体細胞株を使ったポリオワクチンについては『罪なきものの虐殺』に詳しいので御参照いただきたい。はじめから動物を使う方法が法律で禁止されておれば、このような危険のより少ないワクチンがもう何十年も前に作り出されていたことだろう。アメリカのメルク研究所のウィルス生物学研究部長モーリス・R・ヒルマン博士が『アメリカ呼吸器疾患評論』(90:683,一九六四年)に書いたものを御紹介しよう。

二倍体細胞のもうひとつの利点は、動物培養細胞には自然に存在しているウィルスの汚染がないという点である。事実、もしこのような二培体細胞がもっと以前に入手できていたならば、ポリオその他のワクチンにサルの腎臓が使われたかどうか大いに疑問である。

さらにヒルマン博士によれば、二倍体細胞は動物細胞では増殖しないウィルスを増殖させるという。
これは、普通の感冒の原因とされ、特別なコントロール方法のないライノウィルスなどの不活性化ウィルスおよび生ウィルスワクチンの開発の可能性を開くものだろう(『サイエンス』143(3606):976,一九六四年二月二十八日)。

***
アメリカでの豚インフルエンザ予防接種禍についてはお聞きになったことがあるだろうか。大流行すると宣伝されたにもかかわらず、流行らず、かえって予防注射による死者までが出てしまい、フォード大統領にとっては思わぬ失点になってしまった事件である。何千人という犠牲者やその家族がアメリカ政府を相手どって訴訟をおこし、多額の補償金を勝ち取っている。
この種の予防接種禍は、医学界がその権力をほしいままにしているような国では珍しくもない。
毎年秋になると、ヨーロッパ中の薬屋にはこんな広告が出るではないか。「インフルエンザの大流行間近か!予防注射を受けましょう!」。そして、宣伝に乗せられやすい人々は列をなして予防接種を受けるのである。今では医学体制派でさえも、インフルエンザの予防注射は大きな危険が伴う割には、予防の効果がないという点を認めているのに、この有様なのである。
一九八一年十月一日、フランスで開かれていた予防接種禍裁判において、パスツール研究所前所長メルシエ教授に、なぜ研究所がその無用性が広く認識されているインフルエンザワクチンの製造販売をいまだに続けているのか、という質問が向けられた。その時の教授の正直すぎるほどに正直な答である。「研究費の助けになるからです」。

●BCG禍

製薬業界の番犬とも言うべきマスコミが、ポリオワクチン禍の全貌を明らかにするまでには、まだ二〇~三〇年は待たねばならないだろう。
しかしポリオ同様に一般的なワクチンである結核ワクチンBCGの実態は、現在明らかにされつつある。BCGの問題がもはや無視できる段階ではなくなってしまったためである。
一九五〇年、BCGの無用性危険性を主張する医師グループの激しい反対を押し切って、フランス政府はすべての学童にBCGの接種を義務づけた。これはパスツール研究所にとっての、莫大なたなぼた式利益を意味した。
当時、国民にBCGを押しつけようと画策していたフランス政府のあの手この手を、医療関係者たちが記録に残している。その中でも目を引くのがマルセル・フェルー博士の『BCGの失敗』だろう。フェルー博士は一九八一年現在八八歳。ポワティエ出身の小児科医で、国立医学アカデミーの会員である。七七年『BCGの失敗』を自費出版した。この中で彼は、BCG義務化の初期の頃は彼自身も関係者たちの宣伝にのせられ、自分の子供たちにもBCGを受けさせたこと、しかし下の方の子供の時には接種を拒否し、孫たちの頃には接種を妨害さえした、との体験を綴っている。
これは彼自身、そして同僚たちの経験を総合して出した結論だったという。
さらにこの本には、ポワティエ医学校学長選挙立候補とりやめの経緯も出てくる。同僚に強く推されての立候補で、当選は確実と見られていたが、立候補を取り下げない場合は拒否権を発動するとの保健相からの圧力がかかったという。理由はフェルー博士のBCGに対する姿勢にあったのは言うまでもない。

イギリスの製薬・医学シンジケートの御用雑誌『ニューサイエンティスト』が、七九年十一月十五日、「インドの裁判で結核ワクチン敗訴」という長文の記事を多少当惑げに掲載した。インド政府が要請したある調査の結果を、それまで隠していたが、公表せざるを得なくなったのである。記者はニューデリー、K・S・ジャヤラマンとなっている。

インド南部で開かれた結核ワクチンBCG評価の裁判で、驚くべき事実が明るみに出された。
ワクチンは「バチルス性結核には予防効果がない」というものである。この徹底的かつ仔細な調査は、WHOおよび米国の協力を得て、インド医学研究協議会(ICMR)が一九六八年から行なっていたものである。

この発見によって引きおこされた現場の困惑は、次の文からも伝わってくるではないか。
このBCG裁判は昨年終了していたのであるが、その余りにも驚くべき結論のために、インド政府は、インド、WHO双方の専門家が、ニューデリーとジュネーブで数度の会合を重ね、その結論のもつ意味を十分に分析し終わるまで、発表を遅らせていたものである。

次の文面はさらに興味深い。

BCG接種を受けたグループでの結核発病率はわずかながら、対照グループ(BCG接種をしないグループ――訳注)のそれよりも高い。ただし統計的に有意な数字とは言えない。これにより、BCGの予防効果は「ゼロ」と結論された。

「統計的に有意でない」と言いわけがましく付け加えてみても、BCG未接種の人々よりも接種した人々の方が、結核罹患率が高いという事実を糊塗することはできないだろう。実は、この結核発生率のパターンは、一般的伝染病発生率パターンを踏襲しているにすぎない(ただし医学界体制派はこれを見て見ぬふりを決め込んでいるが)。
すなわち、ある伝染病の集団予防接種が開始されると必ずその発生率は急上昇する、その後下降に転じて徐々に接種以前のレベルに落ち着くというものである。そのため、発生率をグラフにする場合、接種直後の急上昇の頂点を初年度にとれば、その後は発生率が下がっていると読めるのは当然だろう。その際初年度以前の発生率が低かったという点を指摘する人などいないのである。
この数字のごまかしは、ポリオに関してとくに甚だしかった。ソーク、セービンワクチンが導入された時には、ヨーロッパでのポリオ流行はすでに一段落した後だったのである。一方、熱帯を中心とする地方では、ワクチンが用いられているにもかかわらず、あるいはワクチンが用いられているがゆえに、今日なおポリオは増加の傾向にある。
しかしながら、司法官であると同時に行政官でもあると自認している化学・医学・動物実験コンビナートにとって、自らの敗北を認めなければならない理由などまったく見出せなかった。八一年一月末、WHOさえも思いのままに操っている彼らは、ようやく例のインド発のニュースのショックを和らげる方法に辿り着いたらしい。「国際連合」の名のもとに、スイスのマスコミが次のように報じたのである。「さきのインドのBCG裁判について調査を行なっていたWHOのふたつの専門家グループは、BCG接種をこのまま継続するのが適当であるとの結論に達した」(まったく同じ時期に、母乳の代用として粉ミルクを使用することを、WHOの三〇名の委員が承認した、と報じられている)。

人間モルモット――『罪なきものの虐殺』への追補

単純に人道主義的立場から発言する人々というのは、医学研究者からは、感情的すなわち非科学的と見くびられがちである。しかしそれらの人々とは一線を画する、十分な医学的素養を持った人人も、動物実験に反対し、同時にすべての人体実験に対し、反対の声を上げている。
今日行なわれている医学実験の大部分はまったく無益だと言えよう。その理由として、第一に、健康を支配する基本原理は実験で確かめなくとも、常識として理解されているからである。
第二に、実験では過激な手段によって人工的な病気状態を作り出すが、このような不健康状態は、生体の内部から自然発生的におこるそれとは決して同じではないからである。
それでもなおかつ、実験による医学研究は増加し続けている。これは、この方法が確実に経済的プラスをもたらすからだろう。そして、たとえ医学の正道からはずれ、健康をよりひどく損なわせることになったとしても、少なくとも研究者個人の好奇心を満たすことができるからだろう。
実験者たちは「イヌか赤ん坊か」という殺し文句を使って、自分の無意味な実験を弁護してきた。
しかし現実には、彼らはイヌも赤ん坊も使う。赤ん坊の方はもちろん事なく済ませられる場合だけである。実験者の多くは、イヌでは正確な解答が出せないことを知っている。それで赤ん坊を使いたがるのである。公共施設に収容されている孤児、身よりのない呆け老人、刑務所の囚人、場合によっては心理的経済的に圧力をかけやすい弱い立場の人、そして何も知らない一般の病人をだますということすらある。この問題に関しては『罪なきものの虐殺』の中で、完全とは言えないまでもかなり詳しく述べたつもりである。しかし『罪なきものの虐殺』以後、状況はさらに悪化している。
現在アメリカでは、少なくとも二五の州で囚人を医学実験に使うことが認められている。ペンシルヴァニア州だけでみても、バックス郡刑務所、ランカスター郡刑務所、ホルムズバーグ刑務所、バークス郡刑務所、ノーザンプトン刑務所、デラウェア郡刑務所、レバノン郡刑務所、フィラデルフィア教護院、チェスター郡農場刑務所などが実験に参加している。
一九七八年八月号『ナショナル・インクワイアラー』に、クリス・プリチャードの「製薬会社、患者をだましてモルモットに」と題する記事が載った。

食品医薬品局、科学調査部の医官であるマイケル・ヘンズレイ博士が明らかにしたところによれば、生まれてくる赤ん坊に呼吸障害をおこす可能性があるということを知らせずに、妊婦たちに、ある種の鎮痛剤を与えていた研究者がいたという。実際に、この研究の目的は「新生児に軽度の呼吸機能低下をおこさせる」ことにあったという。そしてさらに別の薬剤がその治療に有効かどうかを調べるために……。

***
「動物実験はサディズムである。そしてこのサディズムによって教育された医者たちは、大衆にとっての最も深刻な懸念さえも正当化してしまう」と言ったのは、フランス人医師G・R・ローランである。今から二〇~三〇年ほども前のことである。さらにそれよりかなり以前、一九一二年に、ドイツ人医師ヴォルフガング・ボーンは次のように書いた。ローラン、ボーン両者の言葉は、今日見ても予言的だったという他はない。
「動物実験の公に言われている目的は、どの分野においても達成されておらず、将来においても達成されないであろうと予言できる。それどころか、何千人もの人間を殺してきた。動物実験の拡大がもたらしたものは唯ひとつ科学の名を借りた拷問と人殺しのみである。おそらくは、この人殺しは今後も増え続けるだろう。なぜならば、それが動物実験の論理的帰結なのだから」
実験室内で日常的に行なわれている動物実験は、実験者の医学的理解力を鈍らせる以上に人道的感性を鈍らせる。これを証明するリポートは、医学文献中には目白押しだが、一般の人々の目に触れるような報道はほとんど行なわれない。次に引用するのは、一九七九年二月一日、オーストラリア、シドニーの『シドニー・シャウト』に載った例外的とも言える記事である。

シドニーで、数名の多動児の異常行動を抑えるための脳外科手術が行なわれた、と州政府に報告があった。「頭を壁に打ちつける癖のあった少年に脳手術が行なわれたが、この手術によって少年は廃人同様になる可能性がある」とニューサウスウェールズ州人権擁護委員会コーディネーターのレックス・ワトソン氏が本紙記者に語った……。
このような手術の副作用のひとつとして考えられるものに視野の二五パーセント狭窄がある。
またワトソン氏によれば、一般の手術に比べ死亡率も格段に高いという。
人権擁護委員会の調べで、これらの手術はすべてプリンス・ヘンリー病院神経精神科で行なわれたことが確認された。手術は大脳辺縁系に対し行なわれるもので、これは記憶や思考に影響を与える旧式のロボトミーとは異なる。しかし医療関係者の中には、この手術は、人間の基本的本能を歪めるものだと考える人々もいる。
現在調査中の患者の一人は、手術後、四回も自殺を図っている。

『精神衛生』一九七三年三月号に、ワシントン大学精神医学部精神医学技術調査グループの代表であり、開業医でもある、ピーター・ロジャー・ブレギン博士が次のように書いている。

またまたロボトミーと精神外科手術のニュースである。フィラデルフィアでひとりの黒人男性がヘロイン中毒で死亡したが、この男性の頭部に奇妙な傷あとがあるのに気づいた新聞記者がいた。これは、彼の脳の一部が、麻薬中毒治療のための試験的手術で灼かれた時できた傷だった。
記者は執刀した神経外科医を捜し出した。この医師は死んだ中毒患者の男性に手術を試みる前に、サルで実験を行なっていたというが、その実験は不完全なものであったことを認めた。

ケンタッキー州ルイスヴィルでは、三〇歳の女性が前頭葉白質切裁術が原因で失明した。患者は医師を相手どって訴訟をおこしているが、原告側の証言によれば、この女性の頭痛の原因は心因性であったにもかかわらず、精神療法のチャンスをまったく与えられないままロボトミーが施されたという。
ミシシッピ州ジャクソンでは、神経外科医が、多動児数人(最年少は五歳)に脳の切除手術を行なった。そのうちの一人には、電気凝固を五~六回行なったと執刀医は話している。この子供は手術後かなり扱いやすい患者にはなったものの、知能は低下しているという。手術を受けた子供たちの人種について、医師は明言を避けているが、病室を垣間見た人の証言よれば、三人は黒人だったという。
うつボストンでは、鬱病の女性が電極の埋め込み手術を数回受けた後、それ以上の手術を拒否し、外科医、精神分析医両者に激しい怒りをあらわにした。この女性はその後すぐに自殺したが、医師たちはこれを「満足のいくケース」と報告している。すなわち、この女性は鬱病からは回復していた、さもなくば自殺するエネルギーもなかったはずだから、というのである。
さらにボストンで、ふたつの大きな電極で脳を串ざしにされたまま一年間放置された患者たちがいる。この電極にはさらに四〇個ほどの小さな電極がついており、それらで脳を刺激したり脳波を記録したりした。リモコン実験のために一年間そのままの状態が続けられた後、神経外科手術が行なわれた。
タラヴでは、同性愛好者にポルノ映画を見せ、彼らの「快楽中枢」に刺激を与えるという実験を行なった神経外科医がいる。彼らを異性愛好者に転換させるために行なったのだという。この神経外科医は、「人の患者に同時に一二〇もの電極を埋め込むという非公式「記録」ももっている。
ボストンの神経外科医グループが『アメリカ医師会誌』に、スラム街での暴動は政治要因のみによって引きおこされるのではなく、暴徒たちには何らかの脳障害があると考えられるという主旨の論文を載せた。司法省は、個人のうちに潜むその暴力的性向を見つけ出す「検査法」と神経外科的治療法の開発に研究助成金を出した。国会までもがその年に五〇万ドル、翌年一〇〇万ドルの助成金を立法化した。
このような手術を行なっているのは一握りの変質者ではない。ボストン、ハートフォード、ニューヨーク、フィラデルフィア、ニューオリンズ、ルイスヴィル、サンフランシスコ、サンタモニカ、それに国立衛生研究所などの権威ある医療機関に勤務するれっきとした神経外科医や精神分析医なのである。

脚注には次のようにある。

これらの報告のうち、新聞紙上や法廷で公開されたもの以外は、国会議事録一九七二年二月二十四日、E一六〇二~一六一ニページに詳細に記録されている。

次の引用は『タイム』一九七九年四月二十三日、「精神病院での極秘手術」より。
先週、バトリック,マーフィー弁護士がシカゴで訴状を提出した。訴状によれば、一九五〇年代から六〇年代にかけ、イリノイ州マンテノ精神病院の患者二五名ないし一〇〇名に対し「非公靭興極秘」の精神外科手術が、シカゴ大学ビリングズ病院において実施されたという。手術では患者の副腎が摘出された。副腎というのはコルチゾンその他のホルモンを作る器官である。手術の責任者は、癌のホルモン治療法でノーベル賞を受けたチャールズ・B・ハギンズ博士(七七歳)だったという。

ここで、シカゴ大学側は憤然としてこの告発内容を否定したとある。しかし記事はさらに次のように続く。

マーフィー弁護士は、人民保護官として、法的に無力な立場の人々を護る責任があるとして、大学側の否定に対して、反証を示している。すなわちマンテノ病院が事実上「人体実験室」だったと証言する、ある精神分析医のメモを公開したのである。

「人間モルモット、失明の男性に二九〇万ドル」一九八一年一月二十七日、ニューヨーク発UPIより。

生後まもなく失明した二七歳の男性が、医療過誤の賠償として二九〇万ドルを受け取ることになった。医師が両親の了解を得ずに、国家予算のバックアップを受けた医療実験にこの男性を使ったのだという。
この男性は、ニュージャージー州ユニオンシティに住むダニエル・バートンで、彼の弁護士は「このケースは人間モルモット隠しだった」という。ダニエルは一九五三年ニューヨーク病院で未熟児で生まれ、二八日間保育器に入れられていた。ダニエルの両親はそれまでにも一人子供を亡くしていたが、医師たちは今度の赤ん坊は大丈夫だと太鼓判を押した。が、ダニエルは失明した。
二七年間、両親は運命だと諦めていた。しかし二人の考えが変わったのは、未熟児に大量の酸素を与えるという、国家予算補助の医療実験についての記事を雑誌で見つけた時だった。これらの未熟児は皆、ダニエルと同じ一九五三年生まれで、その多くが失明していた。
マンハッタンの州最高裁判所陪審は、ダニエルの失明の原因は酸素実験にあるとの評決を下し、月曜日、二九〇万ドルの賠償を認めた。
ダニエルの弁護士、マーク・ワイゼンは、病院からダニエルのカルテを入手し、彼が保健省の未熟児研究プログラムに組み入れられていたことを立証した。医師たちは未熟児に、誕生後一カ月間純濃度の酸素を与えることが救命に効果があるかどうかを実験していた。しかし、この高濃度の酸素が赤ん坊の網膜に通じる細い血管を収縮させ失明に至らせた、とワイゼン弁護士は言う。

***
「日本の戦時人体実験隠蔽にアメリカが協力」一九八一年十一月二日付『インターナショナル・へラルド・トリビューン』より。フィリップ・J・ヒルツ署名の記事、以下はその全文。

[ワシントン発]第二次大戦中、日本はアメリカ人捕虜をも含む約三〇〇〇人を、生物兵器実験で殺害した。しかしアメリカ軍上層部が日本側と秘密協定を結び、この実験の事実を隠蔽したと最新号の『原子物理学会報』が伝えている。
この秘密協定は、関係者の戦争犯罪免責の含みもあるものだったが、アメリカ側がこの協定に同意したのは、貴重な実験結果をアメリカも利用できるようになるからだった、と『会報』の記者は書く。
生物兵器開発用の実験動物として使われた犠牲者たちは、大量のペスト菌、炭疽菌、天然痘菌などによって殺された。さらに、病原菌だけではなく、放射線、馬の血液の輸血、生体解剖などさまざまな殺され方をされたらしい。
『会報』の記事を執筆したジョン・ポウエル氏は、膨大な量の日米間の秘密協定文書を、情報公開法に則って国防省から入手したと述べている。そしてこれらの文書のうち六つの文書からの引用を記事の中で行なっている。
当時、日本と妥協したアメリカ側関係者は、実験でアメリカの兵士が多数殺されているため、もし問題が表面化すれば、「アメリカ軍内部の高官の責任追及というこみ入った状態にもなりかねない」という危惧を持っていたという点がそれらの公式文書から明らかになるとポウエル氏は言う。
軍そのもののコメントはいっさいない。またアメリカ人兵士の犠牲者の数、名前なども明らかにされていない。この点につき、ポウエル氏は、軍部はこれらを日本側に詰問すればことの全貌が公の目に触れる可能性が大きくなるのではないかと考えて、あえてしなかったのだろうと推測している。
まず実験期間中に提出されていた古い報告書によれば、当時日本には非常に高度な生物戦プログラムが存在していたこと、そして石井四郎軍医中将指揮下で実験が行なわれていた三カ所のキャンプで大量の戦死者が出ていたことが確認できる。
一九四七年五月六日、東京からワシントンに宛てた極秘電報がある。それによれば、戦争犯罪の免責が保証されるならば、実験の全情報を提供する旨の石井中将の意向が伝えられている。さらにポウエル氏が引用している別の文書によれば、石井中将から入手した実験情報は生体実験に伴う「良心の呵責」を考えると、「評価できない」ほどのものであり、アメリカにとってこの機会を逃せばもう二度と手に入れることができない種類の情報だったという。
また、この情報の値段は、日本が実験を実施するために支払った現実のコストに比べると、まったく取るに足らないほどに「安あがり」だったともいう。
エドワード・ウェッター博士およびH・1・スタブルフィールドという二人のアメリカ人のメモによれば、その後、石井中将はBW(生物戦)実験の犠牲者の検死の際に使われた八〇〇〇枚の細胞標本など具体的なものの提供をし始めたことが分かる。さらにそのメモにはこうある。
「戦犯裁判が行なわれれば、この種のデータが世界中に完全に公開されることになるだろう。アメリカ合衆国の防衛と安全のためにも、公表は避けるべきだと考える」。
さまざまな実験が捕虜を対象にして行なわれたことがうかがえる。たとえば、まず捕虜を病気にカカらせる、しばらく病状の自然な進行過程を観察した後、病原菌の与えたダメージの程度を観察するため病人を「犠牲」に検死を行なうのである。
メリーランド州キャンプ.デトリック(後にフォート・デトリック)基礎科学部長エドウィン,V.ヒルが、この実験結果の持つ価値の大きさに注目し、一九四七年十二月に出したリポートの中で次のように述べている。「この情報を自らすすんで提供してくれた日本人は、この価値の大きさのゆえに、辱めから免責されるべきだろう。また我々は、この情報が他の国の手にわたらぬよう最大限の注意を払わねばならない」。
さらに東京の米軍司令部からの別のメモにはこうある――日本に「戦争犯罪免責」を与える利点は、それにより「石井中将とその忠実な部下たちの過去二〇年間の貴重な蓄積を我々が利用できるようになる」という点である。

***
『罪なきものの虐殺』で、アメリカやイギリスでは、研究者たちが、堕胎されたばかりの胎児を実験材料として病院から買っているという話を書いた。表向きの禁止にもかかわらず、この胎児売買はその後も広がり続けている。
最近は、アメリカ政府の支出する研究費が、フィンランドの病院から買った生きた胎児を使った実験に費やされているという噂も耳にする。なぜフィンランドかと言えば、フィンランドでは妊娠五カ月までの人工流産が法的に認められているが、五カ月の胎児は人工流産手術後保育器内で生かしておくことが可能なのである。そのような生きた胎児が研究用に売られているのである。
いつものことながら、このような恥ずべき事実をあえて社会に知らせようとする報道機関はほとんどない。その数少ないひとつがコネチカット州グリニッジの『グローブ』である。一九八〇年八月十九日「人工流産胎児、実験用に生かされる」という見出しの、チャールズ・ラクマン署名の記事が掲載された。

フィンランドのある病院で、生きた人間の胎児を使ったぞっとするような実験が行なわれている。それを資金援助しているのがアメリカ政府である。
『グローブ』が入手した情報は、胎児の首を切り落したり、腹部を切り刻んだりして実験が行なわれている。それも胎児には麻酔さえかけられていない、という非常にショッキングな内容である。
オランダ人ジャーナリスト、ハンス・ペルケルの調査によれば、人工流産児はヘルシンキの病院から一万二〇〇〇ドルで買われており、その費用の出所はアメリカ政府なのだという。オハイオ州クリーブランドのアメリカ人研究者ピーター・アダム博士がフィンランドに送金したもので、アダム博士はヒト胎児研究助成金として、アメリカの国立衛生研究所から六〇万ドルを受け取っているのである。
当のアダム博士は、先月、脳腫瘍のため四四歳で亡くなっている。未亡人の小児科医キャサリン・キング博士が『グローブ』に語ったところでは、アダム博士はもう随分前にフィンランドの研究グループとの縁を切っており、今はアメリカの資金が彼らの研究に使われている事実はないという。また、アダム博士はクリーブランドの自分の研究室でも胎児を使った実験は止めていた、とキング博士は言う。
元来、フィンランドがこのような実験の場として選ばれたのは、フィンランドの中絶法が非常にリベラルで、妊娠五カ月までの中絶が法律で許されているからである。五カ月の胎児は中絶後も生きのびる場合が多い。生きのびた胎児は保育器に入れられ、ヘルシンキからトウルクという港町に運ばれ、その恐ろしい運命に弄ばれる日を待つ。
トウルクの実験室で働いていた一人の看護夫は、フィンランド人研究者マルティ・ケコマキ博士のもとで行なわれたこれらの実験のひとつを目撃したという。彼のぞっとするような証言は、『グローブ』の姉妹誌『ナショナル・エグザミナー』に今週掲載された。
「博士たちは胎児を取り出しておなかを切り開きました。肝臓が欲しいのだと言っていました。赤ん坊を保育器から出した時はまだ生きていました。男の子でした。体は完全で、手も足も口も耳もありました。尿さえ分泌していました」。おなかが切り開かれた時、赤ん坊には麻酔注射は打たれていなかったという。
この惨劇についての説明を求められたケコマキ博士はこう答えた。「人工流産児なんてゴミですよ」。そしていずれにせよ、このような胎児が生きのびる可能性はほとんどないのだ、と彼は言う。「それならば、社会のために役立てた方がずっといいんじゃないですか?」。

ケコマキ博士もお決まりの人道主義を振りかざしたのである。これはすべての動物実験者が自らの血なまぐさい殺害行為を正当化するために使う決まり文句である。『グローブ』はさらに続ける。
博士はこの新しい方法ですでに何人もの赤ん坊の命を救っているという。彼の胎児実験の目的は、未熟児の脳への栄養供給の方法を見つけることである。そのために胎児の頭部を切り取り脳を隔離し、栄養を与える実験を行なう。「未熟児を救おうと思えば、人工流産胎児の脳や肝臓が要るんだ」と博士は言い、実験が残酷で野蛮だとは思わないか、という問いかけには、ただ肩をすくめただけだった。

ここで蛇足ながら付け加えておくと、前述のアメリカ人医師ピーター,アダム博士は、ケース,ウェスタン・リザーブ大学の小児科教授であり、クリーブランド・メトロポリタン病院の小児代謝部長だった。このふたつの医療機関は、ロバート・ホワイト博士が有名なサルの脳移植実験を行なった場でもある(「ついに脳の移植」の項参照)。このホワイト博士の脳外科医としての技術と経験をもってしても、アダム博士を脳腫瘍から救うことはできなかったのである――それも四四歳という若い死だった。

貧しい国からの搾取

貧しい発展途上国は、欧米の製薬業界にとって、格好の猟場である。健康教の宣教師を装った精鋭セールスマンを送り込み、政府高官を賄賂で抱き込んだり言葉たくみにだましたりして、先進国ではその有害さのためにすでに売れなくなってしまった薬さえも売りつけるのである。販売活動が思い通りに運ばない場合は、恐喝や政治的暴力といった非常手段に訴えることさえもいとわない。
暴力? まさか、と思われるだろうが、その例がチリで起こっている。一九七二年、自身医師でもあったサルヴァドール・アジェンデ大統領が指名した薬事委員会が、治療効果が立証しうる薬品は二〇~三〇種しかなく、国際処方薬は削減されるべきである、という答申をまとめた。この二〇~三〇種というのは中国のいわゆる赤脚医生(裸足の医者)の用いる薬品類とほぼ一致する。ところが、この答申を実行に移そうとした少数派医師のほとんどが、一九七三年九月十一日、クーデターをおこしてアジェンデ政権を倒した軍事政権によって、その週のうちに暗殺されてしまったのである(アメリカのCIAがこのクーデターに手を貸していたということは、ワシントンが認めている)。
このクーデターによって成立した軍事政権は以前よりさらに苛酷な独裁政権だった。しかし、ことアメリカとの貿易、そして化学工業製品、とくに医薬品の輸入にはオープンな市場となったのである。
もちろん、アメリカ製医薬品の洪水に反対したチリ人医師たちの殺害にCIAが手を下したという証拠はない。しかし同時に、なぜ政治革命でそれほどまでに多くの医者が殺されたのか、とくにある特定の医者たちが、という疑問に説明もつかない。余談ながら、CIAの仕事には殺人も含まれると言われている。CIAというイニシャルは「国際暗殺センター(Center of Intrenatoonal Assassination)を指すのだという話もある。
次の意味深長な引用は、一九八〇年八月二十二日付『ニューヨーク・タイムズ』と『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』に載った、アンソニー・ルイスの「秘密の代価」という記事からのものである。

通常のキッシンジャー氏の発言の傲慢さは、それが活字になってみると、御当人さえも気恥ずかしさを感じるほどのものである。しかし今回の四〇人委員会における発言内容は、個人レベルの問題として片づけられるようなものではない。武力、経済力そして殺人計画による他国への密かな介入をもいとわないという、CIAおよびホワイトハウスの、このところの姿勢を反映する発言だったからである(傍点著者)。

チリのケースがとくに例外的というわけでもない。もうひとつ別の例を挙げてみよう。一九七八年、当時社会主義政権だったスリランカ政府が、同国薬事委員会の答申を受けて、医薬品の輸入を大幅に削減しようとした。その時、駐スリランカ、アメリカ大使が、アメリカからの食料援助を差し止めると、スリランカ政府に脅しをかけたのである。詳しくは以下をお読みいただきたい。

***
一九七九年、BBC(英国放送協会)のリッチー・コーガンをはじめとする三人のリポーターは「病気と富」という番組の中で、医療従事者への国際アンケートに基づく驚くべき事実を報道した。
イギリス国民は、快適な居間のテレビを通し、自称「倫理的」多国籍企業が、貧しい国々を餌食にして、恥さらしな行為をしているのを知った。一〇億人もの飢えて病に冒された人々が、「国際援助」という名の偽善の降り注ぐ中、健康に生きるという基本的人権を奪われている姿を見たのである。
スリランカでは、バンダラナイケ首相の社会主義政権時代、薬理学者のセネカ・ビビレット教授が、政府の協力も得て、同国の医薬品の種類をそれまでの数千から二〇〇~三〇〇種へと削減するのに成功した。さらに、重症の病気に対応するには、三四種の非銘柄薬品で十分であると結論した。
そこで財政的に逼迫していたスリランカ政府は、自国内で必要な薬剤を製造すれば安くつくと考え、原材料だけを輸入することにした。
これに対し強く反発したのが、スリランカに子会社をもつアメリカの製薬会社ファイザー社だった。その頃たまたまスリランカでコレラが流行したが、ファイザー社は見せしめのためコレラの薬テトラサイクリンの製造を中止してしまった。困ったスリランカ政府は、ファイザーを国営にするとゆさぶりをかけた。ここで、アメリカ大使が仲裁に入り、もしそのような措置が取られたならば、アメリカ政府は緊急食料援助を打ち切るだろうと告げた。
こうして、結局、スリランカはビビレットの三四医薬品プロジェクトそのものを破棄せざるを得なくなったのである。
その後スリランカでは社会主義政権が倒れ、資本主義になった。とみるや、スターリング・ウィンスロップ製薬会社(ロックフェラー一族〉が、スリランカ最大の医学雑誌『ファミリー・ドクター』に次のような広告を出した。「ブランド薬品市場へようこそ再び――これから始まる健康な自由競争は、必ずやスリランカ国民に利益をもたらすことでしょう――」(引用ママ!)。

BBCの番組で、一人のスリランカ人医師が、憤懲やる方なしといった口調で外国の製薬会社のやり方を糾弾していた。ある会社がウィンストロールという名の小児用液体ステロイド剤を押しつけてきたという。この薬は成長を促進させるとされており、禁忌もなく入手がたやすい。スリランカではスターリング・ウィンスロップの子会社がこれを製造しており、かなりよく売れているという。
しかしこれには、子供に性転換をおこす可能性があるとされている。性転換をおこすような薬は、長期的には深刻な混乱を生体に与えるであろうことは容易に想像できよう。しかも成長促進のために用いるということは、明らかに長期使用を念頭においているわけである。これに関し、アメリカのウィンスロップ社はノーコメントだった。
イギリスの製薬業界は『ミムズ』というマニュアルを月刊で発行しており、それには現在流通している薬剤の禁忌や副作用が記されている。
ところがアフリカ版ミムズには、すでにヨーロッパでは廃棄処分になった薬や安全レベルを越える用量が堂々と載っているのである。アフリカでは、貧しい人々が団結して裁判に薬害を訴えるなどということはあり得ないからだろうか。
タンザニアでは、薬の販売量が驚くべき数字だという。薬そのものに、あまりにも多額の費用が使われるために、病気予防にまではとてもまわらず、病院や診療所さえも資金不足で次々と閉鎖されている現状だという。かえって病気を引きおこすことさえある薬の宣伝にはお金がかけられるのに、栄養不良、不潔な水、どろんこ、といった根本的な問題の解決は放置されたままなのである。
そのようなことにお金をかけたところで、製薬会社の利益にはならないからである。
バングラデシュは「世界でもっとも貧しい国」と言われるが、本来は新鮮な野菜の育つ地味豊かな土地なのである。ところが国家予算の四分の一は何と合成ビタミン剤に費やされている。しかもそのビタミン剤は、多くの子供にとって死を招く結果にさえなり得るのに。欧米の薬セールスマンから薬を買わされた町の薬屋は、薬を買うだけのお金も持たない人々に、薬の危険性も教えずに売りつけているのである。
コンビオテイックというストレプトマイシンとペニシリンの混合抗生物質がある。これはあらゆる病気に効く――切り傷にさえ――万能薬のようにして、イギリスとアメリカの会社から販売されているが、実は、耳と腎臓には甚だしいダメージを与え、とくに結核患者にとっては非常に危険な薬なのである。これはアメリカ本土ではもう一〇年も前に禁止されたにもかかわらず、アメリカ・ファイザー社は、地域を限っていまだに生産を続けているのである。
現在、このような先進各国の製薬企業による搾取から貧しい国の人々を護ろうと奔走しているのは、医療奉仕のボランテイアグループである。中国の赤脚医生(裸足の医者)のやり方を真似て、医療技術の訓練を受けた看護夫や保健婦たちが、薬草を主成分とする薬すなわち製薬企業の搾取とは無関係の薬を携えて辺鄙な地方へと出かけて行く。
しかしこのような文明の手の届かない辺鄙な土地に住む人々でさえ、現代医学に対する信仰という点では、今や欧米人と変わるところがない。彼らも現代医学とその司祭たる医師の持つ奇跡の治癒力への盲目的信仰を植えつけられてしまっているのである。赤脚医生たちは、古い迷信ばかりでなく、このような新しい形の迷信をも乗り越えなくてはならない。
欧米の人々は今、ようやく、薬の過飽和状態とその破滅性とに気づき始めている。一方で、薬の洪水は貧しい第三世界の人々を飲み込み始めた。国民は薬を買うほどに豊かでないにもかかわらず、無智で邪悪な国家支配者の加担した先進国の搾取の前に、なすすべもないのである。

●『マザー・ジョーンズ』より

『マザー・ジョーンズ』というのは、アメリカで発行されている、ある雑誌の名前である。世の中の真実一般、とくに化学製薬業界の犯罪的行為に関心のある人にとっては、なかなか読みごたえのある雑誌と言えよう。ただ、この種の雑誌の常であるが、販路はほとんど閉ざされており、発行部数はきわめて少ない。
まず手始めに、一九七九年十一月号の「二〇世紀の組織犯罪」を読んでみることにしよう。この雑誌には『ニューヨーク・タイムズ』『タイム』『リーダーズダイジェスト』などでは決してお目にかかることのない種類の記事が出る。この号は、化学製薬業界のダンピングに焦点をあてている。
もう少し具体的に言うと、製薬企業が、いかにして発展途上国に自国ではすでに禁止になっている化学製品を投げ売りしているか、またどのようにして自国では明記を義務づけられている注意書きを、これらの国向けの製品では省略しているか、といった内容である。
数年前に、サンフランシスコにあるカリフォルニア大学医療センター薬理学講師ミルトン・シルバーマン博士が、のっぴきならない証拠を公表している(ただし、反響はほとんどなかったが)。
彼は二人の同僚とともにある比較調査を行なった。すなわち、製薬会社が薬を医者に紹介する際に、合衆国でとラテン・アメリカ諸国(製薬会社の格好のカモ)でとは、どう違っているかの比較である。以下二~三の例を挙げてみよう。
〈テトラサイクリン〉レダリー社製抗感染症用抗生物質。合衆国での副作用表示 嘔吐、下痢、吐き気、胃の不調、発疹、腎障害、胎児に害を与える可能性あり。中米およびアルゼンチンでの副作用表示――なし。
〈オヴレン>C・D・ソール社製避妊用ピル。合衆国での副作用表示-吐き気、抜け毛、神経過敏、黄疸、高血圧。ブラジルおよびアルゼンチンでの副作用表示――なし。
〈イミプラミン〉チバ・ガイギー社製抗諺剤。合衆国での副作用表示-高血圧、脳卒中、よろめき、幻覚、不眠、しびれ、視覚のぼやけ、便秘、かゆみ、吐き気、嘔吐、食欲不振、下痢、発汗。
中米、ブラジル、アルゼンチンでの副作用表示――なし。
同種の情報は、アメリカの医師たちの標準的手引書となっている『医師用卓上レファレンス』(製薬会社の出している製品説明書である)からも抜き出せるだろう。もちろん、アメリカに限らず、他の国の同様のガイドブックからでも可能だろう。
かくのごとく、先進国製薬業界による、発展途上国民殺しの陰謀は、着々と進行しているのである。

●ヨハネ・パウロⅡ世のメッセージ

一九八〇年五月、アフリカ各地を旅行中だったローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世は、ザイールで外交官や学生たちに、正直な市民たれ、そして同時に、彼ら第三世界を支配する目に見えぬ権力に敢然と立ち向かえ、と語りかけた。「この大陸は重荷に苦しんでいる。自らの内部からの重荷と、ある権力の支配によって外部から負わされる重荷とに」(『Corriere della Sera』)。
ローマ法王という特殊な立場にある人物の話す言葉は逐一、世界中に報道され分析される。従って発言は常に外交的であらねばならず、特定の個人を名指しで批判することなど不可能だろう。
しかし、故モリス・ビールをはじめとする我々名もなきジャーナリストにはそれが可能なのである。
さて、ではアフリカ大陸に、外部から重荷を負わせる「ある権力」とはいったい何者なのか。ロックフェラーセンターでアメリカの外交政策を操り、アメリカ製品に対し門戸を閉ざす国の民主政府をくつがえし、CIAを通じその国の独裁政権と手を組む――かのオールマイティ、製薬シンジケートこそが、法王の胸のうちに秘められていた名であったに違いない。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

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